はじめに 人 間 は あ る 事 物 や 現 象 な ど を 概 念 と し て 捉 え、 そ れ に 名 前 を 与 え る と い う こ と を、 悠 久 な 歴 史 の 中 で 綿 綿 と 繰 り 返 し、 行 っ て き た。 形 成 さ れ た 概 念 は、 そ の 時 々 の 必 要 に 応 じ て、 そ の 包 括 す る 領 域 が 変 移 し た り、 あ る い は 丸 ご と 淘 とうた 汰 さ れ た り な ど し て、 絶 え ず 流 動・ 推移しながらも、 常に一つの体系として人々の意識の中に存し、 人々 が思考をする際の 拠 よ り所として機能してきた。 中 国 で は、 古 く か ら「 名 」 と「 実 」 と が 一 対 の 語 と し て 使 わ れ て きたが、 「実」とは概念として 捉 とら えられた何らかの事物や現象、 「名」 は そ れ に 与 え ら れ た 名 前 と い う こ と に な る。 中 国 の 思 想 史 を 俯 ふかん 瞰 し て み た 時、 「 名 実 」 の 問 題 が、 人 間 が 思 索 を 加 え る べ き 問 題 の 中 の 最 重 要 事 項 と し て 意 識 さ れ た よ う な 様 子 は さ ほ ど 見 受 け ら れ な い け れ ど も、 た だ、 一 定 程 度 真 剣 な 思 索 の 対 象 と さ れ た こ と を 示 す 論 説 は い く つ か の 資 料 に 散 在 し て お り、 そ れ ら の 論 説 間 に は そ れ な り の 脈 絡 も 見 い だ さ れ、 ま た、 時 と し て も っ と 重 要 度 の 高 そ う な ま た 別 の 問 題 と の 連 関 が 看 取 で き た り、 ま た、 そ の 後 の 中 国 文 化 の 特 色 に 連なる事象が発見されたりもするのである。 そこで、 本稿では、 春秋戦国時代(前七七〇~二二一)において、 名 と 実 を め ぐ る 中 国 人 の 考 え 方 が ど の よ う な も の で あ っ た か と い う 問 題 を 中 心 と し、 「 名 」 を も っ と 拡 大 し た 形 で の「 言 と 意 」 の 問 題 に 関 す る 言 及 も 視 野 に 入 れ て、 私 見 に 基 づ き 描 述 し て み る こ と に し た い。 大 ま か な あ ら す じ と し て は、 孔 子( 前 五 五 一 ~ 四 七 九 ) か ら 始 ま り、 そ の 約 二 百 五 十 年 後 の 荀 じゅんし 子 ( 前 二 九 八 ~ 二 三 八 ) に よ っ て 精 せいち 緻 化 か さ れ る、 い わ ゆ る 儒 家 の 流 れ、 荀 子 の 言 説 を 引 き 出 す き っ か け に な っ た と 考 え ら れ る 所 いわゆる 謂 「 名 家 」 の 論 説、 儒 家 に 対 す る ア ン チ テ ー ゼ と 言 え る か も し れ な い『 老 子 』・ 『 荘 子 』 所 見 の 論 説、 そ し て 最 後 に、 儒 家 と か 道 家 と か い っ た 既 成 の 区 別 を 超 え て 共 通 項 と し て 全 体 を 覆 っ て い た と 思 わ れ る、 古 代 中 国 の 名 実 観 念・ 言 語 観 と い っ たものにも言及できればと考えている。 な お、 本 稿 で 資 料 を 引 用 す る 場 合 は、 行 文 の 状 況 に 応 じ、 原 文 の ま ま で の 引 用、 書 き 下 し 文 で の 引 用、 現 代 日 本 語 訳 で の 引 用、 こ の 三様式の混用を適宜織り交ぜて行うこととする。 一、儒家 ( 一 ) 孔 子 の 言 説 の 中 で、 名 実 論 と い う 観 点 か ら 取 り 上 げ る こ と のできるものは、 一つだけかもしれない。それは、 弟子の子路の「先
名と実をめぐる中国古代の思惟
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儒家と道家を中心として
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柴
田
清
継
生 が も し 衛 の 国 に 招 しょうへい 聘 さ れ て、 政 治 を 任 さ れ な さ っ た と し た ら、 何 か ら 着 手 さ れ ま す か 」 と い う 質 問 に 対 し て、 孔 子 が 答 え た「 必 也 正名乎」 (きっと名称の整頓から始めるだろうね) という言葉 (『論語』 子路篇) である。 「 迂 うえん 遠 なやり方ですね」 とすぐさま反応した子路を、 孔子はたしなめたうえで、次のように自分の考えを説明する。 名 不 正、 則 言 不 順。 言 不 順、 則 事 不 成。 事 不 成、 則 礼 楽 不 興。 礼 楽 不 興、 則 刑 罰 不 中。 刑 罰 不 中、 則 民 無 所 措 手 足。 故 君 子 名 之必可言也。言之必可行也。君子於言、無所苟而已矣。 一 つ 一 つ の 名 称 が 正 確 で な け れ ば、 そ れ ら の 名 称 を 組 み 合 わ せ て 形 作 る 言 語 が す ら す ら と 人 に 通 じ る こ と は な い。 言 語 が 人 に 通 じ な け れ ば、 物 事 は 成 就 し な い。 物 事 が 成 就 し な け れ ば、 礼 の 順 守 と 楽 がく の 陶 とうや 冶 に よ る 人 々 の 生 活 は、 盛 ん に な ら な い。 そ う し た 生 活 が 盛 ん に な ら な け れ ば、 刑 罰 の 当 た り は ず れ が 起 こ る よ う に な る。 刑 罰 の 当 た り は ず れ が 起 こ る と、 人 民 は 手 しゅそく 足 の 置 き ど こ ろ が な く な る。 だ か ら 君 子 は、 名 称 を 立 て た 場 合 は、 そ れ を 実 際 の 言 語 の 中 で 使 え る よ う に す る 。 そ う し て 実 際 の 言 語 の 中 で 使 え る と 同 時 に、 必 ず 実 践 に 移 す こ と が で き る よ う に す る。 君 子 は、 言 語 と い う も の を、 絶 対 にいい加減には取り扱わないのである。 一 応 以 上 の よ う に 訳 せ る か と 思 う。 傍 線 を 付 し た 一 文 は、 「 実 際 の 言 語 の 中 で 使 え る よ う な 命 名 を す る 」 と 訳 し た 方 が、 分 か り や す いかもしれない。 「 風 が 吹 け ば 桶 おけや 屋 が 儲 もう か る 」 を 連 想 さ せ る が、 要 す る に、 名 称 が 実 態 に 見 合 っ て い る か 否 か が、 回 り 回 っ て 人 々 の 安 定 し た 生 活 を 実 現することができるか否かの 鍵 かぎ になるということである。 ( 二 ) そ の 後、 所 謂「 儒 家 」 の 系 譜 の 中 で は、 名 実 や 正 名 に 関 す る 論 説 の 出 現 は 荀 子 ま で 待 た な け れ ば な ら な か っ た。 荀 子 の 著 書 と さ れ る『 荀 子 』 に は、 そ の 名 も「 正 名 」 と 題 す る 篇 が あ る。 こ の 篇 の 中 心 を な す 言 説 は、 今 か ら 二 千 数 百 年 前 の 中 国 に お け る 一 人 の 思 想 家 の「 論 理 学 」 的 思 考 や 言 語 に 関 す る い く つ か の 観 念 な ど も 伝 え ていて興味深いので、紹介することとしたい。 な お、 『 荀 子 』 の 注 釈 書 や 訳 書 等 は 幾 つ か あ る が、 筆 者 は、 総 合 的 に 見 れ ば、 梁 叔 任( 一 九 〇 〇 ~ 一 九 六 五 ) 撰 せん 『 荀 子 約 注 』 1 が 最 も 有 用 だ と 見 な し て い る。 い ち い ち 断 ら な い が、 筆 者 の 読 解 は 多 く これに依拠している。 荀 子 は、 先 王( 太 古 の 伝 説 上 の 帝 王 ) を 理 想 と す る 当 時 の 伝 統 に 反 し、 将 来 を 見 据 え た「 後 王 」 の 政 治 の や り 方 を 提 案 す る。 荀 子 が 生 き た の は、 周 の 王 室 が 有 名 無 実 の 存 在 と な り、 各 諸 侯 国 が 覇 権 を 競 っ て い る 戦 国 時 代 だ っ た。 彼 が 説 く「 後 王 の 施 策 」 は、 少 な く と も 正 名 篇 に 関 す る 限 り は、 周 王 が 再 び 実 権 を 握 る よ う に な る こ と を 期 待 し、 そ れ が 実 現 し た 場 合 の 新 時 代 の 政 治 の 在 り 方 を 述 べ た も の だったと、筆者は考えている 2 。 荀 子 に よ れ ば、 後 王 が 名 を 定 め る 場 合、 「 刑 名 」、 「 爵 名 」 等 は そ れぞれ商( 殷 いん )代、 周代のものに従うが、 万物に加えられる「散名」 は「 諸 夏 の 成 俗 曲 期 に 従 う 」 と し て い る。 「 散 名 」 は 各 種 の 事 物 の 名 称 と い う 意 味 で あ り、 こ れ が「 刑 名 」、 「 爵 名 」 等 と 同 列 に 並 べ て 論 じ ら れ る と こ ろ が、 現 代 の 観 点 か ら 見 れ ば 奇 異 で あ る が、 そ の 点 は し ば ら く 措 お く。 興 味 深 い の は、 そ う し た 各 種 の 事 物 の 名 称 は、 周 室 の ほ か、 各 地 の 諸 侯 国 で 使 わ れ て い る も の の 中 か ら、 最 も 広 く 使
わ れ る よ う に な っ た も の を 選 ん で 標 準 名 称 と し て 採 用 す る と 説 か れ て い る 点 で あ る。 念 の た め、 現 代 日 本 の 事 象 に な ぞ ら え て お こ う。 例えば、 魚のすり身の揚げ物の呼び名は、 地域により、 「さつま揚げ」 、 「 て ん ぷ ら 」、 「 あ げ は ん 」 等 に 分 か れ る が、 最 も 広 く 使 わ れ て い る (?) 「 さ つ ま 揚 げ 」 を こ の 食 品 の 正 式 名 称 と し て 採 用 し よ う と い う の と 同 じ で あ る。 荀 子 は そ し て、 「 遠 方 異 俗 の 郷 」 で も こ の 名 称 を 標準とさせるとも言っている。 次に荀子は、 人に関係する 「散名」 として、 「性」 「情」 「慮」 「偽」 「行」 「 知 」「 智 」「 能 」「 病 」 の 概 念 規 定 を 行 っ て い る が、 そ の 部 分 は 省 略 し、 その次の「王者の制名」に関する部分を紹介することにしよう。 以下の通りである。 「 辞 を 析 わか ち 擅 ほしいまま に 名 を 作 り て 以 て 正 名 を 乱 し 」、 そ の 結 果、 人 民 に 疑 惑 を 抱 か せ た り 訴 訟 を 起 こ さ せ た り す る も の は、 こ れ を 「 大 だいかん 姦 」( 大 悪 事 ) と い う。 そ の 罪 は 勝 手 に「 符 節 度 量 」( 割 符 と 物 差し ・ 升)を作った場合に相当するが、 王者が名を制し、 名が定まっ て 実 が 弁( 辨 ) ぜ ら れ、 王 者 の「 制 名 」 の や り 方 が 広 く 行 わ れ て 人 民 同 士 の 意 思 が 疎 通 す る よ う に な っ た ら、 慎 重 に 人 民 を 率 い て 言 語 の 統 一 へ と 歩 を 進 め る。 こ の よ う に す れ ば、 「 奇 辞 に 託 し て 以 て 正 名 を 乱 」 そ う と す る 人 民 は い な く な り、 彼 ら は ひ た す ら 法 令 を 順 守 す る よ う に な り、 そ う な れ ば、 君 主 の 治 世 は 長 く、 成 功 裏 に 全 う す る こ と が で き る。 こ れ こ そ「 治 の 極 み 」 で あ る が、 そ れ は「 名 約 を 守 る に 謹 ん だ 」 こ と に よ る 成 功 な の で あ る。 「 名 約 」 に つ い て は、 梁 叔 任 が「 名 詞 之 界 説 」( 「 界 説 」 は「 定 義 」 の 意 ) と 説 い て い る。 そ れ に 従 う な ら、 荀 子 は 名 詞 の 正 確 な 定 義 づ け が 政 治 の 成 功 如 いかん 何 を 左 右 す る 一 大 要 因 だ と 説 い た わ け で、 「 風 が 吹 け ば 」 を 連 想 さ せ た 上 述 の 孔 子 の 論 述 に 引 け を 取 ら ぬ、 論 説 の 壮 大 さ が そ こ に あ る わ け である。 荀 子 は さ ら に 議 論 を 進 め る。 今 は 聖 王 が 存 在 し な い た め、 名 の 順 守 が お ろ そ か に な り、 「 奇 辞 起 こ り、 名 実 乱 れ 」 て、 是 非 の 形 が 明 らかでなくなり、 法を守らねばならぬ吏や経書を 誦 とな える儒さえもが、 みな乱れてしまっている。もし新たな王者が起こるなら、 きっと 「旧 名 に 循 したが 」 い つ つ「 新 名 を 作 」 る こ と に な る だ ろ う。 だ と す れ ば、 「 為 ため に 名 有 る 所 」( 名 の 存 在 理 由 ) と「 縁 よ り て 以 て 同 異 す る 所 」( 対 象 を 識 別 す る よ り ど こ ろ ) と「 制 名 の 枢 要 」 と を よ く 理 解 し て お か なければならない。 なお、 「辞を析」ったり「奇辞」を作ったりして世を騒がせた「問 題 人 物 」 の こ と が 気 に な る が、 こ れ に つ い て は 後 で ま た 言 及 す る こ とにしよう。 さ て、 ま ず 荀 子 が 言 う と こ ろ の「 名 の 存 在 理 由 」 は、 簡 単 に 言 っ て し ま え ば、 事 物 の 名 が 定 ま っ て い な け れ ば、 事 物 の 同 異 が 識 別 で き ず、 人 の 貴 きせん 賤 が は っ き り 分 か ら な い、 そ れ で は 困 っ て し ま う と い う程度のことである。 次 に、 対 象 を 識 別 す る 拠 り 所 に つ い て は、 次 の よ う に 述 べ ら れ て い る。 「 何 に 縁 り て 以 て 同 異 す る か。 曰 く、 天 官 に 縁 る と 」。 「 天 官 」 とは、 同じく 『荀子』 中の一篇である天論篇の叙述によれば、 「耳 ・ 目 ・ 鼻・ 口 」 等 の 感 覚 器 官 で あ る。 正 名 篇 に 戻 ろ う。 「 凡 およ そ 類 を 同 じ く し 情 を 同 じ く す る 者 は、 其 そ の 天 官 の 物 を 意 おも 3 う や 同 じ 」。 そ こ で、 そ れ ら 類 を 同 じ く し 情 を 同 じ く す る も の を 一 つ の 類 と し て 帰 納 し、 共 通の名を与える。 「形 ・ 体 ・ 色 ・ 理 すじ は、目を以て 異 わか ち、声 ・ 音 ・ 清 ・ 濁 ・ 調 ・ 竽 ・ 奇声は耳を以て異ち、甘 ・ 苦 ・(中略)は口を以て異ち、香 ・
臭 ・(中略)は鼻を以て異ち、疾 ・ 養 ・(中略)は 形 からだ 体 を以て異ち、説 ・ 故・ 喜・ 怒・ 哀・ 楽・ 愛・ 悪・ 欲 は、 心 を 以 て 異 」 つ が、 心 に は さ ら に「 徴 知 」 と い う 働 き が あ る。 簡 単 に 言 っ て し ま え ば、 各 感 覚 器 官が受け止めた感覚を吸い上げ、 チェックして認識する機能である。 最 後 の「 制 名 の 枢 要 」 は、 こ の よ う に し て 成 立 し た 心 に よ る 認 識 を ど の よ う に し て 命 名 に 結 び 付 け て い く か に つ い て 述 べ た 部 分 で あ る。 「 然 しか る 後 に 随 したが い て 之 これ に 命 ず。 同 じ け れ ば 則 すなわ ち 之 を 同 じ く し、 異 な れ ば 則 ち 之 を 異 に す。 単 に し て 以 て 喩 さと す に 足 れ ば 則 ち 単 に し、 単にして以て喩すに足らざれば則ち兼にす」 。「単」 は単独名詞、 「兼」 は複合名詞と理解していいだろう。言わずもがなだろうが、 例えば、 「 か ま ぼ こ 」 は 単 独 名 詞、 「 刺 身 か ま ぼ こ 」 や「 揚 げ か ま ぼ こ 」 と な る と 複 合 名 詞 で あ る。 荀 子 の 叙 述 に 戻 ろ う。 「 単 と 兼 と 相 避 たが う 所 無 け れ ば、 則 ち 共 に す。 共 に す と 雖 いえど も、 害 を 為 な さ ず 」。 「 か ま ぼ こ 」 も「刺身かまぼこ」も、 大きく捉えればかまぼこだから、 「かまぼこ」 と い う 類 を シ ェ ア す る こ と が で き る と い う こ と で あ る。 荀 子 の 叙 述 に 戻 ろ う。 か く し て、 「 万 物 衆 おお し と 雖 も、 時 有 り て 徧 あまね く 之 を 挙 げ ん と 欲 す。 故 ゆえ に 之 を 物 と 謂 い う。 物 な る 者 は、 大 共 名 な り。 推 し て 之 を 共 に し、 共 に し て 有 また 共 に し、 共 に す る こ と 無 き に 至 っ て 然 る 後 に 止 や む。 時 有 り て 徧 あまね く 之 を 挙 げ ん と 欲 す。 故 に 之 を 鳥 獣 と 謂 う。 鳥 獣 な る 者 は、 大 別 名 な り。 推 し て 之 を 別 ち、 別 ち て 有 別 ち、 別 つ こ と無きに至って然る後に止む」 。「大共名」 は最高の類概念、 「大別名」 は最低の種概念ということになるだろう。 「 名 に 固 もと よ り 宜 よろ し き も の は 無 し 。 之 を 約 し て 以 て 命 じ 、 約 定 ま り俗 成 る 、 之 を 宜 し と 謂 う 。 約 に 異 な れ ば 則 ち 之 を 宜 し か ら ず と 謂 う 」 4 。 「 名 に 固 よ り 実 あ る も の は 無 し。 之 を 約 し て 以 て 実 に 命 じ、 約 定 ま り俗成る、 之を実名と謂う。名に固より善きもの有 り。 径 けい 易 い (取っ つ き や す く 分 か り や す い ) に し て 払 さか ら わ ざ る、 之 を 善 名 と 謂 う。 ① 物 に 状 を 同 じ く し て 所 を 異 に す る 者 有 り、 ② 状 を 異 に し て 所 を 同 じ く す る 者 有 る も、 別 つ 可 べ き な り。 ③ 状 同 じ け れ ど も 而 しか も 所 を 異 に す と 為 す 者 は、 合 す 可 し と 雖 も、 之 を 二 実 と 謂 う。 状 変 ず れ ど も 実 に 別無くして而も異なりと為す者は、 之を化と謂う。化有りて別無し、 之 を 一 実 と 謂 う 」。 ① ② ③ の 各 部 分 は、 や や 難 解 で あ る が、 幸 い そ れぞれ 楊 ようりょう 倞 (唐代の人)の注があるので、 現代日本語訳して掲げ ることにしよう。 ① 見 た 目 の 似 通 っ た 二 頭 の 馬 が 別 々 の 場 所 に い る よ う な 場 合 を 言 う。 ② 年 を 取 っ て い る か 幼 い か で、 見 た 目 は 異 な る が、 個 体 と し て は 一 つ で あ る よ う な 場 合 を 言 う。 例 え ば 蚕 と 蛾 の 類。 ③ 二 頭 の 馬 の 類。 名 は 合 し て、 い ず れ も 馬 と 言 え る が、 実 体 は 二 つである。 荀 子 は こ の 後、 「 此 こ れ 事 の 実 を 稽 かんが え 数 を 定 む る 所 ゆえん 以 な り 」 と 述 べて、 「制名の枢要」についての説明を締めくくる。 荀 子 は 次 の 一 段 で は、 「 侮 ら る る も 辱 はじ と せ ず 」、 「 盗 を 殺 す は 人 を 殺 す に 非 あら ざ る な り 」 等 の 言 説、 次 に「 山 と 淵 ふち と 平 ら か な り 」、 「 情 欲 寡 すく な し 」 等 の 言 説、 三 つ 目 に「 白 馬 は 馬 に 非 ず 」 等 の 言 説 を 取 り 上 げ て、 そ れ ぞ れ 上 述 の「 名 の 存 在 理 由 」、 「 対 象 を 識 別 す る 拠 り 所 」 及 び「 名 約 」( 名 の 定 義 6 ) に 照 ら し て 検 証 す れ ば、 こ の よ う な 言 説 の出現を抑えとどめることができるとしている。 以 上 の 言 説 の う ち、 「 白 馬 非 馬 論 」 は、 「 堅 白 同 異 」 と 並 ん で、 公
孫 龍( 前 三 二 〇 頃 ~ 二 五 〇 頃 ) が 唱 え た 詭 きべん 弁 と し て 我 が 国 で も よ く 知 ら れ て い る が、 そ の 他 の 言 説 も や は り 当 時 の 名 家( 名 実 関 係 に 関 す る 思 索 を 行 っ た 人 々) と 称 さ れ る 人 々 に よ っ て 唱 え ら れ た も の だ と 言 わ れ て い る。 荀 子 が「 辞 を 析 」 っ た り「 奇 辞 」 を 作 っ た り し て 世を騒がせる困った連中として問題にしていたのは、 まさにこの 「名 家 」 の 人 々 で あ る が、 し か し、 彼 が 正 名 篇 の 論 述 を 行 っ た 主 た る 動 機、 も し く は そ の 最 大 の 目 的 は、 や は り 周 王 室 が 力 を 失 い、 各 地 の 諸 侯 国 の 中 で さ ま ざ ま に 異 な っ た 言 語 や 文 化 が 行 わ れ る よ う に な っ て 約 四 百 年 が 経 過 し て し ま っ た 当 時、 再 び 周 王 室 が 復 権 し、 諸 侯 国 を 配 下 に お い て 統 治 を 行 う 際 の 言 語 政 策 の 構 想 と い う 点 に あ っ た に 違いないと筆者には思われる。 したがって、 現実問題から遊離した、 名実論のみの過度の 穿 せんさく 鑿 は、 荀子においては無用とされた。 次の言葉がその点をよく表している。 彼 の 名 辞 な る 者 は、 志 義( 意 味 ) の 使 い な り。 以 て 相 通 ず る に 足れば則ち 舎 お く。 之を 苟 いやしく もする (いい加減に扱う) は、 姦なり。 名 実 や 弁 説 等、 正 名 篇 に お け る 荀 子 の「 コ ト バ 」 論 は も う 少 し 続 く が、 紙 幅 の 関 係 も あ る の で、 こ の 辺 で 所 謂「 道 家 」 と 呼 ば れ る 人 たちの名実論へと目を転じたいと思う。 二、道家 道 家 と 言 え ば、 そ の 代 表 格 は 老 子 と 荘 子 で あ る。 老 子( 老 ろうたん 聃 )、 荘 子( 荘 周 )、 い ず れ も そ の 生 存 時 期 が は っ き り せ ず、 特 に 前 者 は そ の 実 在 さ え 疑 わ れ て い る が、 後 者 の 生 存 時 期 に つ い て は、 一 応 馬 叙 倫( 一 八 八 五 ~ 一 九 七 〇 ) の 考 証 に 従 っ た 福 永 光 司( 一 九 一 八 ~ 二 〇 〇 一 ) の「 西 暦 前 三 七 〇 年 ご ろ ― 三 〇 〇 年 ご ろ の 約 七 八 十 年 」 という見方 7 を襲うことにする。 老 子 と 荘 子 の 所 説 に は、 似 通 い な が ら も、 幾 つ か の 相 違 点 が あ る と言われている。本としての『荘子』は、 内篇 ・ 外篇 ・ 雑篇に分かれ、 内 篇 は ほ ぼ 荘 周 自 身 の 著 作 と 見 て い い が、 外 篇・ 雑 篇 は 主 と し て 荘 周 の 後 学 の 手 に な る も の で、 そ の 所 説 に は 本 来 若 干 相 違 し て い た は ず の 老 子 の 思 想 に 接 近 し て い る も の も あ る と さ れ て い る。 以 上 の よ う に や や 込 み 入 っ た 事 情 が あ る の で、 老 子 と 荘 子 に つ い て は、 人 物 と し て で は な く、 『 老 子 』・ 『 荘 子 』、 つ ま り 書 物 と し て 扱 う こ と と し たい。 な お、 筆 者 の『 老 子 』・ 『 荘 子 』 理 解 は、 福 永 の 著 書 に 多 大 な る 恩 恵 を 蒙 っ て い る た め、 以 下、 そ の 著 書 か ら の 引 用 を 何 度 か 行 う こ と になる。 ( 一 ) ま ず は『 老 子 』 で あ る が、 開 巻 劈 頭、 「 名 」 が 重 要 な タ ー ム として出てくる。次の如くである。 道 可 道 非 常 道、 名 可 名 非 常 名。 無 名 天 地 之 始、 有 名 万 物 之 母。 (第一章) 早速だが、福永の解説を引用しよう。 世 間 一 般 の 学 者 が、 い ろ い ろ に 定 義 し て い る よ う に、 こ れ が 道 だ と し う る よ う な 道 は 恒 常 不 変 の 道 す な わ ち 絶 対 的 な 根 源 の 真 理 で は な く、 絶 対 的 な 根 源 の 真 理 と は、 い わ ゆ る〝 道 と せ ざ る
の 道 〟 ―― 人 間 の 言 知 で は 捉 え よ う が な く、 あ ら ゆ る 定 義 が そ こ で は 空 し く は ね か え さ れ て し ま う 不 思 議 な エ ト ヴ ァ ス、 こ れ を 知 れ り と す る と こ ろ に も は や 絶 対 の 真 理 で は な く な り、 こ れ を 知 ら ず と す る と こ ろ に 却 っ て 絶 対 の 真 理 と し て あ ら わ れ て く る よ う な 逆 説 的 な 存 在 で あ る。 同 様 に し て、 こ れ が 真 理 の 言 葉 と し う る よ う な 言 葉 は 恒 常 不 変 な 真 理 の 言 葉 で は な く、 恒 常 不 変 な 真 理 の 言 葉 と は 、 言 葉 な き 言 葉 、 い わ ゆ る 〝 言 ものい わ ざ る の 弁 ことば 〟 で あ り、 「 言 を 去 す て た 至 言 」 で あ る。 ( 中 略 ) 「 天 地 の 始 め 」 す な わ ち 天 地 の 始 源 と し て こ の 世 界 の 開 闢 以 前 か ら 実 在 す る 形 而 上 的 な 根 源 の 真 理 ―― 道 に は「 名 が 無 く 」、 そ れ は 人 間 の 言 葉 で は 名 づ け よ う の な い 混 沌 と し た エ ト ヴ ァ ス で あ る が、 天 地 が 開 闢 し て 万 物 が 生 成 さ れ、 形 而 下 的 な 世 界 が 成 立 し て く る と、 「 万 物 の 母 」 ―― 万 物 を 生 み 出 す 母 と も い う べ き 天 地 は、 あ る い は 天 と よ ば れ、 あ る い は 地 と よ ば れ て、 そ こ に 名 が 存 在 するようになる。 しかし、 この名はもはや形あるものを呼ぶ 「名」 で あ り、 形 な き も の を 呼 ぶ「 名 と せ ざ る の 名 」 ―― 根 源 的 な 真 理の言葉ではない。 8 「 道 」 が『 老 子 』 の 場 合、 か な り 抽 象 化 さ れ た も の に な っ て い る が、 「 道 」 は 本 来 ま さ し く「 み ち( road;way )」 で あ り、 中 国 古 代 の 思 想 家 と 呼 ば れ る 人 た ち が そ れ ぞ れ、 自 分 が 理 想 と 考 え る 生 き 方 ( way of life ) を 言 う の に 使 っ た 言 葉 で あ る こ と を 忘 れ て は な ら な い。 『 老 子 』 と 言 え ば、 一 般 的 に「 無 為 自 然 」、 す な わ ち「 自 おの ず か ら 然 る 」 こ と を た っ と び、 人 為 的 な 道 徳 や 学 問 な ど を 否 定 し た と 言 わ れており、 そのような理解で充分であると思うが、 その「無為自然」 と い う こ と を 本 体 論 的 に 意 味 づ け た の が、 右 の 第 一 章 の 言 葉 で あ る と い う こ と に な る。 つ ま り、 『 老 子 』 の 教 え は、 無 為 自 然 に 生 き よ ということであったが、 その無為自然ということを天地 開 かいびゃく 闢 以前 の 混 こんとん 沌 と し た 宇 宙 の 状 態 に 結 び 付 け て、 真 理 と し て 根 拠 づ け た の で あ る。 老 子 が も し 実 在 し た と す れ ば、 孔 子 や 荀 子 な ど に 比 べ、 好 ん でその種の思考を行うタイプの人だった。 天 地 が 開 闢 し て 万 物 が 生 ま れ て く る と、 あ れ が「 天 」 だ、 こ れ が 「 地 」 だ、 あ れ が「 山 」 だ、 こ れ が「 川 」 だ と、 一 つ 一 つ 概 念 を 形 成 し、 名 前 を 与 え る こ と に な っ て く る。 こ の 概 念 を 形 成 す る、 名 前 を 与 え る と い う 段 階 で、 本 当 は す で に「 無 為 」 の 教 え に 反 し て い る の だ が、 こ の 程 度 の こ と さ え 禁 止 さ れ て は 人 間 の 生 活 は 成 立 し な い わ け で あ る か ら、 現 実 的 な 意 味 で、 『 老 子 』 が 危 き 惧 ぐ し た の は、 実 際 の 必 要 か ら 遊 離 し た、 あ る い は 何 ら か の 意 図 の た め に す る 作 為 的 な 概 念 化、 命 名 で あ っ た だ ろ う。 具 体 例 を 挙 げ る な ら、 当 時( 戦 国 時 代 と 考 え ら れ る ) 声 高 に 唱 え ら れ て い た「 仁 義 」 等 の 観 念 な ど は そ の 代 表 的 な も の だ っ た だ ろ う。 『 老 子 』 の 第 十 八 章 は、 次 の よ う な 有名な文章である。―「大道廃れて仁義有り、 智 ち 慧 え 出 い でて大偽有り。 六 りくしん 親 和 せ ず し て 孝 慈 有 り、 国 家 昏 こんらん 乱 し て 忠 臣 有 り 」。 「 仁 義 」( 人 を 親 し み 愛 す る こ と ) と か「 孝 慈 」 と か「 忠 義 」 と か、 素 晴 ら し い 徳 目 の よ う に 聞 こ え る か も し れ な い が、 所 しょせん 詮 人 が 他 人 の こ と を 顧 み な く な っ た り、 親 子 関 係 に 不 調 和 が 生 じ た り、 あ る い は 国 が 無 秩 序 に な っ て 下 克 上 な ど が 起 こ る よ う に な っ た り し た た め に 唱 え ら れ る よ うになったものであり、 天地開闢後まもないころの、 純心素朴な人々 の生活が続いていれば、必要のないものだったのだ。 結 局、 概 念 的 認 識 や 命 名 は「 為 」 で あ る か ら、 根 本 的 に「 無 為 自
然 」 に 反 す る も の な の で あ る。 そ う し た『 老 子 』 の 思 想 の 究 極 の 地 点 を 見 つ め て、 西 洋 の 思 想 と 比 較 し た 福 永 の 所 説 が あ る の で、 引 用 しておこう。 「 太 はじ 初 め に 言 葉 あ り、 言 葉 は 神 と と も に あ り、 言 葉 は 神 な り き 」 と い う の は バ イ ブ ル( ヨ ハ ネ 伝 ) の 言 葉 で あ る が、 バ イ ブ ル に お い て は 言 葉 は 光 で あ り、 秩 序 の 原 理 で あ り、 あ ら ゆ る 明 晰 な る も の の 象 徴 で あ っ た。 ( 中 略 ) 老 子 の「 道 」 は 光 を 闇 の 根 源 と し て で は な く、 闇 を 光 の 根 源 と し て 捉 え る。 暗 く 定 か な ら ぬ も の を 明 晰 な る も の の、 言 葉 な き 世 界 を 言 葉 あ る 世 界 の 根 底 に 考 え る。 老 子 に お い て「 道 」 は 言 葉 を 超 え た と こ ろ に 実 在 す る 無 名 の 混 沌 で あ り、 「 道 」 は 言 葉 で も な く 言 葉 と と も に あ る の で も な か っ た。 ( 中 略 ) 老 子 の 哲 学 は 明 晰 な ロ ゴ ス を 追 求 す る 哲 学 で は な い。 そ れ は ロ ゴ ス を 超 え た も の、 カ ー オ ス を 問 題 と す る 哲 学 で あ り、 ヨ ー ロ ッ パ 的 な 理 性〔 合 理 〕 の 哲 学 の 対 極 に 立つ哲学である。 9 (二) 次に 『荘子』 である。 『荘子』 にも 「道は名に当たらず」 (知 北 遊 篇 ) と い っ た よ う な『 老 子 』 と の 共 通 性 を 感 じ さ せ る 言 葉 が 散 見するが、 「道」 のコンセプトは 『老子』 とは異なると見た方がいい。 『荘子』 の思想の最も中心にあるもの、 すなわち 「道」 は 「万物斉同」 と い う 物 の 見 方 な い し は 対 処 法 で あ っ た。 一 方 を 美 と し 他 方 を 醜 と し た り、 一 方 を 善 と し 他 方 を 悪 と し た り す る 相 対 的 な も の の 見 方 か ら 脱 却 す れ ば、 事 物 間 の 対 立 と 差 別 は 消 滅 し、 あ ら ゆ る も の に 差 が な く 同 じ だ と い う こ と に な り、 精 神 の 安 定 が 得 ら れ る と い う 思 想 で ある。物心ついて以来、 自他の差をはじめ、 事物間の差の認知をきっ か け に 始 ま る 優 越・ 劣 等 の 感 情、 自 己 を も 含 め た 対 象 の 序 列 化、 他 者 と 比 べ て の 一 時 し の ぎ の 虚 妄 な 安 堵 等、 心 中 に 渦 巻 く 種 々 の 想 念 に さ い な ま れ て 生 き て い る 我 々 に と っ て、 こ れ 以 上 の 救 い は な い か もしれない。 と こ ろ で、 事 物 は 細 か く 分 別 す れ ば す る ほ ど、 そ れ に 応 じ て 名 称 が 必 要 に な っ て く る け れ ど も、 『 荘 子 』 で は そ の よ う な 分 別 知 は 否 定 さ れ る わ け で あ る か ら、 お の ず と 名 称、 さ ら に は そ の 集 合 体 と し て の 言 語 も 不 必 要、 も し く は 信 頼 の 置 け な い も の と さ れ、 全 編 に わ た っ て、 言 語 不 信 論 が 説 か れ て い る。 例 と し て、 デ ィ ベ ー ト の 不 毛 さを説く斉物論篇の一節を例に挙げよう。 もし我と 若 なんじ と弁 (辯) じ、 若 我に勝ち、 我 若に勝たずんば、 若 果 た し て 是 ぜ に し て、 我 果 た し て 非 ひ な ら ん か。 我 若 に 勝 ち、 若 吾 に 勝 た ず ん ば、 我 果 た し て 是 に し て、 而 なんじ 果 た し て 非 な ら ん か。 其 れ 或 ある ひ と( 一 方 が ) 是 に し て、 或 ひ と( も う 一 方 が ) 非 な ら ん か。 其 れ 倶 とも に 是 な ら ん か。 其 れ 倶 に 非 な ら ん か。 我 と 若 と 相( 二 人 と も ) 知 る 能 あた わ ざ る な り。 則 ち 人 固 よ り 其 の 黮 たんあん 闇 を 受 け ん( 暗 くらやみ 闇 に 陥 る だ ろ う )。 吾 われ 誰 たれ に か 之 を 正 さ しめん。若と同じき者をして之を正さしめんか、 既に若と同じ、 悪 いず く ん ぞ 能 よ く 之 を 正 さ ん。 我 と 同 じ き 者 を し て 之 を 正 さ し め ん か、 既 に 我 と 同 じ、 悪 く ん ぞ 能 く 之 を 正 さ ん。 我 と 若 と に 異 な る 者 を し て 之 を 正 さ し め ん か、 既 に 我 と 若 と に 異 な り、 悪 く ん ぞ 能 く 之 を 正 さ ん。 我 と 若 と に 同 じ き 者 を し て 之 を 正 さ し め ん か、 既 に 我 と 若 と に 同 じ、 悪 く ん ぞ 能 く 之 を 正 さ ん。 然 ら ば 則
ち 我 と 若 と 人 と、 倶 に 相( 三 人 と も ) 知 る 能 わ ざ る な り。 而 る を彼(第四の人)を待たんや。 筆 者 に は、 文 脈 上、 「 我 と 若 と に 同 じ き 者 」 は あ り 得 な い と 思 わ れるが、 それは筆者が相対的な分別知に 囚 とら われているからだろうか、 そ れ と も 単 な る『 荘 子 』 の 言 葉 の あ や か。 い ず れ に せ よ、 言 語 表 現 の 限 界 を 強 く 意 識 し、 言 語 表 現 に こ だ わ り 続 け る こ と へ の 危 惧 を 覚 えている作者の心中はよく伝わってくる。 だ が、 名 称 や 言 語 の 価 値 を 疑 問 視 す る『 荘 子 』 の 否 定 的 言 説 は、 逆 に 名 称 や 言 語 に 対 す る 深 い 省 察 の 上 に 成 り 立 っ て い た。 も う 一 つ 例を挙げよう。 荃 うえ は 魚 を 在 とら う る 所 以 に し て、 魚 を 得 れ ば 而 すなわ ち 荃 を 忘 る。 蹄 わな は 兔 うさぎ を 在 う る 所 以 に し て、 兔 を 得 れ ば 而 ち 蹄 を 忘 る。 言 は 意 を 在 う る 所 以 に し て、 意 を 得 れ ば 而 ち 言 を 忘 る。 吾 安 いず く に か 夫 か の 忘言の人を得て之と言わんや。 (外物篇) 「 荃 」 は 柴 しば を 水 中 に 積 ん で 魚 を 捕 る 仕 掛 け、 「 蹄 」 は 兔 を 捕 ら え る た め の わ な で あ る。 「 言 」 も そ れ ら と 同 じ よ う な も の で、 「 意 」 を 捉 え た ら、 も う 忘 れ て よ い。 大 事 な の は「 意 」 で あ る。 後 に、 詩 人 陶 淵 明 ( 三 六 五 ~ 四 二 七 ) が あ る 日 の 夕 が た、 自 宅 の 東 の 垣 根 の あ た り で 菊 の 花 を 折 り 取 っ て い た 時、 ふ と 南 の 山 が 目 に 映 っ て き た。 見 れ ば、 夕 暮 れ 時 の 山 の た た ず ま い は 素 晴 ら し く、 鳥 た ち が 連 れ 立 っ て そ の 山 の ね ぐ ら へ と 帰 っ て 行 っ て い る な あ、 と 思 っ た そ の 瞬 間 の こ と を、 彼 は「 此 の 中 に 真 意 有 り、 弁( 辨 ) ぜ ん と 欲 し て 已 すで に 言 を 忘 る 」 と 表 現 し た( 「 飲 酒 二 十 首 幷 な ら び に 序 」 其 五 )。 こ の 中 国 詩 史 上 の最高傑作は、 『荘子』の世界と根底でつながっているのである。 『 荘 子 』 に お け る 名 称 や 言 語 の 位 置 づ け を よ く 理 解 さ せ て く れ る 叙 述 と し て は、 天 道 篇 に も 適 当 な も の が あ る。 そ の 大 意 は 次 の 如 く で あ る。 す な わ ち、 世 の 人 々 が「 道 」 を 求 め る 際 に 最 も 頼 り に す る の は「 書 」( 書 物 ) で あ る が、 「 書 」 は「 語 」 に 過 ぎ な い。 「 語 」 に は大事なものがあり、 それは「意」である。しかし、 「意」には「随 う所」 10があり、それは「言」では伝えられない。 さ て、 天 道 篇 の 叙 述 は、 こ の あ と 次 の よ う に 展 開 さ れ る。 目 で 見 て見えるものは 「形」 と「色」 、耳で聞いて聞こえるものは 「名」 と「声」 (名称とその発音) である。 「世人は形色名声を以て、 以て彼の情 (真 相、 本 質 ) を 得 る に 足 る と 為 す 」 け れ ど も、 そ れ は 悲 し い 思 い 込 み である。 この一節は、次のような言葉で締めくくられている。 「 知 る 者 は 言 わ ず、 言 う 者 は 知 ら ず 」。 こ の 言 葉 の 意 味 が よ く 分 かっている人が世間にいるものだろうか。 「 知 る 者 は 言 わ ず 」 云 々 は『 老 子 』 の 第 五 十 六 章 に 見 え る も の で ある。 諺 ことわざ めいた言葉を使って、 説こうとする内容は 『老子』 と 『荘 子 』 と で 必 ず し も 同 じ で は な い が、 何 か を「 分 か っ て い る 」 と い う ことと、 それを「 言 こと 挙 あ げする」こととを単純に連結してしまわない、 むしろその違いを見つめ直すところは、両者の共通点である。 以 上 で、 道 家 に つ い て の 叙 述 を 終 え る が、 前 節 の 末 尾 で 取 り 上 げ
た 所 謂 名 家 の 人 々 の 言 説 に は、 『 荘 子 』 の 万 物 斉 同 の 思 想 と の 関 連 の 感 じ ら れ る も の が あ る。 一 番 わ か り や す い 例 は「 山 と 淵 と 平 ら か な り 」 で、 常 識 か ら 言 え ば、 山 が 高 く、 淵 が 低 い の だ が、 そ の 差 は 相 対 的 な も の に す ぎ な い か ら、 差 が な く 平 ら だ と い う 見 方 も 成 り 立 つ の で あ る。 同 様 に、 情 欲 は、 多 い 人 も い れ ば 少 な い 人 も い る し、 また、 多い時もあれば少ない時もあるのだが、 一般に「情欲の多い」 方 が 問 題 視 さ れ る こ と が 多 い 。 し か し、 「 多 い 」 と「 少 な い 」 は 相 対 的 な 差 に す ぎ な い か ら、 「 情 欲 寡 な し 」 と い う 逆 説 的 な 言 い 方 も 成 り 立 つ だ ろ う と い っ た、 二 重 に ひ ね っ た 論 理 が 込 め ら れ て い る よ うに見受けられる。 三、儒・道を通じて と こ ろ で、 福 永 も 指 摘 し て い る こ と だ が、 筆 者 が 前 節 の『 荘 子 』 に 関 す る 論 説 の 部 分 で 取 り 上 げ た の と 同 様 な 問 題 に つ い て の 叙 述 が、 『易』の 繫 けいじじょうでん 辞 上 伝 にも見られる。次の通りである。 子 曰 く、 「 書 は 言 を 尽 く さ ず、 言 は 意 を 尽 く さ ず。 然 ら ば 則 ち 聖人の意は、其れ見る可からざらんか」と。 こ の 後、 聖 人 は「 八 はっか 卦 の 象 しょう を 樹 立 し て、 こ れ で 以 て こ と ば の 伝 え得ない深意を尽くそうとした」 という意味の言葉が続くから、 「聖 人 の 意 」 は「 八 卦 の 象 」 を 通 し て 見 る こ と が で き る と さ れ て い る の だ が、 『 易 』 と い う「 儒 家 」 の 系 統 に 連 な る 書 物 に も、 言 語 の 伝 達 能力に十分な信を置かない旨の叙述が見いだされるわけである。 言 挙 げ よ り も、 そ の 奥 に あ る 実 質 を 見 よ う と す る 傾 向 と い う 点 ま で 含 め て 言 え ば、 儒 と 道 と は か な り 近 接 し て く る。 例 え ば、 『 論 語 』 憲 問 篇 の「 徳 有 る 者 は 必 ず 言 有 り、 言 有 る 者 は 必 ず し も 徳 有 ら ず 」 の 前 半 は、 儒 家 に し か 当 て は ま ら ぬ 言 葉 だ が、 後 半 は 儒・ 道 共 通 に 当てはまるだろう。 もう一つ、 『論語』陽貨篇の有名な一節を引いてみよう。 子曰、 「予欲無言」 。子貢曰、 「子如不言、 則小子何述焉」 。子曰、 「天何言哉。四時行焉、百物生焉。天何言哉」 。 吉 川 幸 次 郎( 一 九 〇 四 ~ 一 九 八 〇 ) は こ れ を 次 の よ う に 訳 し て い る。 あ る と き の 孔 子 が い っ た。 私 は も う、 な に も い う ま い と 思 う。 子 貢 が い っ た。 先 生 が も し 言 葉 を 吐 か れ な け れ ば、 私 た ち 弟 子 は、 なにを祖述したらいいのですか (中略) 。孔子。あの (中略) 万 物 の 主 宰 で あ る 天 を ご ら ん。 天 は な に を い う か。 な に も も の を い わ な い。 し か し 天 の 運 行 に よ っ て 四 季 は 自 然 に 運 行 し、 四 季のうつりかわりによってもろもろの生物が、生育する。 13 吉 川 は ま た、 「 言 語 は 実 体 の、 部 分 的 な 指 摘 で し か な い。 あ る い は さ ら に 考 え れ ば、 言 語 の 指 摘 が、 実 体 を 懸 命 に 追 跡 し、 懸 命 に 模 写 し よ う と す れ ば す る ほ ど、 指 摘 に も れ た、 お お わ れ ざ る 部 分 が 増 加する。 そうしたおそれが、 あるいは孔子にあったのではないか。 (中 略) 実体は、 言語の指摘を超えて混沌とし、 混沌としている故にこそ、 秩序が存在し、 運行し、 進展する。天と万物との関係は、 何よりも、
それを示す」との言葉を添えて、この一節の意味を 敷 ふえん 衍 している。 以上のように、儒といい、道というものの、両者には通底してい る面があるのである。 おわりに 本稿で取り上げたような問題に関して、最も周到な論述がなされ て い る の は、 汪 おうてんき 奠 基 ( 一 九 〇 〇 ~ 一 九 七 九 ) の 『 中 国 邏 輯 思 想 史 』 14で あ ろ う。 多 く の 資 料 が 網 羅 さ れ て い て、 且 つ 実 証 性 が 堅 固 で あ り、 文 化 大 革 命 終 結 後 ま も な い こ ろ の 出 版 物 で あ る が、 今 で も な お こ の 方 面 の 研 究 の 出 発 点 と し て 参 照 価 値 の 高 い 学 術 書 で あ る。 「 後 記 」 に よ れ ば、 原 稿 は 文 革 前 の 六 十 年 代 初 め ま で に で き あ が り、 そ れ を 他 の 専 門 家 た ち に 見 せ て 意 見 を 求 め、 満 を 持 し て 出 版 し た と の こ と である。 筆 者 の 今 回 の テ ー マ に 直 接 関 係 す る の は、 『 中 国 邏 輯 思 想 史 』 の 第 一 編「 先 秦 論 理 思 想 の 発 生 と 発 展 」 の 部 分( こ れ だ け で 約 百 五 十 頁ある) である。汪奠基は公孫龍以外の人物も取り上げ、 その他、 「墨 弁 ( 辯 )」 (『 墨 子 』 中 の 論 理 学 関 連 部 分 )、 法 家 (『 韓 非 子 』 等 ) の 「 形 名 法 術 」 等 も 取 り 上 げ て い る が 、 筆 者 は そ れ ら の 方 面 に ま で は 踏 み 込 ま な か っ た 。 テ ー マ が 拡 散 し す ぎ る の と 、紙 幅 の 制 約 の た め で あ る 。 こ の 方 面 の 思 想 は、 我 が 国 で も 早 く か ら あ る 程 度 注 目 さ れ、 百 年 以 上 前 に 桑 木 厳 翼 ( 一 八 七 四 ~ 一 九 四 六 ) が そ の『 哲 学 概 論 』 15の 中 に「 荀 子 の 論 理 説 」 の 一 項 を 設 け、 西 洋 哲 学 と の 比 較 に お い て 種 々 論 じ て い る が、 近 年 に 至 り、 加 地 伸 行 氏 の『 中 国 論 理 学 史 研 究 ―― 経 学 の 基 礎 的 研 究 』 ( 一 九 八 三 年 ) や 浅 野 裕 一 氏 の『 中 国 古 代 の 言 語 哲 学 』 ( 二 〇 〇 三 年 ) 16の よ う な 相 当 大 部 な 学 術 的 著 作 も 刊 行 さ れ て いる。 そして、 実は右記二書より先に紹介すべきだったかもしれないが、 大 室 幹 雄 氏 に『 正 名 と 狂 言 ― 古 代 中 国 知 識 人 の 言 語 世 界 』 ( 一 九 七 五 年 ) 17と 題 す る 著 作 が あ る。 こ れ は「 政 治 対 文 化、 そ の 中 核 と も い う べ き 権 力 対 こ と ば、 あ る い は 政 治 の こ と ば と 個 人 の こ と ば と の 対 立、 古 代 中 国 の 用 語 で い え ば〈 正 名 〉 と〈 狂 言 〉 と の 拮 抗 を 主 題 と」するもの である。この書の巻頭に位置するのは、 その名も「市 場 の こ と ば と 空 白 の こ と ば ―― こ と ば を め ぐ る 儒 家 と 道 家 の 自 己 意 識 」 と 題 す る 文 章 で あ り、 筆 者 と し て は で き る こ と な ら、 こ の 文 章 を 自 分 な り に 咀 そしゃく 嚼 し て か ら、 拙 論 を 執 筆 し た か っ た の だ が、 力 不 足 の た め 果 た せ な か っ た。 大 室 氏 の 文 章 は、 筆 者 に と っ て は、 『 史 記 』 老 子 伝 に 登 場 す る 孔 子 が 言 う と こ ろ の「 龍 」 の よ う な 存 在 な の で あ る。 し か し、 読 む 人 が 読 め ば、 き っ と 知 的 刺 激 に 満 ち 溢 れ た 世 界 が そこに広がっているのだろうと想像する。 な お、 本 稿 に 関 連 す る 拙 論 と し て、 今 よ り も も っ と 稚 拙 な も の で はあるが、次の二点があることを申し添えておく。 「 名 家 的 思 惟 の 成 立 ま で 」、 『 香 川 中 国 学 会 報 』 第 十 一 号、 一九八一年。 「『 呂 氏 春 秋 』 に 見 え る 名 実 論 お よ び 正 名 論 の 性 格 」、 『 高 松 工 業 高等専門学校研究紀要』第十七号、一九八二年 注 1 梁 叔 任 撰『 荀 子 約 注 附 荀 子 伝 徴・ 荀 子 行 歴 繫 年 表 』( 世 界 書 局「 中 国
思想名著」 第二冊、 一九五八年) 。梁啓雄 『荀子柬釈』 (臺湾商務印書館 「国 学 基 本 叢 書 四 百 種 」 所 収、 一 九 六 六 年 ) も 同 内 容。 叔( 述 ) 任 と 啓 雄 は、 前者が字、後者が名で、同一人物。 2 本 稿 で は 深 く 立 ち 入 ら な い が、 荀 子 の「 後 王 」 に つ い て は 現 在 な お 議 論 が 進 行 中 で、 近 年 我 が 国 で 発 表 さ れ た 論 考 と し て は 井 上 了「 荀 子「 後 王 」 思想の行方」 (『新しい漢字漢文教育』 第四十四号、 二〇〇七年) 、近藤則之 「荀 子の 「後王」 について――新解釈の提唱――」 (『佐賀大国文』 第四十四号、 二〇一六年)などがある。 3 梁 叔 任 は こ の「 意 」 を「 猶 お 忖 度 推 測 と 言 う が ご と き な り 」 と 説 解 し て いる。 4 ち な み に、 「 約 定 ま り 俗 成 る 」( 約 定 俗 成 ) は、 中 国 語 で は 今 も 四 字 成 語 として使われるポピュラーな言葉である。 5 こ の「 有 」 の 字 の 箇 所 を、 荻 生 徂 徠( 一 六 六 六 ~ 一 七 二 八 ) は「 当 に 無 に作るべし」と言っている( 『読荀子』 )。その可能性が高いと思われる。 6 『荀子約注』所引の劉師培の説により、こう解しておく。 7 福永光司 『荘子 内篇』 (朝日新聞社新訂中国古典選第七巻、 一九六六年) 解説六頁。 8 福 永 光 司『 老 子 』( 朝 日 新 聞 社 新 訂 中 国 古 典 選 第 六 巻、 一 九 六 八 年 ) 二 ~三頁。 9 福永前掲書七~八頁。 10 「 意 」 の「 随 う 所 」 と は、 「 意 」、 す な わ ち あ る 人 の 脳 裏 も し く は 胸 中 に その時々のシチュエーションに応じて形作られる、様々なディテールをも 含んだコンセプトという意味で、筆者は理解している。例えば「暑い」と いう「意」は、夏になれば誰もが「言」をもって表現したくなるものであ るが、 その中身はそのたびごとに少しずつ違っていて、 その違いまで「言」 をもって余すところなく相手に伝えることは不可能なのである。福永はこ の辺りを「言葉にはさらに大切なものがあり、その大切なものとは意味内 容である。そしてその意味内容は、さらに根源的なあるものに附随して出 てくるのであり、附随してでてくる根源のあるものは言葉では伝えること ができない」と解しており、筆者の見解と異なる。 11 例 え ば『 老 子 』 第 十 二 章 に「 五 色 は 人 の 目 を し て 盲 めし い し む。 五 音 は 人 の 耳 を し て 聾 せ し む。 五 味 は 人 の 口 を し て 爽 たが わ し む( 麻 痺 さ せ る )。 馳 騁 田 猟は人の心をして発狂せしむ。得難きの貨は人の行いをして妨げしむ」と あるのなどが、それである。 12 本 田 済『 易 』( 朝 日 新 聞 社 新 訂 中 国 古 典 選 第 一 巻、 一 九 六 六 年 ) 五 一 七 頁の言葉を借用した。 13 吉川幸次郎 『論語 下』 (朝日新聞社新訂中国古典選第三巻、 一九六六年) 二七八頁。 14 汪奠基 『中国邏輯思想史』 、上海人民出版社、 一九七九年。 「邏輯」 は“logic” の音訳。 15 桑木厳翼『哲学概論』 、早稲田大学出版部、一九〇〇年。 16 加 地 伸 行『 中 国 論 理 学 史 研 究 ―― 経 学 の 基 礎 的 研 究 』、 研 文 出 版、 一九八三年。浅野裕一『中国古代の言語哲学』 、岩波書店、二〇〇三年。 17 大 室 幹 雄『 正 名 と 狂 言 ― 古 代 中 国 知 識 人 の 言 語 世 界 』、 せ り か 書 房、 一九七五年。 18 大室前掲書「あとがき」三四七頁。 (しばた・きよつぐ 本学名誉教授)