古代地名伝説考 : 国語意識の問題にふれつつ
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(2) . 5巻 第1号 A 第1. 昭和39年8月. 北海道学芸大学紀要(第一部). 古. 代. 地. 名. 伝. 説. 考. -- 国 語 意 識 の 問 題に ふ れつ つ -- 部. 阿. 源. 蔵. 北海道学芸大学釧路分校国語国文学研究室 i ions Genzo ABE: on the Anc t ent Tradi I Names of Geographi ca . 序. 説. 音 例1 ・ 故是以其速須佐之男命, 宮可造作之地, 求出雲国。 爾到坐須賀 雫霧譜 o 地 而詔之, 吾来 此地, 我御心須賀須賀斯而, 其地作宮坐。 故, 其地者於今云須賀也。 弦 犬神, 初作須賀宮之 時, 目其地雲立騰。 爾作御歌。 其歌日, 夜久毛多都 伊豆毛夜幣賀岐 都麻碁微爾. 夜幣賀岐都久流. 曽能夜幣賀岐貢 (古事記 上. 巻 日本古典文学大系本による。 但し, 横書きのため返点は省略した。 以下同様) こ れは, ス サ ノラ ノ ミ コ トの 波 欄 に 満 ち た 物 語 の, 終 局 に 近 い 一 段 で あ る。 と 同 時 に, 古 代 人. の 国 語 意 識 (解釈的意図・語源意識, 以下同じ) 顕 現 の 例 と して, しば し ば 引 用 さ れ る も の の 一 つ で あ. ) この種の地名伝説を 萌芽期の国語意識の資料と して取り上げようとする試みは ようやく る1 , 。 , 国語学界の一部にささやかな流れを作ろうとしているように思われる。 むろん結構なことである。 ただ功を急 いで玉石を併せ取る傾きが無かっ たであろうか。 さきに, わたくしは拙文を草 して, 地 ) 名 伝説 の 中 に, 少 く と も, 二 つ の 異 質 の 峻別 さ れな け れ ば な ら な い こ と を う っ た え た2 。. 二つの異. 質とは?--ほかでもない, その由来を説く態度において, A 説明の意図が対象(地名)に 直射しており, その結果が地形・池物その他客観的事実と対応を 有するもの。 --例えば, 播磨国風土記- -柏原の里 (讃容郡). (記も同じ)呉 原. B. 同一柏野の里(宍禾郡). 雄略紀. な ど の 条 下 に 説 く も の と 同 類 の もの。. 例 伝承者の意図が, 地名を介 して神話への結合の方向を志向していると思われるもの。 えば, 豊後国風土記一球軍の郷 (直入郡) など, 記紀・風土記の中の地名伝説のうち, A以外の 多く の も の。. Aは, そのままでも国語意識の資料と して一応は堪えうるであろうが, Bは果た して堪えうる か。. 堪えうるとしても, その前に検討すべき問題はないか。 少なくとも, 神話の世界へ志向する伝 承者 の “内的衝動” は何であったか, その実態を明かにすることなく, 直ちに国語意識の資料として取 り上げるということは, はなはだ危険ではないか。 峻別すべきものは, もちろん此の二つに は限ら. ないが, ともあれ此の二つだけは, まず以て峻別して かからなければ ならない 基本的 な 問 題 で あ ろ う。. なおまた, 別の機会に次のようにも述べた。 --国 語意識の展開をあるがままの姿で捉えよう とするには, まず国語意識の問題から一応離れて, これ (地名伝説) を, 古代伝承の全体的機構の中 に正当に位置づけて眺めなければならない。 その上で, 更めて国語意識の問題をとりあげるなら, ー 1 -. . - . ● ・ r . ・ 1 1 1 ・ 1 . ー . . . ‘ 、 ・ ・ ● . ● ● . ・ ’.
(3) . 阿 部. 源 蔵. 地名に対する解釈的興味が, 地名伝説生成の主要な因子であっ たとするような危険は犯さないです ) む 筈 で あ る3 。. -- と。 こ れ は, 主 と して B 群 の 取 り 扱 い に 対 して の 提 言 で あ る が, こ の考 え は 今. も変らない。 地名伝説が古代伝承の全体的機構の中にあっ て, いかなる条件に支えられつつ, 国語 意識の芽を吹きはじめたか, 上述の趣旨のもとに, 数個の実例に即 して, 具体的にこの問題に迫ろ う と す る の が, 以 下, こ の 小 論 の 目 的 で あ る。 同 時 に, 上 記 の “拙 文” の 終 り に 於 て か っ て 触 れ た. 所であるが, 地名伝説生成の “内的衝動” の実態に対する, わたく しの “試案” の一部でもある。 三輪について--付, 意宇 (ォゥ). 例2 , 此謂意富多多泥古人, 所以知神子者, 上所云活玉依毘費, 其容姿端正。 於是有批夫, 其形 姿威儀, 於時無比, 半夜之時, 燥到来。 故, 相感, 共婚共住之間, 未経幾時, 其美人妊身, 爾父母懐妊身之事, 問其女日, 汝者目妊。 先夫何由妊身乎。 答日, 有麗美批夫, 不知其姓名, 毎夕到来, 共住之間, 自然懐妊。 是以其父母, 欲知其人, 謁其女日, 以赤土散床前, 以間蘇 鰐 字紡麻貫針, 刺其衣欄。 故, 如数而旦時見者, 所著針麻者, 目戸之釣穴控通而出, 唯遺麻 者三勾耳。 爾卸知鈎穴出之歌而, 従糸尋行者, 至美和山而留神社。 故, 知其神子。 故, 因其. 麻之三勾遺而, 名其地謂美和也。 (古事記 中巻) 3 例 , . 所以競意宇者 園引坐八束水臣津野命詔 八雲立出雲図者 故蒋作縫詔而. 梼念志羅紀乃三埼尖. 魚之支太衝別而 々呂々爾 志者. 園之徐有耶見者. 波多須々支穂振別而. 国々来々. 引来縫園者. 石見園輿出雲園之堺有名佐比費山是也. 今者園引詑詔而. 意宇社爾. 園之徐有詔而. 三身之綱打桂而. 目去豆乃折絶而. 御杖衝立而. 荻布之稚図在哉. 初園小所作. 童女胸鎧所取而. 霜黒葛闇々耶々爾. 八穂爾支豆支乃御埼. 大. 河船之毛々曽 以此而. 堅立加. 亦持引綱者. 意恵登詔. 薗之長演是也………… 故云意宇 (出雲国風土記 意宇郡÷-日. 本古典文学大系本による). ことわるまでも無く, 例2は三輪の神婚伝説であり, 3 はイ ヅ モ の 国 引 き の 神 話 で あ る。 そ し て, 結末は共に地名を擁 して, いわゆる地名伝説の典型をな している。 煩をいとわず長文を引いた のは, 一口に地名伝説という条, 記紀と風土記とではその扱い方に大差があり, それを見るのに格. 好の資料であるからにほかならない。 ではどのように違うか。 端的に云っ て, 記 紀 の 地 名 伝説 は ”伝承” のためにそれが利用されており 風土記の方は 地名の由来 (叉は解説) のためにそれが利 , , 用されている。 どちらもそのままでは, 地名伝説本来の姿とは云えないのである。 まず冒頭を対比 す る と,. 2……此の意富多多泥古と謂ふ人を, 神の子と知れる所以は…… 3 … … 意宇 と 競 く る 所 以 は … …. すなわち, 3では地名の由来が当面の主題として扱われているのに, 2ではオホタタネコの出目が 主 題 で あ る。 そ して, 3 の よ う な 冒 頭 の キ マ リ 文 句 に よ っ て 導 か れ る も の が, 風 土記 で は 圧 倒 的 に. 多いのに, 記紀では全くこれを見ることができない。 これは, まず両者に於ける形式上最大の特徴 であるが, これは しかし, それぞれの地名伝説 自体の性格の相異 から来るものではなく, 実は, 両書 4 )に 編 纂 の 目 的 の 相 異 に 基 づ く も の で あ る。 す な わ ち, 一 は 和 六 の詔 命 の 一 項(山川原野名号所由云々) 5 ) こ た え ん が た め に。 一 は ま さ に 滅 び よ う と す る 旧 (本) 辞 を 忘却 の 潮 か ら 救 い 上 げん が た め に 。 こ の 目 的 の ち が い が, そ れ ぞ れ の 冒 頭 の ち が い と な っ て 現 れ た も の に す ぎな い。 風 土 記 の 地 名 伝 説 に は, 例 3 に 見 る よ う に ”○ ○ と 号 づ く る 所 以 は - -“ {叉はこれと類型) の キ 【 2 一.
(4) . 古代地名伝説考 マリ文句で始まるものが極めて多い。 これあるが故に, 地名伝説の 多 く は も と も と, 地名の由来 (叉はその解説)のために創り出されたものと受け取られがちであるが, 地名伝説としてはとんだ災難. である。 さきにも触れた ように, このキマリ文句は地名伝説固有のものではなく, 例の詔命の一項 に応 じるため, 撰進の際とくに付け 加えられたものである。 その証拠と しては, 風 土 記 の よ う な (山川原野名号云々の) 条件に縛られることの無かっ た記紀の地名伝説には, あのようなキマリ文句で. ‘ ) 始 ま る も の は 一 つ も 無 い こ と。 叉, 風 土記 の 中 で も, 和 六 の 詔 命 の 他 の 一 項(古老相伝旧聞異事云々). ” に対応するものと思われる ”古老日-- の形で始まるものの中に現 れるそれ (地名伝説) にも, や はり此のキマリ文句は全く含まれていないこと。 この二点をあげるだ けで十分であろう。. こ れに 反 して, 結 び の 一 句 ”故, 0 0 と 日≦ぞ (叉はこれと類似のもの) は, 記 紀, 風 土 記 を 通 じ. て, 殆ど全ての地名伝説に通有の形であっ て, これが実は, 地名伝説存立の目印でもあり, また, 3 ) そ の 重要 な 機 能 の 一 つ は こ こ か ら発 す る も の と 考 え ら れる の で あ る 。. た だ, 殆 どす べ て の 地 名 伝. . 説が此の 一句をふまえているので, 時に, くだんの冒頭の一句を冠すれば, 冠履相侯っ てたちまち 風土記的地名伝説が成立する, そしてそれが, あたかも本来の姿ででもあるかのように見られたり, 従ってまた, 語源的興味に促されて作られたかに見られたりするのである。 地名伝説の正体を見よ うとするなら, まず, その冠をはぎ取っ てかからなければならない。 こ の 意 味 で は, 例2の 方 が (例3よりも) 一 歩 原 型 に 近 い, と い う こ と が出 来 る で あ ろ う。. ただ し, これ(例2)もそのままでは, やはり原形とは云えない。 古事記の編者の作為が加わっ ているからで ある。 その末尾の形を見ると-- 1 )故, 其の神の子とは 知 ………糸のまにまに尋ね行け ば, 美和山に至りて神の社に留まりき。(. 2 )故, 其の麻の三勾遣り しに因りて, 其地を名づけて美和と謂ふなり。 (日本古典文学大 りぬ。( 系本による). つまり結 びの文句が二つ重ね用いられていて, この段の結びとして甚だ不自然である。 それもその 1 }は,冒頭の “此のオホタタ ネコと謂ふ人を神の子と知れる所以は” に照応させ るため 筈, 結びの( に, わ ざと挿入されたものである。 そ して冒頭の一句もまた, この物語とは元来無縁のもので, や はり古事記編纂の際に付け加えられた ものにちがいない。 と, いうのは, この句の直前の古事記の. 本文の記述は--. ………崇神天皇の世に疫病がしばしば流行した。 時に大物主神 (三輪大神) が天皇の夢枕に立っ て 告 げ て 日 わ く, こ れは わ が 心 か ら の しわ ざで あ る。 も し, オ ホタ タ ネ コ と い う 男 を さ が し出. して, わが大前を祭らしめたなら, 疫病たちどころに治まり, 天下太平であろう, と。 そこで 駅使を派して四方に求めさせたところ, 果たしてオホタタネコという男がいて自ら三輪の大神 の子孫と称している。 天皇大いに 喜び, 早速タネコをして祭らしめた と ころ, 忽ち疫病が治ま. り, 天下太平に帰すること神語の通りで あっ た, と。 (同上要旨) “ ここに於て, 古事記の編者は, タネコに対する血統証明の必要を感 じた。 そこで, 前引 此のオホ タ タ ネ コ と 謂 ふ 人 を 云 々“ の 一 句 を 挿 入 し, つ づ い て 例 の 物 語 -- そ れ は タ ネ コ 四 代 の 祖, イ ク タ. マョリ ビメ と大物主神 との結婚にまつわるもので, おそらく, 三輪氏の持ち伝えた旧辞 の一つと思 ) --を借りて来て その証明に当てたのである されば例2の場合, 冒頭引用の白文中か われる6 , 。 1 }の 部 分 と を 取 去 っ た も の が, ほ ぼ 此 の 物 語 の 原 形 で ら ”此 の オ ホ タ タ ネ コ 云-々“ の 一 句 と, 結 び( あ っ た と 考 え ら れる の で あ る。 さて, こ の よ う に 原 形 に 復 した 上 で, 成 心 を 去 っ て 読 み 返 して 見 る。 は た して, ミ ワ と い う 地 - 3 -.
(5) . 阿 部 源 蔵. 名 (実は山名) に対する解釈的意図--知的興味に基づく解釈的意図によっ て, この物語が生みなさ. れたものと云えるであろうか。 答はどうやら否定的である。 さきに, これをオウと共に地名伝説の 典型であると云っ たが, 実は, そのための物語と しては, 結構が甚だ不自然だからである。 地名伝 説 の カ ナメ と も 云 う べ き 部 分 に こ う あ る - -. ………処女の部屋へ夜な夜な通う青年の着物のスソに付けた糸が, 翌朝見ると扉のカギ孔から ぬ け 通 っ て, 処 女 の 部 屋 に 残 っ て い た の は た だ 三 輪 だ け で あ っ た。 (同上要旨). よっ て処女の家所をミワと云う--というのであれば, 地名伝説として極く自然な姿といえる。 と こ ろ が, ミ ワ と い う の は, 糸 の 末 が 三 輪 残 っ た と い う 所 か ら は 遥 か か な た の 山 の 名 で あ っ た。 記 伝. ) にもかかわらず 地名解説のための物語としてはやはり不自然といわ ざるをえないであろ の釈明7 ,. う。 この不自然さが不自然とされずに, 叉かりに不自然と感じられたに しても, あえて谷めだてさ れ ず に, 永 い 伝 承 に 堪 え て 来 た に は, そ れ 相 当 の 理 由 が な く て は な ら な い。 そ の 理 由 と は ?. ほか. でもない, 地名の由来--とくにその意味の解 釈が, 彼等の関心の焦点には無かっ たからであろう と い う こ と。 も し, そ れ が 当 面 の 関 心 事 で あ っ た と した ら, も っ と ツ ジ ッ マ の 合 っ た 語 り 方 が 出 来 た 筈 で あ る(古代人はそんな知的無能力者であったとは考えられない)。 か た が た, そ の よ う な 関 心 に 導 か れ. て出来た物語 ・であるとすれば, それに即応する発想法が取られていなければならない。 つまり “○ ○という所以は--” という ”は” の 字 が 口 を 衝 い て 出 て 来 る 筈 で あ る こ れ は譜.り て の 関 心(主題) 。. ) 例23 の冒頭を比較 して見れば がどこにあるかを示す, 日本語的発想法の原理だからである8 。 , , 此の間の消息は一目瞭然であろう。. 関心の焦 点がどこにあっ たかはともかくと して, この物語から受ける印象の強さは, この物語. の 主 人 公 (従ってその子孫たるこの物語の伝承者) を, か の霊 山 に 結 び付 け よ う と す る 欲 求 の 強 烈 さ から 来 て い る こ と は 否 定 で き な い で あ ろ う。 こ の 点 から 見 る と き, こ の 物 語 の 中 心 は や や 遡 っ て,“一 筋 の 糸 に よ っ て ミ ワ の 同 前 に 導 か れ る” と い う 箇 所 に 移 る。 こ の 物 語の 主 人 公(従ってその伝承者) を,. かの霊山(=大物主の神体)に結び付けるには, それだけで十分であっ た筈である。 同系 (三輪式) の物 誌--肥前国風土記のそれを初め 各地の民話・伝説--の多くは 何れも一筋の糸によっ て導か , , ) れ る と い う 趣 旨 に 於 て 共 通 で あ る9 。 た だ, こ の 物 語 に か ぎ っ て ”ミ ワ 云 々“ の 地 名 伝 説 を 抱 え 込 ん で い る の は な ぜ か。 思 う に, 伝. 承者 一族の, この霊山に結び付こうとする熱情は, ただ一筋の糸によっ て結ばれるとする抽象的な 発想だけでは満足できなかっ た, どうしても物的証拠がほしい。 そこで, 彼の山に続く糸の末を三 輪だけ処女の部屋に残すことによっ て, 伝承者と山(神}との間に動かすことのできない物証を設定 しよ う と した。 - - こ う 考 え ら れ な い で あ ろ う か (もちろん山の名は此の物語あって後に生れたものではな. い) 。 し か も, こ の 情 動 に 促 さ れ て の 結合 は, こ こ に 残 っ た 三 輪 の 糸 が, 遥 か かな た の 山 の 名 に な っ. たとする論理的矛盾には気が付かなかっ たと見える。 或は気が付いたかも知れない, しかし, 彼の 霊山との一体観に生きようとするこの一族にとっ て,その欲求の満足の前には,この程度の論理的矛. 盾など意に介するに足らなかっ たのであろうか。 或はこうでもあろうか。 山との間に物証を求めよ うとする欲求の現れは, それ自身すでに霊山との一体観に対する信仰の退潮のキ ・ザシであっ たかも. 知れない。 或は, さらに云うならば, 三輪の大神 の直系を, 三輪氏一族と争おうとする有力な外族 に対する トリデと してのそれであっ たかも知れない。 三輪を冒す地名は全国にわたっ て少なくとも 0 ) 細かに調べたらそれ以上にも及ぶであろう その総本山としての三輪山 三十以上は有るという1 。 , 。 その山をそのまま神体とする三輪の大神, その直系を以て任ずる三輪氏, これを取巻いて, 神話と 共に生きた当時の氏族間の, 社会的・経済的・心理的諸関係は, 想像以上に微妙なものがあっ たに - 4 -.
(6) . 古代 地 名 伝 説 考 ) 山城国風土記 <逸文> には此の氏の氏名に ち が い な い。 (現に三輪氏には同系のライ バルとして鴨氏があり6 , 因む地名伝説まで伝えている。 これらの点については, 別途考察を要するはずであるが, 今はただ. 後述-スガと の関連において, 問題の所在を指摘するに止める) 。. 地名に対する解説的興味は, 直接, 生活にかかわる此等の諸問題との関連のもとに, 冷静に見 つ めな ければならない問題である。 こ こ で, こ の 地 名 伝 説 に 内 在 す る(かも知れない)解 釈 的 意 図 に つ い て 考 え て 見 よ う。 た と え ば, こ こ に ア オ ヤ マ と 云 う 地 名 が あ る と す る。 こ れ を 説 い て “か つ て こ こに 青 い 山 が あ っ た, よ っ て 此. の名が付いた” と云っ たとしよう。 これがもし, 事実をそのまま伝えたものとすれば, そこには事 実についての伝承が, あるだけで, 解釈的意図の発動する余地はない。 また, かりに創作的説明であ. っ たとしても, アオニ青, ヤマニ山とする意味 づけは, 素朴且つ自明な国語常識にもとづくもので あって, それは解釈と云われるような積極的な活動とは云えない。 これをしも, 解釈と云うならば, 山を見てヤマと云い, 川を見てカワと云っ たとしても, やはり解 釈と云わなければならないであろ う。 アオヤマ (固有名詞) =青山 (普通名詞) とするのは解釈では無く, 意味上, 両語の等価を認めて )は, 地 名 青 山 の 由 来の 説 明に は な っ て も, 解 釈 と 云 う べ き 性 の 結 合 で あ っ て, そ れ(上述の“たと だ’ 質 の も の で は な い。. 解釈にもいろいろな場合があるであろうが, 地名伝説と関連して当面問題となるのは次の二つ. の場合であろう。 1 . 地名の意味が未知の場合--これに対して 新たに意味付けをしようと して{創作的)。. 2 , 地名の意味が自明の場合--故意に 他の意味に転じて目的の譜に結び付けようと して{選択 的)--(例えば, 青山の例で云えば, 一般には上の ”た と え” のよ う に 受 取 られ て い る の に 対 して, 別 に, ”青山某という人が草分けとして住みついたから” と説いたとすればこの場合に当る ) 。. この二つの場合は, ともに積極的な活動の現れと して “解釈“ と い う に ふ さ わ しい で あ ろ う。 と こ ろ で, こ の (ミヮ) 山 は, 古 来. 呼ばれる場合には, イ 美和. ミ ム ロ, ミ モ ロ, カ ミ ナ ビ. ・三和 ロ弥和 ノ. ニ神. ホ酒. へ神酒. な ど と も 呼 ば れ た が, ミ ワ と. ト三輪. 等の字面が宛てられ. て い る。 こ の う ち, イ ・ 口 ・ ハ は 仮 借 的 用 法 (万葉ガナ) で ある か ら 一 応 タ ナ ア ゲに しよ う ニ 以 下 。 に つ い て は, そ れ 相 当 の 意 味 を も た せ つ つ 用 い ら れ た も の と, 一応 考 えて よ か ろ う か と す れ ば 。 ,. この語の原義はどれか。 本来, 相異なる数個の意味が一語の中に無関係に共存していたとは考えに 2 ) “輪“そ の も の に 対 して 古 代 人 は 呪 術的 神 く い。 お そ らく, 原 義 は ”三 輪“ で あ っ た と 思 わ れ る1 。. 3 ) 神聖な場所には輪を画 し 或は輪を掛けてその象徴と した 輪のもつ神秘性 秘感を抱いており1 , , 。 に着目する時, 自然 ”神” の字が宛てられ, 叉 ”神” を介 して, これに奉る霊妙神秘な液体に連想 が 及 ぶ と き,“酒“ 叉 は “神 酒” を 以 て ミ ワ を 表 わ す こ と に な る。 こ の, 意味 上 の 分 化 と, 分 化 した. 意味の収約とに対 して, その背後にあっ て扇のカナメとして働いたのは, 神霊と畏怖の象徴として の, こ の 山 で あ っ た こ と は 云 う ま で も な い。 では, こ の 三 輪 がな ぜ あ の 山 と 結 び 付 く に 至 っ た か。 4 )と 深 い 係 わ り が あ っ た で あ ろ う こ の 山 の ヌ シ は 大 物 ヌ シ の 神 で あ り 思う に, そ れは ヌ シ 信 仰1 。 ,. 5 ) 蛇は大小自在に体を変えることができる1 6 ) だから 時あっ それは蛇体の神と信じられていた1 。 , 。 て雨雲の間に隠顕する此の山のたたずまいを見て, 時人あるいは巨大な蛇の トグロ(輪)と して, こ れを眺めたでもあろう。 神霊と畏怖の象徴として のこの山, この山のヌシとして の蛇体の精霊, そ して, それらへの連想の中に生きた古代人の生活を思うとき, この山を呼ぶのに ”(ミ)ワ” の語を. 以て したことは, ごく自然であり, むしろ当然とさえ云えるであろう。 されば, ミワを表記するに 一 5 ー.
(7) . 阿 部 源 蔵 の ま ま く だ ん の 和 歌 が 受 け 継 い で い る の で あ る。 -- サ ネ サ シ カ ニタチ テ. サ ガム ノラ ノ ニ モ ユ ル ヒ ノ. ホナ. トヒ シ キ ミ ハ モ --。 と こ ろ で, 記 は こ の 歌 を オ トタ チ バ ナ ヒメ 入水 の 際 の 絶 唱 と し. ていることは上引 (例4) の通り。 しかし, 歌物語の通例として, ここでも, 歌と物語とは元来別物 7 ) 求めれば類歌はいく であっ た。 歌は, 実は労働歌--野焼の作業に伴なう民謡の一つであっ た1 。 ” ” さま ざまな字面が宛てられながらも 三輪 が断然他を他を圧 していることの理由も十分首肯でき る は ずで あ る。. こ の よ う に 考 え て 来る と, 処女 の 部 屋 に 三 輪 の 糸 を 残 す こ と に よ っ て, こ の 山 と の 間 に 物 証 を. 設 定 しよ う と した 此 の地 名 伝 説 の 趣 向 は, 当 然, こ の 山 の ヌ シ ヘ の 連 想 を ふ ま え て の こ と で あ り,. 叉山の名を三輪とする一般的な意味づけを背景としてのそれであっ たにちがいない。 とすれば, ミ ワ (固有名詞) =三輪 (数詞) とする認識は, 解釈的活動の結果到達 したものではなく, すでに一般化 していた両語間の等価意識にもとづ いての結合というに 過ぎない。 解釈というにはほど遠いのであ. る。 こ の 種 の も の も, 従 来は 一 般 に “解 釈” と さ れ て 来 た よ う で あ る が, そ こ に は, な お 混 乱 と 飛. 躍とがあるように思われる。. 焼津--須賀--走水 例4 . 故爾到相武園之時, 其園造詐白, 於此野中有大沼。 住是沼中之神, 甚道速振神也。 於是看 行其神, 入坐其野。 爾其圃造, 火著其野。 故, 知見欺而, 解開其嬢倭比責命之所給嚢口而見. 者, 火打有其裏。 於是先以其御刀苅 撤草, 以其火打而打出火, 著向火而焼退, 還出皆切減其 園造等, 即著火焼。 故, 於今謂焼遣也。 (古事記 中巻) 例5 . 日本武尊初至駿河, 其薦賊陽従之, 欺日, 是野也察鹿其多, 気如朝霧, 足茂林 臨而窓狩 日本武尊信其言, 入野中而覚獣, 賊有殺王之情 調 基本 放火焼其野, 王知被欺, 則以艇出火之. 向焼而得免覆暴 露嬢 語草艶子鱈 謎 鰻 週是 王日, 殆被欺, 則悉焚其賊衆而滅之, 故号其 0年) 処日焼津 (景行紀4. 例6 . 目其入幸, 渡走水海之時, 其渡神興浪, 廻船不得進渡。 爾其后, 名弟橘比売命白之, 妾易 御子而入海中。 御子者, 所遣之政遂感覆奏。 将入海時, 以菅墨八重, 皮霊八重, 純墨八重, 敷千波上而, 下坐其上。 於是其暴浪目伏, 御船得進。 爾其后歌日, 佐泥佐斯 佐賀牟能蓑怒通 毛由流肥能 本那迦通多 知且 斗比斯岐美波母 (古事記 中巻) 1 例7 , 亦進相模欲往上総, 望海高言E , 是小海耳, 可立眺渡, 乃至千海中暴風忽起, 王船漂蕩而 i 不可渡, 時有従王之妾, E 弟橘媛, 穂積氏忍山宿禰之女也, 啓王日, 今風起浪泌, 王船欲没 尋著岸, 故 是必海神心也, 願以妾之身, 蹟王之命而入海, 言誌, 乃披細入之, 暴風即止, 船キ 0年) 時人号其海日貯 也水也(景行紀 4. ノミコトとの対話)か ヤ マ トタ ケ ル ノ ミ コ トの 東 征 -- こ の 物 語 の 具 体 的 な 展 開 は 伊 勢(ャマトヒメ ・ )で あ る。 ( 紀ではスルガのャキッ ( ム ) のヤキツ ら は じま る。 そ して 最 初 の 地 名f戸説 の 現 れ る の が サ ガ ミ ミ コ トは こ こ で 土 酋 の 火 難 に あ い, 逆 に 向 か い 火 を つ けて こ れ を セ ン 滅 す る。 よ っ て そ の 地 を ヤ キ. )。 そ こ で は 水 難 が一 行 を )と。 こ の 一 句 を ピリ オ ドと して 舞 台 は 走 水 に 移 る (例6 ツ と い う (例4 ,7 ,5 特 受 けて い る が, 危 急寸 前に オ トタ チ バ ナ ヒ メ の 入 水 に よ っ て, ミ コ トは わ ず か に 事 無 き を 得 た。. ここでは, 記は地名伝説を伝えていないが, 紀は “時人其の海を号づけて馳水といるデ ー一と, や はり地名伝説の形でしめくくりを付 けている (例7) 。 さて--走水遭難の段は, 記紀ともに殆ど同 じ物語を伝えながら, 一は地名を取入れ, 他はこ ー 6 ー.
(8) . 1 .. 1 .. 古代地名伝説考 れを捨ててい るのはな ぜか。 もっ とも, 地名の採否は記紀で必 ずしも一致するものではないし, そ の 理 由に して も, い つ も 明 ら か で あ る と は 云 え な い。 し か し, こ の 場 合 は 次 の よ う に 考 え ら れ な い. であろ うか。. すなわち一一記では, 地名 (走水)を取り入れて地名伝説を作る代りに, 一首の和歌をふまえて 歌物語を形成している。つまり, 紀で地名の果たしている地 位と役割とを, こちらでは, そっ くり其. の ま ま, く だん の 和 歌が 受 け 継 い で い る の であ る。 - - サ ネ サ シ .サ ガム ノ ラ ノ ニ モ ユ ル ヒ ノ ホ ナ カ ニ タ チ テ ‘トヒ ジ キ ミハ モ - -。 と こ ろ で, 記 は こ の 歌 を オ トタ チ バ ナ ヒ メ 入 水 の 際 の 絶 唱 と. していることは上引(例4)の通り。 しかし, 歌物語の通例として, ここでも, 歌と物語とは元来別物 7 ) 求めれば類歌はいく であっ た。 歌は, 実は労働歌--野焼の作業に伴なう民謡の一つであっ た1 。 8 )が そ れ ら の 中 で の す ぐれ た も の の 一 つ と して 古 く か ら 人口 に カイ シ ャ さ れ て い た ら も あ る1 , , ,. ものと思われる。 それがな ぜ元来無縁の英雄物語と結合することになっ たか。 つまり, 人口にカイ. シ ャ さ れ て い た と い う, こ の 事 実 こ そ, 結 合 の 最 大 の 契 機 で あ っ.た。 -- か っ て こ こ に, 英 雄 な に. がしにまつわる, しかじかの事件があっ た。 その時歌われたのが此の歌であり, 世々歌い継がれて 今ここにあるではないか。 つまり歌は物語に対する在籍証明であり, それには地名のよみ込まれて い る 民 謡 こ そ う っ て 付 け で あ る。 思 う に ヤ マ トタ ケ ル ノ ミコ トの よ う な, 民 族 の あこ が れ の 象 徴 と. もいうべき英雄の物語は, 民衆の同情と共感とに吸引されて, 山の中・島の果てまでも, 漂流移動 しようとする性質がある。 それを郷土の英雄として, その地につなぎ止めようとするには, まず地. 名に結びつけることである。 次いでは民謡であり, また ゴトワザである。 とにかく, 民衆に広く知 られ深く愛されているものでなければならない。 物語は, これらのものをその肉体の一部として取. り入れることによって, その地に深く根をおろすのである。 歌物語はこの点に於て, 地名伝説とも, 9 )とも相通ずるものとなる ただ違うところは, 歌には多かれ少なかれ文芸性がつ 叉コトワザ伝説1 。 き ま と う の に, 地 名 やコ トワ ザに は こ れ が な い。 従 っ て, 後 者 は 結 局, 伝 説 の 域 に 止 ま る に 対 して,. 前者の取り込みに成功したものは, いわゆる歌物語として 独特のムー ドをもり上げつつ, いよいよ ” 伝承力をたくましくする。 この点 “走水” よりも サ ネ サ シ … …“ の 方 が は る か に 成 功 で あ っ た と 云えるであろう。. 因みに, 地名と歌謡とを同時に取り入れているのが, この小論の冒頭に引用 したスガ(例1) の. 場 合 で あ る。 ス サ ノ ラ ノ ミ コ トも ヤ マ トタ ケ ル に 劣 ら ず, 出 雲 系 の 人 々に と っ て は ア コ ガ レの 的 で. あり, 従っ て漂移性の強い英雄神で あっ た。 したがっ て, その最終的鎮座を主張する社々は今も少 5・秋) わたく しは同地を訪れて, そのような実例のいくつかに直接触れて来た なくない。 先年(昭3 のであるが, そこでは今なお, 祖神鎮座の問題とからんで, 地名伝説がなまなましく息 づいている のを知っ て, 今昔の感に堪えなかっ たのであるが, このような本地争いは, 時代が遡るほど深刻で --記紀・風土記などが成立 して, あったにちがいない。 例えば一一‐これはずっ と後の話であるが一 たまたまこれに採録されたとなると, された方には次第に世の信頼(仰)が集中する反面, これに洩. れた方では, それだけ凋落の運命をかこた ざるを得なくなる。 その適例の一つが須賀神社に対する 0 ) ともあれ この種の英雄神に関する伝承を わが郷土に固定しよう 八重垣神社の場合で あろう2 , , 。 とする願いは, ただ単なる, 趣味暗好や知的興味の問題ではなかっ た筈である。 少 し誇張すれば,. 神とそれをとりまく人々との死 活につながる問題であっ た。 地名伝説スガの場合--もちろん, そ れは記紀成立以前の問題であるが--波欄を極めたこの英雄物語の, と じめの場所と してのあの段 に, 地名と歌謡と が同時に取り入れられているのも, 此の点から理解できないであろうか。 さらに - 7 -. . J r r . .. ● . . ●.
(9) . 阿 部 源 蔵. 1 )・ 佐久佐2 2 )(八重垣) 等この 云うならば, 地名と歌謡との結合の次第であるが--たとえば, 須佐2 氏々 スガ ミコ トを祖神とあお ぐ社々( ) に対する トリ デと して, まず地名 ( ) が取り入れられた。 しか し, それは間もなく力を失なう。 それらの氏々も同様に地名を擁 して対抗 したから。 そこで更めて 民謡との結合となる。 すなわち “葱の大神初めて須賀宮を作り給ひし時--“ 以下がそれである。. あたかもよ し, この民謡には国名が歌い込まれているので, 近隣の氏々に対 してだけでなく, 他国 3 )に対 してまでも十分トリデと しての機能をもち得た (ミヮの項参照) のそれら2 。 然るに, この種の物語に対する地名・歌謡のもつ本来の意味が忘れられるにつれて, 地名は無. 視され, ただ歌物語と してのみ名を馳せるようになる。 従っ て文学の側からの考察には事欠かない し, 今また, 地名は語学的観点から取り上げられつつある が, しかし, 文学的意識や語学的興味が 分派自立する以前の問題と して(もちろんそれらの要素をも含めて)まずこの観点から眺められるべきで あ っ た。 順 序 は 逆 に な っ た が, “ハ シ リ 水“ ”サ ネ サ シ… …” と 関連 して, 地 名 伝 説 ヤ キ ツ に つ い て 考 え て み る。 ま ず, そ の 所 在 に つ い て -- 初 め に も 触 れ た よ う に, 記 で は サ ガム(ミ) と し, 紀 で は ス ル 4 ) も しこ れ が 当 っ て い ると す が と して い る。 ヤ キ ツ は 今 日 一 般 に 静 岡 県 焼 津 市 に 比 定 さ れ て お り2 ,. れば, 地理的条件と して, 紀は妥当であるが記は不当となる。 これについて本居宣長は次のように 五つ --往古サ ガム(ミ)の名で呼ばれた地域は, 後世のそれよりも ぐっ と広くてスルガの国まで覆 っ ていた。 それが後に分離 してサガミ・スルガの二国になっ たが, 記は分離以前 の ナ ワ バ リ に よ 5 ) と は た して そ う で あ ろ う か 甚 だ 疑 わ し り, 紀 は 以 後 の そ れに よ っ て 伝 え た も の で あ ろ う2 , 。 ,. い。 第一に, 往古サガミの大名がスルガの地域を覆っ ていたという徴証が無い。 第二に, 足柄・箱 根の山波は ”天下の峻” と して, 強固な自然の国境を形成 していた。 交通が至便となっ た後世に 於 ても, この国境線はかっ て変っ たことが無い。 然るに車馬不通の上古にあっ て, この険峻を隔てた ノては吉田東吾博士 両国が, 同一の国名で呼ばれていたとするのは甚だ不自然である。 この点につい 6 ) も は や く そ の 非 を 指 摘 して い る2 。. 記 が ヤ キ ツ を サ ガ ミ の 国 と した に は 別 の 理 由 が 無 け れ ば な ら な い。 と す れ ば, そ れ は, く だ ん. の オ トタ チ バ ナ ヒ メ の 絶 唱 と の カ ネ アイ か ら と しか 考 え ら れ な い。 歌 詞 に こ う あ る で は な い か,. - - サ ネ サ シサ ガ ム ノ ラ ノ ニ モ ユ ル 火 ノ … …。 そ の 火 中 に 立 っ て 訪 う た の は ヒ メ の 方 で あ っ た か, ミ コ トの 方 で あ っ た か は と に かく,“燃 ゆ るりぐ そ の も の は, こ の 場 合 ヤ キ ツ に お け る 賊 の 業 火 に つ な が る も ので あ る こ と は 云 う ま で も な い。 と す れ ば, ヤ キ ツ は サ ガ ミ で な け れ ば ツ ジ ツ マ が 合 わ な い。 ス ル ガの ヤ キ ツ で 火 難 に 遭 っ た 人 が 同 じ 時 点 に サ ガ ミノ ラ ノ の火 中 に 立 ち 得 る 筈 が な い か ら で. ある。 そこで記は地理的常識をギセイ に し, 火難の舞台をサガミに移 して, 例の歌に平灰を合せた のであり, 紀は逆に地理的常識を尊重 して, 走水での辞世の歌を割愛した。 その代り, 走水という 地名を取り入れることによっ て, 古事記に於けると同様の効果をねらっ たものと思われる。 ただ し その結果は必ず しも同一ではなかっ た。 紀は地名を導入 して, 地理的合理性を満足させたが, 記は 歌謡をふまえることによっ て, より以上の伝承力をかち得た。 ア. ヅ. すでに触れた通りである。. マ. 例8 . --(例4にっづく)目其入幸, 悉言向荒夫琉蝦夷等, 亦平和山河荒神等而, 還上幸時, 到足 柄之坂本, 於食御粧処, 其坂神化白鹿而来立。 爾即以其昨遺之蒜片端, 待打者, 中其目乃打. 殺也。 故登立其坂, 三歎詔云阿豆麻波夜。 鯉 夢字 故号其園謂阿豆麻也。 ー 8 -.
(10) . 古代 地名伝説考 ・歌日, 即目其国越出甲斐, 坐酒折宮之 時, 通比婆理 都久波夷須疑且 伊久用加泥都流 爾其御火焼之老人, 績御歌以歌日, 迦賀那倍.昼 用通波許許能用 比通波登衰加貴. 是以誉其老人, 即給東園造也。 (古事記 中巻) 例9 . 目日高見図還之西南歴常陸, 至甲斐園居手 酒折宮, 時挙燭而進食, 是夜, 以 、歌之間侍者 日, 駕比慶利, 菟玖波鳩須擬氏, 異玖用加禰菟流, 諸侍者不能答言, 時有乗燭者 績王歌之末而 , 歌日, 伽餓奈倍氏, 用環波虚虚能用, 比損波苔鳩伽鳩, 即美乗燭人之願而敦賞 則居是宮 , , 以鞍部賜大伴連之遠祖武日也, 於是日本武尊日, 蝦夷凶首, 威伏其宰 唯信濃園越園頗未従 , 化, 則目甲斐北轄, 歴武蔵上野, 西逮千碓日坂, 時日本武尊毎有顧弟橘媛之情 故登碓氷嶺 , 而東南望之, 三歎日, 吾嬬者耶, 饗諸 云故因号山東諸国日吾嬬園也, {景行紀 40年). 前 段 -- オ トタ チ バ ナ ヒ メ の 入 水 に つ づ く 一 段 で あ る 結 び の 一 句(故,其の国を号けて阿豆麻と謂 。. ふ) は, 遠く前段の叙述と呼応 して, 適度のリリシズム をただよわせつつ み ごとな幕切れとな っ , ている。 地名伝説としては出色の出 来ばえと云うべく, 古来広く愛詞されたゆえんである にも か 。 かわらず, ここにも亦いくつかの問題点があるが, 今はただ ( )いわゆる三歎の地点ならびに 時点 ,1 が, 記 紀 で 大 幅 な ズ レを 見 せ て い る こ と。 ( 2 ) ・地 名 (ァヅマ) と 物 語 と の 結 合 の 事 情, こ の 二 点 に つ い. て, 地名伝説の立場から考えてみたい。‐ 7 ’が 論旨必ず しも明快 まず後者から--この点について古事記伝はすでに詳論を試みている2 , とは云えない。 一般に, 地名伝説における, 地名と物語との結合関係に対する考え方と しては次の ニ つ の立 場 が あ る 。. 1 こ伝える事実)が先, 地名があと そ . 物語を, そのまま事実の伝承と見る立場--物語( 。. 2 . 地 名 に 基 づ い て (その意味ないし由来を説明するために) 物 語 が 発 生 した と す る 立 場 - - 地 名 が が -先, 物 語 あ と。. 3 , 地名と物語とは別々に発生 し, のちに結合したとする立場--地名 と 物 語 と 共 存, の ち 結 合。. 1は, 地名伝説をそのまま歴史的事実として受け取る立場で{古事記伝は一貫してこの立場を守る) , この立場に立つかぎり, そこには事実の伝承を見るだけで, 古代人の解釈的意図を云々する余地は 全くない。 記伝が, 地名伝説に対しても, あれほど刻明な考証詮索を行っ ていながら そこに古代, , 人の語源意識や解釈的意図の存在を見出さなかっ たのは, 古典に対する此の基本的態度によるもの と 思 わ れ る。 2 は, 1 の 逆 を 行 く も の で(時枝博士の国語学史の立場はこれに近い) こ の 立 場 に 立 つ か ぎ ,. 8 ) 地名伝説が国 り, 地名伝説の多くはすべて地名に対する古代人の解釈を伝えたものと して映る2 。 語 .意識 (語源意識・解釈的意図) のための資料と して取り上げられるのは専ら此の立場からであるが , それには慎重な態度の要求 されること, 序説に触れた通りである。 3 は 1と2の中間を行くもの , で, この小論は, ほぼ此の立場に立っ て進められているが, しか し, 予め立場を固定 してかかるこ との危険なことは云うまでもない。 さて, 当面の問題--地名と物語との結合一一についてであるが, まず 地名 (ァヅマ) の意味 , 7 ) この語の構 の検討から入るのが便宜。 --すでに記伝に多くの実例をあげて説いているように2 , 成は. ア ・ ガー ツ マ > ア ー ッ マ 〉 ア ツ マ. と 見 る の が至 当 の よ う で あ り, 意 味 は記 紀 の 文 脈 に 即 し.
(11) . 阿 部 源 蔵 “ ” (もっとも, 古 て 見 る か ぎり, や は り, 書 紀 に 吾 嬬 の 文 字 を 当 て て い る の に 従 う べ き で あ ろ う。 2 ) 9 事記のそれについては, 書紀とは別に, 足柄の山神との関連から, アッマ=中目 と解する向きもある が, にわか には首肯しがたいので, 今は通説に従って話を進めたい)。 と ころ で,,固 有名 詞 と して こ の 語 を 冒 して い る ど 地 名 山 名 等 は 全国 に 亘 っ て き わ めて 多 い。 そ の 上, サ ツ マ, ツ マ シ ナ な ど, 一 ツ マ, ツ マ ー な の せ られ と 云 う 語 の 冠 ツ マ も こ の しか , ツ マ を 加 え ると, さ ら に お び た だ しい 数 に 上 ぼ る で あ ろ う。. a o ) Hに囲穣されて自ら一つの区画 をなす, 特殊な地形を形造っ ているという 。 た地形は, 多くは山やi どうやら此の 語は “詰ま(め)る” という動詞と関係がありそうであり,従っ て橋詰,北詰などのツメ, さ ら に は, も と ツ マ ひ い て は 端(つ め)か ら 指 の 爪, 着 物 の ツ マ (棲) , ツ マ 戸, ツ マ 屋 な ど の ツ マ, 3 0 ) トタ ケ ル の 妻 屋 の 主 で あ っ た 人 妻 の ツ マ な どと も つ な が り の あ る 言 葉 の よ う で あ る 。 従 っ て ヤ マ. 恋の物語が, この一語を介して此の地に結びつく ようになっ たのは, 一見,ごく自然のように思われ る。 され ば,記紀の記述がそのまま事実と して受け容 れられようとする傾向が一方に ある反面,アッ 1 3 ) マという地名に対する語源的興味によっ て結合さ れたとする見 解の行なわれるゆえんでもある 。. ツマと云うの は, 元来, 上述のような特殊な場所をさ して呼ぶ地 形語 (普通名詞) の一つであっ た。 東西南北所を隔てな がら,同じような地名が同じような地形に対 して,広く分布して いるのは此 のゆえである。 此のような普通名詞 が, ある条件のもとに次第に固定して 固有名詞となり, 逆に特 定の固 有名詞が拡散して, 広い地域を覆う大名にな ることは, 人文の発 達に伴なう自然の 姿であっ 3 2 ) て,(言語) 民俗学の早く実証するところで ある 。 このアッマも亦, 同様の過程を辿って推移 した 3 3 ) ものと考えら れ, 時代によっ て其の地域に広狭の差はあるが , およそ関八州に固定して久 しい。 と こ ろ が, こ の 地 域 の 内 部 に ま た, 一 ツ マ. ツマー. 3) 思 う に の名 で 呼 ば れ る 土 地 が 少 な く な い4 。. 北と西と を峻しい山波によって限られている此の地域は, それ自身ツマと呼ばれるにふさわ しい地 形であるばかりでなく, その山沿いの 土地土地にも, また山川に隔てられてツマと 呼ばれるべき土 地 は い く ら も あ っ た 筈 で あ る。 さ れ ば ヤ マ トタ ケ ル の. “三 歎” に ま つ ま で も な く 大 小 さま ざま の ,. ツマが同 じような名前で呼ばれており, やがて一つの大名に統一される下地が徐々に用意されてい たものと思わ れる。 地名は古い。 少くと も此の物語より後であっ たとは思われない。 --酒折宮で “ “ の唱和の 褒賞と して老爺に 給わっ たのが 東の国 造 (記) であっ た。 紀では, これに相当する箇 所 ” “ (阿豆麻 が ”敦 賞” と な っ て い る が, こ れ が も し, 記 の 東の 国 造 を 意 味 す る と す れ ば, そ れ は 三 歎 波夜)以 前 の 出 来 事 と な る。 記 で は, 酒 折 宮 の 段 は 三 歎 の 後 に な っ て い る が, そ れ に して も, ア ヅマ. が三歎をまっ て後に生ま れた地名であるとすれ ば, その直後に行なわれた行賞にす ぐ此の名が登場 するのは, やはり不自然と云わなければなるまい。 地名はこの 物語より後ではなかっ たのである。 すでに触れた ように, ヤマ トタケルノミコ トは, 民族の共感と同情との結晶とも云うべき悲劇 3 5 ) の 英 雄 で あ る。 だ か ら そ の 足 跡 は 全 国 に 遍満 して い る。 南 は 九 州 から 北 は ミ チノ ク ま で 。 そ の あ. 6 ) しかも 足跡の密度の繁けさは どうであろう。 三十年そ いまには四国にまで足を延ばしている3 , 。 こそこの人生の可能性をはるかに起えたもので ある。 だからそれは, 時間的経過と地理的常識に も と づ い て 進 め ら れ た 足 ど り で は 無 論 な い。 ア シ ガ ラ に も ウ ス ヒ に も 或 は そ の 他 の 場 所 に も, 時 あ っ. て何時で も印 し得る足跡でなければならない。 同じような物語が所を異に して, 同じように伝えら 7 ) そ の 結 果 は 昨 日 ま で 郷 土 専 有 の 物 語 と 信 じて い た も の が, 見 聞 の 広 ま れ て い る ゆ え ん で あ る3 , 。. るにつれて, 今日は他郷の それと して聞き, 明日はさらに他国 のそれへと併呑 さ れ て 行 く。 こ れ は, この英雄にかぎらず, 漂移性の強い主人公の物語のすべてに負わされた共通の宿命である。 そ れは しかし, くだんの英雄と共に神話の世 界に生きようとする人々の, よく堪えうる所ではない。 ”わが仏貴 し“ とするなら まず これを台座に しっ かと固定 して, 他国への漂 流から食い 止 め な , , - 10 -.
(12) . 古代 地名 伝 説 考 け れ ば な ら な い。 そ の た め の キ ヅ ナ が ほ かな ら ぬ 地 名 伝 説 で あ る(もちろん, これは全ての地名伝説にっ. いての謂ではないし, 叉結合者自身も聴衆の気持を肘度した語部ないしホカイ人などのたぐいであったかも知 れな. い) 。 同じアツマの地名伝説が, 足柄にも碓氷にも--さらには, 走水を見はるかしうる峠道ならど こにでも一-結び付いて伝わって少 しも不思議はなかっ たのである。 地名の方の用意はすでにとと の っ て い る。. こ こ で 第一 の 問 題 に 帰ろ う。 既 述 の 通 り, い わ ゆ る 三 歎 の 舞 台 と, 従 っ て そ の 時期 と が記(ァシ ガラ・前) 紀(ゥスヒ・後)で 大 幅 に ズ レて お り, 記 伝 を して “か に かく に 定 め が た し” と, サ ジ を 投 げ. させた問題であるが, もともと, この種の英雄の足どりと云うものは, 上述の通り, 時間的・地理 的常識にもと づいて進められてい・ るわけではない。 各地に伝わるこの種の伝承を飛石と して, それ ら の間 に ワ タ リ を つ け て ま と め 上 げ た の が, こ の 英 雄 一 代 の 絵 巻 物 で あ っ たと 思 わ れ る。 と く に,. その東征調にはこの感が深い。 それを無理に時間空間に義理立てをしてツジッマを合せようとする と, 当 然 の こと な が ら, か え っ て 破 綻 が 生 じ る の で あ る。 試 み に,“三 歎” を 頂 点 と して, ツク ハ 以 後 の ミ コ トの 足 ど り を, 記 紀 の記 述 に よ っ て 対 比 して み ると,. .. ●. (サ ガ ミ)-- 酒 折(カ ヒ)-- シ ナ ノ -- ラ ハ リ (記) /(ム サ シ ?)--1足 柄 1 ” 、 \ な′ チ、 -/ ′\ カ ミツ ケ (ム サ シ ?) ムサ シ (サ ガ ミ?) 酒折( 〃 ). : ’L ‐ . ・. (紀) ‘碓氷1--シナノ--コ ジメ. 記の場合, 記述は簡略だが行程は自然で且つ要領を得ている。 紀は逆に, 記述は詳密だが, 行程は 甚だ無理で要領を得がたい。 即ち, 紀に従えば, ミコ トは筑波から酒折(カヒ)へ直行する。 この場. 合経路については何も触れていない。 しかし, ヒタチ方面からカヒに入るには--碓氷道を避ける とすれば, 記のように--サガミから足柄にかかるか, ムサシから大菩薩を越えるか二つに一つで ある。 そしてもし三歎の声を発せ しめるとすれば, このうちの何れかで為されな け れ ば な ら な い. (それが為されていないのである) ま た 第 二 段 の 討 伐 行 と して 酒 折宮 か ら シ ナ ノ ・ コ シ ヘ 向 かう の , , 。 で ある が, こ の 時 再 び ム サ シ ヘ 取 っ て 返 し, カ ミ ツ ケ を 回 っ て シ ナ ノに 入 り, 初 めて 碓 氷 の 坂 で三. 歎の声を発せ しめているのである。 甚だしい迂路であるばかりで無く, 極めて無 理 な 足 ど り で あ り, 且つ, 三歎の舞台と しては, ハシリ水との地理的関係から して, 足柄に比べて遥かに劣る。 記 7 ) 結局は ”かにかくに 伝は此の間の事情について, 彼此相対比しつつ刻明な考証を試みているが2 , 定 め が た し” と して い る こ と, さ き に 触 れ た 通 り で あ る。. たしかに 書紀の道順は不自然である。 なぜ此のような不自然をあえて しなければならなかっ た. の か。 思 うに そ れ は,“三 歎” の舞 台 と して(足柄を避けて)わ ざわ ざ碓 氷 を 取 っ た 所 から 来て い る。 ニ ヒ バリ. ツ クハラ ス ギテ. イ ク ョ カ ネ ツ ル -- カ カ ナ ヘ テ. ョニ ハココノ ョ. ヒ ニ ハ トラ カラ. こ. の相聞の舞台がカヒの酒折であっ て見れば, 何をおいてもツクハからそこへ直行しなければならな い。 どうしても十日の 日程を要する, 碓氷回りを していたので間に合わないのである。 又, 碓氷を ”三歎” の舞台と して予定 しているからには 酒折への途中でそれをやっ て しまうわけには行かな , い。 しかし, 足柄か大菩薩かを越えながら, そこを素通り して “三歎” を碓氷へ持ち越すというこ と は い よ い よ 不 自 然 で あ る。 こ れ を カ ム フ ラ ー ジ ュ す る た め に, こ と さ ら に ヒタ チ か ら カ ヒ ヘ の 道. 順には触れなかっ た, いや, 触れることが出来なかっ たのである。 また, 予定通り碓氷の坂で三歎 の声を発せしめるためには, 山を越えてカヒからもう一度引退さなければならない。 そこでわ ざわ ‐ 11 一.
(13) . 阿 部 源・ 蔵 ざカ ヒ か ら ム サ シ ヘ 出, カ ミ ツ ケ を 経 て 碓 氷 の 坂 に 立 た しめ る と い う● , 非 常 手 段 を 講 じた も の と 思. われる。 かくて初めて, 記紀における”三歎”の時間的 ズレと, 紀の道順に対する疑問とが氷解 した のであるが,ではな ぜ,紀は此のような無理を犯 してまで碓氷道を取らなければならなかっ たのか。 此の点, 宣長はさきに触れたように “定めがたし” と云いながらも, ひそかに碓氷説に傾いて い る もの の よ う で あ る。 そ れ は, こ の 坂 の ほ ど近 く に ア ガ ツ マ(上野国-吾嬬郡) と い う 地 名 の あ るこ. とによる。 つまり, 三歎の故事に因んでアツマの地名が生まれたものとすれば, まず此の地からで あろうと し, 又, 酒折宮の老爺が, その国の造に任ぜられたという東の国も, さしずめ此の地をさ 7 ) 記紀の記述をそのままに受け容れようとする記 伝の立場から すものであろう, とするのである2 。 すれば, これはむしろ, 当然の帰結と云うべきであろう。. しかしながら, くだんのアガツマは, 碓氷からは北に当っ ており, 山波に隔てられて視界には 入りがたい。 その上, 書紀の記述を見ると--故登碓日嶺 東南望三歎日吾嬬者耶 故因号山東諸 国日吾嬬国也--と。 下線の部分に注意すべき である。 そこから東南に向っ て開けている山東の諸 国が, すでに広くア ヅマと呼ばれていたのであっ て, 吾嬬ー郡の存在は, この時すでに問題ではなか. っ た。 とすれば, 書紀が足柄を捨てて碓氷を取っ たことには, 別の理由が無ければならない。 それ は何か? きびしくは不明と云うのほかは無いであろう。 ただ, 合理性を重んずる書紀が, あれほ. どの無理を犯 して碓氷道を取らなければならなかっ た--つまり, 碓氷に於けるアヅマの地名伝説 を捨てるわけに行かなかっ た, 背後の理由というものは, 少なくとも, 道順で犯 した無理を埋め合 せ て 余 り あ る 底 の も の で な け れ ば な ら な い で あ ろ う. と い う こ と で あ る。 -- 強 い て 云 う な ら ば,. サ ガ ミ は ア ヅマ に と っ て 海 道 一 の 要 衝 で あ り, カ ミ ツ ケ は 同 じく 山 道 一 の 要 衝 で あ る。 互 い に 南 北. に対崎 しつつ, 東国への通路を掘す要害の地を占めている。 そう して, 共に古くから政治上特殊な 地歩を有 し, 独特の生活と文化とを有し, また, それらの象徴であるかのようにア ヅマの地名伝説 を 有 して い る。 そ れ は 広 域 ア ヅ マ の 発 祥 の 地 と して の 誇 り を 伝 え る も の で あ っ た で あ ろ う。 こ の よ. うに, 両国は, 古来いろいろの意味で互に張り合う関係にあっ た。 それが, 古事記では足柄説が取 ら れ て, 碓氷 説 は 全く 無 視 さ れ た。 こ れ は カ ミ ッ ケ に と っ て 堪 え が た い も の で あ っ た に 違 い な い。. 地名伝説は文学以前, 語学以前の存在である。 すでに触れたように, それはまだ十分神話であり得 た。 複雑な意味で, 生活を支配する力をもっ ていたのである。 和六の詔に,“山川原野名号所由“ を 求めたこと, また, 此れに応えるに各国こぞっ て地名伝説を以て したことの意味は, まず此の点か ら理解さるべきでは無かろうか。 記紀のあのくだりを読み比べて, わたく しは, その背後に動く, ある種の政治的配慮のニオイ を感 ぜずにはいられないように思う。 こ こ で, こ れ ら の 地 名 伝 説 の 有 す る(かも知れない)国 語 意識 に つ い て, も う 一 度 考 え て み よ う。. ア ヅマの原義が, かりに, 特殊な地形をあらわす普通名詞 から来ていること, 上述の通りであっ た と して, それはすでに, 遠い昔に忘れ去られて しまっ たものと思 つれる。 文献にそ の徴証の片鱗す. ら見ることができないから。 この語 (地名以外の場合も含めて) に対する表記上の字面と して文献に現 れたものを見ると, イ 安豆麻. 口 阿豆麻. ノ、 阿 頭 麻. ニ 安都麻. ホ 東. へ 東方. ト 吾嬬. チ 吾妻. り 我姫. な どで あ る が, こ の う ち, イ ロ ハ ニ は仮 借 的 用 法 で あ る か ら, や は り タ ナ ア ゲと しよ う ホ 以 下 は 。. 字面は異なるが意味の系列から云うと, はっ きり二派に分かれる。 すなわち, A 東--東方; B 吾嬬. - 吾 妻 - 我 姫。 こ れ ら (ィ一二をも含めて) の う ち, 使 用 頻 度 の 断 然 高 い の は ”東” で あ っ て こ の 傾 , , 向 は 後世 ま で 続 き, や が て 東 の 字 に は, ヒ ガ シ に 次 い で ア ツ マ が 殆 ど定 訓 と して 固 定 す る に い た る 。. - 12 一.
(14) . 古代 地名伝説 考 しか し, B 系 の 諸 字 面 も, 次 第 に “吾 妻” に 統 一 さ れて, (東ほどではないにしても)や はり, 後世 永 く. 広くいろいろの場合に愛用される。 これらの字面のもつ意味については, どの程度, 意識 して用い ら れ た か は と も かく, ア ッ マ と い う 語 の も つ フ ンイ キ と して は, 多 か れ 少 な か れ, こ の 二 系 統 の 意. 味 を揺 曳 さ せ、て 来 たこ と は 否 定 で き な い で あ ろ う。 と こ ろ で, こ の 傾 向 は (文献時代を越えて) どこ ま で 遡 り 得 る か。 さ ら に は, こ の 語 が どの よ う な 過 程 を 経 て, こ の 二 つ の 意 味 に 分 化 した か。. ‐ 思うに この語の原義が忘れられるにつれて たまたま この地域が政治・文化の中心から見 , , , “ ” て, 東方 に 位 置 して い た 所 か ら, ま ず “東国” が 結 びつ き, そ れ か ら “東方” ,次 い で 東 と い う. ように, 具体的な意味から抽象的な ものへと, しだいに昇華して来た。 にもかかわらず, この語が 常に地域的概念によっ て色づけられて来たのは, 主として, それが大和政権にとって大きな発展の 方向にあり, 従っ て, 多かれ少なかれ, ある種の政治的意識をさしはさんで用いられて来たからに. ほ かな ら な い。 な お, こ の 一一 束 と ア ヅ マ と の -- 結 合 を 不 動 の も の と した, も う 一 つ の 支 え と し て, ツ マ に は, 夫 に 対 す る 妻, 主 屋 に 対 す る ツ マ 屋, 大 戸 に 対 す る ツ マ 戸, ミ ゴ ロ に 対 す る ツ マ (楼). な どの用語例が示すように, 主 (中央)に対する副(地方) の意味が, この語の底に潜在していたこと 0 ) も 否 定 で き な い で あ ろ う3 。. 一方,“吾妻” への結合の契機と しては, 一面このような潜在意識に支えられると共に, 他面, 音相の相通からして, この語の原義が 忘れられるとともに, 連想が人妻の妻へと及ぶのは ごく自然 で あ っ て, こ れ も ま た, き わ め て 古く か ら の 因 縁 事 で は な かっ た か と 思 わ れ る。. もし此のような事実をふまえて, 地名伝説アヅマが成立したものとすれば, 地名と物語との結 合は, 固有名詞 (ァヅマ) と普通名詞 (吾妻) との間の, いわゆる等価意識に立脚 して の そ れ で あ っ. て, 地名伝説生成の過程としては, 最も自然なものとなり, あえて解釈と云うほどの積極的な 活動 を, そ の 間 に は 認 め が た い こ と に な る。 た だ し, こ の 問 題 は さ ほ ど安 易 な も の で は な さ そ う で あ る。 地 名 アツ マ が “吾 妻” と 意 味 的 な. つながりをもつようになっ たのは, この地名伝説の成立以前であっ たか以後であっ たか, 実は容易 8 )や稜威言 に決定しがたい問題であるから。 例えば大槻文彦博士は, この語の原義と して, 冠辞考3 0 ) 9 )の 説 を 援 用 しつ つ ”明 端 < ア ケ ッ マ > ノ 義 (朝も明時<ァヶシダ>) 夜 ノ 明 ク ル 方 ノ 意“ と し4 別3 , ,. ま た, 吾 妻 の 字面 へ の つ な が り に つ い て は, く だ ん の 地 名 伝 説 を そ の ラ ン シ ョ ウ と して, き び しく. 一義説を取っている。 しかし, 語源説に対する当否は別と しても, 一地名伝説が, 此の語の表記に 対 して, それほど広く深い影響力をもち得るものであろうか。 --すでに触れたように, アガツマ という地名も古くからあり, また, 常陸風土記冒頭の ”我女房 も此の物語以後の宛字であっ たかど 1 ) む しろ あ の よ う な 意 味 づ け の 基 盤 が で き て い た か ら う か, に わ かに は 訣 め が た い 問 題 で あ る4 , 。 こ そ, そ れ を 踏ま え て の 地 名 伝 説 が あ の よ う に 成 功 し, 且 つ広 く カイ シ ャ さ れ る 結 果 と な っ た, こ. のように考える方がより自然であると思われるが, どうであろうか。 ともあれ, 現在の段階で何れか一方にきめて しまうことは, やはり武断にすぎるであろう。 従 1 )は--もしも この地名伝説の成立が っ て, この地名伝説にまつわる解 釈(語源)的意図について3 ,. ア ヅ マ ニ 吾 妻と す る, こ の 意味 的 連 想 の 一 般 化 す る 以 前 に ある と した ら, そ の(地名と物語との結合の). 前提と して, 当然解釈的意図が発動 した。 又以後であると したら, 上述の理由によっ てその発動を 認めることは出来ないのである。 つまり, これを国語意識の対象とするには, なお, それだけの 危 険率をか けて臨まなければならないものと思われる。 2 ) すなわち “菅生” の由 スガについて。 --これには参考すべき一例が播磨国風土記にある4 , 。 - 13 -.
(15) . 阿 部 源 蔵. 来を説いて “-- ‘水の清く寒きに由りて, 吾が心すがすが じ とのりたまひき。 故宗我富といろデ と云うのであっ て, 古事記のそれと全く同巧の趣向と云うべきである。 ただし, これには一説と し. て ”管, 山 の 辺 に 生 へ り。 故, 菅 生 と い ふ“ を 併 載 して い る。 風 土 記 を 見 る と, ス ガと い う 地 (山・. “ ‘ ) 名は此のほかにもかなりの数に上り, 多くは菅の字を宛てている。 カナ書きと しては, 須我が 最も多く須加・須賀な どがこれに次ぎ, また, 地名伝説に於ける神話へのつながりと しては, 上記. 3 ) 救(スクヒ>スカ)“)等 の 語 を 介 す る も の が 各 一 例 (最後の例にっいては問題 (菅)の ほ か, 凄 (スカス)4 。 があるが, 参考までに記す). 要するに, 地名スガに対する意味づけと しては “菅” への連想にもと づくものが多く, それは また, 地名の起原と して地形・地物に由来するものが最も多いという一般的事実と相応ずるもので あり, かたがた, 現代的常識にも無理なく受容できる性質のものである。 古事記の場合にも, ともしたら で漕’ょりも) ”菅” への連想の方 が, より古く, より一般的であ っ た の で は な か っ た か。 も し, そ う と した ら, そ れ を 転 じて ス ガ ス ガ シ (清) と して, ツ マ ゴ ミ の 物. 語への結合をはかっ たのであるから, 少なくともそこには一種の解釈的意図の発動を認めないわけ にはいかない。 ただ, 上述の通り, 同型の物語がすでに存在 している。 --なるほど, 古事記の方 は神代の出来事であり, 播磨記の方は品田天皇にかかるものである から, 形式的には前者の方 が古 いには違いないが, この場合, もちろんそんな単純な形式論は許されないであろう。 おそらく, 地 名 伝 説 と して, 此 の よ う な (英雄の物語に結びつけようとする)場 合, す でに 「 つ の “語 り” の 型 が 成立. して い た の で は な か ろ う か。 も しそ う と した ら, そ こ に は, そ の 型へ の 骸 め 込 み (カタハメ) が あ る. だけで, ことさらに, 解釈的意図を問題とするにはあたらないことになる。 --国語意識の対象と しては, やはりア ヅマ同様の配慮を必要とするのである。 {焼津・走水にっいては,予定の紙幅が尽きたの で省略に従う). 以上, 不完全ながら “試案” の一部を公けに して, 御批正を仰 ぐしだいである。. ) (昭和39・4・10. 1 ) 時枝誠記: 国語学史 p.219. 2 ) 拙稿: 国語学すれすれ(北海道学芸大学語学文学会紀要第二号) 1 12 3 ) 拙稿: 古代地名伝説の国語学史的意義について (国学院雑誌-- 武田祐吉博士古稀記念号 旧3 ) . 7巻2号 ) 拙稿: 古代の地名伝説に現われた国語意識の考察(北海道学芸大学紀要--第1部 第 4 ) 説内七道諸国。 郡郷名著好字。 其郡内所生銀銅彩色草木禽獣魚虫等物具録色目。 及土地沃堵。 ,山川原野名号 所由。 及古老相伝旧聞異事。 載千史籍言上。{続日本紀 和銅6年5月甲子) 5 ) 於是天皇詔之, 朕聞, 諸家之所費帝紀及本辞, 既違正実多加虚偽。 当今之時不改其失, 未経幾年其旨欲滅。 斯乃邦家之経緯, 王化之鴻基鴬。 故惟撰録帝紀, 討霞旧辞, 削偽定実, 欲流後葉。(古事記序文) 6 ) 此意富多多泥古命者神君, 鴨君之祖(同上-中巻-) 7 ) 古事記伝(本居宣長全集 第3 p ) .1214 8 ) 松下大三郎・佐久間鼎・三上章の諸氏の諸著における ”題述論“ 9 ) 柳田国男: 伝説 p.24-25. 10 ) 山本信道: 記紀の地名説話考 (共立女子短期大学紀要 第一号) 11 ) 釈日本紀所引--山城国風土記 (逸文)賀茂社 12 ) 武田祐吉: 万葉集全注釈 巻3 p.118. 13 ) 一例をあげると--釈日本紀所引--備後国風土記 (逸文)の薙民将来の伝説 14 ) 中島悦次: 神話と神話学 p.5, 15 ) 崇神記11年-- “箸墓“ にまつわる神婚伝説において, 大物主神が小蛇となって神体を示現する。. - 14 -.
(16) . 古代 地名伝 説考 1 6 ) 常陸国風土記--茨城里 (那賀郡) の条下に, 霊蛇成長伝説を伝えている。 1 7 ) 日本古典文学大系 巻l p . .214 4 5 2 7; 伊勢物語-32などの歌は何れも類歌と見られる。 1 3 6 3 3 . 1 8 ) 万葉集- ; 古今集-1 3 8年・古事記( 中巻) -垂仁天皇の条下に, それぞれ 夢合わせ・玉造り云々のコトワザ 1 9 ) 例えば一一仁徳紀 伝説を伝えている。‐ “ ” 20 ) 八重垣神社では, その御山たる八重垣山を 八雲立っ出雲八重垣…… の歌と関連させて, この神の最終鎮 している 座を強く主張 。 2 1 ) 出雲国風土記 飯石郡 須佐社 22 ) 同上 意宇郡 佐久佐社(現, 八重垣神社) 23 ) 釈日本紀所引--備後国風土記(逸文)疫隅国社, また, 紀伊国有田郡須佐郷-須佐神社など。 4 24 ) 日本古典文学大系 巻l p . .21 1 1 4 1 1 4 8 7 ) 25 一 ) 古事記伝(同上 p . 26 ) 大日本地名辞書--北国東国篇 p.2538. 2以下) 2 7 ) 古事記伝(同上 p ,143 28 ) 時枝誠記: 上掲書 p.46. 2 9 ) 関守次男: 倭健命の ”阿豆麻波夜” について(国語・国文 第11巻 第8号) 3 0 ) 武田祐吉: 万葉集全註釈 巻2 (言語篇--つま-- の項). 31 ) 永山 勇: 国語意識史 p.181-182. 2 3 ) 柳田国男先生著作集 第2冊 p.14 以下 3 3 ) 大野 晋: 日本語の起源 p.58一65 . 34 ) 大日本地名辞書(坂東篤)によると, 関東地方に次のような地名を見る(本文で触れたものは除く): アサッ ツマサカ(武蔵)ツマタ(相模) その他。 マ(常陸)ア ヅマ (武蔵・上野・上総) シモッマ (下野)、 5 3 ) 景行紀40年・陸奥国風土記(逸文一白河郡八槻村都都古和気神社大善院旧記所載) 八槻郷 36 ) 万葉集註釈所引--阿波国風土記 (逸文) 3 7 ) 一例をあげれば--同上 阿波国風土記 (同上)勝間井: 詞林栄葉抄所引 美作国風土記 勝間田池の条下 に, そ れ ぞれ 同 趣 の 伝 説 を 伝 え て い る。. 38 ) 冠辞考第六 “とりがなく“ の項 3 9 ) 稜威言別第八 ”阿豆麻表蓑濃幣理” の項 40 ) 大言海-- “あづま“ の項 41 ) 常陸国風土記冒頭の ”我姫” を, 大言海は此の地名伝説の影響としている。 42 ) 播磨国風土記 揖保郡 上岡里 4 3 宍禾郡 安師里 )同 上 4 4 ) 肥前国風土記 彼杵郡 周賀郷. 5一 -1.
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