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カナダ移民政策の歴史 (上) : 移民政策策定のプロセスとメカニズム

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Academic year: 2021

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(1)カ ナ ダ 移 民 政 策 の 歴 史(上) 一 移 民 政 策 策 定 の フ゜ロセ ス とメ カ ニズ ム−. 村 井 忠 政. は じ め に. カナ ダ は よ く言 わ れ る よ うに 移 民 に よ って 創 られ た多 民族 か ら な る モザ イ ク国 家 で あ り、 多 文 化 主義 と二 言語 主 義 を 国 の政 策 と して掲 げ て い る 。 した が っ て移 民 の歴 史 は カナ ダ史 の 叙述 の 中 で も重 要 な部 分 を 占 め る 。 しか しな が らカ ナ ダ に お け る本 格 的 な移 民 政 策 に 関 す る先 行 研 究 は意 外 に少 な い こ とに驚 か さ れ る。 当然 の こ とな が ら 、わ が 国に お い て も カナ ダ の移 民 政 策 に 関 す る 研 究 論 文 の数 も きわ め て 限 られ て い る。 本 稿 の 目的 は、1867年 の コ ン フ ェデ レー シ ョ ン(カ ナ ダ 連 邦 結 成)か. ら現 在 に 至 る ま で の カ ナ ダ の移 民 法 と移 民 政 策 の変 遷 の歴 史 を辿 り、 移 民 法 や 移 民. 政 策 の 策 定 の プ ロ セス で ど の よ うな 力 が 作 用 した か 、 そ の メ カ ニズ ムを 明 らか にす る と ころ に あ る。 説 明 の 便宜 上 、 本 稿 に お い て は 、 カナ ダの 移 民 政 策 の歴 史 を 次 の9つ の時 期 に 区 分 す る こ と に した い 。. I第. 二 次 世 界 大 戦 前 の移 民 政 策. ①. コ ンフ ェデ レ ー シ ョン以前(1497年‐1867年). ②. 自由渡 航 時 代(1867年‐1896年). ③. シ フ トン時 代 とカ ナ ダ西 部 開 拓(1896年‐1914年). ④. 第 一 次 世 界 大 戦 と復 興 期(1914年‐1929年). ⑤. 大 恐 慌 期(1930年‐1937年). ⑥. 景 気 回 復 期 と第 二 次 世 界 大 戦(1938年‐1945年). Ⅱ第 二 次 世 界 大戦 後 の 移 民 政 策 ⑦. 第 二 次 世 界 大 戦後 の 好 況 期(1946年‐1962年). ⑧. ポ イ ン ト ・シ ス テ ム導 入期(1963年‐1967年). ⑨. 現 在(1977年‐. 現在). 以下 、 順 次 これ らの 時期 の移 民 政 策 につ い て そ れ ぞれ の特 徴 を 概 観 す る。 な お 、 本稿 に お い て は 第 二 次 世 界 大 戦 前 の移 民 政 策 につ い て と りあ げ 、第 二 次 世 界 大 戦 後 の 移 民 政 策 に つ い て は 次 号 に まわ す こ とに す る。. 201.

(2) 1第. 二. ①. 第1期. 次. 戦. 前. の 移. 民. 政. 策. コ ン フ ェ デ レ ー シ ョ ン 以 前(1497-1867年). 「コ ン フ ェ デ レ ー シ ョ ン 以 前 」 は 最 初 の ヨ ー ロ ッパ 人 が カ ナ ダ に 到 着 した1497年. 67年 の コ ン フ ェ デ レ ー シ ョ ン(カ の3つ. 大. ナ ダ 連 邦 結 成)の. 年 ま で の 約400年. か ら18. で あ る。 この時 期 は さ らに 次. の時 期 に 小 区 分 さ れ る。. 1.ヨ. ー ロ ッパ 人 の 定 住 か ら 「 征 服 」 ま で(1497年. 一1760年). 1497年 に イ タ リ ア 人 ジ ョ ン ・カ ボット が イ ギ リ ス 国 王 ヘ ン リー7世. に 派 遣 さ れ て イ ギ リス 海 軍. の 艦 隊 を 率 い て 大 西 洋 を 横 断 、 ニ ュ ー フ ァ ン ドラ ン ド沖 の 浅 瀬 グ ラ ン ド ・バ ン ク ス で 大 量 の 鱈 の 群 を 発 見 し た 。 こ の 新 しい 漁 場 の ニ ュ ー ス が 広 が る と ヨ ー ロ ッ パ の 大 西 洋 岸 の 漁 民 た ち は 毎 夏 ニ ュ ー フ ァ ン ド ラ ン ドの 海 岸 と 浅 瀬 に バ ン カ ー と 呼 ば れ る漁 船 で 押 し 寄 せ 始 め た 。 彼 ら は イ ギ リ ス 、 ス ペ イ ン 、 ポ ル トガ ル 、 フ ラ ン ス な ど か ら鱈 を 求 め て ニ ュ ー フ ァ ン ドラ ン ド周 辺 の 海 に や っ て きた 。 しか しな が らヨーロッパ レ ー ン がセントローレンス. 人 の 本 格 的 な 入 植 が 始 ま る の は 、1608年. にフランス. 川 を さ か の ぼ り現 在 の ケ ベ ッ ク ・シ テ ィ に 砦(シ. 人探検家 シャンプ タ デ ル)を. 築 き、. ビ ー バ ー の 毛 皮 交 易 の 基 地 と し た こ と で ヌ ー ベ ル ・フ ラ ン ス 植 民 地 の 基 礎 が 確 立 さ れ て か ら で あ る 。 ヌ ー ベ ル ・フ ラ ン ス の 歴 史 は1608年 パ か らケベック. に 来 た 移 民 は1万. か ら1760年. ま で お よ そ150年. 続 くが 、 こ の 間 に ヨ ー ロ ッ. 人 を 越 え る こ とは なか った 。 この よ うに移 民 に よ る人 口 の増 加. は か ん ば し くな か っ た も の の 、 出 生 率 の 高 さ の せ い で ヌ ー ベ ル ・フ ラ ン ス の 人 口は そ の 後 着 実 に 増 え て い く。1663年. に わ ず か3,000人. だ っ た 人 口 は 、1712年. に は20,000人. へ 、 そ し て1760年. に は7. 0,000人 へ と増 加 を 遂 げ た 。1. 2.王. 党 派 の 到 来 か ら1812年. 戦 争 ま で(1783年. −1812年). 1775年 ア メ リ カ 十 三 植 民 地 が イ ギ リス か ら の 独 立 を 図 り戦 争 が 始 ま る と 、50を 越 え る 王 党 派 ア メ リ カ 人 の 部 隊 が イ ギ リ ス に 組 し て 戦 い 、 戦 争 の 終 わ る 頃 に は 少 な く と も10万 人 の 王 党 派 が 合 衆 国 で の 生 活 に 耐 え 難 く、 移 住 し よ う と し て い た 。 これ ら 王 党 派 の 移 住 者 の うち3分 ス へ 戻 り、 他 の も の は 西 イ ン ド諸 島 やスペイン 5万 人 が 、1783年. にケベック. に 増 え た 。 ま た15,000人 ・ジョン. に す ぎ な か っ た が 、 お よ そ15,000人. の 王 党 派 が ハ リファックス. の王. か ら遠 く離 れ た. ・ヴァ レー に 定 住 した の で 、 こ の 地 域 は ノ ヴ ァ ス コファン シ. ニ ュ ー ブ ランズウィック. 植 民 地 と し て 新 た に 発 足 し た 。 こ の ほ かプリンス. ・エ ド ワ ー ド島 に は750人 、 ケ ー プ ・ブレ ト ン に は1,000人. 202. ∼. や ノ ヴ ァ ス コ シ ア な ど北 方 へ 向 か っ た 。. デ ィ湾 の 北 岸 に あ るセント ア か ら 区 別 さ れ 、1784年. イギ リ. 領 フ ロ リ ダ へ 向 か っ た 。 しか し彼 ら の うち4万. 革 命 時 代 の ノ ヴ ァ ス コ シ ア 植 民 地 の 人 口 は 約17,000人 党 派 の 到 来 に よ っ て 約2倍. の1は. が定 住 した 。 ケベ ックへ の王 党 派 の.

(3) 移 動 は 、 ノ ヴ ァ ス コ シ ア へ 移 動 し た も の よ り も少 な く、 お よそ1万. 3.ヨ. 人 に す ぎ な か っ た 。2. ー ロ ッパ か ら英 領北 ア メ リカ へ の 「民族 大移 動 」(1815年 一1867年). 1812年 戦 争一1812年 、 ア メ リカ軍 が カナ ダ に2度. 目の侵 攻 を 試 みた が 失 敗 した 一 に 伴 い 、 英 領. 北 ア メ リカへ の 人 々の 移 動 の 時代 が終 了 す る こ とに な った 。 ヌー ベ ル ・フ ラ ン スの 陥 落 以 来 、 カ ナ ダへ の 移 民 の 主 流 は ア メ リカの 十三 植 民地 か らの もの で あ り、 この時 期 の 英 語 系 移 民 の多 くは 、 熱 心 な 王 党 派(ロ イ ヤ リス ト)で あ ろ うと無 関 心 な共 和 主 義 者 で あ ろ う と、 大 陸 に 因 縁 深 い北 ア メ リカ人 で あ った 。 しか しい まや 陸路 に よ る ア メ リカ人 の移 住 は ほ とん ど終 わ り、 大 西 洋 を 渡 っ て イ ギ リスか ら来 る人 々の 流 れ に と って 替 わ られ た 。彼 らは人 口を非 常 に増 加 させ る こ とで 、 英 領 北 ア メ リカの 発 展 を 促 進 した だ け で な く、 そ の社 会 に新 しい要 素 を加 え、 カ ナ ダを ア メ リカ か ら区 別 す るの に 一 層 多 くの貢 献 を した 。 ア メ リカ人 の 定 住 の 流 れ は1815年 以 降 、 さ まざ まな理 由か ら次 第 に鎮 ま っ て い った 。 沿 岸 地 方 で は もち ろん ア メ リカ人 の移 住 は 王 党 派 の 到 来 を も ってす っか り終 わ って しま って お り、 ニ ュ ー フ ァ ン ドラ ン ドに は つ い に 及 ば な か った 。 また 王 党 派 で あ ろ う とな か ろ うと、フランス 語 系 の ロ ワ ー ・カ ナ ダ(現 ケベ ック州)に 、 ア メ リカ人 の 移 住 が 多 い とい うこ と もな か った 。 しか しア メ リカ合 衆 国 か ら大 量 の 定 住 者 を 受 け 入 れ たアッパー. ・カナ ダ(現オンタリオ. 州)で. は、1812年 戦. 争 後 の 反 ア メ リカ合 衆 国 感 情 と、 住 み つ い て か ら7年 を経 過 しな くて は アメ リカ人 が土 地 を獲 得 す る こ とが で きな い とい う新 しい 法 の制 定 に よ って 、移 住 に水 が差 され た。 しか しそ れ よ り も影 響 の あ った の は 、 ア メ リカ合 衆 国 の フ ロ ンテ ィ アに お け る西 漸 運 動 が 、 い まや ア ッパ ー ・カ ナ ダ を 通 過 して し ま った とい うこ とで あ った 。 ア メ リカ合衆 国 の 開拓 者 た ち は ア メ リカ合 衆 国 の 中 西 部 の 開 放 で 、征 服 す る広 い活 躍 舞 台 を 見 出 した の で あ る。 とか くす る うち に 、 英 領 北 ア メ リカが これ まで経 験 した もの よ りは る か に大 規 模 な移 住 の奔 流 を 供 給 す る新 しい 状 態 が 大 西 洋 の か な た で 生 じた 。1815年 − ウイ ー ン会 議 が終 了 した年 、 これ に 伴 いヨーロッパ の 秩 序 回 復 が 図 られ た − まで は 、 永 い 間 の戦 争 が 大部 分 の イ ギ リス人 を 国 内 に縛 りつ け て いた 。 戦 時 中 に 他 国 へ 移 住 す る こ との 危 険 や 、 フ ラ ンス 革 命 お よび ナ ポ レオ ン戦 争 の 間 、 人 的 資 源 を 絶 え ず 必 要 と した こ とが 海 外 へ の イ ギ リス 人 の動 きを制 限 して しま って い た。 それ 以 前 に は 、 フ ラ ン ス と イ ギ リス の間 の 戦 い を 内包 して い た ア メ リカ独 立戦 争 が 、 イ ギ リス 人 の移 住 に 同 様 の 結 果 を もた ら してい た 。 しか し1815年 以 降 ヨ ー ロ ッパ で は平 和 な時 代 が到 来 し、1850年 以 降 に な って よ うや く衰 微 す る まで 、 イ ギ リス人 に よ る移住 の 大 波 が カナ ダ に押 し寄 せ始 め た 。 平 和 と と もに 時 代 の 困難 さ も、 人 々を 混 み 合 った イ ギ リス か ら海 外 の ひ ろびろ と した肥 沃 な 原 野 へ と送 り出 した 原 因 で あ った 。 ナ ポ レオ ン戦 争 が終 わ った こ とは 、 突 然 の不 景気 と深 刻 な 失 業 を 引 き起 こ した 。 次 第 に よ くはな って い った が 、 イギ リス に お け る 産 業 構 造 の 変 化 が 非 常 に 早 か った こ と は、 貧 しい人 々に 緊 張 と苦 痛 を もた ら し続 け 、 そ の うちの 多 くの もの が新 しい 生 活 を 求 め て 自分 た ち の 目を 海 外 に 向け た 。 貧 しい 者 で はな くて も、 開 発 を 求 め る未 開 の 土 地 に 見 出 さ れ る で あ ろ うす ば ら しい機 会 とい う物 語 に魅 せ られ て 、 人 々は 植 民 地 を 眺 め て い た 。 こ うして18 203.

(4) 15年 か ら1850年 ま での35年 間 に 、 英 領 北 ア メ リカは 止 ま る こ との な い移 住 者 の 流 れ を イ ギ リスか ら迎 え入 れ た ので あ る。 1815年 か ら1850年 の 間 に イ ギ リス か ら英 領北 ア メ リカの植 民 地 へや っ て きた 人 の数 は 、 そ れ ま で に この 植 民 地 の 全域 に 来 た 人 々 よ りも多 か っ た 。植 民地 の総 人 口は 、1815年 の50万 未 満 か ら18 50年 の300万 近 くに まで 跳 ね 上 が った 。全 部 で80万 人 近 い 移 民 がや っ て きた の で あ る 。 彼 らは 解 雇 され た 兵 隊 で あ り、 ウ ェ リン トンの軍 隊 で 俸 給 の半 分 しか 支 払 わ れ な か っ た将 校 た ち で あ り、 ア イ ル ラ ン ドの織 工 や 貧 民 で あ り、 ス コ ッ トラ ン ドの職 工 や 土 地 か ら立 ち 退 か され た 小 作 人 で あ り、 イ ング ラ ン ドの 田舎 の労 働 者 や 工 場 労 働 者 で あ った 。 何 人 か 中産 も し くは 上 流 階 級 の移 民 も い た が 、 だ い た い に お い て郷 紳 農 民(ジ. ェ ン トル マ ン)に な ろ う と い う希 望 も果 た せ な か った. 人 々 で あ っ た。 実 際 問 題 と して 移 住 し よ う とい う必 要 性 や 強 い衝 動 は 、下 層 の 人 々の 間 で 最 も強 か った 。 多 くの人 々が 彼 自身 と家 族 の た め の旅 費 と して そ の最 後 の資 金 を か き集 め て来 て い るの で 、 到 着 した 時 に は一 文 無 しで あ り、植 民 地 の 限 られ た資 源 に しがみ つ こ う と した。1840年 代 末 の アイ ル ラ ン ド飢饉 の移 民 た ち は 、 この種 の人 々の 中 で も多 分 最 悪 の も の で あ った ろ う。 到 着 し た とた ん 、 餓 え と病気 が彼 らを束 に して移 民 小 屋 に運 ん で い った 。 しか し新 大 陸 で の労 働 力 の絶 え 間 な い 需要 は 、 強壮 で あ りさえす れ ば、 一 文 無 しでや って きた と して も生 計 を 稼 ぎ 出 し、 この 国 の や り方 を 習得 し、 自分 の農 場 を買 うの に 十 分 な貯 えを 得 る機 会 が 与 え られ た の で あ る。3. ②. 第2期. の. 自 由 渡 航 時 代(1867年. 一1895年). 「自 由 渡 航 時 代 」 は カ ナ ダ 連 邦 が 結 成 さ れ た1867年. か ら1895年. ま で の30年 弱 の 期 間 で. あ り、 こ の 間 は 太 平 洋 岸 の 中 国 系 移 民 に 対 す る 制 限 を 除 け ば 、4カ ナ ダ へ の 移 民 に 対 し て 何 ら の 障 壁 も 存 在 して い な か っ た 。 しか しな が ら 、1896年. に シ フ トン(CliffordSifton)が. 移民担 当の大. 臣 に 就 任 す る こ と で 、 「自 由 渡 航 時 代 」 は 終 わ りを 告 げ る 。 1867年 、 英 領 北 ア メ リ カ(BritishNorthAmerica)の ・ブ ラ ン ズ ウ ィ ッ ク. 、 連 合 カ ナ ダ(現ケベック. 治 領(DominionofCanada)と. 植 民 地 で あ る ノ ヴ ァ ・ス コ シ ア 、 ニ ュ ー と オ ン タ リオ)が. 集 ま って 連 邦 を結 成 し カ ナ ダ 自. な っ て 、 イ ギ リス 植 民 地 か ら半 ば 独 立 し た 形 態 に な っ た 。 こ れ を. コ ン フ ェ デ レ ー シ ョ ン(Confederation)と. い う。 こ の 時 点 で は ニ ュ ー フ ァ ン ドラ ン ド と プ リ ン ス. ・エ ド ワ ー ド島 は 自治 領 に 加 わ る こ と を 拒 否 し て い た し. 、 北 西 準 州 は ま だ ハ ドソ ン湾 会 社 の 支 配. 下 に あ った。 さ ら に、 ア メ リカ合 衆 国 は カ ナ ダ 西 部 に そ の勢 力 を拡 張 し よ う と して お り、連 邦 政 府 の 初 代 首 相 に な っ た マ ク ドナ ル ドに と っ て 大 き な 脅 威 と な っ て い た 。 そ の 後 の6年. 間 で プ リ ン ス ・エ ド ワ ー ド島 と ブ リテ ィ ッ シ ュ ・コ ロ ン ビ ア が 連 邦 に 加 わ り 、 ル. パ ー ツ ・ラ ン ド(英 国 王 チ ャ ー ル ズ ニ 世 の 王 子 ル パ ー トの 名 に ち な ん で つ け られ た ハ ド ソ ン湾 会 社 所 有 に な る 西 部 カ ナ ダ か ら北 西 準 州 に か け て の 広 大 な 土 地)を. 連 邦 政 府 が 買 収 す る こ とに よ っ. て ほ ぼ 現 在 の カナ ダ の領 土 面 で の基 礎 が 出 来 上 が った ので あ る。 しか し領 土 が 拡 張 され て も、 そ こに 人 間 が住 みつ か な くて は連 邦 国家 として の カ ナ ダの 将 来 は 揺 る ぎ無 い もの とは な らな い 。 マ. 204.

(5) ク ドナ ル ド政 権 に と って 、広 大 な カナ ダ 西 部 の空 白を埋 め 、隣 国 ア メ リカ合 衆 国 か ら の侵 略 に備 え る た め に は 、 大急 ぎ で 国外 か ら大量 の移 民 を 呼 び寄 せ 西 部 へ 送 り出す こ とが 緊 急 の 課 題 で あ っ た。 カ ナ ダ 自治 領 が1867年 に誕 生 した時 の人 口 はお よそ330万 人 で あ り、続 く数 年 間 に 新 しい 諸 州 が 加 わ っ て も、 そ れ で 増 えた 人 口は 数 千 人 に 過 ぎな か った 。 オ ン タ リオ とケ ベ ッ クは あわ せ る と 全 人 口の 約4分 の3を. 占め て い た 。 オ ン タ リオ の 方 が 人 口が 多 く、 か な り着 実 に増 加 し続 け た の. に 対 し、 ケベ ッ クの 人 口は 多 数 の フ ラ ンス 系 カナ ダ 人 が ア メ リカ 合衆 国東 南 部 の工 場 へ 絶 え ず 流 出 した た め 、 そ の 増 加 は ご く緩 や か で あ った。 ま た カ ナ ダ各 地 か ら ア メ リカ合 衆 国 へ の 移 住 が 生 じ、 自治 領 は そ の後 の数 年 間 は期 待 され て い た ほ ど早 くは成 長 しなか った 。 イ ギ リス か らの 移 住 の最 高 潮 は コン フ ェデ レー シ ョン 以前 に過 ぎ去 っ てお り、 英 領 諸 島 か らの新 しい移 住 の大 波 は19 世 紀 末 ま で起 こ ら なか っ た。 そ の結 果 、1891年 の マ ク ドナ ル ドの 死 の 際 まで に、 カ ナ ダ の人 口は わ ず か480万 人 ま で に増 え ただ け で あ った。5 カナ ダ西 部 へ移 民 を 引 きつ け よ うとす る試 み は 、 カ ナ ダ連 邦 政 府 の農 務 省 に よ って 熱 心 に 行 な わ れ た。 この よ うな 努 力 に もか か わ らず 、 当 時 の移 民 政 策 は失 敗 に終 わ った 。 毎 年 何 千 人 とい う 外 国人 が カ ナ ダ を通 過 す る の だ が 、 そ こに止 ま る者 の数 は極 め てわ ず か で あ った 。 正 確 な 数 字 は わ か ら な い が、1867年 か ら1892年 ま で に カ ナ ダに や って きた 移 民 は150万 人 に 近 か っ た と推 測 さ れ て い る。6と ころ が 、 これ らの移 民 の 大 多 数 は実 は ア メ リカ合 衆 国へ 流 出 して し ま っ た の で あ る。 この 結 果 、19世 紀 末 まで カナ ダに 入 って くる者 の 数 よ りは カナ ダ か ら出 て い く者 の数 の方 が 多 か った の で あ る 。 この よ うに 西 部 カナ ダ が外 国 か らの 移 民 た ち に定 住 を決 意 さ せ る だ け の魅 力 的 な 存 在 で な か っ た理 由 と して は 、 い くつ か の要 因 が考 え られ る。 第 一 の要 因 と して は、 当時 は まだ 西 部 カナ ダ ま で の交 通 手 段 が な か っ た こ とが あげ られ る。 もっ とも、 大 陸 横 断 鉄 道 が 完 成 した1885年 に な って も西 部 カ ナ ダに 移 民 の波 が押 し寄 せ る こ とは なか った の も また 事 実 で あ る。 第 二 に カナ ダ の競 争 相 手 で あ った ア メ リカ合 衆 国 や カ ナ ダ以 外 の イギ リス 自治 領 の存 在 を あ げ る こ とが で きる。 しか しな が ら、 お そ ら く最 も決 定 的 な 要 因 と して は 、 マ ニ トバや 北 西 準州 な どカ ナ ダ西 部 の気 候 の厳 し さを あ げ るべ きで あ ろ う。 プ レ ー リー と呼 ば れ る これ ら大 草 原 に お け る農 業 は 、 洪 水 、 早 霜 、 旱魃 、 バ ッタ の大 量 発 生 に よる虫 害 な どに よ り穀 物 が壊 滅 的 な被 害 に遭 うこ と も珍 し くは な か っ た 。7草 原 州 に 東 欧(ポ ー ラ ン ド、 ウ ク ライ ナ な ど)か ら の農 業 移 民 が 大 量 に 定 住 す る よ うに な る まで に は 、 農 地 の 改 良や 旱魃 や 虫 害 に強 い新 しい品 種 の 小 麦 の 出現 な どに よ って この 地 域 の 農 業 生 産 性 が 向上 す る まで 待 た な け れ ば な ら なか った 。. ③. 第3期. シ フ トン時 代 と 西部 力 ナダ 開拓(1896年-1913年). 「シ フ トン時代 とカ ナ ダ 開拓 」 は シ フ トンが移 民担 当大 臣 の地 位 に 就 いた1896年 か ら第. 一 次 世 界 大戦 勃 発 の 前年 で あ る1913年 ま で の 期 間 で あ る. 。 マ ニ トバ 州 ウ ィニ ペ グ の 実 業 家 ク リ 205.

(6) フ ォー ド ・シ フ トン(CliffordSifton)は1896年 Laurier)内. に政 権 の 座 に就 い た 自 由党 の ロ ー リエ(Wilfrid. 閣 の 内務 大 臣(移 民 担 当)に 任 命 され る。彼 が移 民 担 当 の 大 臣 の 任 に あ った1905年 ま. で を 「シ フ トン時 代 」(theSiftonEra)と. 呼 ぶ こ とか ら もわ か る よ うに 、彼 は カナ ダ 移 民 政 策 の. 歴 史 に お い て極 め て 大 きな 足 跡 を 残 して い る。 彼 は カ ナ ダ 西 部 へ 移 民 を ひ き つ け る た め に ヨ ー ロ ッパ や ア メ リカ合 衆 国 や イ ギ リスに 移 民 業 務 取 扱 事 務 所 を置 き、 精 力 的 な 宣 伝 戦 を 組 織 的 に 行 な い 、 大 草 原 へ の汽 車 旅 行 を 手 配 し、 選 ば れ た カ ナ ダ 人 、 ア メ リカ人 農 民 や 新 聞 記 者 た ち が 、 土 地 の価 値 を 自分 で見 る こ とが で き る よ うに した 。8な か で も と りわ け シ フ トンは 、 カ ナ ダ 西 部 の 自然 環 境 の素 晴 ら しさ とそ こで の農 業 の将 来 に お け る発展 性 を視 覚 的 に 表 現 した 小 冊 子 や パ ン フ レ ッ ト類 を 無数 に 印刷 ・刊 行 す る こ とに力 を 注 い だ。9 シ フ トンは カナ ダ西 部 の開 拓 を進 め る上 で、 ヨ ー ロ ッパ か らの農 業 労 働 者 を 大 量 に 入 植 させ る 計 画 を 持 って い た が 、そ れ を実 施 す る上 で 「 好 ま しい」移 民 を審 査 ・選 抜す る政 策 を 採 った 。10こ の よ うな シ フ トンの政 策 は 「 選 択 的移 民 政 策 」 と呼 ば れ て い る。 こ こで の 「 好 ま しい」 移 民 とは 、 カ ナ ダ社 会(と. りわ け英 国系 を 中心 と した 白人社 会)に 最 も適 した 集 団 、 す なわ ち短 期 間 に カ ナ. ダ の社 会 や 文 化 に 適応 ・同化 で き る と期 待 され る人 々で あ った 。反 対 に 「 好 ま し くな い」 移 民 集 団 とは 、 異 な った文 化 ・宗 教 ・言 語 ・習慣 を持 って い るた め カナ ダ社 会 に同 化 しに くい と思 わ れ る 人 々 で あ る。 そ の選 抜 は あ か ら さ まな 人種 差 別 的 な 基 準 に 基 づ いた も ので あ った 。1910年 の政 策 報 告 書 に よれ ば 、政 府 は ア メ リカ合衆 国 、英 国 、 北 欧 、 さ らに フ ラ ン ス 、 ドイ ツ 等 の 北 ヨ ー ロ ッパ や 西ヨーロッパ の 国 々か らの移 民 を も っ と も 「好 ま しい」 もの と して 奨 励 し、東 欧 、 南 欧 出 身 の 移 民 は 「好 ま しい」 とは み な され て い な か った 。 ま して や 東 洋 系 の 移 民 は 問 題 に な ら な か った ので あ る。11シフ トン の後 継 者 フ ラ ン ク ・オ リバ ー(FrankOliver)も. シ フ トンの政 策 を. 第 一 次 世 界 大 戦 まで 継 承 した 。12 1913年 に は50万 人 以 上 に の ぼ る ヨ ー ロ ッパ 人 た ちが 崩 壊 寸 前 の オ ー ス トリア ・ハ ンガ リー帝 国 、 ウ ク ラ イ ナ、 中 央 ヨ ー ロ ッパ か ら移 住 して きた 。 「羊皮 の上 着 を 身 に つ け た 、 が っ し り と した 百 姓 」 と ク リフ ォー ド ・シ フ トンが 描 写 した これ ら の ヨ ー ロ ッパ 人 は 、た いて い ウ ィニ ペ グ を通 っ て 内陸 へ 進 ん で行 き、 寒 さの 厳 しい殺 伐 と した 草 原 地 方 に 定 着 した。 彼 らは最 初 の何 年 か を芝 土 で作 った 小 屋 で過 ご し、 小 麦 の収 穫 で得 た 現 金 を 貯 え て、 木 造 家屋 を建 て る こ とが で き る ま で待 つ こ とが 多 か った 。 これ らの 人 々 は、 人 数 に お い ては 彼 らに 勝 るほ どの ア メ リカ人 、 オ ンタ リオ 人 、 イ ギ リス諸 島か らの 移 住 者 と一 緒 に な って 、 西 部 の小 麦 地 帯 を定 住 地 と し、工 業 製 品 だ け で な く金 融 業 、運 輸 業 の 国 内市 場 も拡 大 し、 西 部 の 町 に おけ る不 動産 の急 騰 を もた ら した。13 東 欧 出身 の移 民 のな か に は 、 そ の あ ま りに 急 進 的 な 信 仰 のゆ えにヨーロッパ に お け る宗 教 的迫 害 か ら逃 れ て西 部 カ ナ ダへ や っ て きた 一 団 が いた 。 メ ノ ナ イ ト教徒 や ロ シア か ら移 住 した デ ュ カ ボ ーズ 教 徒 、 ロシ アか ら ア メ リカ経 由で や っ て き た ア ナ バ プ テ ィス ト派 の ハ タ ライ ト教 徒 が そ れ で あ る。 ハ タ ラ イ ト教 徒 の多 くは アル バ ー タ州 と サ ス カ チ ュ ワン州 の 南 部 に 入植 し、 デ ュ カ ボ ー ズ 教 徒 は そ れ よ りも北 に 位 置 す る サ ス カ チ ュ ワン州 の ヨー ク トン周 辺 を 選 ん だ 。 しか しデ ュ カ ボ ーズ 教 徒 は 、1905年 、 彼 ら の急 進 的 な 信 仰 に対 す る地 域 住 民 の反 発 や 反対 運 動 に 直面 し、 ブ リ 206.

(7) テ ィッ シ ュ ・ コ ロ ン ビ ア 州 南 部 の 内 陸 地 、 ク ー トネ イ 地 域 へ と 移 り住 む 。 こ の 地 域 に は 今 日 で も か な り の 数 の デ ュ カ ボ ー ズ 教 徒 が 住 む 。14 こ の 結 果 、20世 紀 の 最 初 の10年 間 で カ ナ ダ 西 部 の 草 原 州(prairieprovinces)、 バ ー タ 、 サ ス カ チ ュ ワ ン 、 マ ニ トバ の3州 の 人 口 増 加 率 は220.7%−. の 人 口 は 激 増 し 、1901年. 同 時 期 の カ ナ ダ の 全 国 平 均 は34.2%−. か ら1911年. す な わち アル ま で の草 原 州 全 体. と い う驚 異 的 な 伸 び を 示 し た の. で あ る 。15こ の 影 響 を 受 け て 現 在 で も こ の 地 域 の 住 民 の 民 族 構 成 を 見 る と 、 ウ ク ラ イ ナ 系 や ポ ー ラ ン ド系 な ど 東 ヨ ー ロ ッパ や 中 央 ヨ ー ロ ッパ 出 身 者 の 占 め る 比 率 が 他 の 州 に 比 べ て 格 段 に 高 い こ とが わ か る。. こ うして1896年 か ら第 一 次 世 界 大 戦 が 勃 発 す る1914年 ま で の 間 に、 約250万 人 の 移 民 が カ ナ ダ 自治 領 に 押 し寄 せ て きた が 、 そ の 内訳 を み る と ヨー ロ ッパ が約50万 人 、 ア メ リカ合 衆 国 が 約75万 人 、 そ して イ ギ リス 諸 島 − 主 に グ レー ト ・ブ リテ ン とア イ ル ラ ン ド− が約100万 人 で あ っ た 。 こ の結 果 、1901年 か ら1911年 の移 住 の ピー ク時 に は、人 口は3分 の1以 上増 加 して 、500万 か ら700万 に跳 ね 上 が った 。 しか し人 口の規 模 の変 化 よ りも民 族 構 成 に お け る変 化 の方 が は るか に 印 象 的 で あ った。 新 移 民 は 大部 分 が英 語 系 で あ る一 方 、 か な りの数 が ドイ ツ、 ス カ ン ジナ ヴ ィ ア、 ロ シ ア、 ポ ー ラ ン ド、 ウク ライ ナ 、 オ ー ス ト リア 、 イ タ リー な ど非 英 語 系 の国 々か らの 出 身 者 で 占 め られ て いた 。 こ う して カ ナ ダ は ア メ リカ合 衆 国 に続 い て、 初 め て 人 種 の るつ ぼ とな った の で あ る。 す なわ ち、 イ ギ リス系 とフ ラ ン ス系 の グ ル ー プ の優 位 は 依 然 と し て続 い て は い た もの の 、1867年 の 連 邦 結 成 の時 点 に は取 る に足 ら な い比 率 を 占め るに 過 ぎな か った 非 英 仏 系 グル ープ が 、第 一 次 世 界 大 戦 ま で には 総 人 口 の5分 の1近. くを 占め る まで に な った 。16. 皮 肉 な こ とに 、 シ フ トンの 期 待 を 裏 切 って 、 「 好 ま しい」 移 民 集 団 は そ の 人 口が あ ま り増 えず 、 「好 ま し くな い 」 と され た 東 洋 系 の 移 民 人 口は20世 紀 の 最 初 の10年 間 に急 激 な勢 い で増 え続 け 、 カナ ダへ の 移 民 到 着 数 は1913年 に は40万 人 に も達 した の で あ る 。 この急 激 な東 洋 系 移 民 の 増 加 の 背 景 に は 、 カナ ダ大 陸 横 断鉄 道(CPR)の. 建 設 が 当時 進 行 中で あ り、低 賃 金 で この重 労 働 に 従 事. す る東 洋 系 − と りわ け 中 国 系 − の 苦 力(ク. ー リー)と 呼 ばれ た移 民 労 働 力 に対 す る大 きな 需 要 が. 西部 カ ナ ダ に存 在 した とい う事 情 が あ った。 1900年 か ら1915年 ま で の 問 に5万 人 を超 え る東 洋 人 − 日本 人 、 イ ン ド人 、 中 国 人 か らな る− が カナ ダ に到 着 して い る。 これ ら東 洋 系 移 民 が カ ナ ダ の総 人 口に 占め る割 合 は わ ず か2%に. 過 ぎな. か った が、 そ の大 多数 が ブ リテ ィッ シ ュ ・コ ロ ン ビア州 の太 平 洋 岸 に 住 み つ い た た め に 、 白人社 会 は東 洋 人 移 民 に対 して神 経 を尖 らせ る こ とに な った の で あ る。 中国 系 移 民 はそ の外 見 か ら来 る異 様 さ− 当時 の 中国 は清 朝 に 当た り、 カナ ダ に 移 民 して きた 中 国か ら の移 民 男 性 はそ の多 くが 満 州 族 の シ ンボル で あ る長 い 弁 髪 を 垂 ら して い た 一 もあ って 中 国 人 に 対 す る排 斥 が 強 くな った 。17それ に 替 わ って 入 って き た の が 日系 人移 民 で あ っ た 。1900年 ら1915年 の間 に16,000人 の 日系 人 が カ ナ ダに 入 って きた が 、 そ の うち83%も. か. が ブ リテ ィ ッシ ュ ・. コ ロン ビア州 に 腰 を 落 ち着 け て い る。 そ の うち の多 くは ア メ リカ合 衆 国 へ再 移 動 した り、 日本 へ 戻 った り して い る もの の 、20世 紀 の初 頭 に は5,000名 に近 い 日系 移 民 が ブ リテ ィ ッ シ ュ ・コ ロ ン 207.

(8) ビア州 に 集 住 す る よ うに な った 。18この結 果 ブ リテ ィ ッシ ュ ・コ ロ ン ビア で は 東 洋 人 排 斥 運 動 が 盛 り上 が りを 見 せ 、1907年 に は つ い に ヴ ァン ク ー ヴ ァー暴 動 が起 こ り、 日系 人 や 中 国 人 の 商 店 が 襲 撃 され る とい う事 態 に 発 展 して い る。 この よ うな 事 態 を憂 慮 した カナ ダ政 府 と 日本 政 府 の 間 で 1908年 に 紳 土 協 定(ル. ミュ ー協 約)が 締 結 され 、 日本 か ら カナ ダ へ の移 民 受 入 数 は年 間400名 以 内. に制 限 され る こ とに な った 。19. ④. 第4期. 第 一 次 世 界 大 戦 と 復 興 期(1914年. −1929年). 「第 一 次 世 界 大 戦 と復 興 期」 は1914年 の 第 一 次 世 界 大 戦 の勃 発 に 始 ま り、1929年 に 始. ま った 大 恐 慌 まで のお よそ15年 間 で あ る。 第 一 次 世 界 大 戦 に お い て カ ナ ダ は 多 大 の犠 牲 を払 っ た。 しか しそ れ は カ ナ ダが 世 界 政 治 の 中 で 、 ア メ リカ合 衆 国 や イギ リス とい った 強 大 国 との対 等 の地 歩 を 占め る うえ で求 め られ た 犠 牲 で あ った 。 カナ ダの 大 戦 へ の 貢 献 は 軍事 力 に 限 らず 、軍 需 物 資 、 食 料 の 供 給 とい う点 で 、 カナ ダの 存 在 は ドイ ツ と戦 う連 合 軍 側 に と って不 可欠 で あ った。 こ う し て 対 外 面 に お い ては 、 第 一 次 大 戦 で 外 交 上 の 自治 を 一 段 と促 進 した カ ナ ダ で は あ っ た が、 国 内 で は 徴 兵 問 題 を 巡 って 、 再 び イ ギ リス 系 カナ ダ と フ ラ ン ス系 カ ナ ダの対 立 が顕 在 化 す る とい う厳 し い代 償 を 支 払 わ な くて は な らな か った 。20 第 一 次 大 戦 中 、 ヨー ロッ パ か ら カナ ダへ の 移 民 は 激 減 す るが 、 そ の主 た る原 因 は 、移 民 を 輸 送 す る船 舶 の 航 行 が きわ め て 高 い 費 用 を 要 す る もの とな った だ け で な く、敵 国軍 の攻 撃 に さ ら され る危 険 を 伴 う もの とな った た め に 、 ヨ ー ロ ッパ 大 陸 や イ ギ リスか らカ ナ ダ へ の移 住 が極 め て 困難 にな った た め と、 そ れ まで 移 民 を 送 り出 して い た ヨ ー ロッパ の 諸 国 が 、 自国 内 の軍 需 産 業 や 軍 隊 で 多 くの 人 手 を必 要 とす る よ うに な った た め で あ る。 か く して イ ギ リスか らカ ナ ダへ の移 民 数 は、 1913年 に は142,400人 で あ っ た の が、 翌 年 に はそ の70%に. ま で減 少 して し まい 、 そ の 後 は 年 平 均. 7,500人 とい う数 字 が戦 争 の終 結 ま で続 いた ので あ る。21 第 一 次 大 戦 後 、 大 恐 慌 に 見 舞 わ れ る まで カナ ダ に は お お む ね 好 景気 が続 いた 。 天 然 資 源 に 恵 ま れ た 北 部 、 そ の恩 恵 を 被 る こ との で きた 中央 カ ナ ダ(オ. ン タ リオ 、 ケ ベ ック)は 恵 まれ て い た 。. しか し好 況 の恩 恵 に 浴 さな か った沿 海 地方 の諸 州(maritimeprovinces)は1920年. 代 に この地 方. の 利 益 を 守 る運 動 を 起 こ した 。 この セ クシ ョナ リズ ムは 西 部 カナ ダ に も波 及 し、 こ こで は 農 民 た ち が 自分 た ち の利 益 を 守 るた め に政 治 的運 動 を展 開す る こ とに な る。 第 一 次 大 戦 中 に 激 減 した カナ ダ へ の移 民 は 、1923年 か ら始 ま る経 済 的 繁 栄 の 中 で 再 び 増 え 始 め 、 1929年 に は168,000人 とい う一 つ の ピ ー クに 達 した 。22西部 の農 地 は まだ まだ 発 展 の 余 地 が あ り、 アル バ ー タ とサ ス カチ ュ ワ ンは着 実 な成 長 を遂 げ た。. ⑤. 大 恐 慌 期(1930年. −1937年). 1929年 に ア メ リカ合 衆 国 か ら始 ま っ た経 済 恐 慌 の波 は カ ナ ダ に も押 し寄 せ て きた 。1930年 まで 208.

(9) に 、 カ ナ ダ のす べ て の地 域 が 不 況 の悪 循 環 の な か に な だ れ こん で い った 。世 界 貿 易 が落 ち込 み 、 失 業 が 増 加 す るに つ れ 、 人 々は 購 買 力 が な くな り、 商業 は ドン ドン と沈 下 した。 カ ナ ダは 現 在 の 人 口だ け で も難 儀 して い た 。 東 部 の 工 業 地 帯 は ひ どい打 撃 を受 け た が、 こ こ では 地 下 資 源 に 富 む 楯 状地(カ. ナ デ ィ ア ン ・シ ー ル ド)の 金 鉱 の開 発 が進 ん で東 部 へ の打 撃 を緩 和 した 。極 西部 も ま. た太 平 洋 貿 易 と漁 業 の衰 退 に よ り影 響 され た が 、 ロ ッキ ー山 中 の 鉱 業 が ふ た た び ブ リテ ィ ッシ ュ ・コ ロ ン ビア を助 け た。 も っ と も大 きな 影 響 を 受 け た の は 、一 つ の 産 品(ス テ ー プル)一 小 麦 一 に 大 き く依 存 して い た西 部 の草 原 州 で あ った 。 世 界 の 小 麦価 格 の崩 壊 は草 原 州 を手 ひ ど く打 ち のめ し、 大 草 原 に 便 宜 を与 えて い た 鉄 道 の 収 入 を減 ら して 、鉄 道 の債 務 とい うカ ナ ダに と って 費 用 の か か る問題 を 増 や した 。 そ の 上 、 西 部 を襲 った旱魃 が小 麦 収 穫 高 を前 代 未 聞 の 低 記 録 に と どめ 、 農 民 が 受 け取 る こ とを 期待 した で あ ろ うわず か な所 得 ま でを 奪 い取 る こ とが 多 か った 。 歳 入 が減 少 した の に 失業 救 済額 が 高騰 した草 原 諸 州 の政 府 は破 産 に直 面 して い た 。23 英 領 北 ア メ リ カ法 の規 定 に よれ ば 、福 祉 的 援 助 は 主 と して 州 政 府 お よび地 方 自治 体 が そ の責 任 を負 う こ とに な る。 しか しな が ら この時 期 の失 業 者 の 数 は 州 政 府 の 財 政能 力 を は る か に超 え た レ ベ ル に ま で達 した 。 た とえば トロ ン トで は 、 失 業 救 済 の た め の 予 算 が1929年 か ら1933年 の間 に30 倍 に も高 騰 して い る。24 か く して 、 最 終 的 な 手 段 と して 、 失 業 中 の 移 民 を 国 外退 去 させ る こと で財 政 負 担 を 少 しで も軽 減 し よ うとす る政 策 が と られ る こ とに な った。 移 民政 策 に 関 して1930年 代 を そ れ 以 前 も し くは そ れ 以後 の 時 代 か ら区 別 す る独 自の 現 象 と して は 、 強制 送 還 者 の数 が こ の時 期 に 異 常 に増 加 した こ とを あ げ る こ とが で き る。 た とえ ば 、1902年 か ら1928年 の 間 に 平 均 して 年 間 お よそ1,000名. の. 人 々 が強 制 送 還 され て い る。 これ と対 照 的 に、1931年 に は7,000名 以上 の移 民が カ ナ ダ か ら 国 外 へ 退 去 さ せ られ 、1930年 か ら1935年 の 間 に平 均 して5 ,700名 の人 々 が毎 年 強 制 送 還 され て い る。25 移 民 政 策 との 関 わ りで大 恐 慌 期 を特 徴 づ け る も う一 つ の 現 象 は 、政 府 に よる共 産 主 義 者 お よび 過 激 な 組 合 活 動 家(と. み な され た 者)の 国 外退 去 措置 が 異 常 と もい え る熱 気 を帯 び てな され た こ. とで あ る。 も っ と も、 政 治 的 な 信 条 や 活 動 の ゆ え に カナ ダか ら国外 退 去 させ られ た 移 民 の正 確 な 数 は知 る こ とは で きな い 。 な ぜ な ら、 政 府 は政 治 的 な理 由 で強 制 送 還 され た 者 た ち に つ い て は 、 「政 治 犯」 以 外 の カテ ゴ リー− た とえ ば 「犯罪 者 」 も し くは 「 生 活 保 護 者 」‐と して扱 うた め に 、 正 確 な実 態 は 隠 され て お り、統 計 的数 字 に は現 れ て こな いか らで あ る。26 か く して 、1930年 か ら1937年 まで の大 恐 慌 の期 間 は 、 移 民 受 入 数 の 激 減 とい う結 果 を 招 い た。 1931年 に88,000人 だ った カ ナ ダ の移 民 受 入 数 が 翌 年 に は26,000人 弱 に まで 落 ち込 ん で い る。 そ の 後 毎 年 移 民 受 入 数 は減 少 し続 け、1936年 には つ いに11,000人 まで 落 ち 込 み 、底 を突 い た。. ⑥. 第6期. 景 気 回 復 と 第 二 次 世 界 大 戦(1938年. −1945年). 「景 気 回 復 と第 二 次 世 界 大 戦 」 は カナ ダの 景 気 が 回復 に 向 か い始 め た1938年 か ら第 二 次. 世 界 大 戦 が 終 了 す る1945年 まで の 時 期 で あ る。1937年 に お よそ12,000名 の人 々が カ ナ ダ に移 民 し 209.

(10) て きて い る。 そ の後 そ の数 は年 々徐 々 に増 え続 け 、1939年 に は17,000名 に 達 して い る。 しか しな が ら、 第一 次世 界 大戦 直 前 の1913年 に ヨー ロ ッパ か ら カ ナ ダ へ の移 民 が38万 人 を越 え た こ とを考 慮 す る と、 この数 字 は意 外 に少 な い こ とに気 がつ く。 この主 な原 因 と して は ヨ ー ロ ッパ 大 陸 で の 戦 争 が 拡 大 し、 ヨー ロ ッパ の多 くの 国 々が ナ チ ス ・ドイ ツ の軍 隊 に侵 略 され た こ とに よ り、旅 行 が極 め て 危 険 な 状 態 に あ った た め に 、 ヨ ー ロ ッパ諸 国 に置 か れ て いた カ ナ ダの 移 民 業 務取 扱 セ ン タ ーが 閉 鎖 され た こ とが あ げ られ るだ ろ う。27 1939年9月3日 に イ ギ リス とフ ラ ンス が ドイ ツに 宣戦 布 告 し、 そ の一 週 間 後 に カナ ダ連 邦議 会 は 宣 戦 布 告 を 決議 した 。1940年 に は 連 邦 議 会下 院 で 国家 総 動 員 法 が可 決 通 過 した こ とに よ りカナ ダ は戦 時 体 制 へ完 全 に 移行 した。 戦 前 、 戦 中 、 そ れ に戦 後 の短 い 期 間 に お い て カ ナ ダ の移 民 政 策 の基 本 的 な 法 とな って い た の は 1931年3月31日 の枢 密 院 令(P.C,695)で. あ る。 この 法 令 に よ る と、移 民 と して カナ ダに 入 国 が許. 可 され る者 は 、 次 の いず れ か の カテ ゴ リーに属 して い な けれ ば な らなか った 。28 (1)英. 国 国 民(Britishsubjects). (2)ア. メ リ カ 合 衆 国 市 民(CitizensoftheUnitedStatesofAmerica). (3)法. に よ っ て 認 め ら れ た カ ナ ダ 住 民(residents)の. (4)カ. ナ ダで 農 業 を 営 む の に 十 分 な 財 力 を 有す る農 業 経 営 者. 妻 、 婚 約 者 、 お よ び18歳 未 満 の 子 供. こ の 法 令 に お い て 明 ら か な こ と は 、 同 じ ヨ ー ロ ッ パ 人 で も英 国 国 民 で な い 場 合 に は 極 度 に 不 利 な立 場 に 置 か れ て い た とい うこ とで あ る。 これ は カ ナ ダ で あ る か ら 当然 優 遇 され るべ き と思 わ れ る フ ラ ン ス 人 に つ い て も 同 じ こ と が 言 え る 。 英 国 国 民 、 合 衆 国 国 民 の 指 名 リ ス トに フ ラ ン ス 国 民 が 加え ら れ た の は 、 実 に1949年 また. 「敵 国 出 身 者 」 あ る い は. に な っ て か ら の こ と で あ っ た(P.C.2743)。29 「敵 国 の 言 語 を 話 す 者 」 に 対 す る 移 民 禁 止 に よ り、 ドイ ツ か ら の. 移 民 も、 大 戦 間 の 一 時 期 を 除 くと極 度 に 制 限 され て い た 。 ま た この法 令 に は 言 及 され て い な い が 、 ア ジ ア 系 の 移 民 は 他 の ヨ ー ロ ッパ 人 よ り も さ ら に 不 利 な 立 場 に 置 か れ て い た 。 た と え ば 中 国 系 の 者 に つ い て は 、1923年. の 中 国 人 移 民 排 斥 法(ChineseImmigrationAct)に. ドル 以 上 の 投 資 を して3年. よ っ て 、 す で に2,500. 以 上 の 貿 易 業 の実 績 の あ る者 を 除 い て は、 国 籍 、 宗 教 を 問 わ ず い か な. る 中 国 系 の 者 も カ ナ ダ へ の 入 国 が 禁 止 さ れ て い た 。30こ の 結 果 中 国 系 の 移 民 は ほ と ん ど 完 全 に 停 止 した 。 ま た 上 記 第3項. の 保 証 人 と な る こ と の で き る 者 は 、 ア ジ ア 系 の 者 に つ い て は 、1930年9. 月16日 の 枢 密 院 令(P.C.2115)に 住 の カ ナ ダ 市 民(citizen)」. よ る と、 た ん な る. 「 住 民(resident)」. で は な く て 「カ ナ ダ 在. で あ る必 要 が あ った 。. カ ナ ダ太 平 洋 岸 の ブ リテ ィ ッシ ュ ・コ ロ ン ビア州 に は 早 くか ら 日系 人 が 定 住 し、 ヴ ァ ン ク ー ヴ ァーの パ ウエ ル 街 に は 日本 人 町 も形成 され て い た。 この よ うに 日系 人 だ け の 閉鎖 的 な エ ス ニ ッ ク ・コ ミ ュニテ ィを 形 成 し、 周 囲 の ホ ス ト社 会(イ. ギ リス系 白 人か らな る主 流社 会)に 同化 し よ. う とせ ず 極 め て 異 質 な 文 化 ・宗 教 ・慣 習 ・生活 習慣 を保 持 した こ とが 、 日系 人 に 対 す る人種 的偏 見 や 差 別 感 情 を 醸 成 し、 さ らに これ を 助 長 ・扇 動 す る反 日的 な 政 治 家 の 動 き も加 わ っ て 、 ブ リ テ ィ ッシ ュ ・コ ロン ビ ア州 に お け る 日系 人排 斥 の風 潮 が 強 ま って い った 。 210.

(11) 1931年9月. 、 日本 軍 は 南満 州 鉄 道 爆 破 事 件 を起 こ し、 中国 大 陸 侵 略 の第 一 歩 を踏 み 出 した。 い. わ ゆ る 「満 州 事 変 」 の勃 発 で あ る。1932年3月. 、 日本 軍 は 「 満 州 」(現 中 国 東 北 地 方)の ほ ぼ全 域. を手 中 に収 め 、塊儡 政 権 「 満 州 国」 の建 国 を宣 言 した 。 そ の後 の 日本 軍 の一 連 の 突 出 した軍 事 行 動 は 、 ブ リテ ィ ッシ ュ ・コ ロ ン ビア州 内 の排 日感 情 の高 ま りに 勢 いを つ け る結 果 とな った こ とは 言 うま で もな い。 1941年12月7日(現. 地 時 間)の. 日本 軍 に よ るハ ワイ 真珠 湾奇 襲 攻 撃 に端 を発 し た 太 平 洋 戦 争 の. 勃 発 に伴 い 、 カ ナ ダ連 邦 政 府 は 、 ブ リテ ィ ッシ ュ ・コ ロン ビ ア州 の 太 平 洋岸 に 定住 して い たす べ て の 日系 人 を 国籍 の有 無 に 関わ らず 「 敵 性 外 国人 」 と規 定 し、 彼 らの 市 民権 を 大 幅 に制 限す る措 置 に 出 た。 さ らに 国家 の安 全 を脅 かす とみ な され た38人 の 日系 人 指 導 者 が カ ナ ダ連 邦 警 察(RC MP)に. よ って 逮 捕 され て い る。1942年2月24日. 、 キ ング 首相 は枢 密 院令(P.C.1486)を. 発令. し、 これ に よっ てす べ て の 日系 人 は財 産 を没 収 され 「 防 衛 地 域 」 か ら立 ち退 く こ とに な る。 そ の 多 くは ロッ キ ー 山脈 内 の収 容 所 に 向か っ たが 、 道 路 建 設 の 現 場 や 、 アル バ ー タ とマ ニ トバ の ビー ト(砂 糖 大 根)栽 培 農 場 へ 向か っ た者 た ち も いた 。31. 1Ninette. Kelly. Immigration 2Ibid. and. Michael. Trebilcock. Policy,University. ,The Making. of Toronto. of. the. Mosaic:A. History. of. Canadian. Press,1998,pp.28-29.. .,p.37.. 3J .M.S.ケ. ア レ ス 著/清. 56-158頁 41945年. 水 博 ・大 原 祐 子 訳. 『カ ナ ダ の 歴 史 一 大 地 ・民 族 ・国 家 一 』 山 川 出 版 社 、1978年. 、1. 。 ま で 、 カ ナ ダ の 移 民 政 策 は 、 中 国 人 、 ユ ダ ヤ 人 、 東 イ ン ド人 、東 洋 人 と い った 特 定 の 人 種 的 背 景 を も. つ 人 々 を 排 除 し て き た 。 と りわ け 中 国 人 移 民 に 対 し て は 除 す る 方 法 を 採 用 し た 。 人 頭 税 の 額 は1884年. で は1人. 「人 頭 税 」 を 課 す こ と で 経 済 的 に 貧 困 な 移 民 を 排. 当 た り50ド ル で あ っ た が 、1903年. に は500ド. ルに引 き. 上 げ ら れ た 。 こ の 課 税 の 目 的 は 中 国 系 の 移 民 を す べ て 停 止 さ せ る と い う よ りは 、 労 働 者 と 貧 困 者 を 排 除 す る こ と に あ っ た 。 そ れ と い う の も 、 公 務 員 、 商 人 、 旅 行 者 、 学 者 、 学 生 な ど の 「望 ま し い 」 中 国 人 は 人 頭 税 を 免 除 さ れ 、 カ ナ ダ へ の 入 国 を 許 可 さ れ た の で あ る 。EdgarWickberg,ed.,FromChinatoCanada:A HistoryoftheChineseCommunitiesinCanada,MinistryofSupplyandServicesinCanada,1982, pp.82-83. 5J .M.S.ケ. ア レ ス 著 、 前 掲 書 、284-285頁. 6DepartmentofCitizenshipandImmigration. 。 ,ImmigrationandDemographicPolicyGroup,Immigration. Statistics(Ottawa:Queen'sPrinter,1991). 7NinetteKellyandMichaelTrebilcock 8J .M.S.ケ 9R. ,op.cit.,p.63.. ア レ ス 著 、 前 掲 書 、318頁. 。. .DouglasFrancis,ImagesoftheWest:ChangingPerceptionofthePrairies,1690-1960,Western ProducerPrairieBooks,1989,pp.108-109.. 10NinetteKellyandMichaelTrebilcock 11カ ナ ダ に お け る 東 洋 系 の 移 民(中. ,op.cit.,pp.117-121. 国系. 、 日 系 、 イ ン ド系)に. 対 す る排 斥 や 差 別 につ い て は次 の文 献 が 参 考 に. な る 。EleanorLaquian,AprodicioLaquianandTerryMcGee(eds.),TheSilentDebate:Asian ImmigrationandRacisminCanada,TheUniversityofBritishColumbia,1998. 12シ フ ト ン の 移 民 政 策 の 分 析 に つ い て は 次 の 文 献 を 参 照 さ れ た い 。D.J.Hall,"CliffordSifton:Immigration. 211.

(12) andSettlementPolicy1896-1905,"inR.Douglas Historical. Readings,. Pica. Pica. Francis. and. Howard. Palmer(eds. .),ThePrairieWest:. Press,1985,pp.281‐308.. 13ケ ネ ス ・マ ク ノ ー ト著/馬. 場 伸 也 監 訳 『カ ナ ダ の 歴 史 』 ミネ ル バ 書 房 、1977年 、213頁 。 4現 在 ア ル バ ー タ に は ハ ッ テ ラ イ ト教 徒 と メ ノ ナ イ ト教 徒 の コ ロ ニ ー が 多 数 存 在 し て お り 1 、 し か もそ の 数 は 増 え 続 け て い る。 これ ら宗 派 が. 「ア ナ バ プ テ ィ ス ト」(再 洗 礼 主 義 者)と. 呼 ばれ るわ け は、 宗 教 改 革 の 時 代. に 幼 児 洗 礼 を 否 定 し 、 成 人 洗 礼 を 実 行 し た た め で あ り、 聖 書 の 「使 徒 行 伝 」 に あ る 「愛 の 共 産 体 」 に な ら い 財 産 の 共 有 を 主 張 し 実 践 し て い る 。 と りわ け バ ッ テ ラ イ ト教 徒 は 徹 底 し た 絶 対 平 和 主 義 を 信 奉 し 、 自 分 た ち の 子 息 を 軍 隊 に 送 り込 ま な い し 、 国 債 は 軍 事 費 と して 使 わ れ る か ら と い う理 由 で 国 債 を 買 わ な い 。 し か も コ ロ ニ ー と い う閉 鎖 的 な エ ス ニ ッ ク ・コ ミ ュ ニ テ ィを 形 成 し、 自 給 自足 に 近 い 生 活 を 送 っ て い る 。 こ の よ う に 宗 教 上 の 信 条 や 生 活 習 慣 を 堅 く 保 持 し て 、 ホ ス ト社 会 に 同 化 し よ う と し な い グ ル ー プ が 一 般 社 会 か ら 歓 迎 さ れ る わ け が な い 。 彼 ら は 産 児 制 限 を し な い か ら 驚 異 的 な 勢 い で 人 口増 加 を 遂 げ 、 人 口 過 密 状 態 に な る と、 新 し い コ ロニ ー を建 設 す るた め に 、既 存 コ ロ ニ ーの 住 民 の 約半 数 が土 地 を求 めて 移 動 す る 。 ダ グ ラ ス ・フ ラ ン シ ス 著. 「プ レ ー リ ー 西 部 と新 移 民 」(ダ. 民 族 』 同 文 館 、1993年 University. of. 、169-170頁)。Victor. Minnesota. Press,1965.William. Mennonite,Hutterite,and 15W. Doukhobor. .PeterWard,"Population. of. Common:The. Limmits. Hutterian. on. Canada,1901-71. H.Thomas,ed.by. ,"in. John. wayof. Life,. Liberty:TheExperience. in Canada,University. in Western. Lewis. Things. Janzen,. Communities. Growth. CanadianHistoryinHonor. グ ラ ス ・ フ ラ ン シ ス 、 木 村 和 男 編 著 『カ ナ ダ の 地 域 と. Peters,All. of TorontoPress The. Developing. E .Foster,The. of ,1990.. West:Essays. University. on. of Alberta. Press,1983,pp.157-177. 16J .M.S.ケ. ア レス 著 、 前 掲 書 、319頁. 。. 17次 の 文 献 は19世 紀 に ア メ リ カ に 大 量 に 移 住 し て き た 中 国 人 移 民 の. 「異 様 な 」 風 俗 に つ い て 当 時 の 新 聞 や 雑. 誌 の 風 刺 漫 画 が ど の よ うに 描 い て い た か を 紹 介 し て い て 興 味 深 い 。PhilipP.Choy,LorraineDong,and MarlonK.Hom,(eds.),ComingMan:19thCenturyAmericanPerceptionsoftheChinese,The UniversityofWashingtonPress,1995. 18Ninette. Kelly. and. Michael. Trebilcock. 19日 本 か ら カ ナ ダ へ の 移 民 の 歴 史 を 扱. ,op.cit.,p.143. った 文献 は多 いが 、 次 に そ の 中 の 主 な もの を あげ る。 新 保 満 著. も て 追 わ る る ご と く − 日 系 カ ナ ダ 人 社 会 史 − 』 御 茶 の 水 書 房 、1975年(新 移 民 − 日 系 カ ナ ダ 人 に 見 られ た 排 斥 と 適 応 − 』 評 論 社 、1977年 の 科 学 社 、1993年. 。 飯 野正 子著. ナ ダ 移 民 史 』 不 二 出 版 、1999年 20J .M.S.ケ. 版 、1996年)。. 『石 を. 新 保 満 著 『日 本 の. 。 吉 田 忠 雄 著 『カ ナ ダ 日 系 移 民 の 軌 跡 』 人 間. 『日 系 カ ナ ダ 人 の 歴 史 』 東 京 大 学 出 版 会 、1997年. 。 佐 々 木 敏 二 著 『日 本 人 カ. 。. ア レ ス 著 、 前 掲 書 、342-358頁. 。. 21NinetteKellyandMichaelTrebilcock. ,op.cit.,p.167.. 22Ibid .,p.165. 23J .M.S.ケ. ア レ ス 著 、 前 掲 書 、381-382頁. 24NinetteKellyandMichaelTrebilcock. 。. ,op.cit.,p.229.. 25Ibid .,p.227. 26Ibid .,pp.234-235. 27Ibid .,p.251. 28Freda. Hawkins. University. ,Canada. and. Immigration:Public. Policy. and. Public. Concern,. McGill-Queen's. Press,1988,pp.89-90.. 29NinetteKellyandMichaelTrebilcock. ,op.cit.,p.321. 30中 国 人 移 民 排 斥 法 が 廃 止 さ れ た の は1947年 であ っ た 。NinetteKellyandMichaelTrebilcock,op.Cit., p.321. 31AnnGomerSunahara SecondWorldWar,James. 212. ,ThePoliticsofRacism:TheUprooting Lorimer&Company,1981.村. of 井忠政著. Japanese. Canadians. during. the. 『日系 カ ナ ダ 人 女 性 の 生 活 史 』 明 石 書.

(13) 店 、2000年. 、巻末論文. 「南 ア ル バ ー タ の 日系 人 社 会 」(321-322頁)。. 213.

(14)

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