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意欲・誠意の評価項目に対する大学生の肯定観 : 道徳教育の評価問題に関わる調査と考察 利用統計を見る

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(1)意欲・誠意の評価項目に対する大学生の肯定観 -道徳教育の評価問題に関わる調査と考察- How College Students Have Accepted Positively Evaluation Items of Motivation and Sincerity: Questionnaire Survey and Consideration Related to Evaluation of Moral Education. 梶 原 郁 郎 Ikuo KAJIWARA. 山梨大学教育学部紀要 第 28 号 2018 年度抜刷.

(2) 平成30年 (2018年) 度. 山梨大学教育学部紀要. 第 28 号 pp.221-232. 意欲・誠意の評価項目に対する大学生の肯定観 -道徳教育の評価問題に関わる調査と考察- How College Students Have Accepted Positively Evaluation Items of Motivation and Sincerity: Questionnaire Survey and Consideration Related to Evaluation of Moral Education 梶 原 郁 郎 Ikuo KAJIWARA [はじめに]本稿の課題と方法 本稿は、道徳教育の評価問題に関わる学生アンケート調査を踏まえて、意欲・誠意等の人格的要素 を含む評価項目がどのように受容されているのか報告・考察する。その肯定的受容の現状を大学生は 講義を通してどのように修正したのか、この点を含む本稿の報告は、大学生が自らの評価観によって 道徳教育を将来実践した場合の危険性を浮き彫りにして、教員養成学部・大学における道徳教育の授 業に対して、大学生に自らの評価観の対象視を促す講義内容の必要性を提示する。 「生きる力」を鍵用語として「総合的な学習の時間」を提言した 1996 年の中央教育審議会答申(以 下、中教審答申)は、竹内常一によれば、「新しい学力観」に「心の教育」を加算するものであった(1)。 1989 年告示の小学校学習指導要領(以下、要領)を境として登場した「新しい学力観」は、「知識・技 能を軽視または否定して、それにかえて主体的な学習の仕方の育成を強調する」方法主義・意欲主義 に立つものであった(2)。これが明示された文部省資料「小学校教育課程運営改善講座資料」(1992 年) の数年後、96 年中教審答申は、「自分で課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、よりよ く問題を解決する資質や能力」と「また自らを律しつつ、他人とともに協調し、他人を思いやる心や 感動する心など、豊かな人間性」とを併せて提示した(3)。ここに、【「生きる力」=「新しい学力観」+ 「心の教育」】の図式が教育課程の方針として打ち出された(4)。 この「生きる力」の育成は 98 年要領の「教育課程編成の一般方針」として位置づけられたが(5)、そ 「心の教育」を段階的に強化してきている。 (1) れ以降の要領は道徳教育を次のように強調することで(6)、 道徳教育を「道徳の時間はもとより」「学校の教育活動全体を通じて行うもの」としていた 89 年要領の 記述箇所は、98 年要領では「道徳の時間をはじめとして」と、08 年要領では「道徳の時間を要として」 と修正された。(2)この箇所を、2015 年告示の一部改正の要領は道徳を教科化した上で、「特別の教科 である道徳(以下「道徳科」という)を要として」と書き替えて、これは 2017 年告示の要領(以下、 新要領)に引き継がれた(7)。(3)08 年要領は「指導計画の作成と内容の取扱い」において「道徳教育の 推進を主に担当する教師」である「道徳教育推進教師」の設置を新たに求めたが、この点を新要領は 「道徳教育推進教師を中心とした指導体制を充実すること」と一層強調している(8)。 このように教育課程行政において道徳教育は段階的に強化されて「特別な教科」となったが、新要 領におけるその内容提示の仕方を、08 年要領のそれとの比較において見てみよう。新要領第3章の「特 別の教科道徳」では、「(A)主として自分自身に関すること」「(B)主として人との関わりに関するこ と」「(C)主として集団や社会との関わりに関すること」「(D)主として生命や自然、崇高なものとの 関わりに関すること」の四つの「内容」それぞれが、“徳目を明示する形式”で記述されている(9)。例 えば(A)では「正直・誠実」が、(C)では「伝統と文化の尊重、国や郷土を愛する態度」が全学年の 徳目として明示されている(10)。以上四つの「内容」は 08 年要領を踏襲したものだが、新要領は 08 年要 領とは異なり、“徳目を明示する形式”で「内容」を提示し直している。 - 221 -.

(3) 平成30年 (2018年) 度. 山梨大学教育学部紀要. 第 28 号. その「内容」の中でも、教師と児童との人間関係に直接関わる項目を新要領に見てみよう。(A)に 位置づけられている「正直・誠実」は本質的に(C)に直結している。新要領解説・道徳編は 08 年要領 のそれにはない、「自分自身に誠実に生きようとする気持ちが外に向けても発揮されるように配慮する 必要がある」ことを「指導の要点」としている(11)。その「外」には教師や他の児童生徒も含まれてい るはずであるから、「他の人の受け止めを過度に意識することなく」と限定されても「指導の要点」と されれば(12)、「外」への「誠実・誠意」が児童生徒へ“課せられる”ことに自ずとなる。他方(C)の 中の「よりよい学校生活、集団生活の充実」では、低学年が「先生を敬愛し」、中高学年が「先生や学 校の人々を敬愛し」とされている(13)。この点は、08 年要領をそのまま引き継いだものだが、新要領解 説・道徳編の「内容項目の指導の観点」は次のように修正されている(14)。08 年要領のそれが「それぞ れの内容項目の発展性や特質及び児童の発達の段階などを全体にわたって理解し、児童の学習が充実 するようにしていく必要がある」と記述していたのに対して、新要領のそれは「理解し」の後の文章 を「児童が主体的に道徳性を養うことができるようにしていく必要がある」と修正している。このよ うに同じ「内容」項目でも新要領は道徳教育としての扱い方を一層強調している。 以上のように新要領は、(a)“徳目を明示する形式”で道徳の「内容」を提示して、(b)「内容項目 の指導の観点」では道徳性の涵養に向かうように指示している。この点を踏まえるとき、道徳の教科 化に伴う評価の問題には一層慎重な検討が要求される。なぜなら(a)(b)が明記されたことで、教育 目標に徳目を入れて道徳性の涵養を設定するところまでも、「誠実・誠意」等が児童に形成されたかど うかを評価するところまでも、教師に求められかねないからである。したがって【人格的要素の強い 「誠実・誠意」等の徳目は評価できるのか・評価してよいのか】という評価論の起点に立ち返って、道 徳教育の評価の在り方を検討しておくことが一層求められてくる。 この道徳教育の評価問題に関わって本稿は学生アンケート調査を通して、意欲・誠意等の評価項目 が肯定的に受容されている傾向について報告・考察する。その肯定観を保持したまま教師になった場 合、学生は意欲や誠意等の評価を“善いこととして”行うであろう。したがって、人格的要素の強い 意欲や誠意等を評価した場合の問題点を学生に考えさせて、その肯定的な評価観を対象視させること が、教員養成学部・大学の講義に要求される。その講義内容を構想・実施した結果、肯定的な評価観 はどの程度修正されたのかについて、事前事後のアンケート調査結果を踏まえて報告する。そうした 講義を教育養成学部・大学が保障できない場合、肯定的評価観は将来教室に持ち込まれることになる。 [Ⅰ]意欲・誠意を評価することの問題点-教師と児童生徒間の潜在的カリキュラム- 本章では、意欲・誠意を評価することの問題点について考察する。意欲・誠意を評価することは日 常的・感覚的にはむしろ肯定されるべき事項と思われていると思われる。したがってその点が省察の 対象とされない場合、意欲・誠意の項目による児童生徒の評価は教師において肯定されかねない。そ の現実を想定すればこそ本章の考察が、特に人格的要素の強い誠意を対象として必要となる。 1. 意欲を評価することの問題点-潜在的カリキュラムとしての内面統制- 道徳の教科化によって評価の問題が大きく問われている現状を前に、まず「新しい学力観」の問題 を評価の観点から整理してみよう。「意欲・関心・態度による評価」を重視する「新しい学力観」は、 89 年要領を受けて改訂された指導要録(1991 年)「直後から文部省関係者によって声高に主張されはじ め」、文部省資料「小学校教育課程運営改善講座資料」(1992 年)に明確に示された(15)。ここに、「知 識・技能を軽視または否定して、それにかえて主体的な学習の仕方の育成を強調する」「新しい学力 観」への転換が明示され、「「知識・理解」「表現・技能」と「関心・意欲・態度」・「思考・判断」とを 切り離し」、後者が「学力または「学力の中核」」とされた(16)。この方法主義・意欲主義の「新しい学 - 222 -.

(4) 意欲・誠意の評価項目に対する大学生の肯定観. (梶原郁郎). 力観」は、91 年指導要録にそのまま反映されている。同要録では国語・社会・算数・理科において評 価項目は四つ用意されて、第一評価項目が「関心・意欲・態度」、第四評価項目が「知識・理解」とな り、1980 年版指導要録の順番を“逆転させる形”となっている(17)。 こうして意欲が評価の第一項目となり、それは現実にはどのような問題をもたらしているのであろ うか。この点について永山彦三郎は次のように自らの経験を述べている。「混乱ついでに僕がやった恥 ずかしい関心・意欲・態度評価方法を披露すると、まずこんなことをやってみた。その授業で何回挙 手するか、を子どもたちに記録させたのだ。〔----〕まったくのバカ教員である。考えてみれば挙手回 数なんてものは、わからなくても手を挙げればいいのだ。また手を挙げるという行為がすんなりでき る者もいれば、恥ずかしさやその他のもろもろの事情からなかなか挙げられない者もいる。それを点 (18) 。斎藤も報告している挙手回数による意欲の評価は(19)、後 数化する愚かさは僕自身もわかっていた」. 述のアンケート調査結果が示すように、教育現場に広く普及していった。 ここで私たちは“人間の問題として”次の問題を考えなければならないであろう。「新しい学力観」 に基づいて授業内容の理解よりも意欲や関心の評価が重視されるようになれば(20)、授業の中で児童生 徒はどのように振舞うようになるだろうか。例えば挙手回数で意欲が評価されると、児童生徒は全て ではないとしても、わかっていなくても手を挙げようとするだろうし、したがって当てられたらどう しようという不安を抱え込むことになるだろう(それは児童生徒の自業自得だという教師は、その前 にその評価方法の妥当性こそ一考すべきである)。現在の教室でもしばしば見受ける「忘れました」と いう、わからずに手を挙げてあてられた場合の対処法は、教室における児童生徒の「戦術」であろう。 またある学生の経験談によれば、わかっていない状態で挙手しても教師に当てられない「戦術」とし て、教師が他の児童(生徒)を当てようとする瞬間に挙手をしていた。このように全く余計なカケヒ キが、挙手回数による評価が実施された場合、教師と児童生徒との間に展開されかねない。 こうした意欲の評価が一年間続いたら、児童生徒の精神は知らずしらずにどのようになるのであろ うか(このように人間を洞察することは教師の資質・能力として要求されてよい)。まず授業では、教 師と児童生徒との間で展開される上述のカケヒキが一年間続けば、そのカケヒキは知識理解から離れ たところで進むので(これはそもそも知識理解を保障できる教師の場合の話であるが)、児童生徒の知 識理解が一層後退して、教師の振る舞いへの“敏感な反応”が身体化されることになろう。1993 年当 時のある中学生同士の会話を見てみよう。「(淳)水田なんかも、このごろ授業でよく発言するものな。 二年のときは、塾の内職ばかりしてたのにな。 (明)そりゃそうだよ。成績表に「関心・意欲・態度」っ ていうのがあるだろ。授業サボッていたら、そこで A とれないからな(21)」。さらに授業外でも、「関心・ 意欲・態度」の評価項目は児童生徒の内面を潜在的に囲い込むことになる。1993 年当時のある中学生 同士の会話では、成績表の「特別活動」の欄に〇が多いものは「内申が上がるんだぜ」という授業の 話題の外に、「掃除したら、何点くれるー」と教師に尋ねる話題まで日常化しはじめている(22)。こうし た児童生徒の新たな心の風景を前に、生徒が「評価に過敏に反応しているのは、かれらが中学校に入 学した 1991 年度から、この指導要録が実施されているからである」と竹内は指摘している(23)。 以上のように意欲自体は肯定されるべきものだが、意欲が評価項目となった場合、意欲は大きな問 題を孕んでくる。授業内外において教師に対して意欲を見せよう、進学に関わる問題として意欲を見 せなければならないという思いを児童生徒が年単位で続けた場合、児童生徒の心は知らずしらずのう ちに、教師に対して忠誠的に振舞うようになるだろう。上述の中学生の会話を引いて竹内が指摘する ように、生徒は「進路をまえにして、急に学校秩序に従順になっていく。いや、それどころか、既存 (24) 。そうした忠誠競争を意欲の評価が の学校秩序にたいして「すすんで」忠誠を表明するまでになる」. 生み出し推進する危険性は、教育に関わるものには本来一層認識されておいてよい。. - 223 -.

(5) 平成30年 (2018年) 度. 山梨大学教育学部紀要. 第 28 号. 2. 誠意を評価項目とすることの問題点-兵庫医療大学と愛媛大学の取り組み- 次に誠意を評価項目とすることの問題点に考察を進めよう。誠意は意欲に比して、一層人格的要素 の強い項目であるので、その評価項目化は本来なら回避されてよいはずである。 上述のように新要領は、 (a)“徳目を明示する形式”で道徳の「内容」を提示して、(b)「内容項目の 指導の観点」では道徳性の涵養に向かうように指示していた。「誠実・誠意」等の人間関係に直接関わ る徳目の評価は、児童生徒の内面統制に直結するので、道徳教育論において慎重に検討されておいて よい。「誠実・誠意」のような徳目それ自体は、私たちが望ましい人間関係を形成していく上で大切な 事柄であるが、それが教師と児童生徒の人間関係の中に持ち込まれるとなると話は別である。さらに それが評価の対象ともなれば、教師にそのつもりはなくても児童生徒は教師に誠実・誠意を見せなけ ればならない。その行動が一年間続けば、児童生徒の心の中に知らずしらずのうちに、教師への過剰 な適応様式が定着することになろう。指導要録(1991)の登場は児童生徒をこれまで以上に忠誠競争 に駆り立てるようになったという竹内の指摘は、「誠実・誠意」ともなると、意欲よりも人格的要素が 強いゆえに一層深刻な問題となる。したがって誠意等の評価は教育的に望ましくないと判断されるこ とから、道徳の教科化に際して文部科学省(2016)が提示した指導要録「参考様式」でも(25)、道徳の 評価の欄に徳目までは記述されていないものと思われる。 そうした内面評価の動向は、小学校社会の評価項目(通信簿)に「国を愛する心情」を導入する等 見られるが(26)、大学教育でも見られる。兵庫医療大学(2016)のある実践は、学生の「自律的な学習」 の形成を目的する授業改善の取り組みとして、 「学生のプレゼンテーションに対するルーブリック評価」 を報告している。「リハビリテーション学部2年生の科目である「運動学実習」では、学生に実習課題 のグループでのプレゼンテーションを課している。我々はその評価ツールとしてルーブリックを用い、 学生には事前にルーブリックを提示した上で、プレゼンテーションの準備をさせるという実践を行っ ている」として、ルーブリックの中に誠意の評価項目が次のように入っている(27)。「質問を正確に理解 しており、応答が的を得ている。応答は誠意を持っているものであり、やり取りが建設的である」が 「よくできました(5点)」、 「質問を正確に理解しているが、応答が的を得ていない。応答は誠意を持っ たものになっており、やり取りが建設的である」が「もう少し(3点)」とされている。 同様の評価は愛媛大学でも行なわれている。同大学の『大学での学びの入門』は「グループでのプ レゼンテーション能力評価シート(例)」を掲載して、「質疑応答」の評価において「質問を正確に理 解しており、応答が的を射ている。応答は誠意を持ったものとなっており、やりとりが建設的である」 が「よくできました(A)」としている(28)。「これを踏まえて本学部〔教育学部〕の新入生セミナー(授 業科目)のプレゼンテーションの評価項目では、「質問を正確に理解し、応答が的確である。誠意を もって応答し、やりとりが建設的である」が「A」評価とされていた。教育学・心理学的観点からこの 項目削除の指摘があった“後にも”、同項目が評価項目とされていたという事実は、同項目を評価項目 (29) 。ここにも、誠意を として肯定する教育学・心理学がスタンダードになっていることを示している」. 評価項目とすることは積極的に肯定されてよいという認識が示されている。 それを肯定しない教育学・心理学は、誠意を評価項目としたときの問題点を考慮する。その場合、 教師と児童生徒双方にそのつもりはなくても、教師は誠意を児童生徒に要求することになり、児童生 徒は誠意を“見せなければならなくなる”。その評価は児童生徒および学生を、教師に対して忠誠的に 振舞うように潜在的に「教育」することになろう。これは、上述の意欲以上に内面統制に直結する、 負の潜在的カリキュラムである。その水面下の「教育」が年単位で続いた場合、学生の心はどのよう に統制されることになるのか、この点は教員養成大学・学部においては特に問題とされてよいはずで ある。誠意・誠実を評価する環境を大学が作り、そこで「教育」された学生は将来、人格的要素の強 い項目が評価対象として挙げられた場合、躊躇なくその項目で児童生徒を評価するだろう。この事態 - 224 -.

(6) 意欲・誠意の評価項目に対する大学生の肯定観. (梶原郁郎). を想定すればこそ、道徳教育の評価項目の問題を思考(省察)の対象とする機会を学生に保障する必 要があるわけである(その思考は、誠意の評価が大学教育に浸透してきている現状を前に、大学教員 も含む教師に必要な能力・資質として求められてよい)。 [Ⅱ]意欲・誠意等の評価に対する学生の肯定観-道徳教育の評価問題に関わる調査- 本章ではまず、意欲や誠意等の評価項目に関する事前事後質問(アンケート)の内容と結果を提示 して、次に事前質問の結果(意欲・誠意等の評価項目の肯定的受容)について、その結果が修正され ないまま学生が将来教師となった場合を想定して考察する。なおこの調査は A 大学の学生 47 名(3年 生 41 名・4年生6人)を対象に、授業前と授業後に実施した(2013 年9月2日)。 1. 事前事後アンケートの内容と結果 事前事後アンケートの内容と結果は次の通りで、質問⑥は事後質問でのみ実施した。なお事後の回 答数が 46 名であるのは、授業時の退出者が1名あったことによる。 事前アンケートの回答結果(47 名) 【質問①】[挙手回数]で[意欲・関心・態度]を評価する評価方法についてどう思いますか。 ①[ ]望ましい評価方法と思う。 ②[ ]どちらかというと望ましい評価方法と思う。 ③[ ]望ましい評価方法とは思わない。 ④[ ]どちらかというと望ましい評価方法と思わない。 [③5名+④ 22 名]:27 名(57%) 【事前】[①2名+② 18 名]:20 名(43%) [③ 31 名+④ 13 名]:44 名(96%) 【事後】[①0名+②2名]:2名(4%) 【質問②】[本を何冊読んだか]で[意欲・関心・態度]を評価する評価方法について、どう思いますか。 ①[ ]望ましい評価方法と思う。 ②[ ]どちらかというと望ましい評価方法と思う。 ③[ ]望ましい評価方法とは思わない。 ④[ ]どちらかというと望ましい評価方法と思わない。 【事前】[①3名+② 17 名]:20 名(43%) [③9名+④ 18 名]:27 名(57%) 【事後】[①1名+②0名]:1名(2%) [③ 32 名+④ 13 名]:45 名(98%) 【質問③】(a)あなたが評価される側だとします。【誠意】を評価されることについてどう思いますか。 ①[ ]評価されても構わない。 ②[ ]できれば評価されたくない。 ③[ ]評価されたくない。 【事前】①:32 名(68%) ②:10 名(21%) ③:5名(11%) 【事前】①:3名(7%) ②:23 名(50%) ③:20 名(43%) (b)【誠意】を評価することについてどう思いますか。 ①[ ]誠意は望ましい評価項目と思う。 ②[ ]誠意はどちらかというと望ましい評価項目と思う。 ③[ ]誠意は、望ましい評価項目とは思わない。 ④[ ]誠意は、どちらかというと、望ましい評価項目と思わない。 [③6名+④ 19 名]:25 名(53%) 【事前】[①7名+② 15 名]:22 名(47%) [③ 39 名+④5名]:44 名(96%) 【事後】[①0名+②2名]:2名(4%) 【質問④】あなたが思う番号の[ ]に、○を記入して下さい。 児童・生徒が内向的な場合、教師は、児童・生徒が外向的になるように、 ①[ ]指導しなければならない。 ②[ ]指導するのが望ましい。 ③[ ]指導しない方が望ましい。 ④[ ]指導してはならない 【事前】[①0名+② 31 名]:31 名(66%) [③ 14 名+④ 2 名]:16 名(34%) 【事後】[①0名+②7名]:7名(15%) [③ 30 名+④ 9 名]:39 名(85%). - 225 -.

(7) 平成30年 (2018年) 度. 山梨大学教育学部紀要. 第 28 号. 【質問⑤】あなたが思う番号の[ ]に、○を記入して下さい。教師を目指している学生が内向的な場 合、大学教員は、その学生が外向的になるように、 ①[ ]指導しなければならない。 ②[ ]指導するのが望ましい。 ③[ ]指導しない方が望ましい。 ④[ ]指導してはならない。 [③ 10 名+④1名]:11 名(23%) 【事前】[① 12 名+② 24 名]:35 名(77%) 【事後】[①0名+② 13 名]:13 名(28%) [③ 26 名+④7名]:33 名(72%) 【質問⑥】挙手の回数で、意欲・関心・態度を評価されたことがありましたか(事後質問)。 ①あった:43 名(93%) ②なかった:3名(7%). 2. 事前アンケートの結果の考察 事前アンケートの結果を考察してみよう。まず【質問⑥】の結果(93%)が示すように、挙手回数 で評価された経験が広く見られる。この質問は、A 大学の学生 121 名を対象とした調査(2013 年 10 月 22 日)でも、108 名(89%)という結果であった。指導要録改訂(1991)によって「「子供の興味・関 心」が学校教育の最重要項目に躍り出たこと」が「一番のとまどい」であったと振り返り、永山は先 述の挙手回数による意欲・関心の評価が「愚か」で「不毛」であったと指摘している(30)。この評価方 法が、指導要録改定以降、広く普及していたことが【質問⑥】の調査結果からわかる。 その評価方法について学生は日常的・感覚的にはどのように思っているのであろうか。事前【質問 ①】の結果を見ると、挙手による評価方法について 20 名(43%)が肯定的に、27 名(57%)が否定的 に受け止めている。肯定的受容者の理由としては、教師による評価であるのでそもそも正しいと見な している、挙手する行動が児童生徒の意欲を促す効果がある等であろう。他方、否定的受容者の理由 としては、「考えてみれば挙手回数なんてものは、わからなくても手を挙げればいいのだ」という気づ き等であろう。肯定的受容者が、挙手回数による意欲の評価自体を思考(省察)の対象とする機会を 得なかった場合、将来教師になったときその評価方法を授業で使うであろう。この危険性があるから こそ、その機会が学生に保障されなければならないわけである。 次に事前【質問②】についてである。この結果は【質問①】同様に、20 名(43%)が肯定的に、27 名(57%)が否定的に受け止めている。肯定的受容者が、本の冊数による意欲の評価自体を思考の対 象とする機会を得なかった場合、将来教師になったときその評価方法を授業で使いかねない。この問 題点には、次のように省察の機会を与えれば、容易に気づくことができよう。学生 A は本を 10 冊「読 んで」レポートを書いてきたが、知識理解から程遠いのに対して、学生 B は本を1冊読んで、ひとつひ とつの知識を理解してレポートを書いてきた。 【「意欲」が知識理解に裏打ちされているかどうか】とい う観点を持っていれば、本の冊数で意欲を評価することの問題点に気づけるはずである(私たち大学 教員は学生 A の「意欲」をそのまま肯定するのではなく、「意欲」が知識理解に結びつくように指導す ることが望ましいはずである)。それに気づくことなく学生が教師になった場合を想定すれば、意欲の 評価の仕方を講義内容とすることが求められてくる。 次に事前【質問③】についてである。(a)では 32 名(68%)が、誠意を評価されることへの肯定観 を、(b)では 22 名(47%)が、誠意を評価することへの肯定観を示している。この肯定観は、次の一 般的事項(1)が(2)に無意図的に持ち込まれて形成されているのであろう。 (1)私たちが社会の中で 対人関係を望ましく形成していくには、誠意は必要な要素である。(2)教師が誠意を評価項目とすれ ば、教師は児童生徒に誠意を要求することになる、つまり、教師にそのつもりはなくても、児童生徒 の立場からすれば、児童生徒は教師に誠意を見せなければならなくなるだろう。両者を区分して(2) の問題を思考の対象にできない場合、学生は将来教師になったとき、そして指導要録に誠意等の人格 的要素の強い評価項目が登場したとき、児童生徒の誠意を評価することになりかねない。したがって - 226 -.

(8) 意欲・誠意の評価項目に対する大学生の肯定観. (梶原郁郎). この点もまた、学生に考えさせることが求められてくる。 最後に事前【質問④⑤】についてである。【質問④】では 31 名(66%)が、児童生徒の内向性を指導 対象とすることへの肯定観を、【質問⑤】では 35 名(77%)が、学生の内向性を指導対象とすることへ の肯定観を持っている。これも上述の誠実同様に、社会の中で対人関係を望ましく形成していくには 外交的である方がよいという思いからきているのであろう。仮にそうであったとしても、児童生徒の 内向性が外向性に変容するように教師が児童生徒に働きかけることは、倫理的な問題として、容認で きないはずである。この点を問題として考える機会がなければ、学生は将来教師となったときに、児 童生徒の内向性に変容を迫る「指導」をしかねない。このことが【質問④⑤】の結果は示している。 この問題について教育心理学者の宇野は、「教師が勝手に学習者のパーソナリティをよいとか悪いと判 断し、治したほうがいいという権利があるのだろうか(31)」と指摘している。何となく外交的な方がよ いという日常的な「判断」を思考の対象とすることが、将来教師となる学生には求められる。 以上のように四割以上の学生が挙手回数等による意欲の評価について、五割近くの学生が誠意を評 価対象にすることについて、肯定的に受容している。特に内向性の指導については、六割以上の学生 が肯定している。「子どもの内心を評価していないか(32)」という懸念を教師は本来すべきであるが、こ の肯定的受容が大学教育で修正されない場合、将来学生は、意欲・誠意さらには外向性の評価を望ま しいこととして、それらを評価しかねない。意欲・誠意さらには外向性を見せなければならないとい う心理的圧力は、児童生徒の内面を圧迫することになる。この負の潜在的カリキュラムを想定すれば こそ、道徳の評価に関する講義内容が要求されるわけである。 [Ⅲ]意欲・誠意等の評価に関する講義内容-事後における学生の評価観の変容- 本章では、意欲や誠意等の評価項目に関する講義内容を提示して、事後における学生の評価観(前 章)はどのような講義を通して変容したのかを報告する。それは、意欲や誠意等の評価の問題点を学 生に考えさせた内容であるが、授業記録はとっていないので、同内容の発問を学生がどのように考え た結果、事後の変容がもたらされたのかまでは述べることはできない。 まず、事前アンケートの【質問①】に関して次の発問を用意した。 (1)教師が挙手回数で意欲を評価 すれば、児童生徒は授業中どのように振舞うようになると思いますか。 (2)わからないときも手をあげ る児童生徒は当然出てくると想定されます。その場合、児童生徒の注意の対象はどこに向けられるこ とになるでしょうか(注意の対象は授業内容にではなく、教師の振る舞い(教師は誰を当てようとし ているか)に向けられるだろう)。(3)その児童生徒の振る舞いが一年間続いたら、児童生徒はどのよ うな心の習慣を身につけてしまうでしょうか。以上の発問を学生に考えさせた後、筆者は(3)につい て次のように説明した。その場合、児童生徒は教師の振る舞いに敏感になり、過剰に順応する習慣が 知らずしらずに形成されよう。この負の心の習慣形成は、教師が意図しているわけではないだろうが、 現実に起きてくる問題である。したがって余計にその留意が教師には要求される。 次に、【質問②】に関して次の発問を用意した。(1)学生 A は本を 10 冊「読んで」レポートを書いて きましたが、レポートは知識理解から程遠いものでした。これに対して、学生 B は本を 1 冊読んで、ひ とつひとつの知識を理解してレポートを書いてきました。あなたが学生 A だったとします。あなたのレ ポートを指導教官が「優」と評価した場合、あなたはうれしいですか。(2)今度はあなたが学生 A の指 導教官だったとします。あたなが学生 A に「優」の評価を与えることで、学生 A に学力を保障したこと になるでしょうか。(3)知識理解から離れた意欲は意欲と呼びうるでしょうか。その意欲は学生 A に学 習を継続させうるでしょうか。以上の発問を学生に考えさせた後、筆者は【知識理解から離れて意欲 は形成されない】という立場から次の纏めを行った。私たち教師は、児童生徒が知識を理解できるよ うに援助しなければならないだろう。したがって学生 A には、知識理解の援助を通して、表面的な意欲 - 227 -.

(9) 平成30年 (2018年) 度. 山梨大学教育学部紀要. 第 28 号. が実質的な意欲に変わりゆくように援助しなければならないだろう。私たち教師は児童生徒や学生に 対して「意欲がない」といいがちだが、【知識理解の“前に”意欲がまずなければならない】という観 念に無意識にも支配されてはいないか。 次に【質問③】に関して次の発問を用意した。(1)世の中で望ましい人間関係を形成していく上で、 誠意は必要な要素です。この一般論から、誠意は評価項目としてよいということになるでしょうか。 (2)誠意を評価することは、児童生徒の望ましい内面形成に資するのでしょうか。 (3)誠意が評価項目 となった場合、児童生徒は教師にどのように振舞うようになるでしょうか。(4)ある教師が、自らへ の礼儀正しさが確認された場面の数によれば、児童生徒の誠意を「評価できる」と主張したとします。 その主張をどう考えますか。以上の発問を学生に考えさせた後、次の纏めを行った。私たち教師が評 価項目をチェックする場合、【評価できるのか】に加えて【評価してよいのか】という観点が必要とな る。仮に礼儀の回数で“評価できる”としても、それは児童生徒の内面を望ましくない方向(教師に 過剰に順応するようになる心の習慣の形成)に導くと予想されるので、“評価してはならない”。 最後に【質問④⑤】についてである。事前の結果には、日常的・感覚的な意識において内向的より も外交的である方が望ましいと学生が思っていることが示されている。この点の自覚的な思考を促す ために次の発問を用意した。(1)産業社会が外交的な人材を求めてきた場合、それに応えるために学 校は、児童生徒が外向的になる教育をしなければならないのでしょうか、あるいはした方がよいので しょうか。 (2)児童生徒が内向的な場合、私たち教師は児童生徒が外向的になるように、児童生徒の内 面に働きかけてよいのでしょうか。 (3)指導要録に「外向性」という項目が登場した場合、児童生徒が 外向的になるように教師は「教育」しなければならないのでしょうか。以上の発問を学生に考えさせ た後、次の纏めを行った。外向性は内向性よりも日常的・感覚的に望ましいと思われているだろうが、 その考え方で「教育」が行われれば、教師は特に内向的な児童生徒に心理的圧迫を与えることになる。 したがって外向性についても、誠意同様に、【評価できるのか】と【評価してよいのか】という二つの 観点から私たち教師はチェックする必要がある。 以上の講義内容を通して、事前質問における意欲と誠意等の評価に対する肯定観は、前章の数値の 範囲において事後に変容した。【質問④】の選択肢①あるいは②の回答者7名(15%)、【質問⑤】の選 択肢①あるいは②の回答者 13 名(28%)が事後に残った点は、講義内容の再検討を求めているととも に、内向性より外向性の方が社会的に望ましいという「常識」の根強さを示していると思われる。事 前に広く見られた上述の肯定観に対して、大学の教員が何の指導もできない場合、学生はその肯定観 にしたがって将来、児童生徒を評価することになりかねない。この危険性は、学生の誠意を評価する 大学の実践の中で「育った」学生であれば、一層増幅することになる。こうした事態を想定すれば、 そして道徳の教科化によって児童生徒の内面への教師の踏み込みが一層懸念されれば、児童生徒の内 面に関わる評価項目に対する大学の指導が一層問われてくる。 [おわりに]本稿の総括-機械的学習の「知育」は徳育をどのように規定するのか- 以上本稿はまず、意欲・誠意等の人格的要素を含む評価項目が学生に肯定的に受容されている現状 について、次にその現状が、意欲・誠意等の評価の問題点を問うた講義後、どの程度変容したのかに ついて報告してきた。これは、道徳においても評価を求めるようになった新要領を前にした次の課題 意識に基づいていた。その肯定的受容を学生が問い直す機会を大学が与えることができない場合、あ るいは肯定的受容を助長するように大学が学生を「教育」した場合、将来教師として学生は、意欲・ 誠意等の項目で児童生徒を評価することに躊躇わないであろうし、むしろ児童生徒にとって望ましい という思い込みの中で評価するであろう(これは教師が「よかれ」と思って児童生徒を負の方向に 「導く」点で【善意の詐欺】と呼ぶことができよう)。その自然な思い込みが大学教育の中で放置ある - 228 -.

(10) 意欲・誠意の評価項目に対する大学生の肯定観. (梶原郁郎). いは強化されれば、教師は自らの意図にかかわらず、児童生徒の内面を囲い込むことになる。この負 の潜在的カリキュラムは、大学でも学生の誠意を評価する実践が出てきている中、もはや正の顕在的 カリキュラムと見なされている可能性さえあるが、教育学・心理学の知見としての評価論を学習して おくことが大学教員には求められる。 ここに本稿の役割を終えて、徳育重視の教育課程行政に関わって二点述べておきたい。第一に、徳 育重視は経済界の要求とどのように対応づいているのであろうか。近年の教育課程行政における道徳 教育の強化が新自由主義政策の一環であることは多くの論者が指摘するところである(33)。規制緩和・ 市場開放等の用語で要約される新自由主義政策が 1990 年代以降、顕著に進められる背後で、義務教育 の短縮化が経済界から「勉強嫌いをいつまでも学校に引っ張り、やる気と自信を失わせ、いたずらに 不登校を増やし、教師に苦労をかける無駄は、十二歳で打ち止めとしたい。義務教育=強制教育の短 縮に踏み込むべきである」と提言されている(34)。さらに教育課程の中身にも立ち入って、「小学校での 教科については、倫理・道徳および日本の歴史に関する科目を充実させるとともに社会奉仕活動も取 り入れ、日本社会で活動する上で必要な基礎学力の修得と健全な社会性の育成に配慮する」と併せて 提言されている(35)。これに呼応するかのように、教育課程審議会の会長を務めた三浦朱門(2000)は 「できん者はできんままでけっこう」として、「できる者」の教育を強調した(36)。この提言に、「リー ダーとなり得る人材」育成を目的とする中高一貫校の整備は対応づいている(37)。 その義務教育短縮の提言に合致するかたちで三浦は、「できん者」には「実直な精神」だけを養わせ るという方針を加えているが(38)、そこには新自由主義政策における次の役割を看取できる。佐貫によ れば、新自由主義によって底辺層の貧困と社会の階層化が生み出されるために、国内治安強化が課題 となるので、教育に「国家主義やナショナリズム」の養成、さらには「社会秩序維持のための国民統 合の役割」が託されることになる(39)。「社会の底辺層に対しては公への奉仕や愛国心が強調され、社会 (40) 。 の上層に対しては「公共」の積極的な担い手としての社会参加やボランティア活動が強調される」. こうして「国を愛する心」の育成を掲げる道徳教育には、「できん者」に対しては社会秩序を乱さない 「実直な精神」を涵養する役割を(41)、他方で「できる者」に対しては国家主義に枠づけられた「市場主 義的競争人モデル(42)」の育成の役割を担わされることになる。このように新自由主義の経済政策に、 近年の教育課程行政における道徳教育の段階的強化は対応づいてくる。 第二に、徳育と知育とのある関係についである。拙稿において筆者は、知識を活用できない知識蓄 積型の「知性」は権力者の指図を受け入れやすいという「知性」と態度との内的関係を提示した(43)。 デューイに依拠したこの知見は次の根拠に基づいている(44)。「知識蓄積型が、教授された知識の真偽を 検証できないのに対して、知識活用型は、教授された知識をそのまま記憶するのではなく未知に適用 (活用)して、知識の真偽を絶えず自分でテストする。したがって知識の受容における“慎重さ”が習 慣化されるので」、知識を活用できる知識活用型の知性は、外部の情報を鵜呑みにしない。この点で知 識活用型の知性形成は民主的な態度形成の基盤となる。この点を踏まえれば、教科の知識を児童生徒 が理解・活用できるように教師が授業をできるかどうかという問題は、民主的な態度形成を保障でき るかどうかという問題に直結している。このように知育の中身は徳性の在り方に関わる。 この点を踏まえるとき、私たち教師の教科の学力の水準は、児童生徒の態度形成の問題との関わり においても見ておかなければならない。教育内容研究から離れた教育方法・形態「研究」が定着して いるわが国の教育課程「研究」の伝統の下では(45)、教師自らが教科の知識理解に取り組むという発想 そのものが定着しにくい。したがって機械的学習は古今広く見られ、改善されないことになる。筆者 が近年参観した次の授業は、筆者の小学校時代の授業と同様に機械的学習のままである。 (1)新出漢字 をひとつひとつテレビモニターに映し出して、モニターが示す書き順に合わせて、児童が空中に漢字 を書く。 (2) 「600÷20」の筆算の“仕方”が教師から児童に説明される。こうした現状を改善するには、 - 229 -.

(11) 平成30年 (2018年) 度. 山梨大学教育学部紀要. 第 28 号. 読書算は本来暗記の対象である(読書算は思考して学習するものではない)という読書算観を対象化 した上で、教師自身がまず教科の知識理解に取り組むことが必要条件となる。 この点を踏まえて、院生における教科の知識理解の現状をひとつ提示してみよう。将来教師を志望 する学生と教師とを含む大学院生を対象に、筆者は二つの大学で次のアンケートを行った。その内容 と結果は次の通りである(実施時期は明示しないかたちで提示する)。 【問題】①6÷2/3の例題を作って下さい。②「6÷2/3」を「6×3/2」として計算する理屈を、 上の例題に基づいて具体的に説明して下さい。 A 大学の院生 25 名. B 大学の院生 13 名. ①例題を提示できた:12 名(48%). ①例題を提示できた:2名(15%). ②計算の仕方の意味を説明できた:0名(0%). ②計算の仕方の意味を説明できた:0名(0%). この結果は次の点を明らかにしている。 (a)第三者によって計算の仕方の意味理解を保障してもらえな ければ、大人も児童同様に、いつまで経ってもその意味は理解ができない(その保障が大学教育でな されていない可能性が示されている)。(b)現職教員の院生の場合、計算の仕方を教える技能主義に分 数除法の授業が留まっている。分数除法の授業の経験者は、技能主義を改善すべく自らの知識理解を 問い直す作業を行いえていない。 (c)学部から進学した院生の場合、技能主義の授業しか将来できない。 (d)計算の仕方の意味理解という観点から例題を検討したことがない。当然ながら教師が計算の仕方 の意味を理解していなければ、「6×3」と「18 ÷2」とが何を意味するのか、あるいは「6÷2」と 「3×3」とが何を意味するのか児童に問うことはできない。こうした教科の知識理解に関する現状 は、分数の場合に限らない調査結果も踏まえて(46)、深刻に受け止められてよい。この現状認識を、知 育の中身は態度の在り方、広く徳性の在り方を規定するという図式の下、促しておきたい。 ここに院生の現状の一端を見るとき、教員養成学部・大学の教員には、学生・院生の教科の知識理 解の現状把握に取り組むことが求められてくる。この作業も方法主義の風土の下では大きく立ち遅れ ることになるが、それは、教科の知識理解を学生・院生に保障することが大学の授業の本来の目的あ るならば、不可欠な作業である。なぜなら学生・院生の教科の知識理解の水準が分からなければ、授 業内容とすべき知識の選択も検討もできないからである。学生・院生が「6÷2/3」の計算の仕方の 意味を理解できていれば、そして授業ができる状態にあれば、それ以外の知識を大学の授業で取り上 げる方が生産的である。特に機械的学習の授業が習慣化している教師においては、自らの教科の知識 理解の現状を認知できていない危険性があるので、その認知を促すためにも、現状把握が必要となる。 【註】 (凡例:以下、(1)『小学校学習指導要領(2008 年3月告示)』(東京書籍 2008 年)は『08 年要領』、『小学校学習指 導要領(2017 年3月告示)』(東洋館出版社 2018 年)は『17 年要領』、その他の小学校学習指導要領は 98 年要 領のように略記する。(2)2008・2015・2017 年告示以外の指導要領については「学習指導要領データーベース (http:// www.nier.go.jp/www.nier.go.jp/yoshioka/cofs_new/)を参照している。その参照箇所は、98 年要領第一章「総 則」の場合、データーベースアドレスに続く「h10e/chap1.htm」のみを表記し、他の場合も同様とし、検索日 (2011 年7月 11 日)は省略する)。 (1)拙稿「教育課程行政における意欲主義の展開-意欲の次にくる評価項目-」 『愛媛大学教育学部紀要』第 62 号、 2015 年、15-16 頁。 (2)竹内常一『日本の学校のゆくえ』太郎次郎社、1993 年、157 頁。 (3)前掲拙稿、15 頁。 (4)竹内常一『いまなぜ教育基本法か』桜井書店、2006 年、57 頁。 - 230 -.

(12) 意欲・誠意の評価項目に対する大学生の肯定観. (梶原郁郎). (5)98 年要領(h10e/chap1.htm)。 (6)89 年要領(h01e/chap1.htm)、98 年要領(h10e/chap1.htm)、『08 年要領』13 頁。 (7)15 年要領(http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/youryou/__icsFiles/afieldfile/2015/03/26/1356250_1.pdf(2015 年6月 17 日閲覧))、『17 年要領』17 頁。 (8)『08 年要領』、105 頁、『17 年要領』、170 頁。 (9)『17 年要領』、165-170 頁。 (10)同上、165、169 頁。 (11)文科省『小学校学習指導要領解説・道徳編』廣済堂、2018 年、31 頁。 (12)同上、31 頁。 (13)『17 年要領』、168-169 頁。 (14)文科省『小学校学習指導要領解説・道徳編』東洋館出版社、2008 年、39 頁、前掲『小学校学習指導要領解説・ 道徳編』(2018 年)、26 頁。 (15)竹内、前掲(1993)、151、157、181 頁、前掲(2006)、55-56 頁。 (16)竹内、前掲(1993)、157 頁。 (17)田中耕二(編)『小学校新指導要録改訂のポイント』日本標準、2010 年、154-155 頁。 (18)永山彦三郎『現場から見た教育改革』筑摩書房、2002 年、31 頁。 (19)斎藤貴男『教育改革と新自由主義』寺子屋新書、2004 年、75-76 頁。 (20)同上、75、120 頁。 (21)竹内、前掲(1993)、109-110 頁。 (22)同上、109 頁。 (23)同上、111 頁。 (24)同上、111 頁。 (25)文科省(2016)「各設置者における指導要録の様式の設定に当たっての検討に資するための指導要録の参考様 式」 (http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/nc/__icsFiles/afieldfile/2016/0823/1376204_1.pdf(2018 年6月1日閲覧))。 (26)「福岡市の「愛国心」通知表 心のうちどう評価」朝日新聞(2002 年 12 月 19 日朝刊)。 (27)平上尚吾・宮本俊朗「学生のプレゼンテーションに対するルーブリック評価の取り組み」『兵庫医療大学紀要』 第4号第2巻、2016 年、35-39 頁。 (28)『(愛媛大学版)大学での学びの入門』2013 年(初版 2007 年)、48 頁。これは 2014 年度版(48 頁)、2015 年度版 (50 頁)も同様となっている。 (29)前掲拙稿、21 頁。 (30)永山、前掲、37、44-45 頁。 (31)宇野忍(編)『授業に学び授業を創る教育心理学』(第 2 版)中央法規、2002 年、26 頁。 (32)「道徳の「教科化」で初めての通知表」『AERA』(No.36)朝日新聞社、2018 年7月 30 日、67 頁。2018 年度の 第一学期の通知表は、道徳が教科化されて初めてのものであった。ある二十代の小学校教師は「慎重に言葉を選 んでいるつもりだが、子どもの内心を評価していないか、線引きが難しい」と指摘している。そして「校長から 「踏み込みすぎでは」と指摘され」た。この教師と校長には、児童生徒の内心は評価してはならないという観点 が所有されている。これが教師の常識ではなくなっている危険性を前章の大学の実践事例は示している。 (33)渡辺治「支配層の 21 世紀戦略と教育改革」『教育』国土社、1997 年9月、6-17 頁、佐貫浩『新自由主義と教 育改革』旬報社、2003 年、斎藤貴男『教育改革と新自由主義』寺子屋新書、2004 年、竹内常一『今なぜ教育基 本法か』桜井書店、2006 年。 (34)京都経済同友会・日本の教育と社会問題を考える特別委員会『世紀末の日本と教育改革-緊急提言-』2000 年 9月、14-15 頁。 (35)同上、1頁。 (36)斎藤、前掲、25 頁。 (37)同上、23 頁。 (38)同上、25 頁。 - 231 -.

(13) 平成30年 (2018年) 度. 山梨大学教育学部紀要. 第 28 号. (39)佐貫、前掲、36-37 頁。 (40)同上、98 頁。 (41)この点に関わる見解として、「経済同友会の教育委員会で長年副委員長を勤めた」原禮之助(元セイコー電子 工業社長)は「工程管理の様子」の見学を振り返り、次のように述べている。 「僕はそれで初めて、ああ、エリー トでない人たちが企業を、社会を支えているんだなと思ったものでした。優秀な子を伸ばす教育は必要だと思う けど、“ノン・エリートのモラルを崩壊させでもしたら”、“エリートによるコントロールなど効かなくなる”懸 念があります」(斎藤貴男『機会不平等』文藝春秋、2000 年、37 頁)。 (42)佐貫、前掲、36 頁。 (43)拙稿「学習指導要領(2008)の新自由主義的性格-知性の形態と態度の形態との内的関係-」『東北教育学会 研究紀要』第 19 号、2016 年、8-10 頁。 (44)同上、9頁。 (45)この方法主義の風土について石井は次のように述べている。わが国では「教材づくりや授業展開の構想といっ た , 授業“方法”レベルでの工夫(どのように教え学ぶのか)に視野が限定されがちです。しかし、教科内容の 選択と組織化といった、カリキュラムレベル(何を教えるのか)でもそれは問われねばなりません」(石井英真 『今求められる学力と学びとは-コンピテンシーベースのカリキュラムの光と影-』日本標準、2015 年、34 頁)。 (46)その調査から数例提示しておこう。(1)まず、大学生における算数・数学の知識理解の調査である。A 大学教 育学部の1年生 129 名において(2013 年4月 18 日)、「0×2」の例題提示ができたのは 65 名(50%)で(拙稿 「0の段のかけ算の学習援助-授業内容の構想とその効果-」(『教授学習心理学研究』第 11 巻第2号、2015 年、 74 頁)、A 大学理農学部の3・4年生 47 名において、y = 0 の事例提示ができたのは 12 名(26%)、「y = x2 + 2」 の微分で定数項が消える理由を説明できたのは0名(0%)であった(2013 年5月 21 日)。(2)次に、大学生に おける理科(小中学校)の知識の活用経験の調査である。「小学校・中学校で習った理科の知識の中で、生産技 術の中で使われている知識をひとつ挙げ、その知識が使われている生産技術も書いて下さい。回答例のように具 体的にわかりやすく答えて下さい。なおふたつ書ける人はふたつ書いて下さい。(例)直列・並列回路の知識: 教室の電気は並列回路で配線されている(したがってスイッチをひとつ切っても電気は全部消えない)」、この質 問を筆者は、A 大学教育学部の2年生 106 名を対象に実施した(2015 年 10 月 27 日)。この質問に二つ回答できた 学生は0名(0%)、一つ回答できた学生は5名(5%)であった。例えば「液体の蒸発と結露:石油を蒸発さ せる温度の違いで、レギュラー・ハイオク等に分ける」という回答は、沸点の違いを利用して原油をガソリン・ 灯油等に分ける分留を答えたと判断して、妥当な回答とした。5名の数値はそうした回答も含めての結果である (拙稿「普通教育論の視座からキャリア教育を問い直す-理科教育を通した「職業教育」の内容と方法-」『教育 方法学研究』第 42 巻、2017 年、4頁)。(3)最後に、 「総合的な学習の時間」における理科と社会の知識の活用 経験に関する調査である。これを筆者は A 大学教育学部の1年生 128 名を対象に実施した(2013 年4月 18 日)。 まず「あった」「なかった」の二択式で尋ねた後、「あった」の回答者に、どのような場面でどのような理科・社 会の知識を活用したのか記述式で回答させた(拙稿「総合学習と教科学習とを関係づける経験の現状調査-「も の作り総合学習」の実施率と大学生の総合学習観-」 『愛媛大学教育学部紀要』第 63 号、2016 年、42-45 頁)。そ の記述において「[知識]植物の一生、[場面]米作り・麦作り」、「[知識]戦争などの歴史、[場面]地域の歴史 を調べるときに活用した」というように、漠然としたものが多く、それらは「なかった」者として集計した。そ の結果、理科と社会の知識活用の実質的経験率は理科で7名(5%)、社会で4名(3%)であった。理科と社 会それぞれで複数の活用事例が挙がっていないこと、小中学校で取り上げられる理科と社会の知識は相当数にの ぼることを踏まえれば、調査結果の数値の深刻さがわかるであろう。以上三つの調査結果は、教科の授業が機械 的学習に停滞していること、教師も児童生徒も教科の知識を理解して活用できるようになることは難題であるこ とを示している。この課題には授業の方法・形態の「研究」では対応できないので、教育界における方法主義 (石井、前掲、34 頁)の風土の下では、同課題は放置されることになる。ここに方法主義の問題を認知した上で、 授業の方法や形態ではなく内容に力点を置いた教育課程の必要性が大学教育でも問われてくる。. - 232 -.

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参照

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