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第22回淑徳大学社会福祉研究所企画 : 健やかに生きる : 病い,老いとともに

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Academic year: 2021

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[講演録]

第22回淑徳大学社会福祉研究所企画

健やかに生きる

──病い,老いとともに──

講師:木 村 登紀子

はじめに

ご紹介にあずかりました木村登紀子でございます.本日は,悪天候が予想されるなか,よくお 越しくださいました.この講演では,途中でお手を拝借したりロールプレイが入ったりする予定 がありますが,どうぞ,ご一緒によろしくお願いいたします. ご案内のチラシには,おおよそ次のように記しました.「人間は,どんなに健康であっても, いつかは死ぬという運命を背負っている.その中で『健やかに』生きるとは,どういうことなの か.」それが大きな問いになる.そして,「思うに任せない事態に遭遇したときに,人はどのよう な心理的反応をするのだろうか.病者として,老人として,家族や友人として,あるいは支援者 として,自分も相手も健やかに生きるには,どの ような心の在り方,寄り添い方,支え方があるの だろうか」と.これが,今日のテーマになります. 「健やか」ということを,辞書的に見ますと, 「丈夫なさま」「健康であるさま」「しっかりして いるさま」などと書かれています.それから,W HOの健康の定義,本文は英語ですけれど,日本 WHO協会では,最近,次のように訳し直してい ※ 聖路加国際大学名誉教授,いちかわ野の花心理臨床研究所所長  この原稿は,平成30年7月7日に千葉市美浜文化ホール/メインホールで開催された第22回社会福 祉研究所企画「健やかに生きる──病い,老いとともに──」にて行われた講演の録音による記録を 書き起こし,講演者によって編集されたものである. ே«䛔䛴䛛䛿Ṛ䛼䛸䛔䛖㐠࿨ 䛂⑓䛔䛃䛂⪁䛔䛃 ‡ ᛮ䛖䛻௵䛫䛺䛔஦ែ䛻㐼㐝䛧䛯䛸䛝䚸 ே䛿䚸䛹䛾䜘䛖䛺ᚰ⌮ⓗ཯ᛂ䜢䛩䜛䛾䛷䛧䜗䛖䛛䚹 ‡ 䛭䜜䜢䛹䛾䜘䛖䛻䛧䛶⌮ゎ䛧䛯䜙䜘䛔䛾䛷䛧䜗䛖䛛䚹 ⑓⪅䛸䛧䛶䚸⪁ே䛸䛧䛶䚸 ᐙ᪘䜔཭ே䛸䛧䛶䚸䛒䜛䛔䛿ᨭ᥼⪅䛸䛧䛶䚸 ⮬ศ䜒┦ᡭ䜒೺䜔䛛䛻⏕䛝䜛䛻䛿䚸 䛹䛾䜘䛖䛺ᚰ䛾ᅾ䜚᪉䚸ᐤ䜚ῧ䛔᪉䚸 ᨭ䛘᪉䛜䛒䜛䛾䛷䛧䜗䛖䛛䚹

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るようです.「健康とは,病気でないとか,弱っていないということではなく,肉体的にも精神 的にも,そして社会的にもすべてが満たされた状態にあることをいいます」.ただ,この訳の中 にある「全てが満たされた状態」というのはどういうことなのだろうかという疑問もあり,この 点については,今日の私のお話しは,ちょっとズレが生じているのではないかと思っています. 本日お話することを組み立ててみました.3つの柱となります. 第一のテーマは,今日の副題でもあります「病 い,老いとともに」です.「老いや病いとともに どういう風に生きるか」ということです.ここで は,「病者と家族の『こころ』へのアプローチ」「病 いと老いの『こころ』の世界」についてお話しを させていただきます.実は,病者の心理,家族の 心理というテーマは,私がもともと取り組んでい ることなのです. 第二のテーマは,「心理臨床的な理解の試み」 です.「自己理解,相手の理解,相互の理解」については,臨床心理学的にはどんなふうに説明 されるのかということを考えてみましょう.「病者の心理,老いの心理,どう応答する ?」とい うところでは,ちょっとロールプレイを予定しております. 第三のテーマ「『生きること』への問い」では,「『喪失』・『限界状況』をどう生きるか」,「『健 やかな生』,つながりあう『いのち』」というようなことをお話できればと思います. なお,私の経歴につきましては,先ほど松薗先生からご紹介いただきましたが,淑徳大学では, 2011年の3月まで専任の教員をさせていただき,主として臨床心理学関係のことを担当しており ました.その後今年の3月までは,大学院附属の心理臨床センターで,相談指導員・研究員(非 常勤)として,主に,臨床心理士の養成に携わって参りました.他には1991年から現在まで精神 科の診療所で,あるいは,総合病院の心理相談室などで,しばしば,「やっぱり生きていくのは 難しい」というような方々にも臨床心理士として関わらせていただいています.そこでは,しみ じみとこの「健やか」ということを考えさせられることが多いです.

Ⅰ 病い,老いとともに

1.病者と家族の「こころ」へのアプローチ 東京のある大学の心理学の先生で,私の大先輩にあたる方が,当時,聖路加国際病院(私の勤 務先のお隣り)に入院されました.そのときに,この方が「患者の心理っていうのは独特だね. 今まであった世界が違う世界になる.変わっちゃうね.ひがむね.何でもないことだと思うのに

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そうはできない.……頭でわかっても気持ちではどうにもならない.」ということをおっしゃい ました.1980年代のことです.今まで普通に暮らしていた人が,風邪をひいたぐらいでは,たい したことはないのですが,少し重い病気かなという状態になると,今までとは違う気持ちになっ て,そこから抜け出そうと思ってもなかなか抜け出せないということが起こりやすくなります. もともと心理臨床の場で,そういう患者さんを理解しケアをするにはどうすればよいかという仕 事をしていたのですが,私としましては,この方との会話もきっかけとなり,その辺りの領域を もっと極めたいと思いました. 2004年に提出した博士論文の題名が「医療の場における患者と家族の心理学的研究」で,それ をもとに,2008年度の淑徳大学研究叢書刊行の補助金をいただいて,「つながりあう『いのち』 の心理臨床」という本を出版しました.表紙の装丁を替えて,一般書としても新曜社から刊行さ れています.今,お話しした患者さんになった先輩の例も,この中に入っています.いろいろな ことがあってこの仕事をしていますが,「いのちってつながり合っている」のかな.そのつなが り合ういのちの中でこそ成り立つ「人間としての健やかさなのかな」というようなことに思い 至っています. 私の問いの出発点は,「医療の場において患者や家族はどのような体験をしているのだろう か.」「それは心理学的にはどのように理解されるのだろうか.そして,人がどんな状態にあって も,それぞれの人が十分に“その人らしく”生きられる医療の場というのは,どんなところなの だろうか.」「それはどのようにして実現可能となるのだろうか.」「心理学の立場からはどのよう な役割が果たせるのだろうか.」ということです. この中で,本日のお話に直接関係してくるのが, 「人が,どんな状態にあっても,それぞれの人が 十分にその人らしく生きられる」場をつくるに は,どうすれば良いのかということです.この問 いの答えを求めて,足掻いておりました.論文で したので,問いが幾つかに分かれていました. 次のような7つの問いになります. 1.医療の場において患者と家族はどのような 体験をしているのだろうか.2.患者と家族はどのような理解とケアを必要としているのだろう か.これらが心理学のところになります.3.医療の場における大小さまざまな危機的な状態, あるいは限界状況において患者と家族は「人間として」どう生きようとしているのか.ここのと ころが,本日のお話の本筋のテーマになってきます.4.人間としてどう生きるかが問われる状 況に直面している患者と家族を,心理学の立場からはどのように理解し,よりよいケアを提供で きるのだろうか.そして,5.論文としての吟味などを経て,6.医療の場で生きるさまざまな 人々を理解しケアするための概念枠組みあるいは理念のモデルを検出できるのだろうか.7.心

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理学的な理解とケアの吟味だけで足りるのだろうか.という問いで成り立っています. 「問い」の探究のための枠組みについて,模式図を作成しました.透明のガラスでできた金魚 鉢のようなものをイメージしてください.「生きる場としての医療の場」というのが,この金魚 鉢の前面から見えるところです.これが心理学の方向からということです.心理学的に見ると 言っても多種多様な領域がありますので,心理学からのアプローチとして,3つほどの覗き窓を 開けます.ひとつは「患者さんにはどういうふうに,ものが見えているのだろうか.家族はどう だろうか.どんなふうに世界を見ているのだろうか」という「1.認知的な側面」.2つ目は,「感 情的にはどんな気持ちが動いているのだろうか」という「2.感情的な側面」.そして3つ目は, 「動機とか欲求」,「あれをしたい,これをしたい,なんでそれをしたいのか」という「3.動機・ 欲求の側面」のところから覗き窓を開けます.以上,3つは心理学からの覗き窓です. 䛂ၥ䛔䛃䛾᥈✲䛾䛯䜑䛾 ᯟ⤌䜏䠄ᶍᘧᅗ䠅 さらに,もう一つ,これは,心理学の直接の領域ではないのですが,医療の場ではどうしても 無意識的にいろいろなことが動きます.これを「4.無意識的な側面」としました.例えば,「あ なたはガンのステージ4ですよ」(これはガンがだいぶ進行しているということですが)と言わ れたら,みんながすぐに「あぁ,進行したガンなのだ」と受け止めるのかというとそうではない. そこでよく起こってくるのが,お医者さんの前では「はい,はい,へー」とか言って軽い感じで うなずいて診察室を出ていく.これは,一種の「否認」という機制が働いて,「そんなことある わけない」と思うからなのですね.それで,病院の会計辺りに行く頃になって,「えっ,何て言 われたんだろう」と疑問が起こり,だんだんと,「えっ,大変なこと言われたんだ」と気づいて いくというようなことがあります.そういうときには,防衛機制と呼ばれている無意識のところ がいろいろ絡むようです.実は今日,老いの心理の話もしようと思っていますが,そこにも無意 識的にいろいろなものが絡んで,思うようにお互いに会話ができなくなることがあります.防衛 機制の理解の仕方には,精神医学の見方も借りますが,それも一緒にして,金魚鉢の前面は,科 学としてのアプローチ(覗き窓)と考えています.

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ところが,医療の場の患者さんを理解しようと思うと,この4つとは違う方向からの視点も必 要になってきます.例えば「『あと3カ月の命です』と言われたときに,そこをどう生きるのか」 とか,「腎臓病が重い患者さんが雨の日には外出しない方がいいとわかっていても,どうしても 会いたい人がいて外出したい」というようなことがあるわけです.そういうことを考えますと, 「ただ健康である方がいい.そのために生きる.健康のために生きる.」って「変だよね.」とい うことになってきます.「生きるために健康であ る」というように逆転していかないといけない. このような価値包括的なところを扱わなければな らない.その辺りが,私の足掻いたところです. どうしても価値の問題が入らないと,患者さんの 理解はできないので,金魚鉢の横からの覗き窓, 「存在への理解と働きかけ」というアプローチを 入れてみました. 一方,病気のプロセスは7つの段階に整理しま した. 例えば「何だか,おかしいな,変だな」と思っ て病気を意識するという段階は第1相.それから 病院に行こうじゃないかと行動するのが第2相で す.病院を選ぶのも大変ですし,どの先生の診察 日に,誰と行くかということも結構大変になりま す.待合室で待っている間にもいろいろな気持ち が起こってきます.自分でも嫌になっちゃうよう な,持て余すような気持になることもあります.そして,「病名がつく」のが第3相です.お医 者さんに初めて会って,検査をして病名がついたら,安心かというとそうではない.また,病名 がつくとは限らない.例えば「疑わしいけれども,半年後にまた来てください」と言われたとし ます.ある人は,「あぁ,良かった,何でもなかった」というふうに反応します.またある人は 「あぁ,何か病気だったんだ,半年後に行くともっと進んでいるかもしれないんだ」というふう に思うかもしれません.同じ言葉でも人によって,受け取り方も反応も違ってきますので,病名 を告げられる時の気持ちの理解というのも必要になります.第4相では,手術を受けたり通院を して病気と闘います.第5相,慢性期になって「病気とつき合う」必要のある人も出てきます. その後,第6相「死を意識する」とか,「死に逝くとき」というように区切って整理し,最後には, 「死別し,遺される人」というのを第7相としました. 病気のプロセスと覗き窓の関係を全体的に見てみましょう.縦軸に第1相,第2相などという 病気のプロセスをもってきて,横軸に先ほどの前面のガラスの覗き窓の1.認知・2.感情・3.動

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機・欲求・4.無意識をもってきています.金魚 鉢の右横の側面(実存・人間存在)のところは後 でお話しをさせていただきます.右の図では,縦 軸の病気のプロセスのそれぞれの相で「こんな気 持ちがここでは動くよね」というようなことを, 横軸の覗き窓から見ながら具体的に書き出してみ たものです. これらをまとめてみると,4つの覗き窓のそれ ぞれについて,病気のプロセス全体を通して共通 するものが出てきたのです.患者さんは病気のプ ロセスのどの相でも,不安を抱え,現実をありの ままに認識することが結構難しいのだということ がわかってきました.これも大体おわかりいただ けるかと思います.さらに,どの相でも 藤とフ ラストレーションにさらされていることも共通で す,例えば病院に入院すれば,病院のスケジュー ルに沿って動かなければなりません.医療者か ら,いろいろとベッドサイドで聞かれるけれど,大部屋にいるとプライバシーも何もあったもの ではないというような辛い思いをします.あるいは,在宅で療養していたとしても,必要があっ ても外出ができないなど,病気の治療のために日常生活にさまざまな制限が加わります.いろい ろなフラストレーションが起こってきます. 加えて,患者や家族は,防衛機制によって自分を守らざるを得ないことが多いのです.先ほど, 「否認」について申し上げましたけれども,他には,例えば,お子さんが病気になるとお母さん というのは自分が悪いというふうに思いたくなるというか,思わざるを得ない気持ちになり易い です.ですから,何か言われると,すぐに「私が悪い,私が悪い」というふうに受け取りがちに なります.子どものことを一所懸命心配する気持ちが,「私が悪いからこの子は病気になっちゃっ た」というようなことになってしまって,他の人が普通にしゃべった言葉が「あなたが悪い」と いうふうに聞こえてしまうこともあります.これらは,無意識のうちにさまざまな心の動き,「防 衛機制」が起こるからだと考えることができます.この防衛機制が働くことについては,私自身 にも経験があります.うちの子どもが入院していて,病状が重くなったときに,知り合いの看護 師さんが私をものすごく責めているという感じになったことがありました.そこで私は,そんな に責められたって,あなたの期待に応えて泣いたりするわけにはいかないのだからみたいに突っ 張って,とても頑張っていました.後で考えてみると,相手は私を責めてはいなくて,私が自分 を責めていたのです(投射という機制).自分で自分を責めていて,私自身が耐えられなかった ⑓Ẽ䛾䝥䝻䝉䝇䛸 䠑䛴䛾な䛝❆䛾 㛵ಀ

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わけです.そこで,他の人が私を責めていると感じ,私はその人に対して,「私は私でなければ いけないんだ」と一所懸命抵抗する形で,この急場をしのいで自分を支えていたのだなと,後で わかりました. この,自分を無意識のうちに守るということの裏側には,その人に「心の痛み」がある場合が とても多いのです.例えば,頑固者のおじいさまがなかなか言うこと聞いてくれない.ああ言え ばこう言う,こう言えばああ言うとします.「何でかな」ということを,こちら側が,落ち着い てよく考えてみると,ご本人に「あぁ,俺が悪かった」という心の痛みがあり,それをはねのけ ようとして頑固になっているということがあります.心に痛みがあっても,素直に「俺が悪かっ た」と思えるような人は,ちゃんと現実認識ができているのでよいのです.でも,普通の人はやっ ぱり困ったことや重大なことが起こると,とっさに自分の身を守ってその場を生き延びようとし がちです.生き延びるためには,この無意識のうちに働く心の操作がいろいろ出てくるのです. そこで,ご本人もそれをわかっていないので,こじれちゃう.こじれた人間関係を見てみると, そこにはどこかで誰かが「心の痛み」を抱えている場合が多いように思います.その痛みに気が つくと,状況の理解ができるようになってきて,相手をわかることが少しできるようになる.相 手を少しわかるようになると,こちらもつんけん怒っていた気持ちが和らいできて,相手に寄り 添っていくことができるようになることもあるのかと思います.人は,とっさに自分を守る,防 衛してしまいます.人に迷惑をかけても平気だと思っている人は,あまりややこしいことにはな らないのですけど,迷惑をかけて悪いなと思っている人たちほど,その状況で自分の身を守って しまうということがあるのです. 2.病いと老いの「こころ」の世界 2−1 病いのプロセス 先ほどの病気のプロセスの7つの段階で,「こころ」はどう動くのでしょうか.第1相,「おか しいな,何だろう」と感じたとき,最初に不安になってきます.「何でもないと思おう」として いる患者さんが沢山います.この段階ではまだ病院に行っていません.病院に到着なさるまでの 患者さんの心理って,ものすごくいろいろな過程があります.皆さま方も経験していらっしゃる と思いますが,患者さんたちが,病院にたどり着いて最初に医療者に出会うまでには,既に,か なり独り相撲もやるし,家族とももつれたりもしています.すごく重い病気だと思い込んでいた り,全く大丈夫だと思ってみたり,現実とはちょっと遠いところにいらしたりすることもあるか と思います.患者さんの中には,自分の病気を軽く扱ってほしい気持ちと重く取り上げてほしい 気持ち,この両方の矛盾した気持ちがあったりすることもあります. 第2相の「病院に行く」という段階も大変です.どの病院へ行こうか,誰といつ行こうかと迷 います.第3相は「病名がつく」ですが,病名がついても,ホッとする人もいれば落胆する人, 大変だと周囲を巻き込む人もいます.

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第4相,「病気と闘う」では,それぞれの患者さんが,いろいろな思いを持っておられます. ここでも,強がりを言う,抵抗するというようなことが起こりやすくなってきます.第5相「病 気とつきあう」になると,見通しがはっきりしないことへの苛立ちや日常生活の不自由さ,不確 かさ,その日の身体の調子で,ドタキャンが必要になるとか,いろいろ辛い思いをしています. ご本人が「辛い」と言ってくれると,わかりやすいのですが,そこで無駄な抵抗を,いろいろや るものですから,「何だか扱いにくい,うちの家族」というようなことが往々にして起こります. 第6相,「死を意識する」.生物は全て死を回避するようにできているそうです.ですから,誰 しもが死の話題というのはどうしても避けたい,死の話になりそうだと思うと別の話に移って いってしまうことが起こりやすいです.死の話は避けようとする傾向があるので,家族で,死に ついて話をしようとするのは難しいものです. 第7相は「死別し,遺される人」です.遺された方々の悲嘆というのは,「ちょっと風が吹い ただけでも痛みがある」といわれるくらいに,さまざまな強い心の痛み,別れの痛みがあります. 「どうしていなくなっちゃったのか」と繰り返し思うのも当たり前とされています.「今,いない のだ」ということが実感として出るのに時間がかかる方もいます.また,ちゃんと家族がいらっ しゃっても「私はたった一人になってしまった」と嘆く方もいます.こちらの想いとして,「泣 きたいだけ泣いてください」という感じになる方もいます.悲嘆というのは,その人によってい ろいろな出方があります.非常に強がる人もいれば,死にたくなる人もいるし,鬱になる人もい る,ここのところが,どうケアをしたらいいのかという大きな問題になります. 2−2 老いのこころ 「老いを意識する」時というのがあります.「あれ何だっけ?」とか,家の中で,何かを取りに きたのだけれど,わからなくなって,行ったり来たりする.身に覚えがある方がいらっしゃると 思います.身体的な衰えを意識する時もあります.心理的な衰えもあります.例えば,仕事の中 で,同僚に,「あれどうなりましたか」と聞かれたときに,「えー,何だっけ,あれって」と思い 出せない.こんな経験のある方もいらっしゃるのではないですか.そういう時「あれって,何だっ け」と聞き返せたら,まだ大丈夫なのです.私は,わからなかったら聞くように意識的に努力し ています.これをごまかすようになると危ないのです. 「部長,昨日も同じことを依頼なさいましたよ.もっと何かを変えなきゃいけないんですか」 と部下に言われたとします.内心「えっ」と思います(昨日も言ったなんて思い出せない).そ こで,「そりゃあそうだろ,考えればわかるだろ」というようなことを言ったら危ないです.ご まかすようになったら,老いに抗っています.「老い」を自覚した方がいいということです.と はいえ「老いとつきあう」のはいろいろと辛い思いもあります.周囲に対して,申し訳ないと思 うこともあります.それで,「申し訳ない」と表現することもあるでしょうが,一方では,威張っ たりもします.それが老いの気持ちなのです.「娘心も微妙だけれど,老婆(老爺)の心も複雑

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なんだよ,理解してね」というところです. ちょっとひといき「みんなで,ミニ・ワーク」 さてここで,皆さん,ちょっとお手を拝借しましょう.どちらの手が上でもいいのですけど, 片方の手の甲の上に,もう片方の掌を乗せてみてください.どんな感じがしますか.私はちょっと 黙りますので,ご自身で自分の手の甲と掌が,どんな感じなのかを感じてみてください.……は い,何か感じてくださったかなと思います.もう少し狭いところでこのワークをやるときは,「ど うでした?」とマイクを回すのですけど…….「柔らかかった」とか,「汗ばんでいた」とか,そ れから「温かかった」とか,そういうこと言ってくださいます.皆さまは,いかがでしたか.そ のような,ご自分の身体の,からだの感覚的なところを体験していただけたら幸いなのですが. 「考える」ではなくて「感じる」ためのワークです.自分自身の感覚で「感じる」.そして,それ を「言葉で表現する」,「相手に伝える」.これが今日のメインのテーマになります.つまり,自 分をわかる,相手をわかる,お互いに健やかに生きる,というテーマに対しては,頭でわかって マニュアル通りに何かをやるということでは無いのです.そのようなやり方では,たいてい裏目 に出てどうにもならない.そこで,「自分で感じ取ったところで,動く」ということが大切にな ります. ところで,今,「お手を拝借」と申し上げたときに,皆さまがすぐに反応してくださったので, 私はちょっと感動しています.「じゃ,やろうじゃないか」と乗ってくださっているのだなと思う からです.このワークのもう一つの目的には,人には行動型のタイプの人と,思考型のタイプの 人,感情型のタイプの人がいるということを体験することが入っていました.今,「じゃあ……」 とすぐに手を出してくださった方々は,何かのときに比較的,行動的に動かれる方かなと思いま す.1回だけでは決められませんけれど.人によっては,動きながら考えます.その方は,何だ かわからないけれど,感じについてやるのかなと行動します.一方,「ん……? 感じとは何だ」 というふうに思う方々もいます.思考型の人です.また,「えー,嫌だな.何でこんなところで そんなことするんだろう.」とか「ちょっと戸惑っちゃうわ,面倒くさいわ」というように感情 で反応する,感情型の方もいらっしゃいます.このことは,ご自身がどのタイプであるかを一応 知っておくということもありますが,相手の方は,自分とは違う反応の仕方をするかもしれない, ということを意識することが大切だということでもあります.つまり私が,行動型で行動しなが らものを考え,対処して行っても,私の目の前にいる人は思考型の人で,全体がわからないと動 けない人かもしれません.ものごとを進めるには,相手をわかりそれに合わせるしかない場合も 多いわけですね.心理学では,このように,人には大きく分けて少なくとも3つのタイプがある と想定する場合があります.たまたまふたりの人がいたとしても,このどの組み合わせかにあた るか,それによって対処が異なる,もしも,3人,4人がいればみんなタイプが違う,必要な対 処もいろいろ異なる,ということです.

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Ⅱ 心理臨床的な理解の試み

1.自己理解,相手の理解,相互の理解 ここでの「自己理解」とは,「私は短気である」,「私は頑固だ」とか,「円満である」というよ うなわかり方ではなくて,「関係性の中での『私』」ということです.私たちは,関係の中で動い て,その時その場で相手との間でいろいろ感じるので「私はいつも同じではない」ということで す.そのときどきで,今,「自分で自分の気持ちがわかる」ということがとても大事だと思います. 健やかでいるためには,今,「うれしいな」「楽しいな」「逃げたいな」,こういう自分の気持ちを 自分でわかる.それを受けとめる.そして,「あぁ,私,うれしいんだ」「あっ,私,今楽しいん だ」「私,この人嫌いなんだ」「あっ,もう私,逃げたいんだ」,そういうことを自分で自分をわかっ て,それを自分で受けとめるという作業ができると,いろいろなことが何とかなるのです.「自 分を知る」ということは,一度立ち止まり「自分を認める,自分をいたわる」ということも含ん でおり,そこから再び,一歩を踏み出すことができるのです. 「老いたな」という場合,「どうも腰が痛い」というときに,「あぁ,私は老人になったんだな」 と自分で思えるならば,大丈夫なのです.でも,老いを認めるのは辛いから「そんなことはない」 と思ったり,他の人について「年寄りは嫌だよね」と言ったりします.そうすると,ご自身は 年寄りの方に入らないのか,いや入っているのかとかいうような事態になってきやすいのです. 「自分を知る」とは,「自分のありのままを知って, それを受けとめる」ことです.目の前の相手を 嫌だなと思う時には,まず「この人,大嫌い」と 思ってかまわないのです.その人を嫌いだと自分 が思っていることを知るのは大切なことですか ら.言葉にするかどうかは別として,「嫌いだ」 という自分の気持ちを認めると,かえって楽にな ります. これは,ケアワーカーさんや看護師さんたちの 研修の際に,よく言います.「私,この人嫌いな んだと思っちゃいけない」と思うから,一所懸命 に努力しながらギクシャクギクシャクしてしまう のです.だけど,「私,この人嫌いなんだ」とわ かって,その気持ちを認めてしまうと,「あぁ, 嫌いなんだ,嫌いなんだけど,一所懸命やってい るのだ」とわかり,「自分も大変だよね」と自分 を認め,そういう自分を抱きしめたらいい.自分 z⮬ศ䛷⮬ศ䛾Ẽᣢ䛱䛜䜟䛛䜛 䛖䜜䛧䛔䛺 ᴦ䛧䛔䛺 ㏨䛢䛯䛔䛺 ᎘䛰䛺 ᐤ䜚ῧ䛘䛶䛔䛺䛔 z䛭䛖䛔䛖Ẽᣢ䛱䛾⮬ศ䜢⮬ศ䛷ཷ䛡䛸䜑䜛 䛒䛒䚸⚾䛖䜜䛧䛔䜣䛰 䛒䛒䚸⚾ᴦ䛧䛔䜣䛰 䛒䛒䚸⚾㏨䛢䛯䛔䜣䛰 䛒䛒䚸⚾᎘䛺䜣䛰 䛣䛾ே᎘䛔䛺䜣䛰 ᐤ䜚ῧ䛔䛯䛔䛡䛹ฟ᮶䛺䛔⚾ 䖪⮬ศ䜢▱䜛«Ẽᣢ䛱䛜䜟䛛䜛䚸ཷ䛡䛸䜑䜛

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を,「あぁ,大変なことをやっているのだ,逃げてもいいのだ,嫌いでもいいのだ」と認めて, そこでひと呼吸おいて,病室や居室のドアを開けましょうと.そうしますと,嫌いだとわかった ら,嫌いだという顔するかというと,そんなこともないのです.「嫌いなんだけど,じゃ,今か ら会おう」という感じになる.これでいいのです.どういう感情を持っていてもいいので,それ を認めて,自分をちょっと可愛がってあげてね,ということです.  「相手の理解」というのは,ここでは,頭で考えて相手を理解することではありません.自分 の身体・感覚を十分に用いて,感じとってください.目の前のその人も,また目の前のあなたを 感じながら反応しています.ですから,「あの人,何だか冷たいんだよね,嫌なんだよね」とい うときは,実は私の方から冷たい視線を送っていたり,それに反応していたりという双方向のや りとりがあるのかもしれません.この双方向のやりとり,すなわち関係性の中で,お互いに「今, ここ」を生きているのです. 心理学では,Rogers, C.R.が「カウンセラーの 態度に関する3条件」として,こんなことを言っ ています.いわゆる「受容」,「共感」,「自己一致」 ということです.共感というのは,「目の前の相 手を,あたかもその人が自分自身であるかのよう に理解する」ということですが,後ほど,ロール プレイで体験していただきます. 「自己一致」について,ちょっと説明をさせて いただきます.先ほどの「嫌いなんだよね」とい う例でいうと,嫌いだという感情(有機体として の体験)を,「あぁ,嫌いだ」と意識して,自分 の体験としてそれを自覚的に自己概念の中に組み 込むことができれば,より一致した状態になりま す.すなわち,有機体として自分が体験している ことを,自己概念の中に取り込んでいるので,図 の円が重なり合っている度合いが大きい,つまり より自己一致した状態ということになります.他 方で,この体験があるのに,それを「嫌いだと思っちゃいけない」と思うことによって,嫌いだ ということを自覚しないようにしてしまう.自分の自己概念の中に入れないでおくことになる と,体験と自己概念の重なり部分が小さくなる,すなわち,不一致な状態になるということです. その場合,たとえば,イライラしたり,もぞもぞしたり,何かもやもやしたりしますが,なぜな のかが分からないという状態になりがちです.反対に「私は嫌いなんだ」という気持ちを認める と,図の右側の状態になります.このより一致した状態にある方が,不安が少なくなるし,脅か 䠮䡋䡃䡁䡎䡏䠈䠟䠊䠮䠊䛾ၐ䛘䜛 䜹䜴䞁䝉䝷䞊䛾ែᗘ䛻㛵䛩䜛

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されないで済むし,相手の話もちゃんと聴けるよ うになるということです. 「防衛機制」について検討してみます.私たち は,人や状況と関わるときに,無意識に「防衛機 制」という方法をとって,自分を守っていること があります.先ほど,「否認」の例を申し上げま した.「抑圧」というのは,防衛機制の基本的な 仕掛けとされていて,無意識のうちに発動しま す.自我が脅かされそうな事柄を,表面上は意識 しないように,無意識の世界に落とし込んで,あまり揺さぶられずに済むようにすることです. その他,いろいろありますが,これらの機制が働く結果,自分にも他の人にもすごくわかりにく いような行動を平気でやったりすることがあります.たいていは抑圧されそこなったところでこ れらの機制がいろいろな悪さをするので,対人関係で複雑で面倒くさいことが起こる原因になる こともあります. 病気の場合,「私は全然病気じゃない」というふうに否認していると,脅かされません.しかし, 対処行動もうまく機能しないので,治療も遅れるとか,周囲が自分を疎外すると思ってしまうと か,何かとややこしいことが起こりやすくなります.先ほどお話ししましたが,本当は自分で自 分を責めているのに,相手が私を責めているように感じてしまうような「投影」という防衛機制 もよく使われます.「合理化」は,「酸っぱい葡萄機制」とも呼ばれ,イソップ物語の「酸っぱい ぶどう」の話から命名されています.キツネが歩いていたら,枝もたわわにブドウが実っていた. 美味しそうなので採ろうとしたが,高い枝に手が届かず,飛びついても取れなかった.そこでキ ツネは「あれは酸っぱいのさ」と言った.キツネは,あっちに問題があるんだ(酸っぱくて美味 しくない)と理屈をつけて,自分が情けないわけじゃないと気持ちを納め諦めたという話です. 自分にうまくできなかったことを自分の自我が痛まないようにすり替えるという作業をしたので す.この類のことは,日常生活でしばしば起こっているでしょう. 2.病者の心理,老いの心理,どう応答する ? 病気のプロセス第1相は「おかしいな,何だろ う」でした.そんな病者に,あなたなら何とおっ しゃいますか.どのように応答したらよいので しょうか.実際の応答を見て聞いてどんな感じが するか,ロールプレイで感じてみましょう. Aさんとその妻の会話です,私がAさんの役で す.松薗先生に妻の役をお願いしました. ‡ே䛜⌧ᐇ䛻㐺ᛂ䛩䜛䛯䜑䛻↓ព㆑䛾䛖䛱䛻ྲྀ䜛᪉ἲ 䛷䛒䜚䛺䛜䜙䡠⾲㠃ⓗ䛻䛿䛭䜜䛻ᡂຌ䛧䛶䛔䜛䜘䛖䛻 ぢ䛘䛶䜒䚸⤖ᯝⓗ䛻䛿୙㐺ᛂ⾜ື䛻⤖䜃䛴䛔䛶䛧䜎 䛖▩┪䛜䛒䜛䚹 ྰㄆ ᢚᅽ ᢞᙳ ྲྀ䜚ධ䜜 ྠ୍ど ㏥⾜ ྜ⌮໬ ཯ືᙧᡂ ᪼⳹

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1番目はこんな感じです. 〈Aさん〉「この頃何だか疲れるなあ」 〈妻〉「あら,疲れるの? 大丈夫かしら」  ⇒ (解説:うーん,どうでしょう.普通の応答で,何でもないですね) 2番目. 〈Aさん〉「この頃何だか疲れるなあ」 〈妻〉「たいしたことないわよ,気にしない,気にしない,」  ⇒ (Aさんの心の声 「けっ,言ってもしょうがない.」) 3番目. 〈Aさん〉「この頃何だか疲れるなあ」 〈妻〉「あなたのお父さんも叔父さんも胃がんだったわね.あなたも一度診てもらった方がい いんじゃない?」  ⇒ (Aさんの心の声 「やだ,やだ,やだ,やだ.」) Aさんのセリフ 「お前,あれまだやってないだろう,やっときゃいいのに.」 (解説:話題を変える.しかも,逆襲して相手を責める,これはすり替えです.) 4番目. 〈Aさん〉「この頃何だか疲れるなあ」 〈妻〉無言A(心の中で「また言ってるわ,またね.いつもこんなことばっかり」)  ⇒ (Aさんの心の声 「悪い女房もらっちゃったなあ」) (解説:この程度ならまあまあ円満ですが,ムカムカして怒るかもしれません.) 5番目. 〈Aさん〉「この頃何だか疲れるなあ」 〈妻〉無言B(心の中で「そうね……(無言)」.内心,Aさんに共感的で,そっと親身に見 守っている感じ)  ⇒ (Aさんの心の声 「うん,お医者さんに行こうかな」) 松薗先生が,5つのパターンについて,実感を込めて演じてくださいました.それぞれに応じ て,Aさんの気持ちがどんなふうに動いたか,私が反応しましたが,皆さまは,どのようにお感 じになったでしょうか.妻の答えで,ホッとしたり,怒ったり,受診につながったりします.な お,このワークでいろいろ演じてみますと,しばしば,大学生の娘さんに「お父さん心配だから お医者さんに行って」と言われると,お父さんは「病院に行こうかな」という気持ちになるよう です.ここでの先ほどの応答では,無言のBのところで(5番目のロールプレイ),Aさんの心 が揺れました.松薗先生と打ち合わせをしていたわけではないのですよ.ああいうふうに共感的 に振る舞われると,「やっぱり心配だな」と自分で思えて,「じゃ,行ってみようかな」という言

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葉になりました.こういうことが,いろいろあるのです. 次の例は,若い人が若い人から「そんなに頑張らないで,もう,お休みになったら」と言われ たら,「うん」とか,「まだ頑張る」とか,「明日までにやんなきゃいけないから」で済むのです けど,年の差や立場の違いがある場合は,同じセリフでも,そう簡単にはいかない場合もありま す.お姑さんが,若いお嫁さんに言われたとします.「おかあさま,そんなに頑張らないで,も うお休みになったら」と.素直に「そうね」と言 うこともあるでしょうが,複雑な気持ちになるこ ともあります.「頑張らなくたってあのぐらいで きるわよ」と剥きになる.内心で,「ええ,どう せ私は邪魔なんでしょ」と思って,黙っているけ ど顔に出ているということもあるでしょう.そこ で,「まずいこと言っちゃった」場合,どうした らいいのでしょうか.対策はいろいろあると思い ますが,とにかく,関係を悪くしないためには, まず,ギクシャクしたということに(まずいことを言ったことに)気がつくことが必要です.で は,気づくには,どうする,どうやって捉えるのか.感じ取るしかないのです.身体感覚的なも のをこちらが感じ取って,「あれっ,変だな.あれっ,違和感があるな.ガサガサしたな」とい うようなことを認識するのです.それがないとその先の対処ができないと思っています. 老いの心理として,周囲は,何で,そんなふうになるのだろうと理解し難いこともあるでしょ う.心理学的にどのように対処するかというと,理解が難しい矛盾する気持ちや戸惑いをそのま ま理解する必要があるとされています.では,身近な周囲の人は,具体的にどのようにしたらい いかというと,その人がよくおしゃべりをする人ならば,聞いてあげてください.「あーすれば, こうすればよかったのに……」と後悔と愚痴を繰り返し何度も述べる方もいらっしゃると思いま すが,それを繰り返し,繰り返し言うことによって,自分で納得されることもあります.同じ話 を繰り返されるとイライラしますよね.プロはそういう仕事をしているので,繰り返し,繰り返 し聞くということに慣れていますけど,プロでも家に帰って,同じことを繰り返し言われると, 「聞いたわよ」とか言って,イライラ,プリプリしたりするのが普通のことなのです.ですから, イライラしてくるのは当たり前なのですけど,そこはちょっと我慢して相手が何か痛んでいる, 何か困っている,だから愚痴っている,というふうに理解して,話を聞いてください.実は,愚 痴っている人の方が単純で問題にしていることが分かり易いのです.ねじ曲がってくると,すり 替えが起こったりします.さき程のロールプレイで,私も思いがけず「あれはどうなったのか, やってないのか」みたいな逆襲をして,別なことで怒りをぶつけていました.あれは打ち合わせ してあったわけではないのです.そのとき,私の気持ちがそう動いていきました.ですから,そ の辺のところ,話を聴く,応答するということについて,もう少し考えてみましょう. 䛚䛛䛑䛥䜎䚸䛭䜣䛺䛻㡹ᙇ䜙䛺䛔䛷䚸 䜒䛖䚸䛚ఇ䜏䛻䛺䛳䛯䜙䠛 䐟 䛭䛖䛽䚹䛭䛖䛧䜘䛖䛛䛧䜙䚹 䐠 䜎䛰䚸኱୔ኵ䜘䚹 䐡 㡹ᙇ䜙䛺䛟䛯䛳䛶䚸䛒䛾䛠䜙䛔䛷䛝䜛䜟䜘䚹 䐢 䛘䛗䞉䞉䠄䛹䛖䛫䚸㑧㨱䛺䜣䛷䛧䜗䛖䜘䚸⚾䛿䚹䠅 䐣 ↓ゝ䞉↓ど

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たとえば,「私,もう長く生きられないのかし ら……」と聞かれたとします.お友だちだったら どう言いますか.家族だったら…….若い学生さ んにこのワークをしてもらうと,「そんなことな いわよ,私と一緒に頑張りましょう」と言ったり するのですが,緩和ケアの患者さんで,あと何週 間の命かなというような状況ですと,そうはいき ません. 正解はないのですけれども,さっきロールプレイでご覧いただきましたように,ことばを使わ ずに無言で黙って会話するということを日本人はとても得意としているところがあります.非言 語的に察し合って,疎通して,黙って,……「言わぬが花」という言葉もあるじゃないですか. その黙って相手に心を伝えるということが上手な方々が多いわけです.文化がそういうふうに なっているのだと思います.ですから,ただ受け身に「無言(そうですね)……」という応対の 仕方もあり得るのです.無言の背後にある気持ちこそが大事ですけど. 少し古いデータなのですが,柏木哲夫先生・岡安大仁先生という,ターミナルケアを専門にし ているお医者さんたちが医療者にアンケート調査をしました.「『私はもうだめなのではないで しょうか』と聞かれたときに,あなたはどう答えますか」というものです.1から5の選択肢が あります.1.「そんなこと言わないでもっと頑張りなさいよ」と励ます.2.「そんなこと心配 しないでいいんですよ」と答える.3.「どうしてそんな気持ちになるの」と聞き返す.4.「こ れだけ痛みがあるとそんな気にもなるね」と同情を示す.5.「もうだめなんだと,そんな気が するんですね」と返す.さあ皆さん,皆さんなら何とお答えになりますか.何番だと思われます か.看護学生や,看護師さんはどれだろう.そのデータで,この柏木先生たちが言っています. お医者さん(医学生と緩和ケア以外の内科,外科の医師)は1.が多かったそうです.今,少し は変わってはきていますけど,医療というのは患者さんの命を長らえるために一所懸命努力する わけですから,本音は,死は否定したいらしいという解釈をしています.そして,しかも一見「頑 張りなさい」というふうに励ましているのですから,患者さんにとっていいこと言っているわけ です.「そんなこと言わないでもっと頑張りなさいよ」と,こう言ってしまう.看護師さんや看 護学生は 「3.どうしてそんな気持ちになるの」が多いのだそうです.そして,精神科の先生 たちは「5.もうだめなんだと,そんな気がするんですね」というふうに応えるのだそうです. 私は,これらの背景にある非言語的なものがどのようになっているかによって,相手への伝わり 方が異なるので,どれかひとつがとても良いと思っているわけではないのです.けれども,5の 「もうだめなんだと,そんな気がするんですね」と言葉でこれを言うことの良い点は,あなたが 自分でどう感じているかを,こちらが受け取ったよということ,「あたかもあなたであるかのよ うに私が受け取ったよ(共感)」ということをまず示しているということです.そして,ご本人 ⚾«䚸䜒䛖㛗䛟 ⏕䛝䜙䜜䛺䛔䛾䛛䛧䜙«䚹 䛒䛺䛯䛿䛹䛾䜘䛖䛻⫈䛝䜎䛩䛛䚹 ཭ே䛸䛧䛶䚸ᐙ᪘䛸䛧䛶䚸ഴ⫈䝪䝷䞁䝔䜱䜰䛸䛧䛶

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が今,感じていることを共有してはっきりさせることになり,その人が,自分が今そういうふう な気持ちなのだなと確認できることです.また,この背景には不安があるのです.不安だから「も うだめなのではないでしょうか」と聞くのですから,その不安のところを受け止めて,本人が不 安があってそういうことを聞くのだということをはっきりさせます.ここからは私の注釈を付け 加えますが,はっきりして来るとそこを共有して関わることができるようになります.ご本人が, 「もうだめなんじゃないかと思っていて,死んだら私はどうなっちゃうのかと思って不安なんで す」という気持ちならば,死後の世界のところに話題が行くことになると思いますし,そうでは なく「だめなんだったら,うちの子どもはまだ高校生で学費もかかるし,これから大人になって いかなきゃならないから子どものことが心配だ」と言うかもしれません.そうしたら話題はそち らの方にいくというふうに,気持ちをはっきり掴んで,お互いに共有するということになります. その意味で,精神科の先生は,基本的にこういう応え方をするのだと思います. 「こころ」のケアの場では,対話的関係を実践する際にいろいろなことが起こります. 「自分の感じていることを知りそれを伝える」 のが大事だと申し上げましたが,「そのとき自分 が感じていることを,どうやって捉えればいい の?(問1)」.それから,「自分の感じたことを どう伝えればいいの?(問2)」というような問 いが生まれます.例えば「それが怖いとわかった としても,怖いと言えない」「感じたことを相応 しくどう発信したらいいか」という問いもありま す.また,「私,あの人嫌いなんだよね」と言っ たはいいけど,周りがすっと引いちゃったというように「発した言葉,表現が周囲と折り合いが ついてない場合には(問3)」,さあどうしましょう.また,先ほど,「相手に共感するのが大事だ」 と申しましたが,「共感って何だろう」ということがあります(問4).「相手とともに出口のな いどうしようもない状況に陥ったときどうするか(問5)」という問題が起こることもあります. ここでまず,問1,問4について申し上げたいことは,「共感というのは,全身をもってその 場に身を置いて,あたかもその人であるかのように,その人の感じているままにこちらも感じと るということが大事」ということです.これを,可能にするのは身体感覚的な「感じ」によって です.心理学では,たとえばRogers, C.R.は,「有機体としての内臓的な感覚によって捉える」と いうようなことをいっています.感じていること……,それはさきほどの掌でのあの感じです. 大切なのは,身体で感じるということになります. 問2と問3の「状況が変だな」ということもやはり感じ取るしかありません.相手の全身から 発せられているメッセージを,こちらも感覚的に読み取っていくことになります.心理学では 「自分自身の全身を使って,相手を,その事態を,必要な応答を,試行錯誤的に模索する」「対話 ᑐヰⓗ㛵ಀ䛾ᐇ㊶䛷⏕䜎䜜䜛ၥ䛔 ၥ䠍䠊䛂䛭䛾᫬䚸⮬ศ䛜ឤ䛨䛶䛔䜛䛣䛸䛃䜢䛹䛾䜘䛖䛻䛧䛶 ᤊ䛘䜛䛛䚹 ၥ䠎䠊⮬ศ䛾ឤ䛨䛯䛣䛸䜢䛹䛾䜘䛖䛻┦ᛂ䛧䛟Ⓨಙ䛩䜛䛾䛛䚹 ၥ䠏䠊䛂⮬ศ䛾Ⓨ䛧䛯ゝⴥ䞉⾲⌧䛸䚸࿘ᅖ䛸䛾ᢡ䜚ྜ䛔䛃䜢 䛹䛖ᢕᥱ䛩䜛䛛䚹 ၥ䠐䠊┦ᡭ䛻䛂ඹឤ䛃䛧䛶䛔䜛䛰䜝䛖䛛䚹 ၥ䠑䠊┦ᡭ䛸䛸䜒䛻ฟཱྀ䛾䛺䛔䛹䛖䛧䜘䛖䜒䛺䛔≧ἣ䛻 㝗䛳䛯᫬䚸䛹䛖䛩䜛䛛䚹

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とは,人と人との全身とその感覚を使って交わされるものである」と言うことがあります. 問5の「相手と共に出口のないようなどうしようもない状況に陥ったときどうするか」「どう にも光が見えないときにどうするか」については,われわれには,「どうしようもないというこ とがあるのだ」ということを,是非,お伝えしておきたいと思います.相手のお話を聞いていて, 親身になればなるほど,解決しようもないという思いになることがあります.もしも,相手との 間でそういう思いになれたら,あなたがその人の話をちゃんと聴いているのだということの表れ です.ですから,「あぁ,私は聴いているからこうなったな」というところは褒めてあげてもい いぐらいのことなのです.ところが,何もできないということに直面するのを避けたがるので, 助言をしたりして,話題を避けて,「何とかなりますよ」とか言って,自分だけ逃げてしまうの です.「本当にどうしようもないよね」「ほんとに困ったね」ということが実感されて,それを言 えたら,相手と一緒にそこで寄り添っていることになるのです.どうしようもない状況というこ とは,解決できるなら実行しているし,やってもらいたいことがあるなら言っているし,どうに かなるなら,とっくにどうにかしているはずです.どうにもならない,どうしようもないからど ん底にいるのです.そのような,どうしようもないときに,一番ほしいものは,そのとき,一緒 にいてくれる人,ともにその気持ちを分かち合ってくれる人だということが,結構あるのです. 「何にもできない,できないというところにじっとしてる」のはとても大変なことですよね. やりたいのに.できないから.どうにもならないところにいるのは,辛いです. 私の場合の心のケアの実践を振り返りますと,役に立てるからではなくて,無力,非力ではあ るのだけれど,あるいはそうであるからこそ,いわば魂の必然でもあるかのように,さまざまな 人のお世話を受け,迷惑をかけながら,この道を ってきたのだと思います.言い方を変えると, 無力・非力であるからこそ,呼ばれたら,そこへ行くしかないというところがあります.「どう しようもない」というところが,人間の本質のところにあるのではないかと思います. 「ひとつづつ 風を伝へて もみぢ逝く」……これは,2009年に刊行された私の著書の「はじ めに」に,掲載されています.この句は,もともとは,1999年に出版した本を差し上げる方への カードに記しました. 風に乗って紅葉が一枚,また一枚と散っていきます.風だけだったら見えないのですけれど, 紅葉が風に揺られて舞いながら散っていくことに よって,風がどういうふうに吹いているのかを示 し伝えることができる.この「風」というのを何 に見立てるかということにもよるのですが,私の 場合は,一人ずつは何もできないかもしれない, だけれども,そこに,生きて死んで,死んでいっ た人の想い,見えない心の世界がある.スピリ チュアル,スピリチュアリティというのかな,そ

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のようなものがあって,それをどう伝えられ,どう受け取っていくかというところを表現したい と思っています.これについては,後でまた触れます.

Ⅲ 「生きること」への問い

1.「喪失」・「限界状況」をどう生きるか 先ほどお示ししました金魚鉢の図です.冒頭の方の「Ⅰ 病い,老いとともに」のところで, 「生きる場としての医療の場」として,病気のプロセスを,心理学的な覗き窓(1.認知・2. 感情・3.動機・欲求・4.無意識)から見てみました.けれども,医療の場の人間理解には, これだけでは不十分でした.つまり,この金魚鉢の前面だけでは足りなくなって,右側の方の, 「5.存在への理解と働きかけ」を検討する必要が起こりました. 䛂ၥ䛔䛃䛾᥈✲䛾䛯䜑䛾 ᯟ⤌䜏䠄ᶍᘧᅗ䠅 金魚鉢の前面の,1から4の覗き窓から,病気のプロセス(7相)のさまざまな場面を見て, それらの共通性を探ってみると,病者とその家族というのは,いわば「喪失」を経験しています. 健康の喪失,体の一部や機能の喪失,日常生活が普通にできないという喪失,趣味とか職業を失 うこともあるし,友人,知人にも会いたいときに会えなくなってしまう,また,有能感・コント ロール感を失いがちになる,生命の喪失,大切な 人との死別もあります.これらに共通して抽出さ れた「喪失」という概念をテーマにして,右側の ガラス張りのところに移動して(図の右側の楕円 で括ったところから),金魚鉢を覗く作業をして みました. ここで,これら金魚鉢の全体の枠組みをちょっ とご説明します.金魚鉢の図の右上に電球があり ་⒪䛾ሙ䛻䛚䛔䛶ᝈ⪅䜔ᐙ᪘䛜㐼㐝䛩䜛 ฟ᮶஦䛸ᚰ⌮ⓗ䛺ᑐฎ ‡೺ᗣ䛾႙ኻ䚸㌟య䛾୍㒊䜔ᶵ⬟䛾႙ኻ ‡᪥ᖖ⏕ά䛻䛚䛡䜛႙ኻ ‡㊃࿡䜔⫋ᴗ䚸཭ே䡡▱ே ‡᭷⬟ឤ䡡䝁䞁䝖䝻䞊䝹ឤ䛾႙ኻ ‡⏕࿨䛾႙ኻ ኱ษ䛺ே䛸䛾Ṛู 㘽ᴫᛕ䛸䛧䛶䛾

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ます.この電球は,その位置から光を当てる,「私がそこから見る」という意味です.電球の横 に「人間観・病気観」と書いてあります.「ある人間観を持った私が,そこから見ていくとどの ように見えるのか」ということを表しています.その「人間観」のところを下方に ると,下の 枠のところに「実存,人間存在」と記されています.いわゆる実存心理学と言われるような西洋 流の考え方です. 実存心理学の代表的なものとして,ブーバー,M.の説を示します.図で円く囲まれています が,ひとつの円は,1人ずつです.皮膚で区切ら れているところまでが私で,相手は,もうひとつ 別の円の中の,皮膚で区切られた人なのです.「我 は,汝と出会うことによってはじめて,真の我に なり」というのは,「人格が人格と出会うことに よって」,つまり,わたしという人が,わたしを かけがえのない人格として遇してくれる人格(汝) と出会うことによって,わたしが「我」という人 格としての自立したものになるという発想です. 「人間をどんな存在とみるか」ということについては,フランクル,V.という人もいます. この方は,アウシュヴィッツの収容所に収容されていた精神科医で,たとえば,最近では,『それ でも人生にイエスと言う』というような本が,書店に並んでいるのをご覧になった方もあるかと 思います.その方が「人間は意識性存在であって責任性存在である」と述べています.どういう ことかというと,「人間にはいろいろなものを認識する理性がある.それから,何かを選んでい くという意思がある.理性があって認識しそれを選ぶということには,責任が出てくるのだ」と. このことは,キリスト教的な考え方の背景にも似たようなものがあります.「神様というのは, 理性を人間に与えて,それを使ってどう選択するかという意思を尊重している.人間が,意思を どのように働かせるかによって,神様が,喜んだり,悲しんだりする」というようなものです. また,フランクルは「態度価値」ということも言っています.人間の行為における価値の領域 には,「創造価値」「体験価値」「態度価値」があり,限界状況においてはこの「態度価値」が重 要なのだと言うのです.フランクルの収容されていた,アウシュヴィッツの中では,真・善・美・ 聖というような「創造価値」,つまり真実や美を追求するための手段が奪われています.また, おいしいものを食べて,「おいしいね」とか,心地良い環境で,「気持ちいいね」などという体験 としての価値,すなわち「体験価値」も無いです.お腹は空いたままですし,過酷な状況です. そのような限界状況の中で,たった一つ実現することができるのは「態度価値」であると述べ ています.自分に与えられた酷い状況・環境を自分で引き受けて生きること,これが「態度価値」 であり,限界状況でも,人は「態度価値」を実現することができるのだと言っています.そして, それには「主体性」,その人が何を選ぶか,どうしたいのかが重要になる,つまり主体性を尊重

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することこそが大事だという考え方です. ある時まで,私もその通りと思っていました. つまり,限界状況でも,「態度価値」なら実現で きる.それには主体性を尊重することが大事だと 考えていました.でも,「態度価値」の実現が, 主体性とか自己決定に関係するのであれば,自己 決定ができないときには「態度価値」は実現でき ないことになります.では,何の価値も実現でき ない人は,人間として生きる価値もないのだろう か.そこから,私の足掻きは始まりました.いわば,価値包括的な扱いが必要になる金魚鉢の右 側の側面について,どう理解するかということです. 2.「健やかな生」,つながりあう「いのち」 ここで検討が必要になったのは,人間が生きる意味は「態度価値」の実現にあるというけれど, 「態度価値」が実現できない時には,どうするの……ということです. 例えば,重い認知症の方が,状況を正しく認識して主体的に選ぶなどということができるので しょうか.その方は「態度価値」の実現が可能なのでしょうか.それから,交通事故か何かで脳 にダメージを受け,意識の状態が大変低くなって いる方,そういう人たちはどうでしょう.あるい は,小さな赤ちゃんたち.赤ちゃんたちには,意 志はあるでしょうが,状況がわかって主体的に選 択するということはできないように思います. 私が追求していたのは,繰り返しになります が,「人が,どんな状態にあっても,それぞれの 人が,その人らしく生きられる医療の場」です. 「“どんな状態の人でも”それぞれの人が“その人 らしく”生きられる」というのがテーマなのです. ですから,ここで頓挫してしまいます. それで,次のように考えてみました.たしかに, 健康は優れている方がいい.能力もある方がい い.能力がないとか,健康じゃないのはよくない ことだ.今は,こういう価値観が普通になってい る.しかし,この考え方をやめて,発想を変えて みよう.ある人が,与えられている能力とか環境 ែᗘ౯್ ே㛫䛸䛧䛶䛾೺䜔䛛䛥«䛴䛺䛜䜚䛒䛖䛂䛔䛾䛱䛃 ே䛿ᚲ䛪Ṛ䛺䛺䛡䜜䜀䛺䜙䛺䛔䚸䜎䛯䚸ே⏕䛻䛿䚸ᛮ䛖䛻௵䛫䛺䛔஦ែ䜈 䛾㐼㐝䛜ᚅ䛳䛶䛔䜛䛸䛔䛖஦ᐇ䚹 Ļ 㝈⏺≧ἣ䛻䛚䛔䛶䚸ே䛿䚸䛹䛖⏕䛝䜛䛾䛛䚹 䝣䝷䞁䜽䝹䛿䚸㝈⏺≧ἣ䛻䛚䛔䛶ே䛜䛺䛚ᐇ⌧䛷䛝䜛౯್䛜䛒䜛䚹䛭䜜 䛿䛂ែᗘ౯್䛃䛷䛒䜛䛸䛔䛖䚹㐠࿨䛵䛡䜙䜜䛯≧ἣ䛾୰䛷䚸䛭䜜䜢୺యⓗ䛻 ᘬ䛝ཷ䛡䛶⏕䛝䜛䛸䛔䛖ᅾ䜚᪉䚹 䛧䛛䛧䛺䛜䜙䚸ஙඣ䜔㔜ᗘ䛾▱ⓗ㞀ᐖ䛾ே䚸ព㆑䝺䝧䝹䛾ᴟ➃䛻ⴠ䛱䛯 ≧ែ䛾ே䚸䛭䛧䛶䚸㔜ᗘ䛾ㄆ▱⑕䛾ே䛿䚸≧ἣ䜢ㄆ㆑䛧䛶୺యⓗ䛻ᘬ䛝ཷ 䛡䛶⏕䛝䜛䛣䛸䛜㞴䛧䛔䚹䛩䛺䜟䛱䚸ែᗘ౯್䛾ᐇ⌧䛜㞴䛧䛔䚹 㝈⏺≧ἣ䛻䛚䛔䛶᭱ᚋ䛻ṧ䛥䜜䛯ே㛫䛸䛧䛶䛾౯್䛾ᐇ⌧䛜䛷䛝䛺䛔䛺 䜙䜀䚸⏕䛝䛶䛔䜛౯್䛜↓䛔䛾䛛䠛䠛

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が十全であるならば,十分に持てる力を発揮する のがよい.しかし,その人が与えられている環境 とか能力に限界があるならば,その環境や能力の 中で,精一杯に生きればいいのではないか.人に 与えられているものは,たやすく変えることがで きない場合が多い.自分に与えられた能力や環境 を使って精一杯生きるというのが,その人にでき る最大のことではないのか.そうであれば,円の 大きさの大小には関係なく,精一杯に生きるとい う意味で,このふたつは同じなのではないか.そこで,行き詰まっていた態度価値の実現のテー マ,それを打破するにはこの概念で挑戦してみようということになって,今日に至っている次第 です. ここで,「老い」のテーマについても,例えば,認知症を抱えている人とその家族について, 考えてみましょう.前の方で,「この頃,何だかしょっちゅう物忘れをするな」とか,「あれどう しました?」と言われて「何だっけ」となった例を挙げましたが,そういうところから始まって, 時には,どんどん進んでいくことがあります.その人自身は一所懸命やるのだけれど,一所懸命 やったことが他の人には受入れられないということが起こってきます.ご本人は,一所懸命に工 夫をするけれど,工夫すればするほど何だか変なことになる.どうして良いのかよくわからない. 周囲の人からは変な眼でみられるし,冷たい感じの応対をされるし,どうも変だ,どうしていい かわからないという時期が途中にありますね.自分と他の人の認識のずれ,何か違うと思うけれ どそれさえもだんだんわからなくなってくる.一所懸命,精一杯に生きています.食べて,寝て, ちゃんと,精一杯いろいろなことやるけれど,他の人から理解してもらえない.これって,とて も辛いじゃないですか.とんでもない迷惑な行動になって,どうも何かまずいんだというのがわ かる.わかるけど,では,どうすればいいの,って困ってしまいます.やがては,自分自身で, 自分のやっていることを認識できなくなる,顔を見ても誰だかわからない,という段階に至る方 もおられます. 周囲の人は,軽度・中等度の認知症の人の場合,その人の中では精一杯やっているのだという 部分を認めることが必要ではないかと思います.とは言っても,その人を抱えている当事者・家 族にとっては,どの段階でも大変です.初期には,「なんか変だな」というところから「受診し てもらいたいのだけど,嫌だと言っている.どうやったら受診してもらえるか」というのが悩み になることがあります.ご家族は,そのときに,ご本人にとっては,認知症だなどと診断をつけ られたら大変,認知症だなんて絶対認めたくないという心の痛みが当人の中にあるのだというこ とへの配慮が必要になります.その辺のところを上手に理解していく必要があり,心の痛みとか

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参照

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