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Vol.53 , No.2(2005)067池 麗梅「『天台大師略伝』は逸失したのか -『天台霊応図本伝集』研究の一環として-」

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Academic year: 2021

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(204) 印 度 學 佛 教 學 研 究 第53巻 第2号 平 成17年3月

『天 台大 師 略伝 』 は逸 失 した の か

天台霊応図本伝集』研究の一環 として

『伝 教 大 師 全 集 』(『伝全』)第 四 巻 に,『 天 台 霊 応 図本 伝 集 』(『霊応 伝』,二巻)と い う書 が 収 め られ て い る.こ の書 は元 々,最 澄 が 唐 よ り 日本 に 齎 した 「天 台智 者 大 師 霊 応 図 」 に,最 澄 自身 が 附 した,い わ ぼ 解 説 書 の役 割 を 果 た す 文 集 で あ っ た と思 わ れ る.『 霊 応 伝 』 巻 二 の 目次 に よれ ば,道 澄 「智 者 大 師 述 讃 」 に 引 き続 き, 「天 台大 師 略 伝 」 とい う文 献 が あ る はず だ が,本 文 を一 見 す る と,「 智 者 大 師 述 讃 並 序 」 の 直 後 に,「 国 清 寺 智 者 大 師 影 堂 記 」 の 内 容 が 続 い て い る.そ の た め,「 略 伝 」 は本 文 を欠 い て い る と考 え られ て き た の で あ る.し か し,「 略 伝 」 は本 当 に 伝 わ っ て こな か っ た の で あ ろ うか. まず,「 略 伝 」 の 直 前 に あ る 「述 讃 」 の文 献 内容 に 着 目 す る と,そ の 最 後 の部 分 に 問題 が あ る こ とに気 づ く.以 下 は,そ の 問題 を 孕 ん で い る箇 所 で あ る. 有 高足之灌頂 法師者,即 梁朝南 平王之親 孫也.乃 朝 野鼎族,即 廣 貴子.奇 才 誕秀,超 卓 獨 【禎.生 而神 異,七 歳 辞親,日 誦万言,幼讀 千巻.(中 略) 故 若樹 若石,録 而 記之,傳 乎未 聞,共 期佛慧者也.天 台大師讃: 入胎 呈瑞,降 誕流光.大 頌慧發,霊 鷲因彰.戒 治陳主,香 傳晋王.弁 才無滞 禅 定難量 山[□]息蘖,水 族停傷.法 化既普,緇 門益昌.】 (前闕)羅 尼門 照了 法華,若 高耀 之臨幽谷,説 摩 詞衍,似 長風 之游太虚. 假令文 字之 師チ群 萬衆 數,尋 彼妙辮,無 能窮也.(下 略) 鍵 括 弧 【】 で 囲 ん だ 下 線 部 分 の 内容 は,『 伝 全 』 本 が 身 延 山藏 写 本 に よ って 欄 外 に補 っ た もの で あ る.も っ とも,「 述 讃 井 序 」 と題 され る文 は,本 来,「 序 文 」(散 文)と 「讃 文 」(韻 文)か ら構 成 され る もの で あ り,身 延 山本 に よ っ て讃 文(波 線 部 分)を 補 わ な い と,「述 讃 」 が 文 体 的 に不 完 全 な も の に な る.但 し,身 延 山本 に 』 よ っ て補 わ れ た讃 文 は,写 本 自体 が 「法 化 既 普,緇 門益 昌 」 ま で で 切 れ て お り, そ れ に続 く内容 は確 認 で き な い け れ ど も,そ の 内容 か ら判 断 す れ ぼ,明 らか に 不 完 全 な も の で あ る とわ か る.つ ま り,「 法 化 既 普 緬 門 益 昌 」 で 終 わ る讃 文 と, それ に続 く 「[陀]羅 尼 門,照 了 法 華 」 で 始 ま る散 文 との 間 に,欠 如 部 分 が 更 に 801

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(205) 『天 台大 師 略伝 』 は逸 失 した の か(池) 存 在 す る と考 え られ る ので あ る. ま た,「[陀]羅 尼 鳳 照了 法 華 」 で始 ま る散 文 は,文 体 と文 脈 的 要 素 も考 慮 す る と,そ れ を 「述 讃 」 の 一 部 とす る よ り,他 の 文 献 に属 す る内 容 と した ほ うが よ り自然 で あ る.つ ま り,こ の散 文 は,元 々本 文 が 逸 失 した と思 わ れ て きた 「略 伝 」 の 文 で は なか ろ うか.そ れ が 「述 讃 」 の 内容 と混 清 さ れ た の は,『 霊 応 伝 』 の写 本 が 流 伝 して い く中 で,「 述 讃 」 の 末 尾 か ら 「略 伝 」 の 冒 頭 に わ た る部 分 が 脱 落 した こ とに 起 因 す る,と 考 え られ る. 更 に,「 羅 尼 門 照 了法 華 」 で 始 ま る散 文 そ の も の を 検 討 した と ころ,そ の 内 容 は,道 宣 の 『大 唐 内典 録 』 巻 五 に見 え る智 者 の 伝 記 と極 め て類 似 して い る こ と が 判 明 した の で あ る.両 者 の 内容 を比 較 す る と,字 句 の 出入 りは あ る もの の,ほ ぼ 同 内 容 の 文 章 で あ る こ とは 明 確 で あ る.つ ま り,『 霊 応 伝 』 に お け る 「述 讃 」 の 直 後 か ら,「影 堂 記 」 ま で の 問 に 存 在 す る散 文 は,『 大 唐 内典 録 』 の 智 者 の 伝 記 と内容 的 に一 致 す る もの で あ る,と 判 明 した の で あ る. で は,『 大 唐 内典 録 』 の智 者 の伝 記 本 文 と 『霊 応 伝 』 に 採 録 さ れ た 文 章 との 関 係 は 如 何 な る も の で あ ろ うか.つ ま り,「 略 伝 」 は直 接 『大 唐 内典 録 』 か ら抄 出 し 『霊 応 伝 』 に録 さ れ る こ と にな っ た の か,そ れ と も両 者 を媒 介 す る別 の 文 献 が 存 在 して い た の で あ ろ うか.そ こで,『 台 州 録 』 に 見 え る 「天 台 山六 祖 略 傳 一 巻 終 南 山 宣 律 師 等 述 」 とい う記 載 に着 目 した.そ の 目録 の 記 載 に よ っ て,二 つ の 事 実 が 判 明 す る と考 え られ る. 第 一,『 天 台 山六 祖 略 伝 』 に は,天 台 山 の 祖 師六 人 の簡 略 な 伝 記 が 収 め られ て い る こ と は間 違 い なか ろ う.そ の 六 祖 とは,智 覬 か ら湛 然 まで の六 人 を指 して い る と思 わ れ る.従 っ て,い わ ゆ る六 祖 略 伝 とは,智 覬 か ら湛 然 ま で の六 人 の 伝 記 か ら構 成 さ れ,そ して湛 然 以後 の人 に よっ て編 集 さ れ た もの で あ る と考 え られ る. 第 二,そ の 著 者 が 「終 南 山宣 律 師 等 」 とさ れ て い る こ とか ら,本 書 は複 数 の 著 者 に よ る伝 記 を編 集 した もの で あ り,そ の 中 に,道 宣(終 南山宣律 師)の 撰 述 も含 ま れ て い た こ とが わ か る.道 宣 の 生 存 年 代 か らす れ ぼ,智 覬 か ら湛 然 ま で の 六 人 の 中 で,彼 が 伝 記 を著 し得 るの は,智 覬 と灌 頂 との 二 人 に限 られ る.従 来,道 宣 が 「略 伝 」 と呼 ば れ る史 伝 を 撰 述 した との 記 録 が 見 ら れ ず,『 天 台 山 六 祖 略 伝 』 とい う書 物 が 如 何 な る意 味 に お い て 道 宣 と関連 が あ っ た か も知 られ て こ な か っ た. と こ ろが,『 霊 応 伝 』 所 収 の 「天 台 大 師 略 伝 」 が 道 宣 作 で あ る こ とが 判 明 した た め,こ の 「略 伝 」 が 『天 台 山六 祖 略 伝 』 の一 部 を な して い た,と い う可 能 性 も 800

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(206) 『天 台 大 師 略 伝 』 は逸 失 した の か(池) 浮 上 して くる.そ うだ っ た とす れ ば,『 天 台 山 六 祖 略 伝 』 の編 集 情 況 に つ い て, 以 下 の こ とが 言 え よ う.ま ず,本 書 の 著 述 ・編 集 に 当 た って は,智 威 な どの 略伝 の よ うに,新 た に撰 述 さ れ た場 合 も あれ ば,智 覬 の 略 伝 の よ うに,道 宣 『大 唐 内 典 録 』 を参 照 した 場 合 もあ っ た,と 言 うこ とで あ る.だ か ら こ そ,道 宣 は 『天 台 山 六 祖 略 伝 』 の 著 作 者 の一 人 と見 徹 され た ので あ ろ う. 次 に,『 天 台 山 六 祖 略 伝 』 の 編 集 者 は,智 覬 な どの 略 伝 を,『 大 唐 内典 録 』 か ら か な り機 械 的 に 抄 出 した こ と もわ か る.な ぜ な ら,例 え ば,『 大 唐 内典 録 』 所 収 の 智 者 の伝 記 は,智 覬 の 著 作 を録 した後 に,そ の著 者 で あ る智 覬 につ い て簡 略 に 紹 介 す る た め に 附 され た も の で あ る.そ の た め,伝 記 の 文 中 に 「為 大 機 感 著 述 茲 文 」 とい う表 現 が 見 られ る が,特 に 「茲 文 」 とは,前 に録 した 著 作 群 を指 して 言 うので あ る.し か し,『霊 応 伝 』 「略 伝 」 に お け る「茲 文 」 とい う言 葉 は,特 に 指 示 す る対 象 もな く虚 し く存 在 して い る.こ の 現 象 は,『 霊 応 伝 』 よ り先 立 っ て 成 立 した 『天 台 山六 祖 略 伝 』 は,『 大 唐 内典 録 』 を参 照 して智 者 の略 伝 を 抽 出 す る際 に,智 覬 の著 作 まで は録 さ な か っ た に も関 わ らず,合 わ せ て 略 伝 の 内容 を修 正 す る まで に至 らな か った こ とに起 因 す る も ので あ ろ う.但 し,こ の 機 械 的 な編 集 方 法 の お か げ で,『 大 唐 内 典 録 』 の 原 文 に 基 づ き 「略 伝 」 の 失 わ れ た 冒 頭 部 分 を 補 う こ とは可 能 に な る と考 え られ る.こ れ に よ っ て,『 霊 応 伝 』 第 二 巻 の 内容 はほ ぼ再 現 で き る こ とにな るで あ ろ う. 以 上,現 行 本 『霊 応 伝 』 に含 まれ る文 献 内 容 の 混淆 錯 誤 を指 摘 した うえで,逸 失 した と思 わ れ て きた 「天 台大 師略 伝 」 の内 容 を そ の中 で 確 定 す る こ とを試 み た. そ の 結 果,「 略 伝 」 に相 当 す る部 分 が 道 宣 『大 唐 内典 録 』 の智 覬 の 伝 記 原 文 とほ ぼ.__.致す る こ とが判 明 した.更 に,そ れ が元 々最 澄 将 来 本 に お け る 『天 台 山 六 祖 略伝 』 の 一 部 を な して い た と推 測 し,最 後 に,そ の機 械 的 な編 集 方 法 の故 に,『 内 典 録 』 に よ っ て 『霊 応 伝 』 「略 伝 」 を補 完 す る方 法 を 提 案 す る,と 言 う順 に論 述 を 進 め て きた.『 霊 応 伝 』 が 最 澄 集 で は な い とい う偽 撰 説 を主 張 す る学 者 も い る が,し か し,同 書 に は 貴 重 な 中国 唐 代 の 文 献 が 保 存 さ れ て い る とい う重 要 性 は否 定 で き な い で あ ろ う.今 後,そ の文 献 内容 に即 して 詳 細 な検 証 を行 い,そ の テ キ ス ト自体 の価 値 を 見 直 して い く必 要 もあ る と考 え る. 〈キー ワー ド〉 智者,内 典録 天台大師略伝,天 台霊応図本伝集,六 祖略伝 (東京大学大学院) 799

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