Title
教育における素質と訓練の一考察
Author(s)
永野, 善治
Citation
沖縄大学紀要 = OKINAWA DAIGAKU KIYO(1): 107-123
Issue Date
1980-03-31
URL
http://hdl.handle.net/20.500.12001/5663
卸
教育における素質と訓練の-考察
永野善治 はじめに 「こういう問題に、あなたは答えられますか、ソクラテス。-人間の徳性とい うものは、はたして人に教えることのできるものであるか。それとも、それは教 えられることはできずに、訓練によって身につけられるものであるか。それとも また、訓練しても学んでも得られるものではなくて、人間に徳が備わるのは、生 まれつきの素質、ないしはほかの何らかの仕方によるものなのか.・・・。」 これは、プラトンの『メノン』の冒頭(70A)に出てくる問いかけである。ここ で問われていろ「徳」とは、一般に、それを具備することによって、そのものがす ぐれた特性を発揮することのできるもの、という意味で、よさ、卓越性、能力など と訳されろ「アレテー」をさしていろ。ところで、紀元前5世紀のアテナイの民主 制ポリスでは、市民が、家系や財産などにはかかわりなくポリス(都市国家)の政 務に参与する仕組みになっていて、能力さえあればだれでも指導的地位について名 声をあげることができたという。したがって、「アレテー」とは現代風に言いかえ れば、国家・社会の一員として有為な人物になるために必要な政治的・社会的能力、 というほどの意味に理解することができるであろう。 現代のわが国での教育は、学校教育を例にとっても、幼稚園から大学までの「学 校」を主軸に、高等専門学校や専修学校などの体系がこれに並び、通信教育制度や 放送大学などの網目が拡大されるというふうに、制度も仕組みも多種多様になっ てきていろ。これらを外から眺めろと、教える者は、教えることによって知識や技 -107-術は授けることのできるのであり、学ぶ者は、教えを受けることによってこれらを 獲得することができるということが、いわば自明のこととして前提にされているよ うにも思われる。しかしその内実に目を向けたとき、その前提は必ずしも明白だと はいえないのではなかろうか。学校教育が普及されるのと歩調を合せるかのように、 教育上の種々様々な問題が次から次へと新たに問われてくるのが現実である。学校 教育に携わっている者として、反省し吟味しなければならない課題は、いろいろな 局面に山積していろといわなくてはならない。 そのような状況のもとで、われわれは「新生沖縄大学」の歩みを踏み出したので ある。入試制度の改革をはじめ、受け入れた学生に対するカリキュラムの新しい構 成、教授上の技術や方法などについての検討がこれまで試みられてきた。これら全 学的な動向に身をおきながら、筆者は、一般教育の領域で哲学や倫理学を担当する 者として、大学教育全般のいとなみの中で自分が担う領域をどのように位置づけを すればよいかを考えてきた。そしてその手掛りを、ソクラテスが問われたような意 味で、つまり、教育活動において、「生まれつきの素質」(ingenium)と「後 天的な努力もしくは訓練」(disciplina)とのかかわりをどう理解すればよい か、という問いに置き換えてみることにし、それについて、プラトンやアリストテ レスのような高等教育のすぐれた先達から、どういう考えを学び取ることができる であろうかを、整理してみたいと考えるのである。 ロゴスの尊重 ヴァティカンにある数多くのラファエロの大壁画の中に、「アテナイの学堂」 (ScuoladAthene)というのがあるという。そこでは、中央のアーチの下に、 多くの学者・文人の見守る中で、プラトンが、髪は少し薄くなったというものの、 右手の人差し指をまっすぐ天に向け、左手には『ティマイオス』をもってアリスト テレスをじっと見すえていろ。他方、壮年のアリストテレスは、さっぱりと整った 服装に英気をみなぎらせ、左手に『エテイカ』をもち、右手はまっすぐ前にさし伸 ばして、師に負けじとばかりに論陣をはっていろ、ということである。
-108-この「アテナイの学堂」とは、いうまでもなく、プラトンの創設による世界最初 の高等教育機関で、アカデメイアとして知られているものであり、紀元前387年 ごろから紀元529年にローマのユステイニアス帝によって閉鎖されるまでの九百 余年間、学問の組織的な共同研究の場として存続した。この伝統は、中世のキリス ト教ヨーロッパでBologna,Paris,Sarelnoなどのuniversitas(大学) が創立されたとき、イソクラテスに由来する教育計画とともにその原型として
模範にされ、(1)ひいては、近世欧米諸国から現代のわが国の大学教育に至るまで、
連綿とその流れを持続しているものである。 「アテナイの学堂」の学風について、プラトンの著作を通してうかがわれるのを 約言すれば、「言論を尊重する」ことにあると思われろ。これは、哲学の伝統とし て、遠くへラクレイトスの ●●の● 「わたしに聞くというのではなくて、言われてし、ろことわり(ロゴス)そのもの に耳を傾けて..。」 に遡ることのできるものである。ご高説を拝聴しようとかご意見を承わる、という ことではなしに、ことばで言い現わされた内容が、教える者と学ぶ者との間に共通 の場として置かれ、それを相互に客観的立場から吟味し、言われたことの内容を検 討してみて、「真実」に従うという態度である。 この態度は、プラトンの多くの対話篇に登場してくるソクラテスにおいて、きわ めて顕著に見られる特徴である。たとえば、『ゴルギアス』や『プロタゴラス』な どでは、いわゆるソフィストを相手にして、徹底的な対話の交わされる模様が伝えられていろ。ソフィストたちの「弁論術」のねらいは、議会の議論や法廷の論争で
勝つことに最大の目的がおかれ、ありとあらゆる技巧を弄して聴衆を説得することであった。(2)その秘術を授けることができる、.と自称して登場してきたのが
「徳の教師」だった。フィーリング1乙ものをいわせる言論議で世論を動かして、勝
利を得る秘訣の授け手なのである。それに対して、ソクラテスの問答法は、演説者
の長口上に短い区切りをつけ、それがロゴス(論理)にかなうかどうかの検討を重
ね、相互の理I性による納得にもとずいて思想を展開させる方法である。 -109-もともとわが国の伝統では、単一民族が同系のことばを用いる環境のもとで社会
生活が営まれ、以心伝心の直感が尊重されてきたというせいか、こういう種類の論
議の進め方にはなじみが少なく、またその必要もなかったのかもしれない。しかし
戦後の風潮として、様々の伝達手段が急速に発達してきたために、情報は生活のあ
らゆる領域に流れ込んでくる。しかもこの種の説得は、広義の言葉(文字や映像)
を使って、一挙にわれわれの考え、思い、望みの全体に働きかけてくる。受け取る
方としても、興味や好奇心の対象を即座に捕捉できるような錯覚におちいりやすい
ものである。このような、日常の生活の場での実感からして、ソフィスト風の言論
の浸透は、意外に広く深くなっていろともいえるのではなかろうか。・
ツフィストたちの強調する「言論の能力」の開発という構想が、紀元前5世紀の
アテナイのポリスで、どれほど注目すべきものであったか、また、それ以後の組織的・計画的教育の歴史でどういう影響を及ぼしてきたかということについては、筆
者は、前に「沖大論叢」(3)で素描を試みているので、あらためて指摘することは
しないでおく。ここでは、いわゆるソフィスト流の弁論術と対比したときの、
ソクラテスの問答法について注目したいのである。「ゴルギアス』におけるポロス
との対話を例にとって調べてみよう。これは、ポロスが、ソクラテスとの一問一答
を重ねていくうちに窮地に追いつめられ、不利な方向に進んでいくので、腹立ちま
ぎれで「人に訴えろ」論法に転じたところに出てくるものである。
「おめでたい人だよ、君は。弁論術のやり方でもって、君はぼくを反駁しようと
かかっているのだが、それはちょうど、法廷において相手を反駁しているつもり
の人たちがするのと、同じだからね。というのは、あそこでも、一方の側の人た
ちが、自分たちの申立てる陳述について、数多くの、しかも名の通った人びとを
証人として持ち出しているのに、相手側のほうは、だれかくだらない証人を-人
しか、あるいはその-人さえも持ち出せないでいるような場合には、前者は後者
を反駁しているように思えるからなのだ。しかし、この種の反駁は、真理に対し
ては、何の値打ちもないのだよ。なぜなら、ひとは時によると、数多くの、しか
もひとかどの人物と思われている人たちによって偽りの証言をされて敗れること
-110-もありうろからだ。 「しかしながら、ぼくとしては、たとえぼく-人になっても、君に同意しないつ もりだ。というのは、君は論証の力でぼくが同意せざるをえないようにしている のではなく、ぼくに対して偽りの証言をする人たちを数多く持ち出すことによっ て、ぼくの財産である真理から、ぼくを追い出そうとかかっているからなのだ。 「ぼくのほうとしても、君自身を、たとえ君一人であっても、ぼくの言うことに 同意してくれる証人としてしまうのでなければ、ぼくたちの話し合っている事柄に ついては、何一つ語るに足るほどのことも、ぼくはなしとげてはいないのだと思 っていろ。」(271E~272C) これで明らかなように、ソクラテスの立場では、対話が成立するための不可欠な
前提として、討議されることがらを前にして、お互いが対等の一対一の立場にある
という関係が確立されなければならないのである。しかも、討論におけるような、
勝負にかかわる優越感や劣等感、他人を意識した体裁づくり、感I清の起伏、支配欲
などをできるだけ制御して、ことの次第をひたすら冷静に吟味する、「ロゴス」を
持った人間を尊重するという、基本姿勢が求められているのであるJ4)
ソフィストたちが教える弁論術を、プラトンの語るソクラテスが、数々の対話篇 を通してどうしてあれほど批判すろかの真意を理解する手掛りが、ここにあるよう に思われろ。社会の要求に応じて登場してきた、青少年の能力の開発のための教育手段の考案設定は、たしかに「有為な市民」となるためのもので、それには、弁論
術(修辞学)その他のいわゆる教養のための教科目が案出されなければならなかった。しかし教育には、ソフィスト風の知識や技術の伝授や修得のほかに、まず第一
にそれぞれがロゴスをもって対話を交わすことのできる、ひとりの人間として尊重 される領域がなければならない。説得には、いうなれば勝つか負けるかという面が あるのに対して、対話では、「あなた」と「わたし」が基本的には対等の関係に立って、ことの次第を明らかにするために、「ことわりそのものに耳を傾けろ」相互
の態度が、まず確立されなければならないというのである。 -111-労働のみのり アリストテレスは、この学風の中で20年も育てられ、高弟として後進指導の重 責をにない、あげ<はリュケイオンに新学園を創設した俊才である。 ヨーロッパが独創的に開拓した、いわゆる自然科学の分野における驚異的な展開 を眼前にして、「学的認識」の成立についての理論的根拠を与えるのを自らの課題 としたカントは、アリストテレスについて、 論理学がこの確実な道を、すでにもっとも古い時代から進んできたということは、 それがアリストテレス以来一歩も後戻りをする必要がなかった、ということから も見てとれろ。 と評していろ。(『純粋理性批判』第二版序文)つまり、自然現象を法則によって 解明しようとする科学的思考において、最強の武器である「推論」の方法的原理と 形式とが、アリストテレスによって周到詳細に検討されており、これが後の時代の 形式論理学に決定的な方向と内容を提供している、というのである。 アリストテレスは「ロゴスの尊重」の精神を継承したのであるが、それだけにソ クラテス的問答法については批判的な方向に進んでいった。その立場によれば、問 答法は、世人一般の通念や学者の経験的知識に立脚した推論であるから、経験的゜ 歴史的領域での知識の集積と発展には寄与するだろうけども、人間のロゴスが厳密 な知識を得るのには不十分だ、というのである。厳密な論証的。科学的知識を探求 するうえで、われわれが労働のみのりを確保するためには、考察の出発点を、これ までのような任意な不安定なものではなくて、確実。不動なものに定めなくてはな らない、と考えたのである。 思考のはたらきによる、すべての教授、すべての学習は、どれもみな、学習者の 内にあらかじめ存する認識から生まれてくる。これは、そのすべての事例をひと つひとつ眺める時、明瞭である。じっさい、数学的な諸科学はこの方式で得られ てくるし、その他の技術のそれぞれもまた同じである。 という『分析論後書』の冒頭の文言(71a)に、その基本的な考えが明確に表明さ れていろといえるであろう。 -112-
つまり、アリストテレスによれば、人間における学的知識の習得というものは、 原初に与えられる知的所与を基盤とし、そこにいとなまれる思考活動の展開もしく は完成態にほかならない。そのような知識が確立されるためには、その前提として、 教える側にも学ぶ者にも、共通の出発点がなければならない。その出発点として、 「推論」についていうと、推論があらかじめそれを前提しそこから出発してなされ る第一前提(推論原理)として、公理、基礎定立、定義の三種があげられていろ。 しかも、この出発点は、求めようとする知識が、数か、図形か、生物か、物体かと いうような、対象が異なるにつれて、その対象に固有なものが選ばれなければなら ない。こういう確実な出発点を足場にして、「科学的な推論」といわれる論考が、 吟味され、整理され、体系づけられた方法と規則に則して進められることによって、 しだいに完成態に導かれるのである。 このように、学問的知識は、個々の領域に関する厳密な論証科学に進展するので あるが、ここでは、これ以上の言及はひかえて、「素質と訓練」という標題に関連 して、二つのことを指摘したいと思う。 第一は、教育可能性についてのアリストテレスの確信が、人間性の基本構造に根 ざしていることである。「すべての人間は、生まれつき知ることを欲する。」とい う『形而上学』巻頭の名言(980a)は、周知のところである。知識への欲求は、 人間本来の「素質」によるものであり、これが学問的知識に発展していくための重 要な基礎も「学習者の内にあらかじめ存する認識」にある、という洞見に注目した いのである。 アリストテレスによれば、学的認識については、いかなる徹底的懐疑すら立ち入 る余地のない、証明を必要としない「明証」でもって主張できるような確実な基礎 を、われわれは本性的に具有していろというのであって、この点については、カン トが、学的認識の客観性の根拠は理性の本来的構造にある、というのを、いわば先 取りしていろともいえるであろう。このように、教育における学的知識の授受とい うものは、いわば、物と物との交換みたいな、外面的な出来事でなく、また、表面 や周辺で行われる取り引きでもなく、そうかといって、白紙のような精神に外から -113-
何かを注入するという、というものではない。教える者と学ぶ者がそれぞれ本来的
に備えている根源的素質が相互に触発し合いながら、そこにおかれたもの(客観一
対象)本来のことがらに確認できる確実な基礎を出発点として、歩んでゆくものな
のだ、というのである。この考えは、教育という人間活動の理論的根拠づけとして、 学ぶべき多くのことがらを内包しているものと思われろ。 第二の点は、アリストテレスのいう論証的学問、つまり、対象が明確に分化され、 それについてのより厳密で確実な本質構造についての知識に到達するために、注意深く考察された法則や規則に則して進められる科学的思考の特性lこづいてである。
さきに、科学的知識の客観性の根拠として、理性の本来的構造をとりあげたカントに言及したのであるが、アリストテレスにおいては、それだけでなく、その客観
性の基礎になる出発点は、「対象が異なることによって、その対象に固有なもの」 が選ばれなくてはならないと主張することによって、科学的知識の客観性は、また、 客観(対象)固有本来の構造についての洞見がなければならない、としていろ。こ の点において、カントにはない特徴をもっていろ。つまり、知識の客観性の基礎は、 人間理性の本有的構造と、対象としてそこに置かれた「所与」について洞見される 基本的構造との両者の、力動的な触発による融合が出発点であるというのである。 知識の客観性について、対象の側からなされる理論的根拠づけとして、これまた注 目すべきことといわなくてはならない。 このようにして進められる科学的思考の、分野の広さや論考の深さについては、 驚嘆のあまり圧倒されるほかはないのであるが、ここでは、アリストテレスのいう 分析(論理)の法則と規則の性格について考えることにしよう。人間の理性が思考 を進めるうえでの筋道を、このような形で取り出して明確にし体系づけるのには、 アリストテレスほどのすぐれた才能と努力を必要としたのはいうまでもないことな がら、他方、そのようにして明らかにされた法則や規則は、それらが確立されたと たんに、その個人の手を離れて人類の共有財産として広がり、やがて、その領域に おいて普遍的拘束力をおびるようになるのである。したがって、特定の学問知識を、 -114-そこに至るまでの法則や規則を通りながら、自分の才能や素質に顧慮するというよ
りは努力と訓練でもって、学び取らなくてはならない。これを裏返していうならば、
学ぶ者は、たとえアリストテレスほどの才能や素質に恵まれていなくとも、アリス
トテレスの歩んだ跡を追いながら学んでいくことによって、アリストテレスが到達
した水準までの学的知識に到達することができる、という原理的可能性が、だれに
でも開かれているのである。これは、他には見られがたい、この種の知識のきわめて独特な性格である。人間
の労働のいとなみで、これほど綿密に組織立てられ、これほど豊かにみのりの保証
されているものが、ほかにあるだろうか。論証的学問ばかりでなく、それを応用す
る機械・技術、ひいては高度に組織化される機構の領域についても、同じようなこ
とが言えるであろう。教育の成果がきわだって目に見えるのも、その多くがこの分
野に属しているのである。 大地のめぐみプラトンが、どれほど師を尊敬し、慕い、その死において生のすばらしい極致を
垣間見て感動したかは、これが、エケクラテス、われわれの友なるひとであり、われわれの知りえたかぎ
りにおいて、まさに当代随一のひとともいうべく、わけても、その知恵と、正義
において、他に比類を絶したひとの、最期であったのです。
という『パイドン』の結びの文言(118A)で、端的に表明されているように思わ
れろ。ところがそのソクラテスは、教養を求める青年たちのあこがれの的の「徳の教師」
を相手に論争をいどみ、相手をいら立たせるような逆説でもって、仔馬の調教なら
ばいざ知らず、ポリスの一員として具備すべき市民の徳が、なにがしかの報酬との
交換で教えたり授けたりすることのできるものではない、と真っ向から反論をさし
むける人、として先ず描写されているのである。
その有名な「無知の知」の探求については、「ソクラテスの弁明』が刻明に伝え
-115-●● ていろ。これを要するに、人間として、ただ生きるだけでなく、よりよく生きろう ●● えで、だましい】HPできるだけすぐれたよいものにするように心を用いることはせず、 富やI快楽、評判や地位のことばかりに熱中するのは、なによりも愚かで恥ずべきこ ●● ●● とではないか。ところで、たましいをすぐれたよいものIこするには、「よさとは何 か」について確実な知的把握がなければならないはずである。にもかかわらず、 その者が、徳(よさ)を持っているように言い張っているけれども、じっさいに は持っていない、と私に思われるなら、いちばん大切なことをいちばんそまつに し、つまらないことを不相応に大切にしていろ(29E~30A) という非難を投げかけることを、私は止めるわけにはいかない。たとえ法廷がこれ を禁じ、よしんば、そのせいで生命を奪われることになろうとも.・・・これが、 法廷における弁明の核心である。 他人からも世間からもいやがられ、にくまれ、排斥されても、この非難・追及を なぜ止めなかったのだろうか。ソクラテスにとっては「それが神の命令だから」で あり、「このポリスの中で、神に対するこの奉仕以上に大きな善は、いまだ一つも 行われたことがない」から、という不動の確信による、というのである。この確信 の基盤は、何だったのだろうか。それは、デルポイの神託についていろいろと思案 ●● をめく゛らせ、遍歴を重ねたあげ〈、人間の持つ知識は、部分的な不完全なよさにつ ⑥● いてのものばかりであって、「よさそのもの」についての確実な知的把握があるわ ●● けではない。よさそのものの知(真の知)は人生のよき歩みを全うするのに、この 上なく大切なものというけれども、それは、神だけに許されるものであって、人知 の及ぶところではないといわざるをえないではないか、という洞見に達したという のである。そこから、ソクラテスとしては、じっさいは持っていないにもかかわら ず持っているかのような人知の思い上がりがあれば、これを徹底的に糾弾し、その ●● 意味での「無知」(真知を持っているのではなし、)を自覚させるまで、追及の手を ゆるめるべきではない。と同時に、人間の持つことのできるほどの知識を持ってい るからといって、それ老誇らしげに見せびらかすようにsophistes(知を持つ者) などと自称するのは、はなはだおこがましい態度であり、持っていることを鼻|こか -116-
けて持たない者を見下すなど、まことに、鼻もちならぬ尊大な態度である。 したがって、知識の領域で、人間の分限に許された最高の恵みは、このような次 第を経て、こういう「真知」をめざして、それにできるだけ接近しようと不断の探 求を続けるところの「愛知のいとなみ」(フィロソフィア=哲学)といわなくては ならない。そういう探求者こそソフィストならぬフィロソフォス(philosophos) である。このような正覚にたどりついた次第が、謙遜の念をこめて語られているの. である。 われわれの考察で、プラトンの伝えるソクラテス像から学ぶのは、まずこのこと である。初期の対話篇に登場するソクラテスの問答には、相手を窮地に追い込んだ り、皮肉や逆説で痛打を与えたり、見解の皮相さを非難したりする場面がよく見ら れるのは事実である。つまり、高名のソフィストや社会の実力者までが、批判の対 象にされ、攻撃の矢をかわそうとしては失態を演じる事例は数多くあげられていろ。 しかし、人間教育において学ぶべきことを、このようなところに求めるとすれば、 それはプラトンの真意から外れることになるであろう。 人間の生活には、生きるためにはもちろんのこと、生活水準の向上のためにも、 技術の習得、芸能の熟達、学識の獲得など、いわゆるソフィスト風の教育で強調さ れる訓練のおかげで達成されろ、多種多様のものが無くてはならない。それらはす べて、授けられることによって受けることの可能な性質のものである。しかしなが ら、はたして、それらが無くてはならぬもののすべてといえるであろうか。たとえ ば、人間としての尊厳性とか、個性や人格などはどうであろう。これらが、交換の できるものとは到底いえまい。これらについては、たとえ親でも教師でも、他人が 自由に手を加えてよいものでは決してなく、むしろ、触れることさえ手控えなくて はならないような、畏敬の念で接すべき「聖域」に属するものといわなくてはなら ない。 人間にとって、無くてはならぬものには、教育によって授けられるもの、訓練に よって獲得されるものが、確かにあるけれども、このような教授活動とは別の次元 に観点を移さないかぎり、われわれの目には映ってこないものがあるのである。わ -117-
れわれの目も思いも望みも、自然発生的に「われわれにとって近いもの」に拘泥す る傾向があり、身近なものの獲得でもって、満足し安住しがちなのは、日常の経験
がこれを示すであろう。これを打破して「目には見えない」「無くてはならぬもの」
の領域に自分の観点を向けるためには、ソクラテスのような皮肉や逆説を受けない
かぎり自覚できない、どろどろしたものが人間'性のうちにひそんでいることを、ソ
クラテスの問答は指弾しているのではなかろうか。おのれを絶えず「持たざる者」の身におきながら、「神だけにしか許されない」ような完全と充満に眼を向けて生
きる姿を、ソクラテスの生と死を貫く言行が樹立した道標が如実に示しているも のと思われるのである。 ソクラテスの「愛知のいとなみ」をみごとに継承し、明確にし、深化したばかりでなく、それを大きく発展させた思索の軌跡を、われわれはプラトンの対話篇にお
いて見るのであるが、こと高等教育に関しては、『国家』にその総合的な考え方が 示されていろといえるであろう。あれほど偉大な師が処刑されろという理不尽がなぜ生起したか、を考えたと
●●き、プラトンは、人間がすぐれたよいものになるためには、ソクラテスカヌ強調する
ような徳の極養に個々人が努力するだけでは不十分で、国家社会も、すぐれたもの
にならなければならない、としたのである。プラトンの語るソクラテスには、えて
して、富にも名誉にもふり向かず、ひたすら、たましいをできるだけすぐれたもの
にすることに気を使わなくてはならない、という主張が強調され、結果的には、法
律も為政者も指導者も必要としないような、理想的人間像が浮び上がってくるふし
がないでもない。それにくらべて、ソクラテスを語らせるプラトンには、人間の生
来の性格にはさまざまな欲望がひそんでいることを、一つの所与の事実とみなした
上で、個人についても国家社会に関しても、それらの現実の多様性を適切に位置づ
け、制御しながら統合への方向づけをするための原型が、「言論の上での国家」で
探求されている。その壮大な構想を進める考察の中で、
政治的権力と哲学的精神とが一体化されて、多くの人々の素質が、現在のように
-118-この二つのどちらかの方向へ別々に進むのを強制的に禁止されるのでないかぎ り、国々にとって不幸のやむときはないし、また人類にとっても同様だとぼくは 思う。 という、あの有名な「哲人王」による支配、という逆説中の逆説の宣言(473C- D)が登場してくるのである。しかし、ここでは、その哲人政治家の教育について の論考との関連で、標題とのかかわりにおいて学ぶことのできろと思われるのを指 摘してみたい。 その構想を要約すれば、まず、幼少のときに、家系や血統にかかわりなく、知の 探求にふさわしい素質の者を検討と吟味でもって選別し、それらの少年に対して、 富と快楽が離脱できるような厳格な訓練が、発達段階に応じて秩序づけられた教育 課程に則して、実施されなければならない。それに耐えることのできた者について、 青年期から始まる高度の教育が、いわば生涯教育のような形で試みられろ。そこで は、軍事的役割や経済的活動に専念する人たちには許される私財の所有が禁じられ、 妻子の共有までが要求され、なおかつ、世間からは「星を見つめる男」とからかわ れ、「ろくでなしとはいわれぬまでも、役立たずの者たち」と笑われ、とどのつま りは、「あたかも嵐のさなか、砂塵や強雨が風に吹きつけられてくるのを、壁のか げに避けて立つ人」のような不運不遇をかこたねばならないほどの、厳しい試練が 課せられるのである。 こういう構想のもとで、周到な計画にもとづく厳格な訓練が具体的に述べられて いるのであるが、たとえそれが実現可能性を想定してというよりは「言論の上で」 のこと、つまり、具体的。現実的事例に遭遇してそのよしあしを判断したり、是正や 改善をめざしたりするとき、いつも仰ぎ見ろ「範型」を示すために進められた考察 である、と理解したとしても、その訓練の中味には相当の厳格さが織り込まれて いるといわなくてはならない。 しかも、プラトンにとっては、そういう訓練そのものとかその成果が、教育のい となみで大事なものとは考えられていないように思われろ。こころみに、そのよう な厳しい試練をもあえて耐え忍び、困難な探求の熱意を燃え立たせろ、その原動力 -119-
は、いったい何なのだろうと間うてみよう。それは、われわれのたましいにひそむ 根源的なエロスだ、とプラトンはいう。このエロスについては、『饗宴』や『パイ ドロス」の、甘美にして雄麗なミュートス(説話)で語られているのであるが、 『国家』では、このエロスの羽ばたきに支えられて飛翔して、イデア、とりわけ 「善のイデア」を垣間見るときの喜悦が、壮厳なミュートスの「洞窟の比愉」(514 A-521B)でもって語られていろ。それは、探求の険しい道を登bつめ、学的 知の極限にまで至った者に、ようやくにして、肉眼(理性的言論)で見れば視力を 失ってしまうほどの強烈さと、多彩で生気に充ち満ちた姿で開示されろ、真実在の 超越的なエイドス(実相)の輝きなのだ、と述べられている。つまり、訓練も努力 も、その厳しい探求の道は、それを登りつめた所でさらに正覚を得て、「魂の向け 変え」が成就して、はじめて、その真価が発揮されろと考えられているのである。 学的探求の出発の始源にあり、探求や訓練の様々な難関を乗り越えるための努力 の原動力となるエロスについても、それからまた、至難な道を登りつめたあげ<、 超越的エイドスを垣間見る喜悦についても、プラトンは、「論証の論理」ではなく て、あたかもそれでは語り尽せないものであるかのように、ミュートス(説話)で もって語っていることに、注目しなくてはならないと思うのである。 人間の理性が知識を獲得するためには、理性の言語を使い概念を駆使し、対象に ふさわしい方法と規則に従って、探求の道を-歩一歩と進まなくてはならない。し かし、反面、対象は、どんなに単純に見えても、そのような理性の細分化を許さな い統一と全体性を保持しているものではなかろうか。その全体性を、どのようにし て把握すればよいというのであろうか。細分したものを寄せ集めても、それがその まま全体になるとは言い難いのではないか。たとえ、理性による把握以外に、対象 を理解する手段をわれわれは持たないのだと言われても、この問いに答えることには ならないのである。それからまた、アリストテレスのいう理性の公共性や普遍性は、 学的認識を獲得するうえで、たしかに有力な武器ではあるけれども、それが確立さ れてしまえば、いうなれば、規格化された世間並みの「風化した正気」の理に堕し
-120-てしまって、知らず知らずのうちに、生気あふれる創造への探求の道を塞ぐことに
なりはしないだろうか。探求の出発点や前提についても、考察が進められるために
ある程度の安定性がなくてはならないけれども、対象というものは、その真相を明
らかにしようとする者に対して、安定したかに見えた前提についてさえ、再吟味し
て改変したり置き換えたりしなくてはならないような必要性を追ろ場合があるので
ある。とすると、論証の領域にこれらの問題点があるとして、これを解決するためにま
た新たな論証の論理を持ち出すことは、ある種の困難があるとも考えられる。プラ
トンのミュートスには、この困難を避ける役割があるのではなかろうか。つまり、
近世ヨーロッパの哲学思想がたとえばカントに見られるような、人間理性の限界を
強く意識して、その範囲内での合理尊重のいわゆる理性主義が行き詰りの感を与え
たということで、「実存」という観点から人間の問題が提起されたとき、この提唱
者の中には、その哲学思想を表明するのに、従来の哲学の様式ではなしに、文学・
音楽・戯曲などを用いた例がよく知られているのであるが、そのことが連想させら
れるのである。プラトンのミュートスについても、これに似たことが言えはしない
だろうか。プラトンのdialektike(問答法)はアリストテレスのそれとは違い
はありながら、それに劣らず綿密な理性思考であり、ミュートスは、dialectike
とは異なる要素を持ちながらそれを包攝し、それに豊かないのちを与えているよう
に思われるだけに、いっそうその感じを深くさせられるのである。
探求が到達水準に安住することなく、その限界を突破して新天地に躍進するため
には、それまでの思考の延長ではなく、別の次元から「新たな触発」を受けなくて
はならない。この、「新たな触発」を受けることを『パイドロス』では、「ムーサ
の神々の授ける狂気にあずかる」(245A)とよんでいろ。ミュートスがそれを
示しているように、プラトンにおける努力や訓練の領域は、その基礎が人工的礎定
だけに固定されることなく、絶えず深層に浸透してゆくエロスの原動力を秘めてい
るのと同じように、その目標とするところも、理性の限界を超えた、いうなれば、超越的世界に開かれていろ。豊かな大地の恵みを感じさせられるのである。
-121-しかし、その触発を受け、新たな世界に目覚めることは、世間の目からすれば、
-狂気という。しかり、人がこの世の美を見て真実の「美」を想起し、翔け上
ろうと欲して羽ばたきするけれども、それができずに、鳥のように上の方を眺め やって、下界のことをなおざりにするとき、r狂気であるとの非難を受けるのだか ら(249,) ということで、人知れず孤独の道を歩まざるをえないのであろう。 とはいうものの、,教育のいとなみには、その内面に立ち入って考えたとき、この ようなT狂気」に触発されてはじめて進展するような事態が、確かにあるといわな くてはならないのである。 註 (1)HastingsR3shdall,THEUNIVERSITrESOFEUROPEINTHE
MIDDLEAGES-ANewEditionintheThreeVolumes(Oxford UniversityPress,1964)VoloIchoⅡ弁論術のこのような特徴については、『パイドロス』272,~Eに次のよう
な指摘がある。~まったくのところ、弁論の力をじゅうぶん身につけようとする者は、何
が正しい事柄であり善い事柄であるかということに関して、あるいは、どう
いう人間が-生まれつきにせよ教育の結果にせよ-正しくまた善い人間
●●であるかということに関して、その真実にあずかる必要は、少しiAなし、のだ
から。じじつ、裁判の法廷において、こういった事柄の真実を気にかける人
なんか、ひとりだっておりはしない。そこでは、人を信じさせる力をもった
●●●ものこそが、問題なのだ。人を信じさせる力をもったもの、それは、真実ら
●●●●●●●しくみえるもののことであって、それにこそ、技術によって語ろうとするも
のは専心しなければならぬ。すなわち、よしんば実際に行なわれたとしたな
らば、それをありのままに述べてはいけない場合さえ、しばしばあるのであ
って、真実らしくみえるような事柄におきかえなければならないのだ。これ
●●は、告発するときでも、弁明するときでもそうである。そして、真実にかか
ずらうのをきっぱりとやめ、言論を用いるにあたってはあらゆる仕方で、こ
●●●●●●①●。●の真実らしくみえるものを?こそ、追求すべきである。話すときにいつでも、
このことを心がけていれば、それで技術のすべてを獲得できるのだから。- (2) -122-(3)古典ギリシアにおける一般教育と哲学 沖大論叢第10巻2号昭和46.3.31 (4)WernerW・Jaeger,PAIDEIAtr・GilberHighet (OxfordUniversityPress,4thPrinting,1962) Introductionpp・xviii-xix Wehavesaidthattheworld-widehistoricalimportanceof theGreeksaseducatorswasderivedfromtheirnewawarness ofthepositionoftheindividualinthecormnunity・ WhencomparedwiththeancientEast,theydifferfromitso fundamentallythattheiridealsseemtoblendwiththoseof modernEurope・HenceitiseasytoconcludethattheGreek idealwasthemodernoneofindiviaualisticfreedomoAndin facttherecouldbenosharpercontrastthanbetweenthe modenman'skeensenseofhisownindividuality,andtheself- abnegationofthepre-HellenicOrient,mademanifestinthe sombremajestyofEgypt'spyramidsandtherovaltombsand monumentsoftheEast、AsagainsttheOrientexaltationof oneGod-kingfaraboveallnaturalproportion(whichexprcss ametaphysicalviewoflifetotallyforeigntous)andthe Orientalsuppressionofthegreatmassofthepeople(which isacorollaryofthatquasi-religiousexaltationofthe monarch),thebeginningofGreekhistoryappearstobethe beginningofanewconceptionofthevalueoftheindividual. あとがき