19世紀フランス徴兵制研究ノート
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(2) . 19 世 紀 フ ラ ン ス 徴 兵 制 研 究 ノ ー ト. 遠. 藤. 芳. 信. 1 は じ め に. 日本陸軍建制期の軍制 にフランス軍制が多くの影響を与 えたことは周知 の通りである。ところで,. 「フランス軍制」と称する場合, フランス革命の進歩と民主主義の伝統を 内包してし・るかのような印 象をうけやすい. しかし, 兵役制度に関するならば, 特に, 1 83 0年代以降 は, そのブルジョア的退 廃化 が進 行した. すなわち, フランス革命の時代に, 自発的な住民武装 の軍隊を基盤にして編成さ ガルド ナ シ ョ ナ ル. i l t れた護国兵 (Ga ) が政府権力 によっ て, しだいに統制◎管理されるととも に, 徴兵義 rd Na ona e 務関係が金銭交換(納税)的関係として遂行されるに至 っ たのである。 日本の1873年徴兵令が見本 1 ) 本研 究 ノー ト は 以上 のよ う に し た の は, こ の よ う な1830 年 代 以 降 の フ ラ ン ス 徴 兵 制 で あ っ た( , ,. な1 9世紀フランス徴兵制に関して, 日本の徴兵制度(特に, 徴集方法と徴兵事務体制)を考察する うえで参考 になると思われる点を, 覚書風にまとめたものである.. 11 18 世 紀 末 のフ ラ ンス 軍 隊. 1. フ ラ ンス に お ける 常 備 軍 の 創 設. 19世紀フランスにおける徴兵制の形成過程を考察するために, フランス革命前までの軍隊の兵員. 2 ) 採 用 な どを概 観 して お こ う( . l l フラ ンス に お ける 常 備 軍 の創 設 は, ヴァ ロ ア 王 朝 の シ ャ ル ル 7 世 (Char esvl ,1422一1483) に よ る 1438 年 の 国 王直 属 の 常 備 軍 設 置 か ら 始 ま る. シャ ル ル 7 世 は, シャ ル ル 5 世(Char l esV,1364. 380 -1 ) がつくっ た貴族兵隊編成を常備軍となし(騎兵隊の鼓失になる) , 平民をもって徒歩兵を編 成した(歩兵隊の鼓失になる) そして 国王以外に対 しては 私兵を養成することを禁止し . , , , 封建 諸侯の領地を没収し, 王権の伸長を図り, 中央集権制を遂行しようとした, その結果, 騎士として の貴族階級は, しだいに, 自己の存在意義をうすめられていっ た. シャ ルル7世 による常備軍創設以降,1 89年革命前のスラソス軍隊の兵員採用の基本 は雇用制で 7 あっ た, 雇用制による兵員採用 においては, スイスの住民から雇兵を募るとともに, 連隊長に委任 して自国の住民の中から雇兵を募集していた, しかし, 以上の雇兵のみでは戦時の軍隊の兵員を補 充できず, そのため, 村民の中から兵員を徴集 して欠員を補ってし・た (各村では兵員人選のために 抽簸を行い, 当簸者 は軍隊で2年間服役する) , 以上のような雇用制 による常備軍の兵員採用 は当時 の ほ と ん ど の ヨ ー ロ ッ パ 諸 国 で 行 わ れ て い た。 特 に, イ ギ リ ス で は, フ ラ ン ス 革 命 後 1 世 紀 を経 て.
(3) . 遠 藤 芳 信. も雇用制 が行われていた. しかし, 1789年革命以前 に, フランスの国民大衆が以上の雇兵の他 に全然兵役につかなかっ たわ けで な い, ブ ル ボ ン 王 朝 の ル イ 14 世 (Loui sXIV, 1643一1715) の 時 期 の 陸 軍 大 臣 ル ー ヴ ォ ア の 軍. 制 改革 によっ て徴兵制 が しかれ, 平 時の常備軍 の編制 は歩兵 およ びそ の他 で約30万 人 とされた 0 (1 680年) . この兵員 は, 全国の壮丁を検査 し, 抽簸 によっ て定員を徴集り補充 し, 年齢20歳から4 歳 に至るまで が服役年限とされた. しかし, 徴集された多くの兵員 は貧民であり, 富者の子弟は免 除され, 将校 は貴族に限られていた, 1778 年 5月 の ル イ 16 世 (Loui ) の勅令 は, 州設民兵の編制を規定した (服役 sXV1 ,1774一1792 期間は6年間) , それによれば, 各州毎 に7万2千人の民兵隊 が編成され, 毎年, 1方2千人の民兵 0歳以下で定尺以上の を徴集 して本隊の6分の1を更新することになっている. 年齢満16歳以上4 ば が 者 は民兵徴集の抽簸 に応じなけれ ならなし・ , 代役が認められていたために, この州設民兵は社 会的下層階級を対象にした一種の賦役であっ た. また, 以上の軍隊の将校は,4代にわたって貴族で 1年の条例) あることを立証 した者だ けに任命 されることになっていた(178 , そして, 陸軍中尉から 3 4 ) ( )がな けれ ば 国王から授与されることはなかっ た( 陸軍大佐 に至るまでの官級は, 「資材ノ納致」 , , 以上のように, 17 89年革命以前のフランス軍隊 は, その兵員採用 の基本 は雇用制であり, 将校の 補充の昇進も身分制や財産の有無と結合 し, 封建制度に適合 した軍隊編制を運用 していたのである. 2. フランス革命と住民武装 . 1 1789 年 7月 の バ ス テ ィ ー ュ 監 獄 に対 す る パ リ 市 民 の 攻 撃 戦 闘 の 時 期 か ら ナ ポ レオ ン の 1799 年 1. 月 のクー デター に至るまでの期間において, フランス革命擁護の軍隊の性格を特徴づ けるものは, 広範な国民大衆 に依拠 した住民武装を基本とする自発的な軍隊の結集・編制であっ た. このような i l t ) の活動 は著名である. 護国兵はバ リの中産階級 住民武装の軍隊として, 護国兵 (Ga rd Na ona e を基盤にして兵力4方8千人を組織 し, バ スティ ーュ監獄を襲撃 し, 革命を擁護 し, パ リの秩序を i 維 持 し た. ま た, フ ラ ン ス 近 衛 兵(Gard Fran a )も合体 した, パ リにおける護国兵の活動 は全 s e s i ee cons t tuante 国 的 に模 倣 さ れ た. そ して, 1790 年 の 立 憲 議 会 (L’Assembl ,1789一1791) に お い. て は, 公式の地位 が認められた. また, 市町村 は護国兵の出動を要求する権限をもっ た. シトワイヤンアクチーフ 5 } 17 護国兵 は, 当初, 能動 的 市 民 に限定されていたが( , 92年2月 には, すべてのフランス国民が 護国兵 に編入されることができるようになっ た. 護国兵 は, このように中産階級を基盤にして編成 された軍隊であっ たが, 常備軍に国民的性格を付与するうえで大きな役割を果 した. また, そのよ うなフランス軍 が革命 擁護と祖国防衛の対外戦争 において勝利 したことは注目される.1792年9月 の ヴ ァ ルミ ー に お ける 対 オ ー ス トリ ア o プロイセン戦では, 護国兵の中から募集された義勇兵 (そ の将校 は兵士の中から選挙されてし・た)と常備軍からなるフランス軍が勝利 したのである, そして, そ の 時, ヴ ァ ルミ ー の プ ロ イ セ ン 軍 の 露 営 に い た ゲ ー テ は, 「こ の 日, こ の 場 所 か ら世 界 の 歴 史 に新 6 ( )と い う 言 葉 を 表 わ し た と さ れ て い る ゲ ー テ が フ ラ ン ス 軍 の 勝 利 の 意 義 を 正 し い時 代 が は じま る」 .. 確 に把握 していたか否 かに関して は, その詳細を知ること はで きない, しかし, ともかく, 戦闘に は素人で ある けれ ども, 革命擁護と祖国防衛の精神で結合された軍隊が, 受動的訓練で養成された. 身分制的 ◎ 雇用制的軍隊 に勝利 したことは, 他のヨーロッパ 諸国の軍隊編制に大きな影響を与えて い っ た こ と はい う ま で も な い, フラ ン ス 軍 の 国 民 化 を さ ら に促 進 し た の は, 1793 年 2月 の デ ュ ボ アリク ラ ン セ に よ る 軍 編 制 改 革. l 案であっ た(Ama game法) , それによれ ば, 護国兵の中の義勇兵2個大隊と常備軍1個大隊とを統 10.
(4) . 9世紀フランス徴兵制研究ノート 1. 合して半旅団 (すなわち一個連 隊) を編成しようとするものであっ た, そのことによっ て, 護国兵 中の義勇兵の市民精神を常備軍 に浸透させ, 義勇兵 は常備軍や古参兵と接触◎交流を深めるととも に戦闘 に慣れさせることを意図したのである. この種の連隊は, 国民公会時代末(La Convention, 1792一1795) に は295個 連 隊 に な っ た. ま た, フ ラ ン ス 軍 の 国 民 化 を す す め た も の と し て は, 1793. 年4月 の軍隊への派遣議員制度がある, これは, 議会が軍隊を監視し, 軍隊内に共和主義的精神を 維持するうえで大きな役割を果 した, ま た, 軍隊内にはジャ コバ ンリクラ ブの機関紙などの愛国的 新聞 が配布され, 兵士たちもクラ ブを訪れてフランス市民と交流するのであっ た, 以上のように, フランス軍は自覚的な住民総武装を基盤にして成立 したため に, 17 93年2月 の強制的な30万人の 兵員徴集に対 して反乱が発生したのも当然であっ た. これ は, 市町村に対 して兵員徴集の強制的割 当てを課 したために, 農民にとっ ては旧制度下の賦役的な兵員徴集を想起させ, 西部のヴァ ンデー 地方 に大規模な反乱と抵抗を惹起させた. 17 93年以降の5ヵ年間は徴集 はおこなわれず,1 793年の徴集兵員が兵役に服した.1798年9月 の 徴兵法 は, 戦時に限って義務的な兵役を規定し, 平時には, 軍隊の兵員を志願制によっ て補充する よ う に な っ た.. 9世紀前半期における護国兵と徴兵制 による軍編制の推移を考察しよう. つぎに, 1. 1 1 1 1 9世紀前半期のフランス徴兵制 19 世 紀 フラ ン ス は, 2 つ の 帝 制 (1804 年, 1852 年) と, 3 つ の 王 制 (1814 年, 1815 年, 1830 年). と, 3つの共和制 (184 8年, 1871年, 1875年) を経過した. この1 9世紀フランスにおける軍編制 で注 目 し な けれ ば な ら な い こ と は, つ ぎ の 2 点 で ある. 第 一 に, フ ラ ン ス 革 命 に おし・て 全 住 民 武 装. を基本にして編成されてきた護国兵に対 して, 国家権力 が管理 と統制を強めたことである. すなわ l ippe ち, ナポ レオ ン 1 世 の 帝 制 期 や 1830 年 の ル イ◎フ リ ッ プ (Loui s-phi ,1830一1848) の 王 制 期 に. おける政府権力 によって, 護国兵は統制され, 自己の革命擁護◎祖国防衛の国民的性格 はしだいに うすめられていっ た. 第二に, 以上の護国兵に対する統制 に随伴しつつ, 徴兵制 がフランス軍隊の 兵員採用の比重を高めたが, 徴兵制 による兵員採用自体 は, 政治的◎社会的秩序や財産有無関係お よび出身階層の上下関係 に整合 しつつ施行されたことである. すなわち, 徴兵制 は種々 の免役◎代 役制をふくみ, きわめて腐敗的に施行されていっ た. 1。 護国兵に対する管理と統制の強化 ナポレオン1世 が外征の戦役に従事することによって, 常備軍 に補充される義勇兵の プー ルとし ての護国兵 は, 自己がもっていた革命擁護◎祖国防衛の国民的性格がしだいにうすめられていっ た. ま た, ナ ポ レ オ ン1 世 は, 1799 年 の ブ リ ュ ーメ ー ル 18 日 の ク ー デ タ ー に よ っ て 執 政 官 政 府 (Le Di i recto re . ,1795一1799) に入 っ て か ら護 国 兵 の 編 成 を 禁 止 し た (1806 年 ま で 復活 さ れ な か っ た). そして, つぎのように語 っ た. すなわち, 「(護国兵 は) ・売店の守護神である. というのも群衆を 武装させれば, 革命主義者をつくりだすことになり, 有産者を武装させれ ば, 革命主義者を阻止し ( 7 )と述べたとされている つまり ナポレオン1世 は 国民大衆の武装化 が革命と結合するこ うる」 . , , とを非常に警戒 していたのである. 18 30年7月 に成立 したルイ◎フリッ プの王制権力 は, 護国兵の国民的性格をさらに骨抜きにした. 11.
(5) . 遠 藤 芳 信 こ の 点を明確 にするために , 1831年3月 の護国兵に関する法律を中心に検討 しよう, まず, 護国兵 の 設 置 目 的 は, つ ぎ の よ う に さ れ た,. 「護国兵ノ ・立憲王政, 国憲及ヒ国憲ノ確認 シタル諸権利ヲ守護シ, 法律ノ遵守ヲ保持 シ, 公ケノ ・回復シ, 国境及ヒ海岸ノ防禦二於テ常備軍ヲ救援シ, 仏蘭西ノ独立 ト 秩序及ヒ靖安ヲ保存ッ又ノ ( 8 ) (第 1 条) 其 領 地 ノ 完 全 トラ 保 ス ル 為 メ ニ設 置 ス ル モ ノ ナ リ」. この設置目的におし・て は, まず, 権利を守ることと秩序を維持することとが対的に結合して規定 さ れ た極 め て あ い ま い な も の に な っ て い る, こ の 点 につ い て は, バ ト ビ ー が, 「自 由」 と 「秩 序」 と. の関連 において, つぎのように護国兵の性格を述べていることも興味深い. 「(護国兵 は) 我力仏蘭西革命ノ初時二方リテ創設セッ者ニシテ其目的タルヤ当時兵力二筒重ス ル王権ノ圧迫二対 シテ国民ノ自由ヲ保護スルニ在りシ是ヲ以テ爾後久シク之ヲ視テ以テ公 同ノ秩 序ヲ保持ッ法律ノ施行ヲ援助 ッ併セテ政府ノ越権ヲ防禦スルノ職務二任スル所ノ民兵ト為セリ此 ・即チ七月変革 ( 183 二様ノ性質ノ 0年) ノ以後二於テ世人ガ専ラ慣用 シタル国民ノ自由及ヒ公同ノ 9 ( } (傍点とカッコ内 は遠藤) 秩序ト称言スル謎語中二於テ自力ラ之ヲ表明セリ」 本来, 「自由」と「秩序」とはそれぞれ相異っ た意義と論理から出発しているのであり, それゆえ, あえて, 「自由」 と「秩序」 とを結合すれば, どちらか一方があいまいにならざるをえないのであっ た. そして, 結局, 以下 に示されるように, 護国兵 は国王権力の統制下 にくみこまれることによっ て, かつての国民的性格が事実上 しだいにうすめられていっ た. 護国兵の役務としては, 第1に, 市町村の内部 における役務, 第2 に, 市町村の土地外における 分 遣 (デタ シュ マソ) の役務, 第3に, 上述 の護国兵の設置目的の第1条の制限内における常備軍 の 救 援 を お こ なう た め の 分 遣 隊 (コ ー ル デ タ ッ ヒ -) の 役 務, が あ っ た (第 3 条). こ の な か で, 第. 2の役務の内容として は, ①憲兵や常備軍の不足時に, 国庫の金 額o手形を某都市から他の都市 に護 送 したり, 重罪被告人9処刑人oその他の囚人を護送するために必要 な若干の人員を分遣すること, ②近傍の市町村o郡o県 における-撲 などの擾乱発生や盗賊o強盗およびその他の兇徒による擾乱 発生に対 しては, 当該市町村◎郡o県を応援するため に分遣隊を準備すること, があっ た(第127条) . また, 第3の役務の内容としては, 常備軍の援兵としての護国兵の分遣隊は, 戦闘期間を1ヵ年以 上継続できないとされた(第138条) , そして, このような分遣隊の派出 は, 議会での法律の公布が 必要であるとされ, 議会閉会中は国王の勅書 によっ て派出できるとされた (第1 39条) . 護国兵 はフランス全土 に編成され, その編制 は町村単位 (小隊) であっ た. そして, 国王が勅令 ハダイヨンカントノウ をも って命令した時 は, 1郡内に各町村の小隊を合体 して郡 大 隊を編成することになっ た. つま り, 護国兵としての大部隊の兵員結集 は非常 に警戒されたのである. 護国兵の以上の編制 は不変と 1 0 { )(第5条) されたが, 「国王ノ ・特定ノ場所二於テ護国兵ヲ停止シ又ノ ・之ヲ解散スルコ トラ得可シ」 とされたように, 国王 が護国兵の停止り解散に対して強力な権限をもつことになっ た, また, 護国 兵の章服 は国王の勅書をも って規定され (第68条) , 内務大臣o県知事の郡長・市町村長の行政機 関のもとに統轄されることになっ た (第6条) ・其 , 他方, 国民一般 の武器携帯に関しては, 「人民ノ 直接ノ首長ノ命令ヲ受ケタルニ非サレハ兵器ヲ携帯スルコトラ得ス又護国兵 トナリテ票集スルコト 1 1 ( ) ラ 得 ス 而 シテ 又 其 首 長ノ・文 官 ヨ リ ノ 求 メ ラ 受 ケ タ ル ニ 非 サ レ ハ 右 ノ 命 令 ヲ 付 与 ス ル コ トラ 得 ス」. (第7条) とされ, 文官の要求と首長の命令がなけれ ば認められなくなっ た. 護国兵には国民全部が編入できたわ けではない. 服役義務 は,20歳より60歳の民権をもつフラン ス人 が, その基本住所 において服役に従事することが課せられたが, 以下の者 は服役義務の対象外 12.
(6) . 1 9世紀フランス徴兵制研究ノート. にあっ た. すなわち, 宗教教団の僧侶, カ トリックや プロテスタントの大学神学部の生徒, 現役陸 海軍人, 関税事務所の吏員, 田野山林の監視人, 監獄や裁判所あるいは警察署の下級吏員, そして, 処刑された者, などは護国兵への編入を免除あるいは排斥された. さらに, 護国兵の常務服役 (第 1条や第3条の役務と, 閲兵◎演習 に召集 されること)については代換 は禁止されたが, 父子の兄弟◎ 伯叔父と甥との間 (および同等の親族間) では, どのような小隊 ◎ 大隊に属するかを問わずに互い に代換することが許可された. また, 国会議員,55歳以上 の護国兵, 郵便脚夫や電信配達人などは, 隊中名簿に記入されても, 護国兵の服役は免除されることができた(第28条) . つまり, 護国兵 は, 国民大衆の統武装という点ではしだいに制限されたのである。 護国兵の服役 は, 常務服役と後備服役 (非常時以外には召集されず, 平時の服役に堪 えない者が 服役する)があっ た. 市町村長 は人別表を作成し, それらは壮丁検査会議(通常は, 市町村毎 に1個 設置され, 市町村会がその職務を遂行する。 議長には市町村長がなり, 議員 は8名から構成される) において, さらに調査された. そして, 壮丁検査会議 は隊中名簿(死去◎転居, 護国兵編入の免除◎ 排斥の原由を記入する) と常務服役◎後備服役の対照簿を作成し, 常務服役の対照簿 による護国兵 への新編入者を各地の小隊 (とその分隊) に配布した. なお, 人別表や隊中名簿 は市町村役場内に 保管され, 市町村住民の求めに応じて閲覧させた, また, 各郡には, 治安裁判官の管掌でもって調 査陪審局 (ジュリー ◎ ド◎ し ビジョ ン) が設置され, 隊中名簿における記入や塗抹, 常務服役の対 照簿における記入や遺脱 に関する訴訟を裁定した, つぎに, 護国兵の組織編制と士官の選任をみよう. 護国兵 は, 各市町村を単位にして, 小隊の分 隊, ・隊, 大隊, 連隊が編成された. 分隊は14人以下までのもの(軍曹1人, 伍長1人)と, 40~50 人までのもの (中尉. 1人, 少尉1人, 軍曹3人, 伍長6人) にいたるまで, その組織が五つの段階 に分かれていた。 小隊の通常の兵員 は60~2 00人までだ が,50~6 0人にすぎない町村では1小隊を 組織することにした. 大隊 は4~8個の ・隊をもっ て編成され, 大隊長1名 と大隊副官1名 などに よって大隊参謀部(6名)が組織された, また, 護国兵がそれぞれ500人より組織される2個大隊以 上の郡や都市 において は, 国王の勅書をもって, それらの護国兵を併合して連隊を編成した, 連隊 の参謀部 は連隊長 (大佐)1名, 中佐1名などによっ て組織された (計5名) . 士官御下士官の選任 についてみると, 各市町村における小隊と分隊の士 官◎下士官 は, 護国兵士 の中から選挙されて選任された. 大隊長は, 大隊の士官全員 とその同数の下士官または護国兵士若 干名の選挙によっ て選挙された. その際, 大隊長選挙に参加する下士官と護国兵士 は, 各小隊にお いて選任された. 連隊長と中佐 は, 連隊の各士官の会議において多数 によっ て推薦された候補者10 名の中から, 国 王によっ て選任された (第56条) . また, 選任された士官は, 国 王 に忠誠を尽すこ とと, 憲法ならびに王国の法律に従うことを誓うことが求められた (第59条) , 以上のような護国 兵の士官の選任関係をみると, 護国兵 は主制権力の統制下に厳格にくみこまれていっ たことがわか る,. 2年1月 の護国兵に関する勅書 においては におい その後, 護国兵 はさらに統制され, 185 , 護国兵を一旦 「 解散することが述べられ, そして, 公ケノ秩序ヲ防守スル為メ其助勢ヲ必要ナリ ト思 考 セ ラ レタ ル 1 2 ( )に限っ て 再 び編成することになっ た(同勅書前文) すなわち 護国兵は秩序維持の面か 地方」 . , , 護国 らのみ 位 置 づ けら れ て い っ た の で あ る.. 2。 徴兵制と免役◎代役 1806年8月 に服役義務5年 (満2 0~25歳) の徴兵制 が制定されたが, 1814年6月 のルイ18世 13.
(7) . 遠 藤 芳 信. I 1 (Loui s XVI ) の憲章 において は徴兵制自体 は廃止された. ,1814一1824 そ の 後, 1818 年 5月 に, グ ー ビ オ ソo サ ンo シールの建議に依拠 して 志願を第1とし 徴集を , ,. 第2とした兵員採用方式が制定された. しかし, この徴集自体も抽簸法 にもとづくものであり (毎 年4万人徴集, 服役6ヶ年, 満期除隊後の下士兵卒 はさらに6ヶ年予備役に服する) 当簸者 に対す , る各種の服役免除o猶予と代役が認 められていた. たと えば, 兵役免除 は, 廃疾者 o 定尺未満者 6 家族の扶養 に欠くべからざる者, に与 えられ, その免除の欠員 は次号当簸者 によって補われた. ま た, 当簸者 に対 して は代役人を出すことが許され, さら に, 同年次の徴集兵員 は当簸番号を相互に 交換することも許されていた, ところで, この181 8年5月 の法律で注目されるの は, 軍管徴兵制 が導入されたことである. 軍管 徴兵制 と は, 軍管区に依拠して兵員徴集上 の区域 (すなわち, 徴兵区) を定め 当該の徴兵区から , 採用された兵員 を, 当該徴兵区に照応するところの軍管区内に配備されている軍団隊 (通常 は 歩 , 兵連隊) に編入させる軍編制上 の制度である. すなわち, 当該地方に配備されている常備歩兵連隊 は, 当該地方出身の固有 の兵員でも って補充させるということである. それゆ え 1818年の法律に , おいては, 当該地方の徴兵 は当該地方の軍管内の連隊にすべて採用され 満期除隊後も 下士兵卒 , , は当該地方の軍管内において6ヵ年間の服役義務を負っ たのである. しかし, 以上の軍管徴兵制 に もとづく軍編制 の結果, 各連隊は, それぞれの軍管区にしたがっ て その勢力や性格 を異にするよ , うに至 っ たとされている, すなわち,「各連隊ノ ・管地ニヨリ其勢力ヲ異ニ シ而シテ独立ノ性質ヲ有ス ル諸隊ヲ以テ之ヲ編制セシニョリ其内部ノ連絡相通ス ルコ トナク加之各軍人ノ疑惑ヲ惹起スルニ至 1 3 ( )とされ 各地にそれぞれ個性的な連 隊が生まれようとしたのである けれども この軍管徴 レリ」 , . , 兵制 は上記のように, まもなく批判され, 歩兵の各連隊 は, 兵員を全国にまたがって徴集すること になっ た, すなわち, 1820年以降は, 徴兵 は自己の所管県を問わず 全国各地の諸連隊に配当o編 , 入される慣行が形成されていっ た. その後, 1824年 には, 徴集兵員が6万人 に増加され, 予備役が廃止されたが 現役年数が8ヵ年 , に延長された. その結果, 代役人を出せない国民や, 当簸番号を交換できない国民にとっ ては 兵 , 役 は相当の負担 になっ たことはいうま でも ない. なお, 1818年の法律以降 毎年法律でもっ て規定 , された徴集定員 に相当する人員 に限っ て徴兵の賦課を課すよう になっ たが 1824年の法律も毎年 の , 徴集定員を法律でも って規定する原則を踏襲 した, また, 1830年 には, 国会 (衆議院) は毎年の徴 集定員を確定することの他 に, 陸軍定額金 に関 して審議の決定することになっ た . 18 32年3月 の徴兵制 に関する法律 は, 従来の徴兵制 による兵員採用方式を完成させ ほぼ 普仏 , , 戦争前まで施行された. まず, 兵役は栄誉と義務として強調された, そのため, 加辱や施体 の刑罰に処断された者 ある , いは,2年以上の禁鋼 の刑罰に処断されて警察 の監視をうけ, かつ 民権政権および家長権の行使を , 禁止された者 は兵役に従事することを排除された. そして, フランス人でな けれ ば フランスの軍 , 隊 に編入できないとされた, フランス政府が, フランス国内に在住する外国人を兵役に従事させる ときは, 当該外国人をフランス軍隊に編入させず, 独自に外国隊を編成すること にした , しかし, 兵役が義務として強調されても, 全壮丁が兵役に従事するのではなかっ た. 1832年の法 律では, 現役年数 は7ヵ年(満20歳から) とされ, 抽簸法 によっ て服役者 と除役者と免役者とが決 定された. 「除役」(第13条) とは, 徴兵適齢の壮丁で自己の抽簸番 号が賦課兵員数の部 分内にあっ た場合 , 下記の各項の1 つに該当する者 は兵役を免除され, その欠員 は次点抽簸番号の壮丁によって補充さ 1 4 } れ る と い う こ と で あ る. こ の 「除 役」 はエ ク ザ ン ブ スィ ヨ ン (exempt ion) と 称 され て い た{ . 14.
(8) . 1 9世紀フランス徴兵制研究ノート ①. 身 長 が1.56メ ー トル に満 た ない者. ②. 肢体不完全で兵役に堪 えない者. ③. 父母が無い長子. ④. 0歳の父の独子◎長子 寡婦あるいは盲目の父や年齢7. ⑤. 兄弟とも に当簸 したときは (その弟が兵役に適すれば) その兄. ⑥. 代役ではなく, すでに兵役に従事している者の兄弟 兵 役 によ る 死 亡 ◎ 傷疾◎肢体廃失の結果, 除隊された者の兄弟. ⑦. 以上の各項目の③~⑦は, 家族関係を考慮して 「除役」 の対象者 にしたものである, このように みる と, 兵役 は個人に課せられた賦役であるとともに, 「家」に課せられた賦役であっ たことがわか る.. つぎに, 「免役」(第14条)とは, 徴兵適齢に相当する壮丁で賦課兵員の部分の抽簸番号を抽出し ても, 下記の各項の1つに該当する者 は兵役を免除され, その欠員を補充しないということである. 1 5 〉 ion) と称 さ れ て い た{ ject こ の 「免 役」 は, デ ジ ュ ク スィ ョ ソ (de .. ②. 志願の名目等によ って, 特定期間にわたって陸軍または海軍 に属する者 海軍の造船匠や軍艦修理に従事する職工. ③. l エ コ ル ◎ ポ リ テ ク ニ ッ ク (Ece e polytechnique , 総 合 技 術 学 校) の 生 徒. ①. 地方の教育行政機関)に対 し 抽簸の期日以前 にアカデミー(Academi e , 大学会議院 て, 公教育に従事することを約 束した者 te ⑤ 政府から許可された宗教職に従事しようとする学業継続の 生徒や, 大学校 (Universi l i imper i l l t t t i 士 t ) 学 院 ( や u ) から賞典を得た者 ns a na ona. ④. 以上の各項目のなかで, ③~⑤は, 有産階級を優遇したものであることはいうまでも ない, l i l さ ら に, 以 上 の 「除 役」 と「免 役」 の ほ か に, 「ス ー チ ア ソ◎ド◎フ ァ ミ ー ユ」 (sout en de fami e ,. 家族扶持の意味) と称されたところの, 徴兵該当の壮丁でその家族扶持のためには欠くことができ な い者 に対 す る, 自 己 の 家 で の 留 任 休 暇 が あ っ た, 「ス ー チ ア ソ◎ ド◎フ ァ ミ ー ュ」 の 定 員 は, 全 国 賦 課 兵 員 の2 百 分 の 1 で あ っ た. 「ス ー チ ア ソ◎ ドリフ ァ ミ ー ュ」 の裁 定 につ い て は, 徴 兵 検 査 会 議. (後述)が, ①兵卒の自家の状況, ②兵卒の家族の年齢と男女の性別およ び職業, ③兵卒の家計の貧 富, あるいは, その生活方法の内容, ④兵卒 が家に居ない時において, その一家の生活方法 が奪却 1 6 ) されるか否か, を審査し, そして, 軍管司令官 が該当兵卒の自家留任休暇の措置をとっ た( 。 2年の法律では, 貧困者の強制的徴集が若干緩和されたかのようにみ え 以上のようにみると,183 ) な どが 許 可 さ れ る こ と によ っ て, 兵 役 は 「栄 る. し か し, 以下 の よ う な 「代 役」 (remplacement. 誉」 と 「義務」 どころか, ますます賎卑なものにされていっ た. 1832 年 の法 律 は代 役 (ラ ソ フ ラ ス マ ソ) と, 抽 簸 番 号 の交 換 (きchange , エ シャ ー ソ ジ ュ) を 規 定. していた. エシャ ーソジユ は, 被交換者 が交換者とまっ たく同一の地位や資格を備 えていなけれ ば ならなかっ た. しかし, 代役 は, 抽簸 にかかわりのない新来の者でもよく, かつ代役相当者の資格 の如何は問われなかっ た. その結果, 代役人の数が増加 し, 軍人社会 は社会的下層出身者や賎民あ 832年の法律が施行 るいは代役者 によって占められた社会であるという風潮が発生した. そして,1 1 7 ) このよ されていた時期 には, 代役の媒介を営業とする一種 の斡旋業者 が出現するほどであっ た( , うな代役媒介の斡旋業者 は, 1 855年4月 の法律において は, 政府が代役者を直接的に募集するこ と になっ たため, また, 代役者 には兄弟もしくは妻兄@妻弟およ び4親等の系族内にある親族をも っ 1858年には六親等までに拡大) てあてられることになっ たため( , その代役媒介の営業 は絶たれた, しかし, 上記の斡旋業者 は一転 し, 抽簸番号の被交換者を探索して斡旋することになっ たために, 15.
(9) . 遠 藤 芳 信. 従来の代役媒介の斡旋と同様 な状況があらわれるよう になっ た. すなわち, 徴兵制 は 「営利事業化」 , されたのである. 以上の斡旋業者 は, や がて, 1858年3月 の法律においては 抽簸番号の被交換者 , が兄弟もしくは妻兄o妻弟あるいは6親等の系族内の親族であっ て同一県内に居住する者 に限定さ 1 8 ) れ た こ と によ っ て, よ う や く, 消 滅 し た( .. 以上のように検討 してきた1832年徴兵制 において,わずかに高貴さを付与 したものがあるとする ならば, それは志願兵制の設定であろう。 志願兵 (服役は7ヶ年) として志願できる者 は 下記の , 条件が必要だっ た, すなわち, ①海軍への編入 は満16歳に達すること, ②陸軍への編入 は満18歳 に達 し, 身長1.5 6メー トル必要であること, ③私権を有する者, ④無妻の者, あるいは妻をなく し 1 9 ( ) で あ っ た ま た 満 20 歳 て 子 ども を も た な い者, ⑤ 「好 生 活 ヲ 有 シ 及 ヒ 良 風 俗 ヲ 持 ス ル コ ト」 , , ,. 未満の志願者 は, 父母も しくは後見人の承諾を必要とした (その際, 親族会議の許諾をとること) . なお, 1855年の法律 においては, 志願兵で再服役者 には賞与金 が与 えられることになっ た. 3. 徴兵事務体制 つぎに, 徴兵事務体制を,1 832年の法律を中心 に検討 しよう. 特 に, 陸軍省側と市町村自治体側o 地方行政機関側とのそれぞれの権限関係を考察 してみよう, 毎年の徴集兵員数 は法律によっ て定められ, 各県に配当された. 県 において は 県知事がその顧 , 問的機関である県参事院 の議を経て, 県配当の兵員数をさらに郡に配当 した, そして 徴兵検査は , つ ぎ の よ う にす す め ら れ て い っ た.. 市町村長 は, 毎年, その年の1月 1日をもっ て満20歳に相当する者の徴兵連名表を調製 した. つ ぎに, 市町村長 はその徴兵連名表を必ず公表 し, 同時に, 徴兵連名表の検査と徴兵 の抽簸執行の期 日・場所を公告 しなければならなかっ た. 郡長 は, 市町村長の立会いのも とで徴兵連名表の検査会を執行した. まず, 徴兵連名表を朗読し , 徴兵適齢の壮丁もしく はその父母の代理人が意見開陳を求 めた場合 には (徴兵連名表記載の年齢が 実際の年齢と合致しないとか, 二つの市町村の徴兵連名表 に二重に記載されているとか) それらの , 意見を聴き, 市町村長の意見を諮諭 して判定した, このようにして, 完全 な徴兵連名表が確定され た. つぎに, 各市町村毎の抽簸順序を抽簸 で決めた. そして, 各市町村の壮丁 は (壮丁不在のとき は, その親族あるいは市町村長) , 徴兵連名表の記載順序 にしたがっ て簸票を抽出 し, その番号 は徴 兵連名表 に記入された. 以上の抽簸 にもとづ いて抽簸名簿がつくられ, そこに壮丁の「除役」「免役」 の因由が記載され,郡長の意見が加記された,この郡長の意見 は,徴兵検査会議(ons ion) i lde revi s e の裁決の参考 にされた, 以上の徴兵連名表の検査会 の後に, 徴兵事務 によっ て発生するすべての申立てを審判 し 「除役」 , 「免役」 などを裁決する任務をもっ た徴兵検査会議が 各郡を巡回して開かれた 徴兵検査会議は , . , 判決議員と補助議員の2種 の議員をもって構成された, 判決議員 は, ①県知事ある いはその代理人 (県庁の大書記官また は委任された参事院の議員) , ②県知事が指定 した参事院の議員1名, ③県知 事指定の県会議員1名, ④県知事指定の郡会議員1名, ⑤陸軍将官1名 (少将 国王の勅令によっ , て任命される) の合計5名であり 議長 は県知事であ た また 補助議員 は っ , , . , , ①陸軍会計監督1 名, ②徴兵の抽簸を執 行した郡長, ③衛生士官も しく は医師1人, の合計3人であっ た. 以上の判 決議員 には徴兵の裁決に関する審議権が与 えられていたが, 補助議員 には与えられていなかっ た. 補助議員 は, 必要に応じて意見を提 出するだ けであっ た. しかし, 以上の徴兵事務体制をみると , 徴集兵員の裁決過程 においては, 市町村自治体o地方行政機関側も発言力や裁決権限を大きく確保 16.
(10) . 1 9世紀フランス徴兵制研究ノート して い た こ と が わ かる,. 以上, 19世紀前半のフランス徴兵制を検討 してきたが, 特に,1 830年代以降は, 護国兵 は革命擁 護◎祖国防衛を目的とする国民的性格を奪われ, 徴兵制 による兵員採用 は社会的下層出身者 に対す る賦役的o営利的な事業 になり, 極めて腐敗的に施行されたのである. したがって, 以上のような フランス軍が18 70年の普仏戦争 において,181 0年代以降に必任義務の徴兵制を成立◎整備させてき 2 0 ) ち なみ に フラ ンス で は 普仏 戦争直 前 の た プ ロ イ セ ン ◎ ドイ ツ に 敗北 し た の は当 然 で あ っ た{ , , ,. 186 8年2月 の法律において, 現役を5年とし, 予備役を4年と定めた, そして, 常備軍の定員を40 万人とし, 戦時においては予備役を合わせて80万人と定め, さらに, 補助員として4 0万人より編 l i N d t M b i l G 成される遊動護国兵 ( a a onae o e ) を編成することにした, 遊動護国兵は, 兵役免除 r 者または常備軍および予備役に編入した者と同一年次の者で, 代役によっ て軍に編入しなかっ た者 をもっ て編成された. このなかで, 代役による兵員 は,18 69年の徴兵7万5千人のなかで,4万2千 2 1 ( ) 人 い た と さ れ て い る (55.6%) ,. IV I 9世紀後半期のフランス徴兵制 19世紀後半期のフランス軍編制を特徴づ けるものは, 普仏戦争とパリ◎コミ ューンを契機とする 護国兵の消滅と, 徴兵制の再構築である, その際, 特に, 徴兵制の再構築 においては, 国家権力が 国外の敵と国内の敵に対してどのように対決するのかという二つの目標の, いわば妥協的統一の志 向がみられた, ま ず, パ リ o コ ミ ュ ー ン に お ける 護 国 兵 の 動 き か ら検 討 して み よ う. 1. パ リ ◎ コミューンと護国兵共和主義連合. 1870年9月 の帝制廃止直後, パ リ二十区共和主義中央委員会によるパ リ全市民に対する祖国と共 和制擁護の訴 えは, パ リの愛国的市民を護国兵として志願◎結集させ, その兵力 は約34万人 ( 2 54 ion 個大隊)に達した. これらの護国兵 は, 翌187 1年3月 に, パ リ護国兵共和主義連合(La Federat l i i iona 1 を設立する に至 っ た (以下 護国兵連合 と略記する) こ ne de la Gard Nat repub ca , , ,. の護国兵連合の中央委員会は, 文民権力を代表するコミュ ーン政府とともに, いわゆる一種の 「二 重権力」を形成するに至るが,3月19日から同26日までのパ リにおいて機能していた唯一の権力で あ っ た.. 護国兵連合の内部組織 は, 代議員総会, 大隊サークル, 軍団評議会, 中央委員会, から成立 して いた, 各中隊 は, 階級に関係なく全構成員 から直接的に選挙され, いつでも解任できる代議員1名 を代議員総会に派遣し,3名を大隊サークルに派遣することになっていた. つぎに, 各大隊の将校団 から選出される士官代表 は, 各大隊長とともに, 代議員総会と大隊サークルに参加 しなけれ ばなら なかっ た. 軍団評議会は, パ リの20区を単位 にして階級に関係なく大隊サークルから選挙される 2 名の代表と当該区の全大隊長から構成された, そして, 中央委員会 は, 軍団評議会から無差別的に 2 2 } す 選出される2名毎の区代表と, 軍団毎 に同僚から互選される大隊長1名でもって構成された( . なわち, 中央委員会 は, 合計20区で6 0名の委員 から構成されることになっ た, 以上のような護国 兵連合 の内部組織は, 軍隊の下部の末端組織の自治と自律性を尊重する形態であっ た, パ リ o コミ ュ ーンは 徴兵制廃止 パリ における護国兵外のいかなる兵力の創設と導入の禁 止 , , , 17.
(11) . 遠 藤 芳 信. 常備軍の廃止, 健康であるすべての市民 は護国兵を構成すること, を布告した(3月 29 日) . 他方, ional 護 国 兵 連 合 は, ヴェ ル サ イ ュ の テ ィ エ ー ル の 国 防 政 府(Gouvernement dela defense nat e) の 軍 隊 と た た か い, パ リoコ ミ ュ ー ン の 崩 壊 を と も に し た. そ して, 8月 25 日 に は, フ ラ ン ス の 護. 国兵全部 が解散させ られた. かくして, 18世紀末のフランス革命とともに登場 した護国兵 は, フラ ンスにおける軍編制上からは決定的に消滅させられたのである, 2. 1 872年における徴兵制の再構築 1872年7月 の法律 は, 代役を廃止し, フランス国民すべてに兵役義務を課そうとした( 2 0歳~40 歳) . そして, 軍の服役義務の区分を, 常備軍服役5年, 常備軍の予備服役4年, 後備軍服役5年, 後備軍の予備服役6年, を こした. ただし, 常備軍服役者 については, 毎年一定の人員 (陸軍大臣が 規定する) を, 現役在営1ヵ年の後, 常備軍の予備兵の名称をもっ て帰休させることにした, さら に, 以上の1ヵ年服役のカテゴリー に入る者 が, 成績優秀者である場合には, 入営の6ヵ月 後に特 例をもっ て帰休させることにした. その際, 以上の1ヵ年服役者 に対 しては,「若 シー年ノ終末二至 ルモ猶ホ未タ其教育ヲ全了セス読書習字ヲ修了 セ サル者 ハ之ラ シテ尚ホー ケ年間現役 二服セ シ ( 2 3 )と 軍隊教育の成果とともに 読書習字の教育成果も求めていたことは注目される ム」 . , , ′ま た 従来の 187 2年 の法律 は, 従来では徴集免除の対 象になっていたものを徴集猶予 にした. , 「ス ー チ ア ン o ドリファミーユ」 の対象者の自家留任休暇も 徴集猶予にされた, その対象人員 は , , 2 4 ) そして 徴兵検査会議 は 家族扶持による フランス本国では当該県の総徴集兵員の4%とされた( , , , 徴集猶予者 の裁決について は, 必要 に応じて家計実況の事実調査を実施することにした. さらに, 市町村長 は, 家族扶持によって徴集猶予になっ た者の実況報告書を郡長に4年間提出し, 同書 は県 知事を経て徴兵検査会議に回送され, 毎年 点検り審査された. 2年の法律には, 1年志願兵制が新設 された. 1年志願兵 には, ①中等教育以上の修学証書を 187 もっ ている者, ②中等教育以上の修学証書をもたない者で, 特別の試験に合格 した者, が採用され た. 以上の壮丁は, 満24歳まで召集を猶予された. また, 上記の②の試験において高得点を得た者 で在営中の経費(1 ,500フラン)を自弁できない者 に対しては, 経費の半額あるいは全額が官給され た.1年志願兵 は, 他の現役兵と寝食起居をともにするが, 特別の教育を実施された. そして, 毎期, ・も 修学上の検査をうけ, 年末の検査に合格 した者 には下士の適任証書などが付与された. さらに, う1年間の服役を希望する者 には, その2年目の年末に後備軍少尉の適任証書などが付与された. しかし, 以上の1年志願兵制 は有産階級の子弟を優遇するものであり, また, 兵役免除の一方法と みなされ, 18 89年の徴兵令改正においては廃止された. 1 2年の徴兵制以降 87 , 下士の志願者 は減少 したとされている, その原因は, 下士の現役服役年数 の短縮(7年を5年 にした)と, 1年志願兵制 による下士の補充方法, の2点にあっ た. まず, 前者 から検討してみよう. 下士の現役服役は, 従来 は7ヵ年であり, 一般兵卒中の成績優秀者が, 通常一 服役2ヵ年の後に 下士 に昇進すること ができた. そのため, 現役服役5ヵ年を, 兵卒として服役するよりも, むしろ, 下士として服役する方が有利とされ, 一般兵卒 中には下士昇進のため に奮励する者 が多くいた, ま た, 下士としての現役服役が満期 になれ ば報酬料をうけとり, さら に25年の服役を終れ ば恩給受領 の権利が付与されたので, 下士再服役希望者が多かっ たのである. 当時は, 下士定員3万2千人中 に再服役下士 は2万3千人以上を占めていた. しかし, 1872年 には, 下士の再服役料 は廃止され, 下士の再服役年齢が定限されて, 35歳にされた(再服役の一期 は2年以上5年以下で, 兵卒 は29歳 18.
(12) . 1 9世紀フランス徴兵制研究ノート. まで, 下士 は35歳まで) . 以上の下士の現役年数と現役定限年 齢をみると, 兵卒と大差なく, 下士 は一般兵卒とほぼ同一線上 に位置 づ けられたことがわかる, その結果, 下士の昇進希望者 は減少 し た の で あ る.. 他方, 1年志願兵 による下士の補充 は困難とされた, 1年志願兵採用の試験は極めて簡易であり, 合格 した者で特設の教科 ( 1875年8月 の陸軍大臣の布達 にもとづいて規定) を受 ける学力を有 しな い者が多かっ たのである. そのため, 1年志願兵の学力◎才能の差異が拡大し, その教育 に困難を増 し, 下士適任の員数を減少させたのである. 以上のような下士志願者 の減少 に際して, 種々の対策がとられた. 18 73年7月 には, 現役満期下 士(勤続1 0ヶ年を経た者)の文官採用が実施され, 1 874年7月 には, 下士の俸給を増加させ, 年齢 35歳に至れ ば, 比例恩給を支給することにした. しかし, 以上の下士待遇対策 は容易 に機能せず, その後も, フランスにおいて は, 下士の補充り服役問題 は難問題 になっていっ た, 3。 188 9年徴兵令の成立 フランスの社会的中層以下の国民にとっては, 現役5ヵ年の服役はきびしい負担になっ ていた, そのため,18 80年代初頭から, 現役年数短縮の動 きがフランス国会 にもあらわれてきた,1885年10 月 の選挙で新選出された代議士 に対して内務省 が求 めた意見書の集約 によれば, 兵役に関しては以 2 5 〉 すなわち 代議士567人のなかで ①現役服役年数を3年 に短縮 下のような結果があらわれた( . , , することを要求する者 は244人, ②兵役年数の短縮を希望する者 は87人, とされるよう に, 約6割 近くの代議士が兵役年数短縮を希望していた. その後, 国会で, 現役服役年数短縮をふくむ徴兵令 2 6 ) それらが採択o成立させられたのは188 改正の法案が提出されていっ たが( 9年7月 であっ た. , 1889年7月 の徴兵令改正における主要な改正点は, ①現役服役年数を3年に短縮すること, ②1 年志願兵制の廃止, ③兵役税の新設, にあっ た. そして, 身体廃疾による兵役免除と犯罪者 の兵役 排除以外の兵役免除と徴集猶予を廃止し, フランスのすべての男子に兵役義務 (25年) を課 したの で あ る,. 服役 は, 現役軍3年, 予備軍7年, 後備軍6年, 後備軍の予備軍9年, の四つの軍に逐次編入す ることが義務づ けられたが, 現役軍に服役する兵員 は2種に区別されている, すなわち, 文字通り 3年間在営する兵員と,1年間の在営の後 に予備軍に編入するまで帰休する兵員である. 後者の兵員 2 7 ) に該当する者 は以下の通りである( . ① 長子で, 父母がともに死亡している者, または, 長子で母が死亡し, その父 は公然と失 際し, あるいは治産の禁をうけた者, その他, 家族兄弟関係 によって1年間在営の後 に帰 休できる者( 7人以上の子女がいる一家の独子9長子, 兄弟ともに徴兵名簿に記載されたと き は, そ の 兄) .. ② ③. 家族を扶持する義務のある壮丁, 教師や宗教教団の宣教師試補, 学士の学位や中高等教育機関の卒業証書を所持する者,. 県技術審査委員から上申された技工, 政府公認の宗派の教務をおこなうため に僧侶生徒の 名義で修業を継続する者. ④. 服役第1年目の後に, 各郡区の抽簸簿によって, 比例をも って最高番号の者より帰休す る者.. 一 以 上, 第 21~23 条, 第 39 条 -. しかし, 以上の現役1年在営者 は, その服役期間中に, 陸軍大臣規定の「品行及教練ノ格例」(第 24条) に合格することが条件とされていた. そして, 合格 しなかっ た時は, さらに, 2年間在営さ 19.
(13) . 遠 藤 芳 信. 9条) せられたり, あるいは, 再召集された(第24条, 第3 . なお, 1年志願兵制 は廃止されたが, 以上の1年間在営の服役体制をみると, 有産階級の優遇措置 は③のなかに姿を変 えておりこめられ て い っ た と考 える こ と が で き る.. l i i t 兵役税(Mi )は, 陸海軍の公務中の負傷や服役に起因する廃疾によって罷役退職させ r a et axe られた者と極貧者を除き, 現役軍服役を免れた者 に対して課せられた. なお, 以上のよう な1889年徴兵令改正に対 して, フランス国会(衆議院)において は, 1 87 2年徴 兵令を維持 しようとする保守勢力 から, 主 に, 在営年数短縮と 「精兵」 養成との関係から批判がで て き た. た と え ば, モ ン トオ ー ド ン は, 兵 の 養 成 に お い て は, 数 の 衆 多 よ り も 「徳 義」 の要 素 が 重 2 8 ) 要 で ある と して, つ ぎ の よ う に 発 言 して い る( .. 「真ノ兵ノ ・外部二顕ハルル器機的ノ教育ノ外ニ深ク軍紀ヲ心二銘シ其上長ヲ尊敬シ,常二能ク之 二服従ッ墓モ苦情ヲ鳴ラスコ ト無ク百般ノ難渋, 飢渇, 昼夜兼行, 露営ノ困苦二能ク堪へ得ルラ 要ス 僅少ノ失敗ノ為メ ニ兵気ヲ狙喪スルコ ト無ク, 降参ス ト揚言セスッテ常二戦闘ヲ再ヒスルラ得 ソニハ精魂ノ堅固ナルラ要ス 然ランニハ兵卒永ク兵営二居住 シ隊情及友義二厚クナリ諸小細ノ勤務二慣熟シ室モ私利ヲ顧ミ サルニ至ルラ要ス」 モソトオー ドンが指摘するような 「精兵」 養成をすすめるならば, 志願兵制 による長期在営制 が 求められることになる. すなわち, 彼は,「軍人ノ業ヲ好ソテ目ラ適任ナリ ト信 ツ斯道二従事センコ トラ希望スル壮丁ヲ隊列ヨリ除去 ツ之二代フル二此業ヲ好マサル者ヲ以テスルハ甚タ不可ナリ」と, 2 9 ) 再服役や志願兵を排除するような現役年数短縮 に強固に反対 した( . モソトオー ドン は軍人出身者であっ たが, 彼が強調 した 「徳義」 の要素とは軍紀と服従のことで あり, また, その服従を基軸 にした軍隊兵営生活内の人的結合関係に順応することであっ た, これ らの要素を兵卒に教育することは, 当時のフランスでも非常 に困難であるとされていた, そのため, 戦闘の技術や行動の教育 は短期間で完成することが可能であっ たが, 長期の在営期間の大部分 はモ ントオー ドンの指摘す るような「徳義」の教育 に向 けられていたのである. たとえば, 歩兵第12連 隊 の ジ ョ ー ル ジ ュ oル9ノアール歩兵中尉 は, 「生兵教練教習法新説」 の中で以下のように述べてい 3 0 ) る( .. 「服役ノ初年ノ ・真ノ教育期ニシテ翌年ノ ・復習二止り新 二習得スル所ノ学芸ノ ・極メ テ僅々二過キ ス毎年八月 二至 レハ新兵ノ軍事二熟練スルコ ト尚ホ古兵二勝ル者アリ而 シテ永ク古兵ヲ旗下二保 育スル所以ノモノハ既二得タル技術ヲ練熟セッムルラ主 トセス欠乏スル所ノ凝結力ヲ増長シ以テ 軍人ノ気象ヲ養成スルニアリ」 モ ソ トオ ー ドン の よ う な批 判 に対 して は, 徴 兵 令 改 正 の 法 案 説 明 委 員 エ ドゥ ア ー ル o チエルやエ. ミール◎ジアメ等々 が, 改正法案 は1872年徴兵令よりも兵役の公平を一歩すすめて, 兵員を毎年6 万人増加できるとした. そし, て, 現役服役者を1年と3年とに二分したことの弱点などは, 将来に 3 1 ) ざしたいと強調 し, その論争の場を逃げきっ た( おいて完全を目 . その後, フランスでは18 92年7月 に, 兵役期限を変更し, 現役3年(常備軍) , 予備役10年(常 備軍の予備) 0 , 後備役5年(後備軍) , 国民兵役10年(後備軍の予備) , の28年 にした. そして, 2 世紀に入っ てから,1 905年 に2年在営制を採用 したが,1913年 には3年在営制 に復帰し, 第1次世 界大戦をむかえた,. 20.
(14) . 1 9世紀フランス徴兵制研究ノート. (注) ( 1 ) 日本の1 873年徴兵令などに対するフランス徴兵制の影響に関しては, 梅漢昇「わが国初期徴兵令に対するフラ ンスの影響」 軍事史学会編 『軍事史学』 第1 2巻第2号 ( 1 97 6年9月, 並木書房) , 参照, ’ i i t ( 2 ) 19世紀前半ま で の フラ ン ス徴兵制 の変遷 は, B1ock, Maurice re del ct onnai admi ni s rat on f rancai se , Di , Par i s . に記 述 が ある. ,1856. ( 3 ) 『婆督備氏仏国政法論』第四峡巻之四第三十三巻, 松田正久訳,1 88 1年司法省蔵版,5 3 8ページ. 本書の原書は,. i Batb lme Po lycarpe i i 6th壱or i i i t i i f t publ i i l e t t c et admi n s ra s ‐ que et prat que de dro , Anse , Tra , Par , Cot. l 68 62~18 on ,7V. である (国立公文書館内閣文庫所蔵) ,18 , i i format i ( 4 ) フ ラ ンス軍の昇進制度につ い て は, C, A, Thomas ons de じArmきe Francca s (Par s , Les Trans , 2 vo l s, 1887) , 1. が詳 し い,. ( 5 ) マチエ著 『フランス大革命』 上巻ねづ まさしo市原豊大訳, 1 7 2~17 4ページ, 岩波文庫. ( ) 同 上, 中 巻, 116 ペ ー ジ, 6. ( 7 ) アル フ レー トo ファークッ著 『軍国主義の歴史』 1, 2 2ページから重引, 望田幸男訳, 1 3 9 7 3年, 福村出版. f i i tory of Mi l i l i l i l tar tary lan 本 書 の 原 書 は, A1 red Vagt s s sm, Civ an and Mi . Ltd , , A Hi , Macmi , Co , London , であ る, ,1959. ( 8 ) オウギュスタソ6ロゼル, アレキサンドルリソレル著『仏国常用法』第2集, 箕作麟祥訳, 17 9ページ, 1 88 6年, 司法省蔵版. ( 9 ) 注( 3 )の523~524 ペー ジ, 8 )の180 ( l ( 1 1 ( 1 2 o ) ) ) 注( , 182 , 330 ペー ジ, 1 ( 3 ) 陸軍文庫訳 『仏国陸軍制度教程書』 第一編巻之-, 35丁, 18 8 8年, 参照, { 3 )の423~427 ペー ジ, 1 4 ) 注( Q 3 )の430~434 0 5 ) 6 ) 0 ) 注( 7 , 437~438 , 440 ペー ジ, 0 8 ) 注( 3 )の4 45ページ, しかし, 代役媒介斡旋業者の出現にみられるような兵役義務遂行と金銭交換との同一視の 風潮をさらに助長したのが,1 85 5年の法律における免役料の設定であった. すなわち, 当簸者が一定の免役料を 納 入 する場 合 に は, 兵 役 が免 除 され る こ と にな っ た (「ケー ス・ ドo ドタ シ ョ ソ ト6ラ ルメ ー」) , これ は, ドラ ク. ルチー著 『仏国政典』 大井憲太郎訳, 4 8ページ, 1 88 3年, 司法省版, では, 「軍卒俸給資本金ノ義」 と邦訳され ている, すなわち, 免役者の免役料によって, 在営兵員の給与を増加しようとしたものであるが, その結果, 逆 に, 兵員は貧困にして免役料を納入できない者に限られ, 兵役義務遂行と免役料納入とが等価視されるに至った. なお, 1 8 68年の法律は免役料を廃止した. 1 ( 9 ) 注( 3 )の452 ペー ジ,. { 2 0 )1 9世紀ドイツ徴兵制の形成過程については, 拙稿「十九世紀 ドイツ徴兵制の-考察」軍事史学会編『軍事史学』 第1 2巻第3号, 1 97 6年12月, 参照, 回 プロイセン参謀本部編『独仏戦史』第1巻, 27ページ, 日本参謀本部訳, 19 07年, 松平親義『国家と軍隊』1 8 5 ペー ジ, 1938年,. 回 桂圭男 『パリoコミューン』99ページ, 岩波新書. 1 鰹 ) 注( 3 )の4 2年の法律の施行末期における軍隊での兵卒の読書, 習字の教育状況は以下の通りである. 87 9丁, 1 1 8 87年中に, 各地の連隊学校 (連隊内に開設された普通教育実施のための特別な教育課程) において就学した兵 卒は9 9 9 4 3人, ②読書筆記料の卒業者1 7, 4 19人, ③算術 , 227人であった, その内訳は, ①読書科の卒業者1 ,3 科の卒業者1 2,0 『官報』 第1 6 5人, とされている ( 1号, 5 5 3 6ページ, 1 88 8年8月 6 日). な お, カ ルロ◎Moチ ポラ 著『読み書きの社会史』収録の「統計補遺」第2 l i l l i t 5表(原書は, Ca r o racy and Development a e po , M,C ,L i in Books t ) によ れ ば, 1887 年 の フラ ンス 陸軍 新兵 の文 盲者 比 率 は12% で あり, フラ n the Wes . Pengu . ,1969. ンス陸軍が文盲一掃のために連隊学校で普通教育を実施したことが理解できる. なお, ドイツ陸軍の新兵の文盲 者比率は ( 18 87年, 同上表) 83年, 御茶の , 1%であった, カルロoMoチポラの同書の邦訳は, 佐田玄治訳, 19 水書房. 似 ) 注( 1 )の6 3 7~68丁, 家族扶持のための徴集猶予の状況をみると, 1 87 4年には, 5, 48 5人(定員6, 0 00人)であり, 1875年 に は, 5,169 人 (定員 5,634 人) で あ っ た とされ て いる,. ( 2 5 ) 『官報』 第7 45号, 1 2月 23 日, 「外報」 885年1 , ( 2 6 } 1886年 5月 25日にブーランゼ陸軍大臣が提出した陸軍法案など (日本陸軍省訳 『仏国陸軍法案』1 8 9 3年, 参 21.
(15) . 遠 藤 芳 信 照) . 師 1889年 7月 16 日公布 『仏国陸軍徴兵令』3 2~3 6 93年, 日本陸軍省訳 (国立公文書館内閣文庫 , 62ページ, 18. 所蔵) . Q 8畑) 『仏国衆議院議事傍聴筆記』57~5 8 9ページ ( 1 8 89年7月 9, 10 日仏国官報抄訳 「徴兵令議案ノ部」 ) ,5 ,奥 付なし, 日本陸軍省訳と考えられる (国立公文書館内閣文庫所蔵) . 岡 『借行社記事』 第34号, 4 9~50ページ, 1 9 00年4月 に収録されている. 鯛 2 ) 注( 8 )の4 2 1ページなど. なお, フランスの18 91年徴募兵の内訳 は以下の通りである (『官報』 第24 88号, ,7 1891年 10月 13 日, 「外報」 ) . 徴募兵 1 8 8, 567人 (内海軍2 73 0人) , (内訳) 1 2 6, 41 3人 (服役3年の者) 9,43 9人 (昨年の猶務兵で服役2年の者) 4, 26 7人 (一昨年の猶予兵で服役1年の者) 3, 736人 (教員, 僧侶, 学生等の服役1年の者) 3 8, 25 3人 (家族兄弟関係による服役1年の者) 6, 35 9人 (家族扶持のための服役1年の者) (本学助教授・函館分校). 22.
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