幻視の王政との闘い : A Connecticut Yankee in
King Arthur’s Courtにおけるmonarchismを再考す
る
著者
新関 芳生
雑誌名
人文論究
巻
71
号
1
ページ
99-118
発行年
2021-05-20
URL
http://hdl.handle.net/10236/00029689
幻視の王政との闘い
──A Connecticut Yankee in King Arthur’s Court
における monarchism を再考する──
新 関 芳 生
は じ め に
1776年 7 月 9 日,その 5 日前に第 2 回大陸会議で採択された「独立宣言」 (The Declaration of Independence)のパブリック・リーディングがニュー
ヨーク市において行われた。この朗読会終了後,「宣言」の中でアメリカ独立 の根拠として,27 項目にわたってその非道ぶりを徹底的に批判されたイギリ ス国王 George III に対する憤怒により暴徒化したニューヨーク市民は,6 年 前にボウリング・グリーンに設置されたばかりのこの国王の金メッキの騎馬像 を引き倒し,像をバラバラに砕いた。少なくともこの前年までの十数年間は, George IIIの誕生日を祝い忠誠を示すアメリカ人たちは珍しくはなかったの だが,「独立宣言」の採択後にこのような心情は独立革命を支える反感と怒り へと急激に変質し,これ以降各地でこのように王の銅像を台座から引きずり下 ろすという疑似処刑が行われたのである。ニューヨーク市での「処刑」の際に は,像は砕かれてコネチカットに送られて独立戦争のための cartridge(弾薬 筒)へと変えられ,王の銅像はその王の支配を打倒するための弾丸となったの である(Downes 33-36)。アメリカ合衆国の誕生は,このような疑似的な王 の退位と王殺し(regicide)によって象徴的に祝されたのだ。英国国王の支配 から離脱した合衆国には,「独立宣言」以降は無論為政者としての国王は存在 しない。 99
William Faulknerに は“the first truly American writer”と,ま た Eugene O’Neillには“the true father of American literature”と評されて いる,アメリカ作家の中のアメリカ作家と言ってもよい Mark Twain。独立 革命における象徴的王殺しの後の王なき共和国を代表するこの作家の作品群に は,しかしながら,ヨーロッパにおける王政下の状況が枠組となっている物語 や,王や女王,貴族などへの頻繁な言及が見られる。The Prince and the
Pauper(1881)や Personal Recollections of Joan of Arc(1896)といった 長編小説の執筆の際に Twain は,これらの物語の舞台となっているフランス やイギリスの王政に関する多くの資料を渉猟し,これらを読み込んだ上で作品 を書いている。こうしたヨーロッパの旧体制下で展開される物語については, これまで Twain の「中世趣味」“medievalism”の反映であるとされてきてお り(亀井 182-84),Twain のテクストにおける王政“monarchy”の機能や意 味,あるいは,この統治機能と彼の(政治)思想との関連性に関してはさほど 注目されてはいなかった。1889 年に出版された A Conncticut Yankee in
King Arthur’s Court(以下 CY )は,上述の 2 作と比較すると,6 世紀イギ リスの King Arthur の治世と,Twain にとっての現在である 19 世紀アメリ カとの対照の視点が導入され,主人公であり,物語の大部分の語り手でもある Hank Morganも,実際に 19 世紀アメリカの共和制と民主主義を,6 世紀の 王政を対立させて述べているため,このアメリカの SF の嚆矢とも言える長編 の設定を,Twain の単なる「中世趣味」で片付けることはできないのではな いだろうか。Henry Nash Smith は,この長編を集中して論じた数少ない研 究書の中で,CY における王政を“a backdrop”「背景」だとしている。“a backdrop designed to allow a nineteenth-century American industrial gen-ius to show what he can do with an underdeveloped country”(Smith 36) しかし,CY の“Preface”において Twain は,この小説における王権神授説 は後の宿題だと述べており,この長編における王政が単なる物語の「背景」と いう位置づけには留まらず,作者にとって考察を要すべき問題であることを示 唆している。“The question as to whether there is such a thing as divine
right of kings is not settled in this book.[...]It is, of course, a thing which ought to be settled[...].”(Preface)典 型 的 ア メ リ カ 作 家 Mark Twainは,どういうわけか,王政に対して自意識的なまなざしを向けていた ようだ。本論は,CY のテクストにおける様々な混合状態とアナクロニズムに 注目し,この状況における語り手及び主人公としての Hank Morgan の権威 と権力がきわめて不安定であることを示す。その上で,このような不安定さの 中で彼が最後に闘いを挑んだ王政は,実は彼の幻視の産物であったということ を示したい。Hank は風車に闘いを挑んだ Don Quixote よろしく(1),不在の
王政の幻影に,アメリカ文学の中でも最も陰惨で残酷な描写だと言われる闘い を仕掛け,最終的に自らが生み出した幻に囚えられたままで物語を語り終える のである。
I
読者が CY の最初に目にするのは,作者 Mark Twain の“Preface”であ り,これに“A Word of Explanation”が続くのだが,この部分を語る一人称 の“I”の素性については一切語られてはいない。物語の構造と流れから考え ると,このテクストの終結部に位置している“FINAL P. S. BY M. T.”の “M. T.”が,“A Word of Explanation”の一人称の語り手と同一人物である と考えるのが自然である。従来ではこの M. T. なる人物を,“Preface”の書 き手,すなわち作者 Mark Twain と同一視していることが多いのだが,確か にイニシャルは作者と同じではあるものの,これが Mark Twain と同一人物 であるという根拠は全く示されておらず,この解釈には疑問が残る。年齢も国 籍も明らかにはされず,宿屋だとおぼしき“Warwick Arms”(2)で,「偶然 に も」こ の 後 の Hank Morgan の 物 語 の 枠 組 と な っ て い る Sir Thomas Maloryの Le Morte D’Arthur を読みながら夢想にふけっているこの M. T. は,深夜に“my stranger”(4)である Hank が突然訪ねてきたことに驚きも せず,むしろ酒とパイプと椅子を与えて歓待すらしている。まるで Hank が,
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つい先ほどまで自分が読んでいた Le Morte D’Arthur に接続する話をしてく れるのを予期しているかのように Hank が話し始めるのを待ち“hoping al-ways for his story”,Hank も 4 杯目の“hot Scotch whisky”を飲みつつ, きわめて自然な形で自らの話を語り始める。“he drifted into it himself, in a quite simple and natural way”(4)そもそもこの M. T. が Hank に興味を もった理由のひとつが,おしゃべりをみんな Hank がしてくれることからの 安らぎを感じたからである。“He attracted me by[...]the restfulness of his company−−−for he did all the talking”(Preface)自分が語らなくても Hankが話をしてくれるということ,すなわち,語らないことを安楽だと考え ている人物を,作家であり卓越した講演者でもあった Mark Twain と同一視 することが果たして可能なのだろうか? Hank が話し始める内容をこの M. T. は,“THE STRANGER’S HISOTRY”(4)「歴史」だとみなしており,こ れを語る Hank のことも“the Yankee historian”(7)と呼んでいる(仮に M. T. がアメリカ人であるのならば,同胞である Hank にわざわざ“Yan-kee”という称号を与えるのも疑問であろう)。Hank の話と manuscript を M. T. は事実だとみなしているようなのだが,こ の 一 方 で Hank 自 身 は “First, I kept a journal ; then by and by, after years, I took the journal and turned it into a book.”(7)というように,記録を本へと書き直したも のだと語っていることから,これから語られる内容が「歴史」であるという保 証 は な い 。 加 え て , こ の 場 面 へ の 挿 絵 の タ イ ト ル ( 5 ) は “ THE STRANGER’S STORY”であり,Hank の話と manuscript が“history”で あるのかフィクション“story”であるのかはメタ的なレベルにおいて曖昧に されているのである。 睡魔に襲われてこれ以上語ることができないと言う Hank に,M. T. は manuscriptを渡され,どこから読むべきか指示される。その箇所がどういう わけか物語の Chapter 1 の始まりとなっているのは単なる偶然なのだろう か? ここから Chapter 43 までの実質的な語り手は Hank であるのだが,奇 妙なのは,この間の 2 箇所において,M. T. による「脚注」“Footnote”が付 102 幻視の王政との闘い
されているのである。(26, 177)物語冒頭で Hank からこの原稿を預かって 夜通しかけて読み,翌早朝に Hank の最期を見届けたこの M. T. は,いつの 間にか脚注を加えていたということになる。さらに不可解な点は,“Editor” という人物が,作者 Twain がこの小説の種本のひとつとして利用した,Wil-liam Edward Hartpole Leckyの著書からの引用である旨の断りを入れている ことである。(215)この“Editor”は CY の 1889 年の初版にすでに記述が あるので,初版以降を編集した「編者」(たとえば本論で使用している CY の テクストに関して言うならば,この University of California 版の“Editor” である Bernard L. Stein のこと)ではない。Chapter 43 において,Merlin の魔法によって 13 世紀の間の眠りに落ちる Hank の語りは終わりとなるた め,6 世紀を描いている実質的な最終章である Chapter 44 は,Clarence によ るあとがき“A Postscript by Clarence”となり,manuscript を書くのをや めた後の Hank と 52 人の若者たちが置かれている状況が語られる。最終部 は,冒頭と脚注に登場した M. T. なる人物が再度現れ,Hank の最期を見届 ける。語りのレベルにおける Hank Morgan 以外の声の混入は,バフチン的 なポリフォニーの様相を見せている。この Hank の manuscript が,“pal-impsest”(7),つまり再利用された羊皮紙に書かれており,Hank の文字の 下には,それ以前に書かれたラテン語の伝説のたぐいがうっすらと消えずに残 っていることにも,こうした多声性が現れている。“Under the old dim writ-ing of the Yankee historian appeared traces of a penmanship which was older and dimmer still—Latin words and sentences : fragments from old monkish legends, evidently”(7)Hank の語りの声は,それ以前の時代のラ テン語の物語の声とも混じり合っており,このテクストを多声が織りなすポリ フォニーとしている。読者にとって最も印象的であるのは,無論語り手であり 最もその声の量が多い Hank であるのだが,おそらくは作者,もしくは M. T. によって意図的に作り出されているポリフォニックな混合状態は,Hank の語りの声がもつ権威をひそかに浸食しているのである。
“Preface”において Twain は,King Arthur の治世だとされる 6 世紀のイ
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ギリスの法律制度に関して,CY で描かれている法律や慣習が,実際にイギリ スに存在したものではあるが,6 世紀のイギリスにあったかどうかはわからな いと述べている。つまり CY は,6 世紀における有無は明らかではないが, イギリスの長い歴史のいずれかの時期には存在していた複数の現実が混合した 世界であることが,作者によって宣言されているのである。Le Morte
D’Ar-thurに至るまでに書かれてきた多くの物語群は,本来 King Arthur の時代だ とされている 6 世紀に,1200 年代以降の時代の騎士道や習慣,政治などをも ちこんだ,「疑似歴史的な場面設定」(ドハティ 54)で展開される物語であり, 元来異なる時代背景が混合しているテクストである(2)。このような混合状態 のテクストに Twain は,“Preface”で述べているように異なる時期に存在し た法や慣習を埋め込むのと同時に,さらに 19 世紀のテクノロジーと文明をも ちこむという,雑多なパッチワークによる混合状態を意図的に生み出してい る。混合状態によるアナクロニズムにおいては,最も強く響き語りの権威を帯 びているように思われる Hank の声であっても,実際には多声の一要素に過 ぎず,その権威も限定的で不安定である。そればかりか“A Word of Expla-nation”が,果たして Hank と M. T. との間にあった実際のやりとりである のかどうかという素朴な疑問も出てくるだろう。また,今われわれが手にする ことができる形では 400 ページ以上にもなる Hank の物語を,そのかなりの 部分が羊皮紙の manuscript として受けとった M. T. が,夜半から夜明けま でのほんの数時間で読破することは本当に可能なのだろうか? 後述するが, M. T. との関連性から見ると,物語におけるキャラクターとしての Hank の 実在性は,希薄で疑わしいものであるように思えてくるのだ。
II
日蝕を利用しての「魔法」を誇示した後に Hank Morgan は,Arthur に彼 の“perpetual minister and executive”(49)たることを認めさせ,王自身 も Hank を“the king’s right hand[...]clothed with power and
ity”(50)と 呼 ぶ ほ ど の 地 位,す な わ ち“the Boss”(69)と な る わ け だ が(3),実際には,周囲に感服され恐れられもするが,敬意を払われすらしな
い。“I was admired, also feared ; but[...]I was not even respected”(67-68)テクストにおける混合状態の中での立場と同様に,彼はフィクションの 世界の中でも“anomalous position”(67)である。Hank がテクストの構造 と物語のレベルの両方で置かれることになる不安定で特異な地位は,Amyas le Pouletこ と Clarence,そ し て Demoiselle Alisande la Carteloise こ と Sandyの 2 人にも共通している。どちらも本来の King Arthur の物語群には 登 場 し な い Twain が 作 り 出 し た オ リ ジ ナ ル の キ ャ ラ ク タ ー で あ る 他, Clarenceは Hank の最側近であり,Sandy はのちに彼の妻となって娘 Hello-Centralを生むというように,2 人とも Hank に最も近い位置にいること,そ してどちらも言語と語りに関する側面を前景化するという共通点がある。スリ ム な 美 少 年 で あ る Clarence は,ほ ぼ 完 璧 に 現 代 英 語 を マ ス タ ー し“he talked sixth century and wrote nineteenth”(84),Hank に命じられて新聞 の発行に携わるようにもなる。彼と言語,特に書くことや書物との関連性は, 初登場の時に小姓“page”だと自己紹介するやいなや,Hank に,お前は “page”どころか“paragraph”(15)にすらなっていない,と茶化されると ころにも示唆されている。当初はこのように“paragraph”にも満たない扱い を受けていた男が,最後には Hank に代わり,Hank 自身の manuscript に “postscript”を付けることで,語りのレベルにおいては Hank と同等の権威
をもつようになるのだ。
Clarence同様の見目麗しさをもつ“a comely enough creature, and soft and modest”(90)である Sandy は,「語り」という行為を前景化するキャ ラクターである。囚われの貴婦人を救出する冒険の旅に出る Hank に付き添 う Sandy は,いわば物語る工場“conversation mill”(120)と化して,道中 際限なく Malory の Le Morte D’Arthur からの直接引用を口にする。こうし た語りに対して Hank は,Sandy の(背後にある Malory の)語りがいかに 陳腐なボキャブラリーと形骸化した内容でできていることを批判してい
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る(4)。“these archaics are a little too simple ; the vocabulary is too
lim-ited, and so, by consequence, descriptions suffer in the matter of variety” (130)Sandy が Hank に,貴婦人たちが囚われの身となっているお城の位置
を,“it hath no direction from here ; by reason that the road lieth not straight, but turneth evermore ; wherefore the direction of its place abi-deth not, but is some time under the one sky and anon under another” (92)と説明するのだが,これはそのまま彼女の語りの(無)指向性を示して
おり,Hank のみならず読者にさえもその場所をうかがい知ることは不可能で ある。このような指向性が欠如した語りを聞いた際の Hank の反応“I am not well to-day ; pay no attention when I soliloquize,[...]a man can’t keep his functions regular on spring chickens thirteen hundred years old” (92)では,彼は自らの独り言,物語のレベルで言うならば,テクストにおけ る語り手としての声,に言及し,さらに自らの体調の悪さを Sandy に語って いる。自身の“functions”を保つことができないということは,Sandy の無 指向性の語りに直面し,自らの語り手としての立場が脅かされていることを暗 示しており,彼の語りの権威の不安定さを示している。Hank が Sandy の語 りに最も困惑するのは,貴婦人たちが囚われているという城を発見したと彼女 が言い張るところである。Hank からは豚小屋と豚たちにしか見えないのだ が,Sandy からは,これがお城で中にいるのは囚われの貴婦人であり,豚小 屋を管理している男たちは巨人であるように見えている。“Castle? It is noth-ing but a pigsty ; a pigsty with a wattled fence around it”(183)われわれ 読者からも,貴婦人ではなく豚にしか見えないのは,挿絵(179)からも明白 である。ここで Sandy は,自らが虚構化した世界へと Hank と読者を引き込 み,その世界を承認するように求めているのである。Hank が巨人に魔法を使 って(もしくは彼が豚の持ち主に金を支払い),解放された(もしくは買い取 られた)貴婦人(もしくは豚)たちを連れて,別のお城へと連れて行くという くだりは,Hank と読者から見れば茶番でしかないにも関わらず,Sandy に とっては疑う余地のないフィクションの中での「現実」となっているのだ。前 106 幻視の王政との闘い
章で指摘したテクストにおける混合性,及びそれに由来する Hank の語り手 としての地位の不安定さをここにも認めることができよう。CY においては, 混合とアナクロニズムに由来する現実認識の齟齬が頻繁に生じており,このエ ピソードはその最も典型的な例となっているのである。少なくとも読者は共 感,共有しているに違いない Hank の理性や知性の枠組みが,Sandy によっ て大きく揺り動かされ,彼が結局は彼女に言われるがままになっていること は,Hank(と読者)にとって一見正常だと思われる世界の優位性がきわめて 疑わしいということを暗示している。CY における 19 世紀と 6 世紀の現実認 識は優劣でとらえられるものではなく,あくまでも相対的な視点なのである。 Sandyや Arthur から見れば,Hank に見えている世界のほうが幻なのであ り,このことは後に非常に重要かつ深刻な意義をもつようになるのだ。
Chapter 14で Hank と Sandy が遭遇し,Hank のふかすパイプの煙をド ラゴンが吐く火だと勘違いしたために彼に降参した 7 人の騎士たちについて, 彼女は,Morgan le Fay との一連のエピソードが語られる 3 つの章(Chapter 16-18)からなるインターバルの後に,道中語り続け Hank を悩ませてきた彼 女の話(実際には Le Morte D’Arthur からの引用)の中でこの 7 人の正体に 関して語り,Hank が存在している世界と,彼にとってはフィクションである はずの Malory のテクストの世界とを接続する。“Even so standeth the his-tory, fair Sir Boss. Now ye shall wit that that very duke and his six sons are they whom but few days past you also did overcome and send to Ar-thur’s court!”(177)Sandy は,Hank を King Arthur の物語へと導く機能 を帯びている。CY のテクストの構造は,一番外枠に作者 Mark Twain が実 際に生きている 19 世紀,その内側に M. T. と Hank が邂逅する 19 世紀イギ リス,さらにその中に 6 世紀の,Hank にとっての「現実」である彼がタイム スリップした世界,そしてテクストの最も内側には,主に Sandy が語りの主 導権を取って虚構化し,そこへの導き手となっている神話的虚構世界が存在し ている。しかし,この虚構世界は,実際には Malory が構築したフィクション であり,Sandy の実在性を脅かすものである。前述した,M. T. による奇妙 107 幻視の王政との闘い
な“Footnote”のうちの 1 つが,まさにこの箇所に付けられており,わざわ ざその語りの内容が彼女自身の言葉によるものではなく,CY の最も外側とそ のすぐ内側にある 19 世紀に存在している,Le Morte D’Arthur という 15 世 紀のテクストからの引用であることを読者に印象づけているのである。また, Sandyが自らの語りを“the history”と呼んでいることは,Hank の語りが, “A Word of Explanation”においてやはり“history”(4)とされていること
と呼応し,この語が CY においてはフィクションと事実の間の境界線を曖昧 していることを示唆するものとなる(5)。Hank がタイムスリップで体験する
“transposition of epochs−−−and bodies”(2)を,Sandy は自らが知るはず のないテクストを時空を超えて引用するというメタフィクション的な機能によ って表現している。CY のテクストは,以上のようにゆるやかな同心円的構造 となっているのだが,異なる世界を分離している境界はところどころ破れてお り,多重世界が混合していると言った方がよいのかもしれない。言語と語りに 深く関係づけられている Sandy(と Clarence)は,この破れ目に位置してお り,位相が異なる世界を繋いで Hank を神話的ロマンスの世界へと導く機能 を帯びているのである。Hank はこの世界に誘導されるのだが,ここに彼の 「現実」の介入は許されてはいない。神話世界に存在する Sandy に,年齢と いうきわめて現実的,もしくは実存的な点を尋ねると,物語る機械“the mill”である彼女はとたんに故障してしまうことにそれが明確に現れている。 “‘How old are you, Sandy?’[...]The mill had shut down for repairs, or
something.”(178)貴婦人(あるいは豚)の救出と解放の後に語られる,聖 なる泉“The Holy Fountain”の復活や,教会の破門から Sand-Belt での大 虐殺とい う,Hank が 語 り の 主 導 権 を と る 彼 に と っ て の「現 実」か ら は, Sandyの存在が引き離されほぼ消去されていることからも,彼女が Hank や, 後述する「リアリズム」における Arthur たちの「現実」とは異なる世界の住 民であることは明白である。彼女は虚構の中の虚構のキャラクターなのであ る。19 世紀的な「現実」の視点から,Sandy のボキャブラリーと語りのモー ドを批判する Hank に対する彼女の反論を,Hank は(おそらくわれわれ読 108 幻視の王政との闘い
者も)理解できない(Hank は概要は理解できるとは言っているのだが,いか がなものだろうか?)。“I couldn’t make it all out−−−that is, the details−−− but I got the general idea”(212)Hank は彼女の語りを理解できないこと を認め,19 世紀的な現実の視点で彼女を批判していたことを詫びてさえいる のだ。このような神話世界における Sandy によって,本来の語り手である Hankの語りの権力は完全に揺るがされているのである(6)。
III
Hankによって徐々に追求される王政から共和政への統治形態の移行は, Michael Foucaultがその最晩年に提唱した概念である,規律権力から生権力 への移行に重なるものである(7)。Foucault はこの概念を十分に定義すること がないまま死去したため,彼の死後のこれらの概念のとらえかたは,研究者に よってかなり異なっているのだが,大まかに定義するならば,規律権力が,王 が臣民,国民に対し,統制し,罰し,時には殺す権力であり,一方,生権力は 国民の身体に不可視の形で細分化して入り込む,生かすための権力だとされ る。規律権力の代表的な制度としては学校や軍隊などが挙げられ,生権力が現 れるのは,病院や人口統計などにおいてである。CY においては,王政という 絶対的な規律権力を打破し,一見するとむやみに人を殺すことはない平等な政 治システムへの移行が図られているように見えるのだが,Hank が次々と作り 出す 19 世紀的な制度や施設には,たとえば病院といったような,生権力が機 バイオポリティクス 能する生 政 治の場は全くない。Hank が作るシステムの中心にあるのは,武 器を中心とした文明の利器を作る工場と,士官学校,そして“Man-factory” 「人間工場」と呼ばれる学校(と言うよりは現代人へ作り変えるための一種の 矯正施設)であって,規律権力によってコントールが行われる施設である。仮 に,Hank の思うままに共和政に移行したとしても,それは王政が表面的な形 を変えたものに過ぎない。始まったばかりの著述業の分野において,最初に出 版された Sir Dinadan のジョーク集の陳腐さに我慢できなくなり,その本を 109 幻視の王政との闘い発禁処分にして Dinadan を処刑する Hank は,まさに恣意的に規律権力を行 使し臣民を殺す王の姿と重なり合う。彼が構想する共和国の中心に位置してい るのは,“Man-factory”によって教育された少年たちであり,彼らは Hank による規律権力の行使によって訓育され,現代英語によってプログラミングが 行われたロボットに等しいのだ。先行研究によって指摘されているように,彼 らは Clarence 以外は名前さえ呼ばれない,「工場」から生産される個性や差 異がない画一的な規格品である。“Slavery was dead and gone”(397)と Hankは語っているのだが,この少年たちが,Hank の意のままに動く,形を 変えた奴隷であるのは明らかである。Hank が目指す「共和国」とは,その 実,王政という規律権力を,別の規律権力によって置き換える試みである。彼 は“I was beginning to have a base hankering to be its first president my-self”(399)というように,自らがその共和国の初代大統領に就任する欲望を 素直に認めている。“I was beginning to have...”という表現を用いてはいる ものの,実際には 6 世紀にタイムスリップした直後の物語の冒頭で Hank が, 3ヶ月以内にこの国を支配する“I would boss the whole country inside of three months”(17)という願望を語っている事実は,彼が 6 世紀のイギリス における最高権力者となる願望を,タイムスリップの直後から秘めてきたこと を示している。彼は,巧妙に偽装された王になろうとする欲望を温めてきたの である。この欲望に関して Hank は,Arthur が存命中はその政体を維持し “a modified monarchy, till Arthur’s days were done”(300),30 年後には訪 れるであろう彼の死後に,無血革命の形で共和政に移行するというシナリオを 描いていた。“a rounded and complete governmental revolution without bloodshed. The result to be a republic”(399)この目論みを阻んだのは, Lancelotと Guinevere の不倫の発覚に端を発する,King Arthur とその甥 (もしくは息子)である Mordred との間での戦争である。この戦争の報告を Clarenceから受けた Hank は,共和国樹立の夢が夢のままになってしまって いることをはっきりと自覚している。“My dream of a republic to be a dream, and so remain.”(415)この Clarence の報告は,現代英語で語られ
ているものの,途中から Le Morte D’Arthur のプロットをそのままなぞって おり,King Arthur と Mordred の決闘を描写する“War correspondence” (416)に至っては,Malory からの直接引用となっている。Hank の夢の実現 が危機的になったのと同時に,CY は Malory のロマンスのプロットに回帰し 始めているのだ。Hank がロマンスの世界に囚われること,それは,Sandy が語る貴婦人の救出劇と同様に,彼が語りの権威を奪われることを意味する。 これ以降,いくら Hank が共和国建設の物語を語ろうとしても,それは語り の権威が失われた声による「夢」に過ぎないものとなるのだ。彼のリアリズム はロマンスに妨害され,侵食されるのである。
Hankが抱いているリアリズムとロマンスの相克への苛立ちは,King Ar-thurへの彼の分裂した感情に投影されている。Hank は King Arthur を王と しては好意的に評価しているものの,人間としては,彼の臣下たちも含めて軽 蔑している。“I liked the king, and as king I respected him[...];but as
men I looked down upon him and his nobles−−−privately”(69)王を機能 と実際の人間とに分離して評価する Hank の姿勢は,自動人形“an auto-matic doll”にもたとえられる王の“artificiality”「人工性」と,これに対立 する概念である“reality”(351)とに分ける考え方と呼応している。さらに この対立が,ロマンスもしくは神話的な Arthur と,一時的にせよ奴隷にまで 身を落とす,きわめて人間的でリアリズム的な Arthur との違いに相当するの である。だが,人間としてのリアリズムの Arthur への Hank の軽蔑を,額 面通りに受けとることはできない。たとえば,天然痘のため瀕死の状態となっ ている娘を,自らも伝染する危険を顧みずに抱きかかえて,同じ病気で死にか けている母親のかたわらに寝かせるという Arthur を,Hank は心の底から賞 賛しているのである。“He was great now ; sublimely great.”(286)この人 間としての Arthur に対して Hank がもつ,“I was no shadow of a king ; I was the substance ; the king himself was the shadow.”(63)という考え は,「自動人形」である Arthur を動かしているのが実際には彼であって,彼 こそが最高権力者であることを Hank 自身が意識していることの表れである。
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王を“artificiality”と“reality”とに分離する思考は,Ernst Kantorowicz が示した「王の二つの身体」である,“body politic”と“body natural”の図 式に酷似している。王の生身の身体の有限性と,神から与えられた身体,すな わち理論的な構築物としての身体の無限性,あるいは非時間性とを分離するこ の思想は,Hank が考えるリアリズムの“reality”とロマンスの“artificial-ity”の Arthur の二重性に対応するもののように思える。しかし,リアリズ ムの Arthur に対して,軽蔑と賞賛の相反する感情を抱く Hank には,王の 二重性に対する誤解があるようだ。王の二つの身体の理論的根拠となるのが王 権神授説であり,このことは Hank 自身も意識しているのであるが,歴史的 な事実としては,King Arthur の時代,6 世紀には王権神授説は存在してはい ない。物語の中で Arthur も行っている瘰癧治療に,王が超自然的な力をもつ 側面を垣間見ることはできるが,王権神授説が理論化されたのは,フランスで は Jean Bodin,イギリスでは Robert Filmer らの著作によってである。Ar-thurの死後,共和政への移行を宣言する Hank の姿には,本稿の冒頭で述べ た George III の象徴的処刑における body politic とアメリカの独立,共和政 への移行の関 連 性 と の 共 通 点 を 見 出 す こ と が で き る の か も し れ な い が, George IIIの“regicide”の背後には,王の二つの身体の理論が明確に存在し ている一方で(Downes 33-39),Arthur の死による共和政への移行の際に Hankが準拠しているものと思われる二重性とは,自身が「実体」であり, Arthurが「影」であるという,リアリズムの世界における権力の二重構造で ある。二重化していた権力を「実体」へと一本化するきっかけとなる「影」の 消滅は,「政治的身体が,一つの自然的身体から別の自然的身体へと転移した ことを意味する」(カントローヴィチ 36)「崩御」“demise”とは異なる現象 である。Hank は,Arthur の“artificiality”と“reality”の二重性と,権力 における“substance”と“shadow”という二重性とを混同,混乱させてし まっているのだ。I で指摘した,CY における異なる時代背景が混合すること によるアナクロニズムが,Hank に誤解を生じさせているのである。
こうした錯誤に基づいて行われた共和政への移行宣言が国民に熱狂的に受け
入れられたのはほんの一日のみであり,その歓呼は,この物語の中で最も強大 な権力であるとされる教会“Estabilished chuch”によって抑圧される。教会 の権力は,当初から King Arthur と Hank の 2 つの権力を合わせたものより も強大であると Hank によって認識されており,“another power that was a trifle stronger than both of us put together”(63)しかも王権神授説は教会 が発明したものだと Hank はみなしている。“[the Church]invented divine right of kings”(67)しかし歴史的には,王権神授説は教会が生み出した理論 ではなく,また,先述したように Arthur の治世に王権神授説は存在してはい ないのだ。教会は,その存在が Hank によって常に意識されていたにも関わ らず,最後まで不可視の存在であり,人格化された形としては姿を現すことは ない。その権力が垣間見えるのは,僧侶などの代理を通した時のみであり,英 国における教会の最高権威である“the Bishop of Canterbury”についても, 物語の終盤近くで Clarence によってただ一度言及されるのみである(そのカ ンタベリー大司教も,初代は 597 年からであり,Hank がいると思われる 540 年代には存在していなかった)。Hank に見えていた最高権力者としての教会 とは何だったのか?という,素朴な疑問が出てくることだろう。不可視である のは,教会がそのように政治的に偽装していたためではなく,そもそもそのよ うな権力は存在しておらず,アナクロニズムと彼の語り手としての権威の不安 定さが,Hank に,教会という権力を幻視させていただけだったのではない か? 存在していないものを,存在しているとする Hank の幻想は,豚を貴 婦人だと主張する Sandy の虚構化と何ら変わるものではない。共和政の宣言 による教会への攻撃“strike by the Proclamation”(425)は,王政の終焉と それに伴う国教の廃止を布告することで,宣言の公布地である“Merlin’s Cave”(425)に教会をおびき寄せようとするものであり,Hank による見え ざる敵の可視化の試みである。しかし,実際にここにやってきたのは 3 万人 の騎士たちであって,彼らを招集したと Hank が考えている教会は不可視の ままである。不在の可視化を目論む結果 Hank らが目にするものは騎士たち の死体の山であり,これに取り囲まれて Hank と 52 人の若者たちは身動きが 113 幻視の王政との闘い
取れなくなってしまう。ロマンスの世界への Hank の封じ込めはここに完了 するのだ(8)。この封じ込めの状態で Hank が行ったことは,“turning my old
diary into this narrative form”(426)であり,日記という記録を“narra-tive”に書き改めることである(ほんの 3 日間で現代の版にすると 400 ページ を超えるテクストへの書き直しが可能かどうかへの疑問は,M. T. がほんの数 時間で同じこのテクストを読了したということと関連し,Hank の実在への疑 いを喚起するものである)。事実の記録であるはずの“diary”を,自身の手に よって“narrative”,フィクションへと仕立て上げようとする行為は,“A Word of Explanation”において,メタフィクションのレベルで微かに示唆さ れた,“history”と“story”との間の境界線の曖昧化が,彼にとってはフィ クションであるロマンスの世界に閉じ込められた Hank に投影されているこ とを示すのである。
Mark Twainの CY に関する最初の構想メモは,Le Morte D’Arthur を読 んだ日の夜に見た夢についてである。この夢の中で甲冑を身につけた自身が感 じた不快感を,Twain はメモとして残している(9)。この作者の夢と同様に,
自分の体でありながら自分自身で触れたり掻いたりすることができない不快感 への Hank の憤りは,6 世紀の障壁に遮られて自身の 19 世紀の身体にアクセ スできない不安と不満を表している。“Well, you know, when you perspire that way, in rivers, there comes a time when you—when you—well, when you itch. You are inside, your hands are outside ; so there you are ; noth-ing but iron between”(101). これは彼にとっては虚構であるロマンスの世界 の中に取り込まれつつあることへの,自身の実存的な不安だと置き換えてもよ い。また,ハンカチやタバコなどの文明の産物も,すべて甲冑の外ではなく内 側に隠されており,自分で取ることすらできずにいる。そもそも甲冑の着脱も 自分だけではできない不自由なロマンスへの囚われの状態に Hank は置かれ ている。暑さに我慢ができなくなった Hank は,ついに Sandy に手伝っても らって兜を脱ぎ,それをバケツがわりにして甲冑の中に水を流し込んでもらっ ている。この状態は,後の Sand-Belt の戦いにおける,Hank と 52 人の若者 114 幻視の王政との闘い
たちがいる Merlin の洞窟を中心として形成される,同心円的な構図を比喩的 に予兆するものである。地雷の爆破によってできた溝に,川の水を流し込み騎 士たちを死へと至らしめる光景には,Hank が着用している甲冑の中に水を流 し込む姿との相似性が認められる。騎士たちの死体が積み重なってできる巨大 な同心円の 6 世紀の壁によって Hank たちは閉じ込められ,自由を奪われて しまっている。Hank は自身の出身地であるコネチカットの州法を引き合いに 出して,人民による政府の解体権を論じる際に,政治形態を“the common-wealth’s political clothes”(113)という衣服のメタファーで表現している。 政体の改変とは,すり切れてしまった衣服を着替えることなのである。しか し,急速に 19 世紀化が進んだリアリズムの世界においても,Hank は King Arthurを始めとした騎士たちに甲冑を脱がせることはできずにいる。“Of course, I couldn’t get these people to leave off their armor ; they wouldn’t do that when they bathed.”(402-3)どれだけ世相が近代化しようとも,騎 士たちは 6 世紀の甲冑に守られたままであり,鉄であるがゆえにその甲冑も すり切れることはないのだ。政治形態の改変が不可能であることは,物語の中 で常にこの甲冑によって暗示されていたのである。Hank を魔法で眠らせた Merlinの最期の言葉“Ye were conquerors ; ye are conquered!”(443)は, Hankの文明化の試みが結果的にはリアリズムの世界に留まっており,ロマン スの世界は強固に鎧に守られて無傷であったという構図を言い表している。 Hankの,おそらくは十数年に渡る 6 世紀での奮闘は,すべてが無に帰してし まい,残されたのはそれを書き記したテクストのみである。しかしこのテクス トも,混合,アナクロニズム,多声性,そして“history”と“story”の曖昧 化といった諸相により,その内容の真偽を確定できないものである。そもそも 死の直前の譫妄状態にある Hank 自身が,自らの語り,特に Sand-Belt の戦 いのエピソードを夢だと譫言で語っているのだ。“And such dreams! such strange and awful dreams, Sandy! Dreams that were as real as reality [...]I thought the king was dead, I thought you were in Gaul and couldn’t get home, I thought there was a revolution ; in the fantastic frenzy of
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these dreams, I thought that Clarence and I and a handful of my cadets fought and exterminated the whole chivalry of England!”(446)Mark Twainが,ここまで入念に語りの信頼性を曖昧にしているその理由について は,稿を改めて論じる必要があるが,“Preface”において Twain 自身が語っ ている,王権神授の存在に関しては答えを出すことができなかった理由の一つ は,自らが行った語りの信頼性の曖昧化ゆえに,少なくとも King Arthur を 中心とした物語においては存在してはいない王権神授を幻視した末の袋小路 に,彼が Hank 同様に閉じ込められたためであろう。言い換えるならば,こ のような解答不能の行き詰まりの状態は,Mark Twain が実は王政に魅了さ れていたということを,逆説的に示唆することにもなるのではないか。Ern-est Hemingwayによって“All modern American literature comes from one book by Mark Twain called Huckleberry Finn”と,現代アメリカ小説の源 流だと評された The Adventures of Huckleberry Finn(1885)の中で主人 公・語り手の Huck がふと漏らす“Sometimes I wish we could hear of a country that’s out of kings”(201)という言葉に,Twain の王政に対する本 音を読み取るのはうがちすぎなのだろうか?
注
⑴ Mark Twain における Cervantes の影 響 に つ い て は,Olin Harris Moore の “Mark Twain and Don Quixote”を 参 照。こ の 中 で Moore は,Hank が Maloryからの引用で物語る Sandy を批判する部分に,Sancho Panza に共通す る性質を読み取っている。
⑵ Lesley C. Kordecki は,Twain が CY で用いている 6 世紀の描写が,15 世紀の (つまり Malory の)テクストにおいて不正確な形で構築されている 6 世紀の描
写を用いていることを指摘している。(345-46)
⑶ Richard Dilworth Rust は,この“boss”という呼称が,元々は奴隷が主人を呼 ぶ時に用いる際に用いられていたものが,後に腐敗した政治家を呼ぶ名称にもな ったことを指摘している。(13)また Robert Paul Lamb は,この小説がドイツ 語やイタリア語に翻訳される際に,“boss”という語が,独裁者を含意するそれ ぞれ Der Fuhrer や Il Duce という語になることを指摘している。(407) ⑷ Lee Clark Mitchell は,Sandy への Hank の批判に,作者 Twain が CY に介 116 幻視の王政との闘い
入しようとする熱狂とテクストと距離をおこうとするためらいという両極的な姿 勢の揺らぎを読み取る。(240) ⑸ 自らの語りを指す際に Sandy が用いる(Malory の時代の)初期近代英語におけ る“history”の語源となったフランス語の“istorie”とラテン語の“historia” のいずれも,「歴史」と「物語」の両方の意味を含んでいることから,彼女の話 において事実と虚構との区別が曖昧になっていることは,むしろ当然のことだと 考えてよい。
⑹ Mitchell は,Hank の語りを“linear”,Sandy の語りを“circular”とし,この 2つの語りのモードの衝突が,さらに大きな二項対立である reality と dream, lifeと reminiscence, free agency と training, time と space とに関連している ことを論じている。(232)
⑺ Foucault の規律権力と生権力,生政治に関する概念は,Foucault の『知への意 思』と『生政治・統治−フーコー・コレクション 6』の他,金森修『〈生政治〉の 哲学』,中山元『はじめて読むフーコー』を参考にした。
⑻ Lesley C. Kordecki は,Hank の性質は当初は“anti-romantic style”ではある が,CY は構造的に中世のロマンスの枠組みにはまっていることを指摘してい る。(346-47)
⑼ この夢の Twain のノートへの覚え書きは,Lamb(408),Moore(343)などで も言及されている。また,CY の執筆の過程に関しては,Smith の他,Howard G. Baetzholdなどを参照のこと。
Works Cited
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