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NTJ ホームページ掲載 見本原稿 ルカ福音書注解 嶺重 淑 序文 : 献呈の辞 (1:1-4) 1

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(1)

ルカ福音書注解

嶺重 淑

(2)

序文 献呈の辞(1:1-4) 翻訳、形態/構造/背景

序文 献呈の辞(1:1-4)

1. 翻訳 1-2 (1b)私たちの間で成就した事柄について、(2)最初から目撃し、御言葉の 仕え手となった人々が私たちに伝えたとおりに、(1a)物語をまとめようと多 くの人々がすでに着手していますので、3テオフィロ閣下、私もすべてのこ とを初めから詳しく調べた上で、順序正しくあなたに書き記そうと決心し ました。4学ばれた言葉(事柄)について確実なことを、確認していただけ ますように。 2. 形態/構造/背景  マルコ福音書が「(神の子)イエス・キリストの福音」という表題によっ て始められ、マタイ福音書が旧約聖書の形式に倣うイエス・キリストの系図 によって、また、ヨハネ福音書が言葉の受肉に関するプロローグによってそ れぞれ始められているのに対し、ルカ福音書の冒頭には、本文に先立って献 呈の辞の体裁をとった序文が記されている。ルカはこの福音書をテオフィロ という人物に宛てて記しているが、著者が自らの作品の冒頭に献呈の言葉を 付すのは、当時のギリシア・ローマ世界において一般に見られたヘレニズム 的慣習であった(ヨセフス『アピオン』1:1 等参照)。  ルカ福音書の執筆の動機と目的について簡潔に記したこの序文は、技巧を 凝らした格調の高いギリシア語で構成されており、この文書の文学的資質を 示すと共に、著者ルカが教養のあるヘレニストであったことを明らかにして いる。当時のギリシア・ローマ世界の著作の序文には、しばしば、①先駆者 の作品への言及(情報の信憑性)、②作品の主題、③著者の資格、④作品の概 要または構成、⑤著者の意図、⑥著者の名前、⑦著者の意図する読者等の要 序文 献呈の辞(1:1-4) 形態/構造/背景 素が見られ、ルカの序文にも⑥の著者名以外の要素が含まれている(Talbert 2002:8-10; カルペパー 2002:35 参照)。もっとも、ルカの序文は、当時の多くの 著作の序文とは異なり、極めて簡潔に構成されており、内容的にも必ずしも 明瞭ではなく、また競合する文書を直接批判する記述も見られない。なお、 Alexander(1993)は、ギリシア・ローマ時代の歴史的著作の序文はルカの序 文に比べて極めて長く、また、慣習的に序文を三人称で記し、二人称の呼び かけは用いないという理由から、ルカの序文は歴史的著作の序文ではなく科 学的著作の序文と見なしているが、ルカの序文の主要な語彙は歴史的著作の 序文の語彙と共通することからも、説得的ではない(山田 2008:238-240 参照)。  この序文(1:1-4)は、5 節以下の誕生物語の部分とは文体的にも内容的に も明らかに異なっており、一つの独立した部分を形作っている。この序文 そのものは文法的に切れ目のない一文で構成された拡張された掉尾文(文尾 に至って初めて文意が完成する文)であり、前半の 1-2 節が条件節を、後半の 3-4 節が帰結節を構成している。内容的にこの序文は、この書物の執筆の前 提について、すなわち福音書記者の先駆者たち(1 節)及び彼らの先達であ る目撃者ら(2 節)について述べた前半部と、著者の決意(3 節)及び目的 (4 節)について記した後半部から構成されており、多くの先駆者たちの試み と著者自身の意図とが対立的に描かれている。この箇所全体は以下のように 区分できる。 (1)前提:先駆者たちの試み(1f 節) (a)多くの人々の物語執筆(1 節) (b)目撃者たちの伝承(2 節) (2)著者自身の意図(3f 節) (a)執筆の決意(3 節) (b)執筆の目的(4 節)  この序文に関しては直接の伝承資料は存在せず、全体としてルカ自身の手 によるものと考えられる。もっとも前述したように、この序文は、その形 式のみならず、先行する文書や執筆動機に言及するなど、内容的にも当時の

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序文 献呈の辞(1:1-4) 形態/構造/背景、注解(1)

ヘレニズム文献の序文に対応している(Alexander 1993:213-229; Wolter 2008:58f; Eckey 2004:56-58 参照)。また、この序文に出てくる evpeidh,per, avnata,ssomai, dih,ghsij(1 節)、auvto,pthj(2 節)はいずれもハパクス・レゴメノン(Hapax Legomenon)、つまり、新約ではこの箇所にのみ見られる語であり、さらに、 evpiceire,w(1 節及び使 9:29; 19:13)、kaqexh/j(3 節及び 8:1; 使 3:24; 11:4; 18:23)、 kra,tistoj(3 節及び使 23:26; 24:3; 26:25)は新約ではルカ文書にのみ見られる 語である。おそらくルカは、ギリシア・ローマ時代の歴史的文献等に見られ た序文の形式に準じてこの箇所を構成したのであろう。 3. 注解 1 節  ルカはまず福音書の冒頭部分で、すでに多くの人々が、「私たちの間で成

就した事柄について」(peri. tw/n peplhroforhme,nwn evn h`mi/n pragma,twn)物語を書 き記そうと試みていた状況について言及している。動詞 peplhroforhme,nwn (完了形受動態)は、ここでは「確信されている」ではなく(山田 2008:244; レ ングストルフ 1976:28 に反対)、「成就した」(成し遂げられた)の意で用いられ ているが、単に歴史的に完結されたということではなく、むしろ(神による) 救済史的意味での成就を意味しているのであろう(Lohse 1974:70-82)。その 意味でも、成就した「事柄」(pra,gmata)とは、福音書に記されているイエス の教えと業、そして十字架と復活を頂点とする一連のイエス・キリストの出 来事を指し、旧約聖書に予示されていた神の計画がイエスにおいて実現した ことを示している(24:44 参照)。  ここにはまた、「多くの人々」(polloi,)が物語の執筆を試みたと述べられ ているが、実際に存在が確認されている文書は、ルカ自身が資料として用い たマルコ福音書及びイエスの語録資料(Q 資料)、さらにはルカ特殊資料く らいのものであり、当時から数多くの物語が存在していたとは考えにくいこ とからも、これは修辞学的技法と見なすべきであろう(Bauer 1960:263-266; 山 田 2008:245f 参照)。あるいは、実在した文書は僅かだったが、何らかの形で 文書を構成しようとした人々は少なからず存在したという意味かもしれな 序文 献呈の辞(1:1-4) 注解(1, 2) い(土屋 1992:71)。また、evpiceire,w(着手する)は、他の用例では否定的な 意味(企てる)で用いられているが(使 9:29; 19:13)、この「多くの人々」は 直後の「私」(3 節)と並列されていることからも、ここでは中立的な意味 で解すべきであろう(Wolter 2008:61)。dih,ghsij(物語)は口頭・文書による 物語を指すが、歴史記述の意味でも用いられる(Ⅱマカ 2:32; 6:17 参照)。ま た、avnata,ssomai は「配列する」、「(順序正しく)再現する」という意味をもち、 ここでは物語の再構成が意味されているが、口頭伝承の文書化を示している のかもしれない(Bovon 1989:34)。  冒頭の evpeidh,per は譲歩の意味(「∼ではあるが」)ではなく理由の意味(「∼ ので」)で用いられており(ヨセフス『戦記』1:17 の evpeidh,per ... polloi, も参照)、 その意味でもルカは、同時代の他の作品の序文の場合とは異なり(ヨセフス 『戦記』1:1-3 参照)、それらの先駆者たちの試みを頭から批判する意図はもっ ておらず、彼自身がそれらの著作を利用したという事実からも明らかなよう に、むしろ自らの著作に資するものとして肯定的に捉えている。とはいえ、 ルカの目から見てそれらの作品はなお不十分であり、それゆえルカは、それ らの作品に優るものを執筆しようと試みたのである。彼がいかに、イエス伝 承を完全な形で叙述することにこだわっていたかということは後続の 3 節の 記述からも明らかであり、ルカはそれらの作品の情報を精査すると共に、さ らに新しい情報を付け加えようとしたのである。 2 節  ルカはまた、このイエス物語を書き記した先駆者たちと共に、その「成就 した事柄」を伝えた彼らの先達たちについても言及している。彼らは最初か らの目撃者であり、神の言葉に仕える者たちであった。この「最初から目 撃し」た者と「御言葉の仕え手となった人々」は、同一の定冠詞を共有して いることからも同一集団と考えるべきであろう。ここでは何よりイエスの直 弟子たち、具体的には、洗礼者ヨハネの時から昇天に至るまでイエスと共に おり(使 1:21-22)、ペンテコステ以来のイエスの言葉の宣教者である(使 6:2, 4)十二使徒のことが主に考えられていると想定されるが(G. Klein 1969:249)、 事実彼らは、イエスの復活の証人であるだけでなく、イエスの活動の目撃証

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序文 献呈の辞(1:1-4) 注解(2, 3) 人であった(使 1:8, 22; 5:32; 13:31)。なお、paradi,dwmi(伝える)は(口頭・文 書)資料の伝承を意味しているが、単なる伝達ではなく、権威ある教えとし て正確に伝えることを意味している(Ⅰコリ 11:2, 23; 15:3)。  以上のことからも明らかなように、ルカは冒頭の 1-2 節において三つの世 代について言及している。すなわち、イエスが活動していた最初の時期から の目撃者であった直弟子たち(十二使徒)は第一世代に当たり、彼らから伝 えられた事柄について物語を記そうとした多くの人々が第二世代、そしてす でに存在したそれらの物語をもとに自らの物語をまとめ上げようとする彼自 身は第三世代に位置づけられる。 3 節  そこで著者ルカ自身も、先駆者たちによって伝承された事柄を踏まえて、 「すべてのことを」「初めから」「詳しく」調べて、その出来事について「順 序正しく」書き記そうと決心するが(e;doxe[使 15:22, 25, 28 参照])、以上の四 つの要素はルカの作業及び作品自体の特質を示している。ここでは冒頭に kavmoi,(私も)が用いられていることからも明らかなように、著者は自らを 1 節で言及された「多くの人々」(polloi,)から区別しておらず、自らもそれに 継続していることを示しており、また、ヨセフスとは異なり(『戦記』1:1 参 照)、自分自身のことについては語ろうとしていない。  「私」を完了分詞形で修飾している動詞 parakolouqe,w は、本来的には「従 う」、「同行する」という意味をもっていることから、「参与する」(Cadbury 1922:501f)、「追う」(トロクメ 1969:193-195; 田川 2011:92f)、「随伴する」(上村 2013:14f)等の翻訳も提案されているが、ここでは文脈からも「(詳しく)調 べる」の意で解すべきであろう(Haenchen 1961:364f; Bovon 1989:38)。「すべて のことを」(pa/sin)とは、目撃者の伝承や先駆者の物語等、イエスの言葉と 業に関するあらゆる資料のことを指しており、すなわちルカは、それらの 伝承を受け取るだけでなく、それを精査したというのである。次の「初め から」(a;nwqen)という表現は、ルカ福音書には、マルコとは異なり、イエ スの誕生物語(1:5-2:20)が含まれており、さらにルカによるイエスの系図 (3:23-38)が、アブラハムから始まるマタイの系図(マタ 1:1-17)とは異なり、 序文 献呈の辞(1:1-4) 注解(3) アダム、そして神にまで至ることに対応しており、その意味でも 2 節におけ る「最初から」(avpV avrch/j)以上に広範な意味で用いられている。これに続く 「詳しく」(avkribw/j)という表現は、ルカ福音書には、マルコ福音書とは異な り、それ以外の資料に由来するエルサレムへの旅物語や復活や昇天の記述等 が含まれていることに対応している。最後の「順序正しく」(kaqexh/j)は叙述 の仕方を意味し(使 11:4 参照)、もちろん歴史的な視点に関わっているが(ル カ 1:5; 2:1; 3:1 参照)、ただ単に個々の出来事を厳密に年代順に羅列すること を意味するのではなく、また、諸資料を完全にくまなく利用しつくすという 意味でもなく(Mußner 1975:253-255 に反対)、「事柄に即して構成された」と いう意味で解すべきであり、具体的には、ルカによるイエス物語の時代区分 に基づく叙述(降誕、ガリラヤでの宣教、エルサレムへの旅、エルサレムでの活 動及び復活)のことを指しているのであろう(山田 2008:246-248; Ernst 1977:51f 参照)。  ルカはこの序文を記した時点ですでに、使徒時代におけるイエス物語の続 編としての「使徒行伝」の構想をもっていたと想定されるが、この序文の 「すべてのことを」(pa/sin)が、当福音書に言及する使徒行伝の序文の「すべ てのことについて(peri. pa,ntwn)書き記しました」(使 1:1)に対応している とすれば、それは、誕生から昇天に至るイエスの出来事のすべてを指してい ると考えられる(加山 1997:13f)。  献呈の対象であるテオフィロ(使 1:1 参照)はおそらく歴史上実在した人 物であり、少なくともキリスト教に関心をもっていた人物であると想定され る。それゆえ彼の名は、例えば、この語の原意(=「神の友」)との関連から、 神を愛するあらゆる信者というように象徴的に解されるべきではなく、この 書物は実際に、キリスト教の福音の本質について実在の人物に伝えようと している。その根拠としては、古代において架空の人物に献呈の辞が捧げ られる例は認められない点(Alexander 1993:188)、テオフィロという名は紀元 前 3 世紀より確認されている点、尊称がつけられている点、この種の象徴的 献辞はルカの時代の周辺世界に類例がない点等が挙げられる(Green 1997:44)。 その一方で、「閣下」に相当する尊称 kra,tiste は、しばしば高位高官の人物 に対して用いられるが(使 23:26; 24:3; 26:25; ヨセフス『自伝』430; 同『アピオ

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序文 献呈の辞(1:1-4) 注解(3, 4) ン』1:1)、文学作品の献呈においても、必ずしも高位の人物に対してのみ用 いられているわけではなく、ある程度の社会的地位は想定できるとしても、 彼が高位の役人(高官)であったかどうかは断言できないであろう(Bovon 1989:39; 山田 2008:251f)。なお、彼が実際にキリスト者になっていたかどうか、 あるいは、この著作の普及を気にかけていたかどうかは明らかではないが、 それでもルカが、この受け手を通してこの著作が普及することを期待してい た可能性は否定できないであろう。 4 節  最後の節では本書の執筆の本来の目的が明らかにされる。動詞 evpiginw,skw は、「十分に知る」、「正確に認識する」ことを意味する。また、kathce,w([口 頭で]伝える、教える)は、新約聖書の福音書・行伝においてはルカ文書に のみ用いられ(使 18:25; 21:21, 24)、後代の「カテキズム」(教理問答)につな がる概念であるが、ここでは不定過去受動態で表現されており、「教えられ た」、すなわち「学んだ」を意味している。また lo,goi は「言葉」とも「事 柄」とも解しうるが、複数形で記されているのは、ルカがここでキリスト 教の福音のことではなく、様々な種類の教えのことを念頭に置いているため であろう。なお、末尾の th.n avsfa,leian(確実なこと)について多くの研究者 は、ルカはここで(テオフィロが)学んだ言葉(事柄)が確実なものである こと(言葉の確実さ)を彼に確認させようとしたというように解しているが、 ここはむしろ、学んだ言葉について4 4 4 4

(peri. w-n kathch,qhj lo,gwn)確実なことを 確認させようとしたと解すべきであろう(田川 2011:95f; 上村 2013:14f; Nolland 1989:4)。すなわち、伝えられた言葉のすべてが確実であることが前提とされ ているのではなく、伝えられた言葉のなかで何が実際に確かであるかをルカ はテオフィロに知らしめようとしているのであり(Marshall 1995:44 参照)、こ の点はまさに著者の本書執筆の意図を如実に物語っている。 4. 解説  ルカは、当時のヘレニズム的慣習を受け継ぎつつ、緻密に構成されたこの 序文 献呈の辞(1:1-4) 解説、補論 序文によって福音書を書き始めている。確かに、この序文は極めて簡潔に構 成されており、また、神やイエスに全く言及していないという意味でも、こ こからルカの神学的プログラム全体を読み取ることは容易ではないが、それ でもこの序文は、ルカの神学的意図の一端を示していると見なしうるであろ う(G. Klein 1969:237-261; Schneider 1984:40f; 加山 1997:9f も同意見 ; 一方で Wolter 2008:60 は別意見)。主題とされている出来事との時間的隔たりを強く自覚す るルカは、自らを当初からの目撃者とは見なさずに、彼の先駆者たちの伝承 に依拠し、それらを使徒的宣教の資料として用いているが、同時にそれらを 越えて彼独自の視点から彼自身のイエス物語を著そうとしている。ルカはこ の著作を順序正しく記そうとしているが、これは救済史的な時代区分に関 わっており、何よりもこの点に、歴史家としての彼の特質が示されている。  なお、ルカ福音書の続篇である使徒行伝の冒頭においても改めてテオフィ ロに宛てられた序文が付されており、そこでは、イエスの名に言及しつつル カ福音書の内容が極めて簡潔に要約され(使 1:1f)、さらには、使徒たちへ の聖霊の降下が予告されている(使 1:5, 8)。 補 論 ルカ福音書の序文はルカ文書全体の序文なのか  この序文が果たしてルカ福音書のみに関わる序文なのか(コンツェ ル マ ン 1965:23f 注 4; Conzelmann 1972:24f; Heanchen 1977:143 n. 3; H. Klein 2006:72; Schürmann 1990:4; Nolland 1989:12 等)、それとも使徒行伝を含め た双方の文書に関わるものなのか(Creed 1953:1; Zahn 1988:50; Cadbury 1922:489-510(特に 492); Marshall 1995:39; Fitzmyer 1983:290; Wolter 2008:60f; 山田 2008:235; 田川 2011:90 等)という点については長らく論争されてき た。例えば Cadbury は、ルカ福音書の序文の「私たち」(1:1f)と使徒行 伝の「われら章句」の「私たち」を関連づけて、ルカ文書の著者をパウ ロの同行者と見なし、この序文が双方のルカ文書に関わるものである と主張しているが、そのように解すると、「最初に目撃した人々」とル

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序文 献呈の辞(1:1-4) 補論 カ文書の著者とを明確に区別している序文の記述内容と矛盾を来たすこ とになる。確かに、ルカ福音書・使徒行伝の連続性を考慮するなら、こ の序文は使徒行伝にも関わっていると見なしうるが、その際に問題とな るのは、使徒行伝冒頭(使 1:1f)にも序文が付されている点である。ト ロクメ(1969:47f)は、ルカ福音書結部(24:50-53)及び使徒行伝の冒頭 部(使 1:1-5)を後代の付加と見なしているが、確かにそのように考える とこの難点は解消するかもしれない。もっとも、そのように解さなくて も、ギリシア・ローマ時代の著作においては、著作が数巻に及ぶ場合に は、第一巻に全体の序文が記され、第二巻以降の各巻に短い序文が付せ られる慣習があったという点を勘案するなら(例えば、ヨスフス『アピ オン』1:1-4; 2:1f)、一応の説明がつくであろう(Cadbury 1922:491f; Bovon 1989:32 参照)。しかしその一方で、序文における「成就した事柄」(1 節) は、地上におけるイエスの生涯を指していると想定されることからも、 この序文は使徒行伝も視野におきながらも、主として福音書に関わって いると見なすべきであろう。 序文 献呈の辞(1:1-4) 参考文献 参考文献

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