Author(s)
平良, 朝男
Citation
沖縄大学紀要 = OKINAWA DAIGAKU KIYO(7): 69-107
Issue Date
1990-03-31
URL
http://hdl.handle.net/20.500.12001/5740
沖縄大学紀要第7号(1990年)
台湾の戦後経済
平良朝男 目 次 ●●●●● □■■■((皿〃〈](囮『四)△mm一一一・房「》) はじめに 台湾経済のパフォーマンス 日本植民地時代の功罪 経済発展の時代区分 1980年代以降の台湾経済 1).貿易構造 2).産業構造 3).企業構造 おわりに 注記 参考文献 6. はじめに 1. 東西の緊張緩和が1989年のレーガン・ゴルバチョフ会談で約束され、翌1990 年のプッシュ・ゴルバチョフ会談でより現実味をおびてくるに至って今までの 政治的腹芸による軍事バランス論が崩壊し、各国の国民の生活水準の向上のい かんが各国の指導者の資質として要求されるようになってきていろ-と言う 見方は大方のコンセンサスであろう。 つまり、これまでの軍事的脅威による秩序の維持というのが、40年間の平和 -69-とその間の情報の浸透、あるいは人々の往来の過程で疑問視されはじめ、非難 され、そして昨今のソ連、東欧にみられるようなドラマテックな民主化と自由 化への傾斜として現れてきたのではないだろうか? これより先にEC諸国は1992年を目途に約3億人規模のEC統合市場の形成 をめざして関係国間の協議が積み重ねられてきた。これは日本の半分、あるい はそれ以下の大きさの国々が通貨やその他経済制度上の差異を取り払い、経済 活動の場を同質化することによって規模の利益を図ろうとするものである。そ して、ここのところ停滞気味の欧州経済の活性化を図b、日本やアメリカとい う経済大国に対抗してゆこうというものであるが粁余曲折があり遅々として進 まなかった。 上記のデタントに続く一連のドラマチックな政変はこういった事'盾の中で起 きたが、これは誰の目にもEC統合市場形成へ向けて好条件を提供していろ。 つまり、東側においては国民の生活レベルの向上のためにこそ政治はあるのだ という認識が強まってきており西側経済運営に対するラブコールが高まってき ているし、一方、西側においては冷戦の成行き次第で経済運営が政治に規制さ れろという環境が取り払われ、経済合理性が優位に立ち説得力を持つからであ る。 このEC統合市場が実現すると世界は3億人規模の市場圏時代を迎えること になる。 似たような発想では環太平洋経済圏というものがあるが、その萌芽は1960年 代から出始め、ヨーロッパ諸国よりも活況を呈し貿易量も飛躍的に拡大してき ていろ。そして世界の経済活動の重心が大西洋から次第に太平洋へとシフトし てきた観がある。 ちなみに、1970年におけるアメリカの対EC貿易量は往復で177億ドル、対 太平洋諸国(日本106億ドル、NIES,ASEAN、中国、53億ドル)は約 160億ドルであった。しかし、その後の1987年には対EC貿易量も1,440億ド ルと上昇したが、対太平洋諸国との貿易量は2,220億ドルと大西洋間の貿易量 を遇かに凌駕していろ。 なかでも日本をはじめNIES、ASEAN諸国といった東南アジア諸国は -70-
沖縄大学紀要第7号(1990年) 相互依存関係を深めつつアメリカの輸出をテコに輸出競争力をつけ、外貨を稼 ぎながら一貫して世界の経済成長を上回る成長を維持してきた。特に、NIES の成長率は先進国の中でも最も高い成長率を維持してきた日本をも凌駕する勢 いで伸びてきており国際競争力をつけてきていろ。さらに1970年代より中国も 解放政策をとりこの地域への参入を進めてきている、といった具合いで東南ア ジア地域における経済活況はこの地域の歴史的通念を払拭しつつ経済成長を続 けている。 EC統合市場が経済活動の地盤沈下に活を入れようという思惟的なものであ るのに対し環太平洋経済圏は自然発生的にできあがった。 しかし、いずれEC統合市場が形成され、その影響が出てくればいやおうな しに環太平洋経済圏ないしはEC統合市場に匹敵する日本およびNIES,A SEAN諸国を包含した市場圏ないしは経済圏形成の是非が検討されることに なろう。 翻って沖縄の地理的位置を見た場合、沖縄はこういった急成長を続ける東南 アジア諸国のハザマにあるわけで、今後沖縄が将来の計画を立てる場合、上記 のコンテックスの延長線上で、どのような機能を担いつつ発展を図ってゆくか を模索するのが自然であろう。 そして、時、くしくも沖縄は本土へ復帰してやがて20年目を迎えようとして おり、これから先10年間の社会経済発展のための三次振計を作成する時期にき ていろ。 沖縄は復帰後、沖縄振興開発特別措置法に基づいて,,日本の最南端にあると いう地理的条件を生かして、東南アジアへの表玄関として.・・・・「国際交 流の場の形成」を目指す,,という基本姿勢の基に-次振計で「格差是正」を二 次振計で「自立発展」を柱に振興開発を進めてきた。しかし、具体的施策は本 土ないしは先進国志向の色彩の強いもので、20年たとうとする現在、東南アジ ア諸国、とりわけ近隣諸国へどれくらい接近できたのだろうか? このように計画の目論みがいまだ成果を生み出していない一方で、最近は台 湾からの観光客が年間9万人を越え、不振といわれる市内の中小ホテルの下支 えをし、繁華街を賑わせている現実がある。 -71-
我々はこれまでに東南アジア、とりわけ外貨保有額771億ドルという膨大な 額を有し、所得の面でも本県に平準化しつつある近隣の台湾の経済的ペアフォ ーマンスを過小評価しているのではないだろうか? こういった観点に加え近年の状況変化として、 ・1997年に香港の返還が予定されていること ・九州各県も近隣諸国、東南アジア諸国の交流の拠点を模索していること ・東西緊張緩和の影響を受けて米軍基地の整理・縮小が急速に進んでいること 等と併せて近隣諸国、なかんずくアジアNIESの優等生としての台湾の経済 の実態を把握しておくことは今後の沖縄経済のポテンシャルを模索する上でニ ーズの高い作業といえよう。 2.台湾経済のバアフォーマンス 台湾は米中接近、国連からの追放、日台断交という孤立無縁の中で東洋の奇 跡と言われるほどの経済発展を遂げ、世界のエコノミスト達から賞賛のまなざ しで注目をあつめてから4~5年が経過していろ。 台湾がこのような注目を集めているのは端的にいうと台湾経済が次のような パァフォーマンスを演じているからである。 1)国土と人口の割には貿易量が大きく、しかも黒字基調が続いていろ。 2)外貨保有額が急増し、1987年末には771億ドルに達していろ。 3)急成長しながらも物価は安定し、いわばインフレなき成長を遂げ、完全 雇用を達成している。かつ、所得配分においても貧富の差が少ない。 以上はいわば経済運営の理想的な目標であり、これらの目標を孤立無縁の中 でなし得たところに台湾経済を奇跡と言わせる由縁がある。 上記の事を指標としてまとめて見ると次の通りである。(1987年現在) 面積………3万6,000城 人口………1,967万人 一人当りのGNP……5075ドル/人 輸出合計………..……844億ドル -72-
沖縄大学紀要第7号(1990年) 1年間の貿易黒字額…190億ドル 外貨保有額………771億ドル 債務・………・・43億ドル *「アジア動向年報」(1989年版)より 先ず、台湾という国を人口とその国土の大きさからイメージすると九州(面積 :3万8,000鮒、人口:1,329万人)程の国土に九州よりも約600万人も多い 人口が生活し、社会経済活動を行っていろ。 また、北海道(面積:3万8,00M;)も似たような面積であるが人口は568
万人と台湾と比べろと希薄で、台湾がいかに人的資源を活用しつつ経済的パァ
フォーマンスを高めているかがわかる。 次に、より具体的にアジアNIESといわれる韓国、台湾、香港およびシン ガポールの経済規模と所得水準を示したのが表-1である。 (表-1)世界の経済成長率’ 資料:アジア経済研究所統計調査部 -73- 国グループと地域 1986年GDP n億ドル 体ろ扮 全めく 界占合 世に割 1977‐ 8厚P均 1983 宝 1984 1985 罫GNP赤 1986 1987 1988 年‘ij(%) 198〔 ]O燗IFノI 年GDP 世界全体 に占める 割合(殉 主要7エ業国 その他工業国 発展途上国 主要産油国3 その他途上国 2 アフリカ、中近東 アジア うちNIES 中南米 東欧 世界 5 4 5 7 2 307 462 537 35 38 61 2 6 9 46 28 24 4 1 2 2 9 3 000 0 98 9121 14 1 57413376340 ■●●●●■■●■●● 40651161380 6111 0 1 07359521004 ●●●●●●■の●●● 21424467432 04365409240 ■●●●●●の●の●● 31304288133 26220681127 ■●●□■●●●●●● 53406179434 41037076524 ●●●の●●■●●ロロ 33405463433 85303696380 ●CD●●●●●のの● 22406360633 1 40004378824 ●●●●●●●●●●● 33415071223 1 23558222581 ●●●●●●●●●●● 43415299034 965781124294442837983185031367 990 3 9 8 91211 1 1 9 4 0 5 1 56587238230 の●●■●●●の●●● 40641171380 6111 0 1 1〃 エ業諸国のグループ平均数値は前年のGDPの比重と為替レートを用いて算出。その他の国々と 世界は、1986年のGDPが1億ドル以上のすべての国を含み、平均は1986年のGDPウェイトと為替し -卜を用いて算出。2`表2-5に揚げた国のほかにアイスランドとルクセンブルクを含む 3 ◎ OPEC加盟国とメキシコおよびトリニダード・トバゴ。4,新興工業経済群:香港、シンガポ -ル、韓国、台湾。5‘非商業的為替レートで換算された純物的生産物。 資料:IMF,WorldEconomicOutlook,OECD,NationalAccounts,国連,UNYearbook 世界銀行,WorldBankAtlas,WorldDebtTabIesおよび各国資料。この表より1986年の経済規模を見ろと、大ざっぱにいって日本の経済規模は 世界の経済規模の約1割を占めるので、日本の経済規模をlとした場合、米国 は日本の約2倍、NIES計は約1/10強、NIESを含むアジア全体でもま だ日本の7割にもみたずまだ大きいとはいえない。しかし、これら諸国のその 後の成長の伸びはめざましく、1985年を除けば常に主要工業国のそれを約2倍 の大きさで上回っており、特に87~88年の成長率は3倍程度の大きさである。 その結果、88年度においては主要7工業国の割合は変わっていないが、アジ アを除いては軒並にその割合を下げているのに対し、アジアは相対的に06ポ イントその割合を上げていろ。ただ、「うちNIES」は成長率は高いものの 絶対額が小さいため02ポイントの改善にとどまっている。 次に、表-2より-人当りのGNPを見ろと、日米が約2万ドルに近いのに
対し、NIES諸国のそれは香港の8,230ドル、シンガポールの約7,500ドル、
(表-2)経済規模と所得水準(1987年) 44-64伜1(198 **香港はGDP. (出所)アジア経済研究所統計調査部. -74- *1米ドル=144.64円(1987平均値)で換算. GNP (億米ドル) 人口(100万人) 1人当I) GNP (米ドル) 同 円換算* (万円) 韓国 台湾 香港** シンガポール NIES計 タイ マレ_シア インドネシア ブイリピン ASEAN4カ国計 日本 米国 652584663957 876025814948 194284273788 ●夕 |●夕◆● |●夕■夕●夕 1 2 134 24 〆 20 42 66 ●● 52 037 751 0 7 1 772 592 21 1 4 2 690487918633 283625229001 892408745654 9P,9, 9 99 24874 1 98 11 12 47 9 1 1 8825 0512 1 69926 86 22沖縄大学紀要第7号(1990年)
を上位に台湾の約5,000ドル、韓国がその半分強の2,826ドルとなっており、
NIES間でもばらつきはあるが平均で4,000ドルとなっていろ。これは日米と比較すると約光程度だが、ASEAN4カ国と比較すると6
倍強であり、明かに発展途上国の中でも明確にテイクオフを始めているグルー プとして位置づけられろ。これを本土平均と比較すると、1985年には本土平均の光程度、沖縄の)/3
弱だったのが、4年後の1989年後には沖縄の1/6強まで伸びており、NIES
の急追が窺われる。これは対前年比を見ても分かるように1986~87年の空前の
増加後も常に本県を上回る成長率を維持し続けてきた占めであり、このペースで成 長を続けろと本土平均の7割程度の所得水準の沖縄に追いつく可能性は十分に ある。 注1) さらに、ある予測によると2,000年頃には香港、シンガポールが約2万ドル で現在の日本と同じ程度、韓国が6,000ドル台、台湾が10,000ドル台に到達す ることが予想されており、かなりの消費市場を形成する可能性がある。 一般的に-人当りのGNPが3,000ドルを越えろと生活にも“ゆとり,,がみえはじめ5.000ドルを越えろと電化製品、自家用車といった耐久消費財への庶
民のニーズが高まってくるといわれていろ。 しかし、こういった生活面の余裕に支えられて労働者の意識も向上し、その 国の経済発展に見合う賃金の上昇や労働条件の向上を求めて労働運動が活発に なってゆくことが予想され、成熟期に入ろうとする国の多面的問題が発生し、 多少の政治的混乱も生じてくる可能'性もでてくる。にもかきわらず、これらの 国々では今後とも先行きの問題を抱えながらも後発の利益を享受しながら高い 成長を維持してゆくことが予想されろ。 しかし、NIES諸国のこれまでの発展過程をみた場合、必ずしも画一的な 発展過程を辿ったわけではなく、むしろ個別固有の体制と経済運営で成功をお さめたといえろ。 つまり、香港、シンガポールの場合は人口規模も小さく、いわば、地理的条件をフルに活用し、状況変化に機敏に対応しながら小回りをきかして成功を収
めていろ。 -75-図-1主な貿易国の1人あたり貿易額と 貿易依存度(1986~88年) 貿易依存度 (%) 0 1人あたり貿易額 (ドル) '000050000500010000100 lOO 〃Z//〃'Z〃〃Z〃Z’ ’'16552 14832 ZZZZ'Z/Z/Z/Z/型/Z
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l蚕 1石 中園 表9-4により貿易総額の多い国にインドを加えて作成。同表の脚注参照のこと。 資料:「世界国勢図会」(’90-,91)より -76- ンンガポール ホンコン ベルギー スイス オランダ スウェーデン デンマーク ノルウェー 西ドイツ フィンランド カナダ オーストリア フランス 台湾 イギリス イタリア 日本 オーストラリア 東ドイツ サウジアラビア チェコ 韓国 アメリカ合衆匡 スペイン ソ連 〆キシコ ブラジル 中国 インド鼬
14832LIA 盤;譲鋳::;::P●0。●‐痙返巫地歴Ⅷ噸蠅蝿唖岻剛刎劉匝佃脂
65.4 65.3:I ZZZZZZZZZZZZ厩至】 ZZZZ;ZZ笏Z珍而:、 ZZZiZZZZii7EZ】 ZZZZZi冤冤1 〃ZZZZZi5168 …ZZi ”鰯 5529 7 13 4152 ZZZZZZZZl4817 ZZZZZI3177 Z1774 ZZZZZ13319 醜 Z 2414 1528 Z易 Z Z Z 易 2011 1727 1584 1553 1234 Z1865 Zl551 1378 229 104 50 21 |輸入沖縄大学紀要第7号(1990年) 台湾経済は端的にいうと輸出依存型経済である。これは貿易依存度(輸出の 対GNP比率)を主要貿易国の中でながめて見ても、輸出では540で日本の 9.3に比べても遥かに高く、いかに貿易に依存しているかがわかる。 世界的に貿易依存度の高い国々は筆頭はシンガポールの140.2で、2位はベ ルギーの65.4,3位はブラジルの65.3で台湾はこれに次ぐものである。以下、 5位オランダの644,6位の韓国の415,7位のスウェーデン、8位デンマー ク《9位ノルウェーと続く。そして西ドイツが10位となっており、台湾や韓国も 伝統的に輸出に依存している西ヨーロッパ諸国と肩を並べて上位にランクされ るようになった。 つまり、シンガポールを始め台湾および韓国もヨーロッパ諸国の貿易先進国 に互して貿易に依存しながら経済力を伸ばして来ているわけである。 以上のことは無論輸出量が大きいというわけではない。小さい国(人口が少 なく、GNPが小さい国)程貿易依存度は高くなるのは当然である。輸出額の 大きさからいうと西ドイツ、アメリカ、日本、フランス、イギリス、イタリア、 カナダ、ソ連、と言ったところが上位を占めろ。例えば、日本の場合、貿易依 存度から見ろと9.3%程度でその順位でいうと25位と低い順位になっているが、 経済大国といわれるようにNGPが世界の約1割を占めており、その輸出額も 1987年で2,292億ドルとなっており、同じ年の台湾の536億ドルの約43倍に なる。 しかし、これは別の言い方をすると、日本の人口の約6.5分の1の人口の台 湾が4.3分の1の輸出を行っているわけで、これを新たに輸出額に換算すると 日本人一人当りの輸出額は2,161ドル/人であるのに対し、台湾のそれは2,721 ドル/人で日本を約500ドル上回るパァフォーマンスを演じていることになる。 -人当り輸出額をみろと輸出に特化しているベルギーは9,353ドル/人、オ ランダ7,016ドル/人、スウェーデン5,925ドル/人、デンマーク5,435ドル /人、ノルウェー5.395ドル/人、西ドイツ5.270ドル/人で、前述のように 輸出に特化していることが輸出依存度と符号していることが分かる。 アジアNIES諸国ではシンガポールが14,832ドル/人、香港11,141ドル /人、台湾2,721ドル/人、韓国1,446ドル/人で人口の少ない国ほど輸出パ -77-
アフォーマンスは高い値を示していろ。 アジアNIES諸国の輸出品目には衣類、繊維製品および日用雑貨を中心と した輸入代替産業という伝統的傾向はあるものの電子、電気、機械類という新 しい産業分野を取り込みながら内需を満たし、輸出に振り向け輸出キー・イン ダストリーとして飛躍的に成長してきたということでは共通していろ。NIES 各国の主要輸出品目の概要を見ろと表-3のとうりである。 シンガポールの場合、機械類と石油製品が主で全休の約6割を占めていろ。 香港の場合も機械、衣類、繊維製品が中心で全体の5割程度を占めているが、 その他にも精密機械、時計、貴金属、から医薬品にいたるまで多岐にまたがっ ており、ショッピング観光を当て込んでフェイクないしはコピー商品市場を形 成した点は独特といえる。 韓国は機械、衣類、繊維製品が全体の5割程度を占めているのは同様だが自 動車、鉄鋼、船舶といった世界的にも競合が激しい分野へ産業の裾野を広げ、 世界市場へ打って出てきた。 台湾の場合は電子製品が全体の約2割を占める程突出しており、他のNIES
と際だった違いを見せている。その他の分野においては衣類、靴類、糸布類、
玩具・運動用品といった日用雑貨がほぼ同じ割合で輸出されているのに加えて 伝統的な農水産物とその加工品も他の輸出品目と同じ程度の比重を占めている ことは大きな違いと言えよう。 さらに詳しく台湾の貿易品目の内訳とその推移を見ろと、次の表に示す通り である。 これによると繊維関係製品が上位を占めているのは他のアジアNIESと同 様であるが、家電、自動車部品からパソコンにいたる家電製品からエレクトロ ニクスをメインとした製品分野に裾野を広げその輸出を飛躍的に伸ばしてきて いるのは台湾経済の大きな特異点と言えよう。輸入品目は原油をはじめ化学品にせよ電気器具、木材にせよいずれも原料か
中間製品的なもので、既に根ずいている加工技術で付加価値を高めるためのも
のが主である。つまり、機械類というのは台湾では生産出来ない特殊運搬車両
とか航空機といったたくいのものであり、鉄鋼というのも高品質の特殊鋼材が
-78-沖縄大学紀要第7号(1990年) (表-3) ホンコン(1187年) シンガポール(1987年) 〃Uハアロ』〃c囚』 g〃A4a)〃。。〃 冗坐(o口)マノ(己 ?9,9・ UlTJ『。(姿・I ⅢI●●●・ 血叩函械” 頚口碑機計 俶維類密時 磯繊衣精 。》nU員〕。〃〃6 尺)〔壬pU44OI n)TJ〃。■I〔曰 ?999. 可InUR》QJ⑥エ ゴI91・・・ 亜》亜械血 類叩品機計 械類維密謄 蔑衣蔽清
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コヨイトエ■・・・・・’卍 団四 691.’‐‐ 繊維原料・・・708 uH田【 台湾(1987年) 韓国(1987年) ■-Iz,U4bl。“ロニ ワ可 製亟10,5611宿同証-9嬰証蝋蝋露篝墨
X9賎 UHrp= [刃【刀ロワ」ロ.- ̄ローロ「ロ---J▲四 君・・・3.3961原荘 Z、・・・Z,5221N遡謂犀[壬1...1.466鰄繍董鱗11
切用、J,2651輸送【機器・1,639 十・l弓F弱E希 、- ■■ 船舶・・回 旋行:用晨 哀皮]頃・・・・・BC 霊舌舌・’006 他の表とは分類が異なる。 -79-蕊
蕊
鶴
輸出(百万ドル) 輸入(百万ドル) 機械類・・11, 衣類…・1o 繊維品… 精密機械. 時計●●● がん具・・・ 5322 9999 , 305965 528416 076137 金属製品…964 旅行用具 ・カバン.,60 プラスチック653 はき物.…・519 繊維原料…484 魚介類・…・474 貴金属..…463 たぱこ…・・36, 楽器・……368 医薬品..…324 ダイヤモンド・273 計×・・48,釦2 機械類・・1 繊維品… 衣類・・・・・ 精密機械. 時計 プラスチ ● ● ● ●● ツ ダイヤモン 鉄鋼 ● 17321 ク ド ..・・・1 09865018 94369061 23378400 ,,,,,11, 石油製品…926 がん具…・・904 金属製品…800 紙類.・・・・・・794 魚介類・…・785 自動車・…・764 旅行用具 ・カバン・758 繊維原料…708 有機薬品…519 計×・・48,503 輸入(百万ドル) 輸入(百万ドル) 輸出(百万ドノレ) 輸入(百万ドノレ)(表-4)貿易総額 資料:「アジア動向年報」(1989年) 主である。 同じ表で貿易収支をみろと、1981年には14億ドル程度の黒字幅だったものが
その後しり上がりに一貫して上昇を続け、1987年には190億ドルの黒字を上げ
ており、これが台湾経済の力強さを表す根拠になっていろ。このことはまたもう一つの一国の経済力のメージャーになっている外貨保有
高に結び付くわけだが台湾経済は一貫した黒字基調を背景に1988年には745億
ドルにも達し、これまで外貨保有高でトップを維持し続けていた西ドイツを も抜き、この項目でも先進工業国であり経済大国の西ドイツおよびアメリカを尻目に日本に次ぐ2位の座をしめるに至っており、環太平洋経済圏の一角を
成す東南アジアの経済状況の台風の目になっていろ。 2)ちなみに1988年の数字を示すと日本978億ドル、台湾745億ドル、西ドイツ
630億ドル、アメリカ490億ドルといったところが上位で、他のアジアNIES
のシンガポールは170億ドル、韓国は123億ドルといった所である。 -80- (単位:100万米ドル) 1981 1982 1983 1984 1985 1986 1987 輸出総額 紡織品 電気器具・部品 プラスチック製品 合板 木村・同製品 機械 金属製品 基礎金風 化学品 水産加エ品 輸入総額 原油 化学品 電気器具・部品 機械 輸送機械 鉄 鋼 木 材 貿易収支 11169312518043133502 13719145046055869191 60163890553245267054 ,、、P 〃 00ウリD p P ワ』541 1 141222 1 2 2狐油叩噸趣、班叩醐迦躯蝿、、眠懸哩迩蝿汕
22431 P9P9 1 8312111 1 Pリリ0,、、 3 へ。(U4o』ワ]P。(04(b(UPD旬rD4(UQL庁I11q》【◎ 2,》PC、。64o)5Q》nDnUnp956【I0Q》6へ。 10(け7【。。》6『。(05,色、必〈U〔己3(己0【I4口) 96DO P 00090?D PC・541 0 2 1 20412111 4 記印ね叫即肛糾似犯叫閖弱、究印卵如犯弘師 40542017772970116044 30662 09p、 111 0DP 2132322 9ワリ09 , 8 31797678337281607731 25444727618033965512 70462027782139777836 90,P PDO P96P、 0 0662 P 111 03121 10 3 2 1 Q》5【l【Iq)くし句’八Vワ』q】(oPonzA品44,乙勾rnp奇14鉛 (己Q〕nUn△句Uワ』q》〔o(UR)o〉〔。▲4(o(Uの廷【l《044句必 【Iワ』o》FDの色PDP、句J句’八Und口上nUnl(jD4n。(b〔。(D PFDD PFD P 09900 9 0 羽783 112 1 4224225 2 1 28853226475554831347 ●●□●●●●■、6◆00q0q0●●● (己3〈UloPDo』△4《、、色qUPo〔b【JnJPo1q》△4(己1△ (。6,。}。〈U(j行I?】P。〔。(U(U、△1(b7〔。?』(5q》 594(bngq》ロリワ』内Iq)455(、5庁l(◎44(U PP、、 、50 ▽ 9909900 , 3834 123 1 4236314 9 51 3 1沖縄入学紀要第7汁(199M!) こういった日本および台湾の経済力の伸びは対米輸出をテコに産みだされた ことは明かであり、アメリカの経済〃が相対的に低下するにしたがって貿易収 支のアンバランスを楯に為替レートの調整、「1主規制、内需拡大、構造調整協 議等といった歩み寄りあるいは譲歩を求められてくることは確実であろう。つ まり、対米貿易摩擦のターゲットになりつつあることも事実である。 また、負の資産としての対外債務も1986年には43億ドルもあったがその後の 統計では顔を出していない。一般的に発展途上国がその国の社会資本や産業基 盤の遅れをIMFや世銀あるいは第二世銀または二国間取り決めによる民間借 入れで充足し、経済発展を期しているがうまくいっていない。 それどころか、1970年後半から80年前半における2回にわたるオイル・シ ョックの影響がまだ尾を引き、利子補給のための借入れの繰り返しにより債務 が累積し、いわば蟻地獄的様相を呈し昨年のサミットでは最大の世界経済問題 として取り上げられたことは記憶に新しい。 こういった''1にあって、台湾は孤立化の歴史的経過の中で1970年代の対外債 務の俗入れを行っているが、これらの債務をとどこうりなく返済し身軽になり 前述のような外貨保有高を持つようになったのはまさに驚異的発展といわざる をえない。 1987年の発展途上国の対外公的債務残高上位10カ国はブラジルの916億ドル を筆頭にメキシコ828億ドル、アルゼンチン475億ドル、インドネシア413億 ドル、インド373億ドル、ポーランド356億ドル、エジプト345億ドル、トル コ305億ドル、ナイジェリア252億ドル、ベネズエラ252億ドルと続き、以上 10指には上がっていないものの韓国の245億ドルが11位につけており気になる ところだが債務残高の対GNP比率は上記10カ国のそれと比較しても2079'6と 極めて小さく、これまでの韓国の経済発展ぶりから推しても上記10カ国の事1情 とは違う。 以上、これまでの諸々の観点から推しても、いまや台湾は経済大国といわず とも経済強国である。 -81-
3.曰本植民地時代の功罪 台湾はその国土の豊穣さの故に歴史的に3回にわたり植民地を経験してきた といわれていろ。しかし、古い歴史的事実はさておき、近代の日本の植民地時 代の日本の施政とその間に蓄積された行政、産業、教育基盤、なかんずく農業 基盤について概括しておく必要がある。これは台湾経済が戦後の混乱をくぐり ぬけ戦後経済発展の初期基盤(専ら官業のであるが)として大いに役だったか らである。 日本は1895年(明治28年)から1945年(昭和20年)までの50年間にわたり台 湾を統治したが、ヨーロッパ列国より歴史的におくれて植民地を手にいれたと いう事情もあって、略奪的統治とちがって初めから明確な意図と周到な計画を もって植民地統治を進めた。 日本はこれまで自国になかった肥沃な土地と風土に着目して亜熱帯農業を振 興し、日本への食料供給基地として位置付けその振興を図ってきたのである。 そのため当時から米と砂糖が主要輸出作物になっており、砂糖は甘味資源とし
て米は主食源として奨励増産されてきた、錆に米は二毛作、三毛作もできる土
地柄とあって品種改良が進められ、、蓬菜米,,という傑作を生み出すほど農業技 術の水準は高められていた。 このように当初は農業が主産業であったためプランテーション独特の水田と きび畑だけが果てしなく広がるだけの風景で、二次産業は育てられなかった。 しかし、日中戦争の中頃(1938年)から、当時日本が統治していた南洋方面からの資源確保や軍事的作戦展開のための南進基地として位置付けられたため、
化学肥料工場、セメントエ場、鉱業精錬、部品、機械加工、武器修理工場等と いった近代的生産工場が次々と建設され始めた。また、ソフト面でもこれらの生産工場労働者育成のためにつくった工業学校や
南進のために育てられた商社マン達がおり、ここで育った人材が生産、貿易の
面で初発期を支えたといえる。 このようにして戦前における台湾の近代産業および経済機構のほとんどが日 本によって倉']られ独占されていたのである。これは例えば払い込み資本20万円 以上の株式会社のうち、90%が日籍企業であり、残り'0%程度が台籍企業その -82-沖縄大'ア:紀要第7号(1990イ1;) 。侶暮ふむ」二 軍U一(州裂□|)紬出・WJ刊垢-e鯛經躍追裂旦進柵招裂蝋e貯めの①[〃村一応忽田「鰹H」「韓麹」「絲単」「唱筈」e囹熾叩洩 。針○$【/署ね『田圃廻鵜H誕扣』躍鯏朴屋蝿H圃丹@ .皿①【マー①弓〃針「$[/]「ね。『丹里弱如露・『母哩鰕に畷馴綱圃任』唾起用願e ・狐ご”ト『”。『Ⅱ鞄鰈鱸絲HN鼬や』騨温概字鵜照塵魍仙匝。 。狐「臼窪守脇鞠国鰹〆佃恩l【要の鰍遡冒鰡.皿$『1$〃霊、艦柳[鵬〃『|浮緋に畷鼬佃』側縣志堪遡に騒趣⑩@ .弧②菌I召守”叶扇臼/】「躯・血繊丑田越知・塵」・目『弱剛誕如』弾里玉廻凹emに羽 (母寺I寺①[)弧I尽牒躍陣eく絲省仙仰e柵臼く符□剛州(ぬl鵬) 83 鍬今紬、 絲令く骨ロ (亡 覇 仁絲(口に 頚厘覇璃 に宴|糾絲 潟判舩厘厘 鼬鼬鼬涯筆 4口4口4口糊11鄙 加 緬 尾川H国〆繊輯越知 夕 ミミミミ 熱 H極= 湿艇 誕丹鼬 4ロロィロ糊職 亡 畷 l、 週蛎竺如知鼬扣ミ 過頓絲燗|週 鍋 而忽製一陣聿望錘吐鞭く鼬⑩ ミ 叫麺I脇,叫麺圃佃・画K・幽囚,仰鵬 〃義Ⅵ”掲迫”田侭”韓諭〃迫晋・骨□・圃舵・I船,田ヱト 遜迷娼趙 后刮至極聿翌趣迷辱燈鼬扣亀 田K〃田革十・壕□”田硝”捌燗判 連・趨劃/掲迫/墨K〃掴K/衿□〃魁、〃晨匝/假朕〃笹K 錘迷馳窯 而剥圏肛車望牌趨鯏如鼬扣奄 仰超越伯・鼬扣慨〃話腰趣扣〆絲遍誕如一輯鯏 〃 凶 鮭 而刮竪陣卓堅坦坦画丹伽圃 排忘縣忠K須護Ⅸ鼬扣.揮如精進緋H朴望堤扣.勾鯏精 迷服豊起仰鼬如/ね鯏橘逢坦旧画舵・弾小柄逢坦牌骨□〃■璽蕊K搬掛連骨ロ |に煮鰍語趣如§ 起姻梢錘到心Ⅱwミト骨□ |扣矧哀里鼬如一蔓| 起蛆精進置如寵陣誕ね”起鯏精進宴聖鼬ね,箆硝憶迷]圏慰⑩ 而矧隷鰯一鼬如一 蔓 麺仙緕迷絲H 筆偲裂.ね鯏澗極窪堰,(埋堤越知”絲甥骨、”澗麺粁国)詞如絲H朴等骨ロ圧 而さ淵製図丹一こ’ 輯鯏柵蝿鼬扣の揮傾柵蜆丹口任P韓鯏囲副鼬、 而矧藍廻腿虻一§| 虐塞廻塑鯛(鵜H柵汰川)揮仙悩逢珠襄腱扣 而矧迩懇鯉如 萱’甑H遭匝憩姻悩逢鰈毒鼬如〃蝋H遡匝揮鯏情錘絲囲謂朕/医H絹魍⑩禅鯏精逢 匝服刮厘耀紅鼬如一緬緬一 (、そい”煙)遁脂砂 匹翌麺細鼬虻一畳一 弾鯏情蝉翌魁骨ロ〃匝聖魁 凰而忽習ぞ鼬如 亀 弾鯏精迷馳一八K半鼬仙 ”ね鯏柄逢鵜H一入×や枳膣〆鞄鯏精迷絲H橿里鼬ね”詞鯏精進一八Kや關蝿: “ 后割鵜単鼬ね 亀 志絲締ヨ田韓・起鯏栢樺単覇鼬如”海鞘精蝉鵜H単劃朝 慨・起仙精迷絲H炉ミツ、遡長甥/ね鯏精逢鵜H垢ミr誕如〆報鯏慣逢絲風趣妃 』 ・而割芯麹鼬扣 亀 (ご掛等市 〃ご掛目絲側縦・己珊⑦熱燗筈底垣掛①絲入砿、”垣矧⑫絲櫟)絲省迷遜蓉魍 怪 百項圏H鼬扣 ミ P (ご掛困【売〆ご裂巴辨嗣噸畏料〃ご紐の鵜域雛娠鯉〃追矧【締則、 ご裂開辨鮭/垣翻。鵜逼&〃垣掛ロ糾唱副朴]・垣掛の端聖坦/垣研 ⑭絲〆巾喰”垣矧ト絲鰹案,垣矧局絲遥懇麗鵠〃垣掛詞絲鵠週)鵜令迷亟霞H dH趨趨趣tH拙く日鶏
他となっていたことからも当時日本が台湾を独占的に植民地支配していたこ とがわかる。
そして戦後、官民を含むこの膨大な資産が「日産(日本人財産)」あるいは
「適産」として国民党政府に接収され、国有化されたが表-5はその内訳を示
している。これからも金融機関をはじめ産業のほとんどの分野で日本企業が植民地と
しての台湾で経済活動を掌握していたことがわかる。一般的にみても低開発国のレベルから自発的・内発的に産業を起こし、資本
蓄積を繰り返しこのレベルまで到達するにはかなりの期間を要する。事実、当
時としては台湾は東南アジア地域では上海・南京・遼東とならぶ三大経済先進
地域になっていた。 こうした日本の残した資産が金融機関をはじめあらゆる分野に大小さまざまに分散していたが、こういった企業が集約・再編成されて国民党政権下に接収
ざれ官僚独占資本の基盤になった。ここに台湾経済体質の根元があり、良きに
つけ悪きにつけ開発独裁という名のもとに台湾経済発展過程に関わってゆくこ
とになる。 いずれにせよ、台湾経済は初発の段階である程度の社会資本、産業基盤、生 産技術を引継ぎ、これらをベースに経済開発の緒についたといえる。 4.経済発展の時代区分 1)1945年-1952年(初期混乱期) この期間は社会経済の混乱と悪性インフレの時代と特定できる。当時、台湾 の人々は50年に渡る日本の植民地という差別的な異民族支配からとき放たれ、 母国である大陸の中国の施政のもとで本来の、そして新たな夜明けを迎えるも のと胸を膨らませ、希望に燃え郷士の再建を誓った。そして、それまでは日本 の施政のもとで日本の勢力圏内で行われていた貿易も、施政の変更で大陸との 貿易に切り替えられた。 もともと台湾の輸出主要品目は米と砂糖で、これを日本本土に売り、その対 価として衣類、日用雑貨を購入する、というパターンであった託の輸出先が当 -84-沖縄大学紀要第7号(1990年) (表-6)時期別経済成長動向の主要指標 単位:(船) 出所:①CounciIforEconomicPIanningandDevelopment,TaiwanstatisticaIDateBookl986,pp、2,41,54, ②-,IndustryofFreeChina,VoLLXVll(67)No.1.Jan・’987.pp、5059 ③「中央日瓢(国際版),1987年1月8日,同2月1日。 注:(1)貿易依存度とは国内総生産(GDP)に占める輪出入の割合を指す。 の指数は年率または年平均比率である。 時の大陸の工業化が最も進んでいた南京、上海へ向けられたが、内戦の 混乱で品不足とインフレが高進しており、台湾はこれをさらに増幅して受け取 る格好になった。 つまり、肝心の中国大陸では第二次大戦終了と同時にこれまで抗日戦線を理 由に停戦を結んでいた国民党と共産党が時をおかず内線状態に突入し、大陸で は内戦に入り混乱が続いていたからである。 当時のインフレは1946年で25倍、1947年6.0倍、1948年114倍、と鰻登り に上昇し、ついに1949年には半年で10倍と言う勢いで高進し国民の生活を崩壊 の縁まで追いつめた。 こういった悪性インフレが庶民の生活をいかに苦しめ混乱に陥れていたかと いうことは、現在の日本の物価では3~4%台で推移しているためその苦しみ は理解しにくい。が、昨今の首都圏の地価の暴騰に似た現象が日常の生活物資 で起き、しかも毎年累進的に起きていることを想像すればいかに大変であった かが分かる。 こういった狂乱的インフレによる経済混乱がどうして起きたのか?これは大 -85- 53-'63(1) 、64-,73(11) '74-,79(IⅡ) '80-,85(Ⅳ) 初発成長期 高度成長期 不安定成長期 中度成長期 第1次輸入代替期 第21リWii入代観91第31肉1頃入代替期 内府主導型 輸出主導型 80 81 82 83 84 85 86 GNP成長率 &粟生産成長率 工業生産生長率 伯出成長率 消費者物価上昇率 貿易依存度比率 国民貯蓄率 資本形成率 74663301 ●●● ● ●● ●p 74148707 12 211 14476105 ■■ ● ● ● ● ● ● 14993654 1 12 522 40490639 己● ● ◆ ■ ■ ● ● 83233121 121933 15488701 ■■ ●C Oの●●● 70755034 1 032 1 10890203 ■ ● 白 ■● ●● 6皿旧川羽弧 7 77553803 0■ ● ● ● ● 50366肱20 ● I1133 30620042 0● O C 0 C C ● 31043605 932 96134910 ■B ● ● ■ ● ● ● 71461823 11 932 59280675 ●● ● ● c ● 胆31 0129 1 11 132 7 ■ 4 0 ● 2 452110 ● ● B ● ● ● I10628 931 82357353 ●●● ●● ● ■ の 02490Ⅲ76 1-12 131
陸の政治的混乱と不可分ではない。大陸で共産党に追われ敗走を続けている国 民党にとって大陸の中央における政権抗争の渦中で苦戦している状況から見ろ と辺境の地に等しい台湾の経済混乱はこの次の問題であったことは想像に難く ない。 その大まかな経過を追って見ろと次の通りである。 1945年一中国大陸への復帰 1946年2月28日-2.28事件(民衆峰起) 1948年一国民党の敗色濃厚 このころから大陸の紡績資本の流入が始まった。 1949年1月一陣誠(蒋介石の腹心)を台湾省主席に任命 5月一戒厳令施行 6月一通貨改革、農地改革、官業一部払い下げ、デノミ断行 10月一新中国成立(毛沢東の中華人民共和国) 12月一国民党台湾へ撤退 150-200万の兵、政府組織およびその家族等が台湾へ流入、 アメリカも「中国白書」で国民党を見切る 1950年6月一日台貿易支払い協定 ・朝鮮動乱勃発 アメリカ第7艦隊を台湾へ派遣、中国封じ込め政策
台湾の国民は1945年8月15日の日本の無条件降伏によって50年の植民地支配
からとき放たれ、前述したように母国中国の「三民主義」を治世の理念とする 国民党の治世のもとで郷士発展を誓い希望に燃えていた。 しかし、大陸では共産党との政権抗争の内戦で苦戦を続け、敗走している国民党政府は自治能力は低下しており、そこから送られて来た官吏や将兵の能力
やモラルは更に低かった。施政のあらゆる分野で公然と賄賂や癒着が日常化し、
将兵は略奪や小盗の徒と化していたと言われろ。当時台湾は植民地とは言え日本は施政、産業、教育の分野で「植民地政策」
という一定の意図はあるがストリクトな施政を行ってきている。従って、台湾
は当時は既に東南アジアの中でもなかんずく中国内部と比較しても産業、教育
-86-沖縄大学紀要第7号(1990年) その他あらゆる分野で先進地域となっていた。 こういった希望に燃えた先進地域に能力もモラルも低い官吏や将兵が新たな 支配階級として現れ、中央では政治的混乱が激化し、内戦が続く中で極度な物 不足により、前年にひき続きこの年の物価は実に6倍という悪性インフレは 高進するといった状況を見るにつけ、国民の希望は急速に色あせていった。
そして、`雲1946年の2月28日些細な闇タバコの取締りをめぐる不祥事を契機
に2.28事件が起こり民衆が暴動に走ったのである。 1948年国民党は共産党に追われて北京を捨て大陸で敗走を続けていた。こう いった状況を見るにつけ、機を見るに敏な資本階級は動揺しはじめており華南、 大和、中紡、大泰、擁興、申一、台元、台北といった紡績資本を中心とする大 陸資本は台湾へ逃避しはじめた。これに膨大な量の軍用資金の流入も加わった。 こういった逃避資本の流入が更に悪性インフレを高進ざせ114倍という狂乱物 価高を生じせしめた。 1949年蒋介石は南京の地も臨時の地と見て早くも1月に腹心の陳誠を台湾主 席に任命し地均しを命じた。陳誠は間を置かず5月には戒厳令を施行していろ。 そして、翌6月には通貨改革・デノミを断行した。これは大陸の不安定な経 済情勢を断つため法貨(中央政府の通貨)を廃止、台貨(台湾省の通貨)を新 めて発行し、これまで上がりに上がった物価を安定させるため4万元を1元に 引き下げるいわゆるデノミを継行したのであるが、これが実質的に大陸から政 治的、経済的つながりを断ち切るものとなった。 そして、大陸の共産化進行の波を予知し、大陸の共産党の行っているような 資本階級、地主階級追放といったような荒療法ではなく穏やかな方法で農地改 革を行った。つまり、地主階級の農地を小作人に解放する。そのかわりそれに 見合う代金を官業の一部を払い下げの形で地主に払い下げろ、といった妙法で 農地改革を進めた。 しかし、地主階級が二つ返事でこの改革案に賛成したわけではない。地主階 級にしてみれば労せずして富が保証されているわけだから、これに優る身分は ない。しかし、2.28事件のような前例や、大陸のように身ぐるみ剥がれて追 放の憂き目に合うことを考慮すると譲歩せざるを得ない事情もあった。 -87-一万、国民党政府側からすれば平民の豊かさ、つまり貧富の是正は国是であ る。農地解放によって地主階級は痛みを受けるが、これによってより多くの小 作人が労働意欲を高め生産に励めば総じて国も富む。これくらいのことをして、 より多くの人心を掴んでおかないと国民党の支持はこの台湾でも得られないく らい国民の生活は窮乏していた。 今までのように資本階級、地主階級の支持と擁護だけでは持たないことを大 陸の前例で知らされたからである。 しかし、この施策が後の台湾経済の強力な原動力になったのである。 この年の10月、大陸の毛沢東率いる共産党は国民党を北京から南京に追い落 し、北京で中華人民共和国樹立の勝利宣言をした。 一方、敗走を続ける国民党は最後の砦として台湾に将兵、政府体制およびそ れらの家族を率いて150万とも200万ともいわれる総勢で台湾になだれ込んだ。 当時の台湾の人口が600万人と言われているから食糧のみならず住宅、その 他社会資本の面でもまた社会的にもいかに混乱したかが分かる、と同時に短期 間に200万人もの人口増加に耐える台湾の国土の豊かさが窺える。 この間、アメリカは国民党を武器供与等で支援してきたが思いのほか戦況は はかばかしくなく、大陸に留まれず台湾へ敗走するの見届けて、その年の「中 国白書」で国民党支持を打ち切った。 2)1952年(経済発展への起点) この年を台湾経済発展の起点と位置づけたのは次の理由による。 1)悪I性インフレに特徴ずけられた経済混乱が通貨改革、および大陸との切 断によってようやく治まった。 2)1949年に始まった農地改革がこの年に完了し、これに付随してとられた 4大官業の民間払い下げが行われた。 3)アメリカの援助による「第一次経済4カ年計画」が始まった。 4)農業生産が急速に回復し、戦前のピーク時の水準まで回復した。 内戦の混乱に根を発する施政の乱れから諸々の条件が悪循環し、経済は崩壊 の淵まで追いつめられていたが、通貨改革によって大陸との関係を断つことが -88-
沖縄大学紀要第7号(1990年) できた。 また、農地改革は農民の生産意欲を高め、農業生産を急速に回復し戦前のピ ーク時までの回復を見たのである。 一方、元の地主階級は4大T1業の払い下げ等により新たな刺激を受け商鉱工 業活動に励んだ。これらは追いつめられた急場の策とはいえ台湾の豊かさと国 民の勤勉さによるものであった。 しかし、これらのllKl内の卜ll1il1i力川極しても台湾の将来が安全に保障されてい るというわけではない。人陳に」lミI)iLi党政権が樹立されろと必然的に年月を得る につれ、体制を'1引めろにつれf「湾解放の可能性は高まってきていたのである。 こういった時に朝鮮動,liLが勃発し、アメリカがいち早く中国封じ込め政策を取 り台湾を援助した。このことによって台湾は辛くも対外的に国際的対面を保つ 事ができ、アメリカの後押しで国連加盟もできた。 以後、台湾はアメリカという超大国の後ろ楯を得て飛躍的な発展を遂げろ。 3)1953年-1963年(初発成長期) この期間の成長を支えたものは何といってもアメリカの援助が大きい。アメ リカの援助は1951年から1964年までの15年間にわたって続けられたが、これは 年平均1億ドルにも達し当時の台湾経済のGNPの5~10%にも相当し、投資 分をカバーするものであった。 また、農業部門も順調に伸び、農業を基盤に官民とも資本蓄積がすすんだ。 政府のほうも米と砂糖で約’億ドル程度稼いでおり、これは援助とちがって政 府の裁量が効くため独裁経済とはいえ経済発展の先導の財源として大いに役だ った。 台湾には官業と民業があるが、この民業も大陸から逃避してきた紡績を中心 とする紡績企業と、農地改革で商鉱工業部門に転向した地主階級が輸入代替品 目を中心として国内企業を基盤として資本蓄積が進んだ。特に紡績産業はアメ リカの綿花原料援助を受けてその基盤を伸ばした。こういった資本蓄積を可能 にしたのは農業の年平均116%の伸びであった。輸出の伸びは246%と高い がその主力は農産物であった。物価も8.4%とやや高いがその前の混乱期に比 -89-
べろと相当に落ち着いたといえろ。 50年代末頃から輸出奨励策がとられ、税制、金融面でも優遇措置が講じられ たため輸出に拍車がかかった。60年代には投資条例が改正されて外資導入が積 極的にすすめられたため世界の多国籍企業の動きと呼応して外資が多量に入り 込んだ。その成果の上に66年に高雄に輸出加工区が整備提供され次期の飛躍の 基礎をつくった。 4)1964年-1973年(高度成長期) 第一期が農業発展を基盤にし、軽工業が輸入代替産業として経済の初期的発 展をしてきたのに対し、この時期はこれら従来の産業基盤をもとに大型外資と 多量に滞留していた低賃金労働がうまく結び付き国内生産を飛躍的に高めた時 期であった。こういった大量生産はまたたくまに狭少な国内市場を満たし結果 的に輸出プレッシャーとして働き輸出へと転じさせた。そして、輸出を飛躍的 に伸ばし輸出主導型の経済構造の基礎を創った時期でもあった。 この時期の発展要因を要約すると次の通りである。 l)先進工業国の海外進出の機運をうまく捕らえて大胆に外資を導入した 2)良質で大量の低廉労働があった 3)ある程度の基礎工業力が育っていた 4)ベトナム特需 5)輸出プレッシャー 当時、世界はおおむね平和が続き経済的にも好況が続いたため、先進工業国 では賃金上昇の圧力が高まる一方で過剰資本を抱えていた。企業はこういった 状況を切り抜けるため技術を平準化し生産設備を低廉労働地域に移すことによ って国際競争力をつけると同時に現地市場支配をも廉ねて販売網を拡大しよう という傾向が出始めていた。つまり、先進国多国籍企業が低廉労働を求めて海 外進出を図っている時期だった。
一方、当時台湾の賃金は日本の約光、アメリカの}/10という低さで、農
村部に推計100万にのぼる過剰労働力を抱えていた。 これらの労働力は量的に豊富なばかりではなく質的にもアジア地域において -90-沖縄大学紀要第7号(1990年)
は他の国よりも高かった。台湾は早い時期から教育に力を入れてきた歴史的経
過もあって初等教育も普及していたため近代的労働者としての資質も備えていた。
また、これまでに育ってきた軽工業・中小企業もある程度の技術を極養して おり紡績・衣料・セメント・食品・プラスチック加工・合板・その他雑貨とい った分野で一定の内発的段階に達していた。 こういった時期に政府が税制上その他の優遇措置を講じながら大胆に外資導 入政策を打ち出し、低廉労働力と既存産業を外資と結び付けたことは誠に時宜 にかなっていたといえろ。 更にいえることは、当時は戒厳令下にあり、労働組合運動は厳しく制限され ていたので労働市場はそういう面でも企業側にとっては好都合であったと言え る。 外的要因としては、この時期にベトナム戦争が始まり長期化しており、ベト ナム特需を生み出していたのである。これは日本の復興が朝鮮動乱の特需に助 けられたように台湾もこの特需に支えられて輸出を大いに伸ばした。しかし、 この場合も輸出iの主役は民業であった。 その結果、GNPが2ケタ代の持続的成長を遂げ、特に輸出は297%と急増し、貿易依存度も561%と50%台をこえた。そして貯蓄と投資もその比率
が上昇するにつれて均衡するようになった。 特にGNPが2ケタ台の伸びをとげているわりには物価が3.6%と安定して いたことであり、いわばインフレなき高度成長を達成し「黄金の60年代」を創 り出した。 インフレが起こらなかったのは、100万ともいわれる過剰労働力が吸収される課程であったことや前述の労働環境で賃金上昇一→物価上昇という悪循環が
抑制されていたためである。 この間、農村に滞留していた労働力も次第に工業部門に吸収ざれほぼ完全雇 用を達成したが、このことによって農業部門が衰退し、台湾の伝統ある農業社 会が次第に工業化社会へ転身した時期でもあった。 また、輸出品目もその種類を広げ伝統的な紡績衣料からセメント、合板、プ ラスチック製品、電器、電子その他雑貨とその種類を広げていった。 -91-5)1974年-1979年(安定成長期) この期間は、1973年に起きた第一次石油危機による経済的混乱をインフラを
中心とする大型投資による内需でカバーしながら構造的体力をつけ安定成長を
維持してきた時期といえろ。この時期の特徴は次に2つに要約できろ。 1)総額58億ドルにのぼる大型投資をインフレを中心として行い、重化学工 業化を進めた2)重化学工業政策と第一次石油危機がバッティングしてこれまでの高度成
長に波が生じた これまで化繊、衣料、プラスチック加工品を中心に輸出を延ばしてきたが輸 出が伸びるにしたがってこれらの原料輸入も急増してきたという状況があり重 化学工業的輸入代替産業の導入は自給率を高める意味からも愁眉の急であった。また、1960年代以降の経済の急速な成長の結果、インフラやエネルギー部門
が産業の発展に追いつかず経済発展を阻害する可能性が出始めていた。こういった状況を打開するためには政府は58億ドルにのぼる巨額を投じて社会資本の
整備と同時に重化学工業化に乗り出したのである。その中身は交通運輸、空港港湾、原子力発電などの7項目の社会資本の整備と鉄鋼、背石油化学、造船と
いう3項目の重化学工業への投資である。南北高速道路、桃園国際空港、台中 港などもこの時期に建設されたものであり、社会経済活動の活力を高めていろ。 このように`快調に成長を続けてきた経済も1973年に起きた第一次石油危機は 台湾経済に大きなダメージを与えた。重化学工業についてみろと石油を大量に消費する化繊衣料、プラスチック加工品、その他雑貨などを輸出して高度成長
を維持してきた台湾経済ではあったが1974年は11%とほぼゼロ成長に等しく、 物価も年率40%も暴騰した。しかし、政府は物価、金融、為替などの面で緊急 対策をとり、それが当をえて輸出は一時マイナスになったもののインフレは鎮 静化した。 前述の大型投資はこういった不況期を内需でカバーしたという意味において は大いに評価されろ。かくして'976年からは経済成長は2ケタ台を維持してい ろ。 しかし、ここで注目しておかなければならないのは政府が目論んだ石油、鉄 -92-沖縄大学紀要第7号(1990年) 鋼、造船といった重化学工業の消長である。このうち石油化学は1960年末ごろ から発展しはじめた産業であり国内に裾野の広いニーズを持っていたからこれ に支えられて伸びてきたわけでその延長線上で石化プラントの投資を図った゜ したがって石油の価格が高値安定してもそのレベルで需要が発生した。 これに対し鉄鋼は造船とのコンビで発想されたため石油危機による世界的な 造船不況で思惑どうりにはいっていない。この間の経済成長の特徴はGNP、 農業、工業、輸出の伸び率が1960年代のそれに比べ軒並にダウンしたのに対し 物価の上昇が目だつ(13%)。しかし、輸出騰勢は衰えず、そのGNPの 貿易依存度は916%と異常ともいえる規模にまで高まった。そして、所得の 向上と資本の蓄積がいっそう進んだことからGNPに占める貯蓄と投資の比率 が30%を越えた。これは日本のそれに匹敵するものでありこの時期の成長をえ て台湾はアジアNIESの代表的な国に躍進したといえろ。 5.1980年代以降の台湾経済 1980年代以降は先進国においても国内環境に変化が起き、低成長期に移行し てきた。これは先進国の多国籍企業が国内の賃金上昇圧力を受け、低賃金を求 めて海外に進出したため国内産業の空洞化が起きてきたという事'盾もあるが、 基本的には自由主義経済陣営の経済活動の中心をなすアメリカ経済が財政と貿 易の両面でいわゆる双子の赤字をだし、その活力の低下が表面化してきたこと にある。アメリカはこれまで貿易面でのアブソーバーとしての役割を演じてき たがひき続く貿易赤字傾向を打破するため、これまでの発展途上国への特別措 置が見直され特恵関税措置の撤廃や輸入制限の復活、さらに貿易障壁を高める 傾向がみえはじめてきたからである。特に最近はこれまでの自主規制、為替レ ートの是正、輸入割当等といったソフトな対応だけではいっこうに改善しない 状況にいらだちを見せ、強行策へと転じてきている。 最近とりざたされている「スーパー302条」(不公正貿易慣行に対する制裁 強化条項)などがそれである。これは対米貿易黒字が過大な相手国(日本、E C、NIESなど)に対して、対米黒字削減が進まない場合や米国内の景気が 後退した場合などに、この条項に基ずいて一方的に制裁措置をおこなうとい -93-
うものである。 戦後の台湾経済を概括するとアメリカからの援助と対日貿易関係の復活で、 1950年代の経済再建を乗り切った台湾は、60年代以降、大胆な外資導入政策を 打ち出しこれをテコとして工業化と輸出を促進し経済発展を成し遂げたがこれ はまた結果として輸出依存型の経済体質を作り上げた。この点では日本の歩み と似ているが、その道のりはやはり台湾独自のプロセスがあり、台湾独特の体 質を作り上げているので、この辺のことを述べる必要がある。 また、台湾経済はその発展過程でその産業構造を農業社会から工業社会へと 急速に変身してきたが、その間、産業構造も急速な変化を遂げ新たな問題が生 じてきている。つまり、所得水準が高まるにつれてこれまでの籔台湾が優位性を 誇っていた低賃金が高騰しはじめ、外貨一低賃金一輸出といった三位一体の構 造の一角が崩れてきており、その優位'姓が失われてきている、という産業構造 上の問題がある。 次に、台湾の企業構造をみろと、その特徴は官業・民業の二重構造になって いるが、自由市場で企業活動をする場合、官営企業の企業努力と効率'性が問題 になる。事実、これまでの台湾経済発展の索引力は輸出であるがこの主役は民 業であったし、企業集団化・拡大化が望まれる時期にきて、こういった体質が あしかせになっているという問題が生じていろ。 こういったことから1980年代に入って台湾経済も新たな局面に遭遇しており 今後の台湾経済を検討する上でもこれらの点を明確に捕らえておく必要がある。 以上の観点から、貿易構造、産業構造、企業構造の三点に紋って80年代の台 湾経済の抱える諸問題を考えてみたい。 1)貿易構造 台湾の対外貿易は1950年代から大きく日米に傾斜して発展してきた。ちなみ に50年の貿易を輸入で見ろと日米で76%を占めており、日本が344%、アメ リカが41.7%になっていた。特に日本との貿易は1949年に大陸で共産党政権が
樹立され、国民党が台湾に移動して大陸と対時する結果となったため台湾は再
びその輸出先を日本に振り向けざるを得なかった。実質的には1945年頃から政 -94-沖縄大学紀要第7号(1990年) '盾不安定な上海から日本に移していた。このことは同年6月には日本との戦後
処理を待たずに「日台支払い協定」が結ばれ、翌50年には「日台貿易協定」が
結ばれていることからも窺えろ。 次の表は1960年以降の対外貿易とその後の推移を現したものである。 60年代も日米貿易がその大半を占めていろという状況は変わっていないが、 その内容に変化が出てきた。表で見るように、まず輸出の面でみると日米の割 合が次第に入れ替わっていることが分かる。つまり1960年には対日輸出は37.7%で対米輸出は115%だったのが時がたつにつれその割合は入れ替わり、1985
年には対日輸出は113%、対米輸出は48.0%とほぼ逆転した格好になってい る。 一万、輸入の方は1960年代では日本からは35.3%、アメリカからは38.1% とそれぞれ3~4割台で両方合計すると74%にも達していたが次第にその割合 を減少させ1985年には日本からの輸入が276%、アメリカからの輸入が23.6 %となっており、両方を合わせろと5L2%と依然大きなウエイトを占めていろ。以上のことから、台湾の貿易構造は基本的には台米日の三国で構成されてい
ろといえる。輸出では60年代とその他地域が主だったがその後輪出先を次第に アメリカへ向けはじめ、85年代には丁度日本とアメリカが入れ替わった。 また、輸入では日米とも当初それぞれ35~38%と割合高い値を示していたが 暫減し、85年代にはそれぞれ27~23%と約10ポイント程減少していろ。これは 生産技術の蓄積により輸出産業部門への中間財の自給率の向上を示すものであ る。 また、香港との貿易も割合は少ないが対大陸中継貿易としての部分が含まれ ており、昨今の政治情勢から今後とも増大する余地を持っていろ。なお、1997年 に香港は中国に返還されることになっているが、台湾はこれまでの香港の果た してきた機能の一部を担う可能性もあり注目されるところである。 次に、貿易収支であるが、台湾の貿易収支は1950年代から60年にかけては赤 字基調が続いていたが、70年代以降は黒字基調に転じ、1979年の第二次石油危 機の影響を受けた1980年の7,700ドルへの落込みを除くとうなぎのぼりに増大 し、ついに1985年時点では100億ドル台を突破し世界の注目を集めた。 -95-(表-7)対外貿易および対日米貿易構造の推移(1960-85) 金額(%) 金額(%) 金額(%) 金額(%) 出所:数値が四捨五入の調整により、1ないしは0.1%の誤差がある。 注:CEPD,TaiwanStatisticalDataBookl986,PR209-220. (表-8)年代別華僑資本および外国人資本の進出状況(1952-86年) 出所:①CEPD,TaiwanStatisticalDataBookl986,PP、263-264.
②CEPD,IndustryofFreeChina,VoLLXVII(67)No.2Febl987,
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合計 輸入 輸出 収支 金額(%) 金額(%) 金額 日本 輸入 輸出 収支 金額(%) 金額(%) 金額 0516012345 6677888888 9 1 297(l0qO) (100.0) L844(1000) 7,599(100.0) 19.733(1000) 21.200(100.0) 1M88(100.0) 2q287(100.0) 2L959(100.0) 20102(1000) 164(lOqO) 450(1000) 21060(IOqO) 8,166(l0qO) 19,811(]00.0) 22,61】(1000) 22,204(100.0) 25,123(100.0) 3q456(100.0) 30,723(l0qO) 3667726671 3016711392 1125 43846 ’一1348Ⅲ 105(35.3) 221(39.8) 827(44.9) 2451(323) 5,353(27」) 5,929(28.0) 4,780(25.3) 5,587(27.5) M42(29.3) 5.549(27.6) jjjJjjjjjj 7694097953 ●0●●●O●●●□ 7013100901 3311111 1l くくくくIくくくくく 2855349761 6349756786 120143414 1222233 3 4 327 885 0 8 531 4■&、ⅥⅡ凸nMUP院。)o〔U 円,〃0■■■8■日日&P、』(〕〔U △■巴●曰扣■。1Ⅱ凸n刀〃しn叩〉 1332332 113(38.1) 176(31.7) 408(22.1) 1798(23.7) 4673(23.7) 4,766(225) 4,563(24.1) 4,646(22.9) 5,042(23.0) 4,746(23.6) 合計 華僑資本 外国人資本 件数 金額 件数 金額 件数 金額(%) 計 3,757 5.930 1.827 1.240 1930 4,690(100.0) 1952-59 60-69 70-79 80-86 2 7 500 693 041 1LL 0028 2037 486 00 13 52 569 815 391 9 124 609 498 0659 2973 467 11(100.0) 276(100.0) 1223(100.0) 3,180(100.0)沖縄大学紀些第7+』(1990{1;) 単位:100万ドル その他