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(旧制)中学校における職員会議の実態と機能に関する事例研究 : 第一神戸中学校における明治後期と昭和戦中期を比較して

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(1)(旧制)中学校における職員会議の実態と機能に関する事例研究 ―第一神戸中学校における明治後期と昭和戦中期を比較して―. 棚 野 勝 文 * (平成23年 6 月14日受付,平成23年12月 8 日受理). The Case study of Functions and Actual situation of Secondary School Teacher’ s meetings during the pre World WarⅡ: Case of Kobe-First Secondary School Late Meiji Era is compared with War Period of Showa Era TANANO Katsunori * The purpose of this paper is to analyze the processes, functions and actual situation of secondary school teacher’ s meetings during the pre World War II era. The paper investigates how school boards made and communicated decisions or facilitated consensus in the past. Data for the research has been collected primarily from records or‘minutes’of pre World War II teacher’ s meetings. This analysis has shown that the processes, functions and actual situation of teacher’ s meetings have changed over time. In the Meiji period, the function of the teacher’ s meeting was to make decisions using a voting process. During the war in the Showa period, the overriding function was to relay commands, instructions and information. Key Words: Functions of Teacher’ s meetings, The actual situation of Teacher’ s meetings, Records of Teacher’ s meetings. Ⅰ 研究の目的と方法 1. 試みたことも,本稿の特徴である。. 研究の目的. 最初に,本稿が学校経営の歴史研究において持つ研究 (注1). (以下,旧制神戸. 価値について整理したい。本稿の第 1 の特徴である,第. 一 中 と 記 す。) が 開 校 し た1896(明 治29)年 度 か ら1911(明. 一次資料による実態研究を目的としている点について,. 治44)年度(以下,明治後期と記す。)の16年間にわたる. 過去の学校経営の歴史研究は,当時の法令・法規集,教. 『職員會決議録』及び,1936(昭和11)年度から1942(昭和. 育専門書などを主な分析資料に用いざるを得ない状況が. 本稿は,兵庫県立第一神戸中学校. 17)年度(以下,昭和戦中期と記す。)の 7 年間にわたる. あった。その理由は,学校経営の歴史研究に用い得る公. 『職員會議記録』を主な資料(注2)とし,明治後期および昭. 式の記述資料が少ないとの事実認識からである(注3)。学校. 和戦中期の旧制中学校における職員会議の実態を比較整. 経営における歴史研究は,「歴史的手法の全盛期とも言う. 理し,両期間における職員会議の機能について分析・考. べき一九七〇年代までは,過去の事象について研究が進. 察する。そして,その分析・考察結果から,職員会議の. んでいなかったこともあって,理論や制度の変遷過程に. 機能に大きな影響を与える,学校組織における意思決定. 潜む事実を発掘することだけでも,一定の意義が認めら. システムを考察する。. れていた(1)。」と述べられるように,かつては,明治期に. 本稿は,学校経営の歴史研究において,第一次資料の. 始まる近代学校制度の成立過程に潜む意義の解明や,制. 分析による実態研究を目的としている点,旧制中学校を. 度の変遷に内在した理論などに焦点を当てた研究が中心. 対象とした点の 2 点において特徴を持ち,直接的に同様. であり,その限りにおいては,法令・法規集,教育専門. の課題と枠組みを持つ先行研究を見ることはできない。. 書などを資料源とする研究にその意義が認められていた。. また,歴史研究の意義は,現在の教育課題探究に貢献す. しかし,法令・法規集,教育専門書などを資料とする. ることであると捉え,本研究の歴史的知見から,現在の. 研究では,学校経営における裁量領域を捉えることが困. 学校経営改革において求められている,意思決定システ. 難である。学校を含め行政は,公共の利益を実現するた. ムの再構築に関して,特に職員会議機能を中心に論及を. めに,法規に従ってその活動を行うが,「現実の行政は,. * 兵庫教育大学大学院連合学校教育学研究科学生(Doctoral program student of the Joint Graduate School in Science of School Education, Hyogo University of Teacher Education) - 59 -.

(2) たとえば,法律の執行に要するコストや行政活動の相手. 録としてまとめられているため,種々のバイアスが少な. 方との関係,あるいは法執行にともなう社会的な効果な. く,記述内容にも一定の妥当性が確保できる,実証性の. ど多様な事項を考慮に入れて決定・行動しており,そし. 高い資料と考えることが可能である。したがって,実態. て,それらの事項のすべてが法律によって規定されてい. 研究として先行研究が用いた資料の性質に起因する限界. るわけではないのである(2)。」と述べられる通り,法規に. 性を超える可能性があると考える。. よって規定されていない決定・行動に関して,常に「裁. 第 2 点目の特徴は,旧制中学校を対象とした点であ. 量」によって執行されている。学校経営は,一般行政に. る。本稿においては,職員会議の実態研究と機能考察を. 対し,教師,児童・生徒,地域社会との関係が複雑に錯. 課題としている。一般に,学校組織における職員会議の. 綜して営まれるなど,広範な裁量領域が存在しており,. 機能は,組織規模に影響される可能性が大きいと考えら. その裁量領域におけるさまざまな様態を,法令・法規. れる。これは,組織規模が大きくなるほど,教師が一堂. 集,教育専門書などを資料源とする研究において,その. に会する職員会議機能の組織的意義が高まる可能性があ. 範囲に捉えることに限界がある。この限界を理由に,過. るためである。したがって,本稿では比較的規模の大き. 去の学校経営における歴史研究は,実態把握という点に. い中学校における職員会議は,小学校に比べ組織におけ. おいて,資料源に起因する課題を残していると指摘でき. る機能が明確化すると捉え,中学校を研究対象とした。. る。. ところで,先行研究の多くは,当時の「学校管理法. 一方,直接的には本稿の先行研究とはならないが,. 書」「学校経営書」を分析資料としたが,それらは「学校. 1990年代後半から,歴史研究における資料が持つ一定. 経営研究の著書が主に小学校教師とくに校長・教頭を対. の限界を指摘し,その限界を超える試みを志向する研究. 象に書かれたもの(8)」であり,それを原因として,学校経. が,少数ではあるが見られるようになった。. 営における歴史研究は,小学校を対象とした研究が中心. 例えば,水本は,「これまでの大正期の学校経営論に関. となっている。また,高野は,法規や「学校管理法書」. する研究は,その対象が学校経営に関する規則といわゆ. 「学校経営書」などを中心におこなった,戦前の職員会. る学校管理法書及び学校経営書に限られており,学校組. 議の研究において,「中学校レベルにおいても,いくぶ. (3). 織とその経営の複雑な側面を捉えきれていない 」と指摘. ん表現のちがいはあれ,事情は同じであったとみられる. し,大正期をはじめとする,明治期から現代にいたる小. (9). 学校における職員室の形成と意味づけをおこなった一連. を紹介し,小学校との相違をニュアンスの差である(10)と. の研究(4)において,「学校管理法書」「学校経営書」だけで. 結論づけている。このように,先行研究においては,主. なく,「教育雑誌」の記事などを対象とし研究している。. に小学校を対象とした研究成果をもって,中学校の学校. また,平井は,「理論や制度面のドラスティックな変貌と. 経営が述べられてきた経緯がある。それに対し,本稿は. 実践面の変化との間には,ある程度の乖離が存在してい. 旧制中学校を対象としたことにより,戦前の学校経営研. (5). 。」として,数校の中学校の職員会議に関する校内規則. る 。」と述べ,「教育雑誌」「学校沿革誌」を分析資料に. 究において,学校組織における職員会議機能に関して,. 用い,尋常小学校における学級担任配置が校長の学校経. 新たな知見を提供できる可能性を持っていると考える。. 営的な領域となる過程を検証している。また,平井は,. 本稿は,以上の 2 点を特徴に持ち,特に,先行研究が. 第三次小学校令(明治33年)改正時に小学校長が,教育的. 内包する資料の性質に起因する限界を超える可能性を持. 指導者としての性格づけが確定されたことを明らかにし. つ研究である点に意義を見ることができると考える。. (6). た研究で,「森有礼演説」資料などを利用している 。ま. また,明治後期及び昭和戦中期における職員会議機能. た,元兼は戦前期の校長の法的地位に関する研究におい. の解明を試みることは,現在の学校経営改革を考える上. (7). て,高等学校「周年誌(沿革誌)」などを用いている 。. で,重要な示唆を与える可能性がある。周知のように,. 確かに,これらの先行研究は,より実態に近づくため. 2000年の「学校教育法施行規則改正」により,職員会議. に,「教育雑誌」,「周年誌(沿革誌)」,「演説」資料などを. は学校の補助機関であると規定された。1990年代から展. 分析資料として用いており,一定の成果をあげている。. 開した学校経営改革は,学校の自主性・自律性の確立と. しかし,これらの研究に関しても,「教育雑誌」「周年誌. 並んで,校長の裁量権限と責任の拡大を求めた。この改. (沿革誌)」 「演説」などの資料から,記述の断片性や偏. 革の展開過程において,校長の意思決定への関わりを重. り,模範性,誇張などを排除することは難しく,幅広い. 視した学校組織運営確立の観点から,評議員制度や学校. 裁量領域を内包する学校の経営実態を探究する資料とし. 評価の導入と並んで,職員会議の学校の意思決定システ. ては,未だに課題を持つと考えられる。. ムにおける補助機関化が規定された。しかし,これに対. それらに対し,本稿では,第一次資料である職員会議. し,中嶋は,自律的学校づくりには,教職の専門性,学. 録を分析資料として用いることを試みるものである。職. 校教育活動の共同性などから,教職員の意思決定・合意. 員会議録は,その性質上,公表を前提とせず,校内記. 形成過程への全面参加が不可欠である(11)としている。ま. - 60 -.

(3) た,小島は「専門的意思が学校の意思となるプロセスに. あり,時代を隔てた比較分析が可能であると考えた。. 職員会議があることは確認しておきたい。それが教職員. 本稿は事例研究であり,単純にその結果を一般化する. の中に全校的教育問題への関心を作り,問題を共有し,. ことには問題が残る。しかし,各時代の法令や行政制度. 問題解決の意欲と行動を生むことになる(12)。」と述べて. の下で,学校が現場組織の裁量として,意思決定シス. いる。これらの指摘からもわかるように,職員会議は法. テムをどのように構築し,職員会議にどのような機能を. 的には,意思決定システムにおいて補助機関として位置. 付与していたかという,学校現場の外部環境に対する組. づけられたが,教師の協働性や同僚性を高める視点から. 織的適応化の可能性の考察を試みた。したがって,本稿. も,その機能は重要であり,現在の学校経営において,. は,先行研究が持つ限界を超える資料源を用いた実態研. 職員会議をどのように位置づけ,再構築すべきかが重要. 究として,学校経営研究が持つ課題の一端を明瞭とする. な課題となっている。確かに,これまでの職員会議は,. 議論の糸口を提供する意義を持つと考える。. 過度の政治化やイデオロギーの対立などにより,教師の 議論による意思決定が困難となる事態も生まれ,信頼性. Ⅱ 戦前の中学校と職員会議. が低下するなど問題視された面もある。しかし,専門職. 1 戦前の中学校. 集団による特有で複雑な組織と捉えられることの多い学. 本稿が対象とする明治後期である1896(明治29)年度から. 校組織において,より効果的な学校経営を目的に,職員. 1911(明治44)年度及び,昭和戦中期である1936(昭和11)年. 会議を補助機関とし,校長の意思決定を,その強い権限. 度から1942(昭和17)年度に関して,旧制神戸一中の置かれ. に依って,実現することを目指す官僚制原理の導入を試. た状況を,本稿の分析における背景理解として必要な範. みる現在の学校経営改革の方法論には疑問が残る。. 囲で整理しておきたい。. このような疑問に対して,本稿が,絶対的な官僚制の. 明治期の近代教育体制は,1886(明治19)年の中学校令に. 下にあった明治後期,および軍国主義の台頭による絶対. より確固たる基盤が確立された。その後,日清戦争を境. 的な上意下達の官僚制支配の一端に学校組織もあったと. とし,学校就学率向上と,日本経済の発展にともない,. される昭和戦中期の旧制中学校における職員会議の機能. 中等学校への進学者が増加し,尋常中学校は次第に拡張. を考察することは,現在の学校経営改革の課題である職. されていった。兵庫県下においても,それまでは兵庫県. 員会議の機能に関する議論に,新たな知見を提供できる. 尋常中学校(現,県立姫路西高等学校)1 校があるのみで. 可能性を持つと考える。. あったが,1896(明治29)年に,本稿の対象である旧制神戸 一中と豊岡尋常中学校(現,県立豊岡高等学校)が設立. 2 研究方法. された。また,明治30年代後半から40年代にかけては,. ここで,本稿における具体的な研究方法について述べ. 中学校拡張にともない,各県が中学校通則などを定めた. たい。研究方法は,最初に明治後期の『職員會決議録』. ことを背景に,中学校はそれまでの藩校の雰囲気を残し. 及び昭和戦中期の『職員會議記録』から職員会議の議題. た塾風の運営から,学校諸規則に準じて運営される近代. を分類・整理し,次に,職員会議議題の分類・整理に基. の学校へと急激に変化を見せた(13)時期とされており,こ. づく量的な比較分析から,両期間における職員会議機能. の時期が『職員會決議録』に記載され明治後期として分. を考察し,最後に,量的分析から見えてきた職員会議機. 析対象とした期間と概ね重なっている。. 能に対して,事例を用い質的な考察を試みた。. 1925(大正14)年,中等教育における軍事教育が導入さ. 分析対象とした旧制神戸一中の職員会議録は,それぞ. れ,この制度は,この後の中学校教育統制の基礎とな. れ表紙が付けられ一冊に綴じられた状態で,明治後期. る。昭和初期には,中学校は入学志願者の増加と,高等. 『職員會決議録』の16年間分と,昭和戦中期『職員會議. 教育拡張施策に関連し,1935(昭和10)年には557校と. 記録』の 7 年間分が,兵庫県立神戸高等学校に保存され. 増加するなど,顕著な普及をみることとなる。また,. ており,筆者が直接現地にて入手したものである。『職員. 1935(昭和10)年の「国体明徴」後,1937(昭和12)年から開. 會決議録』『職員會議記録』の記録方法を比べると,表. 始された国民精神総動員運動の一環として中学校におい. 記方法は時代と共に若干変わってくるが,両時期の職員. て,勤労作業が開始され,続いて1941(昭和16)年軍隊組織. 会議録とも,事例校校名の入った罫紙に,職員会議開催. をモデルとした学校報国団組織が中学校で確立する。そ. 日が記され,議題,議題に対し会議において出された追. して,同年12月の太平洋戦争の開始と共に,中学校も本. 加・確認事項,出席者名などが,手書きで記録され,概. 格的に戦時体制へ巻き込まれていく。. ね一定した記載方法,記述内容となっている(具体例を. 『職員會議記録』に記載された昭和戦中期は,「国体明. 「Ⅵ 職員会議機能に関する考察」において〔事例 1 〕. 徴」と,その後の国民精神総動員運動により中学校にお. 〔事例 2 〕として記述)。したがって,保存されている状. いても勤労作業が開始され,学校組織が報国団へ改組さ. 況や職員会議録の記録方法から,資料内容として同質で. れるなど,まさに中学校が全体主義・戦時体制に組み込. - 61 -.

(4) まれ,教育活動や学校経営においても,大きく影響を受. 昭和初期にかけて,教育科学的学校経営と呼ばれる学校. ける時期である。. 経営の萌芽を見ることとなる (19)。この時期の職員会議で は,自主性が主張されるようになり,一方的な上意下達. 2 戦前の職員会議. や諮問機関としてのみの役割ではなくなり,教師の協議. 戦前の職員会議に関する先行研究は,職員会議が法令. 性を重視するようになってくる(20)。. で設置が定められたものでなく,慣例上設置された会議. しかし,1935(昭和10)年の「国体明徴」により,学校経. であるため,保存された関係資料が希少であることな. 営は必然的に,復古主義の学校経営となり,1937(昭和. どを要因として,ほとんど見ることができない。管見の. 12)年日中戦争の勃発,同年10月国民精神総動員運動が. 限り,白川による樟蔭女子専門学校の昭和戦前期『職員. 展開され,日本のファシズムが本格化すると,大正期か. 會誌』を中心資料に,昭和初期における中等教員免許無. ら昭和初期にかけての自由教育運動などに厳しい弾圧が. (14). 試験検定の許可獲得とその経営上の意義に関する研究. 加えられ,再び明治以降の学校管理法のとった法規万能. があるが,この研究も職員会議録を分析対象としている. 主義,国家統制強調主義への学校経営に逆戻りする時代. が,本稿が課題としている職員会議の機能とは関係して. とされている (21)。. いない。また,近年の学校経営における歴史研究の状況. このように,戦前の職員会議は「教育法制上一度も法. (15). が,高野桂一や中留武昭などによる系譜研究の著作 が. 律化されたことはなく,慣行あるいは慣習法上の校長の. 1970年代後半から1980年代に出された後,現在は学校経. 諮問機関あるいは意思伝達機関という性格が強かった. 営研究における歴史研究の使命が終わったかのように,. (22). その数を減らし,研究方法上の価値が意識されない傾向. い権力的体制のなかで校長の意見のみが通り,教員はし. (注4). にある. ことも,先行研究を,近年の研究で見ることが. 。」「その機能の実態においては,上下身分関係の色濃. ばしば卑屈にも口をつぐまざるをえなかったのである. できない要因である。したがって,ここでは,戦前の学. (23). 校経営と職員会議の機能についての通説的な理解を,そ. 一時期,民主的な職員会議運営の胎動もみられたが,基. の後の系譜研究の視座を提供したと指摘されている高野. 本的には,上意下達の官僚制機構における会議運営が実. の研究成果に依って,以下に整理しておく。. 践されていたとされている。. 。」と述べられ,大正期を中心とした新教育思潮期に,. 明治後期は,学制公布以降,民衆に学校教育が受容さ れたことにより,学校規模が拡大した時期である。学校. Ⅲ 旧制神戸一中における職員会議と校長. 経営においては,校長の必置制と校長権限の具体化,職. 前章において,明治後期及び昭和戦中期における中学. 員会議発生や校務分掌組織の体系化など学校の組織化が. 校が置かれた社会的・制度的背景や,数少ない先行研究. 進み,それが権力的な命令服従関係として体系化され,. における職員会議の通説的理解を整理した。次に,旧制. 法規万能主義とでも呼ぶべき上からの法解釈の貫徹に. 神戸一中における職員会議の校内規定と,学校経営に大. よって,学校管理が定着した時期として特徴づけられる. きな影響を持った可能性のある事例校校長の経営姿勢な. (16). どについて,学校保存資料より推察する。. 。. 職員会議は,明治初期より持たれていたが,当時の明 治絶対主義(天皇)官僚制下において,学校経営体の独. 1 旧制神戸一中の職員会議. 自の要求や職場運営のレベルで教師集団の意思を結集. 旧制神戸一中における職員会議は開校当初より設置さ. するという性格のものではなく,教育行政の直接的要求. れ,『職員會決議録』冒頭に記録された「職員規約」によ. として,教員代表などを選出して諮問する行政諮問機関. り規定されている。規約では,職員会議を. (17). にすぎなかった 。その後,明治20年代前後には,学校. 「職員會ハ固ヨリ道義的ナモノナレバ前ニ会議法ニ因ラ. (=行政)管理的発想から学校経営的発想が分化する過. ズ」. 程と軌を一にして,学校を一つの有機的経営体として捉. としており,近代的な会議のルールに則った意思決定機. える中で,近代的な機能を持つ職員会議が形成されてき. 関として存在するものではなく,学校管理上の教職員の. た。しかし,明治20年代以後の職員会議も,近代的職員. 意思の疎通や統一機関であることを示していると考えら. 会議の原型ではあるが,真に教師の意思の集団的反映の. れる。また,. 場ではなかったとされている. (18). 。. 「職員會ニテ決議セン件ヲ實施スト否トハ全ク校長ノ意. 大正期になると,学校経営においては,欧米からの民. 見ニアルモノトス」. 主主義思想の導入を背景に,新教育思潮・制度が運動化. としており,職員会議の決議より校長の意見が上位にあ. し,明治後期の教育行政官や官学者による「上から」の. ることを規定していることがわかる。これらは,戦前の. 学校管理論時代に対し,現場実践家の「下から」の学校. 職員会議について「戦前の職員会議が,形式上教育をめ. 経営論が現れはじめた。これらの動きから,大正期から. ぐる学校経営固有の要求から教員全員の参加による学校. - 62 -.

(5) 諸活動についての話し合いの場であったことにはちがい. は一中の校長であって二中の方は兼務であるからと云つ. はないが,その話し合いがいわゆる教師集団として意思. て決して兩校の間に甲乙を附けようとは思わぬ(26)。」と. の集約や反映というより,校長の管理に必要なかぎりで. 述べており,少なくとも開校当初は職員会議の運営方法. の教師個々の意見聴取や校長の意思による統一の場であ. に関しても,両校の間に大きな違いが有ったとは考えに. (24). るという性格が強かった 」とし,実質的に民主的会議. くい。これらの資料は,鶴崎校長期の旧制神戸一中の職. とはほど遠いと認識されている当時の職員会議の状況に. 員会議が,校長の単なる上位下達,諮問機関にとどまら. 一致している。. ず,教師同士による意思の集約・決議の場として機能し ていた可能性があったことを示唆していると考える。. 2 2人の校長 旧制神戸一中は初代校長鶴崎久米一が,開校時から. (2) 池田多助校長と職員会議 -昭和戦中期-. 1923(大正12)年 6 月まで17年 2 ヵ月という長期にわたり校. 昭和戦中期における,事例校の職員会議に関する規約. 長として在職し,その後旧制神戸一中 3 回生である 2 代. 等は残っていなかったが,先行研究などからも,規則上. 目校長池田多助が1924(大正13)年 2 月から1945(昭和20). は,校長が強い権限を持つ状況に変化はなかったと考え. 年10月までの21年 8 ヵ月在職しており,戦前期を通じて,. られる。また, 2 代目校長池田多助期の職員会議に関する. 2 人の校長により学校経営が実施されていた。したがっ. 実態が直接記述された資料を見つけることはできなかっ. て,明治後期及び昭和戦中期とも,ひとりの校長により. た。唯一,職員会議について記録されている内容とし. 学校経営がなされていたことになり,校長の交代に影響. て,池田校長を偲ぶ座談会の記録で,元教頭が「そう,. された職員会議の機能変化が少ないと考えられ,長期間. 職員会議でもね,先生は黙って坐っていらっしゃる。こ. の記録から学校経営の特徴を分析するには適した事例で. ちらから案を出すと先生がうなずかれる。それで会議は. あると考えられる。一方,ひとりの校長による長期間に. 終わりなんです。お蔭で会議は早くすみましたよ(27)。」と. わたる学校経営には,校長の個性が強く反映していたと. 述べている。この記述は,昭和戦中期の職員会議が,明. 考えられることから,次に,教師の回顧録などの資料か. 治後期の職員会議と大きく異なる状況であったと推察で. ら,両校長時の職員会議の実態について,可能な範囲で. きる内容である。. 推察したい。. 以上, 2 人の校長の学校経営姿勢の一端を示すことを目 的に,回顧録などわかる範囲で,職員会議の実態を推察. (1) 鶴崎久米一校長と職員会議 -明治後期-. したが,当然,資料の実証性や妥当性において課題を残. 前節で整理したように,旧制神戸一中でも規定上は,. している。そこで,次章以降において,より客観的・実. 職員会議においては,校長に絶対的上位制を定めている. 証的に実態を考察することを目的として,事例校の職員. ことがわかった。一方この内容に反して,鶴崎校長が,. 会議記録を分析する。. 1909(明治42)年の開校時に初代校長を兼務した兵庫県立 第二神戸中学校 (注5)(以後,旧制神戸二中と記す。)の資料. Ⅳ 職員会議議題の整理. に,職員会議の実践的な運営が教師集団の意思の集約・. 1 明治後期の職員会議内容. 決議の場としての機能する面があったことを示唆する資. (1)職員会議の概略. 料が残る。そこには, 「或問題が起ると互に其の主任たる. 1896(明治29)年度から1911(明治44)年度の16年間に,開. 学年に據って対抗して下らなかったり,会議の時などに. 催された定例会は119回,1901(明治34)年度以後は原則と. は論戦夜に入りても妥協の途になく, 1 個の協議題に数日. して 1 年に 8 回(4,5,6,9,10,11,1,2月),月の最終金曜日に. を費したり,問題によっては主義を同じうする者が各々. 開催されていた。また,臨時会は総数14回,最も多かっ. 共同の陣を張って互に切磋琢磨をし,互に影響感化する. た年が1903(明治36)年度の 4 回である。1909(明治42)年度. 点からは此の上もない試練の道場であった。数代の校長. 以降の記録の一部に職員会議の開会と閉会の時間が記録. の下に教務主任として此等の群雄を駕御せねばならな. されており,会議時間は,最短で40分,最長で 1 時間40. かった上野先生は余程骨を折られた事であろうと同情に. 分,平均 1 時間強であった。. 耐えない。(『武陽』33号). (25). 」と記録されている。この記. また,各議題に「審議」「決議」と「報告連絡」など. 述は,職員会議が校長の絶対的な上位制の下で単なる教. の区別は記録されていない。初期の記録では,各職員会. 師個々の意見聴取や校長の意思による統一の場であるの. 議記録の冒頭に「決議事項」と記述し,その後,各議. ではなく,教師による決議の影響が大きいことを推察さ. 題が記載されている例や,すべての議題の最後に「以上. せる内容である。. (右)議決」などの記載が見られる。また,そのような. なお,この資料は旧制神戸二中の職員会議についての. 記載がなくなる明治30年代以降は,議題ごとに「決議」. 記載であるが,鶴崎校長が旧制神戸二中において,「私. 「異議ナシ」などと記録されたものを見ることができ. - 63 -.

(6) 表1 旧制神戸一中職員会議 議題一覧表 1896(明治29)年度~ 1911(明治44)年度. る。実態としては,議題内容に応じて,職員会議におい. 治を教育目標とし,鍛錬教育を実践したことから多く議. て協議が必要であったと推察される議題と,報告連絡の. 題提出され,また校長が職員会議で直接教師に具体的な. 議題が混在しているが(職員会議録の例を記述した「Ⅵ. 指導内容を依頼することが多いのも特徴である。議題内. 職員会議機能に関する考察」〔事例 1 〕を参照),職員. 容としては,帽子・靴・シャツなどの服装に関する注意. 会議に出される議題の多くは,その都度の決議記録の有. が多い。他にも,寄宿舎における喫煙に対する注意,落. 無にかかわらず,会議において協議可能な状況であった. 書き・盗難に対する注意や,改装工事中の注意事項,生. と,その記録方法から推察できる。. 徒の言葉遣いへの注意などさまざまな内容である。ま た,校長が直接依頼したと記録されている議題は,教師. (2) 議題内容の整理と集計. の校内巡視制の再開,季節の異なる冬帽子を着用する生. 「表 1 」は明治後期の職員会議議題を 5 分類13項目に分. 徒や靴をはかず草履を履く生徒への厳重な取り締まりの. け,それぞれの項目の代表的な議題とその件数を一覧表. 依頼,机や校舎の板への落書きの注意など,細かな事で. に示したものである。. 校長が目にしたことに対する取り締まり依頼などが多. 定 例・ 臨 時 の 職 員 会 議 に お け る 議 題 総 数 は662件 で. い。. ある。そのうち,頻度が高かった項目は,「行事」(193. 「親睦会・校友会予算」は,教職員の親睦会である「鳩. 件)29.2%,「生活指導」(151件)22.8%であり,この 2 項目. 巣会」の積立金額変更や,義援金・寄付金の支出,日露. で議題の半数を超える。残りは,「親睦会・校友会予算」. 戦争時の国債購入,校友会活動に必要な備品購入の決議. (77件)11.6%,「教務一般」(64件)9.7%の 2 項目の頻度が. などが主な内容である。「教務一般」は,定期考査の採点. 比較的高い。. に関する内規や成績提出方法,出席簿の記載方法,教科. 「行事」は,7 月~ 10月の夏時間(7時始業)と,11月. 書変更に関すること,授業見学に関する手続きなどが主. ~ 6 月の冬時間(8時30分始業)の切り替え,遠足・一日. である。また,「教務一般」において,校長からの依頼と. 旅行・修学旅行などの日程・行き先,定期試験の日程,. して明記されている議題としては,転学に関する制度を. 成績評価報告の日程,運動会・卒業式の日程に関してな. 新たに設ける際に,その具体的内容は一切校長に任せる. ど,ほぼ定期的な行事日程に関する議題が主であった。. こと,教科書に関して 5 年間くらいは変更せず同一の教. 次に「生活指導」は,鶴崎校長が質素・剛健・自重・自. 科書を使用すること,病気などによる退学生徒の希望に. - 64 -.

(7) 表2 旧制神戸一中職員会議 議題一覧表 1936(昭和11)年度~ 1942(昭和17)年度. 内容が大多数を占めている。具体的には,年度当初 4 月. よる原級への復学承認などが提出されている。. の職員会議では,組主任(学級担任)に対して,生徒座. 2 昭和戦中期の職員会議内容. 席表原稿提出,復学・退学・休学者などの調査報告の依. (1)職員会議の概略. 頼である。その他,授業方法に関して,教材の精選,基. 1936(昭和11)年度から1942(昭和17)年度の 7 年間に,開. 礎事項の徹底や,生徒の向学心を助長する工夫,教授法. 催された定例会は75回,臨時会は 3 回であり,職員会議. の研究などの依頼である。また,学期末の職員会議にお. の総数は78回となり 1 年に概ね10 ~ 12回の開催となって. いて,成績提出,成績不良者に対する処置,長期休業中. いる。開催時期は各学期の始まる直前( 4 ,8 ,1 月)に. の宿題,学期末事務整理(成績処理,参考簿記入)など. 準備会議を開催し,それ以外は月末の平日に開催されて. が議題となっている。. いた。また,議題の記載が「行事」「報告其他」「議事」. 「行事」は,職員会議ごとに 1 ヶ月間の行事予定が報. と区別されているが,職員会議で協議が行われた「議. 告されている。それ以外に,遠足,長期休業中の旅行,. 事」として提出された議題は,1936(昭和11)年度の 6 件以. 体育大会,父兄会など行事に関する報告である。「服務」. 外見ることができず,「行事」「報告其他」の議題におい. は,出勤簿捺印,欠勤届提出,休暇中旅行届提出,宿直. ても記録からは,協議された痕跡を見つけることはでき. 勤務に関して,教員間の連絡,職員室整理,参考簿の整. なかった。. 理などである。「生徒指導」は,学校長訓話・学校の命令. (2) 議題内容の整理と集計. 指導などである。「授業・教科指導」は,補習授業につい. 「表 2 」は,昭和戦中期の議題を 6 分類14項目に分け,. て,教材の精選,予習・復習の徹底,寒稽古中の授業に. それぞれの項目の代表的な議題とその件数を一覧表に示. ついて,休暇中の補習補充授業など,「総務事務」は,生. 通達の徹底,服装・姿勢・態度の保持,校外保導,朝礼. したものである。定例・臨時における職員会議の議題総. 徒乗船割引券希望調査,各科図書不足の報告,清掃に関. 数は864件である。そのうち,頻度が高かった項目は,. して,電話使用に関してなどがある。. 「教務一般」(179件)20.7%,「行事」(160件)18.5%,「服 務」(108件)12.5%,「自治・校友会(報国団)」(101件). Ⅴ 明治後期と昭和戦中期の比較. 11.7%であり,この 4 項目で議題総数の 6 割を超える。残. 1 分析方法. りは,最も多い項目で「生活指導」(68件)7.9%であり,. 明治後期,昭和戦中期における議題の整理をもとに,. 続いて「授業教科指導」(49件)5.7%,「総務事務」(43. 明治後期と昭和戦中期における職員会議の量的な比較分. 件)5.0%と,これらの項目は,上位 4 項目に比べ頻度は. 析をおこなう。. 半数近くまで減少する。. 明治後期と昭和戦中期では,学校を取り巻く外部環境. 「教務一般」は,定期的に職員会議において依頼される. が大きく異なり,それらは学校経営にも大きな影響を及. - 65 -.

(8) ぼしていると考えられる。一方で,外部環境が大きく変 化しても,学校経営として変化しない要素も存在する可 能性がある。したがって,学校経営の一端である職員会 議においても,外部環境の影響を受け変化する要素と, 変化しにくい,もしくは変化しない要素が存在すると仮 定し,それらについて比較・抽出することを目的に分析 を試みる。 分析方法として,各職員会議の項目の総件数・年平均 件数(各項目件数/明治後期16年(調査期間)・昭和戦 中期 7 年(調査期間))・割合(各項目件数/議題総数× 100)などの変化を比較する。一方,比較対象となる両期 間の対象年数が明治後期16年間と昭和戦中期7年間,また 1 回の職員会議における議題数も明治後期約5件,昭和戦 中期約11件と大きく異なるため,割合などによる単純比 較で,両時期の特徴を一律に分析するには課題が残る。 したがって,総件数・年平均件数・割合などの比較に加 えて,具体的な議題内容まで考慮に入れることにより, 旧制神戸一中における両期間の職員会議の変化を仮説的 に分析した。なお,以下,議題の各分類別・項目別の集 計結果を,特に明記のない限り(総件数・年平均件数・ 割合)の型で表記する。. 2 全体 「表 3 」は明治後期および昭和戦中期の議題を 6 分類15 項目に分け,それぞれの項目の総件数・年平均件数・割 合を一覧表に示したものである。明治後期は16年間で議 題総数662件,年平均件数41.4件に対し,昭和戦中期は 7 年間で議題総数864件,年平均件数123.4件となる。両期間 において, 1 年間における職員会議の議題総数を単純比較 すると,昭和戦中期が明治後期の約 3 倍になっている。 これらのことは,両時期を比較して,職員会議におけ る議題の内容や,職員会議自体に質的な変化があった可 能性を示唆していると考えられる。. 3 教務関係 分 類 別 で は,『 教 務 関 係 』 明 治 後 期(107件・6.7件・ 16.2%)・昭和戦中期(228件・32.6件・26.4%)と昭和戦 中期において,年平均件数・割合とも増加している。 項 目 別 で は,「 教 務 一 般 」 明 治 後 期(64件・4.0件・ 9.7%)・昭和戦中期(179件・25.6件・20.7%)と昭和戦 中期に著しい増加が見られる。明治後期における「教務 一般」の内容は,定期考査の採点方法の改正が数回議題 として提出されている。他には,教科書変更に関して, 成績不良生徒の父兄への通知方法など,職員会議開催時 に課題となっている事項について議題として提出されて いることがわかる。一方,昭和戦中期における「教務一 般」の内容は,毎年定期的に実施される事務的な報告連 絡である。具体的には,復学・退学・休学者の調査報告 - 66 -. 表3 旧制神戸一中職員会議 議題項目比較表.

(9) など事務処理依頼や,教材の精選,基礎事項の徹底や,. 昭和戦中期には教師への報告連絡会議へ変更したことを. 生徒の向学心を助長する工夫など教授方法などの一般的. 示唆している可能性がある。. かつ些細な内容となり,その結果件数が増加している。 次 に「 授 業 教 科 指 導 」 は, 明 治 後 期(30件・1.9件・. 5 生徒指導関係. 4.5 %)・ 昭 和 戦 中 期(49件・7.0件・5.7 %) で あ り, 年. 分類別では,『生徒指導関係』明治後期(181件・11.3. 平均件数では昭和戦中期が多くなっている。しかし,両. 件・27.3%)・昭和戦中期(169件・24.1件・19.6%)と,. 期間を通じて,職員会議において議題提出される回数が. 昭和戦中期の年平均件数は増加するが,割合としては減. 他の項目に比べ相対的に少ないのが共通した特徴であ. 少する。. る。 一 方,「 成 績 算 出 方 法 」 は, 明 治 後 期(13件・0.8件. 項目別では,「生活指導」は明治後期(151件・9.4件・. ・2.0%)でのみ取り上げられた議題である。明治後期にお. 22.8%)・昭和戦中期(68件・9.7件・7.9%)と年平均件数. いては,定期考査における平常点の取り扱いや,成績規. はほぼ同じであるため,割合としては昭和戦中期に激減. 程の見直しなどが議題となっている。これは,開校期に. していることがわかる。具体的には明治後期は,制服や. 学校として,成績処理の適切な方法を,実践しながら作. 靴などの着用方法の注意や,制服規定の改正提案などが. り上げていく過程があったことの反映であると推察でき. 主である。一方,昭和戦中期には具体的な指導依頼は少 なく,「学校長の訓辞並びに学校の命令通達などの徹底に. る。. 努める」などの一般的な注意事項を,定期的に職員会議. 4 総務関係. に提出しているのが主である。「自治・校友会(報国団). 分類別では,『総務関係』明治後期(270件・16.9件・. 活 動 」 は 明 治 後 期(16件・1.0件・2.4 %)・ 昭 和 戦 中 期. 40.8 %)・ 昭 和 戦 中 期(255件・36.4件・29.5 %) と 総 件. (101件・14.4件・11.7%)と昭和戦中期が件数,割合と. 数に占める割合は,昭和戦中期が減少しているが,年平. も大幅に増加した項目である。具体的には,明治後期に. 均件数では昭和戦中期が倍以上に増加している。項目別. は部の新設や,運動部の校外試合規程,賞状賞牌授与規. で は「 親 睦 会・ 校 友 会 予 算 」 明 治 後 期(77件・4.8件・. 程など開校後に順次制度化するべき事項が議題として提. 11.6%)・昭和戦中期(12件・1.7件・1.4%)と昭和戦中期. 出されていると考えられる。一方,昭和戦中期には,長. では予算関係がほとんど職員会議に提出されなくなって. 期休暇中の部活報告,部予算報告,部役員決定報告など. いる。具体的な明治後期の議題は,校友会費からの積立. 定期的な報告連絡が中心であり,結果として件数も増え. 金,備品購入,国債購入などである。昭和戦中期の議題. ている。. 12件中,校友会の決算提出の事務依頼が 4 件であり,残 りは補習科授業料徴収開始,水害罹災者義捐金募集,戦. 6 教職員関係. 死傷病軍人子弟学費補助などである。. 分類別では,『教職員関係』明治後期(52件・3.3件・. 「行事」は明治後期(193件・12.1件・29.2%)・昭和戦. 7.9%)・昭和戦中期(129件・18.4件・14.9件)と昭和戦中. 中期(160件・22.9件・18.5%)と年平均件数は昭和戦中. 期に件数,割合ともに,大きく増加している。. 期が増加するが,割合としては減少する。具体的には,. 項目別では, 「服務」が明治後期(24件・1.5件・3.6%) ・. 両期間とも職員会議において月行事予定連絡が中心とな. 昭和戦中期(108件・15.4件・12.5%)と昭和戦中期に件. り,その他として各種学校行事の連絡である。昭和戦中. 数・割合とも著しく増加している。明治後期の具体的な. 期の件数が増加した理由として,明治後期と比べ,臨海. 内容は,休日出勤依頼や,職員会議内容の守秘などであ. 演習や富士山登山など学校行事数自体が増加している点. る。昭和戦中期には,出勤簿捺印,各種届出,机上整理. などが考えられる。「保健」昭和戦中期(40件・5.7件・. 依頼など定期的で些細な報告連絡が大部分を占めている. 4.6%),「総務事務」(43件・6.1件・5.0%)とも,明治後. ため,件数が増加している。「人事連絡・委嘱」は明治. 期には職員会議に議題提出されない内容である。「保健」. 後期(15件・0.9件・2.3%)・昭和戦中期(20件・2.9件・. の具体的内容は,集団検査,集団検診について虚弱者へ. 2.3%)と昭和戦中期において,年平均件数が増加する。. の監視,負傷者への注意などが主である。また結核予. 両期間とも,具体的な内容に大きな変化はなく,学校行. 防,各教室の衛生設備環境への依頼事項が目立つ。「総務. 事の委員委嘱や,欠員補充委嘱などであり,校務分掌の. 事務」の具体的内容は,交通機関割引券,図書整備,清. 委嘱は,両期間とも職員会議の議題として提出されてい. 掃についての依頼などである。これらが,明治後期に職. ない。「職員親睦」は明治後期(13件・0.8件・2.0%)・. 員会議へ議題として提出されていない理由として,交通. 昭和戦中期( 1 件・0.1件・0.1%)である。明治後期の. 機関割引券などは制度的な有無が考えられる。一方で,. 具体的内容は,職員親睦団体である「鳩巣会」の役員委. 昭和戦中期に総務事務が職員会議で議題となるのは,職. 嘱,各種行事などが職員会議の議題となっている。一. 員会議の機能が明治後期の審議を中心とした内容から,. 方,昭和戦中期には,1936(昭和11)年に夜間中学校教職員. - 67 -.

(10) の鳩巣会加入が審議議題となっているだけである。. 理由現今生徒用「シャツ」ハ區々ニシテ過半ハ半袖 ニテ臂ヲ覆ハサルモノヲ着用セリ。右ハ器械体操ノ. 7 時局関係. 際痛ヲ感スル結果活動ノ不十分ナル点ヲ認ム。甚ダ. 時局関係は,昭和戦中期(29件・4.1件・3.4%)にのみ. シキハ肘及掌首ニ負傷ヲ来ス場合モアル等障害不尠. 記録される議題であり,学校組織が戦時体制へ組み込ま. 依リテ一般ニ袖付キシャツニ改メサセタシ(●●教諭. れていく過程において,職員会議などで作業勤労奉仕,. ノ希望). 報国団への改組,非常演習などが議題として提出されて. 決議 体操科教師ヨリ生徒一般ニ袖付キ「シャツ」ヲ着. いる。. 用スルコトヲ奨励シ漸次改メシムル事 一 温故會ニ関スル件. 8 小括. 毎年夏季休暇ノ始メニ於イテ卒業生招待茶話會ニ. 明治後期と昭和戦中期を比較し,昭和戦中期の職員会. 引キ續キ温故會ヲ開ク例ナリシモ近来ハ出席者少ナ. 議が回数・議題数とも増加していることがわかる。ま. ク兎角不振勝チナルハ遺憾ノ次第ナルヲ以テ組織方. た,質的変化として,明治後期の職員会議は,その時に. 法ヲ改ムルノ必要ヲ認メルモ別ニ考案モ出来居ラサ. 実践上必要と考えられる具体的な内容で,全教師間で共. ルニヨリ当分ハ開會ヲ未定トシ或好期(仮令ハ觀艦. 通理解の必要な議題が取り上げられている傾向がある。. 式又ハ多数寄合フ場合)ニ於テ臨時開クコト丶シタ. 一方,昭和戦中期では,1936(昭和11)年以降,決議事. シ。(●●教諭希望). 項がなくなり,報告事項のみになることを反映し,職員. 異議ナシ. 会議において議論が必要な内容がほとんど提出されなく. 一 活動冩眞ヲ生徒ニ観覧セシメサルノ件. なり,教師への報告連絡事項が多くを占める。これらの. 近来湊川新開地等ニ於ケル活動冩眞中ニハ淫猥ナル. 質的変化は職員会議の機能が変わったことを示している. モノ等アリテ教育上益スル所ナキ□□ナラズ却テ有. と考えられる。そこで,次章において,両期間における. 害ナルヲ認ムルヲ以テ生徒ノ観覧ヲ禁止シタシ。. 職員会議の機能変化について,事例的に考察する。. 決議 各主任ヨリ活動冩眞興業ノモノハ一切観覧ヲ禁止 セシムルノコト. Ⅵ 職員会議機能に関する考察. 一 工事塲ヘ立入リ妨害ヲナシ又ハ杬 ニ腰掛クル如キハ. 1 明治後期. 勿論縄張リ及杬等ニ手ヲ觸レサル様特ニ一般ヘ注意. 職員会議の機能を事例的に示すために,1910(明治. ノコト. 43)年 6 月24日開催の職員会議録を取り上げる。なお,. 一 旅行ニ関スル件. この職員会議を事例として取り上げたのは,夏期休業前. 従来本校生徒ノ一日旅行ハ學校附近ニ限ラレ居ルモ. の職員会議のため,比較的議題が多く職員会議の機能を. 年一回乃二回ハ京都奈良等ヘ長途一日旅行(滊,電. 示す事例として適切であると考えた点と,後述の昭和戦. 車ニヨリテ)ヲ行フ見込ミナリ其費用ハ前豫テ父兄. 中期においても 6 月の職員会議を事例として取り上げる ため,比較が可能であることが理由である。. ヘ通知ノ上決行シタシ(校長希望) 一 同賛成其方法等ニ付イテハ夏季休暇後更ニ協議スル コト. 〔事例1〕. 第二学期. 會議録 (要領). 〔当初予定 略〕. 明治四十三年六月二十四日(金曜)職員會. 一 生徒ノシャツハ一般夏冬論ゼズ臂ヲを覆ウモノヲ使. 出席 校長以下貮拾五名 欠席者●●,●●,●●. 用スルコト如何. 事 項. (注:記述方法は筆者が一部改。教諭名などは,筆者が. 一 授業時間変更. ●●と表記。一部読み取りが困難な文字については. 自七月一日 午前七時始業. □と表記。). 正午終業 但シ,諸稽古ハ零時半ヨリ始ム. 明治後期の『職員會決議録』は,職員会議に提出され. 一 学期試験日程等左記ノ如シ. た議題を報告連絡議題と協議議題に区別して記録してい. 〔 略 〕. ない。しがって,各議題における「決 議」や「異議ナ. 一 第貮学期ノ初日(九月十一日)ハ日曜ニ相当スルモ. シ」などの記載がある議題を協議議題と仮定して,報告. 當日ハ始業準備ノタメ一同登校ノ事 一 生徒用「シャツ」一定セシムルノ可否. 連絡議題と協議議題に区分する。報告連絡議題として 「授業時間変更」「学期試験日程等」「第二学期初日の日 - 68 -.

(11) 曜勤務」「第二学期当初予定」「工事場所への立ち入り注. 能に関する特徴は 2 点ある。 1 点目は,1936(昭和11)年度. 意」の 5 件が提出されている。また,協議議題は,教師. 以降,記録上,「議事」として提出された議題がなくなる. 提案として「生徒用『シャツ』」着用の変更」「温故会を. 点である。1936(昭和11)年度の「議事」と記録されて. しばらく開催しない件」「生徒の活動写真観覧禁止」が提. いる具体的内容は, 4 月 7 日「学級自治会研究の件」,同. 出され,決議されている。また,校長提案として「学校. 月25日「学友団の新入生歓迎の件」「夜間中学職員の鳩巣. からの一日旅行に関して費用を事前に父兄に伝える件」. 会加入の件」「積立金加入の件」, 8 月31日「休学者復校に. が提出され,教師の賛成が記録され,実施方法について. 関する件」「同一学年を三回以上繰り返す場合」の 6 件で. は 2 学期以降に協議することが決定している。また,提. ある。これら 6 件の事例を除き,以後のすべての職員会. 案者不明の議題として「生徒のシャツを年間通して臂を. 議は報告議題だけとなり,職員会議機能は報告連絡機能. 覆うものとする」意見が出されているが,決議はされて. に限定されてくると考えられる。そのことを,示す事例. いない。. として,1939(昭和14)年 7 月15日開催の職員会議を取. この事例から,明治後期の職員会議には,行事予定な. り上げる。. どを教師が周知するための報告連絡機能と,教師・校長 ともに職員会議に議題を提出し,協議の上,決議され. 〔事例2〕 . る決議機能があったことが明らかである。ただし,この. 職員会議 昭和十四年七月十五日 . 事例からだけでは,職員会議において決議されたと記録. 七月三日(月) 第一學期期末考査. されている議題に関して,職員会議以前に校長や教師間. 中略(以下,七・八月行事予定の記載 ). において,職員会議以外の場で何らかの協議や合意形成. 八月三十一日(木)第二學期準備会議(九時). がすでになされており,職員会議では形式的に協議議題 として提案された可能性は残る。この疑問に関しては,. 報告其他 . 1904(明治37)年 5 月27日の職員会議において,ひとり. 一,成績不良者,身体虚弱者ニ対スル注意ハナルベク早. の教師が成績発表に関する提案をしたが,「議マトマラズ. クセラレタシ. 宿題トナレリ」と記録され,翌 6 月24日の職員会議にお. 二,轉学希望者ハナルベク早ク申出シムルコト. いて「前例會ノ●●君ノ提案ニ関シテ協議セル結果左ノ. 三,残務整理(成績一覧表ハ所定ノ箱ニ収メ置クコト). 條々ヲ実行スルコトヽナレリ(●●は筆者による改)」. 四,各科ニテ図書整理ノコト. と記録されている事例がある。この事例は,職員会議に. 五,休暇中練習スル部ハ場所,日時,参加人員名,監督. おいて議論の末,決議を見ない場合があることを示して. 名等報告ノコト(指導方法ハ校外訓練ニ準ズ). いるが,これは逆に職員会議が協議の場としての実態を. 六,出勤簿捺印ノコト. 持っていたことを示すものであると考える。また,この. 七,休暇中旅行者ハ届出デノコト. 事例からは,職員会議以外にも協議の場があり,そこで. 八,休暇中ノ宿直ヲ失念セザルコト. 合意形成された内容が職員会議に決定事項として報告さ. 九,水泳ニ就テ(●●氏). れていることもわかる。これは,事例校における協議の. 十,臨海実習ニ就テ(●●氏). 場が職員会議だけでなく,それ以外にも存在したことを. 一一,富士山登山ニ就テ(●●氏). 示しているが,学校における意思決定や合意形成の過程. 一二,樺太旅行ニ就テ(●●氏). として,職員会議以外に,教育に関する活動を企画・立. 一三,校外保導ニ就テ(●●氏). 案する作業班が存在するのは自然であり,その存在が職. 一四,乗船車割引券ニ就テ(●●氏). 員会議の決議機能を否定するものでないと考える。ま. 一五,休暇中ノ訓練ニ就テ(●●). た,この事例以外に,職員会議に実態として決議機能が. 一六,防空演習ニ就テ(●●). あったことを示す事例として,1908(明治41)年 2 月28 日職員会議の記録がある。この職員会議では,ひとりの. 山昇リ 不許可. 教師が,職員会議議題に対する思慮を深めるために,会. キャンプ 届デシム(不許可ノ方針). 議の議案をなるべく前もって各職員に回覧することを提 案しており,これが了承されていることが記録されてい. (注:記述方法は筆者が一部改。また,教諭名などは,. る。この事例も職員会議の決議機能を裏付けるものであ. 筆者が●●と表記。). ると考える。 この職員会議においては,最初に 7 ・ 8 月の行事予定が. 2 昭和戦中期. 記録され,その後「報告其他」として,16件の議題が羅. 明治後期と比較した時に,昭和戦中期の職員会議の機. 列されているだけである。それぞれの議題に関しては,. - 69 -.

(12) 報告者名の記載がある議題と記載のない議題がある。夏. 〔事例3〕 全校競歩に関して(28). 期休業中の特別な学校行事などは担当教師が報告してい. 1942(昭和17)年11月に,旧制神戸一中が初めて全校. ることが記載方法から読み取れるが,実施内容などは一. 競歩を実施した。この企画は半年前に起案され,係であっ. 切記録されず,また議論の有無も不明である。また,担. た 3 名の教師が毎日曜日にコースを予備調査し実施案を. 当者記載のない報告は,教務もしくは総務関係のほぼ毎. 作成した。担当教師の作成した実施案では出発時刻を 1 ・. 年繰り返される報告であると推察される。この事例は,. 2 年生は午後10時,3 年生以上は午後11時としていた。「こ. 昭和戦中期の職員会議の機能から,決議機能がなくな. の一見異様な時刻に出発することには,種々議論があり. り,報告連絡機能が中心であったことを示している。. ましたが,結局時局がらでもあるからということで決. また,昭和戦中期における特徴の 2 点目として,職員. 定され,生徒にも参加上の全般の注意が説明され,先生. 会議内容が毎年概ね同じ議題の提出となる点があげられ. 方も深夜諸処の関門の配備や途中警備に就くことが了承. る。この特徴も,昭和戦中期の職員会議が報告連絡機能. され,特に生徒の父兄の厚意により,トラック一台が有. を主とする極めて事務的な会議であったことを示してい. 馬,宝塚間を七往復して,落伍する生徒の収容に当たっ. ると捉えることが可能である。. て貰えるなど,諸般の準備は万端整ったのであります。」. 例えば,事例 2 で例示した,昭和14年 7 月の職員会議. ところが,「決行の日の朝,池田先生から抗議が出され,. に提出された報告其他の全議題に関して,他年度との議. その夜の競歩を延期することはできないかとの警告でし. 題の重複について整理すると,昭和14年のみ提出された. た。」この池田校長の意見に対し,「出発時間が異様な時. 議題は,「一五,休暇中ノ訓練ニ就テ」「一六,防空演習. 刻であることや,途中不慮の災が深夜に起こってはとの. ニ就テ」の 2 題のみである。残りの議題のうち,「一,. 危惧もあり,生徒を思う衷情からの先生の御意志は十分. 成績不良者,身体虚弱者ニ対スル注意」「四,各科ニテ. に諒承はしましたものの,万端の準備も整い,各先生も. 図書整理」「五,休暇中練習スル部」 「六,出勤簿捺印」. 生徒も期待しているこの行事を延期することは,出鼻を. 「 七, 休 暇 中 ノ 旅 行 者 ハ 届 出 」「 八, 休 暇 中 ノ 宿 直 」. 挫かれて気勢を阻がれ,折角の期待感を損ずることにな. 「九,水泳ニ就テ」「一四,乗船車割引券ニ就テ」の 8 議. るなどを考え合わせ,遂に各学年の主任の先生や係の先. 題は,昭和戦中期7年間を通じて提出されており,「二,. 生と懇談会議の上,再応池田先生に御許しを願ったので. 轉学希望者」「三,残務整理」は,昭和11年度を除く 6 年. した。」と回想されている。. 間,「十,臨海実習ニ就テ」「一一,富士山登山ニ就テ」. この全校競歩に関する記録として,『職員會議記録』に. 「一三,校外保導ニ就テ」は5年間,「一二,樺太旅行ニ. は,1942(昭和17年)年10月末に実施された(実施日の. 就テ」は,台湾・満鮮と行き先は変更されるが, 4 年間提. 記録なし)職員会議記録11月の行事予定表に,. 出されるなど,ほとんどの議題が,複数年で提出されて いることがわかる。. 十四日(土) 耐久強歩ニツキ身体検査. この職員会議に提出される議題が毎年概ね同じとなる. 十九日(木) 耐久強歩ニ関スル注意(第六限). 事実は,昭和戦中期の職員会議の機能が,事務的な報告. 廿 日(金) 平常通リ授業 午后十時ヨリ耐久強歩実施. 連絡機能を中心としていたことを示唆していると考え る。. と記載されているだけであり,それ以前の職員会議にお. 3 昭和戦中期の意思決定・合意形成に関する考察. いても,具体案に関する議論や実施要綱などが提出され. 前節で,昭和戦中期の職員会議が報告連絡機能を中心. た記録は一切ない。. としていた実態に言及できた。しかし,明治後期の職員. この事例から推察される全校競歩に対する意思決定・. 会議で協議し決議されていた議題が,昭和戦中期におい. 合意形成に関する事柄を以下に抜き出す。全校競歩は,. て,どのように意思決定・合意形成されていたと考える. 約半年前に起案された後, 3 名の教師が中心となり具体. べきかが課題として残る。職員会議において決議されな. 案を作成し,種々の議論(職員会議以外の場)を経て決. い場合,校長の専決もしくは,教師集団による職員会議. 定された。また,実施については,11月行事予定表に記. 以外の場で意思決定・合意形成の可能性が考えられる。. 載され職員会議に提出されているのみであり,職員会議. そこで,昭和戦中期における事例校の意思決定・意思形. に実施要綱などが提出された記録はない。(記録では池田. 成過程の考察に参考となる事例を,神戸高等学校同窓会. 校長は11月行事予定が提出された職員会議に出席してい. 誌である『会誌 池田多助先生追悼特集号』(1966)より抜. る。)池田校長は実施当日になり,深夜出発などを理由に. 粋する。. 延期を提案したが,その後の学年主任や担当者の説明に より,最終的に実施を許可していることがわかる。 この事例から推察される意思決定・合意形成をまとめ - 70 -.

(13) ると,校長が実施当日に出発時間などを理由に,行事の. の全体主義が学校組織に浸透する中で,職員会議におけ. 延期を提案したことから,校長は実施当日になるまで. る決議は行われなくなるが,学校現場の裁量により,校. 実施要綱について詳細には把握していなかった可能性が. 長が上意下達で組織を運営するのではなく,教育活動に. 高い。これは校長が全校競歩の実施案作成の議論や意思. 関して,教師集団にその意思決定・合意形成過程を委ね. 決定・合意形成にはかかわっていない可能性を示してい. ていた姿であると捉えることが可能である。. る。また,当日,校長が延期を提案するが,教師の説明. 以上の本稿考察の結果,先行研究において,法令・法. によって実施許可を与えていることから,学校の意思決. 規集や学校経営専門書を資料源として通説的に理解され. 定は,校長の意思が絶対ではなかったことが推察される。. ていた職員会議の状況と,旧制神戸一中に残る第一次資. この事例からは,昭和戦中期においても,明治後期と同. 料の分析による実態とが異なる様態を示していることを. 様に保護者などの協力や事前の身体検査までも含んだ大. 指摘できた。この結果は,今後,学校経営研究の一端を. がかりな学校行事でさえ,校長がその意思決定・合意形. 深化させる議論の糸口を提示した意義を持つと考える。. 成過程をほとんど教師に委ねていた可能性が読み取れる。 以上の点からこの事例は,昭和戦中期に職員会議でお. 2 現代的課題への論及. こなわれなくなった決議(意思決定・合意形成)が,教. 旧制神戸一中は「学校紛擾」などがほとんど問題化せ. 師集団によって職員会議以外の場でおこなわれていたこ. ず,初代鶴崎校長の在任期間が17年 2 ヵ月,2 代目池田校. とを示していると考えられる。. 長が21年 8 ヵ月であるなど,開校以後,太平洋戦争終戦 までの期間,安定した学校経営事例と考えることが可能. Ⅶ 総合考察と課題. である。そのような事例校で,明治後期には職員会議が. 1 学校経営の実態. 決議機能を持ち,昭和戦中期においては,職員会議の機. 本稿は,旧制神戸一中に残る明治後期と昭和戦中期の. 能は報告連絡機能のみとなったが,実態として,教師に. 職員会議録を主な資料とし,両期間における職員会議の. 意思決定・合意形成を委ねた学校経営を実践していた可. 実態を整理の上,比較分析し両期間の職員会議の機能と. 能性に言及できたことに意義があると考える。. その変化を考察した。結果として,職員会議の機能は,. 現在の学校改革は,学校の自律性を高め,校長のリー. 明治後期には報告連絡機能とともに決議機能を有してい. ダーシップを発揮しやすくするために,官僚制組織原理. たが,昭和戦中期には報告連絡機能しかみることができ. の学校組織への導入を図り,職員会議の補助機関化も規. ないことに言及できたと考える。. 定された。しかし,旧制神戸一中の事例は,現在の学校. 先行研究では,明治後期の絶対主義(天皇)官僚制下. 経営改革における学校の意思決定・合意形成の再構築に. においては,校長の権限の絶対的な上位制が法規上定め. 関して,職員会議の機能および教師の意思決定・合意形. られており,法解釈の貫徹による法規万能主義的権力的. 成過程への関わり方に,重要な視座を提供していると考. 学校管理が定着した時期とされていた。そして,旧制神. える。すなわち,事例校における学校現場の裁量による. 戸一中においても,先行研究の示す通り,当時の行政方. 外部環境に対する適応化は,学校の教育活動が,教師の. 針・制度に対応した校内規定は,絶対的な校長の上位制. 実践的活動である教師-生徒,教授-学習の場面におけ. を定めている。しかし,職員会議録の分析結果では,実. る高度な専門性を有する包括的な活動の集合体であるた. 態として職員会議に校長とともに教師が議題を提案し,. め,どのような外部環境であっても,専門職である教師. それらが,会議において協議の上,決議される決議機関. の意思決定・合意形成過程への関わりが,安定した学校. としての機能を持っていたことが明らかになった。これ. 経営の実現,効果的な教育実践の可能性を持つことにつ. は,学校組織として,教育活動をより効果的に実践する. ながることを示唆している。言い換えれば,旧制神戸一. ために,学校現場の裁量により,事例校が当時の法令・. 中では,外部環境がどのように変化しても,教育活動に. 制度に,適応した姿であると捉えることが可能である。. 対する意思決定・合意形成過程に専門職である教師が関. また,昭和戦中期の職員会議は,国家統制強調主義的. わることが必要であるため,時の法令や行政制度の範囲. な学校経営における上意下達の運営が実践されていたと. において,旧制神戸一中が職員会議の機能を変化させな. 先行研究が述べているように,旧制神戸一中の職員会議. がらも,現場の裁量として,意思決定・合意形成過程か. 録における分析結果においても,報告連絡機能だけを持. ら教師の関与を排除しない適応をしていたと捉えること. つ職員会議に変化をしており,上意下達の官僚制機構に. が可能である。. 近い形態となっていたと推察できた。しかし,一方で,. 一方,現在の学校組織においても,学校全般の教育活. より詳細に事例を考察する中で,昭和戦中期において. 動に対する意思決定を校長一人に求めることが,教育活. も,学校組織における意思決定・合意形成は,教師集団. 動の複雑性からも実践上不可能であり,意思決定・合意. に委ねられていたと推察された。この実態も,昭和戦時. 形成過程に専門職である教師の関与が不可欠なことは明. - 71 -.

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