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登科以前の王昌齢(中) : 王昌齢評伝・二

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(1)104. 2.上. 波通演渡田 孤舟未得清. 演渡の田. えんよ,フ. 未だ済るを得ず. 波は通ず. Mitsuhiro. 博. OKADA. 充. 夢に入るは何れの年にか在らん. 田. 空し-膚を守り. に思うのは、やはり未だに適えられない登用の願いであった。段の博. 蒼荘の雨. 追って、語釈中心に簡単な説明を加えてお-ことにする。. 説の故事を引-結びの一句にそれは現れているけれども、先ずは順を. たようであるが、郷愁にかられる彼が、秋雨に煙る渡し場の風景を前. きる。王昌齢は何らかの理由で、ここにしばら-逗留することになっ. ここから洞水を渡って南へ下れば、長安へ通ずる大道に出ることがで. 土地で牧畜に適し、唐代には朝廷の馬を養う沙苑監がおかれていた。. 「沙苑」は、現在の駅西省大嘉県の南、洛水と洞水の間に位置する. 人夢在何年. いま. 岡. 豊科以前の王昌齢(中) -王昌齢評伝・二-. には長安. ThelifeandpoetryofWangCh'ang・)ingbeforesuccessinanimperia)examination -ACriticalbiographyofWangCh.ang-lingNo・2-. 王昌齢は翌開元十二年(七二四) 揺とり. 帰京の事実に関する考証は後に譲ることに. わた. いず. (二、青年期. さて、大原を訪れた後、 に戻っているようである。. するが、次に挙げる「沙苑の南渡の頭」は、その大原からの帰途の作 (1). 孤舟. 復た川に臨む. ともづな. 帰心は浦淑に懸かなり. ほじょ. 秋着は雲に連なりて白-. とも推測されている作品である。. 秋霧連票白. むな. ま. 蹄心浦淑懸 津人空守績 村館復臨川. はる. そうぼう. 岡田. へだ. 蓬は隔つ. ・. 村館津人. 登科以前の王昌齢(中). 窪隔蒼荘雨. とま. (2).

(2) 103. 登科以前の王昌齢(中). さて'結びに至って王昌齢は、登用を願う気持ちを帰京に絡めて泳. 一先ずこれに従ってお-ことにする。「演沫」は、ただようさま。. が遠-温かに広がるの意味であろう。第一旬に写し出された霧に煙る. いあげる。一途な願いが率直に吐露された旬であるが、また、見方に. 第二旬、「浦淑」は浦辺、「懸」は、「蹄心(故郷に帰りたいと思う心)」. 秋景色が効果的に働いて、この旬を引き立てている。第三旬の「津人」. ょってはここに、詩作家としての若さを指摘することもできよう。た. 「臨洞庭」詩を忠. 洞水oこのl聯、・r空」「復」が第二旬の「麻心」を受け、叙景に昌齢. い出させるものがあるけれども、尾聯二旬の表現には、「潜らんと欲す. のような含蓄はない。. は、先に述べたように、『史記』巻三・殿本記などに. いたずら. 第八旬「入夢」. 領聯を成す前句「津人-」との対応からすれば、形の上では主語は「村. 反復・連続の意味を表す方向で用いられているのであろう。この句、. 命じてこの人物を捜させた。そして、博険. すことができなかった。ある夜、彼は夢に聖人に会い、そこで百官に. 位に即-と段の復興を目指したが、自分を補佐して-れる賢臣を見出. した。か-て殿は大いに治まったという。. ところで、宋の葛立方は、詩話『韻語陽秋』 いて、次のように皮肉っている。. -沙苑. 乃ち「孤舟. ふえつ. みずか. (巻十一). 夢に入るは. の渡の作に至りては、. の旬あり。是れ博説を以て自ら期するなり。. 未だ済るを得ず、 何れの年にか在らん」. 王昌齢の詩を観るに、仕進の心切なりと謂うべし。. でこの結びの一聯を引. 会見し、ともに語ってみると果たして聖人であったので、宰相に登用. (博という名の岩窟). 館」となるが、ゆるやかな対句と考えれば'「村館」二字は、川に臨む. 人として繋がれ、労役に従事させられていた説を捜し出した。高宗が. (竹・茅で編んだ船の覆い). 陀しい姿が浮かび上がる構図になっている。) 第五旬、「蓬」はーマ. は劣る。他の諸本が「蓬」につ-るのに従うべきであろう。「蒼荘」. て、小舟を指す。『唐百家詩遺』では「峯」につ-るが、描写句として. の意味から転じ. による感情移入によって、宿から洞水を眺めて無為に日を送る昌齢の、. 昌齢の居場所を示す語とも取れる。ただいずれにせよ、この「復」字. は、l二アンスが幾分微妙であるが'やはり「今日もまた」といった、 載る博説の故事をふまえる。博説は、段の高宗武丁の宰相。高宗は帝. 郷の念をつのらせる昌齢には「空し-」と映る。「村館復臨川」の「復」. るも舟樟なし、徒に魚を羨むの情あり」. が見当たらないが、村の旅館・宿屋のこと。「川」は、亭っまでもなく とえば'第七旬「孤舟未得済」は、どこか孟浩然の. は渡し守。第四旬、「村館」は、管見の限りでは王昌齢以前の詩に用例. 二. の心理が織り込まれる。(1向に績を解こうとしない渡し守の姿は、望. わた. 史を按ずるに、昌齢は氾水の尉となりて、 、龍標の尉に諭せらる。博説の為す所は顧かえりみ るに是の如からんや。. な. し. は、暗-青昧を帯びて広がる様子。その雨を隔てて、彼方に小舟の影. わた. 一に何ぞ愚かなるや。 ・まも. 細行を護らざるを以て ごと. が浮かんでいるのである。第六旬、「波通」は、『全唐詩』のみが「波. の用例が拾い出せることを考慮に入れ、. かく. 連」につ-る。「連」字は、「寒雨連江夜入呉」など、王昌齢が愛用す る言葉であり、詩句としてもこちらの方が優れているように思われる が、ただそうなると、「連」字が第一旬と重なってしまう。他の諸本が. (「送柴侍御」). いずれも「波通」に従うのは、そのためであろう。「通」字にも、「玩 水通波接武岡」. いず. で囚. 岡田.

(3) 102. 確かに、「細行を護ら」ずしばしば左遷された王昌齢が'一国を担う 宰相の券に相応しい'博説にも匹敵する人物であったとは言いに-い。 しかし、尊大な自負というよりも、むしろ'登科前の困窮と、一途な. 感の強い人物に育ったようである。『唐書』は、彼の若い頃のエビソドとして、薙州司戸であった時の次のような事件を載せている。. あた. を執りて填めず、懐貞も之を奪うこと能わず。. 吏の任免'昇進降格等を司る役所で'長官は吏部尚書、侍郎は副長官. に就き、翌十三年の春に他に転出した李元紘のことをいう0吏部は官. 賃貸料は大きな財源となった。彼女は、この利権の独占によって得ら. 用した挽き臼をさす。貴族・大地主・寺院などが所有し、その法外な. ほしいままにしていた.「礁態」とは、濯概用の水車及びその水力を利. 太平公主は、高宗と則天武后との間に生まれた皇女で、当時専横を. にあたる。開元二十四年(七三六)、管轄が礼部に移る以前は'東部が. は、深い尊敬の対象となったことと思われる。(なお、後で触れるけれ. るのを潔しとしない、似た一面を持つ昌齢には、元絃のそうした人格. 昌齢の耳にも、当然早-から聞こえていたはずである。貴権に追従す. して判決を覆さなかった李元絃の硬骨湊ぶりは、同じ京兆に育った王. 当時飛ぶ鳥を落とす勢いだった太平公主の権勢にも屈せず'断固と. れる'莫大な富に目をつけたのである。. の任に当るのが慣例であった。要するに、官吏の選抜任用におけ. に帰順し、功によって応国公に封ぜられ、李姓を. えられる。それを裏づけるような一節が、この書面中に見られるので. ども、昌齢は上書以前に、すでに元絃と面識を持っていた可能性も考. たという。祖父の寛は髄西郡公、父の道広は金城県債にそれぞれ封ぜ. ある。)その元絃が人材の選抜を司る吏部の要職に就いたとあれば、昌. 齢にとってそれは、この上ない機会と感じられたに違いない。元絃の. 三. 善政をもって知られた父の血を受け継いで、元絃も謹厚清倹で正義 登科以前の王昌齢(中). 岡田. おこな. 公主方に恩を受けて事を用. うなが. 或は改移すべきも、此の判は終に揺動すること無し」と。寛に正. あるい これ. して断を改めしめんとす。元紘、判の後に大暑して日-、「南山は. おそ. (『旧唐書』巻九十八). つい. い、百司皆その旨意を希うも、元絃は遂に断じて僧寺に還す。軍. (3). てんがい. かえ. の批判は酷というものであろう。そうしたいささか揚げ足取りの嫌い. 時に太平公主は僧寺と礁鎧を争う0. まさ. 懐貞は薙州の刺史たり。大いに太平の勢力を憧れ、促して元絃を. 願いが「入夢」の句となったというべきこの作品に対して'そこまで. ねが. のある批評に領-よりも、私たちはむしろそこに彼の真情の現われを. に長安に戻ったことは、. 読み取り、さらには、その優れた情景描写の手腕に目を向けてお-べ きではないだろうか。 ところで、王昌齢が開元十二年(七二四) たてまつ. 彼が仕官の途を求めて綴った長文の書簡、「李侍郎に上る書」の存在に よって知ることができる。. 李侍郎とは'開元十二年六月末、王易従の後任として東部侍郎の職. たわ. 省試(科挙の中央試験)を司り、吏部考功員外郎が知貢挙(科挙の主. (4). と. られており、赫々たる功臣の家柄であった。. 賜った。粂は、高祖李淵とは旧知の間柄であり、特に厚い恩顧を蒙っ. した李淵(唐高祖). のもとの姓は丙であったが'惰末、屯衛大将軍だった曾祖の粂が挙兵. 元絃は、両『唐書』本伝の記事によれば、京兆万年の人である。家. る中心的な役割を果たす部局である。. 幹).

(4) 101. 登科以前の王昌齢. 況んや賢智の士をや。. (中). あるい. 「昌齢拝手して、この手紙を吏部侍郎李公閣下の御側に奉ります。 そもそも道には一つの恒久不変の原理があり、私昌齢には変わらぬ心、 閣下には優れた鑑識眼がおありで、この三者は動かしがたく定まって. 群物の活動の互いに鼓舞し合う働きによって、時に乗ずれば通り、難 に遇えば塞がることになり、またそれぞれの命数に分かれます。した がって今仮に、ある者が正道から外れた企みを様々に弄して、己れの. ほどこ. 、『准南子』原遺訓の「道なる者は、一立ちて万物生. はあまり古-遡れないようで'手元の辞書類の説明では、白居易「妻. うであるが、ここでは人や物の種々の活動を指す。この意味での用例. とある。「挙動」は、本来は「多-の動物」の意味に用いられた語のよ. 政理書」にも、「元気なるものは、天地の始めにして、万物の祖なり。」. 、ある. 万物の根本をなす気。『漢書』律暦志、等に見える。初唐の陳子昂の「諌. 続いて 「明公」は、名誉地位のある人物に対する尊称。「元気」は、. てよいかもしれない。. 『論語』里仁篇の 「吾が道は一以て之を貫-」などを思い浮かべ. て南は舜を継ぎ、舜は尭を継ぎ、三聖相受けて一道を守り、-」. しい道・道理」 の意味を含むとすれば、『漢書』巻五十六・董仲野伝の 「道の大原は天より出づ。天は不変にして、道もまた不変なり。是を以. -。そうした哲学的原理論的な概念に限定されない、より具体的な「正. ず。是の故に一の理は四海に施し、一の解は天地を際む。」などに基づ. 三は万物を生ず。」. 従う。語句の意味について説明してお-と、「拝手」は、ひざまずいて 「通有一」は、 両手を地につき、頭を手のところまで下げる礼。次の 『老子』第四十二章の 「道は一を生ず。一は二を生じ、二は三を生じ、. れも二字を加えている。文章もこの方が自然に思われるので、これに. の二字がないが、国学基本叢書本『唐文粋』・『全唐文』は、いず. 書き出しの「昌齢拝手-」の箇所は、四部叢刊本『唐文粋』では「昌. せん。」. まして賢者'智者と称される人々においては改めて言うまでもありま. 出世をひたすら目指した場合、思い立った動機は中正でな-とも、時. (5). 人物を見込んだ上で、彼は登用を依頼するこの手紙を書き送ったので. 文章は先ず、次のように始まる。. 昌齢拝手奉書東部侍郎李公座右。夫通有一、昌齢有心、明公有 三者定臭。而又元気潜行、挙動相鼓、乗時則利、遇難則否。. 斯亦分於敵失。今或者藷触労橘以鵠己任、畿心不中、中無不通。. 昌齢拝手して書を東部侍郎の李公の座右に奉る。夫れ道には一. 雄大愚之人、猶知不可。況賢智之士乎。 そ. らば通ぜざること無し。大愚の人と錐も、猶お可ならざるを知る。. な. 寺構して以て己が任と為さば、心を発すること中ならざるも、中. ぼうはな. きわ. 伝わって-る。いささか長-なるが、以下全文を紹介しておこう。. 運に的中すれば望みどおりに運ばないことはありません。しかし、そ. 四. ある。先の「駕幸河東」詩の場合とは異なり、九百字に近いその文面. とお .:掛恥. れが善しとされるものでないことは、どんな愚か者にも明らかであり、. あた. からは、彼の切実な願いと意気ごみとが、熱い語り口を通じて如実に. 岡田. なる有り、昌齢には心有り、明公には鑑有りて、三者定まれり。 こ. 而るに又た元気は潜行し、群動は相鼓し、時に乗じては則ち利り ふさ. 難に遇いては則ち否がり'斯れ亦た数に分かれり。今、或は おの. おります。しかるにまた、万物の根本をなす元気の奥深い潜かな運行、. t)そ. ここ. あ. 齢」 いは. 琴 いわ.

(5) 100. 座間吟」詩の「意気消磨す畢動の裏、形骸変化す百年の中」を'最も. 能以至虚納、惟昌齢敢以無妄進。故未便絶意。願就執事陳之。著. 姦敗者、如昌齢之心、非不知也。明公之豊、非不明也。惟明公. を意識した表現。乾の卦の文言伝に「潜龍勿用、陽気酒蔵」. 明公以鵠隅曲、置之度外。則昌齢未識定分、鵠向時之客。乗時不. 早い例として挙げる。なお、「元気潜行、挙動相鼓」は、『易』 に「鼓天下之動者、存乎鮮」等の文が見える。また、「乗時則利'遇難. 利、動則遇否、至虚不納、無妄不進、是使天下之士、永絶望於明. の言葉 、繋辞上伝. 則否」の「利」「否」も、『易』に見える言葉。「利」は、かなう、調和. 公臭。豊濁小人哉。. 姦の数なる者は、昌齢の心の如きも知らざるに非ざるなり。明. よ. 公の鑑、明らかならざるに非ざるなり。惟だ明公能-至虚を以て. な. の一つでもあり、ふさがって通じないこと。 「藷触寺碍」以下は、やや意味が取りづらいが、試みに右のように. も. 納れ、惟だ昌齢敢て無妄を以て進む。故に未だ便ち意を絶たず。 これ. 願わ-ば執事に就きて之を陳べん。若し明公以て隅曲と為さば、. の. 之を度外に置け。則ち昌齢未だ走分を識らず、向時の客と為らん。. いま. 解釈してみた.「請触」は'『周薩』天官に用例がみ、え、いつわり欺-、. た. 時運によって「利」「否」に分かれ、場合によっては不正が大手を振っ. 見定めがたい命数が生じることになる。不変の「道」に立ちながらも、. かける彼の意気込みを示すものでもあろう。 「元気」「葦動」 の奥深-複雑な働きによって'. 昌齢の他の詩文にもしばしば窺われる特徴であるが、またこの機会に. 私は、定まった運命をまだ知らない者として、以前のような遊説の客. の方を通じて私の胸中を述べさせていただきたいと存じます。もし閣. ある私も、すぐさま登用を思い切ることはいたしません。どうか執事. 気持で自ら進み出ようと考えております。それ故、不運な命数の下に. は'私のような者でも永知しておりますし、閣下も御明察のとおりで. 自明のことであった。こうして. 下が偏狭な考えと思し召すならば、どうぞ顧みずにお捨て置き下さい0. す。ただ、閣下は虚心な態度で人を受け入れられ、私も嘘偽りのない. てまかり通ることも、昌齢のそれまでの不遇な日々の体験からすれば 「道」 の運行にも「数」 の作用が加わ. に戻りましょう。しかし、この又とない時運に乗じながら利な-、動. 五. もっとも'現実には. ることを認めた上で、彼は、この依頼に踏み切った動機を次のように. 一節の大意は次のようになろう。「この命数なるものの存在について. めん。量に独り小人のみならんや。. 妄も進まざれば、是れ天下の士をして'永-望みを明公に絶たし. 時に乗ずるも利あらず、動けば則ち香に遇い、至虚も納れず、無. あ. あるいは、でたらめで道理が通らないこと。「費碍」は、「努薄」「薯晩」 に同じ。辞書には『荘子』造造遊篇、『苛子』性悪篇などの例が引か れ、入り混じる、広-覆う、満ちふさがるの意。ただ、この二つの言. の大原理をかざし、登用を願う自. 葉を連用した用例が見つからない。待考。 さて、冒頭で王昌齢は先ず「道」. 身と選考の任にある李元絃とをその下に対置させ、「三者定夫」として. あえ. つ. けば前途を塞がれ、虚心な人物にも受け入れられず、真実の精神も世. 論旨の中心に据える。こうした大上段に振りかぶった議論の展開は、. な. T). する、遂げる、とおる、等の意で用いられている。「否」は、六十四卦. これ. 述べる。. 登科以前の王昌齢(中). 岡田.

(6) 99. 登科以前の王昌齢(中). りに限ったことではございません。」. 希望を抱-ことがな-なってしまうでありましょう。それはただ私独. に出ることができないとあれば、天下の人士は閣下に対して、永久に. 岡田. 「至虚」は、心中に何の捕われるところもない、この上ない虚心の お. う。之に偶うが如しとは、時速を言うなり。」とある。「無妄」は、『易』. 生於明時、無所服用'則下士之不若也。亦嘗輿衆人四方而釆、棟. も、「葵をか当と言う、無妄の治に本づ-。」と、この語が見える。「絶. 若者終不自若也。伏惟明公熟察蔦。. 初め聞-、明公は克-大体を挙げ、小節を尚ばず、智を掲-して. きゆう. 句。相手を尊んで直接名指すのを避け、侍者に言って取り次ぎを依頼. 賢に附し、道を貫きて数を選び、亦た己に外物を確鎖し、倉然と LZ芦LZL. して帰する有らしむと。是に於て、窮居し独り閑なる未だ用いら. っ. するの意。「隅曲」は、『准南子』葬俗訓に見、え、偏狭な見解の意.「置. いま. を以て之を待するかを審らかにせず。. ふしゅきょくほ. すなわ. それ夷吾は窮困し、奨毅は韓旅し、孔明は窮ら耕し、子房は志. みずか. 欺かん」. を養う。此の四賢は未だ遇わざるの時には、則乃ち不遇なるも、. あ. ず。就い四賢をして明時に生まれしむるも、服用さるる所無-ん し. 86さ. これ. つまげ. かを審らかにせず。. これ. 自若たらざるなり。伏して惟う明公の蔦を熟察されんことを。. つい. 日月の次を知らんとし. て来り、明公の門に疎つべきも、未だ明公の何を以て之を処する. つまだ. ば、則ち下士にも之れ若かざるなり。亦た当に衆人と四方よりし. こ. 伏して惟うに、明公は堂上の陰に居り、 おも. 「将」 に作る。. たと. 堂下の士を観て、四方の賢を知らんとす。か-の若-んば終には. み. 遜った態度を取りながらも、「粟時不利、動則遇否」以下の昌齢の言 葉にすでに現れているように、この手紙は李元紘に自省をも求める、 卑屈さとは無縁な強い--ンによって貴かれてゆ-。続-文面に目を. ごと. おも. かも知れない。ただ、辞書にはそうした意味・用例が示されていない0 「小人」は'自己の謙称。なお、「是使天下之士」の「是」は、『全唐文』. 有り、智力の移す所に非ざるなり、と」の用例がある。「向時」は、以 「帝亡論」に見える語。これに従って訳しておい. つまぴ. れざるの士は、将に幽貞を千里に過さんとするも、未だ明公の何. かく. 前、昔o曹・陸機の. 命。曹・欧陽建の「臨終詩」に「窮達 定分有り、憤慨 復た何をか 、『末書』巻八十l・顧韻之伝に「胡之常に謂えり、命に定分. まさ. 意は固より像首踊歩して衆人と得失を吏曹の門に争うこと能わ. これ. たが、ここではあるいは、「然るべき時を待ち、それに向かう」の意咲. おも. 度外」は、気にとめない、構わず無視する。「走分」は、定まった運. すで. 伏惟明公居堂上之陰'知日月之次、親堂下之士、知四方之賢。. 於明公之門、未審明公何以庭之。. 則乃不遇、意固不能侃首踊歩輿衆人苧得失於吏曹之門。就使四賢. 夫夷吾窮困、楽毅蒔旅、孔明窮耕、子房養志。此四賢未遇之時、. 公何以待之。. 外物、泰然有線。於是窮屈猫閑兼用之士、賂遁幽貞千里、未審明. 初開明公克聾大鰻、不尚小節、掲智附賢、貴通選数、亦巳確鎮. 六. の卦の一つ。虚妄な-、自然のままで真実なこと。『管子』宙合篇に. あ. 状態。『管子』心術篇に「君子の処るや、知無きが如しとは、至虚を言 これ. 移そう。. きた. ぁた. よ. なに. 意」は、思いきる、あきらめる。「願就執事陳之」は、書簡文の常套. では.

(7) 98. この1節の前段は、おおよそ次のように読み取れよう0 「以前聞き及びましたところでは、閣下は、重大な本質に関わる点 のみを取り挙げて'墳末な礼節にはこだわられず、智力を尽-して賢. ま。「窮居」は、困窮した生活を送る。官に仕えない、隠居・在野の身. 節操。「大膿」と「小節」を対比的に取り上げた文としては、『准南子』. 重要な道理。「小節」は、些細で末節的な行為'およびそれにこだわる. に生まれたとしても、然るべき招賢の途がなければ、結局能力を発揮. が例に引かれる。そして、こうした傑出した才能を持つ人士が今の世. 続-後段には、困窮して不遇な日々を送った、歴史上の著名な人物. 『開. て旅に明け暮れ、諸葛亮は臥龍雌伏して自ら田を耕し'張良は亡命生. うなだ. せぐく. 活の中で志を養いました。この四人の賢者は、才能を認めて-れる主. 君に出合う前は不遇でありましたが、もとより'項垂れ背屈まって歩. んで、衆人と利害優劣を役所の門前に争うようなことが、出来ようは. ずはありませんでした。たとえ四人が今のこの明暗に生まれたとして. も、用いられる所がなかったならば、無能な人物にも及ばないであり. ましょう。彼等もまた、衆人とともに四方から集まり'閣下の門前に. つま立って登用を待つべきだと思っても'閣下がどのような処遇をし. て下さるかを測りかね迷うことでしょう.. 『唐. の通用は極めて一般的。独. を指すことも多い。「猫閑」は、『全唐文』および国学基本叢書の 文粋』では「濁間」に作るが、「閑」「間」. り閑静な隠棲の日々を送ることを言うのであろう。「幽貞」は、『易』. 「道を履むこと坦々たり、幽人貞にして吉たり。」から出た 履・象伝の. 処士たちは、奥ゆかし-静かに秘められた己の節義を守って、千里の 彼方に逃れ隠れようとしながらも、一方、閣下がどのような待遇で自. てみた。いずれにしてもこの一段、判断に迷う箇所が幾つかあり自信. 汎論訓の「観小節、足以知大膿。」があるが、王昌齢の考えは無論これ. できずに終わるであろうと説いて、人材選抜の任にある李元絃の自覚. がない。識者の御教示を待ちたい。. とは逆の方向になる。『戦国策』葬策に見える「放小節者、不能行大成。」. 平子』五鑑、『三国志』巻五十二・顧薄伝に見,え、道理をよ-悟るこ. の意味に取っておいた。「確鏡」も用例がな. と。「遠敷」は用例が捜し出せない。文脈から考えて、「命数をあらか じめ知って選び別ける」. い。「外物」は'己の心身以外の物の意味で、利欲・功名・富貴を指す ことが多い。あるいは物欲の外に超脱する意味にも用い、いずれも『荘 子』に用例が見られる。「粛然」は、集まり来るさま、一致合同するさ 岡田. 「そもそも'管仲は困窮の青年時代を過ごし、柴毅は恵王に憎まれ. を促す。. の「夫れ智を掲-して賢に附する者は'必ず仁策を建て、人 た. を索め士を求むる者は、必ず伯迩を樹つ。」に基づ-。「貫通」は. 賢人嶺」. つ. -す。「附賢」は、賢者につき従う。心を寄せ頼る。漠・王褒「聖主得. 生き方が、併せて思い起こされる。次に「掲智」は、智恵の限りを尽. などが'思想的には近い。この辺り、細行にこだわらなかった昌齢の. 分たちをお迎え下さるかを測りかね、出処に迷いを生じて居ります。」 「大鰻」は、大局、物事の本質。あるいは、大局・本質にかかわる. 論旨がすんなりと通じに-い。上記のように、少し言葉を補って訳し. れる欲望を確と鎮め、その徳望によって人々の帰附するところとなっ. 者に従い、道理に透徹して命数を選び別け、また、すでに外物に惹か. ふ. 言葉。奥深-静かで正しいこと。多-隠士を指して用いられる。ただ、 「賭遁幽貞千里、未審明公何以待之。」の部分は、舌足らずな感じで、. しか. ておられる、と。その評判を耳にするにつけ、困窮して独り閑居する. しず. 登科以前の王昌齢(中). 七. もと.

(8) 97. 登科以前の王昌齢. ままで、外の世界の事象を明察しょうとする態度をいう。典拠は、『呂. (察今)。ただ、王昌齢は、有. 両国の間を往来する日々を送った。「孔明」は、三国萄の軍師諸葛亮。. 齢の内面の微妙な揺れが反映しており、それが脈絡の辿りづらさの原. て己を高-持しながら、上書によって登用の依頼に踏み切った、王昌. 大下、閉塞天下之所由也。可不慣之。. 天生賢才、必有聖代用之。用之於天子、克白鍵衡。則明公主司. て行-。先を読み進むことにしよう。. 続いて文章は、選考の任の重大さについて論ずる核心部分へと入っ. 三顧の礼によって劉備に招かれる前の彼は、刑州南陽の隆中で農耕に. 『漢書』巻四十。「像首」は、頭を下げる、. 葛不相客、則太迂閥。一時不合、便帥棄之。伏恐傷鈎醸之明、結. 嵯乎、持衡取士、喜在文墓、固未姦夫。呪文章髄勢、其多面葛。. れ慎む、あるいは小心翼々とした様子。「得失」は、損得、利害、当. 志士之怨。呼、可畏也。. いる。「疎」. は、つつしむ・おそれる、立つ・つまだつ。ここは後者の. は、たと、hL・‥でも。「明時」は平和に治まった世の中o. 否、優劣などの意味に用いられる。「吏曹」は広-官吏を指す。「就使」 「服用」は、用. うつむ-.恭順な様をあらわす。「鍔歩」は、せぐ-まってあゆむ。畏. 『史記』巻五十五、および. ら兵法書を授かり、これを学んで後に劉邦の下で活躍することになる0. お尋ね者となって下郡で亡命生活を送る.ある日、彼はl人の老人か. 祖劉邦のプレ-ン張良。博浪沙で秦の始皇帝の暗殺に失敗した張良は、. らを比した人物でもあった。『三国志』巻三十五。「子房」は、漠の高. 因となっているように思われる。. 「初開明公克奉大髄'不尚小節」以下のこの一節には、幽貞を守っ. と取るなど、他の解釈も成り立ちそうな気がする。待考。. にくい。ひとまず上記のように訳してみたが、あるいは主語を李元絃. て述べていると見るべきであろう。続-「若者終不自若也。」は、分り. 道の士の態度としてそれを称えながらも、その難しさをも言外に込め. るを見て'天下の寒・魚篭の蔵を知る。」. 故に堂下の陰を審らかにして、日月の行・陰陽の変を知り'瓶水の凍. つまび. 遠きを知り、今を以て古を知り、見る所を益すを以て見ざる所を知る0. いにしえ. 第を知ろうとされ、堂下に集まる人士達を見て、天下四方の賢者を知. 記』巻八十によれば、恵主に憎まれ疑われた饗毅は、諌裁を恐れて遁. 終始変わることがなかった。管飽の交わりとして名高いこのエビソドは、『史記』巻六十二に載る。「柴毅」は、戦国時代の燕の武将。『史. しば友人の飽叔牙を欺いたけれども、管仲の賢を知る飽叔牙の友情は、. 「夷吾」は、春秋時代斉の名宰相管仲。若い頃貧乏に苦しみ、しば. は'この点をと-とお考え下さい。」. いつまでも泰然自若としているわけには参りますまい。どうか閣下に. 氏春秋』巻十五・憤大覧に見える次の一節。「有道の士は、近きを以て. 「居堂上之陰、知日月之次」は、政務をとる正殿の奥に身を置いた. ノ\. 従事し、好んで染父吟を歌った。なお管仲・柴毅の二人は、孔明が自. の国へ逃げた。その後、恵王が非を詫びた後も、彼は客卿として燕遁. ま. ろうとしておられます。か-なる上は、登用を待つ身としましては、. 伏して思いますに、閣下は正堂の中に身を置いて'日月の運行の次. 岡田. 意味で、つま先立って待ち望むと取るのが良いであろう。. これ. いんとするに、先ず自ら姪衡す.則ち明公は天下を圭司し、天下. みずか. 天の賢才を生ずるや、必ず聖代之を用いる有り。之を天子に用. これ. の由る所を閉塞するなり。之を慎まざるべけんや。. これ. こお. (中).

(9) 96. いやし-. 嵯乎、衡を持して士を取るに、暮ら文墨に在るは、固より未だ いわん. 早-さず。況や文章の髄勢は、其れ多面なり。苛も相容れざれば はなは. 則ち太だ迂閥たり0 こうさく. 1時に合わざれば、便ち即ち之を棄つ。伏し. て恐る、鈎瞭の明を傷つけ、志士の怨みを結ばんことを。畔、畏 るべきなり。 「天がこの世に賢才を生み出せば、聖主の御世においては必ず彼を 登用いたします。そうした人物を天子様の下で用いるにあたっては' 先ず選考の任に当たる臣下自らが、その才をはかることになります。 となれば、それは閣下が主任となって天下を司り、天下の人材の経由 する要路を開き塞ぐことを意味します。過ちのないよう慎重にしない でおられましょうか。 ああ、科挙の主査官として人材を選ぶ際、もっぱら文筆によって選 考するのは、十全な方法とは申せません。まして文章の様式や格調は 多様であります。仮にもし受け入れられなければ、全-実用に適さな いものとされてしまうでしょう。その時ただ一度眼鏡にかなわなけれ ば'すぐさま捨てられてしまうのです。私が恐れますのは、こうして. れ天下を如何せん。」とある。「可不慣之」は、もともと『易』. 上伝に典拠を持つ言葉。「持衡取士」は、はかりを手に人材を選抜す. る。「文墨」は文筆、文学。「文章髄勢」は、文章の様式や調子。『文心. 髄龍』定勢に見える言葉。「迂閥」は、まわり遠-て実用に合わないこ. と。「鈎醸」は、奥深いものを探り求める。『易』繋辞上伝の「瞭を探. り隠を索め、深を鈎し遠きを致し、-」による。. この1節では、選考の任に当たる者の責任の重さが強調される1方、. 専ら文辞によって人を選ぶ科挙制度の矛盾も指摘されている。科挙に. 対する当時の知識人の考えの一端が示された資料として興味深いが'. こうした言及が生まれるのも、王昌齢が自身を単なる文筆の徒とは考. えていなかったことによるものであろう。. 又有恢恢無明、精誠洞物、大不施小、屈於章句。蓋屈寸而伸尺、. 小柱而大直、君子行蔦。儒斯人也、木繭自守'黙然而退、明公不. 以瑞賢。是小人敢正顔色、鼓喉舌、欲伸大直於明公。能容之否。 所為直者如何。. 明公若以篤葦画一拳、自有常式、富貴鵠懐、曾莫下視。則明公. 何以異近代、合古人。匪惟高賢雅量、在小子亦知之臭。. 如何せん。. ところ. 九. 奥深-隠れた逸材を探し出す明智が傷つらけれ、志ある人士の怨みを. しようおう. また怖々として明無-、精誠にして物を洞り、大にして小に施. みずか. な. ぼくとつ. の繋辞. にして自ら守り、黙然として退かば、明公は以て賢と為さざらん。. な. 買う結果となってしまうことです。ああ'何と畏るべきことではない. さと. さず、章句に屈する有り。蓋し寸を屈して尺を伸ばし、小柱にし. か. て大直なるは、君子蔦を行なえり。儒し斯-のごとき人や、木熟. も. 是れ小人の敢て顔色を正し、喉舌を鼓して、大直を明公に伸べん. い. でしょうか。」. けだ. これ. 「聖代」は、聖主の御世。同時に「今上の御世」 の意味をも含む0 「鍵衡」は、分銅と秤の意から転じて、人を選考すること。東部の職を. これ. と欲するところなり。能-之を容るるや否や。為す所直なる者は. よ. もと い. す. 指しても用いられる。「圭司」は、主任として司る。名詞に用いられれ. かい. これ. ば、科挙の主査官の意味も持つ。「閉塞」は、ひら-こととふさぐこ. もと. かん. お早. ゝ. と。『汲家周書』巻三・文伝に、「閉塞・禁舎に明らかならずんば、其 登科以前の王昌齢(中). 岡田. ^). い. あゝ. あ.

(10) 95. 登科以前の王昌齢(中). 岡田 おのずか も. あら. 若し群区の1たび挙ぐるには自ら常式有り、富貴を懐と すなわ. お. は、小子に在りても亦た之を知れり。. て近代に異なり、古人に合せんとす。惟だ高賢雅量のみに匪ざる. た. 為さば、曽ち下祝すること莫かれと以為わば、則ち明公は何を以. な. も. 平御覧』巻八百三十・資産部に引かれる『P子』の一節には、「孔子日. 備に「故に小柱にして大直なるは君子これを為す。」とある。また、『太. り。」などに基づ-。「小柱而大直、君子行蔦」は、桓寛『塩鉄論』論. 「夫れ聖人の屈するは以て伸を求むるなり、柾がるは以て直を求むるな. 衰. りけのない真心で物事を洞察し、大きな度量を項事に用いず、章句の. であろう。また、この「屈伸」の語は、「鄭牒宿陶大公館中贈褐六元二」. ならば意味は逆になるが、いずれにしても措辞には注目してお-べき. なり.」とある。文の最後は'一に「吾為さざるなり」につ-り'それ. 世界にその身を屈めている人物もおります。思いますに、寸に屈して. 詩にも、「酒を罷めて涼風に当たり、屈伸して冥数に備えん」と見、え、. 彼を賢人とは思われないでありましょう。これこそ私が顔色を改め正. 揚雄『法言』修身篇「君子は自ら守る」. 語』子路篇「剛毅木訊は仁に近し」. こl-. 。「正顔色」は'顔色を厳正に. し、弁舌を奮って、大いなる直について閣下に申し述べようとする理. とぎ. ごと. す」。なお、このあたりの文に関しては、「大直」の語と関連して、『老. 話す。『汲家周書』巻九・丙良夫解に「賢智は口を希し、小人は舌を鼓. く」. ごと. ごと. な事はしてはいけない。』とお考えでしたら、閣下は1体どのような方. があるし、富貴栄達を願いとするならば、下を向いて引きさがるよう. 掲げてお-ことにするが'他の解釈も可能であろう。待考。 「閣下がもし『多-の地区が人材を推挙するには自ら定まった方式. 続-一節は、「明公若以篤-」の箇所が読みに-い。ひとまず試訳を. 思い出される。. 詩外伝』巻九の「大直は弛まるが若-、大群は熟なるが若し。」などが. 子』第四十五章の「大直は屈するが若-、大巧は拙なるが若し。」 ごと. 「恢恢」は、『老子』第七十三章の「天網恢恢、疎にして失わず」に 出典を持ち、広々と大き-衆を包み容れることを言うが、『有子』・陸 頁『新語』などでは、人の度量を指して用いられている。ここは後者 の意味。「無明」は、老荘的な思想を背後に持つと考えられるが、意外 にぴったりした用例が見つからない。明る-はっきりと目立つところ がない、と解釈した。「精誠」は、混じり気のない真心。「洞物」は、 物事を深-洞察するといった意味であろうが、用例が見当たらない。 「大不施小」も、未詳。「章句」は、区々とした学問・文学を指す。「屈 せきかく. 寸而伸尺」は、『易』繋辞上伝の「屈信は相感じて利生ず。尺唾(しゃ 、『准南子』泰族訓の -とりむし)の屈するや、以て信を求むるなり。」. カカ. うか。行いの直なる者はどのようにしたらよいのでしょうか。」. する、まじめになる。『論語』泰伯篇「顔色を正せば斯に信に近づ 。「鼓喉舌」は、「鼓舌」に同じ。舌喉を鳴らしてしゃべる。健吉に. 次に「木訊」は、かざりけがな-無口なこと.「朴熟」に同じ.『論 。「自守」は'自ら正しさを守る。. 彼の人生哲学に関わる言葉だったことがわかる。. や. 由でございます。私の意見をお受け入れ下さることができますでしょ. の正しさを内に守る性格であって、黙したまま退いたならば、閣下は. るというのは、君子の行為であります。もしその人物が、朴熟で自ら. 尺を伸ばし、小事においては柾曲があっても、大事において正直であ. な. これ. ま. -、寸を謎めて尺を伸ばし'小柱にして大直なるは、書これを為す者. カカ. 明公 「また、広々と大きな精神ではっきりと目立つところがな-、混じ. な. な. 、『韓.

(11) 94. おのずか. ぎんぎん. はとうしんがい. るべしo之を敬まんとするも、小人の口をして波塗振骸せしむる. つつし. 一たび元亀と為らば、自ら千百年を数え、其の政を衰えしめざ. な. 潮を革めて見せよう』と。人材の升降の道を正し-掌握するのは、ま. あらた. 言の徒を任用している。私が重職についたならば、必ずこの要しき風. おられませんでしたでしょうか。『彼の試験官は、正しい人物を棄て巧. 「閣下は昔この職務にお就きになる前'次のようにおっしゃっては. に任うる無し.君子蘭闇として以て賢俊を侯て。. ま. 法で近世と道を異にし、古人の正しい道に合致しょうとなさるので しょうか。ただ閣下の高い見識と広い度量だけでなし得るものでない. 「高賢」は、高-抜きん. 事は、私のような者でもこれを泉知しておりますoJ 「軍区」は用例が見当たらない。「富貴鵠懐'曾莫下視」も、何か輿 拠を持つのかもしれないが、未詳。次の文の でた賢明さ、あるいはそういう優れた人物。「雅量」は、正し-広い度. これ. な. 天の枢軸たる朝政に役立たせられますよう。か-て公正な天下の大道. 大空に羽ばたき、必ず同類の優れた人物を迎え進め、競って国を栄え. を明らかになさいますならば、抜擢された者もまた鴻のように茜さす. 之。操持升降'正在今日。伏願密運心鏡、伸無逃形、振抜非常、. カ・R. さん.迩きより遠きに及ぼせば、其れ誰か「任に身たらず」と日 わんや。. あらた. 語句について触れてお-と、「宗臣」は、世間から仰ぎ敬われる名. も、一層理解しやすいように思われる。. 動機と、時に無遠慮とすら思われる、押しの強い論調の文面について. 元紘が、一面識もない相手ではなかったとすると、上書に踏み切った. れが確実な論拠となり得るものではない。しかし'仮に昌齢にとって. 言辞については常に人々の関心を引いたはずであり、したがって、こ. づ-。もちろん、早-から剛直をもって聞こえた元絃であれば'その. たが、それは、侍郎就任以前の元紘の言葉を引-この一節の冒頭に基. 先に、上書以前の昌齢に元絃との面識があった可能性について触れ. 輝かせることになりましょう。こうしてその感化を近-から遠-に及. これ. せんことを。乃ち公論を明らかにすれば、則ち振抜せらる者も亦 むか. 岡田. ○. ぼして行ったならば、一体誰が閣下を適任でないなどと申しましょう. 人や、正を棄てて巧を任ず。我、宗臣と為らば、必ず将に之を革 めん」と。升降を換持するは、正に今日に在り。伏して願う、密 し. に心鏡を運らし、逃形無から停め、非常を振抜し、以て天軸に資. めぐ. よう. た赤零を暦摩し、必ず将に其の類を遭え進め、以て王国を光やか ちか. 」. 以資天軸。乃明公論、則振扱者亦膚摩赤零、必勝逆進其類、以光. まさ. 一鵠元亀'自可数千百年、不衰其政臭。敬之無住使小人之口波 造振咳.君子闇闇以侯賢俊. あ な. 昔未だ此の任に居らざるとき、山豆に目わざらんや、「伊の. いま. ま. 登科以前の壬昌齢(中). 〓. 明公. 王国。自適及遠、其誰日不嘗任乎。. 明公昔未居此任、量不日、伊人也棄正任巧。我鵠宗臣、必賭事. さに今この時にあります。願わ-ば、鏡のごと-澄んで明らかな御心. 昌齢の論調はいよいよ熟を帯び、李元絃に面と向かってにじり寄っ. た. て行-感がある。そして次の一段では、吏部侍郎就任以前の元紘の言. カヽ. を周到に運らせ、姿を隠したままの者をな-し、非凡な人材を抜擢し、. こ. 辞が'先ず引き合いに出される。. 量。.

(12) 93. むね. 登科以前の王昌齢. にも「天鏡一たび照らさば、形を逃る. つつし. つつし. ふまえた別の解釈も考えたが、どうもうま-つながらない。ここでは、 「敬之」を単純に字義通りに解釈し、「無任」を書簡文によ-用いられ. は、「之を敬めば告なし」(『易』離)、「之を敬めば終には吉たり」(『易』. る可からず。」. の意味と考えて、下文につなげてみた。しかし正 る「-にたえない」. の語が見える。「振抜」は、抜擢する。「非常」は、非. 凡。「天軸」は、天の枢軸。朝政にたとえる。ただ、辞書類には、王昌. 王昌齢は、経書・諸子その他の著作に基づきながら、なかでも取り分 け『易』を好んで引用している。『易』は、彼が最も愛読した経典だっ (6). たようであり、他の詩文にも引用や言及が見られる.彼の田蒜心を考え る上で、記憶しておかれるべき点であろう。 続-一節。「か-して1たび立派な後世の手本となった暁には、おの. 以額清塵。 †J一」. 能義也。昌齢常在暇日、著豊略五篇、以究知人之道。賂侠後命、. 念之。直科不得不謀其始。夫惟明公探念之。投報絢義、非二一一口而. 以希大過哉。毎思力養不給、則不覚濁坐流沸、畷鼓負米。惟明公. 昌齢量不解置身青山'傍飲白水、飽於道義、然後謁王公大人、. 鵠国士用。罫線之務、最急之治、案所甘心.. 足。天工或閲、何倍補之。萄有人蔦、有圃蔦。昌齢請嬢枚先駆、. 昌齢久於貧頗、是以多知危苦之事。天下固有長吟悲歌、無所投. え、李元絃の汲引を期待して一文を結ぶ。. こうして、自己の主張を述べ終えた昌齢は、最後に窮状を切々と訴. つしむさま。一説に、穏やかに人と理を争うこと。. 骸」は、揺り動かして人を驚かす。「閤闇」は、中正なさま、和らぎつ. 直なところまだ落ち着きが悪い。待考。「波塗」は、揺り動かす。「振 -羽細. 齢以前の用例が挙げられていない。「暦摩」は、胸元でかすめる。「赤 'tJ. 零」は、日を浴びて赤-きらめ-雲、大空の赤い雲気。登用された賢 『准南子』人間訓「夫れ鴻鵠の俊を鴻にたとえる。出典は. の既に成るや、則ち翼を奮い増を揮い、浮雲を凌ぎ、背に晴天を負い、 贋は赤零を摩す-」。「光王国」は、光圃に同じ。きそって国を栄え輝. 発し、遠きに見わる」. せお. なお、出典に関するここまでの説明からすでに明らかと思われるがI. (繋辞上伝)0. かせる。「自適及遠」は、『易』に似た表現が見られる。「行いは迩きに. ちか. ずから百年千年の後までも'その素晴らしい政治を衰えさせることで. 昌齢は貧賎に久し-、是を以て多-危苦の事を知る。天下には. ため. しの. はないでありましょう。差し出がましい進言はつつしむべきと思いな. いやし-. 固より長吟悲歌するも、足を投ずる所無き有り。天工. ここ. ふる. がらも、つまらぬ私の口を開いてお騒がせし、このことを申し上げて. 有り。昌齢. たもと. 或いは開. 請うら-は、枚を擾げて先駆し、国士の為に用いら っとめ. ここ. 隠すこと。唐・王度『古鏡記』. 臣。ここでは朝廷の重臣の意。「操持」は手にとる、掌握する。「升降」. 三. 需)など、経書からい-つも用例が拾える。また『詩経』周頚の篇名. これ. は、人材を升降させることを言うのであろう。「心鏡」は、鏡のように. 岡田. としても見え、群臣が戒めを嗣王に述べた詩という。こうした典拠を. (中). 澄んで明らかな心。また、そうした心が持つ洞察力。「逃形」は、身を. これ. けんも、何を借りてか之を補わん。苛も人の蔦に有り、国の葛に. かか. はね. おきたい気持を抑え切れません。君子たる閣下におかれましては、中. これ. -刀. とが. れんことを。赤線の務・最急の泊も、実に甘心する所なり。. し. あら. 正かつ包容力に富んだ態度で賢人俊才をお待ち下さい。」 「元亀」は占いに用いる大亀。転じて立派な手本、亀鑑。「敬之」. ふん. すで.

(13) 92. 畳に身を青山に置き、惜しては白水を飲み、道義に飽き、. 然る後に王公大人に謁し、以て大過を希うを解せざらんや。養を 力むることの給らざるを思う毎に'則ち覚えず独坐涜沸し、鼓を 畷り米を負えり。惟だ明公、之を念、え。科に直りては其の始めを. あた. 謀らざるを得ず。夫れ惟だ明公、探-之を念、え.投報・絢義は、 常て暇日に在りて、 一言にして能-早-す所に非ざるなり。昌齢 『豊略』五篇を著わし、以て人を知るの道を究めたり。将に復命を. かつ. 侯ちて、以て清塵を博さんとす。. 急の事態を治める任務にも、喜んで従事する所存でございます。」 「危苦」は、危難困苦。「投足」は、身を置-。「天工」は、天の職. ことです。植れた糸を解-ような煩雑で困難な務め、最も緊迫した火. をかかげて先頭を切って馳せ、国士の手足となって働かせていただ-. かりにもそこに人がおり、国があります。私がお願いしたいのは、枚. 時に欠落を生じた場合、何を借りてそれを補ったらよいのでしょうか0. 身を置-場所さえない人士達が居ります。完全であるべき天の働きが. る事柄を知っております。もとり天下には不遇を嘆き歌いながらも、. 「私昌齢は貧銭に居ること久し-'それゆえ様々な危難困苦に関わ. きわ. 。「何倍補之」は、 務。『尚書』皐陶護に、「天工、人其れ之に代わる」 『唐文粋』では「何惜-」 に作る。これでも意味は通るが、『全唐文』. 解-ような、煩雑で面倒な仕事。 「身を青山に置いて清らかな水を飲み、内に道義の心を満たし、そ. の後に王公大人に謁見して、特別の待遇を期待する、といった生き方. があることを、私とて理解しないわけではございません。けれども、. 孝養の努めが十分果たせないことを思うたびに、思わず独り坐しては. 涙を流し、豆粥をすすり米を背負う毎日です。閣下、どうかこの窮瀕. を思いやり下さい。科挙の実施にあたっては、その最初が肝心でござ. います。どうぞ閣下におかれましては'このことをと-とお考え下さ. い。恩義に報い、道義のために身を批とうと思う私の心のうちは、と. ても一言で述べ尽-せるところではございません。私は以前、暇な折. に『豊略』五篇を著わして、人を知るための道を考究いたしました。. 御指示をお待ちして、差し支えなければ御手元に献上敦したいと存じ. 「大過」は、特別な待遇。「畷嘉」は、豆を食べる、豆粥をすする0. ます。」. 『植記』檀弓篇の「孔子日-、衣を畷り水を飲み、其の歓びを尽-す'. 斯れを孝と謂う。」に基づき、貧家の孝子が親に仕えることを言う。「負. に俸禄を求め、父母を養うこと。典拠は『孔子家語』致思篇「家貧し. 米」は、親のために米を百里の外に背負う。同じ-貧家の孝子が遠地. れいかく. -して親老いたれば、禄を択ばずして仕う。昔、由や、二親に事えし. 時、常に秦蕃(アカザとマメ)の実を食み、親のために米を百里の外 。「謀其始」は'『易』訟の象伝。「天と水と違い行-は'訟 に負えり」. なり。君子以て事を作すには始めを謀る」. 。ところで、この「-畷叢負. へと連なる文脈には、. の部分に注記を付して'脱文があるのではないかと疑っている。ある. 三. ねが. の「何倍-」の方が良いであろう。これに従う。「擾訣」は'たもとを. ^). ふ. かかげて奮起するま。「国士」は、一国の中で最も優れた能力のある. つか. やや不自然なところが感じられる。国学基本叢書本『唐文粋』は、こ. 米。惟明公念之」から「直科不得不謀其始-」. たが. た ▼で. 人。「鵠国士用」は'そうした一国を担う人物のために、用いられ働-. ま. けが. ことを一亭っ。登科後の作である「放歌行」には、「幸いに国士の識を蒙. すす. あ せお. あ まめ. 昌齢 り、困りて負薪の裳を脱す」とある。「券練之務」は、乱れ練れた糸を. まめ. これ. た. 登科以前の王昌齢(中). えら. おも. 岡田. な. よ. つと すす ま.

(14) 91. 登科以前の王昌齢. (中). 「投報」は、恩義に報いる。「狗義」. 昌齢の著述であるが、残念ながら現存せず、また、両『唐音』の経籍・. 塵」は、貴人の串の揚げる塵。転じて、貴人に対する尊称。「馨略」は. しかし、清倹な性格の彼が、登用昇進を目指し競って奔走する風潮を. ているのは、元紘が後に宰相の地位に就いて以降のことのようである0. も当然考慮されなければならない。しかし、「昌齢久於貧賎、是以多知. た体験のない彼にしてみれば、そうした猟官運動に対しては、おそら. 考えられる。功臣の御曹司として育ち、仕官をめぐっての辛酸を嘗め. く一般の良識以上の潔癖な態度を取ったことであろう。とすれば、王. 危苦之事」という言葉と、苦境に置かれた心情に偽りはないであろう0. 昌齢の上書の動機がどのように純粋なものであったとしても、それが. 気位の高い王昌齢も、ここでは憐れみを乞う気持ちを正直に綴ってい る.なお、「力養不拾、-」に見える父母への孝養に関連して1言つけ. ようや. と思われる。. (8). 李元絃への上書は、おそら-開元十二年(七二EE). 都の地に別れを告げて旅に出たとも考えられている。. ては、確かな資料がな-明らかでないが、次項で述べるように、再び. 翌年春の試験に昌齢は落第したのであろう。傷心の彼の足取りについ. の秋になされ、. それまでの幾度かの苦い体験以上の深い傷を、彼の心に負わせたこと. よっても、王昌齢の前途は切り開かれることがなかった。この挫折は、. いずれにしても結果的には、人格を見込んで望みを託した李元紘に. 快感を李元絃に与えたということも、十分考えられよう。. 迫した心情と情熱に任せて走り過ぎた筆が、一種押しっけがましい不. 献上されることな-終わったのではないだろうか。あるいはまた、切. 心を引-ことはな-、したがって、自信の作『要略』五篇も、ついに. 結局、昌齢のこの書簡も、他の多-の上書と共に、元絃の特別な関. 受け手の元絃に直ちに好意的に理解されたとは考えに-い。. (7). の旬が見られる。. 毎に豊蓋(ゆた. 加えてお-と、昌齢の親思いの一面は詩作品にも顔をのぞかせており、. たり」. 例えば「放歌行」には、「但だ数斗の禄を営み、奉養 かでおいしい捧げ物). には、昌齢が世に出る機会はめぐってこなかった。上書が投ぜられた. しかし、この切実な願いにもかかわらず、李元絃の吏部侍郎在任中. といえよう。. ができる。登科前の彼の心境と主張が鮮明にあらわれた、貴重な資料. この手紙に賭けた王昌齢の意気込みと期待は、文面の端々に窺うこと. 以上、「上李侍郎書」を通読してみた。不明の箇所も少な-ないが、. つね. 後の委細は明らかでないが、ただ、この件に関連して興味を引かれる. つかさど. のは、『唐書』李元絃伝に見える次のような1節である.. これ. 性清倹にして、既に政事を知るや、稽-奔競の路を抑え (『旧唐書』). (続). 窮状を訴えるこの結びの一段を読むにあたっては、文飾による誇張. 嫌ったのは、この時期に始まるものとは思われない。東部侍郎在職時 も、登用のための様々な事前運動に対しては、当然批判的であったと. 文中「既に政事を知るや」とあるところからすれば、ここに語られ. 垂i]. 芸文志にも記載がない。早-に散逸したようである。. は、道義のために身をなげうつ。「後命」は、続いて出される命令。「清. いはそうかも知れない。下って. 岡田 はばか. おさ. た. たれば、進を務むる者は頗る之を悼る。. 元紘.

(15) 90. 川 似. 胡間涛・李雲逸の両氏は、ともにこの詩を開元十一年(七二三)、河東 の旬に詠われているのは登科前の王昌齢の心境であり'. からの帰途の作と考える。もっとも、この推定も確実なものとは言えな S. 易因題」の二篇の詩が現存する。この他、開元十五年登第の際の作「公. 孫宏関東閣威」も'「易窮則襲'饗則乃通。二気相感、高者初蒙。-」 と、『易』 の原理を説-文章で始まっている。 「奉養毎豊蓋」の「毎」字は、『楽府詩集』では「母」に作る。やや読. みに--なるが、「奉養 母には豊蓋たり」で、奉養の対象は母親であ る。つまり、この句によるならば、王昌齢は父親と死に別れ、母親だけ. が健在だったということになる。ただ、この句は、『文苑英華』では「奉. 養本-」に作るなど異同が多-、残念ながら確かな証拠とはならない。 なお前稿では、昌齢の父母の生死については詳論を避けたが、もう少し. 当時の科挙は毎年春に実施されてお-、その受験に先がけての事前運. 資料を挙げて、どのような可能性が高いか論じておくべきだったように も思う。いずれあらためて取り上げることにしたい。. 尚丞郎表稿』によれば、開元十二年」ハ月末以降から翌十三年の春まで. 動は、前年の秋にされるのが通例であった。李元絃の在任期間は、『唐僕. と、極めて短かい。したがって、王昌齢の上書は開元十二年秋、落第は 十三年春と考えられる。. 所・不明の部分が多い。御教示と御批正を切望する。. し、あらためて論じ直すことにしたい。また、今回も、拙訳に自信のせい箇. は、続稿となる「登科以前の王昌齢(下)」を書き終えた時点でまとめて紹介. 前稿発表後'何人かの方々から貴重な御意見や御教示をいただいた。他 に、自身で気付いた誤りや不十分な箇所も少なからずある。それらについて. ㈱. いが、「入夢-」 ここで取り上げてさしつかえない作品であろう。 沙苑については、『元和郡児志』巷二・同州に簡略な記事が見られる. また'杜甫の「沙苑行」は、沙苑監の様子を活写して詳しい。彼は「留 花門」詩でも、この地を「沙苑臨清洞、泉香草塁潔」と詠っている0 ただし、「細行を護ら」ない生き方については、葛立方の批判とは別の 観点から、反骨精神の現れとして好意的にとらえることも可能であら う。しかし、そうした処世態度がのぞかせる独善的なロマンティシズム は、やはり政治家としての優れた資質を物語るものとは言えないように 思われる。この点については、後の章であらためて論じることにした. 厳耕望『唐僕尚丞郎表稿』(中央研究院歴史語言研究所専刊36)の考証 によれば、前任の王易従は、この年の六月二十五日に場州大都督長史に 転出している。したがって李元紘の就任はそれ以降のことになる。な お、『旧唐書』巻百七十八・王徴伝、『新居書』巻七十二・中・宰相世系. つの傍証となろ. 表によれば、王易従の郡望は京北である。昌齢が同じ郡望であったなら ば、李元絃よりもむしろ、この易従を頼ったのではないかと思われる。 だとすればこの事は、京兆郡望説を否定する際の、1. 「上李侍郎書」は、『唐文粋』巻八十八、および『全唐文』巻三百三十 一に収められており、数箇所のわずかな異同が見られる。ここでは四部 叢刊本『唐文粋』の文章をもとにし(あわせて国学基本叢書本『唐文粋』 も参照)、二箇所を『全唐文』によって改めた。. 岡田. 例えば、「避十四兄見訪」詩には、「晩束常讃易、頃者欲還嵩」の旬が 見える。また、『易』や『周易参同契』 (仙薬の製造法を『易』 の理論に 当てはめて説いた道術の書)の奥義について'遣士に教えを請うことも しばしばあったようで、「就道土間周易参同契」「武陵龍興観黄道士房問. 登科以前の王昌齢(中). 王こ. 0 0. ヽ. 1 ヽ〔ノ. ㈲ ㈱ ㈲ ㈲.

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