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多文化教育としての日本語教育の取り組み

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多文化教育としての日本語教育の取り組み

法政大学キャリアデザイン学部教授山田 泉

(-)多文化教育としての日本語教育の必要性

1)多文化教育と日本語教青

わたしは,本学部では多文化教育や日本語教育の教員養成に関する科目群を コーディネートし,「異文化適応と言語教育」,「日本語教育概論」等の専門科 目を担当します。その目指すところは,「多文化共生のためのコミュニケーシ ョン能力を養成することにかかわる人材の育成」です。それは,経済をはじめ,

多くの分野が,全地球規模でのかかわりの上に成り立っている現代社会におい て,多様な世界観を持った者同士がコミュニケーションを通じ,互いに人間と してかかわり,そのことによって互いに学び,すべての個人が心安らかに生き ていける共生社会の創造を目指してともに社会参加が果たせるようにすること

が必要だと思うからです。

上記の「日本語教育」は,外国人等に対する「日本語」習得のための教育と 考えられると思いますが,「多文化教育」という教育については馴染みが薄い と思います。この「多文化教育」とは多様な文化が混在する社会で,マジョリ ティー側を含め対象の学習者に,文化の相違を越えて自らが他の構成員と対等 な関係が作れ,平等に社会参加していける能力を開発するというものです。

ところで,わたしは,自らが考える日本語教育を,この多文化教育の実現形

の一つと位置づけています。つまり,「多文化教育としての日本語教育」とい

うものです。それは単に日本語という言語の構造体系や運用方法の習得を目指

したり,日本人の考え方や日本社会・日本文化の理解を進めるといったことだ

けにとどまりません。人と人とが文化の相違を越えて対等な関係が作れ,平等

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に社会参加していくということは,地球上の多様な文化が受容できるというこ とであり,家族から世界まで様々な社会集団の中にある力関係から自由になれ るということでもあります。簡単なことではありません。しかし,わたしは

「日本語教育」にはこの多文化教育の目的を実現する十分な可能性があると考 えます。

わたし自身は,これまでに身につけたといえるような外国語はありませんが,

幾つかの外国語を学んだ経験はあります。わたしが外国語を学んで感動するの は,学ぶことで「世界の見え方は一つではない」と教えられるということです。

十進法でない数の体系をもった言語があって,その言語を話す人々には,基本 的に十進法の現代数学の計算が苦手という人が少なくないとか,「わたしのお とうさまがおっしゃった」という敬語を使う言語があるとか,生徒が先生から お金を借りて,先生に「明日,必ず返してあげます」と言う言語があるとかで す。これらの言語を使っている人は,わたしの感性とは違った感性を持ち,違 った行動様式で行動し,思考するのだろうなと思ってしまいます。そして,逆 に「わたしが見ている世界は,なぜこのように見えるのだろうか」という疑問 がわいてくるのです。

当然,言語はその言語が話される集団の文化に規定されていますし,文化は その社会のありようと相互に規定し合っていると思われます。わたしは,外国 語を学ぶことで日本語を話す自分の中の日本社会の文化を相対化し,自分が属 する日本社会を再認識し,さまざまな言語が話される社会間の関係を見つめ直 すきっかけを得てきました。また,日本語を教えるようになってからは,日本 語を学ぶ人と自分とのかかわりから,さらにそれらは加速しました。

地球規模での自然環境,社会環境の問題が深刻さを深める中,わたしがこの 地球上に生きる人々に等しく必要だと思う能力があります。それは自らの「世 界の見え方」を相対化して認識し,人々が属する文化や社会を超えて対等,平 等に地域社会から地球社会までの社会作りに参加することの必要性を理解し,

それら多様な「世界の見え方」に属する者たち同士が率直な議論と真の公正感 覚による調整によって問題の克服を目指す行動がとれるというものです。その ために「多文化教育としての日本語教育」の役割が求められていると思います

し,その創造は可能だと考えます。

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多文化教育としての日本語教育の取り組み3 2)文化の相違からの学び

わたしがはじめてそう思ったのは,今から10年以上前の1993年の7月でした。

わたしが昭和女子大学の教員を辞し,大阪大学に移ることになり,わたしの授 業を履修していた留学生や日本人学生,同僚教員などに送別会をしてもらった 時のことです。そのことはわたしが以前書いたもの'川の中に次のように記して います。

その会は,寿司屋を借りきってやってくれたのだが,それは,もうすぐお開 きという時間に,わたしが座敷を回ってお礼を述べていたときに起こった。あ る座敷のテレビの前にいた留学生が3人,日本人の学生が三四人のグループに,

「きょうはどうもありがとう」などと言っていたとき,テレビのニュースで,

「花火大会があって,それを見ていた親子に,花火の不発弾が落ち直接当たっ た母親は重症,腕をかすった5歳の娘は軽症を負った」という報道があった。

わたしはその事故があったのがわたしが住んでいるところに近かったので,つ いそのニュースに注目してしまった。それにつられて学生たちもテレビを見つ めていたが,聞き終わって,日本人の学生から,「子どもに直接当たらなくて よかったね」という言葉が発せられ,「ほんとによかったね」という相づちも あった。すると,留学生たちが一斉に,「どうしてですか。お母さんに当たっ ていいんですか」と表情を変えての抗議の声が続いた。日本人学生もその気迫 に押されながらも,「子どもに直接当たったらたいへんでしょう」,「小さいん だから,死んじゃうかもしれないし」などと反論があり,逆に留学生が,「お 母さんに当たってもたいへんじゃないですか」と言い返していた。

これらの学生は多くがわたしの「異文化間コミュニケーション概説」を取っ ていたので,この対立は「何か変だ。何かある」と感じ,いろいろと意見交換 をした。すると意外なことが分かった。つまり,日本人学生は皆お母さんの視 点からこのニュースを受け止めていたのに対し,留学生は皆子どもの視点から 受け止めていたのだ。その場にいた留学生は,韓国,中国本土,当時の香港の 出身だったが,「わたしの大切なお母さんが,たいへんなことになってしまっ た。わたしは,小さくて何もできない。どうしよう」という気持ちになったと 言う。韓国の学生は,「背筋が寒くなる」という日本語を思い出したと言った。

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家族の中で,子どもが親よりも大切にされる文化もあり,またその逆もある ようだ。現代の日本のように,母親が自己犠牲を強いて子どものために尽くす 社会もあり,たとえばタイのように子どもが自己犠牲を強いて親のために尽く す社会もある。このような違った「世界の見方」を持った者同士が接触すると き,さまざまな誤解や摩擦が生じる。この場合でも,日本人の学生の言ったこ とを留学生たちが「問題発言」として抗議しなかったら,「相互理解」は生ま れなかっただろう。留学生たちは,「日本の若者は,自分の親に対して何て冷 酷な人たちなことか」と,人格の問題としてしまったのではないだろうか。し かし,ここでは留学生たちが,自分たちがおかしいと思ったことを率直に言い,

相互に話し合いをし,「納得」ではなくても「理解」にたどり着いたのだ。さ らには,「どんな文化であっても,家族の中でだれかに自己犠牲を強いるとい うことはおかしい。親だろうが子どもだろうが,皆が家族のためにできること はして,それぞれの自由も認め合うというもう一つの文化(第三の文化)を作 ることが大切だ」ということに気づく「学び」が起こったのではないだろうか。

それは,互いに自分の文化を相対化し,社会によって自分の「世界の見方」は 作られたのだという視点で自分と社会を批判的に見られるようになることにも 通じると思われる。

長い引用になりました。また,抜粋ですので日本文化やタイの文化を一律に (ステレオタイプ的に)述べているような引用になりました。

当時,わたしはタイから日本に出稼ぎに来て,「風俗」で働いていた女性に ついてフィールド調査をしていて,なぜ子どもが親のために異国で体を売って 尽くすのかが分からず,また,親も娘のそのような境遇に気づいていながら,

なぜ甘んじてそれを受け入れられるのかに疑問を持っていた時期でもあったの で,鮪に落ちるものがありました。日本でも戦後すぐくらいまでは,似たよう なことがあったのではないかと思われます。

ここでは「第三の文化」といっていますが,異文化がぶつかり合い,互いが 相手の文化に対し拒否感を抑えて,解読の努力をし,互いの文化を相対化して 理解することで,双方にとって,あるいは人間社会にとって,より望ましい新 たな文化(社会の在り方も含む)が創造されるのだということです。

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多文化教育としての日本語教育の取り組み5

この体験から,日本語学習者と日本人等が本音でコミュニケーションができ る環境を作ることで,双方の学び合いが起こる「多文化教育としての日本語教 育」が実現できると思い,自ら幾つかの教育実践を続けてきました。

に)大阪大学での取り組み事例紹介

1)大学内での取り組み事例

前職大阪大学での「多文化教育としての日本語教育」の取り組みは,大きく 分けると二つのタイプのものがあります。その一つは,学部学生の1,2年次 正規授業で行ったもので,もう一つは,地域社会や地域の学校に大阪大学等の 留学生や一般学生が参加して行ったものです。

前者の取り組みについては,はじめは,留学生の日本語クラスに日本人の学 生が入ってディスカッションに参加するといったもの'勘でしたが,1999年度秋 学期からは,一般学生の教養課程として開講している基礎セミナー担当教員と 留学生対象に開講している日本語担当教員が二人で行う合同の授業という形態 が採られました'3'。1年半の試行期間後,2001年度春からは,-人の教員が行

う-つの授業を留学生は第二外国語として履修し,一般学生は基礎セミナーと して履修するという科目ができ,科目名も「多文化コミュニケーション」とな

りました。留学生と一般学生が,テーマごとに分かれて数人ずつの班を作り共 同で調査研究をし結果をまとめてプレゼンテーションをし協議をするというも

のになりました。その結果,日本の学生にとっても,いろいろな国出身の留学

生一人一人にとっても,多様な視点に気づき学べるものとなったし,学びの内 容も多様になったと思います。その一例を挙げると次のようなものがあります。

ある時,ある班が「近代の戦争と戦闘員,非戦闘員の死者数」についての調

査研究をして発表をしました。それによると,近代の市民革命以降(日本は明

治維新以降)の戦争では戦場となった国はどの国も非戦闘員の死者の数が増え 続けているとして,王制から共和制に変われば,国政の主体が国民になるのだ

から戦争を行う主体も同様で,その結果が及ぶのも国民全体になるからだと説

明しました。だからこそ,国民は国政の主体(主権者)として,国の政治に自 らの意思を反映させる努力をしなければならないのだし,日本の大学生で政治 に無関心な者が多いのには驚くと締めくくりました。

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これに対し,近代の拡張主義とそれへの抵抗のための戦闘はその説明では表 現されていないとし,これら侵略戦争による死者に非戦闘員が多いと考えるべ きだという意見がありました。この意見をきっかけに,宗主国による植民地政 策の前に,非植民地の大多数の国民は意思決定になど参加できず,その後の国 の運命も委ねられたなど,植民地での国民の意思の問題が議論されました。

インドでは,イギリスの植民地化と第二次産業の移転によって,人口爆発の 引き金が引かれた(植民地以前は農業・牧畜社会で,食糧供給料が一定であり 人口もほぼ一定に保たれてきたが,第二次産業が起こることによって,子ども を多く生んで働き手として町に送り出し現金収入を得ようという人々が増え,

食料供給・消費の関係も市場化していき,人口爆発が起こったと説明しました)

とか,植民地インドをインド人によって間接統治するために,イギリスの採っ た教育政策は,高等教育を重視しにく-部の国民に対し人材育成のためのエ リート教育を行った。教育に用いた言語は英語であり英国式の教育システム,

教育内容を導入した。これによって教育を受けたごく一部がこの国を間接統治 する仕組みができ,カースト制を強化したと説明しました),これによって現 在も教育は二極化し,階級社会が続いているという意見が出ました。

さらに続けて,ベトナムの留学生から,フランスやアメリカによってベトナ ムもインドと同様な教育政策が採られたとし,その上で,日本が行った植民地 での教育政策は,基礎教育の徹底で,初等教育の普及に力を入れ,それによっ て底辺が引き上げられ,製造業に従事できる人材を大量に育成する教育制度が 整えられたことで,その後現在に至る経済発展につながったという意見が述べ

られました。

これに対し,中国の留学生から,日本による初等教育の普及のねらいは,子 どものころから皇民化教育を行い,「心」も含めすべてを日本人にすることで あり,人材育成は結果的にそうだっただけであり,それぞれの国が育んできた それまでの文化を奪うものなのだという意見が出ました。韓国やマレーシアの 留学生がそのとおりだと賛成すると,別の中国の留学生が,台湾は約50年間の 植民地で,ほぼそのねらいが達成できたが,朝鮮・韓国はまだ35年だったので それが果たせず,逆に現在までその反発が強いのではないかという意見を述べ ました。

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多文化教育としての日本語教育の取り組み7 この議論は戦死者と主権者の問題からだいぶ横道にそれたのですが,かなり 多様な視点が示され,わたし自身も勉強になりました。これらの議論はすべて 日本語でなされましたが,この間,日本人学生は,聞き役に徹していました。

しかし,日本人学生にとっても,多文化コミュニケーション能力とは何かを学 んだと思います。つまり,それは言語能力だけでなく,多文化に主体的にかか わる中で,関連の種々の事柄に好奇心を持ってしっかりと追求し,自分なりの 意見と態度を育てておかなければ,そこへの参加も難しいことが分かったと思 います。さらに,多文化コミュニケーションによって人間社会の本質に迫る議 論が起こり,参加した学生たちの多くが,人間社会の問題の克服の可能性が得

られるのではないかと思ってくれたとしたらうれしいものです。

2)地域の学校との取り組み事例

さて,前職大阪大学で行ったもう一つの形態である,地域社会や地域の学校 に留学生や一般学生が参加して行ったものについてですが,これらについても 次の一つを紹介するにとどめます。

この取り組み゛小は,1995年からほぼ2年間にわたって,地域の中学校と行っ たものです。その中学校の2年生に中国から残留孤児3世噸'の女子生徒が転入 してきたのを期に,この子やその家族とホスト側生徒,教職員,保護者等が互 いに適応的な関係を構築し,この子のアイデンティティーを保護しながら,高 校進学という目標を達成するだけの学力をつけていくことを目指した取り組み です。

対象としたホスト側生徒はこの子の在籍する2年生全7クラスの全員,取り 分けこの子の在籍クラス2組の生徒です。また,教員はこの2組の担任が中心 となり,同じ学年の二人の教員が日本語指導をはじめとして種々の取り組みを しました。また,校長も,外国人教育関係の教員組織の執行部だったこともあ り,率先して取り組みにかかわり,全教員を対象に2回にわたって多文化教育 の研修会を開催しました。一方担任はPTAにも働きかけました。

わたしは,この生徒の編入直後に,担任から依頼を受け,大阪大学の学部生 や大学院生のボランティア数名とサポート態勢を組んで協力することになりま した。結局,この生徒が高校に進学するまで,2年間,その取り組みが続きま

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した。

一つは,この生徒への直接的なサポートで,中国語と日本語とのバイリンガ

ルの大学院生二人が「入り込み」や「取り出しJ`'によって日本語で行われて いる教科の内容理解と日本語習得の支援をしたり,日本語教育専攻の大学院生 と学部生が,それぞれ「取り出し」と日曜日に家庭を訪問して,日本語での作 文と教科の日本語習得の支援をしたりしました。また,わたしは,両親が日本 語教室に行けるようになるまでの2か月ほど,この生徒の家庭で両親に対し日 本語学習の支援をし,両親や本人から家庭での生徒の様子を伺ったり,学校生 活についての質問に答えたり,アドバイスをしたりしました。これらのことは,

それぞれが概要を担任に報告し,担任は学校側の校長,教員と協議をしながら

舵取り役をする一方適宜ボランティアの学生やわたしと支援方法の現状を検討

し今後の在り方を考える機会を作りました。

もう一つは,受け入れ側の生徒や教員,PTAに対する多文化教育に関与し ました。バイリンガルの大学院生の-人は,生徒のクラスに入りながら,クラ

スの生徒たちとの間に入って,全体をよい関係にすることに努めました。この 学生の言葉ですが「言葉だけではなくて,お互いの文化や心を通訳することが

大切です」といっています。また,もう一人のバイリンガルの学生は,「中国

文化講座」の講師となって受講生徒の中国語や中国文化学習を進めました。こ の講座は当該生徒も受講し,講師のアシスタント的な役割を果たしました。こ

の講座によって,日本の生徒たちは中国語習得の大変さや自分の文化と中国文 化の違いも理解し,逆の立場を思いやるという両面での学びができたと思われ

ます。また,担任はクラスや学年の生徒に対して,人権を基本とした多文化教 育を続けました。平常の「学活」の時間で様々なテーマで活動をしながらそこ

に多文化教育の要素を組み込みました。また,担当の美術の授業では,人権ポ

スターを描くに当たって,生徒間で人権について考え,議論する機会を持ちま

した。また,3年次の1学期には,長崎への修学旅行に向けて,人権・平和学

習を進めました。

さらには,イベント的な取り組みとして,2年次3学期に2年生全クラスで 人権教育アクテイビティー「ちがいのちがい」'71を行い,その直後にバイリン ガルの学生の一人が2年次全生徒に対して「異文化理解講演会」を実施しまし

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多文化教育としての日本語教育の取り組み9 た。3年次には1学期の修学旅行に向けての取り組みがあり,2学期には3年 次全クラスでそれぞれ違った国からの留学生数人ずつからその国のことを学ぶ

「留学生の母語・母文化学習会」を生徒が実行委員会を作り取り組みました。

留学生は大阪大学のわたしが担当する日本語クラスの学生とその同国人の友人 で,これも世話役会をつくって対応しました。中学生が大阪大学に来て打ち合 わせをしたり,留学生世話人代表が中学校に下見に行ったり,校長先生や先生 たちとの打ち合わせも行いました。ですから「学習会」は1回だけだったので すが,事後に中学生たちが報告書を作って大学まで持ってきてくれたり,中学 生と留学生との間で個人的なやりとりがあったりもしたようです。

教員を対象としたものとしては,校長が全教員に対して行う「研修会」のう ち2年度にわたってそれぞれ1回を「多文化教育」をテーマに,わたしと大阪 大学の同僚研究者のそれぞれが講師となって実施しました。

また,保護者対象としては,担任がほぼ毎週クラス通信を生徒の家庭に送っ て,この生徒を中心にした人権・多文化教育の取り組み状況などを伝え,とも に考えてもらおうとしました。また,2年次2学期に,この生徒の両親が講師 となって,餃子など中国料理の作り方を教えて,みんなで作って,食べる「大 餃子大会」を開きました。生徒は,一所懸命通訳をしました。

このような,この生徒本人への直接的な支援と学校やその関係者全体に対す る多文化教育の活動によって,それぞれが学んだものは少なくないと思います。

ちなみに,この生徒は高校に進学し,卒業後,現在は母校の中学校で外国人生 徒受け入れの同様の取り組みにボランティアとしてかかわっています。

(三)地域の「日本語学習支援」(3)と多文化教育

1)地域社会の多文化化と「地域日本語活動」

国内の話題として,外国人がマスコミに登場することは珍しくなくなってき ました。スポーツの世界では,プロ野球選手は以前からですが,サッカーやバ スケットなど外国起源のものだけでなく関取も横綱は外国人という時代になり ました。そして,これら運動選手や芸能人以外にもわたしたちの生活する地域 社会に隣人として多くの外国人が暮らしています。法務省入国管理局の統計に よると,2002年末の日本の外国人登録者数は,1,851,758人に上っていて,この

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うち「特別永住」(多くは日本の植民地支配が生んだ在日韓国・朝鮮人や中国 人)の在留資格の人々が489,900人ということですから,いわゆるニューカマ ーといわれる人々は登録者だけで約136万人というわけです。そして,これら の人々のほとんどが日本語が不自由な状態で暮らしていると思われます。

現在,全国いたるところで,教育委員会や行政,国際交流団体がかかわるこ ともありますが,多くは住民の草の根の活動として主にボランティア等により,

これら外国人住民の日本語学習を支援する活動が取り組まれています。これら の活動を文化庁は「地域日本語教育」と呼んでいます(本項では「地域日本語

活動」ということにします)。

2001年の文化庁「国内の日本語教育の概要」によると,地域日本語活動を行 っている機関等の学習者数は36,505人(機関等で学ぶ全日本語学習者数に対し て37.7%),教員(ボランティア)数は12.853人(全「教員数」に対して52.8%)

ということであり,これらの数も,1998年と比べると,学習者数では約lLOOO

人,ボランティア数では約2,700人,ともに増加しています。

このような地域日本語活動こそ,多文化教育として行われるにふさわしいも のといえましょう。それは,多くの場合,日本語を学んでいる外国人も支援し ている日本人(外国人の先鍜や日本国籍以外の人なども支援者になっています がここでは便宜的に「日本人」に含めます)も,ともに地域社会の住民であり ながら文化的には異なった者同士であるからです。そして,日本語を学ぶ.教 えるという関係を超えて,互いの違いから学び,あるいはともに生活者として 地域社会の問題について学び,ともに対等・平等に社会参加し,地域を多文化 共生の社会にしていくために活動していくことが求められるものだからです。

日本人側も,なぜ学習者が自分の隣にいるのかを学ぶことも大切です。日系

ブラジル人の出稼ぎ労働者や技術研修生,あるいは日本人の配偶者,中国残留

婦人の呼び寄せ家族,コンピュータ技術者の子どもと,いろいろな人たちがな

ぜこの地域社会で暮らしているのかを学ぶ過程で,それぞれの学習者の母国と

日本との関係,さらには世界の在り方や国際社会の向かっている方向まで,は

じめはぼんやりとそして次第に鮮明に見えてくるでしょう。それとともに,日

本という国の中で何が起こっているのか,そのことが地域社会の日々の営みに

反映し,自分たちの生活がどう規定されているかが分かってくるでしょう。ざ

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多文化教育としての日本語教育の取り組み11 らには,そのような地域社会から地球社会までの社会構造の理解につながるこ ともあるでしょう。少なくとも自らが生活する地域社会やこの国に対して問題 意識が生まれてくるのではないかと思います。その上で,外国人住民とともに 文化の相違を越えて対等・平等に共生社会を作っていく活動につなげてほしい と思います。そしてそのような活動を通じて生きた多文化教育の実践をしてほ しいと思います。

2)生涯学習としての「地域日本語活動」の取り組み事例

このような地域日本語活動は,1980年代後半からはじまり,1990年代に入っ てから急速に広がっていきました。文化庁は,1994年度から地域日本語教育事 業を毎年度複数の委嘱地域を定め実施してきました。

川崎市はこの初年度から1996年度までの3年間,文化庁の委嘱を受け川崎市 教育委員会社会教育部社会教育課(当時)が事務局となり地域日本語教育推進 委員会を設け,市内7区のすべての市民館と川崎市ふれあい館で取り組まれて いる「識字学級」`''の現状を把握し「共生のまちづくりをめざす日本語学習の 在り方」についての提言を行いました。1996年当時川崎市の外国人登録者数は 19,578人(うち韓国・朝鮮籍は46%,次いで中国,ブラジル,フィリピン)で 総人口の16%と,全国平均の1.2%をはるかに超え,地域日本語活動は,行政 も力を入れて行われていました。その後,委嘱期間を終えても市が独自に地域 日本語教育推進協議会を設け,また草の根ボランティアの団体等も加えた地域 日本語連絡会も設け,種々の事業を展開しています。このようなことから,川 崎市の地域日本語活動は,全国的に見てもめずらしい「行政主導」型の取り組 みといえましょう。そして,外国人市民と日本人市民との生涯学習と位置づけ られ,他の種々の事業と有機的に関連づけられ,市の「多文化共生のまちづく り」施策を推し進める役割が期待されています。

わたしは,これまでこれらの委員会,協議会の構成員として間接的に川崎の 活動にかかわってきましたが,川崎の取り組みの特徴とボランティアでかかわ っている人々が活動をとおして自らいかに学んだと感じているかについて以下 若干紹介します。

川崎の取り組みの特徴は,その中心に「識字」の理念を据えていることに由

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来しています。それは,上の外国人登録者の割合でも分かるように,いわゆる

「在日韓国.朝鮮人」が多く,これらの-世のお婆さんたちで文字の読み書き

に不自由な人たちの識字学級の取り組みが先にあり,その上にニューカマーの

日本語学習支援があるからです。そして,この前者の取り組みの理念は,1986 年に教育委員会が制定した「在日外国人教育基本方針一主として在日韓国.朝 鮮人教育」'10’(以下,「基本方針」)に明文化されています。この「基本方針」

では,学校における民族差別の存在を認め,差別の解消を目指すとともに,

「市内に居住する外国人に対して教育を受ける権利を認め,これらの人々が民 族的誇りを持ち,自己を確立し,市民として日本人と連帯し,相互の立場を尊

重しつつ共に生きる地域社会の創造を目指して活動することを保障しなければ ならない。このことはまた,日本人の人権意識と国際感覚を高めることにもつ ながる」と行政の責任をうたっています。

この指針は,1998年に,直接ニユーカマーをも対象にする形に改訂されまし

たが,この理念はそのまま踏襲されています。つまり川崎の地域日本語活動は, 外国人も日本人もともに学ぶ主体であって,その学びは「共に生きる地域社会 の創造」のための学びだとしているのです。さらに2003年には「川崎市識字.

日本語学習活動の指針」によって具体的に記述され,全市民館のボランティア

に配布されました。ただし,その内容の周知徹底はこれからという段階のよう

です。

ですから実際の活動も市販の日本語教科書で学ぶというものもありながら,

子育てや教育についてそれぞれの国の状況を話し合いながら学ぶといったこと もしているということです。離乳食のレシピーを ̄緒に作るなどもあるという ことです。また,いわゆる「会話」の練習ではなく,実際のコミュニケーショ ンを大切にした学びを心がけているという報告もあります。

市の教育委員会の実施したあるアンケート['''では,これらの活動をとおし

て自らがどう変わったかを聞くものでしたが,次のように述べたもの(一部要

約)がありました。

*外国人市民と日本人市民が語り合うイベントで,アフリカ人男性から日本 人に対し,「恥ずかしがらずに自分のことを言ってください。あなたの考

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多文化教育としての日本語教育の取り組み13 えが知りたい。意見交換したいんです」と言うと,会場の外国人たちから 拍手喝采を浴びた。その後,50代の日本人男性が,自分たちの受けた教育 にも問題があり,授業がすべて受け身で,自分のことを聞かれたり,言っ たりする時間はほとんどなかったと答えた。女性からは親しくならないと 相手のことを聞くのは失礼だと思ってしまうという意見があった。このこ

とが心に響いた。

*(「子育てに開眼?」と題が付いているもの。子育てがすっかり終わってい る日本語ボランティアが,応援ではじめて保育ボランティアに入ったとき のこと)初め保育室に入っても何をしていいか分からず,ただじっと座っ ていた。すると一人の女の子が近寄ってきた。取っ替え引っ替えおもちゃ を持っては遊びにくる。ほかの子も物珍しげに来るがすぐいなくなる。こ の子は最後まで私の側を離れなかった。それからlか月ばかり後,第2回 目,私は時間前に保育室に入っていた。彼女がお母さんの手を離れるや否 や,スタスタ私のところへ来たのだ。2歳くらいか,なかなかお話しして くれない。それでも1時間半の保育が終わろうとした時だ。「おしっこし たい」と告げるではないか。自分の子(孫)でもない女の子の面倒は見ら れない。女性ボランティアにバトンタッチしたが,私のことを信用してく れたのだと思うと何やらホンワカしたものが私の胸をよぎった。

*クラス以外のイベントに参加することで,ボランティアと学習者の関係と いうより,同じ仲間としての関係が持てるようになりました。(教室の学 習でも)単なる言葉の練習ではなく,人と人の会話としての気遣いが出た。

*(ボランティアを長く続けてきて,語り合いを中心にした自主的な活動を 立ち上げ,手応えを感じたボランティア)10年ボランティアとしてかかわ ってきた中で,今まで味わうことができなかった初めての貴重な体験にな りました。活動を始め5年ぐらいたったころから,いわゆる「教室」とは 違うく場〉を求めて試行錯誤を重ねてきましたが,なかなか実現させるこ とができなかったのです。日本人の側の意識の変化が何より大切だと思い ますが,10年の歳月は外国籍市民の意識にも変化をもたらしたように思い ます。自分のために日本語を学びたいという参加動機から,「多文化共生」

の知恵を求める意識の芽生えが見られました。両者の意識の変化が相まつ

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て,新しいく場〉の誕生につながったと思います。

これら川崎の地域日本語活動では,-部ではあっても,ボランティア側も

「もう一方の学び手」と自覚している人々があり,共生の社会作りの必要性を 理解している人々があるということができると思われます。市民館において,

外国人市民と日本人市民自らが多文化教育としての地域日本語活動を創造し,

自らの生涯学習を進めていく試みが始まっているのではないでしょうか。

(四)相互学習が起こるために

ところで,これら多文化教育としての日本語教育では,学校教育の中で行わ れるものでも,生涯学習・社会教育として行われるものでも,最終的には自ら が変わり,社会を変えていく活動とつながっていくことが重要です。そのため には,問題解決型の学びであると同時に問題発見型の学びである必要がありま す。

これまで無意識・無自覚的だった社会の問題に,学びによる意識化から自ら の視点を獲得し,気づき,一つ一つ読み解いていくことが大切です。そして,

明らかにした問題の解決を目指しての取り組みにつなげていけるわけです。

例えば上の川崎の例のような地域日本語活動であれば,日本人側が,なぜ自 分の目の前にパートナーの外国人市民がいるのかを考えるところからでも,こ の学びに入っていけると思います。外国人市民がいるということを当たり前の こととして,その人に何をするかを考えるのではなく,私の目の前に外国人市民 がいるということは,その背景にはどのような社会的,歴史的,政治的,文化 的,経済的,……的文脈があるのかを考え,それが,自らと同じ生身の人間で あるパートナーの「生活者としての文脈」とどのように関連しているのかを考 えることから,人間世界の問題が徐々にそして重層的に見えてくると思います。

それらの気づきが,外国人市民と日本人市民という双方の学習者のかかわり の中から自然に起こり,双方の努力で「問題」として掘り起こせることが望ま しいのですが,それは必ずしも易しいこととではないでしょう。それには,何 らかの学習コーディネーターが関与したり,研修などの機会を設けて,自分た ちで学び合うための学び方を学ぶ必要があると思います。もちろん日本人市民 側が,あるいは外国人市民も加わって,自主的な研修会等を企画,実施してい

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多文化教育としての日本語教育の取り組み15 くのが最も適当だと思います。

このような多文化についての学びのコーディネーター自身,それほど多くは

ないし,日本語学習活動という分野に限定するとほとんどいないかもしれませ

ん。むしろ,開発教育や環境教育,人権教育,地球市民教育などの関連分野で の経験を参考に,あるいは,これらの教育と連携して,今後養成していく必要 があると思います。そしてそれらの人々が,専門分野として生涯学習における

「多文化教育としての地域日本語活動」を確立していってほしいと思います。

それが,さらに上部の分野と思われる「多文化教育としての日本語教育」の確

立にも,大きく貢献するものと確信しています。

それでは,最後に,拙いものですが,これまでわたしが,ボランティア研修 会などで行ってきた「経済のグローバリゼーションと外国人市民」と題した相 互学習ワークショップの例を示して,叩き台にしていただこうと思います。

1)ワークショップの目的

わたしたちは,いくら同じ「人間」といっても,まったくかわかわりのない 人を思いやることは難しいでしょう。日本人市民と外国人市民とでも同じで,

かかわる前までは「○○人は何となく~だ」と想像や偏見で見ていたものが,

特定の人同士がかかわりを深めていくことで,多くの場合,互いが人間として の近さとそれぞれの違いとを感じるようになると思います。そして互いを「○

○人」としてではなく,「○○さん」として,一個の個人として,見るように なるでしょう。このような「つきあい」が楽しいので,地域日本語活動を続け

ているという人たちが少なくありません。

ところで,このような地域日本語活動にかかわっている日本人市民は,同じ 日本人市民で外国人市民とそのような関係を持つに至っていない人たちから,

よく「外国人が多くなって物騒になった。ろくに言葉も話せないのに,なぜ日

本に来るのか」などと指摘されることがあります。

これらの人の多くは,外国人に対する偏見を持っていますが,その多くは,

直接深くかかわったことがない人々です。おそらく同じ外国人と何度か会い,

つきあっていけば,考え方も変わってくると思います。でも,こう指摘された

とき,うまく反論したり,相手が納得いくように説明できない人が多いと思い

(16)

ます゜わたしも即座に反論することはできません。

しかし,短時間にうまくは説得できないが,どうしてこの人たちが日本で働 き生活しているかは理解していて,多少時間をくれれば説明もできるというの と,「そういわれれば,自分もなんでこの人たちが日本にいるのかと思ってし まう」というのでは,大きな差があります。

「なぜ外国人労働者が日本にいるのか」を考えるには,主にその労働者の

「個人史」的な文脈と世界の経済グローバリゼーションの文脈との関係を考え なければなりません。それは,労働者だけでなく,日本人の配偶者でも留学生 でもいえることと思います。パートナーである外国人市民という身近な人をと おして社会的文脈(経済的,政治的文脈等も含める)を考えることで,地球規 模での社会環境の問題も実感を持って理解できるでしょう。何よりも,この活 動で重要のは「克服すべき問題は何か」について世界規模で,また同時に,外 国人に偏見を抱いているローカルな日本の地域社会という規模で,若干なりと も明らかにすることです。

2)ワークショップの方法

研修を受ける人数を25人,全体の時間を120分の1回'2'のワークショップと します。前半80分をアクテイビテイとグループディスカッションとし,10分の 休憩後,後半30分を振り返りとします。

【前半】(80分)

[アクテイビテイ]

1部屋の四隅(活動の趣旨や参加についてのお願いなども含めて30分)

質問の答えとして部屋の四つのコーナーのそれぞれについて,第1のコーナ ーは「そう思う」,第2のコーナーは「どちらかというとそう思う」,第3のコ ーナーは「どちらかというとそう思わない」,第4のコーナーは「そう思わな い」を割り振ります。

その後,次の1)~7)の質問について,自分はそれぞれ「そう思う/どち らかというとそう思う/どちらかというとそう思わない/そう思わない」のど れかによって,速やかに部屋の四つのコーナーのどこかに移動します。各質問

(17)

多文化教育としての日本語教育の取り組み17

ごとにそれぞれのコーナーに集まった人で,自分の名前とそれぞれの質問ごと に指示した自分のことについて簡単な自己紹介をします。それぞれのコーナー では集まった人が円状に並び内側を向いて,わたし(ファシリテーター)に一

番近い人から時計回りに自己紹介します。

1)わたしは,子どものころ家事の分担をしっかりやった。(名前+得意

な。作れる料理)

2)現在の日本社会はおおむね男女平等といえる。(名前+好きな芸能人)

3)永住や定住の在留資格を持つ成人外国籍住民には地方参政権を賦与

すべきだ。(名前+おすすめのレストラン)

4)外科医に女性が少ないのは女性差別ではなく,男女の特性に応じた

役割分担だ。(名前+好きな映画)

5)同じ外国人でも日系人は働いてもよく,非日系人の場合は条件や制 限があるのはしかたがない。(名前+旅行したいところ)

6)日本でも同性間の婚姻を認めてよい。(名前十得意な/だった科目)

7)非正規滞在の子どもでも日本の公立学校は平等に受け入れるべきだ。

(名前十今一番食べたいもの)

2バースデーチェーン(10分)

誕生日の月日順に時計回りに順番に並んで,輪を作ります。ただし,話して はいけません。25秒たったら確認して間違っていた人(時計回りに月日をいっ ていって,先に順番をくるわせた人)が一歩前に出ます。一周確認し終わった ら,間違った人に罰ゲームをしてもらいます。(罰ゲーム:動物の鳴き声)そ の後で,1月1日に近い人から時計回りにl~5の数字を言って,5の次はl に戻って,一周します。それぞれが言った数字が同じ人で1班から5班に分か れて簡単な自己紹介をして,世話役(司会と発表役)を決めます。

[グループディスカッション]

1外国人への意識

あなた(それぞれの斑です)は町内会の会合が終わってうちまでの帰り道,

ご近所の年配のかたに,「あなたボランティアやってるんだって?えらいわ

(18)

18

ねえ゜でも,なんで,出稼ぎに来た外国人にただで日本語教えなきゃなんない の?それに,子どもには子どもで,学校に通訳まで呼んで勉強教えてあげて るっていうじゃない。それだったら,日本人の子だって,してもらいたいのよ れえ。経費削減だっていうのに,外国人だけは,受益者負担,自助努力じゃな くっていいのかしら。それが嫌だったら,来なけりやいいのよれえ,最初から」

と言われました。

これについて班の考えをまとめて発表してください。(15分議論,各班1分 発表)

2不就学の子どもについての相談

ある市の教育委員会事務局(それぞれの班です)に市内のT中学校に子ども を通わせている保護者のSさんから,「近所に住んでいる外国人の子どもが,

学校に行かずにうちにいるが,T中学校で受け入れられないか」と相談されま した。その子どもの家族は,1年ほど前に日本の別の地域に来て,両親は働い ていたが,1か月ほど前に,その市に移って新たな職に就いたそうです。ただ し,正規の在留資格はなさそうだということです。その外国人の両親は,この 在留資格の問題で,子どもを学校に行かせたいとは思っているが,「無理だと 思う」と言っているそうです。Sさんは,子どもの将来のためには今教育を受 けさせるべきだと自分の意見を伝えたところ,「教育委員会に尋ねてみてほし い」と言われたそうです。子どもは来日以来一度も学校に行っていず,その両 親もずっと気になっていたようです。教育委員会として早急に検討して,対応 を決断してください。そして,理由を含めて,その決定をSさんに伝えてくだ さい。(15分検討,1分発表)

【休憩】(10分)

【後半】(30分)

[振り返り]

(一連の活動の後,ファシリテーターが,自身が考えている活動の意義や参 加者に考えてほしいことなどを伝え,参加者間で意見を述べ合います。ただし,

(19)

多文化教育としての日本語教育の取り組み19

「意義」については下に示したものをすべて伝えるとは限りません。参加者の

特性などとの関連で何をどの程度伝えるかは考える必要があります。)

1アクティピティ1「部屋の四隅」から 1)この活動の意義

研修という目的で人々が集った場合,これからどのような人とどんなことを

するのかと,多少の緊張や好奇心などを抱いていると思います。その中でも,

メンバーはどんな人かで自分の姿をどうコントロールすべきかを決めたいの で,それを知りたいとの思いは強いのではないかと思います。この活動は,集 った参加者間で互いに体を動かしながら,簡単な自己紹介をしていくというも ので,質問が進むにつれて,参加者全員がリラックスできるように持っていき ます。自分と同じコーナーになることの多い人,少ない人と,何となくそれぞ れの相手に対する先入観もできてきます。初対面の人がいる場合とかでもそう ですが,同じボランティア仲間などでも,相手の意外な-面を感じたりもする でしょう。

もちろん,この一連の質問は,参加者のそれぞれに,自らの平等意識を問い,

内省してもらうことを意図して作ったものです。人数の少ないコーナーでは,

人数の多いコーナーの自己紹介が終わるまでの間,質問についての自分の考え

をお互いに話してもらうとしてもよいと思います。

2)この活動の振り返り

第1間は「家事」についてのものですが,シャドウワークの筆頭のようにい

われ,それをしていたからといって評価されることは少ないのではないでしょ うか。逆に男の子ではマイナスの評価を受けることもあると思います。子ども のころほとんどやらなかった人,やってはいても何となく恥ずかしくて「しっ かりやった」と言えない人がいるでしょう。それはなぜか,考えてみてくださ い。家庭は最も小さな社会といえるかもしれません。子どもであっても自分が できる家事をしっかりと分担することで社会性が育つかもしれません。

そのほかの質問は,ジェンダーと「外国人」についてのものです。いずれも

「マイノリティー(社会的弱者)」といわれる人々にかかわる問題です。活動で

(20)

20

'よ,よく考えた上で,自分の判断が示せなかったと思います。帰り道にでもも う一度じっくり考えてみてはいかがでしょうか。

2アクティビティ2「バースデーチェーン」から 1)この活動の意義

たいした意義はありません。五つの班に分けたかったというのがこの活動を 行う理由です。ただ,話さなくても機転を利かせて,コミュニケーションの工 夫をたくさんした人は,そうしてそういう連携を積極的にしようとした時は,

意外と簡単にできることを実感してもらうものでもあります。

2)この活動の振り返り

ほとんどの場合そうですが,意外とうまくいったのは,頭を働かせたのと何 とかコミュニケーションしようと努力をしたからでしょうね。

3グループディスカッション1.2「外国人への意識」及び「不就学の子ど もについての相談」から

1)この活動の意義

わたしたちが1個10円の卵が食べられるのも(そんな安いものは食べないと いう人でも外食をすれば食べています),500円のコンビニ弁当が食べられるの も(会議の時の弁当でも同じです),わたしたちの毎日の生活は外国人の労働 に負っているところが大きいわけです。果ては,長野オリンピックの開催では 外国人労働者,それも不正規滞在者が一役買ったといわれています。それは,

オリンピック会場や新幹線,ホテルなどの建設,整備が終わって,新たにオリ ンピック観戦の正規の外国人を迎え入れる段に「ホワイトスノー作戦」'3)と銘 打って行った東京入管と長野県警による合同の「不法滞在者」摘発作戦があっ たことでもよく分かります。

日本は,失業率が5%前後といいますが,いくら求人してもだれも来ない業 種があります。いわゆる「3K」といわれる業種です。養鶏場や縫製工場,魚 の加工場,深夜の清掃など,外国人の安価な労働力を求めています。

一方,いわゆる経済開発途上国(以後「途上国」)では,日本以上に失業率

(21)

多文化教育としての日本語教育の取り組み21

が高く,貧富の差が拡大し,いわゆる二極化しています。ブラジルなど南米の 国ではその中間層を形成している日系人が,1990年の入国管理及び難民認定法 の一部改定で,次々に出稼ぎに訪れ,現在も25万人規模の人々が生活していま す。それ以外にも1993年から導入した技能実習制度というものでは,研修や特

定活動という在留資格で,最低賃金を保障した労働法の適用も受けられず,3

万円から8万円程度の研修手当で実質的な「労働」をしている人が多くいると いわれています。また,不正規滞在の労働者も権利の主張がしにくく過酷な条 件で働いている人が少なくないようです。

どうして,日本はこれら外国人の労働力を必要とし,途上国の人々は日本で 働きたいと考えるのでしょうか。一言で言えば,経済のグローバリゼーション が進み,市場原理,経済原則を前面に打ち立てた自由競争を激化させているか らです。先進国と途上国とで経済状況は二極化しています。また,それぞれの 国の中でも二極化しています。そしてこの二極化が,より富める層の購買・消 費力を高め,より貧しい層の安価な労働力提供となって,経済の活性化に「貢 献」しているといわれます。このような中で,資金や物や情報とともに人の流 れが起こっているのです。

かつて日本もそうだったわけですが,現在の途上国も先進諸国によって共同

体社会から市場経済社会に変えられてこの経済競争の「強いものがより強くな

るためのシステム」に組み込まれています。自給自足・共同体社会で,物々交 換で必要な物を補い合って生活している社会では,お金などほとんど必要ない わけですが,それではバイクもミシンもテレビも買えないと,収入が少ないと いうことを「貧しさ」として,市場経済化するために,経済開発を進め,その 結果,国内でも先進国との間でも二極化が加速していっているわけです。

日本も新自由主義の政府により国内と世界という二つの市場で競争原理を強 める政策が採られ,公共サービスや教育や情報までもが商品として扱われてい ます。また,少子高齢化が進み何らかの形で労働力を国外から呼び込まないと,

現在の経済規模が維持できないとして,本格的な外国人労働者の導入キャンペ ーンを張っています。2000年の1月と3月には,国連経済社会局から,1995年 時のGDPを維持するには今後50年間毎年60万人の外国人労働者を受け入れな ければならないとの発表があり,2004年1月にはスイスの世界経済フォーラム

(22)

22

が61万6000人というより詳しくもっともらしい数字を出しています。これら の発表を呼び水にして,経済界は外国人労働者の受け入れの世論を作ろうとし ています。バブル経済のかげりが出始めた1992年に,労働省職業安定局は「外 国人労働者受け入れの現状と社会的費用」を出し,外国人労働者については,

福祉やサービスまで考えると労働力としての貢献よりコストのほうが高くつく と結論づけています。外国人労働者の受け入れのよし悪しそのものも議論が必 要ですが,受け入れて日本の産業に貢献してもらっている労働者については,

その人権を尊重し日本人と同等の文化的生活者としての待遇を保障すべきこと は言うまでもないでしょう。また,その家族についても同様のことが言えます。

とりわけ,自らの意志いかんにかかわらず日本に連れてこられたり,日本で生 まれた子どもについては,子どもの権利条約の条文に則り,その子どもにとっ て最善の形で発達が保障されなければなりません。

日本は,構造改革を進め「知恵を出し,汗をかいた者が報われる社会」(小 泉首相)を作ろうとしているのですが,これら競争に敗れたり,はじめから排 除された人々の不全感が募って,社会不安が進み,暴動にまでは発展しないよ うに,さまざまな社会的な「装置」を作っていかなければなりません。そのと き,経済に特化した予算配分を行っている政府は,予算を最小限に抑えてそれ を行おうとします。種々の保険等を,「自助努力」,「受益者負担」とし,社会 不安も商品に加工し市場化させようとしたり,国策NPO,国策ボランティア を推奨するなどしています。これらは,P・ブルデューが「市場独裁主義批判」

でいうところの「国家の左手」として,一握りの,しかし国家の舵取りのイニ シアティブを握ってグローバリゼーション政策を推進している「国家の右手」

によって引き起こされる社会問題の尻ぬぐいをして,社会不安を暴動にまでは 発展させないように懸命の努力をし,しっかりと「社会貢献」している人々な わけです。

この活動で目指しているのは,日本社会で生活している外国人労働者やその 家族も日本人も,どのような社会的文脈の上にあるのか,そしてその外国人労 働者のルーツが満蒙開拓団であったり南米等への移住者であったり,日本の旧 植民地や占領地の人々であったりすることも少なくなく,日本人側も父母や祖 父母等がそれらの人々の先祖とかかわりがある場合も少なくないということに

(23)

多文化教育としての日本語教育の取り組み23 思をいたし,改めて人間社会のありようを考え,現状の問題点を読みとってい ったらよいと思います。「国家の右手」も含めすべての人が生きやすい世界を 作っていくために。

2)この活動の振り返り

まず,参加者の皆さんには,自分のパートナーや身近な外国人市民について どのような背景を知っているかを聞いてみて,外国人市民を出身から幾つかの カテゴリーに分けて,それぞれの背景について意見を述べ合ってみます。その 上で,その人たちがどのような立場で日本で生活していようと人としてどのよ

うなことは基本的人権として保護されるべきかを考えてみましょう。

また,わたしは「1)この活動の意義」で述べたことなどのうち,それぞれ の研修会参加者の実態に合わせて適当な経済グローバリゼーションと個人史と について事例紹介的に話します。このとき,わたしが直接開いたり,体験した りしたことをもとに,わたし自身の視点で語ることを心がけたいと思います。

その事例の一つには,学齢期の子どもを持つ親の立場から,日本で子どもを学 校にやることへの問題を感じているものを加えるようにします。

その後で,子どもの権利条約や国際人権規約,人種差別撤廃条約やそれぞれ の委員会から日本の取り組みに示されている「所見」等の関係部分を読んで,

在留資格に関係なく子どもの発達の権利が保護されるべきことを確認します。

そして,これら国際法の趣旨は,日本の施策にも反映していることを,以前の 文部省(当時)のコメント1'1'や最近の地方行政(名古屋市教育委員会)の通 知('3から理解します。

その上で,全参加者でもう一度,「不就学の子どもについての相談」の事例 について,それぞれの意見を自由に述べ合います。ただし,わたしとしては,

非正規滞在が許されるべきというものではないし,非正規滞在に敏感な日本人 の遵法意識やそれにもよると思われますが日本が犯罪が少ない社会であること は,よいこととして評価したいと思います。非正規滞在については,犯罪者で も守られるべき人権と守られた上での償うべき義務を分けて考えることの意義 は強調したいと思います。

(24)

24

[注]

(1)特集「教育改善:日本語教師に求められたもの.求められるもの」「1 国内の日本語教育の視点から」国立国語研究所編「日本語教育年鑑2003

年版」2003年p522

(2)山田泉1995年「「開発教育としての日本語教育」の試み」「大阪大学 における日本語教育」大阪大学留学生センター日本語教育部門P5-17

(3)浜田麻里他2001年「多文化コミュニケーション能力を菱うために-

「基礎セミナー」「日本語」乗り入れ授業の試み-」大阪大学留学生センタ

ー研究論集「多文化社会と留学生交流」第5号大阪大学留学生センター

plO3-111

(4)池田市ふれあい教育推進事業・北豊島中学校区推進委員会1997年(事 業活動報告書)「多文化共生のための教育をめざして中国残留孤児子女

の入学を契機とした国際教育の推進」

(5)かつて太平洋戦争の戦前・戦中に中国東北部(旧満州)に移住した開拓団

の家族等で,日本敗戦時,13歳未満の子どもで,肉親等と生別・死別し

中国に「残留」した人々を「残留孤児」といいます。この生徒の祖母が残 留孤児で,別の肉親家族と先に帰国し,1995年に祖母がこの生徒の家族

を呼び寄せました。正確には,この生徒は1年生の3学期末に編入しまし たが,間もなく春休みに入ったので「2年次編入学」としています。

(6)学校などで,日本語の不自由な子どもの支援をするために,授業が行われ ている教室に入って,通訳や説明等をすることを「入り込み」とか「ひつ

つき」といいます。また,特定の科目(多くは日本語が不自由だと教科の 内容も分かりにくい国語や社会等)の授業時間に別室で日本語や教科の科 目等を別に学ばせることを「取り出し」とか「抽出」といいます。

(7)「ちがいのちがい」については,注4の文献中に以下のように解説してあ ります。「この教材は,「開発教育」の教材の一つで,「新しい開発教育の 進め方」(ユネスコ選轡)から採ったものである。生徒はいくつかの「ち がいカード」を見て,「あっていい違い」と「あってはならない違い」を 仲間と相談しながら峻別する作業を通して学習する。この40の「ちがい カード」は,今回の取り組みのために創ったオリジナルなものであり,第

一次(違いの峻別),第二次(視点の整理),第三次(まとめ)の全三時間

の取り組みとした」。またカードには,「両親は妹には後かたづけ言いつけ るが,兄には言わない」,「日本では車は左側通行だが,アメリカでは右側

(25)

多文化教育としての日本語教育の取り組み25 通行だ」,「ラグビー部では2年生は掃除をしないが,1年生はいつもしな ければいけない」,「日本人の平均寿命は79才だが,アフガニスタン人の 平均寿命は43才である」,「日本では自己主張をするとでしゃばりと言わ れるが,アメリカでは自己主張をしないと認められない」などといったも のがあります。

(8)3の標題を一般的な言い方の「地域の日本語学習支援」としましたが,

「支援」という言葉が日本人等が外国人に一方的に「してやる」ような印 象を与えるので使いたくないという意見もあります。小論でも以降は,

「地域日本語活動」としています。

(9)川崎市の社会教育で使う「識字」という名称は,在日韓国・朝鮮人一世の

「おばあさん」の日本語の読み書きの学びを,二世・三世等が手伝ったこ とに由来するとともに,英語のliteracyの意味をも込めています。

(1o)関西を中心に在日韓国・朝鮮人教育に関して「外国人教育基本方針」等 を定めた自治体は散見されますが,「ニューカマー」をも対象として改定 したのは,川崎市が最初ではないかと思われます。

(11)川崎市教育委員会生涯学習推進課が文部科学省の「人権に関する学習活 動の振興方策に関する研究委嘱事業」を受けて設置した川崎市識字学級 研究開発委員会により,2002年度実施された市民館の識字ボランティア 対象のアンケートを指します。

(12)「人数を25人,全体の時間を120分の1回」としたのは,わたしが依頼さ れるワークショップで平均的なものなので,仮にそうしましたが,これ に限定するものではありません。

(13)相川俊英署1998年『長野オリンピック騒動記」草思社の「ホワイトス ノー作戦」(p177-193)を参照ください。

(14)就学事務研究会編1993年「改訂版就学事務ハンドブック」第一法規の

「QO23不法在留外国人子女の就学」(p68-69)

(15)名古屋市教育委員会通知:以下に転載します。

14教学事第28号

平成14年2月26日 各区・支所長様

教育委員会教育長

(26)

26

「外国人の就学許可」にかかる事務取扱の改正について(通知)

みだしのことについて、下記のとおり取扱いを改正しますので通知します。

1趣旨

外国人の就学については、氏名・生年月日等就学に必要な事項を外国人登録に より確認し就学許可を行なってきたが、外国人登録以外でも就学に必要な事項が

確認されれば、同様に就学許可を行なうよう事務の取扱いを改正するもの。

2改正内容

(1)外国人登録以外でも就学に必要な事項が確認できれば就学の許可を行なう。

ただし、可能な限り順位1.2により許可を行う。

(2)氏名・生年月日等就学に必要な事項は、別表で示す書類等により確認する。

(3)許可は仮入学とし、許可期間は原則1年とする。(更新可)

…表省略…

3実施時期平成14年4月入学者から 4その他

「就学事務の手引(平成13年3月)P59~P61」の差し替えは当面予定してお りません。(別に配布する「外国人登録がない場合の就学事務について」を参照)

(学事課就学援助係)

※(山田による補足の注)

留資格の有無は問わない)

3」は外国人登録がなく

文中に「順位1」とあるのは、外国人登録がある(在 事例、「順位2」は外国人登録がないが手続中、「順位

「氏名・生年月日・居住地等」が確認できる事例です。

[参考文献]

パウロ・フレイレ署,小沢有作他訳1979「被抑圧者の教育学」亜紀書房 ジェームス・バンクス箸,平沢安政訳1994「多文化教育」サイマル出版会 (以下,山田の関係したもの)

山田泉1995.3.25「「開発教育としての日本語教育」の試み」「大阪大学における日

本語教育」大阪大学留学生センター日本語教育部門pp5-17

古Ⅱ|ちかし,山田泉1996「地域における日本語学習支援の一側面」「日本語学」2

月号明治書院pp24-34

山田泉1996.10.15「異文化適応と日本語教育2社会派日本語教育のすすめ」凡人

参照

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