著者
宇田川 晴義
著者別名
Haruyoshi Udagawa
雑誌名
dialogos
号
11
ページ
47-72
発行年
2011-03
URL
http://id.nii.ac.jp/1060/00005052/
Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.jaアイルランド国立大学(NUI)構成大学の解体
宇 田 川 晴 義
本論の目的 2010年1月、時のアイルランド文部科学大臣BattO'Keeffe氏が、110年の歴史を持つアイルランド国立大学"NationalUniversityoflreland:NUI''
の構成大学(ConstituentUniversitiesofNUI)4大学N
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の枠組みを解体し、4大学は、それぞれ独立した機関として運営されること になると発表した111. NUI構成大学の解体決定報道に対し、解体によりNUIの国際的評価と NUI学位への影響を心配する声が上がった。筆者は、NUI構成大学の解 体報道から間もない2010年3月初旬、東京にて、文部科学大臣BattO' Keeffe氏と面談する機会を得た。その際、NUI解体についての筆者の質問に、 この決定は、既定のアイルランド高等教育改革の枠内の決定であること、即 ち、高等教育の現代化を目的とした1997年の新大学法案"TheUniversities Actl997"に基づいた方針であり、更なる改革の指針が間もなく出されると の答えであった。 本 稿 の 目 的 は 、 こ の 機 会 に 、 ア イ ル ラ ン ド 高 等 教 育 の 歴 史 を 振 り 返 り、次にllO年の歴史を持つNUIを誕生させた1908年の「大学法」"the(
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UniversityActl908"成立の背景について述べ、次に、1908年以来、100
年を経た1998年、アイルランド国会を通過した「新大学法案」"the UniversitiesActl998"を検証して、12年後の今年2010年に発表されたNUI 構成大学の枠組み解体の目的を述べることである。 序 今日のアイルランド高等教育の特色は、大学部門と非大学部門の二部門制(BinarySystem)にある。大学部門を構成する大学7校は、伝統的な人格形
成・教養主義の歴史を持つ5大学と、社会に役立つ人材育成を目的とする所 謂、実学を理念とする2大学に分けられる。伝統大学の系譜は、アイルランド国立大学"NationalUniversityof
Ireland:NUI''の3大学(後述)と"'IT・inityCollegeDublin(TCD"'そして"St.
Patrick'sCollegeMaynooth(SPCM)''から分離した"NUI,Maynooth"である。
この人格形成と教養主義の伝統大学の系譜は、中世ヨーロッパ、そして遠く 辺境の地「学僧の島」の伝統に遡ることが出来よう121.実学を理念とする2大学は、@@UniversityofLimerick(UL)''と"Dublin
CityUniversity(DCU)''である。この2大学は、1972年に開設された
"NationallnstituteofHigherEducation(MHE)"を前身とし、1989年にNUI
の"University''に昇格した大学である。
(2)アイルランドの高等教育の歴史は、5世紀前半から9世紀にかけての初期キリス ト教時代にまで遡る。古来、アイルランドは、「聖人の島」そして「学僧の島」とし て語られてきた修道院時代の学問の伝統を持つ地である。432年、ブリタニア出身の 聖パトリックが、ヨーロッパ辺境の地、アイルランドのキリスト教化に乗り出した 時代に初期キリスト教時代は始まる。あの渦巻き模様で装飾されたハイ・クロス( HighCroSs)が、ケルトの地アイルランドとキリスト教との融合のシンボルである ように、アイルランドのキリスト教が独自の展開をした時代である。6世紀から9世 紀、キリスト教の拡大に伴って、アイルランド各地に修道院が造られた。初期キリス ト教時代は「修道院時代」とも呼ばれるが、ケルト系修道院では、修道僧が労作の傍ら、 聖書研究・詩篇の暗記・筆写に加えて、ギリシャ・ローマ古典の学習にも励み、中世ヨー ロッパの文明の火を守った時代である。I.アイルランド大学史(1591-1910)
アイルランドに1908年、アイルランド国立大学"NationalUniversityof
Ireland:NUI"が設立される以前、イギリス植民地時代からイギリス統治時 代のアイルランド大学教育の主な歴史(1591∼1910)を年表にする。1535CollegeofSt.Mary.HemyVⅢの宗教改革のため没収
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1793CatholicReliefAct(カトリック救済法)1
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18451rishCollegesAct1850QueenisUniversity設立
1850カトリック教会会議、Queen'sUniversity非難
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1873ThinityCollegeにおける宗旨テスト廃止
1875カトリック大司教、カトリック教徒のTifinityCollegeへの入学反対
1876MaynoothCollege:CatholicUniversityの構成大学になる
1879TheUniversityEducationAct1879RoyalUniversity設立
1882QueenisUniversity廃止
1886TheChurchoflreland解散廃止1
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1908ThelrishUniversitiesActN
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称
1909RoyalUniversity廃止
1910St.Patrick'sCollege,Maynooth、NUIの認定大学へ
上記年表上の大学は、第1期、16世紀∼18世紀に設立された大学、第11期、 1845年から1908年に設立された大学に大別できる。 第1期:16世紀∼18世紀に設立された大学 1591:TTinityCollegeDublin
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第Ⅱ期:1845年∼1908年の期間に設立された大学1
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1854:CatholicUniversityofIreland1
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UniversityCollegeCork UniversityCollegeGalwayQ
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1908:NationalUniversityoflreland UniversityCollegeCork UniversityCollegeGalway UniversityCollegeDublin Queen'sUniversityBelfast n.NUI設寸の背景 1908年の大学法が成立されるまでの凡そ60年間のアイルランドの大学の 歴史は、アイルランド・カトリック教徒が、カトリック教徒の国立大学設立 を要求する激しい運動(カトリック・ナショナリズム)と、その運動への 政府の対応の歴史だったと言える。1908年以前は、プロテスタント教徒は、プロテスタント大学"TifinityCollegeDublin"に進学し、カトリック教徒は、
カトリック大学"CatholicUniversity"へ進む宗派別であった。
英国政府の植民地アイルランド・カトリック教徒への高等教育対策として、1850年に開設した"Queen'sUniversity'''3)は、カトリック教徒にとり解決策
にならないことが、1870年頃までには判明していた。カトリック教徒の国立大学要求の運動からは、1795年"MaynoothCollege''、そしてアイルランド・
カトリック教会が、独自に1854年に創設した"CatholicUniversity"(4)の設立
を見る。 (3)GGQueen'sUniversity'' 反カトリックの姿勢を変えない本国英国の政治風土の中で、植民地政府は、一般の カトリック教徒のための一宗派立大学を、国が設立し維持することに同意しなかった。 その代わり、非宗派立の大学の設立を認可した。それが、1850年に設立された!6Queen's University(QU)''である。Quは、Cork、GalwayそしてBelfastの3校の"Queen's Colleges"で構成され、各州が建設し、国が管理する大学であった。 (4)G6CatholicUniversity''(1854∼1908) "Queen'sColleges''に反対するローマ教皇の返答のなかで、教皇は、アイルランド のカトリック教会の指導者に、純然たるカトリック大学を設立することをつよく勧め た。それに応えて、アイルランド、英国そしてアメリカで大募金が行われ、1851年 には230,000が集まった。そして、1854年、正式に神学、法学、医学、哲学、文学 の5学部からなる"CatholicUniversity''がダブリンに設立された。 初代学長になったのが、Oxford''の著名な学者で、カトリックに改宗したJohn HenryNewmanである。Newmanは、"LondonUniversityや"QueensColleges"が表 した実利主義の教育観に強い反対を表明した。彼は、実用教育でなく、人間に知的、 道徳的特質の成長のための教育、利害に左右されない知識の追及を主張し、"Catholic University"を英語圏における偉大なカトリック大学にする考えを持っていた。それ ゆえ、神学研究は、この大学の不可欠な部分であった。 加えて、この新しい大学には、いくつかの特徴があった。それは、全学生に2年間 の予備の教養課程を取る義務と、大学資格になる夜間講座が開設された点である。こ の新大学は、Newmanの意気込みにもかかわらず、国が財政的支援をしなかったこと、 そ し て 、 学 位 を 与 え る 免 許 状 を 出 す こ と を 認 可 し な か っ た こ と が 、 根 本 的 な 問 題 と なった。Newmanの辞任も打撃となり、"CatholicUniversity"は、1863年を頂点と して、1870年代には衰退にむかい、1882年、いくつかのカトリック大学と再編成され、 1883年、"Jesuit修道会”の管理下におかれ、"UniversityCollege"として知られる ことになる。そして、1908年、GalwayとCorkのCollegeと合同して、NUIを構成 することになる。しかし、"CatholicUniversity"も、英国王からの設立勅許状が無いことや、
十分な基金が足りなかったために、徐々に衰退していった。カトリック教徒 側からの政府への支援要請も、1869年、プロテスタントのアイルランド国 教会"Churchoflreland"が解散したために、カトリックー宗派の大学教育 のために、直接、国が財政支援することがますます困難な状況であった。 カトリック教徒側にとり、受容の出来る解決策となったのが、1908年の「ア イルランド大学法」"ThelrishUniversitiesAct"であった。「アイルランド大学法」成立に至る過程には、"TrinityCollege"に代表される伝統的大学とは
異なる新機軸を出した1879年の"RoyalUniversity''151の開設や、1885年か
らカトリック教徒の高等教育のための討議が、ダブリン管区の歴代の大司教 と時の政府閣僚の間で継続して行われていた。 1897年には、大司教側から、国立でカトリック司教が管理するカトリッ ク大学の開設というこれまでの主張には、もはや固執しないということが言 明された。その結果、新しいアイルランドの大学設立のために、1901年から1907年まで、"RobertsonCommission"と"FryCommission"の二つの
(5)G6RoyalUniversity(RU)'' 1882年、"Queen'sUniversity"が正式に解散したとき、1879年に政府が設立した "RoyalUniversity(RU)"が、それにとって代わった。RUの理事会は、プロテスタ ントとカトリック半数ずつで構成され、大学生であろうと無かろうと、試験により誰 でも入学出来るとされた。また、RUは、"TrinityCollege"と"Queen'sCollege"の 学位を、カトリックとしての良心的拒否から、受けることをしなかったカトリック学 生が学位を取ることができるようになった。 従来のアイルランド大学制度の欠陥を補うRUも、その新しい制度故に、受けいれ られることが難しかった。主な反対理由は、RUが試験に集中して、前もって必要な 大学通学することなしに、学位試験資格を認めたために、RUは大学教育の価値を軽 視しているという批判であった。 結局、RUは、アイルランドの大学問題の長期的解決策にはならなかったが、大学 の宗派の垣根を取り払ったこと、特定の階層ではなく、大学入学を希望するアイルラ ンドの全ての男女に、平等に試験と奨学金の機会を与えた点で評価できる大学であっ たが、1908年、アイルランド大学法("ThelrishUniversitiesAct'')によってその使 命を終える。特別委員会から、それぞれの高等教育案が出された。そして、両案に共通し
て多数の支持があったのが連邦大学案"Federaluniversity''であった。
1908年の「大学法」により、"RoyalUniversitylreland''が、「非宗派」の
新しい大学組織"NationalUniversityoflreland:NUI''に改編され、アイ
ルランド人の悲願であったアイルランド国立大学"NationalUniversityof
Ireland:NUI''が開設される。NUIの歴史は、1908年の「大学法」"the UniversitiesActl908"に始まる。大学開校の背景には、19世紀初頭から、大陸や英国に於ける"Oxbridge"
や"TrinityCollege"のような伝統的大学に対して、将来の職業や専門職の
準備教育となる科学技術の研究や実験、実用を目的とした研究を重視する 気運があった。英国において、こうした実用教育の流れの先頭に立ったのが、1828年に創立された"LondonUniversity''である。
QUは、この英国の新大学をモデルとして、全ての宗派の人に開かれた
Non-denominational大学で、また寄宿制ではない低学費の大学となった。カ リキュラムは、伝統的大学よりも科学、近代語そして実用的研究に重点を置 いた。このアイルランドの新しい大学の設立のために、1845年5月、"IrishCollegesAct''の法案が提出されて以来、この法案に対する国内の意見は二
分された。反対意見の全てが、宗派に無関係"Non-denominational"の部分に向けられたが、いくつかの修正の後、"IrishCollegesAct''は、2カ月後
に議会を通過し、勅許を得た。 しかし大半のカトリック教徒は、異なる宗派と共学する教育には強く反対 した。そして、アイルランドの司教は、当時、1846年、任命されたばかりのロー マ教皇ピウス九世(PiusDI,1792-1878,ローマ教皇,1846-78)に、この新 しい大学を受け入れるべきかを決定するよう依頼した。その答えは、異宗派 との共学は、カトリック教徒の教育には適さないというものであった。反対理由の背景には、"Queen'sCollegefのような大学は、世俗化の勢力
と連合しているという懸念があった。それは、"LondonUniversity''の設立
の背後に、ユニタリアン派や当時の過激思想者がおり、体制に対する反対運動が進行していたからであった。この結果、Quは、1849年10月、Cork、
GalwayそしてBelfastに開校されたが、カトリック教会は、反対の立場を取
り、信者の入学を禁じた。QUが受け入れられなかった理由には、もうひとつの大きな事情があっ
た。それは、1845年から48年の飢饅により、多くのアイルランド人が、新 大陸アメリカヘ移住し、人口が激減した時代であり、そして又、大学教育を 受けることを望む学生のために相応しい準備教育の制度が欠けていたことであった。Quの学生数は、1864年時、三校併せて750名の少数であり、また、
1879年、新しい制度を持って設立された@@RoyalUniversity"(後述)の出
現によっても、学生数が、大幅に減少していった。1881-82Cork(402人),Galway(201人),Belfast(567人)
1901-02Cork(190人),Galway(93人),Belfast(349人)
"Queen'sUniversity''は、1882年、その本来の目的の一つであった伝統
的教育に対して、実用に供する教育"vocationaleducation"は、十分にその花を開かぬまま解散し、Cork、GalwayそしてBelfastの三つの"Queen's
Collegesは、1908年に、"NationalUniversityofIreland(Nm)''が設立され
るまで個々に運営を続ける事になる。即ち、6$Queen」sCollegefの"Cork"
と"Galway校"は、"CatholicUniversity''と合同して、"NationalUniversity
oflreland"に組み込まれ、Belfast校は、"UniversityofBelfast(QUB)''と
して独立した大学となる。Ⅲ、1908年大学法案
1908年、遂に連邦大学として"NationalUniversityoflreland(NUI)''の
設立を最終解決案とする「アイルランド大学法」案が国会で承認され、以下の決定がなされた。
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TTinityCollegeは、単独でUniversityofDublmとして存続することを承認
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NationalUniversityoflreland構成3大学の設立
構 成 3 大 学 前 身 大 學U
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Queen1sCollegesUniversityCollege,Galway(UCG)Queen'sColleges
UniversityCollege,Dublin(UCD)CatholicUniversity
NⅢは、非宗派(non-denominational)そして非寄宿(non-residential)を 規定し、大学入学試験を申し込むために必要な科目を履修する学生の参加を認めた。また、その規定には、認定大学(Recognizedcolleges)の条項があ
り、1910年、"MaynoothCollege"が、NUIの認定大学となった。参考まで
に、次表は、1830年代、1840年代そして1850年代のNUI3大学と"Trinity
College(TC)"の学生数である。
☆学生数 Year U C D U C C U C G T C T b t a l 1 9 3 8 / 9 1 , 9 8 8 8 5 5 5 8 4 1 , 4 5 3 4 , 8 8 0 1 9 4 8 / 9 2 , 8 6 2 9 3 6 7 6 2 2 , 2 3 6 6 , 7 9 6 1959/603,9611,3049452,4438,653 しかしながら、NUIの開設は、プロテスタントとカトリックの双方にとっ て問題の解決策にはならなかった。即ち、プロテスタントは、変わらず、ト リニティ・カレッジ(TCD)へ入学し続けたし、カトリック教会が、カトリッ ク教徒のTCDへ進学を認めたのは、なんと1970年代になってからであった。Ⅳ、NUI加盟の新大学
1960年代までの高等教育は、1908年の"NationalUniversityoflreland
(NUI)''の設立以来、1922年の南北分割による政治的独立、そして第2次 世界大戦から戦後、そして、1960年代に至るまで、幾多の大きな社会的変 革を経てきたにも関わらず、新しい大学が生まれる事もなく、正式に法制化された"University"の資格を持っていたのは、"ThinityCollege"とNUIの
3校"Dublin,Cork,Galway"の伝統的な教養主義の大学だけであった。
1960年代から1970年代にかけて、アイルランドの高等教育は、もうひと つの柱をもつようになる。それは、アイルランドの現代化の波を受けた政府による実業教育の推進である。即ち、地域技術単科大学"RTC:Regional
T℃chnicalCollege''の設立(‘)とNIHEの設立である。これにより、高等教育
(6)地域技術単科大学(RegionalTEchnicalCollege) 政府は、1972年のNIHE設立以前の1969年に、"Carlow、Waterford、Athlone、 Dundalk、Sligo''の五地域に5校の"RegionalTechnicalColleges(RTC)"を設立し ていた。そして、1971年から77年の間に、"Cork、Galway、Letterkenny、Tralee" の4地域に、さらに4校のRTC(地域技術単科大学)を設立していた。 当初、政府は、RTCを技術教育のための高校レベルのコースを開講する計画を立て ていた。しかし、RTCは、高校レベルの教育ではなく、大学水準の工学、建築、経 営学、応用化学、美術、デザインの教育に集中した。コースの大部分は2年間で、修 了すると、"TheNationalCouncilofEducationAwards(NCEA)"から修了証"Sub-degreelevel"が授与された。 NCEAは、1980年に法制化された機関で、大学の枠外の高等教育機関の工業技 術 、 産 業 、 科 学 、 技 術 、 デ ザ イ ン そ し て 商 業 教 育 を 奨 励 、 助 成 、 調 整 し 、 専 門 、 職 業、技術学校に関わらず、教養科目も奨励することを主たる任務としている。それ は、NCEAの別の権限として、"Non-University"の高等教育機関のために、各種学 位、修了証書、免許状を交付する事ができる法的認定機関である。NIHEの2校も、 "University"に昇格するまでは、NCEAが、学位認定機関であった。 RTCの教育方針は、現在そして将来の社会的、経済的要求に対応できる人材を養 成するための職業教育をすることである。RTCは、1960年代のアイルランド社会 そ し て 経 済 が 必 要 と し て い る 国 に よ る 人 材 養 成 機 関 と い え る も の で あ っ た 。 政 府 が 発表した二つの報告書"WhitePaperonEducationalDevelopment(1980)"そして "ProgrammeforActioninEducationl984-87"には、職業教育が高等教育の主目的で あること、そして政府の高等教育への国庫支出の基準は、その機関が、どれだけ科学 工業技術の発展と経済成長に貢献したかを基準とすることが示唆されている。 1986年の時点で、アイルランドの全ての高等教育機関の新入生の48%を、15校の機関が、"University-sector''とRTCやNIHE(NationallnstituteofHigher
Education)'7}に代表される"Non-Universitysector''の二部門から構成される
ことになった。 アイルランド社会の現代化を背景に1972年に開設された"NIHE''が前身の"DublinCityUniversity(DCU)''そして"UniversityLimerick(U.L.)"が、
RTCの学生が占めている。これは、1965年から66年当時,実業教育の,高等教育 全体に占める学生数の割合が、5%にしかすぎなかったのに比べると、その20年後 の実業教育の拡大と発展を物語っている。 (7)NIHE(NationallnstituteofHigherEducation) RTCが発展した主たる理由は、技術の発展と経済成長に役立つ教育という"national needs''があったわけであるが、同時に、社会の現代化に対応できなくなっている伝 統的大学の側にも問題があった。大学が、一部エリートのための時代においては、ア イルランドの大学卒業生の大部分は、専門的知識をあまり必要としない官公庁などの 公共機関に勤務するものが大多数であった。 ところが、学生数が増えて大学が拡大していった1970年代は、経済不況も重なり 厳しい就職難の時代であった。雇用側も、その専門の仕事への適格者を選ぶようにな り、人文系の文学や歴史を専攻する学生にとっては、大変な就職難の時代であった。 こうした状況において、大学も学生の就職に直接応用できる技術を教える科目を重視 し始めていた。 こうした流れを受け職業教育を重視する政府の方針は、RTCに止まらなかった。政 府は、大学レベルのNIHEを、"Limerick"の大学誘致運動に応えて1972年、NIHE, Limerick(NIHEL)を設立する。しかし、NIHFLの設立に際して、1968年に設置さ れた高等教育全般について文部大臣への諮問機関である"HigherEducationAuthority (HEA)"は、政府のNIHE案に反対する。なぜなら、HEAには独自の新大学案があっ たからである。HEAは、政府の技術教育重視のNIHEに対して、少なくとも開講コー スに関しては、HEAの新大学案の方針が反映されている案を採用するよう勧告する。 HEA案は、「NIHEの本質が技術教育であることは認めるが,それだけではなく、 人文科学系の要素も含まれるべき」というものであった。NIHEは、HEAの方針も反 映されて設立されたのである。政府は、1970年、LimerickにNIHE設立の計画委員 を任命し、1972年、最初の学生を受け入れる。開講コースは、経営学、コンピューター システム学、ヨーロッパ学、電気工学、産業経営数学、産業化学、機械工学、材料生 産工学となった。そして修了者には、学位(Degreelevel)が与えられることになった。 1980年、NIHEL法案が国会で承認されるまでは、NIHELの学位認定機関とし て、1976∼7年は、"NationalUniversityoflreland"が、1978年からは、"National CouncilforEducationalAwards(NCEA)''が、学位の認定を行った。この間に、1975年, NIHE,Dublinの設立特別委員会が発足し、1979年,NIHE,Dublinが認可された。 1980年,NIHEL法案が国会にて承認され、NIHEは、法的地位を獲得する。1989年、NUIの伝統が支配する大学部門に所属した。両大学は、"NIHE''
が発展して"University"になった新大学である。1980年代以後、アイル
ランドも高等教育の大衆化が進み、この20年間、就学者数は2倍を超える 増加である。二部門の学生数を見ると、1965年当時、総計18,500人程度で あったが、2007/2008年の大学部門と非大学部門の学生総数は、13万8千 人以上にまで拡大発展している。非大学部門の技術インステイテュート"IOT;InstituteofTechnology"は、当初は5校の地域技術単科大学(RTC)から
出発し、現在では、主要な市に15機関が開設されている。その代表的機関が、"DublinlnstituteofTbchnology(DIT)''である。これら大学部門と非大
学部門とも、現在は、国から委託された独立法人の高等教育庁(HEA)から、 国費の配分を受けて運営されている。 学生数増大の最たる要因は、高校卒業生の増加に伴う進学率と経済発展で ある。1970年までの30年間、300万人に届くことは無かった人口が、1971 年から1991年の20年間に、約55万人増加の352万人、2006年の国勢調 査では約424万人へ、1971年人口の40%増である。OECDの報告に拠れば、 1990年代のアイルランドの出生率は、ヨーロッパ平均の2倍、人口1000人 に23人であった。 V.1990年代以後のアイルランド社会 アイルランドは、伝統的に貧しい農業国であった。第二次世界大戦後も 経済は、永い間停滞し、特に1980年代は、失業率とインフレ率が高く、国 債発行に依存する経済で、景気は悪化し、成長が低迷し続け、EU圏内で 最貧国の一つであった。1960年代の経済不振は、海外移住を増大させ、ほ ぼ北海道と同じ面積に住むアイルランドの人口は、280万人までに減少し た。280万人台の人口は、200年間のアイルランド人口で、最少人口であった。 しかし、1960年代まで減少傾向だった人口が、1970年代から増加に転換する。次表のように、2002年国勢調査の人口は、391.7万人、そして2006年年国 勢調査の人口は、8.2%人口増の約424万人である。人口増の理由は、自然 増とアイルランドへの移住である。 2002年から2006年の期間の年平均人口増、80,000人の内、自然増が33,000
人である。この自然増の33,000人は、EU27カ国の2007年の自然人口増
が、1000人当たりl.0であるのに比べて、アイルランドは、1000人当たり 9.8である。これは、EU27カ国のなかでも、飛びぬけて高い人口増加率 であった。 ☆アイルランド人口1901-2006Year Males Females rlbtal
1951 1,506,597 1,453,996 2,960,593 1961 1,416,549 1,401,792 2,818,341 1971 1,495,760 1,482,488 2,978,248 1981 1,729,354 1,714,051 3,443,405 1991 1,753,418 1,772,301 3,525,719 1996 1,800,232 1,825,855 3,626,087 2002 1,946,164 1,971,039 3,917,203 2006 2,121,171 2,118,677 4,239,848 ほぼ200年間、他国への移民の国であったアイルランドが、2002年から 2006年の期間、国内労働力が足りなくなるほどの経済成長のために、海外
から6,000人の移住者を抱える状況になったのが1990年代である。1998年、
国内への移住者数と、国外への移住者数が逆転し、移民を迎える国へと転換 する。国外移民の推移を見ると、1989年の70,600人をピークに、それ以後、減少を続け、1998年、21,200人にまで減る。その一方、国内への移住者は、
22,800人となり、国外への移住者数が上回ることになった。1992年当時のアイルランド課題は、26万人の失業者を抱え、その雇用 創出のための産業政策の転換が急務であった。1988年、イギリスの経済誌 T/ieEco"oMsrは、アイルランド経済は破滅へ向かっていると予言した。し かし、10年もたたない内に、1990年代のアイルランドは、「アイルランド の奇蹟」と呼ばれた経済発展をする。経済発展の理由は、政府の外国企業誘 致策、英語を母国語とする比較的コストの安い若い労働力、グローバル化へ の志向と国際人脈、労働力の質向上が挙げられている。 1995/2000年、5年間の年間平均成長率が、約10.5%と驚異的な成長率を 示し、経済指標である2006年の住宅着工は、9万戸に達し、国民一人当た りのGDPも、EU内で、2番目の高さであった。インフレ率も低くなり、税 負担が軽くなり、アイルランドは、貧しい農業国家から、海外から世界的 IT企業、化学企業が進出しハイテクとサービス業の国へと転換した時期で ある。 現在のアイルランド経済は、先進的で、国際貿易への依存度が極めて高 く、輸出は、国内総生産の85%に相当する。経済発展の影響で、失業率は、 1989年18%、1993年15.75%から、1999年10.2%、そして、2003年は、 年平均4.6%と大幅な改善をし、2005年4.3%、2006年は4.4%と、失業率 は5%以内である。OECD内で最高の経済成長を記録した要因は、アイルラ ンドを取り巻く国際的な経済環境の恩恵に因るものであった。
2006年に出された"NationalDevelopmentPlan2000-2006"の経済予測
では、2005年-2010年の経済成長は、3.5%-4.9%を見込んでいたが、2007 年以後、現在のアイルランド経済は、リーマンショックも重なり、厳しい後 退を強いられている。2008年のGDPは、2007年に比べ4.2%も下落し、ま た、政府予算に占める借入金の割合が、2007年の25%に比べ、2008年は 43.2%も増加している。黒字であった国家の収支は、2008年は、GDPの−7.1%のマイナスとなり、これはEU加盟国で最も大きい赤字収支であった。
m.1992GreenPaper:EducationforAChangingWorld
1992年6月、アイルランド文部省は、教育全般の政府の展望と方針を表した"GreenPaper:EDUCATIONFORACHANGINGWORLD"を作成した。
"GreenPaper"とは、政府が新しい政策を提案する際に、議会や関係機関に
検討資料として提出する文書である。この種の報告書としては、1980年の"TheWhitePaperonEducationalDevelopment"以来のものである。"White
Paper''が1980年代のアイルランドの教育全般の政府展望と方針を表明した
報告書であったが、"GreenPaper"は、1990年代の報告書である。
その25ページにわたる序文は、21世紀を目前にした1990年代を「変化 する時代への挑戦のための10年」と規定し、厳しい現状認識に立ち、アイ ルランドの教育の発展のために、以下の6目標を提示した。(8) 1.教育の公平を確立する−特に、社会的、経済的、身体的そして精神 的に恵まれない人々のために。 2.教育を拡大する−効率よく生活や仕事、そしてヨーロッパ市民とし て必要な識を与えるために。 3.教育資源を最大限まで活用する−根本的に政府に権限を委譲し、政 府は最善の運営方法を導入し、政策作成を強化する。 4.たえず変化している状況に対応出来るような教師を訓練、養成する。 5.効果的な教育の質を保証する制度を作り出す。 6.制度全般にわたり開放性と責任を確保し、併せて両親の参加と選択を 出来る限り可能にする。 1960年代から1980年代の初頭までは、アイルランドの高等教育は、先ず は国内の社会、経済の急速な現代化の需要に応える人材養成期、即ち量的拡 (8)"GreenPaper"P.6大の時代であったが、"GreenPaper''は、1980年代の教育目的「アイルラ
ンドの教育の発展」と同じ路線に立ち、1990年代の社会、経済そして国際 的環境の変化に対応するために、高等教育の更なる拡大を表明した。 1980年代から1990年代の高等教育が拡大したエネルギーは、非大学部門の IOTsの充実に教育拡大の成果が示されるように、経済至上主義とも呼べるアイルランド経済と密接に結びついた教育政策であった。"GreenPaper''は、
量的拡大と共に、変化する時代の要請に応えるべく、「効果的な教育の質を 保証する制度」として、国際水準の教育、優れた企業人になるための教育、 そして豊かな個人生活のための教育を、21世紀に向けてのアイルランドの 教育の質を高める目標にしている。結びに、"GreenPaper''は、ヨーロッパの経済、金融、そして政治統合に
向けての発展が、アイルランド社会や教育制度に与える影響は計り知れない ほどのものになると予測し、政府は若い人々に、その新しい生活と労働環境 に対応できるためには教育による準備が必要であると表明している。I,’Ⅶ.「新大学法」GltheUniversitiesActl997"
NUIの組織の永い歴史に変革をもたらしたのが、「新大学法」(The UniversitiesActl997)である。「新大学法」成立以前のNUIは、文部省の直接管轄下にあり、"NUI,Dublin"、"NUI,Galway''、"NUI,CoIk"の名称が
示す様に、あくまでNUIの構成大学(ContituentUniversities)の資格であった。そして、"Maynooth"は、NUIの認定大学から構成大学へ昇格した大学
であった。"TheUniversitiesActl997''は、アイルランドの高等教育の現代 化が目的の新大学法案である。教育科学省、HEA、NUIそして技術インスティ テュート(IOTs)を含めた全ての高等教育関係機関に関係する法案であり、 1908年以来のNUIの組織・運営方法を見直し、NUIを再定義する法案でも ある。ここでは、新大学法の大学部門の組織の見直し部分に絞り、その内容 (9)"GreenPaper"P.85-86を紹介する。 新大学法は、アイルランド国立大学の構成大学を再定義して、それぞれの 独自の伝統、そして学問の自由の原則に従い、構成大学を独立法人とみなし、 個々の大学の自律性と責任を明確にし、同時に、個々の大学には、その運営 責任や情報開示を明確に義務づけ、法人として、それぞれの大学の財政管理、 教育の質保証、教育機会の平等、将来の発展計画の立案等の責任を持つこと になった。大学法人の学長は選挙によって選任され、学長は以下の権限を持 つことになった。 1.教職員の任命権 2.教育プログラムの許可権 3.認定試験の実施権 4.学内組織決定の自由 そして、新大学法は、NUI構成大学を、文部科学省の管轄から、高等教 育庁(HEA)に管轄を移管することに決める。しかし、政府が、国家の高 等教育全般の政策を立案するのは、これまで通りなので、1997年の時点では、 アイルランドの高等教育の管理体制は、政府の政策による中央集権的な教育 制度下の管理体制の名残と、各大学の自主的運営という二律的な管理運営体 制が特色と言える。その特色は、高等教育庁(HEA)と大学部門の関係の 変化に見られる。 Ⅷ、HEAの新機能
1971年次の高等教育庁法(theHigherEducationAuthorityAct)に規定さ
れたHEAの主な機能は、大学部門の教育・研究機関への国の資金交付、そ して高等教育各分野の各種年次報告書の作成であった。しかし、1997年の 新大学法では、高等教育全般の管理は、従来通り、政府の責任のHEAにより行われるが、各大学が独立した大学法人の地位を与えられたことに伴い、
HEAは、個々の大学の(1)戦略的発展計画(2)質保証の手続き(3)機会均
等策とその実施の以上三部門について点検する責務を持つことになった。 HEAのメンバーは、教育科学大臣の推薦により、政府から任命され、そ のメンバーで構成されるHEAは、従来の運営資金の交付業務に加えて、各 高等教育機関の運営面について点検し、教育科学省や政府に対し助言を行 う、これまでよりも重い業務を行う独立法人となった。そのために、HEAは、 国内外の適切な人材を登用して、国際的にも優れた実践例に照らして、各大 学の三部門を検証し、教育科学省や政府に対して助言を行うことに変化した。 更に、HEAは、アイルランドの大学現代化の課題として、以下の三項目の 責任義務を課している。 (1)高等教育の機会平等を促進し、その権利を確保すること (2)教育資源を有効かつ効果的に活用すること (3)納税者に説明義務を行うことこれら三項目は、政府が1992年"GreenPaper"にて示した6課題
1.教育の公平性の確立 2.教育機会の拡大 3.教育資源の最大限の活用 4.教師の訓練と養成 5.学問の自由の原則の確立 6.情報開示の責任と確保 を集約したものである。この大学現代化のエネルギーは、様々な規制を緩和 し、政府の介入を排する構造改革のエネルギーと同じものである。1990年 代から21世紀にかけて、「大きな政府」から「小さな政府」に転換するため の構造改革論が、日本もそうであったように、グローバルに席巻した時代で ある。「小さな政府」論の構造改革論が、国営・公営企業の独立法人化に走 らせた論理は、アイルランドの高等教育機関も例外ではなかったのである。結 び 同時期の1998年、EUの経済統合そして政治統合への始動を受けて、欧 州高等教育界も、EUの高等教育の統合が課題であった。人、モノ、カネそ して情報が国の境を無くした21世紀のグローバル時代の中で、ヨーロッパ 高等教育の世界もグローバル化、市場経済主義からの発想を迫られ、熾烈な 競争社会を生き抜く人材の養成を求められている。加えて、EU統合という ヨーロッパに特有の課題がある。経済、社会面での統合が進み、そして、政 治面の統合が課題となるほどヨーロッパの統合の動きは進んでいる。その中 で、教育が、EU統合のために果たす期待は大きい。同一文化圏の統合、「ヨー ロッパ市民」育成につながる課題である。 各国は、自国の高等教育機関に対して、カリキュラム内容だけでなく、更 なる人的交流のために、各種制度面の統合を前進させる課題を負っている。 その決意が、「一つのヨーロッパ大学に向かって」というテーマの1998年 のソルボンヌ宣言であり、具体策として、1999年のボローニャ宣言に結実し、 「ボローニャ・プロセス」の課題の達成を通じて、2010年、「ヨーロッパ高 等教育圏」の開設を目指している。 高等教育のグローバル化は、伝統的大学の本家本元であるフランス・イギ リス・ドイツそしてイタリアをはじめとするヨーロッパ諸国の高等教育政策 の改革を促し、その改革の具体策がボローニア・プロセスである。アイルラ ンドは、二部門制、独立法人化、そして質保証機関の設置などいくつかの点 で、ボローニア・プロセスの検討課題を先取りしている。教育のグローバル 化そして大学の市場原理化の枠組みの中で、生き残りの戦略を積極的に立て ているという印象の強い国である。 今日のアイルランド高等教育の一つの特色が、経済との結びつきである。
アイルランド経済は、EU統合とアメリカを中心とした海外資本の投資など により、1995年から2000年の経済成長率は、10%前後も上昇する経済成
長を遂げ、「ケルトの虎」"CelticTiger"の異名を与えられた勢いであった。
1990年代のアイルランド経済は、完全雇用、GDPを10年で2倍、そして 歳入増を達成した。まさに「ケルトの虎」の勢いであった。アイルランド経 済政策の成果であり、必要とする人材を育成した教育政策の成果でもあっ た。二部門の学生数を見ると、1965年当時、総計18,500人程度であったが、2007/2008年の大学部門と技術インステイテュートの総学生数は13万8千
人以上にまで拡大した。 経済発展に必要とする人材育成の需要が、アイルランド高等教育の特色 である大学部門と非大学部門の二部門を発展させ、経済発展により史上初 めて歳入超となり、1995/1996年度には高等教育部門の授業料が無料にな る。しかし、2,世紀に入り、発展の原動力であった人口増と経済成長力は、 2005年以後、その勢いを失っている。統計上、今後、10年以内に18歳人 口の減少は確実であり、経済成長も、サブプライム問題の影響を受け、失業 率が、2008年には10%を超え、「ケルトの虎」の勢いは、今では過去の話 になりつつあり、授業料の有料化が再提案されている。 そして、,997年、アイルランド政府は、大学組織の再編を行った。この 再編は、他のヨーロッパ高等教育圏の二つの大きな課題に、アイルランド政 府も呼応する再編となっている。1980年代以来、大学進学者が、世界的に 増大し、大学マスプロ化により生まれた課題への対策は、他のヨーロッパ圏 の大学も例外ではかった。この問題(志願者増、中途退学者増、経費増など) への対応を誤れば、各高等教育機関にとって、その競争力が問われることに なる。この再編が、NUI解散の序曲だったのである。(補遣)
アイルランド高等教育(ThirdLevel)の特色は、大学部門(University
Sector)と非大学部門(Non-UniversitySector)の2部門制(BinarySystem)
である。大学部門は、7大学が所属し1997年大学法に規定され学位授与権 を有している。非大学部門は、15の技術科学インスティテュート(InstituteofTbchnologyofIreland)とその他の小規模の機関から成る。
大学部門(UniversitySector)
NUI以外のアイルランド国立大学U
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NUI認定大学(RecognizedCollegesofNUI)
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ShannonCollegeofHotelManagement InstituteofPublicAdministration(IPA) MilltownlnstituteNUI構成大学の認定大学(CollegeofNUI,Galway)
St.Angela'sCollege,Sligo非大学部門(Non-UniversitySector)
技術科学インスティテュート(IOTb,InstitutesofTbchnology)
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AthloneInstituteofTbchnology CoIklnstituteofTbchnology CorklnstituteofMusic DundalklnstituteofTbchnology DunLaoghaireInstitute,Art,Design&Tbchnology Galway-MayolnstituteofTbchnology InstituteofTbchnologyBlanchardstown InstituteofTbchnologyCarlow InstituteofTbchnologySligo InstituteofTbchnologyTbllaght InstituteofTbchnologyTialee LetterkennylnstituteofT℃chnology LimericklnstituteofTbchnology WaterfordlnstituteofTbchnology 技術専門大学15機関の内、13機関は、1992∼1999年の地域技術カ
レッジ法(theRegionalTbchnicalCollegesActs:RTCs)に拠って設立され,
1998年に全てのRTCsは,InstitutesofT℃chnologyと呼ばれることになり、
2005年にInstituteofTbchnologyofIreland(IOTb)として統合されている。
IOTsは、自ら学位を授与する権限はなく、修了者には、1972年に設 立された全国学位評議会(NCEA)が学位を授与していたが、2001年以後は、NCEAに代わり新設の高等教育訓練資格評議会(HigherEducationand
TrainingAwardsCouncil:HETAC)が有している。14番目のIOTsとなっ
たDublinInstituteofTechnology(DIT)は、DIT法(1992andl994)に
より設立された機関で、DITは、TrinityCollege(TCD)との協定により、
TCDから学位が授与されている。HETACは、1999年、資格(教育・訓練)法(NationalQualificationAct
1999)の制定により、知識、技術、能力の基準を決めることにより、教育・ 訓練の学位・資格を認定する機関である。教育・訓練の質の保証を促す、学 生の利益を促進し、保護する機関でもある。 アイルランドの高等教育の二つのシステムの財政は、国からの公的資金に より運営されている。1971年以来、大学部門に資金交付して財政管理して
いるのが、高等教育庁(HigherEducationAuthority,HEA)である。2004年
から、非大学部門の技術科学インステイテュートも、教育科学省の管理から HEAに管理が委譲されている。HEAが、アイルランド高等教育全般の政策 を点検し助言する任務を持っているが、大学部門と非大学部門のどちらも自 治権を有し自律的に運営されている。2010年現在、高等教育機関数は、大学部門が7校、その認定大学(Designated
institutions)が3校の計10校から成り、非大学部門の技術科学インスティ テュート(IOTs)は15校が、アイルランド各地に開設されている。また、教員養成大学(CollegesofEducation)も4校開設されている。他に、近年、
私立のビジネス関連のカレッジが多く開設されている。二部門の学生数を見ると、1965年当時、総計18,500人程度であったが、2007/2008年の大学部
門とIOTbの総学生数は13万8千人以上に拡大発展している。''01 2 0 0 7 / 2 0 0 8 年 学 部 生 大 学 院 生 学 生 数 総 数 大 学 部 門 7 0 , 4 6 4 1 6 , 5 6 9 8 7 , 0 3 3 I O ' I b 4 9 , 0 4 8 2 , 2 3 8 5 1 , 2 8 6 (10)参照:HEAStatisticsFull-timeenrolmentintheuniversitysectorinthe academicyear2007/2008並びにHEAStatisticsFull-timeenrolmentinthe IOTsectorintheacademicyear2007/2008参考資料 筆者のアイルランド高等教育関係の論考: l.「現代アイルランド高等教育の史的背景一アイルランドの大学1591-1908概観」平成3年12月「東洋」28巻12号