武
田
賢
壽
-法
華
信
仰
か
ら
浄
土
信
仰
ヘー
奈
良
時
代
に
お
け
る
太
子
信
仰
の
形
成
古 来 、 聖 徳 太 子 (以 下 太 子 ) に 関 す る 伝 記 の 最 も 古 い も の と し て 、 ﹁ 上 宮 記 ﹂ と 呼 ば れ る 伝 記 が 三 巻 存 し た と せ ら れ る が そ の 大 半 は 散 失 し て そ の 逸 文 の 一 部 が 、 ﹃釈 日 本 紀 ﹄ ﹃聖 徳 太 子 雑 勘 文 ﹄ に 散 見 せ ら れ る に す ぎ な い の で あ る 。 従 っ て 、 太 子 の 史 伝 と し て 信 頼 し う る 文 献 と し て は 、 天 武 天 皇 の 第 三 皇 子 舎 人 親 王 が 編 修 の 任 に 当 た ら れ て 、 養 老 四 年 (七 二 〇 ) に 完 成 し た と 伝 え ら れ る 、 ﹁日 本 書 紀 ﹂ ( 以 下 ﹃書 紀 ﹄ ) 、 お よ び 、 ﹁書 紀 ﹂ 以 前 ( 一 部 は そ れ 以 後 ) に 記 録 さ れ た と 見 ら れ る 、 ﹃上 宮 聖 徳 法 王 帝 説 ﹄ ( 以 下 ﹁帝 説 ﹂ ) と が 現 存 す る 最 も 古 い 重 要 な 文 献 で あ る と い っ て も よ い の で あ り 、 以 下 こ の 両 書 に よ っ て 太 子 信 仰 の 源 流 の 一 つ で あ る 、 太 子 と 浄 土 に つ い て 考 察 し た い と 思 う 。 奈 良 時 代 に お け る 太 子 信 仰 の 形 成 第 一 節 太 子 と 浄 土 さ て 、 太 子 と 浄 土 に 関 す る 両 書 の 記 録 の 中 で 特 に 注 意 せ し め ら れ る こ と は 、 両 書 と も 太 子 の 入 滅 に 関 連 し て 太 子 の 仏 教 学 の 師 で あ っ た 、 慧 慈 の 物 語 り を 伝 え て い る こ と で あ る 。 す な わ ち 、 推 古 天 皇 三 年 以 来 二 十 年 の 長 き に 渡 っ て 太 子 の 師 と し て 日 本 仏 教 の 基 礎 を き ず き 、 推 古 天 皇 廿 三 年 十 二 月 に 本 国 高 麗 に 帰 国 し 、 そ の 時 に 持 ち 帰 っ た 太 子 の ﹁御 製 疏 ﹂ を 本 国 の 人 々 に 流 布 し て い た 慧 慈 は 、 太 子 の 入 滅 を 知 っ て 悲 し み 慨 い た の で あ っ た 。 そ し て 、 太 子 と の 再 会 を 果 す た め に 、 太 子 の 命 日 に 死 し て 浄 土 に お い て 太 子 に 遇 い て 共 に 衆 生 を 化 せ ん こ と を 誓 願 し 、 明 る 年 の 二 月 二 十 二 日 ( ﹃書 紀 ﹄ は 二 月 五 日 と 記 す ) に 誓 い の 如 く 死 し た の で あ る 。 こ の こ と に つ い て 、 ﹃帝 説 ﹄ に は 、 慧 慈 法 師 資 二上 宮 御 製 疏 還 二帰 本 国 ﹁流 伝 之 間 壬 午 年 二 月 廿 日 夜 半 聖 王 亮 逝 也 。 慧 慈 法 師 聞 之 奉 二為 王 命 講 経 発 願 日 、 逢 二上 宮 聖 王 必 欲 一二 而 し て 、 こ の 慧 慈 法 師 が 太 子 と の 再 会 を 期 し た 浄 土 に つ い て 、 ﹃帝 説 ﹄ の 中 に 二 つ の 重 要 な 記 録 が 残 さ れ て い る こ と は 周 知 の 如 く で あ る 。 す な わ ち 、 一 つ は 法 隆 寺 の ﹃釈 迦 三 尊 銘 文 ﹄ で あ り 、 他 の 一 つ は ﹃天 寿 国 繍 帳 銘 文 ﹄ で あ る 。 ま ず 、 ﹃釈 迦 三 尊 銘 文 ﹄ を 見 る に 。 法 興 元 1 一 年 、 歳 次 辛 巳 十 二 月 、 鬼 前 大 后 崩 、 明 年 正 月 廿 二 日 、 上 宮 法 王 枕 病 、 弗 y念 二于 食 { 王 后 彷 以 労 疾 、 並 着 二於 床 { 時 王 后 王 子 等 、 及 与 一国 臣 ﹁ 深 懐 二愁 毒 ﹁ 共 相 発 願 、 仰 依 二 三 宝 ﹁ 当 ・造 二釈 像 尺 寸 王 身 ﹁ 蒙 一此 願 力 ﹁ 転 病 延 ・寿 、 安 二 住 世 間 { 若 是 定 業 以 背 世 者 、 往 登 二浄 土
早
昇
二妙
果
二
一月
廿
一
日
葵
酉
王
后
即
世
、
翌
日
法
皇
登
退
、
葵
未
年
三
月
中
、
如
願
敬
造
二釈
迦
尊
像
井
侠
侍
、
及
荘
厳
具
竟
。
乗
二斯
微
福
N
5
道
知
識
、
現
在 安 隠 出 y生 入 死 、 隋 二奉 三 主 0紹 二隆 三 宝 { 遂 共 二彼 岸 ﹁ 普 遍 二六 道 ﹃法 界 含 識 得 脱 二 苦 縁 ﹁ 同 趣 二菩 提 { 使 こ司 馬 鞍 首 止 利 仏 師 造 { と 記 さ れ て い る の で あ る 。 こ の ﹃銘 文 ﹄ は 本 来 、 十 四 字 十 四 行 に 楷 書 で 記 さ れ た 四 六 尉 健 体 の 造 像 記 で あ る が 、 文 中 に は 難 解 の 語 句 が 多 く 種 種 な 解 釈 が な さ れ て い る の で あ る 。 こ れ に つ い て は 、 四 天 王 寺 編 ﹃聖 徳 太 子 讃 仰 ﹄ に お い て 、 ヽ 堀 池 春 峰 氏 が 、 ﹁法 隆 寺 金 堂 釈 迦 三 尊 と 薬 師 如 来 の 光 背 銘 に つ い て ﹂ と 題 し て 詳 細 な 考 証 が 発 表 さ れ て い る の で そ れ に ゆ ず る こ と と し 、 今 は 堀 池 氏 の 論 文 に よ っ て 、 ﹃釈 迦 三 尊 銘 ﹄ の 大 意 を う か が う こ と と す る 。 法 興 三 十 一 年 (推 古 天 皇 二 十 九 年 ) 辛 巳 十 二 月 に 穴 太 部 間 人 皇 后 (聖 徳 太 子 の 母 ) が 逝 去 さ れ た 。 翌 年 の 正 月 二 十 二 日 聖 徳 太 子 は 病 床 に 臥 同 朋 学 園 佛 教 文 化 研 究 所 紀 要 第 十 号 所 y化 。 吾 慧 慈 来 年 二 月 廿 二 日 死 者 、 必 逢 二聖 王 ・面 二 奉 浄 土 0 逐 如 二其 言 ﹁到 二明 年 二 月 廿 二 日 一発 y病 命 終 也 。 と 記 さ れ て お り 、 ま た ﹃書 紀 ﹄ に よ れ ば 、 是 の 時 に 当 り て 、 高 麗 の 僧 慧 慈 、 上 宮 皇 太 子 亮 り ま し ぬ と 聞 き て 、 大 き に 悲 し ぶ 。 皇 太 子 の た め に 、 僧 を 請 せ て 設 斎 す 。 よ り て 親 か ら 経 を 説 く 日 に 誓 ひ て 日 は く 、 ﹁日 本 国 に 聖 人 有 す 。 上 宮 豊 聡 耳 皇 子 と 日 す 。 ま こ と に 天 に 縦 さ れ た り 。 玄 な 聖 の 徳 を 以 て 、 日 本 の 国 に 生 れ ま せ り 、 三 統 を 芭 み 貫 き て 、 先 聖 の 宏 猷 に っ ぎ 、 三 宝 を 恭 し み 敬 い て 、 黎 元 の 厄 を 救 う 。 是 れ 実 の 大 聖 な り 、 今 太 子 既 に 苑 り ま し ぬ 。 我 れ 国 異 な り と 雖 も 、 心 断 金 に 在 り 。 そ れ 独 り 生 く と も 、 何 の 益 か あ ら ん 。 我 来 年 の 二 月 の 五 日 に 以 て 必 ず 死 ら ん 。 因 り て 上 宮 太 子 に 浄 土 に て 遇 ひ て 共 に 衆 生 を 化 さ ん 。﹂ と い ふ 。 是 に 慧 慈 、 期 り し 日 に 当 り て 死 る 。 是 を 以 て 時 の 人 の 彼 も 此 れ も 共 に 言 は く 。 ﹁其 れ 独 り 上 宮 の 聖 に ま し ま す の み に 非 ず 、 慧 慈 も 聖 な り け り 。﹂ と い ふ 。 と 記 さ れ て い る の で あ る 。 思 う に 、 両 書 が こ の 物 語 り を 太 子 の 入 滅 に 関 連 し て 述 べ て い る 真 意 は 、 太 子 こ そ 日 本 に 生 れ ら れ た 三 宝 興 隆 の 大 聖 で あ り 、 そ れ 故 に 太 子 の 入 滅 は 単 な る 肉 体 の 滅 で は な く て 、 仏 の 浄 土 へ の 往 生 で あ っ た こ と を 物 語 る も の で あ り 、 後 世 浄 土 教 が 盛 ん に な る に お よ ん で 、 太 子 を 浄 土 往 生 者 と 信 ず る と 共 に 、 西 方 浄 土 の 観 音 の 化 身 と し て 信 仰 す る 、 い わ ゆ る 太 子 観 音 化 身 説 を 形 成 す る に 至 る 源 流 を 示 す も の と い っ て も よ い で あ ろ う 。せ ら れ 、 看 病 で 疲 れ ら れ た 妃 の 膳 菩 岐 岐 美 郎 女 も 病 床 に つ か れ た 。 こ の と き 妃 の 蘇 我 刀 自 古 郎 女 ( 又 は 位 奈 郡 橘 王 ) や 山 背 大 兄 王 た ち 、 さ ら に 蘇 我 馬 子 ら の 諸 臣 は 深 い 悲 み に し ず み 、 相 共 に 発 願 さ れ て 云 う に 、 仏 法 に 帰 依 し 、 太 子 等 身 の 釈 迦 像 を 造 り 、 こ の 誓 願 の 力 に よ っ て 、 太 子 ・ 皇 妃 の 病 を な お し 長 寿 を 保 た れ ん こ と を 。 も し 遁 れ 難 い 業 報 で 此 世 を 去 ら な け れ ば な ら な い な ら ば 、 浄 土 に 往 生 し て 、 早 く 仏 果 を 証 得 せ ら れ ん こ と を 。 し か し 二 月 二 十 一 日 に は 膳 の 皇 妃 は 死 去 さ れ 、 そ の 翌 日 太 子 も 逝 去 さ れ た 。 葵 未 の 年 (推 古 天 皇 三 十 一 年 ) 三 月 中 に 、 誓 願 の 通 り 釈 迦 三 尊 像 を 造 り 、 さ ら に 荘 厳 も 悉 く 終 っ た 。 こ の か す か な 善 行 に よ っ て 、 仏 法 を 信 仰 す る 人 々 は 、 現 世 に お い て は や す ら か に 、 死 後 に あ っ て は 同 人 皇 后 ・ 太 子 及 び 膳 妃 の 三 主 に 随 っ て 、 仏 法 を 盛 ん に し 、 遂 に は 彼 岸 に 達 し 、 ま た 六 道 の 迷 界 に 満 ち 、 世 界 に 生 棲 す る 生 き と し 生 け る も の も 、 諸 の 苦 し み を 脱 れ て 、 等 し く 覚 り の 境 地 に 達 す る こ と が 出 来 る こ と を お 願 い す る 。 こ の 三 尊 仏 像 は 司 馬 鞍 首 止 利 仏 師 を し て 造 ら し め た 。 思 う に 、 古 来 法 隆 寺 の 建 立 並 び に 釈 迦 三 尊 の 造 像 に つ い て は 種 々 異 説 が あ り 容 易 に 決 定 し が た い の で あ る が 、 こ の ﹃銘 文 ﹄ の 内 容 お よ び 、 推 古 天 皇 三 十 一 年 の 刻 入 に つ い て は 、 そ の ま ま 信 じ て 。よ い と せ ら れ る の が 一 般 の 定 説 で あ り 、 従 っ て 、 太 子 の 入 滅 当 時 に お い て す で に 浄 土 往 生 思 想 が あ っ た こ と は 否 定 し 得 な い も の と い っ て も よ い で あ ろ う 。 し か し な が ら 、 こ の ﹃妙 文 ﹄ に よ っ て は 太 子 の 往 生 せ ら れ た 浄 土 が 如 奈 良 時 代 に お け る 太 子 信 仰 の 形 成 何 な る 浄 土 で あ っ た か に つ い て は 明 ら か で な く 、 ま た 、 こ れ 等 の 記 録 に 残 さ れ て い る 浄 土 往 生 思 想 が そ の ま ま 太 子 自 身 の 往 生 思 想 を 示 す も の で あ っ た か ど う か に つ い て も 疑 問 が 残 る の で あ り 、 こ れ 等 の こ と に つ い て 、 次 ぎ の ﹃天 寿 国 繍 張 妙 文 ﹄ に よ っ て 考 察 す る こ と と し た い 。 次 に 、 ﹃天 寿 国 繍 張 銘 文 ﹄ を 見 る に 、 ﹁⋮ 娶 二尾 治 大 王 之 女 、 名 多 至 波 奈 大 女 郎 為 ・ 后 。 歳 在 二辛 巳 十 二 月 廿 一 日 葵 酉 日 入 、 孔 部 間 人 母 王 崩 。 明 年 二 月 廿 二 日 甲 戌 夜 半 、 太 子 崩 。 于 時 、 多 至 波 奈 大 女 郎 悲 哀 嘆 息 、 白 畏 二天 皇 前 日 、 啓 之 雖 二 張 0 画 者 、 東 漢 末 賢 、 高 麗 加 西 溢 、 又 漢 奴 加 己 利 。 令 者 椋 部 秦 久 麻 。 右 在 二法 隆 寺 蔵 ・繍 帳 二 張 縫 着 亀 背 上 文 字 者 也 ﹂ と 記 さ れ て い る の で あ る 。 こ の 銘 文 は 、 周 知 の 如 く 、 ﹃天 寿 国 曼 陀 羅 ﹄ の 繍 帳 に 縫 い つ け た 亀 の 甲 に 一 つ に 四 字 づ つ 、 百 箇 、 計 四 百 字 の 銘 文 で あ り 、 そ れ が 幸 い に も 、 ﹃法 王 帝 説 ﹄ に 記 録 さ れ て 残 さ れ た も の に 他 な ら な い 。 さ て 、 こ の 銘 文 に よ れ ば 、 太 子 は 常 に 、 ﹁世 間 虚 仮 、 唯 仏 是 真 。﹂ と 告 げ て お ら れ た か ら 、 こ の 法 の 意 味 を 玩 味 す る と 、 太 子 は 、 ﹁天 寿 国 ﹂ の 三 恐 、 懐 心 難 止 。 使 y 我 大 王 与 二母 王 如 期 従 遊 。 痛 酷 元 y比 我 大 王 所 ? ( 夕 χ S i χ l i S l ル ・一 ヲ ヘ ラ タ タ マ フ ペ シ レ χ X χ 一一 告 、 世 間 虚 仮 、 唯 仏 是 真 。 玩 二味 其 法 ﹁謂 我 大 王 応 生 二於 天 寿 国 之 中 0 而 彼 国 之 形 眼 所 ・匝 ・看 。 希 因 二図 像 一欲 観 二 大 王 往 生 之 状 べ天 皇 聞 之 、 悽 然 告 日 、 有 二 我 子 { 所 啓 誠 以 為 然 。 勅 二諸 采 女 等 造 二 繍 帷
同 朋 学 園 佛 教 文 化 研 究 所 紀 要 第 十 号 中 へ 往 生 せ ら れ た と 信 ず る こ と が 出 来 る と い う の で あ る 。 古 来 、 こ こ に 記 さ れ て あ る 、 太 子 の 往 生 せ ら れ た 、 ﹁天 寿 国 ﹂ に つ い て は 種 々 の 異 説 が 存 す る の で あ る 。 則 ち 、 稲 葉 円 成 著 ﹃聖 徳 太 子 ﹄ に よ れ ば 、 0 弥 陀 浄 土 説 (前 田 慧 雲 、 平 子 鐸 嶺 、 竟 野 黄 洋 ) ㈹ 弥 勒 兜 率 天 説 (辻 善 之 助 、 松 本 文 三 郎 ) 匂 釈 迦 霊 山 浄 土 説 (大 屋 徳 成 ) 匈 一 般 的 浄 土 説 (山 田 文 昭 、 橋 川 正 ) の 四 説 を 挙 げ て お ら れ の で あ る 。 そ し て 、 先 生 自 身 は 第 四 説 を 支 持 し て 、 そ の 理 由 と し て 、 印 当 時 の 仏 像 相 好 が 判 然 と し た 区 別 を 持 っ て い な か っ た こ と 。 ㈲ 法 隆 寺 の 壁 は 四 方 に 四 仏 を 現 わ す が 、 西 方 弥 陀 浄 土 だ け は 明 ら か で あ る が 、 他 は 何 れ の 浄 土 か 明 ら か で な い こ と 、 ㈲ 太 子 の 仏 教 は 宗 派 を 越 え た 仏 教 で あ り 、 従 っ て 特 定 の 、 ﹁仏 ﹂ ﹁浄 土 ﹂ を 限 定 す る こ と 無 理 で あ る こ と 、 等 を 指 摘 し て お ち れ る の で あ る 。 こ れ に 対 し て 、 常 盤 大 定 先 生 は 、 第 三 十 六 回 史 学 会 大 会 三 井 家 什 物 展 覧 会 に 出 品 さ れ た 、 北 魏 延 昌 二 年 ( 五 一 三 ) 筆 写 の ﹃華 厳 経 ﹄ 巻 第 四 十 六 巻 、 開 皇 三 年 の 奥 書 に 、 大 隋 開 皇 三 年 歳 在 葵 卯 五 月 十 五 日 、 武 侯 帥 都 督 前 治 会 禾 県 令 紹 演 、因 遭 二母 喪 ﹁ 亭 私 治 服 、 発 願 読 二華 厳 経 一 部 ⋮ ⋮ 仁 王 経 ﹁⋮ ⋮ 又 願 7 亡 父 母 、 託 生 西 方 天 寿 国 、 常 聞 二正 法 一己 身 福 慶 従 心 、 遇 二善 知 識 ﹁ 家 春 大 小 康 体 、 一 切 含 生 、 普 蒙 中 斯 願 7. 四 と 書 か れ て い る 文 に よ っ て 、 天 寿 国 は 西 方 浄 土 を 示 す も の で あ り 、 従 っ て 、 ﹃天 寿 国 繍 張 ﹄ に 記 さ れ て い る 、 天 寿 国 は 弥 陀 の 浄 土 で あ る と 決 論 し て お ら れ る の で あ る 。 さ ら に 、 こ れ を た し か め る た め に 先 生 は 、 六 世 紀 の 中 国 の 造 像 銘 を 調 べ て 、 明 白 に 往 生 信 仰 の 表 わ れ て い る も の 五 十 六 個 を 選 び 、 そ れ を 分 類 し て 、 西 方 往 生 は 約 二 十 七 個 、 上 天 信 仰 は 約 十 五 個 、 西 方 と 生 天 と の 融 合 せ る も の 六 個 又 は 八 個 あ る こ と を 指 摘 せ ら れ 、 そ の 中 で 先 の 開 皇 三 年 の 奥 書 と 。 そ の 文 句 、 内 容 の 一 致 す る も の が 二 個 あ る こ と を 突 き 止 め ら れ 、 西 方 天 寿 国 を 以 て 、 西 方 妙 楽 国 土 、 す な わ ち 阿 弥 陀 の 極 楽 浄 土 で あ る こ と を 証 明 せ ら れ て い る の で あ る 。 ま た 、 家 永 三 郎 先 生 も 、 ﹃上 代 仏 教 思 想 史 ﹄ に お い て 、 ﹁聖 徳 太 子 の 浄 心 一﹂ を 論 ず る 中 に お い て 、 常 盤 先 生 の 指 摘 せ ら れ た 、 ﹃華 厳 経 ﹄ 巻 四 十 六 開 皇 三 年 の 奥 書 、 ﹃願 亡 父 母 託 生 西 方 天 寿 国 ﹄ に 注 目 せ ら れ 、 橘 妃 の 天 寿 国 が 西 方 浄 土 を 意 味 す る 可 能 性 の 大 な る こ と を 示 唆 し て お ら れ る の で あ る 。 そ し て 、 家 永 先 生 は 、 梁 慧 咬 撰 高 僧 伝 、 唐 道 宣 撰 続 高 僧 伝 、 梁 宝 亮 撰 名 僧 伝 逸 文 、 唐 恵 詳 撰 弘 賛 法 華 伝 、 唐 僧 詳 撰 法 華 伝 記 、 迦 才 浄 土 論 、 往 生 西 方 浄 土 瑞 応 伝 の 七 書 に 正 伝 を 立 て ら れ た 人 物 の 中 か ら 、 両 晋 南 北 朝 代 の 西 方 願 生 者 と 弥 勅 願 生 者 を 撰 出 し 比 較 せ ら れ た 結 果 、 西 方 願 生 者 が 二 十 七 に 対 し て 、 弥 勒 願 生 者 が 十 四 に 過 ぎ な い こ と か ら 推 し て も 、 両 晋 南 北 朝 の 影 響 の 強 か っ た 推 古 朝 の 仏 教 に 西 方 浄 土 思 想 が 受 容 せ ら れ て い た こ と が 推 知 さ れ る の で あ り 、 従 っ て 、 太 子 が 信 仰 せ ら れ た 浄 土 が 、 西 方 阿 弥 陀 浄 土 で あ っ た と 見 る こ と は 可 能 で あ る と し て お ら れ る の で あ る 。
そ れ は 此 の 世 に 浄 土 を 建 立 す る こ と で あ っ た と い っ て も 過 言 で は な い 。 然 し な が ら 、 真 に 具 体 的 和 は 、 本 来 的 に 我 執 を 持 っ た 人 間 が 、 ﹁共 に 是 れ 凡 夫 ﹂、 と 云 う 自 覚 に お い て 、 嫉 し み や 瞑 り を 去 っ て 自 己 の 本 心 に 帰 る た め の 、 我 な き 宗 教 性 に ま で 深 め ら れ る 時 始 め て 達 成 せ ら れ る も の で あ る 。 従 っ て 、 太 子 に と っ て は 、 ﹁世 間 虚 仮 、 唯 仏 是 真 ﹂、 の 自 覚 こ そ 和 国 建 設 の 必 須 条 件 で あ っ た と 云 っ て も よ い の で あ り 、 太 子 が 、 ﹃十 七 条 憲 法 ﹄ に お い て 和 国 建 設 の た め に 特 に ﹁篤 敬 三 宝 ﹂ を 規 定 し 、 そ れ を 結 ん で 、 ﹁其 れ 三 宝 に 帰 り ま つ ら ず ぱ 、 何 を 以 て 柾 れ る を 直 さ ん 。﹂ と 述 べ ら れ た 所 以 も 正 し く こ こ に 存 し た と い っ て も よ い の で あ る 。 こ の こ と に 関 し て 、 家 永 三 郎 博 士 は そ の 著 、 ﹃日 本 思 想 史 に お け る 否 定 の 論 理 の 発 達 ﹄ に お い て 、 橘 夫 人 に よ っ て 伝 え ら れ た 、 ﹁世 間 虚 仮 、 唯 仏 是 真 ﹂、 の 有 名 な る 御 遊 言 は 太 子 の 仏 教 の 極 致 を 最 も 簡 明 に 表 現 し た も の で あ る が 、 ﹁世 間 虚 仮 ﹂、 の I 語 こ そ 肯 定 よ り 有 し な か っ た 太 古 日 本 思 想 の 夢 に も 思 惟 す る こ と の 出 来 な か っ た 観 念 だ っ た の で あ る 。 と 述 べ て お ち れ る 如 く 、 太 子 に お け る 仏 教 受 容 の 第 一 義 は 、 世 間 及 び 人 間 性 の 否 定 で あ っ た と 云 っ て も よ い の で あ り 、 こ の 意 味 に お い て 太 子 は 、 猿 土 と し て の 世 間 を 否 定 し て 、 浄 土 と し て の 仏 国 を 憧 憬 せ ら れ て い た と い っ て も よ い の で あ る 。 然 し た が ち 、 太 子 が 受 容 せ ら れ た 仏 教 は 、 ﹁ 一 因 一 果 ﹂、 ﹁万 善 同 帰 ﹂、 の 一 大 乗 仏 教 で あ っ た の で あ り 、 そ れ は 愛 欲 に 溺 れ て 生 死 に 執 す る 凡 夫 五 こ の よ う な 、 西 方 浄 土 説 に 対 し て 、 井 上 光 貞 先 生 は 、 ﹃日 本 浄 土 教 成 立 史 の 研 究 ﹄ (新 訂 版 ) に お い て 、 我 が 国 の 浄 土 教 の 流 入 に つ い て 、 大 化 以 前 の 仏 像 、 ま た は 造 像 記 事 、 及 び 写 経 の 眼 語 、 金 石 文 等 に よ っ て 、 一 、 大 化 以 前 の 我 が 国 の 信 仰 は 、 釈 迦 、 弥 勒 の 信 仰 が 中 心 で あ り 、 阿 弥 陀 信 仰 は 極 く 一 部 に 過 ぎ な か っ た こ と 。 二 、 大 化 以 後 は 次 第 に 、 観 音 及 び 阿 弥 陀 信 仰 が 盛 ん に な っ た け れ ど も 、 奈 良 時 代 前 半 ま で は 阿 弥 陀 浄 土 と 弥 勒 浄 土 の 末 分 の 状 態 が 多 く 見 ら れ 、 そ れ は 中 国 の 北 魏 、 北 斉 、 北 周 の 流 れ を 汲 む も の で あ る こ と 。 を 論 証 せ ら れ 、 そ れ を 結 ん で 上 記 の 大 勢 か ら 判 断 す る こ と を 許 さ れ る と す れ ば 、 望 月 信 享 博 士 の 梢 々 独 自 の 解 釈 、 即 ち 兜 率 上 生 と 西 方 往 生 と が 未 だ 混 同 さ れ て い る 思 想 を 背 景 と し た る 西 方 浄 土 と す る 説 が 甚 だ 有 力 の よ う に 思 わ れ る 。 と 述 べ て お ら れ る の で あ る 。 則 ち 、 望 月 先 生 に よ れ ば 、 ﹁天 寿 国 ﹂ は 後 世 の 如 く 純 化 し た 意 味 に お け る 、 阿 弥 陀 浄 土 で は な く て 、 阿 弥 陀 往 生 と 兜 率 天 上 生 と が 未 分 化 で あ る 思 想 を 持 つ 浄 土 と 云 っ て も よ い の で あ り 、 そ れ が 、 ﹁天 寿 国 ﹂ の 、 ﹁天 ﹂ の 字 の 冠 せ ら れ た 理 由 で あ る と 見 て お ら れ る の で あ る 。 而 し て 、 こ の 見 解 は 初 め に 列 記 し た 第 四 の 一 般 的 浄 土 説 に 比 し て 極 め て 具 体 的 で あ り 、 ま た 、 ﹁天 寿 国 ﹂ の 意 味 内 容 を 最 も よ く 示 す 説 と し て 尊 重 す べ き 説 で あ る と い っ て も よ い で あ ろ う 。 次 に 、 こ の よ う な 、 ﹁天 寿 国 ﹂ へ の 往 生 思 想 は 、 こ の ﹃繍 帳 銘 文 ﹄ に 記 さ れ る 如 く 太 子 自 身 の 往 生 思 想 で あ っ た と い っ て も よ い で あ ろ う か 、 思 う に 、 国 家 の 摂 政 と し て の 太 子 の 理 想 は 、 和 国 建 設 と い う こ と で あ り 。 奈 良 時 代 に お け る 太 子 信 仰 の 形 成
六 こ れ に つ い て 、 金 子 大 栄 先 生 は 、 ﹃日 本 仏 教 史 観 ﹄ に お い て 、 世 間 虚 仮 唯 仏 是 真 の 御 持 言 は 、 単 に そ の 言 葉 の み か ら は 、 如 何 に も 太 子 の 願 生 心 を 説 明 し 得 ぬ よ う で あ る 。 そ れ は 一 般 大 乗 教 の 世 界 観 で あ り 、 太 子 は そ の 覚 証 の 上 に 、 大 悲 摂 化 の 菩 薩 行 を 行 じ 給 い し も の と 思 わ る る か ら で あ る 。 さ れ ば 天 寿 国 の 往 生 と い う が ご と き は 太 子 の 信 仰 で は な く 、 或 い は 王 妃 の 所 懐 に 止 る も の で は な い で あ ろ う か 。 と 述 べ 、 さ ら に そ れ を 追 究 し て 、 我 等 は 寧 ろ 太 子 に は 、 高 遠 な 御 理 想 と 共 に 、 共 に 是 れ 凡 夫 の み と い う 現 実 意 識 の 特 に 在 せ し こ と を 思 わ ざ る を 得 ぬ も の で あ る 、 ﹃勝 鬘 経 義 疏 ﹄ に お け る 自 分 ・ 他 分 の 説 も こ れ に 依 り て 一 層 適 切 の も の と な る で あ ろ う 。 ( 中 略 ) 我 等 は そ の 間 に 処 し 給 ひ し 太 子 を 思 う て は 、 そ の 浄 仏 国 土 の 菩 提 心 を 仰 ぐ と 共 に 、 ま た 凡 夫 意 識 に お い て 往 生 浄 土 を 願 わ れ し こ と を 想 わ ざ る を 得 な い 。 さ れ ば 世 間 虚 仮 唯 仏 是 真 の 御 持 言 は 、 王 妃 の 理 解 せ ら れ し 如 き 内 容 を も つ も の で あ っ た 。 さ れ ば こ そ 一 身 同 体 に て 在 せ し 王 妃 の 所 懐 と な っ た も の で あ ろ う 。 随 っ て 天 寿 国 往 生 と い う こ と も 、 屡 々 太 子 の 御 口 か ら も れ た こ と に 違 い な い 。 そ れ 故 に 太 子 は 一 方 に 於 て は 空 無 相 の 菩 薩 行 を 念 じ な が ら も 、 一 方 に は 衆 生 と 共 に 浄 土 を 願 生 せ ら れ し も の と す る こ と は 何 等 の 矛 盾 も な い 。 そ れ は 浄 土 願 生 者 の 伝 統 的 な 態 度 で あ る の み な ら ず 、 太 子 に あ り て は 特 に 自 然 ( 13 ) の 御 心 境 で あ っ た の で あ る 。 と 述 べ て お ら れ る の は 、 太 子 の 浄 土 往 生 思 想 を 最 も 深 い 立 場 に お い て 領 同 朋 学 園 佛 教 文 化 研 究 所 紀 要 第 十 号 と 、 一 向 ら に 生 死 を 否 定 し て 涅 槃 に 執 す る 二 乗 と を 共 に 方 便 摂 化 し て 。 唯 一 究 竟 の 一 仏 乗 に 帰 入 せ し め る 所 の 仏 教 で あ っ た 、 従 っ て 、 太 子 の 一 大 乗 仏 教 に お い て は 、 煩 悩 即 菩 提 、 槻 土 即 浄 土 と 云 う 大 肯 定 に 立 っ て 、 槻 土 と 浄 土 の 一 如 を 行 証 す る こ と を 本 旨 と す る も の に 外 な ら な か っ た の で あ る 。 こ れ に 対 し て 、 ﹃天 寿 国 繍 張 銘 文 ﹄ 及 び ﹃釈 迦 三 尊 銘 文 ﹄ に 見 ら れ る 。 ﹁天 寿 国 ﹂ 及 び ﹁浄 土 ﹂ の 信 仰 は 、 現 世 肯 定 の 立 場 に 立 っ て 、 太 子 の 二 世 安 楽 を 願 う 所 の ﹁浄 土 ﹂ で あ っ た の で あ り 。 そ の よ う な ﹁浄 土 ﹂ は 太 子 の 思 考 せ ら れ た 浄 土 と は 全 く 内 容 を 異 に す る も の で あ っ た と い っ て も よ い で あ ろ う 。 思 う に 、 太 子 に と っ て 浄 土 と は 、 単 な る 被 岸 の 世 界 で は な く 、 虚 仮 な る 此 岸 を 内 に 包 み つ つ 此 岸 を 越 え る 世 界 で あ っ た と い っ て も よ く 、 そ の よ う な 浄 土 に 住 す る こ と が 出 来 る の は 、 太 子 に よ れ ば 八 地 以 上 の 菩 薩 で あ り 、 七 地 以 還 の 菩 薩 は 、 常 住 真 実 へ の 帰 依 に よ っ て 感 知 せ し め ら れ る 世 界 で あ っ た の で あ る 。 い う ま で も な く 、 太 子 は 勝 鬘 夫 人 を 七 地 の 菩 薩 と 見 な し 、 そ の 勝 鬘 夫 人 を 理 想 と し て 、 和 国 建 設 の た め に 、 ﹁帰 依 行 善 ﹂ の 菩 薩 行 を 行 ぜ ら れ た の で あ る が 、 七 地 の 菩 薩 に と っ て 浄 土 は 正 し く 永 遠 の 理 想 で あ っ た と 云 っ て も よ い の で あ る 。 こ の よ う な 意 味 に お い て 、 太 子 が 王 妃 に 告 げ ら れ た 、 ﹁世 間 虚 仮 、 唯 仏 是 真 ﹂ の 言 葉 は 、 そ の 内 容 を 異 に し て い た け れ ど も 、 太 子 自 身 の 、 真 実 な る 浄 土 へ の 往 生 を 願 求 せ ら れ た 言 葉 と し て 、 素 直 お に 受 け と っ て も よ い の で は な か ろ う か 。
註 ﹃聖 徳 太 子 全 集 ﹄ 第 三 巻 ﹁太 子 伝 ﹂ 上 (竜 吟 社 ) 岩 波 ﹃ 日 本 古 典 文 学 大 系 ﹄ ﹁日 本 書 紀 ﹂ 下 註 ① 同 ﹁聖 徳 太 子 讃 仰 ﹂ (四 天 王 寺 編 ) 註 ① 同 稲 葉 円 成 著 ﹁聖 徳 太 子 ﹂ 常 盤 大 定 著 ﹁支 那 仏 教 史 の 研 究 ﹂ 一 家 永 三 郎 著 ﹁ 上 代 仏 教 思 想 史 ﹂ 井 上 光 貞 著 ﹁ 新 訂 日 本 浄 土 教 成 立 史 の 研 究 ﹂ 家 永 三 郎 著 ﹁ 日 本 思 想 史 に お け る 否 定 の 論 理 の 発 達 ﹂ 金 子 大 栄 著 ﹃ 日 本 仏 教 史 観 ﹄ 右 同 解 、 開 顕 さ れ た も の と い っ て も よ い で あ ろ う 。 華 経 ﹄ 第 二 十 五 品 の 観 音 信 仰 と 融 合 せ し め ら れ て 、 太 子 の 観 音 化 身 説 を 生 ず る に 至 っ た の で あ り 、 以 下 少 し く 奈 良 時 代 の 、 ﹃法 華 経 ﹄ の 受 容 と 観 音 信 仰 の 形 成 に つ い て 考 察 す る こ と と し た い 。 思 う に 、 奈 良 時 代 は 中 国 成 立 の 諸 宗 派 の 移 入 時 代 で あ っ た が 。 法 華 宗 と し て の 天 台 宗 は 輸 入 せ ら れ る こ と は な か っ た の で あ り 、 奈 良 時 代 に お い て は 、 ﹃法 華 経 ﹄ は 宗 派 と は 関 係 な く 特 別 な 意 味 を 持 っ て い た と い っ て も よ い の で あ る 。 則 ち 、 ﹃続 日 本 紀 ﹄ 巻 十 一 の 、 天 平 六 年 (七 三 四 ) 十 一 月 二 十 一 日 の 条 に 、 太 政 官 の 奏 文 が 出 て い る の で あ る が 、 そ れ に よ れ ば 、 ﹁自 y今 以 後 不 ・論 こ道 俗 { 所 挙 度 人 、 唯 取 7 闇 二誦 法 華 経 一 部 、 或 最 勝 王 経 一 部 { 兼 解 一礼 仏 ・浄 行 三 年 以 上 者 い令 二得 度 ご と 記 さ れ て い る の で あ り 、 奈 良 時 代 に お い て は 、 ﹃法 華 経 ﹄ は 得 度 者 の 必 須 闇 誦 経 典 と 定 め ら れ 、 ﹃金 光 明 最 勝 王 経 ﹄ 及 び 、 ﹃仁 王 経 ﹄ と 共 に 、 護 国 の 三 部 経 典 と し て 、 道 俗 に 尊 重 さ れ て い た の で あ る 。 さ ら に 、 天 平 十 三 年 に 国 分 寺 の 制 度 が 設 け ら れ る に 当 っ て 、 国 分 僧 寺 に お い て は 、 ﹃最 勝 王 経 ﹄ と ﹃仁 王 経 ﹄ と を 読 誦 せ し め ら れ 、 国 分 尼 寺 に お い て は 、 法 華 滅 罪 の 寺 と し て 、 ﹃法 華 経 ﹄ を 読 誦 せ し め ら れ た の で あ り 、 こ れ 等 の 史 実 に よ っ て 知 ら れ る 如 く 、 奈 良 時 代 に お い て は 、 ﹃法 華 経 ﹄ は 、 国 家 的 立 場 に お い て 、 道 俗 を 問 わ ず 尊 重 流 布 さ れ て い た の で あ る 。 こ の よ う な 状 勢 に 基 い て 、 奈 良 六 宗 の 請 寺 に お い て は 、 ﹃法 華 経 ﹄ の 研 究 が 盛 ん 行 わ れ 、 ﹃法 華 経 ﹄ は 羅 什 訳 の ﹃妙 法 蓮 華 経 ﹄ 八 巻 を 初 め と し 七 一 一 頁 二 〇 四 頁 一 四 頁 三 一 〇 頁 一 五 頁 二 〇 一 頁 二 〇 一 頁 三 五 頁 一 三 頁 二 三 頁 一 六 二 頁 一 六 三 頁 奈 良 時 代 中 期 以 後 に お け る 太 子 信 仰 の 特 質 を な す も の は 、 太 子 の 南 岳 慧 後 身 説 で あ っ た と 云 っ て も よ く 、 南 岳 後 身 説 に よ っ て 太 子 は 、 我 が 国 に お け る 、 ﹃法 華 経 ﹄ 流 布 の 第 一 人 者 と し て 信 仰 せ ら れ る 至 っ た の で あ る 。 そ し て 、 こ の よ う な 太 子 信 仰 と 法 華 信 仰 の 融 合 は 、 必 然 的 に 、 ﹃法 奈 良 時 代 に お け る 太 子 信 仰 の 形 成 第 二 節 奈 良 時 代 に お け る ﹃法 華 経 ﹄ 及 び ﹃無 量 寿 経 ﹄ の 受 容 と 観 音 信 仰 の 形 成 ⑩ ⑩ ⑩ ⑨ ⑧ ⑦ ⑥ ⑤ ④ ③ ② ①
同 朋 学 園 佛 教 文 化 研 究 所 紀 要 第 十 号 て 、 笠 法 護 訳 の ﹃正 法 華 経 ﹄ 十 巻 、 及 び 、 闇 那 堀 多 訳 の ﹃添 品 法 華 経 ﹄ 七 巻 も 伝 わ っ て お り 、 特 に 羅 什 訳 は 、 太 子 の 依 ら れ た 、 二 十 七 品 経 に 対 し て 、 ﹁提 婆 品 ﹂ を 加 え た 、 二 十 八 品 経 が 伝 え ら れ て い た こ と は 注 意 す べ き こ と で あ る 。 ( 3 ) さ ら に 、 石 田 茂 作 先 生 の ﹁写 経 よ り 見 た る 奈 良 朝 仏 教 の 研 究 ﹂ に よ れ ば 、 ﹁法 華 経 ﹂ の 註 釈 書 と し て 、 法 華 経 疏 法 雲 撰 八 巻 法 華 玄 義 智 頭 撰 十 巻 法 華 文 句 智 顎 撰 十 巻 法 華 玄 論 吉 蔵 撰 十 巻 法 華 疏 略 吉 蔵 撰 六 巻 法 華 経 玄 讃 摂 釈 智 周 撰 四 巻 法 華 略 述 元 暁 撰 一 巻 法 華 要 略 元 暁 撰 一 巻 法 華 経 義 疏 上 宮 王 撰 四 巻 等 、 五 十 余 種 類 の 註 釈 書 が 奈 良 時 代 に 伝 え ら れ て い た こ と が 知 ら れ る の で あ り 、 こ れ に よ っ て も 奈 良 時 代 に お け る 、 ﹃法 華 経 ﹄ の 研 究 と そ の 信 仰 が 如 何 に 盛 ん で あ っ た か が 窺 わ れ る の で あ る 。 然 し な が ら 。 石 田 先 生 も 指 摘 し て お ら れ る 如 く 、 奈 良 時 代 の 法 華 経 研 究 の 特 色 は 、 各 宗 に お い て そ れ ぞ れ 独 自 の 論 書 に 基 い て 独 自 の 立 場 に お い て 行 な わ れ て い た と 見 ら れ る こ と で あ る 。 則 ち 。 三 論 宗 に お い て は 主 八 と し て 吉 蔵 の 疏 を 中 心 と し て 研 究 せ ら れ 。 ま た 、 法 相 宗 に お い て は 、 窺 基 の 、 ﹃法 華 玄 論 ﹄ 及 び 知 周 の 、 ﹃法 華 摂 釈 ﹄ 等 に 依 っ て い た と 見 る こ と が 出 来 る の で あ る 。 従 っ て 、 こ れ 等 の 宗 に お け る 法 華 経 研 究 は 最 終 的 に は 自 宗 の 思 想 を 明 ら め る こ と を 目 的 と し て 行 な わ れ た も の と い っ て も よ い の で あ る 。 こ れ に 対 し て 、 華 厳 宗 は 前 の 二 宗 に 比 し て そ の 成 立 も お そ く 、 我 が 国 に 華 厳 宗 を 伝 え た の は 、 唐 の 道 琲 律 師 が 聖 武 天 皇 の 天 平 八 年 (七 三 六 ) に 来 朝 し て 本 宗 の 章 疏 を も た ら し た の を 初 め と せ ら れ 、 次 い で 同 十 二 年 新 羅 の 僧 審 祥 が 良 弁 の 請 い に 応 じ て 、 東 大 寺 境 内 の 金 鐘 道 場 に お い て 旧 訳 華 厳 を 講 じ た の が 、 ﹃華 厳 経 ﹄ 講 経 の 最 初 で あ る と 伝 え ら れ て い る の で あ る 。 こ の こ と か ら 察 す る に 、 華 厳 宗 に お け る 法 華 経 研 究 は 他 の 二 宗 に 比 較 す る と ま だ 充 分 熟 し て い な か っ た と い っ て も よ く 、 た ま た ま 、 天 平 勝 宝 六 年 (七 五 四 ) に 鑑 真 の 来 朝 に よ っ て 、 律 宗 の 典 籍 と 共 に 天 台 智 者 大 扁 の 撰 述 が 多 く 将 来 さ れ た 結 果 、 次 第 に 智 者 中 心 の 法 華 研 究 が な さ れ る に 至 っ た と 見 る こ と が 出 来 る の で あ る 。 そ し て そ れ は 、 や が て 奈 良 仏 教 の 行 き 詰 ま り と 共 に 、 ﹁聖 徳 太 子 南 岳 後 身 説 ﹂ を 信 じ て 、 南 岳 か ら 智 者 へ と 伝 え ら れ た 、 天 台 法 華 一 乗 法 に 新 し き 仏 道 を 見 出 し た 伝 教 大 師 に よ っ て 、 山 林 修 行 の 菩 薩 僧 に よ る 鎮 護 国 家 の 仏 教 と し て 発 展 せ し め ら れ る 至 っ た の で あ る 。 以 上 に ・よ っ て 明 ら か な 如 く 、 奈 良 時 代 に お い て は 、 ﹃法 華 経 ﹄ は 、 護 国 の 経 典 と し て 、 得 度 の 暗 誦 経 に 定 め ら れ 、 ま た 、 国 分 尼 寺 の 法 華 滅 罪
ま れ た 経 書 の う ち 、 観 音 信 仰 に 関 係 あ る 経 疏 を す べ て 抽 出 表 記 せ ら れ て い る の で あ る が 、 そ の 大 部 分 を 占 め る 、 印 度 撰 述 の 経 疏 の 分 類 を 見 る に 、 方 等 部 に 属 す る も の 五 、 般 苦 部 二 、 法 華 部 三 、 に 対 し て 、 秘 密 部 に 属 す る も の は 五 十 三 の 多 き に 達 し て い る の で あ る 。 こ の こ と か ら 推 し て 速 水 先 生 も 指 摘 し て お ら れ る 如 く 、 奈 良 朝 特 に 中 期 以 後 に お け る 観 音 信 仰 は 、 密 教 的 性 格 が 極 め て 強 大 で あ っ た こ と が 知 ら れ る の で あ り 、 こ こ に 、 ﹃法 華 経 ﹄ か ら 別 立 し た 、 ﹃観 世 音 経 ﹄ に 基 ず く 観 音 信 仰 の 特 質 を 見 る こ と が 出 来 る の で あ る 。 則 ち 、 奈 良 朝 に お け る 、 ﹃観 世 音 経 ﹄ を 中 心 と す る 観 音 信 仰 の 密 教 的 受 容 は 、 旧 来 の 追 善 追 福 的 観 音 信 仰 に 対 し て 、 極 め て 現 世 利 益 、 現 世 祈 祷 的 観 音 信 仰 を 形 成 す る こ と と な っ た の で あ り 、 そ の こ と は 律 令 国 家 体 制 に お い て は 、 必 然 的 に 護 国 的 、 鎮 護 国 家 的 観 音 信 仰 と し て 受 容 し 発 展 せ し め ら れ に 至 っ た の で あ る 。 こ の 、 奈 良 朝 中 期 以 後 に お け る 観 音 信 仰 の 護 国 的 受 容 に つ い て は 、 速 水 先 生 の 、 ﹃観 音 信 仰 ﹄ に 詳 し く 述 べ ら れ て い る の で 今 は 略 す る 次 第 で あ る が 、 こ れ を 裏 ず け る 一 例 を 挙 げ れ ば 、 ﹃続 日 本 紀 ﹄ の 天 平 十 二 年 九 月 己 亥 条 の 勅 に は 、 広 嗣 の 乱 の 鎮 圧 を 観 音 に 祈 念 し て 、 勅 二四 畿 内 七 道 諸 国 日 、 比 来 縁 ・筑 紫 境 有 二 不 軌 之 臣 { 命 y軍 討 伐 、 願
依
こ聖
祐
欲
安
二百
姓
ご
世 音 経 一(万 巻 と 記 さ れ て お り 、 ま た 、 同 じ く 、 天 平 宝 字 元 年 七 月 戊 午 の 条 に は 、 橘 奈 九 経 と し て 、 国 家 的 性 格 を 持 つ 経 典 と し て 広 く 信 仰 さ れ て い た の で あ り 、 従 っ て 奈 良 朝 諸 宗 に お い て も 、 ﹃法 華 経 ﹄ の 研 究 が 盛 ん に 行 な わ れ て い た の で あ る 。 そ し て そ の 法 華 信 仰 と 太 子 信 仰 を 結 び つ け る 大 き な 要 因 と な っ た の が 、 ﹁太 子 南 岳 後 身 説 ﹂ で あ っ た と い っ て も よ い の で あ る 。 そ し て ま た 、 奈 良 朝 に お け る 法 華 信 仰 は 、 自 か ら 観 音 信 仰 を 発 展 せ し め る こ と と な っ た の で あ り 、 以 下 少 し く 奈 良 時 代 の 観 音 信 仰 に つ い て 述 べ る こ と と し た い 。 思 う に 、 我 が 国 の 観 音 信 仰 が 、 聖 徳 太 子 以 来 の 、 ﹃法 華 経 ﹄ の 受 容 研 究 に 支 え ら れ て 発 展 せ し め ら れ た こ と は 云 う ま で も な い こ と で あ る 。 し か し な が ら 、 奈 良 朝 に お け る 観 音 信 仰 に つ い て 注 意 す べ き こ と は 、 ﹃法 華 経 ﹄ の ﹁普 門 品 ﹂ が ﹃法 華 経 ﹄ か ら 独 立 せ し め ら れ 、 ﹃法 華 経 ﹄ と は 別 個 の 性 格 を 持 っ た 、 ﹃観 世 音 経 ﹄ が 観 音 信 仰 の 経 典 と し 流 布 し て い た ( 4 ) と 見 ら れ る こ と で あ る 。 則 ち 、 天 平 十 四 年 、 柿 本 臣 大 足 貢 進 解 に よ れ ば 、 読 経 法 華 経 二 巻 第 一 第 二 薬 師 経 一 巻 観 世 音 経 一 巻 と 記 さ れ て お り 、 同 じ 読 経 経 典 の 中 に 、 ﹁法 華 経 ﹂ と ﹁観 世 音 経 ﹂ が 井 記 さ れ て い る の は 、 両 経 が 対 等 の 経 典 と し て 別 個 の も の と 考 え ら れ て い た こ と を 示 す も の と 云 っ て も よ い で あ ろ う 。 こ の よ う な 、 ﹃観 世 音 経 ﹄ に 基 ず く 奈 良 時 代 の 観 音 信 仰 に つ い て 、 速 ( 5 ) 水 侑 先 生 は そ の 著 ﹃観 音 信 仰 ﹄ に お い て 、 ﹁大 日 本 古 文 書 ﹂ 編 年 部 に 含 奈 良 時 代 に お け る 太 子 信 仰 の 形 成一 〇 に 、 ﹃大 無 量 寿 経 ﹄ の ﹁唯 除 五 逆 、 誹 膀 正 法 ﹂ の 語 が 引 用 せ ら れ て い る こ と に よ っ て も 、 当 時 か ら 阿 弥 陀 信 仰 の 萌 芽 が 見 ら れ る の で あ る 。 ﹃ 日 本 書 紀 ﹄ に よ れ ば 、 舒 明 天 皇 十 一 年 唐 よ り 来 朝 し た 恵 隠 が 、 翌 十 二 年 (六 四 〇 ) 五 月 大 斎 会 の 時 勅 を 奉 じ て 宮 中 に 、 ﹃無 量 寿 経 ﹄ を 講 説 し た と あ り 、 五 月 の 丁 酉 の 朔 辛 丑 に 、 大 き に 設 斎 す 。 因 り て 、 恵 隠 僧 を 請 せ て 、 無 ( 8 ) 量 寿 経 を 説 か し む 。 さ ら に 、 孝 徳 天 皇 自 辨 三 年 ( 六 五 二 ) 四 月 に 再 び 勅 を 奉 じ て 宮 中 に 、 ﹃無 量 寿 経 ﹄ を 講 説 し 、 恵 資 が 論 議 者 と な り 、 聴 衆 僧 一 千 人 で あ っ た こ と が 伝 え ら れ て い る の で あ る 。 ( 十 五 日 ) 夏 四 月 の 戊 子 の 朔 壬 寅 に 、 沙 門 恵 隠 を 内 裏 に 請 せ て 、 無 量 寿 経 を 講 か 同 朋 学 園 佛 教 文 化 研 究 所 紀 要 第 十 号 良 麻 呂 の 乱 に 際 し て 、 又 盧 舎 那 如 来 、 観 世 音 菩 薩 、 護 法 梵 王 帝 釈 四 天 王 乃 不 可 思 議 威 神 之 力 ︱ 依 紙 此 逆 在 悪 奴 等 者 、 顕 出 而 悉 罪 ゜ (似 ` ⋮ ⋮ ゜ J と 云 う 宣 命 が 記 さ れ て い る の で あ り 、 こ れ 等 の 記 録 に よ っ て も 奈 良 朝 の 観 音 信 仰 が 国 家 に 対 す る 反 乱 を 防 ぐ た め の 絶 大 な 護 国 的 効 験 を 期 待 す る た め の 信 仰 で あ っ た こ と が 知 ら れ る の で あ る 。 以 上 小 生 は 奈 良 時 代 の ﹃法 華 経 ﹄ の 受 容 と 、 観 音 信 仰 の 形 成 に つ い て 述 べ た の で あ る が 、 奈 良 時 代 に お い て は 、 ﹃法 華 経 ﹄ は 国 家 的 信 仰 の 書 と し て 、 奈 良 各 宗 に お い て 研 究 受 容 せ ら れ 、 た ま た ま 、 鑑 真 門 下 に よ っ て 、 ﹁太 子 南 岳 後 身 説 ﹂ が 提 唱 せ ら れ る や 、 聖 徳 太 子 は 我 が 国 に お け る 、 ﹃法 華 経 ﹄ 流 布 の 先 達 と し て 聖 人 化 、 超 人 化 さ れ て 信 仰 せ ら れ る に 至 っ た の で あ る 。 し か し な ら 、 奈 良 朝 の 法 華 信 仰 は 、 一 面 に お い て 、 ﹃観 世 音 経 ﹄ に よ る 観 音 信 仰 を 形 成 す る に 至 っ た の で あ り 、 そ の 奈 良 朝 に お け る 、 密 教 的 、 現 世 利 益 的 、 護 国 的 観 音 信 仰 は 、 ﹃法 華 経 ﹄ 流 布 の 先 達 と し て の 太 子 信 仰 を 更 に 高 め て 、 太 子 と 観 音 と を 直 接 結 び つ け る 、 太 子 観 音 化 身 を 形 成 す る 大 き な 要 因 と な っ た こ と は 云 う ま で も な こ と で あ る 。 こ の 、 奈 良 朝 に お い て 既 に 形 成 せ ら れ っ っ あ っ た 、 太 子 観 音 化 身 説 の 形 成 に つ い て 注 意 す べ き こ と は 、 奈 良 朝 に お け る 、 阿 弥 陀 信 仰 と の 関 係 で あ る 。 則 ち 、 第 一 節 で 述 べ た 如 く 、 ﹃天 寿 国 繍 帳 銘 文 ﹄ 及 び 、 法 隆 寺 の ﹃釈 迦 三 尊 銘 文 ﹄ に よ っ て 明 ら か な 如 く 、 す で に 推 古 朝 に お い て 浄 土 往 生 思 想 が 我 が 国 に 伝 え ら れ て お り 、 ま た 、 太 子 の ﹃維 摩 経 義 疏 ﹄ の 中 し む 、 沙 門 恵 資 を 以 て 、 論 議 者 と す 。 沙 門 一 千 を 以 て 、 作 聴 衆 と す 。 こ れ 等 の 記 録 に よ っ て 、 飛 鳥 時 代 に す で に 阿 弥 陀 信 仰 が 、 我 が 国 に 伝 え ら れ 学 問 せ ら れ て い た こ と が 知 ら れ る の で あ る 。 し か し な が ら 、 当 時 行 な わ れ て い た 浄 土 往 生 思 想 は 、 先 の 法 隆 寺 ﹃釈 迦 三 尊 ﹄ の 光 背 の 銘 に よ っ て 知 ら れ る 如 く 、 自 か ら が 浄 土 往 生 す る こ と を 願 う よ り は 、 死 者 の 霊 の 浄 土 往 生 を 願 う 、 追 善 追 福 を 主 と し て い た と い っ て も よ い の で あ る 。 さ て 、 奈 良 時 代 の 浄 土 教 に つ い て 見 る に 、 石 田 茂 作 先 生 は 、 経 典 の 書 写 講 究 に つ い て 、 奈 良 時 代 に は 、 い わ ゆ る 浄 土 三 部 経 の み な ら ず 、 ﹃無 量 寿 経 ﹄ の 異 訳 ﹃無 量 清 浄 平 等 覚 経 ﹄ や 、 ﹃阿 弥 陀 経 ﹄ の 別 訳 、 ﹃称 讃 浄
両 巻 無 量 寿 経 宗 要 元 暁 撰 両 巻 無 量 寿 経 疏 靖 遠 撰 両 巻 無 量 寿 経 疏 義 寂 撰 玄 一 撰 一 巻 一 巻 三 巻 一 巻 一 巻 一 巻 二 巻 四 巻 さ ら に 、 石 田 先 生 は 、 浄 土 教 関 係 の 注 疏 を 作 者 に よ っ て 分 類 さ れ て 、 奈 良 時 代 の 浄 土 教 の 系 統 に つ い て 、 一 、 道 緯 、 善 導 の 系 統 。 二 、 靖 邁 、 玄 一 の 法 相 系 統 、 三 、 元 暁 、 義 寂 の 新 羅 系 の 三 つ に 分 類 さ れ て い る の で あ る 。 こ れ に 対 し て 、 重 松 明 久 先 生 は 、 ﹃日 本 浄 土 教 成 立 過 程 の 飛 恕 ﹄ に お い て 、 思 想 的 立 場 に 立 っ て 、 石 田 先 生 の 第 三 類 に 属 す る 、 新 羅 の 元 暁 、 義 寂 は 法 相 教 学 の 大 成 者 玄 奘 の 門 人 で あ り 、 従 っ て 、 第 二 の 法 相 系 の 浄 土 教 家 と し て 一 括 さ れ る べ き で あ る と し 、 石 田 先 生 の 三 系 統 は 思 想 的 立 場 に 限 定 し て 考 え れ ば 、 一 、 称 名 中 心 の 道 棹 、 善 導 系 と 、 二 、 観 念 中 心 の 法 相 系 の 二 系 統 に 整 理 し 得 る と せ ら れ 、 こ の 二 系 統 の 他 に 、 恵 隠 以 来 の 三 論 系 の 浄 土 教 家 の あ っ た こ と を 指 摘 し て お ら れ る の で あ る 。 そ し て 三 論 家 の 思 想 の 特 色 を 、 信 心 本 位 と 俗 人 的 性 格 に あ る と し て 、 法 相 系 が 極 楽 の 依 正 二 報 の 観 察 を 主 と し て 観 行 に っ と め た の に 対 し て 、 一 切 の 執 着 を 離 れ て 、 只 管 仏 心 を 信 仰 す る 信 心 為 本 の 立 場 に 立 つ 浄 土 思 想 が 三 論 家 の 浄 土 思 想 で あ る と し て お ら れ る の で あ る 。 而 し て 、 重 松 先 生 は 聖 徳 太 子 の 師 と な っ た 慧 慈 、 恵 聡 の 二 人 が 三 論 系 か 、 少 な く と も 般 若 系 思 想 の 持 ち 主 で あ っ た と 推 測 し 得 る と し て お ら れ る こ と は 、 太 子 の 浄 土 思 想 を 考 え る 上 に お い て 極 め て 重 要 な 意 味 を 持 つ も の と い っ て も よ い で あ ろ う 。 則 も 、 こ の 論 文 の 第 一 節 、 ﹁太 子 と 浄 土 ﹂ の 最 後 に 、 金 子 大 栄 先 生 の 、 ﹃日 本 仏 教 史 観 ﹄ の 文 を 引 用 し て 述 べ た 如 く 、 太 子 の 浄 土 観 は 非 常 に 現 一 一 土 仏 摂 受 経 ﹄ を も 伝 え て お り 、 さ ら に 、 阿 弥 陀 仏 の 功 徳 を 讃 歎 し た 、 ﹃阿 弥 陀 呪 経 ﹄ ﹃阿 弥 陀 仏 偶 経 ﹄ 及 び 浄 土 念 仏 と 関 係 の 深 い 、 ﹃悲 華 経 ﹄ ﹃般 舟 三 昧 経 ﹄ も 伝 え ら れ て い た こ と を 記 さ れ 、 次 い で こ れ 等 浄 土 教 に 関 す る 経 典 の 註 疏 の 当 時 伝 わ っ て い た も の を 列 記 し て お ら れ る の で あ る 。 両 巻 無 量 寿 経 記 両 巻 無 量 寿 経 剛 目 両 巻 経 字 釈 無 量 寿 経 義 疏 観 無 量 寿 経 疏 依 観 経 等 明 般 舟 三 昧 往 生 讃 経 解 讃 阿 弥 陀 経 称 讃 浄 土 仏 摂 受 経 疏 靖 邁 撰 般 舟 三 昧 経 略 義 元 暁 撰 往 生 論 私 記 釈 浄 土 群 疑 懐 感 撰 こ の 表 に よ っ て 明 ら か な 如 く 、 奈 良 時 代 の 浄 土 教 の 研 究 は 主 と し て 、 ﹃無 量 寿 経 ﹄ を 中 心 と し て 行 な わ れ て い た と 見 る こ と が 出 来 る の で あ る 。 奈 良 時 代 に お け る 太 子 信 仰 の 形 成 善 導 撰 法 位 師 撰 善 導 撰 一 巻 一 巻 三 巻 一 巻 一 巻 一 巻
号 一 二 造 二阿 弥 陀 浄 土 画 像 { 偽 計 二国 見 僧 尼 {写 二称 讃 浄 土 経 {各 於 二国 分 金 光 明 寺 礼 拝 供 養 、 こ れ に よ れ ば 、 光 明 皇 太 后 の 七 七 日 に 当 っ て 、 宝 字 四 年 七 月 に 、 諸 国 の 国 毎 に 阿 弥 陀 浄 土 画 像 を 造 ら せ 、 ま た 諸 国 の 僧 尼 に 計 っ て 、 ﹃称 讃 浄 土 経 ﹄ (新 訳 ) す な わ ち 、 ﹃阿 弥 陀 経 ﹄ を 書 写 せ せ し め 、 各 々 の 国 分 寺 に お い て 礼 拝 供 養 せ し め ら れ た こ と が 知 ら れ る の で あ る 。 こ の こ と に つ い て 、 石 田 茂 作 先 生 は 、 奈 良 時 代 の 阿 弥 陀 信 仰 の 特 徴 と し て 、 学 問 的 立 場 に お い て は 、 ﹃無 量 寿 経 ﹄ が 主 と し て 研 究 せ ら れ 、 実 際 の 礼 拝 行 事 と し て は 、 ﹃阿 弥 陀 経 ﹄ が 主 と し て 用 い ら れ た と 見 て お ら れ る の で あ る 。 そ し て ま た 、 こ こ に 記 さ れ て い る 、 阿 弥 陀 浄 土 画 像 に つ い て は 、 当 時 の 他 の 類 例 か ら 推 量 し て 、 一 、 当 時 は 説 法 印 の 弥 陀 が 多 く て 、 後 世 の 如 き 定 印 弥 陀 や 来 迎 印 弥 陀 は 全 然 な い こ と 。 二 、 弥 陀 観 音 勢 至 の 三 尊 仏 が 多 い こ と 。 三 、 当 時 は 浄 土 変 と 云 う も の が 非 常 に 多 か っ た こ と 、 現 存 の 当 麻 曼 荼 羅 に 相 い 似 た 構 図 の も の で あ っ た こ と 。 の 三 つ の 特 徴 を 挙 げ て 、 そ れ を 結 ん で 、 こ の 三 箇 条 は 之 を 推 し 縮 む れ ば 遂 に 一 つ に 帰 す る も の で あ る 。 即 ち 、 ﹁極 楽 浄 土 に 於 て 、 阿 弥 陀 仏 が 脇 士 に 護 ら れ 乍 ら 説 法 し て い る 姿 ﹂、 而 し て こ れ が 当 時 に お け る 礼 拝 の 対 照 で あ り 、 阿 弥 陀 経 読 誦 の 対 象 で あ っ た の で あ る 。 世 的 で あ り 、 実 践 的 で あ っ た と い う べ き で あ る が 、 そ の こ と は 、 一 人 の 凡 夫 と し て 浄 土 往 生 を 願 う こ と と 決 し て 矛 盾 す る も の で は な ぺ い 特 に 太 子 は 、 ﹃勝 鬘 経 義 疏 ﹄ に お い て 、 ﹁帰 依 行 善 ﹂ の 菩 薩 道 を 説 い て お ら れ る の で あ り 、 こ の 立 場 か ら も 太 子 の 浄 土 思 想 が 、 い わ ゆ る 、 信 心 位 本 に 立 つ も の で あ っ た こ と が 知 ら れ る の で あ り 、 こ の 意 味 に お い て 、 慧 慈 、 恵 聡 の 両 師 が 、 三 論 系 の 思 想 の 持 ち 主 で あ っ た こ と は 重 視 せ ら る べ き 問 題 で あ る と い っ て も よ い で あ ろ う 。 以 上 小 生 は 、 奈 良 時 代 に お け る 阿 弥 陀 信 仰 に つ い て 当 時 伝 来 せ ら れ た 経 典 及 び 論 拠 を 中 心 と し て 考 察 し た の で あ る が 、 こ れ よ っ て 明 ら か な 如 く 、 奈 良 時 代 に お い て は 阿 弥 陀 信 仰 と し て は 、 一 、 称 名 中 心 の 道 棹 、 善 導 の 系 統 、 二 、 観 念 中 心 の 法 相 の 系 統 、 三 、 信 心 中 心 の 三 論 系 の 三 つ の 系 統 が あ り 、 そ の 所 依 と し た 経 典 は 、 ﹃大 無 量 寿 経 ﹄ で あ っ た と い っ て も よ い の で あ る 。 従 っ て 、 学 問 的 立 場 か ら 云 え ば 、 ﹃観 無 量 寿 経 ﹄ に 中 心 を 置 く 、 善 導 の 称 名 念 仏 よ hソ は 、 法 相 系 の 観 念 の 念 仏 、 及 び 、 三 論 系 の 空 智 に 基 ず く 信 心 為 本 の 念 仏 が よ り 一 層 重 視 せ ら れ て い た こ と は 否 定 出 来 な い の で あ る 。 し か し な が ら 、 奈 良 時 代 の 阿 弥 陀 信 仰 に つ い て 忘 れ て な ら な い こ と は 、 ﹃阿 弥 陀 経 ﹄ の 流 行 で あ る 。 則 ち 、 ﹃続 日 本 紀 ﹄ に よ れ ば 、 天 平 宝 字 四 年 (七 六 〇 ) 六 月 に 崩 御 さ れ た 光 明 皇 太 后 七 七 日 に 当 っ て 、 次 の こ と を 伝 え て い る 。 葵 丑 設 二皇 太 后 七 七 斉 於 、 東 大 寺 井 京 師 諸 小 寺 {其 天 下 諸 国 、 毎 国 奉
註 ① ﹃同 朋 大 学 論 叢 ﹄ 第 四 十 一 号 拙 稿 ﹁親 鸞 聖 人 の 太 子 仰 の 形 成 ﹂ 下 を 参 照 さ れ た し と 述 べ 、 さ ら に 先 生 は こ の よ う な 奈 良 朝 の 阿 弥 陀 信 仰 に つ い て 、 奈 良 朝 の 人 は 、 心 の 不 錯 乱 を 願 い 、 聖 衆 の 来 迎 を 願 う よ り も 、 直 ち に 、 ﹁聞 法 の 楽 を 希 っ た の で は あ る ま い か 。 ⋮ ⋮ 奈 良 朝 人 に と っ て は 阿 弥 陀 仏 は 救 の 仏 で な く て 、 教 え の 仏 で あ っ た の で は な か ろ う か 。 と 述 べ て お ら れ る の で あ る 。 思 う に 、 先 き に 奈 良 時 代 の 観 音 信 仰 の 処 で 述 べ た 如 く 、 奈 良 朝 の 人 々 の 観 音 信 仰 の 特 色 は 、 死 せ る 人 々 の 追 善 、 追 福 の 立 場 か ら 次 第 に 、 密 教 的 、 現 世 利 益 的 、 護 国 的 性 格 に 変 化 せ し め ら れ た こ と に あ っ た と 云 う こ と が 出 来 る の で あ る が 、 こ の こ と は 、 奈 良 時 代 に お け る 阿 弥 陀 信 仰 に つ い て も 全 く 同 様 な こ と が い え る の で あ る 。 す な わ ち 、 先 き の 、 光 明 皇 太 后 の 七 七 日 に 当 っ て 、 諸 国 の 国 毎 に 阿 弥 陀 浄 土 画 像 を 造 ら せ 、 ま た 、 国 分 寺 の 僧 尼 に 、 ﹃阿 弥 陀 経 ﹄ を 書 写 し 、 礼 拝 供 養 せ し め ら れ た こ と に よ っ て も 察 せ ら れ る 如 く 、 奈 良 朝 の 人 々 は 、 阿 弥 陀 仏 を 礼 拝 し 、 ﹃阿 弥 陀 経 ﹄ を 書 写 し 読 誦 す る こ と に よ っ て 、 一 面 に は 崩 御 さ れ た 光 明 皇 太 后 の 冥 福 を 祈 る と 共 に 、 他 面 に お い て 、 国 家 並 び に 自 己 自 身 の 現 世 の 利 益 を 願 っ て い た と 云 っ て も よ い の で あ る 。 そ し て 、 当 時 は 当 麻 曼 陀 羅 の 如 き 密 教 的 浄 土 変 が 多 く 造 ら れ て お り 、 そ の こ と は 、 ﹁法 華 経 ﹂ と は 別 に 、 密 教 部 に 属 す る 、 ﹃観 世 音 経 ﹄ が 護 国 の 経 典 と し て 用 い ら れ て い た こ と と 相 い 応 ず る も の で あ り 、 そ し て ま た 、 当 時 に お い て 、 ﹁阿 弥 陀 経 ﹂ 読 誦 の 対 象 で っ た 、 阿 弥 陀 像 の 多 く が 、 阿 弥 陀 三 尊 仏 で あ っ た こ と は 、 一 層 深 く 、 観 音 信 仰 と 阿 弥 陀 信 仰 と が 融 合 奈 良 時 代 に お け る 太 子 信 仰 の 形 成 せ し め ら る 要 因 と な っ た と い っ て も よ い の で あ る 。 而 し て 、 こ の よ う な 奈 良 朝 に お け る 、 観 音 信 仰 、 及 び 、 阿 弥 陀 信 仰 を 背 景 と し て 、 ﹃法 華 経 ﹄ 流 布 の 先 達 と し て 形 成 せ ら れ た 、 太 子 観 音 化 身 説 は 、 自 然 に 阿 弥 陀 信 仰 と 融 合 せ し め ら れ る こ と と な り 、 こ こ に 、 太 子 を 西 方 浄 土 に お け る 阿 弥 陀 の 脇 士 と し て 、 浄 土 往 生 を 導 び く 、 西 方 浄 土 の 観 音 の 化 身 と す る 、 新 し い 太 子 信 仰 を 形 成 す る に 至 っ た と 云 っ て も よ い で あ ろ う 。 一 三 五 頁 一 三 八 頁 五 一 〇 頁 三 二 頁 一 五 八 頁 二 三 九 頁 二 三 四 頁 三 一 八 頁 一 六 〇 頁 一 九 頁 註 二 七 三 頁 一 六 八 頁 一 六 九 頁 一 一 一 一 ﹁奈 良 遺 文 ﹂ 速 水 侑 著 ﹁観 音 信 仰 ﹂ 註 ② 同 右 同 岩 波 ﹁ 日 本 古 典 文 学 大 系 ﹂ ﹁日 本 書 紀 ﹂ 下 右 同 註 ③ 同 重 松 明 久 著 ﹁ 日 本 浄 土 教 成 立 過 程 の 研 究 ﹂ 註 ② 同 註 ③ 同 右 同 ⑩ ⑩ ⑩ ⑩ ⑩ ⑨ ⑧ ⑦ ⑥ ⑤ ④ ③ ②