出移民研究の課題と方法 : 1930年代の福島県を中心に

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出移 民研 究 の課 題 と方 法

1930年 代 の福 島県 を中心 に

1  問 題 関心 の所 在 と研 究 方 法 (1)移 民 の 「源 流 」 を探 る こ との 必 要 性   近 年 の 移 民 研 究 の動 向 を 見 て い くと、1990年 代 以 降 、 南 米 諸 国 か ら 日 本 へ 「還 流 」 して きた デ カセ ギ 日系 人 と の 共 生 問 題 や 満 洲 開拓 移 民 な ら び に 第二 次 世 界 大 戦 直 後 の 数 百 万 人 にお よ ん だ 引 揚 げ を め ぐる 諸 問 題 に 多 くの 関心 が 向 け られ て き た よ うに 思 う。 南 米 か らの デ カセ ギ 日系 人 と 日本 社 会 との 共 生 は ま さ に現 在 進 行 形 の 諸 課 題 で あ り、 また 第二 次 大 戦 後 の 総 引揚 げ や 逃 避 行 の 実 態 解 明 とい う 問題 も当 時 を知 る 人 び とへ の 聞 き取 りや 現 地 調 査 とい う手 法 と もあ い ま っ て 、 ま さ に喫 緊 の 研 究 課 題 で あ る と い え る 。   こ う した研 究 動 向 を前 に して 本稿 が 提 唱 した い と思 う こ と は、 第 二 次 大 戦 後 の 総 引揚 げ や20世 紀 末 に活 発 化 し た南 米 か らの 日系 人 デ カ セ ギ を 日本 人 移 民 の 「帰 還 」 や 「還 流 」 と して と らえ る な ら、 彼 ら 自 身や そ の 祖 先 の 人 び と は なぜ 日本 を離 れ て 海 外 に移 住 し よ う と した の か 、 そ し て 日本 の ど こ か ら どの よ うな 手 段 を 通 じて 移 住 した の か 、 移 住 を選 択 し た 人 と選 択 しな か っ た 人 た ち と の違 い は ど こ に あ っ た の か 、 移 住 を選 択 した場 合 で もそ れ が 北 海 道 で あ っ た り南 米 諸 国 や 東 南 ア ジ ア で あ っ た り、 は た また 満 洲 へ と分 か れ て い っ たが そ の 分 岐 点 は何 だ った の か    等 々 の 問題 群 につ い て 体 系 的 に整 理 して お く必 要 が あ る の で は な い か と い う こ とで あ る。 移 民 の 「帰 還 」 や そ の子 孫 た ちの 「還 流 」 を歴 史 的 に位 置 付 け る た め に も 日本 お け る移 民 の 「源 流 」 を明 らか に して お か ね ば な ら な い とい う こ とで あ る。 (2)研 究 状 況   こ れ まで に も 出移 民 に 関 す る 歴 史 的 研 究 は 、 広 島 ・山 口 ・沖 縄 な どの

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2    出移 民 研 究 の 課題 と方法 移 民 卓 越 地 域 を 対 象 と し、実 証 的 な研 究 が す す め られ て き たm。近 年 で は 沖 縄 県 や 鳥 取 県 に お い て移 民 輩 出地 域 と移 住 地 との 結 びつ き を意 識 した 移 住 史 研 究 の 成 果 が 公 刊 され て い る?1。 こ う した 先 行 研 究 をふ ま えつ つ 、 本 稿 で は新 た な研 究 対 象 と して 福 島 県 か らの 出移 民 研 究 の 課 題 と方 法 を 提 示 した い と思 う。   日本 にお け る 移 民 卓 越 県 とい え ば誰 し もす ぐに広 島 ・山口 ・福 岡 ・熊 本 ・沖 縄 と西 日本 の 諸 県 を想 起 す る が 、 東 日本 に位 置 す る福 島 県 もこ れ らに つ ぐ移 民 卓 越 県 で あ っ た とい う こ とは ほ とん ど知 ら れ て い な い よ う で あ る 。 そ れ ゆ え に 福 島 県 か らの 移 民 を 扱 っ た こ れ まで の 研 究 をみ る と、 い ず れ も 同 県 が ハ ワ イや ブ ラ ジ ル 、 ペ ル ー へ の 移 民 送 出 にお い て 常 に トップ10に 位 置 す る 存 在 で あ っ た こ とに 留 意 を促 す と と も に 、 な に ゆ え 東 北 地 方 に位 置 す る 福 島 県 か ら多 くの 海 外 移 民 を輩 出 し た の か とい う点 に 関心 を抱 き、 個 別 事 例 を丁 寧 に検 討 して きた とい え る3)。   な か で も吉 田恵 子 の 研 究 「東 日本 に お け る明 治 期 出 移 民 の 実 態 一 明 治 31年 ∼45年 の 福 島 県 出 移 民 旅 券 デ ー タか ら一 」 は、1898年 か ら1912年 ま で の 出 移 民 旅 券 の統 計 的 分 析 を 通 じて 、福 島 県 移 民 の 実 態 に 迫 ろ う と し た もの で 、 先 駆 的 な研 究 の 一 つ に位 置 づ け られ て い る 。 本 稿 で も吉 田の 成 果 を援 用 しつ つ 、福 島 県 か らの 出移 民 に つ い て そ の 量 的 把 握 と地 理 的 な広 が りの 変 化 を示 そ う と思 っ て い る。   他 方 、 出 移 民 の量 的 把 握 とい う考 察 を ふ ま えつ つ も、 よ り質 的 な 視 点 1)そ の代 表 的 な もの に 児 玉 正 昭 『日本移 民 史研 究 序 説』(漢 水 社 、1992年)、 木村   健 二 「戦 前 期 日本 にお け る 海外 移 民 一 山 口 県 の 事例 を中心 に」(陳 天璽 ・小 林 友   子 編 著 『東 ア ジ アの デ ィア スポ ラ』 所収 、 明 石ll}:店、2011年)、 石川 友 紀 「日本   移 民 の 地 理学 的 研 究』(椿 樹 書 林 、1997年)な どが あ る。 また こ れ まで の 研 究成   果 を紹 介 しつ つ 日本 にお け る 出 移 民 の 歴 史 を 概 観 した もの に坂 口 満 宏 「出 移民   の 記憶 」(日 本移 民 学 会 編 「移 民 研 究 と多 文化!! 1』 所 収 、御 茶 の水,1}:房、2011   年)が あ る。 2)沖 縄 県 で は 多 くの 海 外 移 民 を輩 出 した こ とか ら 自治 体 史 にお い て 多 くの 巻数 が   割 か れ て い る。 こ こで は 移 住 者 名 簿 作 成 の 典 型 例 と して 国頭 村 海外 移 民 史編 さ   ん委 員 会 『国 頭海 外 移 民 史』 本 編 ・資料 編(国 頭村 役 場 、1992年)を 挙げ て お く。   鳥 取 県 で は 『鳥取 県 中 南米 移住 史』(鳥 取 県 、2008年)が 近 年の 成 果で あ る。 3)福 島県 か らの 移ltiをあ つ か っ た もの に 吉 田 恵f「 東 日本 にお け る 明治 期 出移 民   の 実 態一 明治31年 ∼45年 の福 島県 出 移民 旅 券 デ ー タか ら一 」(『移 住 研 究』 第29号 、   1992年)、 柳 田利 夫 ・赤 木妙 チ 編 著 『ハ ワ イ移 民佐 藤 常 蔵,圭1:翰一 近 代Ll本 入 海外   移 民 史料 一』(慶 応 通 信 、1995年)、 赤 木妙f『 海 外 移 民 ネ ッ トワー クの研 究:   ペ ルー 移 住 者 の 意 識 と生 活 』(芙 蓉 、圭}:房出 版 、2000年)、 ニ ーヒ英朗 編 著 『もう ひ   とつ の相 馬 移lti- f 1系海 外移 民 百 年』(動 輪 社 、2010年)な どが あ る 。

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3 か ら移 民 集 団 に み る ネ ッ トワ ー ク構 造 を 考 察 した の が 赤 木 妙 子 で あ る。 赤 木 は 福 島 県 に お け る 出移 民 の 全 体 像 を 概 観 した の ち 、 福 島 か らペ ル ー へ 移 住 して い っ た 十 数 人 の結 び つ き に 着 目 し、 移 住 前 後 の 連 絡 関 係 と移 住 地 で の 日常 的 な 結 び つ きの 実 態 を 明 らか にす る とい う方 法 を と っ た。   本 稿 の 関 心 は 、 出 移 民 研 究 に み る こ う した 二 つ の研 究 方 法 を 将 来 的 に 連 結 し、 移 民 とい う手段 が 創 出 され 送 出 され た 地 域 の状 況 、 移 住 先 で 構 築 さ れ た 社 会 的 結 び つ き の諸 相 、 そ して そ う した移 民 社 会 の状 況 が 移 民 の 送 出 地 にい か に伝 え ら れ 、新 た な移 民 集 団 の 創 出=送 出 に 至 っ た の か と い う点 を立 体 的 に 明 らか に す る こ とに あ る。 (3)研 究 方 法   こ う した 関 心 を 実現 す る た め に は、 な に よ り も まず 、 福 島 県 の ど こか ら、 誰 が 、 い つ 、 どの よ う に して 、 ど こへ 移 住 した の か と い う基 本 情 報 の 整 理 が 不 可 欠 で 、 そ の た め に は 公 開 さ れ て い る 各種 旅 券 名 簿 や 渡 航 者 名 簿 の デ ー タ入 力 を 通 じて 出移 民 に 関す る 基 本 情 報 を悉 く調 査 す る必 要 が あ る と考 えて い る 。 い わ ば 「出 移 民 基 本 台 帳 」 とで もい うべ き もの の 整 備 で あ る 。   そ う した 作 業 の先 駆 的 な もの に 『沖 縄 県 史』 資 料 編6、 同11に 収 録 さ れ た 「移 民 会 社 取 扱 移 民 名 簿   自一 九 一 二 至 一 九 一 八 」 「移 民 会 社 取 扱 移 民 名 簿  (1919∼1926)」 が あ るm。そ れ は 各 種 移 民 会社 が 取 扱 っ た 渡 航 者 名 簿 の 中 か らす べ て の 沖 縄 県 出 身 者 を拾 い 出 し、 原 資 料 通 りに 翻 刻 し、 公 刊 した もの で あ る。 そ こ に は 旅 券 番 号 、 渡 航 許 可 年 月 日、 家 長 との 関 係 、 氏 名 、 族 籍 、 職 業 、 生 年 月 日、 年 齢 、 身 分 、 移 民 取 扱 人 、 日本 を出 発 した年 月 日、 渡 航 先 とい っ た 移 民 の 個 人情 報 が もれ な く記 載 され て お り、 いつ 、 ど こか ら誰 が ど こへ 移 民 と して 出 航 した の か とい う基 本 情 報 を 知 る宝 庫 とな っ て い る 。 た だ し紙 媒 体 で あ り、 検 索 機 能 が 付 加 され て い ない た め 、 分 析 の た め に は さ らな る加 工 が 必 要 と な る 資 料 で あ る 。   こ う した 資 料 作 成 を応 用 した もの とみ られ る の が 『鳥 取 県 中南 米 移 住 史』(鳥 取 県 、2008年)資 料 編 に 収 録 され た 「中 南 米 諸 国 移 住 者 名 簿 」 で あ る。 そ こで は渡 航 者 名 簿 か ら鳥 取 県 出 身 者 だ け を抽 出 す る とい う同 様 の 方 法 を用 い な が ら も、 情 報 検 索 の 便 宜 を 考 慮 して か 、 移 住 年 、 姓 名 、 4)『 沖縄 県 史   資料 編』6(沖 縄 県教 育委 員 会、1998年)、 『沖縄 県 史  資 料編 』11   (沖縄 県 教 育 委 員 会、2000年)。

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4    出 移民 研 究 の課 題 とノ1法 年 齢 、 続 柄 、 記 載 市 郡 町村 、 渡 航 船 名 の6項 目に 限 定 し、 極 め て シ ンプ ル な表 示 に ま とめ あ げ て い る 。 そ の た め 同 資 料 の 更 な る 利 用 者 は コ ン ピ ュ ー ター 等 へ の 入 力 も簡 便 と な り、 鳥 取 県 か らの 中 南 米 移 住 者 の 全 量 把 握 や 市 郡 町村 別 検 索 な ど も容 易 に で き る よ う に な っ た 。   外 務 省 外 交 史料 館 が 所 蔵 す る 海 外 渡 航 者 名 簿 の デ ー タ処 理 を め ざ した も の に 早瀬 晋 三 に よ る成 果 『フ ィ リ ピ ン行 き渡 航 者 調 査(1901∼39年) 一 外 務 省 外 交 史 料 館 文 書 「海 外 渡 航 者 名 簿 」 よ り一 』 が あ る5}。 この 研 究 は 「包 括 的 に 日本 人 移 民 の全 体 像 、 と くに 日本 出 国 前 の 情 況 に つ い て 分 析 した もの は あ ま りなか っ た 」 と して 、 外 務 省 外 交 史 料 館 に 残 る海 外 渡 航 者 名 簿 を デ ー タ処 理 す る こ と に よ っ て 、 フ ィ リ ピ ン行 き渡 航 者 の 渡 航 前 ・渡 航 時 の客 観 的 な 「全 体 像 」 の一 端 を描 き 出 そ う と した もの で あ る。 そ こで は デ ー タ処 理 に 関す る全 体 的 な 問 題 点 を視 野 に入 れ た う えで 、 各 種 名 簿 の なか か ら氏 名 、 性 別 、 年 齢 、 族 籍 、 身 分 、職 業 、 契 約 年 月 日、 渡 航 許 可 年 月 日、 旅 券 下 付 年 月 日、 渡 航 年 月 日、 出帆 港 、 渡 航 許 可 官 庁 、 移 民 取 扱 会 社 、 渡 航 目的 、 渡 航 地 、 契 約 期 限 、 帰 国 年 、 死 亡 年 、 呼 寄 ・ 再 渡 航 、換 算 と い っ た20個 の デ ー タ処 理 項 目 を設 定 し、 全 体 と して 移 住 者 総 数5万3115人 の う ち48.9%に あ た る2万5966人 分 の デ ー タ を処 理 し た6)。た だ し、早 瀬 の作 業 で は 「渡 航 許 可 官 庁 」 とい う道 府 県 レベ ル で の 年 次 的 渡 航 者 数 を計 量 す る こ とは で き るが 、 市 郡 町 村 レベ ルで の デ ー タ 処 理 は捨 象 され て い る。   こ う した 先 行 研 究 を通 覧 す れ ば す る ほ ど、 日本 か ら移 民 と して海 外 へ 渡 った す べ て の 人 び と に 関 す る基 本情 報 を互 い に 共 有 しあ い 、 分 析 で き る 「出 移 民 基 本 台 帳 」 の 整 備 が 求 め られ る とこ ろ で あ る。 い や 、 出移 民 の す べ て とは い わ な くて も国 立 国 会 図 書 館 が 作 成 した マ イ ク ロ フ ィル ム 『ブ ラ ジ ル 日本 移 民 史料 館 所 蔵   伯 刺 西 爾 行 移 民 名 簿(乗 船 名 簿)』(第 1回 ∼306回 、1908∼1941年)に 収 録 さ れ て い る18万8000人 余 りの 移 民 情 報 だ けで もデ ー タの 処 理 と共 有 が 望 まれ る。   幸 い な こ とに 同 資 料 の うち 第77回(1927年1月29El)∼ 第306回(1941 年6月22日)に つ い て は、 国 立 国 会 図書 館 が 配 信 す る 「近 代 デ ジ タ ル ラ 5)早 瀬 晋 三 「フ ィ リ ピ ン 行 き 渡 航 者 調 査(1901∼1939年)一 外 務 省 外 交 史 料 館 文   書 「海 外 渡 航 者 名 簿 」 よ り一 』(文 部 省 科 学 研 究 費 補 助 金 重 点 領 域 研 究 「総i.  F ,_, fi J   地 域 研 究 」 総 括 班 、1995年)。 6)前 掲1三}:、1∼7ペ ー ジ。

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5 イ ブ ラ リー 」 を通 して 本 文 画 像 の 入 手 が 可 能 と な っ て い る 。 膨 大 な デ ー タ処 理 を遂 行 す る に は 、 当 然 、 そ れ 相 応 の労 力 と経 費 を 必 要 とす る が 、 今 日の よ うに 情 報 化 が 進 展 して きた こ とを鑑 み る に、 新 た な段 階 に 応 じ た 作 業 の あ り方 や デ ー タの 共 有 とい う基 盤 整 備 につ い て検 討 す る 時 期 に きて い る とい えそ う で あ る。 (4)本 稿 で の 方 法   こ う した 日本 にお け る 出 移 民 研 究 に 関 す る基 本 デ ー タ処 理 の 現 状 と課 題 をふ ま え た う えで 、 本稿 で は 「出 移 民 基 本 台 帳 」 作 りに 先 立 つ 予 備 的 手 法 と して 、福 島 県 を事 例 と した い くつ か の分 析 方 法 を提 示 しよ う と思 う。 今 回、 本稿 で 用 い る 主 な デ ー タは 以 下 の3つ で あ る。   ① 福 島 県 か らの ハ ワ イ 移 民 に 関す る もの と して 、 前 掲 の 吉 田 恵 子 「東 日本 にお け る 明 治 期 出移 民 の 実 態 一 明 治31年 ∼45年 の 福 島 県 出 移 民 旅 券 デ ー タか ら一 」 を 援 用 し、 再 検 討 して い く。 特 に 吉 田 の 分 析 で は 典 拠 と した 資 料 が1912年 まで の もの で あ っ た た め 、 そ れ 以 降 の 出 移 民 旅 券 デ ー タの 悉 皆 調 査 が 必 要 と さ れ る と こ ろ で あ る。 しか し 目下 か か る 調 査 が 完 結 して い な い た め 、 こ こ で は 今 後 の作 業 の 見 通 しを 立 て る とい う 目的 か ら、 二 次 的 資 料 で は あ るが 高橋 莞 治 の 『福 島 県 移 民 史   ハ ワ イ帰 還 者 の 巻 』(福 島 ハ ワ イ会 、1958年)に 収 録 され た800人 ほ どの デ ー タ を分 析 し、 1890年 代 か ら1940年 代 にか け て の 福 島 県 か らの ハ ワ イ出 移 民 数 な ら び に ハ ワ イか らの 帰 還 数 の 年 次 的推 移 を概 観 し よ う と思 っ て い る。   ② ブ ラ ジ ルへ の 出 移 民 につ い て は 、前 述 した 『伯 刺 西爾 行 移 民 名 簿(乗 船 名 簿)』 に基 づ く全 量 分 析 が 不 可 欠 で あ るが 、 こ こ で は 福 島 県 か らの ブ ラ ジ ル 移 民 が い つ 、 ど こ の村 か ら、 どれ ほ ど渡 航 して い っ た の か 一 と い う基礎 知 識 を獲 得 す る た め の 予 備 的作 業 と して福 島 県 海 外 協 会 伯 国 支 部 編 『皇 紀 二 千 六 百 年 記 念   在 伯 福 島県 人 写 真 帖 』(1940年 、以 下 『写 真 帖 』 と略 す)に み る1000人 余 りの 移 民 情 報(出 身 地 、 渡 航 年 月 日、 乗 船 名 等)を も と に、 渡 航 者 数 の年 次 的 推 移 と移 民 輩 出市 郡 町 村 の 分 布 状 況 を把 握 す る。 『写 真 帖 』 とい う もの の デ ー タは 、 あ く まで も1940年 現 在 ブ ラ ジ ル に 在 住 し、『写 真 帖 』に 事 績 を寄 稿 した 人 た ち の 記 録 集 で あ り、 福 島 県 か らブ ラ ジ ル に 渡 っ た す べ て の 人 び との 動 向 を網 羅 す る もの で は な い 。 そ の 意 味 で は1000人 余 りの デ ー タ と い え ど も二 次 的 資 料 で あ る と い う限 界 は あ る が 、 移 民 輩 出 地 分 析 にお い て 一 定 の 特 徴 を 見 出す こ とが

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6    出移 民研 究 の 課 題 と方 法 で きる こ とか ら、 今 後 の 悉 皆 調 査 の 前 提 作 業 と して み た い 。   ③ 福 島 県 か ら の フ ィ リ ピ ン移 民 数 は、 沖 縄 や 広 島 ・熊 本 につ い で 全 国 4位 に位 置 して い た。 フ ィ リ ピ ン行 き渡 航 者 調 査 につ い て は、 前 述 の 通 り、 早 瀬 晋 三 が 渡 航 者 名 簿 に も とつ く集 計 作 業 をお こ な っ て い た が 、 特 定 の 道 府 県 に 限 定 す る もの で は な い た め 、 早 瀬 の 整 理 した デ ー タだ け で は 福 島 県 の ど こか ら、 どれ だ け の 人 び とが フ ィ リ ピ ンへ 渡 っ た の か とい う事 案 を特 定 す る こ とは で き な い 。 そ こで こ こで は 『鳥取 県 中南 米 移 住 史 』 の 方 法 に な らい 、 外 務 省 記 録(Jl.2.OJ.3-1-1)『 本 邦 移 民 取 扱 人 関 係 雑 件   海 外 興 業 株 式 会 社 海 外 渡 航 者 名 簿 』 第1巻 の 中 か ら、 第2次 フ ィ リ ピ ンブ ー ム に相 応 す る1929年 ∼39年 に 限 定 し、 フ ィ リ ピ ン群 島 へ 渡 っ た福 島 県 人456人 分 の デ ー タ を抽 出 して 分 析 す る とい う 方 法 を とっ て み た 。 第1次 フ ィ リ ピ ンブ ー ム に あ た る1917年 前 後 の デ ー タ収 集 と考 察 は 今 後 の 課 題 で あ るが 、1929年 ∼39年 につ い て もい くつ か の 特 徴 を 指 摘 す る こ とが で き る と思 う。 (5)視 点 と して の 「災 害 と移 民 」   最 後 に福 島 県 か らの 出 移 民 史 を 考 え る補 助 線 と して 、 「災 害 と移 民 」 と い う視 点 を加 え た い と思 う。 こ れ ま で に も奈 良 県 十 津 川 村 か らの 北 海 道 へ の 集 団 移 住 や 滋 賀 県 八坂 村 か らの カ ナ ダへ の継 続 的 な 出 稼 ぎの よ う に 、 自然 災 害 に 襲 わ れ た こ とを 契 機 に 国 内 移 住 や 海 外 へ の 移 住 を選 ん だ と い う例 は い くつ も知 ら れ て い る。   福 島 県 にあ っ て は 、1902年 、1905年 、1913年 、1934年 、1953年 とあ い つ い で 冷 害 に よ る 大 凶 作 に 見 舞 わ れ 、 米 の 不 作 に よる 食 糧 不 足 と現 金 収 入 の源 で あ った 養蚕 ・製 糸 業 へ の 打 撃 が 続 い て い た。 現 金 収 入 と生 活 再 生 の 術 を 求 め た 人 び と は、1890年 代 後 半 か ら1960年 代 に 至 る まで 、 国 内 で の 出稼 ぎや 北 海 道 移 住 と な らん で 海 外 へ の 出 稼 ぎや 一 家 あ げ て の 移 住 とい う 道 を 選 ん で い た 。   出移 民 の 歴 史 を考 え る と い う こ と は、 海 外 移 民 とい う社 会 集 団 が 生 じ る に至 っ た 人 び との暮 ら しの あ り様 を 見つ め る作 業 と等 し い もの で あ る。 そ う し た 集 団 が 大 量 に 生 じる こ と に な っ た 背 景 の 一 つ に は 自然 災 害 が あ っ た で あ ろ う し、 政 策 の 誤 りや 戦 争 と い う人 災 もあ っ た と考 え られ る。 村 を離 れ て 海 外 へ 向 か っ て い っ た 人 び と の歴 史 を跡 づ け て い く作 業 は 、 こ う した 災 害 に 対 す る新 た な意 味 づ け に も発 展 す る もの とい え る だ ろ う。

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7 そ れ ゆ え に 出 移 民 の 歴 史 を 跡 づ け る 作 業 と は 、 と りも な お さず 、 移 民 や 海 外 に 出稼 ぎを 送 り出 した村 や 地 域 の 実 態 と向 き合 う こ とで あ り、 村 の 近 代 と は ど の よ う な もの で あ っ た の か とい うこ と を考 え る こ と と 同義 で あ る とい え る。   以 上 、 本 稿 の 主 た る問 題 関心 と方 法 に つ い て述 べ た の で 、 以 下 で は ハ ワ イ、 ブ ラ ジ ル 、 フ ィ リ ピ ンへ の 出 移 民 の 実 態 に つ い て 、 特 に そ の 輩 出 地 の 指 摘 に重 点 を お き、 ケ ー ス ス タデ ィ と して み た い 。 2  ハ ワ イへ の 移 民   一1900年 代 初 頭 の 出 移 民 一 (1)吉 田 恵 子 の 整 理 に み る 福 島 県 か ら の 出 移 民   ま ず は 吉 田 恵 子 の 整 理 を 援 用 し な が ら 、1898年 か ら1912年 ま で の 福 島 県 か ら の 出 移 民 状 況 を 確 認 し て い こ う 。 吉 田 の 研 究 の 特 徴 は 、 外 務 省 外 交 史 料 館 が 所 蔵 す る 「海 外 旅 券 下 付 返 納 表 申 達 一 件 」 を 用 い て 、 「出 移 民 研 究 の 空 白 地 帯 」 と な っ て い た 東 日 本 か ら の 移 民 の 実 態 、 と り わ け 福 島 県 の 事 例 を7つ の 観 点 か ら分 析 し た こ と で あ る 。 そ れ ぞ れ の 要 点 を ま と め る と 以 下 の よ う に な る71。   ① 年 次 別 に み る と 、1898年 ∼1912年 ま で の15年 間 に 福 島 県 か ら 移 民 し た 総 数 は7563人 で 、 こ の 数 は 当 該 期 の 全 国10位 に 当 た っ て い た 。15年 間 の 年 次 別 移 民 数 の 推 移 を み る と 、1899年 、1902年 、1906年 、1910年 の4 つ に ピ ー ク が あ り 、 い ず れ も 大 凶 作 が 発 生 し た 年 か そ の 翌 年 で あ っ た (図1参 照)。   ② 渡 航 先 別 で は ハ ワ イ4794人(63.4%)、 メ キ シ コ674人(8.9%)、 フ ィ リ ピ ン612人(8.1%)、 ペ ル ー356人(4.7%)、 タ ヒ チ333人(4.4%)、 ア メ リ カ288人(3.8%)、 ブ ラ ジ ル217人(2.9%)、 ニ ュ0カ レ ド ニ ア 210人(2.8%)、 マ レ ー シ ア41人(0.5%)、 カ ナ ダ30人(0.4%)と あ り 、 こ の 段 階 で は ハ ワ イ の 砂 糖 キ ビ 耕 地 で の 出 稼 ぎ を 目 的 と す る 渡 航 者 が 圧 倒 的 に 多 く、 ブ ラ ジ ル へ の 契 約 移 民 は ま だ 始 ま っ た ば か り で 少 数 だ っ た 。   ③ 出 身 地 別 に み る と 、 こ の15年 間 に 移 民 を ま っ た く 輩 出 し て い な い 市 郡 は な か っ た が 、1市18郡 の う ち 、 信 夫 ・伊 達 ・安 達 の 上 位3郡 で 全 体 の73.2%に あ た る5538人 、 こ れ に 相 馬 ・双 葉 の2郡 を 加 え る と 全 体 の 85%に あ た る6430人 に 達 し て い た 。 こ れ ら5郡 は 県 の 北 東 部 に 隣 接 し て 7)前 掲 、 吉 田 恵 子 「東 日 本 に お け る 明 治JJJ;_1移 民 の 実 態 一 明 治31年 ∼45年 の 福 島   県 出 移 民 旅 券 デ ー タか ら 一 」(『 移 住 研 究 』 第29号 、1992年)。

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8 出移民研究の課題 と方法 図1  主 要5郡 に み る年 次別 移 民 数 の推 移(1898年 ∼1912年) 〔典 拠 〕 吉 田 恵 子 「東 日本 に お け る 明 治 期 出移 民 の 実 態 一 明 治31年 ∼45 年 の 福 島 県 出 移 民 旅 券 デ ー タか ら一 」(『 移 住 研 究 』第29号 、1992年) 所 収 「表4」 よ り作 成 。 福 島 県 合 計 は 主 要5郡 以 外 の 人 数 を 含 む 。 作 成 に 際 して 元 号 を西 暦 に改 め た 。 位 置 して い た こ と か ら 「福 島県 で も特 定 の 地 域 に移 民 が 集 中す る移 民 の 偏 在 性 が 見 られ る」 とい え る(図2参 照)。   ④ 移 民 の 目的 の81.1%は 「労 働 」 で 、14.2%の 「呼 寄 せ 」 を 大 き く引 き離 し て い た 。 ハ ワ イ 官 約 移 民 の 歴 史 を も って い た広 島 県 や 山 ロ 県 と比 図2  福 島 県 に お け るハ ワイ渡 航 者 多 出郡

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0 べ る と、15年 ほ ど遅 れ て海 外 移 民 が 活 発 化 しは じめ た 福 島 県 で は、 い ま だ 呼 寄 せ の 段 階 に 達 して い な か っ た。   ⑤ 続 柄 別 で は 労 働 を 目的 とす る移 民 で は戸 主 や 長 男 ・次 男 が 上 位 を 占 め て い た が 、 家 族 単 位 で の移 住 が 求 め られ た ブ ラ ジル 行 きで は妻 が 最 も 多 か っ た 。   ⑥ 年 齢 別 に み る と平 均 年 齢 は25.8歳 で 、10代 後 半 か ら20代 にか け て の 移 民 が 全 体 の7割 を 占め て い た 。 他 方 ブ ラ ジ ル移 民 は 家 族 単 位 で の 移 民 を原 則 と し て い た た め 、 親 と と も に10代 の 子供 の 渡 航 も多 く、 平 均 年 齢 を22.5歳 に 引 き下 げ て い た 。   ⑦ 最 後 は 取 扱 移 民 会 社 別 に み た 移 民 数 で あ る 。 福 島 県 下 で 移 民 を取 扱 っ た 会 社 は全 部 で14社 あ り、13社 が 他 県 に本 社 を 置 き、13社 中11社 が 信 夫 郡 内 に 出張 所 を 設 置 して 移 民 の 募 集 に あ た っ て い た 。 移 民 の お よ そ 8割 に 当 た る6102人 が 移 民 会社 の 手 で渡 航 地 へ 送 られ て い た。   こ う した 詳 細 な 分 析 をふ ま え て 吉 田 は 、 冷 害 に よる 凶 作 とい う 「経 済 的 ダ メ ー ジ と主 に 移 民 会 社 に よ っ て 行 わ れ た 移 民 に 関 す る情 報 の 提 供 と い う2つ の 要 因 の相 乗 効 果 に よ っ て 、 よ り多 くの 移 民 が 送 出 され た の で は な い か と考 え て い る 」 と結 論 付 け て い る 。 旅 券 名 簿 を 用 い た 典 型 的 な 出 移 民 分 析 と い え る だ ろ う。 そ れ だ け に 今 後 に残 さ れ て い る研 究 課 題 も 明 らか に な って くる 。 以 下 、 そ の 点 に言 及 した い。 (2)解 明 の 求 め られ る 課 題   そ の1は 、 凶 作 へ の 対 応 策 の な か に は海 外 移 民 と な らん で 北 海 道 移 住 とい う道 が あ っ たが 、 この 両 者 の 関 わ りを どの よ う に位 置 づ け る か と い う問 題 で あ る 。   1905年 の 大 凶 作 に 対 応 す る よ うに 、 福 島 県 にお い て1906年 は 出稼 ぎ を 目的 と した 海 外 移 民 が急 増 した 年 だ っ た。 そ して そ の 輩 出 地 は信 夫 郡 ・ 伊 達 郡 ・安 達 郡 ・相 馬 郡 ・双 葉 郡 等 に集 中 し、 偏 在 して い た 。 他 方 、 図 3に み る よ う に1906年 とい う年 は 、 福 島 県 に あ って 北 海 道 移 住 者 も増 加 した 年 で あ っ た 。   この 図 に よ れ ば 、866人 の 海 外 移 民 を 出 し て い た 信 夫 郡 か らは1000人 近 い 北 海 道 移 住 者 が 出 て い た こ とに な る。 また 、 相 馬 郡 や 双 葉 郡 に お い て は 、 海 外 移 民 の 送 出 数 だ け を み れ ば 福 島 県 内 の 上 位5位 に入 っ て い た が 、 これ らの 地 域 は 圧 倒 的 に 北 海 道 移 住 を 選 択 す る も の が 多 い 地 域 で

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10   出 移民 研 究 の 課題 と方 法 図3  北 海道 移 住 と海 外移 民 数 の 比較(1906年) 〔典 拠 〕 『福 島 県 農 業 災害 誌 』(福 島県 、1982年)所 収 「表22」(937ペ ー ジ) よ り作 成,、た だ し統 計 数f直不 詳 の 箇 所 は0と し、 明 らか な 合 計 数 値 の 誤 りを iEし た1,元 資 料 は 「福 島県IXI慌 誌 」,、 あ っ た 。1905年 の 大 凶 作 に 襲 わ れ た地 域 に は 、 少 な くと も北 海 道 へ の 移 住 と海外 へ の 出稼 ぎ と い う2つ の 選 択 肢 が あ っ た 。 と な れ ば そ の 選 択 の 分 岐 点 は ど こ に あ っ た の か とい う こ とは 、 留 意 され ね ば な ら ない 課 題 と な ろ う。   第2の 課 題 は 、1913年 以 降 の 出 移 民 は どの よ うに 推 移 して い くの か 、 と い う点 の 解 明 で あ る。 そ の た め に も1913年 以 降 の 旅 券 名 簿 等 に よ る悉 皆 調 査 が 不 可 欠 だ が 、 未 だ そ の 分 析 は 完 了 し て い な い 。 そ こ で こ こ で は 二 次 的 資 料 で は あ る が 高 橋 莞 治 『福 島 県 移 民 史   ハ ワ イ帰 還 者 の 巻 』 (福 島 ハ ワ イ 会 、1958年)に 収 録 され た の べ800人 ほ どの デ ー タ を用 い て 1890年 代 か ら1940年 代 にか け て の 福 島県 か らの ハ ワ イ出 移 民 数 な ら び に ハ ワ イ か らの 帰 還 数 の 年 次 的 推 移 を概 観 し よ う と思 う。   『福 島 県 移 民 史 ハ ワ イ帰 還 者 の 巻 』 とは 、 福 島ハ ワ イ会 か ら依 頼 を う け た 高 橋 莞 治 が 、1956年11月3日 か ら翌 年3月20日 に か け て 、 そ の 当時 福 島 県 に 在 住 して い た ハ ワ イ か らの 帰 還 者 を慰 問 調 査 して 書 き上 げ た も の で 、「ハ ワ イ帰 還 者 銘 々 伝 」 と して291名 、「ハ ワ イ 在 留 福 島 県 人 名 鑑 」 と して503名 の 事績 を記 録 した もの で あ る。   本 書 を利 用 す る理 由 の 一 つ は 、 福 島 か らハ ワ イ に 渡 っ た 人 び と につ い て 渡 航 年 月 日、 乗 船 名 、 妻 子 関係 、 就 労 した 耕 地 名 、 日本 に帰 還 した 年 月 日、 帰 還 後 の 生 活 状 況 、 現 有 耕 作 地 の 反 数 な ど の情 報 が 記 載 され て お り、 こ れ に よ って 日本 を 出 た 年 月 と帰 還 した そ れ と を特 定 で きる か らで あ る。 図4は 、 本 書 記 載 事 項 か ら知 り得 た658名 分 の ハ ワ イ 渡 航 年 と帰

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11 図4  『福 島 県 移 民史   ハ ワイ帰 還 者 の巻 』 に み る893件 の デ ー タ 〔典拠 〕 高 橋 莞 治 『福 島 県 移 民 史   ハ ワ イ帰 還 者 の 巻 』(福 島 ハ ワ イ会 、 1958年)を も とに 作 成 。 還 した 年 月 が 明 らか な235名 の 日本 帰 還 年 の 推 移 を示 した もの で あ る 。   こ れ に よっ て も1905年 の 大 凶 作 後 の1906年 にハ ワ イに 渡 っ た もの が 最 も多 く、 そ れ につ い で 凶 作 に襲 わ れ た1913年 が 第2の ピー ク に な っ て い る こ とが わ か る。   も う 一 つ の理 由 は 、 『福 島 県 移 民 史   ハ ワ イ帰 還 者 の 巻 』 に は 、 ハ ワ イで の20年 余 りの 出稼 ぎ生 活 を終 え 、 福 島 に 帰 還 した 人 び と の記 録 が 多 数 収 録 され て い る こ と で あ る。 図4に 見 る よ う に 、 ハ ワ イ か らの 帰 還 者 数 は1918年 頃 か ら増 え は じめ 、 ハ ワ イの 砂 糖 キ ビ耕 地 で の ス トラ イ キ が 激 化 した1921年 に最 初 の ピー ク を 迎 えて い る 。 そ して ア メ リ カ で移 民 法 が 制 定 施 行 され た1924年 以 降 再 び増 大 し、 大 恐 慌 時 に は か な り減 少 した が 、1931年 の 満 洲 事 変 以 降 、 再 び帰 還 が 相 次 ぎ、1941年 に最 後 の 増 加 が あ っ た こ と が わ か る。   高橋 が ハ ワ イ 帰 還 者 を慰 問 し て 聞 き取 っ た記 録 は1956年 当 時 の もの で あ っ た こ とか ら、 そ こ に は帰 還 後 買 い 集 め た土 地 も第 二 次 大 戦 後 の 農 地 改 革 に よ っ て そ の 多 くを手 放 さ な くて は な ら な くな り、 現 有 す る 田畑 や 山林 も1町 歩 ほ どに な っ て し ま っ た こ とが 一 様 に綴 られ て い る 。 あ る程 度 の 金 を蓄 え る こ と に成 功 した も の は 、 長 年 に わ た っ た ハ ワ イで の 出稼 ぎ生 活 に ピ リ オ ドを打 っ て福 島 に帰 り、 か な りの 田 畑 や 山林 を所 有 す る 地 主 へ と発 展 して い っ た こ とが うか が え る 。   出移 民 の 歴 史 とい え ば 、 とか く移 民 前 の 生 活 状 態 や 移 住 後 の 生 活 に注 目が 集 ま りが ち だ が 、 一 定 の蓄 えが 達 成 され た 人 々 は 帰 還 して い た と い

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12   出移 民研 究 の課 題 と方法 う事 例 に も留 意 して お く必 要 が あ る よ うで あ る。 そ して 海 外 移 民 に よ っ て も た ら され た 金 銭 が 、 出移 民 地 域 に どの よ う な経 済 効 果 や 影響 をお よ ぼ した の か とい う点 に つ い て の 解 明 も求 め られ る。 3  ブ ラ ジ ル へ の 移 民   一1910年 代 半 ば と1930年 代 半 ば 一 (1)福 島 県 か らの ブ ラ ジル 移 民   こ れ ま で あ ま り知 られ て こ な か っ た が 、福 島 県 は熊 本 ・広 島 ・福 岡 ・ 山 口 な ど西 日本 の 移 民 県 につ ぐブ ラ ジ ル移 民 卓 越 県 の 一 つ で あ っ た 。 そ の 最 初 は1908年 の 皇 国 移 民 会 社 に よ る 「笠 戸 丸 」 移 民781人 の な か で も 1割 余 りに あ た る83人 か ら始 ま り、 そ れ 以 降1940年 ま で に8000人 余 りが 福 島 か らブ ラ ジ ルへ 渡 っ て い っ た 。1930年 の ブ ラ ジ ル へ の 集 団 移 民 を 扱 った 石 川 達 三 の 小 説 『蒼 眠 』 の モ デ ル は福 島 県 人 で あ っ た と も言 わ れ て い るsi。   この よ うに ブ ラ ジ ルへ 多 くの 移 民 を送 り出 した 福 島 県 で あ っ た が 、 そ の 出 移 民 状 況 に 関 す る体 系 だ っ た 整 理 は皆 無 に 等 しい と言 わ ざ る を え な い 。 そ れ だ け に ブ ラ ジル 移 民 の 乗 船 名 簿 や 移 民 取 扱 人 に よ る渡 航 者 名 簿 の 悉 皆 調 査 は 不 可 欠 で あ る 。 こ こ で は そ う した 根 本 的 な 調 査 に先 立 つ 予 備 的 分 析 と して 、 福 島 県 海 外 協 会 伯 国 支 部 編 『皇 紀 二 千 六 百 年 記 念  在 伯 福 島 県 人 写 真 帖 』(1940年 、 以 下 『写 真 帖』 と略 す)に み る1000人 余 りの デ ー タ分析 の 一 端 を紹 介 した い と思 う。   この 『写 真1帖』 は 、1933年 に 設 置 さ れ た 福 島 県 海 外 協 会 伯 国 支 部 が 「皇 紀 二 千 六 百 年 記 念 」 と して1940年 に編 纂 し た もの で 、 全252ペ ー ジ に 1051人 分 の 「在 伯 福 島 県 人 」 の 事 績 を 収 め た もの で あ る。 ブ ラ ジ ル に お け る 日本 人移 民 社 会 で の知 名 度 や 貢 献 度 の 差 を 反 映 して い る の か 、 収 録 さ れ た 記 事 に は 長 短 が あ り、 『写 真 帖 』 と は 銘 打 た れ て い るが 、 す べ て の 人 物 の 顔 写 真 が 掲 載 さ れ て い る わ け で は な い。 お お む ね 以 下 の 事項 が 記 載 され て い る 。   家 長 名 、 出 身 地 、 日本 出航 年 月 日、便 船 名 、 同 行 者 、 最 初 の 配 耕 地 、   1940年 現 在 の所 在 地 、 家 族 数 分 析 に 際 し て こ れ らす べ て の情 報 を デ ー タ と して 入 力 した が 、 こ こ で は 8)ニ ヒ英 朗 編 著 『も う ひ と つ の 相 馬 移 民 一 日系 海 外 移 民rl年 』(動 輪 社 、2010年)   「第8章 「蒼 眠 』 の モ デ ル は 福f+ J 1 IT'"人だ っ た 」 参 照 。

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13 そ の 中 か ら、 いつ 、 どの 村 か ら、 どれ だ け の 人 た ちが ブ ラ ジ ル に 渡 っ た の か とい う点 に重 点 を お き、 考 察 して み た い 。 (2)ブ ラ ジル 移 民 の輩 出 地 域   まず は 図5を 見 て み よ う。 こ れ は 『写 真 帖 』 の 事 績 に 日本 出航 年 を記 載 して い る1020人 分 の デ ー タ を年 次 別 に示 した もの で あ る 。 図5  福 島 県海 外 協会 伯 国 支 部編 「皇 紀二 千 六 百 年 記念   在伯 福 島県 人 写真 帖 』       にみ る ブ ラ ジル移 民 数 の 推移 〔典拠〕福 島県海外 協会伯国支部編 『皇紀二千 六百年記念 在伯福 島県人 写真 帖』を もとに作成。   早 くに移 住 した 人 び と の 中 に は ブ ラ ジル の 地 を離 れ た もの や 死 没 した 人 もい た だ ろ う。 また 、 こ こに 示 した 人 数 は家 長 だ け の デ ー タで あ る た め 、 同 伴 者 や 家 族 の 人 数 は 含 まれ て い な い 。 そ れ を 想 定 す る な ら実 際 の 移 民 数 は この3∼4倍 に な る だ ろ う。 こ う した 資料 上 の 限 界 を み と めつ つ も、 本 資 料 の 数値 に は あ る 程 度 の 蓋 然性 が あ る と考 えて い る 。   第1に 、1913∼14年 と1933年 ∼35年 に 大 き な ピー クが あ る こ とで あ る。 凶 作 とい う視 点 か ら この 事 象 を 意 味 づ け る な ら、1913年 は5月 以 降9月 ま で低 温 が 続 き、 福 島 県 下 全 域 で 凶 作 とな り、 平 均 反 収 は0.77石 、1905 年 につ ぐ大 凶 作 の 年 で あ っ た。 そ して1934年 は1913年 以 来 の大 凶 作 で 、 平 均 反収 は わ ず か に1.26石 とい う年 で あ っ た91。他 方 、1920年 代 前 半 の 移 民 数 は比 較 的 少 な い 。 この 時 期 は 繭 の 価 格 が1貫 あ た り10円 前 後 で 持 ち 合 う安 定 期 で あ っ た 。 そ の た め 県 外 へ の 出 稼 ぎ も少 な く、 ブ ラ ジル へ の 移 住 者 も相 対 的 に 少 な くな っ た 、 と い う 読 み 方 が で きそ う で あ る 。   で は福 島 県 の どの地 域 、 ど の村 か ら 多 くの ブ ラ ジ ル渡 航 者 が 出 て い た 9)『 福 島 県 災 害 誌 』(福 島 県 消 防 防 災 課 、1972年)181、239ペ ー ジ 。

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14 出移民 研 究 の 課 題 と方 法 の だ ろ うか 。 『写 真 帖 』 を も と に 累 計8人 以 上 の 移 民 を 出 した 町 村 名 を 郡 別 に掲 出 して み た(表1)。 表1  『皇紀二千 六百年記念 在伯福 島県人写 真帖』 にみ る多 くの移民 を輩 出 した郡 ・町村 郡 名 安達 郡 215人 (21%) 伊達郡 165人 (16%) 双葉郡 154人 (15%) 町村 名 石 井村 新殿村 戸沢村 針道村 太田村 長岡村 伏黒村 湯野村 浪江 町 苅野村 大堀村 移民数 33人 24人 22人 16人 14人 29人 31人 15人 42人 38人 13人 渡航 年代別に推定 され る移民取扱 人 と移民数の内訳 1908年   第1回 皇 国 移 民(3人) 1912年   第2回 竹 村 殖 民(2人) 1913∼14年   第2回 ∼4回 東 洋 移 民(23人) 1930年 代   海 外 興 業(5人) 1912∼14年   第3回 ∼6回 竹 村 殖 民(16人) 1913年   第2回 東 洋 移 民(4人) 1930年 代   海 外 興 業(4人) 1908年   第1回 皇 国 移 民(1人) 1912年   第3回 竹 村 殖 民(2人) 1913∼14年   第2回 ∼4回 東 洋 移 民(6人) 1920年   第14・16回 伯 刺 西 爾 移 民 組 合(2人) 1930年 代   海 外 興 業(11人) 1913∼14年   第2回 ∼4回 東 洋 移 民(3人) 1914年   第6回 竹 村 殖 民(3人) 1919年   第9回 伯 刺 西 爾 移 民 組 合(1人) 1930年 代   海 外 興 業(9人) 1913∼14年   第2回 ∼4回 東 洋 移 民(10人) 1912年   第3回 竹村 殖 民(1人) 1930年 代   海 外 興 業(3人) 1912∼14年   第2回 ∼4回 東 洋 移 民(17人) 1910、12、14年   第2、3、6回 竹 村 殖 民(7人) 1918年   第5回 伯 刺 西 爾 移 民 組 合(1人) 1920∼30年 代   海 外 興 業(4人) 1913∼14年   第3回 ∼4回 東 洋 移 民(9人) 1912、14年   第3、6回 竹 村 殖 民(7人) 1918年   第5回 伯 刺 西 爾 移 民 組 合(1人) 1920∼30年 代  海 外 興 業(13人) 不 明   1人 1913∼14年   第2回 ∼4回 東 洋 移 民(5人) 1912年   第3回 竹 村 殖 民(2人) 1920∼30年 代   海外 興 業(7人) 不 明   1人 1913年   第3回 東 洋 移 民(3人) 1920∼30年 代   海 外 興 業(37人) 不 明  2人 1913年   第2回 、3回 東 洋 移 民(5人) 1920年 代   海 外 興 業(12人) 1930年 代   海 外 興 業(20人) 不 明  1人 1914年   第4回 東 洋 移 民(3人) 1920∼30年 代   海 外 興 業(10人)

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15 信夫郡 113人 (11%) 相馬郡 104人 (10%) 田村 郡 64人 (6ー0) 石城郡 62人 (6%) 珂β床禾君i 53人 (5 %) 野田村 飯坂町 瀬上町 石神村 金房村 上真野村 大越村 美 山村 三 阪 村 ぢ夢ミ汀斐ヰ寸 玉 川 村 永 戸 村 熱塩村 熊倉村 18人 15人 9人 31人 13人 9人 11人 8人 37人 8人 8人 1910年   第2回 竹 村 殖 民(7人) 1917年   第1回 伯 刺 西 爾 移 民 組 合(1人) 1930年 代   海 外 興 業(10人) 1912年   第3回 竹 村 殖 民(1人) 1913∼14年   第2回 ∼4回 東 洋 移 民(9人) 1920∼30年 代   海 外 興 業(5人) 1913∼14年   第2回 ∼4回 東 洋 移 民(4人) 1917年   第1回 伯 刺 西 爾 移 民 組 合(1人) 1920∼30年 代   海 外 興 業(4人) 1914年   第4回 東洋 移 民(4人) 1919∼1928年   海 外 興 業(18人) 1936、37年   海 外 興 業(7人) 不 明   (2人) 1926∼29年   海 外 興 業(4人) 1930年 代   海 外 興 業(8人) 不 明   1人 1908年   第1回 皇 国 移 民(1人) 1914年   第4回 東 洋 移 民(3人) 1919年   第9回 伯 刺 西 爾 移 民 組 合(1人) 1920∼30{Ffヒ   汀疹タト興 〕特 (4ノ 、) 1928、31年   海 外 興 業(2人) 1933年   海 外 興 業(3人) 1934年   海 外 興 業(5人) 1938年   海 外 興 業(1人) 1914年   第4回 東 洋 移 民(1人) 1935年   海 外 興 業(3人) 1936年  海 外 興 業(4人) 1920年 代   海 外 興 業(22人) 1930年  海 外 興 業(13人) 1931∼38年   海 外 興 業(11人) 不 明   1人 1918年   第5回 伯 刺 西 爾 移 民 組 合(7人) 1919年   第6回 伯 刺 西 爾 移 民 組 合(1人) 1913∼14年   第2回 ∼4回 東 洋 移 民(3人) 1917∼18年   第1、2回 伯 刺 西 爾 移 民 組 合(3人) 1930イ1三  海 夕玉興 業 (2人.) 〔注〕福 島 県海外 協会伯 「11i支部編 『};匙紀一二千六rl年 記念  在伯福 島県 人ワ」:真帖』(1940年)所 収 ブ ラジル 移住 者回顧 記 事に記 された 出身 市郡町村 名 を もとに集 計 して 作成。 渡航 年月 と乗船 名 をも とに該,,,する 移民取 扱 人を推定 して 付記 した1,移 民 数は家 長の みで 同伴 者を含 んでい ない 、実際 の乗 船名 簿 との照 合 が 必 要であ る.   輩 出数 を 郡 レベ ル で み る と安 達 郡 ・伊 達 郡 ・双 葉 郡 ・信 夫 郡 ・相 馬 郡 の 順 と な っ た 。 ハ ワ イ渡 航 者 多 出 郡 と比 べ る と双 葉 郡 が 上 位 に上 が っ て きた こ とに大 き な特 徴 が あ る。 渡 航 年 代 を み て も1912∼14年 の 渡 航 組 と 1930年 代 の そ れ と に大 別 され る こ とが わ か る。

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16   出移 民研 究 の 課 題 と方 法   『写 真 帖』 に は そ れ ぞ れ の 渡 航 年 と乗 船 名 の 記 載 は あ るが 、 どの 移 民 会 社 を利 用 し た の か とい う情 報 は 知 り得 な か っ た。 そ こで 渡 航 年 と乗 船 名 を根 拠 に して 該 当 す る と思 わ れ る移 民 会社 を推 定 して 作 成 した もの が 表2で あ るk"。 表2  渡航 船 か ら推 定 され る移 民 取 扱会 社 と移 民 数(1908∼1938年) { 1908年 1910年 1912年 1912年 1913年 1913年 1914年 1914年 1917年 1918年 1918年 1918年 1919年 1919年 1919年 1919年 1920年 1920年 1921年 1919∼1938年 移民会社 第1回 皇国移民会社 第1回 竹村殖民商館 第1回 東洋移民会社 第21亘Iiケ 季寸貌直民1吝i食官 第2回 東 第3回 東 第4回 東 羊移民会社 羊移民会社 羊移民会社 第6回 竹 村殖民商館 第1回 伯 刺西爾移民組合 第4回 伯 刺西爾移民組合 第5回 伯 刺西爾移民組合 第6回 伯 刺西爾移民組合 第9回 伯 刺西爾移民組合 第10回伯 刺西爾移民組合 第12回伯 刺西爾移民組合 第131面1伯刺 西 爾 移 民 組 合 第14回伯 刺西爾移民組合 第15回伯 刺西爾移民組合 第16回伯 刺西爾移民組合 第18回 ∼280回 海 外 興 業 不明 人数 9 13 1 27 77 14 89 32 11 4 16 1 5 1 1 1 4 2 1 698 3G 〔注〕福 島県 海外 協会伯国 支部編 『1訣紀 一二1六 百{F記念  在伯 福島 県人写真 帖』(1940 年)所 収 ブ ラジル移 住者 回顧記 事に 記 され た渡航 年 月と乗船 名を もとに該 当す る移!ti 取 扱人 を推定 して作 成 した もの 、移民 数は 家長の みで 同伴者 を含ん でい ない,,実 際の 乗 船名 簿 との照 合が 必 要で あ る、,   1908年 は笠 戸 丸 を就 航 させ た 皇 国 移 民 会 社 、1912∼14年 は 竹 村 殖 民 商 館 と東 洋 移 民 会 社 、1917∼20年 頃 は伯 刺 西 爾 移 民 組 合 、 そ して1919年 以 降 は 唯 一 の 移 民 会 社 と な っ て い た海 外 興 業 株 式 会 社 に よ る取 扱 い で あ っ た と推 定 で きそ うで あ る。   さ て 、 福 島 か らの ブ ラ ジ ル 移 民 で 最 初 の ピ ー クな っ た1914年 に渡 航 し た 人 た ち121人 の 出 身 地 を示 した もの が 図6で あ る。 表1に 見 た よ う に、 10)移 民 会 社 の 推 定 に あ た っ て は 、 国 立 国 会 図 書館 憲 政 資 料 室 が 作 成 した 「ブ ラ ジ     ル 日本 移1L  料 館 所 蔵  伯 刺 西 爾移 民 名 簿(乗 船 名 簿)内 容 一 覧」(2007年3月    PDF版)を 川 い た。

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17 福 島 県 の 中通 り北 部 の 安 達 郡 ・伊 達 郡 ・信 夫 郡 、 浜 通 り北 部 の 相 馬 郡 ・ 双 葉 郡 の 一 部 、 そ れ に 会津 地 方 耶 麻 郡 の 一 部 に点 在 して い た こ とが わ か る 。   1914年 前 後 に最 も多 くの ブ ラ ジ ル移 民 を輩 出 した の は、 安 達 郡 の 石 井 村 ・新 殿 村 ・太 田 村(い ず れ も現 在 の 二 本 松 市 域 に あ っ た 旧村)、 伊 達 郡 で 隣接 しあ う長 岡 村 ・伏 黒 村(現 在 の 伊 達 市 域 に あ っ た 旧村)、 そ し て 湯 野 村(現 在 の福 島 市 域 に あ っ た 旧村)と そ の周 辺 町 村 で あ っ た 。   こ う した 村 落 一 つ ひ とつ の 自然 環 境 や 主 要 産 業 、 自小 作 農 の 戸 数 や 租 税 負 担 の こ と な ど詳 細 な検 討 が 必 要 だ が 、 こ こで は い くつ か特 徴 的 な こ と を記 す に と どめ 、 具 体 的 な 考 察 は別 の機 会 に ゆず る こ と と した い 。   安 達 郡 内 の 移 民 輩 出 村 に共 通 して い る こ と を列 挙 す れ ば 以 下 の よ う に な る。   ① 地 勢 で は阿 武 隈 山 地 に あ っ て 、 川 が 深 い 谷 を刻 み 、 平 地 が 少 な い 。 山 間 の 高 冷 地 帯 に あ る た め 晩 霜 に よ る被 害 を 受 け る こ とが 多 か っ た 。   ② 村 は 純 山 村 型 の 集 落 で 、 住 民 の ほ と ん どが 農 業 に従 事 し、 主 要 な 生 産 物 は 米 ・麦 ・葉 煙 草 ・養 蚕 ・薪 炭 物 で あ っ た 。   ③1913年 は 東 北 ・北 海 道 で 記 録 的 な大 凶作 で あ っ たが 、福 島県 下 で は 8月 の台 風 に よ る水 害 で 被 害 を拡 大 して い た 。 安 達 郡 で は3000戸 、 約1 万5000人 の 生 活 困 窮 者 が 生 まれ て い た 。 労 賃 を 得 よ う に も地 元 に 日雇 や 内 職 も な か っ た こ とか ら、 窮 民 の 多 くは職 を 求 め て 鉱 山 な どへ 出稼 ぎに 出 る も の が 続 出 して い た1"。 主 要 な現 金 収 入 源 だ っ た 養 蚕 や 生 糸 も霜 害 や 水 害 に よ っ て 被 害 を うけ 、 新 た な 収 入 を求 め て 出 稼 ぎす る もの が 増 加 して い た。 ブ ラ ジ ルへ の 一 家 を挙 げ て の 移 住 も選 択 肢 の 一 つ に見 出 され た もの と い え る 。   で は も う一 つ の ピー ク で あ る1934年 に な る と、 どの 町 村 か らの ブ ラ ジ ル 移 民 が 多 くな る の だ ろ うか 。158人 分 の 移 民 輩 出 地 を 示 して み た(図 7 )o   浜 通 り(相 馬 郡 ・双 葉 郡 ・磐 城 郡)、 中 通 り(信 夫 郡 ・伊 達 郡 ・安 達 郡 ・安 積 郡 ・田村 郡 ・石 川 郡)の ほ ぼ 全 域 、 そ れ に 会 津 地 方(耶 麻 郡 ・ 河 沼 郡)の 一 部 と、 福 島県 の 広 い範 囲 か ら移 住 者 が 出 て い た こ とが わ か る。 な か で も表1に み た よ うに 、1930年 代 に な る と双 葉 郡 の 浪 江 町 ・苅 ll)『 二 本 松 市 史 』 通 史 編2  近 代 ・現 代(二 本 松 市 、2002年)、281ペ ー ジ 。

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m 出移 民 研 究 の課 題 と方法

図6  『皇紀二千六百年記念 在伯福 島県人写真帖』 にみ る1914年ブラジル移住者の分布

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19 野 村 ・大 堀 村 ・上 岡 村 ・請 戸 村 ・大 野 村 ・熊 町 村 ・富 岡 町 、相 馬 郡 の 石 神 村 ・金 房 村 ・上 真 野 村 な ど浜 通 りか らの 移 住 者 が 多 くな っ て い た 。   1934年 は1913年 に つ ぐ冷 害 で 大 凶作 の 年 と な り、 あ わ せ て 農村 恐 慌 に よ っ て 負 債 を抱 え た 農 家 が 増 大 し た時 期 で あ っ た。 そ れ に して もな ぜ 浪 江 田丁か らの ブ ラ ジ ル 移 住 者 が 急 増 した の だ ろ うか 。 残 念 な こ とに この 点 につ い て 既 存 の 『浪 江 町 史』 に は 記 述 が な い。『富 岡 町 史』や 『大 熊 町 史』 第4巻 は 南 米 へ の 移 住 者 数 を掲 出 す る もの の 、 そ の背 景 に ま で は 踏 み 込 ん で い な い 。 浜 通 りに 水 害 が 多 発 して い た こ と も要 因 の 一 つ に あ げ る こ とが で きる が 、 決 めTは な い。   状 況 的 な 理 由 と して 指 摘 で きる こ と の一 つ は 、1930年 代 の 農 村 経 済 更 生 運 動 と も関 連 して 海 外 興 業 や 福 島 県 海 外 協 会 に よ る移 住 を奨 励 す る 映 画 や 宣 伝 活 動 が 活 発 化 し、 旧 来 の 中 通 り に と ど ま らず 、 浜 通 りや 会 津 地 方 で の 宣 伝 が 影 響 した こ とで あ る12i。さ らに福 島 県 海 外 協 会 の 『会報 』 に は先 に ブ ラ ジ ル に 移 住 した 人 び とか ら の通 信 文 や 一 時 帰 国 者 に よる 勧 誘 が 毎 回掲 載 され 、 娘 を 身 売 りす る くら い な らブ ラ ジ ルへ 行 こ う とい う 機 運 が 高 め られ て い た こ と も考 え られ る。   ま た、 か つ て 浜 通 りの北 部 は海 外 移 民 よ り北 海 道 へ の 移 住 者 を 多 く出 して い た地 域 で あ っ たが 、1930年 代 に な る と、福 島 県 全 体 の 統 計 で は あ る が 、 図8に み る よ う に北 海 道 移 住 者 は減 少 しは じめ 、 か わ って 海 外 移 住 者 が 増 加 す る 傾 向 に あ っ た 。 移 住 先 の オ プ シ ョ ンが ブ ラ ジ ル に特 化 さ れ て い っ た こ と も要 因 の 一 つ だ ろ う。 図8  北海 道 移 住 ・樺 太 移 住 ・外 国移 住 の比 較(1927∼1933年) 〔典 拠 〕 『福 島 県 農 業 災1;;:誌』(橿 島 県 、1982年)、941ペ ー ジ よ り 12)前 掲 、 ニ ヒ英 朗 編 著 『も う ひ と つ の 相 馬 移!-ll系 海 外 移 民 百 年 』、348∼350   ペ ー ジ 。

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20   出 移 民研 究 の 課 題 と方 法   い ず れ に せ よ、1930年 代 の ブ ラ ジル 移 民 に つ い て は乗 船 名 簿 等 に よ る 悉 皆 調 査 と移 民 を輩 出 した 町 村 の 生 活 状 態 や 移 住 を決 意 させ る に至 っ た 動 機 や 要 因 な ど、 移 民 一 人 ひ と りに 即 した 質 的 な 分 析 が 求 め られ る 。 4  フ ィ リ ピ ンへ の 移 民   一1920年 代 後 半 ・1930年 代 後 半 一 (1)福 島 県 と フ ィ リ ピ ン と の 結 び つ き   福 島 県 と フ ィ リ ピ ン と の 結 び つ き も き わ め て 強 く、 早 瀬 晋 三 の 整 理 に よ れ ば 、1903年 か ら1939年 ま で の 渡 航 者 数 の 合 計 は2205人 で 、 こ れ は 沖 縄 県(6160人)・ 広 島 県(3674人)・ 熊 本 県(2377人)に つ い で 第4位 に あ た り、 割 合 に お い て は8.8%を 占 め る 存 在 で あ っ た131。福 島 県 に 限 定 し た 渡 航 者 数 の 年 次 的 推 移 を 示 す と 図9の よ う に な る 。 図9  フィ リピン渡 航 者 数 の推 移(1903∼1939年) 〔典 拠 〕 早 瀬 晋 三 『フ ィ リ ピ ン行 き渡 航 者 調 査(1901∼1939年)一 外 務 省 外 交 史 料 館 文 書 「海 外 渡 航 者 名 簿 」 よ り一 』(文 部 省 科 学 研 究 費 補 助 金 重 点 領域 研 究 「総 合 的 地 域 研 究 」 総 括 班 、1995年)所 収 「渡 航 許 可 官 庁 (道 府 県)」 よ り70、95、114ペ ー ジの デ ー タ を用 い て 作 成 。   1910∼ll年 に 最 初 の ピー クが あ り、 つ い で1917年 、 そ して1929年 前 後 と1937年 前 後 に 渡 航 者 の盛 り上 が りが あ っ た こ とが わ か る 。 第 一 次 世 界 大 戦 の 好 景 気 を 反 映 して フ ィ リ ピ ンで は 船 舶 用 ロ ー プの 素 材 に適 して い た ア バ カ(マ ニ ラ麻)の 値 が 上 が っ て い た 。 早 くか ら フ ィ リ ピ ン の ダ バ オ に 進 出 して い た 太 田興 業 や 古 川 拓 殖 株 式 会 社 は 、 ア バ カ の 栽 培 ・刈 り 取 り ・加 工 に必 要 な 労 働 力 を こぞ っ て 日本 か ら引 き連 れ て きた 。 そ の た め1917年 前 後 が 第1次 フ ィ リ ピ ンブ ー ム 、1929年 頃 が 第2次 フ ィ リ ピ ン 13)前 掲 、 早 瀬 晋 三 、27ペ ー ジ 。

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21 ブ ー ム に な っ た とい わ れ て い る。 福 島 県 か らの 移 民 も ま さ に そ の 流 れ に 乗 っ た も の で 、 典 型 的 な動 き を示 して い た とい え る。   しか し、 沖縄 や 広 島 な ど西 日本 か らの フ ィ リ ピ ン行 きが 多 か っ た な か で 、 なぜ 東 日本 の 福 島県 か ら多 くの 渡 航 者 を輩 出 した の か 、 とい う点 に つ い て は必 ず し も明 らか に は さ れ て い な い 。 しば し ば言 及 され て きた こ とは 、 福 島県 相 馬 郡 中村 町 に 生 ま れ 医 師 と な っ た橋 本 音 次 な る人 物 の存 在 で 、1903年 に橋 本 が 移 民 会 社 の招 きに 応 じて フ ィ リ ピ ンへ 渡 り、 ベ ン ゲ ッ ト日本 人移 民 の 医 療 に あ た っ た こ と、 そ して そ の 後1905年 に太 田恭 三 郎 の 勧 め に よ っ て 第2回 ダ バ オ移 民100名 と と もに ダバ オ に移 り、 当 時 の 悪 い 衛 生 状 態 の 改 善 に尽 力 した こ とが 、 福 島 県 人 が 多 くな っ た要 因 とす る もの で あ る1P。 そ の 後 橋 本 は1910年 頃 ま で は ダバ オ に 滞 在 して い た が 、 後 に イ ロ イ ロ市 へ 移 り開 業 した よ うで あ る 。 そ の 意 味 で は、 橋 本 音 次 の 存 在 は福 島 県 か らの 初 期 フ ィ リ ピ ン移 民 増 大 の 契 機 とな って い た か も しれ な いが 、1917年 前 後 や1929年 前 後 と、 断続 的 に福 島 県 か らの移 民 が 増 えた 要 因 を つ き とめ る た め に も、 移 民 会 社 に よ る 出稼 ぎ斡 旋 の実 態 や 移 民 の 出 身 地 、 呼 寄 せ に み る地 縁 ・血 縁 関係 の 有 無 な どの 検 討 が 必 要 とな っ て くる だ ろ う。 (2)フ ィ リピ ン移 民 の 輩 出地 域   い まだ 福 島か らの フ ィ リ ピ ン移 民2200人 余 りす べ て の 記 録 を 集 計 す る に は 至 っ て い な い た め 、 こ こ で は そ の予 備 的 調 査 と し て 、 外 務 省 記 録 (J1.2.OJ.3-1-1)『 本 邦 移 民 取 扱 人 関 係 雑 件   海 外 興 業 株 式 会 社 海 外 渡 航 者 名 簿』 第1巻 よ り1929年 ∼39年 の 間 に 福 島 県 か ら フ ィ リ ピ ンへ 渡 っ た456人 分 の デ0タ を 抽 出 して 考 察 す る こ と と した 。 た だ し こ れ は あ く ま で も海 外 興 業 の取 扱 い に よ る 渡 航 者 で あ っ て 、 自由 渡 航 者 は 含 まれ て い な い 。   図10は1929年 に 海外 興 業 の取 扱 移 民 と して フ ィ リ ピ ンへ 渡 っ た112入 の 出 身 地 分 布 図 で あ る 。   一 見 して 中 通 り北 部 に 集 中 して い る こ とが わ か る。 信 夫 郡 で は 大 森 村 (10人)、 平 田村(6人)、 金 谷 川 村(3人)、 佐 倉 村 ・杉 妻 村 ・水 保 村(各 2人)で 、 現 在 で は福 島 市 に編 入 され て い る 福 島 盆 地 周 辺 の 山 あ い の 旧 14)古 川 義 三 『ダ バ オ 開 拓 記 』(古 川 拓 殖 株 式 会 社 、1956年)、141ペ ー ジ 。

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22 出移 民研 究の 課 題 と方法

図10  1929年 の 福 島 県 か らの フ ィ リピ ン渡航 者 の 出 身地

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23 村 に集 中 して い た 。 安 達 郡 で は安 達 太 良 山南 東 の 斜 面 に位 置す る玉 井 村 (現 大 玉 村 、6人)、 そ れ に 阿 武 隈 山地 斜 面 の 丘 陵 に 隣接 しあ い 、 現 在 は 二 本 松 市 に編 入 され て い る 旧 油 井 村 ・小 浜 村(各3人)・ 戸 沢 村(2人) 周 辺 と現 在 は 本 宮 市 内 とな っ て い る 旧 白岩 村(2人)か らの 渡 航 者 が 多 か っ た 。 伊 達 郡 か ら は立 子 山 村(現 福 島 市 、5人)と 睦 合 村(現 桑 折 町 、 4人)、 浜 通 りで は 双 葉 郡 の 請 戸 村(現 浪 江 町 ・双 葉 町 、9人)、 大 堀 村 (現 浪 江 町)と 長 塚 村(現 双 葉 町)か ら各4人 、相 馬 郡 の 大 野村(現 相 馬 市)か ら も4人 渡 航 して い た 。   同 じ時 期 の ブ ラ ジ ル移 民 の 輩 出地 と比 べ る と、 信 夫 郡 と安 達 郡 に あ っ て は 阿 武 隈 川 の 東 岸 よ り も西 岸 に立 地 した 村 か らの 渡 航 者 が 多 か っ た よ う で あ る。   一 方 、 図11は1937年 の渡 航 者54人 分 の 分 布 図 で あ る 。 浜 通 りか らの渡 航 者 は 見 られ な くな り、 信 夫 郡 で は 庭 塚 村(6人)、 佐 倉 村 ・鳥 川 村 ・ 平 田村(各4人)と 郡 の 西 側 か らが 多 く、 伊 達 郡 で は霊 山 町(4人)、 五 十 沢 村(2人)と 郡 東 部 か らの 渡 航 者 が 増 え た こ と に特 徴 が あ る。   1930年 代 に な る と再 渡 航 者 や 呼 寄 せ られ た 妻 の 渡 航 が 増 え る傾 向 に あ っ た 。 福 島 県 か らの 渡 航 者 が 着 実 に増 え て い っ た こ と も あ っ て 、1930 年7月 に は フ ィ リ ピ ン ・ミ ン ダナ オ 島 の バ ヤ バ ス と ダバ オ に福 島 県 海 外 協 会 の 支 部 が 設 立 され 、 同 協 会 の 『会報 』 に は続 々 と会 員 名 と出 身 地 が 掲 載 さ れ て い っ た。   今 回 、 い わ ばサ ンプ ル調 査 的 に1929年 と37年 の フ ィ リ ピ ン渡 航 者 の 出 身 地 分 析 をお こ な っ た が 、 福 島 県 か らの フ ィ リ ピ ン移 民 の 実 態 解 明 も未 だ 手 つ か ず とい わ ね ば な ら な い 。 と りわ け1917年 の 第1次 フ ィ リ ピ ン ブ ー ム に 乗 っ た 移 民 は 福 島 県 の ど こ の 村 か ら、 どの よ う に して ダ バ オ へ 渡 っ た の か 。 そ の うち どれ ほ どの 人 び とが 帰 還 し、 そ の 後 の村 の 生 活 に ど の よ うな 変 化 を もた ら した の か 一 とい っ た 基 本 的 な 問 題 につ い て も不 明 で あ る 。 そ して1929年 に な る と第2次 フ ィ リ ピ ンブ ー ム に乗 っ て 再 渡 航 者 や 妻 の 呼 寄 せ が 増 え、 ダバ オや バ ヤ バ ス に 日本 人 移 民 コ ミュ ニ テ ィが 形 成 され て い くが 、1940年 代 に な る とEi米 戦 争 が 激 化 して い く。 フ ィ リ ピ ンへ 渡 っ て い た福 島 県 人 は そ の 後 日本 に戻 っ た の だ ろ うか 、 そ れ と も他 の 土 地 へ 移 っ て い った の か     取 り組 む べ き課 題 は 多 い。

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24    出移 民研 究 の 課 題 と方 法 お わ り に   「出 移 民 研 究 の 課 題 と方 法 」 と題 して 福 島 県 を 事 例 に取 り上 げ 、 ハ ワ イ ・ブ ラ ジ ル ・フ ィ リ ピ ンへ の 出 移 民 状 況 を年 次 的 に概 観 す る と と もに 、 ブ ラ ジ ル とフ ィ リ ピ ンに つ い て は 出 移 民 ピ ー ク 時 の 移 民 輩 出 町 村 の 図 示 を 試 み た。 しか し用 い た 資 料 は後 年 に な っ て編 纂 され た 『写 真 帖 』 や 名 鑑 で あ る こ とか ら福 島県 か らの 移 民 す べ て の情 報 を網 羅 的 に 分 析 した と は い え な い。 そ の 意 味 で は 二 次 資料 分 析 と い う限 界 を まぬ が れ な いが 、 そ れ で も今 後 の 渡 航 者 名 簿 等 の 悉 皆 調 査 に む け て 、 多 少 な りと も予 備 的 な 観 察 を提 示 で きた の で は な い か と考 えて い る。   最 後 に 外 務 省 記 録(J1.2.OJ  8-2)『 移 民 二 関 ス ル 統 計 及 調 査 関 係 雑 件 在 外 邦 人 々 員並 送 金 調 査 』 第1巻 ∼ 第6巻 を用 い て 作 成 した2つ の 資料 を提 示 して む す び と した い 。   そ の ひ とつ は 図12の 「外 国 に在 留 す る 福 島県 出 身 者 の 推 移 」 で あ る。 こ こで は在 留 者 数1000人 以 上 の 北 米 合 衆 国 、 ハ ワ イ 、 ブ ラ ジル 、 フ ィ リ ピ ン、 満 洲 の5つ に絞 っ て 図 示 した が 、 そ れ 以 外 に も カナ ダ、 ア ルゼ ン チ ン、 ペ ル ー な どに も福 島県 人 が い た こ と は い う まで も な い。   こ こで の 注 目点 は 、1930年 代 半 ば か らブ ラ ジ ル 移 民 と満 洲 移 民 と い う 二 つ の 国 策 につ き従 い つ つ 、 「新 天 地 」 を求 め て い っ た 移 住 して い っ た 人 び とが 急 増 して い った とい う事 実 で あ る 。自由 移 民 で は あ っ たが 、フ ィ リ ピ ンへ の 渡 航 者 も着 実 に増 え て い た 。 これ ま で あ ま り注 目 され て こ な か っ た こ う した 出 移 民 の 事 実 に つ い て 、 量 的 ・質 的 双 方 か らの 考 察 が も と め られ よ う。   も う一 つ は 図13「 外 国 在 留 福 島 県 出 身 者 か ら の送 金 額 の 推 移 」 で あ る。 そ こ に は ア メ リカ経 済 の 動 向 を 反 映 して 送 金 額 に も激 しい 乱 高 下 が あ っ た こ とが み ら れ る が 、 毎 年 ハ ワ イや 北 米 合 衆 国 か ら 日本 円 に して 数 十 万 円 相 当 の 送 金 や 持 帰 り金 が あ っ た こ とが わ か る。 さ らに 送 金 額 こそ 少 な い が 、 ブ ラ ジ ル や満 洲 で の 開拓 生 活 の な か か ら送 金 が続 い て い た こ と も わ か る。 そ の 金 額 は1938年 に な る と北 米 や ハ ワ イ か らの そ れ を上 回 る よ う に な っ て い た。   こ う した 二 つ の 資 料 を突 き合 わ せ な が ら考 えて み る と、 出移 民 の 歴 史 と は文 字 通 り、 村 を 離 れ て 異 郷 へ と生 活 の 拠 点 を移 して い っ た 人 び との

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25 図12  外 国 に在 留 す る福 島県 出 身者 の推 移 〔典 拠 〕 外 務 省 記 録(J120J8-2)『 移 民 二 関 ス ル 統 計 及 調 査 関 係 雑 件   在 外 本 邦 人 々 員並 送 金 調 査』 第1巻 ∼ 第6巻 よ り作 成 。 た だ し、1936年 の デ ー タ を 欠 く。 図13  外 国在 留 福 島 県 出身 者 か らの 送 金額 〔典 拠 〕 外 務 省 記 録(J120J8-2)『 移 民 二 関 ス ル統 計 及 調 査 関係 雑 件   在 外 本 邦 人 々員 並 送 金 調 査』 第1巻 ∼ 第6巻 よ り作 成 。 た だ し、1936年 の デ ー タを 欠 く。 また デ ー タ未 詳 の場 合 は0と し、1円 未満 は 切 り捨 て た 。 人 生 を跡 づ け る こ とに他 な ら な い が 、 同時 に 移 民 せ ず 村 に 残 っ た 人 び と の な りわ い の 変 化 を 見据 え て い く もの と な っ て い くはず で あ る。 移 民 の 「源 流 」 を探 る とい う作 業 は、 そ れ ぞ れ の地 域 の 歴 史 を 「移 民 」 と い う 視 点 か ら掘 り起 こす こ と とな り、 か つ て そ の 地 に あ っ た 「日本 の 近 代 」 を 問 い 直 す 作 業 に な る とい え そ うで あ る。

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26   出 移民 研 究 の 課題 と方 法 〔謝 辞 〕   本 稿 で 使 用 した 地 図 の 作 成 に お い て は 飯 塚 隆 藤 さ ん 、 『写 真 帖 』 等 の デ ー タ入 力 に お い て は坂 口 洋 二 郎 さん の 協 力 を得 ま した。 また 福 島県 内 の 市 町 村 史 の 文 献 複 写 に お い て は舟 木 健 治 さ ん 、 寺 島 裟 織 さん の 協 力 を 得 ま した 。 お礼 申 し上 げ ます 。   な お 、 本 稿 は 、 京 都 女 子 大 学 平 成22年 度 研 究 経 費 助 成 な らび に研 究 用 機 器 備 品 助 成 研 究 課 題 「南 米 移 住 者 の 歴 史 地 理 学 的 基 礎 研 究 一 渡 航 者 名 簿 の デ ー タベ0ス 作 成 と地 図 表 示 一 」 に よ る成 果 で あ る。

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