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58 さらに キリスト教を禁じるといっても キリス ト教を信じているのをどのように見分けるのだろ う 君たちの中で見分けられる と発問すると これも小学校での学習の成果であろう 子どもた ちから キリストの絵を踏ませる 踏み絵との 発言があった 教師は 踏み絵とは 聖母マリ アなどの踏ませた絵そのも

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Academic year: 2021

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1 学びの構想

キリスト教の取り締まりから幕藩体制を考える  江戸幕府による幕藩体制の確立は,国の内外の 事情により始まった。  国内では,織田信長・豊臣秀吉の時代を経て, 身分制と石高制を基礎とする幕藩体制に仕上げて いった。国外からは,大航海時代という地球的規 模の波に乗り,キリスト教と貿易をセットにした ヨーロッパ勢力がやってきた。江戸幕府を中心と する日本国家及び日本人としての自己認識が深ま り,国家のあり方を固められ,キリスト教徒では ないという日本国民づくりが強力に進められた。 そして,3代将軍徳川家光の頃,国内に身分制度 を編成し,国外に管理外交で外枠を囲う江戸幕府 による幕藩体制が確立した。  江戸幕府による幕藩体制が確立すると,人々は, 国家による身分編成の枠組みのなかで,武士や町 人,百姓などの身分ごとに分かれて住み,それぞ れが各自の「身分」に徹して分相応に生きること に価値を感じるようになる。  「民主主義」や「人権」を最高の価値とする現代 人である子どもたちにとって,江戸時代の身分制 度をもとに確立した幕藩体制については否定的な 見方をすることも多い。しかし,260 年という世界 史上でも類を見ない安定した社会を確立した理由 を,同時代の人々の視線や感覚を重視して探らせ ることで,そのような考え方もできるのではない かと,新たな視点でこの時代を考えさせたい。 小学校の学びを発展させる  小学校6年生の社会科で「キリスト教の伝来, 織田・豊臣の天下統一,江戸幕府の始まり,参勤 交代,鎖国について調べ,戦国の世が統一され, 身分制度が確立し武士による政治が安定したこと」 を学習している。  キリスト教が取り締まられていたことを中心に して,小学校の学習である「武士による政治」で の理解を再構成し,中学校の学習内容である「幕 府と藩による支配が確立したこと」へ発展させて いきたい。

2 学びのストーリー

(1) 江戸時代の社会問題の存在を明らかにする (第 1 時)  黒板に「誕生日」と書いて,この単元は始まった。 「誕生日が世界で最も知られている人は誰だと思 う?」との教師の発問に,子どもたちは少し考え て「イエス・キリスト」と答えた。それほどキリ スト教信者が多いとも考えられない日本でも毎年 12 月になるとクリスマスソングが町中に流れ,ケー キやおもちゃなどが販売される。そのようなこと が世界各地で行われていることから,世界で最も 知られている誕生日ではないかと考え発問した。  「ところで,今では,のんきにクリスマスソング なんか歌ったり,ケーキを食べたりするけど,日 本でキリスト教が禁じられていた時期があったこ とを知っているか?」と発問した。子どもたちは, 小学校での知識からであろう「江戸時代」と答えた。

-2

 

学びをつなぐ《探究するコミュニティ》としての実践

江戸幕府をキリスト教の取り締まりという視点で

探ることで小学校での学びを発展させる授業

-なぜ,キリスト教は取り締まられたのか?江戸幕府の政策を評価しよう(第2学年)-

 「うちのお寺は ○○寺 なんだけど…,なぜ,あそこのお寺な の?」キリスト教を取り締まった寺請制度。家康,秀忠,家光の3 代の徳川将軍たちがめざした国家デザインを協働で探る。キリスト 教徒に対する政策はどうあるべきだったのか,自分たちの考えた理 想の政策と比較しながら,江戸幕府が行った政策を評価する授業。  

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さらに「キリスト教を禁じるといっても,キリス ト教を信じているのをどのように見分けるのだろ う。君たちの中で見分けられる。」と発問すると, これも小学校での学習の成果であろう,子どもた ちから「キリストの絵を踏ませる」「踏み絵」との 発言があった。教師は「踏み絵」とは「聖母マリ アなどの踏ませた絵そのもの」であることと「絵 踏み」とは「その絵を踏ませる行為」との言葉の 違いを説明した。  そして,「絵踏みはどのように行われたのだろう」 と発問した。小学校の教科書にも使われている資 料のもとになったと考えられる川原慶賀が描いた 「絵踏みの様子」の絵をスクリーンに写した。絵師 は,長崎の出島に出入りし,来日していたシーボ ルトに絵を指南したと説明する。  そして,「絵踏は,いつ行われたでしょう,どこ で行われたでしょう,誰によって,どのように行 われたでしょう」と発問し,川原慶賀の絵を印刷 したワークシートを配り,それがわかるところに ○の印を付けさせた。子どもたちは次のような発 表をした。 「火鉢 鏡餅から冬お正月」 「監視している人がいる」 「監視している人は身分が高いの では?」 「記録している人がいる」 「順番待ちの人がいる」  教師は,記録について,当時つくられた「宗門 人別改帳」をスクリーンに写して,住所,名前, 年齢が記録され,最後には「切支丹宗門之者無座 候(きりしたんしゅうもんのものござなくそうろ う)」と最後に記述されていたことを説明した。長 崎など九州地方だけでなく,全国でキリスト教信 者でないことを調べていたことを補足した。  しかし,子どもたちは,どこで行われていたのか, 誰によって行われたのかはわからない。  教師は,子どもたちが考えるヒントとなるであろ うと思い,この絵が何年頃に描かれたのかを考えさ せた。1600 年代 12 名,1700 年代 11 名,1800 年代 3 名。そして,作者 川原慶賀の生きた年代(1786 年~ 1860 年)から考えると,1800 年頃と考えられ ると伝え,江戸時代の終わりごろであることを説明 した。結局,どこで行われたのか,誰によって行わ れたのか,わからないまま 1 時間目が終わった。 (第 2 時)  前時では,ワークシートは一人一人にA4版の ものを配ったが,教師が見つけてほしいポイント は見つけることができなかった。そこで,A3版 に拡大したものを4人のグループに配った。子ど もたちは,それを見て,グループで考えた。 衝立の文字 案内人 鏡餅の三段重ねなど に注目するが,なかなか,場所と主催者側にま でたどり着かない。そこで,教師は,履き物の数 と向きに注目させた。 すると,履き物は4つ,調べている偉そうな人 たちが4人いる。調べられている家族も4人いる。 どっちなのだろう。家族の場合は小さい子どもも いるけど,履き物の大きさはほぼ同じ大きさであ る。そこから,調べている人たちの者であろうと 考えるようになった。 4つのうち,揃えているのは1つだけ,あとの 3つはその場で脱ぎ散らかされている。きちんと 揃えられているのは,正面の偉そうな人のもので, あとの3つはそれ以外の人のものではないかとの 考えが出されていった。そのことから,場所は調 べられている家族の家であると考えていった。 また,調べている人たちについては,腰に刀等 がないことから,身分は町人で,偉そうな感じか ら,町内会長みたいな人ではないかと考えるよう になった。 ここで,教師から「絵踏み」の説明があった。 長崎などの一部の地域で,正月6日の午前中に行 われていたこと,ある町内では 38 軒を廻っていた 上段はその時使われた絵,下段は説明している様子

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ことから1軒あたり6~7分間程度であったこと, だから,履き物を揃える時間がなかったのではな いかと説明した。 そして,絵踏みは,正月に,それぞれの町人の家で, 町内会長のような町役人によって,踏み絵を踏ま せ,それを宗門改め人別帳に記録して行われていた。 その他,絵踏みは,長崎などの一部の地域で,1629 年から 1857 年のほぼ江戸時代中行われていたこと, さらに,教科書(東京書籍 P109)に越前市の「宗 門改帳」が掲載されているのを見せ,福井県でもキ リスト教徒の取り締まりは行われていたことを補足 した。そして,江戸時代のほとんどの期間,全国ど こでも,キリスト教を取り締まるということが行わ れていたことを確認した。 「なぜ,江戸時代中,キリスト教は取り締まられ たのか。260 年間ほぼ争いのない平和な時代が続い たことと関わりがあるのだろうか。」と子どもたち は疑問を持ち,主題を設定し,その予想を立てた。 江戸幕府との考えのちがい     13 名 一揆・反抗・対立・反乱を防ぐ   12 名 外国による日本の支配へのおそれやキリスト教 勢力が国を奪うおそれ        8 名 日本は鎖国していたから       3 名 仏教など日本的な宗教との関係    3 名 無回答       1 名 成績は悪くないが,覚えることに苦手意識があ り,歴史は覚えるものと考えているため,なかな か歴史に興味の持てない純子は,次のような予想 を立てた。絵踏みの様子の絵に興味をもったのか, 今回は積極的に関わっていた。 「絵踏みって怖いものと思っていたけど,正月の行事みたい に行われていたことに驚いた。当たり前みたいに,キリスト 教を取り締まることによって,自然と信徒が幕府に反抗する ことをあらかじめ阻止して,幕府が物事を進めやすいように したのだと思います。」 この純子の学びがどのように深まっていったの かに注目しながら,単元を振り返っていきたい。 (2) なぜ,キリスト教を取り締まったのか,学び の見通しを持つ (第 3 時) まず,子どもたちが前時に予想したことを座席 表にして配り,話し合いが始まった。 教師「なぜ,キリスト教は取り締まられたのでしょうか。」 生徒「農民達が一揆や反乱などをおこすからでしょう」 生徒「小学校の時,キリスト教徒が島原・天草一揆を起こし たと習いました。」 教師「島原・天草一揆はどのような一揆だったのだろうね。 調べてみる必要があるみたいだね。」 生徒「キリスト教の教えが,幕府の考えとあわなかったと教 科書に書いてあります。」 生徒「幕府の考えって何だろう。」 生徒「ところで,キリスト教ってそんなに広まっていたのかな。」 生徒「取り締まるために何をしたのだろう。」 教師「キリスト教の勢力の拡大の様子,江戸幕府の考え,そ して,島原・天草一揆を調べてみよう。」 この話し合いで,子どもたちは,次のことにつ いて学習していくことを確認した。 キリスト教の広まりについて, キリスト教の教えと江戸幕府との考えのちがい, 島原・天草一揆について, 幕府のキリスト教への対策について さっそく,探究に取りかかった。まず,江戸時 代にキリスト教信者がどれくらいいたのか調べる ことにした。 教科書のp 97 に掲載されている「信者の数と変 化」のグラフで見た。純子は,次のことを読み見 取り,ワークシートに書いた。 キリスト教はイエズス会 のザビエルにより 1549 年に伝わる。 伝わった当初はさほど 増えないが 1570 年代に 急増している。 その後も増え続け,最盛 期の 1614 年には 35 万 人に達する。 子どもたちは,最盛期の 35 万人のキリスト教信 者の数についてはグラフから増えている様子はわ かるが,それが多いのか少ないのかはわからない。 そこで,教師は,「信教の自由」が憲法で保障され ている現在の信者の約 100 万人であることを伝え た。さらに,江戸時代初期の人口が 1,000 万人から 1,500 万人程度であることを伝えた。そこから子ど もたちは,信者の割合が全人口の約3%で,現在 の約1%と気づき,割合としては多いことをつか んでいった。 そして,教師は,「急増した 1570 年代は,誰が 活躍した時代か」と子どもたちに問うた。すると, 子どもたちは,教科書の記述から,「1573 年に織田 信長によって室町幕府の滅亡」を見つけた。織田 信長が関わっているのではないかと考えた。 授業後の純子の感想である。 「キリスト教徒の増え方が織田信長の活躍した頃と重なって いた。総人口との割合で現在と比べると今より多いことがわ かった。人々にとってキリスト教は魅力的なものであったの だろうか。」 (3) なぜ,急増したのか,信長 秀吉 家康の対応 (第 4 時) 前時に子どもたちは,キリスト教信者が織田信 長の時代に増えていることに気づいた。そこで, 教科書のp97に掲載されてい る「信者の数と変化」のグラフ  

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教師は,織田信長・豊臣秀吉・徳川家康がキリス ト教の布教にどのように対応したのか,教科書の 記述等で調べることを促した。 純子は,次のように3人の対応をワークシート にまとめた。 織田信長 仏教の僧たちが堕落していると考え,キリスト教の 宣教師を優遇した 豊臣秀吉 日本は「神国」であるとして宣教師の国外追放を命じ た(バテレン追放令)が,南蛮貿易を奨励していた 徳川家康 貿易のため,キリスト教の布教を黙認     ↓ キリスト教信者が全国に広まった 幕領にキリスト教 禁止令(禁教令)を出し,迫害した それをもとに,グループでの話し合いに臨んだ。 百子:キリスト教信者が急増したきっかけを探そう。信長は テレビで新しい物好きって言っていた。仏教嫌いだっ た。(仏教が)だらだらしていたから…。 純子:信長の時代に宣教師を優遇したからキリスト教信者が 増えたの。 厚志:仏教が嫌いだから,キリスト教信者を増やしたので は?それで…。 百子:信長はキリスト教を優遇したんだ。 純子:じゃ,キリスト教を禁止したのは誰? 厚志:秀吉でしょ,家康かな? 純子:(資料集の年表を見て)1612 年に幕府の天領でキリス ト教を禁止したって,書いてある。1612 年って誰の 時代?家康? 厚志:家康って幕府の一番上だったでしょ。 岳夫:家康は,秀忠に将軍職をゆずっても権力を持ち続けて いたんだ。 純子:その家康が禁止するのに,キリスト教信者は増え続け たのは,なぜ。 百子:貿易でしょ,秀吉はバテレン追放令を出すが,貿易は 奨励する,家康も貿易のため。 岳夫:家康は貿易の利益のため,キリスト教の活動を黙認し たってこと…。 純子:それで増え続けたってわけか。 純子は,誰がキリ スト教を禁止したの かが気になっていた。 グループでの話し合 いのなかで,特に百 子とのやりとりの中 で,貿易との関係に気づいていった。 教師は,グループでの話し合いを全体のものに するため,グループでの話し合いでキーワードと な っ た も の を 短 冊 に 書 か せ て, 黒 板 に 貼 ら せ た。 そ し て, 関 係 あ る も の を つ な ぎ 合 わ せ て い っ た。すると 「仏教対策により優遇」 「貿易の利益」の2点に絞られていった。仏教対 策については,信長が行った延暦寺焼き討ちや一 向一揆の弾圧についても話し合われた。 教師は,貿易の利益について補足した。当時の 輸入品・輸出品のグラフを見せ,輸入品は生糸・ 絹織物が多いことをつかませた。子どもたちは, 幕府はそれらの産地である中国との貿易を望んで いたのではないかと考えるようになった。 授業後の純子の感想 「3人の行った対応と貿易との関係がよく分かりました。織 田は(キリスト教を)仏教に対して,秀吉は宣教師を追放し ても,貿易の利益を考えていたためキリスト教信者が増え続 けた。家康も貿易がしたいため,黙認したことがわかりまし た。納得しました。」 純子は,誰がキリスト教を禁止したのかははっ きりしなかったようであるが,キリスト教と貿易 との関係はグループとクラスでの話し合いの中で 理解していったようである。 (4) キリスト教の教えが反しているという幕府の 考えとは何か (第 5 時) 子どもたちは,信長及び豊臣秀吉,徳川家康の キリスト教への対応を確認した。教師は,家康や 秀忠の考えが大きく変わったことをイメージさせ るため,当時書かれた絵でキリスト教徒取締の様 子を見せた。子どもたちは,キリスト教の宣教師 や信者が迫害され,弾圧された様子を見て,その 厳しさを感じていた。そして,子どもたちは,キ リスト教の考えとは何か,キリスト教を迫害・弾 圧した幕府の考えとは何かを調べた。 純子は,キリスト教の教えを調べた。教科書を もとに「神を信じる者はだれでも救われる」とワー クシートに書いた。純子は「だれでも」の言葉に 注目していた。次に,「キリスト教の教えを反して いるとする幕府の考えとは何か」を調べた。教科 書にはそのことが書かれているところはない。 教師は,江戸幕府が行った政策を調べ,その中か ら幕府の考えが表れていると思われるものを班で 2つずつ選んで,その考えを探るように指示した。 純子は,再び教科書の記述を見た。そして,「武 家諸法度」と「参勤交代」を選んだ。グループで の話し合いでは,その 2 つがグループの考えとして, 黒板に貼られた。 「武家諸法度」を 10 班中7つの班が,「大名の配 置」と「参勤交代」と「身分制度」を2つの班が, 「兵農分離」「えた・ひにんの差別」「貨幣の鋳造権 の独占」をそれぞれ1つの班が大事だと考えた。 貼りだしたものを関係あるもので…

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教師「江戸幕府の考えとは何だろうね。」 生徒「武家諸法度をつくったり,大名の配置を整えることで, 将軍を頂点とする支配体制をつくりたかったのだと思 います。」 生徒「参勤交代でお金を使わせて,抵抗する力をなくさせ, 将軍に絶対服従させたかったのだと思います。」 生徒「身分制度やえた・ひにんの差別にも考えが表れている と思います。」 教師「キリスト教の教えは何が反していたの。」 生徒「将軍を頂点に身分をはっきりさせたいとの考え方に, キリスト教は皆平等だったからです。」 純子は,全体での話し合いの中には参加できな かったが,うなずきながら話し合いを見ていた。 キリスト教の考えが江戸幕府の考えに合わないこ とをつかんでいった様子であった。純子の授業後 の感想である。 「江戸幕府はすべてを従わせないといけなく,それにともな うさまざまな政策が行われたことが分かりました。」 (5) 島原・天草一揆とは?どう対応したのか? (第 6 時) キリスト教弾圧から鎖国に向かうきっかけと なった島原・天草一揆について調べ,キリスト教 に対する幕府の見方を考えた。 まず,教師が,島原・天草一揆について簡単に説 明した。九州の島原・天草地方では,絵踏みによっ てキリスト教信者を発見し,それを改信させたた め,信者はいなくなったと考えられていた。1637 年, 領主の厳しい支配に,元信者の約4万人がキリシタ ンに立ち返り,元の領主の城に立てこもって,幕府 軍 12 万人と約4ヶ月間にもわたって争った。立ち 返った信者たちによって首を切り落とされた石仏や 戦場から発見された人骨の写真,戦いの様子伝える 200 年後の 1837 年に描かれた「島原陣図屏風」を 見て,当時の一揆のすさまじさを伝えた。 そして,子どもたちは「島原陣図屏風」の中に 描かれている立ち返りキリシタンの老婆と老爺, 幕府側として参戦した武将と武士として参戦する が一揆勢に捕らえられたこの絵を描いた絵師の気 持ちを考えた。グループで4人の立場の役割分担 をして,同じ立場の役割分担の者同士で,その立 場の考えを想像した。 純子は武将を担当した。「キリスト教はなくなっ たと思ったのに…」「手強いな」と書いた。その後, 同じ立場同志で話し合いが行われた。 純子「キリスト教は恐ろしいよね。」 雅彦「しょせん百姓だと思っていた武将にとっては手強いよな。」 寛子「キリスト教はなくなったって思っていただろうからね。」 俊彦「そうだろうね。」 そして,グループに戻り,それぞれの立場の人 たちの考えを発表し,幕府や人々が抱くキリスト 教信者に対する思いを話し合い,以下のようなこ とが出された。 老婆 老爺     若くない,キリストの教えを貫きたい。    絶対武将は通さない。 武将 キリシタンは手強い。    オランダを味方にしたい。 絵師 このことを後々まで知らせたい。 純子の班では,話し合いの結果,キリスト教に 対する幕府の見方は以下のようにまとまった。 まだキリシタンはたくさんいた 宗教のためなら命も大切ではない また,一揆が起こったらいやだな… (第 7 時) 子どもたちは,幕府のキリシタンの見方がどの ようになったかを確認する。教師は,この時の将 軍は,徳川家光であったことを示した。そして, 子どもたちに主体的に考えて欲しいと考え,子ど もたちを幕府の政治の中心である老中に任命した。 そして,将軍・家光に「理想の政策」を提案して 欲しいと告げる。 まず,政策を立案するにあたり,当時の人々の 考えをリサーチした。1~2時間目に使用した「絵 踏み」に登場していた次の人物の考えを以下のよ うに想定して想像してみた。 絵踏の最高責任者で,町内会長的な「町役人」 町内では貴重な頭脳派であろう「記録係」 鏡餅3段重ねを飾れる裕福な町人で元信者「町人」 夫に隠れて今でも信じている信者の「町人の妻」 グループの4人で役割分担して,それぞれの思 いを考える。さらに,他の同じ役割の人と意見を 交換しあい,再び自分のグループで,理想の政策 を話し合った。 純子は,町役人になり,次のように考えていった。 まず,町役人の立場で自分なりに考えた。 ・しっかりと取り締まらなければならない ・自分がいる町で一揆などを起こされたら困る 次に,他の班の人の話を聞いて,純子は以下のこ とを追加した。 ・仕方なく… ・実は,町役人が信者(絵踏みをしなくてもいいから) ・意味がないのでは…  そして,自分のグループに戻り,他の立場の者の 考えを聞いて以下のようにまとめ,政策を考えた。  

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「町役人」仕方なく絵踏みをしている信者がいるかもしれない から絵踏みは意味がないかも… 「記録係」家の中まで調べた方が良いじゃないか。隠れていた 場合,責任とれない 「元信者」絵踏みの時は「元」信者ということにしていて,そ のあとにキリシタンと一緒に一揆を起こしちゃお うかな 「信者」幕府によるキリスト教の取り締まりは強くなるけど, 仏像をおいてキリシタンを隠し通そう (考えた政策) ・NEW宗教をつくる ・武器等を没収する ・抜き打ちでチェックする ・スパイを送り込む 純子は,前時に武将の立場でキリスト教の怖さ を感じ,この時間に,町役人としてキリスト教を 考えた。そして,幕府の思い通りにできない強い その信者の思いを理解するとともに,町役人とし て考えたことで,取り締まるものの,うまくいか ないことをとらえていった。 授業後の純子の感想 「どんな政策をしても,やっぱりキリスト教徒はいなくなら ないと私は思います。」 (6) 政策を評価する (第 8 時) 前時で考えた政策を確認し,実際に将軍家光が 行った政策を教科書等で調べ,それぞれの政策の 効果を,子ども自身の判断で効果の大きいものか ら◎ ○ △に評価した。 純子は,厳しく取りしまってもなかなか無くな らないキリスト教徒に,貿易の取り締まりが必要 なことを感じるようになっていった。そして,以 下ように評価した。 ◎外国船の来航・貿易地を長崎・平戸に限る ◎島原・天草一揆後,ポルトガル人を追放 ○日本人の海外渡航を全面的に禁止して朱印船貿易を停止 △外国に住む日本人の帰国をいっさい禁止する ○平戸のオランダ商館を長崎の出島に移す,中国とオランダ だけ貿易OK ○禁教,貿易統制・外交独占の体制 鎖国 ○キリスト教徒の発見のため絵踏 ○宗門改めによって仏教の信者であることを寺に証明 ○改宗したキリスト教とその親類を監視 グループ内で考えを共有化した。 教師は,当時の人々のヨーロッパに対する考え を子どもたちにイメージさせるために,大河ドラ マ「官衛兵」の信長がキリスト教の布教を許す場 面を見せ,日本が大航海時代の中で,世界と関わ らなければならなかったことをつかませた。そし て,純子は次のようにまとめた。 ビデオを見て世界との関わりがあったことがわかった。島原・ 天草一揆のあと,キリスト教へのより強化された取り締まり によって,日本を統一して安定した世の中にした。これらの ことが,江戸時代を 260 年間も続いたこととつながっている のだろう。しかし,外国との交流が無かったことは問題とは なかったのだろうか。 (第 9 時) これまでの学習を振り返り「なぜ,江戸時代中, キリスト教は取り締まられたのか。260 年間もの 長い間,平和な世の中がつくられたこととの関係」 についてレポートを作成した。 純子のレポート  幕府を長く続かせるため,絶対的支配力が必要だった。  まず,キリスト教の取り締まり,このことで,国内での反 乱を未然に防ぎ,幕府の体制が崩れないようにした。(中略) 反乱,一揆等が起こった際の幕府の被害は少ないわけではな い。貿易もしたいが,幕府を続けさせるという思いもあった 徳川氏は貿易地や貿易相手を制限した。  当初,貿易がしたくてキリスト教を黙認していた幕府だが, 島原・天草一揆が起こり,キリスト教を危険視するようになっ た。すべては幕府の支配を「絶対的」にするため,武家諸法 度も参勤交代も厳しい身分制度もそれを表している。その結 果,江戸時代は大きな反乱もなく,260 年間続いたと考える。

3 省察

(1) 小学校でも学んだキリスト教禁止という視点で 小学校の教科書にも扱われている「絵踏み」の 絵を足がかりにして,日本人が,ヨーロッパ人と の貿易と,キリスト教にどう向き合ったのか,そ のことが幕藩体制の確立とどう関係があるかを考 えていった。 導入で使われた「絵踏み」の絵は,子どもたち が小学校での学習で考えていたキリスト教徒の取 り締まりのイメージと違っていたため,興味をもっ て取り組んでいた。授業後の純子の感想に 「絵踏みって怖いものと思っていたけど,正月の行事みたい に行われていたことに驚いた。…」 とあるように,キリスト教を取り締まることが日常 の行事として行われていることに気づき,当時の町 人に対する認識を改めたというものが多かった。 小学校での学びを生かしながらも,新たな考えを 与えた資料として,また,単元を始める導入の教材 としては,幕府の支配のしくみを子どもたちに探ら せる方向に向かわせるのに有効であったと考える。 また,6時間目では,小学校でも使われている 島原・天草一揆の様子を伝える絵を詳しく見せ, その後の政策を考えさせた。授業後の純子の感想 では 「まだキリシタンはたくさんいた。宗教のためなら命も大切 ではない。また,一揆が起こったらいやだな…。」

(7)

とある。子どもたちは,この一揆について調べた ことによって,幕府が貿易の統制や人民統制を必 要としたことをつかんでいった。 この 2 つの資料は,子どもたちの考えを変え,学 びに向かわせる学びの推進力になったと感じてい る。改めて,社会科における資料の重要性を感じた。 (2) 学びの推進力を維持するための協働学習 展開の中で,教師の教え込みの場面が多くなる と,せっかく子どもたちの中に芽生えた学習への 意欲をそぐことになる。そのため,子どもたちの 活動の場面を多く取り入れた。例えば,4時間目 では,織田信長,豊臣秀吉,徳川家康が行った政 策を個人で調べ,さらに,グループで話し合い, ホワイトボードにまとめた後,キーワードを短冊 に書かせ黒板に掲示してクラス全体で話し合った。 また,6・7時間目では,4者の同じ立場になっ てのグループでの話し合いののち4者でのグルー プでの話し合いを行った。このような活動によっ て,「個」の学びが深まり,深まることで,学びへ の意欲が持続すると考える。 ただ,全体的に,教師主導で話をする場面が多 く,子どもたちの学びを生かしきれない場面が多 くなった。特に,第 7 時で子どもたちが考えた政 策は,子どもたちの考えの基準にはなったものの, 第 8 時にうまくつなげなかった。改めて,教師のコー デイネーターとしての役割の大切さを感じた。 (3) 歴史上の政策を評価することにより学びの繰 り上がりに 江戸時代は,キリスト教に限らず宗教の教えを 政治から排除する政教分離の政策を行われた時代 であったと考える。キリスト教は,ヨーロッパ人 との貿易の条件ではあるが,幕府の方針に合わず, 禁止しなければならなかった。島原・天草一揆に よって,より切迫した問題となった。どのような 政策が必要だったかを考えさせていった。ここで 養われる力は,社会の中で起こってくる問題につ いて主体的に判断する力になると思う。それは, 社会科として付けさせたい力だと思っている。 第 7 時の授業で,島原・天草一揆後の幕府が行 うべき解決策を,町民の考え方も想像させながら 考えさせた。そして,幕府がとるべき理想の政策 を考えさせた。当時の幕府が行ったキリスト教を 取り締まるための政策を,子どもたちが評価する ための基準をつくるためである。子どもたちの考 えは,稚拙なものもあったが,当時の人々の思い を巡らせながら取り組めていた。 純子は,この単元の当初は 「キリスト教を取り締まることによって,自然と信徒が幕府 に反抗することをあらかじめ阻止して,幕府が物事を進めや すいようにした…」 という考えであったが, 「…島原・天草一揆のあと,キリスト教へのより強化された 取り締まりによって,日本を統一して安定した世の中にし た。…」 と変容が見られた。今回の取り組みでは,この場 面で,学びの繰り上がりを目指した。当時の社会 問題(キリスト教を取り締まるということ)を, 事件をたどりながら,当時の人々の思いもとに考 えさせたかった。 しかし,子どもたちが考えた政策と幕府の政策 を比較するなど,揺さぶりの発問等によるクラス 全体での討議を行うことが十分にできなかった。 当時の社会状況等に気づかせる授業の展開にはな らなかったと反省している。 歴史的分野において,いろいろな時代での権力 者たちの行動や政策を評価することは,自由民権 運動の中での大日本帝国憲法づくりなどでも試み た。歴史的分野については,問題解決的な学習は 難しいと考えられているが,このような試みによっ て可能かと思っている。今後,扱うことが可能な 事象等を授業に取り入れ,研究を進めていきたい。 (田中 秀幸) 参 考 文 献 水元邦彦 『全集 日本の歴史 第10巻 徳川の国家デザイン』 小学館 2009. 朝尾直弘 『日本の近世 世界史のなかの近世』 中央公論社 1991.  大橋幸泰 『潜伏キリシタン』 講談社選書メチエ 2014. 岡崎誠司 『見方考え方を成長させる社会か授業の創造』 風間書房 2013.  

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