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裁判員制度の抱える課題-香川大学学術情報リポジトリ

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Academic year: 2021

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(1)講. 演. 裁判員制度の抱える課題. 佐. 司会者. 藤. 武. 彦. 定刻になりましたので,平成22年度香川大学法学会講演会を開催したいと思. います。本日は佐藤武彦先生に「裁判員制度の抱える課題」についてご講演いただくこ とになっております。まず香川大学法学会を代表しまして,法学会会長の松尾法学部長 から一言ご挨拶をいただきます。. 松尾. 今日は,本年3月まで高松地方裁判所所長を務めておられました佐藤先生をお招. きして講演を企画しました。詳細なご紹介はロースクールの馬渕先生にお願いします が,佐藤先生は,法律や法律家の役割について日頃から非常に熱い心を持っておられ, その一方で,法曹らしい冷静な判断力をお持ちの方です。私は,いくつかの会合等で佐 藤先生にお会いしてそう感じております。本日は,皆さんもその一端を聞くことができ ると思いますので,しっかりと拝聴していただきたいと思います。. 馬渕. ロースクールの実務家教員の馬渕です。佐藤先生は,香川県のご出身で,高松高. 校を卒業後,東京大学法学部に入学され,その後,厚生省(現厚生労働省)に入省され て,昭和44年在職中に司法試験に合格されました。昭和4 7年4月に裁判官に任官さ れ,大阪地方裁判所を皮切りに,長崎の佐世保,高松,大阪,大洲・八幡浜,京都,広 島,松山,東京,と転勤され,この間,第一審の民事,刑事,家事,少年事件を担当さ れ,高等裁判所も広島高裁,東京高裁の2カ所を経験しておられます。平成1 5年3月 からは裁判所の所長として,鹿児島地家裁,高松家裁,高松地裁と7年間勤められ,本 年3月に定年退官されました。裁判所の中でこんなに長期間にわたり所長を務められた. −4 1−. 3 0−1 ・ 2−5 8(香法201 0). 五 八.

(2) 裁判員制度の抱える課題(佐藤). 方は珍しいのでありますが,このことは,佐藤先生が,司法制度改革,中でも裁判員制 度の導入に多大な成果をあげてこられたことによるものと思われます。とりわけ,平成 17年に郷里の香川県に帰られましてからは,裁判所のトップとして職員の方を叱咤激 励されながら,自らマスコミにも度々登場され,県下の裁判員制度の普及に全力を投入 されました。そういうことで,本日は,自らのご経験を踏まえながら,「裁判員制度の 抱える課題」 について,貴重なお話が聞けるのではないかと期待しております。どうか, 最後までご清聴をお願いします。. 皆さん,はじめまして,只今ご 紹介を受けました佐藤と申しま す。よろしくお願いします。本年 の3月まで高松地方裁判所の所長 をしておりまして,その後は特に 何もしておりませんが,本日はこ のような大勢の皆様を前に講演の 機会を与えていただき,私自身, 大変喜んでおります。さて,本日 のテーマは「裁判員制度の抱える 課題」ということですが,あらか じめ3頁のレジュメを用意してき ましたので,皆さんも適宜それを 見ながらお聞きいただければと思 います。本日はロースクール生の 方もおられるようですが,香川大 学法学部の2年生,3年生の方が 中心のようですので,与えられたテーマに入る前に,裁判員制度の前提となる刑事裁判 の概要や目的について理解を深めていただき,刑事裁判にどうして市民が入るように. 五 七. なったのか,そして,裁判員制度は今後どのような課題を抱えているのか,という順に 話を進めてまいりたいと思います。 ところで,皆さんは今,法律の勉強をしておられるわけですが,楽しく勉強をされて おられますか。私も若い頃,皆さんと同じように法学部に入学したわけですけれども, 最初は法律がさっぱり分からず,困ってしまった経験があります。高校の先生から法学. 30−1・ 2−57(香法2 0 1 0). −4 2−.

(3) 部は「つぶしがきく」なんて言われて入学したんですけど,法律が自分にとっても,社 会にとっても,大事な学問で,その背景には哲学や歴史や経済学もあって,こんなに面 白い学問はないと気がつくまでには随分と時間がかかりました。余談になりますが,大 学にはいろんな学部がありますが,公私立を含めて法学部の卒業生というのはものすご く多いと思います。でも,いきなり脅かすようで恐縮ですけれど,法学部に入って楽し く法律の勉強をしている人が果たして何人いるだろうかと思います。私は裁判官になっ て,事件を通じていろんな方々にお会いしましたが,中には,「私,実は法学部出身な んですけど,法律は全然知らないんですよ。」と半ば自慢そうに言う方に随分お目にか かりました。どうですか皆さん。「私,法学部出てるけど,法律知らないんですよ,あ ははは,って。 」おかしくありませんか。これがもし, 「私,医学部出てるんですけど, 医学は全然知らないんですよ。 」なんて言ったら,相手にぶん殴られますよ。 話がなんだか逸れてしまいましたが,私がここで言いたいのは,皆さんは,現在,大 学の法学部という専門の高等教育を受ける機会を得ているわけですから,間違っても, 法律を知らないことを半ば自慢にするような卒業生にはなって欲しくないと思うので す。後からもお話ししますが,これからの日本は,法律があらゆる分野で非常に大事に なってくる,法曹人口も大幅に増える,そして,ついには,刑事裁判に一般市民が参加 する裁判員制度も誕生した,今は,そういう時代なのです。ですから,法学部あるいは ロースクールの皆さんには,現在のご自分の立場を考えて,目の色を変えて法律を勉強 して欲しい。そして,少しでも,法律が面白くなり,せっかく法学部に入ったチャンス を生かして,日々有効に時間を使って欲しいというのが,私の心からの願いなんです。. 前置きが長くなってしまいましたが,ここから本論に入ります。当初にも述べました が,裁判員制度導入の意義,そして裁判員制度の抱える課題を理解するには,刑事裁判 の概要と目的が分からなければなりません。 言うまでもなく,刑事裁判は,社会で発生する犯罪を扱うシステムで,捜査から公判 に進み,判決の宣告によって終わります。この捜査から判決宣告までを詳細に定めてい る法律が刑事訴訟法です。また,話が横道に逸れそうですが,皆さんの中で刑事訴訟法 を楽しいと思って,わくわくしながら勉強している人はおられるでしょうか。大方の人 には,条文や法律用語が難しく,教科書を読んでも無味乾燥で全く面白くないというの が正直な気持ちじゃないでしょうか。刑事訴訟法だけでなく,法律全体が若い学生諸君 にとって無味乾燥で分かり難いと思うのです。でも,それには理由があるのです。はじ めにも述べましたが,法律は社会全般を扱う学問です。しかも,人々の間でのトラブル や犯罪など,社会の病理的な分野を対象としています。ですから,高校生から大学生と. −4 3−. 3 0−1 ・ 2−5 6(香法201 0). 五 六.

(4) 裁判員制度の抱える課題(佐藤). なり,若くて社会経験の少ない皆さんにとって法律が面白くないのはむしろ当然のこと なのです。でもちょっと待って下さい。その法律を頭が新鮮な若い皆さんが興味を持っ て勉強する方法論があるのです。それは,できるだけ,法律を身近に捉え,具体的な事 例を想定しながら,これから出て行く社会の生きた学問として法律を勉強することなの です。刑事訴訟法で言えば,教科書に書かれていることを自分とは関係ないと思うので はなく,もし,自分がやってもいない事件で犯人にされた,例えば,コンビニで万引犯 と間違えられて逮捕,起訴された場合を想定して真剣に刑事訴訟法を勉強してみるので す。実際に,そういう場面になれば,皆さんは,刑事訴訟法を試験勉強のためではな く,自分のために,真剣になって,おそらく,一晩徹夜してでも集中して勉強すると思 いますよ(このことは,詐欺被害や他人への保証,不動産取引などの民事法,あるいは 行政法などにも共通することです。 ) 。 話を戻しましょう。まず刑事裁判って一体何だということですけれど,これは余り難 しくない。一言で言って社会に発生する犯罪を対象とし,これにどう対処するかという ことに尽きます。犯罪のない社会が望ましいことは間違いありませんが,残念ながら, 最近も広島で無差別殺人という重大事件が発生しましたし,テレビや新聞によると親殺 しや子殺しなど,悲惨な事件が毎日のように報道されています。犯罪があった場合,ま ず,警察による捜査が始まり,犯人と疑われる人(刑事訴訟法では被疑者と定められて います。 )が逮捕されたり,物的な証拠を確保するため捜索や差押えが行われます。強 制的な捜査には,裁判官の令状が必要になるし,逮捕や勾留について時間の制限も刑事 訴訟法で定められています。警察の捜査で嫌疑が濃厚になると検察庁に送致され,検察 官による再捜査がされて,公判維持ができる(公判で有罪の判決が得られる証拠が揃っ ている)と判断された場合に公訴提起(起訴)され,そうでない事件については不起訴 になります(不起訴となった事件については検察審査会の果たす役割がありますが,省 略します。 ) 。起訴されると,被疑者と呼ばれていた人は被告人になります(この点も刑 事訴訟法に定められています。ちなみに,民事事件では,原告,被告という呼び方で, 被告人とは言いません。こんな基礎知識のない法学部の卒業生がいらっしゃいます よ。 ) 。そして,公訴が提起(起訴)されると,裁判所で公判が開かれ,検察官から証拠 が提出され,被告人と弁護人(弁護士)からも証拠や意見が出された上,最終的に,そ. 五 五. の事件について有罪か,無罪か,有罪の場合は相当な刑罰について判決が宣告されま す。かつては,日本の裁判は長すぎると言われ,「思い出の事件を裁く最高裁」という 川柳を詠んだ某総理大臣がいました。第一審から10年以上もかかって,いよいよ最高 裁で判決が出たときにはすでに事件は風化してしまっているということですね。しか し,平成1 6年からは裁判員制度の導入も想定し,刑事訴訟法を一部改正して「公判前. 30−1・ 2−55(香法2 0 1 0). −4 4−.

(5) 整理手続」が創設されました。この手続は,非公開の会議室で,裁判官,検察官,弁護 士(被告人)が事前に争点と証拠の整理について打ち合わせ,計画的で迅速な審理を目 指すものです(とりわけ,検察官による証拠開示が重要です。これによって,その事件 の争点が絞られ,弁護側は,防御方法を事前に準備し計画的審理が可能になります。)。 ところで,公判手続では,何よりも証拠に基づく事実の認定が重要視され(証拠裁判主 義) ,予断や偏見は排除されます。勿論,被告人が有罪とされるには,検察官に確かな 証拠を提出する義務と責任(検察官の立証責任といいます。)があり,このことは,「疑 わしきは被告人の利益に」という無罪推定の原則に関連しています。以上が,ざっと眺 めた刑事裁判の流れですが,歴史を振り返ってみると,昔からそうではなかったのです ね。特に,捜査と公判の分離といわれる手続は,日本では,約150年前の明治維新によ り,西欧から近代法を導入して,ようやく実現したのですね。若い皆さんは,テレビで 遠山の金さんのドラマなんか見ることはありませんかね。「黙って聞いていりゃいい気 になりやがって。この背中の桜吹雪が見えねえか。」という決まり文句がある時代劇で すが,日本では,江戸時代まで,お奉行さんは,街を徘徊して捜査官も兼ねていたとい うことですね。でも,捜査と公判が分離されてなく,公判審理の前にお奉行さん(裁判 官)が予断を固めていた刑事裁判だったとなると,「これにて一件落着」と拍手喝!で は済みませんね。今,NHK の大河ドラマで龍馬伝をやっていますが,岡田以藏への自 白を迫る拷問などひどいものですね。そのように,基本的人権が全く無視されていた刑 事裁判の歴史を考えながら,あらためて刑事訴訟法の教科書を読むと,きっと1つ1 つの条文が意義深く感じられると思いますよ。 つぎに,皆さんには刑事裁判の目的についてしっかり理解していただきたいと思いま す。刑事裁判の目的は2つあります。それも,ときには大きく矛盾しかねない2つの目 的です。1つは罪を犯した者を絶対に逃さないということ。絶対は言い過ぎかもしれま せんけど,犯罪が発生した場合,速やかに犯罪者を見つけ,適正な処罰を与える。それ によって,犯罪を許さない安全な社会を実現することができます。ただし,これだけが 刑事裁判の目的であってはいけません。犯罪を社会からなくするからといって,疑わし い人を全部有罪にして監獄に放り込む。こうなると,自由も基本的人権もない暗黒の社 会になります。そこで刑事裁判のもう1つの大切な目的は,無実の人を有罪にすること があってはならない,つまり,冤罪を絶対に出さないということです。自由と基本的人 権が守られてこそ,人々は安心して社会生活を営めるのです。つまり,安全で安心な社 会の実現こそが刑事裁判の目的なのですね。皆さんが,この観点から,刑事訴訟法を学 習すると,本当に面白くなりますよ。. −4 5−. 3 0−1 ・ 2−5 4(香法201 0). 五 四.

(6) 裁判員制度の抱える課題(佐藤). そこで,つぎに,市民の加わる新しい刑事裁判,すなわち,裁判員裁判が目指すもの は何かということに話を進めましょう。裁判員制度の内容は,詳しく話すと長くなりま すので,今日は簡単に述べますけど,抽選で選ばれた6名の一般市民が刑事裁判に参加 し,3名の裁判官と共に,公判廷に立ち会い,検察官が提出した証拠を検討し,弁護 人,被告人の意見も聞いて,被告人が有罪か無罪か,有罪であれば刑をどうするか を,9名の評議によって決めるということです。高松地裁も,これまでの3名の裁判官 だけの法廷を6名の裁判員が加わった法廷にするため,相当な予算を使って改造しまし た。皆さんも,是非,一度裁判所で実際の裁判を見てください。法廷傍聴は,法律の勉 強をする上で欠かせませんよ。裁判所の法廷は民事も刑事も公開されており,入場料は 要りません(笑) 。 刑事裁判に一般市民をどうして参加させるのかということは,制度施行前の説明会な どで随分と質問されました。レジュメには3つの意義を書きましたが,一般市民が刑事 裁判に参加する意義は一体なんなんだろうと,皆さんには是非自分の頭で考えて欲しい んです。刑事裁判は,よく言われるように人の人生を決める重大なものです。そんな重 大なことに法律の素人である一般市民が加わって大丈夫なのか。重大な刑事裁判に市民 が参加する制度(陪審制や参審制)は世界の潮流になっているけど,日本の社会には, このような制度を受け入れる基盤はあるのだろうか。など,などです。私は,裁判員裁 判の意義を3つにまとめてみました。その1つが,主権者である国民が三権の一翼であ る司法権の行使に参加することは当然ではないかということです。やや形式的な根拠の ようですが,主権者を国民と定めた新憲法の下では,国民が司法に加わることは義務と いうより権利なんだという積極的な意義づけができようかと思います。2つ目は,刑事 裁判の対象となる犯罪は市民社会の中で発生しており,そこで生活する一般市民こそが 犯罪の社会的影響を十分知り,一方で,被害者や加害者の立場を理解できるのではない かということです。そのような一般市民の代表が裁判員に選ばれて刑事裁判に参加する ことは,犯罪防止や冤罪防止にもつながると期待されています。このことは,ひたすら 勉強をして国家試験に合格した法律の専門家である裁判官だけに刑事裁判を委ねていい のか,という議論とも関係するでしょう。3つ目は,市民の意見が刑事裁判に反映され ることにより,司法に対する国民の信頼が高まるということですが,この点は,裁判員. 五 三. 法の1条にも定められています。確かに,これまで日本の司法は,汚職や腐敗とは無縁 で国民の一定の信頼を得てきたともいえますが,国民は司法の内実をどこまで熟知して 信頼を寄せていたのかと言われると,どうでしょうか。本当の信頼は,国民が司法に直 接参加し,その中身を知ることから生まれるのではないでしょうか。また,社会の犯罪 を扱う刑事裁判は,市民の意識が反映され,多くの市民が納得できるものでありたいで. 30−1・ 2−53(香法2 0 1 0). −4 6−.

(7) すね。高松地裁では,私が所長時代に,「あなたの声を司法に」という標語を裁判所の 玄関に大きく掲示しました。この標語こそ,裁判員制度の本質を言い表していると思っ ているのですが,いささか自画自賛になるでしょうかね(笑)。 つぎに,裁判員裁判になって日本の刑事裁判はどう変わったのか,変わろうとしてい るのかということですが,この点に関しては,随分と改革が進められています。これま での刑事裁判は,警察や検察庁の捜査段階で膨大な供述調書が作成され,公判では,こ れらの書類が裁判所に提出されて,裁判官はひたすら大量の書類を読んで心証をとると いうことが行われてきました。刑事訴訟法の学者の中には,日本の刑事裁判は,密室の 取調室で終わっていて,裁判所の公判は形骸化し,絶望的な状況にあると述べられた方 もおられました。このような,大量の供述調書を中心にした刑事裁判に,一般市民が参 加することはできません。当然のことながら,市民の参加する刑事裁判は,裁判所の法 廷で,証人や被告人を尋問し,よくいわれるように「見て,聞いて,分かる」という, 公判廷を中心とした分かり易いものでなければなりません。これまでのように長すぎた 裁判ではなく,公判前の準備手続を充実させ,計画的で迅速な裁判(職場や家庭を抱え る一般市民が刑事裁判に割ける時間は,3,4日,長くても10日前後でしょうか。)に しなければなりません。さらに,これまでの,専門家だけによる刑事裁判は,専門用語 が飛び交い,裁かれている被告人にも,傍聴席の被害者側にも分かり難いものでした。 裁判員裁判が導入されて,難解な専門用語を平易な言葉で説明する工夫が行われ,一般 市民の誰もが法廷で見て,聞いて,分かるという審理に向けての研究や実践が進められ ています。また,一般市民が刑事裁判に参加するようになって,裁判官の意識改革も進 んでいます。市民目線に立ち,市民との対話や市民への説明を通じて,市民性と専門性 を備えた裁判官が育っています。これまで,すでに全国で多くの市民の方が裁判員を経 験されましたが,幸いなことに,概ね,やり甲斐があったとの感想が得られています。 これからは,刑事裁判の目的を知り,犯罪や犯罪を犯した人の更生(現在の刑務所の実 態はどうか。再犯を犯す人はどのくらいなのか。)などについても関心を高める市民が 裁判員裁判を通じて飛躍的に増えていくでしょう。国民の主権者としての自覚も深まる でしょうし,裁判員裁判が日本の民主主義社会を支える制度になることを期待し,そう なることを確信しています。. さて,いよいよ,ここからが本題の「裁判員制度が抱える課題」ということになりま すが,だんだん時間がなくなってきていますので,詳しくはレジュメを読んでいただき たいと思います。 この裁判員制度が抱える課題は,実はとても多くあります。日本では, 本格的な刑事裁判への市民参加は歴史的にもはじめてのことですから,沢山の課題が生. −4 7−. 3 0−1 ・ 2−5 2(香法201 0). 五 二.

(8) 裁判員制度の抱える課題(佐藤). じてくることは,ある意味で当然のことだと思います。裁判員法も,施行3年後には必 要があると認めるときは所要の措置を講ずると定めています(附則9条)ので,各方面 からの意見を集約しながら,然るべき法改正が進められることになると思われます。時 間の関係もありますので,本日は,あくまでも私見として,重要な点を指摘させていた だきたいと思います。 まず,第1の課題は,誤判を生まない刑事裁判の実現と,そのための方策ということ だと思います。裁判員裁判の施行に当たっては,一般市民の参加によって,刑事裁判の 質が低下しないかということが真剣に議論されました。特に,刑事裁判の命ともいえる 事実の認定に誤りが生じないか。刑事裁判に市民の意見を反映させることは大切だが, 誤判が生じてはならないということです。この点について,刑事裁判における事実認定 は,一般社会人の判断を基準とするべきであり,こういう証拠からはこういう事実が推 定されるという社会的常識(社会的経験則といいます。)が大切であると言われていま す。裁判官は法律の専門家でありますが(したがって,裁判員法6条2項も,法令の解 釈に係る判断は,裁判官の専権にしています。 ) ,決して事実認定の専門家ではありませ ん。事実の認定は,様々な社会経験を持つ者が加わり,複数の者が多角的,多面的に判 断するのに適しており,このことが,欧米での市民参加型裁判の存在根拠になっている という指摘があります。ただ,課題は,一般市民である裁判員に示される証拠自体が, 的確なもので,かつ,分かり易いものでなければならないということです。そのために は,先に述べた公判前整理手続を充実させ,適切な証拠開示等を行って,法廷に最良の 証拠(ベストエビデンス)が提出され,しかも,その証拠をより分かり易いものとする 努力や工夫が必要であるということです。そのためには,コンピュータグラフィクスを 用いて現場の状況を映像化するとか,精神鑑定などで使われる難解な専門用語を易しく 説明する工夫が必要になるでしょう。また,今後も,被告人が捜査段階では罪を認めて いたが,公判廷で否認したため,捜査段階で作成された供述調書の信用性が問題となる ケースが生じると思われます。ここでは,捜査段階で誘導や脅迫めいたことがあったか どうか,捜査官や被告人を法廷で延々と尋問するのではなく,取調べ過程をビデオに とっておけば,無益な争いがなくなるという議論があります(取調べの可視化という課 題です。 ) 。ただ,この点も,最初から最後まで全面的な可視化が必要なのか,一部だと. 五 一. 捜査官にとって都合のよいところだけの可視化にならないかなどが今後の検討課題に なっています。 つぎに,裁判員裁判により,計画的で迅速な刑事裁判が実現すると申しましたが,重 大な刑事事件を3日や4日の連日開廷で裁いて,裁判の拙速にならないかという意見が あります。この点は,市民を加えた刑事裁判が誤判を生まないかという問題とも関係し. 30−1・ 2−51(香法2 0 1 0). −4 8−.

(9) ますが,迅速が拙速になってはなりません。ただ,これまで,日本の刑事裁判は必要以 上に時間がかかり過ぎていたことも事実です。市民が参加する刑事裁判は,裁判員の方 の負担も考慮して,できるだけ連日開廷とし,集中した審理を行いますが,それまで に,公判前整理手続を充実させ,検察官による適切な証拠開示を励行して,弁護側が必 要な防御態勢を十分にとれるようにすることが大切になるでしょう。そのためには,被 告人と弁護人(弁護士)が公判の前に十分に打ち合わせができるように,保釈制度の運 用等を見直していく必要があります(かつては,被告人が事件を否認していると,何時 までも保釈をしないということで,「人質司法」という酷評さえ聞かれましたが,被疑 者弁護の制度も新設されましたし,これからは身柄事件(被告人の拘束)の運用につい ても検討が加えられると思われます。 ) 。 そして,裁判員制度の抱える課題の1つに,せっかく,市民参加が実現しても,運用 次第では,裁判員を 「お飾り的存在」 にしてしまうのではないかという意見があります。 裁判官が裁判員を誘導して,結局,これまでどおりの刑事裁判になるのではないかとい う危惧です。私は,その心配がないとは言えないが,そうであってはならないと思って います。そのためには,裁判官と裁判員がそれぞれの役割をしっかり果たすことが大切. 五 〇. −4 9−. 3 0−1 ・ 2−5 0(香法201 0).

(10) 裁判員制度の抱える課題(佐藤). です。裁判員に選ばれた方には,ご自分の社会経験に基づき,臆することなく自由に意 見を述べて欲しいと思います。分からないことは分かるまで説明を求めたり,問い質し て欲しいと思います。しかし,最初の自分の意見に固執して,反対意見に耳を貸さない という態度では困ります。複数の異なった意見を自由に出し合う中で,どの意見が適切 かと考え,落ち着きの良い妥当な結論に行き着くことが理想の評議です。裁判所には, 昔から, 「合議は飛び乗り,飛び降り自由」という格言があります。合議では人の意見 に乗っても,意見を撤回しても自由であり,要は妥当な結論になるよう全員で努力しよ うということです。このことは,裁判員裁判の評議にも当てはまることだと思います。 そして,裁判官は,けっして裁判員を誘導するようなことがあってはならず,意見を述 べる順序や休廷時の雑談等にも配慮して,裁判員が自由に自分の意見を述べられるよう 様々な努力をすべきです。と同時に,裁判員から説明を求められれば,専門家として分 かり易く意見を述べることも大切であり,とりわけ裁判長は,議論が散漫になってしま わないように,自由な意見の交換をしつつも,どこかで争点に沿った討論ができるよう に,評議をまとめていく力量が必要になります。いずれにしても,裁判員裁判は,これ からの日本の市民と裁判官にとって,それぞれの力量を問われている制度だといっても 過言ではないと思います。よく言われることですが,裁判官は,多数の裁判を経験して 有罪慣れしており,被告人の弁解をつい無視しがちになるが,!褄の合わない明らかな 嘘を見抜く力はある。一方,裁判員となる一般市民は,刑事裁判は初めてなので,一見 無理な弁解でも,納得いくまで被告人の意見を聞こうとするが,上手な嘘には騙される 危険があると指摘されています。裁判員裁判の最大の利点は,専門家と一般市民がそれ ぞれの長所を出し,そして短所を補い合う,最近の言葉でいうコラボレーションが図ら れることが理想だと思います。また,裁判員が,お飾り的存在にならず,しっかりとし た意見を述べるには,刑事裁判の原則,すなわち,無罪推定の原則や予断排除の原則を 適切に説示され,しっかり認識する必要があることは当然です。何時,どの段階で,誰 が,どのように裁判員に対して刑事裁判の原則を説示するべきかという点も,これから の課題に加えるべきだと思います。. さて,私が裁判員裁判の抱える最大の課題として考えているのは,対象事件を現行の. 四 九. ままにしておいてよいのかということです。ご承知のように,裁判員法2条1項は,対 象事件を「死刑又は無期の懲役若しくは禁錮に当たる罪に係る事件」などと法定刑で定 めています。しかし,刑事事件には一般市民が参加するのに適しているものと,そうで もないものがあるように思います。これらを法定刑で選別してしまうことは相当といえ るでしょうか。ただし,法律には,法的安定性といって,明確な枠を設定する要請があ. 30−1・ 2−49(香法2 0 1 0). −5 0−.

(11) りますから,対象事件をどう定めるかは難しい問題ではあります。それと関連します が,裁判員裁判の除外事件を見直す必要はないかということです。現行法では,被告人 や事件の背景に暴力的団体の存在が疑われる場合など,裁判員やその親族に危害が生じ るおそれがある事件を除外して,これまでどおり裁判官だけで裁判をすることにしてい ます(裁判員法3条) 。しかし,刑事裁判の中には,著しく高度な専門的知識を必要と する事件,あるいは,関係者が多数に及び当初から長期間の審理が予測される事件な ど,裁判員裁判では市民に負担をかけ過ぎることになり,むしろ,裁判官だけによる審 理が相応しく,国民もそれを望む事件があるような気がします。ただし,この点も,難 しい事件ほど審理方法を工夫するとか,仮に除外事件とする場合には,その要件や手続 をどう定めるかなど,難しい問題が含まれています。しかし,いずれにしても,裁判員 裁判を日本の社会に健全な制度として定着させていくには,市民参加に適する事件を対 象事件とし,市民参加に適さない事件については要件と手続を明確に定めて除外事件と することを検討してよいのではないでしょうか。 最後になりましたが,これからの課題として大切なことは,やはり,一般市民に必要 以上の負担をかけず,裁判員裁判に市民が参加し易い社会的環境を作っていくことだと 思います。そのためには,レジュメにも書きましたが,選任手続の再検討や特別休暇制 度の普及,介護や育児を必要としている方への支援態勢の整備,法教育の普及と充実, さらには,裁判員を経験した市民の方々からの意見聴取などが重要な課題になるのでは ないでしょうか。. 一番大切な本題の方が時間の関係で,若干,急ぎ足になってしまいましたが,以上で 私の本日の講演を終わらせていただきます。長時間にわたり,ご清聴ありがとうござい ました。. 司会者. 佐藤先生,どうもありがとうございました。せっかくの機会ですので,ここ. で,会場からの質問を受けたいと思います。. 質問者. 捜査段階での取調べの可視化という問題ですけども,これは実現するのでしょ. うか。現状ではどういう状態になっていますか。 佐藤. 現在は,検察庁が被告人の自供した場面など一部を可視化して証拠に提出してい. るようです。しかし,一部の可視化は,かえって裁判員に判断を誤らせることになりか ねないので,警察段階からの全面可視化を求めるという意見も弁護士側からあるようで. −5 1−. 3 0−1 ・ 2−4 8(香法201 0). 四 八.

(12) 裁判員制度の抱える課題(佐藤). す。捜査段階の取調べ可視化の是非,ことに全面可視化にまでいくのかという問題は, まだまだ議論すべきことが多く,最終的には法律改正も関係してきて国会での決着とい うことになるのでしょうか。そう言った意味で,この場で私の意見を述べることはいさ さか躊躇されますが,諸外国での実践例や可視化する場合の技術的な側面,あるいは, 可視化することによるメリットとデメリット等を十分に検討しながら,これから検討し ていくべき重要な課題だと思っています。. 質問者. 裁判員に選ばれた方にとって,刑事裁判は初めてだから,いわばぶっつけ本番. で間違っちゃうことがあると思うんです。ですから,模擬裁判みたいな練習をしっかり やっていった方がいいと思うんですが,そういう方策はとられているんですか。 佐藤. 模擬裁判は,裁判員裁判の施行前には全国の裁判所で随分と行いましたが,施行. 後は本番の裁判に追われており (笑) ,裁判所では全く行っていないと思います。ただ, 裁判員裁判が施行された後は,検察官も弁護士も被告人も,裁判員の方に自分の側の証 拠や意見を理解してもらおうと,映像を用いたり,分かり易い資料を準備したり,必死 で取り組んでいますから,ぶっつけ本番だから間違っちゃうということは余り心配しな くて良いと思います。しかし,裁判員に選ばれる市民にとって,刑事裁判をあらかじめ 理解しておくことは,とても大切なことですよね。そういった意味では,これからも, 市民団体や大学の法律関係者等が主宰して模擬裁判を実施することは大変望ましいこと ではないでしょうか。. 質問者. 公判前整理手続ができて,これまでのすごく時間がかかっていた刑事裁判が変. わってきているということは,よく分かったんですけども,従来よりもどれくらい速く なっているのですか。 佐藤. それは,びっくりするくらい速くなっています。これまで,高松地裁で,すでに. 裁判員裁判が5,6件実施されていると思いますが,公判に要した日数は,いずれも3 日ないし4日で,連日開廷となっています。裁判員裁判以外の刑事裁判についても,公 判前整理手続など活用して,計画的審理や審理の迅速化が進んでいるようです。ただ し,刑事裁判に要する期間は,公判前整理手続が行われていますから,正確には,公判. 四 七. 日数だけではなく,起訴されてから判決宣告までの時間を考えるべきでしょう。現在, 公判前整理手続にかけられている時間が検討課題になっていますが,それでも,従来の 刑事裁判に比較すると格段に迅速な事件処理ができていると思います。. 司会者. まだまだ質問もあるかと思いますが,時間がきましたのでこの辺で終わりたい. 30−1・ 2−47(香法2 0 1 0). −5 2−.

(13) と思います。最後に佐藤先生に盛大な拍手をお願いします(拍手) 。それでは,これで 法学会講演会を終了したいと思います。. 【編集注】 本稿は,平成2 2年7月7日に行われた香川大学法学会講演会の記録である。次頁以降に,当日配布され たレジュメを資料として掲載した。. 四 六. −5 3−. 3 0−1 ・ 2−4 6(香法201 0).

(14) 裁判員制度の抱える課題(佐藤). 〔資. 料〕. 四 五. 30−1・ 2−45(香法2 0 1 0). −5 4−.

(15) 四 四. −5 5−. 3 0−1 ・ 2−4 4(香法201 0).

(16) 裁判員制度の抱える課題(佐藤). 四 三. 30−1・ 2−43(香法2 0 1 0). −5 6−.

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〔注〕

について最高裁として初めての判断を示した。事案の特殊性から射程範囲は狭い、と考えられる。三「運行」に関する学説・判例

 「訂正発明の上記課題及び解決手段とその効果に照らすと、訂正発明の本

 その後、徐々に「均等範囲 (range of equivalents) 」という表現をクレーム解釈の 基準として使用する判例が現れるようになり

 米国では、審査経過が内在的証拠としてクレーム解釈の原則的参酌資料と される。このようにして利用される資料がその後均等論の検討段階で再度利 5  Festo Corp v.

 彼の語る所によると,この商会に入社する時,経歴

本時は、「どのクラスが一番、テスト前の学習を頑張ったか」という課題を解決する際、その判断の根

 条約292条を使って救済を得る場合に ITLOS