• 検索結果がありません。

世界史より観たる太平洋問題-香川大学学術情報リポジトリ

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "世界史より観たる太平洋問題-香川大学学術情報リポジトリ"

Copied!
25
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

じても教萬噸の大きな軍艦を何等の我等もないのに随意に撃沈しなければならぬ、 ばなら蘭、誠に肛烈な畢を演じセので有名になう宕ゐるり 世界史より観たろ太平浮間毯

︼ 太苓洋間題と偲何ぞや

今日既に太平洋問題古いふ術語が出凍貴した。それが始めて観際候約に現はれたのが今かち五年前

︰一九ニー年、大正十年の垂感頓合議が作った四囲條約であります。

この合議は海軍の軍備の制限ビ云ふこだで普噂天下の耳目を惹きましセ、其の結果関係図ではぎう

に段落をつけて申上げます。

諸君、私ほ御嘗校開校の成典に替り、唯今御紹介の題で御話しするの光度を宿します。便利のたぬ

経済研究∴螢雇竪琴︵式五転︶

世界史よ叶観たる太平洋問趨

↓ 〓︶ 海底に葬らなけれ 〕

(2)

︵二︶ 二 第二笹 井 ︼ 耽 併し其の合議でほ同時に賓に太率洋問題が試せられたのであります。轟が女中洋問題は鎗り注意さ れない、∴だが、世界史の過程から考へきすど、あの海繁閑題よちもこの永年洋問題がヨリ登米なので あちます、何せならば海軍問題は手段であります∵或る目的に達する手段であり・ます。或旦目的では 何か軍事ヰ宰、世界のノ中和である。而七て倣界の年利には正さしく太卒洋問題を解決しなけれぼなら ぬや故にワシγトン合議の撃業での異牒際界史的意義あるもの鳩海軍の制偲よら漣寧ろ永年洋間題¢ 取扱であつたのであるバ成れ服ざ太申浮瀾腰は賓大である。而しでこの文字が條約文では鶴めて四囲 條約に現はれで凍た。今その要鮎を朗讃するぜ、 第f條 昇一項 締盟諦観︵日英兼備︶は永年浮力面に於ける彼等町所有する島喫、領土に関する梧利を亙 に尊重す。 攣一項 若し彼等の間に何等かの太平洋問題︵芽yPacificQuestぎコ︶から卒論が起り累を如上の 権利に及ぼし、=耐も外交によつて備足に協草し得ず、却て現在彼等の間に存在する固備なる

協調を毀損する盛れある場今彼等は締盟渚観共同の曾孫を僻し、全軍議のま購をその議に

附して審議商停すべし 第こ條心苦し如上の棒和が或る他の園の侵略的、行動によつセ、脅威せらるゝならば、締盟諸由は充

(3)

分に且つ隔意なく意見を交換し∵以七協同に若しくぼ別々に特殊の形勢め危殆に封し†執ちる

べき方策に閲しヤの或る諒解℃達すべし。

第三嘩 本協約は賓行層時より向後サ年間有効せす。

第四陳 本協約の批准交換ビ共籠、日英周明皿は終熔すべしゃ

以止の通りである。その内注目すべ1き琴限は第鵬條第二項の﹁太年洋間題﹂ビ第四條の﹁日英同朋皿﹂ぜで

ある。日英同盟が四囲協約の賓行七同時に亡びるどいふこどは∵この時まで賓に二†年以上存輯し七

階界の卒和の維持に貫威して凍た同明皿がアシソーン骨議の采配の振り方J一つで、菰に一朝にして葬.ら れて仕舞ひ、その代サに太軍洋問題を豊塩ビする四囲協約が政界中和の保障ゼなる.どいふこざである

以てこの間に於ける世界数の教化ご永年洋開港め撞頸促進を窺ふに足る。但し太砕洋間題三石ふこご

忙就いて?條約南に厄何等の内容が記tてない、これが微妙な已上ろである。これは吾々が世界史の

蓉展の上から解辞するより他は昼いⅧ

ニせ希兜螢展の糟段

低界政教展め階段の分ち方は槙準の宜で方に嬢って色々になり鼓すか、最藩梗域の良ぃのは人間の

歴史が地球上に凍大しで行く階段を辿ちや木琴であうます、即ち交通関係であります。それには先づ

世界免より観た鼠太奉洋問題 ±一C 主

(4)

第二巷 第一ノ兢

命四∀ 四

河川1湖沿或は沿海さか、内海、海洋、大洋等が大切な機関でゐちますJ

支部では二大河があつて早ぐかもその文化が開けた。、西洋ではメソポぞ、、ヤ、ナイル、次に地中海

北海、次に太西洋が重要な交通路になつてその時代時代の文化を造つで屠ります、さう云ふ風に観れ

ば世界史の螢展は三階段に分ちうる。第言河川文化時代で川を中心にして文化世界が出凍る。攣一

が沿海文化時代さ申します、第三に太洋文化、大海文化時代であらます、さう云ふ順序で大館進んで

凍尭のであお。菅は希職人、凝魔人は大鰭自分牝ちの住むで居る地中海哲序の陶土地方を世界ビ考へ

﹁ジブラルタ1の外海や、ペルシャ簿外なざの大きな海が世界のぐる♭を帯革で潜って居るやうに取 ぅ巻いで居るど思ふた。奴等は世界の串をオイクメーネー︵住みうる誓jろの義ヤ羊言って居hソ1ますっ

さうしてぐるりの大海をオセアヌス即ちオーションビ名づけセ。彼等は彼等固有の考へ方によつてこ

のものを翻せ考へ、それが我々の他界を鴇つで居るビ云って非常に怖れて居ったものであり.ます。斯.

の如き時代が西洋の希腺、雁馬時代であります。オセアヌスの寛縛から現在の人間世界が解放されて

他の兼務の助士世界に到達したい、新しい世界を教見したいどのあこがれは、多少の先覚者には抱か

れて居たが、ルネーサンスの暗までは、遂に喪現し巧かった。

翻って発揮の文化を考ヘ七観るに、まどもて河川文化室玄ふのが盛であつた、勿論沿海女化ビ云ふ

のもあそービはあつた、即ち支部海及び南洋の多鳴海の利用から起る文化世界が存在した。けれでも

(5)

これはさほざ盛ん、でなく、”河畔文化聴界の繁昌には速く及ばなかつた。況んや遠洋利用の文化世界は 夢にも賓現しえな一い小で、大慣に於て長い間河川文化政界の程度に−とづて居た。その間に西洋の方では 沿海文化の階段を突破して太坪へ乗り出しその結果蓬に束洋へも押しかけて凍るのである。 だから、世界史は長い間東西ビも河川文化め、たかぐ沿海文化の階段にきまよふて居ねのだが、 比較的に新しい近代に守って俄かに大洋文化へ教展して凍た。それは東洋からでなて、西洋からであ った。それが近代の世界史の最大時微である。之を希臆雁馬人の考へ方で言ひ表すならば、近代世界 史馨展の趨勢は、オセアヌスの束縛々解いて他のオイクメネを螢見し、之を蕃いオイクメネに遭給す る過程に他ならぬ.。その順序はまづ大西洋、次に印度洋、最後に太卒洋の解放ビなるのであつて、我 々の親父たもめ時代に蛍光利加の黒船が浦賀に凍たのは﹁即ちこの事輯きの二端である。爾凍太平洋 は急激に解放されて凍て、今日では非常に大切な海になつて世界の利嘗の集中する大魚鮎宅不ふやう になつて殊泥めであります0

三一太苓洋

太平洋には久しい間文化世界が無かった、′郎ちそこには歴史が無かったのであらます。勿論古い文

化歯支那があら、叉結構な日本があつセではな㌧いかJご阻はれませうが、喝だそれは河川セか沿海ビか 世界ぬより観余る太平洋問題 ︵玉︶ 玉

(6)

︵六︸ 六

筋二巷 第一級

の文化がぁったのみで、大洋︵オセナヌ三をその全部に於七利用する歴史はそこに無かケたのでか♭ ます0 然らば如何にして.さう海れて﹂やつノご近代になつて太苧洋が始めて世界史の活動に開かれるやうに なかったか。之に答へるには先づ他の大洋だ比べてみて以て太卒洋の本質を明かにするがよい。世界 地固を見よ。.大西洋は新倣界ご葛世界の間にあつて運河のやぅな愴好ぉしてゐるではないか。見よ! 南方の海岸線め﹁方が凸れば他方が凹みて、両々南北に長く並行して居、る。つせり、聡だ大きなばか ちの運河だ、だから琶倣界から新他界を螢見するために、これを横ぎる交通は自然に楽であつたのだ 印度洋は曹世界の方へふかく切り込み.が這入って居りますやこれも亦官位界の人々から利用ぶれ易い のであります。我々め太卒洋を観れば、戚程北西にべーリング梅漬があるけれども自然の状況が初等 利用を許さなかった﹂してみ阜軍鎗ケに贋大なる海面であります。細も地球全面積の四分聖二が水で あトます、その等分が太卒経で、つまり、太平洋は地球会商の八分の三の大きな薗薦夢占めて居りま す。地勢上から見て、この海面を利用しう阜方向姿勢を取つて屠るのは支那、日森等の蔓細亜の痙民 でなけ転ばならぬⅧアくメリカのカはその海岸線草地勢ごをみかに、太平洋に向つてゐない、之を寄ろ 尻向けにして畢の方、即も大西洋の方へ向いて居るや然るにこの太卒洋をその全部に於て利用するこ ざ諺始めたの璧尻向けに立って居るアメリカであつて、前向きに坐ってゐるアジヤでない。世界史

(7)

的運命は如何▼にして決められ叩か。それは他でない。一.つぼ太平洋の馬鹿にびろくで、交通に不便な

昏然的な本贋に存する。他の一つはアジヤその他この太申洋方面の民族に内在して居る靂の文化的、

蹄紳的甘歴史原因の級暗に因るのである。このこまは最後の段落へ後廻しだし二別途太卒洋の本質に

存在すかオ、セア曳ス的地理的性質が如何に解放されで藤平かざいふ過程から説明せう。

田 太琴産婦放の過程

此の軟雁首の文化が中古の末つ方から進んで象るにつれて∵をの代表闊民の一であるポルトガル火

が大南洋上へ轟か出し、それから東に向つて途上、まづ書留峰へ到着した。一方他の代表民族バスご︶

有人は西軍へ向づて西から印度へ到遽せう芭しで計ちずも亜米利加扱見‡零ふやうなこ七をや′るのヤ

あら豊す。常時垂世界の支配者を以て自任してゐセ履馬法王が痘界窒ぢに分け、東をぼポルーガ.ル

に、西をばイそ三ヤに指定して仕舞っ咋のでありきす。それから約二十年ばかり経ノつてヤ六世紀に

入って居㌃問に、葡萄牙人は既に印度洋を轟甘切って仕舞って、ついで了フグガ海峡を通過して南支

那の海面に入って凍て居うます。か∼る問にかの西印度に到適してゐるイス.ごーヤ人は何だかして東

印度へ達すべき交通路を敬見せぅど努カしました。その結果、今日の、ハナマ地峡宮立派に南方へ横切

つて出皇して初めて大海を目砂あたりに見たのであります。即ちこれは一軍二三年パルボァ箪云ふ八

政界見より観たろ太平洋問購 ︵七︶ 七

(8)

第二巻 琴∵購

魚<︶、・香

がやづたこざで∵今自の太卒洋智白人が見た鶴めであト鼓す。尭針督励はこれを﹁帝の海﹂三不つで居

ったのであります?央れ以凍イス.ごヤ人が海つぃきでこの大海への交通を螢見せう¥努力した。そ

の結果、イスパ言の手先になつて紛いてゐたポルトガル人マゼランが一軍6年に鍍れの名の附け

ら為べき海峡を通過するこどに.琴つたのであちます。担でみたが大海は常時波野かであつたから、爾

凍太卒洋の名が附けられた。それから後れの舶は今自のフィリツピソ群島に入ったが、その鵬つであ

るマクタシ島でその土人ご衝突して後れ自身は不幸にも倒れたのであちせず。時に叫五二二年四月二

†七日東西人の衝突三石ふこざは既に印度洋方面で起ってゐたが、太平洋問題の濫傷ミ言っても宜

い事件はこのマゼランの大卒浮標断及後れの横死である。後れの遺して置いた船は次に、モルツカ群島

に向ひその一つであるチドーレビいふ島で、乗組員らは自分の周胞であるポルーガル人に出合ひお互

に吃驚しながら投手したのであります。これで西へ向つた白人も末へ向つた白人もこの南洋の一瓢島

で世界㌻周、世界抱括のリングをつなぎ、以てオセアヌス征服の端を馨し竹澤である。東洋人は世界

を発見しやうだ夢にも思って居らぬ間に、地の理に於ては全く不利の位倍にある西洋人がかくの如く

率先して世界の大洋解放の大串業を馨して、次々にその業を紹ぎ、約三宮年の問に之を大成したので

ある○

然らばこの西洋人ビはぎんな人々かど申じますミ最初の人々は既に述べたポルトガル、イス・三

(9)

ヤ人の如き南方欧履巴八郎ち甘−てーウク柁放であつたが、遂に大成せやして恨み皇んた、然るに之な 大成し.たのは北欧人即ちゼルマニック秤族で、就中その一つであるアンダ甘サクソンが最も成功して

遂に太平洋上に宜派な観々や植民地を建設した。Ⅴシヤは躍れ馳せ乍ら、大陸俸ひに太守渾に達しー′大

藩囲になサました。猶逸は最も遅れて、やつど†九世紀の末つ方になつてから始めて植民地を作った。

斯云ふ大洋解放運動の問に、太卒洋の沿岸に住んで居る諸民族は大駿東翳又は滅亡し化せ去ってむ

宜しい。よしや残って居ても何かビ多大な損害を受けないものはない。彼等はみな有色民族である。

赤禍黒黄の四酪ある。黄を除く外いづれも非常にやつ付けられてゐる。援洲の土人やニクジランrの

アオブやは衰弱して中には塵滅に瀕して居るもある。唯だ黄色入秤の中にのみ自ら、維持しで居るも

のがある℃それはシャムの外には我が日本ビ支那七であつて、これらは最も古い歴史螢展を負ひて文

化の向上をし文人口の衆多ビ蕃殖カの強大軍を以て燭立料保ち、時に有色八のために気娼を吐いてゐ

むのである。

五 合衆圃の国情の攣化

∴蒐光利加は建観以凍今日まで僅かに約一五〇年であります、之を大慣二期に切、りうる。其の前学期

オ去ふのは無論西方へ向って螢展して行きます、大西洋岸から段々ビ大卒洋岸へ捗大して行きます。

世界史より観㍗る大牢洋問題 ︵九︶ 九

(10)

許二窄欝一級

︵∵○︶ 一〇

けれざ

を受くる虞れがぁるので、儲竿期の中頃餞倣界からの干渉を拒兼し、こちらからも向ふを構はす、百

分だけで自分を治めるどいふ外交主義逐立てた。これは一八二四年モンロー大統領の御教書が主訳し

たもので、所謂毛ン。−主義だ。その理由宣する療はアメリカ大陸は、アメリカ人のものである、欧

洲の古い政治ビ憩い思想、それが此靂へ遥入って凍掛けて居る。そう云ふ肯くなつた専制固の政治童

蟄や統合打風をこの新天地へ移殖して呉れては困る、革々の事はすペて我々だけでやりれい、著のミ

ニろで何をやらうど僕は干渉しないから、廠の誓1ろも君の方からの御節介は一切御免だど、富ひ張

った。土れは蛍光利加・に都合の好い囲策であり、ます。

トヽ この主張の下に兼観は自分びどりで西の方へ鹿土を皆大して宿った。その手績め山つざ涼つたのが

メキシ。戦肇であります、米観は誠に車道な観です。戦争の始泉、メキシコからカ,フォルエヤを割 譲ざした。さこノしてこの中和條紛牲批准交換が終らぬ中にこの新領土ビなるペきカ、リブオルー−、ヤから

豊富往砂金を夜風したので、あり呈す。をれにこの地方が農業止り豊沃な土地で、黄金‡虚魔物、爾々

相侯らで藤民︰の移入蟹惹き∵以てま耳く・開螢されてゆ′、ペきであつた○自筆太軍洋哲序にサy才

ラ、ンシスコだいふ出口が経脅された。それから海七越えて市場お東洋に求めなければならはい卓芸

やうになつた。我が浦賀に黒船が現れて凍化のは偶然でなかった。それから間もなく、米国金牌が南

(11)

北に分れて鮭醸上政治上の戦寧を戦って顔見の改造密行ひをの自由ご統てざを確立完成して、準に十

九倣紀の中期中にアメリ.カ合来観叡の前寧期ぉ経へて後年期に入みのセあるや この後年期に入つ七㌃来園は時々竜ン甲−重義を振翳して居ります∵−の主義は彼の倦家の蜜刀で

ある正宗だい、ふ賂です。これで太西洋後岸の蕾世界語蜘に向つては、自分及び.アメリカ大陸自らを防

賛して、自分を欧應巴からいつ▲も猶立顛干渉の位常に置くやうに努め.て居る。而して太卒洋の方南に 向つで厄ごあ妄こ︰−重義の固は膨脹約侵略的な帝擁主義を凝詞は陰に開き、後には犬びらに振りま

わすこどになつた。この静観達哉ほ早くも永年洋の汲を凌いてサ電ア島を一九九八毎に分割して我物

だし、新ジーランド及び珠洲を窺ひ、他方、其の翌年日本に壊す各飛石たる布唾を合併して居る、覇

云ふ風に来観は方面に嫁でその簡策を造ひわけ、向ふに射しては薫ソロー達哉、此方に射しては前歯

豊哉を探って居る、それから殆ギ同時に太卒渾の我が甫臨なぁフィリツビンを征服したのも言ふまで

むない○

暁を経ては筍を望む。フィアブビン獲得後、来園の支那に封する改築浸二しほ露骨になつ士魂陀。

一燥支那ビ云ふ所は位界の諸靭が皆轟くか

鷺政界に於ける酉繹の先進薗が得で居るやうな利益については、、琵に支部の門戸解放、横合均等そ示

ふやうな主義を豊麗し、支那に於ける列臨町外安に駒込んで寒たのでかります、それは諸君の御承知

。政界兜より観たろ太平浮間趨 ︵一一︶ ︼.一

(12)

六 太卒洋間聾の馴致

此の轟面には人口及び移民問題が動いてゐる。この問題は来観史の後年期の始から八釜しくなりな

けた。その照、インデアン及び黒人の靂分は車に早く片附いた。既述の如く世界交通の大慶展の大勢に

乗じて米国以外の他の世界人口が米観へ向つてぎしトービ大移動した。南北戦役後から一九〇〇年ま

での三十五年間に這入った移民組数が、〓ニ、二六〇、〇〇〇人以上、随分大きい教であります。その内

最初の者の内では北欧人が多いのであ烏Jます、即ち多くは建阿常時の民族官僚り疑りがない膚が這入 った。然るに時ご共にりp−マニック及び寛政應巴の人民が加速度を以て増して遥入ったのであうます

東欧應巴人ごは露西亜人、バルカン竿鴫の人民、狗太人の類であうた。ノー八八二年から北欧人の教は

東、南欧人よちも少数になつて凍た。是等は、南欧人ビいへぎも†すべて来観在寮の観良性に合はな

の通りであう宣す。

以上概瞥した米観の西方及び永年洋への螢展には二大変通階段が劃されペきである。∼つは前年期

の末つ方に来園大陸横断の餓道の完成である。他は後年期の革つ方に一九〇六年から、一四年皇で英

パナマ運河ゼ云ふものが開通したこどである。これらによつて来観む太卒洋問題への躍進が膚一鱒早

きぎみつけられて進んで行った。

.第二−態 昇一鱗 ︵一二︶ 一二

(13)

い氏族であります、そこで段々にその制限が始まつて務た?

また東洋からの移民も同じころに曙多した。これらはまどして静物着であつて、十九世紀に於ては

支那人が〓哲多く、因つてこの支那移民の制限が欽雁巴のそれ字間じ一八八二年から問題ミなつて一

九〇二年までの問に漸次行はれて奉賛上無期限の入閣禁止ドニけつて解決して仕舞った。日本移民は十

九世紀にほ問題ミならなくて∵二十位紀に入ってから新しく問題になつて雄たこどは諸君御承知の過

ちであります。これは日清、日露商戦彼の結果、月本民族は太年洋藷島及び沿岸に按大して行ったか

ら喧しくなつて凍たのでぁります。

山牌日露戦役の絡までは、来観は日本に同情を宿して居った、恰度英団が日英同盟古いふ政治上相

互責務を以て日本の食めになつた如く、合衆観は道徳上から日本の味方ビなつて、露囲克服に資した

のである。しかし其の結果、日本が鎗りに強大になつで凍たものでありますから、日本がいはゃ第二

の露西虫まなつて支部の門戸を閉鎖するのではないかご、日本を疑ひ躾むやぅになつて凍た。又た日

本はフィリツビンや布畦に射して野心を抱くのではないか。叉た賓際布畦を依って大陸へ轄航するも

のも多くなつで、かたぐカ,フォルニヤへの移民膨大し、先任氷人、まどしてその静物老の経済的

利益を脅威するやうになつた。鹿に於て日本人に瀕す篭移民問題も、普は十九倣紀に於て支那人に射

したやうに、八釜しく起って凍た。そこで一九〇六年桑措では日本の日本単量排斥ご云ふやうなこミ

世界史より観たろ允許洋問題 ︵一三︶ 一三

(14)

筋・二磐 井﹂∴兢

こ四︶ 一四

が起って居やます。この米問西部地方の激昂ほ其の翌年英断謂紳士協約ぺ云ふも′ので、

態度を以て自ち自分の藤民を制限するこどで宥められ、危機が綬ゆられた。しかし光囲は碍ほも月本

のフィブタピン及び布唾に果する野心を疑ひ、又程ごかく米団ぜ事を構へつ∼あつたメキ・ショが日本

ゼ提携しやしないかご嵐にやんだ。而して米国人は日本を牽制するセめに、支那人に恩を思って、∴日

本に射して排日煽動して居たこどは事質であちます。そのころに遮光観、恨既にコロン・ビヤ英和周を立

て∼之軍妥協してかのパテ.マ運河を蒼々開峯し、速からサ開通するのであつて、気胸漸く振ひつ∼あ う尭。而して一九鵬三年にはカルアオルニヤ州政府は番民権に有附き得ざる人民︵即ち層本八の移民︶

に射して土地所有標を禁止するだ云ふやうになつ佗のであります。これは丁度政界大戦の破袈の前年

で患うます。

私は世界大戦勃費の二二毒以前に欧凝巴に屈ケせし柁。常時彼の地の八の人がよイ我々に諮掛ゼ

る富某は、日本は先年族順をやつヤ仇Tフに此の次ぎに何廃を襲撃なさりますか、青島をやるのでない

か但しは布畦をやるのでないか、などゼ申しましで、月本を剣呑な好戦観民ゼ決めで、よく調戯つ寵

ものです。これは猫逸人に多かったのですヾ私葵はそんなこどは決して宵∴こ三富つ七も彼等は巧か電

か信七てくれなかった。それから間もなく世界大戦ゼなつたが、これは月本人の太卒浮且忙於Ⅵる愚

挙開始に治まつ・たのでなく、さきに我々を調戯った狗逸人のヨーロッパに於けるそれからでした。其

(15)

七 太琴諸問題のや核

斯く観じ凍れば、太卒洋問題が目下世界の形勢では抑も何を意義するかは、略々努施せられ篭であ

らう。即ち東軍洋上の餞史樺確保問題、太卒浮上の移民制限の閃願、それに粂ねで極東、殊に支那に

於ける利標問躇三富ふやうなこどに現れるこどになつて居ります。.此等の賓際問題を解決するには、

互に海霊親等をして居っては太だ危険至極である、恰度刀を

骨ばつピやるれも知れない、般鑑は遠くはない、英猶の海軍競挙が琴に故界大戟を誘致したでは潔い

か。この危険を避けるために﹂国頭既述切如て先般の畢盛暗合議が催されたのであうますぺさうして

免づ海軍制限が出家托。しかしそれは手段だ。それまちも爵大なのほ目的だ。目的は他で厄ない、太

準拷問題だ。出家ぺくんば守の解決を蓬げたかつたのであう皇すJ

しかし海軍制限め外に飼ほもう﹂つ懸塞があつセ。それ日英同儲が存檀すべきや膏やで透る。この

平洋上に日英雨期の委任統満額が出凍て:−れまた発火の注意を惹いた。

ミもだが、来観人から一層狩疑の限を以て睨まれる守フになつたのはやむを得なかった。由ほ又た太

青島が陥落して、

の結果だして我々は青島を襲撃で顆ぐ∴正々堂々そ由由攻撃を致しました。

世界艶エり軌たろ太平洋閉経 ︵一五︶ 一丘

(16)

夢二巷 第一鱗

〓六︶ 二ハ 向明鳳は二十年間榛東の中和を維棒ヰる手段ビなつてゐたのだが1今や太卒洋間題の漸く切迫孟ハに、

米麹人は狩疑の限を以て之を眺めて居篭英人もこれがために米∧から睨まれるのは面白くない。か

ぐ英米人ざも世界の卒和のために日英同盟の存樺を不便ビ考へた〇・それよりか太卒洋に利.嘗を有する

一切諸国を含めた協約を結ぶがよからう、どいふこだになつて、さてこそ食談の鶉に上り、蓬に既述

の四囲協約ヒなつてその内に於て日英同盟は葬られたのである○これが海蟹の制限ピ同じや,ブに太平

洋問題解決の好手段ビ考へられたのだ。

然らば太平洋問題の眞の中核ほ何か。四囲協約の本文には既述の如く′唯だ1何等かの太平洋問題﹂ご

ぁるだけで何の具騰的記載はない。縛じてこの協約の保留條項ゼ云ふものを窺ってみるミ奥歯尤物

が爽まつたど/いふ戚じのする漠然たそしかし何か意味深長げなる文鮮がある○これによれば叫は委

任兢拾に閲し、他は園内法に閲し、いづれも米囲が附した保留である○園内法の陳項は、かの本文第

−條第二項の規定する軍誌盲は、各観の園内法の支配の内に金銭含めらるべき問題を取扱ふこドニはし

ど保督して居る。そも′1園内法云々は何を意娩するか三雲ば、来観人はそのうちに移民問題を倉

めて居る、移民問題は歯内の問題であるから、来観自身の立洛に披って決めるこどが出凍む、之を周

囲協約にある観際合議の問題ビす.ベ.きでないビ云ふ意簸である。

扱て聾盛頓合議終結の翌年、をれはこ九二三年秋関東の大震災がぁつてから我が観の朝野共に困つ

(17)

て居る其の最中に、即ち一九二四年に於て米図では、中央政府の方で、鶉合り立法に嫁って、盛らに一 つの一▼般的な新移民法を制定した。その手檀中だ、日本の植原大便がそんな立法をされ.るど﹁愛犬な 陪黒﹂を衆すであらう阜警告を馨して却て来観火の自主的戚情宣苧したのは。彼等は遂に押過し花。 この移民法緩叫般の移民に射してのふのでありますが、その内には賓は 苛酷な條項が決められて居たからである。免づ欧凍巴からも凍るものに封しては鵬八九〇年、即ち約 三三年前に朔り、普時一年間の移民組数の各二.ハーセント以内羊いふ制限を設けわ。例へば常時百人 −汐 入観したものならば、今後二人、千人では二〇人を限度ピサ、どいふのである。この制限で南方飲應 巴、東欧應巴諸幽の移民を切♭つめる立云ふやうなこどにした、而して合凝固あ民になり得巧い外観 人忙対しては第十三條を以て入団は禁止するどある。而して明治三年七月制定の来園扱立法律二二ハ 九億によれば日本人は綜化擢を有せす故に第十三保は原則的にわが大和民族の凍幽入園を禁止し¥︼ どになる。唯だ例外ごして官吏、宗致家、敦授、畢生︵但し異に畢資を有するものに限る︶、商人、族 行者ゼ云ふやうなものは特に入園を許すビ云ふこどになつて居ります。この移民法はその年の七月一 日から軍旗しまtた。其の結果日本人や米閏入団の翳際統針を調べてみますに、賓施の前年一九二三 年忙成五六五二人であわた藩のが、賓施の翌年一丸二五年には七二三人になつてゐる. 何故に日本人を他の東洋人同やうにかての如く厳粛に制限す′るやぅ.になつたか童云へば′、琴丁龍夫 せ非魔王り離京五大年洋問題 ︵一七︶ 一七

(18)

弟二金 井 ∵鱗 二入︶ 鵬八 戦中から大戦後へかけて米国人の愛固心が非常に昂騰致心室 でいふこどに克った。土のま義が自然に移民の制限に現収れて凍死のであります。 儲この遡由は叫ツの恐怖であります、米蜘人には鎗り寄ばれないヨーロッパからのお客さんが、米 国へ澤山水る、大戦後は殊に然り、それは甚だ困る、をんなものが凍れば配合は窓くなる、観家に取↓ て危険七奴も凍る、それが凍ては甚だ困る。東洋か﹂りも同じやうに果樹園民生義正副厄浸い移民が凍 る、それが無制限に蒸られては固家軋禽の破壊ゼなるかも知れない一。つまり政事上の恐怖だ。嫌忌だ。 撃こには外観螢動排斥の必要だ。即ち生活程度の低い外囲入にして安い質銀で働く者が洩れ込んでは 白人螢掛薯は、ます′ヽ凶富。既に支那人は排斥されてゐる。月本人も同予フに御免蒙りた、い。つま 軒、経済上り反射だ。以上三種の理由が一つになつて中央政府の立法富紀つたのだ。クー・クラック 怒 ス・クランビいふ秘密結赴が光図に盛んにけつてゐるのは、賓は右の心理現象の螢露である。この結 敢は米観生れり白人ビ新改の信仰ビを根本標準ぜし、之に反するものは、例へば、薯数倍者∵猶女人 移民、鳥人の如き、すべて之を極力排斥せうどする、最右傾的追放泥である。而してこめ新しい移民 法で、∴児則的に出凍て居る法壱はいへ、賓際の上から申せば、発揮人中では唯だ日本人のみが打撃七 蒙ったのですから、この立法は唯だ我が日本のみを目的ビして居る滝のだどい れに射して日本は主張した。二悦移民モ云ふやうなものは或は二国内のみ.の問題であるか鴻知れない

(19)

園内の人々を勝手にするビ云ふやうなこどはさうあるかも知れぬ。けれどもその園内法は賓は唯だ我

が日本人排斥キ云ふものを目的ビしでゐる。日本人は世界の大観になつて居る、それを支那人、印度

人せ同様に排斥するこどは、日本観民の面目に関する、之は陶家問題で凍る、充分軸際問題になる債

億ある?故に合衆幽は、自分で如何に移民法牽園内法亡考ヘ七も、観際騎係に祝する限りは自ら反省

しなければならぬどいふのである。それで植原大使が新移民の制定以前に、それは﹁重大なる結果﹂に

なるご抗議したⅥだ。しかも結果は、逆にそれが、来観人に刺戟を輿へて、多数が二暦多数を加へて

移民法め可決確定どなつたのであります。

以上は法律的に言ったのでありますが、真に他の立鮎からも抗識が出うる。同じ八開である、同等

の人間である。氷観の建観主義は義人間の中等を認めて居るではないかぐ亜米利加三岡仙人樺を有

するわが日本の同胞人を何故排斥するかビ云ふやうぢ純理をいへは幾らでもい、へる。しかト、モウト

有力な必然的のこだから謂へば人口問題、ざうして・も、人間り食ふやうにして呉れぢければならぬ、

どいふ今日認められてゐる敢合壁有様ビいふ粘からも抗議しうる。これは有力な賓際的なものである

そこで人口を申上るのであり皇すが、時間がありませ蘭から靂常に、百分比例だけを申上げますぺ

東軍洋治岸藷観︵固を拇しで︶金牌の人Hが叫平方英哩に二九人あまり、虞が我々有色人秤の住んで居

る盛の人口開演度は殆んぎ九八人になつで居る、即ち有色人挿は窮窟な彪に住んで居る謬で患うま耳

せ界兜Jり観余る太平洋問題 ︵一九︶ ︼丸

(20)

︵二〇︶ 二〇

笥二令 弟一班

我が日本内地はご申しますミ朝鮮を除き皇して、四甘一人ぜなつて居ト⊥ます。普香川陳の如きは殆

ぎ千人に近い。本間題にして居る合衆図はぎうであるか、僅か三〇人であります。よく昏面の問題に

なつてくるカルフォルニヤは如何、この年均よトも少いニー人、だから随分まだ飴地はある。濠洲、

加奈陀にも除地があるこどは申すまでもないのであb鼓す。

香 川 臨

衆意肝︵最網野︶

合 衆 固

カザフサルニヤ 太平洋沿芹南隣︵二十五観︶ 有 色 人・任 地

日 本 帝 国

内 朝 レu ﹂イ 地 鮮 浄 遭 任地面樺︵糞力哩︶ こ三、芙○、000︵ト叫相︶ 玉、三四〇、C00︵緩空︶ 二六〇、七三八 一四八、七五六 八四、七三入 三六、五七大 七一二 八二七 三、七四三、五ニ.九 一五入、二九七 二、九七四、五入︼ 三、四二九、六六玉 田、こ一〇、四二〇

人口

六八八、㌢○、000︵卜昭和 鱒二二九六〇、000︵憎訝 八三、四五四、00〇 五九、七三六、00〇 一九、五一九、00〇 二、四九入、000 約七〇〇、00〇 四、四八四、00〇 一一三、000、00〇 三.四こ六、八六︼ 五、四三六、00C 入、七八八、00〇 九、二五七、000 、 J ) ︼爽方哩こ任スル人口 こ九、二三 九七、七四 三二〇、0〇 四〇て五七 二三〇、三四 六人、主〇 九八三、一四 五、四二こ、0〇 三C、一一 ユ︼、六五 一、八〇 こ、四〇 二、00

(21)

私は附け加へおきます、食ふこごの問題が最も払い式辞の∵っであります。勿論、萬夢これ一つだ

けで解決しうる、又は解決せうどする考は全然誤謬である。けれども如上の人口問題は確かに有力な

諭鮎の︼つである。

八 太卒洋間琵を惹起し死文成約、精銅的根本理由

こゝまで静じて凍ては、私はもう立ち返らなけねばならぬ。私は預言者でない。私は歴史家である

私は世界史上に於ける私の憤激に接って、上述の如き太平洋問題数成の根本に横はる歴

を摘出して結論せしたい。それ竺ツく澄明してお話するま随分長くなるのでありますから、晩だ

結果の要鮎だけを簡保的に述べるのであります。

第二⊥西洋ゐ文化にはいつも或る高速なものに射する信仰ビあこがれどがあつて、その衝動によつ

て、先覚者の間に、その時代くに相督する或る鹿封無限に到達じたいぜの清勝の努力が喚起された

何だなれば、西洋の古代史化の馨展の結果、菅p−マ帝観の政治及びこれビ粕並んでその内に出凍上 ったキ,ス一致の数禽ビいふものが 一 骨観せ散骨ビは二にして﹁つであるから ー 自分は政治上に

於ても信仰上においても全世界かこつどして統治すべきである、それで滞天下に於て、皇帝ご紳の司

ざの下に、紳の統一同家を賓現すべしどの︼大理想を西洋の赴曾に吹き込んだからである。これには

世界史エり観たる太平洋問題 ︵ここ こ︼

(22)

紗二琴第一兢

︵二こ︶ 二土 かの皇帝オー奴スッスの下に賓現した世界卒和け御壮が後世に射する現世の模範どなゎ、中古に至つ でその大詩人ダゾデが書いた﹁政界統一政治論﹂︵ロe三。コarCh訂︶が思想家に取りて思想上の標準rなつ た。それでこの大理想の暦現方法富しで中音の竿ぼすぎに尊くも先づ地中沿岸の政界に射する十字軍 の夜勤ごな′つ柁。それが中音の末、近世の始には叫持して大西洋外への十字軍の開始ビなb、儲かに 大飛躍しで陛界の棉民又は征服ごなつた。かのポルトガル、イスバ羊ヤ人らの海上連動は即ちその先 駆だ。彼等はローマ致令の数理ビ指導ごに従って満天下に向つて寛ご西言に教勒した。彼等にはいつ ㌃キワシタン件天遽が附添・ふた、否な眞先に指導した。都て発揮をみるに、成程、こゝにも古くから 支那帝薗せいふ天下一統、自家中心の大開家が成立し藤屈し向上しセ凍た、それはいろ/−の難がら 宛然野洋のローマ帝国に似でゐる。かく二づの同じや・つに自己集中の位界的闊家が同昨に、東西にお いて偶然にも相封宜してゐたのは、倣界史上の箆観であつた。然るにローマのものは上述の如く精紳 的に早′、も慶化をうけて蓬に無限な絶対境へのあこがれに入るべきニビになつたのであるのに、支那 人の帝図では、優に之に比督すべき精神的攣慣が起らなかった■秦の天下統一以来の支那歴史をみよ 上下二千鎗年の閥、朝廷や支配者の安逸こそあつたれ、いつも、いつまでも、同じやぅに︼様に自家飽 満の有様で、大館は自ら倣然中華を以て居り、精神上にも文化上にも何等の大数厳には向上しなかつ た。之を要するに、無限に罰するあこかか、高速に封する努力の有無、これが東西の相違の山つだ。

(23)

第二∵西洋ではd−マ静観の階界に射して内からÅ外からも幾多の刺戦が深刻に起り、これがため

にこの贋大な、これにまつで相奮闘す争乱食めうちから、問民や図家ごいふものが分化して現はれて

薙指かのポルもガルやイスパニヤの如きはその先進着である。ついで併、英、褐、露の如き国民的

国家が商務て凍た。これら諮問家が相並立し相封抗し、痛切瑳琢磨した。この競魯場裡から西洋文化

のカミいふものが生み出され、徴費されわ㍍之に反して支那ではいつも世界的政治、世界的文化が長

て存頼していつセだけで、西洋のやうぢ岡見の自覚ある統鵬為る問家組織は出家なかつた。唯だ上記

の強大な現代国家が出凍上つで,之を各自の背景ミ⊥た力強き西洋人たちが相ついで東進して射て、 支那の門戸を叩き.之を打開してから、女耶人自ら始めて二千年凍の積翳宮浦威し、始めて自分も固

、ヽ、 家を作らうごもがき始めた。眼前のせ邪の乱脈は即ちそれだ。つまり今日の女邦人は現代的囲家を生

み出でフざするための座禅に上つでゐるのだ。唯だ黄色民族のうちで、日本閥民のみが逸早く西洋文

雄の長を採って、時勢に遅れない図家を作ヰ上げで以て日本固有の政令を結束したから、膚に東洋濫

於て自ら経緯しえたばかりでなて塊然空しで高きに位し、よて太準洋問題に射しても有力望璽一一口標を

有するこ竺巨なつた次第だ。つまり、、現代国家の樹立されでゐるか否鼠が勢カの分防鮎だ。

第三、以上述べた絶否無限に射する努力にも固民約図家樹立運動にも、いづれも高速な倫理による

成政が必要だ、映くべからざる前提だ。この戚激は個人の督魔首相互関係がある。個人が各自の個健

︵二三︶ こ三

勝界免∫り観たろ太平洋問題

(24)

箔こふ竿∵∴第一=携 ︵こ四︶ こ顔 を涌喜藤揮し1一方では各照のため.に必要な犠牲を排ふを僻しない、他方では妄りに旨目的迷信的熟

狂連動℃堕落しないで、異に反省自覚してゆくこどか必要だ。これが西澤の世界史ではかのルネーサ

ンスの使命、アルフクレールン〆の問題であつた。かくの如き倫理的動機に基ゐた個性の白魔の多少

深濾ご∑二民族空尉民が世界史上に於て大事業を成したか否か町岐れ目である。これが眞允うに進む

だポル.トガル、イス.ごヤ人よりも、後につふいたオランダ人がより多く成功し、更に慮後に出て痍

た木ギリス人が最も大いに成功した所以である。この新王於て発汗の民族忙は西洋の蜘民に此して放

ける研が多かった。

テクエツク 範囲、更に是非伴はなけねばなちぬ必要倦件がある。それは知識開教の結果である技術の進歩であ

る。如何に遠大な月的ぉ耳て∼居ても、之を遵成する手段が出家て居なければ駄目だ。且化の進歩には

ぎうしても寧閉止の技術がその手段ビならなけれぼ吾らぬ。舌のローて八が古代史に於で、メビ憎

アッシサヤ乃至エジプト以凍ギリシャ人の所ピ守ごを通はして倦へられた一切舌代世界からの文化遺

産を結合利用tたのであるに拘はちす、つ曳チり、それ兼ざの串蓬を宿しで古代文化の絶頂鮎に高まつ

光けれざもだ、今月からふり返ってみるど、非常の大進歩に達し待なかつたのは、唯だァ叛キサンゼ

サヤの学術の範囲内だけで行動したからだ。簸諭それ相皆の、今日から見ても意外の進歩を有ってゐ

・たのではあるが、十五、六世紀の文明、次に十九、土十世紀の文明がそれふ\螢見に於て馨明に於て

(25)

エ夫應用に於て成し凌げたやうな剥落を牲得して居なかったからである。古代人には蒸気や電気やの

文明が知られなかったばか1bでなく磁力︹麻紀、梱碑の文明すらも無かつセのである。東洋の文明に

も碑常に底流な技術があるこどはあつたが、西洋の十玉、六世紀以後の技術の進歩には到底追随しえ

なかつ糞ひたかぐ舌代ローマ静観の技術程度位に止まつ・て居たのだ。畢寛技術の進歩如何ビいふこ

だが勢力の捗れ目の鵬つになつたのでぁる。

以上、四個條を指摘した。これらが世界史忙於で東西文化費展の相違を沸した文化的精両的な鹿本

理由であるビ恩ふ。さてこそ十六陛紀似凍西カは西からも発からも、すべての方面から寛方へ漸進し

て凍た。それで、覚洋人が地理上に於では尤も便利め位地を占め、歴史上七おいても深い隣偏を有し

てゐる告の太平洋ビいふものが、まセして西洋人の努力によつて開馨されて全世界に於ける﹁地中海﹂

の如くになつて蒸たのだ。そこに普のローマ人がヨ一口ツバの地中海で成功したるが如き何等かの世

界軍部の統︼が有功に作打上げられるまでは太卒洋問題は現寮な大問題であるであらう。

諸君二正に講演を終るに瞥り諸君の晴肪を感謝し、併せて今回の開校紀金武に捧げられたる祝福三

鷹殊に射して抱かれたる願望ビに粕督して皆校が幾久しく繁発し、年々歳々粛々たる多士を輩出し以

て、国家鹿骨に貢献せられんこどを衷心から希念します。

世界兜£り朗苦る太平洋問題 ︵二五︶ 二義

参照

関連したドキュメント

 ひるがえって輻井県のマラリアは,以前は国 内で第1位の二二地であり,昭和9年より昭和

︵漫 録㌧ 第十λ⁝櫓  麓伊九⁝號   二山ハご一

70年代の初頭,日系三世を中心にリドレス運動が始まる。リドレス運動とは,第二次世界大戦

経済学の祖アダム ・ スミス (一七二三〜一七九〇年) の学問体系は、 人間の本質 (良心 ・ 幸福 ・ 倫理など)

〔付記〕

手話の世界 手話のイメージ、必要性などを始めに学生に質問した。

東北地方太平洋沖地震により被災した福島第一原子力発電所の事故等に関する原

モノーは一八六七年一 0 月から翌年の六月までの二学期を︑ ドイツで過ごした︒ ドイツに留学することは︑