制定の歴史を通して見たる帝國憲法の本義(三)-香川大学学術情報リポジトリ

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商工経済研究 苧二庵発四襲、︵憫聖篭

ニ血 明治八年の聖詔を中心として見たる憲法の本義 ︵発十〓準四躾︶ 四 明給九年の国憲起創勅語と之に基き起創せられたる元老院の闊憲按を通して見たる憲法の本義 ︵本署︶ 五 明治十四年の政攣を適して見たる憲法の本義 ︵吹渋︶ 四 明治九年を以て憲法は愈制定の準備過程に入った。此の時代に於て憲法の太義を知ノるに足るべき黎料の∵は、 明治九年九月七日、時の元老院議長有柄肝臓仁親まに下されたる闘窓起別の勅許と、之に塞き起創せられたる鴎 制境の歴史を通して見たる簡閲憲法の本義 序 説 ﹁霧十一巻三択︶ 五箇條の御撃文を通して見たる憲遠の本義 ︵有岡上︶

野庇の歴史な通Lて見たる帝国憲法の本義窒

清 水 谷 隆 寛

︵二八七︶

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第十二巻 第四壁 憲抜及之を勉ぐる二三の史賛である。兜づ左に其の勅語と歯音案を馨げ 勅 語 第 鵬 條 日本囁凶ハ萬世二系ノ皇統ヲ以テ之ヲ治ム 鱒二條 皇帝ノ身腰ハ神聖ニシテ侵ス可カラサル者トス 第三條 皇帝ハ行政ノ椎ヲ統フ 第四條 皇帝ハ緒官吏ヲ命シ且之ヲ免ス 第五億 皇帝ハ班律ヲ確立シ及之ラ布告ス 凝六條 皇帝ハ陸海軍ヲ指揮シ便宜之ヲ流通スルコトヲ得へシ武官ノ鋤抄及温老ハ法律二掲ケタル規程二 由テ皇帝之ヲ決ス 際会二我力建図ノ健三基キ鹿ク海外各国ノ成法ヲ掛酌シ以テ観憲ヲ定メントス汝等ソレ宜シク之力革按ヲ 起創シ以テ聞セヨ股勝二撰︵ソトス

日 本 闘 志 按 ︵抄︶

第 ﹂ 編

琴 帝 ︵謂諾鵬鞄橘−謂︼が鳩︶ ︵こ八八︶ 二

(3)

第七倣 皇帝ハ戟ヲ富シ和ヲ講シ及通信貿易ノ藤約ヲ結7然ケトモ固財ヲ費シ図境ヲ轡スルカ如キ條約︵ ′‥ 両院ノ承認ヲ得ル∵ニ非サレハ共カヲ有セス 第八億 皇帝ハ罪犯ヲ赦免シ及之ヲ威軽スルソ横ヲ有ス 第九・條 皇帝ハ貨幣ヲ迫ルコトヲ命ス 第十條 皇帝ハ両院ノ試合ヲ徴集シ叉ハ英雄合ヲ社︵シ及其閉禽ヲ命ス 第十劇候 皇帝ハ皆既及動輩ヲ賜典ス

第〓童 帝 位 欄 承

第 仙 條 現今統御スル皇帝ノ子孫ヲ以テ帝位鳩承ノ正統ノ裔トシテ帝位ヲ世侍ス 仙野四條 帯別ノ時機二際ル帝位欄承ノ順序ヲ欒易スルコトヲ必要トスルコトアル時ハ両院ノ承認ヲ得へシ 第五億 即位ノ祀ヲ行フニ方ツテハ両院袋倉ノ前二於テ囲憲ヲ確守スルノ誓ヲ宜フ 第三牽 皇帝未成年及其棒政 策⊥ 條 皇帝ハ満十八歳ヲ以テ成年トス 第二條 皇帝未成年ノ問ハ親王親王諸王ノ中液親ユシテ清二十歳以上ノ者捧政ノ職工任ス 第五條 擁政ハ嗣院袋倉ノ前二於テ未成年ノ皇帝主恩歯ヲ喝シ且囲憲ヲ確守スルノ啓ヲ宜フ 制定の歴史を通して見たる帝感憲法の本義 ︵二八九︶ 三

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第二條 第三藤 第∵凶條 第五條 第六條

第 三 縮

図民及共擢利義務 第−條几日本膏幽ノ人民クル者ハ皆是帝国ノ樵利ヲ有ス佃如何シ貢地利ヲ得戎︵之ヲ火フカハ法律 ヲ以テ之ヲ定ム 第十こ馨 第四眈

第日章 皇 室 経 費

第叫條 皇帝及親王諸王ノ歳入ハ法律ヲ以テ之ヲ定ム

園民八浜律二於テ平等トス

膏幽二居住スル内外人民ハ其身鰭及財産J保護ヲ受ク仰外国人ノ蔑∵ニ屁ムル勅使ハ此例ニアナえ

囲民ハ法律二定メクル触條ノ外均ク公使私輝ヲ享有シ叉文武ノ官職三位スルコトヲ待

固民ハ国費ヲ支ユル鶉メ應箇ノ買入テ参加スルノ義務ヲ有ス

国民ハ兵役二重加スルノ義務ヲ有ス但徴募ノ方法卜服役ノ期限トハ法律ヲ以テ之ヲ克ム

第 こ 騙

帝 図 へこ九〇︶ 四

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第七

禁ス≠コトヲ得ス 第八億 遽従ノ、詠出ハ兵役ノ故ヲ以テスルノ外ハ之ヲ制限スル斗㌻卜一ヲ得ス 第九傭 住居ハ位ス.河カーブサル者トス法律二鴇ケクル硯杜二由ルニ俳サレハ住居二進入シ之ヲ検操スルヒ トヲ得ス 第十傑 攣輿ノ時椒一こ鱒り閲安ヲ保ツカ焉メノ故ヲ以テ帝図ノ全部若クハ局部二於テ囲窓中ノ筒催ヲ停止 スルコトヲ必要トスル時ハ法禅ヲ以テ之ヲ定ム 第十剛健 財産ハ優ス可カラサル者トス法律二掲ケクル規粗二由ルヱ非サレハ何人モ英私有ヲ硫ハルルコト ナシ 第十二條 信吾ノ秘密ハ院ス可カラサル者トス法律二掲ケクル規杜二由ルニ非サレハ信書ヲ勾牧スルコトヲ 得ス 第十三健 闘民ハ預メ瞼奄ヲ受クルコトナク出版二由テ其意志著クハ論語ヲ公ケニスルコトヲ得但法律二封 シテ其安二任ス 第十四億 尉民ハ各自三倍抑スル所ノ宗旨ヲ奉スルコト自由ナリトス然レトモ民事政事二筋審ヲナスハ之ヲ 禁ス 制定の歴於を逸して見たる帝随意法の本義 ︵二九t︶ 五

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第十二谷 柳押印躾 ︵二九二︶ 六 第十五傑問民ハ兵絡ナク平穏二集金スルノ棟叉命赦ヲ結フノ樵ヲ有ス但此樵ノ受用八旗律ヲ以テ之ヲ定ム 第十六億 囲民ハ各自‡上言スルノ株ヲ有ス然レトモ連衆上富スル時ハ各自二署名セサルゴトヲ得ス伯官ニ テ訟メクル禽赦−由り、連光二名三テ上言スルコトヲ許ス此時機二於テハ共命敵ノ事件二付テノミ上言ス ルコトヲ得 欝十七億 国民︿皇帝ノ許可ヲ得ルニ非サレハ外開ノ覚据動革及葦老鎌ヲ受クルコーヲ得ス

第 四 編

東−章.立 法 樺 第−條 立法ノ樵ハ皇帝卜帝観議禽ニー分ツ皇帝ハ議稟ヲ下附シ議昏ハ英誌案ヲ上奏ス 第二條 帝観議昏ハ元老院及代議士院ノ試食ヨリ戚ル 第三保 法律ノ疑條ヲ輝明シー三股人民ノ定例トナスハ立法横内二範ス

第〓費 元老院及共棲﹁判

第一條 元老院議員ハ三十人以上トス皇帝ハ左二開我スル各人ノ内ヨリ之ヲ選フ 王 一親

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族 鵬 輩 鵬 勅任官ノ位筐鮭旛ノ者 一団二功労アル者 一政相接律ノ拳識アル者 第二條 皇子ハ元老議員クルノ権ヲ有ス議員ノ上席二座ス満十八撃⋮テ院中三参入シ清二十撃=アハ公 議ノ樵ヲ宥ス 第三條 元老院ノ議長及副議長ハ皇帝之ヲ試官ノ申ヨり選フ 第四條 元老院ハ立法ノ樵ヲ愛用スルノ外左ノ諸寄ヲ紫ル

ー実臣雛贈謂ノ罪ヲ論賢ルコト

膚 ‖外観條約及帝位鰻承ノ順序ヲ欒易スルノ承認ヲナシ及皇帝即位ノ時又ハ擁政審職ノ初五万ツテ其宣 誓ヲ聴クコト 一立法三関スル意見書ヲ上奏スルコト 一立法三関スル上言寄ヲ受クルコト 筏∵五僚 元老院ハ諸大臣ノ出頭ヲ求ムルコトヲ得叉緒大臣出頭シテ意見ヲ陳フルコ′トヲ得但決議ノ敬二加 ハラス 制定の歴史を通して見たる帝園憲法の本義 ︵二九≡︶ 七

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第一條 皇帝ハ諸大臣ヲ任シ及之ヲ発ス 第二傑諸大臣ハ撤警付テ其女工任ス法律及叫切ノ文書ハ大臣仙人之二副警 第三條 諸大臣ハ圃憲ヲ確守スルノ聾ヲ官フ

第 六 編

司 法 棟

第三食 代議士胱及比ハ櫻利

第軸條代議士院ハ法律ヲ以テ誉クル選警規程晶り墓ス蒜ノ代慧ヲ以テ威ル櫓人口十完工

付少クモ劃名ヲ用ス可シ

第二條代議士︿投票ラ以テ之ヲ選フ且之ヲ重選スルコトヲ符

節二二億代議士トナル者ハ日本人満二十草蔵ニシテ澤盛ノ規程二定ムル宗ヲ約メ月ツ代議士

要件ヲ具備スルコトヲ要ス

第四條代議士ノ任期ハ凶年トシ二歳警其ノ金融ノ年ヲ更警

第 五 編

葦十〓巻 第四教 行 政 櫻 ︵こ九四︶ 八

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第 叫 健 司法依ハ上下等親判例二由り皇帝ノ名ヲ以テ之ヲ施行ス裁判所ハ法律ヲ除クノ外地ノ撥威二従フ コトナシ 節三保 裁判例ノ構成櫨任ハ法律ヲ以テ之ヲ定ム捷律二掲ケクル規程一︻由ル1一非サレハ裁判ヲ行フカ鶉メ 特別ノ裁判桝ヲ設クルコトヲ得ス 箪五條 帝国−二ノ大審院ヲ崖ク 第方、條 旦審院ハ法律二拐ケクル職務ノ外光老院ノ論骨シタル諸大臣ノ罪ヲ裁判ス 第七傑 大審院及裁判朗ノ検事ハ皇帝之ヲ任シ及之ヲ免ス

第 七 輪

府解合ノ及 邑 禽

第 八 編

弟 山 條 政府ハ毎年翌年ノ観費概算表及園壁ヲ支ユ可キ意見書ヲ代議士院三途致シ且租税ノ徴収及共費用

ヲナセシ報告苔ヲ送致シテ以テ其検奄卜承認トヲ得へキ者トス

第二條 法律ノ承認ヲ得サル和親ハ之ヲ凰課スルコトヲ得ス 制定の歴史を通して見たる帝囲憲法の本義 ︵〓九五︶ 九

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第 九 編

囲 怒 修 正

第−條 立法権ハ蜘態中英條ノ修正ヲ要スルコ、トヲ宣告スルノ枕ヲ有ス

讐蒜闘志ノ修正ヲ議スル〒方ツテハ両院議員少クトモ三分ノニ列怖セサル時ハ共雪試スルコトヲ得

ス而シテ少クトモ之ヲ可トスル者三分ノニニ盈タサレハ攣改ヲナスコトヲ得ス

右の中国意起別の勅語鱒憲法制定の御敦慮を以て、その起草を命ぜらる∼と共に、起草についての根本方針を

御示し遊されたるものである。即与勅語に依れぼ、憲法制定の方針は建蜘の櫻を基礎とし、其の上に各囲の威法

を掛酌するにある去れ没して園健の欒貸室息味するものでなく、銅品圃精神を敬揚するにある。御言英は

極めて簡単である。併し憲法理解の上に於ては甚だ安富な而も基本的な資料となる。例へば適法讐○條は大臣

は天皇が任免せらる1と規定する。そ、れは名慧ハに任免樵の天皇にあることを規笠るに拘らす、屈、芸轟的書

法聾者は議院内観盗品の常追なりとする。憲法は議院内閣逐否認しはしないが之を必然とするものではない。

叉憲法は廣議の立法につき法律命令何れに依るも差支へ誓事項是めてゐる。民主葉音法律、に依濠原

則とし、命令に依るも妨なしと解してゐる。此等は固憲起創の勅語を資料とし、その精細を理解するに因り、明

瞭にその誤りなることが知られる。閥憲起創勅語はこの意味纂て凄法姦解する上に於ての壊盈量な資料で

第十二巻 第四洗 ︵こ九六︶ 山○

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ある0 ︵証︶ 国憲とは今日の官業でいふ管法のことである。 次に囲怒案は蜘憲収調委員等が﹁蟄旨ノ所謂建働ノ濃二基キ海外各閉ノ成法ヲ掛酌スル軍一於テ大王庚ラサラ ,こと自負したに拘らす、岩倉等に依って﹁陶倦三相符ハサル桝﹂ありとして斥けられたものである鮎よりして 滑廠的に窟法理解の重要な資料となる。先に擁憲実の内容を検討して見よう。 菟象院の闘志案は明治十一年に議長の手許へ提出したものと、明治±二年に報督したものと二通りある。﹂こゝ に盤げたものは故初の案であるが、この案を見ると観憲販嗣委員等が白魚して居るやうに大鰐は建閏の膿に裁き 海外争闘の威法を掛酌したものセあつて、君主主義の色彩は濃い。天皇に宣戦講和條約の締結樺を屈めたるとこ ろ、天皇に議禽の召集開閉槽を認めたるところ、法律は天鼻が確定し布告するとしたるところ、試合を二院制の 制限選撃としたるところ、犬種内閣主義む採用したるところ、これらは其の主要なるものである。ところが仔細 に見る . 天皇親王諸童の歳入は法律を以て定めらるべきものとされでゐる。叉立法碓はこ1では皇帝と試合とが分有する ことになつて居ク、卜院は大臣の罪を諭告し、大審院に出訴し得ることによつて、大臣に封する弘大な監督柊を 持つてゐる。又こ∼では今日皇窒典範として分離規定されてる皇位臓承等の事項が憲法の申に規定され、譲合は 剣先の歴史を通して見たる帝閲憲法の本義 ︵〓九七し 劇二

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立法樵を分偏する結果として、此等の事項にも紬興することになつてゐる。 果然、この案は﹁蜘鰻卜相称ハゲル隕﹂ありとして議長から修正を命ぜられた。史家の俸ふるところによれぼ、 これは主として政府の蟹横着たる宥恕の意見に依ったといふことである。営々はこ1監暦法聯梓の資料としての 霊夢味があると思ふ。故に正にその根嬢となるペき資料を容げて見よう。 へ下攣二二七、三二八貫︶

岩倉公賓記

数日ヲ攣ア親王ギブ具祀ヱ寄セテ草案轡フハ之ヲ密寄シ以テ意見ヲ間ハント言フ其文二日ク 前月国憲勉革ノ勅ヲ奉スルヤ速二重貞ヲ命シ啓三従ハシム因テ憶フーこ印憲ノ串クル至重至大容易千決スヘ キニ非ス故二革案起創︵本院ノ命ヲ受クル桝ナリト雌可否ヲ議定スル三食テハ固ヨり陛下ノ親撰ヲ仰カサル ヲ得ス勅旨モ亦起草二止マルヲ以テ草案成ルニ及テハ直二葵聞シ親挟−岬供セントス是焼仁ノ勅ヲ奉シ起輩ス ル所以ノ意ナウ。然リト畔共起革クル用意決別クラサルヘカラス敵ざ共成ルヤ兜ツ之ヲ足下二審寄シ草案ノ 埋趣ヲ詳明シ尉酌スル桝アツテ後之ヲ奏聞シ以テ親挟三伏シ更−−本院ノ㊧議二附セラレンコトヲ空でント欽 ス敬二都塵ヲ陳シ以テ密閉ス講フ足下之ヲ諒セヨ 策十こ啓 第四壁

右 大 臣 殿

月 ︵二九八︶ 山二 仁

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典祓答晋ヲ裁シ之ヲ親亨l上リテ日ク草案ヲ密寄セラル、ノ日三重ラハ常サニ意見ヲ附シ以テ参考三供ス ヘシト 之濾岩倉が第叫按を観たであらうことの詑操として馨げたのであるが、同番は彼が之に不賛成であつた事智を 侍へて次の如く言ってゐる。 初メ十二年巳卯十二月奥地ハ太政大層三保蜜乗孟網テ日ク八年凶月立憲敵機創鑓ノ議アルノ時二於テ異相ハ 意見ヲ陳述スル朋アクト雌行ハレス逮二翌詔ヲ放資セラル、一l至ル今ヤ復、ク之ヲ如何トモスル能ハス惟宜ク 共紹ヲ鳩車以テ大成ヲ期スルコト有ルヘキノミ前キニ元老院議長二勅シ憲淡ヲ起草セシメ給フ而シテ其稿巳 1−成ルト邸我力圃髄卜相称ハサル朗アルヲ以テ未夕避寒スル三華フス因テ今ヤ更二勅命ヲ衆参議三下シ各自 工其意見ヲ線上セシメ聖慮ヲ以テ之ヲ取拍シ我カ国櫻卜相称フ朗二依り怒法ヲ欽定シ給ハンコトヲ願フ是今 / ︵岩倉公賓記下巻六嵐〓、ユ○卒二貢︶ 日二於ケル巌紫婁ノ急路ナウト思考ス 序に第二の閥膚按の内容も吟味して置かう。 第二按は金牌としては第一の捗に字句の修正を加へたものに過ぎない。しかし囲鰭に符はないとして指摘され たであらうと思はれる諾鮎には修正が加へられてゐる。主要なる鮎は次の通りである。 て帝位鳩承の草の第四億︵特別の時機に際し帝位相承の順序を建易する必要あるときは、開院の承認を得べ しといふ規定︶と皇帝未成年及其撤政の馨の第五條︵擁政は在職の初、両院集倉の前に於て未戚年の皇帝に 制定の歴史を親して見たる帝国窓法の本義 ︵二九九︶一三 ヽ

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忠誠を喝し且同窓を確守することを宣誓するといふ規定︶を削除した。 二、第血の国憲按では﹁立法ノ樵︿皇帝卜帝閲譲合ト﹂が分有することになつてゐたのを﹁真帝元老院及代議 士院合同シテ立法ノ樵ヲ行フ﹂と改めた。伺度質には大なる欒更はないやうだが第二條、準二條を次の如く 書き改めた。 第二條 皇帝ハ法按ヲ丙院三下付ス両院モ亦意見脊ヲ上奏スルコトヲ侍所シテ其批准ヲ得ル卦ヲ法按ト ス 第三條 各法按ハ南臨協同ノ後皇帝ノ批准ヲ得ルニ非レ︵法律トナスコトヲ得ス 三、元老院の権限中より甜大臣の罪を翰督すること、外観條約及帝位欄承の順序を欒易するの承認を馬すこ と、皇帝即位の時又は擁政在職の初に方つて其宣誓を聡くことの各橙限を削除した。 この按は第〓倣に比べると民主主義的色彩は飴嘩薄くなつてゐる。tかしこの按も岩倉等の承認を得なかつた ことは次に引用する岩倉公告詑が言ふ通りである。 方今元老院奉命スル桝ノ芸ヲ上奏セントス臣之ヲ観ル言草鰭ヲ得ルト警恐ラ欠ハ未夕全備トセス︵詔勅 謎謂鵬謂銅︶ / では岩倉は叫鰭図樵按の何れの鮎に反封したのであらう。叉岩倉が其々鋸に反親したことが何故に現行憲法を 理解する上に露要な資料となるであらうか。之を知るには岩倉の憲政に封する意見と、岩倉が硯行憲法制定につ 策十二巻 第四蟹 ︵三〇〇︶ ∵四

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いて演じた役割を仔細に且つ充分に調査し珊解する必嬰がある。 岩倉の憲政に刻する意見は、彼が明治十∵年三月内閣に提出せる﹁儀制嗣杏局ヲ琶カンコトヲ請フノ儀﹂や、 明治十温年十二月七旦二備に輿へた﹁解願食中止ノ意見書﹂にも表れてゐる。しかし粂鰻的に纏められたものは 明治十四年七月六日宿痢訂蕃ふ烏有馬へ出張するに際し、質実、機仁親王に託して奏党を請ふた﹁憲法制定三関 スル意見書﹂と賛美、磯仁親王に示して参考に供Lた其﹁旨趣書﹂である重要なる資料であるから左にその全文 を掲げよう。︵岩倉公賓記七二皐貫−七二九耳︶ 憲法制定−−開スル晋見事 先日以来迫々御談合二及候憲法云々之件未ク端緒ヲ開カサル年具槻不孝ニシテ病束ノ馬メ諦暇致僕等恐縮且 遺憾之萱御盛儀就両者左之三仲南公洗ク御注意ヲ仰慶奉レ存儀 一憲法制定一岬就キ其候日工渉り候テハ議論百出容易三次党シ難キ場合1こ止至ル可キヤモ測テレス就テ︵先 以テ廣衷ヨリ断セラレ英大綱領敵箇僚︵確乎不動之翌秋ヲ被レ党旗筆ヲ以テ大臣へ御下附三相成候而憲 法起草ノ標準ヲ御指革被レ焉レ凝可レ英一存候此覇誠二仝局之眼目ニシテ後来日年二渉り紛議ヲ裁断スル ノ鏡鑑与存候補公宜グ御舞上有レ之盛儀 劇 憲法起草事績之事ハ左之三梯ノ方法中何レカ御決定相成慶儀 一公然卜憲法調査委貝ヲ設ケラル、事 制定の歴史を通して見たる帝閲憲法の本義 ︵≡○こ h五

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怒法起草可鼓1細山板二付児ツ大綱領数件聖断被レ薦レ在英他ノ條目ハ此蓋日工挨り起軍可敦旨御沙汰野 鳥レ在可レ然卜存候事 綱 大 第十二巻 第四壁 へ≡〇二︶ 〓ハ ニ宮中二中書局又ハ内記局ヲ選カレ大南二人英紙裁ヲ命セラレ内密二憲疲ヲ起葦シ成案ノ上内閣ノ議二 附セラル、審 lニ大臣参議三四人内密二勅旨ヲ車シ憲法ヲ起草シ成案ノ上内閣ノ議二附セラル、事 −右憲法起寛ハ図表ノ大要件二俣庭内閥叫致蒜レ之テ︵完全無紋ノ成案ハ警党東1存候因テ右起草手 紙御決琴南成候迄二衆参議之意見攣一致−候棟御取掻メ有乏魔術公二於テ篤ク御配慮是希候 ︼ 怒法起草二付凡ソ大網領卜馬ルヘキ條件別学一記載仕儀堂上御参考迄二御奏上有レ之度候 右條々愚考一筆如‖斯候事 七

太 政 大 臣 段

差 大 臣 殿

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一欽定寮法之憫裁可レ被レ用琴 ∵帝政職承法ハ組宗以釆ノ造範アワ凱三豊窒ノ憲則二戟セラレ帝園ノ患警記載ハ要セサル審 一項皇ハ陸濾軍ブ統率スルノ機ヲ有スル専 一天皇ハ宣戦講和及外囲締約ノ樅ヲ有スル番 ︼ 天皇ハ貨鮨ヲ蹟迭スルノ横ヲ宥スル黎 −天皇ハ大臣以下文武重官任免ノ棟ヲ布スル事 一天皇ハ位階勤牽及費親等授輿ノ撼ヲ有スル事 一天皇ハ恩赦ノ橙ヲ有スル事 山 天皇ハ議院開閉及解散ノ樺ヲ有スル専 ﹁ 大臣ハ天皇二封シ盈キ安住アル夢 心 立法ノ樺ヲ分ツ馬三Ⅷ老院展撰院ヲ設クル事 ﹁元老院ハ特撰議員卜聾士族甲ノ公既読畠トヲ以テ組織スル番 叫 民決議艮ノ議員選容淡ハ財産ノ制限ヲ用ウル事 山 歳計ノ換算政府卜議院卜協同ヲ待サルトキハ絶テ前年度ノ橡軍産り施行スル蕃 山 臣民嘲椴ノ権利及義務ヲ定ムル事 制定の歴史を通して見たる帝蛸窟法の本義 へ≡〇三︶ 則七

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一議院ノ横根二闘スル啓 一裁判所ノ攫限±紺スル東 憲法ノ制定三関スル大綱徹ノ旨趣音 速法起草可レ琴和出二岬付テハ起草安貞クル者自己ノ意想ヲ用ヰ二家ノ私議ヲ雑へ候按之軍歴之筈二候へ共 大餞ノ目的像メ劇定イクサス候テハ徒ニ、架蛋ノ識ヲ費シ或ハ主義ヲ誤ルーl至ルモ加計候欺卜深ク憂慮仕儀因 テ左之重大之條々先以安東ヨ針断セラレ起革委員一l下附セラレ共他ノ節目ハ右根本之主義−−接り起密致候磯 被=仰出−可レ然卜存候事 叫 欽定憲法之餞裁ヲ被ぃ用事 欽定図約之差別ハ別紙ヲ以テ具陳スぺシ i 漸進之主義ヲ失ハサル寄 附歓洲各圃之成淡ヲ取持スルニ付テハ李誠之憲法尤漸進之主義三通スル罫 学園之巌初二旛法ヲ牽スル1一一昔テ紛紀ヲ生セシ事跡ハ具陳スヘシ ー帝宝之臓嗣法ハ組宗以来ノ模範三伏り新夕芸風法王記載スルヲ要セサル事′ 一聖上親ラ陸海軍ヲ統率シ外囲二封シ宣戦離和シ外闊卜條約ヲ結ヒ貨幣ヲ蒋迫シ動位ヲ授典シ恩赦ノ典ヲ 第十二審 第四渋 へ三〇四︶ 山八

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行ハセラル、等ノ専 一聖上親ラ大臣以下文武ノ重官ヲ採搾シ及進退セラル、事 附内閣宰臣タル者ハ議員ノ内外二拘ハラサル寄 内閣ノ細粒ハ議院ノ左右スル桝二任セサルヘシ ー大臣執政ノ安佐ハ根元ノ大政1−係ル者欄踊鮎梢莞射婚期謂摘欄か鯛憫用語船布ヲ除ク外主管ノ軍務 二伸各自ノ寄準二付各自ノ費−−郎シ連帯茸任ノ法ll依ラサル寄 附漁律命令よ主管ノ執政署名ノ事 ∵ 立法之樵ヲ分タル、鵠二元老院民撰議院ヲ設ケラル、番 一元老院人特撰議邑卜率土族中ノ公挟議員トヲ以テ組織スル啓 剛 屈撰議院ノ妖拳迭ハ財産制限ヲ用ウへシ 但輩士族ハ財産二拘ハラサルノ特許ヲ輿フヘキ事 一凡ソ議案ハ政府ヨり頚スル事 仙 歳計之像算言付政府ハ議院卜協同ヲ得スシ≠徴税期限撃︻議決ヲ絡ラサル歎或ハ議院解散ノ場合二普ル 欺叉ハ議院自ラ退散スル欺叉ハ議院之集脅定メタル月琴−浦タスシテ決議ヲ得サルトキハ政府ハ前年ノ 裸算三倍り施行スルコトヲ得 制定の歴史を通して見たる帝国憲法の本義 へ≡〇五︶

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立憲ノ政ヲ行ヒ民合ヲ閑クエハ先ツ共時期ノ適度卜及其立憲政鱒申何等ノ制度力尤モ我閥鰐民俗二適スヘキ ャラ講究スルハホレ可レ闘ノ要用ナルヘシ今共時期ハ欧二熱セリト偶発セハ吹一一制度ノ寄食ヲ間フノ場合一一別 著セリ 欧洲各国二行︿ル、立憲ノ政鰭共棲的ハ大抵同叫ナりト雌其方法順序︵各々革園ノ開化ノ度卜桶鰐民俗トニ 従ツテ多少ノ異同アリ即チ囲合ノ槽二大小差アルコト是ナリ観禽ノ碓其小ナル者︵僅二立法ノ論告蓼輿スル ニ止マリ典弘大ナル者ハ政令ノ驚樵ヲ胞ルニ至ル 議院ノ曹各閲兵伺ア品シ最大至警勢力アル者ハ英囲議院=警ハナシ㌍粕摘英閥ノ議障ハ描丁五 法ノ枕ノ、、三非ス併セテ行政ノ寛健ヲモ把鹿セリ英園ノ諺1−英図議院ハ篤シ得サルノ車ナシ仰男ヲシテ女タ ラシメ女ヲシテ男タラシムルコト能ハサルノミト 何故三共凶ノ議院ハ肝セテ行政ノ資槽ヲ把捉スト云フヤ英朗ノ即慣法−一雄ヘハ英樹‡ハりフ政治ヲ行ハスシ テ撃フ内閣宰相三貴任セシメ門間宰相ハ即チ議院多数ノ進退スル桝クワ内閣ハ多数政茶ノ首相ノ組紙スル桝 クリ議院政義多数ナ攣史アル毎主従テ内閣宰相ノ攣東ヲ致シ視軸相代り仙輪戯テ二輪之二應スルニ異ナラス 而シテ閲まハ劇二議院多数ノ馬王制セラレ政寅ノ蔵輸二任シ式三伏り成詮ヲ宣下スルニ渦キスシテ二瓜∵右 第十t一巻 第四署 義人民之條利各件略鯛か欄法

意 見 第

■■■■■■■i へ≡〇六︶ 二〇

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宛モ血中ノ放ノ如キノミ故二名ハ行政棟専ラ観王三尾スト靴英資ハ行政長官必ス議院中欧基ノ扇領二取ルヲ 以テ行政ノ賓姪ハ寛二議院ノ改造ノ把捉中一1在り名ハ囲王.ト議院卜主椎ヲ分ツ千種スト錐英資人主穐ハ専ラ 議院二衣リテ国王ハ徒−−虚器ヲ榊スルノミ英国ノ語−一国王.ハ囲民ヲ統率スト榔自ラ観政ヲ理セスト云フ是ナ り英資形宛モ我力閣中古以釆政治ノ賓擢ハ武門lこ郎シタルト典ナルコト無シ 是二反シ晋魯鱒/如キハ閣吏ハ圃民ヲ統フルノミナラス且資二闘政ヲ珊シ立法ノ樵ハ議院卜之ヲ分ツト躍行 政ノ舵ハ轟ラ観王ノ手中三森リテ放テ他二謎興セス夙王ハ議院政教ノ多少一一杓ラスシテ共鐸和親政ヲ撰任ス ルモノトス伯賛際ノ朝情意程ヒ多クハ議院輿望ノ人ヲ採用スト紺英検城ヲ論スルトキハ決シテ議院政笈ノ左 右三位スルコト無シ 以上両様異臥ノ間二於テ政単純者ノ詮一定ナラスト雌犬巣各固ノ園醍人情工程ヒ同一ナルコト能ハスト謂フ 一︻踵セリ蓋シ著シ共闘ヲシテ遽よ普財ノ制二傲ハシメハ忽チ内乱ヲ恕スコトヲ発レサルヘキハ狗普簡ニシテ 英凶ノ焉ス所ヲ単フモ亦平和ヲ素ルコ、トヲ発レサルカ如シ 今我力観r−−於テ立憲ノ政ヲ起シ囲愈ヲ設立セント欲セハ寄誠二軒別二係ル是レ宜ク血進シテ英樹ノ政義政府 二模倣シ執政ノ進退却テ議院ノ多数二任スへ車力叉ハ宜ク漸進ノ童義二基ツキ議院二付スルーー弼上皿法ノ樵 ノミヲ以テシ行政長官ノ細絨ハ撃フ天子ノ探摘二屡シ以テ普観ノ現況二比擬スヘキヤ此二様取冷ノ問へ賓−一 今日ノ廟謹以テ永遠ノ基本ヲ立テ百年ノ利害ヲ娃クヘキ者■丁ンテ肢勢至貰ノ閏髄ナリ 制定の歴史を通Lて見たる帝国憲浩の本義 ︵≡〇七︶ ニー

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寛十〓容 箆由紀 ︵≡〇八︶ 〓二 英国ノ慣訟ハ政菜ノ結成大抵納菰三園ス散三熟少数ヲ得ルトキハ即チ他ノ仙最多数ヲ得今戦力図ノ如キ政 蒸発夕結成セス恨令結成スルモ必ス数小量各自二分五シテ叫大圏結二辟スルコト能ハス此時二於テ現在ノ内 閣少数ヲ得テ罷免セン十暇盤センエ其後二代ルノ菰英シテ衆望ノ掃スル所多数ノ集アル桝ナランヤ数小鼓必 ス鏑ヲ並へ攣止シテ相合仙スル能︵ス其硯成ノ政府ヲ攻撃スッt常テ血時登勢ヲ合七以テ各自ノ膠欲ヲ連シ タルモ︼蕊其任地1〟代り以テ内閣ヲ細成セントスル言開り他ノ数鼠必ス寧競ノ勢ヲ成シ行政棟ノ仲地︵仙ノ 卒院グル三通キスシテ銀婚相攻メ甲顔キ乙偵レ安定スル例ナク勝二政路ノ何物クル国事ノ綬急何様ナルヲ間 フニ畷アラス其賂リカヲ兵双三條ルニ至ルコトヲ免レサラントス是レ彼此事情ノ同カラサルノ第十ナリ 英閻二於テ各局各課ノ長及法官ノ類ハ是ヲ永久官トスルヲ除クノ外語省卿輔寄託官長甜官ハ皆一政義ヲ以テ 組織シ議院ノ多敏一攣シテ内閣ノ軽替アル毎二避婁ノ諸官二時二知ヲ畢ケテ過椒スルヲ以テ慣法トス今我 カ国ノ内閣剛攣セント仮定センニ参議及各省ノ長次官並三重罫書記官ノ加古二時其後任二代ハルヘキ入ヲ求 メンニ在野ノ俊傑二三著名ノ人ヲ除ク外典シテ衆望ノ蹄スル塀人心ノ魔スル所欺賂夕小年才子餅起シテ争進 スルー一任セントスル歎是レ彼此事構ノ同シカラサル第二ナウ 更新以来王化未ク人心二次沿セス靡薄ノ蓼怨望ノ気配二級而−−典マル今著シ俄力一r英闘政虞政府ノ趣−一倣ヒ 民言ノ多数ヲ以テ政府ヲ粟替スルノ塗轍チ堵ムトキ︷今日開合ヲ起シテ明首内閣ヲ叫欒セントスルハ鏡ヲ懸 ケテ枕ルニ均シ識者内閣史替ノ速ナルハ闘ノ平安ヲ妖クル所以ナリト調フ予ハ識者ノ或ハ英閣ノ成践二心脾

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シテ我団ノ事情ヲ反照セサルモノナルヲ尿フコトヲ兎レス 意窓ノ大事方二認創二屠シ未夕資際ノ徴励ヲ経ス共叫時二急進シテ事後ノ悔ヲ始シ或ハ輿ヘテ後−1奪フ′ 不レ得レ已アラシメンヨリハ寧口普図工倣ヒ歩々漸進シ以テ後日ノ飴地ヲ馬スニ潜カスト信スルナり

意 見

内閣執政ヲシテ天子ノ選任三鷹セシメ図愈ノ馬二左右セラレサラント欲セ︵左ノ三項三位ルヘシ 第山 怒法二於テ﹁天子ハ大臣以下勅任甜官ヲ選任シ及之ヲ進退ス﹂L・ノ明文ヲ掲クヘシ此明文ヲ拐クル トキハ仮令賞際二於テハ執政大臣ハナルヘク衆望ノ人ヲ採用シ其ノ極メテ輿論三背クノ人︵之ヲ罷免セ サルヲ得スト輝進退ノ大株一三天子−−在ルヲ以チノ敬二畢臣クル者亦天子ノ知遇卜闊家ノ慶頼トニ倍り 衆議戯言ノ馬二左右セラレス共意見ヲ仙定シ確然不抜ノ針路ヲ取り恨令二7議事二於テ議院ノ少数ヲ 碍ルモ仇ホ終始内閣ノ大局ヲ仝クスルヲ待言夕廟猷ヲ轡扉スル毒フサルヘシ雛絹針凋 竺怒彗於テ宰相′烹在ヲ定メ羞背ノ場合卜各個分措ノ場合ヲ分ツヘシ凋訳㌶輌嘉納詣硝化

謂訪露雛柏餅㍍諸レ謂莞シ英圃晶晶歪ハ.こ陽子連帯ノ警負フ者ヱハ表音ノ職

務犬錯ア、リテ議院ノ譜資ヲ得ル毎二他ノ各省長官苧捉テ叫同二退級セサルヲ得ス此ノ如キハ内閣︿容易 二議院ノ攻撃ヲ致シ更替頻焼叫ノ寧院トナル三軍フンコト必セリ且珊ヲ以テ之ヲ論スルニ荒†剛執政ノ 過失必ス衆執政ノ薯訪韓セシメ︵凡ソ行政ノ事務ハ各部ノ分住専翠アルニ杓ラス必ス預メ衆執政ノ公議 制定の歴史を通して見たる帝国婁法の本義 .︵≡〇九︶ 〓lニ

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第十〓各 節四舵 ︵三副○︶ 二四 ヲ鮭セシメサルヘカラス而シテ却テ各自分轄ノ安住ヲ瞭クセル11琴フントス英槻二於テ連帯茸疎ノ淡ブ ルハ其内閣執政ヲ以テ二川政罷ノ袋合鯉トシテ劇個人卜同二l看倣スヲ以チノ枚ナリ抑々行政萌紡三省 ヲ分チ職ヲ定ムルハ現間り立法議院ノ教員合同シテフ集合闇ヲ結成スル者卜同カラサルヘキナリ 第三 怒法二於テ普団ノ左ノ仙條アルニ倣ハサルヘカラス 普園憲法第百九億二云﹁雷枕ハ兵力ヲ保ツ﹂ト其説明ハ若シ歳計換算一一付テ政府卜開愈1協同セサルト キ︵前年ノ預算英数ヲ有スヘシト云エアリ 蓋シ此一條ハ普蜘ノ達観憲法二於テ寧フ行政椎ヲ緋持スル所以ノ主脳クリ此⋮條ナキトキハ議院若シ内 閣ヲ攻撃シテ内閣ノ重大法案ヲシテ少敬ナルニ寧フシメ而シテ内御伽ホ天子ノ保護1一伏り退職︷l至ラサ ルトキハ議院ハ其議ヲ固執スル焉二濁り徴税ヲ挽挺シ観債媚嬰ノ資料ヲ買約セサルノ∵法ア几,/ミ議院 ハ其力能ク立観ノ生命ナル和税ヲ踵ムコトヲ得ルカ雷三英図及他ノ自耳義伊太利甜邦ノ如キモ亦皆議院 ノ鶉:政敵内閣ヲ細織シ以テ議院ノ衆望ヲ貫フコトヲ務メタリ今英シテ普轡−倣ヒ内閣ヲシテ議院ノ外 二在ラシメント欲セハ必ス又普幽ノ税法ノ備忘依ラサルヘカラス琴フサレハ天子ハ宰相ヲ進退スルノ條 アルモ亦膚サニ有名無寛一〝膵セントス 以卓二項ハ漸進ノ主義ヲ緋持シ永遠三園ノ洪捕ヲ傑ツ焉二必要ナルモノト信ノス

意 見 第 三

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前節二議二股テ謁クル朋ノ三項ノ中野二項ハ欧洲中洞り普魯苧−典例ヲ見ル所ニシテ普麟攻囲準︻此條アル

ハ政誼拳者ノ満足セサル朗ナリ政論家ノ撃一綻へハ普蜘ノ鞠怒ハ幾分ノ塵制㌢免レすルモノニシテ普蜘ノ議

院ハ完全ナ几気力ナキ者タウト云フ

元老院上葵ノ語法輩集結八篇諭二條ニ﹁法律ノ承認ヲ得サル租税ハ之ヲ蹴球スルコトヲ得ス﹂ト此レ乃チ明

か晶税ノ金管慧⋮附仙ハスルモノニシテ此條二従へハ政昭徴税ノ怨讐シテ警議院ノ輿警ル川卜焉

レハ人民ハ租税ヲ誅出スルノ義務ヲ葬レ園擁由ツテ以テ費給スル研ナカラントス麒税ノ今礫既二議院二在ル

トキハ虎ニシテ礪ヲ負フカ如シ内閣ヲ進温シ王命ヲ左右スルモ執レカ敢テ之ヲ防カン此レ急進政論家ノ十分

二藩足スル桝ナルヘシ

文箱叫項攣遍二於テ執政ノ進也ヲ撃フ天子二辟シ及避難資性ヲ準レシメントスルカ如キモ亦現今園患ヲ主

唱スル論者ノ説卜相反劉スル者ナリ交諦敢工於テ起草セル私擬憲法策第九健吉﹁内閻宰相ハ協同仙敦シ内外

ノ政務ヲ行ヒ連帯シテ英資二任スヘシ﹂云々第十二健一三首相ハ天皇衆庶ノ撃一依テ親シタ之ヲ撰任シ共他

ノ宰相ハ首相ノ推撃一俵テ之ヲ命スヘシ﹂第十三條1−﹁内園宰相タル者ハ元老議員若クハ囲愈浅学l限ル

ヘシ﹂第十七條ニ﹁内聞ノ意見立法両院ノ衆議卜相符合セサルトキハ或ハ内閣宰相其職ヲ離シ或ハ誉ヲ特

樵ヲ以テ助命院ヲ解散スルモノトス﹂以上各條ノ主意ハ内閣執政ヲシテ連帝京任セシメ甲ンテ議院卜合ハサ

ルトキハ轍チ其職ヲ群シ議員中衆望アルモノ之三代ル桝謂政某内閣新陳交替ノ撃一シテ聖英鯛ノ模警倣

制定の歴史を過して見たる帝閲覧法の本義 ︵ニ〓一し 〓五

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立憲ノ大事ハ蟹二非常ノ轡串ニシテ廟猷遠大一定シテ回ラサル一−非サレハ衆議紛按何ノ底止スル所ナルコト ヲ知ラス漸進ノ重義ハ一時世論ノ満足セサル朔予力意見三項ノ如キ之ヲ鷺施−巾施スエ於テ物議ヲ激動シ箆々 喧滞留ヲ壊チテ相迫ルモ亦料ル可カラス共確然不抜以テ永久ノ間メヲ焉スモノ弼り我力天皇ノ聖断卜輔細夫 臣宜紫野フサルトー㌦描ルノミ予力常々後衷貰二仰望二堪へサルナウ ∴明治十凶年七月 具 岩倉が憲法の制定に閲し如何なる青鬼を持って属たかといふ積極的な誰明は後述に譲って、岩倉が常老院の固r /、 窓英に反射したであらうと児はれる諸鮎を此の意見書及趣旨書を通トて考へて見ると大鰐次の如くなる。 岬 帝位茂承天皇未成年挿数等畠嚢に閲する規則を観窓の中に定めたること 二 帝位賭承の順序を欒威する必安ある場今に両院の承認を必嬰としたること lニ天皇即位の際、梼政就任の姶に常って開院弟分の前に於て圃憲を確守する旨の音響を残すものと定めたる 郵十二番 発祖㌍ ︵三二〇 二六 フモノナり因テ惟フ今日急進ノ論ハ漸クエ朝野ノ問二浸染シ叫時風潮ノ勢横蛋シテ昇り必ス液上廠如;泰テ 而後止マントス予ノ探ク放ル桝ノ者ハ雷局者或ハ理論二心酔シテ探ク各固ノ異同ヲ穿メス永遠ノ結兼ヲm心ハ スシテ徒三目前ノ新奇ヲ悦ヒ内閣ノ組織ヲ以テ衆議ノ左右スル所三位セント欲スルアラ二タヒ輿フルノ棟 利ハ流汗ノ再ヒ回ラスヘカラサルニ同シ弼り開館ヲ敗ルコト7ルノミナラス其レ隠ノ安寧図民ノ洪嗣ヲ樹ル ニ於テ亦或ハ将二董甥臆想ノ外二出テ悔ユルトモ迫フヘカラサル三軍フントス

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こと 四∴試合に張某椎を輿へたること 五 元老院に諸大臣の罪を論告する擢限を興へたること 不 ﹁法鍵ノ承認ヲ得サル粛親ハ之ヲ凰謀スルコトヲ得ス﹂と規定Lて蹴粉の粂椎を議命に附興したること 併し此等は賛は、岩倉が排撃せんとした思想の農機的敦現としての諸制度に過ぎないので、岩倉が如何にする も承認し得なかつたものは、闊憲番の姦面に流れる民亭重義思想であつたと思はれる。如何にも陶窟策は天皇の 大横として様々のことを規定してゐる。民主国に比ぶれば議愈の彿限は弱いと云ってよい。併し、皇位の鳴承其 の他皇窒に紺する箪項む憲法中に規定することは、一関主槽者の決定につき輯民の踊輿を許す所以である。これ は民主国に於てのみ許さるべき事柄である。膏陣場京の順序の欒更に開院の承認を質すとすることも同株であ る。況んや天烏即梢の際又は捧政親任の際輌院に於て問憲を確守することを宣誓するといふに至つては、キ雑鹿 民の理論の上忙立ちてのみ承認せらるべき制度である。耽老院に緒大臣の罪を論告する樵限を由へたることば、 上述の宣誓と同じく諸大田を樹民に代って政治を為すもの、換言すれぼ囲民を主樵著と見る思想に某く。誅律の 承認を待なければ、徴税を残し得ないとすることは、大臣の任免槽が天皇にあるに拘らす内閣の進退を‡右し得 る質槽む議禽に典ふるもの、それは、皇帝は単に虎韓を擁し、大田は陶民が任免し園民に封して賛任を負ふとな す英閻に哉観を同じからしめんとするものである。 制定の歴史を通して見たる帝囲憲法の本義 ︵一二二ニ︺ 二七

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第十こ懇 篤四既 ハニ二四︺ こ八 資するに、国憲策は﹁塵紙/醍声其ク﹂と節しながら、その腎は我鯛を英囲式の琴芝甲∼定置‡の民主闘 1雫1たらしめんとするものであつて、﹁建蜘ノ鱈二基キ﹂﹁海外各尉ノ成淡ヲ尉酌﹂せよとの動乱の御趣旨には符 はないものである。植ふに、勅語に所謂﹁避軌ノ膿=基キ﹂﹁海外各麟ノ成法ヲ封酌シ﹂とは、閥醍に轡更を加ふ もことなく、否、餌憬を爛々貯揚する意味に於て、その手段とトて、先進紹鴎む艮別を抹れとの御趣旨で鮎る。 換言すれば、精神は我に桜り、形式は彼に探れとの御趣旨である。大正以来重源新鹿した我囲の審決撃給が憲法 の採用せる外形に捉唸れて、精神迄民主々義を採用せる如く解絆したと丁度同様に、開怒按は海外各観の制度を 採入れたのは良いが、それと共に民主々故精帥進も探入れて、、建凶の闇を推廃すべきであつたこと㌢忘れたもの である。岩倉等が﹁固鰭1こ付ハサル桝﹂ありとして承認を輿へなかつたのは常然である。 さて、岩倉の開憲某に封する意見がかくあつたといふこと一明治天皇の御叡慰もかくあつた主窄察されろが − は∵現行憲法の精神が斯くあるといふことの立派な許掠になると思ふ。併し之を立許するには、岩倉が明治 政府に於て指導的な地位を布し、殊呼憲法の制定に於ては冤姿な役割を演じたことを明かにせねばなら庭。 岩倉の明治政府に於ける地位と、怒法制建に於て演じたる綬剖は偶々の欝既が准尉に物語ってゐる。貰敵役竃 の大命の換疫せられむとするに懲り、作幕箆の決意強固なるを聞きて遅凍達巡せる申御門、正朔町、三傑、中山 等を説きて、革新の断行に賛成せしめたのは岩倉である。大政奉還を車間しっ1、壁嘗を謂侠の首長として蘭政 を罫捏せしめんとした公武菰を血喝して﹁神武創業の規模に基く﹂大命の炊後に同意せしめたのは岩倉である。

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乾田條御誓文教布の形式を﹁諸侯愈盟﹂より﹁天皇公卿諸侯百官を率ひて天地和明に誓ふ﹂に欒更して能く因憶 を維持したのは岩倉で参る。版籍奉還に銅し木戸の意見を納れ、薩長土を詮かしめ、版殆奉還の議を上らしめた のは岩倉である。版籍奉還塵試聴約の登表を應躇せる三傑等を促して断然次行を決意せしめ、未符牒籍奉還を掘 出でざる諸侯に勤し之を奉還すべきの御沙汰を鰭達ぜしめたのは岩倉である。腰薄塩願断行の準備として、大久 保、木戸と誹り、四郷を興起し、板垣を上京せしめ、溶長土の協力を得て親兵を細緻し、小倉、石巻に鋸芸新設 置して兵権を放め、攻で政府を改革してその基礎を固め、最後に取落を断行して囲豪の統⋮を完成したものは岩 倉である。遣韓大使諭の起るや、桝謂内治派を率ひて四郷等の追使派を粉砕したのは岩倉である。八年の政担に は岩倉の意見は行はれなかったが、それだけ急進的となり、動もすれば囲鱒を謬らんとした時代の風潮に先手を 打って、閥鰭に基く憲法鹿創の勅語と − 九年の元老院に下されたる勅語†−﹂牢顎許したのは岩倉であ富十一 年元老院困憲取調査員より儲脅せる圃憲按に修正を下命せしめたのは岩倉である。尭老院の閣憲按を囲鱒に符は すとして衆参議に勅命の降下を奏諭し各自に意見を上らしめて憲法の制定を準備したのは岩倉である。明治十四 年北緯道開拓使官有物排下問題を横倉に大隈を首班とする白山主鵜的官僚を政府より仙描Lて、憲法制定に関す る大方針を確立したのは岩倉である。無論囲愈開設の勅諭を奏諭し急進奔流、相聞照を危ふからしめんとした民 間民楯着流を正造た復鐘せしめたのは岩倉である。伊藤を欧洲へ派遣することを奏講トたのは岩倉である。伊藤 に嗣埜蔓頓に鏑する訓條を興へたのは岩倉である。﹁立憲J政鰭ヲ大横スルメ規模ハ 叫定スル桝アワト緋其紆営 制定の歴史を通して見たる帝国憲法の本義 ︵≡一五︶ こ九

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摺重工室テ︵各国ノ政治ヲ尉酌シテ以一三米揮二腑フルノ要用アルカ焉メ﹂とは欧洲派遣に際し伊藤に賜万庭る詔 旨の〓齢であるが“、伊藤の誠迫の前に於て憲法の大網を定めたのは岩倉である。岩倉の病革るや串薦開虔も山石倉 都に臨奉Lて具偶の疾病を親閲し給ひ、その克まするや国葬の紹を賜ひ、明治二十二年二月十〓り睾窒典範の制 定帝観憲法の敬布あるや特に勅使を具硯の基妃過され、王政盲に復り今日皇宝典範を治め憲法を敬布するに至少 たるは資に汝の功蹟の預はれ乗りしものなる旨を告げしめ給ふたのは誠に数あるかなである。さうしてこの報賓 は岩倉が如何に王政の復古に、さうしてその精神を維持し得たる憲法の畿布に功献したるかを許して執りあるも のである。 岩倉の明治政府に於ける地位、憲法制定の上に演じたる役割がかくの如きものであるとせば、岩倉等によりて 承認せられなかった闘志技中の諾鮎は、そのま1現行憲法の採らざる鹿であると断定して差支へない。即ち現行 藩法は外形の類似に拘らず民主々義に立脚するものでない。無論之と不可分の関係忙立つ法治主義を採用せるも のではない。典醍的に富へば、憲法k、国民塵樺を前提とする天皇磯闘訟竺且つものでない。試食は箪なる天皇 の統清拗闘であつて、立法及像算に参興し得るに過ぎない。その有する上奏樵は試昏の意思を天皇に上奏糞晒す るに過ぎない。直接忙大臣の糞任を間ふ樵眼の如きは、元より議昏の有せざる所である。財務次臣ば名賛共に天 皇の任免せらるゝ磨である。所謂議院内閣制峰憲法の採用せざる虚である。之れ明治九年の国憲也別に関する勅 語及元老院の観憲按歓適して知り得たる帝幽憲法の本義である。 秀十二容 第四錬 ︵ニ二六︶ 三〇

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序に帝観憲法が国憲按の精油イト∴氏毒々義トーを穏承したものでないことの停託として、後年金子堅太郎の語 ってゐる伊藤の闊憲按に封する批評を挙げておこう。 伊藤公ガ元老院カラ上奏ニナツテ居ル闘琴ソ草案ヲ御璧ニナツテ見ルト、ナカく之ヲ直グ白木二行フトイ フ澤ニハイカナイ。 伊藤公ノ眼ニ︵、マダ此草案ヂ︵我囲ノ賓際一l行ハレヌ。リレハドゥイフ筒傭カト音へバ、多ミコザィマス ケレドモ、兜ヅ魂∴一二帝窒ノ費用ヲ毎年議倉ノ議決ヲ檻テ汝律ヲ以テ塗布スルトイフコトニナツテ居ル ガ、是ハ英蕾利ノ如キヘソレデモ宜ウゴザイマセウガ、我ガ日本ノ閻鰭ニハ通常セヌ。 モウ仙ハ範囲篇第叫賓苑州債ヲ見マスト、皇帝、元老院及代議院合同シテ立法ノ樵ヲ行フト苔イテアル。是 ハ純粋ノ英蕾利流乃チ﹁キングインパーリヤメント﹂ト音フ英団J憲法政治ノ原則デ、皇帝卜代議院卜協定 シテ立法ノ株ヲ行フト云フコートデアルー州債テ、是ハ日本ノ囲牒ニハ如何カト伊藤公ハ疑ヲ憤カレク。叉天子 二封シテモ文部流ノ皇帝トイフ字ヲ用ヒテ何ノ馬二我ガ日本ニテ用ヒ釆ワクル天皇卜書カヌカ。リレカラ鎗 四篇ノ第四箪ヲ見マスト、両院︵大臣ヲ弾劾スルコトヲ得トアツテ、英昭劾ハ両院デスルニアラズシテ大審 院デスルト蓄イチアル。是等′箇條ヲ段々伊藤公ガ研究サレタ結果、元老院ヨリ上奏ニナック葦粂ハ飴程英 蕾利流二出来テ居ルカラ、我日本ノ閲鰭ニハ適ハヌ鮎ガ多々アルカラ、葡熟慮スべキモノダトイフ伊藤公ノ 莞ガ響マシタ〇︵輌踊精細踊躇諸姉相場節︶

制定の歴史を通して見たる帝国憲法の本義

︵三︼七︶ニ二 ︵未完︶ .選一

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