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地域の教材化に関する研究(1)

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(1)Title. 地域の教材化に関する研究(1). Author(s). 君, 尹彦. Citation. 北海道教育大学紀要. 第一部. C, 教育科学編, 42(2): 205-216. Issue Date. 1992-02. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/5214. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) . 2巻 第2号 北海道教育大学紀要 (第1部C) 第4 ion.( > i i t ) Vol ty ofEducat JournalofHokkaido Univers on(Sec -42 .2 , No. 平成 4年2月 February,1992. 地域の教材化に関する研究(1). 君. 1. 労. 彦. 問題の所在. 社会科教育における地域学習の意義と方法に関して, これまで多くの研究がなされてきた. 朝倉隆 太郎は, 地域が 「社会事象を意味づけ」 「社会生活の原則を発見させ」 「社会の発展を願う気持ち を 『地域に学 養う」 「社会科の学習能力を育成する」 場であるところに, 地域を学習する意義を求め ( ぶ社会科教育』1 989年) , 長谷川正は, 地域教材の開発を軸として学習の基本型を設定し, これを社 会科の全学習領域を対象とする学習の応用型に転移することにより, 法則性を発見しようとしてい 『地域教材の開発を通して社会認識を育てる授業の創造』 1990年) る( . これまでに多くの地域学習に関わる研究成果を得な がらも, 実践場面では未だ数々の問題をかか え, 解決しなければならない陸路をさまよっ ているのが現状である. これは研究自体がその地域性 から遊離して成り立ちえない在地性と独自性を帯び, 個々の教材にそれぞれ未解決の固有問題をか かえているためでもあると思われる. そこで地域学習の研究方向として, 共通的な視野に在地性, 独自性を追求する視線をからませること が必要との考えにもと づき, 本稿は小学校中学年の社会科 実践例を分析し, 地域学習における教材化の問題点を把握し, その改善策をさぐろうとしたもので ある. 小学校中学年をあえて取り上 げたのは, その中に地域学習の諸問題が初見的にしかも集約的 に存在し, これの検討が社会科全領域の問題につながる, いわ ば社会科の基本的課題としての意味 あ い を は ら ん で い る と の 考 え に 立 つ か ら で あ る.. )にあたる.( )は次号以降に分載する. 本稿は以下の3部から構成し, 本号はその( 1 2 ) ( 3. ( ) 小学校4年生を対象とする実践例を分析し, 地域素材研究と教材化に関わる問題点を把握す 1 る.. ( 2 ) 教材化がかかえる多くの問題の内, 大きい1つである小学校中学年用副読本について, その 実態を分析し改善策を考察する. ( ) これら分析によりとらえた問題がもつ地域的特性を, 共通的な視野との関わりで検証し, よ 3 り望ましい地域学習のあり方を, アイヌ研究の教材化を例として考察する.. 2 事例の検討 1 )の4年社会科4単元 ここで取り上 げて検討する単元は 『札幌市小学校教育課程年間指導計画』〔 「くらしを高めるねがい」 ( 1 7時間扱い) の内, 1つ目の小単元 「アイヌの生活と文化」 (4時間) 2 ) 同指導計画ではこの小単元の教 10時間)に関わる( につづ・ く 「わたしたちのまちを開いた人々」 ( . 「 「 材例として 白石を開いた人々」 と 大友ぼりをつくる」 の2事例を示し, いずれを扱うかは教師 205.

(3) . 君. ヂ 彦. 学校にゆだねている が, 本稿で取り上 げたのはその後者である. 大友堀とは慶応年間幕府 (箱館奉行) によっ て今日の札幌市に開設された石狩御手作場の用悪水 溝 (水田化の用水と湿地改良の排水) で, その測量や工事監督にあた ったのが御手作場責任者大友 亀太郎であったことから, 後日このように呼 ばれ, 明治初期開拓使により大改修がなされ, 札幌本 府建設の重要な物資運搬ルートになっ た. 目標 これの実践検証例は多いが, 札幌市東区内C小学校H教諭の 校内研究授業を中心に, A校 S教諭, B校Y教諭の授業をあわせて検討することにより地域と教材開発の問題を考えていきたい. C校は石狩御手作場のあっ た一角に立地 し, 児童の住居は大半が旧御手作場内にあり, 今日埋め 立てられて堀の形は見ることができないものの通学区内を大友堀が流れていたという環境にある. H授業は単元名を 「わたしたちのまちを開いた人 びと」 とし, 現在の発展が多くの先人の努力や 苦 3 ) 労の結果であることを理解させようと, 次のように目標を定めている( . 地域の人々の生活や生産活動が, 現在のように発展してきたのは, 多くの先人の努力や苦労の 結果であることを, この地区の開拓の中心である大友亀太郎を通して理解させる. 目標にそって大友堀の位置, 掘削の苦労工夫, 利用のされ方を学習したあとで御手作場 (村) の 開拓と生活を扱っ た. A校は御手作場の外縁に位置する小学校で, 歴史的に関わりは深いが, C校 のような直接的な立地環境にはないものの, 教材化のため長年研究と実践を続けてきた. そのS授 業は単元名を 「元町を開いた人々」 とし, 目標には 「元町地域の開拓の中心である大友亀太郎 (大 友堀) を通して理解させる」 と, あえて大友堀の名称をさL加えたところにS授業の力点がうかが え, 校区から御手作場にかけての文化財見学をもりこんでいる. B校は御手作場と直線距離にして も5キロほどはなれており, 明治以後の行政村も異なり, 校区と御手作場や大友堀は直接の関わり がない. 「大友堀をつくる」としたY授業は大友亀太郎と御手作場経営を学習する上で大友堀を中心 事例として取り上げた. 3授業の目標に大きな違いはないけれども, 教材の内容では御手作場(村) 全体を扱うか, 大友堀か, さらに大友亀太郎という人物像に及ぶか等の差を生じており, たとえば 大友堀の取り上げ方にしても, 堀を学習することで御手作場の あり方も理解でき目標にせまること ができると考えるか, 亀太郎という人物像ないしその事業である御 手作場の具体例として堀にふれ るのか, いわ ば堀を教えるのか, 堀で教えるのか, 視点を明らかにし目標と結 びついていなければ ならないはずで, 単元 (題材) 名にもそれが端的に表現されるべきだろう. 授業の展開 3授業の展開は どのようになされたか, 大まかな流れをた どってみる. まずH授業 は11時間扱いで, その前半8時間を堀の学習にあてている. 1ー3時間目は校区地図で堀のあった 場所を調べ, そこを歩いて堀の跡を確かめ, 次に3時間かけて校庭に堀を掘っ て土を運 ばせた. こ のあと教室での授業となる. 7時間目は堀を造る手順, 道具, 労働力を調べ当時の土地の様子を知 り, 8時間目は堀を造った目的, 利用のされ方, 大友亀太郎の願いを理解させる. ここまでが大友 堀に焦点をあてた学習で, 9, 10時間目は御手作場と村の創業, そこでの開拓者の 生活を扱い, 11 時間目に 「ぼくは開拓者」 という題で, 先人のねがい, 苦労, 努力を現在の生活と結 びつけて作文 を書き, 単元のまとめとした. S授業は1 5時間扱いで計画された. 1ー3時間目は学習計画をたて, 見学のめあてや視点を校区 の古い建物, 旧道, 河川跡と関連づけてきめる. 4-6時間目が郷 土記念館の見学で, 学校往復の 0時間目は大友堀に焦点 途中で見れる文化財についても学習し, 帰校後まとめの時間をとる. 7-1 道具 利用のされ方を理解させ 開削の目的 規模 ルート をしぼり, 用地選定の理由と計画性, , , , , る. この内1時間を体験学習にあて, 校内でモ ッコをかつがせ(土を入れて) , 切り株を鋸で挽かせ 1 4 一 1 5時間目のまとめでは大友 た.そして11一13時間目で御手作場と札幌村の開拓の様子を扱い, 2 06.

(4) . 地域の教材化に関する研究(1). 亀太郎の一生を年表に書いて学習 を終えた. 3事例では最も時数をかけ学習内容も多くなっ ている. Y授業は5時間扱いにす ぎない. まず御手作場の あった地域を資料によっ て学習し, 2時間目に 大友亀太郎による用地選定と開拓計画を扱い, 計画の一環として造られた大友堀を3時間目の学習 内容とした. 4時間目は御手作場に移住 した人たち, 作物, 生活を, 5時間目 はこれをま とめ, 大 友堀と創成川のつながり を中心に, 大友亀太郎の仕 事と現在の 生活との関連を知り, 先人の苦労や 努力に気 づかせる授業展開とした. 実践の反省 3授業の あと, 各校内の反省 会で出された意見から, 本稿の主題に関わるもの を再 「 録しておくことにする. Y授業については, まず題材として 大友堀をつくる」 を取り上 げた当否 が問題にされた. 結論として, より校区に根 ざした身近な素材を教材化する必要が確認された. 資 料について多くの意見があり, 自作の大 友堀実物大断面図が児童の興味をひきつ け学習に効果的だ 資料として 副 ったことから, これらの次年度への引きつぎ積み上げ活用方法 が話し合われている. 書が不足してい るにも関係図 読本が重要となり, その内容の 充実が必要とされ, 教師が教材研究す る問題の 指摘がなされた. VTRにつ いては学習過程の どの段階で, どのように使うかを十分検討 して自作 しなけれ ば効果的でないとされ, 総合的な取材テー プとともに授業展開に合わせた編集テ ー プの作成が要請された. 視聴覚資料は自作とともに市内学校作品との相 互利用をはかる仕組みが 望まれ, 副読本と教科書, 本授業と教科書の使い方についても意見 が交わされた. S授業については, この素材 を取り上 げ教材化したことに全面的な支持 が得られた. 教材が児 童 の身近なところにあっ て具体物を見たり調べたりすることができ, それを児童の側に立って教材構 成することにより, あたたかい人間の血潮 が脈打つ授業となり, 先人がどのように社会を切り開き, どんな願いを持って今日の社会を構築してきたかを理解する単 元として高い評価を得たのである. また, この授業でめざした課題のひとつに, ごっ こ遊 び的欠点を克服した体験学習の位置 づけがあ れと関わ ったが, これについての反省は別項でふれたい. 資料についての問題として, 見学後にそ 手間をか 童を見て さない児 , るスライ ドや模型を どのように使うべきか. 期待したほ どの感動を示 せる より実感にひたら どもの体を比べて 大模型と子 大友堀実物 たり けた教師の意外な落胆もあっ , ド できた堀のスライ 方法, 模型の表現 を一層現物に近 づける工夫, 堀ができる前の 原始林の様子と は, どちらを先に見せるの が課題把握に効果的か等々の提起 があった. H授業について は, 他校教師か ら伝統ある学校はい いもの だといっ た感想が出て, 校区の条件を 考えると, この素材の 教材化は ごく自然に受けとめ られたよう である. ただ大友堀の目 的と利用で あげた3点 (生活用水, 農業用水, 運送路) について, 種々の捉え方があることが問題となった. 生活用水には飲料, 洗い物, 下水等が含まれるのか, 土地改良を目的とする 排水と下水を混同して はいないか, 築造当初は運送路としての機能を予測しておらず, それは明治以降の改修によるの だ から, 3つを並列して教えては誤解を生じるのでないか, 御手作場は伏 古川に沿って設けられ, こ の川は秋鮭 がの ぼる清流だから飲料水に最適で, 大友堀の目 的に飲料用水を含めるのは適当ではな い(結果として飲用されたことはあるかも知れないが), 1本の細 流に下水と飲用の両機能をもたせ ることができるのか等々の疑問や意見 があっ た. これは教材化にあた って歴史研究をいかに吸収す るかにかかっている が, 一方で全市的に使われている市販の副読本の記述から影響されてい る点も 多く, これの適正な充実をはか らなけれ ばならないであろう.. 207.

(5) . 君. 秀 彦. 3 大友研究史 こうした授業の前提 に素材の科学的研究がなく てはならない 石狩御手作場 大友堀 大友亀太 . , , 郎の人物研究 (まとめて大友研究と 呼ぶ) はどのようにすすめられてきた のだろうか 大友研究と . その教材化は同一 軌道上の両輪との認識にもとづき, 地域と教材化 の関わりを考察する条件として , 素材の研究史を把握しな ければならない.. 札幌村郷土記念館の設置まで 石狩御手作場が置かれた地域の歴史を最初にまとめたのは御手作 4 )であろう ここではまだ大友研究が意識 場開設の1 8年後に編纂された 『石狩国札幌郡札 幌村史』( . されておらず, たとえば大友堀を 「悪水路」 と呼んでいるが村内における機能や歴史的役割に全く 5 ) このような状況 は1890年代までつづいたが 大友研究に転期をもたらしたのは 言及していない{ . , 『札幌沿革史』{ 6 )とひきつ づき行われた 『札幌区史 ( )の編纂である いずれも札幌市街地を対象と 』7 . した史書であるから, 当然市街地中心の視点で周辺村落を見ており大友研究にかたよりがあるとは いえ, ここで永田方正が重要な仕事をなしとげた 沿革史執筆にあたり大友亀太郎の事績について . 聞き取り調査を行い, 刊行後に提起さ れた異説反論を確めようと さらに聞き取りや文書 照会を続 , 8 )として書き残したが これが亀太郎最初の伝記で けた. その結果を1 899年頃 『大友亀太郎之伝』( , 大友研究のスタートをなした. 区史を含めこれらの論拠はほとんど古老の言い伝 え 聞き取りに頼 , ったから,大友研究に十分な成果を得たとはいえないまま, こう した状況が195 0年頃まで続いたの であ る.. 文献史料による大友研究の始まりは太平洋戦後 の郷土史の実証的見直し機運と軌を一にしている . 1 9 50年 『札幌村史』 の新版編集にあたり, 亀太郎 の子孫が保存していた記録類を使い 伝記をまと , めたのである. 記録類は大部で1930年前後北海道史の材料として一部筆写されたこともあったが , 誤写が多くほとんど活用されないで残っていた原本である 村史の利用はその中の自伝 (自筆の履 . 歴書)が主であったが, それでも大友研究を画期的に飛躍させ 市街地住民の回想談を文献によっ て , 再検討する術をここに得た. これをもとに新調査 を加えて『我郷』 (札幌市立北 光小学校 1956年) , 『伏古川物語』 (札幌市立札幌中学校 1967年)が生まれ 特に後者は教材化との関わりで興味深い , , ので, 編纂事情を引用しておく. 「この本を生み出した当時の社会事情を今振り返. っ てみると, 一つは地域の特性であり, もう一 つは時代的要請であっ たと思う. 前者についていえば, 校下が札幌村以来の古い歴史的風土を背景 にしていることだ. この頃,伏古川は流れることを忘 れ, ドブ川と化し 誠にひ どい姿を横た えてい , たが, 幕末以来の開拓 に対する誇りは札幌の中心街と異なる重みがあった そこに住む人たち に . , 開校二十年という この機会に喜んでもら えるものを作ろうという意見が職員会議でまとまった 古 . 老の伝える札幌村の若き姿を描くことは, とりもなおさず古 老の若き時代を再現し それを今の子 , どもに伝える ことができる. この本を子 どもの読むものにすれば 古老 の願いが聞き届 けられるわ , けだ. こんな計画が実 を結びでき上がった本を手にして涙ぐんでくれた老婆もいた . この郷土に農地の宅地化という荒波が押し寄せようとしていた 札幌村が札幌市と合併して十年 . , 市の人口急増, 農業政策な ど社会事情は一面のタマネギ畑を住宅街 に変える時期にさしかかっ てい た. 一部では早くも畑が売られ家が建ちだしたところもある そう した中で 作ることへの情熱と , . 愛着が畑を手離す ことをはばみ, 誰もがみんな悩んでいた 土に生きることをこよなく願う古老が . まだまだたくさんいた. しかし, 眼前の畑は消えつつあり 風の吹きぬける大面積を必要とするタ , マネギ作りは難しくなりつつある. こうした土地柄のこの時代にかつての生活に思 いをはせ, 古いものを残 したい残さ なければなら 208.

(6) . 地域の教材化に関する研究(1). 9 } ないという気持ちがみなぎっていたように思う. 『伏古川物語』 はこう した背景の産物だっ た.」( 2年冬期オリ ンピ ックと政令指定都市となる時期に景観を大きく改変し 97 その後の旧札幌村は1 3 77年北1 ていっ た.光星再開発事業にともなう高層アパ ートの群立,豊平川 に1975年環状大橋, 19 条大橋が完成し,これと接続する道路網の整備 (区画整理)は街並みと交通事情を一新し住民の生産 活動と生活意識にも変化をもたらした. 急速に失われていく農村的遺産を眼前にした人々の間に広 まった保存伝承顕彰の願いは, 1977年札幌村郷土記念館として形をなし, 黒川正臣は同年 『わがふ るさと』 を自費出版した. 2年開設の札幌市立元町北小学校 都市化と文化遺産継承の動向を教育の場で受け止め たのが197 である. 児童の学習意欲を高めるため 「新設校に百年の伝統を」 を合言葉に日常の活動の中で自分 の目で見つめ自分の 手で感触を確かめうる大友亀太郎の学習をテーマに選 び, 教職員のみでなく父 母を巻き込んだ大型の調 査グループを組織し, 市内はもとより亀太郎の生地神奈川県小田原市や開 拓を手がけた木古内, 七飯, 上磯でフィ ル ドワークをつ づけ, 資料の掘り起こしと教育現場への活 用をはかり, 5年後にその成果にもとづく研究大会を催し授業を公開するとともに郷土資料室を開 設, 教材用スライ ド 『大友亀太郎の歩んだ道筋を追って』 を製作, さらに郷土誌 『元町北 大友亀 太郎をおっ て』 を刊行した. 1967年 『伏古川物語』 は農村が崩れ始めた時に, 1977年 『元町北』 は 50年『札幌村史』 都市的住宅街へ変貌した帰結点の産物といえよう.永田方正に始まる大友研究は19 を経て, ここに人物評価を得て歴史的背景をふまえた伝記を持つことになり, さらに学校教育と社 会教育の両分野に大友研究を浸透させる功績をはたしたのである. 大友堀の調査 古老の昔話を聞き地域の歴史を学ぼうと, 札幌市東区の主婦が集まり札幌村歴史 979年2月のことである. 区役所主催の婦人学級のひとつである が, 会を 研究会を発足させたのは1 『 始めた動機は 伏古川物語』 のもつ人間くささに惹かれたためといい, それをテキストに今日的な 目で札幌村を見つめたいと願っ たのである. 通常の例会は東区民センターで開かれたが, その建物 の下をかつて大友堀 が流れており, 窓から西方をのぞむと堀が ・路に変わっ て細く斜めに残っ てい る. 学校で地域の教材化が大切なように婦人学級でも身近な教材に関心が集まるのはごく自然のな り ゆ き だ っ た. 例 会 を 重 ね る う ち に テ ー マ を 大 友 堀 に し ぼる こ と に な っ た.. 会の発足当初から古老の話をできるだけ多く聞くようにした. テーマを大友堀にしぼっ てからも, これをつづけたが, 話し手はみな大友堀か元村街道をはさんで生きてきた人であるから, 大友堀の 終末期を知る人がかなりいた.とはいえ記憶の確かな古老となると明治30年代以後の生れで自分の 体験談としては大正期の話題 が中心となり, 明治のことは伝聞に依ることが多い. 慶応年間大友亀 太郎の招募で入植した直系の子孫がまだ居住しており, リンゴ園を経営して全道に名を知られたり, 酪農に取り組み牛乳屋の先鞭をつけたり, 市街地からここに嫁いで主婦として一家を切り盛りし都 市化の波でまた市街地へ移っ て余生を楽 しんでいる女性等々, 話し手に恵まれていたのは幸いだっ た. 一方,大友堀の跡や元村街道筋を丁寧に歩き続け, 区間を割っ て担当をきめ聞き取り調査をきめ 細く行っ たので, かなりの精度で大正期の家屋配置と生産活動の様子を再現できるまでになった. 大友堀に関する記録や出版物の収集にあたったのは当然だが, 特に力を入れたのが古い地図の調 査である. 大友堀が河川 であれば無番地だから, 埋められて道路になっても地籍図には無番地のま ま残っ たところが多い. それと住宅図を組み合わせながら年代順に対比していくと, 堀が道路に変 りさらに製麻工場の社宅や鉄道院の官舎街に変転する様子が追えるから, 一部区間で堀のルートを 現在地に仮定すること ができ, あわせてそこの変遷を読み取る手がかりを得たのである. こうして 仮定したルートが正 しいのか, 何らかの方法で実証できないか検討していた時, たまたま仮定の敷 地で始まっ たビル建設工事にあわせ, 区役所や建設会社の協力を得て発掘調査することができた. 209.

(7) . 君. ヂ 彦. その結果, 仮定ルートと多少の差はあったが, きわめて近くに堀跡を確認し仮説の妥当性を立証し た.. こうした札幌村歴史研究会の活動により大友研究 はどのような進展をみたのだろうか. まず堀の 時間的変遷をつかみえた. ①水田用水と湿地排水路として主に使われた酒競用水時代、(慶応2年か ら明治2,3年)②それに物資の運搬路としての役割が加わる運河時代 (明治3,4 年 か ら 6 7年) , ③もっ ぱら湿地排水, 生活汚水路となる排水路時代 (明治6, 7年から大正14年まで)に分けるこ とができ, 創成川の一部として残った部分をのぞくと, 大正末の全面的な埋め立てまでの過程 が明 らかになっ た. 次におおよそのルートを現在地 に比定 しえたこと. この内発堀で確認したり地籍図 や現況から十分説明のつくところを確定流路 区間,その前後でほぼ推測可能なところを推定 区間,古 地図や言い伝えから予想したところを仮定区間の3つに分け,2500分の1現況図におとし概測した 結果, ①確定流路2989 5m, ②推定流路27 8.75m, ③仮定流路96 8‐ 40m, 総延長は4236. 50m .3 となり, 伝聞の2里余とはかなりの違いを生じ, 新たな問題を提起した のである 第3に堀の構造 . と築造技術の一端を解明することが できた. 第2次発掘で上幅590cm, 底 幅 455cm,深 さ 150cmだ っ たが,慶応年間大友が開削した時は深さが同じで上幅1 80c 20cm 0度くらい傾斜 m ,底幅1 ,堀の壁は7 して壁面と底面の角は丸みを帯びていたと思われる. それを明治になっ て開拓使が, 下流に向かっ て左岸で上幅4 00~410cm mの拡張工事を施し,物資の運搬路としての役割を持たせ ,底幅330~340c ようとしたことがわかった. 大友の工事で水を下流へ送る工夫や壁面の崩落を防ぐ護岸策を施して いることも判明,第3次発掘では自然水 (湧き水や細流) の流れを巧みに堀のルー トに切り替えた り, 地表面の傾斜方向や高低を活かす等, 当時としてはきわめて高度な測量術を駆使してルート設 1 0 ) 計 を試 み て いる こ と が わ か っ た ( .. 石狩御手作場の経営 3年にわたる札幌村歴史研究会の調査により大友堀に関する知識は飛躍的 に増加したが, その報告書で今後の最も大切な課題として 「堀はどんな村を造りだしたか」 を追究 1 1 } この課題に取り組むことになっ たのは札幌市が編纂をすすめている 『新札 する必要を指摘した( . 幌市史』 のスタッ フである. 大友亀太郎が学んだ二宮尊徳とその門弟たちの思想と技術, 安政期箱 館地方での事業展開, そして石狩への進出と御手作場経営の実態を史料にもとづき解明する作業で あ る.. そこで小田原市在住の亀太郎子孫宅 に残る史料調査をすすめたが, その間に長年行方のわからな かった同家旧蔵記録類が見附かり, 子孫から札幌市に寄贈されて文化財指定を受けた スタッ フは . 1 2 } 直ちにこれの解読と研究を行い, 市民が容易に利用できるよう主要な史 料の印刷刊行を企てた( . 再利用が可能となった行方不明だっ た記録類と19 30年前後の筆写本を対照すると,写されているが 原文書が残っ ていないものがあり, それらは筆写本によることにした この記録類は大友亀太郎が . 1 86 6年蝦夷地開墾御用掛に任ぜられてから,1 87 0年兵部省出張所石狩国開墾掛の職を解か れるまで の間の, 石狩御手作場開発事業に直接関わる史料である. それを分類すると次の9種になる ①開 . 墾仕法書類6点 (石狩御手作場創設ならびに当別開墾にあたっての条件, 手順, 将来計画 予算 , , 必要物品等を提示したもの), ②開墾入用請払書上帳5点(御手作場経営の経費の受入額と支出額を 記帳し, 特に支出につ いては購入物品名, 数量, 単価を給与人別にし, 水路, 土手, 橋梁 道路 , ,. 家屋等の施行に要した資材費, 人件費を詳記したもの) , ③入用勘定取調書2点(御手作場事業なら びに収支決算を箱館奉行所石狩詰調役樋野恵助が監査した結果の添書文書) , ④戸数・人別書上帳5 点 (御手作場雇用の農民ならびに家族の名 と年令, それに一部に出身地と入地年月 日を付した文. 書) , ⑤御扶持諸品渡方書上帳6点 (農民諸職人への給与物品を人別に記した文書) , ⑥開発田畑書 上帳5点 (人別に開墾田畑地積を記 したもの) , ⑦救助人別帳1点 (農夫に貸与した救助金を人別に 210.

(8) . 地域の教材化に関する研究(1). 記帳したもの) , ⑧御用留3点(亀太郎が在職中に提出または受領した達書, 願書, 伺書を含み, 多 くは触書, 廻状等の写) , ⑨履歴1点(後年亀太郎自身が作成した履歴書, これを含む履歴一件綴が ある) . この記録類により石狩御手作場の創設と経営の経緯や実態がほぼ解明可能となり, 大友研究に基 本的史料を提供することになっ た. それによっ て石狩御手作場を研究した原田一典 によれ ば, まず 計画の段階として箱館奉行の 方針, 大友亀太郎の担当決定と条件提示, 大友による地所選定, 農民 移住扶助の内容と方法, 将来の経営方法の立案について判明し, 次の御手作場造成の段階では, 後 日大友堀と呼 ばれる用排水路の掘削, 用水土手の築造, 道路橋梁川 ざらい, 家屋建築が行われたあ と, 1 8年にかけて23戸95人の移住をみた. 経営実態では移住農民に扶助米,塩噌,家財,農 866-6 具,家屋の支給,田畑開墾,種子購入,開墾手当の状況 が明らかになり, 幕府倒壊にいたる ぎりぎりま 1 3 } で真剣な御手作場造成の努力 が西蝦夷地石狩で進められた全容を解明しえたのである( . 1897年前後から始まっ た大友研究は, このように亀太郎の伝記調査からすすめられ, 大友堀調査 のもり上りを経て,石狩御手作場の実態を明らかにする までに至った. 一方,研究の進展にともない 新たな疑問が生じ, 残された問題とともに, 今日多くの課題をかかえているのも実状であろう. そ れらは今後広い視野から研究されていくものと思われる が, 史料集の刊行は多方面で活用されるも の と期 待 さ れ て い る.. 4 教材化の方法 社会科の学習内容はいずれの分野であっ ても科学的研究にもとづくものでなけれ ばならないから, 教材化の前提に素材の研究成果が存在するか, 研究活動と併行した教材化作業 がなければならない. 先に例示した3授業が前述の大友研究の上に成り立っ ているとすれ ば, 研究成果がどのように授業 に生かされ位置 づけられているか, あるいは授業を組み立てる中で大友研究はいかに進展したかを 見ることによっ て, 地域素材の教材化にあたっ ての問題点を明らかに し, その解決のための方策を 考察することができるであろう. 以下3事例における教材化の方法と大友研究の関わりを検討して みた い.. 教材観と視点. 大友研究の教材化に早くから取り組 んだのは,札幌市東区内に1972年開校した元. 町北小学校である. 住宅の郊外進出にともなう 新設校のため, 児童の地域の歴史についての関心や 意識が薄く, その克服が当面の課題となっ たこと, 都市化で校下の文化財が急に消えつつあり, そ の保護へ目を向けさ せる必要があっ たこと,新しい学校づくりの柱に連帯感,地域学校に愛着心をも たせようとした等が教材化の動機であっ たという. そこで3年生の社会科教育課程を 「先人が生き ぬくために未来を創造しようと行動した郷土開拓の祖・大友亀太郎を通して, 子供たちに郷 土を学 ばせ, 地域社会の発展を願う心情豊かなよりよき社 会成員 としての資質 を育て」 る単元 を設定 し 1 4 } ここでは大友亀太郎という人物を通して開拓の苦労や先人の創意工夫を学ぶ, いわゆる人物 た{ . 学習にねらいを置いている. 学習指導要領52年版施行を機に, これが4年生の学習にほぼ同内容で 移り, S授業にみられる実践を展開していっ た. 前述のよう に同校の大友研究は, この人物学習を成り立たせるための努力であり, 多数の史料を 集めて学習活動に結 びつけようとした. その結果として史料の補強をみた が, 人物の捉え方はあく 1 5 ) 人物 までも1950年版『札幌村史』の大友像を核に据えており, その枠からふみ出るものでない( . 学習の資料整備をめ ざしたのだからやむを得ないが,基本史料を大友自伝 (自筆の履歴書)に頼りす ぎると 『札幌村史』 と同一路線にならざるをえず, 自伝の弱点をカ バ ーできなかったのである. も 211.

(9) . . 君. 事 彦. う一つの問題は同校周辺 で経営された石狩御手作場の究明にほとんど手をつけなかっ たこと 思想 . とか仕事とか具体的業績が人物像をつくり上 げる のだから, 大友の札幌での最大の仕事である御手 作場を具体的に把握しておくことが不可欠ではなかっ たか とはいえ同校 の試みは教職員と父母か . らなる大型の共同調査という社会的意義をもち, 教育の場では地域素材の教材化に大きな貢献を は たした. こうした教材観や視点 に関わる問題は他例についても言えることで 教材化に取り組む時 , はまず研究成果をよく 消化し, それから目標にそっ た学習内容として どの事象を使うか検討すべき だろう. その際,取り上げた事象を目標 にすり寄せると 往往にして大友研究全体の中での位置 づけ , とずれたものになることもあるだろうから留意 しなければならない 教材観や視点が研究成果から . 逸脱して存在するはずはなかろう. 資 料 3授業で使われた資料をぬき出して形態ごとにまとめると表1のようになる VTR , . スライ ド, TP, 録音テープ, 写真, パ テル, 図表等はほとんど授業者もしくはその学校 で自作し ており, 市販のものは副読本 『わた したちの札幌』 と用紙類くらいだろう 地域教材の難点は既成 . 資料がきわめて少なく, しかも多く の自作資料を準備しなければならないところにもある 授業時 . 数に長短があっ ても, 1つの単元で使われる資料の量は比例しないようで Y授業 (5時間扱) と , S授業( 15時間扱)では時数で1: 3であるが, 準備 した資料数はさほどちがわ ない 同じ目標にそ . っ た授業ならば共通に必要な資料が時数を超越 してなければならないためと思われる. 教材研究に もとづき資料を作成するには多くの時間と労力を要するから 地域素材 の教材化にあたっ ては ま , , ず資料をどこま で準備できるのか, それを生かした授業展開がどのように可能 であるかを見透して. 表1 授業で使用した資料一覧 形. 態. V ス. T ラ. 授. 業. R イ. T. S. ド. Y. 授. 業. H. 授. 業. 大友堀 について古老の話 掘削, 開墾, 生活用 具,. 伏古川物語・創成川物語. 大友堀 大友堀と創成川の関係図. P. 古老の話 録 音 テ ー プ. 鰹廠→. 写真 ・パ ネ ル. 図. 副. 表. 読. 本. ワ ー ク シー ト類. 備. 212. 考. 現在の元町地区・大友堀 絵 (大友堀を掘る) 大友堀断面図 元町北. 見学用 ( 豪都議 . ). 白地図 濁 ( 塁 彬霧霧島) 大友亀太郎資料室が校内 にある. 年表 (元村の開拓) 大友堀断面図 /札幌市現況 、 \大友堀・御手作場ノ. 年表 (大友亀太郎伝) 大友堀断面図 地図 (大友堀) 絵 (開拓の様子). わたしたち の札幌(市販) わたしたち の札幌(市販) ワーク ブック. 原稿用紙(まとめの作文).

(10) . 地域の教材化に関する研究 (1). 取りかかることが大切になろう. 当初たくさんあるように思えた資料であっ ても, いざ教材化に着手し授業のねらいに合致するか どうかを検討する段階になると, 使えると思っ ていた資料が必ずしも満足できー るものではなくなる ことも多い. たとえば大友亀太郎の肖像写真を児童に示そうと思い準備したとする. 現在知られて いる写真は篭を結い刀を横にかざっ た座像と, 晩年の和服姿の上半身像の2枚だが, これから堀を 測量したり開墾を指導する姿をイメー ジ化するのは難しい. むしろ写真を参考に顔や体形を模写し た想像画を作成するかイラストの方が児童の学習に有効ではないかと思えてくる. もっ とも最近大 友亀太郎を顕彰する ブロンズ像が建立されたので, 美術作品ではあっ てもこの写真の方が想像画よ り授業に役立つとして使われているようである. 同様のことは多くの学校で使われ, 関係書には必 ずといっ てよいほど転載されている大友堀の流れを撮影 したものと伝えられる写真についても言え よう. これがいっ, どのあたりを撮影したか判然としているわ けでないから, 授業での場面や説明 の仕方で役立ったり使えなかったりする. 地域素材を教材にする場合, その研究成果をどのように資料として汲み上 げ活用するのかを十分 検討し, 逆に学習用に準備した資料を, このように授業で使っ て研究と矛盾しないか どうかをもう 一度調べなおす慎重さがあってよい. 地域の教材化にあたっ て資料作成は避けて通ることのできな い課題であるから, 資料作成の可能な研究成果をもつ素材を探し, そこから教材開発を始める手順 もあっ てよかろう. どのような地域学習であっ ても資料なくして成立しないし, 資料は研究成果の 中から生まれてこなければならない. S授業は教室内の授業に体験学習をどのように組み入れるかを実践テーマとして, 15 時間扱いの9時間目でこれを試みた. ねらいは大友堀が不便な道具を使い苦労しながら掘うたこと に気 づかせ, 先人の努力や苦労を体で受けとめさせようとした. 学習活動はまず本時の課題 「木が いっ ぱいあるところを, 亀太郎はどのようにして掘っ たのだろう」 を決め, 大友堀を掘っ ている想 像画を見せ, 使っている道具や作業の進め方を話し合っ たあと, 鍬, 鎌, 鋸の実物を持たせてみる. 体験学習. そして教室の中央で丸太を鋸できらせ, 用意しておいた大木の切り株を動かして伐木の後始末の苦 労に気づかせ, さらに2人ずつ土をモ ッコで担がせ, 掘り上 げた土のかたづけも苦労であるとわか らせる. 全員がどれもみな体験することは時間的に不可能なので, 実験者が感じたことを発表し共 通の理解をはかった. 授業後, 参観した大方の意見はこの方法が効果的であっ たと認め, 先人の苦 労が言葉だけにおわらず身体を動かし実感させたことを評価した. 問題点として出たのは, 準備に 時間と労力を要し, それに見合うだけの学習効果が上がっ たかどうか, 体験の時間不足を補うため に学級活動などとのセッ ト, 全員が体験できるような配慮, 現代と音の道具の比較等々の指摘だっ た.. H授業は本単元で2つの体験学習を取り入れた. まず4-6時間目の3時間分を使っ て, 大友堀 を掘る苦労を知るため校地の一部に上幅, 底幅, 深さを当時の堀の規模で数メートル児童に掘らせ, その土を運 ばせた. 当時は笹や草木の根が張り掘削に多くの労力を費やしたはずだが, 現敷地に木 の 根 は な い も の の 地 表 が 踏 み 固 め ら れ て い る か ら, ス コ ッ プ の ひ と さ し さ え 容 易 で は な い. ス コ ッ. プは児童 に用意させ, あとの授業で当時の道具とくらべることにした. このねらいはS授業と同じ だが, 全員が体験できること, 準備にかかる時間や労力が少なくてすみ, 野外作業なので後片付け がしやすい, 苦労を実感するほかに堀の造り方や規模を体で理解できる等の利点がある. 反面家庭 からスコ ッフを持ち運ぶ際の事故, 校地内で安全な適地の確保, 多学級による反復の困難 (用地が 広ければよいが) 等, S授業と異なる問題がある. H授業では1 0時間目に 「亀太郎たちは, どんな生活をしていたのだろう」 を課題にして, 当時の 213.

(11) . 君. 男 彦. 衣食住について学習したが, その中でローソク, ラン プと電灯の明るさを比較するもう1つの体験 学習を入れた. 暗幕のある教室を使い, まずローソクの光で本を読み, 次にランプ, そして電灯と 替えることにより, 今と昔の生活のちがいを実感させようとしたもので, 簡易な道具で準備に手間 をかけない体験学習を組み入れた. こうした試みはY授業でなかっ たが, S, H例を合わせ考察すれば, 小学校中学年の地域学習に おいて, ねらいをしっ かりおさえて体験学習を取り入れると, 観念的事象を身体で受けとめ理解さ せるのに効果的であることがわかる. ややもすると低学年の ごっ こ遊びの欠陥に落ち入る心配があ るものの, 苦労そのものの理解が本時のねらいであれば, それが単に言葉だけの受けとめではなく 実感として捉えさせる工夫が必要となる. ねらいを明確におさえ本時の課題解決のための方法とし て体験を位置づけることにより, ごっ こ遊びの欠陥を回避することはできるであろう. 地域教材の 構成要因として体験学習を組み込んでおけば, 子 どもの側に立った授業展開が可能となり, 教材内 容の身近かさ, 地域性とともに, 学習方法の親しみ, 動的効果性によって, 地域素材は生活意識に 根ざした感動を児童に呼び起こすものと期待される. こう した予測のもとに地域素材の教材化をす す め る こ と が 望 ま し い. フ ィ ル ドワ ー ク. H, S 両 授 業 で 異 な る ね ら い を も っ て フ ィ ル ド ワ ー ク が な さ れ た. ま ず H 授 業. についてみると, 学習を始める最初の1-3時間目を使い 「大友堀はどこを流れていたのだろう」 を課題に行っ た. 校区の地図で堀のあった場所をおさえてから現地を歩‐ くことになる. かつての大 友堀ルートには条丁目区画が施され碁盤目状の道路が通り,近年は10数階建のアパ ートが並んでい るから, 堀の痕跡をたやすく見つけることはできない. それでもあちこちに堀を埋めた跡が狭い斜 め小路となっ て残っており, こうした個所を繋ぎ合わせていくことに児童は興味をもち, 日常通学 路や今自分の住むアパ ートの下をかつて大友堀が流れていたことを知っ て驚く. そして大友堀の終 点 (伏古川への落口)にある郷土記念館について開拓当時の生活用具や農具を見学し帰校するコー ス と した.. S授業のフィ ルドワークは3時間目に教室で事前指導を行い, 4-5時間目に実施している. そ の学習課題 が地域や郷土記念館を目あて にあわせて見学するとなっ ている通り, 学校から郷土記念 館の往復路にある古い建物や史跡を調べ記念館を見学するのがねらいで, H授業のフィ ルドワーク と内容を異にする. 両者とも見学した資料館は同一の施設であるが, S授業はそれを主目的にして いる けれどもH授業は副次的といえよう し, Y授業ではフィ ルドワークを組み入れず, すべて教室 内の学習とした. 学習のねらいや校内外の条件によっ て, このような違いを生じるのは当然のこと だが, 小学校中学年においては可能なか ぎりフィ ル ドワークを実施する配慮が望ましい. 地域教材の学習方法としてフィ ルドワークが有効であることは既に多くの実践例が示すところで, 授業構成にあたっ ては, これが単元目標とどう結びつくか, 授業展開の どこに位置づけるかを, 計 画段階で明確にしておき, 十分な準備の上で実施することが大切である. 学校の実状をみると他単 元とのだき合わせや, 遠足, バス学習など特活との併用も多いから, 年間の教育課程の中に計画を 位置づけておく必要がある. フィ ルドワークは小学校中学年の地域教材を構成する時に忘れてなら ない方法で, むしろ地域学習はフィ ルドワークの可能なところに存立の1つの意義があるといえよ う.. 副読本 A校S授業で使用した副読本は主に校区とその周辺の事象を内容とした自校作成のもの, B校Y授業とC校H授業のは札幌市内全域を対象に編纂され市販されている同一のものである. 両 本の使い方をくらべるまでもなく前者がベターであることは言うまでもないが, ほとん どの学校は 後者によっ ているのが実状である. 小学校で社会科を指導する教師は, 大学で社会関連科目を専攻 214.

(12) . 地域の教材化に関する研究(1). したとか, 特に関心を持っていたり研究テーマにしている 人たちだけでない. 社会科への興味がな かったり, あるいは嫌いという教師も原則として社会科の指導にた ずさわっ ている. 中学年の授業 では教科書よりまず副読本 が机上に置かれるのが常だろうから, 副読本のはたす役割はまことに大 )において行 2 きく, 指導内容を左右しかねないほ どの影響力をもっている. この総合的検討は続稿( とどめたい 特に市販本についてふれるに 副読本に関わる問題のうち うが, ここでは3事例の . , 副読本はまず内容の取捨選択が重要である. 石狩御手作場, 大友堀, 大友亀太郎のいずれについ ても取り上げうる事象は多い だろうが, 限られた紙面に どれを収載すべきか, その基準は教育課程 の目標内容に従うの は当然としても, 実際の選択は, 授業を構想した個人的判断にゆ だねられる. ところが1人1人授業の展開は異なるから, 多くの教師が使いやすいよう内容を最大公約数的に標 準化, 共通化するよう 心がけなければならない. そう配慮しす ぎると総花式になっ てしまい, 内容 の深みがなく事項羅列におわり, まとまりがなくなるおそれを生じる. 視点の明確化焦点化と標準 化共通化のバランスを どう定め事象選択するか が編集者の問題である. ここで編集者に期待した いのは授業実践の成果を生かすことと, 大友研究の消化に努めるこ とで ある. 記述内容には消化不良の個所がみられ, 報告書等の拾い読みによる転記ですましているよう な感じを受けるところ が少くない. 写真図表とその説明にも細心の 注意を払うべきである. 市販本 5枚の写真と地図1葉 が載っ て を みる と 「大 友 ぼり を つ く る」 と い う 項 目 に 9頁をあて, その中に1 いる. 3授業例をふり返っ てみると, その3分の2は適切な写真といえないし, 唯一の地図も修正 と図化の工夫が必要だろう. 近年の副読本には全頁アート紙, カラー写真をふんだんに使い, 表紙製本にも金をかけたのが見 られる が, 市販本は売価とのか らみで制約が多いと思われる. しかし安いからこの程度の副読本で いいということにはならないから, 常に訂正充実の努力を続けなけれ ばならない. 児童の活字に対 する信頼感は極めて高いから, 授業に準備させた副読本 が一度教室で開かれると, その記述は教師 の思惑をのり越えて広まっ ていく. 副読本の編集に慎 重さが求められる所以である.. 5 教材化の問題 3授業例の分析をもとに, 地域学習における教材化の問題点を整理すると次のようになる.. ①学習内容の問題 ・学習目標に適合しそうな社会事象は児童の身近にいくらでも存在しているよう に見える が, そ の事象に関わる科学的研究は多くない. 大友研究はむしろ恵まれた例であり, 地域研究の積み 上げがあって 教材化に直接生かせるとは限らない. 公民分野の教材化で特にその傾向 が強い. ・地域研究の成果 がないまま教材化に取り組まなけれ ばならないことも多い. せい ぜい行政機関 のパ ンフレッ トがある だけという例もみられる. それさえなくて, 教師の調査研究が教材化の 作業と同一である例も少なく ない. このような場合, 教師による調査研究の適切さ が不可欠で あ る.. ・. .地域研究がある場合, 学習目標と内容 に研究を結 びつける慎重な配慮が必要である. 大友研究 があるから教材化できることにはならない. 目標内容の側から大友研究を見る だけでなく, 大 友研究の側からも目標内容を見つ めて矛盾しないか検証する作業 が望ましい. 研究の消化が必 要 で ある.. ・児童の生活体験が生み出す地域と, 学習内容で扱う地域 がずれている場合がある. 中学年にお 215.

(13) . 者. 昇 彦. いてこのずれをどの範囲でおさえるか実践検証しなければならない .. ②学習方法の問題. ・研究成果がす でにある場合も, 教師が自ら調査 研究した場合も, 授業を展開する 際にそれらを 資料に置きかえなければならない. そのために多くの時間と労力を要することになる . ・できた資料と地域研究の間にすき間があっ てはならない 研究の消化が不十分な時にすき間が . 生じやすく, 特に副読本作成時に留意しな ければならない . ・地域学習はフイ ルドワークを組 み入れることによって存立の意義を高め得る 授業時数や安全 . 対策から単元ごとのフィ ルドワークは困難になる場合も多いが 組み入れの努力を怠っ てはい , けない. 中学年においては体験学習も効果的である. ・学習内容ともかかわり, 地域素材を独自に教材化した場合, 組織的な検証や授業評価を受ける 機会が少なく, 実践の積み上 げに欠けるきらいがある 授業の交流, 資料の再活用 広い視野 . , からの位置づけ等, 授業の再構築 へ向けての不断の努力が期待されよう . こうした諸問題については続稿( 3 )において再考し, 地域素材の教材化の望ましいあり方を検討し た い.. 〈注〉 ( 1 ) 平成元年4月刊行版によった‐ それ以前の昭和61年4月版とは時数, 表現に一部変更があり 以後の移行措置で , 単元数に繰り上げはみられるが目標内容に大きなちがいはない‐ ( ) 学習指導要領との関わりでは, 昭和5 2 2年版の4年内容( 2 )-イ で, 平成元年版の( )である. 4 ( 3 ) 市の年間指導計画における単元目標は 「札幌市にはアイヌの人々の独自の生活や固有の文化が息づいていたこと を理解させるとともに, 地域の人々の生活や生産活動が現在のように発展してきたのは 多くの先人の工夫と努力 , の結果であることを, 具体的な事例を通して, より身近なものとして理解させる」 となっており, 小単元 「大友ぼ りをつくる」 では①大友亀太郎という個人の活動を通して元町地域のきびしい自然と闘いながら開拓に取り組んだ 人間の工夫や努力を理解させる. ②大友亀太郎が元村地域を選んだ理由と手がけた仕事から開拓における計画性を 理解させる‐ ③大友堀をほった人人の生活に関心を持たせ, 堀が開拓に果した役割について理解させる ④開拓者 ‐ たちの工夫や努力をまとめながら, 札幌村の生いたちを理解させる 以上4つの視点を示している . ‐ ( ) 札幌村役場編 『札幌村史』 (札幌村役場, 1 4 27年) に所載 9 ( 5 ) 札幌村歴史研究会 「村史の歴史」 1-3 (伏古川, 9 -12, 1979一1980 年) ( ) 札幌史学会による編集, 1 6 897年同会発行 ( ) 伊東正三編, 19 7 1 1年札幌区役所発行 ( ) 北海道立文書館蔵, 札幌村歴史研究会誌 『伏古川』 4 ( 8 1 97 9年) に所載 ( 9 ) 大槻富雄 「伏古川物語ができるまで」 (伏古川3, 1 97 9年) Qの 札幌村歴史研究会 『東区今昔大友堀』 (札幌市東区役所, 1 98 2年) QD Q O )に同じ 「 ( 1 2 ) 札幌市 『新札幌市史, 第6巻』 所載 「大友亀太郎文書」 (札幌市, 19 87年) ‐ 大友亀太郎文書補遺」 (札幌の歴史 13 , 1987年). 『 Q ) 原田一典「石狩御手作場の経営実態」 (札幌の歴史 1 3 3 987年) 89 ,1 . 札幌市 新札幌市史 第1巻』 (札幌市, 19. 年). Q ) 高橋三喜雄他「郷土の理解と指導-新しい社会科教育の方向をふまえて一 (東京教育研究所北海道分室研究レポー 4 ト. 2, 1979 年). Q ) 安井敏彦 「大友亀太郎の研究とその教材化」 (史流 2 5 2 81年) , 19 ‐ (本 学助 教授. 216. 札 幌 分校).

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