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企画展解説 : 「江戸時代の米原湊」

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Academic year: 2021

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企画展解説

「江戸時代の米原湊」

かつての内湖が埋め立てられ、今では当時の様子をうかがうことはできませんが、現在のJR米原駅 のあたりが米原の湊でした。その湊の住人であった北村源十郎家から寄贈された文書を手がかりに、 江戸時代の湖上交通の歴史の一端を紹介します。 前半は、米原湊の社会のありようはどのようなものだったのかがテーマです。中山道の物資を湖へと 誘致するために彦根藩が命じて湊を開いた経緯、船荷を取り次ぐ船問屋や船首からなる社会の様子、 集荷先をめぐる近隣の松原・長浜湊との関係について展示します。藩の主導で流通経路が変更された り、互いの利権を侵さない形で近隣の湊と集荷先を住み分けたりといった、江戸時代に特有の経済構 造を見ることができます。 後半は、米原湊にはどのような船があったのかがテーマです。湖上の船の代表選手丸子船と?F 船 (ひらたぶね)、湊で唯一藩から種々の負担を免除された特権船「真黒船」、船の両側に車輪を付けた 外輪船「車早船(くるまはやぶね)」を紹介します。江戸時代に外輪船が営業目的で航行していたこと自 体、大変珍しいと言われていますが、この車早船のおもしろさはそれだけではありません。車を回すと 漁業に悪影響が出ると湖岸の漁師から訴えられたり、人の流れが湖へと移ってしまい困っていると中 山道の宿駅から訴えられたり。新技術の開発、そして、それが既存の経営体と競合し影響を与える様 子は、現在に通じるものといえます。 (史料館 岩崎奈緒子)

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