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ジョルジュ・バタイユと哲学 : 『ドキュマン』 の 時代へ向けて

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時代へ向けて

著者 酒井 健

出版者 法政大学言語・文化センター

雑誌名 言語と文化

巻 12

ページ 1‑47

発行年 2015‑01

URL http://doi.org/10.15002/00010570

(2)

ジョルジュ・パタイユと哲学

-『ドキュマン』の時代へ向けて

酒井健

「私は,《頭が大空に接しⅢ-さらに両足が死者の帝国に触れてい る人》の哲学を欲した。」(バタイユ『有罪者』)

はじめに

ジョルジュ・パタイユ(1897-1962)と哲学の関係を考えてみたい。

バタイユが哲学に対して激しい批判を加えていたことはよく知られている。

他方で彼が,新たな哲学を欲し,模索し,試みていたことはあまり知られてい ない。

本稿では,雑誌『ドキュマンJljの11寺代(1929-31)へ向けてこの両面を考察 していきたい。

『ドキュマン』およびこの初期の時代のバタイユに関してはいまだ不明瞭な 点が多いが,なかでも哲学に対する彼の姿勢はそうだ。これを少しでも明瞭に 示すのが本稿の狙いである。

その手順として,この時代以外のバタイユにまず目を向けて,哲学に対する 彼の考え方の基本的な構図を確認することから始めたい。とりわけキリスト教 の神秘的体験との関係が重要である。人知|を越える神秘的体験,そこで見えて くる「未知なるもの_を-つの判断基準として,つまり「未知なるもの」に開 かれているか否かという視点から,哲学に対するバタイユの批判と肯定が展開 されているように`思えるからである(2)c考察の手順としてさらに,知の行為と 成果を疑って「未知なるもの」へ向かうバタイユのラディカルな懐疑欲を示し,

その極限で生じる狂的な状態「刑苦」,それを「充足」とみなすバタイユの新 しさを間うていく。キリスト教についてはイエスの受けた傑刑を供犠の問題へ

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開いていったバタイユを追いかけてみるc「引き裂く」という彼のテーマの端 緒と発展を見届けたいのである。

そうした考察をへることによって,『ドキュマン』の時代における,哲学に 対するバタイユの理解もより鮮明に見えてくるはずである。痛烈な批判の言葉 のうらで当時の彼はすでに新たな哲学へ歩を進めていた。「未知なるもの」は,

この時代,「異質なもの」などと呼ばれ,神学者ルドルフ・オットー(1869- 1937)の「聖なるもの」の定義「まったくの他なるもの」との近さが示唆され ていた〔31。しかし問題となるのは「同質のもの」と「異質なもの」との断絶で はないc現代フランスの哲学者ジャン=リュック・ナンシー(1940-)はその イメージ論iイ)でこの断絶を第一に1W(視しながら,同時にこの断絶を越えて「俗 なろもの」に迫ってくる聖性の機微にも注目している。本稿でも,「聖なるも の」と「俗なるもの」を識別するだけに留まらず,あえて両者を接合させよう とするところにバタイユの「聖なる哲学」の本質を探る。そして若きパタイユ が激しい仕方でこの接合を試みていた点をIリIらかにしていきたい。彼は,衝撃 的な言葉とイメージを繰りIILながら合理的な見方を引き裂いて,そこにおと なしく同質化し安らいでいた哲学の概念を強リlに引き抜いていく。そうして

「異質なもの」に出会わせ,接続していく。太賜を肛門に接続させるように。

えぐ

あるいはまた「眼球認」の岐後の場imでill父の眼球が快り取られ,女主人公シ モーヌの膣へlWi人されていくように。ちつ

本稿では最終的に,そうした激越な接続への欲望を,哲学に寄せる若きパタ イユの野心とみなして呈示していきたい。

1.「逆説的な哲学」とキリスト教

バタイユは,1958年ごろに制作した「略年譜」なかで,生涯を貫いた自分 の野心をこう語っている。「1914年にはもうすでにこの世界での自分の仕事は 書くことだと,それもとりわけ逆脱的な哲学(unephilosophieparadoxale)

を入念に作り上げることだと疑わなかった。」'51

1914年は,7月に第1次世界大戦が勃発し,8月(バタイユ16歳最後の月 にあたる)には,彼のキリスト教入信が起きている。戦火の迫る北フランスの ランスでバタイユはカトリックに州依した。その後,バタイユはキリスト教の 神秘的な瞑想の世界へ入り込んでいき,戦争末期の1918年8月には妓初の作

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ジョルジュ・バタイユと価学 品「ランスの大聖堂」を書きあげ,少部数ながら出版している。神の光の悦惚 体験(extase,脱|当|体験)を111兆点にしたこの短いエッセーに「逆説的な哲 学」をそのまま見出すことはできない。しかし哲学という言葉の原義が「知へ の愛」とするならば,若いバタイユの神秘主義は知を超える ̄未知のもの」へ の愛であり,このときすでに「逆説的な哲学_の道へ何らか踏み出していたと 言える。

バタイユとキリスト教の問題は,彼と哲学の関係を問う際に重要な意味を持っ ているが,ここではとりあえず2点だけ確認しておきたい。一つは,今しかた 触れた「未知のもの」への愛と関連した問題,つまりキリスト教神秘主義が,

知の限界とその彼方という展望をバタイユにもたらしたという問題である。も う一つは供犠の問題,つまりキリスト教の原点であるイエス・キリストの処刑 を供犠と捉えて,これを幅広くまた深く,思考していくバタイユの姿勢である。

キリスト教は人知を超える存在として神を措定している。人間の知の働きで はどうにも捉えきれない存在が神なのだ。限りある人間の知性によっては無限 の存在である神を十全に認識することはできない。しかしIqll秘主義は,人間の 知の限界を知覚させながら,この限界の彼方に存する|(I|'との交わりを引き起こ すcllX想のなかで心の内部に|)lかれた空間は,もはや人''1の内部という枠組み を超えて,外部に存する神に開かれた場になるのだ。そしてさらに,fiW念の高 ぶる力の場として,外部の神の方へ意識を脱目的に超出させ,神の前に至らせ,

神との「神秘的合一」を果たさせるのである。この体験はまた ̄見神体験」と 呼ばれ,その意味でilIl秘家は ̄幻視者一と言われる。

若いバタイユは修道士になろうかと迷うほど,このような神秘的体験に魅せ られていた。しかし彼は入信後およそ10年して,つまり’920年代前半にキリ スト教信仰を捨ててしまう。その理由はいくつもあろうが,「未知なるもの」

がもはや ̄神」という概念ですら説明できない不可知の闇として,いや|閉とも 光ともつかぬ不分明な果てしなき広がりとして,初めも終わりも定かでない広 大な流れとして体感されるようになったことが大きい。知によって捉えられる ものがまったくない「未知なるもの」の深奥へパタイユは入っていった。神の 奥へ,神がいなくなるほど奥の世界へ,彼は入っていった。

逆に言えば,彼の棄教は,この深奥の「未知なるもの_を前にしてキリスト 教信仰が不徹底で到らないものに見えてきたことに起因する。のちのバタイユ の見方に即して言えば,「未知なるもの」の「戯れ」に比してキリスト教の教

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義が小さな ̄戯れ」に見えてきたということだ'51。そればかりか,拘束,不自 由,欺lliMiの体制とすら感じられるようになり,もはや彼は信仰の道に魅力を覚 えなくなっていったのである。こうしてバタイユはキリスト教信仰を徐々に捨 てていき,それに応じF未知なるもの」への愛としての「逆説的な哲学」へ本 格的に踏み込んでいく(7)。

先駆者はいた。ニーチェである。ニーチェはニーチェでプロテスタントの牧 師の家に育ち,キリスト教信仰に身を染めていた。後年,厳しくキリスト教を 批判し,「神の死」を唱えるまでになるが,しかしこれは,彼いわく,キリス ト教の誠実な懐疑粉|《''1を徹底させキリスト教lL1身に差し向けた結果にほかなら ず(81,「超キリスト教」という見方のもとに腿附されていたのである。バタイ ユもしばしばニーチェのこの言葉「超キリスト教」,あるいはこの言葉に触発 されたF超道徳」なる言葉によって自分の思想を特徴づけている1,〕。

2.最後の言葉

ともかく,バタイユの哲学批判,そして「逆説的な哲学」への野心は,この ようなキリスト教信仰とそこからの離脱という構図が下敷きになっている。

「神」という言葉を妓後の言葉としその彼方をめざすバタイユにとって,哲学 の最後の言葉もまたその彼方に舷fitのするような深淵を)U意しているように思働止8゜

われたのである。

「神とは最後の言葉であって,ほんの少し奥へ行くと全ての言葉が消えて なくなることを意味している。[……〕そうして奥へ進むと,頭は炸裂し てしまう。人間は瞑想ではなくなる(逃げることでしか平和を得られない)。

人IHIは懇願,戦争,不安,狂気になる。」'M1’(『内的体験』第2部戸刑苦」)

「哲学の言語は,いつもとは言わないが,また初めからとも言わないが,

しかし最終的にはまるで狂い11}さざるをえないかのようになる。この場合 の狂気は,恐意的なものに対応した狂気ではない。哲学が根本的に真面目 さを持たなくなるために生じる狂気である。哲学が良識を吹きとばし,あ の高みへ軽々とよじ登ってゆくために生じる狂気なのである。この間みで

め上い

は思考はもはや思考自身の|咳fitのするような転落しか求めなくなる。[……]

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ジョルジュ・パタイユと哲学 哲学の最後の言葉は賢明に正気を失う人々の領分なのである。この眩量の するような転落は死ではない。充足なのだ。」111)(「真面目さの彼方」)

バタイユにとって思考とは第一に疑うこと,懐疑であった。デカルトは全て を疑って,最終的にどうにも疑いえぬ「考える我」,つまり「疑っている私」

に行き着き,これを哲学の土台にした。バタイユは,この「考える私」をも疑っ て,土台となるものが何もない境地へ達する。たとえ「未知なるもの」が概念 化して思想の土台になるようなことがあっても,たとえば不可知論なる思想を 立ち」二げる土台になるようなことがあっても,これをまた疑って足場のない状 況へ到る。バタイユにとって哲学とは際限のない疑い,彼の用語では「問いへ の投入」(miseenquestion)なのである。

「唯一哲学だけが,際限のない問いへの投入を引き受けているがゆえに,

奇妙な尊厳をまとっている。哲学にあやしげな威厳をもたらしているのは,

あれこれの成果ではない。存在するものすべてを問いに投入しようと願う 人間の渇望に哲学が応えていること,ただこのことだけによるのだ。」12)

(「有罪者』「補遺」(認識,行動への投入,疑問への投入に関する断章))

このバタイユの発言から西欧の懐疑主義の伝統を想起する人はいるだろう。

パタイユ以前に,‘懐疑の思索者の系譜がとうとうと続いていたのは事実だ。紀 元前4~3世紀の古代ギリシアのピュロンに始まり,紀元後2~3世紀のセクス トス・エンペイリコスに受け継がれ,16世紀にモンテーニュによって復活し,

17世紀のデカルトへ,そして20世紀のヴァレリーヘ流れて行く懐疑論の系譜 である。だがバタイユをそのままこの系譜につなげるのは困難だ。というのも バタイユの場合,懐疑は,‘懐疑する私をも疑って生じる狂的な状態,「刑苦 (supplice)」と彼が呼ぶ内的体験のさなかでのことだからである。そしてさら に重要なのは,そこで初めて見えてくる,根源的に相違するものをバタイユが コミュニケートさせようとしていた点だ。先に引いた一節の言葉をもう一度引 用しよう。「哲学の最後の言葉は賢明に正気を失う人々の領分なのである。こ の眩箪のするような転落は死ではない。充足なのだ。」

賢明さと狂気は別個のものと認識されているが,内的体験のさなかではそれ らがともに生きられる。その状況は「眩最のするような転落」なのだが,バク

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イユはそこに充足を見出している。懐疑家たちがしばしば求める「魂の平静 (アタラクシア)」とは異なる状況だ。しかし他方で,上記の懐疑家たちも,あ る時には,内的体験の深みへ転落していたのかもしれない。そのかぎり「賢明 に正気を失う人々」のなかに入るだろう。例えばデカルトの次の告白は,「哲 学の最後の言葉」,深淵の縁で書かれた言葉を`思わせる。へり

「昨日の省察によって私は実に多くの疑いの中に投げ出されたので,もは やそれらを忘れることはできない。しかもまた,どのようにすればそれら の疑いを解くことができるかもわからないのである。まったく私は,あた かも突然,うずまく深みに落ちこんで,ひどくうろたえ,足を底につける ことも,泳いで表面に浮かびあがることもできない,といったありさまな のである。」(い》(デカルト箸『省察」2,井上庄七・森啓訳)

救いを求めて懇願しても何も得られない不安と狂気の状態,それが充足だと いうところにバタイユの欲する「逆説的な哲学J,「賢明に正気を失う」哲学の 真骨頂がある。デカルトもそのような充足のさなかにいたはずなのだが,続く 一節には,そこから遠ざかろうとする哲学者が見出される。

「けれども私は努力しよう。そして,昨日踏みこんだと同じ道をもう一度 たどってみよう。すなわち,ほんのわずかの疑いでもかけうるものは,そ れが偽であることを私が見きわめた場合とまったく同じように,ことごと くはらいのけることにしよう。ついにはなんらか確実なものを認識するま で,あるいは,なんら確実なものがないにしても,少なくとも,確実なも のは何もないというこのこと自体を確実なこととして認識するまでは,さ

らに歩みをつづけてゆこう。」('4)(デカルト,同上書)

確実なものを求める懇願の姿勢をバタイユは否定してはいない。しかし「確 実なものは何もないというこのこと自体を確実なこととして認識する」ように なると,懇願は消えてなくなり,別の充足が始まる。バタイユが批判してやま ない哲学者の自己充足,知への閉塞カゴ始まる。ヘーゲルもまたそのような救済へいそく

を求める懇願の状態を生きながら,そこから脱して哲学を柵築してしまった。

一時は彼も「眩量のするような転落」を生きた一人だったのだが,そこから逃

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ジョルジュ・バタイユと哲学

げて凡庸な哲学の充足へ入っていった。バタイユはそう見る。

3.哲学者の充足

『内的体験』の「刑苦_|の章にはヘーゲルの刑苦が紹介されている。『精神現 象学』(1807)を構想する前に陥ったヘーゲルの精神の危機(心気症(ヒポコ

ンデリー))が問題になっているのだが,バタイユはこのときへ_ゲルが狂的 な状態のなかで「未知なるもの」に触れたと推察する。「未知なるもの」と接 する正気の限界地点,バタイユ言うところの「極限」に達していたというので ある。

「ささやかで滑稽な復習一へ-ゲルは極限に触れた。私はそう想像して いる。彼はまだ若く,狂人になるかと思ったのだった。彼が体系を構築し たのはそこから逃げるためだったとさえ私は想像している(おそらくどの 種類の征服も,脅威から逃げる人間の所業なのだろう)。最終的にヘーゲ ルは充足に達する。彼は極限に背を向けたのだ。彼の内部で懇願は死んで しまった。人が救いを求めるというのは,まだよしとできる。人は,確信 を持てぬまま生き続けており,懇願し続けねばならないからだ。ヘーゲル は,生きているうちに救いを手に入れた。懇願を殺してしまった。そうし て自らを殴損してしまった。彼に残されたのは一個のシャベルの柄だけ,

-人の近代人だけだった。だが自分を段損する前に彼は極限に触れたのだ。

懇願を知ったのだ。その記憶が甦ると彼はあの11寺知覚した深淵に連れ戻さ れる。しかしそれは深淵を無化するためだった1体系は無化なのだ。」(15)

(『内的体験』第2部「刑苦」)

パタイユは,パリの高等研究院で行われたアレクサンドル・コジェーヴ (1902-1968)のヘーゲル読解講義に1934年から1939年まで熱心に参加してい た。ヘーゲルに関する彼の知見はその多くをこの授業に負っているc哲学の概 念,例えば「充足」「企てJ「推論」などもそうだ。ヘーゲルの危機についても コジェーヴはその講義の最後ですでに言及していた。バタイユの上記の断章は まさしくコジェーヴの講義の「復習」なのだが,バタイユは「ささやかで滑稽 な」と形容している。両者は,同じへ-ゲルの危機を問題にしながら,違うこ

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とを語ろうとしている。コジェーヴは何と言っていたのだろうか。『精神現象 学』に先立つ『信仰と知』(1802)の一節を取りあげて,コジェーヴは,佃と しての人間の死,つまり普遍性に達して個が消滅する事態にヘーゲルのヒポコ ンデリーの原因があったと考える。1938年から1939年にかけて行われた妓終 年度のコジェーヴのヘーゲル講義,その最終回の最後の言葉である。

「この一節には次のように書かれてある。

《有限性の全領域,すなわち何にせよ物がそれ自身で何ものかである事態 の全領域,つまり感覚しうるものの全領域は,真の信仰においては,永遠 のものの思考と直観を前にして,滅んでいく。思考と直観はここでは唯一 にして同一のものなのだ。人間の主観から発する全ての小蝿たちはこの一 切を飲み干す炎のなかで焼きつくされる。あの自己献身とあの無化への意 識自体も無化されるのである。》

ヘーゲルはこのように認識し語っている。しかし彼はまた一通の手紙の なかでもこの認識が自分には高くついたと語っている。彼は,25歳から 30歳にかけて知った全面的な意気沮喪の時期について語っているのだ。

それは,《すべての力の麻癖にまで》達する《ヒポコンデリー》であった。

この上ポンコンデリーは,まさしく絶対知の観念によって必然的に求めら れている個の放棄,すなわち人間の放棄を彼が受け入れることができなかっ たことに1111米しているのである。だが最終的に彼はこのヒポコンデリーを 乗り越えたのだった。そして,こうして死への最終的な同意により賢者に なって,彼は,ほんの数年後,r精神現象学』と題する「学の体系』の第1 部を刊行したのだった。この書「精神現象学』で彼は,かつて存在したも の及び今存在しているもののすべてと和解し,これから先,地上において 新しいことは何ひとつ存在しないだろうと宣言するのである。_'1M(コジェー ヴ箸「ヘーゲル読解入門』)

バタイユがコジェーヴの講義に魅せられたのは,一つには,このように大胆 な仮説が具体性をもって語られていたからだろう。抽象的な事柄がイメージ性 豊かに語られていたのだ。だがバタイユとコジェーヴは違う。コジェーヴは個 別的なものから1M:遍的なものへの登高に個としての人間の消滅を見てとり,こ の人'31の消滅にヒポコンデリーの危機を由来させていた。パタイユから見れば,

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ジョルジュ・バタイユと哲学 この登高は知の枠組みの中の出来事でしかない。コジェーヴの言う個としての 人間の消滅は死の脅威を体感する「刑苦」とは程迷い(ここにブランショ,と くに「文学と死への権利」のブランショとパタイユの相違もある)cだからバ タイユは「滑稽な復習」と称して,コジェーヴの解釈を笑い飛ばしながら反復 しているのである。パロディ化していると言い換えてもよい(バタイユのパロ ディについては後述する)。そしてコジェーヴの解釈に岻裂を入れるのだ。ヘー ゲルのヒポコンデリーの体験をこの知の上昇過程からり|き抜いて,その限界地 点に,つまり知のすべてが相対化される「極限」の地点に置くのである。

コジェーヴはこのバタイユの復習をどう思ったのだろうか。バタイユは『内 的体験』が出版されるとこれをコジェーヴに謹呈しているが,その返事の手紙 のなかでコジェーヴはバタイユの「滑稽な復習」をヘーゲルへの批判と受けjl2 め,反論している。

このヘーゲルへの批判は,マルクスーレーニンースターリンにおいて生 きているヘーゲル主義への批判にはなっていない。これらの人々にとって,

《充足》は未来のなかにある。だから,彼らにとっては,《人は生き続け,

確信において存在することなどできずにいる。……し続けねばならないの だ。》そう,あなたはここで《懇願》し続けねばならないと言う。彼らは むしろ《闘争》し続けねばならないと言うのだ。ここにあなたと彼らとの 迎いのすべてがある。しかしだからといって,彼らが《シャベルの柄》で しかないなどと言うべきではない。ヘーゲルは《シャベルの柄》だと考え ていた。しかしスターリンは,しっかり作られ完成されたシャベル,自分 の任務をたいへんみごとに完遂するシャベルなのだ。ルア)(1943年7月28

日付けバタイユ宛のコジェーヴの手紙)

コジェーヴの念頭にあるのは彼のヘーゲル解釈の持論,「歴史の完了」説で ある。先ほど引用した妓終講義の最後の言葉を想起しよう。「この書「精神現 象学』で彼は,かつて存在したもの及び今存在しているもののすべてと和解し,

これから先,地上において新しいことは何ひとつ存在しないだろうと宣言する のである。」未来においてはもはや実質的な変化は起きず,歴史の進行は今現 在で終わっているというのだ。後年の『歴史哲学識義」においてすらヘーゲル が言わなかったことをコジェーヴは『精神現象学」から引き出している。それ

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だけでなく彼は自分の講義で,ヘーゲルの『精神現象学』の哲学を歴史学へ独 自に進展させていった。F絶対知」へ至るヘーゲルの弁証法は形而上学の領域 だけの問題ではなく,人類の歴史の問題でもあると力説したのだ。つまりマル クスの言うプロレタリアート革命の結果,人類は階級差のない普遍的国家を世 界規模で実現し,歴史の進歩を終わらせるというのである。そこまで語れず,

形而上学の中にいたヘーゲルは結局バタイユの言うとおり,「一個のシャベル の柄」にすぎなかったかもしれない。しかしマルクスはヘーゲルの弁証法を革 命の世界史へ広げ,レーニンがこれを実践し,スターリンが目下継承している。

スターリンこそは一本のちゃんとしたシャベルなのだ。結局バタイユの「刑苦」

は内的次元の問題であって,ヘーゲルの形而上学にはあてはまるかもしれない が,スターリンの政治へ至る広い意味でのヘーゲル主義にはあてはまらない。

心理的な ̄懇願」の域に留まっていて,現実の「闘争」の世界へ出ていけてい ない。コジェーヴはこう強弁したいのだ。

バタイユが切り裂こうとしても,コジェーヴはコジェーヴのままである。彼 には革命の発展史,革命の進歩史観が依然として知の枠組みのなかにあること が分かっていない。ほかならないコジェーヴ自身が,「推論」(目的に向けられ た論理的思考)としてヘーゲルの弁証法と革命史観のつながりを力説していた のではなかったか。「行動」(「企て_に則って目的を実現していく行為)の抽 象面をヘーゲル,具体面を革命家に帰属させて,「行動」における両者の同一 性,つながりを説いていたのではなかったか。コジェーヴは,バタイユの内的 体験が,F推論」・「行動」・「企て」の外部に向かっている点を見ようとしないc マルクス,レーニン,スターリンの見えていないところまで,革命の外部にま で達していることを見ようしないのだ。バタイユの「懇願」が「闘争」すべき 対象のなくなった次元で発せられるⅢ}びであることがコジェーヴには見えてい ないのである。ましてや,「行動」の世界とその外部とをコミュニケートさせ ようとする彼の野心,例えば「滑稽な復習」をおこなってコジェーヴと内的に 関係しようとするバタイユの野心がコジェーヴにはまったく理解できていない。

4.哲学の終焉か聖なる哲学か

バタイユとコジェーヴの関係は一筋純ではいかない。

もちろんここで問題にしたいのは,両者の個人的な確執ではなく,哲学の視

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ジョルジュ・バタイユと哲学 11

点の相違である。

パタイユはコジェーヴから哲学の概念を借り受けていただけではなく,哲学 の根本の構図という点でもコジェーヴから影響を受けていた。つまりパタイユ は,キリスト教の神秘的体験と重なる行程として哲学を捉える見方をコジェー ヴの説くヘーゲルの弁証法によって下支えされていたと言えるのである。バタ イユにとって,神という最後の言葉から「未知なるもの」へ至る櫛|叉|はまた 戸絶対知」から ̄非-知」へ至る構図であった。コジェーヴもヘーゲルも「非一 知」なる語を語りはしなかったが,ヘーゲルの「絶対知」とりわけこの概念 に対するコジェーヴの解釈は,バタイユを刺激し,「非-知」なる概念の案出へ 駆り立てたのだ。

だが注意すべきなのは,バタイユが問題にしている行程と,コジェーヴの説 くヘーゲルの行程との相違である。コジェーヴはヘーゲルの弁証法を単に知の 進展にだけでなく,人類の歴史の発展と重ね合わせて説いていた。その最終段 階,つまり「絶対知」の段階はコジェーヴによれば「歴史の終わり」でもある。

その段階に達すると,もはや哲学は終わり,人びとは行動を起こすことなく,

芸術や遊びにただ興じることができるようになるというのである。いわば理想 郷なのだ。彼の解説を引用しておこう。

「歴史の終わりおいては人間が消滅するのだが,これは世界が破滅すると いうことではない。自然の世界はあるがまま永遠に存在する。その意味で 歴史の終わりはまた生命の破滅とも違う。人間は,自然と,あるいは与え られた存在と調和した動物として生き続けている。消滅するもの,それは 本釆的な意味での人間なのだ。つまり与えられたものを否定する行動とし ての人間であり,また誤りを冒しもする人間である。一般的に言えば,客 体に対立する三に体としての人間だ。じっさい,人間の11キ間が,すなわち歴 史が終わるのであって,言い換えれば,本来的な意味での人間が消滅する のである。日IIJに膝史を進展させる個人が決定的にいなくなるということ だ。このことは,まったく単純に,言葉の強い意味での行動が停止するこ とを意味している。これが現実に意味していることは,戦争と流血の革命 が消えてなくなるということである。そしてさらに哲学が消滅するという ことである。というのも,人間はもはや自分自身を本質的には変化させな くなるからだ。また世界と自分に向けた認識の根底にある(真なる)原理

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を変える理由もなくなるからである。しかし人IHIばかりでなく,そのほか すべてのものも,いつまでもそのままで保たれる。芸術,恋愛,遊び等々,

要するに人間を幸福にするものはすべて,そのままに保たれる。想起して ほしいのだが,ヘーゲルの多くの主題のなかでもこの主題がとくにマルク スによって継承された。峨密な意味での歴史,そこでは人間が(階級が)

承認のために相互に闘争し,また労働を通して自然界と闘争するのだが,

この歴史は,マルクスにおいては,《必要性の王国》と呼ばれている。そ してこの王国の彼方に《|÷1111の王国》が位置づけられている。《自由の王 国》においては,人びとは,(全面的に相互に承認しあっているために)

もはや闘争することなく,可能な限り労働しないですむ(というのも自然 界が決定的に制御されてしまっている,人|H]と調和してしまっているので ある)。」('8)(コジェーヴ箸「ヘーゲル読解入'''1」)

パタイユもまた「真iii'二|さの彼方」のように彼方という発想を持っている。

知の彼方,労働の彼方を想定し,これを志向している。人間の消滅をも口に出 す。しかしその境地は決してコジェーヴが描いているような幸福な状況ではな く,死刑の苦しみを体験させられるような,いわば不幸な事態なのだ。そして,

それでいて,えも言われぬ陶酔をも感受させるのである。この地点が,人間を 根源的に相対化させるからである。人間を成り立たせている合理的な在り方が 引き裂かれるがゆえに苦しいのであり,そしてまた合理的な在り方の様々な呪 縛から解かれるから陶酔が生じるのである。不安,恐怖感,苦しみ。そして喜 悦,惟惚感,陶酔感。このiilij方をバタイユが語るのは,彼がコジェーヴのさら に先へ,「歴史の完了」の彼方へ'1'ているからにほかならない。

バタイユは端的にこう断言する。「非-知が達せられると,絶対知は他の様々 な認識のなかの一つでしかなくなる昨)(T内的体験』第2部「刑苦」)。「非-知」

とは無知のことではない。さりとて冷静に対象を認識することでもない。生け i蝿を滅ぼす供犠のように,対象の既知の外観をリ|き裂いて(「非-知は裸にす る」2m)('可上書)),その光景に自らも心を動転させ,対象と「交流」すること である。対象を感覚的に意識し知覚して,交わることである。「懇願する非-知 の哲学,それは,認識に移された供犠,心の、jきなのだ」(2')(同上書)。「私は 非-知に身を投じる。これは,交流なのだ」(麹)(同上ア醤)。

ともかくも,ここで注|=Iしたいのは,コジェーヴの彼方にまで来て哲学はま

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ジョルジュ・バタイユと哲学 13 だ終わらないとバタイユが考えていることである。『内的体験」の迎続した二 つの断章を引用しておこう。コジェーヴから摂取したヘーゲルの「行動」の哲 学とバタイユ自らが積極的に打ち出そうとる「聖なる哲学」が対比的に語られ ている。バタイユはデュルケイム,モースらのフランス社会学から「聖なるも の」と「俗なるもの」の識別を学んだ。「俗なるもの」とは,労働を中心にし た我々の合理的で道徳的な日常生活,およびこれに関係したものである。「聖 なるもの」はこの生活とは別次元に出現する不合理で脱道徳的なもの,例えば オルギアや祝祭の熱狂的時空である。バタイユは,笑い,エロティシズムもこ こに加える。彼はこの識別にフロイト,ニーチェから学んだいわば「力の生理 学」を亜ね合わせる。この場合,力は,欲望,情念,エネルギー,生の強度な どとも言い換えられている。「聖なるもの」には力の横溢,力の無益な燃焼が 対応し,「俗なるもの」には力の枯渇,それゆえの力の蓄積,労働が対応する。

バタイユは,これら二つの見方に依拠しながら,ヘーゲルの哲学を批判してい く。「企て」・「行動」・「労働」の俗なる哲学に還元されないものへ,「聖な るもの」へ,哲学を開かせる。

「ヘーゲルが樅築したのは一個の労働の哲学である。「企て」の哲学である。

ヘーゲルの言う人間一存在でありかつ神一は,企てに身を重ねながら 自分を作り上げ,完成させる。イプセ[自己]はすべてになろうとめざし て挫折することがない。滑稽にもならず,不満足に陥ることもない。個人,

つまり労働の道に組み込まれた奴隷は,多くの粁余曲折をへたのちに普遍 的なものの頂きに達する。この見方を蹟かせるロ1膳一の障害(ただしこのつまず

見方は匹敵するものがない深さ,ほとんど到達できない深さを持っている のだが)は,人間のなかにあって企てに還元できないものなのだ。つまり 推論的にならない実存,笑い,能惚などである。これらは,肢終的には人 間を企ての否定へ関係させる-ただしそれでも人間は企てであるのだが。

最終的に人間は,人間自身であるところのもの,人'111にまつわる全ての肯 定を全面的に打ち消される事態へ没入していく。これが,労働の哲学-

ヘーゲルの哲学,俗なる哲学一から聖なる哲学への移行だろう。聖なる 哲学とは《刑苦》が描いている哲学である。ただし,もっと近づきやすい 交流の哲学を想定している。

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《賢明さ》-つまり学問一が無気力な実存に関係しているということ

じょうらん

が私には解せないのだ。実存は擾乱なのだ。|÷1らをI秋い_上げ,熱狂と裂 傷が陶酔に結びついている擾乱なのだ。ヘーゲルの衰弱,つまり迎勁が原 理になっている-哲学の完成された,俗なる性格は,ヘーゲルの生におい て,聖なる陶酔とみなされうるものがすべて捨て去られていたことによる。

当時の暖昧な梢神たちが依拠していた軟弱な譲歩をヘーゲルが退けたのは 間違いだったなどと言いたいのではない。そうではなく私が言いたいのは,

実存と労働(推論的思考,企て)を混同して,彼が世界を俗なる世界に倭 小化していること。彼が聖なる世界(交流)を否定していることなのであ

る。」幾'1(「内的体験』第3部「刑苦の前歴」)

!=とうらん

「聖なるもの」は力の荒れ狂いであり,人間の在り方を擾乱(tumulte)|こ 変える。しかもこの力は,俗なる生き方をしている他者にも及んで,その実存 を掻き乱す。「聖なるもの」は伝播していくのだ。バタイユはしばしばフラン ス社会学者と同様に「伝染」という言葉を用いてこの現象を語った。伝染病の ように「俗なるもの」は蝿なる力に感染していくというのだ。禁止が設定され るのはこの危険から俗なる社会を守るためにほかならない。バタイユはこのあ たりの議論を『エロティシズム』(1957)の第1部で展開しているが,今はこ の伝染を「交流」(communication)という言葉で語っている。「聖なる哲学」

は「刑苦一であり「陶酔一であり,さらにまた「交流」である。バタイユは根 源的な変化を俗なる他者に強いて,交わろうとしているのだ。力が,溢れ}11る 力が,そうさせる。

コジェーヴは歴史が終わると哲学もまた終わると考えた。というのも,-人 IiUはもはや自分自身を本質的には変化させなくなるからだ。_パタイユは,逆 に,万が一歴史が終わったとしても,そのときには人11Mを本質的に変化させる 力がもろに現れると考える。 ̄使い道のない力(forceinemploy6e)」として,

「用途なき否定作11](n6gativit6sansemploi)_として現れ, ̄これを生きる 者を滅ぼす」と考えたいい。この事態は完全な死ではない。 ̄小さな死」,「部分 的消滅」という生と死の|H1の暖昧な状況である。「エロティシズムとは死にお けるまで生を称えることだ」I2Ii)という矛盾した言い方で示される境地だ。「極 限」,「非-知の夜」ともバタイユが呼ぶ境地である。ここから眺めると人|A1の IMi史は,コジェーヴがマルクスーレーニンースターリンのヘーゲル主義に見て

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ジョルジュ・パタイユと哲学 15

いたような終わりを目ざした動きではなく,大きな波の連続でしかないのであ る。どこから来て,どこへ行くのかいっこうに分からない巨大な流れ,キリス ト教の黙示録史観も,それに由来する近代の進歩史観も単なる知のかけらでし かない巨大な流れなのである。

|~現代の世界を遠くから見ている者一現代の世界に対して言わば死者で ある者一,数世紀の間に急速に次々押し寄せた大きな波に照らして現代 の世界を見ている者,この者は,今しがた通りすぎた新たな波があとに多 くの難波者をだし,彼らが波の去ったあとに残された漂流物にただしがみ つくばかりになっているのを見て,笑うのだ。この者は,荒々しい波の連 続しか見ない。諸時代の底から際限なく現れては,もろい絆や硬直した言 葉を圧倒して通り過ぎてゆく,そういう荒々しい波の連続しか見ないのだ。

この者の耳にはもはや,1mで赤く染まった狂奔する水の轟音しか聞こえて こない。眩篭のする大空,広大無辺の連動(彼はこの運動の広大無辺性し か知らない。というのもこの運動の始点と終点を知らないからだ)は,彼 の見るところ,彼自身の人間の本性,彼のなかで休息への欲求を打ち砕い ている人間の本性である。まことにそれは,あまりに巨大な光景であって,

彼を不幸にする。彼は打ちのめされて絶息してしまう。だがこの光景を見 るまでは彼はまだ人間ではなかったのだ。というのも,叫びを抑えられな いほどの感嘆を彼はまだ知らなかったのだから。」26)

バタイユの「聖なる哲学」はこのような大きな展望へ人を導く。この哲学は もちろん彼だけのものではない。古代から人々は供犠の儀式においてこのよう な展望に触れていた。バタイユはそう推測する。

5.供犠へ

バタイユは1955年に重要な論考「ヘーゲル,死と供犠」を発表している。

供犠とは,共同体にとって最も大切なものを神(々)に捧げて減ばし,神(々)

からのご利益を期待する儀式である。古今東西あまねく↑了われてきたこの儀式Dやく

に関して,ヘーゲルと,ヘーゲルのような高度な知性を持ち合わせてはいない 大方の素朴な供犠執行者とでは,どちらが供犠を深く理解していただろうか。

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この論文の主題は表向きそのようなところにある。軍配は後者にあがるわけだ が,ヘーゲル研究者からすれば,良く言って奇想天外な問い,有り体に言って どうでもよい問いかけである。というのも,パタイユが問題にしている『精神 現象学』において供犠は第7章「宗教」のなかでわずか数頁しか占めていない ごくマイナーなテーマであるからだcバタイユもこの章のヘーゲルの記述をほ とんど問題にしていない。彼が注目するのは,『精神現象学』の「序文」にあ る死に直面する精神の生に関する-節である。供犠の体験に匹敵する緊迫感が 伝わってくるというのだ。

「死こそIま最も恐ろしいものであり,死の業を制止することは最大の力をわざ

必要にすることである。(……)精神の生は,死を前にして怖じ気づき,

死の破壊から身を守る生ではなく,死に耐え,死のなかに自らを維持する 生なのである。精神は,絶対的な引き裂きのなかに自分自身を見出しては じめて自分の真実を手に入れる。精神がこの(購異的な)威力であるのは,

否定的なものに背を向ける肯定的なものであるからではない。(……)桁 神は,もっぱら否定的なものを真正面から見据えて否定的なものの近くに 留まる限りにおいてのみ,この威力となる。」27)(ヘーゲル箸『精神現象学』

「序文」)

コジェーヴがヘーゲル講義で紹介したこの一節をバタイユはこよなく愛して いた。小説「マドム・エドワルダ』のエピグラフにこの一節のなかの一文「死オブさ こそは最も恐ろしいものであり,死の業を制jこすることIま最大の力を必要にす ることである」を引用しているし,この論文「ヘーゲル,死と供犠」の前半で は「最も重要なテクスト」と称えてコジェーヴが紹介したまま省略なし引用し ている。しかし,この論文の後半になると,死の恐ろしい面しか強調しないヘー ゲルの到らなさを指摘するようになる。生と死の限界付近に達しながら,もう 一歩奥へ踏み込んで,陽気さ,陶酔,洸惚をなぜへ-ゲルは語らなかったのか。

不安から喜悦まで,死がもたらすこの心の動きの全幅を素朴な供犠執行者たち は生きていたというのに,ヘーゲルはこれを語れずにいる。この哲学者は,目 的達成を重視する生,「推論」の進行を重視する合理的な生の側に留まったま まだった。そしてそのため,自分の哲学を相対化できずにいたとバタイユは手 厳しく批判を進める。「ヘーゲルは,自分がどの程度正しかったか分からなかつ

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ジョルジュ・バタイユと哲学 たのである」という名文句が語られる-節である。

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「ヘーゲルは供犠がそれだけですでに死の運動の全幅を表わしていること を見てとれなかったのだ。それだから「精神現象学』の序文に描かれた最 終的な-そして賢者に固有の-体験が,何よりも始源の,そして普遍 的な体験になってしまったのである。言い換えれば,それだからヘーゲル は,自分がどの程度正しかったのか分からなかったのだ。自分がどの程度 正しく否定作用の内的な運動を描いているのか分からなかったのだ。ヘー ゲルは,死を悲しみの感情から明確に切り離すことができなかった。素朴 な体験は,死の悲しみの感情に,様々な感`情を回り舞台のように次々対置 させているというのに。」鯛》(「ヘーゲル,死と供犠」)

ここに引用した最初の文にはバタイユ自身の注が付けられていて,ヘーゲル がなぜ死の体験を十分に認識できなかったのか,その理由の一端が示唆されて いる。ヘーゲルがプロテスタントで,カトリックの宗教体験をもたなかったこ とが問われているのだが,意味するところはそれだけに留まらない。

「おそらく[ヘーゲルに]カトリックの宗教体験がなかったせいだろう。

私は,カトリック信仰の方がプロテスタント信仰よりも異教の体験に近い と考えている。私が異教の体験ということで理解しているのは,普遍的な 宗教体験のことである。宗教改革はこの体験から遠ざかったのだ。おそら くカトリックの深い信仰心だけが,内的な感`情,これがなければ供犠の現 象学は不可能になってしまうような内的な感情を導入できるのだろう。」(爵》

(「ヘーゲル,死と供犠」原注)

宗教改革は1517年,ルターによるローマ・カトリック教会批判に始まる。

プロテスタントとはまさに「抗議する者」の譜だ。ではカトリックの何に抗議 したのか。それは,神への信仰に介在する媒介(メディア)すべてである。唯 一許されたメディアは聖書だけだった。人一聖書一神の関係だけが信仰の在り 方として肯定されたのである。その他の媒介は厳しく批判され,プロテスタン ト信仰では完全に除去されるか,縮小化,簡素化の道を辿った。巨大な教会建 築,そこを飾る図像や彫刻,そのなかで繰り広げられる豪華な典礼,そしてま

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18

しょくゆうしょう

たマリア信仰や聖人(『i仰も批判の対象だった。賦宥状(罪の軽減のための有 料の証杏)などはもってのほかだった。ローマ・カトリック教会は偏者からの 献金を大量にそそぎこんでこれらの媒介を作り上げ,またさらなる献金をたぐ り寄せる縁にした。ルターは貧liK1にあえぐドイツ農民の世重な献金がそのよよすが

うな媒介に使用されていることに不正を感じ,憤ったのだ。

プロテスタント側では,十字架もただの十字架だけになり,イエスの凄惨な 姿は排除された。毎週日曜日に行われるミサ,つまり岐後の晩餐と翌ロのイエ スの処刑を想起するカトリックの祭式も,月一度に減らされ,簡素な礼拝に変 化した。死の気配は消されていったのだcヘーゲルは,ルター派のチュービン ゲン神学校にまで進んだ,いわば筋金入りのプロテスタントであって,バタイ ユはそこに注|]してクピの儀式の経験不足を言い立てているのである。しかしだ

くみ

からといって,バタイユはカトリックの側にそのまま与しているわIナではない。

むしろカトリックの供犠は本質的に異教的だったとまで言うのである。なぜな のか。

イエスは供犠を意識して自らを傑刑に捧げたわけではない。イエスのこの死 を供犠に結びつけたのは,生前のイエスに会ったこともその処刑に立ち会った こともないパウロである。「わがIIIlI,わが神,なぜ私を見捨てたまいしか」

(「マタイ伝」第27章46)と苦悶の疑問を天に発しながら死んでいったイエス の死は,それ自体jl1(意味であり犬死ですらあっただろう。神から見桧てられた 師をいかに信仰したらよいのか,弟子たちや信奉者は根本的な難題に直面した はずだ。パウロはこれを神による供犠と解釈して解決したのである。供犠は当 時すでに東地中海世界に広く定着していた儀式だった。ユダヤ教徒だけでなく,

もっと多数のギリシア鵜を話す人々にも浸透していた。律法主義に凝り固まっ た狭いユダヤ教を脱して,広くギリシア語を話す人々にまでユダヤ神信仰を広 める。それが発足当初のキリスト教,いわばユダヤ教改革派としてのこの新興 宗教の動きだったのであり,供犠という視点の採用はこの動きにも合致してい たのである。

犬上の父なるI1IIIは子としてのネ''1を犠牲に処して,人類の罪をあがなった。そ れほどまでに深いl(lllの愛に人類は愛をもって応えねばならない。十字架の愛の 神学と言われるこのパウロの解釈は,供繊における人とネ''1(々)との|}11の互酬 性を,農作の豊腱や洪水・渇水の軽減といった物質的な次元から,つまり人間 の感覚で捉えうる次元から,愛という精神的な次元に筒めた点に新しさがあっ

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ジョルジュ・バタイユと櫛学 19

た。そしてまた,供犠の主体が天上の神であった点も新機軸だったと言える (その分,人類は愛の返礼を強く迫られたわけだ)。だが異教起源であったキリ スト教の供犠は,その後も異教の次元で発展していった。もしも愛という精神

しゅんし$

的次元を遵守していたのならば,プロテスタントのようIこ聖書の言葉を中心 にした礼拝ですんでいたはずである。しかしパウロ以後,ローマ・カトリック 教会は,ミサの場,儀式の在り方を,感覚に強く訴えかける方向へ進展させて いった。視覚(傑刑図,ロウソクやステンドグラスの照明効果),聴覚(聖書 の朗唱,典礼音楽),嗅覚(香油やお香の香り),1床党(イエスの肉としてのパ ン,血としての葡萄酒),触覚(聖遺物の触感)。カトリックのミサは人間の五 感全てを刺激する方向へ進んでいった。異教の供犠に近くなっていったのだ。

異教の神々は人間に感覚しうる自然界に住んで,まったく気まぐれに人間界を

かくらん撹乱しにかかる。キリスト教の教義では彼らIま悪魔として扱われ,その存在を 否定されていったが,神々との感覚的な交流を求める異教の心情はキリスト教 の典礼のなかでも生き続けていた。牛を何頭も殺して生肉を赤ワインで食しオ ルギアに耽る古代ギリシアのディオニュソス祭のような生々しい激しさはなかっ たが,カトリック教会に集った信者たちは,イエスの死の効果的再現に感覚を 刺激され,心は不安から喜悦まで激しく揺さぶられていたのである。若いバタ イユはランスの大聖堂でカトリックに入信して以来およそ10年の間,ロマネ スクの古い聖堂や修道院付属の教会堂でミサに参列し,天上の神の愛を思念し ては,同時にまた地上の異教的次元での死の演出に感覚を振るわせていたのだ。

6.光源としての見世物

プロテスタント側は,カトリック側に対して,イエスの死は一回きりの出来 11Fであり,これを仰々しく反復することは無意味だと批判していたが,カトリッ

ク側としては,再現された場面の真正性を問題にしていた。最後の晩餐を想起 させる聖体拝領のパンにはイエスの当時の種なしパンに似たものが用いられ,

祭轍の背後にはグリューネヴアルトの《イーゼンハイムの祭壇画》のような処 刑されたイエスの痛々しさが伝わる図像が飾られたりした。しかし,いかんせ ん,この再現の真正`性には限界がある。イエスの岐後の晩餐やゴルゴタの丘で の処刑が実際にどんな光最であったか,正確なI間報は後世に伝えられていない のである。新約聖書の妓初の伝承「マルコ伝」が識かれたのはイエスの死後少

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なくとも30年を経てのことであったし,作者のマルコなる人物がはたして本

うか

当にイエスの最後の日々を見ていたかどうか(ま不明である。むしろ穿った見方 をすれば,カトリックのミサは,原光景の忠実な再現を口実にして,その場そ の場の儀式の盛り上がりに賭けていたのかもしれない。ミサを行う者も参列す る者も心底で求めていたのは,過去のイエスの死の正確な再現ではなく,今こ のときに死の気配そのものが立ち上がって感じとれるようになることだったの かもしれないのである。異教の儀式と同様に,その場の見世物としての衝撃性

こそが第一に重要だったのかもしれないのだ。

バタイユもまた,棄教後に,このような表と裏の関係が十分ありうることを 察知していったのだろう。再現性は表向きの理由づけであり,実際の衝撃性こ そがミサの本質であると。棄教後の彼は精神の支えを失って,極度の精神不安 に見舞われたが,そのなかで精神科医から差し出された一葉の写真は,その衝 撃性とともに,ミサに熱心だった信仰時代の自分が心底何に懸かれていたのか を,そしてそれが彼ひとりの問題ではなかったことを,彼に教えたはずだ。十 字架上のイエスと同様に一人の中国人の青年が手足を棒に縛りつけられ,胸を 切り裂かれ,これから足を膝から切り落とされる写真である。「百刻みの刑」

と呼ばれるこの公開処刑において,死刑執行人たちも,その背後の人々も,恐 怖に駆られながら引きつけられるように切断の作業に見入っている。切り裂か れる人の光景は周囲の人間の心を;|き裂き,なおかつこの光景へ牽;|している。けんいん

切断の光景と周囲の人々,そしてこれらの人々相互が内的にコミュニケートし 接続されているのだ。

おそらくこの写真が一役買って,後年,彼はイエスの処刑の場面を,引き裂 かれた存在相互の「交流」の場だったと解釈するようになるのである。供犠と 捉えつつ,しかしご利益とも互酬性とも関係づけずに,天上の神をも引き裂く 力の発出源としてイエスの死を捉えていくのである。「もしも神と人間の双方 が,各自の一体性を保っていたのならば,もしも人間が罪を犯さなかったのな らば,神と人間は,それぞれ孤立した状態の中にあり続けたであろう。創造主 と被造物たちとがともに血を流し,互いに引き裂きあい,全面的に相手を解体 の危機にほうりこんだ-恥辱の限界にまで到りながら-処刑の死の夜が,

両者の一体化には必要だったのだ」《301(『ニーチェについて』第2部「頂点と衰 退」)。

パタイユは生涯にわたって「百刻みの刑当の写真に懸かれていた。最後の作

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ジョルジュ・バタイユと哲学 21 品『エロスの涙』(1961)の最後の数頁でそのことを打ち明け,この写真を公 開している。その途次,1943年の『内的体験』においてもこの写真について 言及している。頭髪を逆立て,流血が縞状Iこ走る中国人を「スズメバチのようしま

に美しい」と語ったあと,即座に彼はこの「美しい」という形容詞を問題にし て,こう言い足すのだ。「私は《美しい》と書いている1.・…・何かが私から 離れ,逃げていく。恐怖が私を私自身から見えなくし,ちょうど太陽を直視し ようとしたかのように,私の目は横にそれていく」(3'1(『内的体験』第4部「刑 苦追記」)。

足を切断されているさなかの中国の青年は太陽のように光り輝く光源であっ たのだ。それは直視された太陽であり,けっして思念され美化された太陽では ない。「腐った太陽」なのである。この題名のテクストを『ドキュマン』(1930 年第3号)に発表したころの自分を想起して,バタイユは「美しい」と書いて しまった自分を恥じている。「美しい」などと語ることは,この光源から目を そらし,かつての自分を見失なっていることを意味する。公開処刑や供犠の現 場のように,恐ろしくまた醜い光源を次々呈示していたのがあの頃の自分では なかったか。異様なまぶしさを放つ光源を見世物として呈示する。過去の現実 を再現するのではなく,それ自体が「如実な現存」(pr6sencer6elle)となる ように強烈な言葉とイメージをこれでもかというほど繰り出す。引き裂かれて いるがゆえに読者を引き裂く見世物をかつての自分は溢れるように毎号呈示し ていたのではなかったか。

論考「ヘーゲル,死と供犠」のなかで供犠の儀式は「見世物(spectacle)」

とみなされているが,それは,人間が自分の死を直接認識できないがゆえの

「ごまかしの手段」,死を知るための代替行為としてであった。初期のバタイユ,

「ドキュマン』時代のバタイユは,むしろ逆に「見世物_'を自律した衝撃性と して呈示していた。テクストと写真図版の両方においてそうしていたのだ。最 後のバタイユ,とつとつと切れ.切れに語りながら,引き裂かれかつ引き裂く図 版を横溢させる『エロスの涙』は,この最初のバタイユヘの回帰だったのかも

しれない。

『ドキュマン』に褐ililiされた図版の重要性については言を俟たない。それは

参考資料としての重要性ではない。ドキュマンとはたしかに「資料」という意 味であり,考古学や民族誌学の資料を提供するのがこの雑誌の本来の趣旨だっ た。だが編集局長バタイユは創刊号からこの趣旨に反する雑誌へ組上げていく。

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図版はもちろんテクストに対応しており,表向き参考資料であるかのように見 える。しかしテクストを説明する補助役に留まらず,強く自己主張しているの だ。テクストのイラストレーションではなく,11'世の写本図版のようにそれ自 体で蝿〈イリュミネーションになろうとしている。色彩から言えば,掲戟図版 はすべてモノクロだ。しかし,その分,忠実な再現という意味合いが薄れ,イ メージがそれ自体で不気味な光彩を放っている。

はくび白眉(ゴジャックーアンドレ・ポワファール(1902-1961)の樋影した足の親指 の写真だろう。バタイユの論考「足の親指」(「ドキュマン」1929年,第6号)

に3葉大きく,つまり各葉に1頁全illiさかれて褐jlliされている。暗闇からヌーッ と足の親指がクローズアップで浮き上がってくる写真である。通常は,人体に 組み込まれてその機能を果たしているこの肉体の部位が,ここではそれ自体と して,なにやらもの言いたげに見る者に迫ってきている。闇のなかで人体から 切断されて,親指が自律的に存在し,l皇1分の内なる声を自由に発している。こ の自律と自己主張はまた図像自体の自律と力でもあるかのようなのだ。闇に浮 かぶ被写体の足の親指は,その内奥の力を歩行の機能から解かれて今や気まま に,異様に,放っているのだが,図像はこの内奥の力を再現するというのでは なく,被写体から自分へ流出させ,あたかも図像そのものが放っているかのよ うに見せているc図像自体が力の光源になっているかのようなのだ。ナンシー はイメージ論のなかでこれに近いことを語っている。|イメージは内奥の力を

"再現する”のではない。イメージに1体が内奥の力なのだ。イメージは内奥の 力を活性化し,引き抜き,退引させる。内奥の力を抽出しながらも自分のもと に引きとめておく。そしてこの内奥の力でもって,イメージは我々に触れるの だ」(;'21'(ナンシー「イメージー区別されたもの」)。

7.異種混清あるいは透明な連続性

聖なる図像は「区別されたもの(ledistinct)」だとナンシーは定義した。

たしかに『ドキュマン』の図版も,説明の補助役という本文との俗なる関係を 断ち切って,自律した聖性を発榔しようとしている。しかしだからといって孤 立しているわけではない。聖なる図像の矛盾した動き,つまり「俗なるもの」

と断絶し,「区別されたもの_の境地に「辿グ|」(retrait)しきっているわけ ではなく,その ̄退引一の線を破って, ̄俗なるもの」に迫ってくる動きをナ

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ジョルジュ・バタイユと哲学 23 ンシーはしっかりおさえている。しかし問題なのは,そう論じながらも,ナン シーが|~聖なるもの」と「俗なろもの」に接続はないと強弁している点だ。

「聖なるもの」は越境してきても, ̄区別されたもの」として猛威をふるい続け,

「俗なろもの」との連続性を結ばない。連続性はあくまで「俗なるもの_の世 界にしかないというのである。

「区別されたものの区別とは,ゆえに,それが隔てようとしていることに ある。そして,区別されたものの緊張状態は,隔たりを維持しながら同時 に隔たりを乗り越えようとしていることにある。聖なるものの宗教的な語 奨においては,この乗り越えは供犠あるいは侵犯であった。すでに述べた ように,供穣は合法化された侵犯なのである。供犠とは聖なるものにする こと(聖別すること)なのだ。つまり法律上ではなされえないこと(別の 世界から,退引の奥底からやってくるしかありえないもの)をなすことで ある。

だがイメージの区別は-供犠にたいへん似ているとしても-本来は 供犠的ではない。この区別は何かを合法化しないし,侵犯もしない。イメー ジは,退引の距離を乗り越えるのだが,しかしそのときもイメージとして の|剴分の標識lこよってこの距離を維持している。あるいはこう言い換えたマーク マ-ク

lまうがいいかもしれない。イメージは,イメージ自身であるところの標識 よって,退引と移行(移行とはいっても別なところへ移るわけではないの だが)を同時に開始する。このような乗り越えの本質は,連続性を打ち立 てないというところにある。この乗り越えは区別を消し去ったりしないの だ。接触を引き起こしはするが,区別を維持しているのである。〔……]

連続性は,諸事物とそれらを結びつける作業とからなる区別のない,同 質的な空間の内部でしか生じない。区別されたものは,逆に,いつも,異 質なもの,つまり鎖を解かれたもの,鎖でつなぎとめておくことのできな い猛威なのである」(鰯)(ナンシー,|司上}響)。

ナンシーはここまで語って「バタイユの思想は他ならないここに中心があっ た」と注を付けている【蝉)。バタイユが,聖なるものを鎖の解かれたような力の 荒れ狂いとみなしていたのは事実であるし,『ドキュマン』ではこれを「異質 なもの」と定義していた(351゜しかしバタイユは,ナンシー以上に「聖なるもの_

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24

と「俗なるもの_の交わりを認めている。ナンシーの「接触」(contact)は,

ぼん少しばかり,ただ表面的に「聖なるもの」に触れるだけのことだ。それほ どに痛みを伴ったり,危険であったり,不気味であるのが「聖なるもの」だと ナンシーは主張する。結局,「聖なるもの」に触れても,「俗なるもの」には相 違と隔たりばかりが認識されてくるというのである(麺)。そして「連続性」は

「俗なるもの」の世界にしかないというのだ。たしかに,根源的な区別がない から,人間も物もそれぞれ共通の尺度で測られ,同一につながった存在として 処理されていくのだろう。20歳になれば皆成年というふうに。

だがこうした捉え方はやや硬[[していて狭く,人間の実態にそぐわない。(

タイユカK批判してやまなかった哲学概念の自己閉塞,自己充足が見てとれる強ニオプ

張りである。バタイユ自身は,フランスtl:会学の観察を尊IlIしながら,「聖な69

るもの」の特徴として ̄伝染」(contagion)という現象に注目していた。伝 染病のようにどんどん蔓延していき, ̄俗なるもの」を侵していくというので ある。この伝染によって妓悪の場合は「俗なろもの」が完全に滅んでしまうこ ともあるが,パタイユが重視していたのは,俗なる個人でありながら,聖なる 力に襲われて心理的に引き裂かれている状況である。「刑苦」とはこのような 暖昧な状況のことだ。聖性と俗性がともに生きられる状況だと言っていい。ナ ンシーの「接触」の概念はこの暖昧な状況に対応しているが,この哲学者はこ こにおいても「区別」を重視しているcバタイユはつながり,共存,混爾を重 視し,「辿続性」を見ている。

8.「引き裂かれた神人同形論」とイメージ

バタイユとナンシーとでは「迎続性」の捉え方がまったく違う。これは,

「連続性」の概念と近いF内在性」についても言えることだ。そのパタイユ論

『無為の共同体」でナンシーは「内在性」を近代国家における個々人の平等で 一様な聯れと捉えていたが,バタイユは多様性を次々呈しながら動く広大無辺 性と捉えていた。先ほどリ|用した『有罪者』の断章に描写されていた眺め,波 浪の連続としての巨大な流れの眺めがこれにあたる。

注意すべきは,内的体験での「刑苦」が,つまり聖性と俗性に引き裂かれて いる彼の内的自己の在りょうがそのまま'1:界のこの巨大な在りようと相同だと パタイユが知覚していることである。「私の11上界観は引き裂かれた神人同形論

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