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アメリカ占領政策と日本工業

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(1)アメリカ占領政策と日本工業 衣 目. 次. 1.. はしがき. 2.. 3.. 4.. 本. 璽. 彦. 占領政策の展開 2-1 ピジョンとしての政策展開の特色 2-2. 現実の展開過程. 3-1. 占領政策の初期. 占領政策と工業. 3-2. は. 占領政策の転換期. 結びに代えて. —政治的自立と. し. が. `. アジアの工場 ”. き. アメリカ, イギリス, 中華民国の三国が日本に対して「戦争ヲ終結ス)レノ 機会ヲ与フ)レコトニ意見一 致セリ」として声明した「ボツダム宣言」は13項 目よりなるが, 日本占領については,. その第7項において,「新秩序力建設. セラレ且日本国ノ戦争遂行能力力破砕セラレタルコトノ確証アルニ至)レマテ ハ連合国ノ掟定スヘキ日本国領域内ノ諸地点ハ吾等ノ翠二指定スル基本的目 的ノ達成ヲ確保ス)レタメ占領セラ)レベシ」と占領開始目的を明示するととも に,他方,第12項において,「諸目的力達成セラレ且日本国国民ノ自由二表明 セル意思二従ヒ平和的傾向ヲ有シ且責任ア)レ政府力樹立セラルルニ於テハ連 合国ノ占領軍ハ直二日本国ヨリ撤収セラ)レベシ」と占領終結への条件をも示 している。 そして, 日本はポツダム宣言を受諾することによって, この第7. -179 C 491)-.

(2) 項および12項に示される占頷の始まりと終りを7年の歳月のなかで経験する ことになる。. その間, 連合国による日本の 間接統治が行なわれたが. その. 占領管理機構は下図に示されるような命令系統を持っていた。. 極東委員会. (FEC)は昭和20年12月に設立されたもので, アメリカ, ソ連, イギリス, フランス, 中華民国, ド,. オランダ,. オ ー ストラリア,. カナダ,. ニュ ー ジラン. インド, フィリピンの11ケ国よりなり, その任務は軍事行動や領土調整. を除く, 日本の降伏条項の実施に必要な政策, 原則又基準を作成することで あった。 ところで, 単独統治を主張していたアメリカは機構的には極東委員会の政 図. 管. 領. 占. 理 機 構. 極東委員会(FEC) FAR EASTERN COMMISION アメリ カ 政 府 ※FECの政策決定にもとづく指令の作成伝迂 及び「中間指令」を行なうことができる 連合国対日理事会 ALLIED COUNCIL FOR JAPAN ※政策執行に関して SCAPと協議し 助言を行う. 連合 国最高司令官(SCA P) GHQ/SCAP. GENERAL HEADQUARTERS SUPREME COMMANDER FOR THE ALLIEDl'OWERS 濠 FEC及びアメリカ政府の指令の執iiに当る. 府. 日. 本 国. 政. 民. (注)有沢広巳•稲葉秀三編「資料戦後二十年史(2)」16頁参照 -180 (492)-.

(3) 策決定を連合国最高司令官に伝達する下位の役割を持つにすぎなかったが, アメリカ政府は「委員会二依リ既二作成セラレタル政策二依リ網羅セラレザ リシ緊急事項発生スルトキハ常二委員会ガ行動ヲ執)レニ至)レ迄ノ間最高司令 官二対シ中間指令ヲ発スルコト」(1) ができたのであった。しかも, アメリカ 政府は, 極東委員会での採決において, アメリカの対日方針に反する事項に 対して, イギリス, ソ連, 中華民国と供に与えられていた「拒否権」の行使 によって不毛化させた。結論的にいえば, アメリカ政府は対日占領管理にお いて常にその単独統治的主導権を維持しえたのであった。 それだけに, 占領期日本を考察する場合,. ”. "アメリカ の存在をぬきにし. て語ることはできない。就中, 財閥解体, 労働組合運動の解放, 農地改革, 教育制度の民主化, 政治制度の近代化といった一 連の戦後改革はアメリカの 思想を, また経済復興問題はいわゆるアメリカの事情を, 深く反映させたも のであったといえる。 そこで, 本稿では, 後者の問題, すなわち, アメリカ占領政策における経 済復輿の位置づけを検討し,. ”. `アメリカの事情. が日本工業力の戦後処理に. どのようにかかわったのかを考察する。それによって, われわれはアメリカ 占領政策の基本的性格と歴史的役割の一端を解明したと思うのである。. 2. 2-1. 占領政策の展開 ピジョンとしての政策展開の特色. 太平洋戦争は日本のポツダム宣言受諾をもって昭和20 年8 月 5 1 日に終結し た。翌 9 月2日,. ミズリー号においての 降伏文書の 調印が行なわれ, 連合. 国の日本占領が公式にはじまった。同 時に, 連合国最高司令官 (Su preme Commanderforthe Allied Powers= SCAP)にダグラス. ・. マッカ ー サ ー , ァ. (1) 「極東委員会及連合国対日理事会付託条項」合衆国政府の任務第3項, 有沢広巳 •稲葉秀三編「資料戦後二十年史(2)—経済」日本評論社, 昭和41年,14頁参照 -18 1 (49 3 )-.

(4) メリカ太平洋腟軍総司令官が任命された。9月8 日には, 東京のアメリカ大 使館に星条旗がひるがえり,. 17日には太平洋陸軍総司令部 ( GHQ/AFPAC). も横浜から東京へ移された。1 0 月2日, 同司令部内の軍政局(昭和20 年8 月 5日開設)が発展的に解消され, 新たに連合国最高総司令部(GHQ/SCAP) が東京第 一生命ビ)レ内に設置 (2) され, 占領行政の一本化が行なわれた。同司 令部は東京開設前にすでに機能しており,. 9月2日の「指令第1号」および. 9月22日の「指令第3号」によって, 武装解除, 領土の制限, 軍需生庄の全 而禁止, 民需生産の再閲等を日本政府に指令していた。 ところで, 日本占領における管理問題はアメリカにおいてすでに戦争最中 の昭和 17年の中頃から 18年にかけて, 国務省(StateDept), 陸軍省(War Dept), 海軍省(Navy Dept ) において検討されはじめていた。そして, 日 本の敗色が濃くなった昭和 1 9年の 1 月には, アメリカ対日政策の中心的策定 機関として「戦後計画委員会」(Postwar Programs Committee= PWC)が 国務省 内に設置され, また国務省, 陸軍省, 海軍省の対日政策に関する調整 委員会 (State-War-Navy Coordinating Committee= SWNCC) の設置も 同年2 1 月に行なわれている。しかも, この SWNCC の政策文書の起草を担 当する極東小委員会(Sub-Committee on the Far East= SFE )が翌20 年 1 月に設置され,. SWNCC の政策決定機能が強化されたが, その重要性は. 「極東小委員会は, 対日占領政策の実質的立案者であった」 (3) といわれるほ どであった。要するに,. SWNCCによって決定された政策がアメリカ対日管. 理についての公式の政策となったのである。 アメリカは終戦前夜の 占領政策の検討過程において, すでに 一定の占領 行政上のビジョンを 持っていたと 思われる。たとえば, 戦後計画委員会の PWC-1 08b文書, 「日本に関する合衆国の戦後目的 (Post-WarObjectives of theUnited States in Re�ard to Japan)」(昭和 1 9年5 月) は日本占領 (2)竹前栄治「GHQ」岩波書店 昭和58年 45-46頁参照 (3) 同上 76頁 -182( 4 94 )-.

(5) の目的および期間をはじめて公式化したもので, 政策が第1 期から第3期ま での段階性において展開されるものと想定している(4\ すなわち, 第1 期は, 日本が降伏条件を厳格に遵守し, 軍事侵略のさけら れぬ代償として, 厳格な占領施策下におかれる時期である。 第2 期は, 日本 が注意深い監視下におかれるが, 諸制限は日本が他の諸国家と平和的に協調 して行く能力と意欲を示すのにともなって, 逐次緩和されて行く時期, そし て最後の第3期は, アメリカの究極の目的, すなわち日本がアメリカおよび 他の太平洋諸国に対する脅威とならぬことおよび日本に他国の権利と国際義 務を尊重する政府が確立されること, が達成され, 世界の平和的諸国家の一 員として責任をはたしうる日本がそこに想定される時期である。 もっとも, 第3期については, 具体的な把握にいたらず, もっぱら政治的, 経済的イメ ージを持つにすぎないとも述べている。. 2-2. 現実の政策展開. アメリカ対日政策の基本目的が「日本に関する合衆国の戦後目的」 に示さ れるように日本の侵略主義 軍国主義を根絶して, 対日安全保障を確保する ことにあっただけに, 占領政策の厳格さ, 苛酷さ, あるいは懲罰的性格とい う第1 期的特色は終戦から昭和2 1 年にかけてみられた非軍事化, 民主化措置 のなかに見出される。たとえば, 戦犯者の逮捕と裁判, 基本的人権および言 論, 宗教及び思想の自由を確保するための諸改革, 公識追放, ボ ー レー 賠償 計画案等といった諸事実があげられる。 しかも, この厳格さは次のような特徴をもっていた。 その一つは, アメリ 力側の占領に対する理解が当初3�4年という比較的短期なもので, 7 年の (4) この文書は最初国・地域委員会 (Country of Area Committee=CAC) で検 討された CAC-116b 文書を原型とするもので, PWC で一部修正されている。 なお, この英文は大蔵省財政史室編「昭和財政史」第20巻(英文資料) 17-18頁 に収録されている。 また邦翻文は同「昭和財政史」第3巻, 巻末主要政策文書3-4 頁に収録されている。 -18 3 C495)-.

(6) 長期にわたる占領になるとは唯も予想していなかっただけに, 政策の実施計 画は時間との競争を意味し, 必然的にドラスティクかつ性急なものになった ことである (5) 。 もう 一つは, 占領という特殊事情が敗戦国日本の実情を政策 的に無視することによってより 一 屈強調されることになったことである。 す なわち, 当時. 日本側にとって最も緊急を要する課頴であった ". 的復興 とか. ‘. ‘. 経済の平和. ". 経済の安定復興 とか叫ばれた経済問題は占領政策の直接的. な対象から意識的に除外されていたことである。 たとえば昭和20年9月22日 に発表された「降伏後における米国の初期の対日方針」(6) は「日本国国民ハ 其ノ平時ノ需要ヲ充シ得Jレガ如キ経済ヲ自カニ依リ発達セシムベキ 機会ヲ与 ヘラルベシ」としているが. この自力とは「日本国国民二経済上ノ大破滅ヲ 齋シ且日本国国民ヲ経済上ノ困難卜苦悩ノ見透シニ匝面セシム)レニ至レリ日 本ノ苦境ハ日本国自ラノ行為ノ直接ノ結果ニシテ連合国ハ其ノ蒙タル損害復 旧ノ負担ヲ引受ケサルベシ」という意味における自力であった。 経済復興が 占領政策の対象とはなりえないことはさらに11月3日に連合国最高司令官に 伝達された「日本占領及び管理のための連合国最高司令官に対する降伏後に おける初期の基本的指令」(7) において強調された。 すなわち. 日本の経済復 (5) Martin Brontenbrenner," The American Occupation of Japan:Economic Retrospect", The American Occupation of Japan: A Retrospective View, 1968. p 12. (6) 英文タイトルは「UnitedStates Initial Post Defeat Policy Relating to Japan」。 この原案は昭和20年6月12日SWNCC において決定され, S ( WNCC150/1)文害になった。 その後数次の修正を受けている。 たとえばポツダム立日に そった内容修正が試みられたり, 「間接統治」条項が追加さたりした。 8月31日の SWNCCにおいて決定されたのが(SWNCC-150/4)文書である。 通常SWNCC で決定された文書はそのまま公式の政策文書になったが, この文書は特に大統領の 承認を必要とするほど重要なものであった。 なお, (JWNCC-150/3)文害の英文 は前掲「昭和財政史」第20巻63-67頁収録されている。 又, 9月22日, アメリカ政 府より発表された(SWNCC-150/4A)密の邦翻文は前掲「昭和財政丈」第17在 (資料) 19-23頁に収録されている。 (7) 英文タイトルは「Basic Directive for Post-SurrenderMilitary Government in Japan Proper」この文書も大統領の承諾を必要とした。 なお,この文杏の英文 は前掲「昭和財政史」第20巻162-175頁に収録されている。 -184 C 496)-.

(7) 興又は日本経済の強化について何らの責任を負わないこと, 日本にいずれの 特定の生活水準を維持し又は維持させる何らの義努をも負わないことが命令 されていた。 換言すれば,「初期の対 日方針」は, 第 1 部究極の目的において,. 初期に. おける政策が従うべき目的として, (1)日本国ガ再ビ米国ノ脅威トナリ又ハ世 界ノ平和及安全ノ脅威トナラザ)レコトヲ確実ニス)レコト, (2)他国家ノ権利ヲ 尊重シ国際連合憲章ノ理想卜原則二示サレタル米国ノ目的ヲ支持スベキ平和 的且貨任ア)レ政府ヲ究極二樹立ス)レコト, をあげ, 対日安全保障の確立を最 璽要な課題としている。 また, 「初期の基本的指令」において, このような 目的を達成するためには, 軍国主義及び超国家主義の排除, 日本の非武装化 • 非軍事化, 政治. ・. 経済および社会上の諸制度における民主主義化等の措置. の璽要性を強調している。 要するに, 日本の非軍事化. ・. 民主化が占領政策の. 究極の目的で あり, 連合国最高司令官の任努であることが示されているので ある。 しかし, 昭和22年に入ると, アメリカをとりまく環境に変化がみられはじ め, それが占領政策にも反映されるようになっていた。 その一つはアメリカ の対外援助政策が反共政策としての性格を強く前面に押し出しはじめた。 昭 和22年3月,. 「われわれは直接, 間接の侵略によって, 自由な国民に強制さ. れた全体主義的体制が国際平和をおびやかし, ひいては, 米国の安全をそこ なうにいたることを率直に認めるほかはない」としてギリシャおよび卜)レコ への援助の意義の大きさを強調した, 5月には西ヨ. ー. 卜)レ ー マン ・ ドクトリンが発表され,. ロッパ経済復典計画である, マ ー シャル・ プランが提案され. た。 このような動向を反映して, 米 ソの対立激化にともなう極東地域の安定 努力としての日本の工業力が再評価され, 日本経済の復興問題がアメリカの いわゆる冷戦外交に位置づけられたのであった。 また, アメリカの国内政治情勢も日本の経済復興への足かせをとりはずす ことを要請しはじめていた。. 昭和21 年秋の 中間選挙で共和党が大きく進出. -185 (497)-.

(8) して以来, 納税者の負担増大に かかわる占領費 〇増加に対する 批判が高ま り. 占領費を含む軍事費の削減問題が連邦議会で議論された。 そこで, 陸軍 省はこの問題の回避策として日本経済の復興を図 ろ う と. 日本経済の実態を 知るため に ストラ イク調査団を日本に派遣した (8) 。 その結果, 昭和22 年 2 月 のストラ イク報告 (第 1 次) は ド ラス テ ィ クな賠償の取りたてによって日本 経済を混乱におとしいれ, 復興を遅らせることをさけ なけ ればならないとし て. 工業生産設備の撤去についてのボ ー レー 案を支持した懲罰的な賠償計画 は放棄されるべきであると勧告している (9) 。 いずれに しても. 冷戦外交上, あるいは占領費の負担増大の観点より, 昭 和22 年の後半において. 日本の経済復興が占領政策の策定上の重要な検討 課 題になっていた。 たとえ ば, 昭和22 年10月に開かれたSANACC(State-Army­ Navy-Air Coordinating Committee) の第 61 回会議は日本経済の再建問題を. ボ ッ ダ ム 宣言における対日管理の基本原則. 非軍事化 ・ 民主化につ ぐ 第30) 原則として本格的に取り組む段階に きたことを強調している (10) 。 すなわち . 陸軍省の代表は非軍事化は完全になしとげられ, 民主化の実現は目下満足す べき過程にある。 それに 対して, 第3の原則, 経済 自 立は GHQ/SCAP への 指令のなかに明確なき ざしを見出せないが, アメリカ政府は 対日管理上, 第 1 義的な目的として経済復興を考えているので, このことを GHQ/SCAP に. 通告するなら, 連邦議会に おいて援助資金を認めさせることは一雁容易にな る だ ろ う , と主張している。 また, 経済復興の原則が現政府の第 1 義的な目 標であるとい う ことを国務省が認めている点も明らかにしている。 (8). 五十嵐武士 (対 日 占領政策の転換 と 冷戦) 「 占領期 日 本の経済 と 政治」 束京大学 出版会昭和 54年, 42頁参照. (9) Special Committee on Japanese Reparations, War Department, Report on Japanese Reparations, "First Strike Repert", February 18, 1947. 前掲 「昭. 和財政史」 第20巻 (英文資料) 464-471 頁。 な お , 以後に お け る 同審収録資料の 出 所箇所 (引用 ・ 参照) に つ い て は※ に よ っ て代表 さ せ る 。 た と え ば, こ の場合に は pp464-471 ※ と な る 。. (10) SANACC, 61st Meeting, SANACC Minutes on the Revival of the Japanese Economy, October 23,1947. pp530-531 ※ -186 C 498 ) -.

(9) さて, 日本経済の 復興問題は昭和23 年 1 月の K.C. ロ イ ヤ )レ, アメリカ 陸軍 長官のコ モ ン ウ エ ルス. ・. ク ラプでの 講演によって決定的な方 向になった。 こ. の 購演はアメリカ の 対 日政策の 転換の必要性が公式に ア メリカ 国民に向って 強調された最初の 声明であった。 この 声明は, 当 時 の 占領政策の 推移を要傾 よく総括し, いまや占領期初期とは根本的に異なった事態に 日米関 係が直面 していることを 力説している。 長文になるが, これからの考察にとって, そ の 要点を以下に紹介しておくことは有益であると思われる (11) 0 (1). 降伏直後わ が政策の目的は, 第一に 「 日本が再び世界の 平和と安全に対 する脅威とならないように保証する」ことであり, 第 2 に 「国際的貰任を 遂行し, 他国の 権利を尊重し, 連合国の目的を支持する民主的かつ 平和な 政府を可及的に速かに確立する」ことであった。 この 根底となる考 えは, 日本の 侵略の 防止, すなわ ち 武装解除による直接の 防止と, 再び侵略戦争 の 精神を発展せしめないような種類の政府 の 創 設による間接の 防止とであ. った。 日本の 真 の 幸福, または国家としての 強さは断然二次的な考慮であ った。 すなわ ち 日本からわ れわ れ 自 身を護ることの 次であり, 戦勝連合国 に与えた損害に対する賠償支払から見て二次的の問題であった。 (2). その 後新しい情勢が, 世界の 政治及び経済に, 国防問題に, また人道上 の考慮に生じた。 わ が今後の 道を決定するに際しては今やこれらの 変化を 充分考慮に入れなければならないが, これらの成行きは多く最初 の方 針 が 定めた後に生じたものであることを記憶すべきである。. (3) 食糧及びその 他の必需 品 なくしては, 日本は広範 囲 の 飢餓と疾病に当 面 し, 不安と無秩序と絶望に動揺するであ ろ う。 索朴な人道上の原則を別に しても, このような条件の下においては, わ れわ れは平和な 日本政府とい う最初の 目的を達成することができない。 また 日本が内外から全体主義的 な煽動者に動かされると見るのほかはない。 援助がなければこの国は非民 主主義的な侵略思想の 餌食となるで あ ろ う。 ⑪ 「 ロ イ ヤル陸軍長官演説」 前掲 「昭和財政史」 第17巻 (資料) 64-67頁. -187 ( 499 ) -.

(10) (4). これらの事情の結果として多 く の分野において 日 本の経済情勢を改善す る努力が行われた。 このよ うな経済的な考 え方が強まるに伴い, 広範囲の 非軍事化という最初の考 えと 自 立的国家の建設という新しい目的との間に 磨擦の分野が生ずるのは避けられなか っ た。. (5). われわれはわが大目的のために計画を修正するのを嫌うものではない。 最近 日 本国会に提出された過度経済力集中排除のための手続を定める法案 は , その最終的制定を見る前に変更された。 日 本の経済的必要を厘視する 見地から変更されたのである。. (6). われわれの決定は現実主義を以て, かつ 日 本をして再び他国に対し理由 な き 侵略的な残酷な戦争を行わせない よ うにするため 出 来るだけのことを する固い決意を以てなされるであろう, ということを保証で き る。 われわ れは, 自立すると同 時に, 今後極東に生ずべ き 他の全体主義的戦争の脅威 に対する制止役として役立つほ ど充分に強 く かつ安定した 自 足的民主政治 を 日 本に建設するという, 同 様に確固たる目的を固守するものである。 昭和23年10月 には, アメ リ カ国家安全保障会議 (The National Security. Council = NSC) は 対 日 安全保障に次いで 経済復興を対 日 占 頷行政のかなめ にすることを決定した。 そして, 目下 賠償の対象と な っ ている工業施設 (主 要軍需施設を含む ) のうち , 日 本の復興に寄与しえるものは桔極的に活用す べ き であり,. 「 日 本の平和目的または平和目的に向 けられる工業生産能力の. 水準にいかなる制限も課すべ き でない」 ことが強調されたのであ っ た (12) 0 このよ うな経済復興への政策転換は極東における新たな緊張に よ っ て加速 された。 すなわち , 昭和23-24年の中国国民党の敗退がそれまでの中国堂視 のアメ リ カ極東政策の変更を余儀な く させ, ア メ リ カの 日 本経済への秋極的 介入が前面に押し 出されて く る (1 3) 。. その具体的対応 が 昭和23年12月 の 「経. (12) The National Security Council, NSC Recommendations with Respect to U. S. Policy. Toward Japan, October 7. 1948. pp192-195 ※ な お , 邦翻文 は 前掲 「昭和財政史」 第17巻79-81頁収録 さ れて い る 。 U3) M. Brontenbrenne, "The American Occupation of Japan", ppl3-14. -188 C 500 ) -.

(11) 済安定 九原 則」 0) 日本政府への「指令」 である。 経済安定 九原 則の 具体化のため に , アメ リ カ政府は ジ ョセ フ. ・. ド ッ ジ 公使. を 日本 に 派遣した。 彼は昭 和24年 3 月よ り . 超均衡予算の 編成 . 固 定 為 替レ ー トの 設定 等のいわ ゆる ド ッ ジ ・ ラ イ ンの 実施を 試みは じめた。 この プ ラ ン は それ までの 日本政府がと って きた傾斜生産方 式 による 経済復典政策 (生産 第. 一. 主義) を アメ リ カ側が 真の 経済 再建策と みなさ ず. その イ ン フレ的性格. を 取 り除き . 安定した 経済の上 に国 際経済との連結を目的としたものであ っ た。 それ によ って .. 日本 経済の 基本 的性格である 加工貿劫立国の 条 件が 整備. さ れ, 経済復興が 国 際 社会への復帰 に つながるという 自 立性を 確立しようと した ものである。. 3.. 占 領政策 と工業. 今 日, 占 領史の 研究 は 占 領政策の 推移と 転換が アメ リ カと ソ 連, 共和党と 民主党, 国 務省と 陸軍省, アメ リ カ政府と 辿合園最高司令部 (GHQ/SCAP) , あるいは GHQ/SCAP と アメ リ カ 産業界等. (14). の対 立とい った アメ リ カ側の. 政策動機の 相異や利';且を 反 映 さ せながら, 複雑な 調 整作業を 経て,. 一. 応の 決. 沿を みるのが, 先 に みた昭 和23年 10月の 国 家安全保 障 会 議の 決定であ ったこ と を 明らか にしている。 この 過程で, 日本 工業の 戦後処理 にも大 きな 変化が みら れた。 この 過和を 以下 において 考察しよう。. 3-1. 占領政策 の 初期. アメ リ カが 日国の安全保 障の 確保の 観点から 戦後 日本 0)工業力を 検討しは じめたの は 日本の 戦局が 悪 化しは じめた昭 和18年の 中 頃からである。 翌19年 (14) アメ リ カ 産業界は GHQ/SCAP内の 左奨的な ニ ュ ー デ ー ラ ー ( New Dealer)に 不信の 念をい だいていた。 それ は 産業界の 直接 ・ 間接の 管理計画の 日 本にお ける 発 展をおそれていた。 な ぜな らその 実 験が将来アメ リカにおいて 適用される 可能性が あった からで ある。 伺前 p14. -189 ( 501 ) -.

(12) になると, 戦後計 画 委員会 ( P W C ) を中 心に政策の検討がつみ重ねられて いた。 その過程で, 終戦前のア メ リカの非軍事化に対する政策認識を知る う えで 重要 な 国務省文書 がある。. それが 「戦後 日 本の経済問頌 ( Japanese. Post-War Economic C onsiderations) 」で ある。 それに よ る と, 戦 後 日 本の 非軍事化目的から どのよ う な生産力構造を容認するか とい う 問題について, 当 時三つの異な っ た見解が存在したこ とを示している (15) 。 第 1 の見解は い わゆる農業国への 引 も どし論 (Enforced Reversion to a dominantly Agricultual Economy) で ある。 これは将来予想さ れる 日 本の 侵略を防 ぐ た め の安全保障は 日 本の有する近代工業のすべての破壊 ( い わ ゆ る Handicraft 化) と通商 の切 断 が必要である と主張する見解で加工貿易型 工業国の否定である。 次の意見は軽工業国 としての再建論である。 これは軽工業の残存 と限工業 の除去 (Liquidation of Heavy Industries) を主張する, そして 日 本が重工 業を う しな う こ とによ っ て生じる効果は次のよ う なものである としている。 (1). 日 本の重工業製 品に対する将来予想さ れる需要のすべてを輸入にたよ る こ とに よ って, 日 本経済は大きな苦労を背負 う こ とになる。. (2). 中 国, インド あるいはオランダ領西 イン ド の工業化のため の資本財供給. に参加する機会を う しな う こ と, (3) 国内市場の発達を決定的に そこな う こ と (4). 工業生産, 雇用およ び所得の水準を大きく 引 き下げるこ と。 第三の意見は上記二つの見解のよ う な 日 本経済への秋極的介入を行な う 方. 法を とらなく とも将来予想さ れる 日 本の侵略に対する安全保障が達成 さ れる であろ う とい う ものである。 すなわ ち , 国際機関的な監視体制が確立 さ えす れば, 残存する 日 本の戦争手段のすべての除去 と軍需工業の特定部門の解体 あるいは平和目的への転換で よ い とい う 。 要するに, 航空機産業と造船工業 05) The Committee on Post-war Problems, State Dept, Report-Japanese Post-War Economic Considerations, July 21, 1943, pp80-81 ※ -190 C 502)-.

(13) の 除去を 超えた 産 業上の 非軍事 化は 不必要 で ある ばかりか, 日本 経済の 満足 す べ き 再建を 困難 あるいは 不可能に して ,. 生活水準の 極端な 低下をも たら. し , 日本の 反感をつのら せ, 軍国 主義精神の 永続化を 結 果すると, 第3の 見 解は 考えられている。 これら 三つの 謡見を 概観 していえることは, 当 時の アメ リカ では, 戦後日 本の 想 定 される 生産力 構造を 第 1の見解では 股業 中心型, 第 2 の 見解で は 軽 工業中心型, 第3の見解では 制限 され た 璽 (化) 学工業の 残存を 認めること と大き く 意見がわかれてい たこと で ある (16) 0 さて, 閃業 国への引も ど し 論は 懲罰 的な対 ド イ ツ 占領政策を 主張する 対務 長官モ ー ゲ ン ソ ーにより 提唱 され た意見で ある が, 早 くから 苛酷な 条件の 強 制はかえ ってド イ ツ国 民を 次の 戦争へかり たてる 可能性を 持ち うるとの 批判 が あ っ た。 その 日本への 適用は 占領政策策定過程に おける国務省の 主導権の 確立と)レ. ー. ズベル トの 死去を 契機 とする モ ー ゲ ン ソ ーの 辞任によ って 立消え. にな っ た。 この 問題に 関 連 して, 国務省, 陸軍省およ び海軍省は終戦 直後の昭 和20年 1 1 月 , 日本 工業の 解体について 民間の 専門機関の 意見を 聞 く 機会を 持 ってい る。 それ が全国技術者協会 (Engineers Joint Council) の 「日本 工業力の 解体に 関する 報告書 (Report on the Industrial Disarmament of Japan)」 で ある。 この 報告害のなか で, 非軍事化は アメ リカの 究極の目 的 で ある が , す べての 工業に対する 配屈に 欠け ためち ゃ く ち ゃな 解体は日本に おける 平和 を 回 復 し, 平 和 国 家の 一 員となる 契 機を う ば うことになる 。 日本 工業の 完全 な撤去, し た が って,. 日本 国 民を 牒業 およ び漁業に おいて 生計を たて さ せる. こと は 社会 的混乱をつ く りだ し, 認める べ き 方法でないことを 強調 して. ( 17). (16) 大蔵省財 政史室編「昭和財 政史 」 第 3 7-!, (アメ リカの 対日 占領 政策」 東洋経済新 報社 昭和51年 50頁参照 (17) The N ational Engineers Committee of the Engineer s Joint Council, Report on the Industrial Disarm ament of Japan, N ovember 194 5. pp4 35. →. 437 ※ -19 1 ( 503 )-.

(14) いる。 要するに, ア メ リ カ の官民の世論は日本の戦後平和を工業に重点をお いて検討する姿勢を示 し は じめていた。 さて, 初期の占傾政策が許容する日本工業水準は 「近隣諸国を上まわ ら な い国民生活水準を確保できる規模」を前提とするもので, それを超える工業 カ の撤去が 非軍事化目的か ら 厳格に 実行されることに なっていた。 すなわ ち , 「初期の対日方 針」は 「日本軍事カ ノ現存経済基礎ハ 破壊 セ ラレ且再興 ヲ許 与 セ ラレザ}レヲ要ス」 と して, 軍需生産の全面禁止とともに, 「日本国 ニ ト リ 其ノ価値ガ主 ト シ テ 戦争準備 二 在ルガ如キ特定産業又ハ生産部門の除 去」および 「将来ノ平和的需要ノ限度二 日本重工業ノ規模及性格ヲ制限 ス )レ コ ト 」と明記 し, 非軍事化政策の根幹と し て重化学工業力のいわゆる外科的 撤去を位置づけていた。 そ して, この具体的作業が. ‘. 賠償の算定、 となって. 日本政府に示されることになる。 賠償について最初の算定を試みた大統領特使, E . W . ボ ー レー は次のよう な考えを意見を述べている。 賠償使節団の仕事は次の二つのことを達成する ことにある。 その一つは, 日本の軍事的復活を不可能にすること ーパール ・ ハ ー バ ー を再び許 し てはな ら ない ー。 もう一 つは, 将来において, 経済的に 安 定 し , 政治的に認め ら れた日本が民主主義的傾向を発展させる道を準備す ることである。 さら に ポ ー レー は 日本の非軍事化は日本を非工業化 (dein­ d ustriaization) することを意味するものではない (18) とも述べている。 か く. して, 昭和20年12月18日の大統領への報告, いわゆるポ ー レー 中間報告, は 次のような生産設備の撤去を算定 し た (19) 。 (1). 工作機械工業の生産能力の半分. ( 2) 航空機産業の全部 (3). 29の重要な戦略的造船所のう ち , 占領にとって欠く ことのできない船舶 修理に必要でない20造船所. UB) E. W. Pauley, Statement by Ambassador, "Interim Reparations Policy­ Pauley Report", December 7,1945. p442 ※ -192 ( 504 ) -.

(15) (4). 鉄鋼業においては. 製鋼能力の 4 分3' および年50万ト ンを超える銑鉄. 生産能力 (5). マ グ ネ シ ウ ム およびア )レ ミ ニュ ー ム の全生産能力. (6). 火力発電所の半分. (7). 硫酸, ソ ー ダ灰の近代的大規模工場の大半. (8). 近 代的かつ大規模な苛 性 ソ ー ダおよび塩素工場の約半分 要するに. ポ ー レー 報告は工業 の 許容規模 や 国民生活水準を 明らかにし. て, 日本経済の在り方を決定しようとするものであったが, その示 す水準は 日 本経済に苛酷な内容のものであった。. GHQ/SCAP はこの ポ ー レー 報告のき びしさに対してかなりの不満を持っ ていた。 この不満に対して, ポ ー レー は次のように考えているが,. GHQ は. 日本から工業の除去によって創り出される経済的空白をおそれている。 その ような経済的空 白 はすでに戦争終結前より存在していたのである 。 我 々 は 日 本の補助的な工業を復興されることによって. あるいは競争の世界で生 き る ことので き る ア ジ ア の工業のすべてに刺激をあたえることによってこの空 白 をうめることがで き る (20) 。 このポ ー レー 案に対して. ィ ギ リ スも少なからぬ疑問を持っていた。 それ は 日 本に対する同情からではない 。 日 本の経済が完全に崩壊している情況下 で強 く 圧迫すれば. 日本をますます無秩序と 自 暴 自 棄の状態におとしい れる ことになり, 賠償支払能力が形成されない 。 賠償の支払は何よりも 日 本の経 済 復興を待たねばならない 。 この意味において, ア メ リ カ 案は実行不可能な 提案であると イ ギリスは考えていた (21) 。 しかし. 極東委員会はこのポ ー レー 案にもとづいて昭和21 年 5 月から12 月 09) E. W. Pauley, Reparations from Japan-Immediate Program (Pauley Interim Report), December 18,1945. pp443-448 ※. (2()) E. W. Pauely, Letter to Secretary of State, "Ambassador Pauley's Res­ ponse to SCAP Comments on Reparations Reports", December 28,1946. pp457-459 ※ (21) G. C. Allen, Japan's Economic Policy, 1980. pl90. -193 ( 505 ) -.

(16) にかけて 賠償計画を決定している。 それは昭和 5年- 9 年の工業生産水準を 超える工業生産施設の撤去計画であった。 すなわち , 陸海軍工廠, 民間兵 器 工場 航空機, 軽金属, 人造石油, 人造 ゴ ム の完全撤去と, 次のよ う な生産 能力の撤去が決定された. (1)工作機械_年産 27, 000 台を超える部分の撤. 去, ( 2)造船――造船能力年間15万総トン お よ び300万総トンの商船の維持に 必要な施設以 外の撤去,. (3)鉄鋼業_年産銑鉄200万トン,. 鋼塊350万トン. ( う ち 電気炉によ るもの10万トン) を超える部分の撤去, (4)火力発電所 ―― 210万キ ロ ワ ット を超える 部分の撤去, ン) , ソ ー ダ灰 (年産63万トン) ,. ( 5)化学工業 ――硫酸 (年産350万ト. 塩素 (年産75, 000トン) , 苛性 ソ ー ダ (年. 産82 , 500トン) を超える部分。 GHQ/SC AP はこの決定にもとづいて撤去主 場を選定 し , その解体までの問, 日本側に管理と保全を命じた。. 3-2. 占領政策の 転換期. 敗戦とともに, 長期の消耗戦の当 然の帰結として, 国 民経済はいわゆる窮 乏的混乱状態にお ち いっ ていた。 生産およ び消費に必要な各種の物 資の極端 な不足は国民生活を飢餓線上にまで押 し 下げ. 悪性 イ ン フ レー シ ョ ンの危機 が高め ら れた。 それだけに国 民生活の安定化を図るための産業復興は何 よ り も 緊急を要す る課題であ っ た。 終戦直後の 9 月 , 経営者 4 団体は政府に次のよ う な要堕害 を提 出 し て いる。. 「今次終戦に依る復員 外地 よ りの帰還人 口は造 か に 我が. 農業の収容力を超過すべ < ' 民族生存の途は我が国内 工業の復興乃干.振興に 侯つべ き は勿論なり, 右工業の種類は平和的民需産業の外. 急速に国 際貿易 に参加し且賠償完済に資する為の輸出 工業を根幹とすぺ く , 尚 之に配するに 右に要する基礎生産部門たる電工業を以てすべし」 (27) ことを強調して いる。 日 本経済の加工貿易主義に対する認識の必要性もさることなが ら . 軍I.業 の 四 経営者 4 団体 f敗戦後の 日 本経済収拾 に 関 す る 商工大 臣諮問 に対す る 答 申 」 和20年 9 月 8 日 ) 前掲 「 資料 ・ 戦後二十年史ー経済」 20頁 -194 ( 506)-. (昭.

(17) 必要性を強調し ていることは当時のおかれていた日本の立場を考えると勇 気 のいる作業であったといわねばならない。 なお, その後重工業の必要性はより 一層理論的に強調される機会を 持つこ とになる。 それは昭和2 1 年 3 月にまとめられた, 外務省特別調査委員会の報 告「日本経済再建の基本問題」 (23) である。 それによると, 戦後経済の再建が 連合国の占領政策によって制約されるという絶対的条件下において, また. 戦後の 内外経済環境の変化のなかで, 国民の経済生活の保障と生活水準の実 質的向 上を実現できる経済的可能性が検討されたのであった。 そこには当然 のことであるが, 当時の経済危機感が強 く 反映されていた。. 「戦争ノ 結果日. 本経済ノ甚盤ハ著シ ク 縮小セラ レ 国 民経済ハ徹底的二貧窮化シ タ, 若シ荏苗 現状 ノ 侭二 推移ス)レ ナ ラ バ 日本経済ハ国民ノ 大多数ガ唯食ハンガ 為二其ノ 「 エ ネ ルギ ー 」 ノ九割 迄ヲ費スカノ 「 エスキ モ ー 」 的段階ヘノ逆転, 終局的 ニハ人ロノ大縁縮減ヲ招来ス)レノ ミデ ア ラ ウ 。 斯ル逆転ヲ阻止シ更二将来ノ 発展ヲ期ス)レ為 ニハ乏シ キ ニ耐 ヘ ッ , 経済カノ蓄梢恢復二努ム)レ ト 共二新シ キ地盤ノ上二立 ツ 経済表ノ作成 卜 之二基 ク 経済建設年次計画ノ樹立二依 ツ テ 一 一日モ 速カ ニ具体的ナ 再建ノ第 歩ヲ踏 ミ出サ ネ バ ナ ラ ナ イ」 と提言 し て い. る。 そのなかで, 工業の産業構造的位置づけと工業の構造的在り方 も 示され て いた。 前者については, 戦後経済の出発点は農業の近代化と農民の生活水 準の向 上による低賃金基盤の解体にあるが, そのためには農村から流出する 過剰人口の吸収源と し て工業の発展が不可欠であると し て い る 。 また後者に ついては戦前同 様の加工貿易型工業構造の必要性を強調, そのためには工業 の技術的高度化と基礎産業部門の育成による構造的均衡をはからねばならな いと し ている。 すなわち, 戦後世界の プ レトン ”. ング. 輸出の禁止,. ・. ウ ッズ体制による. `. ダン ヒ°. また国 内的には 経済民主化改革による チ ー プ レ ー バの. 解消等の条件によって, 「資本カノ弱小 ナ 技 術的二低度ノ 工業 ニ ヨ ッ テ ハ日 本ガ必要 ト ス)レ多量ノ必要物資ノ輸入ヲ賄 ウ ベ キ 程度二輸出ヲ維持ス)レコト (23) 外務省調査局特別調査委員会報告 「 日本経済再建の基本問題」 同前 21-22頁 -9 1 5 ( 5 0 7 )-.

(18) ガ困難デ ア ロ ウ」から, 工業生産は技術的高度化に よ って低 コ ス トを可能に し, 合理化されね ばならない。 また工業生産力の基礎 となる産業はた とえ国 際競争力に乏しく ともそ れを政策的に育成せね ばならな い として, いわゆる 重化学工業化政策の必要性をも展望していた。 し かし, この よ う な 日本側の工業再建案は占領政策の初 期 の過程では 当 然 み とめられるものでは な かった。 GHQ/SCAP はこの よ うな 動きに対処する か の よ うに, 一つの日本経済の復興計画を作成し, 日本側の動きを批判して いる。 それが先の 「基本問題」 よ り 2 ヶ 月後に作成された,. ゜. 「日本経済の フ. 」である。 同報告は次のよ う ロ グ ラ ム (An Economic Program for Japan) に述 べている (24) 。 この報告は 日本の平和時における 経済構追に対する計画 を提供することにある。 日本の再建が経済全体の基幹部門 としての重工業の 維持に よるべきである という見解が責任ある日本の官僚や経済学者に よ っ て 支持され, 強調されている。 さらに, 日本側では, 日本は重機械の輸 出 を 通 して, 中 国お よ びその他の近隣諸国の工業化に参加するこ とが許されるべき である と主張している。 そのよ うな考えは日本の非軍事化 という基本的条件 に反し, この報告において拒絶される。 そして, 提案される経済構造の基本 的性格を要約しているが, そのな か から工業構造に関しての見解をひろいあ げる と, (イ)農業に よって吸収される労働力人口 の割合を よ り拡大するこ とは 困難であり, むしろ不可能であるから, 意図される工業構造はか な り裔 い雇 用 水準を持つべきである。 (口)繊維工業は主要な 輸 出 部門であろうし, 雇用問 題の最も重要な 部門 (factor)である。 四日本は許容される工業能力に よっ て1 930年代中頃の水準又はそれ以上の水準に国民総生産を拡大させるこ とが できるが, しかし な がら, 国民所得の構成においては, 工業の縮少 と食糧増 産に必要な化学工業およ び農業の活動の拡大が望まれる。 要するに, 軽工業中心の経済復興が想定されていたのである。 しかし, こ (24) N. A. Bogdan and F. M. Tamagna, An Economic Program for Japan (Bogdan Report) , May 3,1946. pp499-505 ※ -196 ( 508)-.

(19) の提案は短命に終らざるをえ なかった。 それというのは, 昭和22 年に入ると 3月には.. 卜 )レ ー マ ン ・ ドクト リ ンが 発表され,. 5月には,. マ ー シャル ・. プランが提案された。 ア メリカ本国の対外政策に変化がみられたのである。 その特徴の一 つは,. ア メリカの占領政策がそれまでとち がって,. 「占領地域. 内 部の実情に対応 しようとする関心」 を示 しはじめたことであった (25) 。. そ. のあらわ れが占領地域内部における飢餓, 疾病および社会的不安の防止を目 的と し たガリオ ア (Goverment and Relief in Occupied Areas) 援 助 の設 立とともに, 日本政府の経済危機打開策と し ての傾斜生産方式を, 必要工業 原料の輸入を認めて, 側 面 から支援する姿勢を示 しはじめたことであった。 さらに, この時期には, 日本工業の在り方に関 して, 変更をもとめる政治 的判 断をく だす気運が醸成されていた。 卜)レ ー マ ン大 統領の特使と し てド イ ツ に派遣されていた元大統領 フ ー ヴ ァ. ー. が 「3月13日. 農務, 商務. 陸軍 ,. 海軍の各省長官等と会談 し た際に, 報告の概要を説明 し 重工業の発展の必要 を力説 し 原則的な賛成を得たが. この会談で海軍長官 フ ォ レス タルは. この 提案は日本にも適用 できると強く 主張 し たのであった。 そ して, こう し た閣 僚級の人 々 の支持を背景に し て,. 5月 7 日 フ ー ヴ ァ. ー は,. 重工業の発展を含. む工業水準の引 上げを通じて日本の経済復興を図ることを,. パタ. ソン (陸軍. 長官) に 提言 し た」 (26) といわれる。 そ して, 日本の経済復興 = 重化学工業 の再建の方 向 がマ ー シ ャ )レ ・ プランを推進するア メリカ対外政策の一 探 ( ア ジ ア ・ マ ー シ ャ ル・ プラン構想) と して押 し出されてくる。 そこで. ア メリカが占領期初期の厳格な懲罰者から寛大な救済者, 協力者 と し て登場 し てくる過程を三つの方 向 からみることに しよう。 その一 つは賠 償対象から重化学工業生産施設の解放であり. 二つには日本経済の宿命であ る加工貿易体制の回復である。 そ し て, 最後の一 つは経済復興計画である。 以下において. これら三つ の側面に論及 し よう。 ロ イ ヤ )レ陸軍長官演説後の昭和23 年 2 月, 第一の動きと して, 第 2 次スト 四 前掲 (対 日 占領政策の転換 と 冷戦) 31頁参照. 閲 同上 33-34頁. -197 C 509)-.

(20) ラ イ ク 使節団の派遣が 行なわれたことである。同 使節団に よる 「アメリ カ 合衆国に対する 日本産業賠償調 査」に ついての報告は 次のように 述べてい る (27) 。. 「工業化された日本は, 注意深 く管理されなければ日本は強力な軍事国とな るかも しれないが, われわれの意見によれば, 日本を強力な工業国にする方 が, 極東の平和と繁栄とに対 して, この広 い 人 口 の多 い 領域を現状通りの不. 種 欽 鋼. 圧. 硫 硝. ^. 屋 卓 壱ヤ. ソ. 苛. 解. 作. 工 リ. 械. 機. お. よ. び. ド. ツ. 造. ア )レ ア )レ. グ. ミ ミ. ニ ニ. ネ. ロ. コ. MT. ダ. MT. ム. II. 製. 造 軸 受. 式 火 力 発 電. 舶 油. 船 石. マ. ゴ. 船. 修 精 ュ ュ シ. 理. 製 ム ム. ー ー. ユ. 還 元. 製. 位. 銑 塊 延 酸 酸. 灰. ダ. 成. ロ. 球 グ. ソ. 性. 単. 造 ム. 指 残. 定 存. 年 用. 産 能 力 l. 賠. 償. 用. 2 , 000, 000 3, 500, 000 2 , 650, 000 3, 510, 675 30, 295. 1 , 600, 000 2 , 900, 000 1 , 550 , 000 1 , 245 , 075 106 , 945. 82 , 500 493, 000. 46,300. 台 Pl K. w. 10 , 000 32 , 500, 000 1, 906, 000. 26, 970 59 ,31 8 , 000 366 , 860. GT GT. 153, 000 4 , 526 , 490 9 , 807, 550. 648 , 100 2 , 693,350. MT. 25, 000. 68, 100 1 1 0 , 000 680. II. ”. ’’. ”. ”. ノ ゞ レ )レ. ”. ’’. 900. 安定と経済的失調状態にと どめるよりも危険が少ないと思われる」 と して, 上表に示されるように, ボ ー レー よりはるかに緩和した 内容の工業水準を示 したので あ った。そ し て, 日本で有効に利用 できる生産施設 (主要軍需施設 ⑳ Overseas Consultants, Inc, Second Strike Report, February 26,1948. pp 473-477 ※. -198 ( 510)-.

(21) を除く) を撤去すること は世界の生産を阻害 し , 日本の自立に対する可能性 を減 し , アメリ カ国 民の税負担をより一 陪増 大させ, さらに賠償に対する権 利をもつ国 々 の最大の利益にもならない, と 同 報告 は 結論づけ, 経済復興に有 効に利用 できる 生産施設を日本から 除去すべきでないことを 勧 告 した。 当 時, アメリカの賠償政策は中間賠償取立てと し て昭和22年 4 月 , 極東委員会 で発表 した 「 30 5iる撤去計画」 の実行に従 っ ていたが,. 先の調脊報告後, ア. メリカ は 「日本からの現行の 30 96撤去計画を超 える賠償品 目 の撤去を認める 用 臨 はない」(28) と考えるにいた っ た。 そ して, アメリカの対日賠償政策 は 翌 昭和24年5月 の賠償取立て中止へと決着することになる。 すなわち, マッコ イ極東委員会アメリカ代表 は「アメリカ政府は , アメリカの中間指令権限に 甚き, 日本からさらに賠償を撤去することができるような一方的措置を今後 とる窯図をも っ ていない。 私 は すでに, 日本人自身がその経済復興のため最 大限の努力を払うべきであるというアメリカ政府の信念をのべておいた。 ア メリカ政府はさらに次のように考えている。 すなわち, 現在賠償用 と し て指 定されている施設 (いわゆる「第1 次軍需施設」を含む) で日本復興に寄与 し 得るものは, 日本の平和経済において復興 目 的に必要なものと し て利用さ るべきである」(29) 0 次に, 貿易の側面をみよう, 占領下の貿易 は , 原則的には禁止され,. GHQ/. SCAPの許 可 0)ないかぎり認められないものであ っ た。 し か し, 貿易の杜絶 の期間は, 短期間で終わ っ た。 それは 戦後の経済混乱が, 貿易再開をは やめ させたからである。 国 内産業の疲弊困懲がはげ し く, 工業原材料の枯渇, 食 糧その他の生活必需品等の物資の不足は, 民族的危機にまで発展 し つつあ っ た。 そこで,. GHQ は, かかる破局を回避するために, 昭和20 年 1 0 月 , 「必要. 物費の輸入に関する覚書」を提示 し , それを受けて政府は,. 2 1 月 , 緊急物資. の輸入とこれを賄うための輸出を管理する 一元的機関と しての貿易庁 (商工 ⑳ 「 ア メ リ カ の対日 政策に 関する ケ ナ ン 国務省企画政策部長の報告」 前掲 「 昭和財 政史」 17 巻 (資料) 72頁 図 「マ ッ コ イ 極東委員会米代表 : 賠償取立て 中止声明 l 前掲 「戦後二十年史」 54頁 -9 1 9(5 1 1 )-.

(22) 省 外局) を開設 した。 この新設機関は, 開設と同時に公布された貿易資金設置法によ って決済能 力を保証され, いわゆる政府貿易を開始 し た。 この政府貿易は, 対 日 占領政 策の転換にともなって民間貿易への移行の方向をとる。 GHQ/SCAP は昭和 22年 6 月,. 8 月15日を期 し て制限付きなが ら 民間貿易の再開を認める。 同時. に, GHQ は輸出入回 転基金 (Occupied Japan Export-Import Revolving Fand) の設立を決定する。 「生存のための貿易」か ら 「経済的 自 立のための. 貿易」が民間貿易の再開によ って軌道に乗りはじめた。 この動きは昭和23年 4 月の ド レ ー パー 調査団に よる ジ ョ ン スト ン 報告に よ って よ り一 囲強調され ることになる。 同報告は 「 日 本の工業生産物は極東全域にお いて必要とされ ている。 そ れ ら の国々 はまた将来の輸出可能な生産物 の市場と して 日本が必 要である一一 錫, ゴ ム , コプラ, 羊毛, 綿, 鉄銑石, ボ ー キ サ イト, 砂糖お よ び米。 日 本の工業生産は非常に低水準にある一ー1 930-3 4年平均の459'るに もいたっていない。 それは必要な原材料の不足がその主な原因 である。 日本 と して相 当 程度の生活水準を維持するのに必要な食糧及 び原料の輸入代金を 調達させるには全体と し ての輸出を現在の 8 - 9 倍に増加せねばな ら ない だ ろ う。」(30) そ して, この輸出拡大を可能にするのは極東に平静が回 復 し , 現 在 日本の通商に課されている制限が少なくされ, 適 当 な為替 レ ー トが定め ら れ, ア メ リカの対 日援助が原料輸入に与 え ら れ生産が回 復されることである と している。 原料輸入に対する援助は昭和23年 9 月の米国 占領地域経済復興資金 (Eco­ nornic Rehabilitation in Occupied Areas = EROA) に よ り解決され, また. 為 替 レ ー ト 問題は昭和24年の ド ッ ジ 為替 レ. ー. ・. ラ イ ン によ って 1 ドル=360 円 の固 定. ト の設定に よ って解決された。 そ して昭和24年12月, マッカ ー サ ー. 元帥は昭和25年 1 月 1 日をもって 日本の貿易を正常状態にももすことを発表 00) Committee Invited by the Secretary of the Army to Inquire into. Economic Problems of Japan and Korea, Johnston Repert, Apri 26, 1948. pp 483-485 ※.. -200 ( 512 ) -.

(23) する。 最後に, 経済復興計画をみよう。GHQ/SCAP が経済復興計画に初めて収 り 組ん だのは先に述べた 昭 和21 年 5 月の「日本経済のプ ロ グラム」であ っ た 。 こ れは占領政策の転換そのものを反 映 し た 内 容を持 っ ていなか っ た。し た が っ て, 転換のき ざ し がみえはじめてから, それを反映させ た , 本格的な経済 復腿計画が検討されるのは, 昭 和22年 10 月, GHQ によ っ て製作された「 日 本 の均 衡経済の可能性 (The Possibility of a Balanced Japanese Economy) 」 であるといえる。こ の経済復興計画は, 一つには極東のすべての国の経済復 興を刺激する 目 的, 二つには日本における永久的な民主制度の確立を確実に する 目 的, 三つにはアメリカ政府の資金援助の必要性をな くす 目 的から作成 されたものである。そ して極東における政治的 ・ 経済的情勢が相当程度に改 善され, 必要とする工業原料および食糧需要の255)るの輸入が確保され, 加え てアメリカから 9 . 5 億 ド ルの援助が期待できるなら, はや くとも 昭 和26年に は, 日 本経済の自立は達成されるであろうと分析 している (31) 0 そ して, 翌 23 年 1 1 月, GHQ/SCAP はその計画案の最終案といえる ー ・プッ ク. ”. ". プ)レ. と呼ばれる「日本経済自立計画 (Program for a Self-Support­. ing Japanese Economy) 」 を作成 し た。その 内容は 昭 和28年を最終 目 標年度. とする五ケ年計画であ っ た が, 対日政策の最重要 目 的が自立経済の条件をで きるだけ早い 時期に達成させるた めの援助にある こ と, そ して, その援助 が 昭 和24年-27年までに 13 億 ド ル必要である こ とを 明示するとともに, 昭 和28 年度には人口 は8 , 700万人, 戦前水準 ( 昭 和 5 ,..., 9 年) の 13196になると推定 される こ とから, 経済的自立の達成には, 工業生産は戦前水準 C5 ,..., 9年) を少な くとも 135�る以上の水準にな っ ていなければならないと し た (32) 。この ように日本経済の自立への復興計画そのものの作成が昭 和22-23年にかけて (31) Econmic and Scientific Section-ESS, GHQ/SCAP, The Possibility of a Balanced Japanese Economy, October 1947. pp 527-530 ※. (32) ESS, Program for a Self-Supporting Japaneese Economy, November, 1 948. pp 544-546 ※. -201 ( 51 3 ) -.

(24) ア メリカ側においても検討されてい た事実は何 れも占領政策の転換を象徴 す るもので あったといわねばならない 。. 4.. 結 び に 代 え て 一ー 政治的 自 立 と. ". ア ジ ア の工場 fl. 昭和23 年 1 月の ロ イヤル陸軍長官の声明後. 第 2 次スト ラ イ ク 使節団の派 造 ( 2 月) . ドレー パ ー 使節団による ジ ョ ンストン報告 ( 4 月) . 制限付民間 貿易の再開 ( 6 月) . エ ロア 資金による対 日援助の開始 ( 9 月) . そ して10月 の GHQ/SCAP による経済復興計画の作成および国家安全保障会議の経済復 興優先決定と い う流れは ど れをとっても, この時期が非軍事化 ・ 民主化から 経済復興へと占領政策の転換を物語るもので あったと い える。 そ して, この過程において, ア メリカ占領政策は 日本工業に対 して 「戦争 能力と し ての工業力観」 から 「経済復興力と しての工業力観」へと評価がえ をおこなっ ていた。 たとえば. 的回 復状態を示 し .. 「 日本の工業生産は, 1948年中に顕著な一 般. (11月の生産量は1930-34年平均の62%に達 し , 1 年前. に比べ479'るの増加で ある。 ). また, 本年の輸出 額は 2 億 6 千万ドル, 即 ち 前. 年に比 し48彩上回る見込で あるが, マ ッ カ ー サ ー 元帥並びに ワ シントンの関 係 当 局省はかかる実績を力強 く 思っている」(33) とい った評価がなされた。 し か し , このような工業力が 日本の経済的 自立を支える点では当 然に不充 分で あ っ た。 とりわけ, その回 復を主導 し てきた傾斜生産方式が復金 インフ レをひきおこ し た。 ア メリカ政府は イン フ レ ー シ ョ ンの高進が経済復興を遅 らせるとともに, これまで の復興努力の成果を喰い つ ぶ す恐れさえ感 じ てい た。 そこで. ア メリカ政府は 「 日本経済の復興を引 続き確実なら し め, かつ また. 米国の援助資金の効果を最大限に発揮 出来るための, 最も緊急な要請 は, 経済の安定で ある」 (34) と判 断 し , 日本に対して 「経済安定九原則」 を指 (33) 極東軍総司令部渉外局発表 「 日 本に対 し指令 さ れ る 経済安定計画 (経済安定九原 則指令)」 前掲 「昭和財政史」 第17巻 (資料) 83頁。 (34) 同上82-83頁. -202 ( 514)-.

(25) 令するにい た っ た。 すなわち, アメリカ政府からの 中間指令.. 9 項目は 次の. 通 り である (35)。 1 .. 支 出を 厳重に引 締め. かつ 必要 適切と 認め られる 新 財 源を 含めて 最大限. の 収 入を確保する ことによ って 1 日もは や く 総合予算の 真の 均衡をはかる こと。. 2 . 収 税計画を 促 進強化 し, 脱税者に たい しては 迅速か つ 広範囲にわ た って 徹底的 刑事訴追措置をとる こと。. 3 . 金融機関からの 融資は 日本の経済 回復に 貢献する 諸事業に だけ与えるよ う厳重に 限定する こと。. 4.. 賃金安定を 実現する ための 効果的 計画を 作成する こと。. 5.. 現行の 価 格統制計画を強化し. 必要が あれ ば その 範 囲を 拡張する こと。. 6.. 外国 貿易管理の 操 作を 改善 し, かつ 現行外国 為 替管理を強化する こと.. これらの 措置を 適切に 日本側 機関に 移譲する ことが 出 来る 程度に まで行う こと。. 7 . 現行の 割 当 並びに 配給制度を. 特に 輸 出 貿易を 最大 限に 振興する ことを 目 標と して 改善すること。 8.. す べての 重要国 産原料並びに 工業製品の 生産を 増 大する こと。. 9.. 食糧供 出 計画の 能率を 向 上する こと。 引 締めと 統制の 一 述の 措 四を 通して, アメ リカは 日本経済を 早期 に安定 化. し , 経済的自 立への 条件を確立 しようと し た。 マ ッカ. ー. サ. ー. 元帥 は 昭 和23年. 1 2月 9 日の 吉 田 首相宛の 苦簡のなかで, この 点を 次のように 説明 している。 「 この 措 置の 基本的目的を 判り 易 くいえば それは政治的自由を 正常 化 しか つ 保 障する 程度の 日本の経済的 自 給体制をす み やかに確立する ことである。 な ぜな ら.. 一. 国 民の 生計が他国の 慈悲に たよ っている 限 り政治的自由は あ り 得. ないか らである」(36) 0 さて ,. ド ッ ジ ・ ラ イ ンによ って経済の安定 化が 実現され たことから , アメ. (35) 「経済安定九原則 についての 吉田首相宛マ ッ カ 00) 同上 84頁 -203 ( 51 5 ) -. ー. サ ー 苫簡」 同前84 -85頁。.

(26) リ カ対 日政策は一 歩前進させられる。 すなわち, そ れは政治的 自 由の問題で ある。 し かもこの政治的 自 由の確保は中国の社会主義圏への編入に よ るア ジ アにおける新たな緊張を経て, 昭和25年 6 月朝鮮動乱の勃発に よ って 日本の 政治的 自 立へ と高められる。 た とえ ば, マ ッ カ ー サ ー 元帥は昭和25年の 日本 国民に対する 「年頭の辞」のなかで , 日本の政治的 自 立への期待をのぞか せ ていた (37) 0 すなわち ,. 「財政の不手際が改められて 多 額の赤字が解 消 した結果, 物価. 体系の安定が人為的な操作に よ らずに, 正常な経済力の均衡の中から生れて く る状態に近づく こ とができる よ う になった。 このよ う に し て . 日本が極度 の物資欠乏 と, イン フレの圧迫のも とに あった とき割 当 制や最高価格制. 補 助金制度な どのかた ち で 実施されてきた経済統制は, そ れぞれの部門の条件 が整 う につれてつぎつぎ と撤廃されていった。 さき ごろ統制緩和の措置によ って 輸 出 貿易は12月 1 日から民間業者の手にも どり, 輸入貿易もまた今 日か ら同様に民間の手に移った。 政府に残されたのはただ 日本の外国為替 と通貨 の安定を維 持 し , いまなお供給の不足 し て いる重要物資の公平な配給を保障 するために必要な統制だけ となった。 これに よって 日本は今や急速に民間企 業に よ る 自 由競争体制 とい う 経済的な理想に近づきつつあるが. これこそ生 活水準を次第に引 上げていく 唯一 の希望で ある。 外国貿易の間では戦後輸出 の再開に よ って あがりはじめた収益が引 続き増大 し て いる。 工業生産が高ま り. 新 し く 海 外への販路が開 か れた結果. 過去 1 年間の輸 出 はほ とん ど前年 の倍額に達 した。 また貿易額の増大 とならん で, 輸出入の均衡をはかる う え にも大きな成果が収められている。 こ う したこ とはいずれも新 日本の建設が 疑いもなく健全な歩みを続けているこ とを物 語るもので あり, や がて 日本が 政治的に 一人前 となり社会正 義 と経済 自 立を達成 して. 自 由な国際社会のり っばな一員 と し て深い尊敬を う ける 日が遠く ないこ とを告げて いる。」 また. 朝鮮動乱の最 中に. 来 日 した ア メ リ カ講和使節 ・ ダレス大使は 「今 137) 「マ ッ カ ー サ ー 元帥 の昭和25年年頭の辞」 前掲 「昭和財政史」 第17巻92-93頁. -204 C 516 ) -.

(27) や 日本人が降伏条件を忠実に守ったことが認められ. 日本を平和な 自 由国家 群の 一員と し て 迎 え よ うとする 早期かつ 公正な対日講和条件締結のため の 手 段が進められて い る」(38) と 日本国民につげた。 ところで. ア メ リ カ占領政策は 「新 し い政治的基盤 の上に経済的安定の強 固な体制を築 き あげた 日本経済」に 対 し て , 独立への機運の なかで新たな役 割を担わせはじめて いた。 そこには, 経済復興力と し て の 工業観から さ らに 進んで, 政策転換後 のア メ リ カ占領政策の究極 の 目的で あ っ た, ア ジ ア の エ 場 (Workshop o f Asia)と し て の 日本工業銀が前面にお し出 さ れて いた。 GHQ/SC AP の 経済 科学局長 ・ マ ー カットの声明はそのことを明 白に示 し て いる。. 「東南ア ジ アにお け る 原料生産と産業力を増大する ために 日本の産業. 力を最大限度有益に利用 す る ことがで き る と 米国政府は信 じ る 。 日本にとっ ては, 東 南ア ジ アその他の地域に対 し , 現在軍需生産に従事 し て い る 諸国に お い ては普通 の 方法では供給で き ない よ うな資本財及び消費財を供給する と いう, 魅力の あ る 機会が存在 し て い る 。 こ の 目的のため. 東南ア ジ アに駐在 す る 米国の 各種の経済 援助及び技術援助使節が, 綜合的な 日 米協力計画に結 びつ いた計画を展開す る よ う助力 し てく れ る よ うに努力を し なけ ればならな い。 これを要す る に. 速かに講和を締結 し て , 日本に対 し て拡張す る 活気 あ る 経済を齋らす完全な 自 治権を与え る よ うにする ことについて, 米国は確乎 た る 希望を有す る 。 日本を 自 由諸 国民の 一員と し て すでに資格 あ る ものと認 め, 日本が健全な国内発展と 自 由世界の安全及び進展への寄与に利用 す る 限 り, 日本に対し 市場と供給源を与え よ うという, 真摯な希望があ る」(39) 0 かく し て , 政治的 日 立を前捉と したア メ リ カ占領政策に お け る 日本工業 の 位砒づけはア チ ソ ン国務長官が昭和22年 5 月のク リ た. `. ア ジ ア の 工場. ”. ー. ブランド演説で提唱 し. という性格づ け を 日 米経済協力という枠組の なかで具体. 化 し, これを通 し て , ア メ リ カ, 日本, 東南ア ジ アの三角 関 係をア メ リ カの 対ア ジ ア反共政策と し て の いわゆ る ア ジ ア. ・. マ ー シャル ・ プラン構想にとり. (38) 「講和使節団ダ レ ス 大使来 日 声明」 同 前 99頁 (39) 「 日 米経済協力 に 関 す る マ ー カ ッ ト 司令部経済科学局長声明」 同上 103頁 ー205 C 517)-.

(28) こ むことを 可能にするものであ っ た 。 そして, その 一環としての. ‘. ”. 特紺 の. 拡大が 日本の政 • 財界に 大 きな 自 信を 植えつけさ せることになっ た 。 たとえ ば, 政府が 昭和2 6年 6 月に 発表し た 新 経済政策にも そのこと があ ら わ れてい る 。 「将来わ が国 が, 引 続 き国 内経済の安定に 努めるとともに, 国 際経済関 係において 公正と 信 義の 原則を 墜 ん ずる 限り, わ が国は, 米国の 緊急調達計 画への 参加や東南ア ジ アとの 貿易及びその 資源の開発への 協力を 通 じて , 今 後民 主自 由国 家へ 貢献しつつ, 我が国経済の 正 常な 発展を 期し, 本 格的に国 際経済に 参加し 得る 十分な 機会が与え ら れている」との 認識 が述べ ら れると ともに, 財政, 金融, 物 価等の国 内政策とな ら んで国 際経済 関 係の II:_常化と 対 外的 経済 協力の 推進を目的とする 国 際経済政策なる 基本方針 が提言 さ れる にい たっている (40) 。 ま た, 産業界でも,「 鉄鋼合理 化計画」 や「 自 動車合理 化三カ 年計画」への対 応がとり あ げ ら れ, 本 格的な 産業復興への 幕が切 って おとさ れ たのである 。 要するに, 日本 工業は, 内 領政策 の転換とともに, 対 内 的には, 経済 自 立 ”. の 担い 手として , ま た 対 外的には, "ア ジ アの 工場 として 再建さ れること になっ た 。 そして , この方 向を 意 図 的に 決定し た. `. ”. アメ リ カの 事情 は 新 た. に 日米 経済 協力 脚 係という 新 局 面を 形成さ せ, 日本を 独立へと 向 わ せる ので ある 。 そして, 昭和2 6年 9月 8 日, 日本は サ ンフラ ン シスコ講和 会蔽におい て, ソ 連偽]を除 く 49 ケ国との 講和条約およ び アメ リカとの 安全保 障 条 約に 調 印し , 翌年 4 月 28 「l 両条約の 発効によ って, GHQ/SCAP が 廃止 さ れ た 。. (40) 「 吉 田 内 閣新経済政策 」前掲 「 昭和 財政史」第17咎 (資料) 104-10 5頁 -206 ( 51 8)-.

(29)

参照

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