• 検索結果がありません。

untitled

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "untitled"

Copied!
234
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

街道を歩く

22

電子版

─シニア世代の退屈しのぎと 健 康のために─

北陸道(二)

( 石動ー高田ー出雲崎) 中 山 高 安著

(2)

は じ め に この街道を歩く動機は﹁北陸道︵一 ﹂に書いたので省略するが、 ︶ そ の 中 で 歩 き た い 主 要 部 分 で あ る 上 越 高 田 か ら 金 沢 へ の 道 が 、 こ の ﹁ 北 陸 道 ︵ 二 ﹂ に 含 ま れ て い る 。 更 に 上 越 高 田 を 経 て 佐 渡 の 御 金 ︶ 荷 を 運 ぶ 道 が 出 雲 崎 へ つ な が っ て い る か ら 、 こ の シ リ ー ズ ﹁ ④ 北 国 街道﹂の続編でもある。 こ の 街 道 を 歩 く 最 大 の 問 題 と な る 場 所 は 栃 の 木 峠 越 え だ が 、 こ れ は ﹁ 北 陸 道 ︵ 一 ﹂ に 記 載 し た 通 り で 、 も う 一 つ の 場 所 は ﹁ 北 陸 道 ︶ ︵二 ﹂の中の新潟県柏崎から出雲崎までである。 ︶ こ こ に は 柏 崎 原 子 力 発 電 所 で 旧 道 が 消 え て い て 、 見 る も の も な い 国 道 で 大 回 り す る 上 に 、 ト ン ネ ル ま で 歩 か な く て は な ら な い の が 苦 痛である。ただ、これも現地入りするまでは歩くつもりでいた。 と こ ろ が 現 地 入 り し て み る と 、 そ の 先 に も う 一 つ の 問 題 が 発 生 し て い た 。 そ れ は 昨 年 の 新 潟 県 中 越 沖 地 震 ︵ 二 〇 〇 七 年 七 月 一 六 日 ︶

(3)

に よ る 山 崩 れ で 通 行 禁 止 に な り 、 椎 谷 か ら 石 地 ま で の 間 も 大 回 り せ ざ る を 得 な い こ と が 分 か っ た 。 し か も 途 中 に 最 寄 り 駅 も な く 、 夏 場 以外も宿泊できる場所があ るのか否かも明確でない。 、 、 そこで この柏崎から石地まではタクシーを利用することにして 途中の椎谷の宿場はタクシーに待 ってもらって歩くことにした。 そ れ 以 外 の 問 題 で は 、 富 山 県 と 新 潟 県 と の 県 境 で あ る 市 振 の 先 の 、 、 親不知を歩くことで 昔は波に洗われる危険な海辺を歩いたらしく 近 世 に は 山 越 え の 道 も で き た ら し い 。 た だ 明 治 時 代 に 旧 国 道 が で き た り 、 北 陸 本 線 が で き た り し て 便 利 に な っ た た め だ ろ う か 、 山 越 え の道はハッキリせず、今日も歩けるのか否かが分からない。 従 っ て 国 道 を 歩 く 部 分 が 多 く な っ た が 、 地 震 の 影 響 で 工 事 中 の 部 分 が 多 い た め 返 っ て 歩 き や す か っ た 。 た だ 、 い ず れ に し て も 車 を 気 に し な が ら 歩 く 難 所 で 、 今 も 昔 も 難 所 に は 違 い な い 親 不 知 で あ る 。 そ の 他 の 旧 道 部 分 は 鉄 道 か ら 余 り 遠 く な い の で 、 特 に 歩 く た め に は問題ないだろう。

(4)

目 次 北陸道の里程 七 石動から高岡へ 一三 高岡から小杉へ 二八 小杉から東岩瀬へ 四一 東岩瀬から魚津へ 五五 魚津から浦山へ 七三 浦山から泊へ 八八 泊から親不知へ 一〇〇 親不知から糸魚川を経て梶屋敷へ 一二〇 梶屋敷から名立へ 一三一 温かい人たちと驚き︵閑話︶ 一四二 名立から高田へ 一五二 観光ボランティア︵閑話︶ 一六九

(5)

高田から犀潟へ 一七四 犀潟から柿崎を経て米山へ 一八五 米山から柏崎へ 一九五 柏崎から出雲崎へ 二〇九 終わりに 二三〇

(6)

北 陸 道 の 里 程 宿場名 里数︵キロ数︶ 中山道の鳥居本ー米原︵滋賀県米原︶ 一里︵三・九︶ 米原ー長浜︵長浜市︶ 二里半︵九・八︶ 長浜ー木ノ本︵木之本町︶ 三里半︵十三・七︶ 木ノ本ー梁ヶ瀬︵余呉町柳ヶ瀬︶ 二里半︵九・八︶ 梁ヶ瀬ー椿市︵余呉町椿坂︶ 一里︵三・九︶ つ ば い 椿市ー中河内︵余呉町中河内︶ 一里十九町︵六・〇︶ 中河内ー板鳥︵福井県今庄町板取︶ 三里︵十一・八︶ 板鳥ー今庄︵今庄町今庄︶ 二里︵七・八︶ 今庄ー湯尾︵今庄町湯尾︶ 一里︵三・九︶ 湯尾ー鯖波︵南条町鯖波︶ 一里︵三・九︶ 鯖波ー脇本︵南条町脇本︶ 一里︵三・九︶ 脇本ー今宿︵武生市今宿︶ 一里︵三・九︶

(7)

今宿ー府中︵武生市府中︶ 一里︵三・九︶ 府中ー白鬼女川ー鯖江︵鯖江市本町︶ 一里︵三・九︶ 鯖江ー麻生津︵福井市浅水町︶ 二里︵七・八︶ 麻生津ー福井︵福井市︶ 一里︵三・九︶ 福井ー舟橋︵福井市舟橋︶ 一里︵三・九︶ 舟橋ー長崎︵丸岡町長崎︶ 二里半︵九・八︶ 長崎ー金津︵あわら市北金津︶ 二里半︵九・八︶ 金津ー細呂木︵あわら市細呂木︶ 一里︵三・九︶ 細呂木ー立花︵石川県加賀市橘町︶ 一里︵三・九︶ 立花ー大聖寺︵加賀市大聖寺︶ 一里︵三・九︶ 大聖寺ー作見︵加賀市作見町︶ 一里︵三・九︶ 作見ー動橋︵加賀市動橋町︶ 一里︵三・九︶ 動橋ー月津︵加賀市月見町︶ 一里︵三・九︶ 月津ー小松︵小松市︶ 二里︵七・八︶ 小松ー寺井︵寺井町︶ 一里︵三・九︶

(8)

寺井ー粟生︵寺井町︶ 一里︵三・九︶ あ お 粟生ー手取川ー水島︵松任市︶ 二里︵七・八︶ 水島ー柏野︵松任市︶ 一里︵三・九︶ 柏野ー松任︵松任市︶ 一里︵三・九︶ 松任ー野ノ市︵野々市町本町︶ 一里︵三・九︶ 野ノ市ー金沢︵金沢市︶ 一里︵三・九︶ 金沢ー津幡︵津幡町津幡︶ 三里半︵十三・七︶ 津幡ー竹橋︵津幡町竹橋︶ 一里︵三・九︶ 竹橋ー今石動︵富山県小矢部市︶二里二十二町︵十・三︶ い ま いす るぎ 小計 五十五里五町︵二百十六・七︶ 今石動ー高岡︵高岡市︶ 四里︵十五・七︶ 高岡ー小杉︵小杉町︶ 二里二十五町︵十・六︶ 小杉ー下村︵下村︶ 一里十七町︵五・八︶ 下村ー東岩瀬︵富山市︶ 二里三十四町︵十一・六︶ 東岩瀬ー滑川︵滑川市︶ 二里二十五町︵十・六︶

(9)

滑川ー魚津︵魚津市︶ 二里︵七・八︶ 魚津ー三日市︵黒部市三日市︶ 二里︵七・八︶ 三日市ー浦山︵宇奈月町浦山︶ 一里二十七町︵六・九︶ 浦山ー舟見︵入善町舟見︶ 一里十七町︵五・八︶ 舟見ー泊︵朝日町泊︶ 二里二十九町︵十一・〇︶ 泊ー堺︵朝日町境︶ 一里二十九町︵七・一︶ 堺ー市振︵新潟県青海町市振︶ 一里︵三・九︶ お う み ま ち 市振ー歌︵青海町歌︶ 二里︵七・八︶ 歌ー青海︵青海町︶ 一里二十七町︵六・九︶ 青海ー糸魚川︵糸魚川市︶ 一里半︵五・九︶ 糸魚川ー能生︵能生町︶ 三里二十一町︵十四・一︶ の う ま ち 能生ー名立︵名立町︶ 三里︵十一・八︶ な だ ち ま ち 名立ー有間川︵上越市有間川︶ 二里︵七・八︶ 有間川ー長浜︵上越市長浜︶ 一里︵三・九︶ 長浜ー高田︵上越市︶ 二里︵七・八︶

(10)

高田ー春日新田︵上越市春日新田︶ 一里半︵五・九︶ 春日新田ー黒井︵上越市黒井︶ 一里︵三・九︶ 黒井ー柿崎︵柿崎町︶ 四里︵十五・七︶ 柿崎ー鉢崎︵柏崎市米山︶ 二里︵七・八︶ 鉢崎ー鯨浪︵柏原市鯨浪︶ 三里︵十一・八︶ 鯨浪ー柏崎︵柏崎市︶ 一里︵三・九︶ 柏崎ー荒浜︵柏崎市荒浜︶ 二里︵七・八︶ 荒浜ー宮川︵柏崎市宮川︶ 一里︵三・九︶ 宮川ー椎谷︵柏崎市椎谷︶ 一里︵三・九︶ 椎谷ー石地︵西山町石地︶ 一里半︵五・九︶ 石地ー出雲崎︵出雲崎町︶ 二里︵七・八︶ 小計 六十三里十七町︵二百四十九・四︶ 合計 百十八里二十二町︵四百六十六・一︶

(11)
(12)

石 動 か ら 高 岡 へ 廻 向 寺 北 陸 本 線 石 動 駅 か ら 旧 道 に 出 て 右 へ 曲 が る と 、 す ぐ 右 奥 に ① が あ り 、 左 奥 に が あ る 。 左 側 の ② の 先 に 商 工 会 議 観 音 寺 五 郎 丸 屋 所 前 交 差 点 が あ り 、 こ こ を 右 へ 曲 が る が 、 こ の 辺 り は 高 札 場 で 里 程 元 標 が あ っ た と い う が 何 も 見 当 た ら な い 。 こ こ を 左 折 す れ ば 高 台 に 市総合会館があるが、ここは昔の 奉行所があった所だという。 商 工 会 議 所 前 交 差 点 を 右 へ 曲 が る と 、 右 側 の ③ に は 明 治 天 道 林 寺 皇 石 動 行 在 所 と あ る 。 そ の す ぐ 先 の 中 央 町 交 差 点 は 新 富 町 交 差 点 と も な っ て い て 、 こ れ を 越 え る 。 左 側 の に は 鎌 倉 時 代 初 期 の 作 聖 泉 寺 で 県 重 要 文 化 財 の 木 造 阿 弥 陀 如 来 立 像 が あ り 、 そ こ か ら 数 百 メ ー ト ルは何もなく、左側の ④の前を通る。 比売神社 〇 そ の 後 も し ば ら く 何 も な く 進 む と 、 左 側 に が あ り 、 右 奥 に 安 立 寺 ⑤ を 見 て 小 矢 部 川 を で 渡 る が 、 渡 る と き の 道 の 出 口 仁 真 寺 小 矢 部 橋

(13)

折 右 所 で 在 辻 行 つ 動 四 石 の 皇 屋 天 丸 治 郎 明 五 は の 寺 側 林 左 道

(14)

。 と渡り終えたときの道の入口は今の 橋の位置と大差ないようである 渡 っ て か ら も 民 家 が 並 ぶ 中 で 、 右 側 に 南 無 阿 弥 陀 仏 の 題 目 碑 と 御 堂 が あ る 。 右 手 に 田 ん ぼ が 広 が り 、 そ こ に も 題 目 碑 が あ っ て 、 左 手 に ⑥が見える。 日枝神社 右 側 に ⑦ と あ り 、 左 側 の 地 蔵 堂 に は 寿 永 二 年 ︵ 一 皇 大 神 宮 奉 齋 所 一 八 三 ︶ の 源 義 仲 の 歴 史 が 刻 ま れ た が 立 っ て い る 。 そ の 先 の 芹 石 柱 川西交差点で県道四二号線を渡る。 小 川 を 渡 る と 、 右 側 に 入 口 の 雪 除 け が 合 掌 の 形 で 面 白 い ⑧ 清 月 寺 が あ り 、 前 方 の 県 道 九 号 線 を く ぐ る 。 右 手 を J R が 走 り 抜 け 、 J R と 最 接 近 し て か ら 離 れ て い く と 国 道 八 号 線 を く ぐ る 。 百 メ ー ト ル ほ ど 先 左 側 に ⑨ と 地 蔵 堂 が あ り 、 す ぐ 左 側 に モ ダ ン な 荒 芹 川 一 里 塚 跡 川公民館があって、右側にJAがある。 川 に 接 し た ら 、 す ぐ 橋 を 渡 っ て 左 へ 曲 が り 、 川 に 並 行 し て 進 ん で 国 道 を 渡 る 。 四 ー 五 百 メ ー ト ル 先 左 側 に ⑩ と 桜 の 老 木 と 勅 使 桜 の 碑 御 堂 が あ り 、 そ の 五 十 メ ー ト ル ほ ど 先 に が あ っ て 、 大 岡 神 社 の 石 柱

(15)

跡 塚 碑 里 の 一 桜 川 使 芹 勅

(16)

その参道をはさんで桜二本がある。その後も黒石川沿いに進む。 実 性 寺 右 に 岡 公 民 館 が あ り 、 隣 に 南 無 阿 弥 陀 仏 の 題 目 碑 と 左 奥 に が あ る 。 そ の す ぐ 左 側 に ⑪ が あ っ て 、 こ こ に は 小 さ な 松 往 還 の 松 跡 が復活を願っているように感じられる。 往 還 の 松 跡 の 往 還 と は 、 特 に 江 戸 時 代 の 官 道 を 示 す 言 葉 で 江 戸 時 代 の 初 め 頃 、 幕 府 の 命 に よ り 全 国 の 道 路 網 と と も に 並 木 が 整 備 さ れ た ﹁ 加 賀 藩 民 事 誌 ﹂ に は ﹁ 慶 長 六 年 ︵ 一 六 〇 一 ︶ 令 ニ テ 松 ヲ 往 還 。 ニ 植 エ シ ム ﹂ と あ り 、 北 国 街 道 沿 い に 松 並 木 が 植 栽 さ れ た こ と が 分 かる。現在この跡には後継の松が植栽されている。 小 矢 部 市 か ら 福 岡 町 に 入 る 。 百 メ ー ト ル ほ ど 先 左 側 に 南 無 阿 弥 陀 仏 の 題 目 碑 が あ り 、 右 側 に 大 慈 教 団 北 陸 支 部 が あ る 。 右 手 に 国 道 が 最接近して、また離れて行く。 左 手 の ハ リ タ 金 属 か ら 大 き な ダ ン プ カ ー が 次 々 に 出 て く る が 、 こ こ は 松 下 ・ 東 芝 グ ル ー プ 再 生 工 場 と あ る 。 そ の 先 左 手 に は 福 岡 中 学 校 が 見 え て 、 右 奥 に は ⑫ が あ り 、 荒 屋 敷 交 差 点 の 左 角 に は 御 神 明 社

(17)
(18)

堂がある。 右 へ カ ー ブ し て T 字 路 が 現 れ る 手 前 右 側 に も 題 目 碑 が あ り 、 そ の 健 康 福 祉 セ ン T 字 路 の 右 角 に 高 岡 市 福 岡 庁 舎 が あ っ て 、 す ぐ 先 に は がある。 ター 、 。 橋上町交差点で県道四八号線を渡り すぐ岸渡川を で渡る 福岡橋 が ん ど そ の 右 角 の 地 蔵 堂 は つ く り も ん 祭 の た め 野 菜 で 飾 ら れ て い る 。 中 央 通交差点を渡るが、ここを右折すれば北陸本線福岡駅である。 〇 旧 道 の す ぐ 右 側 に 、 参 勤 交 代 の と き 御 小 休 の 本 陣 に あ て ら れ た と い う が あ り 、 趣 の あ る 家 並 の 道 を 進 む と 左 側 に 島 田 邸 跡 と あ 長 安 寺 八 っ て 、 右 側 に 福 岡 郵 便 局 が あ る 。 そ の 五 十 メ ー ト ル ほ ど 先 左 側 に が あ り 、 す ぐ 右 側 に 福 岡 公 民 館 が あ っ て 旭 町 交 差 点 を 渡 る 。 幡 神 社 蓑 川 を 四 十 万 橋 で 渡 る と 、 右 側 に 富 士 コ ン が あ り 、 県 道 を 渡 る と 左 側 に 御 堂 が あ る 。 荒 又 川 を で 渡 り 、 百 五 十 メ ー ト ル ほ ど 新 荒 又 橋 先 右 側 に ⑬ が あ り 、 そ の 先 に は が あ る 。 旧 北 陸 道 の 往 還 松 跡 琴 平 宮

(19)

旧 北 陸 道 の 往 還 松 の う ち 、 こ こ の 町 内 に あ っ た 最 後 の 一 本 も 立 ち 枯 れ て 平 成 十 五 年 に 伐 採 さ れ た が 、 史 実 に 基 づ き 新 た な 松 を 育 て る ことで、次世代にこの景色 を伝えていきたいという。 右 角 に 集 め た 祠 や 御 堂 や 題 目 碑 は う ら ぶ れ て い て 、 ホ テ ル ロ マ ン に 入 る 道 の 右 角 に 年 豊 人 楽 の 大 き な 記 念 碑 が あ り 、 そ の 斜 め 向 か い に がある。 六地蔵 左 側 に 南 無 阿 弥 陀 仏 の 題 目 碑 と 地 蔵 堂 が あ り 、 そ の 百 メ ー ト ル ほ ど 先 で 宝 来 町 交 差 点 を 渡 っ て を く ぐ り 、 国 道 八 号 線 と 能 越 自 動 車 道 ほぼ並行して進む。 立 野 公 民 館 の 前 に 忠 霊 塔 が あ り 、 こ こ の 松 は ⑭ だ と あ る 。 往 還 松 往 還 の 松 は 道 行 く 人 々 に 木 陰 を 与 え 、 冬 の 深 雪 に は 吹 雪 で 道 を 踏 み 誤 ら せ る こ と も な く 道 中 の 助 け に な り 、 植 樹 の 方 法 は 二 間 に 一 株 の 割 合 で 、 道 路 の 清 掃 や 修 理 な ど の 管 理 に 道 番 人 が 置 か れ た と あ る 。 集 落 に 入 る と 左 側 に 御 堂 が あ り 、 右 側 に が あ っ て 、 そ の 百 雲 照 寺 メートルほど先左側に がある。 西念寺

(20)

堂 蔵 地 た 松 れ の ら 還 飾 往 で の 祭 前 ん 館 も 民 り 公 く 野 つ 立

(21)
(22)

中 川 を で 渡 る と 御 堂 が あ り 、 す ぐ 左 側 に が あ っ 立 野 中 央 橋 永 念 寺 て 、 左 側 に 明 治 天 皇 立 野 御 小 休 所 と あ る の は ⑮ で あ る 。 右 側 長 久 寺 に 御 堂 が あ り 、 そ の 七 十 メ ー ト ル ほ ど 先 の 立 野 八 軒 町 交 差 点 を 渡 る が、ここを左折すれば北陸本線西高岡駅である。 〇 右 側 に 御 堂 が あ り 、 左 側 に 五 位 中 学 校 は 左 と い う 看 板 の 隣 に 題 目 碑 が 三 つ あ る 。 樋 詰 交 差 点 を 渡 っ て 左 へ カ ー ブ し て か ら 真 っ 直 ぐ 進 む 。 更 に 交 差 点 を 渡 り 、 蛇 行 し て 途 中 に 御 堂 や 題 目 碑 を 見 て 進 む 。 その先は田んぼと工場以外に見るものはない。 八 塚 金 属 の 先 で 左 側 に 地 蔵 堂 を 見 て 、 六 家 北 交 差 点 を 渡 り 、 川 沿 い に 進 む 。 す ぐ 先 の を 渡 る と 右 側 の 用 水 路 上 に 御 堂 が あ る 。 三 枚 橋 上 北 島 交 差 点 を 渡 り 、 し ば ら く 行 く と 左 側 に ⑯ が あ っ て 、 善 宗 寺 更 に が あ り 、 そ の 百 メ ー ト ル ほ ど 先 右 側 に が あ る 。 そ 神 明 宮 西 光 寺 の後も特に見るものはない。 左 手 に 国 道 八 号 線 が 最 接 近 す る と 右 側 に 羽 広 公 民 館 が あ り 、 羽 広

(23)

天 満 宮 町 東 交 差 点 を 越 え る 。 右 側 の 御 堂 の 百 メ ー ト ル ほ ど 先 左 側 に ⑰と御堂と地蔵尊の大石がある。 そ の 百 メ ー ト ル ほ ど 先 の 交 差 点 を 越 え る と 左 側 に が あ る 。 長 楽 寺 この辺りは横田町二丁目で右側の は醤油業らしい。 山元醸造 ⑱ が あ る 有 磯 神 社 前 交 差 点 で 右 へ 曲 が り 、 左 側 に 横 有 磯 正 八 幡 宮 あ り そ 田 郵 便 局 を 見 て 千 保 川 を で 渡 る 。 中 島 町 交 差 点 を 越 え て 、 右 横 田 橋 せ ん ぼ へ少しカーブするが、その右角に がある。 川巴良諏訪神社 か わ ら 〇 こ こ か ら 旅 籠 町 に な り 、 百 五 十 メ ー ト ル ほ ど 先 で 左 へ 曲 が る が 、 この角の和田屋酒店が目印である。 通 町 に 入 り 二 百 メ ー ト ル ほ ど 先 の 四 つ 辻 を 右 へ 曲 が る と き 、 こ の 左 角 に 享 徳 三 年 ︵ 一 四 五 四 ︶ 創 建 の ⑲ が あ り 、 そ の 門 前 の 大 大 法 寺 きな里程標には大門まで一里三町・福岡まで二里十町とある。 こ こ の 道 路 を へ だ て た 所 に 高 峰 公 園 が あ る が 、 こ こ は タ カ ジ ャ ス タ ー ゼ や ア ド レ ナ リ ン を 発 明 ・ 発 見 し た 高 峰 譲 吉 の 生 誕 地 で あ る 。

(24)

標 宮 程 幡 里 八 と 正 寺 磯 法 有 大

(25)

、 大法寺の四つ辻で右へ曲がると福岡 市勤労者青少年ホームがあり 高 岡 郵 便 局 が あ っ て 左 へ 曲 が る 。 右 側 に 中 村 漆 器 店 と 隣 に モ ダ ン な 、 。 富山銀行があり そのすぐ先右側に ⑳がある 山町筋についての掲示 山 町 筋 は 、 慶 長 十 四 年 ︵ 一 六 〇 九 ︶ 加 賀 藩 第 二 代 藩 主 前 田 利 長 が 高 田 城 を 築 城 し た こ と に 伴 っ て 開 か れ た 町 で 、 利 長 は 現 在 の 市 街 地 中 心 部 の 南 北 に 延 び る 段 丘 上 に 城 と 武 家 屋 敷 を 配 置 し 、 そ の 西 側 の 下 位 段 丘 を 碁 盤 目 の よ う に 区 画 し て 近 隣 の 城 下 町 か ら 町 人 を 招 き 、 町人町を作ったのが山町の始まりである。 〇 次 の 木 舟 町 交 差 点 で 旧 道 は 直 進 す る が 、 右 折 す れ ば 派 手 な 市 電 を 見 な が ら ア ー ケ ー ド の 商 店 街 を 通 っ て 、 北 陸 本 線 高 岡 駅 に 突 き 当 た る。この広場には大伴家持の像が立っている。 やか もち 大 伴 家 持 は 万 葉 集 の 代 表 的 歌 人 で 、 天 平 十 八 年 ︵ 七 四 六 ︶ か ら 天 平 勝 宝 三 年 ︵ 七 五 一 ︶ ま で 越 中 国 守 と し て 、 富 岡 市 伏 木 古 国 府 に 在 任し、越中を中心とした豊かな国土を興した。

(26)
(27)

高 岡 か ら 小 杉 へ 木 舟 町 交 差 点 の 手 前 に は 山 町 筋 は 土 蔵 造 り の 家 並 み と あ る が 、 確 菅 か に 歩 き 出 す と 所 々 に 趣 の あ る 建 物 が あ り 、 左 側 に 重 要 文 化 財 の ①や右側には ②がある。 野家住宅 土蔵造りのまち資料館 明 治 三 十 三 年 ︵ 一 九 〇 〇 ︶ 高 岡 に 大 火 が お き て 市 街 地 の 約 六 割 が 焼 失 し た が 、 そ の 前 年 に 山 町 筋 な ど の 繁 華 街 は 防 火 構 造 の 建 築 物 と す る こ と が 義 務 付 け ら れ た た め 、 当 時 の 防 火 建 造 物 で あ る 土 蔵 造 り のものが建築された。 菅 野 家 住 宅 は 明 治 三 十 五 年 ︵ 一 九 〇 二 ︶ の 建 築 で 、 こ の 地 域 で も 有 数 の 規 模 を 誇 る 土 蔵 造 り の 家 で あ る 。 黒 漆 喰 造 り の 壁 や 二 階 に 設 けられた観音扉の土扉や両袖の防火壁などは重厚である。 交 差 点 を 越 え 、 次 の 交 差 点 で 右 へ 曲 が っ て ア ー ケ ー ド の 坂 下 町 通 り を 進 む 。 左 奥 に ③ が あ り 、 点 滅 信 号 を 過 ぎ て 市 電 が 通 る 坂 極 楽 寺 下町交差点を渡ると、前方に高岡大仏が見えてくる。

(28)

る 館 走 料 が 資 電 ち 市 ま な の 手 り 派 造 は 蔵 岡 土 高

(29)

高 左 奥 に 見 え る の は 西 方 寺 だ ろ う か 、 寺 名 が な い 。 次 の 交 差 点 の 、 。 岡大仏 ④を目の前にして左へ曲がり 更に次の交差点で右へ曲がる 高 岡 大 仏 は 高 さ 十 六 メ ー ト ル 弱 で 、 二 度 の 火 災 で 焼 失 し て 昭 和 八 年に再建し、鋳銅仏に生まれ変わっている。 交 差 点 で 右 へ 曲 が ら ず 直 進 す れ ば 、 の 赤 い 欄 干 の 橋 古 城 公 園 入 口 に 出 る 。 ま た 橋 ま で 行 く 手 前 で 右 折 す れ ば 左 側 に ⑤ が あ り 、 大 手 口 城址の説明や高山右近の像や説明の掲示がある。 高 岡 城 は 加 賀 藩 二 代 藩 主 前 田 利 長 が 築 い た も の で 、 街 造 り の 設 計 は キ リ シ タ ン 大 名 の 高 山 右 近 が 行 い 、 約 半 年 後 の 慶 長 十 四 年 ︵ 一 六 〇九︶九月に入城した。 〇 元 に 戻 っ て 交 差 点 を 右 へ 曲 が っ た 旧 道 は 真 っ 直 ぐ な 道 で 、 左 側 に 大 和 町 郵 便 局 が あ り 、 左 側 の 石 垣 は 廃 寺 だ ろ う か 。 右 側 に ⑥ 神 明 社 があり、定塚町交差点を越える。 前 方 の 二 股 の 角 に が あ り 、 左 側 の の す ぐ 大 岩 山 不 動 明 王 定 塚 神 社

(30)

口 入 仏 園 大 公 岡 城 高 古

(31)

先 に 定 塚 小 交 差 点 が あ っ て 、 氷 見 線 を で 渡 る 。 左 奥 に 高 陵 定 塚 踏 切 中 学 校 が あ り 、 右 手 に サ テ ィ の 大 き な 建 物 が 見 え る 。 間 も な く 右 手 に北陸本線が接近してきて で渡る。 大野踏切 右 側 に 御 堂 が あ り 、 す ぐ 高 架 橋 を く ぐ る 。 交 差 点 を 横 切 る と 左 手 。 、 の車が多い県道に並行している 川を渡る手前右側にも御堂があり 高 岡 渡 っ て 五 ー 六 十 メ ー ト ル ほ ど 先 右 側 に も 御 堂 が あ っ て 、 左 奥 の ⑦からタクシーが出てくる。 交通 そ の 後 は 特 に 見 る も の も な く 蓮 花 寺 西 部 交 差 点 を 渡 る と 、 す ぐ 右 側 に 立 派 な 外 塀 の 家 が あ っ て 御 堂 が あ る 。 右 側 に 消 防 団 が あ り 、 左 井 口 神 社 へ 少 し カ ー ブ す る と 蓮 花 寺 簡 易 郵 便 局 が あ る 。 更 に 右 側 に 、 。 と源頼朝祈願所の ⑧があり 北陸三十三番の二十五番がある 蓮華寺 井 口 神 社 は 元 若 宮 八 幡 宮 と 称 し て 、 ご 神 体 は 石 仏 の 大 日 如 来 坐 像 で、室町期かそれ以前の特色をもつ寄木彩色の狛犬などがある。 蓮 華 寺 は 、 寛 喜 三 年 ︵ 一 二 三 一 ︶ の 創 建 で 、 若 宮 八 幡 宮 の 別 当 寺 だ っ た と い う 伝 承 が あ る 。 本 尊 の 十 一 面 観 音 は 藤 原 時 代 の 木 仏 で 県

(32)

指定文化財のほか文化財が幾つもある。 右 奥 に が あ り 、 右 側 に 恵 比 須 宮 と 南 無 阿 弥 陀 仏 の 題 目 碑 を 明 徳 寺 見 て 、 小 川 を 渡 る と の 土 手 に 出 る 。 本 来 は こ こ か ら 真 っ 直 ぐ 川 庄 川 を 渡 り 、 前 方 の 土 手 か ら 街 中 へ 出 た よ う だ が 、 今 は 右 手 の 大 門 大 橋 で庄川を渡る。 渡 っ て 向 こ う 岸 の 同 じ 位 置 ま で 行 く と 、 川 か ら 石 段 が 上 っ て き て 大 門 神 社 常 盤 土 手 か ら 下 る 石 段 が あ り 、 右 側 に ⑨ が あ っ て 和 田 川 を で渡る。すると旧道らしい趣のある道筋が始まる。 橋 す ぐ 左 奥 に ⑩ が あ り 、 百 五 十 メ ー ト ル ほ ど 先 右 側 に 明 治 天 浄 国 寺 皇 の 駐 ⑪ や J A が あ る 。 こ こ に は 商 店 が 点 輦所にな っ たという 誓 光 寺 在 し て い る も の の 静 か な た た ず ま い で 、 左 側 に 街 か ど ふ れ あ い 館 の があり、田町交差点を越える。 いっぷくや茶 左 側 に 田 町 公 民 館 が あ り 、 左 側 の ⑫ の 前 を 通 っ て 直 進 す れ 法 雷 寺 ば、左奥に北陸本線越中大門駅がある。 〇

(33)

社 館 神 い 門 あ 大 れ た ふ 見 ど ら か か 街 橋 の 盤 門 常 大

(34)

た だ し 法 雷 寺 ま で 行 く 約 百 メ ー ト ル ほ ど 手 前 に 二 股 が あ り 、 こ こ か ら 右 斜 め に 進 む の が 旧 道 で 、 御 堂 へ 突 き 当 た る よ う に 左 へ カ ー ブ する。三股は車が多い県道へ出 ないように左へカーブする。 左 側 の 公 園 の 脇 を 進 み 、 右 角 に 大 き な 掲 示 板 と 向 か い 側 に ミ ラ ー が あ る 所 で 旧 道 は 直 進 す る が 、 右 折 す れ ば 右 側 に モ ダ ン な ふ れ あ い 館があり、向かい側に ⑬がある。 少彦名社 旧 道 の 方 を 進 む と 、 右 側 に 大 島 村 と 大 島 町 と 二 つ の 石 碑 が あ り 、 。 、 この地の合併の変遷が記してある その先で右から来る道と合流し 更に左からJR沿いに来る道と合流してJRを で渡る。 野田踏切 左 側 に は ⑭ が あ り 、 そ の 向 こ う に 大 島 町 役 場 が 第 一 自 動 車 教 習 所 見 え る 。 大 島 小 前 交 差 点 で 車 が 多 い 県 道 に 合 流 し て 右 へ 進 む が 、 そ の向かい角に大島小学校がある。 赤 井 の 地 に 入 り 、 や が て 赤 井 口 交 差 点 に 達 す る 。 新 開 発 の 地 に 入 り 、 左 側 に ⑮ が あ り 、 右 側 の キ ャ タ ビ ラ ー 健 康 ラ ン ド 遊 遊 と ホ テ ル 、 。 中日本とヨシダの辺りから 右斜めに入る道を探すが見つからない

(35)
(36)

従 っ て ヨ シ ダ の 敷 地 が 切 れ た 所 で 右 へ 曲 が る と 、 百 メ ー ト ル ほ ど 先 か ら 左 へ カ ー ブ す る 道 が あ る か ら 、 こ こ ま で の 旧 道 は 工 場 で 消 え たことになる。 左 側 に 御 堂 が あ り 、 そ の 先 の T 字 路 で 右 へ 曲 が る が 、 左 折 す れ ば 熊 野 神 社 の 石 新 開 発 簡 易 郵 便 局 が あ る 。 右 へ 曲 が っ た 旧 道 は 右 側 に ⑯ が あ り 、 そ の 手 前 で 左 へ 曲 が る と 、 す ぐ 左 側 の 消 防 団 が 柱 と 御 堂 あ る 奥 に 力 く ら べ に 用 い る 盤 持 石 が あ る 。 そ の 百 メ ー ト ル ほ ど 先 右 側に南無妙法蓮華経の ⑰がある。 題目碑と笑良医の塚 〇 そ の す ぐ 先 で 昔 か ら の 集 落 は 終 わ っ て 突 き 当 た る が 、 多 分 こ の 先 は 田 畑 の 中 の 道 だ っ た の だ ろ う 。 今 も 分 譲 住 宅 地 と し て 新 築 さ れ た 、 。 家と売れ残った土地が並んでいて 道筋は昔のままかは疑問である 当 時 の 道 と 一 番 近 い 道 は 、 昔 の 集 落 が 終 わ っ て 突 き 当 た っ た ら 左 折 し て 、 次 の 辻 で 右 折 し て 真 っ 直 ぐ 進 み 、 左 側 に 公 園 を 見 て か ら 、 五 差 路 で は 左 か ら 二 本 目 の 道 を 進 む 。 す る と 新 高 津 清 掃 と い う 会 社

(37)

で斜めに県道と合流する。 コ ン ビ ニ と コ ス モ G S の 前 の 交 差 点 を 越 え て 高 架 橋 を く ぐ る 。 本 開 発 交 差 点 で 右 か ら 来 る 県 道 二 三 六 号 線 が 合 流 し て く る が 、 こ こ か ら 旧 道 は 左 斜 め に 入 っ た は ず で あ る 。 た だ し 今 そ の 道 は の 小 杉 高 校 中に消えている。 そ こ で 小 杉 高 校 の 先 で 左 へ 曲 が り 、 左 側 に 水 源 町 公 民 館 の 前 を 通 っ て 次 の 辻 で 右 へ 曲 が る と 、 旧 道 ら し い 家 並 み が 現 れ る 。 左 側 の 石 題 目 仏 と 石 碑 は 読 め な い が 、 一 軒 お い て 右 側 に も 南 無 妙 法 蓮 華 経 の ⑱がある。 碑と地蔵堂と塚 小 川 を 渡 っ て 、 車 が 多 い 道 を 越 え る と 静 か な 家 並 み で 、 ま た 小 川 を 渡 る 。 右 側 に 宿 場 の 面 影 を 伝 え る ⑲ や 向 か い に 表 具 師 赤 壁 屋 酒 店 店があり、右側の ⑳には庚申講始二百周年記念碑がある。 眞福寺 次 の 本 中 町 交 差 点 で 右 折 す れ ば 北 陸 本 線 小 杉 駅 で あ る 。 今 回 の 歩 く 距 離 は 少 し 短 い の だ が 、 こ の 先 は 適 当 な 所 に 宿 舎 も 最 寄 り 駅 も な いから、ここで区切ることにする。

(38)

塚 の 医 良 笑 店 と 酒 碑 屋 目 壁 題 赤

(39)
(40)

小 杉 か ら 東 岩 瀬 へ 本 中 町 交 差 点 を 過 ぎ る と 、 左 側 に は 小 杉 三 ケ 郵 便 局 が あ り 、 す ぐ 左 奥 に は ① が あ る 。 今 日 は ﹁ 旧 北 陸 道 ア ー ト ・ イ ン 小 杉 ﹂ が 西 土 寺 開催されるとかで、ポスターや標識が立っている。 右 側 の 相 益 社 談 発 刊 之 地 に は 開 智 社 之 跡 と あ る 。 そ の 隣 に は 永 森 家 具 店 が 目 を 引 く 。 右 奥 に ② が あ る 敷 地 が 本 陣 跡 で 、 社 会 福 祉 会 館 こ こ を 右 へ 入 れ ば 左 側 の と の 間 に 、 藤 井 右 門 直 明 先 生 御 廟 所 日 澄 寺 と明治天皇小杉御小休所の石碑が立っている。 藤 井 右 門 は 享 保 五 年 ︵ 一 七 二 〇 ︶ 小 杉 に 生 ま れ た が 、 父 又 左 衛 門 は 赤 穂 の 浪 士 で あ る 。 後 に 竹 内 式 部 の 門 に 入 り 、 京 都 の 公 家 の 藤 井 忠 義 の 養 子 に な り 、 勤 皇 思 想 を 説 い た た め 幕 府 か ら 追 わ れ る 身 と な り、宝暦・明和事件で捕らえられ処刑された。 〇 に突き当たって右へ曲 下 条 川 久 証 寺 ま で 行 く 手 前 で 左 へ 曲 が り 、 ③

(41)

がる。左奥に を 見 て か ら下条川を で 渡ると、右角に片口 十社大神 鷹寺橋 安太郎翁寿像と加茂社の 石柱があ る 。 すぐ右側に 結 城酒店と左側に 味 噌醤油醸造の は天保元年(一八三〇)の創業で あ る 。 す ぐ隣に 片 口 屋 ④ はモダンな 小 杉郵便局の建物が残っ ている。 そ の 先の二股は左へ進むが、ここからは小さな 御堂を 含めて幾つも 出て くる。右奥に があ り、 そ の 先に も 大 小の地蔵堂が出てくる 。 右か 西 蓮 寺 ら来る道と合流する少し手前に 墓石ほか題目碑な ど六基が立っている。 そ の 百五十メート ルほど先左角に が あり、右角に手崎簡易郵 加茂社 ⑤ 便局があり、左向か い角に左いわせ・ 右とやまという が あ る が、 そ 道 標 ⑥ の上部は折れているのだろうか。 この道標で左へ曲がり 加茂社沿いに 進 むと、すぐ左側の小さな 御 堂の 奥に と左側に加茂社があって、すぐ左側に墓地がある。旧道は真 不 捨 院 っ直ぐな道で手崎交差点を 渡り 、 や がて 点滅信号から 右へカーブし て 、 す ぐ先の鷲塚北交差点を渡る寸前の右手に が あ る。 加茂社 ⑦ 交差点を渡ると二股で左へ進み、両側に田んぼが多い所を過ぎると左

(42)

屋 口 片 の 造 醸 店 油 酒 醤 城 噌 結 味

(43)

側に北陸宇部コンクリートがあ る。国道八号線を 小白石交差点で渡る と、 左側に 地 蔵堂があ っ て 集 落が始ま り、 左側に が あ る 。 加茂神社 ⑧ 〇 左側の小さな地蔵 堂 を見て、百メート ルほど先の新堀川を で渡 白石橋 る。渡り終えると左側に地蔵堂と石碑があ り 、白石の地に 入る。 左側の があり、そ の すぐ先から車道と歩道の間を疎水 越 国 二 十 二 番 観 音 霊 場 が流れる。 所々に御堂があ り、左側に加茂社と隣の奥に が あ る が、す 阿弥陀院 ⑨ ぐ先右側の家も 立 派であ る 。 家 並み は約四百メートル続いて、 ほと んどが 新し い家ばかりだ が、なかなか感じが良い 家並みである。 白石 の地から小杉の地に入る。右側に が あるが、ここに 眞 野 外 次 郎 碑 は馬耕調馬師とあ り 、門人の名が記されて いて、 そ の横に は 馬頭観音が ある。両側は田んぼで開け、新鍛冶川を で渡る。 下村大橋 射水市加茂の地に入る。左側にJAが あ り、本堂橋を 渡って 二 車線の 細い道になる。すぐ右側に があり、左側に の 石柱があ 海 翁 寺 加 茂 神 社 ⑩

(44)
(45)

る。 右側の 忠魂碑があ る角に は 名取嘉助の碑があり 、そ の先は道も 広 く なる。 すぐ左側に の寺号石があり、駐在所があって下村小学校があ 福王寺 ⑪ る。この先にも立派な御堂が二つあり 、 右角に が ある。そ の百メー 正覚寺 トルほど先右側に下村郵便局が あり、更に右側にも 石 碑や石仏や御堂 がかたまって い て、 右側に J Aを 見て 田畑の中の道に な る 。 県道四一号線との加茂交差点を渡り、 を 渡る 。 才川条蔵の石 加 茂 橋 碑がある二股は右へ行くが、左へ行けば山屋・三箇の地である。次の四つ 辻でも直進すると、県道二〇四号線となってい て 集落が現れる。 そのまま進むと本江道番バス 停 がある四つ 辻 で、 右角に が ある 諏 訪 社 所で右へ曲がるが、こ こに してある。 道番の道標と説明が掲示 ⑫ 道番の道標がある 岩瀬 ・小杉の 街 道は 参勤 交 代 が 通 った 重要 な道 路 で、 藩 は 承応 三年 (一六 五 四 )か ら道 路工事 を始 め、 完成後 の 寛文 五年 (一 六六五 )には道 路管理 のため道番を 置 いた 。ここの 道標がある 場 所は かつて道番人の屋 敷跡 で 富 山 藩 、加 賀藩 の 領境 の 史跡 である。

(46)

並 標 家 道 の の 石 番 白 道

(47)

〇 県 道 三 二 二 号 線 に な っ て い て 富 山 市 に 入 る 。 前 方 に 見 え る 山 並 み は 立 山 連 峰 だ ろ う 。 何 し ろ こ の 間 も 田 園 の 中 の 道 で 、 前 方 の 山 並 み ぐらいしか見るものがない。 途 中 か ら 県 道 二 〇 五 号 線 に 変 わ り 、 県 道 二 〇 七 号 線 を 横 断 す る 。 二 百 メ ー ト ル ほ ど 先 の 最 初 の 橋 で な く 、 す ぐ 次 の 橋 で 左 へ 曲 が っ て 渡 る 。 和 合 保 育 園 の 前 を 通 る と 地 蔵 堂 が あ り 、 左 へ カ ー ブ し て 県 道 二〇七号線と合流して右へ曲がる。 右 に 消 防 団 が あ る 向 か い 右 奥 に ⑬ が あ り 、 次 の 四 つ 辻 を 右 長 専 寺 へ 曲 が る 。 す ぐ 左 側 に 布 目 公 民 館 が あ り 、 和 合 シ ョ ッ ピ ン グ の 同 じ 建物に布目簡易郵便局がある。 交 差 点 を 越 え て 更 に 進 む 。 地 蔵 堂 の 隣 の 八 幡 小 学 校 の 前 を 通 り 、 突 き 当 た っ て 左 へ 曲 が る と 八 幡 交 差 点 で 県 道 七 号 線 に 合 流 す る が 、 左側に大きな鳥居の ⑭があって次の辻を右へ曲がる。 護国八幡宮 金 山 新 北 交 差 点 を 渡 り 、 所 々 に 御 堂 は あ る も の の 特 に 見 る も の は

(48)

道 旧 む 望 を 峰 連 社 山 神 立 幡 に 八 方 国 前 護

(49)

な く た ん た ん と 歩 く 。 交 差 点 を 渡 る と 左 手 に 保 育 園 が 見 ら れ 、 や が て の 土 手 に 出 る 。 昔 は こ こ か ら 渡 河 し た よ う だ が 、 今 は 左 手 神 通 川 の萩浦橋で渡らざるを得ない。 そ の 先 は 千 原 崎 西 交 差 点 を 過 ぎ る と 、 右 側 に ミ サ ワ ホ ー ム 富 山 工 場 が あ り 、 左 側 に 昭 和 タ イ タ ニ ウ ム が あ る か ら 旧 道 は 消 え た の で あ る。そこで千原崎交差点で左へ曲がる。 次 の 岩 瀬 西 交 差 点 は 二 股 で 、 こ の 右 側 に 富 山 ラ イ ト レ ー ル 大 広 田 駅 が あ る 。 ラ イ ト レ ー ル は 富 山 駅 か ら 岩 瀬 浜 駅 ま で 運 行 し て い る 。 〇 右 側 に 大 広 田 駅 を 見 る と 二 股 が あ っ て 左 へ 進 み 、 す ぐ 四 つ 辻 で 右 斜 め に 進 む 道 が 旧 道 で 、 こ の 反 対 の 方 向 を 覗 く と 百 メ ー ト ル ほ ど 先 、 。 で工場の塀に突き当たっているから ここで旧道が消えたのだろう 、 、 旧道にはそれらしい民家が並び 途中の右奥に があり 幸町不動尊 す ぐ 左 側 に 新 町 区 民 館 が あ る 。 突 き 当 た っ て 右 へ 曲 が る と 最 初 に 左 折 す る 道 が 本 街 道 で 、 そ の 先 の 突 き 当 た り の ⑮ が あ る 手 前 を 忠 魂 碑

(50)

左折する道が元禄以前の古街道である。 御 蔵 跡 の 掲 示 桝 田 酒 造 古 街 道 を 進 む と 右 側 に ⑯ が あ り 、 そ の 先 に があって、突き当たって左折すると本街道に出る。 店の工場 こ こ 東 岩 瀬 は 加 賀 領 新 川 米 の 積 出 港 と し て 栄 え 、 港 に 藩 の 米 蔵 が 、 。 並び 蔵米は海路で大坂に運ばれ金銭 に換え藩の費用にあてられた 御 蔵 と は 藩 用 の 年 貢 米 を 納 め る 米 蔵 の こ と で 、 藩 士 の 知 行 米 を 納 め るのを給人蔵と呼んで、町人の有力者に管理させた。 古 街 道 よ り 一 本 手 前 を 左 へ 曲 が る 本 街 道 に は 、 建 て 直 し た 建 物 が 多 い も の の 、 宿 場 の 家 並 み を 残 そ う と い う 意 図 が 感 じ ら れ 素 晴 ら し いものである。 右 側 に 桝 田 酒 造 店 が あ り 、 左 側 に 銀 行 ら し か ら ぬ 建 物 の 北 陸 銀 行 や 手 吹 き 硝 子 や 国 指 定 重 要 文 化 財 の ⑰ な ど は 新 北 前 船 回 船 問 屋 森 家 しい建物ながら趣がある。 こ の 森 家 は 四 十 物 屋 仙 右 衛 門 と い い 、 文 政 ︵ 一 八 一 八 ー 二 九 ︶ 頃 よ り 北 前 船 で 栄 え た 東 岩 瀬 の 回 船 問 屋 の 様 式 を 残 し た 屋 敷 で あ る 。

(51)

家 森 屋 並 問 家 船 の 回 瀬 船 岩 前 東 北

(52)

特 徴 は 、 こ こ か ら 積 み 出 す 船 荷 の た め 玄 関 か ら 裏 の 船 着 き 場 ま で 土 間廊下が通じ、表から母屋・台所・土蔵と並んでいる。 右 側 の ど ら 焼 き 屋 は 大 塚 屋 製 菓 店 で 左 側 に が あ り 、 右 側 田 尻 酒 造 に 岩 瀬 郵 便 局 と 久 保 陶 器 店 が 並 び 、 向 か い 側 に 久 保 鍼 灸 店 が あ る 。 そ の 先 は 筋 違 い の 四 つ 辻 で 左 角 に ⑱ が あ る な ど 、 六 ー 七 百 野 村 商 店 メ ー ト ル の 中 に 趣 の あ る 家 が 並 ぶ 景 色 は 、 こ の 街 道 で も 屈 指 で 一 度 は歩かれることを推奨する。 突 き 当 た っ て 右 へ 曲 が る と ⑲ で 恵 比 寿 神 社 が 合 祀 さ れ て 諏 訪 神 社 い る 。 二 股 を 左 へ 進 ん で を 渡 り 、 左 角 に ⑳ を 見 て 右 へ 大 漁 橋 照 念 寺 曲 が る 。 更 に 右 側 に が あ り 、 す ぐ 岩 瀬 浜 駅 前 交 差 点 に 達 す 貞 昌 禅 寺 ると、目の前に富山ライトレール終点の岩瀬浜駅がある。 こ の ラ イ ト レ ー ル は 車 体 も き れ い で 、 騒 音 も 少 な く 、 待 ち 時 間 も 余り長く感じず、富山駅までの 所要時間も短くて便利である。

(53)
(54)

東 岩 瀬 か ら 魚 津 へ 岩 瀬 浜 駅 前 交 差 点 か ら 県 道 一 号 線 を 東 へ 進 む が 、 こ れ が 旧 浜 街 道 で あ り 北 陸 道 で 、 鎌 倉 初 期 に 源 義 経 一 行 が 越 後 国 直 江 津 へ た ど る 道 として登場している。 す ぐ 右 側 に 墓 地 が あ り 、 向 か い 側 の 公 園 に 記 念 碑 と ① が あ 天 満 宮 。 、 る その先の右側に東ソーグループ とアライドマテリアルが並んで 旧道の左右には大きな駐車場が現れる。 こ の 辺 り に 大 き な 松 が 点 在 し て い る の は 昔 の 松 の 名 残 だ ろ う か 。 左 手 に が あ り 、 右 奥 に 天 満 宮 が あ っ て 、 そ の 百 メ ー ト ル ホ テ ル 古 志 飛 び だ ん ご と く ま の 地 蔵 ほ ど 先 左 側 に 小 さ な 地 蔵 が あ る が 、 こ れ は ②とある。右側は三菱レイヨンの工場である。 左 側 の 松 林 の 中 は 墓 地 で 、 那 智 町 交 差 点 で 右 手 の 三 菱 レ イ ヨ ン は 終 わ る 。 こ の 辺 り ま で 松 並 木 が 僅 か に 残 っ て い て 、 左 奥 に 古 志 の 松 大 村 城 落 城 に ま つ 籟荘 という社 会福祉 の 施設 がある。 そ の すぐ左側に

(55)

がある。 わる精霊塚 ③ 戦 国 時 代 こ の 辺 り 大 村 の 地 に は 大 村 城 が 築 城 さ れ 、 松 並 木 の 本 街 道 は 百 間 馬 場 と 称 し て 、 将 兵 の 馬 術 の 訓 練 場 と し て 使 用 さ れ た 。 ま た 大 村 城 主 轡 田 豊 後 守 の 武 勇 を 伝 え る 伝 説 に 、 飛 び だ ん ご と く ま の 地蔵や精霊塚がある。 精霊 塚の百メート ル ほ ど先左側に御堂があ り 、 そ の 辺 りから左手 を 望 むと 海 と 松林 が見える。 左側の石 塀 の中にある 自然 石の塚は 楼 塚と 刻 ん であるのだろうか。 古志の松林の説 更に 松林 の中に 戦没者慰霊 碑が 数 基あるが、ここには がある。左側にコン ビニ があ り 、 す ぐ 田畑 新 町 交差点がある。 明の掲示 古志 の 松林 とは 、 岩瀬よ り 常願 寺川に 至 る約 一 里余 りの間 は 白 砂青 松 の 海岸 地 帯 で、多 幹性 の 黒松 の 老樹 が 枝 を 支 え道をはさんで両側に 並 び 、 風光明媚 な 越 中 舞子 と 称 されている 。 慶長 六 年 (一 六〇一 )加 賀藩 二 代藩主 前田 利長 が、 江 戸参勤 交 代 のた め 往復 した 浜街 道に 植樹 させ たものと 伝 えら れ て いる 。

(56)

塚 霊 精 碑 る 霊 わ 慰 つ に ま 林 に 松 城 の 落 間 城 の 村 と 大 海

(57)

〇 日 方 江 橋 を 渡 る と 浜 黒 崎 野 村 内 科 で 、 向 か い 側 に 県 立 富 山 学 園 が あ り 、 道 の 真 ん 中 に が あ っ て 浜 黒 崎 の 松 並 木 の 掲 示 が あ る 一 本 の 松 が 、 こ の 松 並 木 も 古 志 の 松 林 と 同 じ よ う に 利 長 に よ る も の で あ る 。 こ の 一 本 松 の 辺 り か ら 、 旧 道 は 今 の 県 道 一 号 線 よ り 少 し 海 側 に あ そ う け 塚 の 説 っ た よ う で あ る 。 そ の 先 で 左 側 の 松 林 の 中 に 天 神 社 と ④ が あ り 、 向 か い 側 に 御 堂 と 脇 に 戦 没 者 慰 霊 碑 が あ る が 、 明 の 掲 示 この辺りも旧道は天神社の北側を通ったらしい。 そ う け 塚 と は 、 天 正 六 年 ︵ 一 五 七 八 ︶ 上 杉 謙 信 が 大 村 城 を 攻 略 す る 際 、 城 の 内 外 を 望 見 す る た め 近 村 住 民 に ﹁ そ う け 一 杯 の 土 砂 を 持 ち 来 る 者 に は 銭 三 文 を 与 え ん ﹂ と 命 じ た と こ ろ 、 一 夜 の う ち に 大 丘 が築かれたという。三文塚とも呼ばれている。 そ の 後 は し ば ら く 何 も な く 、 前 方 に 立 山 な ど の 山 並 み が あ り 、 昨 日 初 冠 雪 が あ っ た と か で 確 か に 少 し 白 く な っ て い る 。 旧 道 は ビ ア 川 辺りで今の県道に合致したらしい。

(58)

右 側 の の 前 を 通 っ て 、 交 差 点 を 越 え る 。 そ こ 浜 黒 崎 浄 化 セ ン タ ー か ら 三 百 メ ー ト ル ほ ど 行 っ た 左 側 に 宝 田 安 平 君 碑 が あ る 。 そ の 五 十 メ ー ト ル ほ ど 先 に 消 防 団 と 駐 在 所 が あ り 、 右 側 に J A が あ る 。 浜 黒 崎 小 前 交 差 点 の 左 側 に 小 学 校 が あ り 、 そ こ か ら 百 メ ー ト ル ほ ど 先 左 側に小さな地蔵堂と二つの石仏がある。 左 側 の ⑤ は 石 塀 の 上 に た く さ ん の 石 仏 が 並 ん で い て 、 す ぐ 泉 福 寺 先 に は 県 指 定 天 然 記 念 物 の 浜 黒 崎 の 松 並 木 が ポ ツ ン と 残 っ て い る 。 諏 訪 川 を で 渡 る と 浜 黒 崎 交 差 点 で 、 五 十 メ ー ト ル ほ ど 先 右 側 諏 訪 橋 の歩道に天然記念物の浜黒崎の松並木がある。 右 側 に 御 堂 が あ る 所 で 右 側 の 歩 道 が な く な り 、 左 側 は 海 水 浴 場 と で あ る 。 キ ャ ン プ 場 か ら 三 百 メ ー ト ル ほ ど で 今 川 橋 に な キ ャ ン プ 場 り、 を渡る。 常願寺川 〇 前方正面の山の中にギザギザが見えるのが剱 岳で、立山は少し右 つるぎ だけ の 奥 だ ろ う か 。 昔 は 常 願 寺 川 を 少 し 海 側 で 渡 河 し て 、 山 王 町 交 差 点

(59)

社 神 天 と 場 塚 プ け ン う ャ そ キ

(60)

の 手 前 で 合 流 し た ら し い 。 今 は 今 川 橋 を 渡 る と 左 側 の 御 堂 が あ る 所 に料理旅館久乃屋があり、向かい側に山王町公民館がある。 山 王 町 交 差 点 を 越 え 、 前 方 に 見 え る 橋 の 百 メ ー ト ル ほ ど 手 前 で 右 へ 曲 が り 、 二 百 メ ー ト ル ほ ど 先 の 四 つ 辻 で 左 へ 曲 が る と 、 に 白 岩 川 突き当たり右手に橋が見える。 岸 辺 を 歩 い て 右 手 に 見 え る を 渡 る が 、 ハ ゼ を 釣 っ て い る と 東 西 橋 い う 釣 り 人 が 多 い 。 橋 を 渡 る と 右 側 に が あ り 、 そ こ か ら 六 十 水 神 社 メートルほど先の四つ辻で左へ曲がる。 す る と 左 側 に が あ り 、 そ の 隣 の 駐 車 場 に 水 橋 の 本 松 乃 友 の 醸 造 元 陣 跡 が あ る 。 右 側 に 富 山 第 一 銀 行 と ⑥ と 向 か い 側 に 北 陸 銀 水 橋 神 社 行 が あ る 。 水 橋 神 社 の 創 建 の 年 月 は 明 ら か で な い が 、 延 喜 式 に 出 て い る と い う か ら 古 い 歴 史 だ ろ う 。 拝 殿 に は 奉 納 の 絵 馬 が 多 く 、 中 で も源義経の海女ヶ瀬の故事を描いたものは有名である。 更 に 右 側 に が あ っ て 、 目 の 前 の 天 神 交 差 点 で 左 へ 曲 が る 。 照 蓮 寺 そ の 三 十 メ ー ト ル ほ ど 先 で 右 へ 曲 が り 、 旧 家 が あ る 筋 違 い の 四 つ 辻

(61)

を直進するとき、右手には ⑦と梅隠先生筆塚がある。 天満宮 梅 隠 は 寛 政 七 年 ︵ 一 七 九 五 ︶ こ の 地 に 生 ま れ 、 十 七 歳 で 上 京 し て 医 業 を 勉 学 の か た わ ら 、 私 塾 を 開 き 子 弟 の 養 成 に 尽 力 し た 。 十 三 回 忌に当たり門弟一同により、この筆塚が建立された。 〇 旧 道 は 突 き 当 た っ て 左 へ 曲 が り 、 す ぐ 突 き 当 た っ て 右 へ 曲 が る か ら 鍵 形 の よ う で あ る 。 左 側 に ⑧ が あ っ て 、 こ こ に は 庚 金 刀 比 羅 神 社 申 塔 と 二 基 の 記 念 碑 が あ る 。 目 の 前 の を 渡 り 、 川 沿 い で な い 下 条 川 道へ右に曲がると滑川まで三㎞とある。 右 側 の 飯 野 商 店 と い う 旧 家 が あ り 、 そ の 斜 め 向 か い に 豊 沢 団 吉 碑 と 亀 塚 と 按 鍼 塚 の が あ る が 、 こ れ は 明 治 時 代 の 寺 子 屋 の 門 三 つ 石 碑 御 堂 と 弟 に よ り 建 立 さ れ た 。 そ の 五 十 メ ー ト ル ほ ど 先 左 側 の 高 台 に 、 。 一里塚跡 ⑨があり その百メートルほど先右 側に大きな石碑がある 更 に T 字 路 を 越 え た 左 手 に も 大 き な 石 碑 が あ り 、 百 五 十 メ ー ト ル ほど先に八幡社と朝日町公民館が あって、左側には御堂がある。

(62)

跡 塚 里 一 寺 と 蓮 堂 照 御

(63)
(64)

滑 川 市 に 入 る と 、 す ぐ 左 側 に 戦 没 者 慰 霊 碑 が あ り 、 そ の 少 し 先 右 躬 橋で 渡ると左側は 海 で、右側に 海 側 の 家 も 立 派 で あ る 。 上 市 川 を 魚 洋高 校がある。 高月町 交差点の左側に があり 、 この 交差点から 海 に一 番 加 茂 神 社 ⑩ 近 い道を進む。 すぐ左側に 南無阿弥陀 仏の題目碑があり 、三百メートル ほ ど 先左側に 勇者 の碑という が ある。 殉職碑 ⑪ 殉職 碑は、 昭和 五十四年三 月 三十一 日夜 この 海岸 に 荒 れ 狂 う 高波 が 押 し 寄 せ、 釣 り人が 護岸堤 に 孤 立し て 助 けを 求 めていた。このた め 富 山 県 警察機動隊 が 緊急 出 動 し、 隊員 の安 井利英 さん は 単身 で 護岸堤 の一 人を 救 出し、残る一人を 救 出中に 激波 の直 撃 を 受 けて 殉職 した 。 〇 左側に 高月東 部 公民館 が あ り、右側に や更に 領 家 町公民館 諏 訪 神 社 があるが、この 辺 りは 旧家らし い 家が所々にある。左側の 消防 団 から道は 細くなる。 加 島町 三 区公民館 があ り 、 右側の のすぐ先に 立 山・ 加 積 雪 島 神 社 ⑫

(65)

大 岩 道の が あ っ て 、 こ の二股は左 斜 めに進む。この道標は江 戸時代 に 道標 一 般庶民 の信 仰登 山も 認 められ、立山・大 岩 の 登拝者 も 全 国から 集 まっ たための道 案内 の道標で、 文化 八年(一八一一) のも の で ある。 百メートルほど先で右へ曲がり、 正面 に 脇 本 陣 だった を 見 て 、 養照寺 ⑬ すぐ左へ曲がる。 次の四つ辻を 右へ曲がって 直進すれ ば北陸本線中 滑 川 駅 である。 川に突き 当たる と 宿場回廊 の 掲示 があるが、この 後 にも 宿場回廊 の 掲 雪 示 が所々に ある 。この目の前の落合橋で なく川沿いに左へ曲がっ て 次の を渡る。 百メ ートル ほ ど先左側の ミニパ ークに が ある。 島 橋 滑川本陣跡 ⑭ 滑 川 本 陣 跡 は 、 寛 永 二 年 ︵ 一 六 二 五 ︶ 桐 沢 家 二 代 九 郎 兵 衛 に 加 賀 藩 か ら 御 旅 屋 を 命 ぜ ら れ 、 格 式 あ る 屋 敷 を か ま え 本 陣 と し た 。 桐 沢 お た や 家 は 歴 代 綿 屋 と 称 し 、 し ば し ば 火 災 に よ り 変 更 は あ っ た が 、 天 保 九 年 ︵ 一 八 三 八 ︶ ま で 約 二 百 年 余 り 本 陣 を 勤 め 、 そ の 後 は 養 照 寺 が 仮 の本陣を勤めた。 〇

(66)

へ 道 の い 沿 海 寺 の 照 左 養 ら た か っ 社 だ 神 陣 茂 本 加 脇

(67)

右奥に が あ り 、 ト ム ト ム という 衣料 の安い店は 都会 の 量販 店 長 福 寺 ⑮ と 遜色 ない 値段 である。そ の すぐ先左側に中 町会館 があり、すぐ 斜 め向 かいに が ある。 明治天皇滑川御小休所の石碑 左側に があり、角には 常夜灯 があって 裏 に 琴比羅 社があ 檪 原 神 社 ⑯ い ちはら る。 檪原神 社は 延喜式 にもあるというか ら 古 いも ので、 天 明 三年(一 七 八 三) には 新 明 社と記され 、 こ の 常夜灯 は 船舶航 行 用 のものだとい う。こ の 境内 には 芭蕉句 碑 「しばらくは 花 のうえなる 月夜 かな 」がある。 道が広くなる四つ辻から 昔 は 斜 めに入る道があ っ たら し い 。 だ から 今 は 四つ辻を右へ曲がると は左側に あるが本来は右側にあっ た らし い。 観 音 寺 今 は前 方 の 滑 川 病院 との中間で左へ 曲 がると左側に が あ る。 園通寺 三 ツ 屋 橋 に 出 て 、 右 折 す れ ば J R 滑 川 駅 と あ る が 、 右 手 に は 中 川 原交差点があり、この交差点で左へ曲がって を渡る。坪川交差 禊 橋 みそ ぎ 点 の 百 メ ー ト ル 先 で 右 斜 め に 入 る と 、 す ぐ 右 側 に 坪 川 の ⑰ 一 里 塚 跡 があり、左側に南無阿弥陀仏の題目碑や小さな地蔵堂がある。 更 に 進 ん で 右 側 の 大 樹 の 手 前 に は 石 碑 が あ り 、 左 側 の 大 き な 松 は

(68)

跡 塚 里 社 一 神 の 原 川 檪坪

(69)

⑱ と い う そ う で 、 樹 齢 二 百 年 と 見 ら れ 北 陸 道 に 植 え ら れ た も の 門 松 だが、今は一本が残るだけである。 そ の す ぐ 先 の 二 股 は 左 へ 進 む と 、 右 側 に 戦 没 者 慰 霊 碑 が あ り 、 間 もなく右手にJRが接近してくる。 左 側 に 戦 没 者 慰 霊 碑 を 見 る と 、 右 側 に が あ る 。 そ の 北 陸 酵 素 工 業 すぐ先の辻を右折してJRを渡れ ば電鉄早目加積駅である。 〇 小 川 の 手 前 左 側 に 小 さ な 地 蔵 堂 が あ り 、 左 側 に 戦 没 者 慰 霊 碑 と 題 目 碑 が あ っ て 、 す ぐ 右 側 に ⑲ と 同 じ 敷 明 治 天 皇 追 分 御 小 休 所 の 石 碑 地 に 別 の 明 治 天 皇 碑 が あ る 。 そ の 百 メ ー ト ル ほ ど 先 の T 字 路 の 右 側 に 、 個 人 の 石 碑 と 向 か い 側 に 戦 没 者 慰 霊 碑 と 小 さ な 地 蔵 堂 が あ る 。 和 歌 を こ の 道 は 県 道 一 三 八 号 線 と な っ て い て 、 右 側 に 読 め な い が が あ り 、 そ の す ぐ 先 で 県 道 一 号 線 に 合 流 す る 。 前 方 に は 刻 ん だ 石 碑 遊園地があるのか大きな観覧車が見える。 中 村 西 交 差 点 で 左 へ 曲 が る と 集 落 の 中 に な り 、 左 手 に は 海 が 見 え

(70)

。 、 、 る 右側に戦没者慰霊碑があり に突き当たって右へ曲がり 早月川 県 道 一 号 線 の 三 ケ 交 差 点 に 出 て 早 月 橋 で 渡 る が 、 こ れ は 昔 の 早 月 川 さ ん が の渡河地点が今より海側だ ったことを示している。 こ の 三 ケ 交 差 点 の 右 側 に は 神 明 社 が あ る 。 早 月 橋 を 渡 る 途 中 で 右 ミ 手 に 見 え る 山 並 み の 説 明 が 掲 示 し て あ り 、 左 側 に 大 観 覧 車 が 回 る が 見 え て 、 早 月 川 に は 十 人 ば か り の 釣 り 人 が い る 。 ラ ー ジ ュ ラ ン ド 右 側 に ⑳ が あ る 水 族 館 前 交 差 点 か ら 左 斜 め に 入 る 。 右 魚 津 水 族 館 へ カ ー ブ す る 所 に あ り 、 向 か い 側 に 戦 没 者 慰 霊 碑 が 三 題 目 碑 が 二 基 基 あ る 。 T 字 路 の 左 角 に 戦 没 者 慰 霊 碑 が あ っ て 左 奥 に 海 が 見 え る 。 この辺りは道が細い割に車が多く 、左側には地蔵堂がある。 四 つ 辻 が 現 れ 、 左 の 道 は 海 岸 沿 い で 車 が 多 く 、 直 進 す る 旧 道 は 車 が 少 な く な る 。 二 百 メ ー ト ル ほ ど 先 右 側 に 町 三 ケ 公 民 館 が あ り 、 そ の 百 メ ー ト ル ほ ど 先 で 小 学 生 が 右 へ 曲 が っ て 行 く か ら 小 学 校 が あ っ て、小学校まで行く途中に電鉄西魚津駅がある。

(71)
(72)

魚 津 か ら 浦 山 へ 西 魚 津 駅 へ 進 む 道 を 過 ぎ て 、 次 の 二 股 は 左 ヘ 進 む と 、 ほ ぼ 右 手 の 県 道 一 号 線 と 並 行 し て い て 、 左 手 の 海 岸 線 沿 い の 道 も チ ラ チ ラ 見 え る 。 右 側 の は 南 無 釈 迦 早 尼 仏 と あ る ら し く 、 左 手 に は 漁 港 が 題 目 碑 見える。 T 字 路 で 左 を 覗 く と 県 道 一 号 線 と の 新 住 宅 交 差 点 で 、 左 側 に 上 町 一 区 会 館 が あ っ て 商 店 が 点 在 し て い る 。 こ こ は 上 口 二 丁 目 で 旧 新 塩 屋町の町名由来が記してある。 角 川 を で 渡 る と 、 す ぐ 右 側 に 消 防 団 が あ り 、 こ こ は 新 角 川 角 川 橋 裁 判 所 二 丁 目 で 旧 橋 場 町 の 町 名 由 来 が 記 し て あ る 。 そ の ま ま 旧 道 は ① に 突 き 当 た る が 、 そ こ ま で 行 く 百 メ ー ト ル ほ ど 手 前 の 辻 を 左 折 し 、 。 て 百メートルほど行くと左側に ②がある 明治天皇魚津行在所の碑 裁 判 所 に 突 き 当 た っ た 旧 道 は 左 へ 曲 が る が 、 こ こ は 本 町 一 丁 目 で 旧 大 町 の 町 名 由 来 が 記 し て あ る 。 旧 大 町 は 天 正 の 末 ︵ 一 五 九 〇 ︶ か

(73)

ら 慶 長 の 中 頃 ︵ 一 六 〇 〇 ︶ に で き た 町 で 、 大 き な 町 と い う 意 味 で 名 づけられた。 右 側 の 法 務 局 の 大 き な 松 は 名 残 だ ろ う か 、 こ こ で 右 へ 曲 が り 、 七 十 メ ー ト ル ほ ど 先 右 側 に が あ る 。 そ の 三 十 メ 金 刀 比 羅 神 社 と 天 満 宮 ー ト ル ほ ど 先 左 側 に 水 産 会 社 の ③ が あ っ て 、 こ の 海 側 の 側 壁 に 倉 庫 の掲示や石碑がある。 米騒動発祥の地 米 騒 動 発 祥 の 地 と は 、 大 正 七 年 ︵ 一 九 一 八 ︶ 米 価 高 騰 に 苦 し ん だ 、 、 漁師の主婦ら数十人が 輸送船への米の積出しを止めるよう要求し そ の 日 の 夜 は 町 内 の 米 穀 商 に 数 百 人 が 押 し か け て 米 の 移 出 中 止 を 求 め た 。 こ れ が 全 国 に 波 及 し て 軍 隊 の 出 動 も 余 儀 な く さ れ 、 寺 内 内 閣 は総辞職に追い込まれたが、これが大衆運動の先駆けとなった。 〇 中 村 蒲 鉾 魚 津 保 育 園 の 前 を 通 り 、 下 田 温 泉 と あ る 四 つ 辻 の 右 角 に が あ っ て 、 こ こ で 右 へ 曲 が る 。 す る と 本 町 二 丁 目 で 旧 荒 町 製 造 会 社 の 町 名 由 来 が 記 し て あ る 。 旧 荒 町 は 、 あ ら し が 激 し く 吹 く 町 と い う

(74)

示 掲 の 地 の 祥 発 碑 動 目 騒 題 米

(75)

意味で嵐町といったが、後になまって荒町となった。 T 字 路 の 右 角 は タ ク シ ー 会 社 で 、 向 か い は ④ が あ り 、 こ こ N T T で 左 へ 曲 が る と と あ っ て 、 右 側 に が あ る 。 こ の 辺 銀 座 商 店 街 真 成 寺 りの右手奥に電鉄魚津駅がある。 間 も な く 銀 座 商 店 街 も 終 わ っ て を 渡 る 。 そ し て 中 央 通 一 丁 神 明 橋 目 交 差 点 で 右 へ 曲 が る と 、 広 い 道 に ア ー ケ ー ド の 商 店 街 が 始 ま る 。 左 奥 に ⑤ が あ っ て 神 明 交 差 点 を 越 え る が 、 こ の 辺 り は 昭 魚 津 神 社 和 三 十 一 年 の 大 火 で 焼 け た た め 、 新 し い 家 並 み で 見 る べ き も の は 残 っていない。 中 央 通 り を 進 む と 右 側 に 青 い 建 物 の 金 屋 郵 便 局 が あ り 、 そ こ の 金 屋 郵 便 局 前 交 差 点 で ア ー ケ ー ド は 終 わ り 、 新 金 屋 一 丁 目 交 差 点 で 鉄 道の高架橋をくぐる。 新 金 屋 交 差 点 を 渡 る が 、 右 角 に 北 陸 電 力 が あ り 、 新 金 屋 二 丁 目 交 差 点 、 上 村 木 南 交 差 点 を 過 ぎ る 。 こ の 辺 り の 左 手 に は ホ テ ル な ど が 多 い よ う だ が 、 旧 道 に は 見 る も の が な い 。 次 の 上 村 木 交 差 点 で 左 折

(76)

すれば四百メートルほど先にJR魚津駅がある。 〇 吉 島 一 丁 目 交 差 点 を 過 ぎ る と 左 側 に 県 立 が あ り 、 続 い て 魚 津 高 校 が あ っ て 、 そ の 敷 地 が 切 れ て 二 百 メ ー ト ル ほ ど 先 右 側 に 東 部 中 学 校 久し振りに御堂がある。 仏 田 の 地 に 入 る 。 左 側 の エ ッ ソ G S の 斜 め 向 か い に も 中 型 の 石 碑 が あ り 、 他 に は 特 に 何 も な い 。 や が て 右 側 に 戦 没 者 慰 霊 碑 を は さ ん で ある。 丸い題目碑が二つ 右 側 の 石 垣 の 立 派 な 家 の 隣 に ⑥ が あ り 、 開 基 千 三 百 年 記 念 大 徳 寺 の寺号石があるから古い寺で、明治天皇持光寺御小休所もある。 J R を く ぐ る と 右 側 に 御 堂 が あ る が 、 昔 の 街 道 は J R を く ぐ る 手 前 辺 り で 右 へ J R 沿 い に 進 ん で 、 を 渡 河 し て か ら 新 川 み ど り 片 貝 川 野高校の辺りに出たようである。 今 は 県 道 一 二 六 号 線 と の 交 差 点 を 渡 り 、 何 か 鷲 の 羽 の よ う な モ ニ ュ メ ン ト が 右 側 に あ っ て 片 貝 川 を 片 貝 橋 で 渡 る 。 右 側 に 県 立 新 川 み

(77)

碑 街 皇 店 天 商 治 座 明 銀 と の 寺 津 徳 魚 大

(78)
(79)

どり野高校があり、 を布施橋で渡る。 布施川 左 側 に 戦 没 者 慰 霊 碑 が あ り 、 交 差 点 の 手 前 か ら 旧 家 ら し い 家 が 目 に付く。その先に題目碑が三つ あり、荒野交差点に達する。 左 側 に が あ り 、 右 側 に ⑦ が あ っ て 、 こ こ に は 蓮 如 上 神 明 社 光 徳 寺 人 遺 跡 の 石 碑 が あ る 。 J R を で 渡 る と 、 そ こ か ら 第 三 北 陸 街 道 踏 切 とある。そのす 百メートルほど先右側に ⑧ 明治天皇田家天覧所阯の碑 ぐ先で 黒瀬 川を で 渡 る。 黒瀬橋 黒 瀬 交 差 点 で 車 の 多 い 道 を 横 断 す る と き 、 こ の 右 側 の ⑨ と 密 応 寺 、 。 ある所には石碑群があり ここで左手を見ると牧野交差点が見える こ こ か ら の 道 は 左 斜 め に 北 上 し て い た よ う だ が 今 は 消 え て い る 。 。 そこで例えば左手の牧野交差点で右折して最初の辻を左斜めに進む ここからの旧道は道なりである。 右 側 に J A が あ り 、 そ の 先 に は 新 牧 野 交 差 点 が あ っ て 、 左 側 に 題 。 、 目碑と戦没者慰霊碑がある 更に左側に八心大市比古神社とあるが これは三島神社交差 点で左折した右側の ⑩である。 三島神社

(80)

八 心 大 市 比 古 神 社 は 、 奈 良 時 代 の 女 帝 で あ る 孝 謙 天 皇 の 時 代 ︵ 七 四 九 ー 五 八 ︶ の 創 建 と 伝 え ら れ 、 古 く か ら 五 穀 豊 穣 の 神 と し て 近 隣 近在からの信仰が篤く、三 島大明神とも号している。 旧 道 を 進 む と 突 き 当 た り が 電 鉄 黒 部 駅 前 交 差 点 で 、 こ こ で 右 へ 曲 がるが、このとき左手を見れば電鉄黒部駅が見える。 〇 徳 法 寺 黒 部 駅 前 交 差 点 か ら の 旧 道 は 電 線 の な い 街 で あ る 。 左 側 に 舊蹟 の石碑と 親鸞聖 人御 腰掛 石が あ ⑪ が あ る が 、 こ こ に は 見 眞 大 師 る。 左奥に が あり、大 町 交差点に 達 するが、ここを左折すればす 西 徳 寺 ぐが あ る 。 三本柿 三本 柿 とは 、 承 元元年(一二〇 七 )親鸞聖 人が 越後 へ流 され る 途 中、こ の地 に 宿泊 した家で 串柿 を差し上 げ たとこ ろ 、そ の 種 の三 粒 を 火 で 焼 く と一 夜 で 芽 を出した という。 左手に 黒 部市 役 所があり、左角に北陸 銀 行があって、すぐ四つ辻に な るが、 ここで 左折すれば 電鉄東 三 日 市 駅 があ る。 旧道は四つ辻の先で左へ

(81)

蹟 旧 の 人 聖 鸞 親 に 寺 寺 応 法 密 徳

(82)

カーブすると 電 線が現れ始める。 この 辺 りまで三 日 市の 宿場 だったのだろうか。右側の家は 総ガラ ス 張 り の中に、もう一 軒 家があ る よ うに見える 。 その先の左側に が あ 久 昌 寺 ⑫ り 、 左側は 道を 広 げ るためか、部 分的 に建て直 し が 始まっているらしい。 荻生 交差点と 荻生東 交差点の 辺 り を 左折すれ ば 電鉄荻生駅 であり、 この 交差点を 過ぎると左側に 電鉄 の 踏切 が見える。 〇 県道一四号線が 高架 に な る二股の入口に があ り、 こ 戦 没 者 慰 霊 碑 ⑬ れは大 正 六年 七月 十 七日戦艦春日 の 要員 が イ ン ド洋 で 戦死 した 慰霊 碑 である。この二股は県道と 分 かれて右の道を 行 く。 電鉄 を 舟 見 踏切 で渡り、間 も なく 分 かれ た県道一四号線と合流す る。 するとすぐ左側に が 今 も 湧 き出していて、 休 憩 所の 脇 箱 根 の 清 水 ⑭ には水 琴 窟 が 設 けてある。 箱根 とは大きな 山 や 神聖 な山のことを いい、 神聖 な あ らた かな山 か ら流 れ出た 浄 水だ とある。 その 先 の 長 屋交差点に 称 名寺は左四百メートル という標 識 がある 。 左

(83)

側に 新川 農 林 振興セ ン タ ーがあり、 を くぐる。隣に建 設 中 北陸自動車道 の 高架 橋は北陸新 幹 線だ ろう。 左側に 蓮如 上人 舊蹟 や 若狭 川塚などの が あり、ここで右手 石 碑 群 ⑮ 舌 山 交 差 点 の 右 角 を見ると三十 メート ル ほど先 に 電鉄踏切 が見える。 にJAがあり、ここで右折すると電鉄舌山駅である。 〇 こ こ か ら 電 鉄 は 徐 々 に 離 れ て い く 。 左 側 の 駐 在 所 の 前 に 戦 没 者 慰 霊 碑 が 四 基 あ り 、 こ の 間 も 所 々 に 畑 が 目 に 入 る が 、 よ く 民 家 が 並 ん でいる。 左 奥 に ⑯ が あ る 手 前 で 右 折 す れ ば 電 鉄 若 栗 駅 で あ る 。 旧 若 埜 神 社 道の左奥に若栗小学校があり、向かい側に ⑰がある。 真照寺 若 栗 交 差 点 で 左 折 す る の も 県 道 一 四 号 線 で 宇 奈 月 線 と あ る 。 こ の 辺りで電鉄と最接近して、また離れ始める。 用 水 路 を 渡 る と 一 本 の 松 が あ る が 、 名 残 の 松 に し て は 細 い 感 じ が す る か ら 、 後 世 に な っ て 植 え ら れ た も の だ ろ う か 。 二 つ の 道 が 合 流

(84)

碑 石 の ど な 川 狭 若 や 蹟 水 旧 清 人 の 上 根 如 箱 蓮

(85)

し て 二 百 メ ー ト ル ほ ど 先 、 四 つ 辻 手 前 の 左 側 に 三 名 の 戦 没 者 慰 霊 碑 があり、すぐ向かいには石碑群がある。 四 つ 辻 の 向 こ う に 小 さ な 地 蔵 堂 が あ り 、 そ の 先 左 側 に も 一 本 の 松 が あ っ て 、 そ の 五 十 メ ー ト ル ほ ど 先 左 側 に も 戦 没 者 慰 霊 碑 が あ る 。 そ の 五 十 メ ー ト ル ほ ど 先 に 新 川 広 域 農 道 が 交 差 す る が 、 こ こ の 交 通 標識に宇奈月・浦山は直進とある。 栃 屋 交 差 点 の 二 百 メ ー ト ル ほ ど 先 、 左 側 に も 戦 没 者 慰 霊 碑 が 二 基 あ り 、 熊 野 交 差 点 の 左 側 に も ⑱ が あ る 。 こ の 辺 り は 浦 山 の 地 地 蔵 堂 で民家がずっと並んでいる。 浦 山 消 防 団 や J A や が 並 び 、 そ の 六 十 メ ー ト ル ほ ど 先 左 側 願 蓮 寺 に 富 山 市 西 町 が あ り 、 こ の 奥 に 見 え る の は ⑲ で あ る 。 里 程 標 法 傳 寺 そ の 百 メ ー ト ル ほ ど 先 右 側 に ⑳ が あ る が 、 そ の 前 後 で 右 折 す 善 巧 寺 れば電鉄浦山駅である。

(86)

参照

関連したドキュメント

七圭四㍗四四七・犬 八・三 ︒        O        O        O 八〇七〇凸八四 九六︒︒﹇二六〇〇δ80叫〇六〇〇

化し、次期の需給関係が逆転する。 宇野学派の 「労働力価値上昇による利潤率低下」

チ   モ   一   ル 三並 三六・七% 一〇丹ゑヅ蹄合殉一︑=一九一︑三二四入五・二%三五 パ ラ ジ ト 一  〃

えいわれる。

LLVM から Haskell への変換は、各 LLVM 命令をそれと 同等な処理を行う Haskell のプログラムに変換することに より、実現される。

Revit Architecture は、BIM(ビルディング・インフォメーション・モデル)作成のトップツールになってお

七,古市町避難訓練の報告会

目について︑一九九四年︱二月二 0