〔書評〕Hans Martin KRAMER Shimaji Mokurai and
the Reconception of Religion and the Secular
in Modern Japan University of Hawaii
Press,2015
著者
呉 佩遙
雑誌名
年報日本思想史
号
18
ページ
31-36
発行年
2019-03-27
URL
http://hdl.handle.net/10097/00129312
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刊 多 く の 先 学 者 が 指 摘 し た よ う に 、 日 本 に お け る ﹁ 宗 教 ﹂ と い う 言 葉 は 、 プロテスタント諸国からの同概念の流入と、近世社会に流布した﹁宗 門 ﹂ ・ ﹁ 教 法 ﹂ ・ ﹁ 聖 道 ﹂ な ど の 言 葉 と の 再 編 成 に よ り 、 近 代 に ﹁ 諸 国 'E
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﹂の訳語として形成されたものである ( l ) . 本書の主人公である 島 地 黙 雷 ( 一 八 三 八 ー 一 九 一 一 ) は 滞 土 真 宗 本 願 寺 派 の 僧 で あ り 、 欧 米 に お け る ﹁ 目 出 岡 山 一B
﹂をいち早く近代日本に取り入れようとしたキ 1パ
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ソ ン で あ る 。 具 体 的 に 彼 は 、 明 治 維 新 以 降 に い ち 早 く 宗 門 の 改 孟 に 着 手 し 、 そ し て 、 西 本 願 寺 の 命 に よ り 近 代 日 本 仏 教 界 初 の 渡 欧 を な し た 人 物 と し て 知 ら れ 、 一 八 七0
年 代 の ﹁ 政 ﹂ と ﹁ 教 ﹂ の 関 係 に 多 大 な 影 響 を 与 え た と さ れ る . 近 年 、 ﹁ 宗 教 ﹂ な る 概 念 の 成 立 過 程 を 多 様 な 視 角 か ら 考 察 す る 研 究 がNCHm
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徐 々 に 蓄 積 さ れ て き た 。 例 え ば 、 英 語 圏 で は 、 ﹁ 宗 教 ﹂ と ﹁ 国 家 ﹂ の 力 関 係 に 注 目 し た ジ ェ イ ソ ン ・ A ジ ョ セ フ ソ ン の ﹃ 日 本 に お け る 宗 教 の 創 出 ﹄(
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三 年 ) 、 ﹁ 前 近 代 ﹂ と ﹁ 近 代 ﹂ に 光 を 当 て よ う と し た 林 淳 の ﹁ 宗 門 か ら 宗 教 ごなどがある。﹁宗教﹂という言葉が一八八0
年 代 ま で の 日 本 列 島 に お い て 一 般 化 し て い な か っ た こ と か ら も 窺 え る よ う に 、 ﹁ 宗 教 ﹂ の あ り『年報日本思想史』第 18号 (2019年3月) 方 は 国 民 国 家 の 枠 組 の 中 で 盛 ん に 議 論 さ れ 続 け て い た 。 本 書 の 著 者 で あ る ハ イ デ ル ベ ル ク 大 学 教 授 の ハ ン ス ・ マ
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テ ィ ン ・ ク レ!?は、上述した先行研究の成果を踏まえ、明治期を代表する僧侶島 地 に 焦 点 を 当 て 、 政 治 的 か つ 社 会 的 な コ ン テ キ ス ト に よ せ 、 ﹃ 宗 教 話 回 目m
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﹂が如何に近代日本という文脈で﹁再概念化2
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されていったかを綿密に考察した。具体的に彼は、ポス トオリエンタリズム理論を批判的に取り上げ、近代日本における﹁宗 教﹂の形成を単なる﹁創出町話回宮口﹂あるいは﹁翻訳宵自 ω 釘 位 。E
の プ ロ セ ス と み な す の で は な く 、 西 洋 か ら の そ れ と 土 着 の 知 識 体 系 の 混 合 に よ る ﹁ 再 概 念 化 ﹂ の 過 程 と い う 視 座 を 提 供 し よ う と し て い る 。 そ れ に 際 し て 、 重 要 な 役 割 を 果 た す の が 、 グ ロ ー バ ル な ﹁ 交 渉 居 間 。-E ω
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。旦の過程という概念である。すなわち、本書の序章で記された ように、長らく文化的に普遍なものとして語られてきた宗教は、比較宗 教 学 者 の W . C 目スミス(一九二ハ│二0
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以 降 、 キ リ ス ト 教 的 な独特の枠組においてのみ成立することが強調されてきた。しかし著者 は﹁交渉﹂という双方向的な視角を取り入れることにより、従来の認識 の 上 書 き を 試 み て い る 。 本 書 の 構 成 と 各 章 の 要 約 は 、 以 下 の 通 り で あ る 。 序 章 第 一 章 近世日本における宗教分類 ( の 巳 O 問 。 向 日 凶 四 一 回 佐 官 回 目 回 旦 守 宮 O 島 即 日 向 者E )
明治初期の仏教と神道家の挑戦 宙開寄害怯国三舎臣自自主宮田E
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付 結 録 論 島 地 黙 雷 コ ニ 条 教 則 批 判 建 白 書 ﹂ [ 英 訳 ] 序章では、﹁近代日本において﹁宗教﹂がいかに構築されたか﹂とい う本書最大の問題意識の理論的な背景が整理されている。著者は近代日 本の宗教概念の形成に決定的であったとされる三つの要素││﹁西洋の 影響任。巧g
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日 官 在 、 ﹁ 圏 内 の 政 治 課 題 笹 。 吉 田 宮 己 防 官 民 巴 、 ﹁ 土 着 の 伝 統p
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の 訳 語 と し て 提 示 さ れ た ﹁ 宗 教 ﹂ 、 ﹁ 教 法 ﹂ な ど の 構 成 要 素 で あ り 、 江戸時代においてすでに独立した意味を持っていた﹁教古宮古口問﹂や ﹁ 法 ﹃ 司 ﹂ 、 ﹁ 宗 ω宮立を追跡したほうが、日本における﹁宗教﹂の成立 過 程 を 読 み 解 く た め に は 有 効 だ と す る 。 第 一 章 に お い て 、 著 者 は ﹁ 宗 教 ﹂ と い う 言 葉 が な ぜ ﹁ 話 ﹃ 柱 。E
の 訳 語として案出されたのかという関心から出発し、二ハ世紀に遡って、そ こで生み出された概念的遺産が﹁宗教﹂定着に確実に影響を与えたと論 じる。著者によると、江戸期の日本において確かに、﹁社会生活におけHans Martin Kramer W Shim叩iMokurai削 d the Reconception 01 Re/igion and the Secular in Modern Japan~ (呉) る 独 立 領 域 ﹂ や 、 ﹁ 人 類 の 普 遍 的 な 要 素 ﹂ と い う 意 味 で の ﹁ 長 岡
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を 見 出 す こ と は で き な い が 、 一 七 世 紀 初 頭 か ら 異 な る 教 理 体 系 を 語 る 上 で ﹁B
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督 自 ﹂ の 類 義 語 は す で に 存 在 し て い た と い う ( 一 二 頁 ) 。 そ し て 、 東 ア ジ ア 漢 字 文 化 圏 の 枠 組 で 、 広 義 で の ﹁ 括 臣 官o
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の 領 域 を 包 摂 す る 言葉として﹃教﹂および﹁道場畠﹂が用いられていたが、中世末期か ら 起 き た キ リ ス ト 教 と の 接 触 と 、 近 世 と な っ て そ れ に 対 す る 徳 川 幕 府 の 宗教政策の影響によって、日本独特の﹁自民包自﹂の領域が徐々に形成 されたと述べる。具体的には、一五八七年に豊臣秀吉(一五三七│一五 九八)が発布した﹁伴天連追放令﹂、二三四年に発令され、徳川時代 の キ リ シ タ ン 禁 制 政 策 の 基 本 と し て 機 能 し た ﹁ 伴 天 連 追 放 文 ﹂ な ど の テ キスト分析を通して、﹁法﹂や﹁宗﹂など、仏教といった土着体系を語 る上での用語が、キリスト教に対しても使用されるようになったことを 明 ら か に し て い る 。 さ ら に 幕 府 の 宗 教 政 策 、 特 に 本 末 制 度 や 寺 詩 制 度 の 成立が言語実践にもたらした影響を検討し、それらの政策によって仏教 に お け る 諸 宗 派 の 区 別 が 強 く 一 意 識 さ れ る よ う に な り 、 宗 門 と し て の 組 織 の 意 味 を 多 分 に 含 む ﹁ 宗 ﹂ が ﹁ 法 ﹂ よ り 頻 繁 に 現 れ 、 キ ロ ス ト 教 を 指 す 場 合 に も ﹁ 邪 宗r s o
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虫 色 と い う 名 が よ り 多 く 用 い ら れ た と い う 。 以上の議論を踏まえた上で、島地が維新期以降に構想した宗教概A e
ぜ 考 察するにあたり、﹁神道﹂の問題に加えて真宗の伝統思想の影響にも注 目 し な け れ ば な ら な い と い う 。 そ こ で 、 第 二 章 で は 一 八 七0
年 代 と い う 近 代 の 政 治 的 ・ 社 会 的 な コ ン テキストにおいて﹁E
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が如何に形成されたかについて、島地が 渡欧中に上申した﹁三条教則批判建白書﹂(一八七二年)とその周辺を 論じている。著者は﹁三条教則批判建白書﹂を宗教なる領域の定義を試 み た 最 初 の 一 つ と し 、 そ こ に お い て ﹁ 政 ﹂ と ﹁ 教 ﹂ の 分 別 が 主 張 さ れ た のみならず、の﹁内実﹂と﹁本質﹂が探求されたとする。 宗 教 そ こ で彼が属した真宗に焦点を当て、その伝統教義、神道への姿勢、明治初 期の為政者との関係といった側面から、近代における真宗の特殊性を主 張する。著者は﹁E
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なる領域を指す概念の革新は、一八七二年 に 教 部 省 が 教 導 職 に 下 達 し た コ ニ 条 教 則 ﹂ に よ っ て も た ら さ れ た と し 、 真宗側の反応としてまず、経済に関する著作で有名であった浄土真宗本 願寺派の佐田介石(一八一八一八八二)の﹃教諭凡道﹄(一八七二 年 ) 、 真 宗 大 谷 派 の 学 僧 で あ る 樋 口 龍 温 ( 一 八 八O
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一 八 八 五 ) の ﹃ 教 則三条講述﹄(一八七三年)に注目している。佐田と樋口は、基本的に ﹃三条教則﹂、特にその﹁敬神﹂を肯定する立場にあったが、﹁三条教 則 ﹂ を 宗 教 の 統 制 政 策 と い う よ り も 一 種 の 道 徳 的 な 規 範 と し て 捉 え た 。 著 者 に よ る と こ こ で 、 ﹁ 沼 恒 四 時O
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は コ ニ 条 教 則 ﹂ の よ う な 政 策 の 対 象 と は領域が異なるということがすでに暗示されていたという。一方、佐固 と樋口より一世代若い島地は﹁三条教則批判建白書﹂において、﹁宗 教﹂という言葉を用いつつ﹁人為﹂の﹁政﹂と﹁神為﹂の﹁教﹂をより 明 確 に 分 別 し 、 ﹁ 教 ﹂ を 内 面 的 な 領 域 に 限 定 す る と 同 時 に 、 ﹁ 神 道 ﹂ を 宗 教 の 範 囲 か ら 外 す よ う な 語 り 方 を 先 駆 的 に 案 出 し た と い う ロ 第三章では、﹁宗教﹂の対語として構築され、前近代から用いられた 言 葉 で あ る ﹁ 治 教 日 出n
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﹂に関する概念史的な考察がなされて い る 。 ﹁ 三 条 教 則 批 判 建 白 書 ﹂ で 知 ら れ て い る 島 地 は 先 行 研 究 に お い て 、 専ら﹃政﹂と﹁教﹂の分別を主張した人物として捉えられてきた。これ に 対 し 、 著 者 は 彼 の 語 り の 枠 組 が 一 八 七 二 年 か ら 一 八 七 四 年 に か け て 、 ﹁政/教﹂より﹁治教/宗教﹂の二項対立に変わったと鋭く指摘し、 ﹁ ﹁ 宗 一 教 ﹂ は ﹁ 政 ﹂ で は な く 、 ﹁ 治 教 ﹂ の 対 話 と し て 形 成 さ れ た ﹂ ( 八 六 頁 ) と 示 唆 し て い る 。 こ こ で の ﹁ 治 教 ﹂ は 、 島 地 自 身 も 言 及 し た よ う に 、 神 道 に よ る 国 民 教 化 を 企 て 、 一 人 七O(
明 治 一 ニ ) 年 に 始 ま っ た 大 教 宣 布 運 動 の 詔 書 の 中 か ら 借 り ら れ た 言 葉 で あ り 、 も と も と は 神 道 の 果 た す べ『年報日本思想史』第四号 (2019年3月) き 役 割 を 表 し て い る 。 一 方 、 著 者 は 島 地 の ﹁ 教 部 改 正 ニ ツ キ ﹂ ( 一 八 七 四年)や大谷派の栴潜龍(一八三四│一八九六)の﹁十七論題略説﹂ ( 一 八 七 四 年 ) な ど の テ キ ス ト の 分 析 を 通 し 、 そ こ で の ﹁ 治 教 ﹂ が ﹁ 神 道 ﹂ の み を 指 す の で は な く 、 ﹁ 教 化 ﹂ の 意 味 を 含 め た 広 い 概 念 と し て 再 構 築 さ れ た と す る 。 こ の ﹁ 治 教 ﹂ の 系 譜 を 辿 る べ く 、 著 者 は 近 世 に 遡 り 、 そ の 意 味 の 変 遷 を 四 つ の 段 階 に 分 け 、 そ れ ぞ れ を 丹 念 に 検 討 す る 。 第 一 期 は 、 江 戸 初 期 に 儒 学 の コ ン テ キ ス ト で 用 い ら れ た ﹃ 治 教 ﹂ で あ る が 、 そ の 意 味 は 必 ず し も 一 様 で は な い 。 第 二 期 に あ た る 後 期 水 戸 学 の 枠 組 で は 、 治 国 の 術 と し て の 儒 学 的 な 意 味 を 継 承 し つ つ 、 国 学 の 影 響 に よ り 、 土 着 の 神 体 へ の 崇 拝 が 主 張 さ れ る 。 こ の 文 脈 で 儒 教 と 神 道 は 同 様 に 扱 わ れ た が 、 第 三 期 の 明 治 初 期 に な る と 、 ﹁ 治 教 ﹂ を 用 い る 場 合 に 、 神 道 の 絶 対 的 な 優 位 性 が 強 調 さ れ る 。 ま た 、 ﹁ 治 教 ﹂ が 為 政 者 の 臣 民 支 配 の 方 針 を 指 す の み な ら ず 、 臣 民 ﹁ 教 化 ﹂ の 意 味 も 帯 び て く る 。 第 四 期 は 、 島 地 や 楠 な ど の 仏 教 者 に よ る 用 法 で あ り 、 彼 ら は ﹁ 治 教 ﹂ を ﹁ 宗 教 ﹂ の 対 義 語 と し て 構 築 す る こ と に よ り 、 江 戸 期 の ﹁ 教 ﹂ の 枠 組 を 維 持 し つ つ 、 ﹁ 神 道 ﹂ を ﹁ 宗 教 ﹂ か ら 外 そ う 今 と し た 。 著 者 は こ の 再 解 釈 の 試 み が 、 日 本 に お け る ﹁ 神 道 の 問 題 J 由
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自 沼 ﹂ と 深 く か か わ っ て い る と し 、 こ の 圏 内 の 状 況 が 、 ﹁g
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旬 。 巳 の 導 入 を 方 向 付 け た と 主 張 す る 。 第 四 章 で は 、 島 地 の ヨ ー ロ ッ パ 滞 在 経 験 に 着 目 し 、 そ れ が 彼 に よ る 宗 教 の ﹁ 再 概 念 化 ﹂ に い か な る 影 響 を 与 え た か を 検 討 し て い る 。 一 八 七 二 年 、 島 地 は 西 本 願 寺 の 海 外 教 状 視 察 団 の 一 員 と し て 出 発 し 、 約 一 年 ヨ ー ロ ッ パ に 滞 在 し た 。 し か し 、 先 行 研 究 が こ れ ま で 論 じ た よ う な 、 島 地 が 単 に 受 動 的 に ﹁ キ リ ス ト 教 ﹂ と り わ け ﹁ プ ロ テ ス タ ン ト ﹂ に 影 響 さ れ 、 そしてヨーロッパですでに形成された F o r m 甘巴概念を日本に持ち帰 っ た と い う 筋 書 き で は な く 、 島 地 の ヨ ー ロ ッ パ 滞 在 を ﹁ 交 渉 ﹂ の 過 程 と し て 語 り 直 す こ と に 焦 点 が 置 か れ る 。 そ こ で 、 著 者 は こ れ ま で 着 目 さ れ る こ と が な か っ た 史 料 の 丹 念 な 精 査 を 通 じ て 、 島 地 が パ リ お よ び ベ ル リ ン で 影 響 を 受 け た 具 体 的 な 人 物 を 特 定 し て い る 。 そ の 中 で も 、 パ リ で は 民 俗 学 者 ・ 言 語 学 者 の レ オ ン ・ ド ・ ロ ニl
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一 八 三 七 1 一 九 一 四 ) 、 実 際 に 会 う こ と は な か っ た が 、 ﹃ 耶 蘇 伝 ﹄( 3
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と い う 本 を 通 し て 島 地 に 示 唆 を 与 え た エ ル ネ ス ト ・ ル ナ ン ( 一 八 二 三 │ 一 八 九 二 ) 、 ベ ル リ ン で 会 っ た ド イ ツ の 自 由 主 義 神 学 者 、 特 に エ ミ ル ・ グ ス タ ブ ・ リ ス コ ( 一 八 一 九l
一 八 八 七 ) と の ﹁ 交 渉 ﹂ に 光 が 当 て ら れ る 。 著 者 に よ る と 、 こ れ ら の 人 物 の リ ベ ラ ル な 主 張 は 、 当 時 の ヨ ー ロ ッ パ に お い て 決 し て 主 流 で は な か っ た が 、 日 本 囲 内 の 政 治 的 ・ 社 会 的 な 課 題 を 常 に 念 頭 に 置いていた島地は、そのフィルターを通して﹁E
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酒 。 ロ ﹂ を 受 容 し た と い う 。 そ し て 島 地 は 帰 国 後 、 ヨ ー ロ ッ パ で 学 ん だ 洞 察 を ﹁ 目 ﹃ 明 。E
の あ り 方 の 模 索 に 応 用 し 、 神 道 の 排 除 や キ リ ス ト 教 へ の 対 策 、 そ し て 合 理 的 な 宗 教 と し て の 仏 教 の 構 築 に 尽 力 し て い っ た 。 第 五 章 に お い て 、 ﹁ 宗 教 ﹂ の 対 話 と さ れ て き た 概 念 と し て の ﹁ 世 俗 ﹂ と ﹁ 世 俗 化 ﹂ が 検 討 さ れ る 。 著 者 は 村 岡 典 嗣 ( 一 八 八 四l
一 九 四 六 ) や 丸 山 真 男 ( 一 九 一 四l
一 九 九 六 ) の 論 述 に 見 ら れ る よ う な 宗 教 の 表 退 と い う 語 り 方 、 そ し て 丸 山 が そ の 文 脈 で 用 い た ﹁ 世 俗 ﹂ の 系 譜 を 追 跡 す べ く 、 江 戸 期 ま で 遡 っ て ﹁ 世 俗 ﹂ を 言 説 史 的 に 考 察 す る ロ そ こ で 、 前 近 代 か ら 用 い ら れ た ﹁ 世 ﹂ と ﹁ 俗 ﹂ の 用 法 、 そ し て 真 宗 の 枠 組 に お い て 説 か れ る ﹁ 王 法 仏 法 ﹂ 、 ﹁ 真 俗 二 習 に 注 目 し 、 明 治 期 の ﹁ 世 俗 ﹂ と い う 言 葉 が 継 承 し た 概 念 的 遺 産 を 掘 り 出 そ う 一 と す る ロ ま た 、 ﹁ 世 俗 ﹂ と い う 用 語 の 成 立 過 程 が ﹁ 宗 教 ﹂ と 並 行 し て い る こ と を 指 摘 し 、 宗 教 概 念 が こ の 対 語 と の 相 互 関 係 に よ っ て 構 築 さ れ た こ と を 強 調 し て い る 。 著 者 は さ ら に 、 本 書 の 対 象 た る 島 地 の 営 為 に 見 ら れ る よ う な 宗 門 の 信 念 ・ 実 践 体 系 と 国 家を分別する傾向は、上述した真宗の伝統を継承したとしつつ、彼がHans Martin Kramer 1i'Shimaji Mokurai and the Reconc甲tion 01 Religion and the Secular in Modern Japan~ (呉) ﹁ 治 教 ﹂ と い う 言 葉 を ﹁ 宗 教 ﹂ と 対 置 さ せ る こ と に よ っ て 、 そ の 伝 統 の 枠 組 を 乗 り 越 え よ う と し た と 論 じ て い る 。 結論では、本書で一貫して主張される、宗教聾叫の形成に決定的であ っ た と さ れ る 三 つ の 要 素 │ │ ﹁ 西 洋 の 影 響 ﹂ 、 ﹁ 園 内 の 政 治 課 題 ﹂ 、 ﹁ 土 着 の 伝 統 ﹂ ー ー が 各 章 の 整 理 と 議 論 の 補 足 に よ っ て 振 り 返 り が な さ れ て い る 。 そ し て 、 ﹁ 宗 教 ﹂ の 形 成 を 西 洋 の イ ン パ ク ト の み に 求 め る ポ ス ト オ リエンタりズム批判に対し、著者はご九世紀における宗教概念のグ ロ ー バ ル な 歴 史 は 、 西 洋 の 発 明 が ほ か の 地 域 や 国 に 輸 出 さ れ た の で は な く、グローバルな言説における(多様性を備えた)共同構築である﹂と 指 摘 す る ( 一 四 一 頁 ) 。 次に、本書が近代宗教史研究にいかなる貢献をなしたかについて、個 人的な所感と展望を述べるように努めたい。本書でしばしば強調された ように、近代日本における宗教概念の形成は、西洋からの一方的な輸入 というよりも、土着の行為主体が自らの立場を以てグローバルな言説の 中に積極的に参入した﹁交渉﹂という過程の産物である。この卓見とも 言うべき指摘は、島地のみならず、日本の他の仏教者あるいは仏教結社 に焦点を当てるに際し、グローバルな動向を視野に入れ、そこで研究対 象がいかなる﹁交渉﹂を試みたかという方向にも、今後、様々な角度か ら展開、深化させていくべきであろう。例えば、欧米における日本近代 仏教史研究の先駆者の一人であるジェ!ムス・ケテラ
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が主著﹃邪教/ 殉教の明治﹄において、一八九三年に開催されたシカゴ万国宗教大会に 注 目 し 、 そ こ に お け る 表 象 と し て の ﹁ 仏 教 ﹂ の 再 構 築 広 着 目 し て い る が ( 2 ) 、 著 者 が 示 し た よ う な 観 点 か ら さ ら に 、 ﹁ 仏 教 ﹂ の 内 実 ・ 本 質 の ﹁ 交 渉 ﹂ の 舞 台 と し て 、 シ カ ゴ 万 国 宗 教 大 会 を め ぐ る 研 究 も 可 能 で あ ろ う 。 そ し て 、 前 近 代 か ら 近 代 へ の 展 開 に ま つ わ る 著 者 の 貢 献 を 挙 げ た い 。 本書では、土着概念の遺産が丹念な史料分析によって掘り下げられ、そ こで、島地のような前近代と近代のはざまで生きた仏教者が継承した ﹁ 伝 統 ﹂ と そ の 系 譜 が 解 明 さ れ た 。 近 代 仏 教 研 究 の 分 野 に お い て は 昨 今 、 前近代と近代の﹃断絶﹂だけではなく、その﹁連続性﹂も考える必要が 強調されている。﹁宗教﹂の創出に不可欠な要素として機能した﹁宗 門 ﹂ ・ ﹁ 教 法 ﹂ ・ ﹁ 聖 道 ﹂ な ど の 検 討 は 無 論 、 組 織 や 団 体 の 再 編 ! 教 義 の 再 解釈などに関する研究も求められているロ本書は﹁宗教﹂の構成要素を 江 戸 期 ま で 追 跡 し た こ と や 、 真 宗 の ﹁ 伝 統 ﹂ の 近 代 的 な 展 開 に 光 を 当 て たことで、﹁伝統/近代﹂という対立の問題に対し、大きく貢献を果た したと言える。一方、本書で紙幅を多く割いた真宗の伝統教義が具体的 にいかに島地に影響したか、換言すれば、様々な﹁伝統﹂が並存したな かで、彼はいかなる﹁伝統﹂と関わり、いかにその再解釈を試みたかに つ い て 、 も う 少 し 説 明 を 要 す る と 考 え ら れ る 。 最後に、内面的な領域に属する宗教概念の形成と真宗の特殊性の関連 について言及したい。著者は島地の事例にも見られるように、宗教概念 が形成される過程を通し、真宗の枠組で親驚から継承された﹁信心﹂が 再解釈されていくという重要な洞察を披 L湿 し て い る 。 そ の 結 果 と し て 、 真宗の伝統教考か﹁宗教﹂の意味に影響を与え、同時に、真宗そのもの も ﹁ 宗 教 ﹂ と い う カ テ ゴ リ ー に よ っ て 変 貌 し て い く 。 一 方 、 ﹁ 宗 教 ﹂ の 核心とされる﹁信仰﹂も近代を通して構築された概念であることを忘れ てはなるまい。例えば、評者の研究対象である境野黄洋(一八七一一 九三三)は、世紀転換期に巻き起こり、健全な﹁信仰﹂の樹立を掲げた 新仏教運動の主な指導者の一人として知られているが、彼の知識体系│ ! と り わ け 信 仰 理 解 ー ー も 、 真 宗 の ﹁ 伝 統 ﹂ と の 開 速 で 形 成 さ れ て い っ た 。 か か る 信 仰 言 説 と 真 宗 の ﹁ 伝 統 ﹂ と の か か わ り は 、 ム 寸 後 、 討 さ れ て い く べ き で あ ろ う 。 さ ら に 検『年報日本思想史』第 18号 (2019年3月) 本 書 は 近 代 日 本 に お け る 宗 教 概 念 が グ ロ ー バ ル な ﹁ 交 渉 ﹂ るということを示す試みであるのみならず、近代の﹁知﹂のコミュニ ケ ー シ ョ ン を 通 時 的 か つ 共 時 的 に 考 え る 方 法 を 提 示 し た も の で も あ る 。 ﹁ 交 渉 ﹂ を キ ー ワ ー ド と し て 宗 教 概 念 の 構 築 を 考 察 し た 本 書 に よ っ て 、 近 代 日 本 研 究 に お け る グ ロ ー バ ル な 視 野 が 広 が る こ と を 切 に 望 む 。