• 検索結果がありません。

東 ア ジ ア に お け る 年 間 習 俗 の 研 究

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2022

シェア "東 ア ジ ア に お け る 年 間 習 俗 の 研 究"

Copied!
56
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)51. 東アジアにおける年間習俗の研究. 植. 田. 重. 雄. 宗教民俗学は一般庶民の生活の身近かでありふれたことから一つの間題を考えてゆく︒たとえぱ正月に年賀状に. ﹁謹賀新年﹂とか﹁賀正﹂とか書く︒なぜ書くのか︑新年の挨拶は﹁明けましておめでとうございます﹂という︒. また﹁新春を寿ぐ﹂とも書くが︑気侯からいえば小寒︑大寒を迎えて厳しい冬を過さねば在らぬのに︑新春とはい. えないのではないか︒正月をなぜ休むのか︒本来︑新しい年を迎える宗教行事であった︒その祭や祝いの意味を忘. れてただ休暇と休息あるいはレジャーのことしか考えなくなっているのが現状である︒一民族の年間行事はそれが. 成立する充分な根拠があり︑その存在の意味があった︒その意味を語り継がなければならないし︑意味を明らかに することによって行為の目的も明らかとなる︒. 今目広く知られているものに﹁俳句歳時記﹂があり︑江戸時代から数えれば︑三百種以上にも及び︑最近でもつ. ぎつぎと新しいアイデアのもとで編纂されつつあるようである︒しかしこれらは︑俳句をつくるにあたって季寄せ︑. 工2I0. 序.

(2) 52. 季題季語を知るためであり︑そのためには年内の天文気侯の変化行事を念頭に置かなければならないからである︒. それゆえ︑歳時記は俳句以前の隼間の宗教民俗の行事が確定し成立してきたものの記録である︒むろん俳句歳時記. はそれなりに人々の効用があり︑面白味があってとくに俳句の実作老にとってはつねに携帯L︑あるいは坐右に置 く大切な書物となっている︒. ところが江戸時代において庶民の生活においても年間の行事を行うにあたって必要な書物として﹁節用集﹂が広. く流布するようになった︒明治以後も和綴じの厚い節用集が各家庭にあり︑そこには七夕の祭り方︑季節毎の祭り︑. 手紙の書き方︑慰しの折り方︑婚礼のしまだいの組み立て方まで記載してあって︑今日では土蔵などの隅に挨にま みれているであろうが︑かつては家庭の百科全書的な役割を果したものである︒. 節用集で大低は事足りたが︑しかるべき家では歳時記を備えてこれにもとづいて時節の行事をおこなってきた︒. これは毎年の暦とならんでおこなわねばならぬ宗教民俗行事の必読の書物であった︒俳句にかぎらず︑花の歳時記︑. 鳥の歳時記︑料理歳時記等々その応用範囲はかなり広い︒歳時記によってまとめられている生活行事は一朝一夕で. 成り立つものでたく︑その由来は古く且つ遠い︒同時に他の文化圏との交流によるものもあり︑その広さをももっ ている︒. われわれ東アジアの民族文化は歳時記の名のもとでその自然と文化の歴史を堪能し︑開華させてきた︒それぞれ. の民族がそれぞれ独特の歳時記をつくったともいえる︒だがこうした歳時記をつくらぬ文化の民族もあることは念. 頭に置かなげればならぬ︒たとえば中近東の砂漠の文化からは︑ほとんど歳時記は生れなかった︒ユダヤ民族はユ. ダヤ暦を︑アラブ・イスラーム圏は回教暦をおのおの用いている︒キリスト教はキリスト教暦を用いている︒砂漢. には歳時記を成立させる自然がない︒ヨーロヅバのキリスト教文化には夏冬の二季しかたいから︑春夏秋冬の四季. 1209.

(3) 53. の変化をもつ東アジアの歳時記は生れなかった︒強いて考えれば︑キリスト教暦による年中行事と民俗からヨーロ. ッバ風の歳時記を構成できたいことはない︒インド文化は宗教的には意義は見逃がすことはできない地帯であるが︑ 乾期と雨期に分ける生活が考えられるだげである︒. 本稿では歳時の習俗とその意義を主として東アジアに限定し︑とくに古代中国と目本とを考察する︒そこに表現. された習俗によって共通性と同時に新しい意味の発見や独自性の保持という問題点に焦点をあててみることにする︒. 昏参中︑且尾中︒ 其日甲乙︑其帝太壌︑ 其神句芒︑其姦鱗︑ 其音角︑律中大族︑ 其数八︑. 月令における四季 孟春之月︑日在営室 其味酸︑其臭綾︑其祀戸︑祭先牌︒. 三春のはじめの月︑正月には太陽と月は二十八宿中の営室の宿にめぐり合う︒営宿はペガサスにあたり︑西北方. に至る︒黄昏より参星︵オリオン︶が南中し︑明け方に尾星︵サソリ座の尻尾にあたる星︶が南中する︒正月に司. る天干は甲乙で︑天帝を春には太嬢といい︑その下で働く神々は句芒という︒春の生物は魚類︵鱗をもつ生物︶︑. 春の楽音は角︑音調は十二律中の大族︑春の数は八︑味は酸︑臭は生臭の壇であり︑家屋にはとくに出入り口の戸 口を祀り︑いけにえには脾臓を用いる︒. ここは五行説を骨子として天文︑暦︑音楽その他を挙げていると伝える︒しかしこの個所は一般的に重要視され ず︑むしろつぎの僧所が歳時記として重要性をもつ︒. 1208.

(4) 東風解凍︑蟄轟始振︑ 魚上汰︑獺祭魚︑ 鴻雁来︑. この春のはじめの正月︑東風が吹きはじめて固く凍りついた氷を解かし︑冬眠のために穴にひそんでいた姦がは. じめて動き出し︑氷底に沈んでいた魚が上にあらわれ︑氷の上にのぽってはねることもある︒冬の魚は油が乗って. 美味であるといわれるが︑冬眠から醒めた獺︵カワオソ︶は魚をとらえてはさかんに食べ︑それを水辺にならべ︑. 恰も天帝に魚を祭っているように見える︒鴻︵オオトリ︶や雁︵カリ︶も南方から飛んで元の古巣のある北へ帰っ てゆくのを見れば︑春の到来の徴侯を告げるものである︒. ここは前文と全くちがい︑生彩があり︑冬終って春来る感覚をよく短い言葉で的確に表現している︒これらは一. 言にしていえば︑古代中国の﹁自然暦﹂である︒前文が一般向きではない天文などによる暦であるとすれば︑これ ウゴ らは人間が感覚で感じ取るきわめて自然な季節感である︒﹁蟄轟始メテ振ク﹂は︑日本の俳句歳時記でも﹁啓蟄﹂ グツ十イ と称して早春の項目にはいっている︒ガマやカエル︑ヘビなどの姿を見かけるからである︒子規は根岸庵を獺祭書. 屋と呼んでいる︒病床に臥せたままで読書慾旺盛な子規は︑書籍雑誌書帖の乱雑な有様をカワオソが魚を捕えたり︑. 食べ散らしたのになぞらえたのである︒秋に北方から南の暖かな地方へ渡った白鳥︑雁のたぐいが再び春になると. 北へ帰る︒このことはよく季節を示すので︑﹁侯雁﹂ともいう︒候鳥にはホトトギスをあてることもある︒いずれ. も季節の到来を告げる鳥である︒宮廷にいる天文方︑暦博士は別とLて︑農耕その他に従事する一般庶民は自変の. おおう厳Lい冬があること︒しかし︑魚や雁の類いが生活に出現する気侯であることを示している︒一口に中国は. ここで注目すべきことは︑この自然暦は大体山東半島にまたがる黄河流域のものである︒厚い氷が河川や湖沼を. 変移の現象を︑自己の五感で感じ︑生活で実感することが重要である︒. 弘. 120フ.

(5) 55. 黄河文化と揚子江文化と二つに分けていわれるが︑むろん黄河文化の方がさきに栄えた︒この礼記の﹁月令﹂は呂. 氏春秋の十二紀をほとんどそのまま用いている︒これらはある特定の政治家︑思想家︑経世家が案出したものでは. なく︑農耕生活を営んできた長い歳月と多くの人々の共通の季節経験として諺となって伝えてきたものの集成であ ろうとおもわれる︒. 是月也︑以立春︑先立春三日︑太史謁︑之天子日︑某日立春︑盛徳在木︑天子乃斉︒立春之目︑天子親帥三. 公・九卿・諸侯・大夫︑以迎春於東郊︑還反賞公卿大夫於朝︑命相布徳和令︑行慶施恵下及兆民︑慶賜遂行︑母 有不当︑乃命太史守典奉法︑司天日月星辰之行︑宿離不貸︑母失経紀以初為常︒. この月のはじめが立春にあたり︑この立春に先立つ三日前に天文暦を掌る学者︵太史︶は︑﹁芙日立春にあたり︑. 天帝の威徳は木の精に宿ります﹂と天子に秦上する︒これを聴いて天子は斉戒をおこなって身心を潔め︑いよいよ. 立春の日にたると天子みずから三公・九卿・諸侯・大夫をしたがえ︑朝廷の東の丘に春となった神をお迎えする︒. そののち宮廷に帰り︑春を迎える祭に励んだ三公・九卿・大夫たちを嘉し︑大臣に命じ︑臣民にたいし恩徳を厚く. して︑諸の禁令を緩やかにし︑賞すべき者を賞し︑賜わる物︑施し物を万民に与えてゆきわたるようにし︑しかも. これが公正であるように注意させる︒かくのごとく立春の祭が終ると︑天子は太史に命じて典礼を守り︑法令法規. を保ち︑日月星辰の運行︑出入︑方位︑時刻などを正確に見ておくように命じ︑年の始めに改めてこれが生活のす べての常則であることを銘記させるのである︒. 1206.

(6) 56. 是月也︑天子乃以元日︑祈穀干上帝︒ 乃択元辰︑天子親載来絹︑措之干参保介之御間︑帥三公・九卿・諸侯・. 大夫︑躬耕帝籍︒天子三推︑三公五推︑ 卿・諸侯九推︒反︑執爵干太寝︑三公・九卿・諸侯︑夫夫皆御︑命日労 酒︒. この月の元日︵吉日︶に天子は上帝に穀物の豊作を祈るまつりを取りおこなう︒そのあとの佳日に天子みずから. 来親︵梨︑鋤︶を馬車に載せて参保介︵君側に供奉する武人︶と御者との間に置き︑公卿・諸侯・夫夫らをひきいて. 帝籍︵上帝に供える米をつくる田︶に赴き︑みずから農耕耕作の儀礼をおこなう︒天子は三度︑三公は五度︑九. 卿・諸侯は九度︑この来紹を捷して梨く動作をなす︒この儀礼の場所から天子の座所太寝に帰り︑儀礼が目出度く. 済んだことを喜び︑杯︵爵︶をとって三公・九卿・諸侯・大夫はこの宴につらなる︒これを労酒すなわちねぎらい の酒というのである︒. 是月也︑天気下降︑地気上騰︑天地和同︑草木萌動︒壬命︑ 布農事︑命田舎東郊︑ 皆脩封彊︑ 審端径術︑善相. 丘陵︑阪険原螺︑土地所宜︑五穀所殖︑以教道民︑必躬親之︒ 田事既筋︑先定準直︒ 農乃不惑︒. この新しい年の月には︑天の気の陽と地の気の陰が上昇︑下降して天地和合するので︑草木は芽生えはじめる︒. 天子は農事を開始せよとのおふれを出し︑田︵田ノ司︑農業指導の役人︶に命じ︑この司自身が東郊に宿って農民. たちに命じて田の境界を互いに確かめた上で径︵小道畦︶術︵溝︶を修理させる︒また土地の高低乾湿の状態をよ. く視察し︑五穀を植えるに適している場所をそれぞれ見定め︑農民を教導する︒この場合︑田司はかならず自已自. 1205.

(7) 57. 身で範を示せば︑農民は惑うことなく働くことができるのである︒. 是月也︑命楽正入学習舞︒乃脩祭典命祀山林川沢︑ 犠牲母用牝︒禁止伐木︑ 母覆巣︑母殺弦姦・胎夫・飛鳥︑. 母慶︑母卵︑母聚大衆︑母置城郭︑掩賂埋鶴︒. この正月には天子は音楽正︵学間︑音楽︑舞踊を司る長︶に命じて舞楽をえらばれた人々に学ばせ︑太史儀奥を. 掌る官人に祭祀の典礼が乱れぬようによく調査させる︒山林川沢の神々を祀るのに︑牝を犠牲に用いないように注. 意させる︒また木もこれから成長しようとする季節であるから伐ることを禁じ︑鳥の巣を取り壊したり︑幼虫や孕. み子や生れたばかりのけものの子︑飛ぶことを覚えたばかりの鳥など︵接轟︑胎夫︑飛鳥︶を殺すことなく︑幼獣. ︵慶︶を掩獲せず︑鳥の卵をとることなく︑またこの正月に民衆を召集して︑城郭の工事をせぬようにし︑死者の 亡骸が±から露出していたときには︑土をかけ骨や肉が出たいようにする︒. 是月也︑不可以称兵︑ 称兵必天狭︒兵戎不起︑ 不可従我始︒母変天之道︑ 母絶地之理︑母乱人之紀︒. ワザ亨イ 正月に兵を挙げるようなことはしてはならぬ︒これをあえて行えぼ︑必ず天の狭をうけるであろう︒他国より侵. 略をうげる場合は止むを得ぬとしても︑こちらから軍をおこして戦いをしかけてはならない︒天の道地の理を変え ノ︐ たり絶してはならぬ︒人の歩むべき紀にそむいてはならない︒. 1204.

(8) 58. 孟春行夏令︑則雨水不時︑草木蚤落︑国蒔有恐︒ 行秋令︑則共民大疫︑ 泰風︑暴雨総至︑ 黎秀︑鴛菖拉興︒行 冬令︑則水療為敗︑雪霜大撃︑首種不入︒. もし春の時節のときに︑夏発すべき布告を発したりすれば︑春にふさわしくない雨が降り︑草木の芽や葉が凋落. ヒヨウ. レイ. 呈ウ. 十ウユウ. する︒そのために国家に危険をひきおこすことがある︒またこの孟春に秋に行うぺきおふれを出すならば︑民の問. に疫病が大いにはびこり︑暴風︵泰風︶暴雨が襲うことになり︑あかざ︵黎︶︑ははぐさ︵蕃︶︑よもぎ︵蓬菩同︶い. っせいにひろがって耕作を妨げる︒また冬令をおこなえぱ︑大雨が降って水たまり︵水療︶が畠土を駄目にし︑時. ならぬ雪や霜が降って作物を害い︑春になって蒔いた穀物は実らなくなるだろう︒. 仲春之月︑日在杢︒昏孤中︑且建星中︒ 共日甲乙︑共帝太線︑ 共神句芒︑共姦鱗︑ 共音角︑律中爽鐘︑ 共数八︑ 其味酸︑共臭壇︑其祀戸︑祭先膵︒. 伸春︵二月︶の月には︑日辰は杢︵アンドロメグ︶のあたりに位置する︒夕方には東井︵ふたご座︶が南中し︑. 明け方にぼ射手座が南中する︒このあとの叙述は最初の﹁孟春之月﹂と同じ︒律は十二ヶ月に十二律を配したもの である︒この伸春の律は爽鐘である︒. 始雨水︑桃始華︑ 倉庚鳴︑鷹化為鳩︒. 1203.

(9) 59. 二月になると始めて雨が降ることが多くなり︑大地も潤いをもつ︒桃の花が咲きはじめ︑倉庚︵ウグイス︶が鳴. き︑鷹は鳩にかわるという︒﹁鷹化為鳩﹂は︑冬の間︑鋭い鷹の姿が目立つが︑春にたると鳩の姿を多く見るよう. になり︑その暗き声も聞くことが多いという意である︒中国では﹁化﹂ということはしばLば用いる重要な思惟方. 法である︒ここは礼記成立時点での民間の俗信をとり入れ︑民衆に覚えやすくしていることはいうまでもない︒. 天子屠青陽太廟︑乗鷲路︑ 駕倉竜︑載青族︑ 衣青衣︑服倉玉︑ 食麦与羊︒其器疏以達︒. 天子は青陽殿の東室に起居する︒以下は﹁孟春之月﹂の叙述に同じ︒中国ではたとえ煩鎖た繰返しであっても︑ それを嫌わないところがあり︑形式的に均一性を重んずる︒. 是月也︑安崩芽︑ 養幼少︑存諸孤︒択元日︑ 命民杜︒命有司︑省囹圏︑ 去極措︑母璋掠︑ 止獄訟︒. この二月に天子は作物の萌芽を大切に保護し︑動物の仔の育成を心がげ︑民の中の孤児の困窮を救う︒吉日をえ. らんで民に杜の祭をおこなわせる︒役人に命じ︑囹圏の囚人を減らし︑手椥︑足椥をゆるし︑刑死者をさらすこと や鞭打ちなどを一時停止し︑裁判もしばらく中断する︒. キユウトク. 是月也︑玄鳥至︒ 至之目︑以太牢祠干高藻︒ 天子親往︑后妃帥九嬢御︒ 乃礼天子所御︑ 帯以弓鰯︑ 授以弓矢︑ 干高藤之前︒. 1202.

(10) 60. 伸春つばめが南から渡ってくる︒その飛んで来た目に︑南郊において太牢︵牛羊琢︶をもって天帝と子授げの神. 高藤のお祭をする︒天子みずからこの祭に赴き︑后妃︑九嬢がついてゆく︒祭のあと︑かねて天子に侍して娃娠し. ている者に神酒をささげて祝い︑弓袋を身に帯びさせ︑弓矢を授け︑子授げの神に男子の生れることを祈願する︒. ︒. 時恰も春であり︑つばめは渡来して多くの子を増やして帰ってゆく︒そのために子授けの俗信がこのような儀礼の. 基になったかも し れ ぬ ︒ な お 一 考 を 要 す る ︒. 是月也︑目夜分︑ 雷乃発声︑ 始電︒蟄轟威動︑啓戸始出︒先雷三日︑奮木鐸以令兆民目︑ 雷将発声︒有不戒共 容止老︑生子不備︑ 必有凶災︒ 目夜分︑則同度量︑釣衝石︑角斗請︑正権概︒. この月の下旬︑春分︵昼夜平分︶の時が来る︒雷が鳴りはじめ︑雷光が閃めく︒土中の虫がみな姦動しはじめ︑. かくれひそんでいた穴の中から地上に出ようとする︒初雷のある三日前位に︑官人に命じて木鐸をふるって庶民に. 告げさぜる︒﹁まもなく雷鳴がなりひびくであろう︒家の中にいても身を慎み︑行儀をよくし︑神の怒りにふれぬ. ように心がけよ︒そうでなければ︑生れる子は不具となり︑酷い災いにあうだろう﹂と︒この春分の頃︑度量︵も. のさし︑マス︶が皆一致し︑衡と石︵秤りと重り︶に不正なきよう︑斗と粛もみな同じであり︑権と概︵オモリと トカキ︶が公正であるように検査する︒. 是月也︑耕者少舎︑ 乃脩閨扇︑寝廟畢備︑ 母作犬事︑以妨農之事︒. 1201.

(11) 61. この月︑耕作する農民は仕事を少しやめて︑王宮の闘扇︵大小の門扉︶ を修理し︑王宮の寝廟も惨繕して仕上げ る︒このような仕事を行っても︑農事を妨げてはなら改い︒. 是月也︑母甥川沢︑母漉陵池︑母焚山林︒夫子乃猷蒸開汰︑先薦寝廟︒ 上丁︑■命楽正習舞釈菜︒天子乃帥三 公・九卿・諸侯・大夫︑親往視之︒伸丁︑叉命楽正︑入学習楽︒. この二月には︑魚や野獣をとることをみとめるが︑川や沢︑池沼でとりつくすことは禁ずる︒山林に火を放って. 野獣を捕えることは禁ずる︒天子は兼︵小羊︶をいげにえにして司寒の神を祭り︑氷室を開いて祖廟に供える︒上. 句丁の日に楽正に命じて諸生に舞楽を学ばせ︑釈菜の儀礼をおこたわせ︑天子は三公︑九卿︑諸侯︑大夫をしたが. えてみずからこの舞楽による式典をみる︒中句の丁日︑また楽正に命じて︑国学において音楽を習わせる︒釈菜は 芹や水藻を供えて学問上の尊敬すべき先達を祭る祭である︒. 是月也︑祀不用犠牲︑ 用圭壁︑更皮幣︒. この月には︑牛羊のいげにえを祭儀用に用いず︑ 圭壁をもっていけにえに代え︑る︒あるいは皮幣など皮や鳥で代 用することがある︒. 伸春行秋令︑■剣其国大水︑寒気総至︑ 憲戎来征︒行冬令︑ 則陽気不勝︑麦乃不熟︑ 民多相掠︒行夏令︑ 則国乃. 1200..

(12) 62. 大早︑媛気早来︑ 姦螺為害︒. この伸春に秋令を下せば︑国に洪水が出て寒気が襲い︑すきをうかがって外敵が侵入してくる︒ 冬令をおこなえ. ば︑陽気が力を出さず︑麦も熟れず︑民は互いにものを掠め合うようになる︒夏令を実施すれば︑ 国は皐天がつづ. 其数. ︵ウミヘビ座︶が南中し︑ 明げ方に牽牛星が. 日右胃︑ 昏七星中︑且牽牛中︒ 其日甲乙︑箕帝太曝︑ 其神句芒︑其轟鱗︑ 其音角︑律中姑洗︑. き︑暖気が早く来たために︑螺虫がはびこり害をなす︒. 季春之月︑ 八︑其味酸︑ 其臭鍾︑ 其祀戸︑祭先脾︒. 季春︵三月︶には︑ 太陽は胃︵オヒツジ座︶に当たる︒夕方に七星. ︵ムグラ︶が駕 ︵ウズラ叉はフナシウズラ︶ に化するといい伝える︒. 南中する︒以下前月︑ 前々月に同じ︒十二律は姑洗の律にあたる︒. 桐始華︑田鼠化為如駕︑ 虻始見︑拝始生︒. この季春になると︑桐が咲きはじめ︑田鼠 洋︵ウキクサ︶が水辺に生ずるようになる︒. 天子居青陽右介︑ 乗鷲路︑駕倉竜︑ 載青族︑衣青衣︑ 服倉玉︑食麦与羊︒ 其器疏以達︒是月也︑ 天子乃薦鞠衣. I199.

(13) 63. 干先帝︒命舟牧覆舟︒ 五覆五反︑乃告舟備具干天子焉︒ 天子始乗舟︑薦鮪干寝廟︑ 乃為麦祈実︒. この月には天子は青陽殿の南の宮室に起する︒以下は前月︑前々月の叙述と同じである︒この月天子は鞠衣︵黄. 衣︶を先帝︵土帝︶に供え︑蚕の成長を祈る︒また舟牧︵舟を掌る官人︶に命じて︑天子の用船を裏返Lてよく検. 査させる︒五たび裏返し︑五たび元に戻し入念にしらべた上で船がととのった旨を奏上する︒天子ははじめて船に イ 乗り︑漁によって得た魚︵鮪︶を祖廟に供え︑麦の実りを祈る︒鮪はシビ︑マグロと解する学老もいるが︑湖沼河 川に凄む魚とおもわれるので後考に待ちたい︒. 是月也︑生気方盛︑陽気発泄︑句者畢出︑萌老尽達︑不可以内︒天子布徳行恵︑命有司︑発倉稟賜貧窮︑振乏. 絶︑開府庫出幣自巾︑周天下︒勉諸侯︑聰名士︑礼賢者︒是月也︑命司空日︑時雨将降︑下水上騰︒循行国邑︑周. 現原野︑脩利陽防︑道達溝漬︑開通遣路︑母有障塞︑田猟買禾︑羅網畢騒︑鍾獣之薬母出九門︒. この季春には万物を生成させる生気が盛んで︑陽気が発散して︑土中に屈んでいた虫も這い出し︑草木の芽が一. 斉に萌えて内にとどまるものはない程である︒天子は徳を布き恵みを施し︑司人に命じて国の庫をひらいて困窮者. に与え︑民に不足の品を補い︑衣料が国中にゆきわたるようにさせる︒諸侯にすすめて智者賢考を礼遇して︑教え. を請わしめる︒この日に司令︵建設土木︶の役人に命じて日く︑﹁雨の時節︑川の下流が逆流も洪水のおそれ放き. や︑都邑原野を巡視させて堤防の修理︑大小の溝のはげ具合をよくし︑道路交通に支障ないように︑狩猟の網︵買. 禾︑羅網︶や畢︵タモ︶騒︵狩猟のための外衣︶獣を殺すための毒薬などは諸侯の都の門の外に出さぬように﹂と. 1198.

(14) 64. 布告する︒. 是月也︑命野虞母伐桑柘︒鳴鳩払其羽︑戴勝降干桑︒具曲植蓬筥︒后妃斎戒︑親東郷窮桑︑禁婦女母観︑省婦. 使以勧蚕事︒蚕事既登︑分繭称練効功︑以共郊廟之服︑母有敢惰︒是月也︑命工師︑令百工︑審五庫之量︑金 鉄・皮革筋・角歯・羽箭幹・脂膠・丹漆︑母惇干時︑母或作為淫功︑以蕩上心︒. この月︑天子は野虞︵山林官︶に命じて桑柘︵ヤマグワ︶たどを伐採せぬよう注意する︒鳴鳩が活躍しはばたき. はじめ︑戴勝︵カヅコウ︶が桑にとまりにくる︒係の官人は曲植︵カイコの籠とその棚︶や籔筥︵桑摘籠︶などを. そろえ︑后妃たちは身を潔斎して東方︵春を迎える儀礼︶に向い桑摘みをおこなう︒后妃たちは宮中の女性を戒め︑. しばらくの問は容姿飾りなどのことを気にもとめず︑日常の仕事を省いて養蚕につとめるように諭す︒養蚕の仕事. が終り︑繭を裂いて糸をつむぎ︑織り上げた布常を后妃のもとに差し出されると︑郊や廟の祭礼としてこれを仕立. てる︒女官たちはしばしも怠けることはない︒この月には工師︵工具の長︶に命じて五庫にしまってある品々の数. 量をしらべ︑金鉄・皮・革・筋・角歯・羽・箭幹・脂・膠・丹・漆などをよくしらべ︑不良不備のないようにさせ. る︒また百工のそれぞれの仕事にたいし︑﹁時侯天侯に逆らわぬように︑技巧に凝りすぎず不正の器具を作ったり︑. 心を蕩かすような物をつくろうと企ててはならぬ﹂と目友戒める︒. 是月之末︑撰吉日︑大合楽︒天子乃帥三公・九卿・諸侯・大夫︑親往視之︒是月也︑乃合累牛・騰馬︑ 遊牝干. 牧︒犠牲駒憤︑挙書其数︒命国難九門︑礫撰以畢春気︒季春行冬令︑則寒気時発︑草木皆粛︑国有大恐︒ 行夏令︑. 1197.

(15) 65. 則民多疾疫︑時雨不降︑ 山陵不収︒行秋令︑ 則天多沈陰︑淫雨蚤降︑ 兵革鼓起︒. この季春の月の末の頃︑吉目をえらんで舞楽の会をもよおす︒天子は三公・九卿・諸侯・大夫をひきいて親しく. これに臨席する︒この月にはつなぎ合せた累牛や跳ねおどる元気な騰馬などを牧に放って交尾させる︒犠牲のため ナ の小馬牛の数をよく調べる︒都の官人に命じて︑都城の九門において難︵追灘ノコト︶の行事をおこない︑悪鬼を. 追い払わせ︑また礫撰といって牲を裂いて四方の神を祀り︑邪気をはらい︑春気がとどこおりなくその力を完うす. るように配慮する︒この季春の月に冬令を命ずれぱ︑寒気がかえってきて草木が凋み︑国に大難が起る︒夏令が下. れぱ悪疫が流行し︑降るべき雨も降らず︑山野の草木はそこなわれる︒秋令をおこなえぼ︑天の陰気や雲のわだか. まりの沈陰が多くなり︑長雨が早くやって来て︑兵乱があちこちに起るであろう︒. 以上煩鎖をいとわず﹁月令﹂の春三月の全文を挙げたのは︑礼記がどのような構造をもち︑いかなる思惟方法に. 基づいてその歳時を展開しているかを知らんがためである︒ここでは事細かな字句の注釈の問題よりは︑大意にお いて把握される全体的な古代中国の自然像が主眼である︒. まずこの﹁月令﹂の構造を見ると︑第一に天文︵星辰・日月の運行変化を察すること︶暦によって天意を知るこ. とが天子の役目であること︑第二には天文暦方は隈られた専門家にしか知られないが︑自然の中に現れる季節気象. その他によって一般に天意を察知する︒第三には天子はこの天意をうげて国家の生活をいとなむが︑この天の道自. 然の理に合致順応する人間の取るべき行為の典型を示し︑また庶民に時節の到来を告知し︑農事の細目をも布告す. る︒このような三つの領域の関係と対応がやや形式的過ぎ︑煩雑と思うまでに繰返し四季に応じて叙述されている. I工96.

(16) 66. のが﹁月令﹂である︒. とくに春の季節であるのに春にふさわしくない対応として春以外の夏令︑秋令︑冬令を以てすれば災いがおこる. ことを極力戒めていることを見ても明らかである︒﹁春ヲ東郊二迎フ﹂とあるが︑上帝は春という気象をとってあ. るいは上帝の分身たる春を地上に降したのを︑天子は敬々しく迎えて祀り︑天子自らがすべての人々の代表者とし. て鋤を梨いて農事の開始とし︑その恵みを願うのである︒この﹁月令﹂は中国の歴代の王朝はひとしく重んじたも. ので︑極端にいえば王朝の交代はあっても礼記は不変の生活の基礎として存続してきたといってよい︒日本の歳時. 記︵ここでは俳句歳時記を含めて︶でとくに親しまれるのは朝廷の諸儀式や政治向きのことではなく︑自然暦とも カロオソ. いうべき自然にあらわれる季節の変化の指示である︒. 芭蕉. たとえば﹁獺魚ヲ祭ル﹂ということは︑獺祭という言葉となり︑俳旬の季語になっている︒. 獺の祭見て来よ瀬田のおく. 獺が魚をとって祭るという故事を芭蕉は厳粛な天地の造化の現れとして感取している︒春を瀬田川の奥にまで訪. ねていって見て来よと弟子に命じた︒風雅の世界が展ける道がそこにあったのである︒. ヒキ. 啓蟄の嚢鳴き雨も音にいづ. 冬眠からさめて穴を這い出た纂がようやく力を得てキ富キヨと鳴き︑折からLずかな雨も音を立てて降るように. 1195.

(17) 67. なった意である︒啓蟄も季語となっているが︑仲春の自然暦の中に︑﹁蟄姦感動啓戸始出﹂に由来する︒このよう. な自然におげる季節の変化の現れは︑たんに後の時代の芸術的興味だけではなく︑むしろ農耕生活をいとなむ上で もっと真剣な生活上の関心事であった︒. さきにあげたように春の季節に夏令︑秋令をおこなえば変事があるが︑これは政事の天道に副わぬ倫理的態度の. 結果である︒ところが︑自然︵現象としてはつぎの場合も生活の中で変事への予兆とみるのである︒たとえば︑目. 本の先代﹁旧事本紀﹂につぎのごとくのべている︒﹁魚不上水︑臣下更政﹂﹁獺不祭魚邑多盗賊﹂︑﹁鴻雁不北︑遠人. 不伏﹂︵礼網本紀上巻下︑年事第五︶︒これはその一部をあげたのである︒魚が氷を破ってあるいは氷の破れ目から. 躍り出して泳ぐのは︑春の訪れの明確なしるしなのであるが︑反対にもしこのしるしを見なければノーマルな年で. はたいことになる︒特に一年の最初のこのようなしるしに庶民の関心は強かったにちがいない︒獺が魚を祭らねば︑. 各地に盗賊が多いとか︑鴻雁が北へ帰ってゆかないのは︑辺境の部族が従わぬためであるとか︑自然現象を直接政. 治に結びつけるのは︑事実認識として現代の思考ではそのまま受げ入れがたいかもしれない︒しかし事実認識でな. く人間の倫理的責任という観点からみれば︑自然現象の異常の中に何らかの変事を汲みとり︑それに対処しようと. する態度はやはり現代でも考慮すべきことであろう︒雁が北地へ帰らぬのを見て︑まだ蝦夷の婚据している奥州で. の治安を思うのは奈良・平安朝時代の為政老の感覚ともいえるかもしれぬ︒その他に﹁桃花不笑︑倉庫虚耗﹂︑﹁雷. 声不発︑王命不行﹂︑﹁桐枝不花︑陰陽失明﹂︑﹁雲雀不鳴︑民多妖言﹂︑雲雀が例年とちがって鳴かぬは︑民が低言. に惑わされているしるしと見ている︒むろん変事の徴侯としてこれらをみるのが目的ではない︒本来春の到来の過. りなき証拠として迎え︑共に体験し合い︑これを喜ぶのが原則であることはいうまでもない︒. 1194.

(18) 68. 二. 自. 然. 暦. ﹁月令﹂を待つまでもなく︑日本でも古くから日本の山河大地︑天文気象を自然暦として各地において自然現象. におげる特異の現象がよく観察され︑いい伝えられた︒これは庶民の生活の智慧とも呼ぶべきものであって︑貴ぱ れていることはいうまでもない︒その二︑三の例をあげてみる︒. 駒ケ獄に雪が 降 っ た ら 雁 が 来 る ︒. この駒ケ嶽は陸前仙北郡の駒ケ嶽で栗駒ケ嶽ともいう︒. 柿の豊年には渡り鳥が多い︒. ワクドが水に入っとるけん温くなる︒. 肥後地方ではひきがえるのことをワクドという︒. ﹁田打桜﹂﹁田植桜﹂﹁種蒔桜﹂﹁麻蒔桜﹂と桜の開花を一つの目標にして農事をはじめるのが各地の農村のしき. たりであった︒桜は文学や芸術で観照される以前にまずこのような春の生活へのしるしであったことを忘れてはな らない︒. ﹁コブシが咲くと籾蒔をせねばならぬ﹂というのは︑各地でいい伝えられており︑﹁コブシの花が多い年は豊年. 1193.

(19) 69. であるLという予兆のような諺も多い︒﹁雪白水が海に入ると白鳥が去る﹂︒これは青森県小湊附近の諺で︑雪解け. になると︑越冬の白鳥が北へ帰るのをいう︒熊本県地方では蝦墓のことをワクドといい︑﹁ワクドが水に入っとる けん温くなる﹂という︒啓蟄の一例である︒. ﹁橡の葉が早く出ると最早晩霜が来ない﹂︒陸中地方の伝承︒ケヤキの芽吹きによって寒暖を見定める風習があ アナ ったらしい︒﹁山も檸の若芽が緑くたったら種を下ろせ﹂︒山形県西村山郡地方︒ブナは雪消えとともに早く芽出し. をする︒このように山の樹木や開花によって籾下し︑種蒔きの実例はたくさんあり︑重要なことでもあるので観察. も細かい︒﹁桐の花の咲く頃に豆を蒔け﹂︒﹁柿の若葉が夏大豆を三粒戴せる得る頃︑その種蒔き時である﹂︒﹁ツツ. ドリが鳴き出したから粟を蒔げ︒カッコウが鳴くから豆を蒔け﹂︒これも各地に伝えられているもので︑地方によ. ってはツツドリをトツトともいう︒これらの鳥は侯鳥といって季節を報らせる鳥で玄鳥や雁も同じである︒カッコ. ーのことをコ旦蒔鳥﹂ともいい︑山口県萩地方では﹁ガッポウ﹂と呼ぶ︒ガヅポウが渡来してくる頃筍が出るので︑. 筍のことや真菰の新芽もガヅポウといい︑季を一つにしたものを同一名で呼んでいる好適の実例である︒. ﹁栗の花盛りに田植﹂︑﹁田植白鷺﹂これらは栗の花と田植の農事の季感が一つになっていること︑白鷺がその頃. 目立つのであるが︑こういったことは俳句の取り合せともなる︒これらは俳句より短く︑しかも自然の新鮮な感覚 が生々としている︒このような感覚が俳句を詠む原動力となっている︒. 田戻りの寄る泉あり夕辛夷 ひろし. コプノ. 田の作業を終えて帰り途鍬や鋤などを洗う泉のところに立ちよる︒ そのかたわらにひっそり辛夷が白く咲いてい. 1192.

(20) 70. るという句である︒こぶしが豊作のしるしであるという諺や俗信は別として農耕をいとなむ人間と春の辛夷とのひ. 芭蕉. そかなそして深い関わり方がしずかに詠み出されている︒. 山吹や宇治の焙炉の匂ふころ. 宇治の新茶の焙炉の匂い︑折しも山吹の花の咲いている風槍︑この二つが旅にいる作者の心に新鮮なものを湧き 上らせるのである︒. 雁来紅は雁の来るときなほ赤し 右同. 秋も深まる頃雁が北の方から渡ってくる︑この頃鶏頭花はなお一層燃えるような赤さで咲きつづげている︒嘱目. のものでありながら︑自然に透入しているので人間の精神そのものを象徴することにもなる︒. ガラッパ草が咲くと河童が渡る. ガラッバ草はドクダミの方言で︑この草が白い十字の花をつける頃︑小雨のふる夜陰︑河童が暗いて河や沼にわ. たってくる︒この曜声はアオアシシギ︑キアシシギのチヤウチヤウという声でこれを河童の声としたのであるが︑. 水の精である河童の訪れによって春乃至は夏の季節の推移を感じたところに意味がある︒河童の伝説︑その特質に. 工191.

(21) 71. ついては論ずべきことは多いが︑これも季節を告げる象徴的た意味があった︒. ウソ 雪が深い年には鷺が多く来る. これは金沢方面の僅諺で︑その年の寒さ雪の多少を予知してか︑ウソドリが里に下り鳥の姿を見る︒冬季全体で. なく︑二︑三日の雪のために里へ来ることもある︒この場合は桜などの芽を餌にすることは筆者もしばしば実際に 見聞したことがある︒. 天の川が頭の 上 に 来 り ゃ 新 米 が 食 え る. この僅諺は紀伊西牟婁郡万呂附近といわれる︒銀河が北東から南西に流れる頃︑新米が出る時期となるから︑米. 作りに辛書した農民にとって素朴な実感としての秋が把握されているといえよう︒. 雪に関する自然の諺も数多く種類も変化がある︒まず﹁雪起し﹂といえぼ︑日本海側で︑黒い雲と怒濤をともな. って雷鳴がとどろく︒これは降雪を予告するものであるが︑降雪のさ中に雷鳴がする場合もある︒﹁飯豊山に来た. 三度目の雪は里にも来る﹂という諺は︑飯豊山を朝夕に見ている人々の生活の中で感じ取られたものであり︑﹁ツ. グ︑ミが去ったら雪が降る﹂とか︑﹁︑ミソサザイが出て来ると寒くなり大雪になる﹂も同じである︒﹁雪水が出れば豊. 年﹂ば︑雪融げのための思わぬ出水をいうのであるが︑かえってこれを豊作のしるしとして喜ぶ地方もある︒. ﹁櫟の葉が栗毛色になったら小麦を蒔け﹂﹁麦蒔烏﹂︒これらは秋季の麦まきの時期についての諺である︒麦蒔烏. 1190.

(22) 72. とは晩秋群をなしてやってくる︑ミヤマガラスであるといわれる︒以上ここにあげたのは︑中国の自然暦ではなく︑. 日本の各地に伝わるもののごく一部をここに取り上げてみた︒これによってみても︑文学や芸術にならない以前の. 日本人の自然にたいする心の向け方は繊細で情緒深いものであることが知られる︒たとえ︑科学的な定則とならな. いまでも︑日本人の自然の呼吸や音色をきき分ける優れた素質がうかがわれるのである︒しかし自然暦の間題につ. 旧事本紀におげる年間行事. いては︑ここでは主題ではたいので再び儀式︑習俗の問題に立ち戻ることにしたい︒. 三. 大和朝廷においても年問さまざまの儀式︑行事がおこなわれ︑時代によりその相異があり︑記録する文書にもニ. ュアンスその他の変化は見られるとおもわれる︒年間習俗の特質を明らかにするために︑これをえらんだのであり︑. 古代中国の礼記と比較考量するためでもある︒朝廷の儀式について今回は一般に大成経と乎ばれる先代旧事本紀の. 礼網本紀を一つの例証としてここで取り上げることにLた︒他の例証との異同についてはこの際考慮していない︒ 日本の年間の習俗の本質を知るのが目的だからである︒. 正月一日の寅ノ刻︵午前四時︶︑天皇は物部ノ大連︑ト部︑連公︑忌部大夫をしたがえ︑東大殿の東階の御に出 一一. 一一ギ. 御され︑三所に尊御座を立て白木の高机を供え︑餅米︑麦神酒等を︑東に向ってそなえ︑﹁日ノ天照大神︑月ノ豊. 受大神︑星ノ亜饒大神︑本命元辰当年ノ属星︑天帝地后︑宗廟山陵﹂を拝まれる︒東拝は皇祖の大神で宝酢の長か カシ^デノカ⁝. ⁝. キノカ⁝. らんことを祝い︑南拝は天帝地后︑天下泰平ならんことを祈り︑頑拝は宗杜国杜に年月の災なきよう払いをなし︑. 北拝は命星︑属星玉躰の鎮りを賀する︒春装をまとった司膳頭︑司酒頭が赤白餅︑清濁の辛酒︑甘酒の初酒を奉ず る︒. 1189.

(23) 73. 壬ノ守市ンノカ⁝. ナトノノカサ 辰の時刻︑天皇は大正殿に出御され︑大臣は殿上に立て開門を命じ︑司音頭が鼓をうたせ︑諸臣参列して内に入. モノノ^ノカ⁝. 7メノミ=トノ堀⁝. る︒昇殿を許された老は上階へ︑他は庭に立つ︒奏楽のうちに礼拝をおこなう︒司奏頭が前年の嘉事美瑞の賀を奏 し︑武頭が万歳旗を震う︒. この新年正月に天文暦学を司る﹁天文頭﹂は天皇に新暦を奉ることになっている︒. 昔橿原宮朝甘真道大神与天皇議之定正月︑考閏日序十有二月立二十四節︑ 頃百斎王貢暦学博士以貢暦合本暦補. 吾闘正貢差而行之是万機之本也︑是以天皇崇天政而正皇政帰無私菰任貞公︑ 百司守天時而忠奉事知不妄而致敬誠︑. 政事得節農桑所拠咳以依之︑故臣故謹奉之︑君故恭聞之. これによると正暦としてすでに十二ヶ月二十四節や閨月をも勘案された暦があった︒百斎から献上した暦を貢暦. といい︑これをもって正暦を補正したといわれる︒とにかく年月を定めることは﹁万機ノ本﹂であることはいうま. でもない︒天皇は天政を崇び︑﹁私無キニ帰シ﹂︑百官モ﹁天時ヲ守リ﹂︑﹁節ヲ得テ農桑拠ル所皆以之レニ依ル﹂と. ⁝ノノソカ﹄ノカ⁝. ある︒おそらくこれは暦についての秦上文を採ったものとおもわれる︒. 司使頭は毎夏毎冬水や氷の様子を奏上することになっている︒ある年のこと︑にわかに冬十二月雪があつく降 7ク ヨ った︒天皇は雪の状態を見て左右の者に日く﹁雪封甚シキ哉︑麦ハ雪ノ下二肥工︑土ハ雪ノ汁二膏︑民山豆苦シマン. 乎﹂と︒大雪を見て喜ぼれたのである︒大雪が降ると豊年であると自然暦も伝えている︒雪によって農作物を荒す. 野ネズミ・カヤネズミ︑その他害虫も死滅するといわれている︒またある年のこと︑十二月大和河内に厚氷が張っ アツク た︒天皇は氷の厚さを御覧になり︑左右に侍る老に告げて日く︑﹁氷擾封ズルトキハ・則チ陽コモリテ散セズ︑之. l188.

(24) 雁. 目 二依リ︑土克ク実工︑殻虚シカラズ︑豊年明ケシ︒之二依リテ氷ノ様ヲ為シテ吉ナルトキハ愈︑慎︑︑︑テ賀ヲ天ツ神. 二郎シ︑凶ナルトキハ則チ罪ヲ謝シテ天ツ神二請イ祈ムLと︒古代目本において氷雪の状態を精密に知ることは︑. その年の豊凶をはかることであった︒そLて天意をつつLんで享け︑もし凶なれば不徳の結果として罪を謝すると いう厳粛なる態度が伺われる︒. 豊宴が大南殿でもよおされる︒しかL当面の主題ではないので略す︒. 立春の目に天皇大東殿に幸し︑この宮に茅莚を三重に懸け︑机案を三つ立てこれに青蹟︑青餅︑五食五飲五賛五. 燈五幣を供え︑木帝星︑亜饒大神を祭る︒ト部連公︑忌部臣公もこの祭に奉助する︒開拓に功績のあった東国の国. オタラン. 司︑国造地頭に禄を賜う︒二日の皇大后︑皇太子との幸朝︑拝朝は不必要であるのでここでは略す︒ オソ貞カラモチノカ⁝. ナソタ土ラカン︐サフラ7. 立春後の三日︑天皇は御田殿においでにたり︑﹁農方﹂を行われる︒ 司民頭が男足を奉り︑﹁天皇︑︑︑ヅカラ﹂鋤. ス中カ ン. オ中カ.︷. ︑.・スキ. の柄をとり︑慎み察してこれを大臣にあたえ︑大臣は男足をいただき︑鋤の柄をとり﹁御宝賢侯﹂と奏して大連. ^ジ. ・⁝. スキ. と一しょに起きて田に下り︑錘反の勅をまつ︒やがて天皇ば司民頭を召して﹁大神ノ御紹奉ツレ﹂と仰せられ︑司. 民頭は包親を大連に奉り︑大連は大臣にむかって︑﹁天皇ノ御親コソ﹂といい︑大臣は大連にむかい︑﹁一ノ御親大 神ニコソ﹂といい︑大連が錘を一推し大臣が三推する︒. 天皇住信而恭正︑ 両公住敬而儀正則紹正而不側︑豊年瑞見鼓︑ 是所以一人之行挨万兆之事︑人倫之礼感天政之. 状也云之天皇重事. i工87.

(25) 75. ヨソナヒ 天皇は﹁信二住シテ天ツ神﹂に向って恭Lく正しく︑大臣大連は﹁敬二住シテ儀正シケレバ﹂籍は正しい位置に. あり︑その鋤く動作の儀式も端正である︒ここに豊年の瑞兆︵LるL︶を見る︒一人の行為が万兆の行為を象徴す ≡ソヲ功ノ. る︒人間の敬崖な行為に天の意志を感取する︒これを﹁天皇ノ重事﹂重大な行事という︒. これにたいし︑司機命婦は蚕種の葉とホトトギスの羽根を皇后に奉り︑皇后は之を敢って議子に置き︑三度天を︑ ≡=ト ニ度地を拝み︑うやうやしく種葉とホトトギスの羽根をとり︑天に向って﹁天ノ命畏ル︑悦ビテ天皇ノオソタメニ. 御衣ノ事ヲナス︑蚕ニサカシカレ﹂と三度唱え掃き︑さらに地に向っては﹁万兆ヲ温メンガ為メ︑御衣事ス︑蚕サ. カシカレ﹂と唱えながら掃き二度撹いをなして︑命婦におさげする︒諸妃采女らも皆この儀式をおこなう︒これを. ﹁皇后ノ重事﹂と呼んでいる︒万兆は多くの民が身を温かに保つように衣をつくることをねがう意である︒. 天皇が農耕の鉗を︑皇后が養蚕にはげむことを身をもって示され︑これを重事としているのは︑水田農耕と蚕事. が庶民の生活の基本だからである︒礼記﹁月令﹂と比べて共通性を持ちながら︑同時にさらに一層精神化されてい ることは一々指摘する必要もなかろう︒. 四日︑八神殿に行幸して﹁物部大連︑忌都臣公︑ト部公ヲヒキイテ八宗大神︑二千余神﹂を祭る︒. 七日︑公卿野遊の七草を摘み︑菜粥をつくり︑北斗七神を祭り︑万民の平安を祈る︒ 十三日︑八神殿に春祭がもよおされる︒. 十五日︑旧年の五殻で雑粥をつくり︑豊食大神︑御食保大神︑稚皇産霊大神を祭る︒この大神たちは﹁天地在リ テ桑穀ヲ司ドリ国土ヲ養フ﹂神々である︒. 二十四︑二十五日︑弓場殿で射礼がおこなわれる︒. 三十目︑忌部の長老が一年がかりで麻でつくった身の代を奉り災禍に対する祓いを行う︒. 1186.

(26) 76. 伸春二月三日︑天皇は斉使の臣に命じて五瀬︑三輸︑住吉︑石上︑菟狭︑熱田︑広田︑射駒の各神杜に幣をささ げ︑豊年饒民を祈願する︒. 二月五日︑﹁異国ノ文神ヲ祭ル﹂とある︒異国として国名を特定していないが︑中国の聖人などではないかとお. フ⁝. ヒジコ. もわれる︒百斎から貢がれた﹁経史其ノ文字理アリ︑用ウベキニタエタリ︒ソレニヨリ天皇詔シテ吾塗言二合ウノ. 字ハ彼ノ音ヲ棄テ︑吾ガ音ニツクリ︑吾ガ史ノ字ト為セ︒叉彼ノ国二聖有リ︑経ヲ作リ世二敬フ﹂︒これを用いて. わが国の倫理の道を補うこと︑周公︑孔子︑孟子を祀り︑﹁学ノ崇キヲ表ス﹂︑これを祭るのにわが国では牛鹿のい. げにえを用いない︒﹁是レ吾国ノ礼ナリ︑周孔等ガ若シ生キテ吾ガ朝二入ラバ︑当二必ズ吾ガ礼二随ハン︒是礼万. 国大方二通ジ︑小方ヲ別ツノ理ナリ︒神何ゾ煩ハシク彼ノ礼ヲ以テ吾ガ礼二背ソヤ﹂と自信をもって断言している︒. 文字の取り入れ方︑その用法︑儒学の摂取の仕方に自已の独自の見解を披掻しているところに古代日本における文 化形成の態度がうかがえよう︒ ≡ ヤ ケ. 十一目︑天皇正安殿に三公九卿を召し︑﹁農耕ノ宜旨ヲ下シタマフ﹂︒いよいよ本格的な農耕の開始である︒しか. し貧しい人々で耕稼の資のない者には宮倉をひらいて米粟を支給し︑田畠を耕やさせる︒諸国の国司に命じて天皇 の宮倉に貯えておいた米粟を与える︒. 三月三日︑草餅を三輸大神︑八神殿及び三神器に奉ずる︒. 天皇司山頭に命じて北峯に壇を築き︑七七束の薪を積み七箇所に天に捧げる火を焚いて北斗の七神に奉献する︒ フザ^ヒ ﹁天皇内二在リテ斉戒シ︑北面シテ再拝シ︑敬ヲ致シ信ヲ格シ︑過ナク罪ナク年ヲ持センコトヲ願フ︒殊ヲ免レ安. キニ止マツテ時ヲ持セソコトヲコヒネガイ給フ﹂︒このあとに天皇はみずから祭を行って敬信をつくしてのち︑﹁天. ヲ恐レ遇ヲ恐ルトキハ則チ臣民モ悉ク天ヲ恐レ遇ヲ恐レテ天皇ノ化二帰ス︑是祭祠ハ敬信ノ基在ツテ道ヲ成ス所以. 1185.

(27) 77. 也﹂と緒んでいる︒. 土用の目︑天皇東南殿に出られる︒三重茅莚を布き︑竜鳳黄錦の帳をかけ︑五つの案を置き︑粟鎮粟餅︑五食五. 欽五蟄五燈五幣を供え︑大已貴大神を祭り︑五穀万物の実りを賀する︒以上ここにすべてを挙げたのではないが︑. 春三月の問におこなわれる朝廷の祭りの概略をのべてみた︒むろん︑礼記の月令と比較考量すべき事柄ではない︒. 時代もちがい︑行事にたいする価値感がちがっているからである︒もっとも﹁月令﹂の叙述の形式的表現︑月ごと. に同一の事柄を倦くこともなく反覆している性格は︑他に類を見ない中国的な粘着力とでもいうべきものであるか もしれない︒. ただここで一つだげ比較してみたい︒それは早春の農耕開始の儀礼について﹁月令﹂においては︑天子は上帝に. 農作物の豊作を祈り︑帝籍の田におもむいてみずから来親︵スキ︶をもって三度梨き︑三公五度︑九卿︑諸侯は九. 度梨く︒これに比べ︑正月三日御田殿において︑天皇は紹司民頭の奉る鵜をとり︑これを慎しんでよく見︑大臣に スキ 渡し大臣は田に下りる︒やがて﹁大神御親奉マツレ﹂との勅があり︑他方大連をも司民頭から渡された包親もって. 田に下り︑大臣にたいし﹁天皇ノ御耗コソ﹂という︒これにたいして大臣は﹁ハジメノ御親ヲ大神ニコソ﹂とこた. え︑大連が﹁一タビ推シ︑大臣ハ三タビ推ス﹂︒天皇はこれを恭々しく見ておられ︑厳粛な儀礼はおわる︒. ﹁月令﹂の場合︑天にたいし三推五推の儀礼によって農耕のゆるしを求める︒この御田殿においては︑天皇は大. 神の田を先ず梨くようにいわれ︑神は天皇︵ひいては民︶の田を梨くようにと譲り合う︒しかし﹁大神にこそまず. はじめに﹂といって一推︑二推する︒ここに神と人間の和楽する態度が現れている︒神人和楽が日本の祭の特質を なしている︒このことは養蚕についても同じようなことがいえる︒. 1工84.

(28) 禍. 四. ﹁祭﹂. について. 旧事記礼網本紀ではつぎのようにのべている︒﹁祭ハ是礼ノ心ナリ︑大信能ク至誠ヲ発シ︑大崇能ク至敬ヲ発ス﹂︑. ﹁礼ハ時ヲ時ニシ︑法ヲ法トシ︑礼ハ禍ヲ除イテ福ト成ス︑警ヘバ薬ノ病イヲ除キ健ト成シ︑風雨二順ジ寒暑二順. ジ︑登穀ヲ成シ行疫ヲ治ス﹂︒﹁神ハ祭リニヨリテ応工︑祭リハ斎ニヨリテ実ル︑斎ハ礼ニヨリテ成ル︑礼ノ功タル. ヤ︑見マジキヲ見ズ︑聞クマジキヲ聞カズ︑言ウマジキヲ言ハズ︑為スマジキヲ為サズ︑食ベマジキヲ食ベズ︑衣 ⁝ナトトノ 貞. ヨo1ピ. ルマジキヲ衣ズ︑故二身散ラズ︑心散ラズ︑行散ラズ︑法散ラズ︑散ラザルヲ以テ︑成調フ︑調フヲ以テ斎︑︑・成ル︑. 斎成リテ祭二入ルニ任フ﹂︒それゆえ︑祭は倍薔であってはならず︑神に﹁神澗﹂を興すことにあり︑祭に喜びな. いときは祭とはいえないと考える︒神にたいし敬信をつくさず︑法をつくさぬ場合︑礼を失ったことで︑﹁神ハ非. 礼ヲ受ケタマハズ﹂という一語はもっともよく宗教性をいい表しているといえよう︒. 古代日本を祭政一致ということがいわれ︑政治を﹁マツリゴト﹂と訓ませている︒政治を行う前にまず天の道に. したがい︑神を敬う態度︑神の心に調和し︑喜ばれるものであるかを間う意味で祭がおこなわれたのである︒それ. ゆえ﹁信ヲ以テ理ト為シ︑忠ヲ以テ法ト為シ︑心ヲツツシミ︑身ヲツツシム﹂ことが神代の神事であり︑これを政. 治にうつす︒そうとするのが理想である︒朝廷においてすべての根本となる年中行事のさまざまの祭︑儀礼におい. ﹁月令﹂と﹁旧時記﹂は︑ 共通点をもっていることは明らかであ. て﹁敬イヲ尽シ︑法ヲ尽シテ﹂これを取り行ったのである︒. 五 月令における自然暦 すでに比べてみたように︑春三ヶ月における. 1183.

(29) 79. る︒それは巨視的観点からすれば︑黄河と揚子江流域の文化は︑大体において古韓文化︑古代倭文化とともに東ア. ジアの季節風の影響をもつ同一の風土をもつからである︒すなわち︑春夏秋冬の季節がはっきりしており︑大陸性︑. 半島性︑嶋嘆性の相異はあっても共感共鳴する風土と生活が多いといってよい︒その例証をあげれば︑礼記の﹁月. 令﹂に出てくる自然暦などはあまり違和感なく日本の歳時記や俳句歳時記に移しても支障を来さないということで. ある︒それどころか︑それらを一層美的に深め特徴づけてゆくことすら可能であったという点に着目したい︒そこ. で今までのように逐次三春を列挙したようにではなく︑あとの夏秋冬の月令については自然暦とそれに附随する行 事を大瞥して全体の習俗把握の助げとしたい︒. 六 三. 孟夏の月︵四月︶は︑上帝は炎帝と呼ばれ︑神は祝融である︒この月には﹁竣姻鳴︑駈矧出︑王瓜生︑若菜秀﹂. と記している︒嬢蝿︵カワズ︶が鳴き出し︑駈矧︵ミミズ︶が地上にはい出︑王瓜︵カラスウリ︶が芽生え︑若菜. ︵アザ︑︑︑︑ニガナ︶などが目立って成長する︒天子は夏のしるしとして朱衣を召し︑赤玉を服し︑赤族をひるがえ. し︑朱の車に乗り赤馬にひかせる︒この月の上旬に立夏となる︒その三日前に立春と同じように太史が天子に﹁某. 日立夏です︑夏の盛徳は火の精に宿ります﹂ということを告げ︑天子楓公卿以下をしたがえて︑夏を南郊に迎え︑. そのあとで大いに夏を祝い宴をはる︒春だけでなく︑夏の到来によって万物は成長繁茂し実りを生ずるからであ. る︒この月天子は締︵葛で製した夏の衣服︶を召し︑官人に命じて田野を巡検させ︑農耕の労を稿うとともに︑時. 期を失せぬよう指導にあたらせる︒この月︑田畑を荒さぬよう野のげものを狩猟するが︑農業を妨げぬ程度のもの とする︒. 1I82. 夏.

(30) 80. この月に朝廷に百薬を集めさせる︒麦秋になる︒また宮女たちの養蚕も終り︑まゆが献上される︒またこの月に. はこの年新たに醸された濃い酒を天子は飲童れる︒この場合臣下も一Lよに召され︑新しい収穫を喜び音楽が奏さ れる︒. 仲夏の月︵五月︶になると︑上旬小暑の節がやってくる︒﹁蟷娘生︑購始鳴︑反舌無声﹂蟷娘︵カマキリ︶が発. 生し︑鶏︵モズ︶が鳴きはじめ︑反舌︵百舌︑そズの類︶はまだ鳴かない︒この月に天子は新しい壮丁を集め︑近 衛兵の訓練をはじめる︒ ウ. ン. この月には楽師に命じて楽器︑舞楽の器具の手入れをさせる︒天子は有司に命じて庶民のために山川のすべての. 流れの本源の神々を祀らせ︑零祀︵雨乞いの祭︶をおこない目照りにならぬように天に祈る︒夏の月は天地に生々. 育々として成長するときであるから︑すべてゆるやかにのどかにし︑法令規則もやかましくしないという配慮をさ せる︒また春放牧していた牛馬をこの月から適宜に分けて飼養する︒. この月は﹁日長至リ﹂夏至の目があり︑陰陽の二気︑死生の力が争い対立するので︑君子は潔斎して家に居り︑. 身をあまり動かさず︑顔色を変えず︑食物も欲望も淡白にして気分を安静にし︑陰陽二気が調和するのを待つがよ. い︒この月頃に︑﹁鹿角解︑揮始鳴︑半夏生︑木董栄﹂とある︒鹿の角が脱け落ち︑蝉が鳴き始め︑半夏草が生え︑ 木茎︵ムクゲ︶が咲く︒. 季夏の月︵六月︶には︑太陽はうみへび座に位置し︑暮れ方には火星が南中し︑明方にアンドロメダ︵杢星︶が. 南中する︒この月には温風︵涼風︶が吹き出し︑﹁蠕蜂壁ヲ這イ﹂︑﹁鷹乃千習ヲ学ブ﹂といってタカの子が飛翔を ヨウ. ダ. ゲソ. ならいはじめる︒また﹁腐草螢為ル﹂といい螢が飛び交う︒中国の俗信で螢は腐った草から生れるという︒. この夏︑朝廷は漁夫に命じて較︵ミズチ︶や罷︵ワニの類︶をとらえさせ︑亀や電︵スツポン︶をつかまえさせ. l181.

(31) 81. る︒. 四季にそれぞれ土の気が麦配する土用があり︑十八日ずつ戊と巳にあたる︒この間の上帝は黄帝といい︑神は后. 土という︒この間天子は大廟ノ大室に坐し︑黄馬のひく大路の馬車にのり︑天子は黄衣︑黄玉を偏⁝び︑黄族を立て る︒. 七 三. 孟秋の月︵七月︶︑太陽は翼︵コヅブ座︶にあたり︑夕方にぱ射手座︑明方にぱおうし座に南中する︒﹁涼風至リ︑ !ク 白露降リ︑寒蝉鳴キ︑魔乃チ鳥ヲ祭ル︒用テ始メテ薮ヲ行フ﹂︒寒蝉はヒグラシである︒鷹は猛禽で小鳥を捕える. が︑すぐに餌食とせずしぱらくおくのを祭ると見なしたのである︒政治の責任者はこの秋の季節にはいって春・夏. に控えていた刑の執行をおこなう︒天子は白衣︑白玉をつけ白旗を立てて白馬のひく車馬にのる︒. この月の立秋の三日前太史は天子に﹁某目立秋︑盛徳金二在リ﹂と奏上し︑天子は斉し︑その日当旦二公・九. 卿・諸侯・大夫をひきいて秋を西郊に迎え︑上帝を祭る︒そのあと王宮に帰り武人将帥を賞賜する︒実力ある将軍 スゴ に兵を指揮させ︑不義の者を征伐させる︒法令を厳正にさせ︑公平な裁判をさせる︒﹁天地始メテ粛タリ︑以テ蔚. ス可カラズ﹂︒この月には農に従事する者は新穀を天子に献上し︑天子は祖廟に供える︒また堤防︑堰の修理︑宮. 殿城郭などの補修をおこなう︒ ン ケイ 仲秋の月︵八月︶︑太陽は乙女座にあたり︑暮れ方には牽牛︵彦星︶が南中し︑明げ方には砦鰭︵オリオソ座︶が シウ. 南中する︒﹁盲風吹キ︑鴻雁来リ︑玄鳥帰リ︑翠鳥ハ差ヲ養7﹂︒群鳥は餌を貯える意である︒この月養老の礼がお 〆 こなわれ︑老人に几や杖をさずけ︑粥を主とする料理を進める︒天子は﹁難﹂︵オニヤラヒ︶をなし秋の気がゆき. 1I80. 秋.

(32) 82. ヒト わたるようにし一年の収穫物の検査︑家畜の増減肥瘡をよくしらべる︒この月﹁目夜分シク﹂なる秋分の日があり︑ ヲサ ﹁雷始メテ声ヲ収ム︑蟄姦戸ヲ圷ギ︑殺気ヤウヤク盛ンナリ︑陽気目二衰へ︑水始メテ潤ル﹂ようなことが目立つ︒. 朝廷は春分の時と同じように秋分に再び度量衡を正確であるかどうか検査させる︒. この月関所や市場への通過を容易にして各国の商人を多くこの国に招き寄せ︑品物を運び込ませて民の生活を便. 利にし豊かにする︒商人たちは四方から集まり︑国に財貨がはいり︑朝廷も政治上役立つ品物や仕事があつまる︒. スズ. キク. 大事業をなすためには︑天の遣︑天の理に逆ってはならない︒言葉や行いを慎んでその仕事の性質に応じて適切に 処理するがよい︒. 季秋の月︵九月︶︑﹁鴻雁来賓シ︑爵大水二入リテ蛤ト為ル︑鞠二黄華有リ︑貌スナハチ獣ヲ祭リ︑禽ヲ裁ス﹂︒. 爵︵スズメ︶が海水にはいって蛤となるのは︑やはり中国の俗信で︑スズメとハマグリに同一性を見たのはスズメ. の羽根の色や模様がハマグリのそれと似ているからではないかという見解をのべている学者もいる︒貌︵狼︶が獲. 物を祭るというのは︑獺が魚を祭るというのと形式的に整えて同じ表現をとったのだとおもわれる︒この月には. ﹁霜始メテ降リ︑則チ百工休ム︒乃チ有司二命ジテ目ク︑寒気総至ス︑民力堪ヘズ︑其レ皆室二入レト﹂︒諸生を. して楽や笛の練習をさせる︒一年の収穫を感謝し︑上帝の大祭を催おす︒また狩猟をおこなったり︑武装して調練 宝 ツク もする︒是の月には﹁草木ハ黄落シ︑乃チ薪ヲ伐リテ炭ヲ為ラシム︒蟄轟ミナ傭シテ内二在リ︑皆ソノ戸ヲ壊リ﹂ 塞いでしまう︒. 孟冬の月︵十月︶︑太陽はさそり座の尾にあたり︑暮れ方に昏︵みずがめ座︶が南中し︑明け方には七星︵うみへ. び座︶が南中する︒冬は壬︵みずのえ︶︑癸︵みずのと︶の水気に支配される︒上帝は額項︑神は玄冥である︒こ. の月には﹁水始メテ泳リ︑地始メテ凍ル︑薙大水二入リテ屡ト為ル︑虻蔵シテ見エズ﹂︒天子は黒塗りの車駕︑黒. 1179.

(33) 83. 馬︑黒い旗を立てる︑黒衣︑玄玉を服し︑この月の立冬には太史の奏上により︑天子は斎をおこたったのち︑三公. 九卿以下をしたがえ︑冬を北郊に迎える︒宮殿に帰ってから︑国事のために死んだ老︑功労あった老を賞し︑その. 遺族をめぐむ︒また太史に命じて占トをおこなわせる︒﹁天気ハ上騰シ︑地気ハ下降シ︑天地通ゼズ︑閉塞シテ冬 サ. カツタソ. ヲ成ス﹂︒翌年も豊作で国家安穏︑天下泰平であることを日月星辰を祭って祈る︒. 伸冬の月︵十一月︶︑﹁汰盆壮ンニ︑地始メテ堺ケ︑鴉且鳴カズ︑虎始メテ交ハル﹂︒鶉旦はヤマドリといわれる︒. この月は天子は大奮に命じて新米から美酒を造らせる︒また役人に命じて天下の諸川︑水源︑湖沼︑泉の神々を祀. らせる︒是の月には年の内で最も日短な日︑すなわち冬至の日がある︒陰きわまって陽が力を得ようとするために︑ ヤス ニ気が争い︑万物の生命力も動き出すので動揺して安定しない︒﹁君子ハ斎戒シ︑処レバ必ズ身ヲ掩ヒ︑身寧カラ. 由ソ. ナオ一一ラ. ンコトヲ欲ス﹂︒声色︑嗜欲を慎しみ︑刺激のないようにし︑﹁事静カナランコトヲ欲シ︑以テ陰陽ノ定マル所ヲ待. テイ. ツ﹂︒香りのよい芸という草が生えはじめ︑藷挺がのび︑駈矧は穴にこもり︑廃の角がぬけおち︑水泉が湧き出る︒. .フ亨目. 冬至になったら︑木や竹を伐り始める︒. ムカ. ナ. 季冬の月︵十二月︶︑太陽は婆女︵みずがめ座︶にあたり︑暮れ方には婁︵牡羊座︶が南中し︑明げ方氏︵天秤. 座︶が南中する︒﹁雁ハ北二郷ヒ︑鵠始メテ巣ヲツクリ︑薙錐キ︑鶏乳ス﹂とある︒薙が牝を求めて鳴き︑鶏が卵. を産むことを乳すという︒官人に命じて追灘をおこない︑四方の門に牲を礫にして邪気の退散をはかる︒また土は. 水に克つという五行説にもとづいて子︵ネ︑ネズミ︶を追い出すために丑︵ウシ︶を土から出して氷や寒さ︑ネズ ^ヤ. ミなどを早く退散させる俗信がある︒﹁土牛ヲ出シテ寒気ヲ送ル﹂はその行事である︑タカ︑ハヤブサのたぐいの. 猛禽が﹁属ク疾ク﹂飛ぶのが目立つ︒天子はこの月のうちに山川の神々︑上帝の諸霊︑その他天地の神々を祭り終 えなけれぼならない︒. I178.

(34) 84. この月︒漁携の司に命じて魚を敢らせる︒もっとも氷のできる月であるのでこれを氷室に運び入らせる︒民に告. げて五穀の種の良質のものを選ばせ︑農民に来年の耕作の予定をたてさせ︑来親その他の農器具を具えさせる︒楽. 師に命じて諸生に楽の合吹をおこなわせ︑これで終了とする︒この月には日は押しつまり︑まさに一年の終りであ. り︑新しい年を迎えようとする︒農民も準傭に忙しいので労役に用いてはならない︒天子は公卿大夫らと国典につ. いて︑また暦日歳時に適合している政令を出しているかどうかをこの時期に審議する︒天下の民はその力に応じて 上帝杜稜︑宗廟︑山林名川などのすべての祭の犠牲を供出しなければならない︒. 以上が夏秋冬三季の概要である︒政治的た時令や配慮は別として季節を示す自然の動植物の変化については︑. コ一十四節七十二侯Lに形式的にあてはめたところに窮屈な感はあるが︑それゆえ︑季節の特徴を印象的によくと. らえている︒江戸時代高井蘭山が中国のそれに加える日本の自然の変化や若干の訂正のものがあるが︑極端な修正. をしなくても済むところに共通性があるといえる︒それとともに日本の俳句歳時記はこの七十二侯をさらに俳句の. 季語・季題によって一層ニュアンスとバラエティに富んだものにしていて︑そこに展開する情趣と生活意識は日本. 全体を詩の世界に変えずば止まない程である︒中国と日本の七十二侯の相異は現在の主題ではないので改めて考察. することにしたい︒巨視的な立場においてみている現在︑この東アジアの特質を比較してみることによって一層鮮. ヨーロッパにおける二季. 明になるのは︑それはヨーロヅバの年問の自然習俗である︒その点について一瞥しておくことにする︒. 八. われわれは自然の変化を春夏秋冬とすることをきわめて当然のこととしているが︑いわゆるヨーロッパ文化を形. 成したヨーロッパ人の暦は夏と冬の二季の交代と展開という提え方をしている点︑自然の変化の考え方が根本的に. 工1η.

(35) 85. ちがっているのである︒ヨーロヅパ人が一年問の生活を大体夏型と冬型の二季に分げている具体的な例を一つあげ. てみよう︒大学には夏期学期︵ωo旨旨胃ω①冒①9實︶と冬期学期︵幸ぎ8﹃ω①昌①9撃︶に分けて運営Lていること. によっても納得できる︒これは大学だけではなく︑ヨーロヅパの生活習慣が背景にあるからである︒これに比べて. 日本の学校制度は三学期あった︒これは四季に応じたものである︒一学期足りないが︑夏を休むからこれでこと足. りる︒現在日本の大学が二期制を取り入れているが︑前期︑後期と呼んで夏学期︑冬学期としないのは︑ヨーロッ. パ的季節感が稀薄であるからではないかとおもわれる︒文化は実感のないものは抽象性を帯びるのが通則である︒. 厳密には︑ヨーロヅパに春も秋もあるというべきである︒しかし古代ゲルマソの習俗を見てゆくと︑彼等は夏と. 冬の季節︑暖かい季節と寒い季節しか知っていない︒暖かい季節としての夏の中に春は含まれてしまい︑寒い季節. の冬の中に秋も編み込まれている︒春︵睾彗−握︶は暖かい季節の﹁早く訪れるもの﹂であり︑秋は串①ま9. ︵︸彗き9︶で収穫を意味し︑葉が落ちる万物凋落︵句竺︶の時であり︑冬の開始を意味する︒春と秋は存在Lない. わけではないが︑その期問は短く︑夏と冬に包含されている︒これは客観的にというよりは︑季侯を夏型と冬型に. 別けて考えるというヨーロヅバ人の思惟態度と感受性にもとづいているのである︒このことはキリスト教的ヘブラ. イ的な文化とか︑ゲルマン的ギリツヤ的文化とかの差異によって生じたものではない︒むしろキリスト教文化はヨ. ーロヅパに自己を適合させて二季の様式に変容させている程であって︑キリスト教はゲルマンの風土性に深く根を 下していったと考えるべきである︒. 日本や中国では春秋をもって年問を代表させる︒幾多春秋に富むといえば︑まだ若く︑これから多くの年齢を閲. し︑人生を送るという意味であり︑ひいては歴史そのものをも代表せしめる︒げっして夏冬に富むとはいわたい︒. 春秋でもって四季を象徴する︒それは春と秋が穏和で均整のとれた時侯としていて︑伸夏︑仲冬には寒暖の不安定. 1三76.

(36) 86. の時であるから︑身を慎めと﹁月令﹂で戒めているごとくである︒これに比べ︑ヨーロッパ人は春を含めて夏を快. 適の季節︑解放された自然の恵みの時として喜び迎えている︒冬は暗い嫌わしい季節として耐えるのである︒東ア. ジアとヨーロッバと比べてみれば︑緯度もかなりちがっていることは争われない︒しかしヨーロヅパの暗い長い冬︑. 自然の厳しさと夏との対照はあまりにも明瞭である︒ヨーロッパの思惟や文化が無意識のうちにその自然との対応 の中で鍛えられ︑一定の方向を示してきたと見てよいとおもわれる︒. 詩人ヘルマソ・ユーリス・ブッセ︵串異冒彗冒睾︷ωω易ω①︶はゲルマンの年間習俗についてつぎのようにのべて. いる︒﹁つぎの新しい年を迎える入口には一年でもっとも長く暗い夜がたたずんでいる︒霧がたちこめる日が幾日も. つづき︑太陽を見えなくしてしまう︒かつてドイツの森にはデーモン︵U岬昌昌︶や不気味な精霊︵ogg胃︶などが. ひそんでいた︒おそろ﹂く醜い者たち︑古いウォーダンの死の国の者たち︑激しいウォーダソの仲間たち︵オ一一99. 争8屋︶は嵐と寒さの戦いのさ中にあっては︑豊饒や光︑大地の祝福を願う人問の魂にたいして敵であった︒しか. し冬至を境いとして鶏の卵黄の目ほどのものが生れ︑日は一日一日と鶏の足程にのびてゆき︑やがて力強い巨人の. 足どりで光は森や畠や国土にひろがってゆく︒人間は信仰による防禦でもって好ましからざる悪しきもの︑暗い魔. 的なものにたいして力をもつようになる︒誇らしげに昇る昼の光をおそれる魔的のものを人間は跳躍と仮面︑仮装. によって打ちのめし追い出すのであるL︒工ーリス・ブッセは詩人的な直観でドイツの冬から春の習俗の意味を掘. みとっている︒跳躍と仮面とは春を迎える祭の﹁ファスナハト﹂︵霊彗竃耳霊彗算︶においてさまざまの仮面を. かぶり仮装し︑棒をもって畑や街路を跳びはね︑あるいは火を焚いて狂喜乱舞し︑道化となって騒ぎまわる祭のこ とである︒. この春を迎える祭はひじょうに沢山あり︑すでに冬至︵十二月二十二日︑太陽暦︶の頃からはじまる︒しかし. l175.

(37) 87. ﹁春を迎える﹂といういい方は温和で自然な表現である︒冬の寒さと霧︑嵐と雪の中に跳梁するウォーダンは死と. 冬を支配する神である︒これに挑戦するのが光と夏︵生命︶の神である︒この二つの神々の戦いの中で春が迎えら. れる︒春はあるがままの自然の状態では到来せず︑戦うことによって獲得されるのであるとゲルマン人は考えてい. る︒ファスナハトの祭や復活祭も﹁喜びの主日﹂︵畠$篶︶の祭でもその様式は地方により時代により︑あるいは. キリスト教的解釈によってとりどりの形態があるにせよ︑その根低には冬と戦う夏︑死に挑戦する生という主題を. はなれていないといってよい︒冬至の目︑すなわち人間の目には定かに見えなくとも︑冬が終り春夏へと向う出発. 点であるこの日が︑キリストの誕生の日となって祝われるということはきわめて自然な結果である︒. ファスナハトも復活祭︑喜びの主日も大体夏は光と緑に飾りたてられた青年︵あるいは少女︶であり︑冬は灰色. の白髪の老人で表され︑行列の中に人形として飾り立てて行進することが多い︒地方によってはこの冬は熊で象徴. され︑熊の藁人形をつくり︑あるいはこれで仮装した人間を熊︵冬の魔︶と見立てて捕えて殺すといった行事がお. こなわれる︒この場合ゲルマンの神々を悪しき存在とし︑キリスト教が打ち破り︑勝利を占めるといった図式を考. えるべきではない︒本来ゲルマンの宗教においてば﹁沈みゆく年﹂︑﹁昇りくる年﹂︑冬と夏があって︑必死に低抗す. る死のウォーダンが襲いかかり︑この世界を支配しようとするが︑衰減しゆく醜い魔にたいして新たに誕生した美. しい魔や精霊の自然の力に人間が加勢することによってこの世界が更新し生命にみちた春夏の季節を迎えることが. できると信じた︒このような習俗はクリスマスのあと︵あるいはその前後︶に行われる﹁燥し夜﹂︵宛彗巨ぎ巨⑦︶一. ︵−o彗ぎ葦①︶また十二夜︵N奉gまぎ罧①︶などによく見ることができる︒火を焚いて古い魔や精霊を追い出すこ. と︑同時に来るべき新しい年の占い︑予兆を知る行事でもあるのだが︑ドイツのバイエルン地方の一部︑アルプス. 地方では死老やデーモンに仮装した者たちの行列や家庭に不法に侵入して暴れるのを防ぎきれず御馳走したりもて. 1174.

参照

関連したドキュメント

Gaining a deepener understanding the thoughts of female hematopoietic tumor survivors regarding having a child through their life stories. Yoshiko Ota , Keiko Shimada , Go Aoki ,

特別高圧 地中電線 低圧地中電線 0.3m 以上 - 0.15m以上 0.3m 以上 高圧地中電線 0.3m以上 0.15m 以上 - 0.3m以上 特別高圧地中電線 0.6m以上 0.3m 以上 0.3m 以上 -

図⑧ 天保十四年出雲寺金吾版『日光御宮御参詣 

第一五条 か︑と思われる︒ もとづいて適用される場合と異なり︑

  安倍小水麿願経とは ︑﹁ 無災殃而不肖 ︑無福楽而不成者 ︑般若之金言 ︑真空之妙典 ︑被称諸仏之父母 ︑聖賢之師範 也

就学前の子どもの保護者 小学校 1 年生から 6 年生までの子どもの保護者 世帯主と子のみで構成されている世帯の 18 歳以下のお子さんの保護者 12 歳~18 歳の区民 25

全長 1,200mm 以下、全幅 700mm 以下、全高 1,090mm

2号区域 6:00~22:00 1日における延長作業時間 1号区域 10時間以内. 2号区域 14時間以内