Japanese Society for the Science of Design
NII-Electronic Library Service
Japanese Sooiety for the Soienoe of Design“
地域の
「
華 」づ く り とテザ イン”
は、
い ま山村
か
らの
生活提案
Livelihood
froposal
fu
)rnVillage
鈴 木
貢 (
Suzuki
Mitsugu
) 三州 足 助屋
敷
1
,
保 全 を開発
と信
じ る町
正 月
3
日の朝
9
時
、
三州
足助
屋敷 似
下「
足助
屋蜘
という
:1 の母 屋の縁 側 に は、
職員
32
名 プ ラス1
名 が 整 列 し、
こ こを 監督
する協
会責
任者
の新
年の話に耳を傾 けている。
足 助 屡敷
開館
以 来ず
っ と こ の日に行
わ れ る、
仕
事
始
め の式
であ
る。
プ ラス1
名
と は、今年90
歳
を む かえ
る大III
鐘
.
一
一
老
人の こと で あ る。
まだ
正月
三 が 日、家
にいれば孫
や ひ孫
に囲 ま
れ楽
しい時、
こ の高
齢
で、
ま して屋 外
の仕
事
は寒
さ も よ けい に身
に沁
み る はず
。
プ ラ ス1
名
と表
した よう
に、
職員
では ないの に。
足 助屋 敷
があ
る足 助 町
は、
愛知 県
の東
北部
に位 置
し、
車
の町 豊 田市
に隣接 す
る人 凵ユ万〔mo
人の凵」村。
昭和
ヨ)年代
以降 自動 車
産業
が 発 展 する に伴
い、
町の農 業者
は サ ラ リー
マ ン と なり
、
通
勤
兼 業 化 あ
るい は挙 家 離村
が進行
してい た。
こ のため町
の基 幹
産業
であ
っ た竹 林 業
、
養蚕
、
夏秋
野菜
な ど が衰 退
していき
、
こ れ に変
わっ て台
頭
してき
たのが紅 葉
の名勝 地 「
香 嵐 渓」
に代 表
さ れ る観光 産業
であ
った
。
とはいっ ても
、
外 部資本
の導 入
や地
形
を変 え
て し まう
ほ どの開発
では 毛頭
ない。「
歴史
と文
化 を結
びつけ
る観 光」
「
保
全 を開
発 と信
ず る ま ち」
「地 域の歴 史 的 生
活文 化
を今
に生 か し、
足助
に生 き る 豊か さ を求める・
方で都 市 と の交 流 を盛
ん に し活 性 化 を
は かっ ていく」
という
三つの概 念
が、
こ の町に はあ
る。要す
る に、
地
につ か ない物 真似
は し な い 。 わ が道 を
いく
であ
る。こ
う
した 町づく り
の憲 章
のも と
で、
町
の行 政 主導
により
生き
た 民俗
資
料館 「
三州
足助
屋敷」
、
戦 国時 代
の凵
」城
を忠 実
に再現
した 「足助
城」
、
宿 泊 施 設 を もつ社 会福
祉セ ンター
「白年 草 」
な ど、
個性 あ
る事
業
が町
おこし事 業
の…
環
と して整 備 さ れてき た。
特
に、
徹底
して足 助
に こだ わる足助 屋 敷
は 町 おこ し事
業
のさ
きがけ
と もい わ れ、
全国
各
地 から視 察に訪れ た地方 自治 体
の数
は5
(X
〕以 上に及
んでい る。2
.
地元 自身
のた め に ;足助
屋敷
誕生
それ で は
、
足助 屋 敷
はどう
いう経過
で誕 生 したもの で
あ ろう
か。
「
価 値観
が多 様 化
し てい る時代
にもう
一
度
じっく
り地域
の 文化
を見直
す必 要
があ
ると思
っ た。観光 客
でな く地 元 自 身のた め に」
足助
屋敷
を発 案
し初代 館 長
を務
め た 小 沢 庄一
は、
こう 当時 を振 り返
る。
さら
に、
「高度 経 済成 長後
、
村
々か ら手
仕
事
が消 え
て しま
った
。
と同 時
に厳 し くも豊
か な自然
のな かで培
っ て き た 心の豊 か さ がも
のを慈
しみ大 切
にす
る心
を失
わ れてし まっ た。 こ れ をいま
な お持
ち合 わ
せ る人
、
そ
れ は村
の高齢 者
だ。す
べ てを是
とす
る の では ないが、
今
なら間
に合 う
。確実
に時
代
に引
き継
いでお か なけ
れ ば ならない技
と考
え を、
心 あ
る若 者
に伝
え
て お き たい。自
給自足 を 赫提
とす
る地域 内経済 循環
の小 さ な経 済
の組
立。多
様
な 生き方
のな か から
自
然 志 向
、
本物 を求
める若 者層
の台 頭
。手 仕
事
の復 活
、
現 在
あ る 地 域 風 土 が育
て た伝 統
や 歴史
の集積
であ る こ と を動 的
に琿解 す
る場
。 要約
して、
母 な る大地
の恵
み、
手
の第
二 の頭脳
の活性 化
をfi
論
む場
といえる
」
:季
刊 住 民 運 動NO.
37
で報 告
1
足 助 屋敷 建
設の理 論武
装を
こう
つ け加 える。
こ
う
し て「
山村
を民族
の ふ る さ と」
と し て位
胃づけ
、
生 きる に値
し、
死ぬに値 す
る魅 力 あ
る村
づく り
の基 幹施 設
と なる足 助
屋敷
は、
国 と愛知 県
か らの補助 を受
け て、
昭和
55
年
4
月
に オー
プン した。
足 助 屋
敷
の中身 を紹 介す
ると
こ んなよう
なも
のになる。
人 口 と な る章
ぶきの
長
屋
門には「
真
の豊
か さ と は、
今
に伝 え
る昔
の暮
らし1
と書
か れた看 板
があ
る。
こ の門で入館 料 汰
人am
円、
子供
200
円}
を 払っ てく ぐる と、
敷
地3
,
000
平 方
メー
トル の屋 敷
の全 景
が見渡
せる。井
戸館
のあ
る中庭
では チャボ と烏 骨 鶏
が 遊 び、
その回 り
に草
ぶき
の母 屋
、
ヒ蔵
、
紙 漉
き小 屋
、
炭 焼
き小
屋
、
鍛 冶屋 小屋
な ど9
棟
が建
ち並 ぶ。牛
も兎
も鯉 もいる。10
種
類
以 上の果樹
と木 綿 糸
を染
め る原料
と な る木
も植 え
ら れ てい る。
こ の風景
は、
足助 地 方
の明治 時期
の農 家
の伝 統 的建 築 手法
を 忠 実に網 羅 し、
自給 自足 を 基 軸と し た地 主階 級い わゆる豪農
の屋敷
を 再 現 的新 築
したも
の と みられ る。
そし て こ こ で は、
道
具
へ の愛着
か ら「
道 具
は使
わ れ てこそ 生 きる」
という
考 え方
を つらぬ き、
120
年
前の機 織 機、
くど、
その他生活 民 具の ど れもが使
い込 ま れ た本
物 で 現 に使 用 さ れ てい る。
さら
に、
食生 活
と生業
の.
一
切
が、技術
を保 持 す
る高齢 者
に よ り、
実 演
公開
され て お 図1
[
三州 足 助 屋 敷 の 俯 瞰]
「
雄 大 な自
然の営
み のなかでは 建 物 は 小 さい もの だ。
建 物はむ し ろ自
然の中
に そっ と立
って
いな く
て はな
らない」 現
地 に建
っ た 屋敷 設 計
者 浦 辺鎮太 郎 氏
の言
。デ ザイン学 研 究 特 集 号 SPECIAL ISSUEQF JSSD Vol
、
2 No、
τ 199449Japanese Society for the Science of Design
NII-Electronic Library Service
Japanese Sooiety for the Soienoe of Designり
、
これ ら を 通 じて足 助 地方の
明 治 時期
か ら昭利
30
年
代 頃の暮
らしぶ りを 詳 し く知る こ とがで きる。
使い捨
ての物 質 文 明に溺 れき
っ た 現 代へ 警 鐘 を投げ
か け る と ともに、
技
を 生 かせ る高齢 者
の生き
がい の場 と も なっ ているこ と が、 生き
た民俗
資
料
館
と称
され る理由
で あ る。3 .
おら
こ こがす き だ
さ
て、
かの大 山老 人
。
14の歳
か ら炭 焼 き修 業
。
愛 知県 製 炭指
導員
、
黒 炭
用加茂 式 窯
の考 案 者
であ り県 外
の産 地
でも普
及活動
を お こなう
。
昭 和55年
足 助 屋敷
開 館と ともに こ こ で炭 焼き
の実演
をし てき
た が、
平成
2
年
87歳
の時
、
64歳
の長
男 を後
継ぎ
に指
名
し隠
居
の身分
とな
る。
こ れが、
・
代
炭 焼 き
、
大 山老 人
の経
歴
で あ る。
足助
生 ま れ で あ る が、
今
は 豊 口]市の
真
ん 中 で長男
家 族 と同居
してい る。若
い時
か ら炭 窯
のあ る山
での生活
が多
く、足
助 屋
敷
で働 く
よう
に なっ て か らは炭 小屋
で寝 泊
まりす
る こ と が多
かっ た(
小 屋
の中
に は、
大山 老 人宛
に毎 年 あ
る教 育委 員 会
か 図2
[
大 山老 人
]
こ こが作
業場
、
90
歳
に なっ て も体
のエンジンはいま だ にフ ル
機 能
。 深 夜 放 送 で頭
を鍛
え ている の で、
話 題 は 豊 富。 ファ ン を
一
番
多 く もつ。 ら送 ら れてく
るヌー
ドポスター
が吊
され てい る)
か ら町 中
で の 生 活は どう も馴 染めない らしい。
隠 居後 も長
男と毎
日足 助 屋敷
へ 通っ て くる。
炭
焼き作業
は 切息
子に任
せ て、
自
分は こ の小
屋
の隅で竹
トンボやガリガリ トン ボ、
野菜
てっ ぽう
な どの竹
製 品 を作
っ てはお客
に売 りつ け、LI
銭
を 稼ぐ
。
一
目1,
(XX)円
に な れ ば よいほう
だ。 さて、
炭 窯
は お調 子
ものだ。夜
中 ま
で 睚話
を し なけ
れ ば、
炭
とな らず 灰
と なっ て し まう
こ と もあ
る。 こんな とき
は、
長男
に炭 焼 き技 術
の粋
を伝
え きっ た安 堵
か らか、
掘
っ建
て小
屋の中
で好 き
な酒
を呑
みな が ら、
深 夜
まで静
かに作 業
を見
守
っ てい る。
急が せ て、
炭
の品質
、
ひいて は、
足助
屋敷
の評価
を引 き
下げ
る よう
な こ と は決
し て し ない。
こ こ に訪
れ る人 を愛
し、
仕
事
を愛
し、
施 設
を愛
し、
とに かく
、
こ こが好 き
で好 き
で た ま ら ないのだ。
4 .
80
歳
の オー
トバイ乗
り番 傘張 り職 人
のlb
岡実
は、
もう
じき80
歳
。傘 張 り
を辞
め て会
社 勤
め と農林 業
の繰 り返
し。8
年前
から、
足助
屋敷
で再
び傘 張
り
。片 道
4Km
の道 り
を50CC
のオー
トバ イで通う
。1
年 前
に交 通事故
に合い3
ヶ月
間 入 院 治療
。
家 族 は事故
の再 発 を 心 配 し、
足 助屋 敷
でも
こ のまま辞
め て しま
わな
いか と心配 したが
、
徒 労
に か わり
、
今 も
元気
に オー
トバ イ で通勤
している。
冬
でも
そ れ は変
わ ら ない。
(
その様 を思 う
と、
屋敷
の管 理者
と して は車
の暖房
スイ
ッチ に触
れ ないよう気
づ かいはして み るのだ
が。
)今
日も若
い女性
リ ポー
ター
から取 材 を受
けて「
一
年 前に
事故
やっ ちま
っ たけど、
家におる よりえ え
わな 」い い笑 顔である。
足 助 屋敷
では、
年
寄 りだ か ら といっ て誰
ひ と り と して過
保護
には し ないけ
れ ど、
格 別
な配 慮
で、
最 近彼
の元
に50
歳
をち
ょっ とい っ た独 り者
の女 性 を弟
r一
に 送 り込ん だ。
結構 気
に入っ てい る か ら、足 助屋 敷 人
生 ま だ ま だ伸
び そう
だ。32
人
いる足助 屋 敷 職 員
の平均 年 令
はse
歳
を越
え る が、
中
には「
若
い者」
といわ れ る者
もいる。
だ が、
変 だ な と 思 わ れ ること が た く さんあ る。腹
が痛
い、
風 邪
を ひい た、
こ んな理
由
で休
む のは「
若
い の に」
といわれ る者
で、
高齢 者
にはこ んなの全 く と いう
ほ どいないのだ。
最 近 増 える休
目 も、
喜 ぶのは若
い者
だけ
。施 設
を取 り
まく環 境
や情 景
か らこ こ には年 寄 り
が よ く似
合
っ て はい る が、
打
算
や義
務 感
で 足助
屋敷
へ足 を運
ぶの ではな い。
こ こが 生き甲斐 だ
と して働
く
年
寄 り
は、
大
凵」老人を含
め、
み ん な筋
金
入 りの元
気
者
なのだ。 こ こで は、
い ろ ん なこと を含
め、
まさ
に、
した たかな凵
」の暮
らしを学
ぶ こと ができ
る。
5.
した た か な山
の く ら し寒茶
は大 寒
の こ ろつく
る。冬
の葉
には、
春先
か ら元気
な新 芽
を芽 吹
か せ る た めの栄養 分
を たく
さんた め込
ん で い る。寒茶
は この茶
の木
を枝
ご と切
っ て きて蒸す
と、
小枝
か ら葉
が落 ち
る の50SPECIAL
ISSUEOF JSSD Vol.
2 No.
1 1994 デサ イン学研 究 特集 号Japanese Society for the Science of Design
NII-Electronic Library Service
Japanese Sooiety for the Soienoe of Design図
3 [
番 傘 張
り の山岡
老人]
足助 屋 敷
は外 国
か らの お客
さ んも
多
い。
言 葉
が 通 じ ない とみ る と傘
の陰
に隠
れて し まう
。 これ も知 恵 だ。
図4 [
囲炉
裏]
囲
炉 裏
の火
が赤
い、
母 屋
憩
いの時 間
。 で、
そ れ を 天 日で乾
燥す
れ ばハ イでき
ヒがり
。葉
を揉
ま ない か ら おい しいお茶
がで るま
でか なり
の時 間煮
立て る こ と が必 要
だ が、
やま
ぶき色
でく
せが な く
おい しい。 お茶
の研 究家
によると
こ の製 法
がおこな わ れてい るのは徳 島県 内
の2
ヵ所
と この足助
屋敷
だ け だ という
。
めず ら
しいか ら毎 年
テ レ ビでこの製法
が紹
介
さ れてい るほ ど であ
る。
お客
さん には開館 以来
一
.
一
年 を通 じ
て こ の寒茶
のお もてな しが続
いてい る。
足助 屋
敷
は自
給自
足の生
活 を建 前
とし
ている。 だ から.
寒 茶
の他
、
みそ も醤
油 も豆 腐 も卵 も梅 干 し も
ゆべ し(
柚
の 中身
をく り
めい た中
ヘ クル ミ、
ごま
、
味 醂
な どで味付 け
た赤 味 噌
を詰
め 込 ん で蒸 し
’
1
咋
ほ ど干
し たも
の)
な どの食料 以外
に、
障 子紙
、竹
垣、
桶
、
炭
、
薪 な
ど ほ と ん ど自家製
。
中庭
でさ
っ き まで餌
をつ いば
ん でいた鶏 が夜
に は屋 敷
住 人の食 材.
料となっ てい る こと も あ る。
今度
は兎
が狙
わ れている。 アブ ナ イ。
6 .
キ
ー
ワー
ドは囲
炉裏
屋
敷
の母屋
には、
囲炉 裏
があ
る。 ここに は毎
日薪 が く
べ られ て、
自在
鍵
に架
かった鉄 瓶 か
ら吹
き トが る湯
気
と部
屋内
に充満
した煙 とで効
果満 点
の雰 囲気
をつ くっ てい る。
こ の煙
で壁 も
天井
も真
っ 黒。
す
っ かり
なじ ん でいて、
IS年前
新 築
された施 設
だ と は誰
も気
づか ない。
道 具は使わ れ て こ そ生 き る。
この考 え
が こ こ でも
生 か さ れて い る。
囲炉 裏
は山
の暮
ら しには 欠 かせな かっ た もの であ る。
灯 りが 貴 重な時代
で は、
こ の回 りが食
事
の 場であ り、
夜 なべ 仕事
の場であ
っ た。木
と竹
と藁
に よっ てつ つま
れ た部屋
の囲炉 裏
で燃 え
ヒがる薪
の炎
。
暖
か さ、
煙の匂い。
こ こ に は、
都 会
の人
も、
そ して、
今は山の子供
さえ知
ら ない、
L
凵
里のロマ ンが あ るe年 間
10
〔}万 人の観
光 客 で にぎ
わう紅 葉
の名勝 地 「
香 嵐
渓
」
の園地 内
にあ
る足 助 屋
敷
。
名 占
屋 から車
で1
時 間足
らず
という
、
安
、
近、
短
の 立:地の良
さに恵 ま
れ、
いま
までは順 調
に推
移 してき
ている。
し か しな が ら、
多様
化 す
る観 光
需要
は道路条 件
の整 備 など で どんどん広
域化 す
る。
類 似 す る 施 設も
で てく
る。足助
屋
敷
生き
残
り
の命
であ
る手仕
事
の種 類 は、
当 初の11から9
つ に減
っ て いる。後継
者 が育
た なかっ たのだ。補助
事
業
に頼っ て で き た施 設
は、
いつま
でも補 助
金体 質
か ら抜 け
き らないも
の が多
い中
で、
こ こ は当
初 から独 立採 算 を目指
して いる。建物
から
道
具、
人、
生活文化
な ど、
足 助の 町にか たく
なに こだ わり続
け た 足助
屋敷 建 設
のコ ンセプ トが、
職 人確 保
や経 営
事
情
と絡 み 合っ て どこま
で維持
し続 け
ら れ る か。
香嵐 渓 だ け
に頼
っ て、
囲炉
裏
のそ
ばであ ぐ
ら を かき
続
ける わけ
に はいか な くな る だ ろう
。
地 域社 会
に伝 え
られ てき
た 生活 文化 を再確 認
し、
そ れ を現 代
生活
に生 か してい く方 途 を探 求
し よう
という足助 屋 敷
の生活 提 案
は、
悩
み な が ら ま だ ま だ続 く
。
囲
炉 裏
の火 をい つ までも勢
い良 く燃
や し続 け
る た め に。
デ ザ イ ン学研究特 集 号 SPECIAL iSSUEOF JSSD VoL 2 No