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橡国際マーケティング論A(5)

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(1)

Yasunaga Wakabayashi, 2003

国際マーケティング論A

(5)

京都大学大学院経済学研究科

若林 靖永

[email protected]

2003/5/9

事例研究

日本における家電企業の米国進出史

ソ ニ ー 、 松 下 電 器 、 三 洋 電 機 、 東 芝 の

4社 の 輸 出 マ ー ケ テ ィ ン グ を 中 心 に

(2)

Yasunaga Wakabayashi, 2003

輸 出 マ ー ケ テ ィ ン グ

輸出活動 単 な る 輸 出 国内市場向けに生産された余剰生産物の輸出であり、スポッ ト取引を中心とする。輸出業者や輸入業者などの商社任せの ビジネスである。 輸 出 マ ー ケ テ ィ ン グ 輸出先の消費者のニーズやウォンツに基づいて生産された商 品の輸出であり、継続的な取引を中心とする。販売後もアフ ターサービスや顧客の満足などにおいて責任をもつ。 ①OEM輸 出 マ ー ケ テ ィ ン グ OEM契約やPB契約など製造業者や流通業者のブランドに基づいての輸出。 ② 自 社 ブ ラ ン ド 輸 出 マ ー ケ テ ィ ン グ メーカー独自のブランドに基づいて自らの手で自社ブランド輸出。

・OEMとは、 Original Equipment Manufacturersのことで、相手先ブランド生産と呼ばれており、製 品を発注するメーカーの仕様書に基づいて企業が下請けをして生産し、出来上がった製品は発注 したメーカーのブランドで販売するやり方である。

・PBとは、Private Brandのことで、 OEMの発注する主体がメーカーであったのに対して、発注主 体が流通業者である。 Yasunaga Wakabayashi, 2003

日 本 の 家 電 メ ー カ ー に 見 ら れ る

輸 出 マ ー ケ テ ィ ン グ の 特 徴

1. マス・マーケティングとしての性格をもっている。 2. 輸出先のメーカーや流通業者とのOEM取引やPB取引を中心と するマーケティングである。 3. その開始の時期が国内マーケティングと同時期である。 4. 輸出マーケティングを主要な形態とした時期が、比較的長期 間であった。

(3)

Yasunaga Wakabayashi, 2003

日 本 家 電 メ ー カ ー が

OEMやPB契約による

マーケティング

か ら 得 た メ リ ッ ト と デ メ リ ッ ト

メリット: ・ 一度の大量の受注が可能で、規模の経済性の発揮と相手任せの販売に よる流通費用の節約によるコストダウンができる。 ・ アメリカから製品開発技術を短期にキャッチアップすることができる。 ・ デザイン、カラー、包装などアメリカの顧客のニーズの学習が可能で ある。 デメリット: ・ 相手企業の受注によってその販売先、販売量さらには価格まで決定さ れるという問題を持ち、急激な受注減となり、工場の稼働率を低める など、きわめて不安定なものである。 ・ マーケティング技法や販売チャネルに関するノウハウやその経験の蓄 積ができない。 ・ 自社ブランドの普及と定着をはかることができない。

ア メ リ カ 市 場 で の 販 売 子 会 社 の 設 立 と 現 地 生 産

販売子会社 現地生産

松 下 電 器 (Matsushita Electric Corp.1959 年 MECA

of America) 1974 年 5 月

ソ ニ ー 1960 年ソニーアメリカ社(Sony Corporation of

America) 1972 年 8 月

三 洋 電 機 1961 年アメリカ三洋エレクトリック社

(Sanyo Electrics of US) 1977 年 1 月

東 芝 1965 年東芝アメリカ(Toshiba America

(4)

Yasunaga Wakabayashi, 2003

日 本 家 電 メ ー カ ー の 輸 出 マ ー ケ テ ィ ン グ 戦 略 :4 社 比 較

ソニー 松下電器 ラジオやテレビを中心に、自社ブランドを正面に掲げ、 独自の販売チャネルの構築を通して、 自社ブランド輸 出マーケティングを行った。ソニーはOEM 輸出マー ケティングに依存せず、一方、松下電器はOEM 輸出 マーケティングにわずかしか依存しなかった。 三洋電機 技術の遅れと販売チャネルの弱さをカバーするため、 シアーズ社との PB 契約による輸出マーケティングを 積極的に行った。 東芝 PB 取引や OEM取引による輸出マーケティングと並行 して、東芝ブランドによる輸出マーケティングを展開 した。 4 社の共通 点 アメリカ市場を中心としたマス・マーケティングの輸出マーケティング段階の特徴。 が4社 Yasunaga Wakabayashi, 2003 ・戦前∼60年代:ツー・ステップの伝統的家電流通システム ・1960年代末から:ワン・ステップの流通システムの登場

戦 後 ア メ リ カ の 家 電 流 通 シ ス テ ム

メーカー 卸売業者 小売業者 ディストリビューター 家電店 ラジオ・テレビ専門店 家具店 百貨店など。 メーカー 巨大小売業者 百貨店 GMS 共同仕入組織(Buying group) 大型家電専門店(カテゴリーキラー)など。 背景: 巨大小売企業の登場 日本メーかーの参入 公正取引法の廃止à価格競争激化

(5)

Yasunaga Wakabayashi, 2003 ・第1段階:アメリカの輸入総代理店を活用。 ソニー à デルモニコ・インターナショナル社 à 小売店 松下電器 à マコ・エレクトリック社 à 小売店 三洋電機 à チャネル・マスター社 à 小売店 ・第2段階:現地に販売会社を設立し、そこを拠点にアメリカ市場を開拓。 ① デ ィ ス ト リ ビ ュ ー タ ー を 介 す るツ ー ・ ス テ ッ プ 流 通 シ ス テ ム ソ ニ ー à デ ィ ス ト リ ビ ュ ー タ ー à 小 売 店 ・1960年代、時間とコストをかけて二流、三流のディストリビューターをソニー専属 のディストリビューターに育て、自社系列の販売網を築いた。 ・1987年にディストリビューターを廃止し、自社ブランド取引に移行。 ② デ ィ ス ト リ ビ ュ ー タ ー を 介 し な いワ ン ・ ス テ ッ プ 流 通 シ ス テ ム 三 洋 電 機 、 松 下 電 器 、 東 芝 à レ ッ プ à 小 売 店 ・1960年代流通コストの節約に重点を置き、レップを積極的に活用した。 ・1970年代から取引量の増大に伴い、レップの廃止。自社営業員への切り換え。

ア メ リ カ 市 場 に お け る チ ャ ネ ル 戦 略

4社 比 較

ア メ リ カ 市 場 に お け る 価 格 戦 略

4社 比 較

高 低 高 低 価 格 設 定 Zenith Sony RCA Sanyo Panasonic Magnavox Sylvania Toshiba Quasar MGA Teknika Push Brands Pull Brands G.E.

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Yasunaga Wakabayashi, 2003

レップとは?

・ Manufacturers’ Representativesのことで、通称「レップ」(the rep)。 アメリカ特有の販売組織。卸売業に分類される。 ・ 基 本 的 な 役 割 : 販 売 。 商品の所有権はなく、複数メーカーの相互に競 争しない商品の販売代行業務を継続して行い、注文量に応じてコミッ ション(手数料)を受け取る。通常は商品の配送も売上げ金の回収も行わ ない。実際の商品の受け渡しはディーラーとメーカーの間で自社ブラン ド行われる。 ・種類: ① マニュファクチャラーズ・レップ:メーカーを代表する性格が強い。 ② 在庫持ちレップ:通常は在庫を持たないが、小口の注文は少量の在庫 を持って卸売業として売買する。 ③ セールズ・レップ:メーカーとの結びつきが自由な販売代行業である。 Yasunaga Wakabayashi, 2003

レップのメリットとデメリット

・メリット: ① レップに支払うコミッションは変動費で、売上げが少ないときは自社 セールスマンを雇用するより経済的である。 ② レップは地元のディーラーやディストリビューターと古くから地縁や コネのような結びつきは取引をスムーズにすることができる。 ・デメリット: ① 取引量が増えるにしたがってコミッションが増え、ある一定の規模を 超えると自社セールスマンを使用したほうが有利となる。 ② レップはコミッションの最大化が最大の関心であり、取り扱いの製品 種類が拡大してくると、大量に売れる製品の販売を優先するなど、 メーカーによる販売政策の実行とチャネルのコントロールが難しい。

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Yasunaga Wakabayashi, 2003

ソニーの輸出活動

・ 創業以来、革新的な技術に基づいたユニークな製品の開発を追求してきた。 日本国内市場は松下や東芝などの先発者によって占拠されていたため、 国 内 市 場 以 上 に 海 外 市 場 、 と り わ け ア メ リ カ 市 場 を 重 視 し て い る ・ 1953年に盛田昭夫のフィリップス社見学を契機に「世界的な目をもって考 え、物を作り、輸出に全力を注いでいく」方針を打ち立てた。 ・ 1958年、社名を世界に通じる名前として「ソニー株式会社」に変更。 ・ 1960年 に 「 米 国 ソ ニ ー 」 を 設 立 。ß 本 格 的 に ア メ リ カ 市 場 で の 活 動 を 開 始 。 ア メ リ カ 市 場 参 入 の 方 針 : 「 ア メ リ カ 人 と 一 緒 に 、 ア メ リ カ の メ ー カ ー と 同 じ や り 方 で 」 ・ほかの日本家電メーカーとの違い: ①OEMやPB取引によるO輸出マーケティングを行わずに、最初からSONYブラン ドによる輸出マーケティング戦略をとった。 ②アメリカ市場ではレップを使わずに、卸売を経由した2段階チャネルを独 自で構築した。

ソ ニ ー の 対 米 輸 出 マ ー ケ テ ィ ン グ

ソニーの対米OEM 輸出 マーケティング アメリカ企業との OEM や PB 取引はなかった。 ソニーの対米自社ブランド 輸出マーケティング アメリカのメーカーが作っ ていない画期的な製品を開 発し、SONY というブランド で独自の販売チャネルで販 売する。

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Yasunaga Wakabayashi, 2003 ソ ニ ー の ア メ リ カ 市 場 優 先 の

自 社 ブ ラ ン ド 輸 出 マ ー ケ テ ィ ン グ : ブ ラ ン ド と 製 品 戦 略

最 先 端 の 企 業 イ メ ー ジ の 構 築 と SONY ブ ラ ン ド の 浸 透 を は か る 。 ・ 日 本 向 け の 商 品 を ア メ リ カ 向 け に 転 用 す る の で は な く 、 ア メ リ カ 向 け の 商 品 を 日 本 で 作 り 、 輸 出 す る 。ア メ リ カ 企 業 と 正 面 か ら 競 争 す る こ と を 回 避 し 、 ア メ リ カ の メ ー カ ー が 作 っ て い な い ユ ニ ー ク な 新 製 品 を 開 発 す る 。 例えば、世界最小のポケット型ランジスタ・ラジオ、世界最初のト ランジスタ・テレビの製作に成功した。 1960年代ラジオ、テープレコーダ、トランジスタ・ラジオ 60年代後半から白黒テレビ、69年からトリニトロン・カラーテレビ Yasunaga Wakabayashi, 2003 ・ 1957年にデルモニコ・インターナショナル社をラジオの販売代理店に 指定。àSONYの名が最高級トランジスタ・ラジオの代名詞となった。 問題:値下げが多く、アフターサービスを無視。 1959年ソニーが開発した世界最初のトランジスタ・テレビが値引きさ れるではないかとの懸念でデルモニコ社との契約を破棄した。 ・ 1960年 に 販 売 会 社 「 米 国 ソ ニ ー 」 を 設 立 し 、 独 自 の 販 売 網 の 構 築 に 乗 り 出 し た 。 試 行 錯 誤 の 繰 り 返 し 。 例えば、ラジオとテレビの訪問販売の失敗。 独 自 の デ ィ ス ト リ ビ ュ ー タ ー 網 の 構 築 : 当時一流のディストリビューターはRCAとゼニスによっておさえら れていたので、ソニーは二流三流のディストリビューターを組織し、 時間をかけて育てた。 百貨店、Buying Groupなどとの自社ブランド取引が増大するにつれ、 ディストリビューターとの取引の割合が減り、1987年 に デ ィ ス ト リ ビ ュ ー タ ー を 廃 止 し た 。 ソ ニ ー の ア メ リ カ 市 場 優 先 の

自 社 ブ ラ ン ド 輸 出 マ ー ケ テ ィ ン グ : チ ャ ネ ル 構 築

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Yasunaga Wakabayashi, 2003

松 下 電 器 の 輸 出 活 動

戦前から輸出事業を開始した。1932年に輸 出 部を設立。 1935年に輸出部を分離独立させて松 下 電 器 貿 易 ( 株)を設立。アジアを中心 に生産と販売の事業を展開した。 ¬当時日本では商社を通しての輸出が一般的であった中、メーカー自らの手で 輸出す ることが珍しいことであった。 ・ 戦後、松下電器貿易が再び本社の傘下に戻り、東南アジア、中近東、南米で 輸出ルートを開拓した。 ・ 1959年「 輸 出 の 本 格 化 」 という経営方針を出し、 本社に国際本部を新設。 輸出の重点地区:北米市場、欧州市場、東南アジア市場。 ・ 北米市場、特にア メ リ カ 市 場 が最も重要な海外市場。 1951年:松下幸之助が初渡米。それ以来、アメリカへの輸出が念願となった。 1954年:ラジオを初めてアメリカに輸出。55年ハイファイスピーカ8P-W1は現地 で好評を得たが、後発モデルが開発されなかったため、計画は挫折した。 1958年:合弁会社を設立したが、サービス体制なしの単なる輸出に過ぎなかった。

1959年: 現 地 販 売 会 社Matsushita Electric Corp. of America( 略称MECA) を 設 立 。 本 格 的 な 輸 出 マ ー ケ テ ィ ン グ を 展 開 し た。

松下電器の対米輸出マーケティング

松下の対米OEM 輸出 マーケティング (補完的な役割) OEMやPB契約による輸出マーケティングの メリット: ①未知のアメリカ市場に参入する際、OEM契 約のほうが販売経費と流通リスクを伴わな い。 ②大量生産によるコストダウンの実現。 ③取引先から入手した技術情報と市場情報は アメリカの消費者のニーズに合った高品質商 品の開発に役立つ。 松下の対米自社ブラン ド 輸出マーケティング (中心的な役割) 限定した高品質の商品を独自のブランドと 独自の流通チャネル、完備したサービスを整 えて高価格で販売する。

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Yasunaga Wakabayashi, 2003 松 下 電 器 の ア メ リ カ 市 場 に お け る

OEM 輸 出 マ ー ケ テ ィ ン グ : OEM 、PB 契 約 に よ る 輸 出

・戦前:アメリカ向けのアイロン輸出 戦後:先駆―1954年メーシーズ百貨店へのラジオ輸出 本格化―MECA設立後の1960年代に入ってから。 PB取引先の中で、J.C. ペニーがメインであった。

メーカーとのOEM契約:Bulova 社:ラジオ,Concord社:ステレオ・テープレコーダ Philco:白黒テレビ,Westinghouse:電子レンジ,RCA GEなど:VHS式VTR

流通業者とのPB契約:Macy’s百貨店:ラジオ,J.C. Penny:トランシーバー、録音機 Sears & Roebuck, Montgomery WorldなどともPB取引があった。

初 期 の O E M 取 引 :Panasonicブランドの認知度が低かったため、やむを得 ず採ったものであった。 ・R C A にV H S 方 式 の 家 庭 用 V T R を 供 給 す るO E M 契 約 の 重 要 な 役 割 : 当時日本国内と海外で展開されたVTRの世界規格競争において、ゼニス とOEM契約を結んだBeta式のソニーと対抗するため、松下はRCA,GEにVHS式 製品をOEM供給することによって、アメリカ市場でVHS式製品の良さをア ピールし、ソニーに対して圧倒的な優位性を確立した。初 期 のO E M 取 引 と は 性 格 が 異 な る 。 Yasunaga Wakabayashi, 2003 松 下 電 器 の ア メ リ カ 市 場 に お け る

自 社 ブ ラ ン ド 輸 出 マ ー ケ テ ィ ン グ

( 1 ) 製 品 戦 略

・高 品 質 の 商 品 ( デ ザ イ ン 、 機 能 ) ・1961年から全商品をPanasonicブランドで販売する。 トランジスタ・ラジオ:小型ラジオà高級ラジオàステレオタイプの最高級ラジオ テープレコーダ:小型携帯用機種à高価格のステレオ・レコーダà高級品(発展途上 国からの輸入品と対抗するため) à 子供向けの色彩のカセットレコーダàラジオ とカセットを一緒にしたカセット・テープレコーダ テレビ:小 型 の テ ー ブ ル 型 と ポ ー タ ブ ル 型 (家具調の大型のコンソール型のテレビを 主力商品としていたアメリカメーカーとの正面競争を回避するため) à 小 型 カ ラ ー テ レ ビ の 本 格 的 輸 出 (買い増し需要の増加とオイルショック後の実質所得減少 により、小型テレビの市場が拡大) à ア メ リ カ メ ー カ ー が 得 意 と す る 大 型 テ レ ビ 市 場 に も 参 入à 円 高 を 機 に 高 付 加 価 値 商 品 に シ フ ト し た VTR:OEM契約とは別に、自社ブランドで輸出。 ・高品質製品戦略が実現した要因: MECAは単にアメリカにおける販 売 拠 点にとどまらず、商 品 の 企 画 セ ン タ ーとしての役割を果した。アメリカ人と日本人をペアで商品企画チー ムを編成し、アメリカ市場に合った商品開発を進めた。

(11)

Yasunaga Wakabayashi, 2003 ・一流アメリカ・ブランドと同等またはそれ以上の 高 価 格 設 定 −小売に十分なマージンを保障する価格での販売 −小売価格維持に努め、値下げ競争に加わらない方針を堅持。 ・公正取引価格法 1960年から1975年までMECAはすべての商品を申請し、法律によ る最低価格で販売店が売ることを守らせる制度を採用していた。 ・小売店を厳選したチャネル政策 開放的なチャネル政策を採用していたRCAやゼニスに比べて、価 格のコントロールが比較的容易であった。 ・公正取引価格法の廃止(1975年)とマーケットシェアの拡大によっ て、市場価格は乱れ、価格体系が複雑なものとなった。 松 下 電 器 の ア メ リ カ 市 場 に お け る

自 社 ブ ラ ン ド 輸 出 マ ー ケ テ ィ ン グ

( 2 ) 価 格 戦 略

・ ワ ン ス テ ッ プ 経 路 : ディストリビューターを媒介としないディーラーへの自社ブランド販売 ・ 当時アメリカの家電業界の流通は卸売から小売を経由するツーステップが 支配的であった。 1. セ ー ル ス ・ レ ッ プ の 活 用 Sales Representatives:メーカーとの結びつきが自由な販売代行業である。 基本的な役割:特約ディーラーを開拓し販売方針を徹底すること。自由契 約で注文を取り、価格や販売条件はメーカーによって決定される。マージ ンが7∼8%。在庫は持たず実際の商品の受け渡しはディーラーとメーカーの 間で自社ブランド行われる。 ・ MECA 設立後、直ちに地域ごとにレップを指名し、販売網の開拓を任せた。 1960年代レップはMECAにとって卸売業者というよりもパナソニック商品を 専属的に販売するMECA実質的なセールスマンであった。 ・ 1976年にレップを全国的に廃止し、自社セールマンによる自社ブランド販 売体制に切り換えた。理由:①レップ質の低下②取り扱い商品量の増大と 商品種類の多様化③ディーラーの大型化 松 下 電 器 の ア メ リ カ 市 場 に お け る

自 社 ブ ラ ン ド 輸 出 マ ー ケ テ ィ ン グ

( 3 ) 流 通 チ ャ ネ ル 戦 略

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Yasunaga Wakabayashi, 2003 2. MCA の 営 業 所 独立採算性。業務: 担当地域内の小売店の統括、販売、仕入れ、在庫な どの処理。 1964年:中部地域、東部地域、西部地域の3地域制 1985年:東北部、中東部、中西部、南部、西部の5グループ本部制のもと、 17営業所と4出張所 3. 小 売 店 の 活 用 MECAが設立されたときは4つの機種のラジオしかなかったため、また専 売チャネルを構築するだけの経営資源が不足していた。よって、専売店 政策を採用せず、優良ディーラーを選んで特約店にすることから開始し た。 ・ 専属特約店:高級Hi-Fi製品を取り扱う「認定店」の指定、入れ替え。 ・ 全米規模の百貨店、ディスカウント・チェンへの進出により、商品の知 名度を高める。 ・ 1970年代から、カタログ・ショールームに商品を展示、販売。 Yasunaga Wakabayashi, 2003 ・ 1963年に、主要な都市でテレビを中心にパナソニックの全商品の広告 宣伝が実施されている。67年末から全国広告を積極的に開始した。日 本メーカーの中で広告宣伝費が圧倒的に多かった。 ・ 主要都市の有名小売店と提携して、共同販売促進活動を行った。消費 者の間にブランド認知を広め、中小の小売商に大きな影響を及ぼした。 ・ 1979年にMECAの1部門として松下ニュースセンターを新設。アメリカ で日本企業が広報専門の組織を設立した最初のケースである。

( 5 ) サ ー ビ ス 体 制

・1959年技術サービス部門。 ・1966年にサービス部門を独立し、独立採算性のMESP(Matsushita Electric Corp. of America Service and Parts Divisions)にした。 品質管理部、修理部品供給部、修理部の3部を設置。品 質 管 理 部 に 日 本 で 作 ら れ た 新 製 品 の 出 荷 許 可 決 定 権 が 与 え ら れ て い た 。 ・120のサービスステーションと2100の委託サービス・ディーラー網 24時間の修理サービス。48時間以内の部品調達。 松 下 電 器 の ア メ リ カ 市 場 に お け る

自 社 ブ ラ ン ド 輸 出 マ ー ケ テ ィ ン グ

( 4 ) 広 告 ・ 宣 伝 戦 略

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Yasunaga Wakabayashi, 2003

三 洋 電 機 の 輸 出 活 動

・ 国内市場は松下、東芝などの先発メーカーにとられたため、早い時期 から海外市場を国内市場と同様に重視した。 ・ 1949年に発電ランプが輸出適格品として選ばれたことを機に、輸出は 東南アジアを中心に開始した。 東南アジア諸国による輸入制限の強化àアメリカ市場中心の輸出。 ・ 1955年にポータブルラジオをアメリカ市場に輸出したが、品質がアメ リカ製品に劣ったため、失敗。アメリカの消費者ニーズに合った製品 を作り、取引先、販売ルートを厳選するような統合的マーケティング が行われていなかった。 ・ OEM輸出マーケティングの始まり: 1958年に、チャネル・マスター社とのラジオOEM契約。 1990年の今日においてもOEM契約は続けられている。 ・ 自社ブランド輸出マーケティングの始まり: 1969年に、SANYOブランドでの販売決定。 三洋の対米OEM 輸出 マーケティング 1958 年∼今日 ・三洋は日本家電メーカーの後発者として、 OEMとPB取引先からの厳しい品質要求で技 術力、デザイン能力を向上させ、取引先に新 しい製品仕様を積極的に提案するに至った。 ・大量輸出による大量生産の実現。 三洋の対米自社ブラン ド輸出マーケティング OEM や PB 取引に依存し、取引先にマーケ ティングを任せた結果、本命の三洋ブランド の普及を遅らせてしまった。

三洋電機の対米輸出マーケティング

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Yasunaga Wakabayashi, 2003 ・ 初のOEM取引先:チャネル・マスター社(優れたアンテナ技術力と整った 販売網がメリット) ラジオ:1958年に受信度とデザインの良い6C-11型のラジオを同社に OEM供給。日本とアメリカ市場での大ヒットにより、OEM輸出が増加。 ・ 60年代から、RCA、Magnavox、Philcoなど一流メーカーとの取引開始。 白黒テレビ:1962年からOEM取引が開始。1964年Magnavox との取引を きっかけに、シ カ ゴ 事 務 所 を 開 設 。ß 本 格 的 対 米 テ レ ビ 輸 出 の 開 始 。 トランスレス方式シャーシの開発により、Silvania、GE、またシアーズ、 Kマートなど大手業者とも取引を開始。 カラーテレビ:1965年から始まったアメリカのカラーテレビブームは 三洋のOEM生産量を拡大し、コストダウンを可能にし、日本でもカラー テレビブームを引き起こすきっかけとなった。 ・ 音響製品、電子レンジ、冷蔵庫などへと取引種類を拡大。 ・OEMとPB取引先から技術とデザイン能力を学習することにより、 不良品返品の発生à品質の改善à取引量の拡大à 取引先への提案の実現

三 洋 電 機 の ア メ リ カ 市 場 に お け る

OEM輸 出 マ ー ケ テ ィ ン グ

Yasunaga Wakabayashi, 2003 ・1969年、クレーグ社と提携して「サンヨー/クレーグ」というダブルブ ランドの販売を開始。 ・1970年 か ら SANYO ブ ラ ン ド に よ る 輸 出 を 開 始 。 ・自社ブランドによる輸出が遅れた理由:創業者・井植歳男社長がOEMや PB取引を重視し、アメリカでの自社ブランド販売を許可しなかった。 ・S A N Y O ブ ラ ン ド の ア メ リ カ 市 場 浸 透 戦 略 : 宣 伝 戦 略 : アメリカの主要業界誌に広告を2年連続登載。 商品を展示会に出品する。 販 売 網 の 構 築 : 東部に家電商品の販売拠点、西部に無線商品の販売拠 点を作り、三洋のOEM製品の販売で経験のあるセ ー ル ス レ ッ プ を全国的 規模で組織する。 ・問題発生:1970年代に入り、SANYOの商品種類が拡大するにつれ、 レップのコントロールが難しくなった。 ・解決策:AVだけを扱うレップと家電を扱うレップの使い分け。 よく売れる製品を優先販売するやり方を排除する。 1990年 代 に 入 り 、 自 社 セ ー ル ス マ ン を 使 用 す る 直 販 制 度 に 移 行 。 三 洋 電 機 の ア メ リ カ 市 場 に お け る

自 社 ブ ラ ン ド 輸 出 マ ー ケ テ ィ ン グ

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Yasunaga Wakabayashi, 2003

東芝の輸出活動

東 芝:1939年に株式会社芝浦製作所と東京電気株式会社の合併によっ て誕生した。当時は「日本におけるGE」を目指していた。重 電 、 家 電 、 部 品の3部門がコア・コンピタンスを形成している。

海外輸出の歴史: 戦前からアジアを中心に現地生産または輸出をしていた。三井物産 を海外代理店として活用し、販売業務を任せた。 1949年に貿易部を設置して輸出に本格的に取り組んだ。 62年以降、国内需要低下の活路を求め、輸出強化方針が出された。 67年から71年まで、輸出の増強を重点とした5ヶ年計画(土光体制) 60年代はアメリカ市場を中心に、家電製品(特にテレビ)を輸出してい た。 64年貿易部と渉外部を海外事業部に統合した。 ¬ 65年の「東芝アメリカ」の設立を皮切りに、現地でのマーケティング を展開するための海外販売子会社は世界の主要都市に次々と設立された。 78年に、家電製品をめぐる日米貿易摩擦を契機に、アメリカでの現地 生産が始まった。

東芝の対米輸出マーケティング

東芝の対米OEM 輸出 マーケティング (東京本社が責任をもって行う) ・ 60 年代からシアーズを中心とする PB 取引 やアメリカとの OEM 取引 を積極的に行った。 ・ シアーズとの取引によって、アメリ カ・マーケティングを学ぶ機会を得 た。 ・ 一度に大量の受注による規模の経 済を達成し、コスト面での競争優位 を実現した 。 東芝の対米自社ブランド輸出 マーケティング (東芝アメリカが責任をもって行う) ・ 65 年に東芝アメリカの設立によっ て、東芝ブランド を掲げてアメリカ 市場に本格的に参入した。 ・ 製品面での優位性を実現した

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Yasunaga Wakabayashi, 2003

東 芝 の 対 米 OEM 輸 出 マ ー ケ テ ィ ン グ

: シ ア ー ズ と の

PB契 約

・ 東芝のシアーズ社とのPB契約はテレビを中心とした。その前に、 ト ランジスター社を通して、RCA社、ゼニス社、フィルコ社などアメリカ の家電メーカーとラジオのOEM契約に基づく輸出マーケティングの歴史 がある。 ・ 63年に10インチのポータブル白黒テレビ1000台をシアーズとPB契約し た―シ ア ー ズ が 日 本 メ ー カ ー か ら 電 気 製 品 を 自 社 ブ ラ ン ド 仕 入 れ す る 最 初 の ケース 64年にシアーズと11、16インチの白黒テレビの共同開発を行った。 65年世界初の16インチ角型テレビで飛躍的増大を達成し、シアーズは 画期的な商品であると高く評価した。 70年代に入り、カラーテレビのPBの成長がNBの成長より高くなった。 海外からの輸入が増えたことが一因。また輸入PB品の多くが日本製。その背景 にはシアーズが所有しているアメリカの製造子会社の製品と比べて、日本製品 の故 障率が低いというシアーズの評価があった。 84年 にP B 取 引 の 撤 退 方 針 を 出 し た 。 その理由:①自社ブランドの確 立に不利。②メーカー側主導の頻繁な新製品導入とモデルチェンジに、 シアーズのPB取引は敏速に対応できない。③消費者行動の変化と新業 態の家電専門量販店の登場。 Yasunaga Wakabayashi, 2003 東 芝 の 対 米 自 社 ブ ラ ン ド 輸 出 マ ー ケ テ ィ ン グ

: 東 芝 ブ ラ ン ド の 確 立

65年 に 東 芝 ア メ リ カ を設立することによって、東芝ブランドがアメリカ 市場に本格的に参入した。 66年にシカゴで開催されるミュージック・ショーで新製品を発表した。 67年にサービス組織を含むマーケティング組織の確立・強化を図った。 ・東 芝 ブ ラ ン ド の ブ ラ ン ド ・ イ メ ー ジ を 確 立 す る た め に 、 ①アメリカの有名百貨店と組んで共同マーチャンダイジングを行う。 ②ディーラー網の充実を図る。 ③積極的にセールス・プロモーションを行う。 ④サービスセンターの数を増やす。 ⑤アメリカのメーカーと同等のレベルの製品と高級イメージを目指し、 シアーズブランドとの競合を避けるための製品デザインと技術革新を行う。 ・東 芝 製 品 の 差 別 的 優 位 性 −ニッチ市場から全市場へ:アメリカメーカーとの競合を避けるための小型ポー タブル製品や小型のスクリーンカラーテレビàアメリカマーカーと競合する分野の 19インチカラーテレビà日本メーカーが得意とする14 15型。 −テレビ重点主義(白黒テレビ、カラーテレビ)から他の家電製品(ラジオ他音響 機器、テープレコーダー)事務機・複写機へと

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Yasunaga Wakabayashi, 2003 東 芝 の 対 米 自 社 ブ ラ ン ド 輸 出 マ ー ケ テ ィ ン グ

: チ ャ ネ ル 構 築

ニューヨークなど都市では営 業 所 か ら デ ィ ー ラ ー に 自 社 ブ ラ ン ド 販 売 す る 1 段 階 の 販 売 チ ャ ネ ル を重視し、その他の地域、特に山間部では 卸 売 業 者 を 介 す る 2 段 階 の 販 売 チ ャ ネ ルを採用した。 1. 東 芝 ア メ リ カ の 支 店 ・ 営 業 所 ・各地域の販売網の強化が目的。 ・67年産業用電機機械を取り扱う東芝インタナショナルが設立され、 家電製品とは別の販売ルートの開拓が目的。 2.「 レ ッ プ 」 の 活 用 ・東芝アメリカは65から88年までの間、レップを活用していた。 ・「レップ」を中止した理由:①レップは販売量を最優先し、東芝のハ イエンド製品を販売しようとしなかった。②レップは売上げを最重視 し、東芝アメリカのイメージを高めるような努力はせず、また新規の 需要開拓よりも既存店への販売を重視する。③レップは東芝のセール スマンの営業活動を妨害することがある。 3. 卸 売 業 者 ( デ ィ ス ト リ ビ ュ ー タ ー ) 小売店への自社ブランド取引が主だが、山間部や僻地は積極的に卸売業 者を活用した。 4.小 売 業 者( デ ィ ー ラ ー ) 百貨店、ラジオ・テレビ専門店、アンブレラストア(umbrella store) 5. バ イ イ ン グ ・ グ ル ー プ の 活 用 ・中小の独立小売店が共同で大量の商品を仕入れすることにより、メー カーに対して価格交渉力を発揮し、共同で倉庫を持つことによって在庫費 用を節減することを目的に設立された共同仕入れ組織である。 ・東芝は60年代後半からマルタ(MARTA)との取引を開始し、82年からその 取引を意識的に増大させたことを機に、シアーズとのPB取引を減らし、自 社ブランドを積極的に増やした。 60 年 代 : 百 貨 店 や 家 電 専 門 店 を 中 心 と し た 取 引 70 年 代 : バ イ イ ン グ ・ グ ル ー プ 、 カ タ ロ グ ・ シ ョ ー ル ー ム が 加 わ り 、 80 年 代 : Circuit City に 代 表 さ れ る カ テ ゴ リ ー キ ラ ー と 呼 ば れ る 家 電 量 販 店 や ウ ェ ア ハ ウ ス ・ ク ラ ブ な ど 販 売 チ ャ ネ ル が 多 様 化 し た 。

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東 芝 の 家 電 製 品 に み る 対 米 輸 出 マ ー ケ テ ィ ン グ の 特 徴

東 芝 の ア メ リ カ 市 場 で の 自 社 ブ ラ ン

ド 輸 出 マ ー ケ テ ィ ン グ の 開 始 は 松 下 電

器 、 ソ ニ ー 、 三 洋 電 機 と 比 較 し て 遅 れ

て い た 。 理由:東芝が日本国内におい

て確固たる家電ビジネスの地位を築い

ており、しかも3種の神器を中心とした

高い需要に支えられ、ソニーや三洋の

ような後発者より比較的余裕があった。

PBと OEM契 約 に よ るOEM輸 出 マ ー ケ

テ ィ ン グ を 積 極 的 に 行 っ た こ と は ソ

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参考文献

・ 近藤文男『国際マーケティング』有斐閣、2003年近刊。 ・ 近藤文男「東芝の対米輸出マーケティング」、近藤文男、若林 靖永編『日本企業のマス・マーケティング史』同文舘、1999年。 ・ 近藤文男「松下電器産業の輸出マーケティング」、『経済論叢 別冊―調査と研究』第17号、1999年4月、京都大学。 ・ 近藤文男「電子産業における国際マーケティング」、角松正雄、 大石芳裕編『国際マーケティング体系』ミネルヴァ書房、1996年。 ・ 近藤文男「家電産業のマーケティング」、角松正雄編『日本企 業のマーケティング』大月書店、1995年。 ・ 近藤文男「日本の民生用電子産業の国際マーケティング」、柏 尾昌哉、小野一一郎、河合信雄監修『国際流通とマーケティン グ』同文館、1992年。

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~waka/edu/03im.html

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