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学位請求論文要旨
題目 自由とライフ・チャンス一一ダーレンドノレフの政治・社会理論
提 出 者 槽 山 雅 人
本論文は、 ドイツの社会科学者であり実践政治の世界でも活躍したラルフ・ダーレンド
ノレフ(RalfDahrendorf: 1 9 2 9年ドイツ生まれ)の政治・社会理論を、自由概念の時系
列的変化に着目して可能なかぎり体系的整合的に理解することをめざすものである。とは
いえ、半世紀以上をかけて構築されたその理論的体系を微に入り細にわたって検索し、細
大漏らさず再構成しなければならないとすれば、間違いなく徒労に終わるだろう。
そこで本論文では、ダーレンド、ルフの活動拠点や社会的位置よりも理論的業績そのもの
を第一次的、優先的に着目しながら、それら理論の内的関連性およびその底に流れる問題
意識を探る、という業績本位のアプローチを採用した。その一つのステップとして、その
時々のダーレンドルフの問題関心を集約するであろう基軸的な概念を著作群から抽出し、
その概念を手がかりにしてダーレンド‘ルフの理論を体系的整合的に理解しようと努めた。
結論から言えば、本論文では、ダーレンドノレフの理論生活を前期と後期に二分した上で、
前期の哲学的な自由論から、後期の社会科学的な自由主義理論への展開がなされたとの見
解に立つ。ダーレンドルフの前期の基軸概念は自由概念、後期のそれはライフ・チャンス
概念として把握できる。後期の基軸概念がライフ・チャンスという点については、大方の
理解が得られると思われる。しかし、前期の基軸概念を自由とする解釈は必ずしも自明の
ものではない。というのも、初期や前期のダーレンドルフのわが国での受容のされ方は、
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ダーレンドノレフといえば階級理論であり、社会紛争(闘争)理論であり、役割理論で、あっ
たからである。そのような理解が非常に表面的であることを、本論文で明らかにした。
前期を対象とする第1部では、代表的著作として『産業社会における社会階級と階級紛
争』、『ホモ・ソシオロジクス』、そして『社会と自由』に収録された「自由と平等の考察」
の 3論文を中心に、各々の著作に現れた自由概念の内容を検討した。その際、各著作で自
由に対するダーレンド‘ルフの考え方がどのように変遷していったかを跡付けつつ、名目上
は同じ自由概念、で、あっても、それぞれの著作の段階でどのような微妙な意味内容の差異が
あるかを明らかにした。
『産業社会における社会階級と階級紛争』は本来、自由論を展開した著作ではない。む
しろ、マルクスの「二階級モデル」を分析的な概念として精般化するため、「所有Jに代え
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て「権力」を「支配関係」を階級形成の基盤に据え、階級概念の現代的有効性を強調する
内容になっている。だが、最後の部分で、「自由な社会」という用語が登場してきて、その
対極にある社会として、「全体主義社会j という理念型的な概念が使用されている。ここで
いう「自由な社会jは、どういう意味で「全体主義社会j と区別されるのか、そしてこの
区別の仕方に自由概念がどのように関係するかを、本稿では検討した。
次の『ホモ・ソシオロジクス
J
は、欧米で発達した社会学的役割理論のドイツにおける
受容の一つの頂点を示す作品であるが、役割理論よりもむしろ独自の自由論を展開した著
作として把握し直した。ダーレンドルフは、役割期待に拘束されて行動する「ホモ・ソシ
オロジクス(社会学的人間)Jとしづ理論的モデ、ルを構成しつつ、それとの対比でいかなる
役割からも解き放たれた「全体的人間」という自由な人間のイメージを喚起している。私
見によれば、このような二分法こそ、この段階でのダーレンドルフの自由論を特徴づける
ものであり、まさに主旋律である。しかし、そのような理解もまだ表層的にすぎない。ダ
ーレンドルフは、副旋律ともういうべきもう一つの自由概念を『ホモ・ソシオロジクス』
で提出しており、むしろこちらのほうが後期の<ライフ・チャンス>概念に繋がる考え方
である。このような視角から、本論文では、『ホモ・ソシオロジクス』に潜む二重の自由概
念を明らかにした。
「自由と平等の考察」は、前期ダーレンドルフの自由論の一つの終着点である。ここで
ダーレンドルフは、アイザイヤ・.パーリンによる「消極的自由j と「積極的自由」の区分
を手がかりに、自分なりの「二つの自由概念」を提唱した。一つは「未定である自由」概
念であり、人間の性質に由来しないすべての制限から放免された状態こそ自由であると考
える。もう一つは「確定する自由」概念であり、自己実現のチャンスが現実に活用され、
人の実際の行為として具体化する場合においてのみ自由が存すると考える。これは、人が
拘束や強制から解放されて「未定の状態(何も決まっていない状態)Jに置かれる自由と、
自分の素質を発展させ、それを現実の中に「確定してし、く状態(自己実現を果たす状態)J
に置かれた自由の区別ということになる。本稿は、これら自由概念の意義と限界を検討す
るとともに、二つの概念の蝶番のような役割を果たしている「チャンス」概念に着目し、
後期理論との関連性を考察した。
後期を対象とする第2部では、『新しい自由』から始まり、『ライフ・チャンス』、そして
『現代の社会紛争』へと至る、後期ダーレンド、ルフの新しい理論的境地について検討した。
本稿は、その基軸概念をライフ・チャンス概念と把握した。第2部全体を通じて、新しい
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同
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自由主義理論の基軸概念としてのライフ・チャンス概念の有効性と限界を論究するととも
に、最終的には現実政治に対するインプリケーションについても検討した。
まず、『新しい自由』で、後期ダーレンドルフの社会科学的自由主義理論の基軸概念とな
る「ライフ・チャンス(lぜなchances)Jが登場してくる。この中で、現代の改革思想、として
の自由主義の新たな意義に触れつつ、ポパーの漸進的社会工学の立場にたっ「改良志向社
会」が提唱される。本論文は、さまざまなダーレンドルフの社会科学的概念の中でも、特
にこのライフ・チャンス概念に着目し、その理論的可能性と限界を示した。
次の『ライフ・チャンス』は、文字どおりライフ・チャンス概念を縦横に論じた記念碑
的な著作である。端的にいえばライフ・チャンスとは、オプションとリガ、チュアという二
つの要素の関数で、ある。オプションとは、選択の可能性であり、行為の選択肢のことであ
る。一方、リガチュアとはもともと医学用語で、外科手術のあとに傷口を縫い合わせる話芸
系のことであるが、一言で、いって人間同士の紳や帰属のことである。本稿はここで、なぜ
ダーレンドルフがライフ・チャンス概念を自由主義的政治・社会理論の中心概念に据えよ
うと考えたのか、その発想の根源を明らかにすることを目指しつつ、可能なかぎり忠実に、
ライフ・チャンス概念、の体系的包括的な再構成に努めた。その際、場合によって不自由に
転化しうるリガチュアを正当な要素として理論に組み入れたことの意味に注目した。
ダーレンドルフは、この両者の最適関係を実現する<より多数の人々のためのライフ・
チャンス拡充>の追求を政治理論の目標に据えた。要するに後期ダーレンドルフは、拘束
の一因になり、不自由にも転化しうる人間の幹、すなわちリガチュアの存在の正当性を承
認、受容し、関数上の独立変数とすることで、独自の新しい理論的境地に到達した。
そして、『現代の社会紛争』は、ライフ・チャンス概念をさらに発展的に精微化し、オプ
ションを請求権と供給の関数として捉え直そうとする野心的な試みである。これらの概念
に基づき現代の社会紛争をどのように新たに解釈しに直すことができるのか、ダーレンド
ルフの意図を検証した。
最後の終章では、前期の哲学的な自由論から後期の社会科学的な自由主義理論への展開
を跡付けた本論文のアプローチを再度振り返るとともに、ダーレンドルフ政治・社会理論
の現代的意義を含む、現代政治へのインプリケーションを検討した。そのような新しい概
念を前提にすると、その帰結として取り組むべき政治課題も従来の自由主義とはまったく
異なるものになる。前期の自由概念に基づく政治理論の政治課題は、一言でいって拘束か
らの人間の解放である。しかし、ライフ・チャンス概念に基づく政治理論の政治課題は、
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-オプションの充実と粋の構築の最適均衡状態をめざすこ正面作戦となる。このような独自
的特色を強調して、ダーレンドルフは自分の政治理論を<新しい自由主義>とか、<制度
的自由主義>と呼ぶ。
<ライフ・チャンス>論を価値中立的な分析道具ではなく一つの政治理念として理解す
る場合、きわめて裾野の広いスケールの大きな政治理念として解釈可能なことがわかった。
その第 1の柱は、供給すなわち狭義の自由主義的な政策の方向である。この分野では、
経済成長政策のみならず、人間の選択範囲を大きくして自由に活動する余地を広げるよう
な自由主義的政策が講じられる。
第2の柱は、請求権すなわち狭義の社会民主主義的な政策の方向である。この分野では、
公民的地位(シチズンシップ)の確保と拡充政策をなにより優先しつつ、とりわけ最下層
階級には誰にでも無条件に認められる請求権の見地からセーフテイネットを講じるような
社会民主主義的政策が講じられる。そして第1の柱と第2の柱が交わるようなオプション
拡張政策が講じられれば、最も望ましいということになる。
もう一つの第3の柱は、リガチュアすなわち狭義の保守主義的な政策の方向である。も
っともリガチュアがすべて保守主義的関心に根ざすとは限らず、社会契約(憲法)に対す
る世代ごとの更改を通じて人工的な連帯感(人為的な紳)を創出する必要性を、ダーレン
ドルフは言いたいと考えられる。にもかかわらず、リガチュアを現実生活の場で想定する
場合には、それ以外の所与の生得的、帰属的な重層的な粋の存在を承認することが不可欠
である。つまり、伝統や歴史を重視した幹の発掘と再評価に向けた施策と、共同社会や固
などへの帰属意識を重視するような保守主義的な政策が講じられることになる。
ダーレンドルフの構想する自由主義政党は、現実に存在しないし、この政党の担い手も
あいまいなままである。それにもかかわらず、戦略的変革を担う政策の方向性はきわめて
明確で、あって、その点にこそダーレンドルフ理論の現代的意義がある。その政策の方向性
は、三方向へと展開しうるベクトルからなる三軸構成であり、一つめは供給すなわち自由
主義的方向性、二つめは請求権すなわち社会民主主義的方向性、三つめはリガチュアすな
わち保守主義的方向性である。この3次元の政策ベクトルの最適均衡をめざしつつ、願わ
くば同時に達成していくことこそ、新しい自由主義政党に求められる政策課題だ、という
のがダーレンドルフのテーゼということになる。