Title
母の認知
Author(s)
福里, 盛雄
Citation
沖大論叢 = OKIDAI RONSO, 6(1): 31-50
Issue Date
1965-10-15
URL
http://hdl.handle.net/20.500.12001/10963
母
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新民法第七七九条は﹁嫡出でない子は、その父叉は母がこれを認知することができる﹂と規定している。一非嫡出父 子関係の発生については、判例、学説一致して、常にハスの認知が必要であるとする。ところが母について色父と同様 に非嫡出子との親子関係を生ずるに認知が必要か否かをめぐって判例、学説とも長い間その一致点を見い出すことは できなかった。一判例は和和三七年七月二回日の最高裁判所の判決までは非嫡出子母子関係は認知を必要とする原則を 母 の 認 知沖 大 論 叢 離れえなかった。昭和三七年の判決によってはじめて母子関係は﹁原則﹂として出産の事実によって生ずると云う立 場 を 採 っ た 。 適法な婚姻関係にない父母
φ
聞に生れた子の法律上の保護は婚姻家族の保護と個人尊重、平等の原則の要請との調 和上どう矛盾なく解決するかにかかっている。本稿は現行法の解釈の面から各学説上の相異点を考察しようと試み た 。沿革及び戸籍法上
l 明治民法(明治三十一年七月十六日施行)以前は私生児と母との関係は明治六年一月十八日の太政官布告第二十 一弓によると﹁妻妾ニ非ル婦女ニシテ分娩スル児子ハ一切私生ヲ以テ論シ其婦女ノ引受タルヘキ事・但男子ヨリ己レ ノ子ト見留メ候上ハ婦女住所ノ一戸長ニ詰テ免れヲ得候者其子男子ヲ父トスルヲ可得事﹂として母子関係当然発生主義 をとったといえる。 ところが明治三十一年施行の民法に於いてはフランス民法の認知主識にならい、法的母子関係の発生を常に認知に かからしめるように旧法第八二七条﹁私生児ハ其父叉ハ母ニ於テ之ヲ認知することを得﹂と規定しそれに対する学説 上、一戸籍実務の反対をうけながらも、和和一一一一年の新民法にそのまま踏襲された。 2 一戸籍法上は和和三七年の以前の判例が認知主義にたっているにかかわらず認知不要説を採用してきた。その主な る理由は次の四つである。ω
一戸籍法は嫡出子の出産制は第一順位に父、父が不在等で屈出できぬ場合及び出生前に離婚したとき母を屈出義務者としている。そして非嫡出子の出生屈は第一順位に母が屈出議務を負う。かように母に非嫡出子の出生屈議務を課し てこれを強制しているのは(五二条一項二項)、非嫡出子と母との関係は分娩と云う事実によって当然発生すること を前提にしていると言える。 叉棄子の場合は市町村長の定めた氏名本籍等の記載調書が出生届書とみな会れるが(五七条)、父叉は母が引取っ たときは、その日から一ヶ月以内に出生の届出をし戸籍の訂正を申請しなければならないとされているのである(五 九条)かく見て︿ると一戸籍法上は母の出生届はあるが母の認知なるものはないといってよいであろう。① 勿論これに対しては唯手続規定のこの点のみから直ちに実体法上も母子関係が当然発生すると結論づけることはか ならずしも妥当ではあるまいと云う反論がなされている。⑨ またこれに対しては母子関係が成立前に母に届出義務を課することはおかしいとも考えられるし、出生届は認知の 意思表示を認めるとして、出生届義務を認めるとすれば、母については父と異って任意認知というものはなく、子の 請求なくとも母子関係の証明を第三者がすることによって公法上認知を強制せられるわけで、これは結局法上当然母 子闘を認めることに等しいことになるのであろう(戸籍法八五条
J
八六条)①ω
一戸籍法は非嫡出子を出生した女が届出せずに死亡叉は行方不明となった場合につき、同居者、医者、産襲、公設 所における長、管理人等に出生届をすることを定めているが、その届出書においても母の民名を特定表示すべきであ るとしているが(五二条三項、五六条、四九条三項)、母が出生届をしなければ母子関係は生じないと云うのであれ ば同居者その他第三者から氏名を何某として届出きせるのはおかしいことになる。ω
一戸籍法はハスが認知する場合については、届出事項を定めているが、母の認知をする場合の届出記載事項を定めて L な L。
( 六O
条)④ 母 の 認 知沖 大 論 議 四
ω
戸籍法には、母の認知を予想したととき規定があるが、これに対しては規定の表現上民法と歩調を合わしたこと に過ぎないと理解すべきである。ω
そして母の出生届には、たとえ子が成年者であってもその承諾を要する訳ではなく、叉母が死亡後五年以上経過後 でも、同居人が母が知れていればその母の氏名や本籍を記載して届出すべく、既に他人の嫡出子又は非嫡子として届 出られていた場合においても、母は自分の議務として一応非嫡子出生届を為すべきものと解すべきである。①一 dH リ 準 ,例
次に主なる四つの判例の立場をながめてみよう。ω
大正十年十二月九日大審院第一民事部判決(民録二七・二一OOl
一 二O
三)は共有権確認抵当権登記更正手続請 求の事件に対して﹁婚姻外ニ於テ生レタル子ハ生理的ニハ親子ナリト離モ法律上ハ未タ以テ親子関係の発生スルニ至 ラス斯カル関係ハ其父又ハ母ニ於テ認知ヲ為スニ依リテ始メテ之ヲ生スルモノナルコトハ吾成法上ノ制度トシテ疑ナ キトコロナリ、蓋若シ之ヲ爾ラストシ苛クモ生理的ニ親子ナル事実カ確定スル以上認知ヲ竣タスシテ当然親子関係ノ 発生スルモノトセムカ其父ニ対スル場合タルト其母ニ対スル場合タルトニ依リテ其ノ取扱ヲ一一一ニニスヘオ何等ノ道理 有可カラス而モ如何ナル場合ニ於テモ父の認知ナキ限リ法律上之ヲ親子ト目スルヲ得サルコトニ付テハ何等ノ疑ナキ 以上独リ母ノ場合に於テノミ苛モ生母タル事実ガ明白ナル限リ認知ヲ要セスシテ法律上当然親子関係ヲ発生スト論断 セムハ権衡ヲ失スルノ甚シキモノナレパナリ原裁判所カ専ラ生理的ノ関係ノミ著目シコレ有ルトキハ子ハ当然母ノ私生子ナリト判定シタルハ法律ノ解釈ヲ誤レ ルモノニシテ本件上訴ハ此点ニ於テ理由有リ・・・と婚姻外で生また子に対する法律上の親子関係は認知によって始 めて発生するとして認知主義を採っている①@ 文本件では母からは勿論何人からも私生子出生子出生届がなされておらない点を考慮すると母が私生子出生届をし ていたならば判決の態度も叉別の観点から処理されていたのかも知れない@。母の私生子出生届がなされているとき にはその出生届に認知の効力を認めた判決が見られるに至った。
ω
大審院大正十二年三月九日第一民事部判決(民集ニ・一四三l
一 四 六 ) は 、 ハχ
カ康子出生ノ届出ヲ為シタルトキ ハ其ノ届出ハ認知ノ効力ヲ有スルモノナルコトハ一戸籍法第八十三条(現削除)ノ規定スル所ニシ母の自ラ私生子出生 の届出ヲ為シタル場合ニ於テ私生子認知届出ノ効力ヲ有スルモノナルヤ否ヤニ付テハ戸籍法上何等規定スル所ナキモ 右両者ヲ比較シテ考フルニ均シク出生届出ニシテ前者ハ其ノ届出ト同時-一認知届出ノ効力ヲ生スルニ掬ラス後者ノミ 其ノ届出ト同時ニ認知届出ノ効力ヲ生セサルモノト認ムヘキ何等ノ理由ヲ発見スルコトヲ得サルカ故ニ既ニ叉ハスカ為 シタル康子出生ノ届出ニシテ同時ニ康子認知届出ニシテ同時ニ康子認知届出ノ効力ヲ生スルモノト認メタル規定アル 以上ハ母カ為シタル私生子出生ノ届出モ亦同時ニ私生認知ノ効力ヲ生スルト認メタルノ法意ナリト解スルニ難カラス ト﹂の理由に依って母が私生子の出生の届出をなしたるときは認知の効力を生ずるものとした。⑩ 本件においては母が私生子出生届をなしていたからそれに認知の効力を認めて解決したのであるが母が私生子出生 届も、認知屈もしなかった場合にはこれでは説明できなくなる。ω
母が認知屈も私生子出生届もしなかった場合に母の扶養義務の寄否が問題となった事例に於いて大審院昭和二年 (オ)第八九四号昭和三年一月三十日第一民事前判決は(民集七・一ニl
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)
甲カ乙ノ養子トナリ乙方-一於テ私生 母 の 認 知 五沖 大 論 叢 ~ ノ 、 子丙を分娩シタル後三四十日ニシテ丙ヲ乙万ニ放置シテ実家に立帰リ乙ヨリ丙ヲ養育スヘキ旨要求セラレタルニ拘ラ ス乙ニ応セサシ事実ヲ認定シタル後甲カ丙ヲ認知シタル事実ナキコトヲ理由トシテ甲ト丙トハ法律上親子関係ヲ生セ ス従テ甲ハ丙ヲ扶養スル義務ヲ負ウヘキモノニ非サル旨判示シタル然レトモ甲カ丙を分娩シタルモノナル以上扶養義 務ノ関係ニ於テハ甲ハ丙ノ直系尊属トシテ民法第九五四条-一依リ丙ヲ扶養スルノ義務ヲ負ウモノト解スヘキモノトス として、私生子の母は認知の届出をしなときでいも扶養義務の関係に於いては直系尊属として之を扶養することを要 すると判決しているのである。 本判決は扶養義務を法律上の母子関係と分縦し事実上の抑制子関係と結びつけている。即ち、事実上の母子関係は認 知を待ず分娩と云う明確な事実にかからしめ、法律上の親子関係は認知にかからしめている。@⑫⑬
ω
昭和三七年四月二七日第二小法定判決は親子関係存否確認請求事件(原告X
はA
と妄関係を継続している内にY
を 生 ん だ が 、Y
を家格のやがましかったA
の籍に入れることができず叉X
の養父母E
F
の反対のためX
の籍にも入れ ることができず、養父母の知人C
D
の嫡出子として届け出、 その旨記載された。X
はY
を自分の手許で養育しようと し てY
と養子縁組をしたが、YKA
の家業を継がせるため離縁し、A
及びその妻Y
とY
と 縁 組 令 し た 。Y
は出生以来X
に養育されて育ったのであったが、最近Y
はX
が自分の親であることを否認するので、X
よ りY
に対し親子関係害 在確認を求めた事件)について原則として当然発生主義を採ったといえる。 本件に対して第一審(東京地方裁判所)は﹁Y
がX
の子であることが淘に明らかであるから﹂としてX
の主張を認 め 、Y
が控訴し控訴審(東京高等裁判所岡和三五年七月二五日判決)は控訴を棄却した。Y
は更に親子の生理的事実 的側面の認定の誤認の点を主張して上告した。これに対し最高裁判所は上告人(
Y
)
の主張をしりぞけた。そして更 になお附言するに、母とその非嫡出子との閣の親子関係は、原則として、母の認知を侯たず、分娩の事実により当然発生すると解するのが相当であるから、被上告人が上告人を認知した事実を確定することなく、その分娩の事実 を認定したのみで、その聞に親子関係の存在を認めた原判決は正当である﹂として裁判官全員一致で上告を棄却し ' ﹄ 0 み t 以上母と非嫡出子との関係について主なる判例を述べてきたのであるがかような判例の変遷についてはいろいろ異 論が述べられている 要するに判例は、まず私生子とその母との法律関係は認知によってのみ生ずるという第一線をはりながら、忽ち認 知なしにも出生届さえあればよいとする第二線に後退レ、さらに叉扶養関係については、認知も出生届も必要でない と云う第三線まで後退してきた。このように、判例が一歩一歩後退せぎるをえなかったのは、結局最初の出発点に誤 りがあったからに外ならない。判例のいうように、生理的な親子関係が直ちに法律上の親子関係にならないというこ と も 、 一般論としてならば、あながち不当とはいえない。しかし機微にして証明困難な父子関係と姫娠分娩という明 白な事実を伴う母子関係とを同一に取扱うことはかえって正当でない。父と母とにおける、生理的事実の相違を看過 し法律上の取扱いを同じくしようとする所に無理があり、必要以上に私生子を逆遇する結果ともなる訳である。 和三七年四月二七日判決前の判例に対する批判)⑬ 昭和三七年判決は親子関係寄在確認請求事件であり附言としてしかも原則としての但書は附せられてはいるが母子 関係に認知は不必要であり分娩と云う事実によって当然発生する主義を採'ったことはその意義大である。⑮⑮ 昭 母 の 認 知 七
沖 大 論 議 i¥
四
学
説
一、非嫡出子と母との関係については認知必要説(要認知説)と当然発生説、(認知不要説・事実説)とに大別できる。 認知必要説は非嫡出子関係は婚外の父子関係と同様に母の認知が必要であると主張するに対し当然発生説は父子関 係と異って非嫡出子と母との関係は出生という事実によって発生すると解する。 次に両者の主なる学説を通じてその主張の根拠を考察しよう。l
要 認 知 説ω
谷口教授は民法の解釈はやはり母子関係も認知によって生ずるものと解する他はないと思う。かく知しでも、母の 出生届において、叉他人が届出た場合は母の養育の事実において認知の意思表示を認め得るから普通一般の場合に不 都合を生じない。母が出生届(認知)を肯んじない場合は、子の側から出生届(認知)請求を為さしむべく叉、他人 の 出 生 届 に よ り 母 が 一 戸 籍K
表示されているときでも、その母が母たることを争い、養育せぬ場合は、 やはり認知の請 求をなさしむべきである。 そして成年の子に対し母が出生届(認知)をするについては子の承諾を要するものとし、子が子なくて死亡した後 には認知ができず、従って母の扶養乃至相続の請求は許きれないと解してよいであろう。更に実際上、前に見た様に 棄子の場合とか虚偽出生届などにより他人の子となっている場合とか極めて稀な場合にしか母の認知は問題となり得 ないのであり、子の出生一の秘密を蔽い朗かな成人を期することも一つの政策として無視できないのであるが、この点 の考慮からしでも、母子何れかの発意と希望とに従つてのみ真実の親子関係を公けならしむる認知必要説の方が、 みだりに他人によって身分を暴露せしめられる可能を認めることになる当然母子関係法認説よりも望ましいといえるの ではなかろうかと考える次第であると認知必要説を採られる@。
ω
中島玉吉教授は昭和二年五月七日の岡山地方裁判所の判決をめぐって(母の出生届がない事例)に対して母の出 生届がないのであるから民法の解釈としては法律上の母子関係は生じないと判決したのは正鶴を得たものと云わなけ れ ば な る ま い 。 然し法律の正文を離れて事実関係を綜合して見ると遠かに首肯し兼ねる点がある。 即ち被告たる女は戸籍吏に対しては母たることの意志表示はして居らぬとは云え裁判上に於てはその子を分娩した る事実を争って居らない。即ち其の女がその子を分娩したる事実を認めて居るに拘はらず法律上は母子の関係を生じ ないとするのであるから、何となく蹄に落ちない所である。けれどもそれは立法論に渉る嫌があるとして認知必要説 を採られている。⑬2
認知心要説
ω
中川教授は第七七九条は﹁嫡出子でない子はその父又は母がそれを認知することができる﹂と規定している。従っ て一見嫡出でない親子関係は、父についても、母についても、認知がなければ発生しないように考えられる。 しかし特殊な場合を除けば母子関係は分娩の事実によって明確なのであるから、特に認知をもってのみ親子関係が 発生するとなすべき必要はない。通常の場合には、母子関係は子の出生によって、当然発生すると解すべきである。 母の認知がなされるのは稀な棄児等の場合であろうが、この場合の認知も、むしろ母子関係の認知をみるべきではな 母 の 認 知 九沖 大 論 叢 四 0 いと主張され、問和三七年四月二七日の最高裁判所判決までの判例の態度が私生子とその母との法律関係は認知によ つてのみ生ずるという第一線をはりながら忽ち認知なしにも出生届さえあればよいとする第二線に後退しさらに扶養 関係については認知も出生届も必要でないという第三線まで後退してきた。このように判例が一歩一歩後退せざるを 得なかったのは結局最初の出発点に誤りがあったからに外ならないと批判されている。そして認知必要の挙げる特殊 な事例に対してはかかる特殊な事情を以って全般を律することは無理だと考えると反論なされている。⑮
ω
山中康雄教授は母子の親子関係の場合にはその存在を肯定すべき百パーセント確実な証拠として出生と云うことで 品 の ヲ 。 。 出生よりも確実性のひくい認知に対してそれを証拠に法的親子関係を形成する効果をみとむべきだとするならば、 出生に対しておなじ効果を否定すべき理由はまったくない。かくて母子親子関係は法的には出生によって当然に成立 するとせねばならない。 かく解すると母の認知を云うことがありうるかということが、問題となる。 けだし母の認知の場合には、それは母が自分が生んだ子なのだということの確認の意思表示なのであり、したがっ て法的親子関係の形成の効果は右の確認された出生と云うことにもとづいてはじめから成立していたということにな るのであり、認知という確認の意思表示にもとづいて遡及的に生ずるということではないのだからである。 母の認知は、その子は自分の生んだ子なのだと云うことの確認であるのであり、出生関係の容在ということについ ての証拠にほかならなぬ。 右のような証拠をつくりだすものという意味で母の認知ということをみとめねばならないが、しかし母子という法 的親子関係の形成は出生によると解すべくこの意味では、母の認知は棄子などのような場合しか必要がないことになると主張される。側
ω
柳瀬兼助教授は私生子を分娩した母が更にその子の認知を為すが如きことは通常の稀であるから、若し判例の知 く認知なき限り、親子関係なしとするならば、私生子の殆んど全部法上親を有せない結果となると判例を批判され、 民法第八三一条(現七八三条)には﹂父ハ胎内ニ在ル子外難モ之ヲ認知スルコトヲ得、此ノ場合ユ於テハ母ノ承諾ヲ 得ルコトヲ要ス﹂とあって父のみについて規定する若し母子関係にも認知を要するとするならば、母の胎児の認知も 父の場合と同様に肯定せねばならない。即ち胎児の認知の実益は、子の出生前父が死亡する虞れのある場合或は強制 認知の手段を採るが如き頬雑を避け得るに在る。しからばこのことは若し母の認知を必要とするならば、母の胎児の 認知も同様に許されねばならない筈である。 併し母が自ら懐胎する子を誰の子でもない自分の子であると認める意思表示を為すと云うが如きことは実に奇異な ことであり、叉法に何らの規定もないが第八三一条(現七八三条)には母の承諾を必要とし戸籍法第八二条(現四九 条)には母の氏名の記載を要求している。此の場合、母は勿論胎児の母であるが出生して若しその母が認知出生届を 為さぎる場合は出生と共に母でなくなると云う奇妙な結果になる。 故に理論は一貫せぬ虞はあるが、通常母関係は分娩の事実によって発生し、ただ棄子の知く誰が分娩したか不明な る場合母の認知を要するものと考えると主張なされている。ω
ω
松坂佐一教授は嫡出でない子と母との親子関係は子の出生によって当然に生ずる。けだし父子関係が慎胎という証 明の困難な事実にかかっているに反し、母子関係は分娩という明白な事実を伴うからである。 したがって棄子などの場合においても母の認知は母子関係の確認である。 子の母に対する認知請求は母子関係確認の訴の性質を有すると解すべきであると主張なされている。倒 母 の 認 知 四沖 大 論 叢 四 ∞青山道夫教授は嫡出でない子とその母との母子関係は分娩によって当然に生じとくに認知を必要としないと解して
. 、 、 。
eL 母の認知がされるのは稀に棄児などの場合であろうが、その場合の認知も母子関係の確認と解すべきである。第七七 九条に母が認知することができるというのはこの意味であると解かれている@。 次 に 認 知 必 要 説 と 当 然 発 生 説 と の 具 体 的 問 題 を め ャ っ て そ の 主 な る 相 異 を 述 べ る 認知必要説の第一根拠として挙げている経済上の困窮が社会的に出産を隠秘に附すべき特別の事情(例えば母の 姦通、未婚女子の出産)がある場合は其の認知制度は子の出生の秘密を蔽い朗かな成人を期すると云う点を主張され た。これに対して当然発生説の側からは次のような反論がなされている。先づ認知必要説が子の出生の秘密を蔽い かくすることに役立つ反面、子の犠牲において母の行跡の﹁秘密を蔽い﹂かくすことに役ちうることを軽視しまた 子の遺棄や虚偽出生届出などの違法行為の是認のうえに子を保護しようとするゆきすぎに陥ってはいけないだろ 工 うか。@ またその子の親のがわにその子の親であることを世聞にかくしておきたいいろいろの事情がありうるのである・: :::このような親の得手勝手ゃ、都合のための制度として認知制度を是認することは、もってほかのことである。 このような親の勝手をさせないために認知の訴の制度もあるくらいである。 またすでにのべたように婚姻によらぬ子について、母に出生届の議務をみとめているのである。他人の嫡出子として出生届をしてもらってその子がほがらかに成長してゆけるようにするということのために認知 なくて法律上の親子関係は成立せずと考えべ‘‘きであろうかこれも解釈上肯定しえぬことと思う。わが民法は、他人の 嫡出子として出生届をしてもらっても法的にはその人の嫡出子となると云う効果は生じない。このことは解釈上ほと んど異論をきかぬところである。そして利害関係人はいつでもその子がその人の嫡出子でないということの確認を訴 求しうるのである。 わが民法にはフランス民法のような出生証書と身分占有とが一致するかぎりなんびとも証書に記載された親子関係 の容在することを否定しえぬとする制度はないのである。 婚姻によらぬ子の不利益をふせぐと云うことのためには、別のしかたでなすべきであって、自然の血族による親子関 係があってもこれを法的に親子関係としてみとめないと云うやりかたでこれをなすべきではない倒
2
幼時要扶養の時は放置しておいているが成年になってから母から扶養の請求ができる点をめぐって認知必要説は 当然発生説によると母は分娩した母たることを立証して、当然に成年の子より扶養を求め得ることになるが、認知を 要するという見解によると、子が承諾をしなければ認知を得しえないから、子は扶養を欲しなければ認知に承諾をし ないであろうし、従って母は扶養を求めることができないことになる。 この当否が問題となる釈だが、幼児養育をせずに放置し他人に養わしめて成人した子に養われようというのが不当 であるとして成年子の認知に対する承諾を要件とるすものとすれば、父の場合と母の場合とを区別すべき理由はない のであるから、子が承諾せぬ限り扶養議務を負わずとする認知を認める解釈の方が民法の規定を生かす所以ではなか 母 の 認 知 四 ろうかと主張される。脚 これに対して当然発生説はこのことは婚姻による子についても生じうることである。そして私は右のような身勝手沖 大 論 叢 四 四 な親の事情は﹁扶養の程度叉は方法について、当時者聞に協議が調わないとき、叉は協議をすることができないとき は、扶養権利者の需要、扶養義務者の資力その第一切の事情を考慮して、家庭裁判所がこれを定める﹂ ( 八 七 九 条 ) ということにふくめて考慮せられるべく、 そのうえで右の子が扶養をなしうるだけの十分の余裕があるときはなお、 扶養義務を肯定することの方が結果において妥当だと考える・ものである。私には十分な資力をもっ子がいかに身勝手 な親であるにせよ、認知に対する承諾をこぱみ、扶養を拒否するのは好ましいこととは思わない。 もちろん右の親の身勝手さは﹁扶養の程度又は方法﹂(八七九条)の決定にあたって十分に考慮されるべきでみる。 この点では出生説の方が要認知説より結果において妥当である。帥 更に生母が嫡出子を﹁何人かに育て﹂させ、また﹁愛育の努力を為さ﹂なかった場合この母の扶養請求権や相続権 を否定すべきか否かの問題との比較考慮なしに、非嫡出子の場合だけ独立にそれらを否定しようというやや性急な議 論になっていないだろうか 考えようによっては、嫡出子の場合こそ、それらを否定すべき一層の理由があろう。側 中川教授も別の観点から反論なされている。 現に自から認知をも出生届をもしない母が自分の生んだ非嫡出子に対する扶養を拒んだ事例に対する大審院の判決 に対して、六審院は自分の掘った墓穴に落ち入らなければならない形になりながらも、扶養議務の関係│これは固よ り法律上の関係である
l
が発生するためには法律上の親子関係を要せず、単に分娩の事実さえ認ゆ,U
れていればいい といった。結論としては誰しも異論のないところだろうけれども、決して正しい理解とはいえ芯いであろう。スイス 民法第三O
二条が﹁嫡出でない親子関係は出生によってその母子の聞に発生する﹂といい、別に﹁父子の聞において は、認知または判決によって非嫡出親子関係を虫ずる﹂という表現を採っていることを想起すべきであろう。と主張されている。側 非嫡出子と母との閣の相続関係をめぐって要認説によると子は母の死亡後三年以内に限り認知の訴を促起し、そ の上で相続権を主張し得べく、一二年経過後は相続し得ず、また母は子に直系尊属がいる場合でないと死亡した子を認 知し得ぬから(七八三条二項)子を相続し得ぬこととなる。 3 以上要するに当然発生説は子をして生母の死後三年以上経過後に相続権を主張し得しめる点で子に利益となるが、 成年の子に愛育を受けず、母とすることを欲しないに拘らず生母を扶養する議務を負わしめ、また生母をして愛育の 努力をせずして子の相続に興らしめる点で当否探聞である。しかしその他の点では母子関係の法認につき認知手続に よるか直接に母子関係確認手続によるかの差異があるだけで、実際上の権利議務に大差を生じない。側 これに対して当然発生説は認知必要説の云うかようなことは非嫡出子のみならず嫡出子に関しても云えることであ って此の点から非嫡出子と母との関係を認知にかからしめることは妥当でないと反論する。またかような問題は、例 外 的 事 例 に 過 ぎ な い 。 しかし制度として考えるときに、その例外の場合の、しかも(前記のように)妥当とはいえない理由のために、一 般的に認知を要するという説を確立することには、到底讃成することはできない。近時の立法例に従い、しかも生ず るであろう弊害は、別の途で解決するように努めるべきではあるまいか。 更に認知必要説によると母の死亡後認知された場合は第九一
O
条(相続の開始後認知によって相続人となった者が 遺産の分割を請求しようとする場合において、他の共同相続人が既に分割その他の処分をしたときは、価額のみによ る支配の請求権を有する)によるので妥当な解決ができることになる。 ところが当然発生説によると遺産分割のすんだのちに被相続人(母)に婚姻外の子即ち非嫡出子がいたときにはそ 母 の 認 知 四 五沖 大 論 叢 四 ノ 、 もそも遺産の分割をしなおさなければならないその結果は甚だ不当のように考えられる。 しかしこれに対して当然発生説は、かかる場合には﹁遺産分割は﹁一切の事情﹂を考慮するという中にふくめて考 え、その結果第九一
O
条と同じ結果になることが可能だと反論する。@ 4 出 産 立 母が産後届出前に死亡した場合両説はどのように解釈しているだろうか。認知必要説によれば同居人、 会の医師産婆等が母を指示して出生届をなし︿戸籍法五二条)環境上母の認知意思を認めうる場合は母子関係を認め うるが、然らざる場合は、認め得ず法上の母子関係を生ぜしめないことが可能である。また母が生んだ子の認知を拒 否する場合は、利害関係人例えば現実の養育者、時には戸籍上父母となっている者などよりの申請により家庭裁判所 が選任した後見人が法廷代理人として認知の訴を提起し、その判決により始めて母子関係を法認せられる⑧ 当然発生説によればかかる手続は必要でなく、生んだ事実によって当然母子関係は生じることになる。ところが子 が真実の母に法律上の扶養その他の権利を主張するには、母子関係存否の判断を経るべきであるから、実際的には大 差 は な い こ と に な る 。 当然発生説をとる学者も母の認知を全く認めない立場と特殊な場合だけ母の認知を認める立場に分けられる。 前者の立場を狭轟の当然発生説と称し後者の立場を折衷説と称している。多くの学説は後者をとられている。 折衷説は、非嫡出母子関係は認知によってのみ生ずると解することから生ずる不都合を避けながら、しかも同時 に、民法の母の認知の文理を満足させるという機能を果している。 折衷説も認知を認める仕方の相違に応じてさらにこつの立場に分かれている。 第一の立場は例外として母の認知を必要とする場合は認知によって母子関係は創設されると解する。第二の立場は そのような例外の場合も認知は単に母子関係を確認するにとどまるに過ぎないと解するのである。即ち前者の立場をとると認知あるまでは母子関係はまだ存在しないであって認知あってはじめて母子関係はそこで 創設されると見るのである。ところがこれに対して後者の立場をとると、いかに特殊な場合でも認知前に母子関係は 出生と云う事実によってすでに害在するのであるがその事実不明のための立証として認知と云う意思表示が必要とな る と 解 す る 。 創設説は事実主義の貫徹という点では妥協的、不徹底的理論であると批判されている。通常の場合と棄児などの特 殊な場合とで法的母子関係の発生について区別を設けなければならぬほど血族の明瞭度に差があるといい切れるだろ うか。更に棄子のような例外の場合だけ母の認知は問題になるのであって一般の場合は母の認知ということは問題に ならない。そうなるとこの立場では問題を未解決のまま放置することになる。@
五
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以上母の認知をめぐる学説、判例、一戸籍実務上の例を考察してきたのであるが、 いづれの側に立っても現行法上の 解釈の面からは異論を生ずる。 要認知説でも現行法を形式的には説明は一応できたとしても、虚偽屈による親子関係を肯定するか否かと云う点に なると一貫した説明はできないのではなかろうか。 叉当然発生説による場合、民法の文理解釈上の問題点をどう処理するか。第七七九条の﹁又は母﹂第七八O
条の﹁ 叉は母片第七八三条二項の﹁又は母﹂等更に或は第七七六条、第七七七条によって事実関係のない母子親子関係の存 母 の 認 知 四 七-沖 大 論 議 四 i¥ 在の余地を残している。認知が事実の認知江らば、成年の子の認知の場合その子の承諾が認知の要件として規定し ている(七八二条。七八三条二項)等。 次に一体事実上の母子親子関係と法律上の母子関係とを分離しそれぞれに基づいた効果を肯定するということ色こ のましいことではない。すなわち、事実上の母子関係と法律上の母子関係は一致せねばならない。 そこでその事実関係不明の場合(棄子等)はその事実上の母子関係を立証して当然母子親子関係が生ずると解すべ き で あ る 。 かように解すると創設説は一貫性を欠くといわなければならない。 狭義の当然発生主義も現行民法上は無理だと考える。そこで母子事実主義を考慮しながら現行民法の条文上の意味 を生かして解する確認説が妥当だと解する。 日本民法がフランス民法をみならった結果であり、 法の母の認知制度は採用しながら、母と子の占有制度は採用しなかった点にある。 母の認知をめぐる対立は、もとをたどれば、 しかもフランス民 以上述べたように現行民法上は、いずれの学説によっても、非嫡出子と母との親子関係は充分に説明できない。 しかし母子親子関係の法律上の効果を法律上の母子親子関係の効果としてとらえ、法律上の母子関係を事実の親子 関係と一致せしめるべきである。この考えを肯定するならば折衷説の確認説がより妥当ではないだろうか。 いろいろな批判はあるにせよ、昭和三十七年の最高裁判所の判例は長い変遷の後、 一応此立場を採用したといえ る 。 l 谷 口 平 一 戸 籍 法 八 四 頁 八五頁
2 山 本 正 憲 良 商 雑 誌 五 O 、五(非嫡出子親子関係の発生﹀六八頁 谷口前掲八五頁 谷口親子法の研究八四頁 青 木 他 ・ 一 戸 籍 工 出 生
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一 七 八l
九 頁 谷巴戸籍法八六頁 本判決は当然発生説を採った原判決を破棄したのであるが、法律上の親子関係と事実上の親子関係の発生については、父と 母 と を 差 別 す る 乙 と な く 認 知 に よ る と し た 。 穂 積 量 逮 民 法 判 例 研 究 謙 一 八 O 頁、母の私生子を認知する乙とは泰子の様な他極めて稀である。父は即ち男であり、母は即 ち 女 で あ る と い う 大 事 実 が 果 し て 差 別 に 道 理 を 与 え な い だ ろ う か と 本 判 決 に 反 論 さ れ る 。 山 本 正 憲 民 商 雑 誌 第 五O
巻五号非嫡出親子関係の発生(七O
ニ 頁l
七O
三 頁 ) 穂積霊逮前掲論文 末 川 博 破 致 判 例 研 究 第 一 巻 二 二 ハ 頁 扶 養 義 務 関 係 と 法 律 上 の 親 子 関 係 と を 分 離 す べ き で な い 旨 反 論 さ れ る 。 長 沼 担 法 学 新 報 ニ 九 巻 一 O 号同意見 森一本富士雄法律学研究二五巻八号扶養の関係における母子関係と法的母子関係を別個に考えて色民法上論理として成り立ち う る 旨 述 べ ら れ る 末川新法律学演習講座親族法普及版一 O 五 頁 中 川 滞 立 命 館 法 学 九 頁l
一 O 一 頁 本 一 判 決 が ﹁ 原 則 ﹂ と い う 表 現 を つ け て い る の は 、 中 間 説 ( 折 衷 説 ) に た っ て い る 旨 折 衷 説 の 立 場 か ら 説 か れ る : : : 山 本 民 商 雑 誌 五 O 巻 五 号 よ り 転 用 門坂正人民法雑誌四八巻三号﹁母と嫡出子閣の親子関係と認知 本判決は条件付当然発生説に従っている点を指摘なされ、婚外母子関係はつねに分娩という事実によらて当然生ずると云う 立 場 か ら 本 判 決 に 対 し て 無 条 件 に は 賛 成 で き な い と 主 張 さ れ る 。 谷口知平親子法の研究九六頁註釈親族法三三四l
ゴ 一 三 五 頁 3 4 5 6 7 8 9 13 12 11 10 16 14 16 17 母 の 認 知 四 九沖 大 論 叢 五