産業革命期の労働者の生活水準 : 「数量的楽観説」の自己崩壊について
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(2) . 第 14 巻 第 2 号. 北海道学芸大学紀要 (第一部B). 昭和38年12月. 産業革命期の労働者の生活水準 「数量的楽観説」 の自己崩壊について -- 小. 松. 淑. 郎. 北海道学芸大学札幌分校経済学研究室. ic Theory“ 。f the Yoshi 丁: A commen t 。n An ”optimist r8t r。 K0 iAr ion i I Revolut t f Br i St i t r a sin the lndus sh VVorker andard of Li ving o. ) 刊行以来, 未だに論 産業革命期 における労働者階級の状態については, かのクラパ ムの大著T 争が続いている, そ して, 英国学界においては, どちらかというと労働者のミゼラブルな状態を 主張 するトイソ ビー的古典学説が否定され, クラパミストの 「楽観説」 が通説化しつ つある. 30年代以降の雁大なモノグ ラフイト的研究の集積のうえに一つの決算 として出版された T ・ S ) は こ の よ う な 研 究 史 的 傾 向 の 代 表 で あ る. ・ ア シュ ト ン教 授 の コ ン パ ク ト な 「産業 革 命」2 ,. 教授の主張はつぎのような邦訳版への序女で集約的に表現されている.. 「 1 9世約の初期にイ ギリスでは, 賃銀労働者や一般貧民階級 の事情を調査するため政 府によっ て設けられた諸 団体が作成 した一連の報告書があらわれた, これらの報告書は初代 の経済史家た ちに身近な資料を提供することになったが, それらはま た簡単に解 釈していいものだとも考えら れた. たとえば多くの工場が生まれてきた. 貧困が増 大した。 人口が過度に密集した. 死亡率が 高まった. 賃銀の現物支払が 行われた等々というように. また工場の発展が社会的混乱を惹き起. こしたのだと考えられ, 産業革命は悪名を馳せた. ところで著述家のうちで報 告書を注意深く読 んだものは少かったのである. も し彼らがそうしていたなら ば, 右のような弊害の多く はより古. し・時代からの残存物であって, 工業技術の発達とは余 り関係がないということを理解したであろ. う. 彼らのうち, そ れらの報告書は経済制度の病的状態を扱っているのであって, その正常な生 理状態を扱っているのではないということを考えたものは少かっ た. また事態が悪化しつつある と信 じ込 ん で い た人 々 は 誰 一 人 と し て, 1789年, 1830年, 1848年 とヨ ーロ ッ パ 大 陸 で は激 しい 暴. 動が起ったのに, 何故イギリスでは, そう した政治・社会革命がなかったのか, いま一度考えな 3 ) お して み よう とをまし な か っ たの で あ る」. と こ ろ で, 「楽 観 説」 の古典的 「悲観説」 に対する挑戦の武器は何であったろうか. それはク. ラパ ムのいう 「数量的方法を大規模に経済史に組織的に適用する」 ものであった. これによって 「悲観説」 は, 世論喚起を目的とする社会改良家の誇張であり, 同情者の印象主義的主張である. として斥けられることになった. なるほ ど彼の駆使する賃銀指数, 物価指数, 貿易統計, 人口統 計は大きな説得力を有するかに見えた. 「悲観説」 の雄ハモン ド夫妻も, この数字の威力の前に 4 ) は降伏せざるを得なかった, アシュトソは, この数量的方法をいっそう採用すると同時に, さらに 「ケイン ズ革命の成果を. ● 経済史学にも摂取」 する方向に研究を進める . 彼は,「産業革命」 出版後18世紀の 「景気循環」 史 一 77 日.
(3) . 小. 松. 潟 R. 郎. 5 ) その手始めとして本稿の批判対象となる 「 17 的分析に進みつつあるようである. 90年から1850年 6 ) が発表された までのイ ギリスに お ける労働者の生活水準」 , と こ ろ が, こ の 論 文 は, ク ラ パ ム が 主 要 な 武 器 と して 利 用 し, ア シ ュ ト ソ 自 身 が 前 著 で 引用 し. ) の生計費指数が重大な欠陥をもつもの ているギルポイおよびウ ッ ドの賃銀統計, シル バ リソ グ7. であ り, しかも現在これに替る確実な指数も殆んどないという結論に到達せざるをえなかったの. である. そして, 結局は, 計量的方法による 「楽観説」 の直接的論証を断念して, 種々の理論的 操作 --たとえば, 国民総生産の上 昇は労働者取得分を増大させたか, あるいは増大さ せ る可能 性を増大させた等々のブル ジョア経済学特有の無意識的仮説一一 に よって消極的に 主張するに止 ま ら ざ る を え な く な っ て い る, つま り, 30年 末, 執 勘 に 通 説 の 位 置 を 要 求 し続 け, ア シ ュ トソ の. 前著によって決定的となったかにみえた 「楽観説」 は, 現在みずからの手で, その数量的根拠を 失い, 一種の弁護論的資本主義肯 定説としての性格を露呈 しつつあるのである.. この事実は, 英国学界はもとより著者アシュ トソによっても明瞭に意識されているとはいえな いし, ま してや 「産業革命」 が数年前に邦訳紹介されたばかりの我国経済史学界の産業革命研究. ・紹介し批 状況では殆んど知らるべくも ない. 本稿が, 煩をいとわず, アシュ トソ の論旨を細かく 判するのは, このような現状を考えるからである.. 以下, 叙述は, アシュ トンの論旨をできるだけ忠実に紹介し, 次いで, これに簡単なコメント を付 し, 最後に綜括約批判を論文全体に対して行う, という順序で行う. 註 i i t 1 ) J, H. Chapham, An Bconomic History of Modem Br a n, 1 (1926) I Revo lut i i 2 ) T. S. Ashton, Thelndustr a on ,1760-1830 (1948) 中川敬一郎訳 「産業革命」 ( 1953 ) i ペー ジ ) 邦訳 i‐i 3 lut i I Revo i 4 ) cf t 1 (1930) p a on and Di s cont entEco s p ,J . Hi . Rev .1 .L. Hammond, Thelndustr . .215 ‐228. f Bng l tory o ) cf s 5 on c Hi and the18th Ceutury (1955) . T.S . Asht , Am Economi 6 ) T. S. Ashton, The Standard of Life ofthe Workersin England,1790一1850 (丁ournalofEco.Hist . entI suppl e - ℃ l X( 49 19 )) l boy ) E. W.Gi 7 sin Eighteenth England,(1934) ge , wa C f Average Wages 1790‐1860 (Bno G. H, Wood T h l 鰍) e ourseo .JouIna , , i i i i l ber ing iness Cyc N. G. S l l i i t sh Pr t cesand Bus es1770‐1850 (Rev s c s v) . Eco .Stat , Br. 1,. 人. 口. 1 . 死亡率と生活水準 19世紀初葉の社会史に おける顕著な特色は人口の急速な増加である. 「葬式や洗礼式の数字に. も と ず い た周 到 な 計 算 に よ る とイ ン グ ラ ン ドお よび ウ ェ イ ル ズ の 人 口 は 1790年 に お い て 約150万, 801年最 初 の 国 勢 調 査 の と き に は 約 900万, 1831年ま で 1750年 に は 650 万, で あ っ た の に 対 し, ] ‐ に は 1,400 万 に 達 し た. こ の よ う に 人 口 は18世 紀 の 後 半 に 4 %, 19世 紀 の 最 初 の30年 間 に は50% 1 ) 以 上 増 加 した」,. 人口は, ふつう, 出生率, 死亡率, 移住の三つの要因によって影響される. 以上のような人口 2 ) 増加の原因は何であったか. アシュ トソは前著に於ては次のように説明する. 出生率は, 17 40年から1830年の間にはほんの僅少しか 変動していない. そ の 間 の どの10年 を と. っ て み て も そ の 概 算 は37.7以 上 に は 略 ら な い し, 36,6以 下 に も 降 ら な い. - 78.
(4) . 産業革命期の労働者の生活水準 他国からの流入もその原因とはなりえない. いずれの10年にも, 男や女がアイルランドからイ ングランドやスコットランドへ向けて海を 渡ったし, 織鐘の時には, その移民は水滴が水流に変. っ たほ ど急 激 に 多 く な っ た. し か し, 1840年 代 の あ と の5 年 間 に 起 っ た奔 流 の よ う な ア イ ル ラ ン. ド人の流入は未だ見られない. 他方, 18世紀を通じて, おそらく100万の人々が英国を後に 海 , 外, 主として植民地にわたった, ……差引 きすると, 英国は人口の受入れ地ではなく, むしろ海 のかなたの新しい社会へ送 るべ き人口の養育場であった, 人口増加に導びい たのは他でもなく死亡率の減少であった, それは, 17 40年から1820年までの. 間 に, 1731年 か ら1740年ま で の 間 に つ い て の 推 定 千 人 に 付35,8人 か ら, 1812年 か ら1821年 に 至 る. 間についての千人に付21 .1人まで殆んど継続的に低落した, そして, この死亡率低下の原因として, ①18世紀前葉40年間に行われたジン酒の過飲の終止 , ②根菜類の導入一冬季の家畜飼養可能一一年中を通じての新鮮な肉の供給, ⑨小麦のライ麦・燕 麦にたいする代置, ④野菜消費量の増大一病気にたいする抵抗 力の強化, ⑤石鹸や安価な木綿製. 下着の普及による清潔度の向上一病気感染の危険 減少, ⑤家屋材料と しての木材や藁に代る煉瓦 ・スレート・石の 使用一悪疫の減少, ⑦製造工業の有害な工 程の家庭からの除去 一家庭内の快適. 度の増大, ⑨都市における舗装排水, ⑨医薬や外科手術に関 する知識の発達一病院や薬局の増加 ⑲塵芥処理や 適切な埋葬の普及等々が挙げられる. これ は, 同時代リクマンの 「人間生活の快適度は人間の健康 によって測られ, 健康は寿命の長 さで測られる……1780年いらい, 寿命は4才から5才延長さ れた. そして, 貧民は社会の非常に. 大きな部分を占めてい るからこの一般的結果から除外されない. むしろ彼らがそれの主要な原因 8 ) であった, というのは,上流階級は以前から既に食物と清潔とに十分恵まれていたからである」. という意見を支持する説明である, しかるに, 論文 「生活水準」 では諭旨の転換が行われてい る, ここでは, 死亡率と生 活状態と の関係は求められず, 人口の変動は, それ自体でオトトノマスな運動をする与件として考えられ . る. そして, 死亡率の低下が生 活状態にどのような影響を与えたかが述べら れことになる. he cnlde death rate) の 低 下 は 人 口 の 年 令 氏は云う. 「現在では統計家によって, 粗死亡率( t 構成の 変化の結果であって, 平均寿命の延長は実際には起らなか ったことが知られている. 人口 千人当りの死亡数は, 18世後半に起きた青年数の異常な増加を原因 として, 絶対的に低下した」 「しかし, 平均寿命の延長は起らなか ったとしても, 死亡率の低下はいく らかでも生活水準を高. めたと主張することを許すであろう. 何故なら, 葬式の華美な行列と儀式とは, 労働者の年収の 少からぬ部分を失費させていたからである, 人口中の死亡率の減少したとき, 死者に捧げられる. 収入の部分は減少したであろう, そしてこの資力は生活を快適に するために 使わ れるようになっ たであ ろう」 結局, 氏は, 死亡率と生 活水準との関係を否定し, 前者の低下から後者の上 昇を推測しようと. す る こ と も 断 念 し た の で あ る.. 実際, 死亡率の変動は氏の目的とする生 活水準の上 昇の証明に は有利な証拠ではない. この変 動はアシュ トンが 「産業革命」 で述べたように継続的に低落 したとは必ずしもいえない. ・T・H マ ー シ ャ ル に よ れる. 1780年 か ら1810年 ま で は め だ っ て 下 降 して い る が, そ れ 以 後1340年 ま で は - 7 )-- も.
(5) . 小. 松. 淑. 郎. 4 ) この上 昇は 上 昇 して い る の で あ る. , 年令構成が青年層の多い, む しろ死亡率低下に導 びかれ. なければならな い当時の条件下で起きてい るのであるから, 現実的な死亡率の上昇の結果に他な らないであろう. そして, これは, 乳幼児と青年の死 亡の増加を主な原因としている. G・D・ 5 ) において次の ように述べる. 「 18 15年においては, 工場制度は H・コール は 「労働運動 小史」. 未だ幼年期にあったし, 近代的工業都市の興隆は緒についたばかりであった. 産業の工場制度へ の速やかな移行 はウオ←タトル ←の直後数10年間に惹き起こされた. そ して新しい工業都市の ゾ ッとさ せるような衛生状態は, 改善事業と医師の能力を超絶 していたので, 死亡率の低下は, こ 15年以前ではなく以後に の時点に おいて急速に停滞 した. われわれは産業革命の社会的影響を18 求めねばならない」 さ らに, 「工業化」 と死亡率とを関係させて考えるときに は, 工業都市と農村ない し非工業都 市とにおける死 亡率の相違を知らねばならな い. 「平均」 は事態の本性を陰べいすることがあ っ ても, 変化の特色を表わすものではない. 社会の 「構造的変化」 の時代にあ っては特に然うであ 10年から20年における全国 平均死亡率は1000人に付き約21人であったが, 農業地 る, 例えば, 18 8人であった. 特に幼児死 亡率は 高く,ロ ン ド ン で l t re で は17.5人,London では2 shi 方である Wi 6 ) 出 生 し た 幼 児 中,5 才 未 満 で 死 亡 し た 者 の 比 率 は1810年 -29年 で31.8% パ ← セ ン トと いわ れ る.. 839年において ] 死亡率は同地域でも, 上流階級と労働者とは区 別されねばな らない, 例えば,, ‐ I Gr thna e en(ロンドン東部) では前者の平均寿命が45才であったのに対し, 後者のそれ さ え, Be 7 ) は16才であ った. か く してわれわれは次の ような結論に達する. 死亡率は明らかに工業化と関係があること, 具 体的にいえば, 工業都市における労働者の生活(工場に おけるそれと家庭におけるそれを含めて) 状態が死亡率を規定したこと, そ して, この時期の人口増加はいま一度検討されねばならないし その要因として死亡率の 「低下」 を 挙 げ る こ と は 困 難 で あ る こ と, が そ れ で あ る. かく して, アシュ トソは, 人口増加を所与のものとして, それが生活水準にいかなる影響を与 えたかを考察することにな る, ここでは, 氏はなかなか込みいった操作を為すようにみえる, し かし実は 単純な仮説な いし推定を根拠に して 生活水準の上昇を間接的に証明 しようと しているに すぎない, その論理はつぎの パ ラ グ ラフに明らかになっている. 「人口の増加, 特に労働可能 年 令人口の増加は, 賃銀の下落に結果したにちがいない. しか し生産の他の要素の増加も同時に起 った. ……生産, 支出, 消費の統計は全て, この期間全体をと おして, 国民所得が人口 よりもい くらか大いなる速度で成長 したことを示して いる, この増加した所得の分け前が, 労働者には小 さく, 他の階級に は大きかったと考えなければならない理由があ るだろうか」, そして, 自ら答え て い う.. これに対して確 実な解答は与えられな いが, 確率的な推定は可能であ る. そこで以下にその起. る で あ ろ う 諸 事 情 を 推 定 す る こ と に な る が, そ の 場 合, 対 フ ラ ン ス 戦 争・中, 戦 後 の デ フ レー シ ョ. ンと恢 復の時期それに続 く 経済拡張の時期とを区 別 することが大事である. アシュトンはこのよ う に 述 べ る.. 時 中 この期にあっては, 大規模な非生産的政 府支出が雇傭の高水準をも たらしたが, 生活状態の水 準を引き下げるような条件も生み出 した. すなわち, 食料輸入の杜絶は耕作限界を拡張させ, 農 業利潤と地代を増加 した. 戦争のための木材, 煉瓦, ガラスその他資材の 欠乏, 高利率, 重い財 (1) 戦. - 80 -.
(6) . 産業革命期の労働者の生活水準 産税などが家屋建築を抑制 した, しかるに人口増加とくに結婚適令期人口の増加に よって需要は. 増大した, 国債の増発は証券保有者数を増加させ, かつそれらの高利率は彼らの収入をいやが上 にも増 大させた, しか して租税体系はすぐれて逆進的であったから, 彼らの取得したものは, 大 部分, 貧民の失なったものであった. かくして物価は全般的に上昇した. 賃銀率も高くはなった が非常に緩慢にしか動かなかった. 従来から鋳貨の不足を直接的な理由と して行われていた 「長 l 期 支 払」 ( t tem) が 反 動 的 に 普 及 す る よ う に な っ た. こう ong‐pay) や 「現 物 支 払」 ( ruck Sys. して戦時中には, 労働者階級を犠牲に して, 土地貴族, 農業資本家, 家主, 証券 保有者, 企業家 を富ます所得移転の全系列が存在したのである. これらは全て労働者の経済的状 態を悪化させた の で あ る.. (2) 戦後の快復期. 戦後の5, 6年はこの状態を殆んど緩和しなかった. 地主は穀物 法を獲得して戦時の特別利益 を維持 し続けることに成功 した, 家賃は依然として高かった.利子率は下落したが徐々であった, 政府支出の減少,通貨の収 縮,銀 行破産, 長期投資への警戒などは,利潤と賃銀の両方に影響した . そしてこの影響は後者に対 しては前者に対するよりは直接的ではない, しかし物価下落に対する 賃金低下の後れに よって得られる筈のものは, 30万の復員兵の労働市場への参加による高い失業 に よって相殺さ れ, 実現されなかったであろう, デフ レーションと暴動のこの時期は何れにして も労働者の状態を改善しなかった. (3) 1821年以後. この時期には, 経済的諸影響は労働者に対 してそれほ ど苛酷でなくなる, 金本位制が復活し , 多量の銀貨, 銅貨力 賃銀支払に使用されるようになった, 財政の再建も軌道に乗り, 一連の転換. den of the nationaldeb 措置が公債負担(bur t i ) を減少させ,金縁証券利子 (g l t - edgerate) は 戦 前の3分3厘に落ち た. 戦時中の物資の欠乏も解消した, 煉瓦と木材の豊富且つ廉価な供給は工. 場や住宅の建築を促進した. 30年代の初めのうち に, 家賃は10パ ーセントに下落 した 物価低落 . は, 戦争直後より顕著ではないが. いまや, 不況ではなく生産費の低下を現わ している かく ・し . て全てのものが労働者にとっ て有利になるように動いたのである, 以上のような説明は, 循環の現象的局面を明らかにするものとしては多分有効であろう, しか 1 し 821年以後の時期の好況が直ち に労働者の状態を改善したということはで ぎない, 国民所得の 絶対的増加が直ちに労働者取得分の増加となって 結果 することを先験的に前提するのでなければ 改善を主張 することはできないであろう, われわれは, 改善とは逆の結果をもた らすような諸条. 件を考えることがきでる. すなわち,. このような好況期とくに 「工業化」 の時期にあっては国民総生産の大きな部分は設備投 資にま わされたと考えられる, この場 合, 消費財の価格の一般的低落は実現 しないであろう そ してま . た, この好況期は, 婦人, 児童の劣悪な条件での労働に支えられていたことも明らかである 10 . 時間労働法の制定は1847年であった. 「生産費」 の低下は, 労働力の価格をも含めた低下であ っ た, 「工業 化」 =資本制生産の確立のこの時期に おいては, 産業予備軍の創出 と相対的剰余価値. の生産は, 労働者の家庭を破壊しつつ, 最も粗野な 形態で強力的に遂行されたのである, 註 i I Revo lut i 1) Asht t on r a on ,lndus .2-3 ,pp i b d 2) i ‐ 4 3 p .p . , 3 ) Ashton,Standard…, リク マ ソの1816年の 私 信 か ら引 用.
(7) . . 溌 毒も 鉢 ( 器 か 螺 罫 斗 r 日 図 発汗夢 が 図穴 誹 S > 日 r 滞納浄 が 図 『 き 鉢 汗 き n 据鮎蔓一 亮 脆 き ノ (ー 繁券 . { 鈍零 書 声>泌 醍 孤 S汁S 口 認 斡 隻 前 稗豆碑 S 舜講部 ド 濠 撫 丙 州 琳鮎両が 讃 プ く6繊ロ 聖 酷 ) 務 d静 肉さ 10 ー 謝 霜 11 意S ー 心 12 狩 か 乃 ョのo ・ 13 巻 & ① 『夢 富 ぐ ノ( 、 v ・4 1 十 豪掌 坪趣 貸 - 坪 15 S図 潟H君 総 図 暑熱 p n 16 R バ 却 欝 浮 坪ぐ ノ罫 の 17 ・ { ) >富豪v d 8 丙 B J { 一 費 学園 ー^ 1 群 が6闘 隷 20 隊 増井喜 さ 泌 塾穴耐部N2 , ー 票き 添 バ d 22 鮒 塵峡戦 23 ぐノ バ 圧琳部S富 がn ^4 十 ど . ー 南 バ 濠峡 り56 ) - 選 勺 2 夢 が さ 丙 神 尊 2 7 g 喜圧 び u 28 夢か 豪醍索 n 淋 ▲( 2T“ 獣部S談議 戸欝勺洋 s 園罫圧 o3o d 戦 3- 圏ぎS 滞 雪 32 識 汁 部 33 九 6羅圏34 十 べ 琢 r 尋圧 3S 発 3G 丙 が 増 き6※ 勢 丙 { v 丹. 浮さ≦” 隻 喜 穴 - 慾 > ー 落すd高 戯髭部 夢 6 〔 oけ 高 園 貸 鶏 き夢裁 S v 韓 ー 煎 鞄 一 〕 ず審隊部浄書 ( 琳 部丙 澄 回 柾浴 - 図舘 × ℃ が o 洋 丙 き 凹 口 升 罫圧 鉢 跡 鉢 夢副燕 QH 隻 n 審日部 三 富叢芸侮 b o 洋 図 S e薄 磁 泌奇 日 白 謝 け 0 「 バ諦淵 欝 油対 “ ” 「 隊 ℃三 響> 却浄伊 8の煽 口 郡 ヰ 『 汁 富讃美 」 A 斗 Z が ( 鼻 一 ) 柄 囚 角 謙 ) 豊 ヨの 穿 富 滞 『 o 一 - き 理日の ↓ 中 避 wN 暑 き o m一 諦※ ) 斗 汗 が 品 免 宗 が薦 ① 坪井 バ 力熱 州 - 藻 白S 淵 優 斗 . ( が. 字 n き丙 ロ き. 日 日 “ ″. Zの酋 豊- x せ 長 づ下 W きげ の 身分 ! ( ▽ } コダ 8き き 字鯵 玉 兵長 ひ 命 ヰ×. ). eも o 一. . o 国 ‐ . 四 g ・ 鴎 『 の O g け の 綿 ー歩 戸 一 g℃ の け o 注 o b き 三 め 豊 [ o 汐 q. 口 気欝呼 号 の お 淳二 目 Q -白 の け雲 名的 o げ 葛甘 跨 ぎ 的 A 口・ 鶏 招 の め く J g悶 当8 の. ヨの 国. 三 済. 「(. 一 一 ー 鷺 語ー. 感の ) 島や (ム 帆w 一 の 心 の ) も ‐ 巴.
(8) . 産業革命期の労働者の生活水準 〔Chart 口〕. i f Home Produced Manuf Pr l tur i ヒ at ve sofBXPor so es ce Re aC. l ハr;vvoo en M【 anuf ac[ ur ed. t 1 : cot onyarn t l l: Cot anufac[ ured on M[. v :l ron. 【 m : Linen M anufatured. I BXPor Z \ I: Tota t s. 〕 t m 【 〔Char. ivesof To l Re l IExc ta t ud Cot on Goodsand lmpor t aヒ s. i I EXPor t W : Tot a s Pr ce lndex. 則 : TotaI Bxports Bxclud Cotton Goods. i t 、唖:lnPor s Pr celndex t l) ( cf . Char. 綿製品は, ナポレオン戦中に, かつての毛織物にとって代って, 英国輸出品中の主要な地位を占 めるに至った. 交易条件の逆調の原因は, 実はこの主要輸出品である綿糸および綿織物の価格下 落であった. 綿製品を除いた輸出品の価格は輸入品の価格の下落よりも後 れて動いているのであ る, (第m図 を参照せよ, 但し, 18 14年を100とする輸入品価格指数は, 筆者が第1図の輸入品価 格指数から作成した). この綿製品価格の異常な下落は, 二つの原因の相乗作用によって惹きおこされたものであ る. すなわち, ① ランカシヤの工場が, 大陸や合衆国向け,のモスリン, 白麻その他良質な商品を生産 する代りに, インドや極東向けの廉価なキャラコの増産に乗り出したこと, ⑨ 蒸気機関, 走鐘紡. 績機 (mule),. i 精 紡 機 (sp ) nning Hame rl oom) の採用普及に伴う生産性の発展 powe , 力織機 (. 利子率低下による資本負担の軽減, 輸送と貿易における革新による流通費用の節約である. こういうわけで, 第1図でみた交易条件の動きの原因となった棉製品の価格下落は, 何ら海外 - 83 -. . . ・ . ・ . 、 、 、 、 ー く ′ ′ 、 . ′ ′ . { 、 ー 、 、 . ・ 、 、 . ・ ′ 、 ・. , , く ー ′ く ′ 、 く ′ 、 ・. ・ ・ ・ ・ 、 < く. ・ ′ ′ ′. 主 〉 ′ ≦ 、 ′ Y く 、 \ ー t く \ く 、 ー 、 ′ ● く 、 ′ 、 ′ ・. 〉 ′ ◆ ) ′ ・ ′ { ′ . ● く ′ ′ く. . } { 、 ′ ・ i. 〉 ′ ・ ; ノ.
(9) . 需要の減少の結果ではなく て, 生産費の低下の反映に しかすぎない. そ して, これはまた, 単位 当りの労賃コス トをめ ざま しく低下させたであろうけ れ ども, 勤労所得の同時的下落をさせると. はいえない. 従って, 交易条件の低下傾向は, 国民全体としての, はたま た労働者層としての経 済状態の悪化を表現 しているのでもない.. かく して, 氏は考察をいま一歩進める, たしかに上のような交易条件の変動は長期分析に対し ては有効でない, それはせいぜい, 貿易に入る商品の種類と技 術的条件が大きくは変 化 しないよ うな短期の分析に対 して意味をもつにすぎない. そこで新しい指数を作成する.. 価格のみに関する指数は, 国際貿易から得られる利益を測るのには明らかに不適当である. 生 計費のみならず, 収入を得る機会もまた福祉のの程度を決定する. 輸出によって得られた所得は 雇傭を用意 し, 他の所得をも生み出す. これらの所得がどれだけ輸入品の購入に向けられるかは ′ ) 輸入品の価格に 依存 する, このような理由で, 氏は, G S ド ラ ソ ス に よ っ て 提 案 さ れ た 定式?. (撫機 器 搬} - 氏はこの式を1所得交易条件血c 二と名づける 一 1 omeTe rmsm T 繍 セ ′図 グ ラ フ を V 構 成 す る. に A. H イ ム ラ の 数 字 を あ て は め て 第n t lv〕 〔Char. . i t Val Expor t Pr ues cesand lncome Tennsof Trade ,lmpor. . これによると, 貿易の利益も, 前節の景気の分析とほぼ同様な動きをみせている. 18 15年には. 急 速 な 上 昇, 1鰍6年 -1819年 にぐ工下降, 1820年 以 降 は, 1825年26年 の ス ラ ン プ を 例 外 と して 顕 著. に上昇, という動きである. こう して20年代以降は, 貿易の収入は増加し, 英国の経済生活に好 結果をもたらした. そ して輸入品の大部分が, 茶, コ←ヒ←, 砂糖, 工業原料であった事実は, 労働者階級が当然その分け前にあずかったことを示 している,. - 84 -.
(10) . 産業革命期の労働者の生活水準 この分析においても, アシュトソの仮説は明らかである. 氏の論理は, 交易条件の不適当 性を 指適 し所得交易条件の構成に移る際の説明に示されている, 「交易条件は180 9一1810年, 1812一. 15年 お よび1825年 の 貿 易 量 が ピ ー ク に 達 した と き に 全 て 急 速 に 下 降 して い る , ま た1811年, 1816. 年, 1 819年, 182 6年の貿易が減少もしく は不振のときに急速に上昇 している. ……労働者の福祉 が, 貿易の盛んなときに減少し, 衰退 したときに増大したと考えることは不合理であろう」 前節 , の批判と同じく, 労働者の福祉と国民所得の増大とが比例 するという前提があるといえる 論証 , さ る べき こ と が既に 前 提さ れ て い るの だ .. 更に, 交易条件指数の 利用もいかほ どの意味をもつかは疑問である これについては筆者は全 . く門外漢と いってもよいが, 大 体つぎのようなものと理解 している 2 ) まず 交易条件とは何か , . , それは, 輸出品一単位が輸入 品何単位と交換されるかの数量的比率である 輸出数量を Qe 輸 入 , ,. i とす れまQi 数量を Q / Qeである.指数まこれに時点を付けて 計 器 Q. な る. と こ ろ が 輸 出 入. の数量が得られる場合は少ない. そこで, 輸出入の総価格を等 しい すなわち貿易収支均等を前 , 提 して, 数量による直接的表現のかわ りに価格表現をと る 輸出品価格水準 Pe 輸入品価格水準 . , Piとすれば, 前提はPeQe=P iQiであり, こ れからQi /Qe=Pe P iとなる. PeとP / iは貿易統計で与え られるから Pe/Pi が Qi /Qe の代りに用 いられる. これが純交易条 件と呼ばれるものである ,し . 額. 一 かし, 貿易収支均等の前提は現実的でな 功〉ら, 貿易統計より Qe ,Qiを, 驚 き窮 鳥 水準 - 輪出(入)数量から求め, 瀞 8g i の指数によって変動が表わさるべきである・ これが総交易条件. ft (gross barter terms o rade)・で あ る. さ ら に, 純 交易 条 件 は 限 界 を も っ て い る そ れ は 生 . ,. 産性向上 による輸出 品価格水準の下落を内包 できない この輸出国の生産性の変化を考慮 して作 ,. ま輸出品-単位に用いられる生産要素Fであらわした費 成されたものが 嫌 /畿). 賭 (熟 々 l i 用指数の逆数) すなわち単一生産要素交易条件指数 ( s ng efactoralterms oftrade) で あ る.. このように交易条件は, 貿易の輸出入国所得に対する影響をあらわすために考えられたもので. あるが, アシュトソの用いた純交易条件は始めから限界, とくに当時のイギリスには不適当な限 界をもっていたのであり採用それ自体が無駄な試みであったのである,. しからば, 所得交易条件は 如何? これも矢張り非現実的な観念的構築物のようである. 当時の ような経済構造のもとで, 更 には輸入品のあの よう な種類に対して, 輸出による収入が現実に ど. れだけそれの購入に向けられたかは大きな疑問である. 輸出総額を輸入品価格で除 する計算の結 果が, たまたま景気変動と一致したからといっても, それは論理的には全くの偶 然で しかない. このような一般的平均的 ファクターを以て, 労働者の生活水準の騰落という具 体的事態を論ず るのは非常に危険である. 註. ) G.S. Dorrance, Thelncome Termsof Trade,(Rev.of Eco.Stud, W-39 1 ) p,p,50‐6 ig i I Trade ernat ona 2) F ,(1927) , W. Tauss ,lnt i i i S d h T h ft iona I Tr helnt V t J s nt e e r u e o o ernat n e r y 19 37 ) ade( . ,. 2 山田他編, 近代経済学辞典, 2 5ページ m. 1,. 生. 計. 費. ボウ リ, ウ ッ ド, シル バ リ ン グ, ギル ポ イ, タ ッ カー 氏 らの 指 数 の も つ 限 界. アシュトソは, ついで, 生活水準を直接的に表現する主要なものと しての実質賃銀指数の検討 を行なう, そ してこれまで 「数量的方法」 に採用されてきた数字があまりたよりにならないもの 一 85 一.
(11) . 小. 松. j そ R. 郎. で あ る と 結 論 す る. こ れそまク ラ パ ミ ス トの 楽 観 説 の 根 拠 を 失 な わ せ る も の で あ る か ら, く わ し く. 氏の議論を紹介しよう. (1) A・L ポ ウ リ と G・H ウッ ドの賃銀統計 彼 らの数字は, 主として印刷された資料のみに よって 作成されたものではあ るが, その後の新. しい 研 究 に よ っ て 無 効 に さ れ る よ う な も の と は い え な い. しか し, こ れ は, ま だ あ ち ら こ ち ら の 工場に散在 している旧い賃金 展帳 (Wage Books) か ら の デ ー タ で 補 わ れ な け れ ば な ら な い. 注 意. 深い研究者の手に よれば, これらの記録は, 支払率のみならず, 実際の収入や労働時間, 労働者 用 住宅の家賃まで明らかに してく れるかも知れないのである. したがって, これらの作業が行な われるまで賃銀その他に就いて語ることは一つの冒険なのである. 々することを一応断念する. 氏はこのように考えて, 賃銀指数に依存 して生活水準を云, (2) N ・J シル バ リ ン グ の 生 計 費 指 数. シル バリソグの生計費指数は屡々引用 されるが, これは大きな欠陥をもっている. 第一に, こ の指数は, 彼の卸売物価指数作成の副産物であって, 小売物価指数に基 づい たものではない. 小. 売商が未だその機能を十分に発揮せず, 一塊のパ ンや一封度の肉の価格が数ヵ月 ない し数週の間 に2倍になったり半分になったりする当時を考えると 卸売物価と小売物価との並行的変動を想定 すること は到底不可能である, 第二に, この指数のいく つかは, 最終的消費財ではなく, 消費財 の原料に関するものであ る, シル バリソグは, 「綿製品に関 しては, その価格は原綿の価格に正 確 か つ 敏 速 に 反 応 す る こ と が 知 ら れ て い る」 と して, こ の 問 題 を 軽 視 して い る. ア シ ュ ト ソ は こ. れに反対 してこの想 定は非現実的であるとする, 第三に, この指数の基礎になって いる価格は関 税額を除いたものである. 実際には, 関税は物価のそうとう 大きな部分を占め, しかも40年代ま では漸増 していた. 第四に, 消費財品目の選択が適当でない. シル バリソグの指数で画かれるイ. ギリス人は, 家に住まず (あるいは家賃を払わず) , 馬鈴薯や酒には見向きもしない. 彼は, 適量. の バ ンと 極 小 量 の オ ー トミ ←ル の 粥, 多 量 の 牛 肉 ・ 羊 肉, バ タ 【 に よ っ て 生 活 して い る. しか し. 当 時 の 実 際 の イ ギ リ ス 人 は こ う で は な か っ た. 彼 は, 主 と して バ ン と オ ー トミ ール に 依 存 して い. たのであって, 肉は週一, 二回のぜいたく 品であった. また, シル パ リングのイギリス人の飲み. 物 は 専 ら茶 と コ ー ヒ ー ら しい が, 実 際 の イ ギ リ ス 人 は, 少 な か ら ぬ 量 の ビ ール や エ イ ル を 常 用 し. ていたのである. (3) E・ギルボイの生計費指数 ギ ル ボ イ は, シル パ リ ン グ が 穀 物 に32パ ー セ ン トの ウ ェ イ トを 付 け た の に 対 し, 50パ ← セ ン ト. をつけて, 畜産物の比重を軽く した. この点で彼女の指数は進んでいるが, 基礎になっている価 i ) t t ce a 格が, やはり小売価格ではなく,病院,学校,政府機関な どが支払った契約価格( r c ed pr con 1 0哩も離れない二つの地方の間に餓蝕と豊作 しかもロ ンドンに於けるそれであった. これは, 0 が 同 時 に 起 る こ と が 異 常 で な い よ う な 当 時 の イ ギ リ ス の 状 態 で は 大 き な 欠 点 と な る, ロ ン ドン の. 価格は他地方のそれ を代表しえないのである. さらにこの地域差は価格のみでなく食料品目にも f ミドラン1. あ ら わ れ る, オ ー トミ ール は 北 部 で, ラ イ麦 パ ンは 中 部 で, 小 麦 パ ン は ロ ン ドン お よ び 南 部 で そ. i c e oflabour) の 地 域 差 に は注 日 して い る が, 消 費 れぞれ主食であった. ギルポイは, 労賃 ( pr 財の品目と価格のそれは看過してい る. (4) R・T ・ タ ッ カ ー の 実 質 賃 銀 指 数. 消 費 財 品 目 は, 地 域差 を も っ と 同 時 に, 時 間 的 差 異 を も も っ て い る. タ ッ カ ← は, ロ ン ド ン の. 職工の2世紀間にわたる実質賃銀の変動を追跡する試みのなかで, これを解決するために固定し.
(12) . ● ● . ● ′ ● {. 産業革命期の労働者の生活水準 た尺度を放棄してつぎの方法を採る, ある新しい消費財が労働者の家計にとって重要になったと. き, それは指数の中に加えられ, 他の財に付けられたウェイトは補正される. こうして連鎖状物 価指数が得られる. タッカーは, この指数で彼の作成 した賃銀指数を割って 「典型的一般的就業 職工の習慣的購入品に対する購買力」 を算定する.. かく して得られるロンドンの典型的職工ははじめは, 品質の劣る穀物を含む若干の商品を消費 しているが, 後には, その習慣的に購入する商品が変化して, よ り広範囲の商品に対 して, より 品質のよい商品に対して支出をふり向けるように行動する, この典型的職工像も奇妙なところをもっている. 彼はその所得額の如何にかかわらず常にその. 1 / / / / 6を 家 賃 に 支 出 す る. 奇 妙 な のは, こ の 割 合 で は な く 割 合 の 固 定 性 で あ る. 1 6な い し1 6~1 6と い. うのは他地域よ りはるかに高いものであるが, ロンドンという事情を考えれば否定 で き な い. 殆んどの消費財は完全に標準化されるものではないが, 家賃は中でも最も指数化 しにくいもので ある. 居間と寝室が一 ヶづ っあるだけの小屋と, 四つの部屋に洗糠小屋か織機小屋の付いた家と. は異なる消費財といえる. 工場に近い小屋と遠い小屋とでも家賃は異つたであろう. したがって 家賃率の固定を想定することは非現実的である.. こうして, ア シュトンは, これまで不用意に使われてきた諸指数がすべて欠陥をもつものであ ることを指適 したのである, この点に関するかぎり筆者も全く賛同せざるを得ない. 今後, これ らの指数を利用するものは, アシュトンに指適された限界をのり超えるような補足的資料を併用 するか, または氏の批判に反批判を加えるといった作業を 行なわれなければならないであろう.. さらに自ら統計数字や指数を作成するにあたっても, 指適された点を十分に考慮にいれるべきで あ ろ う,. 2 . アシュトソの生計費指数と生活水準 前節における批判を綜括 して, ア シュトソは, 結局, 長期間にわたる労働者の生活水準の変化 を数字で表わすことは殆んど不可能である, と結論するにいたるのである. 氏はいう.. 「真実のところ, 時間的, 場所的にひ どく離れている二つの人間集団の福祉を比較 することは 不可能である. われわれは, パ ン, 馬鈴薯, 茶, 砂糖, 肉を含む食事から得られる満足と, 主と して オ ー トミ ール, ミ ル ク, チ ー ズ, ビ ー ル か ら 成 る 食 事 か ら の そ れ と を 比較 す る こ と は で きな. い. …… (さらに) 消費財の質と種類においてのみならず, 人間の必要と欲望とにおいても変化 が起るような長期間にわたる数表を, 間違いなくつくりあげることは不可能である」.. しか し, 氏は生活水準の 「数量的」 表現を全く断念したわけではない. より完全な方法を求め るのである. それは, 小売物価から導出され, 短期, 単一地域, 単一社会集団 (も しくは職業集 団) に関するところの多数の指数が集積されることによって可能になると考えている.. その試みと して, 彼は, ここに綿工業中心地マンチェスタ周辺に関する三つの食費表を提示す る, (筆者は, 比較検討の便宜上, 若干の品目の配列を変え, 第1, 口, m表として掲示 した) dham の公 刊 さ れ な か っ た 「市史」 (The t er の東北5哩の綿工業都市 0l 第 1 表 は, Manches. l dham,by W, Rowbot Chronology or Anna f ol t so om) の 原 稿 か ら とっ たも の で あ る, こ れ に. は, 17 91年から, 著者が商店主から聴取した物価の略記が始まり, その後次第に系統的に記録さ れている. 尤も, 途中に記載洩れの時期があるし, 砂糖, 糖密, 麦芽, 石炭, 蝋燭な どの価格の 記載は稀れである. したがって グ ラフは必ず しも連続的なものでもないし, 砂糖その他の価格を dham で は, 未 だ 家 内 労 働 者 が フア ス チ ヤ ン, キ ャ ラ コ チ 含 ん で もい な い, こ の著 者 の時イヒの 0l ー 87 -.
(13) . 小 l Tab e l. oatmea l F1our Pota t s Bacon oe. ing 1791 Spr 92. 郎. 淑. lndex ofcos七ofdi dham (1791:100) etin ol. .. Year. 松. ″. l l 93 Fa 95 Jan . 〃 ハ僅ay un . 97 ing 99 Spr 1800 Dday. Cheese But t r e. Beef. n dut t I Cos on Tot a. 100. 100. 100. 100. 100. 100. 100. 100. 1 05 ‐ 126. 90. 85. 100. 60. ioo. 100. 100. 94. 102. 1 54 ‐. 100. ′ 90. 106. 80. 100. 113. 100. 1 21 ‐ 132. 110. 154. 94. 100. 112. 110. 110. 117. 151. 185. 106. 110. 120. 120. 138. 84. 82. 100. 106. 130. 11 2 ‐. 112. 130. 130. 98. 103. 73. 85. 88. 110. 112. 100. 100. 92. 316. 245. 309. 131. 200. 175. 180. 180. 249 253. 1 ‐ jan. oc t. 290. 270. 309. 150. 180. 188. 160. 160. 112. 122. 92. 150. 140. 125. 160. 170. 124. 2 Jan. 126. 135. 92. 138. 132. 115. 176. 180. 133. 3. 〃. 100. i16. 123. 138. 132. 138. 160. 190. 123. 4. 〃. 142. 114. 154. 124. 154. 162. 160. 150. 139. 6. 〃. 153. 141. 115. 100. 154. 144. 140. 140. 139. 8. 〃. 153. 133. 185. 112. 140. 175. 140. 140. 148. 9. 〃. 163. 176. 123. 112. 170. 175. 154. 154. 158. 〃. Tab l e 口 Year. lndex of Cos f di i l t to etin Manches erand otherteXt et owns(1810:100). oa l F1 tmea our Potat oes Bacon. Cheese But f t f (上) Bee er Be (並) e. Tot I Cost a. 1810. 100. 100. 100. 100. 100. 100. 100. 100. 11. 100. 91. 100. 82. ioo. 112. 100. 100. 97. 12. 150. 127. 165. 91. 100. 108. 100. 100. 129. 100. 13. 130. 111. 120. 100. 106. 119. 106. 108. 116. 1 4 ‐ 15. 93. 76. 110. 100. 100. 119. 112. 117. 96. 87. R9. 110. 95. 100. 112. 100. 108. 91. 16. 83. 80. 110. 73. 79. 85. 94. 92. 86. 17. 127. 120. 130. 64. 79. 85. 94. 92. 111. 18. 107. 91. 135. 91. 94. 108. 100. 100. 97. 90. 73. 130. 91. 94. 92. 100. 100. 86. 19 . l Tab e Year. 皿. t lndex ofcos tofdi er (1821:100) etin Manches. oa l F1 t ta tmea our Po oes Bacon. Cheese. Pork. f f Be (上) Bee (並) e. Tota I Cos t. 1821. 100. 100. 100. 100. 100. 100. 100. 100. 22. 94. li7. 79. 115. 95. 96. 100. 117. 102. 23. 100. 92. 88. 112. 121. 135. 100. 108. 101. 24. 116. 115. 141. 127. 126. 139. 115. 117. 122. 25. 119. 106. 138. 137. 135. 125. 158. 120. 26. 11 6 ‐ 122. 112. 115. 130. 112. 115. 139. 1 25 ‐ 120. 158. 128. j 37 ‐ 147. 130. 27. 1 72 ‐ 84. 135. 11 } ≦. 28. 119. 119. 100. 123. 132. 130. 130. 133. 120. 29. 106. 127. 115. 100. 132. 130. 120. 125. 118. 30. 112. 119. 106. 115. 105. 113. 110. 100. 112. 31. 112. 115. 110. 123. 1IG. 22 1 ‐. 120. 117. 115. -8 8一. 100. ,.
(14) . 産業革命期の労働者の生活水準 エンブロイ. エック等の織布業に就業 していた. そして彼らの主要食品は, パ ン, オートミール粥, 馬鈴薯, それに極少の牛肉や羊肉であった. それで, アシュトンは, オートミールと小麦粉に4, 馬鈴薯. に2, 牛 肉 ・ 羊 肉, ベ イ コ ン パ タ ー, チ ー ズ に 各 1 の ウ ェ イ トを 付 け て 綜 合 食費 指 数( lndex of TotaI Cost o fD i t ) を作成した (筆者は この綜合食費指数を第V図 として図示 した ) e. ,. ,. 〔Char t V〕 1ndex of Tot I Costof Di dhan a etin 。l n. ムミ. 嘉. ①I um d ‐c na. 喜ぎ 強 三. ,. t w〕 〔Char in 凸 4anches t er and others. 一. ゐo ‐o,ー Nの す 斜め g 10 06‐. g ず『 も か の ず り 『 畠・. tw 〔Char l 〕 in卦4anches t er. - 謄O」N鮒 ぬすめ -N 吋 脳 蜘 - - N c u。 h VN N N 術r VC - - - - - ー ー 一 -『 NC 基 勾 ぬ -. 第ロ表 (および第W図) は, 「マンチェスタ報知」 ( 1820 .1.18) に発表された, 賃銀, 食料品 価格, 救貧費の明細表から作成した標準的食費指数である. この明細表の数字は, 「マンチェス タおよ びそ の他の綿工業の主要中心地」 のもので, 「得ることができる最良の報告によ る各年の 平均小売価格」 との説明付きのものであ る.. 第 m 表 (お よ び 第 W 図) は, A ・ レ ド フ ァ ド 「マ ン チ ェ ス タ 商 人 と 海 外 貿 易」 の付録からとっ. たマンチェスタ商業会議所作成の食料品小売価格から推算き れたものである.. ア シュ ト ン は, こ の ニ つ の 指 数 表 か ら, 用 心 深 く で は あ る が, 次 の よ う に 結 論 す る .. このコ つの指数は, 地域および品目において僅少ではあるが差異があり, 更に, 異つた資料か ら導出されているから, 安易に, 連結して単一の指数表とすること は警戒しなければならない. しか し 大 体 の 傾 向 を 推 測 す る こ と は 可能 で あ る.. (な お, ア シュ ト ン は, 実 の と こ ろ, 地 域 差, 目差 を 品 無 視 で き る と 考 えて い るよ う で あ る, そ して,1810年 の 指 数 は1791に 比 して60% 高 1821 ,. 年は略等 しいから, それを考慮 すれば比較可能な指数表とな ると述べている 筆者は作図に当っ , て は, こ の 点 を 考 慮 した). す な わ ち, 指 数 は変 動 しな が ら も, 1791年 に 比 べ て, 1830年 に は, い. くらか高水準に達している, これは, 生活水準が, 貨幣賃銀の上昇か或いはこの指数に含まれな -S )- I.
(15) . 小. 松. 淑. 郎. かった商品の価 格下落によってのみ, 改善されたことを示唆しているのである. こう して, わ れわれは, アシュトソが 「数量的方法」 を用いて, 長期的全般的に 生活水準の上 昇を説明することを 諦らめたことを知る. いまや, 「上昇」 は短期的にのみ数字で表わされるこ と に な る.. しかし, こうなると, われわれは, この数字が, 当時の人 々の, 数字によらな い 「叙述的」 説 明に対して, どれだけの対抗力を持 つのであるか 疑わ ざるを得なくなる. 数字の威力 は平均的【 般的にとらえて問題の起きないケースに於て発揮されるものである. 短期的・断片的数表は, 先 験的に結論を 予想 し, この予想によって資料を加工 して作られ危険が大きい. あるいはむしろ何 らかの予想なく しては数字 の加工は困難なので はなかろぅか. とすれば, この数字の 使用は全く. 無意味となって しまうであ ろう.. わ れわれは, ア シュトソの指数について 更 に 別の疑問も持つ, 算定経過 は不明なので, それは. お く と して も, 食 費 指 数 の高 騰 が, 一 般 的 不 作 の 年 と して 知 ら れ て い る1795-6 年, 1799一i801 年, 1804一 5 年, 1809一13年 1816一19年, 1823一 5 年 の そ れ ぞ れ に 於 い て 起 っ て い る こ と は, こ. の指数の上 昇を相殺する生活水準の上昇 を推測することは困 難 ということに なるのである. そ して最後に, 仮に食料品消費 量が絶対的に増加したと しても, 当時の苛酷な労働条件, 婦人 児童労働の充用を 考えると, 若干の増加 ぐらいで急増する労働力の消耗 分を補填できたか否かは 疑問になるであろう. かく して, 一見説得的にみえるア シュトソの数 字も甚だ疑わ しい価値 しか持 たないのである. W 1.. 生活水準論 争の本質. ア シ ュ ト ソ 「生 活 水 準」 論 文 の 構 造. 諭女 「生活水準」 は, 従来の諸指数の限界を明らかにした点でまことに画期的な労作であ る. これは十分に 認められなければならない, しか しまた, この論文は多くの誤謬を含んでい る. i ( )既に述 べたように, ア シュトソは, 生産性の向上や貿易の発展は国 民所得を増大させ労働者 の生活水準を上昇さ せると考えているが, これらは直 ちにそのような関係を持っているとはいえ ない. 資本制生産の緩簾期 にあ っては特に然う であろう, 増大するのは飽までも 可能性であ る, 2 )仮に労働者の取得分が若干増 加 したと しても, それは, 必ず しも生 活水準の上昇にはならな { い. 労働者は, 単なる消費 者階級ではなく, 一日のうちの 大なる部分を労 働力の消費=労働過程 銀 に おいているのであり, 他の私的生活過程も 労働力の再生産過程 に他ならない, 若干の実質賃 の上 昇もそれを上ま わる労働力 の支出が強制 されるときは 生活水準の上 昇として 結果しないので あ る.. 更に, 生産力 の社会的発展は, 生産される使用対象の種類と数量と を増大させ, 労働者の欲望 実質賃銀 水準を上昇させることによって, 労働力の再 生産費を高 騰させ ざるを得ない. これも, の上昇 が必ず しも生活水準の上昇とはならないいま一つの原因である. と独 圏産業革命は, マニュファクチャ時代に 依然として 存在した問屋制家内工業と農村共同体 「 労働 立小商品生 産者とを徹 底的に収奪す ることによっ て遂行された. 直接 生産者はすべからく 力商品」 の売手 にならなければならなかったし, その再生産のための 「消費財商品」 の買手にな.
(16) . 産業革命期の労働者の生活水準 らなければならなかった. したがって, ここでは, 貨幣収入の増加が絶対的に要請さ れたとみら れる. 実質 r賃銀」 の増加がなければ生活水準は急激 に 低下するのである.. 閤しかして, この時代の労働者は異常といってよいほ ど不均 質な構成をもっていた, 熟練労働 者と不熟練労働者, 成年男子労働者と婦人, 児童労働者, 親方労働者と徒弟, 力織機工場労働者. と手織工, 等がそれである. われわ れは, とても 「経済的進歩 に与ることのできた人 々の数が,. こ れ ら の 利 益 か ら シ ャッ トア ウ トさ れ た人 々 の数 よ り も 大 で あ っ た. しか も そ れ は 着 々と 増 加 し. つ つ あ っ た」 (ア シュ ト ン) な どと 結 論 す る こ と は で き な い.. 5 }労働者は就業労働者のみによって構成さ れていない. 労働者の生活水準は, 失業中の労働者 ( をも含めて, 労働者階級ぜんたいのものと して測定されなければならない, ア シュ トンは, この 「失業」 には全く論 及していない, それは多 ・分, 「工場制度」 は 「雇傭」 それ自身と 「雇傭の規 則性」 を増大するから, 生活水準の変動には無 条件にプラスの方向に作用する, と前提されてい. るからであろう. しかし, 実際にはこの面ばかりではない, 資本制生産は不断に雇傭の相対的減 少を実現し, 周期的に失業者を増大させる運動もするのである. 人口は, それ自体の絶対的大いさとして問題になるのではない. かのマルサスにあっても, 問 題{ ′±増大する 「貧民」 であった. 農村共 同体の破 壊と 独立小生産者の分解は巷 に仕事を求める労. 働者の数 を増大する し, 婦人・児童に職場を占拠された成年労働者も増加する. 新しい機械に追 われたかつての熟 練労働者も失業者の数にはいってくる, 抵抗力の弱い婦人, 児童を駆使 して強 力的に遂行される絶対的, 相対的剰余価値の生産は, 失業者の数を増 しこそすれ減少させること はなかったであろう. 失業の頻度も, 資本制生産初期に特有な 投資メカニズムの未完成 による頻. 繁かつ急速な変動の影響で大きなものであったろう. 1アシュトソは, 論文の冒頭において, 18世紀末葉から19世紀初葉の時期に, 労働者の生活水 6 (. 準は如何であったかということと, 「工場制度の導入」 が労働者階級に如何なる結果をもたらし たか と い う こ と は, 関 連 して い る け れ ど も 別 の 問 題 で あ る, と い う. そ して, 悪 い 状 態 の責 任 は. 資本主義にあるのではなく, たまたま起きた戦争, 誤まった政策, 人口増加, アイル ランドから の移住, な どが負わねばならないものとされている. われわれは, 戦争, 政策, 失業, アイルラン ド農業の破壊な どを, 経済構造から全く 独立した. 与件として考えることには反対である. 実際, 19世紀初葉の戦争 とインフ レ←ションとが産業革 命完成への重要な楯秤であったことは疑問の余地のない事実である. しかし, アシュ トソに同様 な理解を要請す ることは無理な註文であろう, また, 19世紀初 葉の労働者の状態の悪化の大きな原因の一つと して, 旧い社会構造の崩壊と(そ れにもかかわらぬ) 資本制社会の未確立という事態による相乗的混乱を数えることには, 全く賛 成 で あ る,. しか し, 悪化の責任 を全てこれに押しつ け, この混乱がなければ資本 主義は労働者の状態を 改 善 したであろうと推論することには反対である. しかも, この推論が, 初葉と20年代以降とを数 量的に比較 し, 後者の数量的優位 (これも必ずしも明瞭ではない) から行われているのには承服 で き な い.. 「工場制度」 が確立し, その諸影響が単一的に現われる時代と, それ以前の時代とを数 量的に 比較することは, およそ不可能な筈である. 国民的総生産物の大なる部分が市場関 係に入りこま ずに消費された時代 と, 殆んどが商品と して生産され流通する時代とを, 近代経済学の 「所得分 析」 的アプローチで 比較することは明らかな誤謬である -9 1一.
(17) . 小. 松. 潟R. 即. 仮に, 前述の混乱がなかったと しても, 後代の数量的優位は自明のことであり, これをもって 「上昇」 を主張することは, 実は何も主張 していないのと同 じことであると思われる. 要するにこの時代の生活水準の変動を, 数量的分析によって解 明することは殆ん ど不可能なこ. とである し, また, これまでに得られた種々の指数も, 当時の 「叙述的資料」 からの結論 (悲観 論) に, よ く 対 抗 で き る も の で は な い の で あ る,. 2 . 「生活水準」 に関するわれわれの理解 以上のような欠陥をもった議論は, アシュトンを混乱させて, 彼が先に否 定したマカロック的 論理を再び使って, 「上昇」 を主張させることになった. 「 17 90一1830年の間に工 場制生産は急速に増加 した. 人口の大きな部分が生産者と してまた消. 費者と してそれから利益を柚き出 した. ……戦後, これら工業生産物は, 所得の増加 した労働者 の中にその市場を見出 した. 少くとも, 日曜日の晴着と して, 靴が木靴に, 帽子がショールにと って代った. 時計からポケッ トのハンケチにいたるまで種々の商品が支出の中にはいり込んでき た. そ して, 1820年以後は, 茶, 砂糖, コー ヒーの類が事実上廉価になった, 労働組合, 共済組 合, 貯蓄銀行, 大衆新聞, パ ンフレッ ト, 学校および非国教徒教会な どの増加は 『単なる生存』 の水準をいるかに上まわった生活を している大きな階 級の存在の証拠を与える」, 結局, アシュ トンは, 「上昇」 を数量的直接的に証明する ことはできなかったのである.. われわれ自身は, ここで 「上昇」 を否定し 「下降」 を表す数字を提示することはできない し, ま た然うするつもりもな い, しか し, 具体的な史実から推定すると, 仮に 「上 昇」 を認めること ができるとすれば, 20年代以降ではなく, 40年半以降であると 考えられる, それは, 生活状態が 比較できる形態になったという理由のみではなく, 穀物法廃止, 10時間労働法, 協同組合運動,. 労働運動の全国的組織の確立な どの事実が出揃うのは, 実にこの40年半以降であるからである.. (尤 も, これも, アイルラン ド農業の全面的破壊による大量の移民流入によって, 大きく阻止さ れたであろうが). 資本制生産は, たしかに, 社会的生産力を封建的姪枯から解放 し, 人民大衆の福祉を増大する 可能性を生み出す. しか し, これはあくまでも可能性であって, 直ちに現実性に転化するもので. {まな い.. この生産様式 は, 雄大な生産力の結実を商品と して実現 しなければならない. したがって, 社 会的分業をその範囲と深度に於てますます 大なら しめるとともに, 人民大衆をますます無産のプ ロ レ タ リ ア ー トに 転 化 し, ま た そ の も の と して 再 生 産 しな け れ ば な ら な い. かく して, 長 期 的 か. つ一般的に みれば, 労働者階級の購入消費する消費財の品目と数 量が増大するのは当然である. それは労働者階級にと って, 一 つの強制と しての生活内容の高度化と して現われる.. この生活内容の高度化をもって 「生活水準の上 昇」 と表現することは, およそ無意味といって もよいであ ろう. 封建社会においても, 長期的・歴 史的過程のなかでは, 生産力は漸増 し, 人民 大衆の生活は高度化する, これをもって 「上昇」 と説明することは何ものをも説明 しないのと同 様であ る.. 資本制生産は, 生産力の著 しい発展をもたらすが, それは, 後れた小商品生産を壊滅さ せるこ とによって出発 した. 生産手段と結合 した直接生産者は, 貧困ではあるが, 労働の結果を全的に 所有 し, 生活手段を推持 していた. しかるに, いまや彼 らは, 全面的に 他人の生産手段に依存 し. て生活せねばな らなくなる. 彼の労働は, 他人に売却された労働力の発動と して他 人の支配下に あり, 生産物は他人の所有に帰することになった. 彼が生産を増大させればさ せる程, 他人の所.
(18) . 産業革命期の労働者の生活水準 有物がますます増大する. つまり彼の失うものはますます増大することにな るのである. さらに, この生産様式の発 達は, 相対的減少をともな いながらも, ますます多数の人民大衆を. 工場労働者に転化 してゆく. そ して, このことは, ますます多数の労働者が, 景気の変動によっ て, 生産手段と生活手段とから 「反撒」 されたり 「吸引」 され たりすることを意味する. 大規模. な 「吸引」 があったとしても, それは次のより大規模な 「反援」 に 雁 行される. 「反機」 された 労働者は, 生活手段を完全に失うのであり, 現在 「吸引」 されている労働者も, 常に 「反撤」 の. 危険に脅やかされているのである. 「生活水準」 の変動は, 実は, このような資本制生産の傾向的法則 の上にあらわれるもので, 決 して, こ の 法 則 を 否 定 で き る も の で は な い.. われわれが問題と している時代の英国に おいては, 実質賃銀を中心とする 若干の指標において 労働者の状態が多少とも改善されたのは, 40年半以降のようである. しか し, これは, 資本主義. の発展によって自動的に実現されたものではな い. それは, 20年代以降の生産力の発展と, 植民 地からの特別利潤の収奪という客観的条件のもとで, 労働者の全国的団結によってかちとられた も の の よ う で あ る,. ・学的弁 資本 主義の発展は必然的に労働者階級の状態 を改善する, と考えるのは, 明らかに非科 「 貧困化」 を絶対的に固執するのは正 し 護論である. 資本制生産の歴 史的進歩性を全く否定し,. う. くないが, 弁護論は有害かつ反動的役割を演ずることになるであろ・. 宥め (. 本稿は, 筆者の学生時代の ゼミナール・ レポ←トに加筆訂正 したものである, この加筆にあた っては, アシュトソの本 論文発表後, あらわれたつ ぎの重要な論文に教えられるところ大であっ た.. t i E.J t s vi ng sh Standard of Li . Hi . Rev. × ,1790‐1850 (Eco . Hobobaum, The Bni. ‐1957). l R, N ing Standerd of Living in England 1800-1850, I s , The Ri . Hartwel st (Eco, Hi , Rev, XIII-, 1961). ) 琴野孝, 産業革命と生活水準 (社経史大系7巻, 1961 ホ ブ ス ミウムの論文は, 数量的資料を提示 して, 「悲観説」 の正当性を説く野心的な労作とい. えるが, 理論的弱点のために十分説得的ではないようである.. ・ー トウ ェ ル の論 文 は, 標 題 か ら も わ か る よ う に, ボ ブ ス バ ウ ム の 労 作 を 念頭 に お き な が ら,. 生活水準の 「上昇」 を擁護せん とするものである. 随所にみられるボ ブスバウム批判と広範囲な 考察にも拘らず, 近代経済学的ア プロ ーチは新 しい主張を成功さ せていない. これらの論女は, それぞれ新 しい問題点を提供 しているが, アシュ トソの労作の存在意義は未 だ消えないようにも 思われるので, 未熟な論稿 を敢てここに公刊するものであ る. 次 稿 で は, 上 記 二 諭女 の 批 判 を 予 定 して い る.. (1963年 4月).
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