書 評 ページ上部に印刷業者が飾りを入れるのでこの2行の余白をカットしないこと
小林明子・福田倫子・向山陽子・鈴木伸子著
日本語教育に役立つ心理学入門
くろしお出版、2018年発行、213p.
ISBN:978-4-87424-753-2
迎 明香・岡本 英久
1.はじめに
学習者に関わる心理学的知識について教育者が知見を深めることは有益である。これま での第二言語習得論の入門書では、小柳(2004)や大関(2013)、ライトバウン・スパダ
(2014)などが出版されてきたが、異文化理解など学習者の心と外国語学習の関係につい てはそれほど紙幅が割かれてこなかった。また、海保・柏崎(2002)は当該分野について 初学者向けに書かれた代表的な入門書にあげられるが、特に認知心理学に重きを置いてい る傾向があり、概括的に当該分野の基礎知識を学べる書とまでは言えない。その点、本書 は当該分野の基礎知識を一冊で学ぶことができ、さらに日本語教育の中でも学習者中心の 視点に根差した入門書という点において非常に価値がある。以下、本書の概要を解説し、
日本語教育における意義と展望を述べる。
2.本書の概要
本書は、「まえがき」で述べているように、「初学者にわかりやすい本」、「日本語教師に 役立つ知識」、「大学などの日本語教育学の講義で使える教科書」の3点を目標にしている。
まず、1 点目の「初学者にわかりやすい本」については、平易な文章と図表を多用した説 明によって、日本語教育の初学者に分かりやすい工夫がなされている。2点目の「日本語 教師に役立つ知識」については、理論や調査結果の紹介に留まらず、実際に教育現場でど のように応用できるのか、所々に教育実践例が盛り込まれている。3点目の「大学などの 日本語教育学の講義で使える教科書」については、本書が12章で構成されており、1章分 が約1回の講義を想定した分量であることから、1学期間で読み通せる構成になっている。
また、各章ごとに設置されたプレタスク、ポストタスクはそのほとんどが話し合いを前提 としており、外国語学習歴があればだれもが参加できるため授業の活性化の助けとなる。
以上、3 点の目標は概ね達成されており、本書は入門書として十分な内容である。以下、
2.1に本書の全体構成を示し、2.2以降で各パートを概観する。
書 評
2.1 本書の全体構成
本書は全3部の構成である。まず第1部「日本語教育と心理学」(第1章:小林明子)
では各章の概要を解説しつつ、心理学と日本語教育がどのように関連しているのかを示し ている。第2部「学習するときの心理」(第2章~第4章:福田倫子、第5章~第6章:
向山陽子、第7章~第9章:小林明子)では第二言語の学習・習得に関わる心理学的知識
(記憶・認知・理解・適性・ビリーフ・動機・第二言語不安)を紹介している。第3部「異 文化を理解するときの心理」(第10章~第12章:鈴木伸子)では異文化理解に関わる心 理学的知識(異文化適応・異文化コミュニケーション・異文化トレーニング)をまとめて いる。各章ごとに興味関心を活性化するためのプレタスク、理解度を確認するための確認 問題、理解を深めるためのポストタスクが設置されている。各章の最後に「さらに知りた い人のための読書案内」と参考文献リストがあり、トピックへの理解を深める助けとなっ ている。巻末には索引があり、用語の検索も可能である。
2.2 第1部「日本語教育と心理学」
第1部の第1章「日本語教育と心理学の関わり―心理学が日本語教育に役立つの?―」
では、心理学と外国語教授法の歴史的変遷を解説し、いかに心理学と外国語教育の関係が 密接であるかを説いている。そして、心理学の知識が学習者の個人差や異文化理解にどの ように役立つかを述べ、第2部以降に内容を引き継いでいる。また、第1章全体に渡って、
各章の前提となる考え方や基礎知識を解説している。
2.3 第2部「学習するときの心理」
第2部(第2章~第8章)では、第二言語の学習・習得に関わる心理学的知識について、
前半でヒトの普遍的な記憶・認知・理解のメカニズムを、後半で学習者の個人特性に関わ る要因をそれぞれ紹介している。
第 2 章「記憶―記憶って覚えることだけなの?―」では古典的な短期記憶や長期記憶、
短期記憶の概念を発展させたワーキングメモリ1など外国語学習に関連のある記憶のメカ ニズムをまとめている。混同しやすいと思われる短期記憶とワーキングメモリの相違点を 表で示しており、理解の助けとなる。しかし、ワーキングメモリの解説では、その構成要 素の機能や長期記憶との関連など、図に示してはいるが説明不足な箇所があり、初学者に とって理解しづらい概念に留まっている印象が残る。
第3章「単語の認知―どうやって単語の意味を理解しているの?―」と第4章「文章の 理解―文章を『理解する』ってどういうこと?―」では言語を理解する認知プロセスをま とめている。第3章では単語の認知について長期記憶を頭の中の辞書に喩えた心内辞書を 中心に説明している。「読む」と「聞く」の単語の認知過程の差異、外国語翻訳の認知過程 など言語教育者にとって興味深いトピックを、図表を使って分かりやすく解説している。
章の後半「単語の読みと意味」の項では、中国語を母語とする学習者の漢字語彙習得につ いて言及している。欲を言えば、近年増加が著しい非漢字系学習者への言及もあればより 充実した内容となっただろう。第4章では、学習者の文章理解の認知プロセスや、それに 関する心理学的概念をまとめている。また、本章では文章理解の際に必要な既有知識の活
性化について体系的に学ぶことができる。後半には聴解と読解が認知的にどのように異な るのか解説があり興味深い。しかし、第3章と第4章を通して、話が「読む」と「聞く」
に終始している点には課題が残る。加えて、「書く」と「話す」の解説もあれば 4 技能の 認知の概要が学べ、日本語教育学の講義で使える教科書としてさらに完成された 1 冊と なっただろう。
第5章「外国語習得に関係する認知能力―外国語学習が得意な人と苦手な人は何が違う の?―」と第6章「言語適性と指導法の適合―自分の能力や好みに合った指導だと学習の 効果が上がるの?―」では言語習得と言語適性2との関係をまとめている。第5章は外国 語習得に関係する認知能力について、代表的な言語適性テスト(MLAT、PLAB、日本語 習得適性テストなど)や言語適性要素、第二言語習得プロセス、言語学習段階と言語適性 について解説している。後半に主要な研究結果から言語学習のどの段階でどのような言語 適性が最も関係してくるのかを簡潔にまとめており、学習者理解に有益である。第6章は 言語適性と指導法の関係について、どのような言語適性のある学習者にどのような指導法 が適切だと考えられるのかをまとめている。フォーカス・オン・フォーム 3の考え方に基 づいた指導テクニックを紹介しており、その中でも特に学習者の誤りを正しい形で言い直 すリキャストを例に挙げ言語適性と指導法の関係を簡潔にまとめている。
第7章「ビリーフ」では、学習者のビリーフと学習ストラテジーの関係を捉え、学習者 と教師それぞれの持つビリーフとそれによって影響を受ける外国語学習の価値観・教育方 法・教室活動を述べ、最後にそれらの齟齬から生じ得る問題への対処をまとめている。
第8章「動機づけ」では、主に学習者が第二言語を学ぶ際の動機づけを、学習者が何を 目的として第二言語を学ぶかという視点による動機づけと、第二言語を学習するときの自 己決定4の度合いによる動機づけに分けて述べている。次に、動機づけに関わる要因とし て第二言語の理想自己を取り上げ、学習者が第二言語を用いて「なりたい自分」になるた めに教師ができることを述べている。最後にまとめとして、教室で学習者の動機づけを高 めるための指導実践を示し、日本語教師として教室活動での動機づけが意識できるような 工夫がされている。
第9章「第二言語不安」では、第二言語の学習・運用・習得に関わる情意要因として第 二言語不安を取り上げ、はじめにそれらの研究が盛んとなった経緯を、文法訳読法からコ ミュニカティブアプローチへの移行という外国語教授法の変遷と関連づけて説明している。
その後、第二言語不安を引き起こす要因を、教師が学習者の第二言語不安を軽減するヒン トとともに説明し、最後に、近年新たに注目されつつある情意要因「コミュニケーション 意欲」との関連についても述べ、教師による適切な評価とフィードバックのためのアドバ イスや、学習者が日本語母語話者と話す機会をもつことができる教育現場例を示している。
人々の「移動」やICT利活用による接触場面の増加など、学習者要因への焦点が時代の流 れとともに変化していることが非常に分かりやすく見て取れる構成である。
2.4 第3部「異文化を理解するときの心理」
第3部(第10章~第12章)では、特に文化と関連する心理学理論を説明している。
第 10 章「人の移動と異文化適応」では、人の「移動」によって起こる異文化適応のプ
ロセス、異文化接触場面での文化の捉え方などを、具体的な事例を交えて説明している。
後半ではさらに、「移動」に伴う子どもの第二言語習得の理論と、学校教育で生じる問題に ついて説明しており、一重に異文化接触として精神面の適応を取り上げるだけでなく、特 に「移動」に伴う子どもの言語発達と学校教育に焦点を当てている。またこの章では、最 後の読書案内にて、論文ではなく実際に様々な異文化体験を経た人々の経験に基づく小説 や映画を紹介しており、彼らの実際の異文化体験を知るきっかけが得られる。
第 11 章「文化的差異と異文化コミュニケーション」では、言語的・非言語的コミュニ ケーションに関わる文化差を、実際にどのような場面で問題が生じるのかなどの具体例と ともに説明している。言語コミュニケーションの文化的差異としては、言語による談話構 成の違いや翻訳でのことばの区切り方の違いなどを紹介している。また、話し方の差によっ て生じる問題場面としてグローバル企業での会議場面を取り上げ、現代のグローバル化す る企業にとって認識が不可欠な文化的差異を例に挙げていることが分かる。非言語コミュ ニケーションの文化的差異としてはジェスチャーなどの代表的なものに留まらず、身体的 接触や空間的距離の文化的差異も示している。
第 12 章「異文化摩擦を緩和する異文化トレーニング」では、異文化間摩擦をもたらす 可能性のあるステレオタイプが生じる仕組みについて説明し、またステレオタイプと偏見、
差別の違いを述べている。さらに、それらを緩和するための実践として協働学習を提案し ている。特に大学など国内の教育機関においては、多様な学生が協働して日本語の授業を 受けることが多く、ここで提案されている協働学習の在り方から何らかの示唆を得ること ができると考える。最後には、「異文化接触場面において自分とは異なる視点・立場で物事 を理解できるようになるために」(p. 197)、DIE5法を用いた異文化トレーニングの方法を 具体的なテーマ・分析例と共に述べている。これらがポストタスクとして用意されている ことにより、読者は具体的な事例を読んだ後、自らその異文化トレーニングを簡易的に体 験できる。本書のタスクでは学生寮で発生した異文化間摩擦を取り上げているが、教育機 関のみならず企業や自治体でも活用可能なトレーニング方法であり、今後はそれらの様々 な文脈に応じて実際に活用されていくことが望まれる。
3.本書の日本語教育における意義と展望
本書は冒頭でも示した通り、海保・柏崎(2002)の『日本語教育のための心理学』以降、
日本語教育の分野に関わる心理学の理論を概括的に紹介し、さらに教育・異文化間等の心 理学分野からの観点を大幅に付け加え、初学者に分かりやすくまとめた点において意義が ある。まさに、日本語教育に関わる心理学を学び始める上で地図の役割を果たしていると 言えよう。これから日本語教育の分野に足を踏み入れていく学部生にとっても手に取りや すい一冊であり、実際に本書を用いた講義の受講経験がある筆者らも、それを実感すると ころである。また、心理学の知見が全て日本語教育の文脈や事例を通して記述されている こと、さらに理論の提示に留まるのでなく、それらの理論をいかに教室活動で生かせるか、
その指導例が点在していることなど、実践者にとっても自身の文脈で理解しやすい点が本 書の大きな特徴であろう。
これまで心理学の知見と日本語教育実践はどこか乖離した印象もあったが、本書ではそ の印象を払拭するように理論と実践を結びつける試みが見て取れる。しかしながら、実践 例が豊富な章と、学習者理解に帰結し、より踏み込んだ実践例や教授法の提案がなされて いない章が混在していることも事実であり、課題も残る。単に学習者理解に帰結するので はなく、また「理論を学ぶ初学者(学部生)」と「実践する日本語教師」という対立に陥る のでもなく、双方が自身の過去の経験、今の現場、これからの実践で結び付けられるよう な指導例や実践例の提案が展開されるとより良かったのではないだろうか。
また、本書はあくまでも入り口であり、研究として日本語教育学の知見に取り入れるに は決して事足りるものではないことを、読み手も意識しておく必要があるだろう。併せて 読書案内に挙げられている文献にも目を通すことをお勧めする。
近年、日本語教育現場の多様化によって、様々な観点から学習者を理解することが求め られている。学習者の普遍的な認知過程と個々の個人差要因、社会的背景や属している集 団など、複眼的に学習者を見ていくことが実践で不可欠であると、本書を通して改めて痛 感した。本書では、「近年、日本語教育では、学習心理学・教育心理学・認知心理学・発達 心理学・異文化間心理学といった心理学分野で蓄積されてきた独自の研究が増えつつある」
(p. 12)とある。今後はさらに、理論と実践の統合の過程で日本語教育に役立つ「心理学」
から「日本語教育学」へと、役立つ知見が蓄積されていくことが期待される。
注
1 「情報を一時的に保持しつつ、理解や産出などの処理も並行して行うことができる」(pp. 25-26)
能力であり作業記憶とも称される。脳の作業場、脳の黒板などに喩えられる。
2 ここでは第二言語を習得するために必要な認知的能力を指し、しばしば混同される母語、年齢、
性格などの個人差要因とは区別される。
3 「意味と形式どちらか一方ではなく、意味を中心にしながら形式にも焦点を当て」(p. 90)る指導
の考え方の一つ。
4 ここでは、自身の外国語学習に対し目的や価値を見出し、自律的に学習することをいう。
5 「Description(記述・描写)・Interpretation(解釈)・Evaluation(評価)の頭文字」(p. 175)。
参考文献
大関浩美(2010)『日本語を教えるための第二言語習得論入門』くろしお出版 海保博之・柏崎秀子編(2002)『日本語教育のための心理学』新曜社
小柳かおる(2004)『日本語教師のための新しい言語習得概論』スリーエーネットワーク
パッツィ・M. ライトバウン、ニーナ・スパダ(2014)『言語はどのように学ばれるか―外国語学習・
教育に生かす第二言語習得論』(白井恭弘・岡田雅子訳)岩波書店
(むかえ はるか 早稲田大学大学院日本語教育研究科・修士課程)
(おかもと ひでひさ 早稲田大学大学院日本語教育研究科・修士課程)