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津阪東陽『杜律詳解』訳注稿(九)

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(1)

椙山女学園大学

津阪東陽『杜律詳解』訳注稿(九)

著者

二宮 俊博

雑誌名

椙山女学園大学 文化情報学部紀要

8

ページ

95-130

発行年

2009

URL

http://id.nii.ac.jp/1454/00001944/

(2)

津阪東陽﹃杜律詳解﹄訳注稿

二宮俊博

 本稿には、津阪東陽﹃杜律詳解﹄巻中の﹁登楼﹂詩から﹁至後﹂

詩までを収める。原文の﹁メしは﹁シテ﹂に、﹁コ﹂は﹁コト﹂に、

﹁涯﹂は﹁トモしにそれぞれ改めた。明らかに訓点が脱落している

と思われる箇所には、これを補った。また詩句の左傍にところどこ

ろ附されている和訓は、※をつけて改行して示した。書き下し文は、

紙幅の都合で省略する。なお、詩題の上には便宜的に通し番号を施

した。

  ㈱登楼

  鰹宿府

  鰯院中晩晴懐西郭茅舎

  鰯奉寄高常侍

  僻暮登西安寺鐘楼寄一十廼

  螂陪李十七司馬自江上翻倒竹橋即日成往来玄冬寒入水聯題短述

   簡李公

  ㈱野人送桜桃

  ㎝溺惑各課亭饅成都蜜少サ得重字

  ㎝奉遷厳大夫

  配三一

63

oレ建

0      ︵注1︶  廣徳元年十月、吐蕃犯レ閾.、代詠出二奔ス陳州∼。中子儀牧二復.京  師↓、車駕撫牛都二。此其明年春、公偶因⋮﹂登け縷二眺望略ルニ、感。テ而作          ︵注2︶  也。吐蕃ハ本西莞.屡ナリ。種類散シテ庭二河淫挑眠ノ間∼。階.語聾中     なヨ   有論賛ナル者⋮、滅瀞テ吐谷渾↓、鑑ク有二聖地弓。唐ノ貞観中始.通コ中        ︵油4>  國∼。其後屡一入ア冠ス。爲二當時ノ巨患一。王藥有二登縷.賦︸、傷コ齪  離弓而作.。此蓋取レ之。也。 ︵注1︶ 顧震﹃註解臨に﹁代宗の広徳元年十月、吐蕃、京師を陥れ、帝、映州    に幸す。郭子儀、京師を収復し、車駕還る。明年の春、公、成都に在り    て、楼に登るに因って此の作有るなりしと。陳州は、今の河南省陳県。    ﹃註解﹄は宇都宮趣庵の増広本にも挙げる。

      も

︵注2︶ ﹃新唐書臨巻二一六上、吐蕃伝上に﹁吐蕃は本と西莞の属。蓋し百有五    十種有り、散じて河渥江眠の聞に当る﹂と。非望は、黄河と浬水。渥水    は、青海北方の由中に源を発し、蘭州の西の新城で黄河に合流する。江    眠は、長江と眠江。眠江は、四川省北方の山地に源を発し、松播・茂県・    成都を通って宜賓で金沙江に合する。長江の上流の一つ。詳解にいう    挑眠は、挑河と眠江。挑河は、甘粛省臨挑県の西北に源を発し、蘭州附    近で渥水と合流する。なお、﹃新﹄﹃旧駈唐書の吐三三については、平凡

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文化情報学部紀要,第8巻,2008年,95−130頁

(3)

二宮俊博/津阪東陽『杜律詳解』訳注稿(九)    社東洋文庫﹃騎馬民族史3一正史北秋三輪︵一九七三年︶に訳注を収める     ︵佐藤長執筆︶。 ︵注3︶ ﹃大明一統志跳巻八十九、西蕃に﹁西蕃は即ち吐蕃なり。︵申略︶階の    開皇中、論賛索なる者一河の西に居り、唐の貞観申、始めて申国に通ず。       ことこと    既にして吐谷渾を滅ぼし、 尽く其の地を有す篇と。       まいさ ︵注4︶ 王燦については、訳註回雪、55﹁将に荊南に赴かんとして李一州弟に       む    寄別す﹂詩の詳解に﹁魏の王棄、字は仲宣、漢の末西京擾乱を以て、荊      ゆ    州に乏き劉表に依る。江陵の城楼に登って思郷の賦を作る﹂云々と見    え、その︵注20︶参照。

広徳元年︵七六三︶十月、吐蕃が宮遷を犯し、代宗は陳州に出奔し

た。日子儀が京師を回復し、天子の車駕は都に還御した。これはそ

の翌年の春、公がたまたま︿楼﹀にく登﹀って眺望したことから、

心感じて作ったものである。吐蕃はもともと西莞の属である。種族

が散らばって河浬・墨壷の問にいた。階の開豆年間︵五八一∼六〇

〇︶に論賛なる者があらわれ、吐谷渾を滅ぼして、ことごとくその

      よしみ

地を領擁した。唐の貞観年間︵六二七∼六四九︶にやっと中国に好

を通じたが、その後、しばしば入憲し、当時の大きな災難で悩みの

種であった。野庭に﹁登楼の賦﹂があり、乱離を傷んで作った。こ

れはけだしそこから取っているのだ。

花近㍊テ高櫻∼傷⇒ム客心↓ 萬方多難ニシテ此.㎜登臨。  時薦ユ盛春∼、芳景欄漫、電脳登臨、燭レ目二皆花、而近時棲二花枝  椅け橿二刀レ弄二、尤三二賞愛略。乃不けテ樂マ而反テ傷レ心、是何等.時.邪。  次乃解一其故↓。去年吐蕃之憲スル、不二今一中原り.、ナ..、蜀亦隅⋮罵松維       ︵洗5︶  保三州↓。於レ今。未レ復セ、故二日二萬方多難↓。此.字指蜀ノ成都↓、  嘆読遽地↓也。孤客流二寓シ。天祖∼、而逢禽獣多難之醐∼。郎平日       ︵淀6︶  所〃娯芳景、覗テ爲二傷心之物↓、所レ謂感臆ア時二花二淺レ涙.也。二句妙    ︵注7︶  在⋮倒装.∼。若一門韓セハ、注ぐ近人ノ詩一事ソ異ナ..ン。下皆耀け囑回生目ヲ  四方⋮叙以之.。錦江玉墨、西山後閑、皆係瀞蜀ノ事∼。此ノ字所レ關ル也。  三口引回主意.所い寓スル、皆萬方多難一事、而其所〃見ル者ハ此登臨之       ︵油8︶ 景也。余生テ語二聖者.∼、七律第二句ハ領7全農ノ詩神↓、下皆從レ此 生ス。一篇事搾勝ヲ在レ此二、豊龍鮎騰購ヲ要庭。其不レ然.乎。又篇        ︵注9︶ 中寓意極.大而郁テ從三花近⋮一高櫻⋮起.。是芥子納二二割り手段。護者        ︵注10︶ 未鵜嘗テ看出叱、負搾良工、苦心∼久シ尖。 ︵注5︶ 徐増﹃謡言説唐詩﹄︵巻十九︶に﹁此の字、蜀の成都を指すなり篇と。 ︵注6︶ 転勤﹃集解駈に﹁花高楼に近くして登臨の反って心を傷ましむる者は、        いはゆる   万方多難の故なり。所謂時に感じて花に涙を瀧ぐなり﹂と。︿花に感じ    て﹀云々は、﹁春望﹂詩︵旧註巻四﹀の第三句。        も ︵注7︶ 広徳潜﹃杜詩隅評﹄︵巻四︶に﹁妙は倒装に在り。若し一たび倒転せ        ここ   ば、近人の詩と何ぞ異ならん篇と。﹁花高楼に近くして此に登臨し、万方   多難にして一心を傷ましむ﹂だと平凡でありきたりになるというという    のである。ちなみに、蓬生﹃杜工部詩酒恥︵巻八︶に﹁首二心、後人に   在っては、必ず︿花高楼に近くして此に一臨し、万方多難にして客寓を        のみ   傷ましむ﹀と云はん。蓋し唐心の旨意曲折、造園参差の妙を知らざる耳﹂   と。 ︵注8︶ ﹃夜航詩話恥巻一に﹁蓋し七律の首句は宜しく突然として起こり、勢ひ   とど      たくみ   遇む可からざるべし。工なり難き所以なり。然れども此れ猶ほ能くす   擁し。第二句の好は、尤も得難し。蓋し此の句は一首の詩神を領す。句       よ   句皆此れ従り生ず。一篇勝を争ふ此に在り。画龍点晴の要処にして、其       ゆゑん    の力を用ふる所、人をして覚らざらしむるに在り、尤も難き所以なり﹂   と。    画龍点晴は、唐の張彦遠﹃歴代名画記駈巻七、南朝梁・張僧縣の条に       つね    ﹁又た金陵の安楽寺の四白龍は眼購を点ぜず。毎に云ふ、購を点ずれば   即ち飛び去らんと。人以て妄誕と為し、固く之に点ぜんことを請ふ。須   爽にして雷電壁を破り、両龍は雲に乗じ、騰証して天に上る。二龍の未   だ眼を点ぜざる者は見在す﹂という故事に基づく。関鍵となるところに   精彩ある表現を用いて主旨を明らかにし、内容をさらに活き活きと力強   くさせることをいう。       も ︵注9︶ 鳩摩羅什訳﹃豪勢詰所説経隔不可思議品に﹁若し菩薩の是の解脱に住   する者は、須弥の高広を以て芥子中に託るるに増減する所無し。須弥由       もと       まさ   王の本絹故の如し︵中略︶唯だ応に度すべき者は、乃ち須弥の芥子中に

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(4)

   入るを見るしと。須弥由は、梵語ω篇筥①議の音訳語。世界の目張に聾え    立つ高山。芥子は、ケシ粒。 ︵注10︶ ﹁良工の苦心﹂は、杜甫の﹁李尊師が松樹の障子に題するの歌﹂︵野臥    巻六︶に﹁已に知る仙客意匠親しむを、更に覚ゆ良工心独り苦しむを﹂    とあるのに基づく語。

時は盛春に属し、花咲き匂う春景色は燗漫として今が盛り、︿高楼﹀

にく登臨﹀すれば、目に触れるものすべて花ばかりで、︿楼﹀にく近﹀

きく花﹀枝は欄干によりかかって賞玩するにちようどよく、もっと

も賞愛することができる。ところがなんと楽しまないでかえって

︿心﹀を︿傷﹀めさせるのは、いったいどういう時であろうか。次

はそこでその理由を解いている。去年の吐蕃の入冠は、ただ中原だ

けにとどまらず、蜀でも松・維・保の三州が陥落し、現在でもまだ

回復しておらず、それゆえ︿万方多難﹀という。︿此﹀の字は、蜀の

成都を指し、首都長安から遠く離れた僻地であるのを嘆じているの

である。寄るべなき孤客として天涯に流寓し、︿万方多難﹀の禍乱に

ゆきあった。つまり平生なら娯しめる芳わしい春景色が、それを視

       そそ

て傷心の対象物となっており、いわゆる﹁時に感じて花に涙を淺ぐ﹂

である。二句目妙味は、眠目にある。もし一たびひっくりかえせば、

近人の詩とどうして異なろうか。以下いずれも四方を囑目してこれ

を叙している。︿錦江﹀︿玉塁﹀やく西山﹀︿後流﹀は、いずれも蜀の

事柄にかかり、︿此﹀の字が関わるところである。この詩全体の主意

の寓するところは、みな︿万方多難﹀のことで、その見るところの

ものは、︿登臨﹀の景である。私はかつて初学の者に、﹁七律の第二

句は一首全体の精神や気分を支配し、以下みなこれから派生し、一

篇のすばらしさを競うのはここにある。画龍点晴の肝腎かなめのと

ころだしと語ったことがある。ほんとうにそれそうではないか。そ

のうえ篇中の寓意は極めて大であるのに、却って︿花高楼に近し﹀

より言い起こす。これぞ芥子中に須弥山を選れる手段だ。この詩を

読む者はいまだかつてそこのところを見抜けず、良工の苦心にそむ

くこと久しい。 錦江.春色來訓天地∼ 玉殿.浮雲攣コ古今一        な ユ  上三田二起句花ノ字︸通以氣ヲ。下句承ン第二句り。春色序歌天地∼言三     なヵ   野景遍葡天地聞口∼。猫レ言助満潜世界鴫。賦潔紅紙之惨下定リ、太卒之象  方二萌畝.也。攣ハ者聚散條忽、攣化無レ常也。浮雲愛務古今︸言下齪    ︵注13︶  臣賊子何、代ヵ無縛.之。然ト。俵忽攣滅、若二浮雲り然ワ。即吐蕃犯レ        ハなれ   閾.、亦巳。敗走、江山依然、天日維新け。.也。古今,二字豪勢來  擦け蜀二反・ル者之跡く。段子璋徐知道在一其中.∼ 。特二郎二錦江玉

 愚弓、取二文字之雄麗づ、以寓コ太卒之慶り也。上旬宏牡、下句沈

︵注15︶       ︵注16︶  ︵油17︶  渾、天地古今、議論正大、量徒摸二爲.ル江山弓雨池哉。前人謂二句       ︵注18︶  可レ蘭医一篇ノ王命論.∼、非二藍稻∼也。余嘗テ謂此聯杜律中ノ墜巻、乃        ハぬ 

 是古今來ノ檀場、眞二天工臨入力∼也。石林詩話二云、七言難数回

 象雄渾∼。句中有け力近臣鯨トシ..不レ失二言外之意づ者、自二老杜ノ錦江  玉山一之後、常。恨無⋮潮影ク者⋮。此已。臨け我。直配之。実。 ︵注11︶ ﹃唐詩貫珠﹄︵巻三十八、登眺︶に﹁三は花と気を通ず﹂と。     なお、胡製亭は、︿来﹀字を︿流﹀に作り、﹁流或いは来に作る。然れ    ども来字、一に情致無し。流字霊活、世界に満つるの意有り。況んや来        つひ    字は地腫と寛に属せず ﹂と。 ︵注12︶ 原文は逓字の下に﹁二﹂点を鋏く。Aスこれを補う。 ︵注13︶ 乱臣賊子は、君を超する臣、父を翻する子。古くは﹃孟子﹄膿文墨篇    上に﹁孔子、春秋を成して、乱臣賊子催る篇と見える。 ︵注14︶ 天曝は、天空にかかる太陽。天子を象徴する。維新は、旧来の面目を        こ    改めて一新する。﹃詩経臨大雅・文王に﹁周は旧邦と錐も、其の命維れ新    たなりしから出た語。維は、発語の辞。 ︵注15︶ ﹃唐詩集註﹄︵三五︶に﹁黄云ふ、三句宏麗、四句痙縮﹂と。その凡例    に拠れば、黄は黄道周︵一五八五∼一六四六︶のこと。天啓二年︵一六    二二︶の進士で、﹃明史﹄巻二五五に伝がある。 ︵注16︶ 元・影回﹃瀬奎律動﹄︵巻二十七、知覧類︶に﹁老杜七二律詩一百五十      まさ    九首、当に写して以て常玩すべし、暫しも廃す可からず。今、登覧中に

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(5)

二宮俊博/二二東陽甲杜二二二二二二(九)    於いて此れを選んで式と為す。錦江・玉吟の一聯、景中冬を写す。後聯        ただ    却って明らかに説破す。道理此の如し、量に徒に江山を模写するのみな    らんやしと。       あた ︵注17︶ ﹃杜詩七三﹄にコ一語、前人、一篇の王命論に抵ると謂ふしと。前人は、    申濤光のこと。詳註︵巻十三︶に引く。慣王命論Lは、後漢・班彪の作       まさ     ︵﹃文選﹄巻五十二︶。なお、申酒光については、訳注稿σ9、55門戸に荊       0    南に赴かんとして李剣州弟に議了す﹂詩の︵注19︶参照。 ︵注18︶ 他に見えるところあるのか、不明。﹃夜航詩話﹄や珊夜航絵話﹄には、    見当らない。 ︵注19︶ 南宋・葉夢得﹃石林詩話﹄巻下に﹁七雷は気象雄渾なるに難し。句申    力有り、而して紆徐として言外の意を失せざるは、老杜の︿錦江の春色    天地に来り、玉塁の浮雲古今変ず﹀とく五更の鼓角声悲壮、三峡の星河        よ         つね    影動揺﹀等との句陰りの後、嘗に復た継ぐ者無きを恨むしと。﹁五更﹂    云々は、”﹁食管﹂詩の頷聯。ちなみに、﹃石林詩話﹄は、南宋・胡仔﹃蕃    渓漁隠叢話臨前集二十に引くが、︿紆徐﹀のく徐﹀字を︿絵﹀に作る。ま    た度会末茂﹃杜詩評叢﹄に挙げるのも同様。︿紆徐﹀は、ゆったりとのび    やかで趣きあるさま。畳韻の語。︿紆飴﹀もほぼ同じ。やはり畳韻の語。

上句は起句の︿花﹀字と気脈を通じている。下句は第二句を承ける。

︿春色天地に來たる﹀は、春の和やかな光が天地の間に遍在するこ

とを言う。世界に満つと言うのとほぼ同じ。兵禍の惨状がやや落ち

着き、太平の象がまさに萌すことを形容するのである。︿変﹀は、た

ちまち聚まりたちまち散じて、変化常なきことである。︿浮雲古今

変ず﹀は、乱臣賊子はどんな時代にでもいるが、されどたちまちの

うちに変化消滅すること、︿浮雲﹀のごとくであり、たとえ吐蕃が宮

闘を犯しても、やはりすでに敗走し、江山は依然として変わらず、

天空の太陽は改めて輝きを取り戻したことを言うのである。︿古今﹀

の二字は、古来蜀に拠って叛した者の事跡にかかる。段子璋・徐知

道がそこに含まれている。特に︿錦江﹀︿玉塁﹀の語を用いるのは、

文字の雄渾華麗なるを取り、もって太平の慶びを寓するのである。

上句は宏壮で、下句は沈渾。︿天地﹀︿古今﹀は、議論正大で、どう

して江山を模写するだけでおわろうか。前人がこの二句を﹁王命論﹂

一篇に匹敵するとみたのは、過褒ではないのである。私はかつてこ

の一聯を杜律中の圧巻だとしたが、なんとも古今以来の独弓場であ

り、真に天成の巧みさであって人力で能くし得るものではないのだ。

﹃石林詩話﹄に云う、﹁七言は気象雄渾であることに難しく、旬中に

力がありゆったりとのびやかで言外の意を失わないのは、老杜の︿錦

江玉響﹀以後、ずっと二度と後を継ぐ者がないのが遺憾だ﹂と。こ

れはすでに私に先んじてこのことを言っている。

北極.朝廷終二不レ改.. 西山.冠盗莫相侵沓ト  雲隠縷一望⋮西北づ也。上句承二三ノ句弓。北極ハ一二長安弓。終二不い         ︵注20︶       ︵泣21︶  改..言二危シテ而復安↓。時ユ吐蕃敗ア還、乗輿反励正二、故二三。下句        ︵注22︶     ︵注23︶  承二四ノ句↓。西山.冠盗睡臥一吐蕃づ。望レ野ヲ詩二所レ云西山.白雪三  城.戌、今冬陥コ於吐蕃∼。蓋去年之齪、難工朝廷失レ守.、天子蒙        ハぬが       あ   書様、然トモ勤王之師立ト..二塁二神譲り。薫物不レ改、金甑無レ  ︵注26︶       ︵注27>      ︵注28︶  庸ル。ト、是天命有け鶴スル,ト、終二不レ可レ犯ス、則蚕選曲ル蕃戎、徒二       ︵注29︶       ︵注30︶  勢.テ何.爲.哉。其.須懲テ而紫ψ後.、勿㌣ナリ復瞠斧來当国也。前  聯景中一当情、此喩纏含。。至け此直二述⋮﹂事實遡、明二示藷道理弓。請  看.皇皇タル天朝、量盗賊所コ得テ而號観誘三二..哉。 ︵注20︶ この言い方、﹃資治通鑑駈巻七十八、魏一十、威煕元年︵二六四︶正月    の条に、蜀漢の姜維が魏に降った後主に送った密書に﹁臣、零落をして       くら    危くして復た安く、隠月をして幽くして復た明らかならしめんとすしと    見える。 ︵注21︶ 輯註︵巻十一︶に黄鶴の注を引いて﹁郭子儀、京師を復して、乗輿正    に反る、故に︿朝廷終に改めず﹀と臼ふ﹂と。宇都宮趣庵の増広本にも    挙げる。︿乗輿﹀は、天子の車。︿反正﹀は、正道にもどる。 ︵注22︶ 部傅鞠集解﹄にく竃盗﹀の下に︿吐蕃﹀と注し、酵益﹃分類﹄︵巻下、    楼閣︶に﹁冠盗は吐蕃を謂ふ﹂と。宇都宮遜庵の増広本にも挙げる。 ︵注23︶ 訳注稿因、40﹁野を望む﹂詩の第一句。         コ む ︵注24︶ 中原、特に都をいう。例えば、㎎世説新語臨言語篇に﹁唯だ王丞椙︵王

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(6)

      まさ      あは    導︶のみ色を変じて曰く、当に共に力を王室に鐵せ、神州を克復すべき          な    に、何ぞ楚囚と作りて相対するに至らんや漏と。 ︵注25︶ 旧物は、国家伝来の文物制度。例えば、﹃左伝﹄哀公元年に﹁少康、夏    を祀り天に配し、旧物を失せず篇とあり、申唐の陸蟄﹁回天上帝に告謝        すなは    する回文﹂︵﹃陸二一全集﹄巻二十︶に警旧物改めず、回心載ち新たなりし    と。 ︵注26︶ 国土が外敵の侵略を受けたことのない喩え。﹃南面﹄朱直伝に﹁︵武帝︶        ごと    独蕎すらく、我が国土は猶ほ金甑の若し。一として傷み就くる無し﹂と。 ︵注27︶ 讐三国志﹄巻三十五、玉書五、諸葛亮伝の賛に﹁蓋し天命帰する有り、    智力を以て争ふ可からず﹂と。        なか ︵注28︶ 郡傅﹃集解﹄に贋轟爾たる三冠、軽く犯すことを得ること母れしと。    ︿四三﹀は、﹃詩経﹄小雅・采芭に﹁口口たる蛮荊、大邦を讐と為す﹂と    いうのに基づく語。その集伝に職蚕は、動きて無知の貌﹂と。       つつし ︵注29︶ ﹃詩経﹄周頒・小誌に﹁予其れ懲りたり、而して後患を忌む﹂と。 ︵注30︶ 蟷螂の斧。弱小の者が己れの力量を弁えずに立ち向かう喩え。瞠螂    は、カマキリ。蟷螂・蟷娘・蠣娘にも作る。例えば、腕文選﹄巻四十四、    三国魏・陳琳﹁二郎の為に予州に註す﹂文に門蜷娘の斧を以て、隆車の    燧を禦がんと欲すしとあり、その李善注に﹃荘子﹄入間世篇の﹁蓮伯玉、        か    顔弓に謂ひて曰く、汝、夫の三寸を知らざるか。その腎を怒らせて車轍        た    に当たる。其の任に勝へざるを知らざるなり﹂というのを挙げる。

この聯は楼上から西北を望んでいるのである。上の句は第三句を承

ける。︿北極﹀は、長安のこと。︿終に改めず﹀は、危機に瀕しても

復た安んずることをいう。時に吐蕃は敗れて引き返し、天子の車駕

は首都長安にかえり正しい秩序にもどったので、それゆえ云う。下

の句は第四句を承ける。︿西山の冠盗﹀は、吐蕃を指す。﹁野を望む﹂

詩に云うところの﹁西山の白雪三城の戊﹂は、今どこも吐蕃におち

た。けだし去年の乱では、朝廷は守りを失し、天子は蒙塵されたけ

れども、されど勤王の師が立ちどころに神州たる中原を回復した。

国家の文物制度は変わらずにそのままあり、金甑は鉄けることがな

かった。これぞ天命は帰することあり、結局は犯すことができない

のであって、だとすればもぞもぞと愚かしげに動き回る蕃戎どもは、

いたずらに労するだけで何をなそうか。前事に懲りて後を慎み、も

う二度とちゃちな蟷螂の斧を振りかざして来襲するでないそ、とい

うのである。前聯は景中に情を寓し、この喩えを包含するが、ここ

に至ってただちに事実を述べ、明らかに道理を示している。一i見

よ輝かしい朝廷は、どうして盗賊どもの窺い望むことのできるもの

であろうか。 可レ憐ム後端還祠廟  日暮脚爲二梁父.吟り  ※可憐⋮シュシャウナリ 還⋮ヤハリ      ぬ    蜀先主ノ一当工成都阻塞門ノ南鴫。西挾ハ部武侯ノ祠、東口ハ即実主.祠。  此亦高明所レ見、近ク在一目下∼。與二起句一相打シテ作レ結ヲ。可い憐感二       ま   嘆.ル無人之厚↓.。無断者即けテ可レ然ル而然ル之僻。夫。盛徳ハ百世ニシテ ︵油33︶      ︵注34︶  祀ル、後膨ハ亡國仁君、昏書落レ足レ歯.ルニ、何.以二祠廟づ爲.。然トモ先  主.嫡嗣一シテ而正統.天子、故二蜀人敬け之.、同二武侯↓附祀。テ、至け  今二祠廟撮然タリ。量不の感二嘆セ其実↓哉。此緊.ク承⋮﹂不レ改莫ブ  侵ス¥、以戒下號観スル非望↓者畑。諭下皇室難二衰微峰、一高祀太宗之        ぬ   正統不ゲ可レ不砂ル宗敬回転。此所三以用二還.字づ也。梁父.吟ハ蓋古        ︵注36︶      ︵注訂﹀  歌也。或ハ野人武侯所↓レ作、恐ハ非。蜀志本町二亮躬二耕シ朧軌⋮.、好.  爲一嘗父ノ吟↓、可レ見已。公登レ櫻二瓦灯シテ感二二.時事↓、日暮索莫、  傷け心ヲ益一深シ。歌ハ可一 以遣τ憂ヲ、故二柳膨圧テ梁穿り、以自慰。ル也。       ハ    蓋因一後主ノ事鴫感2.而懐武侯↓。昔蜀漢全ク頼⋮﹂武侯.∼而治ル。慾得い  有野臥⋮雲影其人り者上、又何.患ン其不プ治.哉。野壺世論多ン逆臣㎝而         益一欽コ其忠誠づ、傷心極ル 。沈臨愚云、三句野馬綱縄、極目萬里。  四句蒼軽量幻、瞬息千年。通津氣象雄偉、籠円蓋。宇宙岬。此杜詩之  最上ナル者。 ︵注31︶ 顧震﹃註解﹄に﹁能改斎漫録に云ふ、蜀の先主の繭は成都警官門外に        いはゆる      ま    在り、西挾は即ち武侯の祠、東挾は即ち自主の祠。所謂︿暗主還た祠廟﹀        しる    は、見る所を書して以て概を志すなり﹂と。

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二宮俊博/津:阪東陽『杜律詳解調訳注稿(九)    なお、輯註に銭注として﹁呉曾漫録に蜀先主の廟は成都錦官門外に在    り、西挾は即ち武辺祠、東諸は即ち後継祠。蒋公堂、蜀に癒するに、︵劉︶    禅の土宇を保有する能はざるを以て、始めて之を去る。所謂︿後主還た       しる    祠廟﹀は、見る所を書して以て慨を志すなり﹂というのを引くが、この   条は銭注︵巻十三︶に見えず、宋・呉曾﹃能改斎漫録﹄の通行本にかか    る記述は見当らない。       ナヲ ︵注32︶ 釈大典﹃詩語迂曲巻上、還の条に﹁蓋置トシ.ア還恭以二千石ご、﹁可レ憐後        む   主ノ騰馬廟アル,ト﹂、﹁野僧モ還欲廃瑠ア禅.聴↓ご︵茄、絞然︶の句例を挙げ    て、﹁不けテ可レ然混然ルノ語群﹂と。龍鍾云々は、高倉﹁入日、杜二拾遺に   寄す﹂詩︵蝿唐詩選臨巻二︶の第十一句。       まつ ︵注33︶ ﹃左伝﹄昭公八年に史趙の言として﹁盛徳は必ず百世祀る﹂と。 ︵注34︶ ﹃而庵説唐詩﹄︵巻十九︶に﹁後輩は亡国の君なり。一算歯するに足ら   ず。今に至って蜀人猶ほ之を思ひ、尚ほ祠廟有り﹂と。 ︵注35︶ 国父吟は、漢代の楽府、相和歌の古辞。宋・郭茂情断楽府詩集臨巻四    十一、相和歌辞十六に、南朝陳・釈智匠の﹃古今楽録﹄を引いて、門蜀志    に曰く、諸葛亮好んで梁三吟を為すと。然らば則ち亮に起こらず しと。    その歌辞は、次のごとくである。    歩出齊城門 遙望蕩陰里  織して斉の城門を鳩、遥かに蕩陰里を望       む        まさ     里中有三墓 畢繋正相似  里中に三墓有り、累累として正に相似た       り    間是誰家墓 田彊古団子  問ふ是れ誰が家の墓ぞ、田口・古三子    力能排南山 一能絶地図  力能く南由を排し、文能く地紀を絶す     一朝被読言 二桃殺三子  一朝読言を被り、二桃三子を殺す    誰能爲此等 集書齊婁子  誰か能く此の謀を為す、国相斉の言下な       り ︵注36︶ 郡傅﹃集解﹄に﹁梁父の吟は、葛亮の作し、薄益﹃分類輪に﹁梁父の吟    は、孔明の作る所﹂と。     ちなみに、鈴木虎雄﹃三三陵詩集﹄︵三十三︶に﹁二二、一生の説を引    き、梁父吟は即ち登楼詠ずる所の作を指す、これ携に一説なりといへり。   余は鳥類の説に賛す、余は甥に一菜を挙げん、作者の﹃同製太守登歴下    古城員外新亭臨詩の終りに、不レ阻蓬薙興、得レ兼梁甫吟といへる梁甫吟    は自作をさす、今此処も同意とみるべし。作者平生、諸葛亮のごとき人    物を以て自任するが故に自作を梁童言を以て比するものなることは言    ふまでもなし縞云々と解する。 ︵注37︶ ﹃三国志臨巻三十五、吉書五、諸葛亮伝。       よ        も ︵注38︶ ﹃而森羅唐詩﹄に﹁蜀漢は全く諸葛武侯に頼る。若し両川を謀る者に    武侯の如きを得ば、又た何ぞ西山の憲盗を愚へんやしと。 ︵注39︶ ﹃主調偶評臨に﹁氣象雄偉、宇宙を籠蓋す。此れ杜詩の最上なる者﹂    と。但し、︿三旬野馬網織﹀以下、︿瞬息千年﹀までの二十字は、﹃唐詩集    註﹄︵七五︶に引く明・蒋一葵の評語。ちなみに、顧震﹃註解﹄にも﹁万        もつ   ごとごと    方多難と日ふ、野馬繕組、蒼狗変幻を建て、尽く登臨一覧の中に在り篇    と。野馬は、陽炎。雪乞は、盛んにたちこめるさま。双声の語。極目千    里は、戦国楚の宋玉﹁招魂﹂︵﹃楚辞脇玉無︶の﹁目を千里に極め春心を    傷む﹂から嵐た語。蒼狗変幻は、杜甫﹁歎ず乱し﹂詩︵詳註巻二十一︶    の蟹頭の二旬﹁天上の浮雲は自照に似たり、斯須改変して蒼狗の如し﹂    に基づく語。変化して常なきことを喩える。蒼狗は、灰色の犬。瞬息    は、一度のまばたきと一回の呼吸。極めて短い時間をいう。なお、沈徳    潜の評語は、鴨唐詩集註随にも挙げる。

蜀先主︵劉備︶の廟は、成都錦官門の南にある。それを中心として

西側が武侯祠、東側が後主︵劉禅︶の祠。これもやはり高楼から見

えたもの、聞近で眼下にある。起句と応じて結びとする。︿憐れむ

比し﹀は、蜀人の厚情に感嘆する。︿還﹀とは、本来そうあってはな

らないのにそうであるという辞。そもそもりつばな徳のあった人は

百代にわたって祀られるが、︿後主﹀は亡国の君主で、昏庸ぶりは歯

するに足らず、どうして︿祠廟﹀を建てることがあろうか。されど

先主の嫡嗣にして正統の天子であって、それゆえ蜀人はこれを敬い、

武侯とともに附満して、今に至って︿祠廟﹀は厳かである。その厚

情に感嘆せずにおられようか。これはぴたっとく改めず﹀︿侵すこと

莫かれ﹀を承け、そうして分不相応の大それた望みを抱き帝位を窺

う者を戒め、皇室は衰微したとはいえ、高祖・太宗の正統を重んじ

敬わないではいけないことを論じている。これがく還﹀字を用いる

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(8)

ゆえんである。︿平戸吟﹀は、けだし古歌であろう。あるいは武侯の

作るところというのは、恐らく正しくない。﹃蜀志﹄本伝に﹁︵諸葛︶

亮、瀧畝に躬耕し、好んで梁父吟を為すしということから、わかる

のだ。公は︿楼﹀にく登﹀って鼠落して時事に感慨を発し、︿日暮﹀

れてうら寂しく傷心はますます深かった。歌は憂を晴らすことがで

      いささ

きるので、それゆえ︿聯﹀かく梁父﹀を︿吟﹀じ、自ら心慰さめた

のである。けだし︿後主﹀の事にちなんで心感じて藩侯を懐うので

あろう。昔、蜀漢は全く武侯のおかげで治まった。今、武平その人

のような者がおれば、この上どうしてその治まらないのを心配しよ

うか。世に逆臣が多いのを慨嘆し、ますますその忠誠を欽慕してお

      かげろう

り、傷心が極まっている。沈帰愚が云う、﹁第三句は野馬が盛んにた

ちこめ、目を万里に極むというふぜい。第四旬は浮雲が変幻して蒼

狗のようになり、瞬く間に千年が経つといったありさま。一篇全体

が気象雄偉で、古今の天地をすっぽり覆いつくしている。これは杜

詩の最上のものであるしと。 イ 6宿直府二 〇         ユ   至徳二年六月、嚴刷毛”テ公.爲二節度ノ蓼謀↓。綿繭直二宿ス其府中.∼。        ハ     三秋書ア夜長。..、不レ籐..レ有け感スル了而作也。唐書本傳二以薫公充罵ヲ  幕官.∼爲初テ入レ蜀一時ノ事↓、謬。リ爽。 ︵注1︶ 宇都宮遜庵の増広本に挙げる明・単復の年譜、広徳二年︵七六四︶の    条に﹁六月、︵厳︶武奏して節度参謀・検校工部員外郎と為し、緋魚袋を    賜ふ﹂と。 ︵注2︶ ﹃旧唐書隔杜甫伝に門上元二年︵七六一︶欠へ黄門侍郎.鄭国公厳武、    成都を冠し、奏して節度参謀・検校尚書工部員外郎と為し、緋魚袋を賜    ふしと。

広徳二年六月、厳武が公のことを奏上して節度参謀とした。それゆ

えその役所内に宿直している。時は秋で夜は長く、寝つかれず心に

感ずることがあって作ったのである。﹃唐書﹄本伝に公が幕官に充

てられたのを蜀に入ったばかり時のことだとするのは、謬りだ。

清秋幕府井々寒シ  猫宿江城蝋炬残ル  ※独宿⋮ヒトリバン 残⋮スガル  大將.所け居日二幕府外。本軍中之號。謂二設け幕ヲ爲プ府ト。見醒史記     ぱヨ   李廣力傳.∼。唐ノ節度使以二幕府づ構ス。成都城裏ユ蜀江.∼、故二日二二  城↓。井蟻巻ハ言二秋写り。蝋良化ハ言二夜深づ。蓋府中秋闘正二深ク、        ゑ  井上梧桐風寒.。一城界層二寂静、而我猫不レ能レ寡。ト、夜閾ニシ.ア残燭        ぬら   取取、尤不レ聖祭寂蓼く也。魏ノ明帝ノ六二讐梧生邪空井∼、井重富”ク  此二。 ︵注3︶ ﹃史記駈巻一三九、李将軍列伝に﹁莫府は文書心事を省約す﹂と見え    る。なお、﹃漢書臨李広伝の顔師古注に﹁莫府は、荒野を以て義と為す。     ︵中略︶軍旅常無く居止す。故に帳幕を以て之を言ふ﹂と。莫と幕は通    用。 ︵注4︶ ﹃唐詩四珠臨︵巻五十、秋︶に﹁第二句、江上を提出す。一城皆已に寂    静、我独り未だ睡らざるを雷ふ篇と。       ここ ︵注5︶ 顧農﹃註解﹄に﹁魏の明帝の詩に、双梧空井に生ずと。井梧此に本つ    く﹂と。宇都宮趣庵の増広本にも挙げる。三国魏・明帝︵曹叡︶の詩句    は、その﹁猛虎行し︵﹃藝文類聚﹄巻八十八に引く︶に見える。但しく梧﹀    字を︿桐﹀に作る。     なお、宋・郭茂情﹃楽府詩集﹄巻三十一、相和歌三六・猛虎行に﹁魏・    明帝が辞に曰く、双桐空枝に生じ、枝葉自ら相加ふ。三三其の根に瀧ぎ、    玄三嘆の橿を潤すしと。また南朝陳・釈智匠﹃古今楽録﹄の﹁二三慶﹃技    録﹄︵大明三年宴楽技録︶に曰く、﹃萄録﹄︵荷氏録︶に載せる所の明帝    ︿双桐﹀の一篇、今伝はらず﹂というのを引く。ちなみに、南朝梁・簡    文帝の楽府に﹁双梧生空井﹂︵﹃玉台新旧﹄巻七︶がある。

大将の居るところを︿幕府﹀という。もとは忌中の呼び方。幕を設

けて府︵役所︶となすこと。﹃史記﹄李広伝に見える。唐臼の節度使

は︿幕府﹀をもって称する。成都は蜀江に臨んでおり、それゆえ︿江

城﹀という。︿井梧寒し﹀は、秋が深いのを言う。︿蝋炬残る﹀は、 1α

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二宮俊博/津:阪東陽『杜律詳解選訳高高(九)

夜が深いのを言う。けだし役所内は秋の気配がまさに深く、井戸の

      まちじゅう

傍にある梧桐に吹く風は寒い。 一城がもはやしいんと静まりか

えっているのに、自分ひとり寝つかれず、夜はすっかり更けて消え

かかった灯がちらちらと光って、もっとも日日にたえられないので

ある。魏・明帝の詩に﹁双梧空井に生ず﹂と。︿井梧﹀は、これにも

とつく。 永夜.角岩悲テ鴬語ル 中天.月色好モ誰ヵ看.        ハぬ    上五下二.句法。角ハ即陣曜。軍中退嚴之音。自、字有二在け彼。而        ハぬ    不レ關レ三一一意 。中天ノ月色ハ謂⋮両説コ天憂∼。自慢ル誰力看.丞﹂猫  宿↓而言。時備二吐蕃一、永夜角聲不レ絶、彼此慮和。テ、三図二相  語吻。於﹂亀頭倶二寂,ル中∼、傳二此乱切之聲↓、鋤けテ課下聞レ之ヲ、  使二人.シ,.傷⋮レ心ヲ。月至二中零∼、絞絞如レ書ノ、然トモ無二人ノ共工  看ル。錐レ好ト愛護二爲.。蛇二以瓢無情拙悪二項情↓、極テ漏話幕府猫宿ノ  直下ザ。胡覧郭云、悲テ自語ルハ奇情也。熾烈テ悠揚タリ、故二悲テ而似レ  語生。而一語ルハ亦見二萬籟無けテ聲、惟聞プ角.、、、。 。好モ誰ヵ看.ハ奇  句法也。城中皆已二巴熟.、月色錐レ好ト、璽二三秒誰ヵ如鷲我之不けテ寡  引引号清光∼者上。総聖之ヲ此老不綜爲レ律ノ所 束縛魂、出レ神ヲ入レ  化二、非贅歎、可ア書。。 ︵注6︶ 宇都宮趣庵の詳説に﹁悲好ノニ字上へ連テ読五字二字ノ格也﹂と。       ヘ  ヘ  ヘ    ヘ  ヘ  へ     但し、釈大豊ハ﹃一律発揮﹄は﹁詳三二按スルニ杜三二悲自語・好誰看、下三    字連続。。悲、磁力,字作認テ活字↓用ユ。同旨二将二雨声悲・月色好導連続。、    於⋮下.書字.∼未レ妥﹂という。鴨杜臆﹄は明・王嗣爽の著。鴨測旨﹄は同じ    く趙大綱﹃軍律測旨﹄のこと。いずれも仇兆熱の詳註︵巻十四︶に引く。    また鈴木虎雄﹃二等陵詩集輪︵巻十四︶は﹁角声悲・月色好・として悲・    好を上語に属せしめてみる説あるも今従はず﹂とし、﹁好は感投詞のご    とく﹃まあ﹄のごとし﹂とみる。したがって門悲自語﹂の主体は杜甫自    身とみて、﹁口永の角笛をききながら自分は悲みながらひとりごとする﹂    と解する。雪塊南﹃杜詩講義賑にも﹁自語と申しますのは是が七声が語    ると云ふのでは無い、角声の悲を聞く毎に自ら独語するのであります﹂    と説いている。 ︵注7︶ 訳注稿㈹、㎜﹁野老﹂詩の詳解に讐角は一名忌垣。︵中略︶軍中警厳の    音﹂と。 ︵注8︶ 釈大典﹃詩語解﹄巻上、自の条に﹁故園花自二発﹂、﹁官三三自二三縞︵徐    禎卿︶、﹁天涯ノ風俗自相親ム﹂、﹁五陵ノ衣馬自同一﹂の句例を挙げて、    ﹁有在け彼二而不レ関け我エ之意こと。廃園云々は、杜甫﹁弟を憶ふ二首﹂    其二︵詳註巻六︶の第五句。天涯云々は、18﹁冬至し詩の第四句。五陵        エ        ら      ら    云々は、09﹁秋興八首﹂其三の第八句。09の詳解にも﹁自の字、彼に在    りて我に関せざるの意有り﹂と。 ︵注9︶ ﹃唐詩貫珠駈に﹁第三は幕府夜宿の苦況を極尽す篇と。 ︵注10︶ ﹃唐詩貫珠﹄に﹁︿悲しんで自ら語る﹀は、旧情なり。風送って悠揚た    り、故に噛んで語るに似たり。而して︿自ら語る﹀は、亦た万籟声無く       た      あら      まさ    して、惟だ角を聞くを見はす。︿好きも誰か看ん﹀は、奇句法なり。正に       ゐ    挽きて江城塞に至る、皆已に睡熟し、月色好しと錐も、更に誰か我の腺    ねずして清光に対する如き者膚らんや。之を転ぶるに此の老、律の為に    束縛せられず、神を出で化に入る、賛評の尽くす豪きに非ず﹂と。︿出神    乳化﹀は、絶妙の域に到達する意。明清時代の成語。超神入化、繊神入    妙も同義。

上五三二の句法。︿角﹀は、とりもなおさず暉曜。軍中で警戒する時

の音。︿自﹀の字には、あちらに在ってこちらには関係しないという

意がある。︿中天月色﹀は、月が天空の中心に至ること。︿自ら語る﹀ ︿誰か看ん﹀は、︿独自﹀を承けて言う。時に吐蕃に備え、︿越州﹀

にく角声﹀が絶えず、あちらこちらで応酬唱和して、悲しんで語り

あっているかのようだ。すべてのざわめきが消え物音ひとつせず静

まりかえったなかで、この高く澄んだ切ない︿声﹀を伝え、眠られ

ずにこれを聞くと、心を傷ませる。︿月﹀はく中天﹀に至って、絞絞

として昼のようであるのに、一緒に︿看﹀る人とていない。すばら

しいとはいえ、何になろうか。いずれも感情のないものを感情ある

ものとしており、︿幕府﹀にく独宿﹀する辛い状況をこの上なく写し

切っている。胡郵亭が云う、﹁︿悲しんで自ら語る﹀は、奇抜な感情

壌02

(10)

である。風が悠揚たる音色を送り届け、それゆえ悲しんで語ってい

るかのようだ。そして︿自ら語る﹀は、やはり万籟声なく、ただ︿角﹀

を聞くのみであることをあらわす。︿好きも誰か看ん﹀は、奇抜な句

     まちじゅう

法である。城中がすっかり熟睡し、月色がすばらしいとはいえ、こ

のうえ誰か自分のように寝つかれず清らかな光に向き合っている者

がいようか。総じてこの翁は詩律に束縛されず、絶妙の域に達して

おり、いくら賛嘆しても賛嘆し尽せるものではない﹂と。

風塵荏薄トシチ音書絶へ  關塞薫條行路難シ  ※荏再⋮ヒキツドヒテ 瀟条⋮サビレハテ・        ぱせ  寒雲け不に能レ探.ト、牽工引シ出ス心事↓。兵文壇穫り、家郷久ク無二書          ぬヵ   信一、不レ知⋮弟妹生死何如↓、身ハ碧玉野州∼、關塞血流、無二同レ京。        ︵烹3︶      ︵注14︶  之期一。恐クハ終二郷瓢異郷之鬼↓。量可レ不レ悲田。荏蒋ハ猫二塁慮り也。  謂下自二隷山反↓テ、輪齪不炉絶也。        ゐ ︵注11︶ ﹃唐詩貫珠﹄に﹁下半首は皆腺ぬること能はざるに因って、心事を牽引    し出だす﹂と。 ︵注12︶ 杜甫の弟妹については、訳注稿㈲、24笥別れを恨むL詩の︵注20︶参        0    照。 ︵注13︶ この言い方、訳注稿因、37﹁韓十四江東に省期するを送る﹂詩の詳解       む    にも見えたが、あまり古い用例は了い出せず、明・痴夢龍のいわゆる三    言の一つ﹃醒高岸黒氏の巻十七﹁張孝基三婆認舅﹂︵張孝基、陳留にて舅          も    を認む︶に﹁若し妹丈︵妹の婿殿︶の我が性命を救ふに非ざれば、必ず         な    異郷の鬼と作らん 篇とある。 ︵注14︶ 郡宝﹃集註﹄︵巻二十二、宮室類︶および十月﹃分類﹄︵巻一、省宇︶    に﹁荏薄は、侵尋なり﹂と。糧集註隔は宇都宮遜庵の増広本にも挙げる。    ︿空薫﹀は、次第に進む意。

ここは寝つかれないことによって、心中の思いを牽き出している。

兵乱で道路が塞がり、家郷からは久しく書信がなく、弟や妹の生死

がどうなっているやら分からない。我が身は辺境の州にぐずぐずと

      みやこ

滞り、︿関塞﹀は難難で、京にもどれるあてがない。恐らくしまい

には異郷で野垂れ死にの亡者となりはててしまうだろう。どうして

悲しまずにおれようか。︿荏再﹀は、悪馬とほぼ同じ。安重富が反し

てより、禍乱が絶えないのをいうのである。

弓忽伶傳十年.事  強テ移ル棲息︸枝.安  ※伶愕⋮シドロモドロ 棲息⋮スマヒ        お      ぬあ   伶傍一行.ト不レ正室.之貌。因之謂一零落之状↓。公自レ棄レ官.至レ是。、        ぐ ゼ  正。六年 。十年ハ塞⊃大面↓耳。移ハ謂下出二草堂↓依籾幕府炉也。荘  ハ注18>       ︵注19︶  子二鵜鵡巣レ林二不レ過二一枝.∼。蹄去來ノ僻審ひス容レ膝ヲ之易プ安シ。  安.字本”ク此二。公爲歌幕官↓、素志零墨志︷。自訴ルニ乱離奔走之苦、  巳忍二其所ブ不レ廉潔 。乃強テ就工幕府之富∼、聯楡ユ一枝之安づ已。  以二無二忍り講義.移ル、不レ得レ已。トヲ之僻。以四猫結界此善ひ於彼司、亦        ︵注20>  強テ而怨レ之.耳。明年正月所二二群誘職。也。此詩凝縮封結目シテ、而  氣自流走.、妙。 ︵注15︶ 郡宝﹃集註瞼および酵益﹃分類臨に﹁伶愕は、行くこと正しからざる    貌しと。﹃唐詩貫珠隔も同様。これは﹃広韻臨下平声十五青に﹁蛉塀、行    くこと正しからず。亦た伶傍に作る﹂とあるのによる。畳韻の語。﹃集    註翫は宇都宮遜庵の増広本にも挙げるが、︿正﹀字を︿止﹀に誤る。 ︵注16︶ 乾元二年︵七五九︶、華手擦功参軍の官を放棄したことを指す。        まさ ︵注17︶ 陳廷敬﹃杜律詩話魅︵巻下︶に﹁摂行十年の事、自ら当に乱離奔走を指        よ    すべし。巳亥︵乾元二年︶官を棄てて自り甲辰︵広徳元年︶に参謀たる       のみ    に至って、僅かに是れ六年、十年とは大数を挙ぐる耳﹂と。 ︵注18︶ 郡宝町集註﹄に﹁一枝の安は、荘子に鵯鶴棲む所、一枝に過ぎず﹂、蘇    益﹃分類臨に﹁一枝は、荘子に鵜鶴深林に暴くふ、一枝に過ぎず﹂と。     稀集註﹄は宇都宮遜庵の増広本にも挙げる。﹃荘子鰯遣遥遊篇に﹁鵜鶴は    深林に巣くふも、一枝に過ぎず﹄と。驚鶴は、ミソサザイ。 ︵注19︶ 晋末宋初の陶幽明﹁帰去来の辞し︵﹃文選翫巻四十五/﹃古文真宝﹄後    集巻一︶に﹁膝を穿るるの安んじ易きを審らかにす﹂と。 ︵注20︶ ﹃唐詩貫珠﹄に﹁此の詩、対起対結にして、而して気罐ら流卜す、妙﹂    と。

︿三三﹀は、行くこと正しくないさま。そこから零落のありさまを

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(11)

二宮俊博/津島東陽匿亭亭詳解』訳注稿(九)

いう。公は官を棄ててからこれまで、ちょうど六年になる。︿十年﹀

は、だいたいの数を挙げたのだ。︿移る﹀は、草堂を出て︿幕府﹀に

身を寄せることである。﹃荘子﹄に﹁驚鶴、林に巣くふこと一枝に過

ぎず﹂と。﹁帰去来の辞﹂に﹁膝を容るるの安んじ易きを審らかにす﹂

と。︿安﹀の字は、これにもとつく。公が警官となったのは、もとよ

りその志ではない。自らふりかえるに乱離奔走の苦しみは、これま

      こら

で堪えられないことをじっとく忍﹀えてきたことが多かった。そこ

       ぬす

で︿強いて﹀幕府の官に就き、いささか︿一枝の安﹀を踏んだのだ。

︿已に忍ぶ﹀をもって︿強いて移る﹀のは、やむを得ざるの辞。ま

だこちらの方がそれよりましだと思って、やはり︿強いて﹀これを

︿忍﹀えているのだ。明年︵永泰元年、七六五︶正月、職を辞する

ことになるゆえんである。この詩は、対偶で言い起こし対偶で結ん

でいるが、気は拘束されることなく自然に流糾し、絶妙だ。

65@中晩晴懐二西郭.茅舎↓ 0  ※院⋮ヤクシヨ  ︵注1>        ︵洗2︶  口重院ハ垣也。増韻室有 垣塙⋮者.爲レ院卜。西郭.茅舎ハ即溌花.草  堂。公図﹂参謀毒中∼、因﹂晩晴ノ佳景略、想二西郊ノ幽居↓。自恨け失,  遣遙之樂↓、而嘆コ羅絆之爲謬俗。蓋亦有レ墨譜樂二半幕府∼者也。 ︵注1︶ 呪説文華字﹄十四篇下には﹁院、堅なり﹂と。ここは、﹃広雅﹄釈宮に    ﹁院は垣なり﹂というのと混同したか。 ︵注2︶ ﹃増韻﹄は、冊増修互牟礼部韻略騒のこと。その去声平韻に﹁詩韻に垣    院。庭館に垣塙有る者を院と田ふ﹂と。 ﹃説文﹄に﹁院は垣なり﹂、﹃四韻﹄に﹁室に垣塙有る者を院と為す﹂

と。︿西郭の茅舎﹀は、ほかならぬ洗花草堂。公は参謀の︿一中﹀に

あり、︿晩晴﹀の佳景によって、西郊の幽居を想起している。のんび

りと遣遥する楽しみを失ったことを自ら恨み、官職に繋がれている

身の俗っぽくなったことを嘆じている。けだしやはり︿幕府﹀でお

もしろくないことがあったのだろう。

幕府秋風日夜清シ  澹入津雨過二高城↓  ※清⋮スンズリ 疎⋮バラ/\  日夜清ハ秋暑始。退キ涼氣大。生.也。次ノ句緊シク承二風ノ字づ。過者去テ        ぬヨ   而不レ霞ヨ.也。五雲疎影、故ト易けテ散四姓晴ル。罪罪向﹂城頭∼而        ぬ    來リ、瞥然随け風。過去ル也。墨差云、日夜清ノ三字、大方ノ老氣。高  城.二字、最有精神一。用﹂添字↓而警抜、此公之筆力。 ︵注3︶ 郡宝﹃集註﹄︵巻二十二、宮室類︶および薩益﹃分類撫︵巻 、省宇︶    に門淡雲紅雨、故に散じ易くして晩に晴れん﹂と。﹃分類臨は宇都宮遮庵    の増広本に、﹃集註臨は詳説に挙げる。 ︵注4︶ ﹃唐詩三珠﹄︵巻五十、秋︶に﹁日夜清の三字、大方の回気偏と。また    ﹁高城の二字目精神有り。実字を用いて警抜、老杜の筆法﹂と。大方は、    大家。老気は、老練な気象。精神は、活き活きとした力。気力。実字は、    この場合、名詞・動詞・形容詞をいう。

       ひ

く日夜清し﹀は、秋初の暑さがやっと退いて涼気が大いに生ずるの

である。次の句は、ぴたっとく風﹀字を承ける。︿過﹀とは、去って

留まらないことである。︿澹雲﹀︿疎雨﹀は、もとより散じやすくて

たちまち晴れる。ぱあっと立ちこめて城壁の上にやって来て、あっ

という間に風に随って過ぎ去るのである。胡鹿野が云う、﹁︿日夜清﹀

の三字は、大家の老練な気象。︿高城﹀の二字は、最も気力が瀕って

いる。実字を用いて警抜であり、これぞ公の筆力だ﹂と。

     まら  葉心ノ朱實堪絡時一落凌  階面.青苔先自生ス        なも  葉心配猫レ言肋葉裏↓。朱實ハ赤果也。已二熟シテ而欲レ落。ト也。見コ雨痕          ぬア       ぬ    淋滴弓。公小園.詩二秋庭風落レ果ヲ、王短詩雨中山陥落、亦皆此景也。  階ハ鷹∼ 是石階或土台サル。故二青苔因け潤二而生ス。干青雨痕無二物トをア  不τ潤之中炉、青苔最先占払之.、三二貝先自生峰。然トモ七二疎雨乍  過∼、俄二一上レ階二來.乎。但無駄雨則色枯テ似レ無二、得ルハ潤.則頓二     ぬ    襲コ青色鴫。若二新二生誘然也。 ︵注5︶ ︿堪﹀字、銭注︵巻十三︶及び旧註︵巻十一︶はく看﹀に作り、﹁一に

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(12)

  堪に作る﹂と注する。なお郡傅﹃集解﹄は、︿堪﹀字の下に﹁不堪しと注   し、本文を﹁堪へんや﹂と反語に解する。 ︵注6︶ 聾益呪分類臨に﹁朱実は、珍果なり篇と。宇都宮遜庵の増広本にも挙   げる。 ︵注7︶ 大回二年︵七六七︶作の笥小園﹂詩︵詳註巻二十︶に、次のように詠   じられている。 由來巫峡水 本是楚人家 客病留因藥 春蘭買爲花 秋庭風落果 一三雨頽一 問俗螢旧事 將詩待物心 ︵注8︶ 盛唐・王維﹁秋夜独坐﹂詩   次のように詠じられている。   猫坐悲歎蟹   空似欲二更   雨申山芋落   燈下草贔鳴   白髪終難攣   黄金不可成   欲知除老病   惟有學無生  釈大典 似レ無二、 由来巫峡の水 も 本と是れ楚人の家 客病 留まるは薬に因り 鋼筆 買ふは花の為なり 秋庭 風 果を落とし       くづ 濃岸 雨 沙を頽す 俗に問いて寒事を営み   もつ 詩を将て物華を待つ     ︵﹃王右油紙﹄巻九/ 独り坐して双蟹を悲しむ

黄白燈雨空

金髪下中堂

二更ならんと欲す 山気落ち 草虫鳴く つひ 終に変じ難く 成す可からず ﹃三体詩﹄巻三︶に、 ︵注9︶    ﹃杜律発揮﹄        得レ雨.劉ハ頓。翻倒同色ご く葉心﹀は、葉裏と言うのとほぼ同じ。

もうすっかり熟して落ちそうなのである。

るのをあらわす。公の﹁小園﹂詩に﹁秋庭風果を落す﹂、王維の詩に

﹁雨中山果落つ﹂とあるのも、やはりみなこの情景である。︿階﹀は、

きっと石の階段か土の階段であるにちがいない。それゆえ︿青苔﹀

老病を除くことを知らんと延せば た    むしょう 惟だ無生を学ぶ写り  に﹁苔量二因ゴ雨∼俄二生セン乎。但無レ雨則ハ苔枯。      と。         ︿朱実﹀は、赤い果実である。

         雨痕でしっとり濡れてい

が潤いによって生じる。雨痕が潤わさぬものがないなかで、︿青苔﹀

が最も先にこれを独り占めする。それゆえ︿先づ自ら生ず﹀という。

されど︿疎雨﹀がさつと通り過ぎたからといって、にわかに︿階﹀

に上って来ようか。しかし雨がなければ色枯れてそこにないように

みえるが、潤えばたちまち鮮やかな︿青﹀色を発する。新たに︿生﹀

じたかのようである。 復有二縷塵衝二暮景づ  不レ螢セ鐘鼓報﹃ヲ新晴り  ※不労⋮オセワバカケヌ       ︵油10︶  此聯爲二出。晩晴.性情づ。復ハ再也。雲斗テ而日光再タ。照。也。街ハ者        ︵注11︶  謂⋮⋮夕照牛残テ似二牛呑牛吐二三.∼。蓋縷毫之間、夕陽倒射.、庭庭        ︵注12︶  若和街誘也。不い勢セ猫レ不レ須也。二句一串、紅中晩晴、活壷。凡       ︵油13︶  鐘鼓聲亮可三以ア知二新晴↓。今既二見二野墓之聞斜景換然寵.、則       ︵注14︶  不けテ重工鐘鼓之報↓而知二其晴づ契。濃墨云、街、字書⊃出。晩晴之  神↓。日勢日報、爲シ得テ鐘鼓有二生動之致︸。 ︵注10︶ 釈大典﹃詩語解﹄巻上、復の条に﹁字彙に嘘泣重也再也﹂と。 ︵注11︶ 腕唐詩貫珠臨に﹁街は蓋し全楼台に晩照有るに論ず。是れ半辺の夕陽、       ゆ ゑ    半呑半吐の像に似たり。所以に之を街と謂ふ﹂と。 ︵注12︶ ちなみに、釈大典簡詩語解﹄巻下に、不用・不須・不労等の語を挙げ、     ﹁此亦語意粗同シ、故二藏二条列ス篇と○ ︵注13︶ 郡傅﹃集解臨に﹁鐘鼓声亮なるときは鋼ち填る。蓋し俗占なり﹂と。    また﹃唐詩貫珠﹄に﹁凡そ鐘鼓声高ければ、以て晴明を知る可し。今既    に斜景換然たる有り、已に晩晴を騙す、則ち必ずしも復た鐘鼓を聴かざ     のみ    る耳﹂と。駝は、験の俗字。 ︵注14︶ ﹃唐詩貫珠﹄に、︵注11︶に挙げた箇所に続けて﹁而して晩晴の神、一    字に子いて描出す漏と。また︵注13︶に挙げた箇所に続けて﹁乃ち労と       おもむき    日ひ報と日ふ、写し得て鐘鼓生動の致有り﹂と。

この一聯は、︿晩晴﹀本来の趣を写し出している。︿復﹀は、再であ

る。雲が去って日光が再び照らすのである。︿街﹀は、夕照が半ば

残って半呑半吐のありさまであるようなこと。けだし︿楼台﹀の問

105

(13)

二宮俊博/津阪東陽解杜律詳解』訳注稿(九)       ふく

に夕陽が斜めに射し、いたるところ︿街﹀むがごとくである。︿労せ

    もち

ず﹀は、諾いずとほぼ同じ。二句ひとつらなりで、︿院中念晴﹀の活

きた画だ。すべて︿鐘鼓﹀が高らかに響きわたれば︿新子﹀を知る

ことができる。慣すでにく楼台﹀の間に、西に傾いた陽光がぎらぎ

らと輝いているのをみれば、︿鐘鼓﹀の報を待たずしてその晴れたの

が分かるのだ。胡鍵亭が云う、﹁︿街﹀字は、︿晩晴﹀の神髄を描き出

しており、︿労﹀といいく報﹀というのは、︿鐘鼓﹀に生き生きとし

た趣があるの写し得ている﹂と。

涜花艶裏花饒唆笑二 胃テ信。ンや吾兼雪煙隠.名門       ︵泣15︶    ︵涯16︶  上六句二院中晩晴、結旧懐西郭ノ茅舎弓。饒ハ從也。言從量感一⋮花紳り       ︵漂17︶  所折笑也。暗エ與レ不レ垣通以神ヲ。拉二以二滑稽↓行フ。吏隙ハ吏ニシテ而        ︵注18︶  兼レ隙.者。鋤鍬先賢傳二藍欽吏一隠クル干蟻披之陽.∼。以二漁釣弓自  娯.。是言託ハ爲レ吏而居兼二隠者之樂↓。公則心錐レ兼叶隙。、然トモ  不レ能レ如燦鄭ヵ。偶一因⋮﹂里中晩晴之好.∼、感シテ而懐西郭.茅舎弓。  洗花難上秋花慮に盛ナル。落差幽致、想像神薬.。等身羅工絆...府  中∼、不レ得三往.玩搾ヲ其栄螺。寛二是一俗吏、徒二令二好花ヲシテ寂  蓼↓..、從期近笑諺我ヲ耳。但弓台レ在い官二、而心切一二於野∼、非γ眞二        ︵注19︶  爲瀞俗吏↓動勢自喜.者焦。然トモ黙上之花、恐ハ不レ諒藷吾衷導、故二日二   ︵注20︶  胃テ信↓。自恨二心外陰プ能レ井ス。ト、託膨.花一.言レ懐ヲ也。蓋公在レ蜀。  爾タヒ依二嚴武∼。尊墨雪ト公。、故下之情、不レ可レ謂レ不艸厚空.。及け  居一幕中∼、未レ免下以二禮藪↓相拘搾.、其務甚勢苦、農二入夜蹄ル、  非駄有∼一疾病事故一、丁零レ許レ出。ト.。故二公不レ楽勝爲喋.之.。公       ︵注21︶  遣レ悶ヲ三十韻呈⋮巖容∼云、胡爲ソ一二幕下∼、只合に尺断舟礎∼。束       ベキニ  縛さ.レテ酬一知己く、蹉駝トシテ効コ小忠づ。周防期稽稽、太簡遂葱忽。  曉入テ朱扉激ク、昏二蹄レハ叢角釘ル。不レ成レ尋搾ヲ別業弓、二三敢テ息二微  躬弓。會一希”全藷.。ト,物色り、時。放テ椅二梧桐∼。其幽醗可レ知 。       ︵注22︶  此公所下謄躍けテ堪工其束縛∼、春巾懸スル涜花、幽居甥也。案儲生年譜づ、  廣徳二年六月爲瀞幕府,参謀↓、明年正月辞けテ職.蹄章掌∼、爲搾幕 官一僅ユ八閲月評。        とも ︵注15︶ ちなみに、顧農﹃註解﹄に﹁旧註倶に云ふ、上の六句は藩中の晩晴、        まさ       おも      た   末の二方は方に西郭の茅會を懐ふと。爵号へらく非なり。止だ上の二   句は院申を説く。下の六句は全く膨れ西郭の茅舎を懐ふと篇と。宇都宮   旧庵の増広本にも挙げる。 ︵注16︶ 釈大典﹃文語解臨巻四に讐儘・饒・任・従・信・聴﹂を﹁ママ。マカ        まさ    ス﹂と翻ずる。なお、二瀬﹃集解﹄に﹁応に多く我が逐逐たる吏情を笑       おほ   ふべし﹂と解し、鈴木虎雄﹃杜少陵詩集﹄︵巻十四︶は讐廟堂Lを﹁饒く   笑ふ﹂と訓じて、﹁饒は多きこと﹂という。 ︵注17︶ 通神、ここでは気脈を通ずる意。 ︵注18︶ ﹃汝南先賢伝﹄は、三国町・周斐撰。もと宋・趙次公の注に挙げる。但   し、﹃藝文類聚﹄二九、水部下、破および﹃太平御覧﹄巻七十二、地部、   阪に引く﹁汝南先賢伝﹂には、吏字の上に去字がある。それに従えば、    ﹁鄭敬、吏を去り蟻披の陽に隠居し、魚釣を以て自ら適しむ﹂となり、    ︿吏隠﹀の出典として挙げるのはふさわしくない。なお、﹁雲隠﹂の語の   早い用例は、初唐の宋之問﹁藍田山荘﹂詩︵﹃全唐詩﹄巻五二︶の﹁窪遊   は吏隠に非ず﹂の句である。このこと、赤井益久﹁単比における﹃吏隠﹄   について﹂︵﹁国学院中国学会報﹂第三十九集、一九九三年。後に﹃中唐   詩壇の研究﹄所収。創文社、二〇〇四年︶、川合康三﹁窪遊と吏隠﹂︵﹃中   国読書入の政治と文学﹄所収。創文社、二〇〇三年︶参照。 ︵注19︶ 強者は、鼻高々に得意がるさま。﹃史記﹄濃茶武安列伝に﹁荒事なる者          のみ   は沽沽自ら喜ぶ耳﹂とあり、斐關の集解に引く張嬰の注に﹁沽沽は、自   ら整頓するを言ふなり﹂として外面を整える意とするが、顔師古は軽薄   と解する。 ︵注20︶ ちなみに、鈴木虎雄﹃些少陵詩集駈は﹁肯信﹂の語釈に﹁反語なり、   不信とおなじ意。旧解に﹃信隔の主語を上句の﹃花臨とせり、余はしか   考へず、略されたる﹃我﹄の字なりとおもふ。我不レ信とは言ひ換ふれば   我自疑ふといふことなり﹂と説く。 ︵注21︶ 広徳二年︵七六四︶の作﹁悶を遣らんとして厳公に呈し奉る一一十韻﹂   詩︵詳註巻十四︶に、次のように詠じられている。     白水魚竿客 清秋鶴野翁  自水魚竿の客、清秋冠註の翁       なんす       た   まさ     胡爲來幕下 馴合在舟中L 胡為れぞ幕下に来たる、紙だ合に舟申

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(14)

黄巻眞如律 青抱也自公 老妻憂坐痺 幼女問頭痛 旧地專歌倒 分一失異同 禮欝衰塗薬 義添上官通 難聴論詩早 光輝筆墨雄 寛容存性拙 勢携念窮途 露三思藤架 煙罪想桂叢 三一鶉鰯網 直作鳥窺籠﹂ 西嶺紆邨北 南江緯舎東 竹皮寒奮翠 椒實雨新紅 浪簸船齢堺 杯乾甕翻字 藩簾生野穫 斤斧任樵童 束縛酬知己 蹉駝効小忠 周防期稽稽 太簡遽忽忽 曉入朱扉啓 昏蹄董角終 回月雪別業 未敢息微躬﹂ 鳥鵠愁銀漢 鷺駝伯錦檬 製出全物色 時放衙梧桐 に在るべきに       ま       よ 黄巻は真に律の如し、青鞄も也た公自 りす 老妻は坐痺を憂ひ、幼女は頭痛を問ふ 平地 専ら款倒す、分曹 異同に失す 礼は衰力就くを甘んじ、義は上官の通    かたじけな

ずるを黍うす

曙染 詩を論ずること早く、光輝身銭 雄なり 寛容 性拙を存す、勢払 窮途を念ふ 三明 藤架を思ひ、煙罪 桂叢を想ふ 信然亀網に触る 直ちに鳥の籠を窺う  な を嘱す       めぐ 西嶺 村北に紆り、南江 舎東に緯る 竹皮 旧翠寒く、椒実 雨新たに紅な り   あお         まさ   ひら 浪に簸られて船場に堺くなるべし、杯 乾きて甕即ち空し        まか 藩饒 二三生ず、一三 三三に任す 束縛せられて知己に酬い、蹉駝として    いた 小忠を効す 周防 期すこと禰稽、太簡遂に忽忽た り 暁に入って朱扉啓く、昏に帰りて画角 終る 霧業を尋ぬるを成さずんば、未だ敢へ     いこ て当道を息はしめず       おそ 鳥鵠 銀漢を愁へ 鷺胎 錦檬を重る かなら  ねが 会ず希ふ物色を全うして、時に放ちて    よ 梧桐に椅らしめんことを ︵注22︶宇都宮趣庵の増広本に挙げる明・単復の年譜。 上の六句は、︿院中の晩晴﹀。結びでやっと︿西郭の茅舎を懐ふ﹀ の

である。︿饒﹀は、従である。その意味は、︿花﹀の精に︿笑﹀われ

   まか

るのに従せるのである。暗に︿労せず﹀と気脈を通ずる。ともに譜

誰をもって言いなしている。︿吏隠﹀は、官吏にして隠者を兼ねる者。       みなみ

﹃汝南先賢伝﹄に﹁鄭欽は蟻披の陽に吏隠し、魚釣りして自ら娯し

んだしと。これこそその身は官吏となって住まいは隠者の楽しみを

兼ねているのだが、公はといえば心は隠者を兼ねているとはいえ、

されど鄭欽のようにはできない。たまたま︿壷中の晩晴﹀のすばら

しさによって、心感じて︿西郭の茅舎を懐ふ﹀のである。︿洗花﹀の

く難﹀のほとりでは秋の︿花﹀がきっと盛りであろう。︿晩晴﹀の奥

深い趣をば想像して心を馳せるものの、身は役所内にしばりつけら

れ、赴いてその景色を賞玩することができない。とどのつまり一介

の俗吏であって、すばらしい︿花﹀にひっそりと咲くだけ咲かせて、

そいつが自分を︿笑﹀うにまかすのだ。ただ自分は官にあるとはい

え、心は野にあり、ほんとうに俗吏となって、鼻高々に自ら喜ぶ者

ではない。されど︿難﹀のほとりのく花﹀は、恐らく己れの真情を

もっともだとはみなしてくれないだろう、それゆえ︿肯へて信ぜん

や﹀という。思いと行動とを一致させることができないのを自ら恨

み、︿花﹀に託して胸の内を言うのである。けだし公は蜀にあって再

度厳器に頼った。彼が公に対すること、古なじみとしての友情は、

      しきたり

厚くないとは到底いえないが、幕中に居るとなると、礼数をもって

拘束されることを免れず、その職務ははなはだしんどくて、朝早く

役所に入り夜回く帰り、疾病や事故でなければ、外出を許されない。

それゆえ公はこれをなすことをいさぎよしとしないのだ。公の﹁悶

      なんす

を遣る二十韻、厳公に呈す﹂詩に云う、﹁胡為れぞ幕下に来れる、只

 まさ

だ合に舟中に在るべきに。︵中略︶束縛せられて知己に酬い、蹉髭と

     いた

して小忠を効す。周防期梢梢、太簡遂に忽忽たり。暁に入って朱扉

啓く、昏に帰れば画角終る。別業を尋ぬるを成さずんば、未だ敢へ

      たま

て微躬を嘆せしめず。︵中略︶会たま物色を全うせんことを希ふ、時

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