「対話」に視点をあてた授業づくり -国語科文学教材を中心として-
19
0
0
全文
(2) 北海道教育大学大学院高度教職実践専攻研究紀要 第2号. 「対話」に視点をあてた授業づくり 一国語科文学教材を中心として−. 金 田 阿佐美*. Creatinglessonsfocusingon”Dialogue” LiteraryworksinJapaneseLanguageEducation. Asami KANETA. 概 要 本研究では、授業において教師と子どもを結びつけている「対話」に視点をあて、教師の教え込み. ではなく、しかし子ども任せでもない授業を目指しその充実・改善を行う。具体的には、「対話」の 在り方を根源から捉えなおし、単元の指導過程や授業における発問、教師の働きかけ等、授業づくり. に関わる基本的な事柄を解釈しなおすことによって「対話」のある授業づくりを目指すものである。 キーワード:対話、我一汝、国語科、文学教育. Ⅰ 研究の目的 篠原助市は授業について、「教師と生徒の共同作業であり、教師が教えるか、または生徒自らが学 ぶか、との二者選一的なものではない」と述べている。(1)すなわち、子どもの学力向上とともに人格. の完成を目指す学校教育、その要である授業において、教師と子どもは教える一学ぶという一方的な 関係に固着するのではなく、授業を共に創り上げていく、双方向の関係を築く必要があると考える。 しかしながら実際の授業においては、“教えるべきものをすでに理解している教師”と“これから. 新たな世界を知る子ども”という関係性から、どうしても教えるという行為が教師からの一方的な働 きかけに留まり、知識や認識方法を子どもたちへ伝達することに終始してしまいがちである。. そこで、教師から子どもへの一方的な働きかけではなく、両者が共に働きかけ合う「対話」に着目 しながら授業を構想することで、共同作業としての授業を創ることができると考える。「対話」のあ る授業とは教師と子どもが話し合いを大切にしながら理解を深めていくものであるが、本研究は、直. 接的に「対話」を行うことを目指すのではなく、「対話」の根源的な意味を捉え直し、教材解釈や単 元の指導過程や発間などといった授業を支える全ての要素を改めて見直すことで、教師と子どもが自. 然に「対話」によって理解を深めていける授業を目指していく。 *旭川市立春光小学校 教諭. 67.
(3) 金 田 阿佐美. I 「対話」に視点をあてた授業の構想 1 「対話」と授業 (1)「対話」について. 「対話(dialogue)」の語源であるギリシャ語の「デイアロゴス」とは、対話参加者が相互に言論を. 分割し合って真理を共同的に探求することを意味する。言葉のやりとりという点では、コミュニケー ションや会話、話し合い等と何ら変わらないようにみえるが、「対話」は、「真理を共同的に探究する」 点において、それらとは質を異にするものである。. また、「対話」は自然や文化、自分自身をもその対象とする。 以上のことから、本研究では、自然や文化などの事柄、他者、自己を対象として、真理を共同的に 探究しようとする行為を「対話」と呼ぶこととする。 (2)授業における「対話」. 教育基本法第2条第1項には、教育の目標について「幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める 態度を養い、豊かな情操と道徳心を培うとともに、健やかな身体を養うこと。」という記述がある。. このことは、子どもたちに「幅広い知識と教養を身に付け」させることだけでなく、自ら「真理を求 める態度」をもはぐくんでいかなければならないことを意味している。 0.F.ポルノーは「真理が問われる状況」は「何か或ることを知りたいと思っているときがそうな のではない」(2)と述べている。つまり、授業において真理が問われる状況というのは、教材や教科内. 容に関する知識を問われるときではないということである。従って、知識・文化を伝達するだけの授 業では、真理は探求されていないことになる。. では、真理とは何であるか。ここでは、真理合理説に基づいて考察を深めたい。これは、真理はそ こに関与している人々の間で変化する相対的なものであると単純に解釈されるものではない。すなわ ち真理とは、一方的にそこに存在するのではなく、それを探究していく中で事柄、他者、自分自身と のかかわりがあってこそ真理となり得るのである。なぜなら、「自分の見解を確証してくれる(少なく. とも)一人の他者を見出したときはじめて、かれは自分の問題に確信をいだくことができる」(3)から である。 つまり、真理を探求していくことは、他者との関係の中で、自分が正しい、と思っていたものを他. 者からゆさぶられたり、確かめられたりすることで自分の存在自身をゆさぶられたり、確かなものに していくことである。0.F.ポルノーが「真理をめぐる闘いは、かれのこれまでの錯覚へのかかわり. 合いから自己解放を必要」とすると述べている通り、授業において教えるべき知識や技術などは、子 どもたちが身をもってその世界を生きて自分を変えていく行為を伴ってようやく真理となり得るので ある。 (3)「対話」を営む関係. それでは、「真理を共同的に探求する」ために我々は「対話」の対象とどうかかわっていけばよい のだろうか。「対話」における相互関係について深い洞察を行ったM.ブーバーはこのことを「我一汝」 と「我−それ」の関係で示している。. 「我一汝」の関係では、話者と聴者に「作用の及ぼしあい」が生じており、相互補完的な関係が成 り立つ。というのは、お互いが平等に心を開き、話者が自己の存在を相手に委ねると同時に、聴者が. 相手の存在をひき受けることで、お互いが自己の存在を確かなものにしているということである。 一方、「我−それ」の関係では中田基昭がブーバーの主張から述べているように、「事物と、その事. 68.
(4) 「対話」に視点をあてた授業づくり. 物と直接かかわることなくそれを観察し、『その事物の性質や状態に関する知識』を獲得し、それを『利 用する』私からなる」(4)世界である。「我−それ」の関係では「作用の及ぼしあい」は生じない。私. は対象を「もの」として扱い、対象から自己の存在をゆさぶられることもなく、対象によって自己の 存在を確かなものにすることもない。. 言うまでもなく「対話」において存在するのは、「我一汝」の関係である。自己の存在をゆるがす ような、相互補完的な関係が成り立つ「我一汝」の関係によって初めて「真理を共同的に探求」する ことができるのである。. そして、このような「我一汝」の関係によって「対話」をいとなむ前提となるものは、話者と聴者 のそれぞれの態度である。話者が相手に自己の存在を委ねるということは、相手に対して自らの心を 開き、考えを率直に述べ、不利益を予想して口を閉ざすことのない態度である。このような態度でもっ て話すことは勇気のいる行為であり、0.F.ポルノーは「それはいつでも目陰」であるとまで述べて いる(5)。. また、一見すると話者は聴者に話しかけるという点において能動的な働きかけをしているように感 じるが、自分の存在を相手に委ね、相手の反応を待つという点において受動的であると言える。授業. において教師が子どもに発間や指示をしたりする場合においても同様である。教師は能動的でありな がらも同時に子どもたちの反応を待つしかない受動的な存在になりうるのである。この点において、 “教えるべきものをすでに理解している教師”は必ずしも“これから新たな世界を知る子ども”に対. して優位な立場にいるわけではないことが明らかとなる。教師自身が子どもに心をひらき、平等な相 手として子どもたちを見つめなければ、「対話」の前提すら成り立たなくなってしまう。 一方、聴者は話者の言葉に耳を傾ける態度を要求される。耳を傾けるとは、単に相手の言葉を聞き、 考えを受け取ることだけではない。0.F.ポルノーの言葉を借りると、「わたし自身の見解に矛盾す る場合でも、それを単純に拒否せず、率直に応ずる気持ちでそれに耳をかし、自分を納得させ、学び 直す」(6)態度である。つまり自分の考えはまちがっているかもしれないということを受け入れる覚悟. をもちながら相手の話を聞き、自分の存在を変えていくことであり、この点において聴者は能動的で あると言える。話者である教師を話者たらしめるのは聴者である子どもたちなのである。同様にして、 教師は子どもたちが話者の立場になった場合、その言動を「引き受ける」という立場で能動的に子ど. もと関わることが可能になってくる。 M.ブーバーは「人間は、密かにそしておずおずと存在許可の肯いを待ちうけている。が、その肯. きは、人間にとってただ人格から人格へと生成し得るのみである。人間は自己存在という天からのパ. ンを相互に渡し合うのだ。」(7)と「対話」をいとなむ「我一汝」の関係を言い表している。 話者が自分の発言を聴者に委ね、また、聴者が話者の発言を引き受けるというこの行為は、単に発 言の内容だけが相互で渡り合っているわけではない。子どもたちが「対話」をするようになるその背. 景には、単に教師から問われた事柄に対して答えているのではなく、自らの存在を肯ってくれる教師 という存在にたいして、自己の存在を委ねるという形で答えているのである。そのため、教師は、発. 問を投げかけたとき、自分の考えている正答を子どもたちに求めず、子どもたちをありのままに受け 止める必要がある。その場合子どもが間違った発言をした時、真っ向から間違いを指摘してしまうと、 子どもは発言をあきらめ、ただ教師の話を聞くだけの受け身で授業に参加するようになるのではない か、という不安は、教師から子どもと向き合う勇気を奪ってしまう。一方で教師は、たとえ内容が間 違っていても、発言したその子どもの勇気や考えは認めてやりたいと思う。これらは、教師と子ども のやりとりの中に「存在許可の肯い」が含まれているために起こることである。. 69.
(5) 金 田 阿佐美. このように、自分の求めている答えとは必ずしも一致しない子どもたちの発言をも引き受けながら、 子どもの存在を肯う関係を築くことが「対話」をいとなむ前提となるものである。. しかし授業において、自分の求めている答えと必ずしも一致しない発言を引き受けることは、時と して難しい。ただ子どもの発言に同意するだけでは、単なる「教えない」授業になってしまう。「対話」. において相手の発言を「引き受ける」という行為は、子どもの発言を全て肯定して、「よい」という 価値付けをすることではない。0.Fポルノーは「対話」を「愛しながらの戦い(liebender Kampf)」. と呼んだヤスパースの言葉を使い、「他方がつねに同意するだけであれば、いかなる真の対話も成立. しない」(8)と述べている。すなわち、「対話」のためには、お互いの存在を認めあいながらも、真理 を探究していくにはそれぞれに厳しい戦いが要求される。教師と子どもが真剣さをもって向き合うこ の緊張状態が保たれているときにのみ、教師と子どもは「対話」を通して学びを深めることができる。 教師と子どもが「対話」をしようとするときには、どちらにも間違いを指摘する厳しさと、それを受. け入れる勇気がなくてはならない。自分への指摘や批判をも乗り越えるということは、それらを自己 の存在の否定と捉えないでいられるということであり、その態度を子どもたちに育んでいくことも求 められることである。. これらのことから、「対話」の前提となるものは、話者の開かれた心、聴者の耳を傾ける行為、そ して共に厳しさと勇気をもって向き合っていく態度であると言える。これらを授業ではぐくんでいく には、どのような手立てが必要なのかを、次に述べていきたい。. 2 「対話」のある授業づくりの基盤 「対話」に視点をあてることは、ただ単に授業に話し合い活動を取り入れたり、子どもが話をする ことに重点をおくことではない。これまでに述べてきた「対話」の前提となる態度をはぐくむことを 始めとした、授業全体の構想に関わる問題である。. 0.F.ポルノーは「真の対話においては、人間をその最内奥において動かすものが話題となる」(9)と 述べている。この言葉は大変示唆深い。授業において、子どもを最内奥において動かすことができな ければ、「対話」は生まれないのである。では、子どもをその最内奥において動かす話題とは何か。. それは「教材」であると捉えることができる。そこでは、教師は子どもに何かを語らせようと働きか けるのではなく、語りたいと思わせる手立てに力を注がなくてはならない。また、彼は別の言葉で「二 人の共同者は他者のことも自己自身のことも顧慮することなく、事象への忘我的献身のなかで、この 真理に関与している。」(1㊥とも述べている。授業においては「教材への忘我的献身」と言い換えるこ とができるだろう。教師も子どもも、教材へ没入し、夢中になってこそ厳しさと勇気をもち向き合う. ことができるのである。つまり、授業において心の奥から子どもを揺り動かし、子ども自身に「真理 を探究したい」と思わせる活動ができかナれば、教師と子どもの関係はお互いの存在否定を恐れて心 を開くことのない「我−それ」の関係に留まり、真理を共に探究することはできない。したがって、「対 話」に視点をあてた授業を構想する際の重要な観点として「子どもを最内奥において動かす」ことを 挙げたい。. 3 「対話」に視点をあてた指導過程. 「子どもを最内奥で動か」し、「対話」のある授業を具体化していくため、輿水実の「基本的指導 過程」と西郷竹彦が提唱する文芸教育における「文芸の教授=学習過程」を参考にし、表1のような 国語科読解の学習における指導過程を作成した。. 70.
(6) 「対話」に視点をあてた授業づくり. 【表1:国語科文学教材のおける「対話」に視点をあてた指導過程】 指導過程の説明. 金田提案指導過程. 一般的な過程. Ⅰ導入 Ⅰ自分なりの読み (通読). ・教材文への没入. 「子どもを最内奥で動かす」ために、子どもに教材の世界. 直観から ・初発の感想. の読み. 全文を読み通し、子ど. そのために、教具を活用して物語に対するイメージを豊かにもたせた. もたちに初発の感想を書. 上で教師が音読を行う。学級全員で教材の世界に入り込むことが、互い. かせる。何を感じたのか、. に同じ事柄を話題にして語り合うことのできる土壌をつくることとな. 何を課題として読んでい. る。. きたいか。その他語句な. 初発の感想. どの基本的知識を習得す. 子どもの負担にならないように感想を書かせ、子どもの読みを捉え、 「対話」を営んでいくための手がかりとする。. る。 Ⅱ展開 Ⅱ自分たちの読み. 読み解く. ・読み解く. 文中の文体や表現方法に気をつけながら、作者の意図や登 場人物の心情などを読み取っていく。その際、西郷竹彦の表. 場人物の心情などを. ヽ 匹. けでなく、正確にことがらを整理する部分と解釈を深めるこ とができる部分に注意して深く読んでいく。言葉や文体、表. 読み取る。. 現方法に注意させる発間で子どもをゆさぶり、「考えたい」「自 分の意見を話したい」「他の人の意見を聴いてみたい」といっ. 視点をおさえることを. 。そのために、. 通して文章を正確に理解. た意欲を引きだし、「対話」をつないでいく. しながら、イメージを豊. 子どものつぶやきや表情などから子どもをありのままに引き. かにもつ。. 受けていくことを大切する。. ここで、誤った読みは 正される。. さらに、他者の読みを交流する場を設定し、「対話」による読み取り を目指す。これは、子どもたちに「他者の読みが必要だ」と実感させ、 他者の意見を求めるような発間によって意欲を引きだすとともに、発言 による交流だけでなく、紙面での交流や匿名での交流をも視野に入れな がら、子どもの実態に応じてその場を工夫していく。. Ⅲまとめ Ⅲ自分の読み (味読) ・意味づけ 味わう 読み. 意味づけ・価値づけ. ≠■−≡・= ≡式≡岳■を実感させる。 畢靂T ・価値づけ. 終わりの感想を書かせ. る。初発の感想や友だち. 教師や他の子どもたちと「対話」を通して深めてきた自分の読みを振. り返り、高まりを実感する。終わりの感想などを書かせ、自分が学んだ ことを客観的に振り返り、成果として実感することで、深く「読み解く」. 行為に価値づけをしていく。また、他者の解釈を交流することでより一 層深く文学作品を味わうことができる○. 4 「対話」に視点をあてた授業の観点 以上のような指導過程の流れに沿って、①「対話」をうみだす教材、②「対話」をつなげる技術、. ③「対話」を支えるための手立てという三つの観点をもちながら「対話」のある授業を目指す。 ①「対話」をうみだす教材では、指導過程の導入場面において、子どもと教材との出会いを工夫し、 その後の授業において「対話」をうみだしていくため、教具の工夫、音読の工夫を行う。 ②「対話」をつなげる技術では、子どもたちの「対話」をつなげていくために教師の発間や指導案. 通りではない教師の即興的な働きかけを工夫する。 ③「対話」を支えるための手立てでは、「対話」をするための土台づくりとして、子どもが自分の. 意見をもったり、「対話」の価値を実感し「対話」を求めたりするようにするため、ワークシートの. 71.
(7) 金 田 阿佐美. 工夫、意見交流の工夫を行う。 詳細については、次の具体的実践とともに述べることとする。. Ⅱ 授業実践. 1 実践の概要 「対話」に視点をあてて行った授業実践から、第6学年での授業実践『ヒロシマのうた』(今西佑行) について取り上げる。 (1)単元の指導計画. 指導計画の作成にあたっては、教材文の文体や表現方法、言葉からイメージできることを他と交流 することで、一人一人の読みがさらに深まることを目指した。また、「対話」をうみだすために教材. の特色や子どもの実態から、表2のような指導計画を作成した。 学 習 内 容. 過程 Ⅰ 【第1時】. 導. 入. 「対話」の視点. 広島の眉E爆について】Ⅶろう. ○原爆投下前後の広島の街並みや、被爆者が措いた絵から、広島の原爆について知ると. ともに、教材文を理解する土台となるイメージをもつ。. 自 ○教師の音読を聞く。 分 の. 表現方法を知ろう み ○文中でよく使用されている強調の表現「のです」、体言止め、倒置法について理解する。 兼瞞で働いたと舌の「わたし■の心情をl亮み取ろう 【第3時】東練兵場の様子を本文の言葉から読み取る. 三士 国. 「対話」を うみだす教材 ○導入の工夫 ○音読の工夫. ○難解語旬について意味を知る。 O「わたし」が視点人物であることを知る。. O「人が主売れてくる」という表現から、東練兵場の様子をイメージする。 【第4時】東練兵場の様子から、「わたし」の心情を読み取る。 O「いつのまにかその水を二求めてはいより」という表現から、東練兵場の様子をイメー. 「対話」を. ジする。. ○情景描写ばかりで「わたし」の気持ちが一文にしか表れていないことに着目し、その つなげる技術 理由を考えながら「わたし」の気持ちを読み取る。. rわたし.になったつもりで、この日の日記を書こう. Ⅱ 展. 【第5時】赤ちゃんを見つけた時の「わたし」の状況を読み取る. O発問の工 の/口、、よ. 開 Orわたし」のおかれていた状況と「わたし」の行動を絡めて「わたし」の心情をより 働きかけ 深く理角牢する。. 自 分 た. ①どうして「わたし」だけが赤ちゃんの声に田を覚まして起き出したのだろう。. ち. 三士 取るような気が」したのだろう。. =†し. み ③どうして名札を取りにもどったのだろう。命が助かればよいのでは。 【第6時】前時の読みを踏まえ、日記を書く。 ○前時の交流を行う。. ○このRの「わたし」になりきってR記を書く。 【第7時】 手紙から;bかるお母さんのふ慣をl亮み】取ろう ○お母さんがおかれている状況について整理する。 ○ヒロ子ちゃんを誰かに預けたいと思っているお母さんの不安を読み取る。. 【第8時】本当のお母さんのことを知ったヒロ子の心情をl亮み】取ろう ○顔も知らない母親に似ていたいという想いをもつヒロ子を捉える。 ○ヒロ子のイメージを交流する。. O「わたし」とお母さんがワイシャツの刺繍をみて安心した理由を考える。 【第9時】rするどい汽笛をならして、上りにかかつていました■の意味を考えよう。 O「するどい」と「上りにかかって」という表現から、この文が象徴していることを考 え、他人と交流して自分の角牢釈をもつ。 芳め. 72. 「対話」を支える ための手立て ○ワークシートの. 工夫 ○意見交流の工夫.
(8) 「対話」に視点をあてた授業づくり (2)単元について. 本単元の教材『ヒロシマのうた』(今西佑行)は戦争という悲惨別犬況において悲しみや苦しみ、悔 しさをかみしめながらも、それを乗りこえ生きていく人々のひたむきな生き方を題材とした重みのあ る教材である。 物語は、ヒロ子(ミ子)の実母の凄絶な死に際、子を守り抜いて亡くなった実母の強い愛情が原点と. なっている。母の決死の想いにつき動かされた「わたし」と育ての母が、無力な赤ちゃんの命をつな ぎ、赤ちゃんの成長と共に戦争という厳しい現実と向き合いながら生きていくこととなる。 原爆下の広島、七年後の育ての母の迷い、十五年後のヒロ子への告白、全ての場面において、実母 の死にゆく姿が振り返られ、それぞれの胸に強く生きる力として息づいていく。物語終盤、それぞれ. が悲しみを受け止め、乗りこえようと新たな出発点に立ったその時、彼らの心情の象徴として「水色 の原子雲の刺しゅう」、「するどい汽笛を鳴らして、上りにかかっていく汽車」、さらに題名である「ヒ ロシマのうた」という言葉がキーワードとなり、その意味を自分なりに解釈していくことでこの物語 はいっそう深く味わうことができる。 物語は、視点人物である「わたし」の目を通して、対象人物であるヒロ子、お母さん(実母、育て. の母)との関わりを中心に一人称で語られる。あくまでも「わたし」から見たヒロ子やお母さんの心 情しか語られていないが、「わたし」の視点がヒロ子やお母さんに接近したり離れたりしながら相手 との距離が言葉によってはかられ、豊かな読みへと広がる。そこで本単元では、視点人物である「わ. たし」の見たもの、感じたものを「わたし」が語る言葉を通して読み解き、物語のイメージを豊かに もたせていく指導を重視した。とりわけ、比喩や反復、強調などの表現方法に注目することが心情の 理解に役立つことに気づかせ、文体と表現方法に気をつけながら積極的に根拠のある読み取りを行う ことを大切にした。. (3)「対話」に視点をあてた授業の観点と具体 ①「対話」をうみだす教材. ア 教具の工夫. 導入において重要なのは、子どもが教材とどのように出会うか、という点である。0.F.ポルノー は「観る」という行為について以下のように説明していがカ。 観る、ということはすなわち、利害を問題にせず、対象に何かを「望む」ことなく、あるがまま. の対象を心を開いて受け入れることであり、物がわれわれに語るべきことにたいし、また感覚的な 実体やそのかくされたより深い本質の富のすべてにたいして、敬慶に没入して、ただ直観するため に、心を開くことである。. 例えば、文学教材を取り扱う授業において最初の問題になるのは、教材文と子どもたちのズレであ る。教科書の教材文は子どもの興味関心によって選ばれた訳ではない。また、教科書に載っている教 材文を既に読んでいる子ども、挿絵などから内容を想像している子ども、あるいは題名から全く興味. をもてない子どもなど、初回の通読前においてすらその教材に対する向き合い方は千差万別である。 はじめに子どもたちが多様に抱いている物語へのイメージから抜けだし、もう一度「あるがままの姿」 で向き合わせ、出会わせる仕組みが必要である。. ただし、直観は押しつけたりつくりだしたりすることはできず、ただ「まれなる感激の頂点で生じ. 73.
(9) 金田阿佐美. てくるもの」仕分である。したがって、教師がその教材のおもしろさについて一方的に語るのではなく、 子どもたちが感動をもって「観る」ことができる状況をつくる必要がある。そのために本研究では教 具を工夫し、イメージが豊かになるような導入を目指した。 本教材は、広島の原爆について詳しく知らない子ど もたちにとって教材のもつ世界観に入りにくい教材で. ある。特に、原爆投下直後の広島の様子は日常生活で は決して目にすることのない光景のため、文章や教科 書の挿絵からだけではイメージがしにくい。 そこで子どもの直観に働きかける教具として広島の 原爆記念館から借用した「被爆者が措いたヒロシマ」. の絵(図1参照)、原爆前後の広島の街並みをそれぞ 図1:授業で使用した資料. れ数枚提示した。. イ 音読の工夫. 教材に没入させるもう一つの手立てとして、教師による音読がある。音読は教具とは別の「教材と の出会い」の方法である。. 音読には、音読を聞いて物語の理解をより深めることと自らの読みを声によって表現することの二 つの側面がある。すなわち、音読は黙読とは異なる味わい方で読む方法であり、読み取ったものの自 己表現でもある。. 従って、教師の音読を聞く子どもたちはその時点で教師の自己表現としての「物語」と出会ってい ることになる。つまり、音読をする教師と、音読を聴く子どもたちとの間には既に「対話」の関係が 成り立っていると捉えることができる。. しかしここで注意したいのは、この場面で大切にされるべきは子どもと教材との「対話」であり、 教師と子どもの「対話」ではないという点である。教師が自己表現の比重を大きくすると、子どもた ちと教材がありのままに出会われなくなる。大げさに表現したり、感情を移入しすぎたりすることは、 子どもたちの「教材との出会い」を邪魔してしまうこととなる。 しかし、感情の隠らない平坦な読みでも、子どもは教材の中に入り込むことができない。そこで、 本単元では両者のバランスの取れた、淡々としながらも教材の世界に引き込むような音読を目指した。. (卦「対話」をつなげる技術. ア 発間の工夫. 導入部分で子どもとともに教材の世界に入り込むことができたその次に、その世界を継続させてい く教師の働きかけが必要である。. 「対話」に視点をあてた授業においては、子どもに問いかけたり、語りかけたりして子どもに作用 を及ぼす「我一汝」の関係を築く必要がある。教材を媒介として、教師と子どもが「対話」をするた めには、教師が子どもたちを教材という世界に入り込ませながら(子どもを最内奥で動かしながら)、 問う者(教師)と問われる者(子ども)が相互に影響を与え合っていることが必要である。子どもた. ちが「わかった」と思っているその世界を発間によってゆさぶり、「子どもを蔵内奥で動か」し続け ることである。 このような関係を築く国語科の読解における発間のあり方として、本研究では西郷竹彦の表現論と. 74.
(10) 「対話」に視点をあてた授業づくり. 視点論より考察を深めた。 表現論からは、「描写」「説明」「叙事」「会話」など文学を彩る多様な表現方法を明らかにしながら. 教材研究を行い、その表現方法に注意しながら主発間を考えていくことを参考とした。 視点論からは、物語の話者の視点である「内の日」と「外の日」から、登場人物の心や内面に寄り 添って豊かに読み取る発間と、第三者として外から物語を読む発間の二つを用意し、物語の世界を豊 かに体験させることを参考とした。 具体的に本単元では主発間を13用意した。文体や文章の表現方法や主人公の行動の矛盾点を取り上. げながら、主人公の人柄をイメージしたり、行動に表れた人物の心情などをイメージできるような発 間とした。また、他の子どもたちと交流することで、より豊かに人物像をイメージし、次の自分の読. みに生かすことができるよう発間すべてにつながりをもたせるようにした。発間の具体とその意図に ついては表3の通りである。. 表3 発間表 発 間. 捉えさせたい 表現方法. 視点. 意 図. この物語はどんな物語ですか。. 外の目 授業の初回と最終回で同じ問いかけをし、読みがどの. 一番心に残ったこと、この物語を読んで思ったこと は何ですか。. 外の目 子どもたちが感じたことを教師が把捉し、今後の単元の展開に生かす。. 「汽車はするどい汽笛を鳴らして、上りにかかって いました。」とありますが、これはどんな意味だと 思いますか。 「わたし」はどんなことを思いながら東練兵場で働 情景描写 いたのだろう。 心理描写. 授業の初回と最終回で同じ問いかけをし、読みがどの程度深まったか をとらえる。 外の目. 「わたし」の視点に寄り添いながら、その表現方法に着目して、原爆. 内の目. どうして「わたし」だけが赤ちゃんの声に目を覚ま して起き出したのだろう。 どうして赤ちゃんを助けるという良いことをしたの 行動描写 に「わたし」は気がとがめたのだろう。. 最終的には子ども一人一人が「汽笛」の解釈を豊かにもつことを目標. とした。. 投下後の広島の様子をイメージする。. 「わたし」の視点に寄り添いながら、その行動の矛盾点を外の目から 探り出し、行動の矛盾から「わたし」の人柄をイメージさせる。 内の目 外の目. 「わたし」だけ赤ちゃんの声に目覚める:生きているものへの希望. 気がとがめる:「わたし」が感じた母の強さ. どうして名札を取りに戻ったのだろう。命が助かれ. 名札地獄の中にいながらも、赤ちゃんの先の人生への希望. ばいいのでは?. この日の「わたし」の日記を書こう。. 心理描写 内の目. ひとりで手紙に頭を下げたときの「わたし」の気持 行動描写 ちとは…? 性格描写. 赤ちゃんを母からうばいとってきたことへの後悔、人間らしく生きる ことがゆるされない戦争への想い、自分の立場など「わたし」になり きり、これまでの物語の世界を豊かにイメージする。. 内の目. なぜヒロ子はあの日の話を聞いてお母さんと自分が 似ているのかを 一番最初に聞いたのだろう。 心理描写 ちょっと暗いところで「会ってみたいな…。」と言っ 行動描写 たヒロ子を、みなさんはどう思いますか。 心理描写. 外の目. 「わたし」とお母さんはなぜワイシャツの刺繍をみ て安心したのだろう. あの日の後悔が晴れた気持ち、すなわち、これまでずっと心配してい. た「わたし」の人柄をイメージする。. 「似ている」という言葉にヒロ子がどんな気持ちを込めたのか、なぜ る。 これまでヒロ子に同化していたが、一度物語から離れ、自分とヒロ子. を比べるような異化体験をさせる。ヒロ子を客観的に見る。. ワイシャツの刺繍に込められたヒロ子の想いを想像しながら、これま. 。. 心理描写. 」. イ 教師の即興的な働きかけ 実際の授業では、表現論、視点論に基づいた「子どもを最内奥で動かす」発間を用意しながらも、. 学び続け、考えを変化させ続ける子どもたちから予想もしない反応や思考が展開され、それに応じた. 75.
(11) 金 田 阿佐美. 発問によって「対話」をしていくことが求められる。 創造的な授業を実践できる教師について分析を行った稲垣忠彦・佐藤学は「創造的な熟練教師」の 「実践的思考様式」として「即興的思考」、「状況的思考」、「多元的思考」、「文脈化された思考」、「思. 考の再構成」を抽出していが頚。 これらのことは、教師が子どもと「対話」を行い、さらに「対話」を高めることで授業そのものを 高めていく過程で重視したいことである。予定していた授業からそれてしまうと思われる子どもの「つ ぶやき」や「疑問」は、特に注意を払わかナれば教師の耳には入らない。また、入ったとしてもそれ らを「まちがい」としてそのままにしてしまう場面は少なくない。これらの「つぶやき」や「疑問」. に意味や授業の辛がかりを見いだすための力量はすぐに身に付くわけではなく、綿密に検討された教 材分析を基にした明確な指導観や反省的実践など、豊富な経験から身についていくものである。子ど. もたちと授業の中で「対話」をしていくことは、単に授業の中で子どもたちと問答をしていくことで はなく、その裏に日々の実践をどのように捉え、振り返り、次へ活かしていくか、といった思考の再 構成を行っていく教師の態度が問われていると考える。. そこで、予想もしない子どもたちの反応を多元的に認識し、授業を再構成する即興的な働きかけの ためには、教師が子どもたちの反応どのように引き受けるか、ということが重要なポイントとなる。 「対話」には、「存在の肯い」が含まれていることを先に述べた。「存在の肯い」を大事にしようと. するあまり、教えたい内容やとらえさせたい事柄からはずれた子どもの発言までも同意することは、 「引き受ける」ことにはならない。授業においては、教材を介した間接的な「対話」がなされるため、 教師との「対話」をとおして教材や事柄が子どもたちにより豊かに理解されなければ、子どもの存在 は肯われたことにならない。. これらのことから、教師はいつでも同じようにほめたり肯定的に応答しながら子どもの存在を認め てやるばかりでなく、子どもが教材という文脈の中でどのように生きているのかを捉え、理解をより 深めてやる必要がある。それは時として「もう少し詳しく説明してごらん」、「そう考えた理由を説明 してごらん」、など、子どもに対する要求として授業場面に表れてくる。 また、相互補完的な関係が成り立つ「対話」では、教師の「引き受ける」という行為を通して子ど もの存在に働きかけることが可能である。なぜなら、教師の引き受け方で子どもの存在が変化するか らである。例えば、「できない」と言う子どもの発言を「やる気がない」と引き受けるか、「やりたい 気持ちがあるが故の発言である」と引き受けるかによって次に発せられる教師の言葉かけは変化する。 それによってその後の子どもの取り組み方が大きく変わることは容易に想像できる。. これらのことを踏まえ、実際の授業実践においては、どのような発言に対しても肯定的に受け止め、 子どもの発言がどのような文脈から生まれているのかを探ることを心がけた。. ③「対話」を支えるための手立て. 0.F.ポルノーはハパーマスの主張から、「われわれは対話のなかで、『一つの意志疎通に達しうる』 のだと確信するときにのみ、われわれはそれをなしうる」(1亜と述べている。これは、「対話」をしよ うとする者同士は、お互いに相手に引き受けられること、相手が心を開いて話すことを想定して自ら も心を開き、相手の話を引き受けるということである。そのような想定なしには「対話」は始まらな い。 そこで、子どもたちがそのような想定をもち、安心して学級の中で「対話」をいとなんでいくため. に子どもたち自身が「対話」によって居心地のよさを感じ、また、「対話」によって授業の深まりを. 76.
(12) 㸰 ᤵᴗᐇ㊶ࡢศᯒ⪃ᐹ.
(13) 金 田 阿佐美. 関わりを取り上げる。 【第4時】束練兵場で働いたときの「わたし」の心情を読み取る場面. 以下の実践例は、個人の考えをワークシートに記入する際、隣の席の子どもの意見をまねして写し た子どもC23との「対話」である。. T:(机間指導中)C23、するどい。 C30(隣の座席の子ども):(笑いながら)違う。(自分のをまね しているだけ). T:自分で考えないと意味ないんだよ。C30のがいいなあって. 思ったんならいいけど、そのまま、まるっきり一緒だったら(∋ C23:まるっきりじゃない。「すごく」つて入れてるよ。 T:う∼ん(笑う). C30:(笑い、半ばあきれながら)たいして変わんないじゃん。 C23:(表情が和む). T:自分で考えてほしい。C23。 C23:はい。(彰. この後全員が発表する場面となり、C23の番がまわってくる。C 23は次のように反応した。 C23:まだ書いてません。 T:書いてたしょ。. C23:や、一緒なんで。(a T:でもそれ自分の意見にしちゃったんでしょ。それは自分の責 任じゃない?. C23:や、今書き直してます。や、いいです。いいです。 T:じゃ最後に当てても大丈夫? C23:はい、たぶん無理です。(弧 T:(あえて反応せず)では次の人。. 虔若者ば全者の騨軍浮力っカあと、占う一度C之ヲ〆ごカヂ為る。 T:C23さんどう? C23:俺だけ? T:書けた? C23:うん。 T:じゃお願いします。 C23:立つの? T:立つの。. C23おそろし…なにこれ おそろしすぎ?ん?すぎて出来事がた くさんあってんだだだだ…(ふざけて言葉を濁したので、笑う) おそろしすぎた。 T:おそろしすぎた。みんなにわかるように言ってね。. 78. C23は、最後には照れながらも自 分の意見を自分の言葉で発表するこ とができた。. 発表前の机間指導での関わりで は、隣の席の子どもの意見をまねし. たことにもC23なりの考えや事情が あると捉え、無理に書き換えさせる ことを第一に考えずに関わった。授 業者は「C30のがいいなあって思っ たんならいい」とC23の考えを引き 受けつつ、「自分で考え」ることを. 要求した(①)。この時、C23は授 業者の要求を「はい。」(②)と素直 に引き受けてくれた。 この関わりがあったからこそ、全 体で発表させた際、「一緒なんで(発 表できません)。」(③)と、隣の席 の子どもの意見を自分の意見として 発表することに抵抗を示したと考え る。彼の発表の前にほぼ半数の子ど もが発表していたこともあり、他人 の発言を聞いて自分の意見の在り方 を見直したとも考えられる。彼の「一 緒なんで(発表できません)。」とい う言葉には、「自分の意見で発表し たい」という願いがあると捉えるこ とができる。だからこそ彼は最後に 発表するのは「たぶん無理です。」 (④)と言いながらも自分の意見を 書いていたのである。. 教師からの強制的な指導ではな く、授業者や他の子どもたちの存在 が彼の「対話」に対する姿勢を変え た一コマであったと捉えている。.
(14) . . . . . . . . ձ. ղ. մ. . ᅗ㸲㸸ㄞࡳࡢ῝ࡲࡾࡢഴྥ. ճ. ᭱⤊ ึᅇ . . յ.
(15) 金 田 阿佐美. (3)「対話」による読みの深まりの過程 ここでは、「対話」に視点をあてた授業によって子どもたちの読みがどのように深まっていったかを、. 子ども一人一人に視点をあて、その変容を捉える。 ワークシートには、自分の考えとその後に交流される他の子どもたちの考えを書く欄を用意してお き、他人の考えがよいと思ったらメモしておくように指導した。さらに、自分の考えと他の子どもた. ちの考えを合わせた上で次の発問の答えを考える手がかりとするようになっており、次の発問に自分 の考えだけでなく他の子どもたちの考えや言葉などを用いて考えをより深めている様子が捉えられる ようにした。. そこで、「対話」によって子どもたちの読み取りが深まったかどうかを判断するために、他の子ど もたちの意見をメモし、自分の意見と比較したり次の発間に答えるときに活用したりしているか否か を捉える。. なお、他の子どもの意見をしっかりとメモしているものの、次の発問にそれが活かされている様子 がみられない場合、表現として表されていない場合もある。しかし、そのような子どもを単純に「対 話」に参加していなかったと判断することはできない。. 従って、以下のようにグループ分けをして子どもを捉えた。 このようにグループ分けをすると、Aグループは18名、Bグループは16名、Cグループは6名であっ た。ここでは、Aグループの子どもを取り上げ、考察する。. A:他の子どもの考えをメモし、自分の考えと合わせて次の発問に活かしていると見られる (言葉・表現方法が豊かになった等)。 B:他の子どもの考えをメモしているが、表現として表れていない。. C:他の子どもの考えをメモしていない(もしくはメモしていても自分と同じ意見しかメモ していない、自分の意見との関連がみられない。). ① Aグループの子ども 〈C8〉 にみる読解深化の過程 この子どもは、束練兵場にいた「わたし」の心情を読み取る際、瀕死の母親から赤ちゃんを引き取っ た「わたし」が気がとがめた理由について他の子どもが「うばい取るような気がした」と読んだこと や、教師が「お母さんと子どもの粁をはがすのがかわいそうに思えた」とまとめた言葉から、「わたし」. の後ろめたい気持ち、母親に対する申し訳ない気持ちのイメージを豊かにした。そのため、次時の「わ たし」の日記に「もしかしたら、お母さんに悪いことをしたかもしれない…」とより深く「わたし」 の心情の読みを深めている。 また、ステップ2、物語後半のヒロ子の想いから心情をつかむ場面では、ヒロ子が抱くお母さんの. イメージとして「やさしいお母さん」というだけの言葉が、他の子どもの「命をすてて守ってくれた お母さん」という言葉に刺激され、自分を必死で守ってくれた母親へ想いを募らすヒロ子を想像する ことができた。さらに、この読みは最後の物語の説明にまで生かされていることから、子どもCは「守っ てくれた」という他の子どもの意見を引き受け、自分のものとしたと考えられる。. 80.
(16) 「対話」に視点をあてた授業づくり. 読みの深手った過程. 授業菩・他の子亡もとの「対話」. 汽笛の意味 広島のげんばくの事を,わすれさせるよう な,大さな汽笛 物語 広島の原爆か†あったころ _ステップ’ナ了/乃∈しノ臓l(:人彪題リ 栗練兵堤の才ったし」. 他の子どもの意見メモ おそろしすぎて,「おそろしい」と しか言いようがなかったから。. おそろしかった とくにピックリした. 他の子どもの意見メモ あまり眠っていなかった(G)。「わ たし」以外は気付かないプリ(K). 行動のなぞ「「わたしJだけが起きたE由). その近くに一番「わたし」が近< て「わたし」だけがおきたから・・. 他の子どもの意見メモ (名札を取りに戻った理由). 日記 私は本当にお母さんから赤らやん を冒又ってよかったのだろうか,赤ら やんはどららの万がしあわせだっ たのかな…もしかしたら,重畳墨壷 に悪いことをしたかもしれない=・. ミーらやんが大きくなった時のた めに… 他の子どもの意見メモ(気がとがめた堤由). お母さんから,赤ちゃんをうぽい 里壷よ皇昼気がした 乞教師の発言. 手紙に頭を下げた時の気持ち. jお母さんの手の力が∃∃くて生き. てるみたいだったから。お母さん. うれしい,よかった・‥あ坦理とう. ございます. いそうに思えた。自分が本当は預 弼いのに嘘ついらやった.っ ていうのもある。. _ステップ2.■」ヒ. ■一■▼ と子ど毛の絆をはがす由顔. デ広軌l(人薗俊). ⊃・・・・ ノ‘下らさししJ●●■・■. お母さんのイメ ㌧.−ジだけ..ノ. お母さんのイメ ージが加わる. ヒロ子をどう思うか お母さん…守って<れて.ありが. うでも=・お母さんと一緒にいれた らよかったなあ,一度でも,去って みたいな‥そう思ったんだと思う。 「わたし」が安心した理由 私のことを「しんじて」くれたの だと思いました。. 最後の読みに生. 汽笛の意味 空欄. 物語 広島の原ばくで蚕室重処理垂星型怨 を守って育ててい<物語. 他の子どもの意見メモ つらさ,悲しみなどを生かす,乗 りこえる。. 図5:子ども くC8〉 にみる読解変化の過程. (4)分析・考察のまとめ ①「対話」をうみだす教材. 実際に広島から取り寄せた被爆者の方々が措いた絵は迫力があり、初めは落ち着かない雰囲気の子 どもたちに、教具に集中し物音一つ立てずに原爆の世界を感じ取る姿が見られた。その後の教師の音 読においては、音読時間が40分以上もあるなか、教科書から目を離さず聴き入ることができた。すで. に挿絵や本文を読んでいる子どもも、そうでない子どもも迫力のある教具によって新しく山会われた 教材文の世界に再び入ることができたと言える。 このことから、子どもたちの直観に働きかける教具と音読の重要性をいっそう確認することができ. た。さらに今後、子どもの実態や教材の種類によってどのような教具を用いることが効果的なのかを. 81.
(17) 金 田 阿佐美. 考察していきたい。 ②「対話」をつなげる技術 ア 発間の工夫 表現論、視点論に基づいた発問を用意していったが、中には子どもにとってむずかしいもの、うま く引き受けられなかったものもある。. 子どもたちのつぶやきが出てこず、「対話」をうみだすことができなかった発問として、問う前か ら答えが決まっている発問があった。自分の意見を発表する価値や必要性を感じない発問では、子ど もは発言したいと思わない。また、「イメージを交流する」にも、子どもたちに多様な言葉を連想さ せたり、自分なりの答えや考えをもたせられる発間でなければ「対話」は生まれないことがわかった。. さらに、教師が用意した発問がむずかしい場合にどのように発問を変えるか、もしくは補助発問で 導いていくかがその後の「対話」をより豊かなものにするか、ただ教師の意図に沿った意見を言う子. どもが出るまで指命し続けるだけで終わるかが決まる。このことから柔軟に対応していく教師の力量 と補助発問の重要性が再認識された。 イ 教師の即興的働きかけ 「対話」においては、「委ねる一引き受ける」という関係を築くことが必要であったが、授業の中. でこのような関係を捉えたとき、以下のことが明らかとなった。 一つ目に、子どもたちが教師の問いに反応しないことは「対話」にならないことではなく、教師の. 委ねた問いに対して、子どもたちが「反応できない」「反応したくない」という引き受け方で応えて いるのであり、そこから子どもたちと「対話」を始めることが可能であると捉えることが出来る点で ある。. 二つ目に、「委ねる一引き受ける」関係は直接指導することができないものである、という点である。 教師は、子どもたちに「対話」をさせようと「話を聞いてあげなさい。」「言ったことに反応しなさい。」. 「自分の意見は大きな声で」など話し方・聞き方について多くの指導をする傾向にある。しかし、本 来「委ねる一引き受ける」という行為が心を開き合った「我一汝」の関係でのみ存在する通り、「指導」. によって「対話」を生み出すことはできないのである。それらは、他者から強要されたりする限りう まれない。 三つ目に、以上のことから、「対話」に対する子どもたちの姿勢は教師からの指導ではなく、教師. や子どもたちの存在そのものによって変えうることができる、という点である。 ③「対話」を支えるための手立て ア ワークシートの工夫. 他者の意見を書く欄を設けたことで、そこに他人の考えを几帳面に書き込む子どもや、自分の意見 が他者のワークシートに「参考になった意見」として取り上げられることで自信をもった子どももい た。ただ、他者の意見をただメモしているだけに留まってしまったり、メモすることが目的となって しまっている様子もみられるので、今後その活用方法を改善していかなければならないと考える。ワー. クシートは、あくまでも「対話」を営むことができるようになる土台づくりである。これらを大事に しながら、ワークシートなしでも子どもたちが「対話」を営むことができることを目指したい。 イ 意見交流の工夫. 子どもたちの実態から、今回は意見交流の場として全員の意見を載せたプリントを用意した。クラ. 82.
(18) 「対話」に視点をあてた授業づくり. ス全員の前でなかなか自分の意見を言えない子どもたちにとって「匿名性」は、「対話」の「事柄・. 内容」に集中できる良い手立てであった。匿名ながらも、他者から「参考になった考え」として自分 の意見が選ばれていたり、教師に取り上げられ、他の子どもたちに認められたりすることで「対話」 の役割を認め、自らの学びの中に「対話」を活かそうとする態度が見られるようになった。これは、「対 話」することに慣れていない子どもたちにとってよいステップとなった。 しかし、あくまでも目指す「対話」はお互いに心を開き合い、向き合うことであるので、いずれは この匿名性をも乗りこえていくことが目指される。 また、紙面に載せることで意見の引き受け方が変化したことも理由として挙げられる。これは、他. 者が発言していても他人事として話を聞き逃していたり、引き受けようという意志が見られなかった 一部の子どもたちにも、一枚のプリントを配布した際には自分から熱心に目を通す姿が見られたから である。どのような子どもでも、他人がどのように授業に参加し、どのような意見をもったのかを気 にしているのだということがわかった。. 授業の中で発表する意見と異なり、紙面に載せた意見は自ら働きかけてくることはなく、聴者がそ れを引き受けようと働きかけることによってしか出会うことができない。プリントに載せた意見を引 き受けるには、聴者が積極的にならざるを得ないのである。このことは、「ちゃんと話を聴きなさい」 と授業中に注意する教師の行為よりも子どもを積極的にさせることのできる有効な手立てであると言 える。. もちろん、このことだけで子どもたちの間に「対話」がつながっていくとは限らないが、その土台 として、子どもたちに「対話」を営んでいく態度を醸成させることができたと考えられる。. Ⅳ 実践研究の成果 本研究では、「対話」を通して教師と子どもが共に授業を創り上げていくことを目指した。その結 果「対話」を営んでいくことは単なる話し合い活動を活発にしたりコミュニケーション能力を高めた. りすることとは質を異にするもので、真理を共に探究していく「学び」、さらには「人と人との関わり」 のより根源的な行為であることが明らかとなった。「対話」のある授業を目指すためには、子どもた ちの話す・聞く力を育てる直接的な指導だけではなく、教材解釈や発問などを深く吟味し、「対話」 の生まれる授業を仕掛けていく必要がある。実践では、「対話」に視点をあてるために導入や発問、 教師の助言を工夫するなど、これまで一般的に指摘されているような授業の改善方法を改めて吟味し、 解釈しなおすことによって「対話」のある授業づくりを目指すことができた。 また、教師としては、子どもの予期せぬ発言やつぶやきなどを生かせなかったり、授業計画を柔軟. に変更したりすることに抵抗があったが、「対話」は子どもたちの予期せぬ発言やつぶやきから始ま ることを実感できた。子どもたちの予期せぬ発言やつぶやきから授業をスタートさせるためには、そ. れに耐えうる教師のそれまでの努力が必要であることが痛感され、教材研究や教具づくりなどの重要 性を再認識することとなった。. 今回の実践では、教師と子どもの「対話」に視点をあてたことで以上のような成果がみられたが、 今後、子どもと子どもの「対話」へと広がりをもたせることが課題となる。しかし、その兆しとして、 子どもたちと「委ねる一引き受ける」という関係を大事にした授業によって、子どもたちの中で他人 の意見を自分の意見に反映させたり、他人の意見にしっかりと耳を傾けたりする姿がみられた。この 「委ねる一引き受ける」という関係を大切にすることは、子どもたちに自信をもたせたり、自分の考. 83.
(19) 金 田 阿佐美. えが他人によって活かされたり、他人の考えを受け入れることにつながっていく。このような授業を 行っていくことで、子ども同士の「対話」も活発になると考える。 また、「対話」を大切にした授業を続けていくことで、授業の枠を越えて学級づくり、人間形成へ. とつながるものであると考える。「対話」を通した子どもたちとの授業によって、子ども一人一人の 人間性を高めることができると感じている。. く脚注〉. (1)篠原助市(1952)『新教育学概論』みずち書房123頁 (2)0.F.ポルノー著 西村暗・森田孝 訳(1978)『真理の二重の顔一認識の哲学・第二部』理想社 25頁 (3)中田基昭(1996)『教育の現象学』川島書店 51頁 (4)前掲、『教育の現象学』川島書店 58頁 (5)0.F.ポルノー著 森田孝・大塚恵一 訳編 (1978)『問いへの教育:哲学的人間学の道』川島書店192頁 (6)前掲、『真理の二重の顔一認識の哲学・第二部』 79頁 (7)M.ブーバー 著 稲葉稔・佐藤吉昭 訳 (1969)『哲学的人間学』みすず書房 26頁 (8)前掲、『真理の二重の顔一認識の哲学・第二部』 69頁 (9)前掲、『問いへの教育:哲学的人間学の道』190頁 ㈹ 前掲、『真理の二重の顔一認識の哲学・第二部』 70頁. 帥 0.F.ポルノー著 浜田正秀 訳(1973)『哲学的教育学入門』玉川大学出版部 80頁 仕勿 0.F.ポルノー著 浜田正秀他 訳(1973)『対話への教育:ポルノー講演集』玉川大学出版部142頁. ㈹ 稲垣忠彦・佐藤学(1996)『授業研究入門』岩波書店104頁 咽 前掲、『真理の二重の顔一認識の哲学・第二部』. 84. 111頁.
(20)
関連したドキュメント
氏は,まずこの研究をするに至った動機を「綴
であり、 今日 までの日 本の 民族精神 の形 成におい て大
C :はい。榎本先生、てるちゃんって実践神学を教えていたんだけど、授
講義後の時点において、性感染症に対する知識をもっと早く習得しておきたかったと思うか、その場
⇒規制の必要性と方向性について激しい議論 を引き起こすことによって壁を崩壊した ( 関心
この決定については、この決定があったことを知った日の