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毛沢東から胡錦濤時期における 中国共産党の宗教政策とチベット政策

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毛沢東から胡錦濤時期における

中国共産党の宗教政策とチベット政策

川田 進

工学部 総合人間学系教室

(2014年5月31日受理)

The Chinese Communist Party’s Religious Policies and Tibetan Policies

in the Period between Mao Zedong and Hu Jintao

by

Susumu

KAWATA

Department of Human Sciences, Faculty of Engineering

Abstract

Making an analysis from the viewpoint of the Chinese Communist Party’s religious policies and Tibetan policies is effective in clarifying religion in general in Eastern Tibet. The purpose of this paper is first to show the history of the Chinese Communist Party’s religious policies and Tibetan policies in the period between Mao Zedong and Hu Jintao, and then to discuss the series of incidents from the establishment of Larung Buddhism College(喇栄五明仏 学院) to purge from the view point of religious policies. The changes in the situation surrounding religions in the People’s Republic of China are the result of the influence of the Chinese Communist Party’s religious policies on religious organizations in general.

キーワード;中国共産党,宗教政策,チベット政策,チベット工作座談会,ラルン五明仏学院, ジグメ・プンツォ

Keyword; the Chinese Communist Party ,religious policies,Tibetan policies,Tibet work meeting, Larung Buddhism College,Jigme Phuntsok

Memoirs of the Osaka Institute of Technology

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1.はじめに 1.1 問題の所在 中国共産党の宗教政策を論じる際,必ず「中国五大 宗教」という言葉が登場する.五大宗教とは仏教,道 教,イスラム教,カトリック,プロテスタントを指し ている.本稿で論じるチベット仏教は,五大宗教の仏 教の中に含まれている.五大宗教には,中国共産党が 定めた「正しい」活動を行う「自由」が認められてい る.影響力の弱い正教会,土着の要素が強い各地の民 間信仰,オロチョン(主に黒竜江省,内モンゴル自治 区に居住)のシャーマニズムといった少数民族の生活 に密着した信仰は,五大宗教の枠外にあり,政府の国 家宗教事務局の管理下にないことから,中国共産党が 認める「宗教」の周縁部に位置している. 図-1 中国五大宗教が法輪功を批判するポスター

Fig.1 Poster showing the five official religions of China criticizing the Falun Gong

筆者はこれまで本学紀要にラルン五明仏学院,ヤチ ェン修行地,デルゲ印経院,ゲダ 5 世,2008 年チベッ ト騒乱に関する拙文を掲載し,東チベットの宗教空間 を中国共産党の宗教政策と統一戦線活動の視点から論 じてきた[川田 2007a][川田 2007b][川田 2008a][川 田 2008b][川田 2009].5 篇の拙論は東チベットという 地理的空間を「宗教と政治」「宗教と社会」という視 点から論じた地域研究の成果である.地域の固有性の みを強調した東チベット地域研究ではなく,他の領域 との相関性も視野に入れた点で,筆者は中国地域研究 であると考えている.他の領域とは,長期短期を問わ ず東チベットで宗教活動を実践している漢人の出家者 や在家信徒の存在である.彼らは東チベットの宗教空 間が持つ独自性を中国地域研究の中に位置付ける上で 重要な役割を果たしている.地域研究とは現実世界が 抱える諸課題に対する学術研究を通じたアプローチで ある[山本 2012:18-37].筆者は中国とチベットが共 有する宗教空間に現れた多面的な信仰の動向を分析す ることを通して,「チベット問題」解決の糸口を探る ことを念頭に置いた. 地域研究を支える研究手法は,現地での聞き取り調 査と文献調査である.文献は現地調査の中で掘り起こ した内部発行資料や漢人信徒の組織がインターネット 上に掲げた各種文書,そして現地の政府が発行した政 府公告を重要視した.その結果,政治学や歴史学とい った伝統的な学問分野が対象にしづらかった事例を多 数拾い上げることができた.ただし,一個人が収集し た情報やデータに限界があることを自覚しておかねば ならない. 中国共産党とチベット亡命政府の対立が深まり着地 点を見いだせない状況が続くなか,筆者はどちらか一 方の主張のみに賛同する考えはもっていない.筆者が 訴えたいことは,東チベットにおける宗教信仰の現場 には,両者のプロパガンダと相容れない状況も存在し ていることである.多くの漢人信徒を獲得し多層化し 始めた東チベットの宗教空間を,中国共産党の宗教政 策という視点から読み解きその特質を浮き彫りにする ことが最終目標である. ただし,5 篇の拙文は宗教状況の特質を中国地域研究 の立場から論述するにとどまり,中国共産党の宗教政 策との関連を明らかにするには不十分な内容であった. そこで,東チベットの宗教空間を解明するにあたり, 本稿は毛沢東時期から胡錦濤時期に至る中国共産党の 宗教政策とチベット政策の変遷をたどり,中国政府の 宗教管理の特質を明らかにした上で,ラルン五明仏学 院の動向を宗教政策の視点から論述することを目的と する. 1.2 先行研究(中国)と研究の意義 先ず,中国共産党の宗教政策に関して,中華人民共 和国における先行研究を示し,研究の限界について考 える.中国において共産党の宗教政策を研究する際, 研究の自由は存在せず,毛沢東,鄧小平,江沢民,胡 錦濤それぞれの指導者が示した政策に沿った研究のみ が認められている.現在であれば,江沢民の宗教政策 「四原則」と胡錦濤の「宗教と和諧」政策が基本であ り,チベット政策においては第 5 回チベット工作座談

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会での決定事項を踏まえた研究が行われている.中国 人研究者が行う宗教政策の研究とは,言葉を換えれば 党の宗教政策の宣伝活動である.したがって,共産党 の見解に疑問を抱いたり,異論を唱えたりすることは 不可能であり,チベット亡命政府が主張する「中国共 産党による宗教弾圧強化」といった見解はすべて否定 しなければならない. 中国で出版された中国共産党の宗教政策,チベット 政策に関する先行研究を例に説明する. (1)『当代中国的統一戦線』(上下)[中共中央統一戦線 工作部 2006] (2)『当代中国的宗教工作』(上下)[赤耐編 1999] (3)『中国共産党的宗教政策研究』[何虎生 2004] (4)『中国共産党的宗教政策』[任傑 2007] (5)『蔵伝仏教愛国主義教育工作読本』[朱暁明編 2007] (6)『西部現代化境域中的四川少数民族宗教問題研究』 [閔麗他 2008] (7)『西蔵宗教工作概説』[曹自強・李徳成 2008] (8)『経略西蔵――新中国西蔵工作六十年』[王小彬2009] (9)『中国的宗教問題和宗教政策』[王作安 2010] (1)から(9)は中国共産党の統一戦線工作部及び政府 の宗教事務局の指導の下,党の宗教政策と政府の宗教 管理の理論と実際を紹介し,党・政府とチベット仏教 を含む五大宗教組織の良好な関係を国内外に宣伝する ことを目的としている.(3)と(4)は江沢民時期と胡錦濤 時期の宗教政策に基づいた研究書であるが,東チベッ トに関する記述はない.(5)は祖国分裂活動とチベット 仏教の社会主義社会への適応という視点から,チベッ ト仏教寺院における愛国主義教育の内容を論じている. (6)は四川省少数民族地区が抱える民族問題や宗教問題 を経済開発の側面から論じ,主に開発の意義を讃えた 内容である.経済開発とは江沢民政権が 2000 年にスタ ートさせた西部大開発政策を指しており,道路や空港 建設等インフラ整備に関しては一定の成果が認められ た.経済開発が地域の発展に貢献したことは確かであ るが,直接宗教問題の解決に結びついたわけではない. 本書はこの地域で宗教紛争が発生する原因や経済開発 がもたらした弊害には触れていない.(8)は共産党のチ ベット政策に関する研究書であり,宗教政策の変遷に も言及している.(9)は国務院宗教事務局が胡錦濤時期 の宗教政策をまとめたものである. 筆者は,この中で(3)(4)(7)(8)(9)に注目している.著者 の何虎生(中国人民大学),任傑(四川省政府),閔麗 (四川大学),王小彬(中国蔵学研究中心),王作安(国 家宗教事務局)は,いずれも政府系研究機関に所属す る研究者や高官である.中国では宗教政策研究に従事 する者の多くが党や政府の研究機関,公安関係や治安 維持関係部署に籍を置いているため,研究者個人の立 場で自主的な研究活動や調査を行い,成果を発表する ことは許されない.党の政策を公に批判することも許 されていない.例えばラルン五明仏学院における宗教 施設や僧坊の撤去,高僧の身柄拘束,尼僧の放逐,宗 教活動の制限といった事例を,信教の自由や基本的人 権の視点から論じることはできない.「チベット人居住 地区における宗教政策」という研究テーマは,中国国 内では「政治的に敏感な課題」と考えられており,党 と政府の指導下で慎重に行うことが求められる.軍事 行動に関する内容を含む場合は,人民解放軍の指導と 連携も必要となる.それゆえ,宗教政策が抱える問題 点,矛盾点,宗教組織への引き締め政策等に関する調 査や研究を行うことができるのは外国人研究者のみと 言える. 「チベットにおける政治と宗教」をテーマにした研 究に関して,中国人研究者は大きな制約と不自由の中 で限定的な研究に従事せざるをえないが,外国人研究 者は中国の国内事情を前に禁欲的になる必要はない. 筆者は文献資料と現地調査で得られた事実を記述し, 慎重な分析と冷静な解釈を行うことが,現地の宗教状 況の改善とチベット問題解決の糸口を見つけることに つながると確信している. 1.3 先行研究(日本) 次に,日本における先行研究を掲げる. (1)『中国共産党の宗教政策』[中濃 1958] (2)『現代中国の仏教』[末木・曹 1996] (3)「モダニティと『宗教』の創出」[足羽 2003] (4)『宗教が分かれば中国が分かる』[清水 2008] (5)『現代中国の信教の自由――研究と資料』[土屋2009] (6)「現代中国における宗教と信仰の諸相」[川口 2013] (7) 「活仏転生をめぐる論争――チベット問題に於ける 『宗教』概念について」[広池 1998] (8)「チベットの活仏と中国の宗教政策」[広池 2001] (9)「活仏転世の政治学――改革開放期中国共産党の宗 教政策」[広池 2004] (1)中濃(1924-2003)は日蓮宗の僧侶である.1957 年中国仏教協会の招請で中国を訪問した.無神論と信

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仰の自由,中国仏教協会等の愛国宗教組織,愛国と愛 教問題,チベット人居住地区における宗教政策等を中 心にすえ,中国共産党の宗教政策を日本に知らせるた めの広報活動という役割を演じた.中濃は 1959 年にも 訪中し,毛沢東,周恩来,パンチェン・ラマ 10 世と面 会した[現代宗教研究所 2004:433]. (2)は文化大革命終結後の宗教政策を論じる上で基本 文献となる「19 号文件」の概略を研究書として最初に 示したが,他の重要「文件」への言及はない.中国仏 教協会の組織構成と活動内容について詳細な紹介がな されている. (3)20 世紀中国の宗教空間を中華民国期の仏教改革 運動,文革後の仏教復興状況というテーマから論じて いる.五大宗教,邪教,「19 号文件」,「愛国愛教」 に関する記述がある. (4)は新聞記者の目から 1994 年から 2007 年までの中 国の宗教事情を報告したものである. (5)は共産党の宗教政策と政府の宗教管理を法学研究 の分野から詳細に論じたものである.「19 号文件」「6 号文件」,党員の信仰問題,邪教対策等,文革後の宗 教法令研究として最も内容が充実している.化身ラマ の転生問題にも触れている. (6)は文化人類学のフィールドワークを通して,現代 中国における宗教の諸相を浮き彫りにする手法と意義 を論じている. (7)~(9)は活仏(化身ラマ)転生という視点から中国 共産党の宗教政策と国家宗教事務局の宗教管理を論じ たものである.パンチェン・ラマ 10 世の転生,13 世紀 以降モンゴル帝国から元朝,清朝におけるチベット仏 教政策等が詳細に論じられている. 中国共産党の宗教政策は一貫してマルクス主義宗教 観に基づき,各政治指導者は前指導者の方針を継承し つつも独自色を打ち出す努力を行っている.しかし, これまでの日本における研究は党と政府の役割を明確 にすることなく,あいまいな姿勢で論じることが多か った.そこで,本稿では党の宗教政党と政府の宗教管 理,党のマルクス主義宗教観,統一戦線活動,愛国宗 教組織,党員の信仰問題,公民に対する信教の自由, 党のチベット政策を中心に論じる.党のチベット政策 の中にはチベット仏教に対する重要な宗教政策が含ま れているため,本章で同時に扱うこととする.その際, 党中央の各種文件と政府の宗教法規,チベット政策の 方針を示すチベット工作座談会の議事録等を材料とす る. 2.中国五大宗教をめぐる党の政策と政府の管理 2.1 共産党の統一戦線工作部と全国人民政治協商会議 宗教政策を管轄する部署は中国共産党中央の統一戦 線工作部(略称:統戦部)である.統一戦線活動とは 共産党外の勢力と交渉を行い味方につける戦略を指し ている.統戦部の具体的な任務は,宗教と民族に関す る政策の決定,香港・マカオ・台湾との連携,民主諸 党派や華僑との協力関係の構築等である.チベット関 連では,チベット亡命政府との交渉,国内チベット人 居住区への経済支援政策の決定,チベット仏教管理の 指針策定にあたっている. 統一戦線活動を支える重要な組織が全国人民政治協 商会議である.会議の委員には共産党,民主諸党派, 学術,スポーツ,帰国華僑の他に五大宗教組織や各少 数民族の幹部等が選出される.党と政府の政策を議論 し助言を行う組織であるが,実際は形骸化している. チベット仏教からは,パクパラ・ゲレク・ナムギェル (1940-)が第 12 期全国委員会(2013 年)の副主席に, 中国政府が認定したパンチェン・ラマ 11 世(1990-) が常務委員に選出されている.彼らのように党と政府 の宗教政策に協力する任務を担う宗教関係者は,一般 に「愛国宗教人士」とみなされ,チベット仏教の高僧 は「愛国活仏」と呼ばれている.政治協商会議は直轄 市や省・県といった地方の行政区分にも設置されてい る.[川田 2007b]で論じたゲダ 6 世は甘孜県の政治協 商会議で幹部を務めている. 2.2 政府の国家宗教事務局と愛国宗教組織 国家宗教事務局は国務院(内閣に相当)直属の組織 であり,宗教関連の条例や規定の整備,公民の宗教活 動の管理,宗教組織が運営する学校の認可,宗教界に おける愛国主義教育の推進等の業務を行っている.宗 教政策を策定するのは中国共産党の統戦部であり,国 家宗教事務局は宗教管理の実務を担当している.第 13 章で論じるラルン五明仏学院の設立を認可したのは四 川省の宗教事務局である. 国家宗教事務局の管内には宗教文化出版社(北京) と中国宗教雑誌社(北京)がある.出版社は宗教政策 と理論,五大宗教の関連書を発行し,雑誌社は月刊『中 国宗教』を通じて宗教政策を紹介し,五大宗教の動向 を報告している.

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図-2 雑誌『中国宗教』 Fig.2 Magazine “Chinese Religions”

胡錦濤時期に出版された宗教政策関連の書籍や雑誌 は,「中国の特色を持った社会主義」の建設と宗教活 動の展開,「和諧社会」の構築に貢献する宗教政策の 分析と宗教活動の紹介が主たる内容である.民間信仰 や少数民族の信仰は,事務局の管轄外と考えられてい る. 表-1 愛国宗教組織 Table1 Patriotic religious organizations

(資料)[王作安 2010]他 五大宗教はそれぞれが全国規模の愛国宗教組織(愛 国宗教団体)を有している[王作安 2010:305].いずれ も中華人民共和国成立後に,共産党の統一戦線活動の 一環として作られた組織であり,党と政府の指導の下 で活動を行っている.中国政府認定のパンチェン・ラ マ 11 世は中国仏教協会副主席の一人であり,党・政府 とチベット仏教徒を結ぶ架け橋の役割を担った愛国的 宗教指導者と位置づけられている.中国仏教協会の基 本姿勢は,「愛国愛教」つまり党や政府と協力関係を 築き,法令を遵守し,社会主義の建設に貢献する活動 を行うことである1).同時に,1950 年代から 70 年代 に破壊された寺院の再建や修復の支援にも力を入れて いる2).世界宗教者平和会議や世界仏教徒大会に代表 を派遣し,海外の仏教組織との交流も積極的である.7 つの愛国宗教組織の指導者は,党や政府と「良好な」 な関係を築き,宗教活動の自由の幅が狭まらないよう 懸命に努力しているが,一般の信徒の中には冷ややか な目で見る者も多い. 3.違法宗教と邪教 3.1 気功集団「法輪功」事件 1999 年 4 月 25 日,気功集団法輪功のメンバー約 1 万人が,北京市中心部の中南海(党や政府本部の所在 地,要人の居住区域を指す)付近で座り込みなどの示 威行動を行った.目的は政府への抗議活動により逮捕 された仲間の釈放と活動の自由を要求することであっ た.法輪功の組織力,動員力,そしてインターネット や電子メールを駆使した情報伝達力は,当時の江沢民 国家主席を中心とした指導部に大きな衝撃を与えた. これが法輪功事件の発端であった3) 法輪功の創始者である李洪志(1951-)は,吉林省 出身で現在アメリカ在住.1984 年に気功活動を開始し, 89 年に「真・善・忍」を理念に掲げた法輪功を組織し た.事件当時の会員数は 7 千万人とも言われており, 人数の点では 6100 万人の中国共産党員(当時)を上回 っていた.会員の主体は中年女性や年配者であるが, 党・政府や解放軍の関係者も一定数含まれていた点で 外国メディアも注目した.中国では共産党員は原則無 神論者であらねばならないからである. 法輪功が急速に会員数を伸ばした 1990 年代は,赤字 の国有企業を解体し民営化に転換した時期でもある. 政府が進めた大胆な経済改革の過程で,中高年労働者 は早期退職を迫られ,専門知識をもたない若年労働者 は余剰人員となり職を失った.一例を示すと,1997 年 政府労働機関に登録された失業者数は 570 万人,失業 率は 2.85%である.その他,一時帰休者は 1274 万人を 数え,就労者の 6.31%にのぼった.両者を合わせた実 質失業率は 9.16%に達した[沙銀華 1999:125]. 失業問題の深刻化により大衆は先行きに不安を抱 宗 教 愛国宗教組織 創設年 仏教 中国仏教協会 1953 道教 中国道教協会 1957 イスラム教 中国イスラム協会 1953 カトリック 中国天主教愛国会 1957 中国天主教主教団 1980 中国天主教教務委員会 (1984 年解散) 1980 プロテスタント 中国基督教三自愛国運動委員会 1954 中国基督教協会 1980

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き,宗教・祈祷・星占い・風水・気功などに関心を強 めていった.とりわけ気功ブームを拡大させた原因の 一つは医療制度改革にある.国有企業では家族も退職 者も医療の大半は公費負担であったが,経済改革後は 医療費が高騰し個人負担も増加した.庶民が「カネが なければ病気にもなれない」と嘆く中,法輪功は「気 功を学べば医者いらず,薬いらず」と宣伝した.生活 の不安と政府への不信が広がるなか,気功という中国 古来の健康法が中高年層の心のすきまに入り込んでき たのである.社会が大きく変容し,人々は次第に孤立 し他者との絆を失っていくなか,法輪功は気功の修練 を通じて他者との交流を促し,個人と社会のつながり を自覚させるはたらきを有していたからこそ大規模集 団へと急成長したのである. 3.2 邪教取り締まり法の制定 それでは,中国共産党は法輪功を宗教組織と見なし ていたのであろうか.北京での座り込み事件から 3 ヶ 月後,当局は法輪功を社会の安定と団結を乱す非合法 組織と認定し,共産党員に活動の参加を禁止する通達 を出した(1999 年 7 月).その後も政府は「反法輪功」 「反邪教」キャンペーンを展開し,全国人民代表大会 (国会に相当)は「邪教組織の取り締まり,邪教活動 の防止・処罰に関する決定」(10 月 30 日)を採択した [中国検察出版社 1999]4).内容はいわゆる「反カル ト法」であり,法輪功の取り締まりを目的としたもの である. 図-3 青少年向きに作られた反邪教読本

Fig.3 Anti-heresy reader for youths

政府はその後,迷信を利用して人心を乱したとして, 法輪功を反邪教キャンペーンに利用していった.取締 法制定の背景には,海外からの「人権無視」「宗教弾 圧」という批判をかわし,法的根拠を明確にする目的 があったと解釈できる.中国最高人民法院(最高裁に 相当)が示した「罰則規定」には,「邪教組織による 国家分裂・政権転覆の画策と実行に対する刑罰」,邪 教犯罪とは「国家機関・企業への攻撃」「違法な集会・ デモ・公共の場所の占有」「邪教宣伝出版物の発行」 等が明示された. 国家宗教事務局の王作安局長は著作の中で,「邪教 は宗教ではない」[王作安 2010:387]と断定している とおり,中国で公式に活動が許されているのはあくま でも五大宗教である.したがって,新興宗教及び邪教 は共産党が考える「宗教」の概念には当てはまらない. 1999 年に中国共産党の機関誌「人民日報」は,法輪 功を邪教として論じたが,実は政府は法輪功を正式に 邪教とは認定していない5).つまり政府の邪教認定に は不透明な点があり,党と政府に敵対する姿勢を示し た宗教的要素をもつ組織に「邪教」のレッテルを貼る ことで取り締まりの口実に利用しているのである. 法輪功の教えには仏教や道教の要素が含まれている ことは確かであるが,法輪功側は「気功集団であり, 宗教団体ではない」と主張している.しかし,政府は 法輪功を違法宗教組織(五大宗教には含まれない)と みなし,「反邪教キャンペーン」に利用したのである. 法輪功が宗教組織であるか否かは議論が分かれるが, 筆者は法輪功を新興宗教の要素が強い気功集団である と考えている. 4.マルクス主義宗教観と党員の宗教信仰問題 4.1 東チベットで出会った党員 中国共産党員は 2012 年末の時点で約 8513 万人を数 える(党中央組織部によるデータ)6).中国では党員 は公の身分であり,行政機関,企業,軍隊など各分野 で就職や昇進に有利な反面,信仰は不許可といった制 約が課される.筆者は過去に四川省甘孜州のラルン五 明仏学院やゾクチェン(佐欽)寺,カトク(嘎托)寺 でチベット仏教を信仰する共産党員数人と出会ったこ とがある(佐欽寺と嘎托寺は白玉寺,協慶寺,敏珠林 寺,多杰扎寺と合わせてニンマ派六大寺院を構成する 名刹である).いずれも 20 代から 30 代の漢人在家信徒 である.聞き取り調査から得られた 3 人の貴重な意見 を紹介する.

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【党員 A】「共産党員は無神論者であらねばならないと いう党の鉄則はあくまでも建前にすぎず,信仰を持 つ党員は身近に複数いる」(男,漢人,ゾクチェン寺, 2009 年 7 月 31 日). 【党員 B】「むしろ信仰を持つことで,人民に服務する 党員としての自覚を意識できた」(女,漢人,ラルン 五明仏学院,2011 年 8 月 6 日). 【党員 C】「社会人としても党員としても責任は果たし ているつもりだ.職務上,宗教信仰を公言するつも りはないが,自責の念に駆られたことはない」(女, 漢人,カトク寺,2007 年 7 月 31 日). 男性は自分の意志で入党し,女性二人は職場の推薦 で入党したとのこと.彼らと対話を重ねて感じたこと は,共産党員が信仰を持つことを恥ずべきではないと いう確固たる信念であった. 4.2 宗教信仰をもつ党員への対処方法 筆者が過去に聞き取り調査を実施した際,党員であ ることを否定した者の中に党員が含まれる例は少なく ないと感じた.1991 年に党中央組織部が「中国共産党 員の宗教信仰問題を適切に解決することに関する通 知」(以下「通知」と略す)を出したことが,事態の深 刻さを物語っている[中共中央組織部 1991].「通知」 は信仰を持つ党員を 4 種類に区分し,対処方法を示し ている.東チベットで出会った漢人信徒の党員は,最 も軽い「レベル 4」に相当すると思われる.「通知」は 「一般的な宗教活動に参加しているが,党の路線・方 針・政策を実行し,党のために積極的に活動し,党の 紀律に従うことができる」党員に対しては,「粘り強く (無神論)教育を行い,宗教の束縛から解放されるよ う援助を行う」必要があると定めている[中共中央組 織部 1991:205-207]. 表-2 宗教信仰を持つ党員への対処方法 Table2 How to deal with party members with religious faith

(資料)[中共中央組織部 1991] 1991 年の「通知」から 20 年余を経た現在,党員の宗 教信仰問題は解決に至っていない.そのことは 2011 年 に,党中央委員会が発行する政治理論誌『求是』(2011 年第 24 期)が「共産党員は宗教を信仰してはならない」 と題する論文を掲載したことからも明らかである.筆 者の朱維群(1947-)は,宗教政策を管轄する党中央 統戦部の副部長である.朱は党員の中に宗教信仰を有 する者,特定の宗教指導者と個人的な関係を結ぶ者が 増加しており,「党員の信仰を解禁すべきだ」という声 が党内に存在することも認めている.しかし,それで もなお「共産党員は無神論者であらねばならぬ」とい う党の鉄則を堅持する必要性と意義を強調した[朱維 群 2011:25-28]. 無神論の原則は,毛沢東の時代から鄧小平,江沢民 へと継承されており,胡錦濤も 2006 年全国統一戦線工 作部の会議にて,「われわれ中国共産党員は無神論者で あり,いかなる宗教も信仰しない」という党の立場を 力説した[胡錦濤 2006:59]. ただし,チベットやウイグルといった「全民信教」 という特色をもつ地区では,少数民族の党員に無神論 を強制するのではなく,宗教的要素をもつ冠婚葬祭や 伝統行事への参加を許可するといった例外規定を設け ることで,政治的な衝突と摩擦を回避している.この ことは共産党中央の複数の文献に明記されている[中 共中央 1982:66-68][中共中央組織部 1991:205-206][中 共中央・国務院 1991:221].東チベットにおいて,大多 数のチベット人共産党員は信仰を有していると考える のが自然であり,彼らは党員と仏教徒という二つの顔 を適宜使い分けているのが実状である. 中国共産党第 18 回全国代表大会で採択された「中国 共産党規約」(2012 年 11 月 14 日)には,「中国共産党 はマルクス・レーニン主義,毛沢東思想,鄧小平理論, 『三つの代表』の重要な思想及び科学的発展観を自ら の行動指針とする」と記されている.中国共産党が掲 げる無神論の宗教観は,マルクス・レーニン主義に基 づいている.レーニンは「宗教は民衆の阿片である. ――このマルクスの格言は,宗教の問題におけるマル クス主義の世界観全体のかなめ石である」と語ってい る[レーニン 1909:392-393].中国共産党はこれまで一 貫して,宗教をアヘンにたとえたマルクス主義宗教観 は,「宗教問題における理論上の指導的地位にある」と 規定してきた[龔学増 1990:45]. 現在,中国共産党の宗教政策において,マルクス主 義宗教観を明示している文献は,「中共中央 1982 年 19 号文件」(「わが国の社会主義時期の宗教問題に関する 基本観点及び基本政策」)である.以下に引用する[中 党員の信仰状況 対処方法 1.国家統一と民族団結を破壊する党員 除籍処分 2.共産主義の信念を喪失した党員 教育措置または離党 または除名 3.共産主義の信念がゆらぐ党員 教育措置または離党 4.党の政策を実行し,規律に従う党員 教育措置

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共中央 1982:55]. 「人類の歴史において,宗教は最終的には滅亡するも のである」 「社会主義制度の建設と経済・文化の相応の発展とと もに,宗教はまたたくまに消滅するという考え方は, 非現実的である」 共産党員と宗教信仰の関係については,次のように 規定されている[中共中央 1982:66]. 「党の宗教信仰の自由政策は,わが国の公民に対して 言うのであって,共産党員には適用されない」 1980 年代以降,党の宗教政策と政府の宗教管理を支 えてきた国家宗教事務局局長の王作安(1958-)は,「中 共中央 1982 年 19 号文件」は「マルクス主義宗教観の 中国化」であり,その内容と意義は 30 周年を経た現在 も有効であると語っている[王作安 2012].「中国共産 党はマルクス主義宗教観を堅持する.そして我が国の 社会と宗教状況の発展と変化に基づき,実際の問題を 解決することを中心とする」という考えを示した上で, 中国はドイツやロシアと社会背景が異なり,中華人民 共和国建国後,宗教をめぐる社会状況が大きく変化し たことを踏まえ,「現在,激しく宗教批判を行う必要は ない」と言い切っている[王作安 2010:71,74].つまり 「マルクス主義宗教観の中国化」とは,中国共産党が 「中国の特色ある社会主義」を実現する上で宗教の存 在と意義を認め,中国の五大宗教が抱える具体的な問 題に積極的に対処していくことを示している. 5.中国共産党の宗教政策と二つの「中央文件」 文化大革命終結後から現在にいたるまでの中国共産 党の宗教政策を論じる上で,重要な文書が 2 篇ある. 先に述べた鄧小平時期の「中共中央 1982 年 19 号文件」 と江沢民時期の「中共中央 1991 年 6 号文件」である. 以下,党中央が発した二つの文書の内容を考察する. 5.1「中共中央 1982 年 19 号文件」(1982 年 3 月 31 日) 中共中央「わが国の社会主義時期の宗教問題に関す る基本観点および基本政策」 1966 年に毛沢東の主導で発動された文化大革命は, 1976 年毛沢東の死去と江青ら「四人組」の逮捕によっ て幕を閉じた.1978 年に「歴史的な転換」とも言われ る党第 11 期三中全会が開催され,階級闘争から経済建 設に軸足を移す「脱文革路線」が決定的なものになっ た.1981 年には「建国以来の党の若干の歴史問題に関 する決議」が採択されたことにより,文革は公式に否 定され,毛沢東の歴史評価は「功績が第一,誤りは第 二」と下された.こうして鄧小平(1904-97)が徐々に 実権を掌握するなかで発表された「19 号文件」は,党 の宗教政策における脱文革宣言であると言える.そし て,この通達は現在の習近平政権の宗教政策にも引き 継がれている.習近平総書記が誕生した 2012 年第 18 回党大会の開催に合わせて,「19 号文件」通達 30 周年 の意義が確認されたことがその証拠である([詹石窗 2012]他)7). 「19 号文件」全 12 章の骨子を以下に示す. 1.マルクス主義宗教観を理解し,社会主義時期にお ける中国の宗教状況を把握する 2.多宗教国家が直面する宗教問題の複雑性を理解す る 3.文化大革命など政治の左傾化による宗教弾圧を反 省し,党の宗教政策を再確認する 4.無神論者である党員と信仰の自由をもつ公民の立 場の違いを明確にする 5.宗教活動従事者は法令遵守と民族団結を行い,統 一戦線活動を活発化させる 6.政府の宗教事務機関は宗教活動拠点を整備し,宗 教団体の健全な運営を促す 7.愛国宗教組織 8 団体の役割を確認し,財務管理の 透明化をはかる 8.愛国的宗教人士を養成し,宗教教育機関を運営す る政策を強化する 9.党の宗教政策の原則を確認し,少数民族の党員に 対して配慮を行う 10.正常な宗教活動を維持し,違法な宗教活動を処罰す る 11.宗教活動における外国の影響を排除し,外国人や華 僑による献金の管理方法を定める 12.党の宗教に対する統率的指導の重要性を確認し,マ ルクス主義宗教研究を推進する 5.2「中共中央 1991 年 6 号文件」(1991 年 2 月 5 日) 中共中央,国務院「宗教政策を一層確実に進める上 での若干の問題に関する通知」 1989 年,リベラルな指導者として人気の高かった胡 耀邦総書記(1915-1989)が他界後,彼の追悼集会を契 機に知識人や学生たちが民主化要求運動を展開した (第二次天安門事件).しかし,最終的に党の武力弾 圧により,民主主義の芽は摘まれてしまった.チベッ ト自治区のラサでは,1987 年に僧や民衆による抗議活

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動が活発になり,2 年後の 1989 年に自治区党書記の胡 錦濤が戒厳令を敷き徹底的に弾圧を行った.同じく 1989 年,東西冷戦の象徴的存在であったベルリンの壁 が崩壊し,やがて東欧革命の進展と西側諸国による経 済制裁により,中国は国際的に孤立へと追い込まれて いった.そのような状況下で,鄧小平の抜擢により, 趙紫陽(1919-2005)に代わり上海で党と政府の実務経 験を積んだ江沢民(1926-)が共産党総書記に就任し た. 「6 号文件」が前文の中で,「19 号文件」を「宗教 活動を指導する重要文献」と位置づけている点は重要 である.つまり,鄧小平の宗教政策を継承した上で, 江沢民の宗教観を加えた内容となった.全 6 章の要点 は次のとおりである. 1.宗教信仰の自由政策を全面的に正しく徹底して実 行する(「19 号文件」第 4 章を継承) 2.法により宗教事務の管理を行う(追加) 3.愛国宗教組織の役割をしっかり果たす(同第 7 章 を継承) 4.宗教を利用した犯罪行為を断固として打ちのめす (同第 10 章・第 11 章を継承) 5.宗教政策機関を整備し,宗教政策担当幹部の養成 を強化する(追加) 6.宗教政策に対する党の指導を強化する(同第 4 章・ 第 5 章を継承発展) 第 2 章と第 5 章では,「法による宗教事務の管理」 「宗教政策機関の整備」「宗教政策担当幹部の養成強 化」が新たに追加された.そして,第 6 章では,党中 央組織部の「通知」(1991 年 1 月 28 日)を受け,宗教 信仰を有する党員への対処方法が明記された.「6 号文 件」は法による管理と外国からの影響の排除に主眼を 置いている点に特徴がある.チベット騒乱(1987 年- 89 年)や東欧革命を教訓に,宗教政策関連法を整備す ることで宗教活動への管理を強化し,外国との連携を 断ち切るのが江沢民の狙いであった. 6.中国政府の宗教管理と公民の信教の自由 中国共産党は党員が信仰を持つことを禁止している が,社会主義時期の中国において宗教は長期に存在し, 公民が信仰を持ち宗教活動に参加する自由を認めてい る.公民が信教の自由を有することは,「中華人民共和 国憲法」の中で定められている.該当する文言を以下 に掲げる. (1)中国人民政治協商会議共同綱領(1949 年 9 月 29 日) 第 5 条 中華人民共和国の人民は思想,言論,出版, 集会,結社,通信,身体,居住,移転,宗教信仰お よび示威行進の自由権をもつ. 第 53 条 各少数民族はその言語と文字を発展させ,風 俗習慣と宗教信仰を保持あるいは改革する自由をも つ. (2)中華人民共和国憲法(1954 年採択) 第88条 中華人民共和国の公民は宗教信仰の自由をも つ. (3)中華人民共和国憲法(1975 年採択) 第 28 条 公民は言論,通信,出版,集会,結社,行進, デモ,ストライキの自由をもち,宗教を信仰する自 由と宗教を信仰せず無神論を宣伝する自由をもつ. (4)中華人民共和国憲法(1978 年採択) 第46条 公民は宗教を信仰する自由と宗教を信仰せず 無神論を宣伝する自由をもつ. (5)中華人民共和国憲法(1982 年採択) 第 36 条 中華人民共和国の公民は,宗教信仰の自由を 有する. いかなる国家機関,社会団体,個人も公民に宗教を 信仰することまたは宗教を信仰しないことを強制して はならず,宗教を信仰する公民と宗教を信仰しない公 民を差別してはならない. 国家は正常な宗教活動を保護する.何人も宗教を利 用して社会秩序を破壊したり,公民の身体や健康に害 を与えたり,国家の教育制度を妨害する活動をしては ならない. 宗教団体および宗教事務は,外国勢力の支配を受け ない. 1949 年中華人民共和国建国の前夜に開催された中国 人民政治協商会議は,統一戦線的な機構であった.中 国共産党の他に中国国民党革命委員会や民主同盟が参 加し,国家体制としては暫定的なものであったため, 「共同綱領」は臨時憲法の役割を担っていた.「憲法」 (1975 年)と「憲法」(1978 年)には,「宗教を信仰せ ず無神論を宣伝する自由をもつ」という文言がある. 無神論の宣伝を行うのは共産党と共産党員である.文 化大革命は有神論を否定し,宗教信仰をもつ少数民族 の党員を激しく非難した.「憲法」(1978 年)の信教の 自由に関しては,文化大革命の余波が色濃く残ってい たことがわかる.

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「憲法」(1982 年)が抱える問題点の一つは,「正常 な宗教活動」の具体的な内容である.中華人民共和国 は中国共産党が指導する国家である以上,正常な宗教 活動とは,党が許容する範囲内の活動と考えられる. 「中共中央1982 年19 号文件」には,「宗教を利用して, 党の統率的指導と社会主義制度に反対すること」は許 されないと記されている.このことは土屋英雄がすで に指摘しており,憲法上の意味内容は明確ではなく, いかなる活動が該当するかは「憲法より下位の法令お よび党の政策によって決められている」[土屋 2009:40]. もう一つの問題点は「外国勢力の支配」である.中国 国内において,チベット亡命政府やバチカンとの協力 や連携が疑われる宗教活動は,「国家の統一」を脅かす 「不正常」な「反党」行為と見なされてしまう.現在, 中国国内のチベット人居住地区では,内心における信 仰の自由は認められている.一方,宗教的行為の自由 は,党と政府が軍警を利用して外国勢力の支配を排除 し,治安維持を優先させる過剰な警備を実施している ため大きな制約を受けている.宗教上の結社の自由は 実質認められていないと言える. 中国では公民と人民の概念は区別されている.「公 民」は法律の概念であり,人民より広い範囲を指して いる.「人民」は「敵」に対応する政治概念であり,社 会主義時期においては,社会主義建設および国家の統 一を擁護する者を意味する.したがって,チベット人 僧侶は公安当局に外国勢力との関係を疑われた場合は, 公民が享受する宗教活動の自由を制限されることにな る. 7.毛沢東時期の宗教政策とチベット政策 ここで論じる毛沢東(1893-1976)の時代とは,彼が 中国共産党内の実権を把握した遵義会議(1935 年)か ら死去までを指している.毛沢東がチベット人とチベ ット仏教に出会ったのは長征の途上であった.国民党 との戦いの中で,劣勢の共産党は江西ソビエト区を放 棄し,8 万数千人の部隊を率いて西方への敗走を余儀な くされた.毛沢東が率いる第一方面軍は,1935 年にチ ベット高原の東端に入り北上した.しかし,部隊が大 河や雪山,湿原を越えるのは容易でなく,高地特有の 乾燥と低酸素に悩まされ,極度の食糧不足に直面した. 紅軍兵士が食糧及び通訳,道案内を求めて村へ入ると, チベット人は言葉の通じない侵入者に容赦なく襲いか かった.毛沢東は長征の過程で,政治面と軍事面でし だいに共産党の指導権を握っていったが,チベット地 区での寒冷な気候,餓え,そして言葉の通じない異民 族と格闘した恐怖は,彼にとって大きなトラウマとな って残ったに相違ない. 長征時期のチベット地区における党の宗教政策を支 えたのは軍隊であった.第四方面軍の朱徳(1886-1976) は,白利寺の高僧ゲダ 5 世を説得し食糧の確保に成功 した.張国燾(1897-1979)は東チベット各地に博巴(ボ バ)政府(チベット人自治政府,博巴(波巴)はチベ ット人を示すチベット語 bod pa の音写)を作り,自ら が構想していた西北連邦政府に組み込む目論見であっ た8).博巴政府の「政治綱領」は, 第 7 条の中で信教 の自由とチベット仏教の保護を謳った[中共中央統戦 部 1991:496].しかし,朱徳も張国燾も当時,宗教を 部隊の維持と党内闘争に利用したにすぎなかった.二 人の紅軍幹部による宗教を利用した統一戦線活動は [川田 2007b]で論じた. 中華人民共和国成立の翌年,毛沢東は第二野戦軍第 18 軍にチベット進攻を命じた.イギリスを中心とした 帝国主義の支配からチベットを解放することを名目 に,共産党がチベットの領土を支配することが目的で あった.朱徳は再びゲダ 5 世と連携し,彼をチベット 解放の使者としてラサへ向かわせ,ダライ・ラマ 14 世 の説得にあたるよう依頼したが,失敗に終わった.1951 年,共産党は北京で,チベット側の代表アポ・ガワン・ ジグメと「チベット平和解放に関する協議」を強引に 締結した[《解放西蔵史》編委会 2008:160-163].第 4 条でダライ・ラマの地位と職権の維持を確認し,第 5 条でパンチェン・ラマの地位と職権の維持を確認した. そして,第 7 条には「中国人民政治協商会議共同綱領 が規定する宗教信仰の自由を実行する」と記されたが, 協議は共産党が主導権を握っていたため,これらの約 束は実体をともなわない空疎なものであった. やがて東チベットでは 1956 年に民主改革が強行さ れ,寺院が持っていた経済活動の特権と財産,そして 宗教活動の自由が奪われた.中国政府とチベット武装 組織の間で激しい武力闘争が展開される中,多数の僧 院が破壊され僧侶は寺院からの退去または還俗を強制 された.東チベットでは 1958 年まで両者の衝突が続い たことにより,社会基盤は崩壊し甚大な被害が発生し た.一方,毛沢東はダライ・ラマがこれまで支配して きた中央チベットでの民主改革は時期を遅らせ慎重に 準備するよう指示を出していた[中共中央 1956: 182-184].しかし,東チベットでの武力衝突の余波が ラサに達し騒乱に発展する中,1959 年 3 月ダライ・ラ マ 14 世はインドへの亡命を決行した.ラサのみならず

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東チベットの僧院では,影響力を持つ化身ラマが,側 近を伴い相次いでインドへ逃れていった.一方,もう 一人の高僧パンチェン・ラマ 10 世(1938-89)は中国 に留まり,共産党の統一戦線活動に従事することを余 儀なくされた. 毛沢東が「連合政府論」(1945 年第 7 回党大会の政 治報告)の中に書いているように,建国以前の中国共 産党は,少数民族の自決権と分離権を認め,連邦国家 を構想していた.しかし,長征の過程で毛沢東は張国 燾の連邦政府構想を否定し,少数民族の政権樹立に否 定的な態度をとった.その後,中華人民共和国建国に ともない,自決権と連邦構想は破棄され,「共同綱領」 (1949 年)と「憲法」(1954 年)の民族政策に基づき, 少数民族が集住する地区では民族区域自治制度が実行 された.その結果,1965 年中央チベットにチベット自 治区が成立した.その頃,東チベットでは,1950 年金 沙江(ディチュ)東岸に設立された西康省チベット族 自治区が 1955 年に廃止され,甘孜チベット族自治州に 改められ四川省に吸収された. 1966 年に始まった文化大革命では,伝統文化を破壊 する「四旧打破」の嵐が吹き荒れ,党の統一戦線活動 と政府の宗教事務はいったんその機能を停止した.亡 命したダライ・ラマ 14 世の他,中国に留まったパンチ ェン・ラマ 10 世,そして多数の高僧が民衆や紅衛兵に よって激しく批判された.チベット自治区ラサにおけ る文化大革命の状況は,2006 年台湾で出版された写真 集『殺劫』(大塊文化出版社)で知ることができる. デルゲ印経院を舞台にした民主改革,文化大革命時期 における宗教政策は[川田 2008b]で論じた. 8.鄧小平時期の宗教政策とチベット政策 8.1 鄧小平の復活 1976 年 1 月に周恩来総理(1898-1976)が死去した 3 ヶ月後,天安門広場で周恩来を追悼しつつ,文化大革 命を主導した江青等「四人組」指導部を暗に批判する 運動が展開された.この第一次天安門事件で,毛沢東 は鄧小平を事件の黒幕と見なし,すべての役職を解任 して失脚に追い込んだ.続いて 9 月に毛沢東が死去す ると,「四人組」は逮捕され,毛沢東に後継者として 指名された華国鋒(1921-2008)が党・政府・軍の全権 を掌握した.ところが,政権基盤の弱い華国鋒は瞬く 間に失脚し,その後,1977 年 7 月に復活した鄧小平が 大胆に新しい国作りの方針を打ち出しはじめた. 鄧小平時期における共産党の宗教政策とチベット政 策を考える上で,重要な文献が三つある.「中共中央 1980 年 31 号文件」(1980 年 4 月 7 日),「中共中央 1984 年 6 号文件」(1984 年 4 月 1 日),もう一つは先 に紹介した「中共中央 1982 年 19 号文件」(1982 年 3 月 31 日)である.その内,1980 年と 1984 年の「文件」 は第 1 回,第 2 回のチベット工作座談会紀要に該当す る.中国共産党のチベット政策を考える上で,チベッ ト工作座談会は重要な方針策定の場であり,座談会で の宗教政策の議論は党の統一戦線活動に反映される. 図-4 北京でパンチェン・ラマ 10 世と乾杯する鄧小平 (1959 年 5 月 15 日)

Fig.4 Deng Xiaoping drinking a toast with the 10th Panchen Lama (May 15, 1959) 8.2 第 1 回チベット工作座談会(1980 年) 1980 年 3 月 14 日,15 日に,共産党中央書記処総書 記の胡耀邦が北京で開催した会議である.鄧小平は 1978 年12 月の共産党第11期三中全会で主導権を握り, 毛沢東の革命路線から決別し,近代化建設路線への転 換を決定した.第 1 回座談会はこの決定を受けて,毛 沢東が主導した文化大革命の誤った政策を否定し,党 の新たなチベット政策を確認した.「紀要」に記され た宗教政策の具体的な項目を以下に掲げる[中共中央 1980:305-312]. 1.信仰をもつ大衆の正しい宗教生活を尊重する 2.宗教活動の管理を強化し,宗教を利用した違法活 動に断固反対する 3.信仰をもつ大衆を団結させるために,現存する寺 院を保護し修築する 4.仏教学や経典研究に造詣の深い僧を知識人として 処遇し,チベット文化を継承発展させる 5.還俗者が寺院への復帰を望む場合は,必要な援助 を行う

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6.散逸し被害を受けた文物や経典を回収し保護する 7.思想にすぐれ法を守る青年僧を育成し,生産,学 習,宗教活動に従事させる 8.青年僧が宗教の特権を振りかざし,政治に関与す ることを禁止する 9.民族と宗教分野の愛国的指導者を団結させ,教育 し,革命的愛国的統一戦線を展開する 10.ダライ集団と在外チベット同胞の動向を調査し,両 者を区別する 11.国内に留まる亡命者の親族に対して思想政治教育を 強化し,子女の教育と就業に配慮する 12.一時帰国した視察者(亡命政府視察団)を歓待し, 原則を堅持する 宗教政策の特色は,国内の宗教人士とインドの亡命 政府関係者を対象とした広範な統一戦線活動の推進で あった.10-12 の政策は,近い将来ダライ・ラマ 14 世が中国へ帰還する可能性があるという鄧小平の判断 に基づいている9).「一時帰国した視察者」とは亡命 政府が派遣した視察団を指しており,「ダライ集団」 は中国共産党のチベット亡命政府に対する蔑称であ る. 座談会の前年にあたる 1979 年 3 月 12 日,鄧小平は亡 命政府視察団のギャロ・トゥンドゥップ(ダライ・ラ マ 14 世の兄)と公式に面会し,「国内問題」として協 議することを伝えた.座談会が提出した宗教政策の内 容は,この一連の動向を踏まえたものである. 図-5 チベット自治区を視察した胡耀邦(右),アポ・ ガワン・ジグメ(中),陰法唐(左)

Fig.5 Hu Yaobang (right), Ngapoi Ngawang Jigme (center), and Yin Fatang (left) inspecting the Tibet Autonomous Region 1980 年 5 月,胡耀邦は座談会の成果を携えて,万里 (国務院副総理,1916-)と共にラサを視察し,チベ ット自治区の民族自治権の確認,漢人幹部の帰還,チ ベット人幹部の登用拡大,経済支援の増額などを伝え, チベットに一時の「自由な空気」をもたらした[王小 彬 2009:231].この時,胡耀邦はラサの立ち後れた経 済と生活の実情を目の当たりにして,早期の改善を約 束した.そしてチベット人幹部の積極的登用,漢人幹 部のチベット語学習,教育の重視等を幹部会議で提案 しラサを離れた[西蔵自治区党資料徴集委員会 1995:229-230]10). 8.3 第 2 回チベット工作座談会(1984 年) 1984 年 2 月 27 日から 3 月 28 日まで北京で開かれた. 今回も胡耀邦(党中央委員会総書記)が中心となり,1 ヶ月の座談会期間中に 7 回の講話を行った.その後, 座談会の成果は「中共中央 1984 年 6 号文件」として 4 月 1 日に公表された[中共中央 1984:358-369]. 胡耀邦が最も力説したことは,チベットがもつ特殊 性(地理的条件,過去の社会背景,チベット人の集住, 全民信教)を再認識した後,中国全体との共通性を検 討する必要性である.紀要に記された宗教政策の具体 的な項目を以下に示す. 1.宗教界の指導者と親族(インドなど外国在留者も 含む)を対象とした広範な愛国的統一戦線活動を強 化する 2.「中共中央 1982 年 19 号文件」の宣伝と学習を強 化する 3.1980 年代末までに約 200 の寺院の活動を回復させ, 簡易な宗教活動地点の設置を認める 4.宗教界に対して法令遵守の教育を強め,宗教指導 者や活仏が正しい宗教活動を行う際の合法的権益を 保障する 5.宗教界が慈善活動や生態保護などの社会公益事業 やサービス事業に関わることを積極的に支持する 第 2 回座談会は,全体として 1982 年に党が示した宗 教政策(「19 号文件」)に対応した内容であると言え る.1984 年の時点では,化身ラマの合法的権益の保障, 亡命した宗教者の家族への配慮という踏み込んだ内容 を持つ統一戦線活動は,ダライ・ラマ側との和解協議 が進展するという期待の表明と読み取れる.胡耀邦の 宗教政策は鄧小平の政策を継承しつつ,宗教活動の再 開を支援し,活動の幅を広げる穏健な面を備えていた. 宗教活動がもつ公益性や生態保護を重視する政策は,

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後に胡錦濤の時代に具体化していく.今回の座談会終 了後,胡啓立(党中央書記処書記,1929-)と田紀雲 (国務院副総理,1929-)がラサを視察し,チベット の実情に基づいた経済建設,農業・牧畜政策の重要性 を訴えるレポートを提出した11) 1980 年代前半,共産党のチベット政策は比較的穏や かであったが,後半は中国の都市部を中心に大きな変 革の波が起こった.その起点と言われているのが,1986 年方励之(1936-2012)が副学長を務めていた安徽省の 科学技術大学での民主化要求運動である.学生運動は またたく間に多数の大学に飛び火し,各地でデモや集 会が持たれた.1987 年中共政治局拡大会議が開かれる と,胡耀邦は民主化要求運動に軟弱な対応をとった責 任を問われて総書記の辞任を迫られた.鄧小平は後任 としてもう一人の改革派の旗手である趙紫陽を選んだ が,趙は 1989 年第二次天安門事件の際,デモを行う学 生や労働者への謝罪発言をめぐって鄧小平の怒りを買 い,党の全職務を解任された.その後,鄧小平は北京 に戒厳令を敷き,武力を用いて学生と労働者を天安門 広場から排除した. 9.江沢民時期の宗教政策とチベット政策 9.1 江沢民の時代 1989 年第二次天安門事件による趙紫陽総書記の失脚 後,鄧小平は江沢民を総書記に抜擢した.江沢民は大 学で電気や機械工学を学んだ後,1950 年代にモスクワ の自動車工場で研修を受けた経歴の持ち主である.帰 国後は一貫してテクノクラートの道を歩んだ.その後, 1980 年代に上海市長,上海市党委員会書記を歴任中, 「改革開放」政策を支持し,ブルジョア自由化に反対 した政治手腕が鄧小平の目にとまったのである.そし て,1992 年の第 12 回党大会で総書記の再任が確認され た後,鄧小平の権威を借りて社会主義市場経済の導入 に力を注いだ. 図-6 チベット自治区を視察する江沢民(1990 年 7 月)

Fig.6 Jiang Zemin inspecting the Tibet Autonomous Region (July, 1990) 江沢民時期の宗教政策の柱となる重要文献が二つあ る.先に紹介した「中共中央 1991 年 6 号文件」と共産 党が宗教政策を議論した第18回全国統一戦線工作会議 (1993 年 11 月 3 日-7 日)における江沢民の講話であ る. 9.2 江沢民「民族工作と宗教工作を一層重視せよ」(1993 年 11 月 7 日) 江沢民は統一戦線工作会議で,東欧革命やソ連邦の 崩壊を教訓に祖国統一と民族団結を堅持する必要性を 訴え,宗教政策の「三原則」を重視するよう通知した [江沢民 1993:253-255]. 党の宗教政策とはマルクス主義宗教観を指してお り,党員は宗教を信仰せず,無神論を宣伝する義務を 負うと定めている.ただし,党は一方で,公民の信教 の自由を保護することを約束している.江沢民は宗教 が社会主義時期の中国に長期にわたって存在すること を認めた上で,宗教信仰者がもつ積極的な要素を引き 出し,社会主義社会への貢献を求めたのである.つま り,宗教組織と信仰者は祖国を愛し,社会主義制度と 共産党の指導を守ることを改めて義務付けられたと言 える.江沢民は公民の宗教活動の自由を保障する一方 で,彼らの活動を制約し管理するための法整備に力を 注いだ. 表-3 江沢民 宗教政策「三原則」

Table3 Jiang Zemin’s religious policy “Three Principles”

(資料)[江沢民 1993:253-255] 江沢民の時代に作られた宗教事務に関係する主な法 律,規定,条例を以下に掲げる12) 「中華人民共和国集会游行示威法」(1989 年 10 月 31 日) 江沢民 1993 年 宗教政策「三原則」 1.党の宗教政策を全面的に正しく徹底して実行する (「1991 年 6 号文件」第 1 章を継承) 2.法に基づき宗教事務の管理を強化する (「1991 年 6 号文件」第 2 章を継承) 3.宗教と社会主義社会の適応を積極的に導く(新設)

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「宗教社会団体登記管理実施方辦法」(1991 年 5 月 6 日) 「宗教活動場所管理条例」(1994 年 1 月 31 日) 「中華人民共和国境内外国人宗教活動管理規定」(1994 年 1 月 31 日) 「宗教活動場所登記辦法」(1994 年 4 月 13 日) 「内部資料性出版物管理辦法」(1997 年 10 月 30 日) 「宗教院校聘用外籍専業人員辦法」(1998 年 11 月 19 日) 「全国人民代表大会常務委員会関於取締邪教組織,防 範和懲治邪教活動的決定」(1999 年 10 月 30 日) 「出版管理条例」(2001 年 12 月 25 日) これらは集会やデモ,宗教活動場所,外国人の宗教 活動,出版物,カルト対策に関するものである.各種 規定や条例は宗教活動の自由を制限する色合いが濃 く,宗教事務を管轄する政府側に都合の良い内容と言 える.江沢民が急速に法整備を進めた狙いは,自らが 掲げた宗教政策「三原則」に基づき違法な活動を摘発 するとともに,党と政府が法に依る宗教事務管理を積 極的に行っていることを国内外に示すことであった. 9.3 チベットの動向 次に,江沢民時時期のチベットの動向を概観する. 1987 年 9 月,ダライ・ラマ 14 世はアメリカ議会で演説 を行い,チベットの平和や人権,自由,環境,地位を 守ることを中国に要求する「五項目和平プラン」を提 示した[チベット亡命政府国際・情報関係省 2000: 24-32]. 表-4 ダライ・ラマ「五項目和平プラン」1987 年

Table4 The Dalai Lama’s “Five-Point Peace Plan” (1987)

(資料)[チベット亡命政府国際・情報関係省 2000: 24-32] ダライ・ラマの主張に呼応するかのように,その直 後にチベット自治区ラサで,僧や民衆による中国政府 への抗議行動が発生した.ラサでは 1988 年 3 月,1989 年 3 月にも抗議行動が繰り返された.ダライ・ラマが 亡命する契機となった 1959 年のラサ騒乱は 3 月 10 日 に起こったため,チベット人にとって毎年 3 月は,中 国共産党に対する積年の不信感が高まりやすい時期で ある. そして,1989 年に歴史が大きく動いた.1 月にパン チェン・ラマ 10 世が,ラサで中国共産党のチベット支 配を批判した直後に謎の死を遂げたのである.パンチ ェン・ラマのラサでの言動については加々見光行が『知 られざる祈り――中国の民族問題』の中で述べている が,真相は現在も不明である[加々見 1992:21-23]. そして,12 月にダライ・ラマ 14 世がノーベル平和賞を 受賞したことを受け,共産党は祖国統一を妨害する分 裂主義者として一層激しく非難した.これ以後,チベ ット亡命政府と中国共産党は,新たな確執の時代に入 っていった.1990 年 7 月,江沢民は党総書記として自 らラサを視察した際,党チベット自治区委員会の胡錦 濤書記(1942-)が提出した政策「一つの中心,二つ の重要事項,三つの確保」に賛同の意思を示した13) 「政治情勢の安定」と「治安の維持」の項目は,1989 年のラサ騒乱とノーベル平和賞を意識した対外強硬政 策と国内の引き締め政策を強化する決意を表してい る.胡錦濤のチベット政策はその後,経済活動の活発 化を導いたが,同時に宗教事務局や公安当局による宗 教活動への管理強化を招く結果となった. 表-5 チベット政策の指針(1990 年)

Table5 Guidelines on Tibetan policies (1990)

(資料)[西蔵自治区党資料徴集委員会 1995:371-372] 鄧小平はチベット亡命政府との交渉を「国内問題」 として前向きにとらえ,1985 年にダライ・ラマが一時 帰還するという話も浮上していた[王柯 2005: 194-196].ところが江沢民は,アメリカやヨーロッパ が中国との外交にチベット問題を絡める戦略を内政干 渉と見なし,亡命政府およびダライ・ラマの動きを「国 ダライ・ラマ 1987 年 「五項目和平プラン」 1.チベット全土を平和地帯とする 2.中国人の大量移住政策を中止する 3.チベット人の人権,民主主義,自由を尊重する 4.チベットの環境を回復させ保護する チベットで核兵器製造と核廃棄物処理を禁止する 5.将来のチベットの地位,チベットと中国との関係についての協 議を開始する 胡錦濤 1990 年 チベット政策の指針 一つの中心 経済建設 二つの重要事項 政治情勢の安定 経済発展 三つの確保 治安の維持 経済の持続的発展 人民の生活水準向上

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外からの祖国分裂活動」として厳しく警戒した.緊迫 したチベット情勢は,江沢民と共産党に宗教政策・チ ベット政策の強化と亡命政府との対決姿勢を強めさせ ることになった. 9.4 チベット仏教工作座談会(1992 年) 1992 年に党中央統戦部と国務院宗教事務局は,北京 でチベット仏教工作座談会を開催した(8 月 25 日-28 日).この時,チベット仏教寺院を有するチベット自 治区,四川省,青海省,甘粛省,雲南省,内モンゴル 自治区から党と政府の宗教政策・宗教事務担当者が召 集された.座談会の目的は,1987 年から 89 年に深刻化 したラサ騒乱への対応策と「中共中央1991 年6 号文件」 の活用を協議することであった. 座談会「紀要」(1992 年 12 月 5 日)の中から,宗教 政策に関する決定事項を以下に示す[中共中央統戦 部・国務院宗教事務局 1992]. 1.法に基づき宗教活動を行う場所を登録する.今後, 活動場所の新設は許可しない 2.寺院に民主管理委員会を設置し,愛国愛教の僧尼 を育成する 3.地方の宗教管理部署と寺院は宗教法規・規則を制 定する.行政区域を越えた宗教活動を禁止する 4.寺院の財務状況と管理能力に応じて僧尼の定員を 定める 5.大規模で活仏の影響力の強い寺院を重点的に管理 する 6.僧尼の生産活動,寺院の経済活動と社会公益事業 を奨励し,寺院の経済的独立を促す 7.寺院は教育部に登録した学校運営を通じて,地域 教育の振興に貢献する 8.活仏の転生は政府の宗教事務部署の指導に従う. 国外の個人や組織の関与を禁止する 活動場所の登録,法に依る管理の徹底,愛国主義教 育の実施は「1991 年 6 号文件」の第 1・2・3・5・6 章 と合致した内容である.公益事業の奨励は第 2 回チベ ット工作座談会(1984 年)での決定を受け継いだもの である.今回の座談会で新たに提出された方針は,活 動区域の制限,寺院の定員制,独立した財務運営,そ して化身ラマ(活仏)の転生管理である.活動区域の 制限と寺院の定員制は,ラルン五明仏学院の認可とヤ チェン修行地の運営を考える際にすでに論じた[川田 2007a][川田 2008a].化身ラマの問題は,1989 年に 圓寂したパンチェン・ラマ 10 世の転生を党と政府の宗 教管理の枠の中に組み込む姿勢の表れである.この会 議以後,江沢民政権はチベット政策と宗教施策の引き 締めへと転じた. 9.5 第 3 回チベット工作座談会(1994 年) 党中央と国務院は1994 年に北京で第3 回チベット工 作座談会を開いた(7 月 20 日-23 日).1984 年の第 2 回以来実に 10 年ぶりの開催であり,座談会の成果は 「1994 年党中央 8 号文件」として公表された[中共中 央・国務院 1994].江沢民は講話の中で,胡錦濤が提 示したチベット政策の指針「一つの中心,二つの重要 事項,三つの確保」を承認した上で,チベットの経済 建設をより一層強化することを強調した. 具体的には,チベット自治区のラサへ通じる鉄道の 敷設計画と全 62 項目のインフラ整備事業の推進であ る.江沢民が経済重視を打ち出した背景には,1992 年 に当時 88 歳の鄧小平が南方の上海や深圳,内陸部の武 漢等の都市を視察し,経済改革と対外開放を訴えた「南 巡講話」の政策(中共中央 1992 年 2 号文件)を内陸部 や国境地帯でも展開するという党中央の決定(中共中 央 1992 年 4 号文件)があったからである14).しかし, 大型公共工事の実施は一時的に地元に雇用と収入の増 加をもたらしたが,実際は軍事目的や党幹部の実績稼 ぎの事業も含まれており,人々が生活の豊かさを実感 するには至らなかった. 江沢民は講話の中で,亡命政府との協議内容につい ても言及している.要点はダライ・ラマ 14 世が提案15) している「大チベット構想」と「高度自治」はチベッ ト独立を目指したものであり認められないが,それ以 外の項目は話し合いに応じるという内容である[江沢 民 1994:459-450].これは 1994 年 7 月時点における中 国共産党の亡命政府政に対する基本姿勢である. チベットにおける党の宗教政策は,2 年前に開かれた チベット仏教工作座談会(1992 年)で協議された項目 を基本的に継承している.追加された事項は,亡命政 府と関係をもつ等,「大きな問題を抱えた寺院に対し て制裁を科す」ことである.このことと関連して,第 3 回座談会に出席したチベット自治区党委員会の陳奎元 書記(1941-)は,寺院と出家者が増加傾向にあり, ラサの党・政府幹部が亡命政府に内通している事例を 報告した上で,愛国主義教育の強化,解放軍と武装警 察隊の役割強化を訴えた[陳奎元 1994:201-216].陳 奎元は胡錦濤の後任として自治区党書記に就いた政治 家であり,1992 年から 2000 年まで治安維持や民族政策

参照

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