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張麟之の郷貫について

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Academic year: 2021

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(1)張 麟 之 の 郷 貫 に つ い て 沢. 治. 郎. 1. 張麟之 はノ、も知 る如 く南宋 の代 に「 指微韻鏡」 を始 めて 公 刊 した人物で あ る。 それ故 に今伝 わ る指微韻鏡 は一 名を張氏韻鏡 とも呼 ばれて ,中 国音韻史 の研究上 に重要 な地位を占 め る書 で はあるが ,張 氏 その人 の 名 は他 の文献 に 再見 す る と ころが無 く,そ の本貫 も定 かで な い。尤 も,指 微韻鏡 の巻頭 に張 氏 の序文 と解説 とが あ って ,そ れ に成立 の年月 と張氏 の郷 貫 とおぼ しい 地 名 と,彼 自身 の署名 とが見 え るが ,こ の序文 には第 1序 と第 2序 とが あ り,そ の書 かれた年月 は二 つの序文 の 間 に42年 ほ どの前 後差 が ある。郷貫 とおぼ し い言 己載 も第 1序 には 紹興辛巳七月朔 ・ 三 山・ 張麟之 ・子儀 ・ 謹識 。 とあるけれ ど も,第 2序 には 嘉泰 三 年 二 月朔 0東 浦 ・ 張麟之 ・序。 とあ って「 三 山」「 東浦」 を序文成立 当時 の彼 の居住 地 だ った とすれ ば ,果 して何 れ の地 方 の どの辺 に当ろ うか ,い ろい ろ考 え るわ け だが未 だそれ を明 確 に突 きとめた人 は無 い。 張氏 の郷貫 につ いて 云 々す るわ けは,前 記 した張氏 の韻鏡 につい て の序文 な らびに解説 (両 者 を併 せて 序例 とい う)に よ ると,張 氏 の在世 時即 ち南宋 代 の実際音韻 と,か れ の 伝えた指微韻鏡 の表面 にあ らわれ てい る音韻 との 間 に若干 の差が観取 せ られ ,そ れが時代 差 と共 に地 方差を も意 味 して い ると思 われ るか らで ,つ ま り張氏 が北方 の人か 南方 の人か に依 って 韻鏡面 との差 が 意 味 づ け られ ,ひ いて は韻鏡面 の 音韻を 理 解す る上 の有力な資 料 とな るか ら で ある。 (注 1).

(2) 三 沢 諄 治郎. θ 9. 三 山 ・東浦 の所在 を突 きとめかね る主 な理 由は,三 山 とい う地 名 が余 りに も方 々に あ り過 ぎ,反 対 に東浦 とい う名は殆 ど文献 に見 る こ とがで きな いか らで ある。軽 く考 え る と,東 浦 とい う地 名を専 ら探 し出 して ,有 り余 る三 山 の何 れか一 つ と結 び つ けれ ば,大 てい 張氏 の郷里 の方処 は定 まろ うと判断 し 勝 ちで あ り,筆 者 も相 当 の期間 そ う考 えた ので あ った が ,そ れ は安易 に過 ぎ る考 え方 だ と気 が つい た。前 記 した よ うに第 1序 と第 2序 との 間 には42年 の 歳 月 が流れて い るので あるか ら,初 め三 山 に居 って 後 に東 浦 に移 った とい う こ とが十分 に考 え得 る。若 し第 1序 も第 2序 も同一 の土地で 成立 した もの だ と仮定す るな らば ,そ の よ うな場合 に,先 には三 山 と書 き,後 には東浦 と書 くもの だろ うか。多 くの人 物 の 中 には勿 論 そ うした夕1が な い とは 云 え ま い が ,こ こで は,そ うい う考 え方 は少 な くとも第 二 次 的な もの と見 ねばな らな い。第 一次 的 には42年 の前 と後 とで住 所 の移動 が あった もの と見 るのが至 当 な考 え方 で ある と気 が つ いた。 2 この 問題 につ いて一 言 を費や した先学 たちの考 は どうで あ ったか ,管 見 の 及 ぶ 範 囲 で主 要 な もの を拾 い あげて見 よ う。 ▼ 指微韻鏡私抄 略 (覚 算 01404年 ) 三 山 トハ郡 ノ名 ナ リ,福 州 二三 山郡 ア リ。東 浦 ハ地 名 ナ リ。 ▼韻鏡切要抄 (往 誉 01626) 三 山 トイ フハ郡 ノ名 ナ リ,福 州 二三 山 ノ郡 ア リ。東 浦 トハ地 ノ名 ナ リ。 ▼韻鏡 開査 (宥 朔 01627) 三 山 ハ郡 ノ名 ,福 州 二三 山郡 ア リ。 ((東 浦 に つ い て は 記 述 が な い )). ▼韻鏡遮 中抄 (太 田嘉方 01663) 福州「 三 山」郡。 ((東 浦 に つ ぃ て は 記 述 が な い )). ▼ 韻 鏡 指南 抄 (太 田嘉 方 01671) 三 山 ハ 福 州 二 三 山郡 ア リ。 ((東 浦 に つ い て は 記 述 が な い )).

(3) 張麟之の郷貫について. 4θ. ▼韻鏡易解 (盛 典 01691) 三 山 0福 州 ノ郡 ノ名 ナ リ。東浦・ 所住 ノ名。 ▼帰元韻鏡 (岡 玉摩 ・ 1698) 三 山 ハ郡 ノ名 ,呉 域 ノ福州 ニ ア リ,張 氏 出産 ノ所 ゾ。東 浦 卜云 フ所 ニ テ 是 ノ序 ヲ書 ク トナ リ。 ▼韻鏡詳解評林 (著 者不 明 01702) 三 山・ 方輿 勝覧 二 日 ク,福 州府 ノ三 山郡 ハ帰安県 ノ西南 八十 三 里 二 在 り。 ((東 河│に つ ぃ て は 記 述 が な い )). ▼韻鏡諸抄大成 (馬 場信武 01705) 三 山 ハ郡 ノ名 ,呉 城 ノ福州 ニ ア リ。 張氏生産 ノ所 ナ リ。大 明一 統志 ・ 巻 七十 四 ,福 州府 二三 山郡 ア リ。東 浦 ハ地 ノ名 ナ リ。 …… 東浦 卜云 フ所 ニ テ是 ノ序 ヲ書 ク トナ リ。 ▼韻鏡易解大全 (盛 典 01714) 三 山・ 福 州 ノ郡 ノ名 ナ リ。 東 浦 ハ所住 ノ県 ノ名 ナ リ。 ▼韻鑑古義標註 (河 野通清 01726) 三 山 ハ大 明一統志 ・巻七十 四 二 福州府 ノ郡 ヲ三 山 卜名 ゾ ク。 註 二 云 ,九 仙 卜鳥石 卜越 王 トノ三 山倶 二城 中二在 り,故 二名 ゾ ク ト。然 ン ドモ三 山 ノ名 ハ余 ノ処 二 又 コ ン有 り。 常州府 オ ヨ ビ安 吉州 ・ 金 陵 ,並 二 三 山 ア リ。東 浦 ハ何 ンノ州 二 属在 スル カヲ知 ラズ。是 レ未 ダ 張氏 ノ紀伝 ヲ詳 ニ セ ザ ル所以 ナ リ。次 ノ序 二 謂 フ所 ノ三 山 モ亦復之 レニ 同 ジ。今按 ズル ニ 東浦或 ハ東歩 二 作 ル コ トア リ。 (下 略 ) ((以 上 は 巻 上 に 記 す と こ ろ )). 三 山 トハ大 明一統志 ・ 九十巻 ノ内,名 跡 ノ三 山 卜号 スル者十 二 処 ア リ。 今 ,張 氏 ノ三 山 ノ如 キ未 ダ何 レノ州 二 属 スル コ トヲ詳 ニ セズ。蓋 ン来 哲 ヲ侯 ツ ノ ミ。 予按 ズル ニ ,一 統志 ・巻六 二云 ,応 天府 ,古 ノ金陵 ノ三 山 ハ応天府 ノ西南 五 十七里 ニ ア リ,下 ,大 江 二臨 ミテ三 峯排 列 ス,故 二名 ヅ ク。 …… 唐 ノ李 白 ガ詩 二 ,三 山半 バ落 ツ青天 ノ外 トイヘ ル是 ンナ リ。 同巻十 二 云 ,常 州府 ノ三 山。 同巻 二 十 五 二広寧 ノ三 山 ア リ。 同巻 二 十六.

(4) 4ヱ. 三 沢 諄 治郎. ニ 云,開 封府 ノ三 山。 同巻三 十 一 二云,汝 寧府 ノ三 山。 同巻 三 十 七 二云. ,. 寧夏衛 ノ三 山。 同巻 四十 二云 ,湖 州府 ノ三 山,古 ノ安吉州 ナ リ。 同巻 四 十 二 二云 ,金 華府 ノ三 山。 同巻六 十一 二云 ,徳 安府 ノ三 山。 同巻 七十 四 二 云 ,福 州府 ノ三 山。 同巻 八 十一 二 云,潮 州府 ノ三 山。 同巻 八 十 二 二云 , 廉州府 ノ三 山。余 ハ未 ダ詳 カニ 之 ヲ考 ヘ ズ。 ((以 上 補 遺 に 収 む )). 上 の よ うに,河 野通清以外 はただ三 山を福州 の三 山 と云 った だ けで ,確 か な依 り所 を示 して い な い とい って よい。東 浦 にいた って は一人 としてそ の見 当 さえ つい てい な いので ある。 そ こで今度 は諸 橋博士 の「 大漢和辞典」 を披 いてその語 る と ころを挙 げて み よ う。 ((¨ …は便宜上省略の部分)). =. 山. (J山. 名. に)満 洲 ・ 遼寧省 ・ 緩 中県 の前衛西北。〔読史方輿 紀要〕…… 三 山在衛西 北 三 十屋 ,高 数千匁 ,三 峯並 秀。 l・. )江 蘇 省・ 江寧県 の西南。一名護 国山…… 。〔 李 白・ 登金陵鳳凰 台詩〕三 山. 半落青天外。 │→. 江蘇 省・ 江寧県 の西南。〔読史方輿紀要 ・ 江南 ・ 江寧府 ・ 江寧県〕三 山在 府城西南六十七里 ,三 峯排 列 ,下 臨大江。. 日江蘇 省 ・呉県 の西南。〔水経 ・ ……〕太湖 中・ 有大雷小雷 三 山 ,亦 謂之三 山湖。〔較然 ・古別離詩〕太湖 三 山 口,呉 王在 時 道。 問安徽省・ 繁 昌県 の 東北。 老子 ・方丈 ・秦望 の三 峯 が ある。 〔読史方輿紀 要 ・ 江南 ・太平府 ・ 繁 昌県〕三 山磯 ・県東北 四十里 。 lal安. 徽省 ・来安 県 の東。〔読史方輿 紀要 0江 南 ……来安県〕三 山 ,在 県東 二 十里 ,三 峯並峙。. (卜. )福 建省城 の 中。〔曽輩 ・ 道 山亭記〕 城 中凡有 三 山. ,東 日九 仙,西 日間山. ,. 北 日越王。〔読史方輿 紀要 ・ 福建 ・福州府 ・ 侯官県〕越王 山…… 九 仙 山 …… 又鳥石 山,在 府城 内西南 隅与九 仙 山東西対峙 ,唐 天宝八載 ,改 日 聞 山……三 山皆在城 中,故 郡有三 山之名。.

(5) 42. 張麟之の郷貫について. 同広東省 ・ 掲陽県 の 西。〔読史方輿 紀要〕0…・0。 (り. )山 東省 …液 県北海. (三 山島)。. 以上 の通 り,而 して大漢和辞典 には地名 として の「 東 浦」 とい う項 目を発 見 す る こ とがで きない。 3. 河 野通清 の 挙 げた大 明一 統志 の地名 と諸橋大漢和 の挙 げ た三 山 とを比 較 し て ,そ の 同一地 で あろ うと思 われ る ものの見 当を つ けてみた い と思 い ,又. ,. 別 に「 中国地名大辞典 」その 他 の寓 目す る もの を併 記す る と次 の よ うにな る。. ①②③の符号は一統志のもの,④ OOの 符号は大漢和のもの,O④ Oの 符号 は地名辞典その他の ものである。 ①金陵の三山 (江 蘇省)。 ○江寧県の西南 (同 省)。. O江 寧県の西南 ②常州府の三山 ③広寧の三山. (同 省)。. (江 蘇省,今 武進県)。. (広 東省)。. ④開封府の三山. (河 南省)。. ⑤汝寧府の三山. (同 省,今 汝南県)。. ⑥寧夏衛の三山. (甘 粛省)。. ⑦湖州府の三 山. (漸 江省,今 呉興県)。. ○呉県の西南 ③金華府の三山. (同 省)。. (同 省)。. 〇余挑県の三山鎮. )(?). (同 省. ⑨徳安府の三山. (江 西省)。. ⑩福州府の三山. (福 建省,今 間侯県)。. ①福建省城の中. (同 省)。. ④福建省・清県東南五十里 ①潮州府の三山. (同 省)。. (広 東省,今 潮安県)。. O掲 陽県の西. (同. 省)。.

(6) 三. 沢. 諄 治 郎. ⑫廉州府 の三 山 (同 省,今 合浦県)。 ③渕鑑類函「 三 山在欽州上」 (同 省)(?) ④唐詩選巻三 ,今 参「 送張子尉南海」海暗三山雨. 花 明五嶺春(?). 問繁昌県の東北 (安 徽省)。 〇三山鎮 (同 省蕪湖県西南四十里)。. O来 安県 の三 山. (同 省)。. ①液県の三 山島 (山 東省)。 ④綾中県 の三 山 (遼 寧省)。 大漢和 の○ と⑤ とは現代の地図を按ずるにどうや ら同一箇所を指 している ようである。 この外,「 渕鑑類函」 には. ,. ⑤孝感県の二 山 (湖 北省) を挙げているが詳 し くは知るすべ もない。. ・. 現代 の地図の上で 明 らかに三 山とい う名を掲げているのは① の繁昌県 と○ の来安県 の三 山である。而 して これ らを概観す るに,三 山とい う名称 は三峯 連立 の所 に名づ けられるのが常で,時 には海上や湖中の三 島を指す こともあ るが,こ れ とて も三峯遠近 に相連なるの意 に外な らない。随 ってその名称た るや,た またま詩 によまれて有名 になるか,或 は府城に近 く曳節 に便である か,歴 史的 に高名であるかしない限 りはその地方 だけに通用す る狭 い名 であ ろうと想像 される。 そ こで,も し此の三 山を署名 の上 に冠 す るとすれ ば,三 山とい う名 の土地で生れたか,名 勝三山の近 くに棲むか による ものであろ う。 然 し,三 山とい う名称が右のよ うに数多いことと,三 山郡 を除 いては行改区 として の名称 ではな く,三 峯連立を意味しているとなると,特 に三山と題す る以上 ,そ の三 山は相当に高名な景勝地であるか,史 上 に名 の高 い所 を以て 第 1段 に考 え,第 2段 としてその他 の特有な名称 の分を考え るべ きであろう。. 4. ・. 上 記 二 十 数 項 の三 山 の 中か ら,今 述 べ た よ うな趣 旨 によ って著 名 な と こ ろ を ピ ック ア ップ す る と次 の三 つ に しぼ る こ とがで きる。.

(7) 44. 張麟之の郷貫について (甲 )江 寧県 の三 山 (南 京 の西南 )。. (乙 )呉 興県 の三 山 (太 湖 の周辺 )。 (丙 )福 州城 の三 山 (福 建省 )。 (甲 )江 寧県 の三 山は南京 の西南 ・ 揚子江 に臨ん だ と ころに在 り,李. 自の 「登. 金陵鳳凰 台詩」 で 有名 で ある こ とは既 に述 べ た。 これ は詩 に依 って著 名 な ものの代表 で あろ う。 (注 2)。 同 じ詩人 の「 驚破 一起三 山動」 も同 じ所 を 指す とい う。 (注 3)。 文選 に見 え る謝玄暉 の「 晩登 三 山還望京 邑」 の三 山 は「 江寧県北十 二 里 ,浜 江有 三 山相接」 とあるか ら,こ れ は叉別 の三 山 と 見 ねばな らぬ。 (乙 )呉 興県の三山は,浙 江省と江蘇省 とに跨がる太湖の附近又は湖中の三. =L島. を指し,太 湖は湖岸の出入が多いため「五湖」とも異称せ られ,湖 中に. 延FL:十 余の島があり,中 で も東洞庭・西洞庭・馬蹟の三 山が最も景勝 に富むの で 之 を太 湖 の三 山 と呼 ぶ 由。 (注 4)。 李 白 の「 大 鵬 賦 」 に (注 5), 塊視三 山. 杯看五湖. とい う対句 の あるのは之 を指 した のだ とい う。然 し又「 水経 Jに (前 記 ・ 大漢 和○ を看 よ), 太湖 二大雷 ・小雷 三 山 ア リ,亦 之 ヲ三 山湖 トイフ。 との解 が あるので ,山 名は必ず しも一致 せ ぬ が湖上 の三 山は風雅景勝 の地 として有名で あ った らしい。「 江南通志」呉県 (蘇 州 )の 項 に. ,. 西南 ヲ三 山 卜日 フ,三 峯相連 ナル ア リ。 昔 コ ノ湖 ヲ称 ンテ三 山湖 トナ ス者 アルハ此 ンヲ以 テ ナ リ…… 。 とある所 か ら見 ると,太 湖 とい う名 と二 山 とい う名 とは相 当 に密接 な関係 に あ った と思 われ る。三 山 の 名 は太湖 の周辺 に数多 く,「 湖 州府志」長興 県 の項 には 三 山在県南六十 七里 …… 。 三 山在県東南 六十里 …… 。 な ど甚 だまちまちで ,(挿 図参 照 ).

(8) 三. 沢. 諄 治 郎. X 〓︵出. O 来姜. 鎮浮 メ一 一 山  札州. ′ ‥ 、. 〇姜襲. O根 要. /. ロ. 口 国. %. %. E{[1慮 鴛 [][肛. 世輝 【 鴛. 献的. 三 山と呼ばれる所が各所 にあるのに驚かされる。 (丙 )福 州 の三 山 につ いて は,さ. きに諸橋大漢和①の項 に くわしく引いたか. ら此処 には くりかえさぬが,三 峯 が城邑内に在 ることが特色 で あり,又. ,. 行改区として三 山郡が置かれていたことに注 目せねばな らぬ。 5. 三 山 の所在 について は,ほ ぼ上 述 の程度以上 には 出 がたいか ら,そ こで. ,. 今 ,管 見 の及 ぶ 範囲 で ,三 山を郷貫乃至室 号 として 掲 げた人 々の例を探 って み よ う。. (A)林 之奇. (南 宋)=「 通志堂経解 書」 に林之奇 の 「 尚書全解」を収 め「 三 ・ ・ 山 拙斎 林先生」 と署 してい る。 この人 は中 国人名大辞典 によれ.

(9) 張麟之の郷貫について. 4δ. 「 侯官 の人 ,字 は少頴 ,拙 斎 と号す ,紹 興 の進士」 とあるので この三 山 は郷貫 を示 して い ると見 られ ,侯 官 は福州 の 古名 で あ るか ,. │ゴ. らこれ は確実 に福州 の三 山で ある と判ぜ られ る。. (B)張 元幹. (南 宋. )=「 汲古 閣書跛J(注 6)に 「 仲宋 ・別号芦川居 士 ・. 三 山 の人」 とあ り,又 別 に福建省聞侯県 の人 ともあるので ,こ の三 る。諸橋大 漢和 や人 名辞典 には「 長 山 は福州 を指す もの と判 ぜ られノ 楽 の人 ,字 は仲宗」 と見 え,長 楽 はやは り福州 に近 く東南直線40キ ロの地 点 にあた る。. (C)活 物. (南 宋. )=「 本事 詞 Jに 三 山 の人 な りと見 え,大 漢 和 には間県 の. 人・ 字 は庭堅 0端 平 の進士 とある。間県 ・ 侯県・ 間侯県 ・ 侯官 な ど 皆福州 の 時代 的 な異称 で あるか ら此 の三 山 も亦 正 し く福州 の もので ある。. (D)葉 申廊. (清. )=「 本事詞」 の 自序 に「 三 山・ 葉 申廊」 と署 して居 り. ,. 大漢 和 には福 建 の人 ,字 は小庚 と見 え る。 こ の 人 に は「 小 庚詩」 「 間詞抄」 な どの著 が ある。. (E)林 雲銘. (清. )=そ の著「 荘子因」 の序 に「 三 山・ 林雲銘・ 西 仲氏 Jと. 署 して居 り,人 名辞典 には侯 官 の 出身 とある。. (F)鄭 起. (北 宋. )=「 知不足斎叢書Jに 収 め られた「 清篤集」 には「 三 山. ・ 鄭 菊 山先生」 と見 え るが,宋 史巻 439に よる と,何 許 の人 な るか Πらず とある。 を矢. (G)呉 繹. (元. )=「 通志総序」 に「 五 郡守 ・可 堂・ 呉繹 ・書干 三 山郡斎」. と見 え ,呉 氏 の 出身 地 は不 明 で あるけれ ど も,郡 斉 とあるので福州 の三 山郡 を意味 して い ると考 え られ る。. 1(明 )=「 刻通志 二 十 略 Jの 序 に見 え,長 い肩書 の末 に「 三 山 (H)襲 用リロ 0後 学 ・ 襲用リ ロ l撰 」 と署 して い る。 この三 山 は確 か に郷貫 だろ うと 思 われ るが 明史 に伝 がな いので 確実 にどこと指す こ とはで きな い。 この外 ,大 漢 和 には. (I)胡 舜陽 (J)何 異. )=三 山老 人 と号す。 (南 宋)=三 山小 隠 と号す。 (北 宋.

(10) 三. 沢 諄 治 郎. (K)徐 行可 (明 )=字 は三 山。 な ど見 え るが ,胡 と徐 とは安 徽省 の 出身 ,何 は江 西省 の 出身 で ある。従 って この三 山は史的 に有 名 な地 ,景 勝 の地 に因ん で 選ん だ もの と判 ぜ られ る。 以上 の うち (A)か ら (E)に い た る 5件 は三 山 が福 州 の もので ある こ と に注意 した い。 (G)も 確 か に 同様 だ と考 え られ,(F)(H)の 三 山 は 出身地 を示 した もの に違 い な く,而 も有名 な所 で ある こ とが察 せ られ ,三 山を郷貫 とす る以上 ,そ れ は一 部景勝 の地 名 で はな くて ,歴 とした地 区 の名 で あろ う か ら,多 分 に福州 を指す ので はないか と疑 われ る。 張麟之 が第 1序 の末 に三 山 と署 したのは彼 が二 十 七 才 の頃 で ある。若年 の 張氏 が堂 々 と氏 名 に冠 す る三 山な る名 は近 隣 の狭 い範囲 の景勝地 の もの と考 えて よか ろ うか。 それ は老境 隠棲者 の なす と ころで はあるまいか。気 負 った 青年 の心理 の上 か ら考 えて も多 くの先 人 にな らって お の れ の郷貫 を誇 らし気 に名 の った ので あろ うと思 う。 してみれ ば指 す と ころはお の ず か ら一処 に落 ちつ くわ けで あろ う。 6. ここで 筆端 を一転 して「 東 浦」 につい て述 べ て みた い。 まず東 浦 とい う名 称 は,そ の名 によ って 予 め按 ず るに,海 岸 か湖岸 か河岸 か ,と にか く水辺 に 近 い 所 の もので あろ う。諸橋大漢 和 もその第 1解 として「 東方 の 浦」 として い るのは当然 で ある。前例 にな らって「 東 浦Jと い う名 の管見 に入 った もの を片端 か ら記 してみ る こ とにす るが ,最 初 に. (1)北 宋 ・梅 尭臣 の「 寄欧陽永叔 詩」 (注 7)を 挙 げね ばな らな い。 只期東 浦過. 共 酔小渓辺. 尭 臣 は欧 陽修 と善 く,詩 に巧 み で 害 て三 箇年半 にわた って湖州 の監 税官を勤 めた。 その伝 は宋史巻 443に 見 え る。 この双 句 の意 は「 只 期 ス東浦 ヲ過 ギル トキ,共 二小渓 ノ辺 リニ 酔 ハ ン」 で あろ うか。小 漢 はや は り地 名 で 現代 の地 図 に浙 江省 の西北部 ,太 湖 の南岸 ,呉 興 (古 の湖 州)の 南 に「 小漢村」 が あ り,そ の西 ,長 興 の西南 に「 小.

(11) 張麟之の郷貫について 漢市 Jの 名 が見 え る。私 は この際大漢 和 のよ うに東浦 を一般的 な普 通 名詞 と見 る ことには賛成 し難 く,小 漢 と共 に東浦 もやは り固有名 詞 で あろ うと思 う。 その理 由は下 にいた って 明 らか となろ う。 とに か くここの東 浦 は尭臣 が害 て湖 州 の官吏 で あ った とい う事実 と照 ら し合 せ て太湖 の附近 を指 して い ると考 えてよか ろ う。所 で ,前 に挙 げた よ うに太湖 の湖 中或 はそ の周辺 に三 山 とい う名勝 があるとい う こ とは 自然 に東 浦 とな らべ て 考 え られ ,耳 をそばたたせ ず にはおか ぬ ものが ある。然 し,附 近 における三 山 の数 は相 当に多 く,又 ,東 浦 の所在 もまだ明 らか で な いので ,性 急 に両 者 を結 びつ ける こ とは 慎 まねばな らな い。 元来 ,太 湖 の南岸 ,呉 興 には由緒 ある園林 が 多 く ,. (2)南 宋 ・周公謹 の「 呉興 園林記」 (注 8)を 見 ると,「 趙府 の北 園……東 浦書院 ・ 桃華流水 ・薫風 池閣 。東風第 一 梅 ナ ドノ亭 ,正 二湖 門 ノ内 二 俯臨 ン,後 ハ 城 二 依 ル。城 上 ヨ リー望 ス ンバ尽 ク具 区 (注 9)ノ 勝 ヲ見 ル 。 」 とあ り。 これ だけで は東浦 が呉興 の近 くで あろ うと思 われ るだ けで ,必 ず しも地 名 とは云 い 得 ぬ が,汲 古 閣主 人毛晋 がそ の「 六十家詞」 の 中 に. (3)南 宋 ・ 韓玉 の「東 浦詞」 を入れ其 の跛 に「 韓温甫 ,東 浦 二家 ス,囚 ツ テ以 テ其 の詞 二 名 ゾ ク」 (注 10)云 々 とある の を見 る と,東 浦 とは単 に東方 の浦 とい う意味 だけの もので はな くて ,た とえそ うした行政 地 区名 は無 か った として も,或 る著 名 な特殊地域 が あって それ は誰 人 に も首 肯せ られ る地 点 で あったろ うと思 う。尤 も この韓玉 な る人 物 は,同 名 の人 が他 に もあ って ,大 漢 和 によ ると①韓 玉 ・ 宋ノ、0も と金 人 ,著 に東 浦集 が ある。②韓玉 ・ 金 の人・ 錫 の 曽孫 0字 は温甫 とあ り。 中国人名大辞典 も これ に 同 じい。金史第 110に 伝 の ある の は即 ち② の方 で ,宋 史 268趙 諮 の 伝中 には売書人韓 玉 の名 が見 え. ,. 同 387江 応辰 の伝 中 には江 を議 した韓玉 の名が見 え るのみ で ある。 それ故 に,東 浦集 の韓玉 と韓温甫 とを同一人物 として取扱 った毛 氏.

(12) 三. 沢. 諄 治 郎. の言 の 当否 が 問題 になる。 又 ,人 名辞典 によ ると. (4)南 宋 ・黄簡 ,建 安. (福 建省 ・ 建願県)の 人 ,呉 に寓 し,一 名居簡 ,字. は元 易 ,東 浦 と号す。詩 にた くみ に して嘉熙 中 (1237-40)卒 す。 東 浦集 ・雲 壁 談 篤有 り,と ある。建安 は福 建省 の北部 に位 し,海 辺 で もな く叉 ,湖 岸 で もな い。 その東浦 と号 し,東 浦集 の著 の あるの は,蓋 し呉 に寓 した故 で はないか。呉地 は広 い と して も,昔 か ら 「三 呉」 と称 せ られたのは 呉興 (湖 州 )・ 呉郡 (蘇 州 )・ 会稽 (紹 興)〔 水. 経〕. 呉興. 呉郡. 丹陽. 典〕. 湖州. 蘇州. 常 州 (武 進 )〔 指 掌 図〕. 湖州. 蘇州. 潤 州 (鎮 江 )〔 名 義考 〕. 〔通. で あ って ,蘇 州 を東呉 と し湖 州 を西呉 と別 称 す るな ど何 れ も太湖 を 中心 としてい る ことに留 目す べ きで ある。呉 に寓 して東 浦 と号 し東 浦集 の作 あると ころに 自然 に東浦 とい う地域 が浮んで くるよ うに思 つ。 地 名 と して 明 らか に 東 浦 の 名 が 記 され て い る の は. (5)浙 江省 ・ 黄 巌県で ある。宋史巻97・. 河渠志 に「 黄巌県東地名東 浦 ,紹. 興 中開撃」 とある。紹興 は張麟之 が第 1序 を書 いた 時代 で あるか ら 新 らし過 ぎて気 にな るが ,東 浦 とい う名 は古 くか ら存在 したので あ ろ う。黄 巌県 は海 浜 か ら30キ ロ位 の所 に在 る。 更 に侃文韻府 には大 明 一統 志 を引 いて. (6)江 蘇省 の潤浦 は鎮江府 城 の東南 に在 り,一 名を東 浦 と云 い,隋 に潤州 を置 いた の は其 の名 を此 れ にと った ので ある。 又 ,(東 浦 に対 す る) 西浦 は鎮 江府 城 の西 に在 る云 々。 大 漢和辞典 には この外 に,清 の陳奉弦 が東 浦 と号 し,同 じ く顧成天 の室号 を東 浦草堂 と称 した こ とを掲 げて い るが,陳 は江 西省徳化 の人 ,顧 は上海 の 人で ,そ の他 の こ とは不 明 なので ,例 として 引 くこ とを省 いて お く。.

(13) 張麟之 の郷貫 について. 5θ. 以上 (J∼ 輸)に 亘 って東 浦 とい う名を と らえたが (Jは 東 浦 ・小漢 ・湖 州 の官 吏 とい う線 で ,9)は 呉興 (古 の湖 州)と 東 浦書院 とい う名 で ,に )は 東 浦 とい う号 と東 浦集 とい う書1名 ,そ れ に呉 に寓 した とい う経歴 で ,何 れ も太湖 に関 係 があ る。 b)は 太湖 を去 る こ と遠 くて 問題 にな らぬ が,俗 )の 鎮江 の東 浦 はや は り太湖 を離れ た もので はな い。 (挿 図参 照 )。 現在 ,太 湖 周 辺 の地 図 を い くら探 して も「 東 浦」 とい う地名 を見 出す. こと. はで きないが ,昔 太湖 の湖岸 が一般 に東浦 と称 せ られ たので はなか ろ うか。 「 甲南」 「 洛 東」 とい った雅称 と同 じよ 例 え ば 日本 における「 嶽南 」「 河北」 うに,仮 りに太湖 の東岸 地方 を広 い範囲 に亘 って 宋代 に東浦 と称 せ られ る習 慣 が あ った とすれ ば,張 麟之 がそ の晩年 に故 山を離 れて ,こ の地域 に隠棲 し た と想像 す る こ とも不可能 で はなか ろ う。 7. 今 まで の 記述 に よ って ,お の ず か ら二 つ の イメ ー ンが 浮 か び あが って くる よ う に思 う。 即 ち指微 韻 鏡 の 刊行 者 ・ 張 麟 之 が そ の 第 1序 に三 山 と署 した の. 0福 州を誇示 したので あろ うとい は「 三 山生 れ の」 とい う意味 で 自己 の郷貫 う こ と,そ の第 2序 に東浦 と署 した のは彼 が後年故 山を離 れて景勝 の地 太湖 の湖岸 に隠棲 の居 を営み ,こ こで 第 2序 以下 を綴 ったので「 東浦 にて 」 とい う意 味 で あろ うとい う想像 で ある。尤 も彼 が若 い 頃 に一旦郷里 を出て臨安 の 都 に居 を 占 め,後 に湖 辺 に隠居 した と考 えて もよい。 第 2序 の成 ったのは張 氏 70才 位 の時 で ある。 いわ ゆ る三 呉 の地 は,当 時 (南 宋)の 都 ・臨安 (今 の 杭州)に 近 く,学 者文 人 に愛好 され た所 で あ った ろ う こ とは,前 に挙 げた「 呉興 園林記」 を,読 しただけで も成程 と首 肯せ られ る。 か くて此 の篇 で追究 した三 山 の所在 は,想 像 の程度 に止 ま りは した ものの. ,. 福州城 内 の三 山を指す こ とに高 い確率 が示 され た。 これ は つ ま り鎌倉時代 の 覚 算 が私抄略 に述 べ た 所 と同 じ く,そ の後 の諸家 の説 と も一致す る こ と にな 1れ ば此 の稿 では全 く無駄 な努 力を費 したよ うで もあ るが ,堺 の韻 る。 して」 学 者 ・河 野通清 が大 り]一 統志 を援 いて近代 的 な疑 間を提 起 して以来 ,混 沌 と.

(14) 三. 沢 諄 治 郎. 5ヱ. して 定 ま らな か った三 山 の 所在 に一 応 仮 定 的 な 答 を 出 した こ と に な る。 又 ,東 浦 に つ いて は従 来 皆 目見 当 のつ か な か った の に対 し,と もか くも太 湖 の 附 近 を指 す だ ろ うと い う,こ れ 亦全 くの 仮 説 で は あ るが一 案 を提 出 し得 た こ と に満 足 す る。 見 聞 の 狭 い 筆 者 の 挙 げた例 は 貧 弱極 ま りな い もの だが今 は これ 以上 の 成 果 を 自 ら期 待 す る こ とはで き ぬ 。 今 後 新 しい資 料 の蒐 集 に よ っ て三 山 ・ 東 浦 の 所 在 を確 定 し,併 せ て 張麟 之 そ の人 の生 涯 を 明 らか にな し得 るな らば利 す る と こ ろ は少 な くな い だ ろ う。 そ うした前 進 に つ い て は地 下 の 河 野 通 清 氏 と共 に ,後 賢 来 哲 を待 つ の みで あ る。. 1)甲 南女子短大論叢・ 第 7号 の拙稿第13節 および追記 参照。 2)唐 (注 詩選・ 巻 5。 (注 3)中 国詩人選集 0李 白・ 上 190頁 。 (注 4)辞 海 による。 (注 5)欽 定全唐文・ 巻347。 (注 6)芦 川詞 の抜。 (注 7)侃 文韻府 による。 (注 8)説 学5収 。 (注 9)具 区は大湖 の異名。 (注. (注 10)汲 古閣書跛 によ る。 (1964。. 12.21稿 ).

(15)

参照

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