著者 蓮井 和久
URL http://hdl.handle.net/10232/16118
医学研究と教育の計画の倫理審査に関する問題点と考察
蓮井和久 2003.8.5
病理診断に際して残る組織標本(パラフィンブロック)や画像情報は、患者のカルテとは 異なり、医療の二次資料と云うべきものであり、これを利用した人体病理学研究により、
公衆衛生の向上を目指す諸行動の基礎資料になる病理疫学、病気の原因の反映の異常な遺 伝子や蛋白の発現の検索は、ヒトの病気の解明に大いに役立って来ている。
患者さんの人権の保護の高揚に伴い、病理学会は、2002 年 12 月に、継続審議中ではあ るが、病理標本等の二次資料の研究や教育に用いる時には、遡って患者の同意を求めるか、
倫理委員会等での審査を受けることを勧める試案を発表している。
この状況にて、或る医学教育に関する計画があり、その倫理委員会への申請と審査の過 程で、解決されていない諸問題に遭遇したので、この機会に、記録し、現在の医学研究と 教育に関する倫理面の状況について考察した。
1、倫理委員会への申請の下読み分別のシステムについて
倫理委員会には、複数のものがあると共に、それぞれの審査の領域等が規定されている ので、倫理委員会へ申請された医学研究と教育の計画について、審査される委員会が決定 される。
この審査される倫理委員会の決定には、それぞれの申請された計画の担当者に問題とな る点等を説明しないと、申請の主旨からずれた倫理委員会での審査となり、倫理委員会に も、計画の申請者にとっても、困った状況が生じる。この審査される倫理委員会を決定す ることは、非常に重要な申請の処理過程であり、その決定の理由は申請者への充分な説明 が必要になると思われる。この申請の審議する倫理委員会の決定に関しては、少なくとも、
申請者への決定された倫理委員会での審議を必要とされた理由の文章等による説明が必要 であると思われる。
医学研究と教育の計画は、
1.患者の個人情報保護
2.医学研究と教育における計画の試料や素材とその対処方法、その予想される結果とそ の医学研究と教育における貢献に関する説明(説明責任)
3.患者さんないし関係者の医学研究と教育における計画への同意 の3つの観点から、審議される倫理委員会が決定される必要がある。
患者の個人情報保護については、個人情報の一つである体細胞遺伝子変異等の研究計画 はこの点での審査が必要とされるが、発癌等に伴う獲得性遺伝子変異は問題とされない。
しかし、医学研究と教育での一般的な匿名化は常識的に行われているものであり、余り問 題とはならない。
医学研究と教育における計画について説明責任は、患者さんないしその関係者の同意を 求める倫理的対応を迫られている現状の理由の一つである。一般の人々と医療・医学関係 者との専門的知識の格差の拡大により、一般の人々に医療・医学関係者の行動に対する不 信感が生じている。特に、治療に関しては、事前に、充分な説明が必要とされている。こ の 一 般 の 人 々 と 専 門 家 の 知 識 格 差 の 問 題 は 、 一 般 科 学 の 分 野 で も 生 じ 、public understandings of Science (PUS)として専門知識の公開の努力が行われて来ている。しか し、医療・医学分野での一般と専門との知識格差の是正は、public understanding of
medical science (PUMS)の動きとして始まり、IT等の普及に伴い、種々のホームページ
等の活用にて、専門知識の公開が行われている。しかしながら、医学研究と教育の計画に 関する具体的な説明が必要な場合と、一般的な説明で対応する必要がある場合もある。病 理標本等の医療二次資料と云われるものは、種々の医学研究と教育の計画に将来的に活用 されることから、後者の対応が行われることが多い。申請される医学研究と教育の計画の 内容から、そのどちらの場合で倫理審査を行うかを判断する必要がある。
患者さんないし関係者の医学研究と教育における計画への同意は、医療の中で発生する 二次資料は患者さんに帰属するものとの理解に基づき、患者さんの権利の尊重の観点から 重視されて来ている。しかし、医療の中で発生する二次資料に関しては、病理標本等は一 定期間は大型病院等での保存することは、患者の権利の侵害ではなく、また、患者さんか らの返還請求に対しても必ずしも応じる必要がないと司法判断が出ている状況である。事 前に、医療の中で充分な説明の後に得られる患者さんの同意は問題のないものである。過 去の症例について、医学研究と教育に用いることへの遡った患者さんないしその関係者の 同意を得ることは、事前のものとは別の問題を含んでいる。現在、大規模災害後の被災者 の臨床心理学的アプローチや終末医療における患者さんの臨床心理学的な対処が行われて いる。これは、患者さんないしその関係者への配慮として、新しい考え方であると思われ るが、当然のことながら、この点への配慮が、医療二次資料等を医学研究と教育に用いる ことへの遡った患者さんないしその関係者の同意を求める場合には、必要になると思われ るし、また、遡った患者さんないしその関係者の同意は事前の同意とこの点で異なること が理解できる。
従って、今後の医学研究と教育の計画の全てを倫理委員会で審査する必要があるのであ れば、申請の下読み作業は本格的なシステムとしての確立しておく必要があると思われる。
2、倫理委員会での審査の方法に関して
それぞれの計画の申請での審議は異なる要素を持っていて、一般化できない点も多い。
しかし、委員会での審査の方法、審議の継続の方法で、共通した問題と思われるものがあ った。
審議に必要な期間の短縮化、審議記録とそれによる審議結果の申請者への送付、審議に て問題ありとされた項目についての申請者への説明の文書による送付、それへの申請者の
追加資料等への迅速な対応である。
医学研究と教育の計画には、当然、その審議して頂くに予定されて時間の制約がある。
また、継続審議では、審議での問題点の指摘、申請者から追加資料の提出については、既 に、一度、審議しているので、迅速な対応が可能であると思われる。迅速な対応が出来な い場合には、その説明を申請者に行うか文書として送付する必要がある。予定された時間 的制約の中で、審議の結論が出ない場合には、審議の打ち切りとその明確な理由の申請者 への送付が必要となる。
3、病理標本等の医療二次資料の医学研究と教育への活用に伴う事後の患者さんないし関 係者の同意を得ることに関する問題点
事後の患者さんないし関係者の同意を得るには、先ず、医療二次資料から患者さんない しその関係者までの連絡ルートを、記録等を参照して、調べる作業が必要となる(第1段 階)。次ぎに、主治医への事後の患者さんないし関係者に同意を得て頂くお願いが必要とな る(第2段階)。そして、主治医が事後の患者さんないし関係者に同意を得る(第3段階)
という3つの段階がある。
第1段階における問題には、番号等の記載ミスにより情報が得られない症例、主治医が 転出して当該病院にいない症例、悪性疾患の場合の診断の告知の有無の情報がないこと、
カルテの義務的な保存期間を超えた症例に関するものがある。
○番号等の記載ミス等により情報が得られない症例の医学研究と教育への活用には、同意 が得られないから活用してないとする考え方もあるが、貴重な匿名化が既に行われたも のとして活用すべきであるとの考え方もある。後者は、遺伝子研究に於ける倫理指針等 で検索終了後の検体処理としては、完全匿名化を行った上で、今後研究等に活用できる 試料とすべきであるとの考えに準じたものである。
○主治医が転出して当該病院にいない症例と事後に同意を求める行動への個人情報保護法 の影響は、日医ニュースで解説された個人情報保護法に於ける公衆衛生の向上と健康な 次の世代の育成に関する例外規定にて、医学研究と教育が含まれているというコンセン サスがあれば、回避できると判断される。
○悪性疾患の場合の診断の告知に関する問題は、主治医に同意を求めることをお願いする 場合には問題はないが、主治医が転出して当該病院にいない症例では、現在の担当医師 が主治医に代わって、患者さんないしその関係者と対応する場合に問題となると思われ る。しかし、病名等に関して言及しなければ悪性疾患の告知の問題は発生しない可能性 が高いと思われる。
○カルテの義務的な保存期間を超えた症例の問題は、義務的保存期間を超えたカルテの保 存は、各病院の自己犠牲に依存して、患者さんの長期の医療情報に基づく健康管理と発 病時の基礎情報提供を行っているのであり、既に、医療界は患者さんにある種のサービ
スを実施しているものであると理解される。また、患者さんはその基礎資料に基づく更 に高い医学レベルに対応した医療を甘受しているとも理解される。この現状は、医療・
医学界の患者さんへの対応として、患者さんの人権として医学研究と教育の計画の実施 に同意の与える権利のみを最優先とすることに妥当性がないことも示唆している。今後 のバランスのとれた患者さんの権利、義務等の包括的な理解が期待される。
第2段階の問題は、主治医への医学研究と教育における二次資料活用に関して、患者さ んないしその関係者に同意を得る作業をして頂くことをお願いすることである。
○主治医の善意に頼ることになる。
○主治医が転出している場合の当該病院関係者に上記のお願いをすることが可能なのかが 不明であるが、当該病院関係者の善意に期待するしか手が無いのが現状である。
この点から、医療二次資料による研究等が必ずしも臨床研究と同一の患者さんないしその 関係者の同意を得る点で同一に見做すのは問題があることが理解出来る。
第3段階の問題は、主治医が患者さんないしその関係者に同意を得るには、病院等に入 院中の患者さんないしその関係者には容易に接触できるが、遠隔地に患者さんないしその 関係者がいる場合には、同意書の郵送と返信、そして、その確認方法、電話等での同意確 認による主治医の同意書作成といった状況にも対応できるものが必要となることである。
○主治医が転出している場合に、当該病院関係者が、上記行動を行う場合に、また、当該 病院以外に属している主治医が、上記行動を行う場合に、最近成立した個人情報保護法 による影響が不明である点が問題であろう。
○個人情報保護法の医学研究と教育に及ぼす影響として、未対応の問題であるが、日医ニ ュース等で知る日本での個人情報保護法の立法の過程で、公衆衛生の向上等を目指す行 為に対して日本医師会が例外事項として記載させたことが記述されている。医療ないし 医学関係者には、医学研究と教育は公衆衛生の向上を目指す行為に含まれると理解でき るが、一般の人々は公衆衛生の向上を目指す行政的なもののみを思い浮かべる可能性が ある。医学研究の教育が公衆衛生の向上を目指す行為に含まれるという理解が得られる ようなPUMSの活動が必要になるかも知れない。
○医療の二次資料に属する病理標本並びにそれに関する画像資料は、地域の症例を全体と して見ると、公衆衛生の基礎資料となり、地域における病気の発生状況を示すものであ り、その長期的なフォローは、公衆衛生の行政にも有用であり、死亡統計が治療方法の 開発されていない病気の発生を示唆する一方、治療方法の開発された疾患の発生の状況 は、医療の中での診断と病理診断に基づくものでしか知ることが出来ない。悪性腫瘍の 発生は、癌登録制度が発足しているが、病理診断およびevidence-based medicineに於け る診断の集積を企図する制度の発足が期待されると共に、弛みない病理標本等での研究
とevidence-based medicineによる臨床診断の啓蒙と努力が必要とされている。従って、
病理標本等での研究とevidence-based medicineによる臨床診断に関する研究等は、今後 は、当然のこととして個人情報保護法下でも例外として認められると思われるし、成文 法的なものとなっていない患者さんおよびその関係者の同意の医学研究と教育の計画で の必要性も、例外としての対応が可能であるとの考えも妥当なものと思われる。
○既に、1で記載した患者さんの臨床心理学的な問題は、事後に患者さんないし関係者が 同意を示すことの妥当性の問題は未解決で残ることが予想される。
4、倫理委員会の責務
こう云った倫理的問題に関して、倫理委員会は、ただ、申請された計画に対して指導す ること以外に、積極的な提言として、種々の申請計画の審議での問題点に関する意見を公 表して行く義務もあるのではないかと思われる。