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精神的健康に関する心理学的考察 : 遊びの視点からの一試論

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(1)精神的健康 に関す る心理 学的考 察 一一遊 びの視点 か らの一 試論―一. 平. 辻. 治. 郎. 序. 現代 ほ ど異 常が蔓延 してい る時代 はなか ろ う。 コイ ンロ ッカーに赤 ん坊 の 死体 が は い って い た り,優 生保 護 の名 の下 に胎児 の抹殺 が社会 的 に奨励 され た りす る。 GNPを 謳歌す る社会 の 中で,公 害病 に苦 しみ,怨 念を もって死 んで行 く人 た ち もい る。 その他 ,性 的倒錯 ,過 激 セ ク トヘ の盲従 ,等 々異 常 な事象を数 え あ げ れ ばい とまがない。 しか しなが ら,中 で も大 きな異 常 は. ,. May,R.(1969)も 述 べ てい るよ うに,ア パ シー (感 情 の鈍 麻 ・枯渇 )が 一 般 化 し, この よ うな異 常事態 に驚 ろきを感 じな くな った こ とで あ ろ う。 しか しなが ら,多 少 な り と も精神 の健 康 さを残 してい る人 た ちは,感 じな けれ ばな らな い はずの危機を感 じな い 自 らの異 常 さに,ふ と気 づ き慄 然 とす る。 そ して, このよ うな危機感 は次第 に深 ま って来 てい るといえよ う。 この よ うな状況 の 中で 精神 の正 常 と異 常,健 康 と不健康 の 問題 に対 して,一 般 的 な 関 心 の高 ま りが生 じて来 てい る。 しか しなが ら,残 念 な ことに,従 来 の臨 床心 理 学者 は,精 神 の異 常 や 不健 康 を治療 しよ うとは努力 して来 たが,治 療 目標 で あるはずの積極的健 康 の 間 題 につ いて は,あ ま り考慮 す る ことが なか った。確 か に, ヒューマ ニ ス テ ィ ック・サ イ コロ ジーの立 場 の学者達 は,精 神 的健康 の 問題 につ いて も論議 し て い るが,そ の論議 は殆 ど この グル ー プの 中だけ に限 られて い る し,ま た. ,. 彼 らの議 論は,筆 者「1身 が臨1床 的経験を通 じて得 た精神 的健 康像 と も若干 の ズ レが あるよ うに思 われ る。 そ こで,本 稿で は,今 まで に行 なわれて来 た精 神 的健 康 に関す る論議 を概観 してみた後 ,筆 者 自身 の見解 と所感を述 べ る こ.

(2) 2イ θ. と に した い 。. 2.精. 神 的健 康 の規 準. Ackerman,No W.(1958)│こ よれ ば,精 神 的健康 の規準 と して は,次 の 2 つ の ものが考 え られ る。. (1)統 計学 的 な平均 としての正 常 と統計学的な偏 りとして の病気 (2)理 念 として描 かれた健 康 なパ ー ソナ リテ イの機能 に関す る力動的な モ デ ル に近 い もの としての正 常 と, このよ うな理念上 の モ デ ル か らのいち じる しい偏 り として の病気. (1)の. 5μ 規準 につ いては,Lazarus,Ro S.(1963)も 指摘 す るよ うに,「 “ 均 l'. ,ま た,「 の人 が比較 され るべ き真 によい標準 で あると主張 で きるだ ろ うか」 どの程度標準 か らはずれ てい るのを異常 あ るいは病 的 とす るか」 とい った問 題 が あ る。実 際,宮 本忠雄 (1967)も 述 べ てい るよ うに,統 計的な平均 を も って正 常 とす ると,た とえば,「 虫歯 の少 しあ る人が正 常 , 全 くな い人 は異 常 とい う奇妙 な論理 を生 み 出 して しま う」。 そ こで,「 む しろ,そ こに加 えな けれ ばな らな いのは,価 値 が あ るか否か とい う規準 で あ る。 この観点 か ら見 ると,虫 歯 がな いのは価値 あ る異 常 とい うことにな り,そ れが つ ま り健 康 な ので あ る」 。 このよ うに,平 均 と しての正常 の概念 は規 準 とはな りえ ず, ど うして も(2) の理念 的 な健 康 の概念 が必要 にな って来 る。従 って ,我 々は,科 学的普遍 的 体系 との関連 づ けを怠 た る こ とはで きな い が,い たず らに「科学性」 や「普 遍性」 の観念 に と らわれ る こ とな く,精 神 的健 康 の概念 を 明確 に して行 きた い と考 え る。. 3。. 精 神 的 健 康 に 関 す る代 表 的 見解. │1的 健 力 に関す る論 議 は,次 の さて,Lazarus,RoS。 (1963)に よれ ば,精 卜 │〔. 2つ が有 力で あ る。.

(3) 辻. 虫ド. 平. 2イ ゴ. '台. (1)ス トレスの しる しのない こ とを も って よい適応 と し,よ い適応 がす な わ ち精神的健 康 で あ るとす る見 解 (劾. 自己実現 の達成 ,積 極 的努力 とい った 目的遂行能力を強調す る立 場. (1)に. つ いて,Lazarusは 更 に次 の よ うに説 明 して い る。す なわ ち,健 康 な. パ ー ソナ リテ ィで あ るな らば「物 理 的社会 的環境 に うま く順応 し,ス トレス を 感 じる こ とな しに 自分 が住んで い る文化 の あてが う役割 や価値体系 や 行動 パ ター ンを受 け い れ るべ き」 で あ る。 また,「 健全 な人 間は安楽 で あ り,社 会 によ って与 え られ る社会的なつ とめ (た とえば, 自家稼業 ,貯 蓄,家 族 を養 うこと等 )を で きる限 り効果 的 にはた し,ス トレスの身 体的症状が な く社会 規 準 か らい ささか もはずれ ない」。 このよ うな見解 につ いて,Lazarusは 次 のよ うな批判 を 行 な って い る。. (1)精 神 的健 康 の意 味す るところが消極 的 で あ り, この よ うな定 義 は現 代 社会 で は役 に立 たない。. (2)ま た,周 囲 の世界 に順応 す る こ とを 強調 しす ぎてお り,積 極 的 に環境 を 改善 して行 く過程 を 軽視 して い る。. 確 かに, この見解 は,積 極 的な健 康 につ いての考察 を欠 く場合 に 陥 りが ち な見解 で あ り,常 識 的な適応概念 に依存 じす ぎて い る。 この よ うな意味で. ,. 特 に(21の 指摘 は重 要 で あ る。筆者 自身 は更 に,た とえば,漠 然 とした不安 の よ うに,こ れが あ るか ら不適応 とは い ゝが たいが,不 安 を感 じて い る当人 に とって は不適応感 が あ る, とい った す ぐれ て現代 的な問題 につ いて は, この 見解 の範 囲内 で と りあつ か うこ とが困難 で あ り, この よ うな意味で限 界 が あ ると考 えて い る。. 4。. ヒ ュー マ ニ ス テ ィ ック. サ イコ ロ ジー の. 精神 的健 康論 第 二 の見解 は,理 念 的 な健 康 の概念 と して ヒューマ ニ ス テ ィ ック・ サ イ コ.

(4) 2イ. 2. 精神的健康 に関す る心理学的考察. ロ ジーが主 張 して来 た もので あ り,最 近 で は多 くの学者 が うけ いれて い るも ので あ る。 Lazarusは , この見解 につ いて ,「 成 功的な適応 を 自己実現 の達 成一一 す なわ ちあ る人間 が可能 な限 りの最高 の能 力を成功的 に表現す る こ と ,「 人 間 ひ と りひ と りは彼 にお しかか る社会 的な月:力 に消極的 に調 一 一 と見 」. 子 を あわせ るもので な く,社 会 的 な力 の支配 と彼 の最高 の知 的芸 術的能 力 の 表現 とを積杓i的 に求 め るもの と見 る。彼 らの見解 で は,精 神的健 康す なわ ち よい適応 は,積 極 的努力 と成長 の 問題 で あ る。」と説明 し,彼 自身 も この考 え を 支持 して い る。 と こ ろで ,一 口に ヒューマ ニ ステ イ ック・サ イ コロ ジー とい って も,そ の 内容 にはかな リニ ユア ンスの ちが い が ある。 そ こで ,本 稿 で は Rogers,C.R. と Maslow,A.H.の 見解 を見 てみ る こ とにす る。 まず ,ROgers(1959)に つ いてみてみ ると,彼 は, クライ エ ン ト中心療法 が極 限 に まで 成功 した と仮 定すれ ば,そ こに到達 した クライ エ ン トは理 想的 な健 康状態 にあ ると考 え , 1-分 に機能 して い る人 間 (a fully functioning. person)と 呼 ぶ。 そ して,こ の よ うな完全 な成熟 を もた らす条件 は次 の よ う に記述 され る。 人 間は,有 機体 の実現 に 向 う生来 の傾 向を もってお り, また, 自己の経験 を正確 に意識の上 に象徴化す る能 力 と傾 向 とを もってい る。 この よ うな実現 傾 向 の成就 と経 験 の 象徴化 とは,重 要 な 1川 係 にあ る他者 (significant,Others) か らの無条件 の 肯定 的顧慮 (unconditional positive regard)が 経験 され. ,. 肯定 的顧 慮 ,肯 定 的 な 自己顧慮 を求 め る要求 が満足 された場合 に,完 全 に行 なわれ,十 分 に機能す る人間 とな る。 十分 に機能す る人 間 の特徴 は. ,. (1)経 験 に対 して 開 かれてお り,情 報 が防衛機制 によ って歪 ‖llさ れ る こ と がな い. (2)従 って,経 験 の意識化 が可能 で あ り,. 、. (3)意 識化 され象徴化 され た経験 は資料 が融1す か ぎりの最高 の正 確 さを も つ よ うにな る。.

(5) 辻. 2イ. 平 治郎. 3. に)か くして, 自己構造 と経 験 とは一致 し ,. (51 自己構造 は新 しい経験 を同化 しなが ら柔軟 に変化 し ,. (6)自 己を評価 の主 体 と し. ,. (7)既 成 の価値観 に と らわれ ぬた めに,無 条件 の 自己顧慮 るもの と して 認 め る)が 経験 され. (自. 己を価値 あ. ,. (8)倉 」 造 的 な適応 も可能で あ る。. (9)ま た,既 成 の価値観 で はな く,有 機体 の経験 に もとづ いた価値観 を. ,. 自 らの行動 の信頼 で きる指針 とす る し ,. 仁 0 他者 との関係 も最大 の調和 を保 つ だ ろ う。. ROgersの 精神 的健 康 に関す る論 議 は,一 対 ― の対 人 関係 を過 度 に重視 し ,. 健 康を阻害 して い る物 理 的社会 的条件 を 軽視 してい るため,人 間関係 さえ 改 善 されれ ば健康 に な りうるとい うオプテ イ ミステ ィ ックな現状 肯定論 に な り かねない とい う点 で 問題 が あ る。 この 他 に もい くつ かの 問題点 が あ るが,そ れ らは後 に一 括 して 論 ず ることに したい。. 。次に. Maslow(1962)の 所説 を検討 してみ よ う。彼 は,精 神 的 に健康 な人. 間を「完全 な人間」 と1呼 び,昆 虫学者 が典型 的な蝶 の 標本 を選 び,医 者 が身 体 的 に最 も健 康 な青年 を選ぶ のが 「神秘 的 で も,独 善 的 で も,疑 義 のあ る こ とで もな い」 の と同 じよ うに,人 類最良 の 標本 と して と り出す こ とがで きる と考 え る。 そ して, この よ うに して選 び 出 され た典 型 的 に健康 な人間 は次 の よ うな特徴を もつ と言 う。. (1)現 実を 正 確 に認知 し,防 衛 的 でない。 (2)自 己 自身,他 者 , 自然を あ りの ま ゝに受 容す る。. (3)た かめ られ た 自発性。. (4)他 の こ とに心 を うばわれ る こ とな く,課 題 に効果 的持続 的 に と り くめ る課題 中心的 な態 度。 (51 人 間関係 にお け る独立分離 の増大 と,た かめ られ たプ ライバ シーに た.

(6) 2イ イ. いす る要求。. (6)自 立 的な内的規準 を もち,文 化 や慣 習 か ら独立 した態 度 を と りうるこ と。. (7)斬 新 な鑑賞 眼 と豊かな情緒反応。 (81 至高経験 の 頻繁 な体験。. (9)仲 間 との共感 関係 が人類 との一 体感 に まで拡大 され る こ と。. uO. 緊密 な対 人 関係 を もち続 け る こ とがで きる こ と。. llll. 民主的 な性格構造。. 2 生来 の精神 的本性 を実現 す る こ とによ り達成 され る 自己実現 の倉」造性 は. ,. 等。 │1的 健康す なわ ち 自己実現 を可能 な らしめ る条件 と なお,Maslowは ,精 卜. して,生 理 的要求 や安全要求 な どの下 位要求 の 満足 が必要 で あ ると考 えて い る。 また,一 般 の大 多数 の人 間 が精神 的 に健 康 とな るためには,典 型 的 な人 間 の行動法則 を「科学的倫 理 」 と して とり入 れ る必 要 が あ るとも述. べ て い る。. Maslowの 見解 は,典 型 的 に健 康な標:本 として選 択 され た人 々についての 調 査資料 に もとづ いて い るとい う点 で 説得 力が あ るが,次 のよ うな問題 がみ Lる 。 らオ. (J. まず ,「 人類最良 の標本」 は彼 のい うほ ど 簡単 に 選 び 出せ るものだ ろ. うか。彼 は,「 よ い人間 は “人 間 "と い う概念 を充足 し,満 足 させ る程度 に従 5F均 的」 で もな って よ い」 とい う Hartman,R.(1959)の 規準 を援用 し ,「. く「価値 的 理念 的」 で もな い第 三 の規準 を提 唱 して い るか にみえ る。 しか し なが ら,彼 の「典 型 的」規準 と平均的規準 や 価値 的規準 との ちが いは明 らか に されてお らず,そ の規準 は彼 の述 べ るほ ど自llXの もの とは認 め られな い。 む しろ,動 植物 の 典 型 を選 び 出す原 理 を人 間 のそれ と同一 視す る こ とによ り. ,. 価値 的規準 を平均的規準 にす りか え,更 にそれを 典 型 的規準 と呼 びかえてい るにす ぎな いよ うに思 われ る。.

(7) 辻. 平 治 郎. 2イ. 5. 121 この よ うに価値 的な ものを含む規 準 によ って選 択 された健康 な人間 の 特徴 は,何 らかの形 で もとの規準 の 中 に含 まれて い ると考 え られ,一 種 の 同 語反 復 に陥 って い ると考 え られ る。 (31 また, 自己実現 を可能 な らしめ るため には下位要求 の満足 が必要 で あ ると述 べ て い るが,健 康達成 の条件 を これ だ け に還 元 して しま うこ とは,そ の他 の物 理 的社会 的 な疎外 の状況 をおお いか くす こ とにな りかねない。 に)な お,「 科学的倫 理 」 は. Maslowの 価値観 のお しつ け にな りかねない. し,ま た,Rogers(1956)も 述 べ て い るよ うに,精 神 的 に健康 な人 の行動 は 極 めて 多様 で あ り予測 困難 で あ ると考 え るな らば,そ こか ら抽 出され る行動 法則 は極 めて 抽象度 の高 い もの とな るはずで あ り,モ デル と しての具体性 を 欠 くと言 え よ う。. 以上 ,主 として ヒューマ ニ ス テ ィ ック・サ イ コロ ジーの精神 的健康論を見 て来 た。 これ らの議論 の 中心 テ ー マ は「 自己実現」 で あ り,精 神的 に健康 な 人 間 は 自己実現 して い る (あ るいは, しつつ ある)人 で あ るとされた。 しか しなが ら,「 自己実現 」とい う概念 は,強 調 されてい るに もかかわ らず,極 め て 抽象的 に しか語 られ てい な い。 これが具体 的な 言葉 で表現 され ると ,「 可 能 なか ぎりの最 高 の能力を成 功的 に表現す る こ と」(Lazarus)と され た り ,. あ るいはよ り直哉 に「完全 に はた らくこ と」(Maz10w)と され,そ の意味は 能 力主義的生産至上主義的視点 の もとに統 一 され ,限 定 されて くる。 す なわ ち, ここで は,生 産 と直接結 びつ かない活動 は捨象 されて しま うので あ る。 また,上 田吉 一 (1969)に よれ ば, 自己実現 に は,比 較的個人的 な側 面 と 普 遍的社会 的 な側 面 とが あ り,精 神 的 に健康 な人 は,こ の両面 の矛盾 を 弁証 法的 に統一 し,共 に生 か して い るとされ る。 しか しなが ら, この よ うな矛盾 の克服 は現 代社会 で は決 して 容易 な こ とで はない。 それ ど ころか,上 田 自身 も弁証法的統一 の必要性 を 指摘 しなが ら,そ れ に到 る方法や過程 につ いて は 全 く述 べ て い な い よ うに,そ れ は,多 くの人 々に とって あま りに も超越 的理 念 的 で あ り,現 実的 な意味を もち に くい とさえいえ よ う。 この よ うな見解 は.

(8) 精神的健康 に関す る心理学的考察. 2イ δ. この両側面 の「現実 」 の統 一 で はな く,統 一 の「 幻想」 を求 め させ る こ とに な り,結 果 的 には ,「 個性 の展 開」 が行 なわれて いないに もか かわ らず,普 遍 的 な価値 の 実現 の 中で これが 行 なわれて い るとい う 幻想を もたせ ること にな る 。 こ うして 普遍性 を もたない 個人的 な価値 は抑圧 を こ うむ るので あ る。 この よ うに,非 生産 的 な活動 を捨象 し,個 人 的価値 を抑圧 す る こ とによ っ て, 自己実現 は,普 遍 的社会 的 な意 味を もつ 生産 的活動 に積極 的 に とりくむ こ と,と 考 え られ るよ うに な り,精 神 的健康 も このよ うな意 味 で理 解 され る よ うにな って 来 て い る。 筆 者 自身 は, 自己実現 の重視 とい う点 で は ヒ ユー マニ ス テ イック・サ イ コ ロ ジーの見解 を うけ いれ るが, ここで捨象 し抑圧 され た非生産 的個人的 な意 味 の活動 を もっと重視 したい と考 え る。 と こ ろで ,こ のよ うな非生産 的個人 的 な活動 の典 型 は「 遊 び」で あろ う。 そ こで,次 に,遊 びの視点 か ら,精 神 的健康 の 問題を見 てみ ることに した い。. 5。. 遊 び の視 点 の導 入. 遊 びに関す る論議 は,余 暇 の増大等 とも相倹 って,さ かん にな って来 てい るが (た とえ ば Caillois,R.,1958), ここで は一般 的 な論議 は省 l各 して,精 神 的健 康 との関連 の みを とりあげ る こ とに したい。 まず,精 神障害 に対 す る遊 びの「 治療機能 」 につ いて見 てみ ると,遊 戯 治 療 的 な観点 か ら多 くの心理 学者 が このよ うな機能 を認 めてい るよ うであ る。 た とえば,高 野清純 (1970)は 子 どもの遊 びにおけ る治療 的価値 として次 の よ うに述 べ てい る。. (1)遊 びは,楽 しみ と満足 を ともな うので,治 療 へ の導入 に,他 の動機 づ けを必要 と しない。 121 遊 びは,経 験 や感情や考 え方 を表現す る言 語 であ る。. (3)遊 びその ものが生 活適応 の方法で あ る。す なわ ち,遊 びによ って,不 安 や欲求 不満 を 自由 に表現す る ことがで きる し,解 消す る こ とも可能 で あ る。.

(9) 辻. 平 治郎. /. 2イ. また,遊 戯 的方法 の効果 につ いて は次 の よ うに考 えてい る。. (1)カ タル シス. (2)成 長 の可能性 の促進. (3 学 習 14)認 知構造 の変容 (5)洞 察. (6)対 人 関係 の変容 (7)集 団 の効果 高野 の論議 は,遊 戯 的方法 において も一般 的な心理 治療 の過程が見 られ る とい うこ とに力点 を おいてい るため,遊 びに つ いての考察 は必 ず しも十分 で はないが,な お,治 療 的機能 の存在 を認 めてい る。 このよ うな論議 を遊 びの視点 か ら整理 してみ ると. ,. (1)遊 びは,感 情 や 欲求 を解放 し,表 現 させ,更 に,浄 化 し,満 足 させ る。 (2)遊 びを通 じて,子 どもは,感 情 や欲 求 を適応 的 な方 向 に支配統制す る こ とを学 習す る。. (3)遊 び とい う模型 的世界 の 中で,子 どもは, 自己の身体 ,外 界 の事物. ,. 対 人 関係 な どに対 す る理 解 を深 め,支 配す ることを学ぶ (Erikson,E.,1950)。. (1)に. つ いて は大人 の遊 びに もあて は まるが,(2L(3)は ,主 と して子 どもが. 遊 びを通 じて成長 し,学 習 し,洞 察を深 めて行 く過程 を指 す ものであ り,遊 びが 積極 的な成長発達 に も寄与す ることを意 味す る。 しか しなが ら,こ のよ うな機能 は,大 人 の遊 びに まで一般化 され る こ とは 少 な い。 それ は,等 しく遊 び とい って も,子 どもの遊 び と大人 のそれ とは異 な ると考 え られて い るためで あ ろ う。確 か に,子 どもの遊 びは 「 一 種 の進歩」 で あ るのに反 して,大 人 のそれ は「 退行」 (Wallon,H。 1950)で あ る。 しか し共通点 が見 られ ぬ わ けではない。 それ は,遊 びを「 現実」 との対 立 関係 に おいて と らえ た場合 で あ る。「子 供 は遊 びに どん なに情熱を そそいでいて も. ,.

(10) 248 遊 びの世界 を現実 か らは っき り区別 してい る…… 」 (Frend,S。 ,1908)し. ,. 大人 が このよ うな 区別 を見失 な う こ とはな い。遊 びは,現 実生活 か ら隔離 さ れ ,保 護 され た独特 の世界 を形成す るが, この点 において は大人 の遊 び も子 どものそれ も区別 され な い。 しか も, これ は遊 びの本質 的 な属性 で あ る。 ま た, 自由 で快楽 を ともな う点 な ども両者 に共 通 して い る。 この よ うに,両 者 には本質 的 な差異 がな いに もかかわ らず,大 人 の遊 びに は治療 的機能 を認 め る学者 が少 な いのは,そ れが,進 歩 ,生 産 ,普 遍性等 の 一 般 に承 認 されて い る価値観 と対立 してい るためで あろ う。 大人 の遊 びに治療 的機能 を認 めな いのは一 種 の偏 見で あ るとすれ ば,大 人 の心理 治療 に も遊 びが利用で きるはず で あ る。 この点 につ いて は,た とえば 箱 庭や描画等 の「遊 び」が,大 人 の精神障害者 に対 して も有効 な治療手段 とさ れ てい る こ と (河 合隼雄 ,1969)で. ,十 分実証 されてい ると考 えて よか ろ う。. 次 に,遊 びには,積 極的 に精神 的健康 を維 持増進す るよ うな機能 があ るか 否 か,と い う問題 に論議 を進 めてみ たい。残 念 な こ とに, この よ うな問題 に 対 して は関心を もたれ る ことが少 な く,あ ま り論議 は行 なわれて いない。筆 者 自身 も この 問題 に対 して明確 に答 え られ るよ うな資料 を もちあわ せてお ら ず ,従 って,こ の 問題 につ いて論 ず る こ とは困難 であ る。 しか しなが ら, こ の よ うに資料不 足 で はあ るが,少 な くとも,遊 びの喪失 は精神 的不健康 へ の 転落 につ なが る こ と,逆 に,遊 びが精神的不健 康 にお ち い らぬための安企 弁 にな って い る ことだ けは,筆 者 の臨床経験 か らも確 認す る こ とがで きる。 た とえ ば,登 校拒否児 につ いて見 てみ ると,彼 らの典 型 的 な ものは,問 題 の発生以前 は ,お とな しくて 勉強 には げむ「 よい子 」 で あ るのが普通 で あ る。 しか しなが ら, この 時点 において も,彼 らは しば しば きま じめす ぎて進 べ な い。遊 びに対 して も現実生活 に対 す るの と同程度 の ま じめ さを もって と り くむ ため,遊 びを仕事 や 勉強 と同程度 に苦痛 と感 じる。 ゲ ー ム な どで勝敗. を待つわ くわくとした期待感は,彼 らにとっては快楽ではなく不安 となる。 従 って,彼 らは遊びを回避しようとし,傍 観す ることが多い。強制 されれば.

(11) 辻. 平 治 郎. 2イ. 9. 遊 ば ぬ わけで はないが,義 務 的 で あ って,時 には恐怖心 さえ 示す こ と が あ る。 彼 らは,ま た,遊 びの精神 を知 らな い。 普 通 の子 どもな ら,「 たい した こ とはない」 と笑 って うけなが せ るよ うな ことを,ま じめに うけ とるため. ,. た とえ ば,ち ょっと した忘れ ものや友達 にか らかわれ た ことな どを深刻 に悩 んで登校で きな くな るので あ る。 このよ うに,神 経症 的 な障害 において は,主 た る症状 が発生す る以前 に. ,. 遊 びの喪失 が見 られ る こ とが多い。 もちろん, このよ うな現象 は子 どもだ け で な く大人 に も見 られ る。. Frankl,V.E.(1952)は ,最 近次 のよ うな人 々が増加 してい る ことを指摘 してい る。 す なわ ち,こ れ らの人 々は,ふ だん は善良 な労働者 であ り,不 健 康 の兆 候 は殆 ど見 られな いが 週末 や 日曜 日にな るともの うい嫌 怠感 に と らわ れ無感動 とな る。 しか も,気 持 の上 では何 かを しなけれ ばな らな い とい う焦 燥 感 にか られ不安 にな る。 Franklは この よ うな状態 を「 日曜神経症 」 と呼 び,「 実存 の空 虚 さ」 によ って説 明 してい るが,「 遊 び」 を喪失 した人 間 の空 虚 さであ るともいえ よ う。実 際, これ らの人 々は遊ぶ こ とが殆 どで きない。 時 に遊 びを試 み ることがあ った と して も,不 安 か らの逃避 の手 段 とされ る こ とが 多 いため, しば しば強迫 的 で あ った り耽溺 の様 相 を示 した りす る。 この ため,遊 びは,本 来 もって い るはずの 自由,よ ろ こび,余 裕 な どを喪失 して い る。. このよ うに,遊 びの喪失 は同時 に精神的健康 の喪失 を意 味す るが,そ れで は この両者 は いか な る関係 に あ るのであ ろ うか。 ここで 若干 のス ペ キ ユ レイ シ ョンを試 みた い。. (1)遊 びは,ま ず何 よ りも,現 実生活 か らの解放 で あ り,か つ,超 越 的 な 価値規範 の拘束 を免 がれ る こ とを意 味す る。現実 的,超 越的な圧 力 か ら保護 され 隔離 され た独 自の世界 にはい ることを意 味す る。従 って,ふ だん は抑制 され た り抑月1さ れ た りして いた欲求 や感 情 を 自由 に飛翔 させ満足 させ る こ と がで きる。 ドラマの 中では よろめ くこと もで きる し,人 形 に対 して な ら攻撃.

(12) 25θ. も許 され る。上 司 や親 との関係を逆転 させ 打 ちまかす こ とも可能 で あ る。遊 びをす る人 は,遊 びが「虚構 であ るが ために,実 際 に傷害 をあたえ るな らお きる罪悪感 ももた ず にすむ し,実 際 には 自分 の 限界 や能 力を越 えた力 に対 し て も勝 つ こ とがで きる」 (Woltman,A.G。 ,1963)の で あ る。 このよ うな感 情 の解放 は,快 感を もた らしそれ 自身 を浄化 し満足 させ る力を もつ し,ま た. ,. 無意識的 な感 情 や 欲求 に気 づ かせ,防 衛を少 な くす る こ とに も役立 つ 。従来 遊 びの治 療 的機能 とい われて いた ものは,主 と して これを指 してい る。 もち ろん, このよ うな機能 は同時 に精神 的健康 の維持増進 に も役立 つ といえ よ う。. (2)と ころで,遊 びは現実生活 か ら分離独立 した もので あ ると述 べ たが. ,. 遊 びを よ りよ く理 解す るためには,現 実生活 の状況 ,特 に しば しば遊 び と対 比 され る「 労働」 の おかれた状況 を見 ておかな けれ ばな るまい。 大雑把 にいえ ば,現 代 で は,労 働 は細 分合 理 化 されて,そ の全体的な意 味 を把握 す ることが困難 にな って来 てい る。 また,現 代人 は このよ うに部分化 され た労働 に適 合す るよ うに「 専門化 」 された能力を発達 させ たが, この こ とによ って他 の潜 在的 な可能性 を切 り捨 て 抑圧 して しまった。 このため,労 働 は辛 苦 とな り,個 人的 な充実感を労働の中に見 出す こ とは次第 に 困難 にな りつつ あ る,と いえ よ う。 と ころで,労 働 が この よ うな状況 にあ るが ゆえに遊 びが重要 な意味を もっ て くる。我 々は,過 去 に切 り捨 て 抑圧 して来 た潜 在的可能性 を,遊 びの中で 実現す ることがで きる。十分発達 させ ることがで きなか った可能性 を,た と え ば, 日曜画家 や 日曜 大 工 と して,あ るいはア マ チ ユア音楽家 と して,遊 び の 中で は ぐくみ開花 させ ることがで きる。 ここにおいて,我 々は,全 人格 的 な発達 の よろ こび を もつ こ とが で きるので あ り ,ま た ,さ さやかで はあ る が, 自己実現 を達成 した ともい う こ とがで きよ う。 確 かに, この よ うな意 味 での 自己実現 は,現 実生活 の 中で 自己実現で きる 人 々に とって は不必要 な もので あ ろ うの しか しなが ら,多 くの現代 人に とっ て は, この よ うな遊 びによ って辛 うじて 自 己実現 が可能 にな ってい るともい い うるの であ り, この よ うな意味 で,遊 びは,現 代人が精神 的健康を維持す.

(13) 辻. 25ゴ. 平 治郎. るための安全弁 と して必要 不可欠 な ものにな って来 て い るといえよ う。 日曜 神経症 の患 者 も, も し遊 びの中で 自己実現 がで きていた とすれ ば,神 経症 に かか らず にす ん だで あろ う。 、. (3)遊 びは また,井 上俊 (1973)も 述 べ てい るよ うに,現 実生活 か ら切 り 離 されて い るがゆえに,現 実生活 を相対化 し,価 値 の転換 をはか る ことがで きる。現実生活 を茶化 し諷刺 して来 たのは,こ のよ うな遊 びの 精 神 で あ っ た。 それ は遊 びで あ るがゆえに論理 的体系 的 で はな いが,深 い洞察 を含む こ とが あ る。 た とえば,「 親 を見 りや ボ クの将来 知れ た もの」 (矢 野寿夫 ,1972. )と 詠 め る子 どもは,父 親 に対 して皮 肉な 目を向 けて は い るが,父 親 のおか れ た状況 へ の鋭 い洞察 を もつ こ とによ って,父 親を,更 には父親 と同一視 さ れ た 自 己を も暖か く受容す ることがで きる。更 には,よ りよ く自己実現 で き る方 向 を模索 しさえ し始 め るだ ろ う。 この よ うに,遊 びの精神 は,不 健康 な 状況 の批判 や告発 , 自我 防衛 , 自己実現 へ の方 向づ け等 の役割 をはたす もの で あ る。 に)こ の ほか,遊 びの 中で 共感 的 な体験 を もつ ことは連帯感 を強化 し,孤 独 か ら救 って くれ る こと,ま た前 に述 べ た よ うに,特 に子 どもの遊 びで は. ,. 自我 による感 情 や欲 求 あ るいは現実世界 の支配統 制能 力を高 め られ る こと. ,. 等 が指摘 され よ う。 (励. と こ ろで,以 上 の議論 は,遊 びの現実 離脱 的 ・快楽的側面 に偏 して い. た き らい がな いで はな い。遊 びは,こ の よ うに,一 面 で は外 的 な現実世界 を れて 内面 的な感情や欲求 の 流れ に身 を まか せ ,快 感を追求す るもの で あ るが 離 ,他 面 で は,外 的現実 を模倣 しなが らこれ へ の統制能力 を高 め る とい う二 重 の機能 を もつ もので あ り,更 に このよ うな内面 的 な感情 の世界 と外 的現実 世界 との融和 統合 を はか り止揚 しよ うとす るもので あ る。従 って,我 々は. ,. 遊 びを発達 させ る こ とによ り,現 実世界 に よ る感 情世界 の抑圧 神経症 が生 じる)ヾ D,感 情世界 によ る現実 1け 界 の圧倒. (こ. (こ. れ によ り. れ によ り妄想 や幻. 覚等 の 精神病 的症 状 が生 じる)を 回i壁 す ることがで きるので あ り,バ ラ ンス の とれ た健康 な人 格を形成 す る こ とがで きるの で あ る。.

(14) 252 なお,以 上 に述 べ た こ とは,Mas10wの 「健 康性退行」 やAllport,Go W.. (1961)の 「 ユ ーモア」等 とも無 関係 ではなか ろ う。 しか しなが ら,Maslow が それを 「低 い」欲求 へ の退 行 と し, Allportが 「洞察」 と同水準 の もの と 考 えて い るよ うに,彼 らは極 めて限定 された範 囲 内でのみ遊 びを認めて い る ので あ って, この点 で 筆者 の見解 とは異 な る。既 に明 らかなよ うに筆者 は遊 びを 低俗 な ものか ら高雅 な もの まで広範 にわた るもの として議論を進 めて来 た。 この よ うに広 い範 囲 にわた って 自由 にゆれ 動 くこ とがで きるがゆえに. ,. 遊 びは精神的健康 に も寄与す る こ とがで きると考 えてい るので あ る。. 6。. 以上 ,極 めて不完全 で はあ るが,精 神的健 康維持 のため,あ るいは,精 神 障害 の 治療手段 と して,遊 びが 不可欠 とな って きて い る こ とを指摘 した。 た だ, この よ うに遊 びの重 要性 を強調 しては来 たが,筆 者 は決 して従来 の精神 的健康論を全面否定 しよ うと してい るので はない。 それ ど ころか , Rogers や Maslowあ るいは Jung,C.G。. (1921)ら のいわゆ る 自己実現 につ いて は. ,. 筆者 自身 もそ の重要性を痛感 して い る。 ここで敢 えて遊 びを 強調 したのは. ,. 従来 の精神的健康論が遊 びの視点 を欠 いてお り,遊 びの 中で 辛 うじて 自己実 現 が可能 とな るよ うな現実状況を軽視 していたか らにほかな らな い。筆者 の 意図 したのは,遊 びの 祝点を導入す る こ とによ り,精 神 的健康論 を補完 す る こ とで あ った。 この よ うな立場 か ら. 概略. ,. 次 の よ うにな ろ う。. (1)あ らゆ る欲 求 や 可能性 が,不 当に切 り捨 て られた り抑圧 され た りす る こ とな く十分意識 され,少 な くとも重要 な ものだ けは,た とえ「 遊 び」 の よ うな形式であ って も,発 達 させ満足 させ られて い る こ と. (411111人. 的要求 ・可能. 性 の 実現 ). (2)環 境 に順 応 しなが らも,「 1己 の 同一性 (idcntity)を 失 なわず, 必要. にす 1的 行動をとり,〃 │:ノ ゴ dし ても独立 ブ な場合にはサ. :小. ti的. に環境を改善して行く.

(15) 辻. 平 治 郎. 253. 力を もつ こ と (順 応 と独立 ,社 会 的価値 の実現 ). (3)生 産 的倉J造 的活動 に積極 的 に と り くめ ると同時 に,非 生産的活動 に も よろ こびや 楽 しみを もて ること (労 働 と遊 びの バ ラ ンス). 14)そ の他 , 自己及 び環境 の正 確 な認知, 自己及 び他者 へ の愛情 ,民 主 的 な態 度 ,等 々。 精神 的健 康 とは,要 す るに,労 働や遊 びを通 じて,外 的物理 的環境 へ の適 応 ,内 的 エ ロス 的要求 や 可能性 の発 達 ,更 には,社 会 的環境 の 改善 に も向 い うる,生 の展 開過程 で あ るとい え るだ ろ う。. PSYCHOLOGICAL MEANING OF MIMENTAL HEALTH HEIJIRO TSUJI Most psycho10gists have suppOsed that a mentally healthy persOnality shOuld adjust" well tO his environment.On the other hand, Humanistic Psycho10gists “ me,tiOn that a mentally healthy persOnality is nOt only adjusting but also productive. and pr6giessive(nOt regressive), and they regard these characteristics as products of “ self‐ actualization。 ". However, in present world, we are apt to be alienated from “work", and it is very difncult for us tO actualize Ourselves only in work. It follows that we need to introduce the cOncept of. play", oppOsite to “work", into the discussion of “ mental healtho we assume that play is important for mental health, thOugh it may not be prOductive and prOgressive. In play, we can ① release emotions and express ourselves, and ② satiSfy our needs that have been suppressed or repressed and have not developed. In this sense, self‐ actuahzation can be realized through play. Moreover, ③ frOnl the``play"pOint of view,we can criticize the present``unheathly" world。. The writer alsO pointed out that play is necessary for psychotherapy and maintenance of mental health, and that being able to enjoy play is one of the important characteristics of a mentally healthy personahty..

(16) 精神的健康 に関す る心理学 的考察. 25イ. 献. 文. Ackemann,No W.Psychodynamics of family life。 係 の理 論 と診断. 小此木 ・ 石原 訳. 1958。. 家族 関. 岩 崎学 術 出版 社 1965。. Allport,Go Wo Pattern and growth in personality。. 今 田他 訳. 1961。. 人格心 理 学. 岩 波書店 1968.. Caillois,Ro Les iellX et les homes.1958.清 水 ・ 霧生訳 遊 び と人 間 岩 波書店 1970。. Erikson, lEo Childhood and societyo Norton. 1950。. Frankl,V.Eo Aerztliche Seelsorge.1952.霜 山徳面訳 Freud,S.Der Dichter und das Phantasieren。. 1908。. みすず書房. 死 と愛. 高橋 義孝訳. 人 日本教文社 1953. ‐ Hartman,R。 The science of value.In Maslow A.H。. (ed。. 1961. 空想す ることと詩. )New knowledge in. human values. Harper. 1959. 井上. 俊. 死 にが いの喪失. 筑摩書房 1973.. Jung,C.Go Psychologische Typen。. 1921.高 橋 義孝 訳. 人間 の タイプ. ロ本教文社. 1970.. 河合隼雄. 箱庭療法入門. 誠信書房 1969。. Lazams,Ro S.Personality and adiuStment.1963.帆 足喜与子訳. 個性 と適応. 岩波. 書店 Maslow, A. Ho Motivation and personahty. Harper. 1954.. Maslow,A.H.Toward a psychology of being。 1961.上 田吉一訳 完全 な る人 間 誠信書房 1964.. Mり ,R.Love and will.1969.小 野泰 博訳 宮本 忠雄. 正 常 と異常 の 区別. 愛 と意志. 誠信書房 1972.. 朝 日新 聞 1967.11.25。. Rogers,(じ 。Ro A theory of therapy, personality, and interpersonal relationships as developed in the client‐ centered frameworko ln Koch, S。. study of a scienceo Vol. 3. McGraw‐. Rogers,C.R.The concept of the fully functioning person。 分 に機能 して い る人 間 高野清純. 遊戯 的方 法. ロ ジヤー ズ全集 内山他編. (ed。. ) PSyCh010gy: a. Hin。 1959.. 第 12巻. 児 童心 理 学 講座. 1963.ォ 寸山正 治訳. 十. 岩崎学術 出版 社 第 3巻. 267-301.岩 崎学 術 出. 版 社 1970. 上 田吉 一. 精神 的 に健康 な人間. 川島書店 1969。. wanon, H. L'evolution psychique chez l'enfant. Le ieu de l'enfant. 1952.. 7竜 サミ」こ.

(17) 辻 久訳. 科学 と して の心理 学. 平 治 郎. 255. 誠信書房 1960。. Woltman,A.Ge Concepts of play therapy techniqueS.In Haworth,Mo R.(ed.) Child psychotherapy.外 林大作訳. 29-48 矢野寿夫. 遊戯治療 につ いて の諸概念 ,児 童 の心理 療法 I. 誠信書房 1968。 親 を見 りゃボクの将来知れ た もの. 三笠 書房 1972..

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参照

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