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〔資 料〕『淨土 安心愚鈍念佛集全』翻刻と解題

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[解 題] 京都市右京区嵯峨鳥居本化野町所在の浄土宗華西山東漸院化野念仏寺の 中興開山直蓮社到誉上人寂道真愚和尚が正徳三年 (一七一三) 五月に京都 の書肆上村四郎兵衛から開版した『 淨土 安心 愚鈍念佛集 全 』を翻刻紹介する。 山城国 野郡北嵯峨の化野は阿太志野 徒野 仇野とも書き、兼好法師 が『徒然草』に「あだし野の露消ゆる時なく、鳥辺山の煙立ちもさらでの み住みはつるならひならば、いかに物のあはれもなからむ。世は定めなき こそいみじけれ。 」( 岩波新日本古 典文学大系本 ) と記した著名な一文を引くまでもなく、 古くは東山の鳥辺山とともに風葬の地、火葬の地として知られた。現今、 嵯峨周辺は京都を代表する観光名所となり、とくに八千余体の無縁石仏を 「西院の河原」 と称し、 燭を灯してこれを供養する八月二十三 二十四 日の千灯供養会には信じがたいほどの善男善女の参詣で賑わう。 衆庶の人気を集める化野念仏寺であるが、しかしその歴史は存外知られ ていない。伝蔵される文献資料も多いとはいえず、寺史を説いた書物も前 住職三十五世の原説誉辨雄師の『愚沙 あだし野念仏寺寺誌 』(昭和五十三年六 月、あだし野念仏寺刊) があるばかりである。 同書にその一部が写真掲載された縁起資料を翻刻してみると、 嵯峨化野 さ が あだしの 念佛寺 ねんぶつ じ 建立 こんりう 縁起 ゑん ぎ 傳聞 つたへきく 山城 やましろ の國 くに 上嵯峨 かみ さ か 化 あだ 野 しの と云 ゆふ 所 ところ は昔 むかし 弘法大師 こうぼうだい し 兩部 りやうぶ の曼 まん 多羅 だら をかけ置 おき 釈  しや か 弥陀 みだ の二尊 そん を石 いし に造 つく り 加 持 ち し 給 たまふ ふ 末 世 まつせ の 亡者 まうしや の 死 し 骨 こつ を 此 この 野 の に 納 おさ めば 悉 こと  く 浄土 じやうど に引 導 いんどう せ んとの 御 おん か 持 ぢ なりそれ よ り 此 この 所 ところ に葬 ほうむる 処 ところ の 墓 はか 其數 そのかす をしらす 其 石仏 そのせ きぶつ と曼 まん 多羅 だら をかけられし 所 ところ 今 いま に曼 まん 多羅 だら 橋 はし とて 是 これ あり これ五三 昧 まい のはしめなり 其後 そののち 圓 光 えんくわう 大師 だい し 此 この 処 ところ の無 常 むじやう を観 くわん しましま 圓 光 えんくわう 大師 だい し 御 衣 おんころも をも の土 つち をふるひてのた 所 ところ に葬 ほうむ らば 願 ねがい の ご とく 浄土 じやうど に 送 おく らんとの 御 誓 おんちかひ なりと今 いま に 其 所 そのところ □ □ ぢ つ 間 けん 餘 地 よぢ の 底 そこ まで 砂利 じや り 一 ツ もなしこれふ 思儀 しぎ のいた りならずや 尓 しか るに中古 ちう こ よ り 此 所 このところ に 庵 あん を 結 むす び 不断 だん 念仏 ねんぶつ を 始 はじ め三 万 日に 過 すぎ たり 當 所 とうし の 領主 りやうしゆ □ さき の大 門 だいもん 盜 さま よ り 境内 けいだい 百 間 餘 ひやくけん よ 賜 たまは り寺 号 しご う を とあ っ て、この念仏寺の地は弘法大師が 両 部曼 荼 羅を 懸 二尊を石に造 っ て 亡者 の 死骨 を 納 めた五三 昧 の地で、今に名 が 残 る。 此 の地はまた 円 光大師法然上人が土を 篩 っ て 整 を開いた 聖 地である 由 が 綴 られている。この縁起は昭和二十三年の 繕 時、 襖 の 下張 から 出 てきたものという。おそらく 仮綴装木 起だ っ たと 思 われる。 また昭和二十七年四月の本 堂 拡 張 工事 の 際 に本尊 下 の物 れたという『中興寂道和尚 願 文』なる資料の一部が写真掲載されている。 これも翻刻してみると、 大日本國山城 州 嵯峨化野弘法大師加 持 之 所 圓 光大師 観 想 之 塲也 圓 光大師 當 五 百 年 忌令 草 創畢 南 無阿 彌 佛 南 無大 悲 観世 音 南 無大 勢 至 学 苑 資料紹介 特 集 号 第 八八 九 号 二 〇 七 ~ 二三四(二 〇 一四 一一)

淨土 安心

愚鈍念佛集

』翻刻と

解題

関口

〔資 料〕

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南無地藏大士南無虚空藏一切三寳一切 諸神傳來祖師父 六 眷属十界群類 皈命一心 伽藍建立 佛法増耀 称名相續 万霊普益 同生安樂 釈寂道備前国岡山素性父桓武之末平是利 廿六代平位幸晴 清和之末黒田如水之孫 寛文十三癸丑十二月廿五日出生法﨟廿一年行 年三十九正徳元辛寅十一月十五日念佛寺開 山京阿弥陀寺隠居也 願曰 佛法遐代隆 伽藍弥栄 法界為利益 我必在浄土 此像中移 萬人滿諸願 寺内有凶事 此像異現 諸人令告知 悪僧在住持 此像現威 此寺令別離 歸命盡十方 無碍光如來 願以此功德 平等施一切 同發菩提心 徃生安樂國 正徳二壬辰天正月廿五日 寂道拝 〔花押〕 行年四十歳鏡向造 と読めるようであり、これに続く文章が同書に翻刻されている。そこには、 覚誉意哲上人 父大誉真覚如海居士 湛誉本愚上人 母明誉理照盈月信女 法縁中 入誉心覚了空居士 弟子中 黒田氏唯澄同妻 檀那中 同姓熊太良 結衆中 同 ヲテル女 代々僧 同 ヲタカ女 当山鎮守大弁財天女御眷属中 哀愍覆護我 令法種増長 此世及後生 願仏常摂受 眼 内二種 納 剃 毛爪 直 社到 誉上人寂道真愚和 尚 とあ っ て、こ の『 中 興 寂道和 尚 願文 』の 出現によ っ て 道和 尚 が黒田 官兵衛の外 孫 の 子 息 であ った こと を 知り いる。 福 岡 藩 祖 官兵衛 黒田 孝高 ( 一五四六 一六 〇 四 ) 嫡 子 福 岡 藩初 代 藩 主 黒田長 政 ( 一五六 八 一六二三 ) の いるが、そ の 中に寂道和 尚の 母 の 名は な い。 ※ 明 治 三十 七 年 ( 一九 〇 四 ) 、念 仏 寺 の 寺 域 内 外 に 散乱埋 古石 仏 数千 を 集 めて 整 理 し 、これ を 「西 院 の 河原」 と称 のた めに 千 灯 供養 が 執 行され た 。こ の 事 業 が 福 田海 会員 っ て行 わ れ た こと を 知る人は 少 な い。 福 田海 ( 現本 部 山 通幽 師 ( 一 八 六二 一九三六 ) が 創始 し た 宗教 。 通幽 で、 修 験 道当山 派 の 山 伏 と し て 活躍す る か た わ ら 井 上 大 阪 に 関 西 哲 学館 を 開いて神 儒 仏に 老荘 を 融合 し た 独特 に 陰 徳 積善 の 功徳 を説 い た 。 実践 を 重んじ 、そ の 生 涯 じ て 塵 中 の 菩 と称 せ ら れ、 全 国 各 所 に お いて 放置 されてい めて 祭壇 を 築 き 、 千 灯 供養 によ っ て 供養 し た 。そ の 数 とい わ れ、念仏寺 の ほ か 昭 和四年には 滋賀 県 蒲 生 の 石塔 整 備 し ている。 墓 王 と 崇 め ら れ た 所 以である。 昭 和二年 吉 備中山 の 有 木 山 青蓮 寺 を 聖 地と し 、 牛馬 供養 の は な 年 間 数 万 個 の 牛 の 鼻輪 ( 鼻環 、 鼻 ぐ り ) が 納 め ら れ、 万 を はる か に 超え るという。 ※ 念仏寺 を 中 興 開山 し た 寂道は、当 初 こ の 地が 弘 法大師 であり、 宗 祖 円 光大師が 観想 の 道 場 を 設け た 宗 門 の 聖 ること を 知 らな か った 。『 愚 鈍 念佛 集 』 によれ ば 、正徳元年 月二十日 夜 に 見 た 「古 今 不思議 の 霊 夢 」 に 導 か れて 嵯峨 寂道は、 つ いで な が ら 西 山 の 景 を 見 立て、 「 閑 居 し て念仏 け 、こ ゝ か し こ 」 歩 くう ち に寂々 た る 「 墓 原」 に 至 り、行 ら こ の 地が 「 あ だ し 野 」 という 弘 法 円 光 両 大師 ゆ か を 細 々と 聞 か され たの であ った 。 杣 人は 「 弘 法大師が

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所も今にあり」という。あたりを尋ね巡り、夢に見た石仏を見出して歓喜 し、 「軒もおち、 堂もかたぶき、 なにやらんわけもなき」 寺を訪れた寂道 は、門弟たちの同心を得て、この寺を新たに念仏道場として建立したので ある。 道場建立は『中興寂道和尚願文』にあるように正徳元年十一月十五日に 相違なく、それはまた円光大師の五百年忌を期しての草創だった。おそら く開山会式の執行は『願文』の記された正徳二年正月二十五日だったと思 われるが、とすれば、霊夢を得てから開山会式に至る念仏寺中興開山事業 はまことに短期間裡に遂行されたのであり、 正徳三年五月の 『愚鈍念佛集』 の版行も、当然その重要な一環であったと理解されるのである。 寂道が建立したという念仏寺の現本堂には、湛慶作と伝える本尊阿弥陀 如来像とともに開基長寿院殿木坐像と中興到誉上人木坐像が安置されてい る。到誉上人寂道は『願文』にその母が黒田如水の孫と記して出自を明か しているが、 『願文』 には黒田姓の施主者が並んでいて、 念仏寺の中興に この黒田一族の少なからぬ外護があったことを示している。当寺の開基と 伝えられる長寿院殿もおそらく一族と推量されるが、しかしその閲歴はほ とんど不明であって、寂道の行実についても『願文』と『愚鈍念佛集』に 記された範囲を出ないのである。寂道は平是利二十六代の末裔平位幸晴を 父に、 黒 田如水の孫を母に、 寛文十三年 (一六七三) 十二月二十五日に備 前岡山に生まれ、十九歳で出家し、法﨟二十一年を数えた正徳元年辛寅十 一月十五日、 三十九歳の時に念仏寺を中興開山したのである。 みずから 「念佛寺開山京阿弥陀寺隠居也」 と記す京阿弥陀寺は、 おそらく京極鞍馬 口 (上京区寺町通今出川上ル鶴山町) の蓮台山摠見院阿弥陀寺をいうのであ ろう。 阿弥陀寺はのちに東大寺大仏殿勧進職にも就いた玉誉清玉が天文二十四 年 (一五五五) 近江坂本に創建した浄土宗寺院で、 清玉が織田信長の帰依 を得て西京蓮台野 芝薬 師西町 (今出川大 宮 東) に 移転 し、 八 町四 方 の 境内 に 塔頭 十一 ケ 寺を 構 えた。当寺二十 世常 誉 説音編 『信長 公 阿弥陀寺 由緒 之 記 録 』( 「 史籍 集 覧 」 第 二十五 冊 所 収 ) によると、 天 正十年 (一五 八 二) 六月二日本 能 寺の 変 の 折 り、清玉は二十 余名 の門弟とともに本 能 寺に 駆 けつけ、信長 信 忠 父 子 およ び森蘭丸 棒丸 力 丸 兄 弟は じめ 家 臣 百 有 余名 の 寺に 埋葬 したという。 寺は天正十五年 (一五 八 七) 鞍馬口に おそらく寂道はこの阿弥陀寺で長い 修 行の日 々 を 過ご したものと思われる。 法然の 唱導 した愚鈍念仏は 諸 師によってさま ざ まに解 寂道が 化 野念仏寺を中興開山するにあたって、ことあらた 主 唱 したのは、 法然が 死 の 直 前に 勢 観房源智 に 託 した 「た ゞ 一 向 に念仏す べ し」 という 遺 訓 を実 践 する 意 思の い。同心する「愚鈍の弟 子 ども」は 無知 でのろまをいうのではない。愚か なほどに 無 心に念仏を 称 えるものたちをいうのである。 ※ 浅 学 にして念仏寺中興寂道に 著 作のあるを 知 らない。このた する 宮 島コレクション蔵 『 淨 土 安心 愚鈍念佛集 全 』は 他 に伝本のあるを い。本 書 は 縦 二二 〇 ㎜ 横 一五七 ㎜ の 袋綴装 。 紺色 の 紙 が 付 されている。本 書 には 旧 蔵 者とお ぼ しい出 羽国仙北郡 寺の 義憺 なる 僧 の 乱暴 な 戯 書 があり、また 汚損 も 激 しかった。これを し、 裏打 ちを施した 丁面 見開きの 状態 の 画 像を示した。なお ては 底 本の 字体 表 記をできうる 限 り尊重した。 翻刻 文作 (歴 史 文 化 学 科 三年生) の 助 力 を得、 仏 教 大 学 名 誉 教授 で 住 職の 成 田 俊治 師 厭求 上人 ゆ かりの 導 故 院 住 職 杉 田正 大 切 なお 教 えを 賜 った。 御 礼申 し上 げ る。

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淨土

安心

愚鈍念佛集

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愚鈍 ぐど ン 念佛集 并化野建立由来 正德 しやうとく 元年 くはんねん の冬 ふゆ 十月廿日の夜 よ 。古今 ここ ん 不思議 ふしき の 霊 れい 夢 む を見て。嵯峨 さか 清凉寺 せうりやうじ へ参詣 さんけい し。つく ゛ 思 おも ふ に。夢 ゆめ に見し 佛 ほとけ は座像 ざぞ う にてありし。是 これ は立 たち て居 ゐ 給へ ば夢想 むさ う とたがひたり。是 これ より大佛 だいぶつ へ参らむやと おもひ立 たち 帰 かへ るいとまに。つゐでながら。西山 にしやま の景 けい を見立て。 静 しつか なる所もあらば。閑居 かんきよ して念佛 ねんぶつ を 申さんと 心 こゝろ がけ。こゝかしこありくに。さび  たる 念佛 一  はかはらに出たり。がひ骨 こつ ちまたにみち。しるし もなき墓 はか 原 はら なり。いかさま名 な 有 ある 所やらんと うかゞひ居 ゐ る所に。杣人 そまびと 来 きた れり。此はかはらは 何 なに といへる所と 尋 たつね けるに。あだし野 の と申て。 弘法大師 こうばふだい し 加持 かぢ の所なりと答 こた へける。そのし るしはいかにととへば。是 これ なる火葬 くはさう 場 ば を符 ふう じ 給ひ。それに又石佛 せきぶつ の有 ある は。弘法 こうばふ の御作 さく 也。 曼陀羅 まん だ ら をかけられし所も今 いま にありと。其

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後 のち 圓 ゑん 光 くはう 大師 だい し も来 きた り給ひ。無常 むじやう を観 くはん じ土 つち を ふるひ給へりと。こま ゛ と語 かたり 捨 すて て行 ゆき けるまゝ。 たづねめぐるに。かの石 佛 いしほとけ を見付 みつ け 侍 はんへ るに。阿 あ 弥 み 陀 た はあまりことふりて。目 め も鼻 はな もさだかならす。 釈  しや か は面 めん 兒 めう 殊勝 しゆせう におがまれ給ふに。能々 よく  拝 はい すれば夢 ゆめ に見し 佛 ほとけ にてあり。餘 あま り有 あり がたく寺 てら へ立 たち よりて。やうすを 尋 たつぬ るに。又軒 のき もおち堂 どう もかたぶき。何やらんわけもなき 念佛 二  さまなり。あはれ我 われ に得 え させば。閑居 かんきよ の所に せんと思ひしに。みな  申やうは。此所もはや滅 めつ 亡 ぼう 仕候まゝ。御じひに御とり立 たて 候へと。口々 くち  に ねがひける。心にのぞむ所なれば建立 こんりう を企 くはた て。心 静 しつか に佛 名 ぶつみやう をも唱 とな へ。中  に山のをく こそ住 すみ よき心地 こゝ ち して。信心 しんじん の友 とも をあつめて。 朝 てう 暮 ぼ 化 あだ 野 しの の無常 むじやう を見て。我身 わが み の行末 ゆくすゑ の事 のみ思ひくらす 暇 いとま に。門弟 もんてい たちの尋 たつ ね給へる

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ことを。心に残 のこ りし事 こと をこたへ 侍 はんへ るも。きゝ やすくして。又 暫 しはらく の信心 しん  も起 おこ れかしと。世 せ 間 けん の言 ことば を拾 ひろ ひて。心やすくすかしけるも。 愚鈍 ぐど ん の弟子 でし どもへの教訓 けうくん なれば也 嵯峨化野 寂道真愚 念佛 三  (白丁)

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愚鈍 ぐと ん 念佛集 寂道和尚の答 弟子共の尋 一丹波坊 た んばば う 和尚 おしやう に尋 たつね て申さく。世間 せけ ん に此比 ころ さま ゛ の法談 はふだん 。種々 しゆ  の御 勧 すゝめ 御座候。謡 うたひ 他 た 經物 きやうもの の初 はしまり 。又は他宗 たし う などいかふ御しかりにて御座候 へども。 私 わたくし どもの安心 あんじん にはなりがたく 覚 おほへ 申候。 いかゞ 承 うけたまは り可申候や 和尚 おしやう のいはく。末世 まつ せ に なれば。人毎 ごと に不 おぼ レ へず しても宗門 しうもん の事をば 珍 めつら 敷 しく もおもはず。夫 それ 故 ゆへ に何がなとはやら 念佛 四  かして施物 せも つ をもあつめ。建立 こんりう もいたした きとて。餘 よ 經 きやう や世法 せは ふ を取 とり て勧化 くはんけ にな す。されば面 おも 白 ろし などゝ申て 悦 よろこ ふ愚人 ぐに ん 有 ある ゆへに。夫 それ にのつてすゝむる悪 あく 知識 ちし き もあ り。夫 それ は安心 あんじん にはかまはず。奉加 ほう が をすゝむる と聞 きゝ 給ふべし。又他門 たも ん をよからぬやうに 申もいらぬ事なるべし。他宗 たし う からは浄土 じやうど 宗 しう をも又あしく申べし。すこしづゝ相違 さう ゐ

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有ゆへにこそ。いろ  宗旨 しう し も立 たて られた り。同 おな じやうにいかばそれ  の宗門 しうもん はいら ぬ事なるべし。されども学者 がくしや など出合 いてあひ て 法 はふ 問 もん などいはゞ。随分 すいふん 是非 せひ の沙汰 さた は致 いた す べし。たゞ我 われ も人もはらもたてず。我 わが 有 う 縁 えん の法 はふ を信心 しんじん して。我慢 がま ん をおこさぬこそ よろしく侍る。又学者 がくしや ならば一宗 いつしう の事にて いかほども談議 だん ぎ もなり。博学 はくがく ならば念佛 ねんぶつ 念佛 五  の一門 いちもん にて種々 しゆ  に説 とき 申べきに。あれ是と かゝるは名 聞 みやうもん のやうに見ゆるなり。浄土宗 じやうとしう にて浄土 じやうと の外 ほか はしらぬと申さんに。恥ヶ はつか 敷事 しきこと は有まじ。たゞ人 ひと にかまはず御 お 文 ふみ よむなりの。心もちにて念仏 ねんぶつ 申給へ 一越前坊 ゑちぜんぼう 尋て申様 やう 。浄土宗 じやうどしう に捨 しや 世 せい と申 はいかゞ心得申べきや。和尚いはく。どれ  も欲 よく を捨 すて て。家 いゑ を出 いづ るを僧 そう とは申せ。 然 しかれ

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(絵①) 念佛 六  共 ども 天子 てん し 将軍 しやうぐん などの貴 き 命 めい に依 より て。住 ちう 持 ぢ 職 しよく も致 いた す事なるに。金銀 きん  などやけいはく にて寺をももとめ。こしのり物 侍 さふらひ なと 美々敷 びゝ し く 行列 きやうれつ を立 たて て。紫 し 衣 ゑ 黄 わう 衣 ゑ など ひらめかし。 佛 ほとけ の事はうと  しく。在家 ざい け のつとめを大切 たいせつ にするゆへに。夫 それ を世間 せけ ん 僧 ぞう と申なり。他宗 たし う はしらねども。我 わか 宗門 しうもん にては 佛 ほとけ の御 誓 ちかひ にもなく。祖師 そし も黒 くろ

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衣 ころも にて 在 ましま せは。称 せう 念 ねん 上人の御すゝめこそあ りかたけれ。子思 しし と云 いふ 人は一 生 いつしやう つゞりを着 き てくらし。顔 かん 渕 ゑん と云 いふ 人は一 いち 期 こ 一ひさごに て過 すぎ しも。 心 こゝろ ざしよければ聖人 せいじん とよばれ たり。外 そと むきはかざらずとも。内 証 ないしやう をよく つゝしみ給へ。紫 し 衣 ゑ 黄 わう 衣 ゑ は座頭 さと う も山伏 やまぶし も着 き る事なり。又寺 領 社 領 じりやうしやりやう は佛 ぶつ 神 じん へ 付 つけ てあるに。知 ち 行 ぎやう いか程 ほど 有などゝ申て 念佛 七  佛 ぶつ 神 しん へは灯 明 とうみやう もあげずして。 私 わたくし の用 よう に つかひなす事はむげなる事に候へ。祖師 そし は歩 かち にて参内 さんだい などもありし。よく  祖 そ 師 し に似 に 給へ。親 おや に似 に ぬ子 こ をは鬼子 おに ご と申 事。能 よく 合点 がて ん し給へ。いはんや捨 しや 世寺 せいてら を て。又黄衣 のい わう ゑ など着 き るおろかなる人 もあり。うたてき迷 まよ ひざまなり 一山 やま 城坊 しろぼう 尋 たつね て申やう左樣 さや う の事は知識 ちし き

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たる人の御信心 しんじん なきゆへかと 存 そんし 候。我等 われ ら が 信心 しんじん の起 おこ らぬも道理 どう り と奉 存 そんしたてまつる 。しかれども いかやうに心得 こゝろえ て信 しん をは取 と り申べきや。和尚云 各 をの  最初 さいしよ の發心 ほつしん は何 なに ゆへやら知 し らねども。先 まつ は師 し 匠 しやう あしき故 ゆへ に不信心 ふ しんじん なり。師匠 ししやう は鋳物師 いものし のごとくにて。いかたあしけれは 必 かならす 道具 とう ぐ もあし く成 なる なり。師 し は祖師 そし に傳 つた へ。祖師 そし は菩  ぼさ つ に習 なら ひ。ぼさつは 佛 ほとけ に習 なら ふ。弥陀 みた 釈  しや か 名利 みやうり を 念佛 八  捨 すて て山にも入 いり 給へは。菩  ぼさ つ も家財 かざ い をすて 万 まん 行 ぎやう を修 行 しゆぎやう し。祖師 そし も名利 みやうり を捨 すて て後世 ごせ を大事 だい じ になされたり。師匠 ししやう も夫 それ を習 なら ふて 弟子 でし にも教 をし へてこそよかるべし。類 るい を以 もつ て 友 とも を集 あつ め。朱 しゆ に交 まじは れは赤 あか く成 なる のいはれ なり。若 もし 信心 しん  に成 なり たくは。居所 ゐところ を吟味 ぎん み し。能 よき 師匠 ししやう を取 とり 。化 あた 野 しの の白 頭 しらかふべ を見て我 頭 わがかしら をな でゝみ給へ。いとおしき妻 つま なり子 こ なりとて

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尋 たつぬ る人もなし。くちなわにまとはれて居 ゐ れともそねみねたみもせず。生 いけ る内 斗 うちはかり の 人のなさけ。苔 こけ の下まではかゝらぬ心のは かなさ。たれとても此すがたなりと心得 こゝろえ は。 神 かみ ばかりは能 所 よきところ へとねがひ給へ。惣 そう じて人間 にんげん の苦楽 くら く は色 いろ と欲 よく とにあり。はなれば安樂 あんらく なり。離 はな れがたきは苦労 くら う なり。骸骨 がいこつ がが いこつにたはふれたるふぜい。草紙 さう し にも見 念佛 九  えし。欲ゆへには夜昼 よるひる もくるしき事ば かりなり。夫 それ は衣食住 いしよくぢう の三つに有こと也。 野山 のや ま にすむとても。飢 うへ こゞえて死 し するも のはまれなり。けつく山にすむ鹿 しか 。水 みづ に およぐ魚 うを などはよくこへて居 ゐ るなり。過分 くはぶん の衣食 いしよく を望 のそ むゆへには。おほくの難儀 なん き も するものなり。神農 しんのう は木 き の葉 は をつゝり てめし。天 てん 照 せう 太 だい 神 しん は茅 かや ぶきの住居 すま ゐ 。

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(絵②) 念佛 十  釈尊 しやくそん は草 くさ の座 ざ にまします。先祖 せん ぞ は皆 みな かく のごとく。今 いま の人のおごるにくらべて見給 へ。今の儒者 じゆしや 醫者 いし や 佛者 ぶつしや の。紗 さ 綾 や 綸子 りん ず など先祖 せん ぞ にこへたり。是は皆 みな 人其 その 德 とく を しらず。衣服 いふ く の見事なるを 尊 たつと しとお もふ故 ゆへ に。 自 をのつから かざる心も出ると見えたり。 依 ゑ 法 はふ 不依 ふゑ 人 にん とて。 薬 くすり は病 やまひ のなをるを のみ。法 はふ は安心 あんじん のおちつくのを聞 きゐ て。 必 かならず

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装束 しやうぞく をのみ聞事 きくこと いらぬものなり。人をば 人が損 そん するといふ事。よく  こゝろ得へき ものなり 一出羽 では 坊 ばう 問 とふ ていはく。知識 ちし き がたさへ安心 あんじん お ちつき申やうには見え不 もう レ さず 候。 私 わたくし ごとき發 ほつ 心者 しんじや は何 なに と心得 こゝろえ 。徃 生 わうじやう もねがひ申べきや。 和尚のいはく。 角 とか に在家 ざい け も出家 しゆつけ も 捨 すつ るが大事 だい じ なり。先 まづ 世 よ をすつるは金銀 きん  念佛 十一  財寶 ざほう 妻子 さい し けんぞく。 名 聞 みやうもん 利用 りよ う の事努 ゆめ 々  おもふべからず。それを捨 すて ぬゆへにいろ  苦労 くら う するなり。弥陀 みだ は轉 でん 輪 りん 王 わう の位 くらゐ を 捨 すて て。釈  しや か は浄飯 じやうぼん 王 わう の位 くらゐ をすてたまふ。 それにくらべば。皆 みな  の身体 しんたい は捨安 すてやす かるべし。いはんや道心者 とうしんじや の風呂敷 ふろき 一 ひと つ の きやうがい。なんぞすてられざらんや。是 これ は 世をすつるといふものなり。身 み を捨 すつ る

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とは衣服 いふ く をかざらず。布 ほの もさらしも同 おな じ 事とおもへば。小袖 こそ で より木綿 もめ ん はとゝのひや すき物なり。みのを着 き ても雨 あめ さへふせげ ば。びらうどの合羽 かつ は も同 おな じ事 こと よと心得 こゝろえ 。 佛 ほとけ につかへたまへ。これが身 み を捨 すて ると云 いふ もの。さて 心 こゝろ をすてるとは。外 ほか の人 ひと は何 なに 事 こと にさはぐ共色 いろ にふけらず。欲 よく のお こらぬやうに其 その 身 み さへたゞしくは。人の見 念佛 十二  聞 きゝ にかまはず。海 うみ の魚 うを に塩 しほ のしまぬやう に。水鳥 みつとり の水 みつ にぬれぬやうに心得 こゝろえ て。や がてはいか。ちりになすべき身 み なりとお もひ。 佛 ほとけ につかへ。内 うち の心 こゝろ を能 よく おさへねは 外 そと むきばかり能 よく しても。犬 いぬ のつぶてに くいつくようにて。つぶてやみがたし。内 うち を よく心得 こゝろえ は鹿 しか の人 ひと を追 を ふがごとく。ひとり 悪念 あくねん も止 やむ べし。惣 そう して娑婆 しや ば を捨 すて かねて

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流轉 るて ん するなり。此界 このかい を捨 すつ る人は浄土 じやうと を すつる人なり。能 よく 々  心得 こゝろえ たまへ。身 み を捨 すて てこそうかむ世も有とは此事也 一近江 あふ み 坊 ぼう 問 とふ ていはく。大方 おほかた 信心 しん  の起 おこ し やうも得心 とくしん 仕 つかまつり 候が。御念仏 ねんぶつ 申やうは何 なに と してけだいなきやうにいたし申べきや。 和尚のいはく。御念仏 ねんぶつ はおの  ごときの 智恵 ちゑ もなく。才覚 さいかく もなき役 やく にたゝず 念佛 十三  をすくひ給ふ 願 ぐはん なれば。となへだにせば 徃生 わうじやう するなり。たゞし弥陀 みだ も不取 ふし ゆ 正覚 せうかく のちかひあり。諸佛 しよぶつ 證人 しやうにん に立 たち 給へり。祖 そ 師 し も誓紙 せい し を書 かき 給へば。我等 われ ら も命 終 いのちおはる まで。けだいいたすまいとちかひを立 たて て。いかふもおほく申給へ。祖師 そし も念 ねん 佛 ぶつ は相續 さうぞく をとると 仰 おほせ られたり。今の 僧 そう たちは珠数 じゆ ず もとらす。念仏 ねんぶつ など申

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(絵③) 念佛 十四  ものをは。ぐち  としたなどゝ申てさとり たがほにて居 ゐ る。しからば祖師 そし の八万遍 まんべん の十万遍 まんべん のと申給ひしは。わらふべきや。 途 みち 行 ゆく 道心者 どうしんじや 。尼 あま 長老 ちやうろう に念佛 ねんふつ となへて 通 とを るはすくなし。かなしき浄土宗 じやうどしう の行人 ぎやうにん なり。はぢたまへ  一嵯峨 さが 坊 ぼう 問 とふ ていはく。随分 すいふん をの  情 せい に入 いれ となへ候へども。真実 しんじつ も出がたく。又きつう

(19)

ありがたくも覚 おぼ え申さぬは。いかやうの咎 とか に て候や。和尚 おしやう のいはく。つね ゛ 申せばこそ 時々 より  なみだもこぼれるなり。 真 まこと があれば こそうたがはずにとなへるなり。 常 住 じやうぢう に なき  は申されまじき事なり。され共 今 いま 程 ほと 念仏 ねんぶつ 申のおほきことはなけれども。 みなしぶかきのことくなり。外 ほか はよほど後 ご 生 しやう に色付 いろつけ とも。内 うち はしぶし。あたりとなり 念佛 十五  嫁 よめ や子どもの前 まへ をはゞかりて。寺 てら 参 まいり をし 念仏 ねんぶつ は申せども。なましくてよき徃 生 人 わうじやうにん まれなり。後生 ごしやう は願 ねかひ 勝 かち なり。人の為 ため とは 思 おも ふべからす。地獄 ぢこ く にてかはりてくれる 人はなし。唯 佛 たゞほとけ ばかりなり。能 よく たのみて をき給へ。 病 びやう 氣 き 付 つき ての。又 また は年 とし よりての と申て。 俄 にはか に死 し ぬる時 とき は日暮 ひく れ にみちを 急 いそ き。 のかはく時に井戸 のど ゐど をほりては。

(20)

間 ま にあうまじ。用心 ようじん に國 くに ほろびずとも油 ゆ 断 だん はかたきともゆふ事あり。同年 とうねん の者 もの も 死 し に。 隣 となり の人 ひと も死 しゝ て跡 あと へはかへらす。生 うま れ る月日 きひ はとをくなる。死 し ぬる月日はちか くなる。さりとはあぶなき世中 よのなか なり。後 こう 悔 くはい 先 さき に立 たゝ ず。よく分別 ふんべつ あるべし。さてまた 信 しん の起 おこ らぬは。三 さん 悪道 あくどう へ帰 かへ るへき下地 した ぢ なり。 されば三條 でう の橋 はし にて。知 し らぬ人に ば あへ 念佛 十六  何 なに とも有まじ。縁 ゑん なきゆへにひとたびも見 し人にあはゞ行過 ゆきすぎ たり共なつかしき心地 こゝ ち もするなり。久 ひさ しく悪道 あくどう のすまひをなし。 初 はしめ て聞 きく ゆへに信 しん もおこらぬなり。 少 すこし にても 佛 ほとけ に縁 ゑん ある人は。なみだもこほし身 み の 毛 け も立 たち て悦 よろこ ぶなり。此人は徃 生 わうじやう もたの もしく候へ。念仏 ねんぶつ は砂 すな をかむやうに覚 おぼ ゆるは 三悪道 あくどう ちかし。 小 しやう 寒 かん の氷 こほり 大寒 かん に解 とく るは。春 はる

(21)

のちかきゆへなり。年 とし よりの信心 しん  起 おこ らぬは 地獄 ぢご く のちかく成 なる ゆへ也。されば道心者 とうしんじや の数珠 じゆ ず をくらぬと。年 とし よりの小哥 こう た 。祖母 はゝ の白粉 おしろい と 尼 あま のかね付 つけ ると。後家 ごけ の人あつめなとは合 がつ 点 てん のゆかぬものなり。をの  たしなみ給へ 一備後 びん こ 坊 ぼう 問 とふ ていはく。これより随分 すいぶん 信心 しん  に てとなへ申べく候へとも。念仏 ねんふつ を申せは。何 なに と してわれらが善人 ぜんにん とはなり申候や。和尚 念佛 十七  のいはく。信心 しん  強 つよ く唱 とな へ候へば。凡夫 ぼん ぶ の一心 いつしん が弥陀 みだ の一心 いつしん とひとつに成 なる ゆへに。如来 によらい の 功德 くど く がそのまゝ我等 われ ら か功德 くど く と移 うつ ること。此 入物 いれもの の水 みつ を外 ほか の入物 いれもの にうつすがことく。一 念 ねん  のこゑの下 した に悪 あく がきえて。功德 くと く が 移 うつ ると覚 おほ え給へ。青菜 あを な の虫 むし も我 われ に似 に よといへば。目 め 鼻 はな 足 あし 手 て が出来 いて き て似 じ 我 が 蜂 はち となる。 行 ぎやう 人 にん もそのごとく。南無あみた仏

(22)

(絵④) 念佛 十八  とは我 われ に似 に よといふことなり。やがてあみだ に似 に て佛 ほとけ と成 なり 給ふへし 一亀山 かめやま 坊 ぼう 問 とふ ていはく。さて  能 よく 合点 かつてん 仕 つかまつ り 有 あり がたく覚 おほ え申候。此 この 上 うへ はつね  臨終 りんじう  と心得 こゝろえ て申べく候や。和尚いはく。いかにも能 よき 心得 こゝろえ なり。臨終 りんじう とおもひ申ても死 し なずは 平生 へいぜい の念仏 ねんぶつ となり。平生 へいぜい とおもひ申ても 死 し なは臨終 りんじう の念仏 ねんぶつ となる。無常 むじやう 時 とき を

(23)

またす。 軍 いくさ をみて をはぎ。盗人 や ぬすひと をとらへて 縄 なは をなひ。まにあふまじき事なれば。随 すい 分 ふん 用心 よう じ したまへ 一白河 しらかは 坊 ほう 問 とふ ていはく。かやうに 承 うけたまはり 候ても。餘 よ の法 はふ の深 じん 妙 みやう を聞 きゝ 候へば心まよひ申候。餘 よ 法 はふ と念仏 ねんぶつ といかゞ心得 こゝろえ 申べきや。和尚の 云 いはく 。 華厳經 けごんぎやう 法華經 ほつけきやう などは。其 その 理 り 高 たか ければ 山のごとし。修 しゆ 行 ぎやう の足 あし たゝぬゆへに。いつれも 念佛 十九  はのぼりかたし。禅 せん 真言 しんごん は其 その 法 はふ ふかし。井 ゐ の もとのごとし。智恵 ちゑ の縄 なは みじかくして扱 くみ と りがたし。念仏 ねんぶつ は子 こ どもに菓子 くは し をあたふる かことし。餘 よ の法 はふ は小判 こばん のことし。をの  衆 しゆ 生 じやう は小児 せう に のごとくなれば。小 こ 判 ばん よりは口 くち に ちかき御念仏 ねんぶつ がよかるべし。これを使人 しに ん 欣慕 ごん ぼ の教門 けうもん とも。又自然 じね ん 悟 ご 道 どう の密 みつ 意 ゐ と 申なり

(24)

一黒谷 くろたに 坊 ほう 問 とふ ていはく。いよ  安心 あんじん おちつき 候へども。もし五重 こじ う 相傳 さうでん 仕らずはいかゞに候 や。和尚のいはく。それ  五重相傳とは。 念仏申候へばかならす徃 わう 生 じやう するといふこ となり。是は人 ひと によるなり。相傳 さうでん してう かべだてにて不 ふ 信心 しん  に成 なる もあり。人参 にんじん で人 ひと をころすごとく。又相傳 さうでん して信心 しん  つ よく成 なる もあり。人参 にんじん で病 やまひ がいゆるやうなる 念佛 二十  ものなり。 悲 かなし 哉 ひかな 近年 きんねん は。裏屋 うら や などに道 どう 場 じやう をかまへ。わづかの布施 ふせ 物 もつ をとりかすめ。 渡世 とせ い にするものなり。何 なに とも 宸 魔 ゑんま の廳 てう にてうらやの和尚 おしやう より。相傳 さうでん 仕 つかまつる と断 ことはる も いかゞならん。當来 とうらい 佛 ふつ 国 こく 徃 わう 生 じやう の手印 しゆいん を とるには。麁相 そさ う 成 なる 事どもなり。衣食 ゑじ き とも しくは。 教 をしへ のごとく托鉢 たくはつ をし。渡世 とせ い の出家 しゆつけ はいらぬものなり。 輕 心 きやうしん 輕法 きやうばふ とて。かろく

(25)

うけては何の法 はふ にてもやくにたつまじ。求 ぐ 法 はふ のためには身を捨 すつ るならひなり。わづか の行 ぎやう がなりがたくは。 佛 ほとけ には猶 なを 成がたかる べし。 行 ぎやう が成がたくは。唯 たゞ 平 ひら に念仏 ねんぶつ の数を 申給へ。但信 たんしん 称名 せうみやう 亦 やく 復 ぶ 如 によ 是 ぜ と仰られて。 色どりのなき白木 しら き 。そのまゝの念仏 ねんふつ がよ き事なり。大師 だい し も愚鈍 ぐど ん 念仏第一と 仰 おほせ られたぞ 念佛 二十一  一大坂坊問 とふ ていはく。聞にしたがひどれ  もよく合点 かつてん 仕候へとも。かごみゝにて 明 日 みやうにち ははやわすれ申候。くだんの御しめしのやう を。みじかく御書 かき くだされ候はゞ。より  誦 よみ て見申度 たく 候。和尚のいはく。さる方より もさやうのねがひありて。つゞりたる事 あり。此もんをうつして。かんきんにもふしを 付 つけ て成 なり ともとなへたまへ

(26)

静 しつか に此世 よ を観 くはん ずるに 無常 むじやう しばしの 間 あいた なり やがて捨 すて らる此身をば おもはざるこそふかくなれ 親疎 しん そ 同 おな じく去 さり 行 ゆけ ど我 身 わがみ の程 ほど を忘 わす れたり 人 ひと の命 いのち とゞまらず 山水 さんすい よりもなをはやし 若 わかき を樂 たのし む其 その うちに 老 おひ て悲 かなし む人もあり 生 うま れて喜 よろこ ぶ其跡 あと に死 しゝ て苦 くるし むものもあり 鳥 とり 部 べ 野 の 前後 ぜん ご の夕 煙 ゆふけふり 昨 きのふ もたな引 ひき 今 けふ もたつ 化 あた 野 しの 朝 てう 暮 ぼ の草 くさ の露 つゆ をくれ先 さき 立 だつ ためし有 念佛 二十二  人間界 にんげんかい のたのしみは 風 かせ の前 まへ なるともし火 び よ 終 つゐ に三途 さん づ にかへりなば 久 ひさ しき責 せめ をいかゞせん 釈尊 しやくそん 教 おしへ の多 おほ き中 なか 浄土 じやうど のすゝめ丁寧 ていねい 也 弥陀 みだ の御船 みふ ね の通 かよ ふ世 よ に生 うま れあふたるさいはゐよ 諸佛 しよぶつ の證據 しやうこ も此事よ 祖師 そし のすゝめもこゝに有 日夜 にち や に冥途 めい ど ちかくなる 旦 たん 暮 ぼ いつとかわきまへむ 我等 われ ら も人も同 おな じくは 頭燃 づね ん を払 はら ふがごとくして 教 をしへ の名号 みやうがう 唱 とな ふべし 乗 の りをくれてはかなふまじ

(27)

たゝたのめよろつの罪 つみ はふかくとも わか本 願 ぐはん のあらんかきりは 南無阿弥陀仏  正德三 癸 巳年五月霖雨時 上村四郎兵衞板行 念佛 二十三終  (白丁)

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参照

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