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みのぶ山論

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Academic year: 2021

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キロ︵東経一三八度北緯三五度︶あるかなしかの小山だが、世界第一に恵まれた地塊だろうか?そんないい草 に値いするかどうかと思へばこそ﹁みのぶ山論﹂と題してみた。我有大乗か井底の痴蛇かも知れないが、ともかく七

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年 来 、 ﹁末法唱導御高祖日蓮大菩薩﹂と、こう唱呼してきた習慣をみとめて、しばらくおみのがししていただこ

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1 ) ぅ。そのイミが人間修護団の根拠地として但だの一ではなく唯一、他にかけがいのない聖地としてで。まことに、う らはづかしいことながら、そう言うことすら気おくれするような現状であり、七

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という年輪的実縦であることを みとめる。本山といい支院という、町方といい、今の行政区制でいわれること、何のイミもない符丁番号は﹁四

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ハ世は苦・にごる︶叉は︵弱く濁る﹀と、したためられている。公害的観光の的習的信仰の山である。だか ら本山・支院、総本山とかいうのも、何百年来の名称即ち時代のくせがついたのだというだけである。総・大・本と 二 五 ﹂ いう厳めしい字義も、字義のやかましかった背の定義には面白い弁明つきである。総別の総でも大兼小の大でも枝葉 対の本でないとかいう。分ってわからぬような、 つまり時処会合における席次の定めというらしい。山寺の権威も尊 称も、わざわざ割引している。それがさらに現在、廃末合本以来五

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年、大戦後はさらに本支各一してそれぞれ独立

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の一ケ寺の風装を提し来っている。それが時代的民主的即進歩的を誇るかのやうである。全国から寄り集う有識・有 情の信者たちも、信仰自由の風潮から観光本位の群衆が事のさばきもつきかねるほどごった返す日もある。ずい分あ われなお山である。我々凡信のものは、ちょっとこんなはづはないと内心気ばってみてもどうもはっきりしない。 体 ﹁身延山﹂とはどういう山なのか。どう在るべきなのか。なんとか、もがくようなさばきでも試みてみる。 まづ、この山は宗門の霊跡としてみるときどういうイミと地位に当るか。レイセキということを今宗祖にかぎって 定義してみると、何かの御都合で通過されたというだけの点線から、わざわざと御巡化されたという線面、又はその 地点で殉難されたという面体、それからその地で幾年月の間住居されたという生きた立体、さらに永久的なイミで、 その廟地として定められたという段々層々を考えてみられよう。みのぷ山は、そういう中の最も尤なるものとして俗 ( 2 ) 凡の目にもかがやいてみえよう。私もその凡下の一人として昨年は、御入山七五

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年 キ ネ ン に 、 ﹁接神の意義﹂を述べさせていただいた。﹀恐らく万人から行いていただけるという事実のハンヰである。そういう ︵ 本 誌 に 投 稿 し て 、 事実のまとまりの内に宗祖御自身がどのように働いたか、また将来永くお守り下さるかということの認識は、突は読 者各位にまかされている c それこそ並々ならぬ事件である。もとよりどんな宗教でも、その現実的議跡が、生きた日 常生活に如何に生かされているかどうかが、 つまり霊的人格の点数となるのかもしれない。それら諸宗教の中で最も ユ ュ l クなエリートな宗祖こそ我が日逃ではないかと信ずるが、果してどうであろうか。本人自身が、声を大にして 到るところで宣伝し喧嘩し戦斗した一生、いや何百年の弟子檀那が、ホッケカタギ︿法華気質﹀とたたえられてきた。 たしかに今日でも広いイミではそうである。そのことの真価・偽価の成実こそこれから以後の課題である。というの

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はその善悪勝劣が末代、凡思の投ずる一票によって算定できることではないからである。本人自身仰せられている、 ﹁愚人にほめられたるは第一の恥なり﹂。三類の強敵をもうけ、それと戦ひつづけた大将とほこっている。その三類 とは本人以外の日本の上下万人の朝野をさしている。第一の俗衆、第二の道門、第三の借聖、この三の増上慢は後々 の 者 ほ ど 識 り 難 い 、 かくれた黒幕である。背も今も同様だろうが、 何 よ り も 、 経文の正法を信じ持つ者は ﹁ 爪 上 の 土 ﹂ 、 正 法 を 信 じ な い で む し ろ − 誘 り あ な づ る 者 は 、 ﹁十方の土﹂という、まさに明々赫々たる提示ではないか。これ は正に票決ではなく、直観直覚、仏の等正覚である。要するに、我々自らが鎌虚に本当に道を求めて、 つ と め つ と め て仏道を成ずる底のその始終一貫性の誠実度が、その問題を扱う資格なのであろう。 いま、仮りに、宗祖日蓮がこの人類の歴史にとってどういう人格人物であるかを、 ごくカンメイに紹介してみた

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3 ) し 、

一つはその逗格的なものがたりを、ここではカンタンな詩でもの語ろう。そして、この人が現実にどんな活動し た の か 、 か ざ ら ず 、 いつわらず、本人の有りのままの口筆をかりでうけとりたい。それは﹁種々御振舞抄﹂︵九五九︶ 之をごく素朴に訳したのが﹁回避大聖人と倶に﹂である。それよりももっとくわしく真実をついてみようとならば読 者自身畢生の意気努力でかかって欲しい。こういう大聖者が、実にこの山にお入りになったのは、その前後の又は一 代の事実から、よほど慎重に味はいとらねばなるまい。そのためにほんの手がかりの見本を示そうと、前号の﹁棲神 の意義﹂の作文である。つまり身延山にどんな事情で入り、 いかに生活しどんな事情で山を出て、そうして死去して から廟墓をどこに、またどんなイミを与えようとするのか。そこはよくはわからない。よくわからないことがたしか である。誰も古来、あまり追究してもいない。だからこそ今日、身延山がこの様に在る所以なのかもしれない。それ

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だからこそ、疑問を含んでこの作文が出てきたのかもしれない。即ち宗祖が﹁この山に対して:・﹂入・住・出・再入 という四重のイミを新ためて考究し味はひ得ていきたい。みのぶ山はいかにして生れ、これまで七

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年いかに来り これから先きどうなっていくか?いやどう在らねばならぬかを問うのである。それには、山といい寺という以上、宗 門地方各位の山寺幾千ほどの法城がある。それがこの二十世紀、又はこれから迎うべき百世紀の問、時代日本列島の 中でもやはり考えねばならぬ問題は山積しているのである。それらにしばられ左右されようというのではないが、少 くともかかわり相うというかぎり、この﹁身延山久遠寺﹂の在り方に何かがありはしないだろうかというのである。 ︿寺山考として、資料をあつめ考究した方がよさそうである。︶次は現代考、この現代こそクセモノである。今、見 間し触知してはいるが、利那後の明日が、来年が、どうなるか、どういうことが起ってくるのか、予怨がつかない位 いである。しかしそれなりに現代という大きな妖怪機構をたくましく拠え、その本質をみなくてはならない。明日の ことを興味本位に待望してよりは、明日の.没ひを苦しみ備えて導かねばならないからである。本当に、今日のことも

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4 ) 明日のことも同様に大事なことである。がしかし、之とまるで対遮的なのはこの大地の問題である。身延山の山地地 土自然の問題を、科学的にしらべたりよく掌握していきたい。このせまい小さい地域にどんな巨大な施設も景観もあ りはしない。だがせまいから小さいから貧しいからとて、バカにはできない。汚く苦しくてうるさいのが突はそもそ もこのシャパ世界なのであった。仏教の開祖お釈迦さまこそ、この裟婆往来八千返のつわものである。我々罪業深重 の下劣にとって、まことに地獄の仏そのものではないか。この地獄の底の一角、徴小の地点、 みのぶという城を、何 とかできるだけ、浄らかに経営したいというのが、をそれながら偽はらぬ本願なのである。そのためには、少くもこ の身延地区の地の底縦横に科学的調査してほしい、 できるだけの、安定性が保証できるかどうか。また少しは広く、

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m M キロ位のハンヰはこの聖地を緑と清水と浄い空気で包みたい。次は本門戒檀考、之は純粋宗学の重要な 論目ではあるが、それが、直接にこの地に即するどうかはしらぬ。だが全くムカンケイとはいえまい。それは私見か 方 叩 キ ロ 、 もしれないとしても、宗祖が、本化上行の霊格を血肉化しておふるまいなされたその名残の、この上ない尊いお身骨 を蔵しているお山である。戒壇というこの上なき甚だ深き、微妙の大法門なればこそ、その法門の地上における具現 に当って、どうしてここに御廟参上梓脆しないでよかろうか。若しもここらに、ある論理がはたらくとせば、そうい う論理がみとめられ、至上命令として行動する、そうせしめるものこそ本門戒のイミではなかろうか。そういえば、 あらためて思う。身延山論こそは純粋宗学の古・新を貫く重要課題であること。

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本地|使命

今 想像してみる この地球のセカイをずうっと背にさかのぼる。まさに宇宙時代のセカイとでもいう幾千万億 年の人類生類 動植物の生命の系請をさかのぼる。いわば生命の本源のふかい地層にひそみ 修 行 し つ e つ け て い る ポ サ ツ さ ま 久遠実成の釈迦如来さまの ぢきぢき新発意のお弟子だそうです。 @ そういう文章が、人間に読まれ出してから まだわずか二千年。ただ ふしぎなことよ おもしろいことよと仏 教徒の聞の ちょっとした話題になったことも あったというだけのようでした。 〔£} それが、どうでしょう。今から七百年前日蓮聖人が、この菩薩さまの本性・使命を 人類に紹介して下さいまし た。それも ただ筆舌だけでなく人間行動として いや面白いドラマとしてです。それも その大きさといい仕組み というものが、とても ふしぎで大がかりなのです。現実の時代社会が そっくり 舞台となり あらゆる人物も動

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物も自然も そっくり参加する役者であり 道共であり また観客でもあるという そんな大きな歴史劇の主役だと いうのです。御本人だというのです。 ① つづいていくが せ り ふ んと筋は通って厳粛な論理も結論も実証もある。弁証の意味も大へんに深く面白い。讃歌もそろえられ 始めなき始めから 終りなき終りに いつまでも未完成な 無限連続というのでもない。ちゃ 茶番劇もふ く み 革命も戦争も公害も。 今も現に一日で見ているでしょう。遠くは地球のあちちら側まで、互いに みつめあい はなしあい 劇の相談を しながら 劇をすすめているでしょう。そして地球上のみんなが観賞しているでしょう。 たしか毎日天にかがやく太陽は たった一つだけだとしても みんなの一人一人には それぞれに朝があり タ ~ ( 6 ) があって仰いでいる 拝んでいるでしょう。 月へは 人類の数人が たしか往って来たそうだし その他の星へは これから数年後数十年後の予定に入ってい る ら し い 。 そんな大自然大宇宙の舞台をふまえて お互い一人一人が 自転公転しつつ それぞれ意味ある円舞曲を ふ る ま うているでしょう。 ⑤ 主 役 は 叫 び ま す 。 ﹁ 生 き て い る すべてのみなさん この尊い劇を味はいなさい。すぐと参加しなさい。その不 思議の運命に 乗 り 尊い使命を果しなさい。﹂ ⑥ そのテ l マ の 意 味 は 、 ﹃ ほ ん と う に 讃うべき不思議た生類人類の経歴史﹄・:﹃心から敬うべき妙法蓮華という 経 典 ﹄ H ﹁ 南 無 妙 法 蓮 華 経 ﹂

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① この超絶した長縞 意味深重の無限劇の最も重要の一段を 立派に果し了えられた人をたたえて私どもは之まで こう申し上げて来ました。 ﹁南無末法唱導師本化上行高祖回避大菩薩﹂ ︵ 必 ・

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︶ ムとんだこと

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運命 ① ソシの首がとんだ 木像の首がとんだ 一 九 七

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身延の祖師堂の大首が泊まれた とんだこと とんだこと ーあれから 七

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年目の九月十二日 ② 坊主の首はおがむ首 本気になって拝む首 折れたそうな 生きてるからには、憎まれる 刀千本 ¥1) だからこそ拝まれる 木像までも持まれる 拝むものと 拝まれるもの すじがあればこそ

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たしかなすぢをたどってみる 諸天普神一山の守護神たち ( 7 ) どうして守らぬのか それとも守れぬのか ③ 或 は 拝まれる首に おがむガンクピを嫌ったのか 魂があるからこそ やたら

・ ・ ・ 君 の 首 ぼくの首:::切捨御免の:::生首なんか とんでもない とんだのか ソシのクピが だからこそ (?) 千部万部の経ダラよりも 木像のお首にはニカワがいい ⑧ 祖師のお魂は 何んじゃいな? ハ 必 ・ 9 ・ m w ﹀ ×思案

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! 召 命 (→ 人間としての教育 人類としての教育 平 戦争を通らずに革命を通らずに 文化人としての教育:::それらは 和のうちに可能であるか。公害を仕末する教育より 公害を招かないで 立派に健全にやってゆけるような教育は いかにして可能であるか

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だから﹁教育の世紀﹂といわれるのか。そんならば ほんとうの教育とは 人間として

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人類として 文化人として 何であるか。 人間・人類・文化人の生き方の重いイミにつながるものとして 新ためて閃いたい。 末法|十二・三世紀から六・七世紀にわたる今日の 世界史における大きな特質を感じうる。それは 内乱と佼 略戦争と革命 いわば 脱皮をつ.つけてきている。宗教が戦争を呼び文芸復興ハルネッサンス﹀のめざめとなり 産 業の革命をよび 社会の政治の階級の革命から さらに二回の世界大戦 さらに科学原理の革命から 只 今 情報革 命 精神革命に及んでいる。人聞が 人類として 文化人として生長してくるとき 当然脱皮する。内外にわたって 脱皮しなくてはならないのだろう。ついに すべて ナンセンスとなり 断絶となり

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× 式 に 自己のために 他 人を否定しなくてはならないのだろうか。 という字である。首にシンユウがかかって、求めあるいているではないか。 ﹁道は常の道にあらず﹂ ︵老子︶。それ ( 8 ) で は 自己とは何か H と ほ 自己が自己に問いかける。自己が自己をさがす。たしかカタ通り文字通り︵漢字の﹀:::道 は宇宙の原点に立つ すがたである。 (斗 ぬきとられたお首の穴に どこからか ひろうてきたお首を そっくりはめこんで めでたしめでたしで お さ まるわけではあるまい。ひろうてこなくともミノシロキン︵身代金﹀であがなえたとしても または別に第一流の芸 術家にたのんで 日本第一のソシ像に 金ランのケサ衣をまとうて およろこびになるおソシさまではないし さ て さて外の首ではない 内の首 う ち く び 。 たしかあのお首はギフン︵義憤﹀ド!コク︵働突﹀ケフクワン︵叫喚﹀なさったお首であった。そして 恐しい うめきごえ ガキ・チクショウ シ ュ ラ ヂゴクのドロドロした ノロイやらウラミを あざやかに きれいに切り

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さ . は い て 天地一ばいに祈念なさった お 首 で あ っ た 。 そのお首は 下から 仰ぎたてまつり 拝九拝されたいお首ではないし みたりきいたり 味はったり ほ め た たえてもらいたいお首でもなく そのお首のコンパク そのものになること そ れ が うちわのお首 コ ン パ ク の お 首 で あ ろ う 。 ( 三j お首のありどこは たしかそこである ここである。われわれの五体の最上頂部にまします 真実まごころのや ど る と こ ろ 。 ひれふして宇宙すべてが た ち 一すぢに太万わたる身の ね う し ﹁日蓮といいし者は去年九月十二日子品川の時に うえん 雪中にしるして有縁の弟子へおくれば まごころは とうときものと 拝む日の来る 法に依り 人に依らずして 浮雲をこゆ 首はねられぬ。これは塊腺 佐渡の固にいたりて か へ る 年 の

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9 ) 月 をそろしくてをそろしからず。みん人 い か に をぢぬらん。此れは 釈迦多宝十方の諸仏の 未来日本国当世を うつしたまふべき明鏡なり。かたみともみるべし。﹂ うつしてみるとは そ と 自己をみつめながら思う

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!なまなましい外との コンパクとは かがみとは たれがみるのか たれをみるのか 頭 首 顔 I 面 |眼 目 かかわりあいを みとめながら そ れ を いよいよ正しくある ょうたしかめること。それが いよいよ深くあるよう つとめること。それが いよいよ大きくのびるよう ま こ と を つ く す こ と 。 い つ も 現実を 全 体 の かかわりあいでとらえる。しかも過去から現在 未来へと生きのびて し か も す べ て を 生 か し て い く 。

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お 生ど 命 三 そ あ と の え お お て 精

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顔か 神主面ほ全 と と 責 を 限 任 目 を と とるもの

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そのお首と うけつごう 全世界人類の みんなが うけつごう あのお首に 直結して

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qoJ f ﹄ 官 ‘ 咽 A 4 τ i 、 、 以 上

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本地!使命 ムとんだこと

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運命 × 思 索

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召命 の三章の文句は偶成しただけのものだが、 つ い た 命 の 三宇に縁して﹁いのちの述環﹂と名づけた。使命は神仏の命ぜられた仕事 聖なる計画事業のこと。運命は現実の事 件、いわゆるもてあそばれ流されるハップニング、それがひいてどんな事になるかわからない。それにいやでも応で もぶつかって、なんとかかんとかもがいてのがれようとし、運命にさからいながら コ ー ス を と り 使命に応えよう ( 10 ) とするのを召命とでもいったらどうかと思う。それには よほど正しい真剣な思索。偶発した事件はたとい小さくと もそのイミからすれば深い場合がある。そうしてここに﹁いのちの連原﹂をかかげたのも、所以は軽くはないと信ず る

宗祖大聖の史実はいつも新たに感受し直されねばならぬだろう。それは事実のセンサクに止まらず、我々自体の自 覚の度に応じて始めて新たな感応が出る。今ここには、大聖のこの山をめぐってどんな動きがあったか、前後の論述 を 省 み て み る 。 御入山はたしかに幕府当局への、それこそ猛烈な痛諌であるが然し、さりとて御入山後に﹁彼等が何々する﹂とい

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う行動を、どれほど期待されたかどうかは疑はしい問題であろう。だが事切逼し来ったとき、どういう吹きまわしで どういう事が起きるかは分らない。そういう万一を祈り求めて用意し期待されたも疑ひ得まい。特にあの当時︵一二 七三﹀の未来の日本国及世界、 いわゆる三国並びに一閤浮提のゆく先きを.控えられたに違いない。殊に足元にせまっ てきてる焦眉の急である。ただ一人、 ﹁よも今年は過ごし候はじ。﹂と断ぜられた、その対策である。そこには公私 内外表裏にわたる神仏を御相手の相談である。 それほどのことは一向に御消息にも御著作にもあらはれてはいないが、 かすかに伺へるかと思うのは、所謂﹁御本 尊 仰 木 ﹂ の 中 の 讃 文 と か 勧 請 式 の 例 で あ ろ う 。 ︵一八七一︶ともかくこの満六年、二千二百日に余る御苦肉の日目。こ の日程のうちひそかに気づかされたのは、 ﹁御諮問書﹂のイミする催しである。時期といい内谷といい、そこに何等 かの糸すじはあると認め得ょうか?なほ今後の考究にまたねばなるまいが、それは表向きの人間相手のそれではなく いわば大聖内々のおつとめに過ぎない。神仏御宝前への御法楽である。そうして文永・弘安両役のあの結末である。 ( 11 ) 日本一国が救はれたのは一の事実、敵国︵高麗・中国の宋・元︶二十万の大軍が二度にわたって海底のもくづと化し たのもやはり一の事実である。ああこの大事実を予想すればこその四格言、地獄・天魔・亡国・国賊と責め叫んだ二 十年、五尺の身のをく所なき迫害、日本上下万人を相手にした戦斗は皆この一事実のため。それほどの誘法退治の神 業を憎むのか。我々凡愚の想測のゆるされぬ所にちがいないが、 神・仏冥々の語らひがあったにはちがいない。 軍仏力があえなく藻附たらしめたのは一体どういうイミなのか。それとも蒙古︵大元国﹀自身の帝国主義的天魔の所 たしか唯仏与仏の支えがあるには相違ない。または を 今はただ凡愚のいいぐさ、思はくでいえばやれやれと肩の重荷の降りたような、弘安四年の冬ハ十一月廿四日︶、

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西 谷 の 一 角 に 、 目を見はるような大事件の発祥。文字で書けばカンタンだが、あの時代のあの地域での人間群衆の感嘆である。今の ゆ − F h w し 旬 、 ﹁十附四而の大坊﹂の建立である。それはただ草庵と一寺院との差ではなく、その御丸宗祖自身の確 信と気宇の差である。そんな気ぷりは殆んど表はされてはをらぬのも亦一の不思議である。 その日のことだったと思う。宗組親しく、 ﹁身延山久遠寺﹂と名づけられたこと。山といい寺といい地といい人と いい法という。イミはこの字を通し、この名を通じて、天地一ばいに鳴りひびいて宣言しているのである。日本全国 及び全世界に叫んでいる。その名称のもつ純粋精神性が実にこの身延山論のきき手か語り手かもしれぬ。わかりよく い え ば 、 ﹁永遠にわたって山を俗化せしめず、自然を破峻せしめず、この地球・宇宙を守ります日蓮大土のお山﹂で あ る 。 -'-・ ノ、 ( 12 ) しかはよく分らないにしても、結果的には、 そうした内外の大業を了えられた?のか、別立年︿弘安五︶お体の御容態に主づけてか、どういう事情か又いいまは ﹁ひたちの湯へ行って、十日か十五日位静 お体も旅するに耐えるから、 養しようという﹂と話がまとまったのであろう。波木井実長公とも充分と懇談はあった。また当然、 お基のことも御 承諸は得られていたろう。そして調子がよければ、一局州の方へ廻られて御父母のお墓を詣り、師匠導普御.房のお墓も 参ろうと、そしてそこらの状態、御健康や環境の都合によってはどこで果てるか分らぬが、弘安六年の御年賀は、そ れこそ久久ぶりに、小淡の海波に乗った旭光を迎えようとなさったのかもしれない。それが思いがけなくも、十日に 近い旅程が、大層に苦しかっ・たらしい。お到着のタベは、とてもひどいお疲れの様で、早速の御あいさつ状も口授、 花抑さえも筆がはこべないで、そのおわび言を添えられている。四・五日のほどは御安静を願い、 ゃうやくに二十五

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日 に 、 よりよりかけつけた人々に対して、肢則の御遺教の法鐙をひらかれることとなったらしい。それが伝説に﹁立 正安国﹂の御訓諭といわれるのも、もっとも至極と思われる。六老僧の選任も、その他の極めて切実なお話しがあっ たにちがいないが、その中での一節に、大聖人は、身延山に基を定めるについて、 できたら、御屍体をそのまま身延 に運んで、そのまま埋葬して欲しいとの御意向であった。それについて弟子一統の苦労は、今の我々から想像もでき だ び ない憂慾である。敢えてこのことを申し上げて御諒察を願うて、この地で茶毘して御遺骨を身延に思葬することの許 可を得たのである。そのこみいったことばの往復は今、仮りに抹消してしまったとしても、なぜ身延にお骨をお埋め になるのか。今では唯一の御状︵代筆口授﹀に、 ﹁さりながらも日本国にそこばく もてあっかうて候みを 九 年 ま で御きえ候ぬる御心ざし 巾すばかりなく候へば いづくにて死に候とも はかをばみのぶさわにせさせ候ベく候﹂ このおことばだけからみると、大聖人は波木井氏の九ヶ年帰依の篤信にめでて、 一身毛府を挙げて、山地の懐ろにゆ ( 13 ) だねられたようである。だから、そこからすれば、信仰上、その墓地は身延にかぎらず全国・世界どこでもいいわけ だ。お題目をとなえる入信にその在処が即盆山である寂光である c 一 心 欲 見 仏 不 自 惜 身 命 、 ど こ で も 供 出 霊 碑 刷 山 で あ る 。 そ の よ う に さ と り 、 ひらけてみればそれで結構、御闘はどこでもいい在つでもなくてもいいことになる。そんな 小リクツは別として、宗机御自身の御父母に対する孝心、師匠への報恩、御墓参のお気持、只今の俗士出那への御報 謝のお心情はまことにまことに目をみはるではないか。今ここだけでいえるのは、身延山論の一分子には報思がある で ま 一 £ 、 ト 0

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