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日本のODA政策の現状と課題

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ESRI 調査研究レポート No.3

日本の ODA 政策の現状と課題

By

山下 道子

February 2003

内閣府経済社会総合研究所

Economic and Social Research Institute

Cabinet Office

Tokyo, Japan

(2)

調査研究レポートは、内閣府経済社会総合研究所の研究者および外部研究者によって 行われた研究成果をとりまとめたものです。学界、研究機関等の関係する方々から幅広 くコメントを頂き、今後の研究に役立てることを意図して発表しております。

論文は、すべて研究者個人の責任で執筆されており、内閣府経済社会総合研究所の見 解を示すものではありません。

(3)

日本の

ODA 政策の現状と課題

by 山下 道子∗ 内閣府経済社会総合研究所 2003 年2月 ∗ 内閣府経済社会総合研究所上席主任研究官 本稿の作成にあたり内閣府、外務省、政府関係機関、国際機関、NGO 等の関係者から貴重なご意見をいた だいた。また本稿の一部は日本財政学会および日本評価学会において発表したものである。

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はじめに

日本経済が長期不況から抜け出せず、財政赤字の拡大が深刻な問題となっている今日、 ODA については 2002 年度に引続き、2003 年度予算においても大幅な削減が避けられない 見通しである。1980 年代以降、日本の ODA は貿易黒字の還元による「国際貢献」を目標 に掲げ、外交的配慮を優先させることでひたすら量的拡大を図ってきた。しかし、1999 年 に公表された第6次ODA 中期目標で初めて「量より質」の向上を重視する姿勢を明確にし たほか、2002 年 6 月に発足した「ODA 総合戦略会議」では「国益」に配慮した戦略性の あるODA 政策への転換を打ち出している。 1997 年にアジアで発生した通貨危機に際して、主要先進国や世銀などの国際機関は援助 政策の見直しを行ない、低所得国に対する「債務救済」や「貧困削減」の重要性を強調す るとともに、開発事業における途上国主権の尊重と、援助団体を幅広く動員する参加型の 活動方針を打ち出した。一方、日本の ODA 関係者からは、世銀・IMF が指導する「貧困 削減戦略計画」に則した多国間援助のあり方に対して、プロセスや評価指標が画一的で途 上国の特性を無視している、との批判も聞かれる。 本論では、日本から途上国へ流れる開発資金を包括的に把握した上で、ODA の歴史的な 経緯、援助の理論と実証、二国間および多国間援助の制度的な解説を行なった。途上国の 開発事業に対する公的資金の投入については、先進各国が政策の透明性と事業の効率性、 有効性の評価に意を用いており、公的部門の経営的管理手法public management が援助に も適用されている。そうした観点から日本のODA 政策を検討し、情報の開示、官民の連携、 事業評価、予算とのリンクなどを調査した。 第1 部では、援助政策に関する OECD 開発援助委員会(DAC)の議論を中心に、ODA の世界的な動向を紹介するとともに、日本の開発資金フローの実態と援助事業のプロジェ クト・サイクルについて説明した。さらに、応用一般均衡モデルを用いて資本移転効果を 推計し「援助のパラドックス」理論を検証した。 第2部では、二国間援助の資金形態と制度について、政府贈与を無償資金協力と技術協 力に、また政府貸付をODA 融資(円借款)と OOF 融資(その他政府資金)に分類して説 明した。国際社会の潮流であるODA の無償化・アンタイド化の要請と日本の対応を調査し たほか、援助の戦略性について「二国間ゲーム」モデルを応用して解説した。 第3部では、「国連ミレニアム宣言」や「モンテレイ合意」など国際社会の新たな動き、 援助に対する意識改革と援助機関の組織改革、援助の調和に向けたドナー間の協調と多国 間援助の実態等を把握したほか、国連システムおよび世銀グループの最近の動向を調査し、 国際機関と加盟国との関係を「代理人モデル」を用いて説明した。 最後に、日本のODA 改革に必要な視点を提示した。情報公開法や政策評価ガイドライン の施行にともない、行政の透明性は格段に向上している。反面、途上国で実施される開発 援助は国民の目に届きにくいだけに、事業への監視・評価体制の整備とともに、調査・企 画段階における官民の連携、政府の説明責任のさらなる強化が望まれる。

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Abstract

Japan’s Official Development Assistance has expanded by four-fold over a period of 15 years, from $3.8 billion in 1985 to its peak of $15.3 billion in 1999. The Japanese government eagerly increased official aid to dampen pressure from abroad to recycle its huge accumulated trade surplus, and to take commensurate responsibilities as an economic global superpower in the international development community. Due to the prolonged recession in Japan, however, the public sector is currently undergoing financial difficulties, and Japan’s ODA budget will be reduced substantially over the next few years.

Upon publicizing the ODA mid-year policy in 1999, the Ministry of Foreign Affairs announced that Japan would no longer have the goal of increasing its total ODA, but would instead improve the quality of ODA it provides. To make the process of implementing ODA policies more transparent and accountable to taxpayers, the government intends to promote partnership with a variety of groups, such as of experts, NGOs, private firms, and of citizens, in the planning, execution, and evaluation of ODA projects.

This paper attempts to analyze the historical and institutional features of Japan’s ODA from the aspect of public management, while keeping the following questions in mind: 1) Is information on the distribution and appropriation of ODA resources fully disclosed to the public? 2) Does the government properly evaluate the results of ODA based on the targeted goals? 3) Do the government agencies properly monitor ODA projects and their executing parties? 4) Does the ODA budget reflect the preceding evaluation, as well as strategic consideration? 5) Does ODA management facilitate efficiency, effectiveness and transparency throughout the project cycles?

The analysis of this paper, however, falls short to fully answering the above questions, and further research remains to be carried out. Section 1 surveys the capital flows from the donor countries to the developing countries, and empirically tests the transfer paradox by using the CGE model. Section 2 examines the different types of bilateral assistance, and discusses Japan’s reaction to the requests of releasing debts and increasing grants. It also demonstrates a strategic feature of ODA by applying the two-party game model. Section 3 studies a recent trend of multilateral assistance to reduce poverty in the heavily indebted poor countries. The agency model is applied to donors (clients) of ODA to demonstrate importance of monitoring executing agencies (agents).

Establishment of the Information Disclosure Law and the Policy Evaluation Guidelines in 2001 in Japan has greatly changed people ’s perception of the public policies, and motivated them to request the public decision-making processes to be more open. In implementing ODA policies, people ’s agreement and support are essential along this line. Today, a consensus is being built on the following: Under today’s tight budgetary conditions Japan’s ODA should be more focused and strategy-oriented to achieve Japan’s national interests, as well as the interests of the developing countries and the international society as a whole.

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目 次

はじめに...i Abstract ...ii 第1部 開発途上国へ流れる公的資金 第1 章 援助の現実...1 第2 章 日本の開発戦略...10 第3 章 援助の理論と実証...22 第4 章 応用一般均衡分析...29 第2部 二国間援助の理念と現実 第5章 援助の質...36 第6章 無償資金協力...49 第7章 有償資金協力...55 第8章 技術協力...67 第9章 民間資金協力...74 第10 章 二国間ゲーム...79 第3部 多国間援助の現状と評価 第11 章 新世紀の開発戦略...83 第12 章 国際援助協力...90 第13 章 代理人モデル...101 第14 章 国連システム...106 第15 章 世銀グループ... 111 おわりに... 119 参考文献...120

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図表目次

図表1-1 DAC 援助対象国・地域... 3 図表1-2 途上国向け公的資金と民間資金 ... 4 図表1-3 途上国の公的債務と民間債務 ... 5 図表1-4 途上国の地域別累積債務 ... 6 図表1-5 日米独の ODA 供与額の推移 ...11 図表1-6 日本の ODA 中期政策 ... 12 図表1-7 日本の ODA 事業予算 ... 14 図表1-8 GTAP モデルの地域分類と産業分類 ... 30 図表1-9 資本移転効果 ... 32 図表1-10 技術移転効果 ... 33 図表1-11 特恵関税効果 ... 34 図表2-1 DAC 諸国の ODA 資金形態(2000 年) ... 38 図表2-2 日米の途上国向け資金フローの推移 ... 39 図表2-3 DAC 諸国の ODA 実績(2000 年純支出額)... 41 図表2-4 日本の二国間 ODA の主要対象国(2000 年) ... 43 図表2-5 タイド援助信用規制強化についての合意 ... 47 図表2-6 無償資金の地域配分と費用区分(2000 年交換公文ベース) ... 49 図表2-7 NGO 事業補助金の推移 ... 54 図表2-8 円借款の地域配分と資金形態(交換公文ベース) ... 57 図表2-9 円借款における日本企業の調達実績 ... 58 図表2-10 国際協力銀行の貸借対照表と行政コスト(2001 年度) ... 61 図表2-11 その他政府資金の地域配分と資金形態(2000 年承諾額)... 62 図表2-12 技術協力の地域配分と人数実績(2000 年) ... 69 図表2-13 外国人留学生の地域配分(2001 年) ... 71 図表2-14 プロジェクト・サイクルにおける事業評価 ... 73 図表2-15 途上国向け直接投資の推移 ... 75 図表2-16 日本の大規模経済協力プロジェクト ... 76 図表2-17 日中間ゲームの利得表... 81 図表3-1 省庁別国際機関分担金・拠出金 ... 95 図表3-2 DAC 加盟国の多国間援助(1999 年) ...107 図表3-3 日本の受益機関別多国間援助(1990∼1999 年の累積額) ...113 図表3-4 世界銀行の累積調達額と 2001 年度の調達実績 ...117 図表3-5 世界銀行の財別調達実績(2001 年度) ...117

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1章 援助の現実

1945 年に全世界の恒久的な平和を願って採択された国連憲章は、その前文で「社会的な 進歩とより自由な生活の向上を促し…全人類の経済的・社会的発展を実現する」と謳って いる。この理念に基づいて国連食糧農業機関、国連児童基金(ユニセフ)、国連教育科学文化 機関(ユネスコ)などの国連専門機関が次々に設立された。一方、1944 年のブレトン・ウッ ズ会議によって戦後の通貨体制を構築するために国際通貨基金(IMF)が、また経済復興を支 援する機関として国際復興開発銀行(IBRD)が発足した。1960 年に開発途上国への低利融資 を目的とする国際開発協会(IDA)が設立されると、IBRD とともに世界銀行(以後「世銀」) として開発金融の中心的役割を担ってきた。1947 年に調印された関税貿易一般協定(GATT) は戦後の自由貿易体制の枠組みを形成し、アメリカ主導のもとで自由主義経済を大きく発 展させる基礎となった。本章ではODA 発生の経緯をたどり、最近の潮流を概観する。 (1) DAC の設立 1948 年に開始されたマーシャル・プランによって、アメリカは 140 億ドルの復興資金を ヨーロッパの国と地域に提供した。その受け皿として発足したヨーロッパ経済協力機構 (OEEC)にアメリカとカナダが加わり、1961 年に経済協力開発機構(OECD)が設立された。 それを機会に、OEEC の開発援助グループ(DAG)が改組され、開発援助委員会(DAC)が発 足した1。現在22 カ国と欧州委員会(EC)が加盟する DAC2は、a)ドナーである加盟国の開発

政策指針の採択、b)援助活動の相互監視、c)コンセンサスを形成するための情報交換や対話 集会の開催、d)途上国に流れる公的資金に関する統計の収集と報告書の作成、を主たる業務 としている。 援助の拡大とともに統計部会(1968 年)、援助評価部会(1982 年)、開発金融部会(1984 年)、 ジェンダー部会(1984 年)、環境部会(1989 年)などの作業部会が次々に開設され、DAC は開 発援助にかかわる諸問題をドナーの立場から検討し始めた。1969 年に公的資金フローは政 府開発援助(ODA)とその他の政府資金(OOF)に区別され、ODA は「開発途上国における経 済・社会開発を支援するために、途上国に贈与または譲許的(ソフト)な条件で融資される政 府資金」と定義された。さらに「譲許的」を具体的に規定するために、融資条件が市場の 実勢に比べてどれだけソフトかを示す「コンセッショナリティ・レベル」および返済総額 の現在価値に占める贈与の割合を示す「グラント・エレメント」の概念が導入された。 この年にDAC 議長が初めて年次報告3を発表し、加盟各国のGNP に占める ODA のパー センテージが公表されるとともに、様々な資金フローの概念が整理された。ODA の統計は

1 “The Story of Official Development Assistance”, OECD/DCD(94)67

2 2002 年現在の DAC の加盟国は、オーストラリア、オーストリア、ベルギー、カナダ、デンマーク、フィンランド、

フランス、ドイツ、ギリシャ、アイルランド、イタリア、日本、ルクセンブルグ、オランダ、ニュージーランド、ノル ウェイ、ポルトガル、スペイン、スェーデン、スイス、イギリス、アメリカの22 カ国および欧州委員会(EC)である。

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1974 年に金融作業部会が作成した統計指示書4にしたがって加盟国が提出する報告がもと になっており、受益国である途上国の分類もこれに基づいている(図表1-1)。 開発途上国へ流れる資金はODA だけではない。公的資金では、政府金融機関による輸出 信用や海外投融資などの二国間融資、世銀等の開発金融機関に対する多国間融資など、そ の他政府資金(OOF)がある。また民間資金では、ODA との混合融資や政府保証つき融資の ほか、直接投資や債券購入・貸付などの二国間融資、国際機関に対する多国間融資などが ある。ただし、償還期限が1年未満の短期投資は資金フローの対象外とされている。DAC 全体でみると、1993 年以降、民間資金が公的資金を上回って推移している(図表 1-2)。2000 年に途上国に流入した資金フローは、公的資金の492 億ドルに対して民間資金が 745 億ド ルであり、民間資金の9 割を占める 672 億ドルが直接投資であった。 (2) 国連開発の 10 年 1961 年の国連総会はケネディ米大統領が提案した「国連開発の 10 年」を採択し、a)1970 年までに途上国が年率5 パーセントの経済成長を達成する、b)先進国が国民所得の 1 パー セントにあたる援助資金を途上国に供与する、という目標を掲げた。この決議を受けて、 1964 年に国連貿易開発会議(UNCTAD)、アフリカ開発銀行、国連開発計画(UNDP)が、1966 年にはアジア開発銀行(ADB)が発足した。1964 年の第 1 回 UNCTAD 総会に提出されたプ レビッシュ報告は「南北問題」を正面から取り上げており、その思想は「援助よりも貿易 を」であった。同報告の提案は、a)先進国による輸入目標の設定、b)価格安定のための商品 協定の拡充、c)途上国への特恵関税の供与、d)交易条件悪化に対する損失補償制度、などが その骨子であった(荒木 1997, pp.22-23)。「新経済秩序」を求める途上国の主張が国際社 会の潮流となった。 1960 年代を通じて平均 6 パーセントの成長率を達成した途上国は、一次産品価格の高騰 を背景に「資源ナショナリズム」を行使し、1973 年の第4次中東戦争を契機に原油価格を 1 バレル 2.7 ドルから 12.7 ドルに引き上げた。石油ショックは消費国の需要低迷を招き、 世界経済に深刻な同時不況を招来した。とりわけ非産油途上国への打撃が大きかった。1970 年代の産油国の潤沢な石油収入は主としてアメリカの商業銀行が吸い上げ、オイル・ダラ ーとしてブラジル、メキシコなど高成長を続ける中南米の新興工業国へ貸し付けられた。 産油国による途上国への政府贈与も大幅に増加し、IDA の増資や 1975 年のイスラム開発銀 行(IDB)の設立につながった(ブラウン 1993, p.30)。 日本は1957 年以降、戦時中に損失を与えた東南アジア諸国と賠償協定を結び、商品・サ ービスの無償供与に加えて、民間の商品借款を政府が保証するという形で支払を始めた。 ベトナム戦争の拡大によってアメリカの経常収支が赤字化するなかで、日本はこの地域の 経済開発に積極的な役割を果たすとともに、アジアにおける経済大国への道を歩み始めた。

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低所得国 高所得国 中・東欧 より進んだ ∼$760(注1) $9,361∼ 旧ソ連 途上国・地域 アフガニスタン モルディブ アルメニア アルバニア ニウエ ボツワナ 世銀融資卒業国 マルタ(注2) ベラルーシ アルバ アンゴラ マリ アゼルバイジャン アルジェリア パレスチナ自治区 ブラジル $5,280∼ スロベニア(注2) ブルガリア バハマ バングラデッシュ モーリタニア カメルーン ベリーズ パプア・ニューギニア チリ チェコ バミューダ ベナン モンザビーク 中国 ボリビア パラグァイ クック諸島 エストニア ブルネイ ブータン ミャンマー コンゴ(共) ボスニアヘルツェゴビナ ペルー クロアチア アンギラ ハンガリー ケイマン諸島 ブルキナファソ ネパール 象牙海岸 コロンビア フィリピン ガボン アンティグア・バブーダ ラトビア 台湾 ブルンディ ニジェール チモール コスタリカ 南アフリカ グレナダ アルゼンチン リトアニア サイプラス カンボディア ルワンダ ガーナ キューバ スリランカ レバノン バハレーン ポーランド フォークランド諸島 カーボヴェルデ サモア ホンジュラス ドミニカ国 セントビンセント マレーシア バルバドス ルーマニア 仏領ポリネシア 中央アフリカ サントメプリンシペ インド ドミニカ共和国 スリナム モーリシャス モントセラト ロシア ジブラルタル チャド シェラレオーネ インドネシア エクアドル スワジランド マイヨット島 オマーン スロバキア 香港 コモロ ソロモン ケニア エジプト シリア メキシコ サウジアラビア ウクライナ イスラエル コンゴ(民) ソマリア 北朝鮮 エルサルバドル タイ ナウル セイシェル 韓国 ジブチ スーダン キルギス フィジー トケラウ諸島 パラオ セントクリストファーネイビ クウェイト 赤道ギニア タンザニア モルドヴァ グルジア トンガ パナマ タークスカイコス リビア エリトリア トーゴ モンゴル グァテマラ チュニジア セントヘレナ マカオ エチオピア トヴァル ニカラグァ ガイアナ ウズベキスタン セントルシア 蘭領アンティル ガンビア ウガンダ ナイジェリア イラン ワリスフツナ トリニダッドトバゴ ニューカレドニア ギニア バヌアツ パキスタン イラク ユーゴスラビア トルコ 北マリアナ諸島 ギニアビサオ イエメン セネガル ジャマイカ ウルグァイ カタル ハイチ ザンビア タジキスタン ヨルダン ベネズエラ シンガポール キリバス トルクメニスタン カザフスタン アラブ首長国連邦 ラオス ベトナム マケドニア 英領バージン レソト ジンバエブ マーシャル諸島 リベリア ミクロネシア連邦 マダガスカル モロッコ マラウィ ナミビア    (資料) 2000年版 DAC議長報告。 外務省「2000年版 我が国の政府開発援助(上巻)」p.426 より引用。    (注1)  1998年の1人当たりGNPの値である。     (注2) 2003年1月より第II部に移行予定。 図表1−1  DAC 援助対象国・地域 第 I 部 ODA 対象国・地域 第 II 部 移行国・地域 後発開発途上国(LLDC) 高中所得国 $3,031∼$9,360 48カ国 低中所得国 $761∼$3,030

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262 288 545 589 537 3 11 39 50 31 86 99 -45 257 403 95 99 904 745 47 65 67 133 3 32 41 70 -200 0 200 400 600 800 1000 1200 1400 1600 1800 1960 1965 1970 1975 1980 1985 1990 1995 2000 (資料) OECD開発援助委員会 億ドル ODA OOF 民間資金 429 414 730 1592 1237 715 148 109 82 「冷戦」を反映する米ソ両陣営の戦略的な援助競争により国家間の公的資金フローは紛争 周辺国に集中する一方、民間資金は高いリターンを求めてより大規模かつ広範囲に流動す るようになった。 (3) 累積債務 1970 年代の後半になると、石油価格の急騰によって先進国と非産油途上国の経常収支が 大幅に悪化し、途上国の対外債務が急速に増大した(図表 1-3)。インフレ抑制を優先する アメリカの高金利政策によって途上国の債務負担がさらに拡大したため、1982 年にメキシ コは債務の支払いを停止した。危機に対処するために、アメリカ政府は国際決済銀行(BIS) とIMF を動かして緊急融資を行なうとともに、債権銀行団に返済繰延べと新規融資による 債務救済を働きかけた。IMF は融資に際して、緊縮財政、賃金・為替の切下げ、開放経済 を柱とする短期調整政策をコンディショナリティとし、政府の役割縮小と市場原理の導入 を目指したが、国内経済の停滞とドル建て債務の負担増により国民生活は疲弊し、債務返 済能力はかえって低下した(田中五郎1998, pp.74-76)。 図表1−2 途上国向け公的資金と民間資金のフロー

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一方、世銀は1980 年より構造調整融資(SAL)を開始し、IMF の調整政策を補完する形で ノン・プロジェクト融資を拡大した。増資が困難な状況下で融資事業を確保するために、 世銀は加盟国の政府機関や民間金融機関との協調融資を実施した。融資対象の多くが中南 米を中心とする重債務中所得国であり、資金源の約7割が公的資金であった。1986 年には ブラジルも利払いを停止するなど危機が深刻化するなかで問題解決は困難を極めたが、最 終的にはアメリカ政府の主導のもとで、銀行債務の削減を基本とする1989 年の「プレディ 構想」により事態は収拾された。 民間資金が大量に流入して債務問題を深刻化させた中南米と異なり、政府間の公的債務 の累積が経済を圧迫している低所得国に対しては、従来パリ・クラブといわれる債権国会 議が返済繰延べや債務削減などの協議を行なってきた(図表1-4)。重債務貧困国(HIPC)5 債務残高は1980 年の 470 億ドルから 1990 年の 1,590 億ドルまで 3 倍以上に増加した6 その後、サミットおよびG7 会合での度重なる要請を受けて、DAC 加盟国は 1990-1995 年 に65 億ドル、1996-2000 年に 23 億ドルの債務削減を行なった。その結果、1999 年末の債

5 Heavily-indebted Poor Countries, 1996 年に IMF・世銀によって認定され、① 1993 年の一人当たり GNP が 695 ドル

以下、②1993 年の債務残高の現在価値が年間輸出額の 2.2 倍以上もしくは GNP の 80 パーセント以上、という基準を 満たす国家が対象である。2000 年現在でサブ・サハラ・アフリカを中心に 40 カ国、約 6 億人が居住している(2000 年版 「ODA 白書」p.113)。

6 World Bank, World Debt Tables 1996, vol. 1, p.37

図表1-3 途上国の公的債務と民間債務 127 222 397 573 512 49 108 208 290 346 71 92 236 534 189 412 569 669 56 26 18 7 33 15 66 49 14 510 0 500 1000 1500 2000 2500 1970 1975 1980 1985 1990 1995 2000 (資料) World Bank, Global Development Finance 2001

10億ドル 二国間公的債務 多国間公的債務 純然たる民間債務 政府保証民間債務 63 156 436 83 1181 1668 2061 図表1-3 途上国の公的債務と民間債務 127 222 397 573 512 49 108 208 290 346 71 92 236 534 189 412 569 669 56 26 18 7 33 15 66 49 14 510 0 500 1000 1500 2000 2500 1970 1975 1980 1985 1990 1995 2000 (資料) World Bank, Global Development Finance 2001

10億ドル 二国間公的債務 多国間公的債務 純然たる民間債務 政府保証民間債務 63 156 436 83 1181 1668 2061

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務残高は 1,690 億ドルと微増に留まっている。債務の軽減に際しては、IMF・世銀が支援 する改革プログラムの受け入れが条件になっており、支払能力が向上しない低所得国では 構造調整政策に対する不満が強まった。 2000 年 7 月の沖縄サミットにおいて、前年のケルン・サミットの決議を受けて HIPC イ ニシアティブ7をより強化するとともに、HIPC との二国間債務(ODA および適格な商業債 権)を 100 パーセント削減するとの方針が確認された。加えて債務削減の条件となる貧困 削減戦略計画書( PRSP)の作成が義務づけられ、その実施状況がモニタリングされることに なった。2000 年に 20 カ国が世銀に PRSP を提出しており、2001 年中に残りの 20 ヶ国が 提出を予定している(大野泉2000, p.160-167)。 図表1-4  途上国の地域別累積債務 6 17 47 83 159 185 169 28 70 187 348 380 495 673 9 24 62 131 223 390 539 0 100 200 300 400 500 600 700 800 1970 1975 1980 1985 1990 1995 1999

(資料) World Bank, Global Development Finance 2001

10億ドル HIPC 中南米 東アジア (4) 所得格差 2000 年 6 月の国連ミレニアム総会で採択された「2015 年までに貧困層を半減する」と の数値目標は、国際開発社会における援助の努力にもかかわらず、貧困層の人口が絶対数 において増加していることを認めている。世銀の「世界開発金融 2002」8によると、1990 年代を通じて貧困層の人口が29 パーセントから 23 パーセントへ低下したのは、主として 中国とインドの経済発展によるものであり、サブサハラ・アフリカを始め多くの最貧国で は1 日 1 ドル以下で暮らす人口が滞留している(p.89)。アジア以外の地域における成長の停 7 一定の条件を満たすHIPC に対して、IDA など国際金融機関からの借入れ債務を一部救済する措置として、1996 年 に世銀にHIPC 信託基金が設立された。

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滞が援助の効果に疑念を抱かせており、「援助供与国の財政逼迫に加えて、冷戦終結による 援助の戦略的価値の低下が1990 年代における援助の急落を招いた」と指摘している。 世銀の「世界開発報告2000/2001—貧困との闘い」によれば、1 日 1 ドル以下で生活する 人口の絶対数は、1987 年の 11.8 億人から 1998 年の 12 億人へほとんど変化していない。 しかしその地域分布には大きな変化が生じている。この 2 ヵ年を比較すると、東アジアで は4.2 億人から 2.8 億人へ大きく減少したものの、中東・北アフリカを除くその他の地域で は増加している。とりわけヨーロッパと中央アジアの貧困者は 110 万人から 2,400 万人に 激増し、中南米では6,400 万人から 7,800 万人に、南アジアでは 4.7 億人から 5.2 億人に、 サハラ以南のアフリカ諸国では2.2 億人から 2.9 億人に増加した(日本語版 p. 42-43)。 国連開発計画(UNDP)では 1990 年より「長寿」「知識」「人間らしい生活水準」という人 間に関する三つの基本的な側面を、a)平均寿命、b)識字率および就学率、c)購買力平価で換 算された1 人当たり所得、といった指数で計測し、それを合成した「人間開発指数(HDI)」 を各国ごとに公表している。2002 年の報告書「新技術と人間開発」では、「過去 30 年間に 人間開発はあらゆる地域において前進したが、…変化を続ける世界は常に新しい課題をも たらし、この10 年間には深刻な後退や逆行も見られた」(日本語版 p.16)として、HIV/エイ ズの蔓延、市場経済移行国における破壊的な衝撃、国境を越えた犯罪、不法薬物取引の横 行、紛争による難民や国内避難民の増加などをあげている。 (5) 環境問題 1950 年代から 60 年代にかけて、世銀は産業インフラの整備によって途上国の経済成長 を促進するという戦略のもとに、森林開発や大規模ダムの建設を積極的に推進した。鷲見 (1989)は、世銀や日本の ODA による巨大土木事業がいかに途上国の環境を破壊し、先住民 を悲惨な状況に追い込んだかを厳しく追及している。一方、渡辺・草野(1991, pp.116-121) は事実関係を客観的に検証する必要があるとしながら、こうした批判は開発によって恩恵 を受けた住民が数多くいることを無視した一面的な議論であると反論している。 鷲見 (1994, pp.243-261) によれば、世銀は 1983 年に「環境ガイドライン」を設定し, プロジェクト・サイクルのそれぞれの過程において環境的配慮が働くようにした。1989 年 に「環境アセスメント」制度を導入し,プロジェクトの企画段階で環境評価を行なうこと を義務づけた。さらに1992 年に「環境行動計画」を策定し,融資の対象となる途上国政府 を指導して環境的配慮の国別計画を作成している。1991 年に世銀は国連開発計画(UNDP)、 国連環境計画(UNEP)と共同で「地球環境ファシリティ(GEF)」を設立し、地球環境の保全 に寄与するプロジェクトに資金を提供する仕組みを作った。 日本では、旧輸銀と旧基金が世銀にならって作成した「環境配慮のためのガイドライン」 を統合し、2002 年 4 月に JBIC9の新ガイドラインとして公表した。途上国から要請のあっ 9 政府金融機関である輸出入銀行と海外経済協力基金は1999 年 10 月に統合され、国際協力銀行(JBIC)となった。旧輸 銀の業務はJBIC の「国際金融勘定」へ、旧基金の業務は「開発援助勘定」へそれぞれ引き継がれている。

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た円借款プロジェクトはカテゴリー別にA 種、B 種、C 種に3分類され、A 種については 環境アセスメント・レポートの作成と公開が借入国に義務づけられる。1998 年度の円借款 のうち、28 パーセントが水力発電所を含む環境案件であった。実施の際に環境配慮が必要 とされるコンサルタント部分に対しては、IDA の無利子融資と同等の「金利 0.75 パーセン ト、償還期間40 年、10 年据置」という特別金利が適用される。また JICA では、無償資金 による環境センターの設置によりタイ、中国など 6 カ国で環境モニタリング技能の向上が 図られている10 2002 年 8 月にヨハネスブルグで開催される「環境開発サミット(WSSD)」は、1992 年に リオデジャネイロで開かれた「地球サミット」のフォローアップ会合(リオ・プラス 10)と 位置づけられている。人口増大や資源の大量消費にともなう地球環境の悪化と併行して、 貧困の拡大という現実に直面し、開発と環境の両立にどう対処するかが課題である。 (6) 通貨危機 1990 年代に高成長を達成した東アジア諸国は、良好なマクロ経済を背景に金融自由化を 進めていった。各国の通貨は事実上ドルにリンクされていたため、為替相場も安定的に推 移していた。こうした状況の中で、ヘッジなしの短期民間資金が大量に流入したタイでは、 1997 年 7 月に急激な資本流出が起こってバーツが急落し、アジア通貨危機の発端となった。 金融自由化にともなう急激かつ大規模な資本移動が、為替相場の変動を通じて実体経済に 重大な影響を及ぼす、という新しいタイプの通貨危機は、瞬く間にアジア近隣諸国の金融 市場に伝播し、とりわけインドネシア、韓国の経済に深刻な打撃を与えた。 IMF はスタンバイ協定による緊急融資により、同年 12 月までにタイに 12 億ドル、イン ドネシアに30 億ドル、韓国に 55 億ドルの資金供与を行なうとともに、緊縮的な金融・財 政政策による信用回復を目指した。しかし、通貨の下落と金利の高騰により生産が大幅に 落ち込み、失業者が急増する結果となった。一方、世銀は1998 年 6 月までの 1 年間に 160 億ドルの融資プログラムを承認し、1999 年 6 月までに 80 億ドルの融資を実行している。 いずれも金融セクターへの融資に加えて、雇用創出や社会的弱者の保護など social safety net の構築にむけた社会投資プロジェクトへの支援が行なわれた。 当時、世銀のチーフ・エコノミストであったStiglitz は、アジア通貨危機の最大の原因は IMF・世銀が推進した性急な金融・資本市場の自由化にあるとした上で、大規模な資本移 動という新しいタイプの通貨危機に「マクロ経済の引き締めと構造調整」という昔ながら の処方箋を適用したとして、IMF の政策を厳しく批判している(大野 2000, pp.185-203)。 こうした試練を経て、世銀はウォルフェンソン新総裁の下で大胆な機構改革を行ない、1999 年に包括的開発フレーム(CDF)といわれる新機軸を打ち出した。 アメリカ議会では、2000 年 3 月に国際金融制度諮問委員会の Meltzer 議長が報告書11 10 外務省「ODA 白書上巻」1999 年版 pp.88-89

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提出した。IMF や世銀等の国際金融機関について「資金不足に悩む途上国を支援するとい う本来の目的を逸脱し、民間資金が潤沢に流入している中進国に短期資本を集中的に供与 したことが金融危機を助長した」という反省に立ち、「これまでの融資制度に代わって貧困 撲滅に役立つ活動への直接補助に限定すべき」という大幅な役割縮小を提言している。こ うした指摘を受けて世銀が IDA 融資の無償化を進めれば、1980 年の構造調整融資(ノンプ ロジェクト・ローン)導入以来、20 年ぶりの大きな変革になるという12 一方、日本は地域の通貨安定を目的とする 300 億ドルの「アジア通貨基金(AMF)」の設 立を提唱した(宮澤構想)。しかしアメリカや IMF が反対したため、二国間の「通貨スワッ プ協定」による為替安定政策を導入し、経済復興を支援するために 2 兆円の民間資金協力 を約束した。1998 年には「アジア通貨危機支援に関する新宮澤構想」を提唱し、二国間援 助以外に中長期の資金支援として150 億ドル、短期の資金準備として 150 億ドルをアジア 開発銀行に設立された信託基金に拠出することを約束した。アセアン諸国と日本、中国、 韓国の13 カ国は 2000 年 5 月にタイのチェンマイで会合を開き、東アジアにおける通貨安 定のための集団的な金融支援体制「チェンマイ・イニシアティブ」を構築することで合意 している。域内の通貨スワップ協定によって為替投機の動きをけん制するとともに、危機 予防へのモニタリング機能を強化するとの内容である13 12 稲田十一,(財)国際金融情報センター委託調査 (2002, pp.1-17) 13 松島正之,日本経済新聞2002 年 4 月 10 日版 p.27「経済教室」。財務省ホームページ。

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2章 日本の開発戦略

外務省の第2 次 ODA 改革懇談会は 2002 年 3 月に公表した最終報告の中で、3 つの改革 方針を打ち出した。a)国民の心、知力、活力を総結集した ODA−開発人材の育成、既存人 材の活用、NGO との連携などを通じて「国民参加の ODA」を実現する。b)戦略を持った 重点的・効果的な ODA−ODA 総合戦略会議の設置、国別援助計画の重点化、国際連携な どを通じて「比較優位のODA」を推進する。c)ODA 実施体制の抜本的な整備—政策機関か ら実施機関への権限委譲、迅速かつ柔軟な対応、技術協力の一元化などを通じて「効果的 な ODA」を展開する。厳しい財政事情の中で、国民の理解を得るためには改革を推進し、 日本の経済力、国際的地位に見合う規模のODA を確保すべきだと主張している。本章では 日本の援助理念、中期目標、実施体制、評価・監査制度について解説する。 (1) 援助の理念 日本国憲法はその前文で「われらは全世界の国民がひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和 のうちに生存する権利を有することを確認する。…いずれの国家も、自国のことのみに専 念して他国を無視してはならない」と謳っている。1960 年代の戦時賠償協定から始まって 量的拡大を進めてきた日本のODA は、タイドでの商品借款の供与などにより輸出振興政策 の一端を担ってきた。1985 年以降、本格的な貿易黒字還流に取り組み始めた日本は、国際 社会における地位向上を目指してODA を明確に「国際貢献」の手段と位置づけた。日本の 援助理念を始めて明文化したのが「ODA 大綱」である。 1992 年に閣議決定された「ODA 大綱」は、a)環境と開発の両立、b)軍事的用途の回避、 c)軍事支出、兵器開発、武器輸出入への留意、d)民主化、市場経済化の促進と人権の尊重、 を4原則とし、途上国の自助努力に対する支援を基本にすると述べている。援助の供与に 際して、受益国の軍事支出および武器輸出への配慮を盛り込んだ運用方針は他の先進国に 見られないものである。2002 年 12 月に外務省は「ODA 大綱」を見直す方針を打ち出した。 グローバル化の進展と貧困がテロの温床という認識の広がりを考慮して、ODA の戦略性を 高めると同時に、幅広い国民参加を前提とする援助を実現するとしている。 DAC の「新開発戦略」の策定にあたっては、受益国の自助努力 ownership とドナーとの 協力関係partnership を基調にした日本政府の方針が色濃く反映されている。日本は援助に 政治的な条件を付加することを内政干渉とみなし、途上国自身の「要請」を基本としてい る14。加えて、渡辺・草野(1991, p.47)は「開発途上国の自助努力を引き出すには、援助の 中核が返済を要する借款でなければならない」として、援助資金の返済こそが日本の援助 におけるコンディショナリティに相当するという考えを述べている。しかし貧困国におい て債務が長期に残存している現状を踏まえて、外務省は2002 年 12 月に従来の無償資金供 14 外務省「ODA 白書上巻」1990 年版 pp.25-35

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与による債務救済方式を改め、債権を放棄するという方針転換を発表した。 (2) 資金還流計画 日本は1985 年の経常収支が初めて 500 億ドル台の大幅黒字となったことを理由に、途上 国に対し国際機関を通じて1986 年より 3 年間で 100 億ドルの資金還流を行なうことを約束 した。翌 1987 年の円高不況にともなう緊急経済対策では、官民資金 200 億ドル以上を追加 的かつアンタイドの条件で途上国に供与することを発表した。さらに1989 年のアルシュ・ サミットでは、「3 年間で 300 億ドル以上」の資金還流措置を「従前の 3 年間を含む 5 年間 で650 億ドル以上」に拡充し、1992 年 6 月までに 672 億ドルを還流させて目標を達成して いる15。日本は外圧に押されつつ「経済大国として国際的責任を果たす」との意気込みで開 発援助を拡大させてきた(図表1-5)。黒字減らし対策として 1986 年に公表された前川レポ ートでは、日本の市場開放とともにODA のアンタイド化を提言している(p.9)。 a) ODA 中期政策 日本の国際貢献を推進するために、途上国への民間資金フローを促進するとの観点から、 1993 年に旧大蔵省は「開発途上国への資金協力計画」を発表した。その内容は 1998 年ま での5 年間に、ODA アンタイド資金(円借款、国際金融機関への出資・拠出等)を 700 億ド ル程度、OOF アンタイド資金(旧輸銀のアンタイド・ローン、貿易保険等)を 500 億ドル程 15 大蔵省「国際金融年報」平成 9-10 年版 pp.201-202 図表1‐5 日米独のODA供与額の推移(1980∼2000年) 36 32 3 2 3 2 28 29 38 44 47 49 6 3 69 76 70 68 75 76 59 56 55 50 3 8 43 38 56 73 91 90 110 112 113 132 145 94 94 106 153 135 71 58 8 2 8 1 87 94 96 91 101 77 114 117 101 99 69 88 91 100 9 1 0 2 0 4 0 6 0 8 0 100 120 140 160 180 80 8 1 82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 95 96 9 7 9 8 99 00 ドイツ 日本 アメリカ 億ドル  (資料)OECD開発援助委員会

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度、のあわせて1200 億ドル(1993 年の円レート換算で 13.3 兆円)以上の公的資金を途上 国に供与する計画であった。実施にあたっては、a)環境およびインフラ整備に重点をおく、 b)世銀・IMF などの国際金融機関との協調融資を促進する、c)旧輸銀の融資保証や貿易保険 (新設された海外事業資金貸付保険等)の活用を図る、といった配慮が盛り込まれた。 一方、外務省は1977 年より 5 次にわたる中期目標を策定して ODA の量的拡大を図って きた(図表1-6)。しかし、1999 年の第 6 次中期政策では金額の設定を見送り、「量的拡大」 から「質の向上」への方針転換を明らかにした。また1993 年より順次策定された国別援助 方針16に沿って、より具体的な国別援助計画が整備されつつあり、2002 年 3 月現在、すで に中国、タンザニアなど12 カ国の援助計画が発表されている。 図表1-6 日本の ODA 中期政策 制定年 目標年次 中期目標 第1 次 1977 1978∼1980 年間14 億ドルから 28 億ドルへ倍増 第2 次 1 9 8 1 1981∼1985 5 年間で 107 億ドルから 214 億ドルへ倍増 第3 次 1 9 8 5 1986∼1 9 9 2 年間 38 億ドルを倍増、7 年間で 400 億ドル以上 第4 次 1 9 8 8 1988∼1 9 9 2 5年間で 250 億ドルから 500 億ドルへ倍増 第5 次 1 9 9 3 1993∼1 9 9 7 7 0 0 ∼750 億ドル、援助の無償化・アンタイド化 第6 次 1 9 9 9 1999∼2004 ODA の重点化、NGO との連携、国別援助計画 b) 新宮澤構想 日本は1997 年の通貨危機に見舞われたアジア諸国の経済的困難を打開し、国際資本市場 の安定を回復するとの目的で「新宮澤構想」を提唱した。この構想にしたがって官民によ る資金協力を実現するために、JBIC は途上国の政府と民間企業向け資金の債務保証や利子 補給に加え、域内の債券市場の整備資金を提供した。さらに2000 年度には、貧困対策にお ける多国間の援助協力を推進するために、世銀とアジア開銀に 200 億円を拠出して特別基 金17を開設している。加えて、日本は円借款に関する大幅な条件緩和を行なった。打撃を受 けたアジア諸国のインフラ整備等を支援するために、1999 年度に金利 1 パーセント以 下、償還期間を40 年とする「特別円借款制度」を創設し、主契約を原則として日本企 業に限定するタイド・ローンとして2001 年度までの 3 年間で 6000 億円の供与を約束 した。また2002 年度からは特別供与枠を設けずに、通常の円借款制度の中に新たに譲 許性の高い「特別金利」を設けることでタイド・ローンを継続することを決定した18 第1章(5)節で述べた地球環境や公害対策に関連するコンサルティング、途上国の人材育 成・中小企業支援に対する「構造調整支援事業」には、同様の特別金利が導入されている19 16 外務省ホームページ。 17 世銀「日本社会開発基金」(JSDF)およびアジア開銀「貧困削減特別基金」(JFPR)を設立した。 18 日本経済新聞(平成13 年 12 月 26 日版) 19 経済産業省「経済協力の現状と問題点」平成 12 年度版 pp.13-21.

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(3) 日本の援助体制 a) 政府機関

日本のODA は、無償資金協力および技術協力を外務省所管の特殊法人である国際協力事

業団(JICA)が担当し、有償資金協力(円借款)を外務省および財務省共管の特殊法人であ る国際協力銀行(JBIC)が担当するという 2 局体制になっている。JICA と JBIC は個別 に援助の立案・実施を行なっており、現地事務所も各々独立しているために、管理業務や プロジェクトの重複による非効率が指摘されている20。反面、日本ではODA に係わる人員 が極端に少なく、2001 年度の JICA の職員数は 1,218 名、1998 年度の旧基金の職員数は 338 名である21。1998 年度の旧基金の円借款(ODA 融資)承諾額 1.1 兆円をこの職員数で割 ると、1 人当たり年間 33 億円弱の ODA 案件を抱えている計算になる。ODA の改革案では 常に援助教育の拡充と援助人口の増加が主張されている。 ODA 事業予算の 31.5 パーセントを所管する外務省は(図表 1-7)、その 3 割が技術協力 の実施機関であるJICA に対する交付金、2 割が国際機関に対する分担金と任意拠出金、残 りの5 割が食糧援助を含む無償資金協力に当てられている。他方、財務省は ODA 事業予算 の6割を所管しており、うち JBIC を通じて実施する円借款が 8 割、残りの 2 割が世銀や アジア開銀などの国際金融機関に対する出資金・拠出金である。円借款事業については従 来、外務・大蔵・通産・経企の 4 省庁が個別案件を協議していた。現在は、各途上国政府 から日本大使館に提出される要請書をもとに外務省が原案を作成し、財務・経産と協議す る3省体制となっている。 セクター別援助については、残りの8.5 パーセントを文部科学省、経済産業省、農林水産 省など11 の府省が所管している。各省が独立して二国間あるいは多国間の技術協力や資金 協力を行なっているために、援助の全体像が不透明であるという批判がある。ODA に関す る情報を集約し、整合性のある効率的な援助政策を打ち出すために、閣僚や有識者による 「ODA 総合戦略会議」の設置、「開発援助庁」の設立などが提案された22 2002 年 7 月に発表された「外務省を変える会」のアクション・プログラムでは、a)無償 資金協力の選定・実施過程の透明性を確保するために「無償透明小委員会」を設置する、 b)円借款の債権放棄に際して国民への説明責任を果たすために「円借款償還審査委員会」を 設立し、今後の国民負担についてまとめる、c)ODA の評価を拡充するために、NGO や国際 機関等との合同評価体制を促進し、被援助国による評価を義務づける、などを提言してい る。これを受けて、外務省は2003 年1月に「無償資金協力実施適正化会議」を設立するこ とを決定した。 20 外務省「円借款制度に関する懇談会報告書」(2000 年 8 月 1 日) 21 旧輸銀の国際金融等業務を加えた2000 年度の JBIC の職員数は 888 名である。 22 政策構想フォーラムの提言(2001 年 7 月 17 日)、外務省第 2 次 ODA 改革懇談会中間報告(2001 年 8 月 1 日)、経団連 の提言(2001 年 10 月 16 日)など。

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年   度 1990 1995 2000 2001 2002 2002/2001伸び率(%)   一般会計 8,175 11,061 10,466 10,152 9,106 ▲ 10.3     外務省 4,153 5,537 5,603 5,565 5,384 ▲ 3.2       無償資金協力 1,656 2,187 2,405 2,370 2,111 ▲ 10.9       JICA交付金等 1,250 1,692 1,792 1,790 1,631 ▲ 8.9       国際機関拠出金 747 963 716 734 632 ▲ 13.9       援助活動支援等 500 695 690 671 1,010 50.5     大蔵省(注1) 2,984 3,870 3,627 3,376 2,623 ▲ 22.3       OECF出資金等 2,854 3,789 3,063 2,845 2,191 ▲ 23.0       世銀等出資金・拠出金 130 81 549 515 415 ▲ 19.5     通商産業省(注2) 282 522 487 473 392 ▲ 17.1     文部省(注3) 270 420 486 493 478 ▲ 3.0     厚生省(注4) 54 67 95 124 118 ▲ 5.1     農林水産省 78 105 82 70 62 ▲ 10.7     その他(注5) 359 540 87 51 44 ▲ 14.3   特別会計 100 170 120 140 136 ▲ 3.4   出資国債 2,284 2,863 1,550 1,546 1,591 2.9   財政投融資等 5,930 6,036 6,728 6,356 5,741 ▲ 9.7   ODA事業予算(グロス) 15,995 20,129 18,863 18,196 16,574 ▲ 8.9   回収金 ▲ 1,502 ▲ 2,463 ▲ 3,748 ▲ 3,696 ▲ 3,801 --  ODA事業予算(ネット) 14,494 17,665 15,115 14,500 12,773 ▲ 11.9 年   度 1990 1995 2000 2001 2002 2002/2001伸び率(%)   無償資金協力 7,735 10,361 9,195 9,118 8,766 ▲ 3.9     二国間援助 4,467 6,281 6,305 6,246 5,992 ▲ 4.1       経済開発等援助 1,621 2,127 2,079 2,054 2,086 1.6       食糧援助等 412 596 432 416 305 ▲ 26.6       技術協力 2,434 3,558 3,795 3,776 3,602 ▲ 4.6     多国間援助 3,269 4,079 2,890 2,872 2,774 ▲ 3.4       国連等への拠出 558 705 791 810 768 ▲ 5.2       世銀等への出資 2,711 3,375 2,098 2,062 2,006 ▲ 2.7   有償資金協力 8,260 9,768 9,668 9,078 7,808 ▲ 14.0      海外経済協力基金 7,781 9,397 9,300 8,700 7,600 ▲ 12.6      その他 479 371 368 378 208 ▲ 45.0   ODA事業予算(グロス) 15,995 20,129 18,863 18,196 16,574 ▲ 8.9    (資料) 外務省 「わが国の政府開発援助上巻」各年版。 いずれの年度も当初予算である。    (注1) 2001年1月に財務省へ移行。 OECF(海外経済協力基金)は1999年10月にJBICへ移行。    (注2) 同じく経済産業省へ移行。 (注3) 同じく文部科学省へ移行。 (注4) 同じく厚生労働省へ移行。    (注5) 2000年度までは国会、総理府、法務省、郵政省、労働省、運輸省、それ以降は内閣府、総務省、         法務省、国土交通省、環境省である。1999年度までは経済企画庁所管のOECF出資金等を含む。 図表1−7  日本のODA事業予算         (単位:億円)         (単位:億円) ODAの事業形態 ODAの財源

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b) NGO 補助金

DAC 加盟国では、二国間援助の政府機関あるいは多国間援助の国際機関が NGO を援助

の実施主体としてとして参加させるケースが増えている。世銀では開発プロジェクトの 7

割にNGO が関与しているとされる。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)では職員が物資

や人員の手配など管理業務をこなす一方で、実際に難民に接して行なう救援活動はOXFAM

やCARE といった NGO に委託されている。これらの NGO と UNHCR は発足以来、数十

年間のパートナーシップの歴史があり、お互いの信頼関係が活動の基礎にある。委託契約 は厳正な国際入札にかけられるが、不祥事を防止するために実績の少ないNGO は不利にな らざるをえない、とのことである23。 日本では国際協力に携わる市民団体を財政的に支援するため、1989 年度に「NGO 事業 補助金」と「草の根無償資金協力」が創設された。前者は途上国で活動する日本の NGO に 対して事業費の2 分の 1 以下、かつ 1000 万円を上限として補助する制度である。後者は現 地のNGO や自治体・医療機関などを対象に 1000 万円以下の小規模なプロジェクトへの資 金援助を行なっており、在外公館が中心になって途上国のきめ細かなニーズに対応すると いうユニークな制度である。 しかし、2002 年度に財務省が行なった予算執行調査では「草の根無償資金協力」の予算 が在外公館の実績主義で配分されており、公館ごとの配分が固定化しているという問題点 が指摘されている。交付対象となる事業コストの積算と契約後の執行管理を適正化するた めにガイドラインを作成し、事業資金を事前に一括供与する現行方式を見直して一部清算 払い方式を導入する必要があるとしている。援助を効果的に行なうためにはモニタリング が不可欠であることを示す事例である。 郵政省は1991 年度に「国際ボランティア貯金」制度を導入した。これは預金者の申し出 により通常郵便貯金の税引き後利子の20 パーセントが NGO に配分される制度である。し かし、金利の低下により寄付金額はピークをつけた1994 年度の 30 億円から、2001 年度に は2 億円弱にまで低下している。外務省は 1999 年度に NGO の機能強化支援策として「NGO 活動環境整備事業」を設立し、人材の育成、組織の強化、途上国の情報提供など、NGO に 対する政府のコンサルティング・サービスが開始されている。 c) 調達情報 援助の透明性を確保するためDAC は ODA に関する調達ガイドライン24を規定しており、 国際競争入札が原則である。贈与のうち食糧援助と技術協力に関してはタイド資金(ドナ ー国からの調達を条件とする)が認められる一方、譲許性の低い借款については厳しいル ールが適用される。日本の円借款は借入国が事業主体であり、1980 年以降は大部分がアン タイド、または主契約をドナー国または途上国に限定した途上国アンタイド資金である。

23 2002 年 3 月に行なった UNHCR の Geldolph Everts 氏へのヒヤリングによる。

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しかし円借款事業における日本企業の受注率が 3 割を切るまでに低下したため、政府は 1999 年度からの 3 年間で 6000 億円をタイド資金として融資する「特別円借款制度」を創 設し、通貨危機後のアジア諸国の経済支援を約束した(前出の(2)b)節を参照)。 日本企業の受注率が低いとの指摘に対して、外務省は「一般に日本企業の受注率が低い とされる場合の根拠は、円借款による総事業に対する受注率の過去5 年間の平均が約 2 割 となっていることであるが、円借款の約 3 割を占める現地通貨建て費用(現地労働者の賃 金や現地で調達される低廉な物資等であり、日本企業の主要関心部分ではない)を除いた 場合、日本企業の受注率は 4 割程度となる。更に、円借款のうち、日本企業が特に関心を 有する規模の大きな契約(10 億円以上)に限れば、日本企業はそのうち約 8 割に応札して、 その約6 割を落札しているのが実情である」と反論している25 DAC は加盟国の ODA に関する調達情報を全世界の企業に幅広く公開することを目的に、 2002 年よりインターネットによる情報提供を開始する予定である。日本政府の無償資金事 業の調達案件については、JICA のホームページで公示されるとともに、「JICA プラザ」の 公示室に掲載される。円借款の調達案件については、事業主体である途上国政府が自国の 新聞紙上などで公示するのが原則である。これはタイド資金の場合でも同様である。 他方、競争入札によって事業の実施や機材の調達を受注した企業の情報公開も進められ ている。無償資金事業については、JICA の事後評価報告書に受託した事業内容と事業主体 に加えて、事後評価責任者の氏名も記載されている。円借款事業については、ホームペー ジに掲載される JBIC の年報に1億円以上規模の事業内容と受託企業名が記載されるとと もに、JBIC 本店の「情報・資料センター」において全ての案件が開示される。経済産業省 が所管する公益法人や民間団体が行なう技術協力や研究協力については、同省が発行する 「経済協力の現状と問題点」に事業内容と相手機関の情報が掲載されていたが、2000 年版 を最後に廃刊となり、外務省の「ODA 白書」に吸収された。 日本の二国間ODA 事業に関連する事後的な情報については、インターネットの活用も含 め透明性が高い反面、同じく公的資金であるOOF については、アンタイド・ローンなどの 二国間融資や世銀・アジア開銀などへの多国間融資、およびそれらとの協調融資に関する 情報開示が不十分である。債務救済の対象となるOOF 債権についても公表が望まれる。 (4) 援助の評価 a) DAC の評価基準 年間500 億ドルを超える ODA 資金の情報を管理している DAC は、援助国の公的資金に よって賄われるODA に対し、運用の適正化と援助効果の改善による資金の有効利用をアピ ールするために、1982 年に援助評価部会を立ち上げた。近年、ODA の成果は個別プロジ ェクトの事業評価ではなく、最終的にそのセクターが実現を目指している目標を数値で提 示し、そこへの達成率で評価することが求められている。ODA の成果を目的に照らして評 25 外務省「ODA 白書上巻」2000 年版 p.24

(25)

価するためには、実施機関が管理体制を刷新し、a)期待される成果をはっきり定義する、b)

経過を数値でモニターする、c)得られた結果をきちんと報告する、という新しい文化を導入

する必要があるとしている。

DAC は ODA の評価基準として、事業の適切さ relevance、有効性 effectiveness、効率

性efficiency の3点をあげている。第1に「適切か否か」を判断する基準として、a)プログ ラムの目的が現時点でどの程度まで適切か、b)プログラムの実績がセクター全体の目標と整 合的か、c)プログラムが事前に想定していた効果をあげているか。第2に「有効か否か」を 判断する基準として、a)目的がどの程度実現されたか、または実現されそうか、b)目標が達 成された、あるいは達成されなかった主たる理由は何か。第3に「効率的か否か」の判断 基準には、a)プログラムの成果がコストに見合うものか、b)目標がタイムリーかつ低コスト で達成されたか、c)目的達成のために採用した手法が他の手法より効率的であったか、など があげられている。 世銀は1998 年に「援助の評価—何がなぜ効果があり、何がなぜ効果がないのか」26とい う報告書を作成した。その中で、開発援助が効果を発揮するためには途上国の制度・政策 を改善してよい統治governance を実現することが前提である、と主張している。世銀の実 証分析(第3章(4)節を参照)においても、援助の効果を計測する式に「政策の質」という 説明変数が加えられており、よい政策をとる国(GDP 比 1 パーセントの援助が 0.5 パーセ ントの成長促進をもたらす)とそうでない国における援助の効果を比較している。世銀の 1999 年版年次報告では、「結果重視の運営」Results-based management(RBM)が強調 されている(日本語版p.130)。RBM は個別業務を評価する際に「投資と利益のバランスで はなく、成果や影響の大きさではかる」と規定している。 b) 費用便益分析 世銀やJBIC などの開発金融機関では、従来、個別プロジェクトの評価手法として費用と 便益の経済価値を比較する方法が用いられてきた。経済価値を算定するために、国内の市 場価格から補助金、間接税、関税などの移転費用を調整して「シャドー・プライス」とい う政策による歪みを排除した価格概念が用いられる。プロジェクトから発生する毎年の費 用と便益をシャドー・プライスによって評価し、それを与えられた社会的な割引率によっ て現在価値(NPV)に転換する。もし経済的便益の NPV が経済的費用の NPV を上回れば、 そのプロジェクトは妥当であると判断される。あるいは、プロジェクトのNPV がちょうど ゼロとなるような割引率を「内部収益率(IRR)」として算定し、それを市場金利と比較して IRR が市中金利より高ければ妥当なプロジェクトである、と判断する手法である。 しかし実際に経済価値を計測しようとすると、経済的便益の算定には大胆な想定が必要 となるばかりでなく、多くの途上国では市場価格や市場金利といった指標が利用できると

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は限らないので、きわめて複雑な計算になる(延原 2001, pp.80-81)。最近では、環境への負 荷を経済的費用に算入したり、所得分配の影響を経済的便益に加えたりする試みがなされ ている(同, p.116)。

一方、世銀はこれまでの個別プロジェクト評価を転換し、援助が実施されたセクターに おける成果を具体的なマクロ指標で示すよう指導し始めた。これは行政部門に経営的手法 を導入するというNew Public Management の「目標管理」に通じるものである27。JBIC

が主催した評価セミナーに招かれた世銀の講師28は、「数十年にわたる経験の蓄積にもかか わらず、世銀のプロジェクト評価は全く無意味であった」と述べている。 c) 日本の評価体制 日本では外務省が無償資金協力事業の事後評価を1981 年度から実施しており、その結果 を「経済協力評価報告書」として毎年公表している。基本的に DAC の評価原則を踏まえ、 a)目標の達成度、b)計画の妥当性、c)波及効果、d)実施の効率性、e)自立発展性、の 5 項目 に加えて、環境や女性支援への配慮という視点も考慮されている。さらに、在外公館によ る評価、現地コンサルタントによる評価、専門家による第三者評価、国際機関による評価 も導入されており、DAC で最も情報公開が進んでいる国との評価を受けている29 JICA は 1988 年度に技術協力の評価部門を立ち上げ、1995 年度より「事業評価報告書」 を公表している。1994 年からはプロジェクト・サイクル・マネジメント(第 8 章(6)節を参 照)による評価手法を導入した。JBIC は 1975 年度より評価活動を開始し、「円借款事業評

価報告書」を公表している。2001 年 5 月からは JICA と JBIC が ODA 案件の「事前評価」

を開始し、達成すべき数値目標をインターネットで公表するようになった30。DAC による ODA 政策の国別レビューでは、日本の評価制度における最大の問題点として、「援助事業 で建設された構造物の物理的な状況、および受益国がそれをどれだけ評価しているかに記 述の力点が置かれており、そのプロジェクトの社会的・経済的インパクトがほとんど評価 されていない」31と指摘している。 外務省は2000 年 7 月に「ODA 評価研究会」を設置し、a)ODA の政策評価とプログラム 評価の拡充、b)評価のフィードバック体制の強化、c)評価の人材育成、d)事前・中間・事後 に至る一貫した評価システム、e)ODA 関係省庁間の連携、についての検討結果を 2001 年 2 月に発表した。2002 年 3 月に公表された第 2 次 ODA 改革懇談会の最終報告においても、 援助事業に関して第三者による外部評価の実施を提言している。 2001 年に発足した総務省は、全府省を対象に 2002 年度より政策評価制度を導入した。 ODA に関しては、従来の行政監察の延長上にある事務の効率化や制度改革といった実務上 27 例えば、大住(1999)を参照。 28 世界銀行 レイ・リスト上級評価担当官。 29 外務省経済協力局「経済協力評価報告書」1998 年版 pp.8-12 30 JICA と JBIC のホームページを参照。

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の改善要求から一歩踏み出して、ODA の政策自体を問い直す態勢に入っている。2002 年 度からは「行政評価法」32に沿って各府省の政策評価、および第三者による外部評価が実施 されることになった。ODA の政策評価33についても個別の事業評価に数値目標を導入し、 投入指標ではなく成果指標を重視する援助への転換を迫られている。 (5) モニタリング ドナー国では納税者に対する政策の「説明責任」が重視されるようになり、DAC はより 結果重視で透明性の高い援助政策の監視・管理体制を確立しようとしている。ドナー国の 中には議会が援助政策に深くコミットしている国がある。例えば「対外援助法」を持つア メリカ議会は、個別の援助予算ごとに公聴会を開いて議論し議決を行なっている。しかし 多くの国で議会の関与はそれほど重大ではなく、外交委員会が援助政策も含めて外交問題 を議論することが多い。国によっては外交委員会の下に援助政策部会を設けているところ もある。日本では、ODA を政府の専管事項である外交の一部と位置づけており、個別案件 については基本的に国会の承認を必要としていない。 1997 年 10 月から 1998 年 4 月にかけて、参議院の国際問題調査会に設けられた対外経済 協力小委員会において「ODA 基本法」が熱心に審議された34。日本の ODA の透明性をア メリカ並にするために、法律によってODA 案件の国会審議を義務づけることが狙いであっ た。結果的には、ODA の弾力的な運用を妨げるとの懸念から法案作成にまで至らなかった が、予算委員会、外交・防衛委員会、行政監視委員会、決算委員会などの場で監視を強め ていくとの合意を得ている。2002 年には北方四島の「支援委員会」に拠出された OOF 資 金による人道援助が問題になっており、二国間ODA のみならず、援助事業全般に対する国 会のモニタリング機能の強化が望まれる。 国連の合同監査委員会(JIU)は、2001 年に国連機関に対する加盟国政府の関与のあり方に ついて報告書35をまとめた。それによれば、国連機関が管理する基金やプログラムの中には 加盟国による監視機能を備えていないものがあり、こうした組織に対して理事会などによ るモニタリング強化の必要を認めている。他方、FAO、ITU、WHO、ユネスコなど理事会 の下に委員会を 2 つ以上備えている機関は、監視機能をプログラムと予算・組織運営に二 分した上で、委員会の規模・頻度・会期を大幅に縮小して経費の節約をはかるべきである としている。また理事会に対しても、集中審議により頻度と会期を縮小するか、少数メン バーによる諮問委員会を設けて集中討議をすべきである、と提言している。 32 「行政機関が行う政策の評価に関する法律」。2002 年 4 月に施行され 3 年後に見直しが予定されている。 33 総務省行政評価局は、全ての援助形態に関する評価報告書を2003 年度中にとりまとめるとしている。 34 第141∼142 国会の参議院「国際問題に関する調査会対外経済協力小委員会」議事録。

参照

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