竜脳と樟脳、天工から人工ヘ
その他のタイトル From Natural Camphor to Artificial Camphor
著者 宮下 三郎
雑誌名 関西大学東西学術研究所紀要
巻 22
ページ 37‑57
発行年 1989‑03‑31
URL http://hdl.handle.net/10112/16001
竜脳
と樟
脳︑
天工
から
人工
へ
ま
.
し が七 六 五 四 三 ニ ー
付 注 は
表 結 そ 和 長 蘭 樟 竜 目
崎 の学 し
の 竜 力 が
貿 ム 論 後 脳 易 ラ 脳 脳
ボ き 次
き
竜 脳 と 樟 脳 ︑
年次
別竜
脳輸
入状
況
薬はふつう病気の治療に役立つものと考えられている︒しかしそ
れだけではなく︑社会的な関係において存在している︒
竜脳と樟脳は芳香薬と防臭防虫薬という︑今日の応用面からは全
然別々の薬である︒しかし後述するように︑主成分の化学構造はボ
天工から人工ヘ
︳ 七
ルネオールとカンファーであって︑前者は後者を還元することによ
って得られる︒化学的に両者に深い関係があるばかりでなく︑両者
はともに東アジアの特産品である︒しかし竜脳は天然に存在し︑樟
脳はクスノキを蒸溜または昇華をしないと得られず︑竜脳は比較的
に早く薬として利用されたが︑樟脳の利用は遅れた︒そこで当然予
想されることであるが︑竜脳の代用薬としての樟脳という見地から︑
両薬と技術の問題を追究することにしよう︒
まず漢薬としての竜脳と樟脳について概説する︒天然︵天エ︶の
クス9キニッセッ"竜脳と︑人工によって得られた樟樹の脳ということで︑両者は別
々の用途をもち︑本質的にちがった薬だと考えられていた︒次に︑
もう︱つのルート︑ヨーロッ︒^で賞用された東アジアの特産品とし
ての︑竜脳と樟脳について述べる︒そこでは竜脳と樟脳は本質的に
同じもの︑或は多少ちがったものという認識で受容された︒両者と
もカンフルの名称で︑産地名を冠することによって区別したにすぎ
なかった︒東洋と西洋のこの名称の差から誤解が生じた︒
宮
下
=
'郎
縦裂溝中に析出する玉白色か灰白色の結晶で︑特異な芳香がある︒
主成分はdボルネオールである︒﹃日本薬局方﹄には収載されたこ
とがなく︑家庭薬に処方される程度で︑今日では重要医薬品とは言
いが
たい
︒
本草
書で
は唐
の﹃
新修
本草
﹄︵
六五
九︶
木部
中品
巻十
一︱
︱に
﹁新
附﹂
とし
て載
る︒
竜脳香及膏香︒味辛苦微寒︒一云温平無毒︒主心腹邪気︒風湿
積棗︒耳聾明目︒去目赤膚駿︒出婆律国云云
婆律国は西海律国と同じく︑今日インドシナのスマトラ島南海岸のR パルスが当たるようである︒唐代の記事としては︑﹃証類本草﹄巻
+︱︱︱に引く陳蔵器の﹃本草拾遺﹄︵七三九︶や︑段成式の﹃酉陽雑 ① 竜脳は東南アジアに野生するフクバガキ科の大木︑竜脳樹の幹の
竜
脳 さらに日本では︑竜脳は輸入品︑樟脳は輸出品で︑経済的に全くちがった価値をもっていた︒伝統的に代用薬品に敏感だった日本人は︑発生的にはともかく︑竜脳の代用としての樟脳の加工業︵和竜脳︶を育てた︒そして竜脳の新しい需要をつくりだすことに成功し︑樟脳の主産地だった薩摩藩は︑和竜脳の生産によっても莫大な利益をあげたようである︒大量の和竜脳の存在を実証するのも︑本稿の目
的の
︱つ
であ
る︒
さいごに近代科学にとり入れられた樟脳について︑略説する︒ 姐﹄︵八六
0
頃︶に載るばかりでなく︑もっと古い記録もないではない︒祖父がペルシア人だったという四川の李珂
( 1 0
世紀前
半︶
の﹃海薬本草﹄が﹃証類本草﹄に引用されているが︑
﹃本草集注﹄の編者である陶弘景︵四五ニー五三六︶と﹃名医別
録﹄︵五
00
頃︶の文章を引いている︒陶弘景云︒生西海律国︒是波律樹中脂也︒
名医別録云︒婦人難産︒取竜脳研末少許︒以新汲水調服︒立差︒
﹃証
類本
草﹄
( 1
0
八二︶巻十三の竜脳の条には二例の附方を載せるが︑出典の著者も成立年代も未詳である︒唐代は勿論︑北宋時
代でも薬用としては一般的ではなかったようだ︒二方とも嗅覚を強
<刺激する気付薬のように用いている︒
経験方︒治急中風目瞑牙啜︒無門下薬者︒云云゜
経験後方︒治時疾発碗豆癒︒及赤癒︒子未透︒心煩狂躁︒気喘
妄語
︒或
見鬼
神︒
云云
゜
ペト
香料としては蘇頌の﹃図経本草﹄
( ‑
0
六一︶に︑唐の天宝中交趾からの貢物の竜脳を帯びると︑衣衿の香が十何歩離れていても聞
けたとあり︑寇宗爽の﹃本草術義﹄(‑︱︱六︶巻十四にも﹁清香
は百薬の先と為す﹂という︒竜脳は中国に産出せず﹃図経本草﹄の
あきな言うように︑南海番舶の賣客が貨うものであった︒福建路の提挙市
舶だった趙汝造の﹃諸蕃志﹄︵ーニニ五︶には︑巻下志物の最初に
ぶ ル
*
* パ ラ ス
﹁脳子﹂を挙げ︑渤泥国と賓率国産の竜脳について述べている︒品
質により梅花脳・金脚脳・米脳・蒼脳の差があることのほか︑棄脳
/¥
このなかに
あり
︑
竜脳
と樟
脳︑
天工
から
人工
ヘ
明代になると李時珍の﹃本草綱目﹄
の項に︑古方で眼科と小児科に竜脳を用いるのは心経に入るからで
また目病や驚病や痘病などの火病を発散するのに用いるとい
う︒附方として﹃証類本草﹄に載る一一方のほか︑あらたに十二方を
加えている︒かなり一般的に使用されていたようだから︑症状と出
典を挙げておこう︒1目生膚諧﹃聖済総録﹄2目赤目膜﹃聖恵方﹄
3頭目風熱﹃御薬院方﹄4頭脳疼痛﹃寿域方﹄5風熱喉痺﹃集簡
方 ﹄
6鼻中痕肉﹃集簡方﹄7傷寒舌出﹃夷堅志﹄8中風牙康﹃経験
方 ﹄
9牙歯疼痛﹃集簡方﹄
1 0 1 1
痘瘤狂躁﹃経験後方﹄又﹃総微論﹄
1 2 内外痔癒﹃簡便方﹄
1 3 酒随鼻赤﹃普済方﹄
1 4 夢漏口癒﹃摘玄方﹄
今日では︑諸痰を通じ鬱火を散らし痛みを止め緊を退けるために︑
中風︑驚澗︑喉痺︑歯痛︑口癒'癬瘍などに使用する︒ ︵一五九六︶巻三十四の発明
今人
砕之
︒
と脳油について
取 脳 已
︒ 浄 其 杉 片
︒ 謂 之 脳 札
︒ 与 鋸 屑 相 和
︒ 置 姿
気中︒以器覆之封固︒其縫煩以熱灰︒気蒸結而成塊︒謂之豪脳゜
可作婦人花環等用︒又有一種如油者︒謂之脳油︒其気勁而烈゜
祗可浸香合油゜
とある︒天然の竜脳を集めたあとの材から︑昇華法によって採取し
ているため︑漿脳を樟脳と解釈する人もあるが︑文脈からは竜脳の
粗悪品の製法と理解すべきだろう︒なおマルコ
1 1ポーロは︱二九〇
年ベネチャヘの帰路ファンスール︵パラス︶にたち寄り︑同重量が
黄金と等価で売買される世界で最良質の竜脳を産出するという︒
一 九
仏典との関係では︑十六年間インド各地を旅行した玄笑は﹃大唐
西域記﹄︵六四六︶巻十に︑賜布羅香樹の樹脂が﹁所謂竜脳香也﹂
だという︒また義浄の訳した﹃金光明最勝王経﹄
︵ 七
0 1
︱‑
︶の
獨婆
羅香が竜脳であることは︑李時珍が注意し︑
の獨婆羅香が竜脳だという︒
日本へは仏教の香料としてもたらされた︒揚州生まれの鑑真和尚
は六度目︵七五三︶の挑戦で東征に成功したが︑失敗に終わった第 ﹃本草術義﹄も南印度
二次︵七四一︱‑︶の渡航のため準備した品目中に︑磨香や沈香などの
香料と共に﹁竜脳香﹂があった︒正倉院に奉納された六十種薬︵七
五六︶には入っていないが︑密教の儀式に用意する香料についての
知識を集めた﹃香字抄﹄や﹃香要抄﹄︵︱‑五六︶や﹃香薬抄﹄に
記載されている︒これらの内容の大部分は唐宋の本草書の引用から
成っている︒隋唐の医方書からの引用が多い﹃医心方﹄
に載ることは勿論﹃新修本草﹄所載品の国産代用薬を指示した﹃本
︵九一八頃︶では︑代用不可を意味する﹁唐﹂と注記して
いる︒以後︑唐宋明の医学の影響下にあった日本では︑他の香料と
共に重要な輸入品だった︒と同時に︑竜脳に関する知識も中国を超
えるようなものは何︱つないといってよい︒ただ日本人は人工の和
竜脳を開発した︒日本の技術の特色は和竜脳にあり︑これについて
は後
述す
る︒
密教の香料との関係は重要である︒嗅覚を通しての仏教文化との
接触は︑息者の不安を除き信頼感をひき起こし︑治療効果を高めた 草
和名
﹄
︵九
八四
︶
に違いない︒江戸時代中期以後︑独特な阪売方法によって急成長し
た配置売薬に︑竜脳をはじめとする香料を含んだ処方が多いのも︑
注意すべきだろう︒売薬の処方は一定しないことが多いが︑数例をR 挙げておこう
反魂丹ーー白竜脳︑磨香︑牽牛子︑択実︑和胡黄連︑丁子︑唐木
香︑唐黄苓︑連羅︑黄連︑東縮砂︑玉乳香︑陳皮︑青皮︑唐大黄︑
鶴風︑鶏冠雄黄︑三稜︑甘草︑熊胆︑白鳥粉︑赤小豆︑蕎麦粉゜
西大寺宝心丹ー参︑縮砂︑木香︑丁子︑萱香︑沈香︑横榔子︑
畢撥︑白檀︑桔梗︑川考︑甘草︑塵香︑樟脳︑竜脳︑古茶︒
延齢丹ー肉桂︑縮砂︑丁子︑沈香︑辰砂︑畢撥︑白檀︑木香︑
桔梗︑乳香︑阿子︑甘草︑射香︑竜脳゜
こうしてみると︑後述する和竜脳の根強い需要と大量の消費は︑
売薬産業の勃興と無関係ではないようである︒薬の盛衰は今日の意
味での薬効よりはむしろ︑社会的文化的な状況と深くかかわってい
J• O
t
樟脳は日本の温地や中国の揚子江以南及び西南に生育するクスノ゜
キ科の大木︑クスノキの材片を水蒸気蒸溜して得る無色半透明の結晶である︒芳香があり︑主成分はdカンファーで︑防臭防虫薬とし
て有名である︒﹃日本薬局方﹄では初版(‑八八七︶に載り二版
︵一八九︱‑︶から﹁精製樟脳﹂に改められた︒五版(‑九三二︶以 樟
脳
降は﹁カンフル﹂でクスノキとは無関係になり︑次第に合成品を指
すよ
うに
なっ
た︒
樟脳の起源は必ずしも明確ではない︒たとえば﹃第七改正日本薬
局方第一部解説書﹄︵南江堂︑一九六一︶以降カンフルの来歴に
﹁中国では太古より︑ヨーロッパでは六世紀ごろより医薬に用いら
れた﹂とある︒これは西洋の文献のカンフル︵竜脳︶の記事によっ
たための誤りである︒本草書では太古どころか﹃証類本草﹄
八二︶に載らず﹃本草品彙精要﹄
たらしい漢薬だった︒
去脚
気︒
則不痛
︵一
五
0
五︶に初出する比較的あしたがって宋元の資料は蓼々たるものである︒四川省に生まれ官
僚となり海南島へ流された蘇試
( I
0 1
1 H
ハー︱
‑ 0
‑
︶の﹃物類相感 志
﹄ の 衣 服 の 項 に
﹁ 畦 中 著 樟 脳
︒ 用 椒 末 去 風
︒
冷﹂とあるものの﹃宋会要輯稿﹄では第八十六冊職官市舶司の紹興
三年
︵ー
ニ︱
︱︱
︱‑
︶十
二月
に﹁
潮脳
﹂同
十一
年(
‑︱
四一
︶十
一月
の
条令に﹁暉脳﹂又﹁詔脳﹂が見えるくらいである︒潮州︑詔州は広
東省︑障州は福建省でいずれも樟脳の産地である︒
パレッパソ
﹃諸
蕃志
﹄(
‑︱
‑ 1 一五︶巻上の三仏斉国の中国からの輸入品に
﹁乾良菫︑大黄︑樟脳等﹂とあり︑マルコ"ボーロも一1
一 九
0
年に
泉州︵福建省︶で︑樟脳を製造するクスノキに注意している︒陳敬
の﹃新纂香譜﹄(‑三ニ︱‑︶巻上には﹁飛樟脳﹂の項があり︑昇華
精製の過程が詳しく述べてある︒
樟脳石灰等分︒同細末︒用無油銚子︒貯之︒磁怨蓋定︒四面以
( 1
0
四〇
竜脳
と樟
脳︑
天工
から
人工
ヘ
下に︑次のようにある︒
樟脳︒主殺虫︒除済癬︒療湯火癒︒敵稼気︒辟邪悪輝
新増とあるのは︑従来の本草書に載らず劉文泰らが新たに書いたと
いう
こと
である︒﹁虫を殺す﹂というのは治療の項に﹃普済方﹄を
﹁蕉
香内
用之
︒
﹁湯
火癒
を療
す﹂
痛﹂とあるのに相応する︒その他は劉文泰らの経験を述べたのであ
⑤ ろう︒産地としては福建福州府を挙げる︒製造法としては︑樹幹を 断片にし鉄鍋に入れ水を加え︑梵盆で覆をし湿布で縫処をおおい蒸 気の濡れを防ぐ︒強火で加熱し冷えると盆に樟脳の結晶が付着して
いる
︒
これをもう一度昇華精製して得られるとし﹁称祖煮鼈﹂図と
﹁升錬樟脳﹂図を添える︒記録を残した点は有難いが︑本書は印刷
されず北京の宮城の中に眠ってしまった︒
き湖北省薪州の李時珍は﹃品彙精要﹄を見ていなかったから︑樟脳 引いて
というのは合治の項に
﹁合
香油
研博
゜
収毛
絨衣
服︒
則不
蛙﹂
とあるのに相応
じ ︑
や け ど
湯火瘤定 明代に入ると
﹃本 草品 梨精 要﹄
華法を述べている︒ 上︒
第七
次︒
可用漫火︒
︵一
上五
0
五︶巻之十七木部品之 ︒止日而一椴 勿令透気︒底下用木炭火椴︒少時脳子己飛︒在益紙固済如法︒蓋上︒用難餓掃下︒称再与石灰等分︒如前椴之︒凡六七次︒至
取下
掃脳
子︒
千杉木盆子同
右は未詳の
﹃是 斎筈
用録﹄からの引用であるが︑元闊名氏の﹃居家
必用事類全集﹄の葉香︵巻十四︶にも﹁飛猫脳法﹂として簡単な昇
乃刃
P︐ . ‑
︱ / り 弁
aヲァ. 兄
14
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2 本草品羹精要巻17樟脳 ー
本草品粟精要巻17
心、
樟脳
一晩すれば析出する
これを昇華精製︵錬樟脳︶するという︒ 通関痰︒利滞気︒治中悪邪気︒霧乱心腹痛︒寒湿脚気︒祈癬風痰顧歯︒殺虫辟璽着靱中去脚気麟
﹃品彙精要﹄に較べ効能は多岐にわたっており︑しかも﹁湯火癒を
療す﹂が見えない︒附方は小児禿癒﹃簡便方﹄と牙歯虫痛﹃普済
方﹄又﹃余居士選奇方﹄の三方にすぎず︑これらを総合したのでも
ない︒李時珍が書いた樟脳の主治は︑じつは同じ巻の前の方に載る
﹁樟﹂の材の主治に拠っているのである︒樟脳の主治と共通する文
字を右線で示す︒
悪気屯悪︒心腹痛鬼症︒躙副腹脹︒宿食不消︒当吐酸臭水︒酒
煮服︒無薬処用之︒煎湯浴︒脚気芥癬風療︒作履除脚気蜘
樟材の主治は唐の﹃本草拾遺﹄によっているが︑これと樟脳の主治
との差は︑後者に﹁鯖歯﹂と﹁虫を殺し章を辟ける﹂の二効能が加
ニッセソスったにすぎない︒樟脳は樟材の精髄という見方が︑根底にあるのは
あきらかだ︒この考えからは︑代用竜脳としての樟脳という筋道は
浮かんでこない︒産地については紹州︵広東省曲江県︶と滝州︵福
建省竜渓県︶を挙げる︒製造法については胡演の﹁升錬方﹂を引い
て︑樟木の切片を二昼夜水に浸し︑鍋に入れて煎じ半量になったら
濾汁を瓦盆内に注ぎ入れ︑ て
いる
︒
を本草に収載したのは﹃本草綱目﹄(‑五九六︶が最初だと考えた︒
巻三十四木部香木類の樟脳の主治について︑彼はつぎのように書い
︵自
然結
成塊
也︶
︒
る︒それらについては﹁長崎貿易﹂の項に一括して述べる︒
一七
七
明末になると︑安徽省桐城生まれの方以智が﹃物理小識﹄
四一︱‑︶巻五医薬類の竜脳の項に︑詔州樟脳について述べている︒製
造法は析出法と昇華精製の組合わせで︑李時珍の記載と大差ないが︑
竜脳の項に樟脳の製法を述べるのは︑代用竜脳という見方に立って
いると言えるようである︒李時珍とほ問題意識が違うと言えなくも
日本では室町末の通俗辞書である﹃節用集﹄には載らないが﹃撮
壌集﹄(‑四五四︶下の薬種類に載る︒また﹃李朝実録﹄世宗三年十
一月つまり応氷二十八(‑四︱︱‑︶年に︑前九州探題の渋川道鎮が
⑥ 朝鮮へ送った物品中に﹁象牙二本︑犀角三本︑樟脳五斤﹂とあるが︑
和製樟脳と断定はできない︒慶長九(‑六
0
四︶年に長崎から刊行された﹃日葡辞書﹄の補遺の部に﹁ショウノウ︑安価なカンフォラ︑
ショウノウを焼く︑カンフォラを作る﹂とあり︑和産の樟脳の確実
な記
録と
され
てい
る︒
寛永
九(
‑六
一︱
︱︱
︱‑
︶年
以降
はオ
ラン
ダ人
の
﹃パクビヤ城日誌﹄や﹃出島蘭館日誌﹄の輸出荷物として記録され
ているばかりでなく︑オランダ東印度会社の商業帳簿が現存してい
﹃本
草弁
疑﹄
(‑
六一
五︶
や﹃
和漠
一=
オ図
会﹄
べる製法は﹃本草綱目﹄の抄録をでないが︑後者では産地として日
向︑薩摩︑大隅を挙げている︒平瀬徹斎の﹃日本山海名物図会﹄
︵一
七︱
︱︱
‑︶
の述
︵一七五四︶巻三では﹁樟の根をはつり取て︑其こけらを釜にて煎
ずる也﹂とし﹃品彙精要﹄に述べる昇華法を図示している︒ な
い︒
四
︵一
六
竜脳
と樟
脳
︑天
工か
ら人
工ヘ
3
テ盆内二樟脳ノ結スルヲ払ヒ取ル︒
四
︵一
八
海名物図会﹄の装置の詳しい説明となっているのみならず︑世界市 熱により蒸気になって上ってくる樟脳をとるのである︒樟脳は る ︒
この
膨れている部分に麦藁や乾草を一杯入れておいて︑火 五年東洋の植物研究のためはるばるスウェーデソから来日したッソベルグは﹃日本紀行﹄第二十三章﹁日本の農業﹂に︑樟脳の製法を
⑦ 述べてい
る ︒
薩摩の国及び五島からは野生の樟木が沢山でる︒欧羅巴で消費
ちで
︑ する樟脳の殆ど全部が︑このニケ所で出るのである︒日本人は
樟の木の幹及び根を小片に裁断し︑水を一杯に盛った鉄鍋のう
ふたこれを煮て上に木の蓋をしておく︒蓋は非常に膨れてい
藁に着くから︑これを離すと粉になって落ちる︒これを桶のう
ちに
収め
︑
この
桶を和蘭会社が重さで買うのである︒
はち
﹁木
の 蓋 ﹂
というのは磁製の盆の誤解だろう︒そのほかは﹃日本山
場での九
州の
樟脳生産の比重が述べられていて興味深い︒日本人も
次第に平瀬の絵になじんだようである︒京都の市井の本草家で︑
ちに江戸医学館の諧師となった小野蘭山の﹃本草綱目啓蒙﹄
0
六︶巻三十の樟脳の項を挙げておく︒の
樟樹ノ脂
脊ヲ
煎ジトル者ナリ︒其法ハ集解ノ説卜異ナリ︑先地
ヲ掘テ長鼈ヲ築キ︑数鍋を並べ架シ︑各水ヲ入レ上二
木甑
ヲ置
︒
樟ノ生木ヲ伐リ枝卜皮トヲ去リ割テ小薄片卜為シ︑甑中二
入レ
木薪ヲ焼テ蒸過シ︑上二沙盆ヲ茎ヒ火候タリ︒沙盆冷ルニ
至リ
学の資料から概説することにしよう︒
たろ
うか
︒
延元(‑八六
O )
年に土佐中村の
⑧ 飴屋与平の発明という︒蒸し釜に
材片を入れ蒸気を通し︑流出する
蒸気を釜の外へ導いて冷却し︑溜
分を静置すると︑樟脳と樟脳油が
水から分離して上層に浮かぶ︒こ
れを採取する方法で︑明治時代に
は全国に普及し樟脳生産の主流と
なっ
た︒
蘭 学 の カ ム ボ ラ
竜脳と樟脳は東南アジアの特産品であるが︑中国やインドで注目
されたばかりでなく︑西洋にも知られた︒西洋の知識を同時代の蘭
竜脳はアラビアを通して七世紀ころにはョーロッ︒^へ伝ったとい う︒漢方では竜脳と樟脳ほ使用上別の薬であったが︑は﹁按二獨布羅ハ竜脳樟脳ノ総称ナリ︒西洋ニテハ此一一品共二同一種二属シテカムボラト称ス﹂と宇田川榛斎は﹃遠西医方名物考﹄に
オランダの都市薬局方の︱つである﹁ロッテルダム局方﹂の注解
書︵一七四七︶を︑大坂の橋本宗吉が訳した﹃蘭科内外三法方典﹄
︵一
八
0
四︶では巻之一単味能毒篇第三に羅カムホラ
一種ノ木脂ニシテ同化揮発スルモノナリ︒香気恰白嵩二似クリ︒
火ヲ移セバ尽ク炎焼シテ残ラズ︒
0
功︑汗ヲ発シ痛ヲ止︑子蔵とあ
る︒
蘭カムフル
蒸慰剤卜為シテ功アリ︒又治眼ノ薬二配スベシ︒
フラ
ンス
のレ
メレ
イの
薬物
事典
の蘭
訳本
︵一
七四
一︱
‑︶
も︑
蘭学に大きな影響を与えた︒その抄訳の﹃和蘭薬選﹄
には載っていないが︑全訳である吉田︵倉持︶長淑の﹃遠西薬圃網
︵一
八
0
ニー
0
九︶巻四では﹁竜脳﹂と訳している︒同じくフランスのショメールの家政事典の蘭訳本︵一七七八ー八六︶を︑蕃
書和解御用が分担して訳した﹃厚生新篇﹄第二十八巻雑集(‑八︱︱
一頃︶にも﹁竜脳﹂と訳しているが﹁按にカムボラは竜脳樟脳の総
称なり﹂と注記し︑訳者の考証を付している︒
宇田川榛斎のカムフルについての記録は︑東西を通じて当時もっ 目 ﹄
︵一
七八
七︶
述べ
た︒
つぎに西洋ではどうだっ 以上は中国・日本の文献から薬効と製法の主なものを取りあげて 病ヲ治シ︑腐敗液ヲ善良二復シ︑房慾ヲ萌ス︒
0
外用ハ軟膏 衝逆ヲ治シ︑熱ヲ逐ヒ︑青腿牙荊ヲ療シ︑諸虫ヲ殺ス︒加之淋 樟脳樟脳専売史
述べている︒この見地からすれば蘭学資料も理解しやすい︒
165ページ
さいごに︑水蒸気蒸溜を応用し
た土佐法について述べておく︒万
四四
ョーロッパで
だと
いう
︒
竜脳
と樟
脳︑
天工
から
人工
ヘ
らか
だろ
う︒
とも秀れたものであろう︒とくに﹃遠西医方名物考﹄
巻七の﹁褐布羅﹂の項は︑蘭医書十余部からカムヘルに関する所説
を選択して載せ︑出典を記し︑和漠の説や江戸薬舗の説によって補
訂している︒なかでも竜脳と樟脳との区別︑竜脳には偽品があるこ
と︑オランダの果した役割などの︑重要な指摘がある︒
蘭書ではカムヘルに天然と人工の二種︵竜脳と樟脳︶があること
ほ知っていたが︑原植物についてほ同一とするものが多かった︒榛
斎によれば︑竜脳はボルネオ及びスマトラ産で﹁アルボル︑カムホ
リヘラ﹂から滲出した自然の樹脂であり︑樟脳は日本に多いクスノ
キ︵ラウリュス︑カムボラ︶の材を昇華︵蒸升︶して得るものとし
た︒この認識が時代を超えていたことは先に指摘したように︑百六
十年後の今日すら公定書の注解︵来歴︶に混乱があることからも明
*'ンダくちつぎに竜脳の市場品には一︳一種があるという︒上品ほ薬舗で洋品
といい︑宝暦中及び明和九年に輸入した本梅花で︑千二百斤物とも
いう︒中は清舶によるから唐口といい︑黒ずんだ灰白色で沙土や木
しろで屑をまじえている︒下品は薬舗で白様といい︑洋品に似ているが指
間で砕けにくい︒これは漠土で精製︵再煉︶した樟脳で価段が格安
また日本の樟脳は昇華法によって製造するが︑黄褐色を帯びすこ
9 1ウニ
ぶる重く沙糖の粗末のようである︒これは生カンプラであり︑ヨ
ーロッ︒^へ運んで精製︵再製︶する︒日本でも薬舗で再錬して反脳
︵一
八二
二︶
して竜脳乳について述べる︒ と呼んでいる︒精製樟脳の製造はヨーロッパではアムステルダムで行われ︑その方法を秘密にして他国に漏らさないという︒
簡単に要約すれば︑
四五
︵一
八二
二︶
は︑
カムホラにはポルネオ及び︒ハラス産と︑
8壊 日本
産の一一種がある︒前者は天然品の竜脳であり︑後者は人工品の樟脳
である︒しかし前者の中にも人工による偽品があるということにな
主治としては﹁頸透︑衝動︑開発︑温媛︑発汗︑排毒ノ効アリ︒
又膠粘・穏厚ノ血液ヲ稀釈シ︑凝結ヲ疏解シ︑薙塞ヲ通シ︑疼ヲ止
メ︑神経ヲ強壮ス︒又バルサムノ質アリテ血液ノ腐敗ヲ逼メ︑酷属
毒ヲ消シテ煩悶ヲ解シ︑表発ノ蒸気ヲ駆発ス﹂という︒また外敷薬
としてカムプラ精︑
初期の薬理書である藤林泰輔の﹃和蘭薬性弁﹄
オランダのイペイの薬理書(‑八一八︶の訳である︒その巻七に重
要な発汗薬として竜脳が挙げられている︒ワーテルの薬理書の増補
版(‑八一二四︶の林洞海の訳﹃窟篤児薬性論﹄︵一八五六︶巻六に
は︑鎮痙薬として﹁謁布羅﹂があるが﹁方今ハ天下皆概シテ甑透衝
動︑鎮痙︑発汗︑止腐ノ一良薬トス︒又一種消毒ノ妙効アリ︒
0
掲布羅ハ疾トシテ試用セザルコトナシト雖トモ︑殊二良効ヲ奏スルノ
疾﹂として1虚性神経熱及び腐敗熱︵チフス︶
4聖京偲︵衰弱︶悽麻質斯痛風熱胆汁熱
疹︑赤斑熱
カム
フラ
油︑
カムフラ膏︑解熱発汗の内用薬と
6慢性神経病及び痙攣病
ろう
︒
2倣衝熱
5癒疹熱殊二痘癒︑癒 3腸胃
7陰具及び泌尿器病
樟脳輸出量箇易表
年 次 1 毎1(0カ祖プ喩ー出)量 1(プー単ール/ピコ価ル) 1630代 121,816 6ー10 164吠 227,023 6‑12 1650代 197,588 6.5‑12.5 1660代 286,128 11. 5‑14 1670代 95,644 13‑13.5 1680代 205,714 13‑13.5 1690代 169,942 13 1700代 75,972
1710代 161,846 29.5‑30 1720代 183,500 29‑30 1730代 36,000
1740代 188,175 25‑29 1750代 330,459 23 1760代 372,653 23 1770代 384,293 23 178砥 407,109 22ー23 1790代 407,415 22 180砥 376,447 18.4ー23 1810代 181,034
1820代 409,134 1830代 707,466 1840代 586,425 1850代 454,078
置かれていた︒いうまでもなく日本からョーロッパヘの樟脳の輸出
は︑オランダ東印度会社
(V OC )
が独占していた︒十九世紀初頭R 十四年間にわたって長崎出島の商館長だったヅーフの回想録に 幕藩体制下の貿易は︑ 疸
(1)
いちじるしく制限を受けきぴしい管理下に
四 長 崎 貿 易
9消毒を挙げる︒カムホラが当時のョーロッパでいかに広く賞
用されていたかがうかがえるのである︒このような背景から強心作
用が発見されることになる︒
さて近世のカソファーについて述べるに先だって︑江戸時代の樟
脳の輸出と竜脳の輸入について︑貿易文書を中心に見ておきたい︒
樟輸出単位価格表
年 号 1会(1所斤)買1商(1館斤)買 I 償 銀 1765(明和2) 2.3匁 1.15匁 10割 1791(寛 政3) 2.3 0.92 15 1800(寛 政12) 2.3 1. 0477 11. 95 1806(文化3) 2.8 1.05 16.66 1827(文 政10) 3.0 1.125 16.66 1845(弘化2) I 3.6 I 1.ss I (13. 23)
ていたようである︒ 樟脳は:·…•ハクヴィヤにて売払はる。現今銅と樟脳とは会社が輸出する主要なる貨物にして︑会社が之によりて少からざる利益を収めつ4あることは︑予の断言を憚らざる所なり
とあって︑当時の日蘭貿易のなかで︑樟脳輸出が銅とともに重要な
役割を占めていたことがわかる︒出島商館の商業帳簿のうち﹁仕訳
帳﹂と﹁元帳﹂が︑オランダ国立中央文書館に現存しているよしで︑
これらの文書をもとに樟脳輸出の年次表が︑すでに先学によって作
⑩ 成されている︒ここには十年ごとに区切って加算した簡易表を示す︒
単位のカテーはほぽ一斤
( 0
︑六
k g )
にあ
たる
︒
まず長期的に見た場合の輸出量の推移が問題となろう︒十七世紀
から十八世紀の前半にかけては目立
たないが︑十八世紀の後半から十九
世紀前半にかけて漸増の傾向にある︒
決して急増ではなく︑二百年間に倍
増したと言う程度の︑算術級数的な
増加にすぎない︒単価の上昇率は輸
出量の伸びに比較して大きく︑最大
で五倍あり︑強い需要にささえられ
樟脳の輸出については︑固定レー
ト1一重価格制で行われていた︒長崎
会所の買入値と商館の引取値の二種
四六
つい
ては
︑
竜脳
と樟
脳︑
天工
から
人工
へ
紅毛人買渡代銀四拾五貫目
差引︑七拾五貫目償銀
但︑壱斤二付壱匁壱分弐厘五毛
但︑拾六割六歩六厘余
一
︑ 樟 脳 四 万 斤 本 方 代
会所買入代銀百弐拾貫目 があり︑前者が後者の倍以上という異常な構造である︒輸出が増えれば長崎会所の損金が増えることになるのである︒さいわい歴史的
◎ な過程を踏まえた文書が﹃長崎会所五冊物﹄︱︱︱に収められている︒
﹁買渡樟脳之儀︑薩摩出産之樟脳買渡来︑当地請負商人共出帆前出
嶋に持入掛渡申候﹂で始まる文意を表示すれば右表となる︵弘化二
年分は著者が参考に加えた︶この文書の最後は
但︑壱斤二付1
︱ ︱ 匁
とあり︑商館の帳簿の一八二八年の四
0
︑四三一カテーと対応して⑫ おり︑文政十年の記録であろう︒償銀は長崎会所の補償する損金で
あるから︑仕入れ値段の半額から三割七分五厘という低価格で売り
渡していたことになる︒当時の日本人は海外の樟脳の価格の実態に
ほとんど無関心だったようだ︒
輸出量が漸増傾向だったこともあり︑仕入れ値段は締り気味であ
る︒したがって樟脳産業は幕府の厚い保護を受けていたといえる︒
さきに挙げた文書に薩摩出産之樟脳とあるように︑商館に売渡す樟
脳の大半は薩摩産だった︒薩摩藩領内産樟脳の年生産量の判明する
もの︵例えば安永六年の十万斤︶と︑商館扱いの年総量とを比較す
れば︑八割弱に達するという︒薩摩藩産出の樟脳は日本から輸出す
⑬ る樟脳の大半を占めていたようである︒樟脳産業によって︑薩摩藩
四七
逆向きの場合はどうだったか︒江戸時代の舶来の品物は︑すべて
幕府の長崎会所を通って国内の流通機構に持ちこまれた︒竜脳の輸
入については︑さいわい長崎会所に出入を許された五個所商人の作
成した商業文書から︑年次別の輸入彙と価格を追跡することが可能
ね ぐ み
である︒長崎会所と荷主である商館や唐人との間の値組については︑
適当な記録を見つけることができなかったけれども︒
め 含
*
長崎会所の薬種目利が持渡の薬種荒物類を取調べ︑文政一︱‑︵一八
二
0
)
年に提出した﹃舶載薬物録﹄には︑唐方持渡の部に﹁竜脳
享保二十年より当時迄持渡申候﹂とあり︑紅毛持渡の部にも﹁竜脳
⑭ 元文元辰年より文化十四丑年迄折々持渡申候﹂とある︒あとがき
に享保二十︵一七三五︶年以前ほ帳簿がないから調べがつかないと
いうが︑薬種目利が取調べた帳簿とは何だったろうか︒輸入数量と
ょせ
落札価格を品目別に整理記載した帳簿としては﹁薬種寄﹂が考えら
R ︒
れる現存する商業文書﹁薬種寄﹂の竜脳の項から︑落札の数量と
価格を年次別に計算して︑付表﹁年次別竜脳輸入状況﹂を作成し
t
こ ︒現存の資料では︑明和二︵一七六五︶年から文久二(‑八六二︶
年までの九十八年間をカバーしている︒うち八回計二十九年につい
ては記録がない︒一七六七ー八一年の十五年間と︑一八
0 1
│0
四
年の四年間については帳簿の切れ目であり︑欠落があるやも知れな
(2)
は幕府の保護を受けていた︒
つま
り文
政一
︱‑
︵一
八二
O )
年以前の五十六年間は計七︑七︱二斤
余で年平均一四〇斤余︑一八
1 1
︱年以後の四十二年間は計四一︑七
四六斤七合余で︑年平均一︑
0
一八斤余と前者の十倍に近い︒文政四年以後の輸入量の増加は幾何級数的であり︑異常だと言わざるを
得な
い︒
量的な面から見ると文政三年を期に十倍の差があるが︑これを価
格との関係で比べると量ほどの差はない︒例えば寛政三︵一七九
‑︶
年に
ほ︑
前半
の年
平均
輸入
量と
近い
ニ︱
︱︱
︱‑
八
斤の
輸入
があ
り︑
四回入札が行われ計七六︑四一八匁六分で落札した︒一方︑文政四
︵一八ニー︶年にほ後半の年平均輸入量と近い一︑
0
六一斤余の輸竜脳輸入簡易表 年 次 加 ( 算斤) 量 1765‑66 106.88 1782‑84 1,926.5 1789‑90 1,115.1 1791‑93 372.35 1797‑00 342.55 1805 12.63 1806‑10 586.75 1811‑15 1,773.3587 1816‑20 1,476.175
......... 幽.........● ● . . . ... 1821‑25 4,128.597 1826‑30 5,435.54 1831‑35 9,260.212 1836‑39 4,116.046 1841ー45 6,205.785 1846‑50 5,680.332 1851‑55 3,449.821 1856‑60 3,047.57 1861‑'62 668.8
ていちじるしい特色が現われている︒ いが他は輸入の途切れと見れないこともない︒総量は四八︑八八一︱︱斤五合五勺六才一一で︑単純に計算すれば年平均五
0
四斤となる︒︵一
斤を
0
︑六k g で
換算
すれ
ば一
一九
‑
︱︱
︱︱
1 0
k g強︑
年一
︱
1 0
二︑
四 k g
である︶これを五年ごとに区切って加算すると︑次表のようになっ
入が
あり
︑
五回入札され落札の総額は九一︑八五一匁七分となる︒
金額面では二割弱の増加に止どまるのである︒
価格が品質と密接に関係していることは︑言うまでもない︒高値
が千匁を超えるのは寛政九+︵一七九七︑九八︶年︑文化十(‑
八ニ
︱‑
︶年
︑天
保十
二︑
︵一
八四
五︑
十四
(‑
八四
一︑
四一
︱‑
︶年
︑弘
化二
︱
︱︱
四六︶年で︑半数は紅毛船の齋した品物であり︑しか
も輸入の途絶した次の年や輸入量の激減した次の年に集中している︒
紅毛船による舶来は蓼々であり唐船が主に運んできた︒斤百匁を切
る低価格ものについては︑白手と琉球産物で占められている︒下品
や白手は唐方にもあるが琉球産物の代名詞のようである︒琉球産物
は文政一ー一年に一回あり︑以後四十二年間に計五十八回の入札が記録
されており︑計三一︑九一九斤九合余でニトンに近い︒年平均では
七六〇斤︵五五六
k g )
である︒これは九十七年間に輸入された総量
の%を占め︑琉球産物が出現した文政三年以後の輸入量の%を占め
ている︒年平均では七六
0
斤として金額で年百貫を越えていた︒琉球産物は文化七(‑八一
0 )
年に琉球の飢饉の扶助を直接のロ
実として︑薩摩藩が長崎会所へ販売する権利を得たものである︒薄
紙・五色唐紙・鉛・羊毛織・丹通・緞子・猥燕脂・花紺青の八種か
ら始まり︑文政元(‑八一八︶年にほ年間商売高二︑
0
七0
貫と上むし いと
限が抑えられたが︑絲・硼砂・桂枝・厚朴が加わった︒文政一一一年に
は厚
朴を
七︑
0 0 0
斤から
二︑
00 0
斤に減らす代替として︑武珊八
00
斤︑白手竜脳一00
斤に
限り
先一
︱︱
ケ年
間の
長崎
への
送荷
を認
四八
竜脳と樟脳︑天工から人工へ 四 九
文
化 文化 文化 文化
裔 斎斎裔斎
化文 化文 文化~ ~
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年 九年 八 七 六 五 四~
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年 年 年 年 年 年 年 年 年 年
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五、‑、四 、 、 、‑ ヽ六 五ツ 、四
国 中 上
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高直手白高直皐 旦
ヽ ヽ
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目 六〇0
目160
匁 品0
目 旦0
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匁 品0
目 も匁 塁0 0
目 翌0
月0
目 苫0
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目0
吾目吾0
匁 虚0
目 考0
目 塁0
目文政
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文政 文化 文化/¥ 七 八 五 四
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0
匁 六
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目八五0 0
目 一七五匁六二0
目八六0
目 一五匁七八八0
目 一0
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三目七〇0
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四目五二0
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目 ニ0 0
目 一四 ー0
目 三目 一0
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目六五0
目 一0
二目三九0
目 六五0
目蓋 岱 蓋 蓋 斎 斎 斎 斎
四 ~ ~ ~ ~ ~ 九
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年 年 年 年 年 年 年
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八 八 八 J¥ 八 八 八 八
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八 七 ,ノーノ ヽ ヽ 、‑ 、ーノ ヽ
手白紅毛唐口 手白紅毛唐口 手白毛紅唐口 手白毛紅唐口 毛白紅毛唐口 白 中 安直 白 中 白 中
ヽ 、、 ヽ
苔 ー
目
8
五目ニど目 ー空匁六8
目 三8
目 ー召匁ニ8
目六苔目 ー天匁ニ8
目 〇8
月 ー翌匁ニ8
目六忍目 八望分七苔目 危匁一6
目 六6
目 一6
目6
六目大坂薬穂仲買仲問の竜脳の値段
とが
わか
る︒
蘇頌の﹃図経本草﹄
今海南竜脳︒多用火燿成片︒其中亦容雑偽︒入薬惟貴生者︒状
若梅花弁甚佳也︒
とあるように︑天然の竜脳は産出量がすくなく高価だったから︑早
くから混ぜものや贋偽品が出まわっていた︒前述したように﹃諸蕃
志﹄では竜脳と言わず脳子として挙げ︑天然品のほかに昇華法によ
って精製した棄脳と脳油についても記している︒また方以智は竜脳
の項に樟脳の製法を載せ︑樟脳を昇華して氷片︵竜脳︶をつくると
( 1
0
六一︶に五 和 竜 脳
めさせ︑文政八︵一八二五︶年には改めて竜脳など十六種の薬種類
⑮ の販売権を得たのだった︒
白手竜脳ー—'薩摩藩の和竜脳は量的に日本の竜脳市場を、一挙に
拡大させた︒大量の和竜脳の流入によっても︑長崎でも大坂でも荷
もたれや価格の下落に見舞われるということはなかった︒天エと人
工ほ価格差をつけて︑それぞれ市場に定着していったようである︒
その間の参考として︑大坂薬種仲買仲間の年度末大引の値段を︑越
後屋
の﹃
薬種
荒物
高下
録﹄
(‑
八一
︱︱
︱︱
‑︶
の建
物の
部に
載る
竜脳
の項
から︑表に直して掲げておく︒﹁建物﹂は普通に使用される﹁潰物﹂
に対し︑もっとも繁用される薬種のことである︒
これによると国手つまり和竜脳の流通は︑すでに文化中であるこ
つぎに和竜脳についてさらに追究してみよう︒
ヲ偽ルヨリ此名相混ズルナリ︒
竜脳座は﹃通航一覧﹄ モト竜脳卜云モノハ蛮国ノ産ニテ其体未詳︒何ノ木ヨリ出ルヤ 京都の遠藤元理の﹃本草弁疑﹄脳を混ぜたものがあるに止どまらず﹁薬家⁝⁝樟脳ノ焼返ヲ仮リ︑名テ片脳トナシテ売之︒其ノ価賤ヵ故﹂という︒﹃和漢三才図会﹄
︵一七︱︱︱‑︶巻八十二木部香木類の竜脳香では﹁樟脳再クビ焼者︒
名反脳︒与片脳字同声ナル故︒誤以一物︒甚非也﹂と説明している︒
いずれも竜脳と樟脳は別という本草の見方が︑根底にある︒
積極的に樟脳から代用竜脳をつくり︑その技術を日本人に教えた
のは︑紅毛人だという説と中国人だという二説があった︒幕府の江
戸医学の本草学の講師となった小野蘭山は前説で﹃本草綱目啓蒙﹄
︵一
八
0
六︶巻一一︳十の竜脳香の項に載るが︑ここには大坂の門人の木村兼匪堂が補正した﹃本草綱目解﹄の竜脳香から引用しよう︒
其義ヲ知ラズ︒今薬店二樟脳ヲ幾度モ焼力ヘシテ是ヲ偽テ片脳
ト云︒是ハ偽物ナリ︒甚能相似クルモノナリ︒一所二椅セ見レ
バ真物ノ竜脳ハ乾テ見ュルナリ︒偽物ノハ湿ヘルガ如シ︒紅毛
ニテモ樟脳ニテ偽ルコトアリ︒近来紅毛人長崎へ来リ︑商人ニ
此偽物ノ製法ヲ伝ヘテ︑竜脳座卜云モノヲ建テ夫ョリ売出ス︒
モカンフラカンフルト云゜ 竜脳ノ蛮名ヲカンプルカンプラト云︒今^紅毛ニテ樟脳ノコト
モト同名ニテ^ナク︑樟脳ニテ竜脳
︵一
八五
一︱
‑︶
巻百
四十
五で
は中
国伝
来説
で
゜
うヽ ヽ >︵一六一五︶巻四竜脳の項に︑樟
五〇
竜脳
と樟
脳︑
天工
から
人工
へ
⑱ ある︒早く寛永五︵一六二八︶年︑唐人の王文玉が河村吉兵衛に竜
脳製法を伝授したという︒その秘伝書によって外孫の長崎大村町の
伊藤善兵衛が︑唐和竜脳座を設けた︒明和五︵一七六八︶年官許を
得て江戸の長崎屋源右衛門︑京都の村上文蔵︑大坂の為川五郎兵衛
を取次所に販売を始めたが︑天明︱‑︵一七八︱‑︶年には﹁此度竜脳
和製当分相休﹂ことになったという︒この時の和竜脳の製造ほ挫折
に終った︒従来注意されていないが︑小野蘭山の門下の真田輝一の
﹃国薬須知﹄︵一七九五︶巻︱︱‑﹁里宇能萬﹂︵竜脳︶の項にほ
此者宝暦二年ノ頃二長崎二始テ製スル事ヲ知ル故二︑多ク偽造
︵ マ マ
︶
ノ物ヲ来ス︒是福州ノ人妓女二合シテ一男子ヲ産ム︒其男精長
ノ後︑彼ノ福人来リテ竜脳ノ製法ヲ伝卜云事ヲ聞クニ︑是波斯
国樹ノ産樹脂二非ス︒皆樟脳ヲ亦製スル事ハ度々ニテ此物ニナ
ルト云︒然レ共其製未熟ニテ真物二似ズ︒近年熟知スト云︒今
舶来ノ物ハ至テ稀ナリ︒皆和製ナリ︒法大秘ス︒
という︒宝暦二︵一七五二︶年は﹃国薬須知﹄の成った寛政七︵一
七九五︶年と近く︑信頼が置けそうだ︒福州の技術の伝播というの
も諒解し易いが︑伝来のルートを︱つに限定してしまうのもどうか
と思
う︒
樟脳から和竜脳をつくる技術については︑水谷豊文(‑八︱︱︱︱︱︱
歿︶の﹃本草綱目記聞﹄三十四巻香木下の竜脳香の項から︑1
一方
を
引用しておく︒但し注記は省略した︒
崎陽伊藤氏製竜脳禁方︒樟脳戸丁子釦六薫陸香麟二塵香釦糠油麟
五
右五味細末シテ交セ合︑銅鍋二入テ煮ルコト一夜︑翌日鍋ノ
底二付タル焼滓ヲ交セ合セ︑土中二埋ルコト半月ニシテ堀出シ
製樟脳為竜脳禁方︒所余発明古人之未及也︒樟脳后
火酒一斤中二浸入レ︑閉口密封シ置コト一月或二月︒其後硝子
ノ蒸饉器二入テ炒火二上セテ露滴スレハ︑氷片梅花ナル者ハ党
底二固結シ︑其露水ハ別器二収メ貯フ︒此露水諸般ノ閉塞ヲ開
通シ︑熱疫ヲ発汗シ︑頭脳ヲ強壮ニシ︑胃心ヲ健運シ︑諸毒ヲ
解散
ス︒
蒸溜器を使用しているが︑このような操作だけでカンファーからボ
ルネオールヘ還元するという︑化学変化を期待することはできない︒
ただ強烈なカンファーの臭いが薄れ︑添加するブレンドによって多
少なりとも︑竜脳の芳香に似せたということであろう︒薩摩藩の技
⑲ 術については︑これらの外側の資料から推察するより方法がない︒
年平均七六〇斤︵四五六
k g )
を長崎へ送りつけたのに︑荷もたれ感
がなかったという点は注意すべきだろう︒薩摩藩の人工竜脳の技術
の確立に応じて︑その生産に見あうように︑配置売薬などの竜脳の
新しい消費が始まったということであろう︒
十九世紀後半になると有機化学の理論が確立し︑それに基づく合
成染料工業がドイツを中心に勃興した︒有機化学の一端としてポン
ー 上
ノ
そ
の
後 見レハ︑上好ノ竜脳ヲ得ルナリ︒可秘可秘゜
精烈醇粋
大学のワルラハ教授は︑揮発性植物油テルペン
C l l
H l
の研究
に没
頭し
︑
その成果によって一九一
0
年のノーベル化学賞を授けられた︒テルペンの化学ほ芳香を放つものが多いこともあって︑現代香料工業の
基礎となった︒
一八
七
0
年にはカンファーをトルオールに溶かし︑還元してボルネオールが得られた︒カンファーを主成分とする樟脳とボルネオー
bomeol camphor‑
H
H o
国
/
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ルを主とする竜脳の相違が︑化学的に明らかになった︒カンファー
の構造式も一八九︱︱一年に提案されたブレット式に落ちついた︒
ニューヨークのオ
ルバニーで捺染工湯を経営していた
J
Wハイアットは︑一八六九年
に撞球の象牙のボールの代用品として︑セルロイドのボールを発明
した︒彼はシャルドンネがレーヨンの製造に使用した硝化度の低い
け︑樟脳を加塑剤にして合成樹脂の製造に成功したのだった︒
スウェーデンの発明家のA
ノーベルは︑ゼラチン爆弾(‑八七
一八八七年には樟脳を加えたバリスクイトを発明し
ニトログリセリンの爆発力を利用してダイナマイトを発明︵一
八六六︶した彼は︑抑止力による平和をめざし︑
爆弾の発明に進んだのだった︒
樟脳の化学の進歩によって︑精製法をアムステルダムが秘密に保
つことは不可能だった︒イギリス︑アメリカ︑ドイツに於ても精製
が行われ︑やがて日本にも移転された︒神戸に住友樟脳製造場が創
立されたのは明治二十一(‑八八八︶年で︑二十五年には﹁住友樟
脳﹂の輸出が開始されたが︑三十六(‑九
0
三︶年に経営ほ神戸の鈴木商店に移った︒大阪道修町で別家独立した藤沢友吉も︑精製樟
脳の有望性に目をつけた︒家庭用衣料防虫防臭料﹁藤沢樟脳﹂を発
売したのは︑明治三十(‑八九七︶年である︒しかし大正七(‑九
一八︶年には樟脳精製の既存七社が合同し︑日本樟脳を設立合併し こ ︒
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五︶に
つい
で︑
一層爆発力の強い 硝化綿であるピロキシリンを︑アルコールとニーテルの混合液につ そして樟脳の利用にも新しい分野が開かれた︒
五
竜脳
と樟
脳︑
天工
から
人工
へ
R た︒これは台湾の樟脳の専売︵一八九九︶についで︑内地も専売
︵一
九
0 1
︱‑︶にした政府の強い指導による︒当時日本はほとんど独
︵一
九
0
八︶年には財閥系のセルロイド製造会社の設立をみた︒第一次世界大戦で急増した需要に合わせて︑生地メーカ
ーヘの参入が続いたが︑終戦による経営難から大正八(‑九一九︶
年には︑八社が合同して大日本セルロイド︵現ダイセル︶の設立とR なった︒本社は堺市鉄砲町に置いた︒大日本セルロイドは南足柄に
近代的なフィルム工場を建設し︑その完成(‑九三四︶を期に写真
部門を分離し︑富士写真フィルムとした︒
薬用の面でも大きな進歩があった︒注射の普及と共に︑カンファ@ ーは呼吸中枢興奮剤あるいは強心剤として臨床に使用された︒カン
フル注射といえば起死回生の妙薬を意味するようになった︒しかし︑
ドイッ医学界とそれを受容した日本を除いては︑カンフル注射の有
害説が根強かった︒東京帝大薬理学教室の田村憲造教授は︑昭和初
年に樟脳の強心作用を研究テーマに取りあげた︒その結果︑樟脳自
体は心臓羅痺作用があるが︑その体内生産物には強心作用があると
して︑樟脳の代謝産物の研究を薬学科の生薬学教室に依頼した︒石
館守三博士らは︑樟脳を与えた犬の尿から生理活性のあるオキソカ
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を得
た︒
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年には︑トランス冗才
キソカンファーが強心作用を示す本態であることをつきとめた︒大
阪道修町の武田長兵衛商店は︑これを犬尿から抽出しアソブル剤 占的な樟脳の供給国になっていた︒
明治
四十
一
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五
゜
﹁ビクカンファー﹂として発売し︑きわめて好評だった︒ビクカンR ファー生産のため︑武田は一時四千頭の犬を飼育したが︑天工から人工への道は早かった︒理化学研究所の鈴木梅太郎研究室では︑佐橋佳一博士らが強心作
用を示すオキソカソファーの合成法を︑昭和九(‑九三四︶年に確
立した︒理研は水溶性注射薬として﹁理研カンフェナール﹂を量産
⑳ し︑藤沢薬品が販売権を得て発売し︑これも好評だった︒
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四一
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︶を
授け
られ
た︒
以上︑本草では竜脳と樟脳はまったく別の薬として使用していた
が︑西方から竜脳の代用としての樟脳の需要が強く作用したことを
述べた︒その一環として︑発生上はともかく我邦に和竜脳︵代用竜
技術上は濃縮析出法と昇華法とが記録に残っているが︑産業上は
後者が応用されたようである︒﹃諸蕃志﹄︵ーニニ五︶の昇華法の
記載が具体的なものの最初だが︑蘇頌の﹃図経本草﹄
( 1
0
六一︶
かわに火を用いて燿かすというのと︑同じ技術だと思う︒はじめは竜脳
の脳子を採るための方法だったものが︑樟脳からも脳が採れるとい
う発見から︑樟脳の製造という新しい展開をみたのであろう︒実用
的な昇華法としては唐代から水銀粉︵甘乗︶の製造に使用されてい
たので︑その影響もあったと思う︒
水蒸気蒸溜は明治以後の主流となったが︑起源的には江戸末期よ
り遡らない︒十八世紀半ばから実験的に応用されていたけれども︒
我邦では原料産出国としての有利さもあって︑セルロイド産業フ
ィルム工場が比較的早くから成立した︒また医薬品として︑世界に 脳︶の生産が︑産業として成立していたことを述べた︒
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結
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時宜をえた理研カンフェナールは︑帝国発明協会の特別賞(‑九
四一︶に選ばれた︒おくれて田村・石館・木村玉汝三氏も﹁樟脳の
強心作用の本態に関する共同研究﹂によって︑帝国学士院賞(‑九 さきがけてビクカンファーを発見し工業化できたのも︑特産品としての関心や経験と無関係だったとは考えられない︒風土から生まれた特産品の科学的な研究の︑一成果といえよう︒風土はそれに適し
樹高五〇メートルにた 註
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②山田憲太郎﹃東亜香料史研究﹄︵一九七六︑東京︑中央公論美術出版︶第一部﹁香料薬品を中心とする南海貿易の最盛期に撰述された﹃諸蕃
志﹄の香料の研究﹂とくに五0
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ジ参
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漿脳
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脳で
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いか
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ぅ③清水藤太郎﹃日本薬学史﹄
ペー
ジ︒
④
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h or a PR ES L. 産地としては日本の濫地と台湾
が有
名で
ある
︒
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⑤巻二十釣樟根皮の治療の項に日華子を引用し﹁洗諸癒痰風癒芥癬﹂と
ある
︒
⑥学
習院
東洋
文化
研究
所版
第六
冊八
一︱
︱︱
︱︱
ペー
ジ︒
︱︱
一木
栄﹃
朝鮮
医学
史及
疾病
史﹄
(‑
九六
三︑
堺︑
三木
医院
︶︱
‑︱
‑六
ペー
ジ︒
山田
憲太
郎﹃
香料
︑
日本のにおい﹄(‑九七八︑東京︑法政大学出版局︶一四八ページでは
﹁世
祖十
四年
﹂と
誤記
して
いる
︒
⑦山
田珠
樹訳
注﹃
ツソ
ペル
グ日
本紀
行﹄
(‑
九二
八︑
東京
︑駿
南社
︶︱
︱︱
七九
ペー
ジ︒
⑧日本専売公社編﹃樟脳専売史﹄(‑九五六︑東京︑日本専売公社︶一
六五
ペー
ジ︒
⑨斎藤阿具訳注﹃ヅーフ日本回想録﹄ た科学技術をはぐくむのである︒
︵一
九二
八︑
東京
︑駿
南社
︶八
七
︵一
九四
九︑
東京
︑南
山堂
︶一
七六
ー九
五四