最近におけるディケンズ研究の方向
著者 松村 昌家
雑誌名 主流
号 29
ページ 1‑12
発行年 1967‑04‑10
権利 同志社大学英文学会
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000016707
最近におけるディケンズ研究の方向
松 村
EB ヨ ;~ー・?j'C1837年に.Dickensが,Pickwick P,ゅersの分冊月引!と Oliver Twistの連載 (Bentl,り なi1Jliscellan:ゆ とを同時に行なって, 人気を高めていたとき Abraham Haywardという批評家が, Dickensの作家としての将来について, 次のような論 評をう QuarterかReview(LIX, 1837)に発表した.
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ディケンズ氏は,余りにも 多くのものを,余りにも速く書きすぎる・・・・もし氏がこのやり方を箇執し続けるな らば,予言者の天分をもたずとも,氏の運命を見とおすことができる.←一今はロ ケットのように上空に昇っているが,やがて棒切れとなって落下するであろう.Jその後, G. H. Lewesを中心とする知性派のリアリストナこちによる悪評が,果し て Dick巴nsの名声を「棒切れ」のように失墜させたかどうかはともかくとして,
所謂 Oxbridgeの批評家たちが, Dickensを通俗作家として軽蔑してかかり,それ によって,彼の価値が大いに低下したことは事実であった.
G. H. Lewesの Dickens観は, Dickensin Relation to Criticism"(Fortni旨htly R四五ew,Feb. 1872.現在, F ord and Lane編,The Dickens Criticsに収録〉に代 表されている これによるとラ彼は Dick巴nsの学歴のなさをもって,偉大な小説 家としての資格を否定しているかのような印象をうける.Lewesの結論J,まDickens 比 無 学 な
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王人であるということであった.このように, 知性を Dickens批評の規準にしているという点で Lewesは, vValter BagehotのDickens評と軌をーにする. B且gehotは, CharlesDickens "
(1¥Tational Review, Oct. 1858,現在ョ Everyman'sLib・,Literary Studiesラvo.2 l に収録)において, Dickensの弱点を,すべてその無教養のせいにしているのであ る.Dick白 Sの弱点、の最たるものとして,思考力の統一性がないこと characters ではなし char且cteristicsしか描けないこと,プロットが拙劣であること, センチ メンタノレで、あることなどを, Bagehotは数えあげている.
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BagehotとLewesの仲間として, Henry Jamesと, Jam巴sFitzjames Stephen が加わると, Dickensに対する反動勢力は,一段と強くなる Henry James,ま 1865年に QurlVlutlωl Friend論によって3 そして, Stephenは .4Tale 01 Two Cities論くSaturdayReview, Dec. 17, 1859)によって,それぞれDickensを非難
した.今世紀の20年代において, Dickens!こ痛烈な打撃を加えたのは, E. M. Forster である. 彼は, 今日の批評界に相当な影響力をもち続けている Aψects01λTovel (1927)において, Dickensをそれ程重要視しないばかりでなしその人物創造がp
いかにも拙劣であるかのような評をくだした.すなわち, Dickensは flatcharac‑ ters"の作家で9 round characters"は? 授の作品には見られないというのであ る.これは,あたかも, Dickensの描く人物のリアリティを全面的に否定したよう なものであった.このために,これら知性派の批評は, Dickensに対する偏見を産 み出す上においても,相当に強い影響力をもったと思うのである. しかも,Dickens がVictorianismを代表する小説家であるという通念が彼に対する偏見を劫長した.
以上のような Dickensに対する否定的な批評の流れを先に概観したのは, この 事実によって, その後に起る Dickensの再評価の意義が,ーそう深まると豆、った からである LionelStevenson編の VictoηianFiction, A. Guide to Research (Harvard Univ. Pre田,1964)において, Dickensの
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買を担当したAdaNisbetは, 最初のベージで,過去三十年間におけるDickens関係の文献が,余りにぼう大であ るのにまいってしまうともらしている.最近におけるDick巴nsに関してのこのような広範囲にわたる関心は,従来の褒
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乏 の批評をこえたところに, Dickensについての新な興味や,新な問題が見出された ことによって刺戟されたものでありうそしてラそれらの研究によって, Dickensの 知られざる資質が明らかにされて来ているのである.Dickens の新しい研究は, 主として, 従来隠蔽されていた伝記に関する事実 が,新しく発掘されたことによって推進された.年代的にいうと, 1930年代は,い わば Dickensの伝記上の補充修正の時代で, 新研究の準備時代であった.そし て,40年代早々に,二種の画期的な Dickens研究があらわれた.George Orwellの Charles Dickens"と, Edmund vVilsonの Dickens:The Two Scrooges "で,
一つは主に Dickensの社会的研究において3 他は Dickensの作品の現代的評価
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においーて,先導的な役割を果すことになった. このことについては3 あとでもう少 し詳しくのベる.
Dickensの伝記上のことで,隠、されていた最も重大なことがらは Dickensと Ellen Ternanとの関係である.Dickensの伝記といえば, 先ずあげられるのが,
John ForsterのTheUfe of Charles Dickensであるが, Forsterはう Dickensと 親交があり,文学上の助言者でもあっただけに,その「伝記」は,他に真似のでき
ない確実な資料によって裏づけられている. しかしョ その反面, G. H. Lewesが the life of Forster with Notices of Dickens"だと指摘したように,一方的なと ころがあり Dickensの親友であっただけにいろいろな制約も免れなかった. 殊 に Dickensの離婚の事情に関してはョ控え目な語り方をしておりう EllenTernan との関係については,一言の言及もないほどである.
Ellen T巳rnanというのは, Dickensが 17wFrozen Deφを演じた際に親しくな った女優の名でう彼女との交際が原因となってラDickensの夫婦生活に破綻が生じた といわれているのである.この問題を最初に明るみに出したのは, Thomas W right である.彼の Life
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Charles Dickens (1935)における Ternanに関しての記事 はう更に, Miss Gladys Storeyの DickensωldDaughter (1939)の中において のべられている Mrs.Perugini (Dickensの次女で Kateという名前〉の打明話に よって,事実であることが確められている.この両者によって提供された Dickens の女性関係についての新事実のほかに, もう一つ, Dickensの伝記編纂に寄与した のは, Walter Dexterの編集になる Nonesuch版の「書簡集J(3 vols., 1938)で ある.(しかし,これは,僅か877~郊の限定版で3 いま手に入れることはほとんど不 可能である.)Dame Una Pope‑H巴nnessyの Ch似合sDickens (1945)は,このような新しい材 料に基づいてできた最初のDickensの伝記であって, Forster以後,EdgarJ ohnson の大著があらわれるまでの間にあって最も信頼できるものであった.従来, その地 位がほとんど無視された状態にあった Mrs.Dickensに関しての正当な評価を試み
たのも》 これが最初である.
Una Pope‑Hennessyに続いて, Hesketh P己arsonの Dicたns・HisCharacter, ComedyラandC切'eer(1949), J丘ckLindsayのCharlesDickens, A Biographical
and Critical Study (1950)及び, Julian SymonsのCharlesDickens (1951)等 の伝記,あるいは,作品批評を兼ねた伝記があらわれたが,それらを集大成したの が, Edgar Johnsonの CharlesDぜ'ckens,His Tragedy and TriumJうh (1953)で
ある.
未発表のものをもふくめた,実に豊富な資料に基づいて伝記を綴りながら, John. sonは 煩 を 追 っ て Dickensの一つ一つの作品に関する批評も行なっている.慎 重な考証に裏づけられており,しかも, Johhson自身,すぐれた批評力の持主であ るから,その著書は,単に伝記的価値のみならず,批評の面から見ても不可欠のも のである.
Johnsonは,たとえば, Dickensのセンチメンタリズムを論じる場合に,その類 型や亜流と区別して観察するならば,必ず Dickensのoriginalityが認められるの だと主張し, Dickensの芸術性を,その象徴の手法に照らして力説している.彼は,
Dombり and Sonにおける ice'や BleakHouseにおける Londonの霧に,
Dickensの象徴性や poeticimageryを認めた.そして更に,Our ,‑vfuttωl F
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加ldにおけるテームズ川の settingが,その神話的効果をもっ点において, T. S. Eliot の WωteLandのそれと,滋似しているというような批評のし方によって,彼は、
Dickensの現代的意義を決定づけた.しかし, Dickensのシンボリズムiこ対する関 心,そして, Dickensの暗さを,彼の個人的経験によって生じた強迫観念と関係づけ て説明しようとしているところに, Edmund Wilsonの影響が明白にうかがわれる.
Edmund羽Tilsonの Dickens: The Two Scrooges"は, 1941年に出版された The Wound 仰 dthe Bowという評論集の努頭に収められている.Wilsonは,犀 利な批評限と,精神分析学的方法の適用によって, Dickensの体験との関係から,
その作品の真の意味をとらえようと試みた.彼が最も重要視するのはDickensの幼 少時代の苦悩の経験である.感受性が強く,勝気な少年がどん底の貧困生活の中で,
さまざまな失望と屈辱感を味わった後では,精神の安定が得られるはずがない.そ のために, Dickensは,想像の世界において,犯罪者になったり,あるいは叛逆者 になっているのである,という見方をするのである.
Wilsonにとって, Thomas VVrightや, Gladys Storeyが明るみに出したDickens とTernanとの関係や, Nonesuch版の書簡集が,貴重な手がかりになったことは
いうまでもない.彼の,これらの資料の巧みな使用と,批評家としての分析力が,
Dickens再評価の方法をもたらしたといってよい.Wilson 以後のDickens評は,
多少はともあれ,彼からなんらかの影響をこうむっているのである.
WilsonがとらえたDickensの世界は, Chestertonの論じた楽天主義的なDickens のそれとは対照的である.Chestertonの Dickens観は,それはう彼の美点である と同時に,欠点でもあるのだが, K. J. FieldingがL、うように,
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個人的判断」にな っていて,彼にとっての Dick巴nsは,r
なかんず、<.クリスマスの慈善とお祭りさ わぎの精神にあふれたディケンズであった.J (Charles Dic加lS,published for the British Council, p. 18)そして, Dickensの靴墨工場での仕事も, Chest巴rtonから 見れば,f 1
9世紀最大の楽天家を産み出したJ(Charles Dickens, ch且p.IX)のであっfこ.
しかし, Wilsonの認識においては, Dickensの世界は,
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サミュエル,スマイノレ ズよりも,スウィフトの世界に近いものJ(G. H. Ford, Dickensω'ul His Readers, Princeton Univ. Press, P. 250)であった.彼の社会批評の態度にあらわれた複雑 な叛逆精神の原因をなすものとして, vVilsonは, 上記のような苛酷な少年時代の 経験を重く見ているのである.そして, Dickensの世界は9 善と悪とのdualismか らなり, Dickensが人間の悪の問題lこ,異常な obsessionをもっていたという点で,反ヴィクトリア朝的な特質の持主であったのであり,そこに,彼の現代性があらわ れて来るのである Wilsonの新開拓として,特に注目すべき問題は, Dick巴m が, 象徴的技巧の作家として,現代の作家につながると説いたことである.
The people who talk about the symbols of Kafka and Mann and Joyce have been discouraged from looking for anything of th巴 kindin Dick巴ns, and usually have not read him, at least with mature minds. But巴venwhen we think we do know Dickens, we may be surprised to return to him and :fInd in him a symbolism of a more complicated ref巴rence and d巴巴per1m‑ plication that these metaphors that hang as embl巴msover th巴door. The Russians thems巴lves,in this respect, app巴arto have 1巴arnedfrom Dickens.
(The Wound and the Bow, pp. 37‑38)
ここでいう theRussians"の代表が Dostoevskyであることはいうまでもな い. こういう洞察が加えられたときに Dickensの後期の作品, 中でも Bleak House, Little Dorrit, Our lMutual Friendは, その芸術的価値が高〈評価される
ようになりラ Dickens評価の上に新しい方向が定まったのである.そして Bleak HouseのLondonの霧の描写や, Krook老人とその猫の存在が,この作品のテー
マである ChanceryCourtや Lord Chancell巴E をあらわす象徴的意味をもつもの であることが解明され,それに従って, Dickensの芸術性のみならずラ社会批評に 関しても,再考の必要性が急激に高まって来ているのである.
Wilsonが,最高の Dickens批評家であると賞賛している GeorgeGissingでさ えも,少くとも彼の批評の上では,後期の作品の価値を重要視しなかった. もっと も,これは, GissingがDickensのすぐれた理解者であったことを否定するもので はない .The Immortal Dickensの中における OliverTwistの言干に見られるよう に芳彼は, Dickensが序文でのべている意図の中に,いかにもりアりストらしぐ,
新しい意義を見出しており,また,個人的噌好としては,後期の作者に対して,決 して,否定的ではなかったようである.K. J. Fieldingや, Edgar Johnsonが指摘 するように, Gissingがリアリストでありながら, Dickensのセンチメンタリスム や, ベイソスに対して, 好意的な評価をくだしたこと{ま, 特に注目に価する. 彼 は, Little Ne!l,が fresh and original"であると説き ,(Im押zortalDickens, Palmer, p. 197)更に, Paul Dombeyについても, Dickensの意図と時代性を考 慮に入れながら, 子供の創造における彼の独自性をたたえている (cf Charles Dic是ens,A Critical Study, chap. VIII.)
1940年代には, 社会批評家としての Dick巴ns研究の上にも, 新たな成果があら われた.この方面の研究として,早くには, Louis Cazamianの LeRoman SociaZ en Angleterre (1903)の中の Dickens"がある.Cazamianは, Dickensが,モ ラ/ルレを尊重する宇社土会改卒者であることを乞,
によつてあらわしたが, 1940年代において, Wilsonと並んでDickensの新しい研 究に寄与した George‑Orwellも,考え方の根底は, ほぼこれと同じである,
Dickens は,決して,政治の革命主義者なのではな<, 精神の改造主義者 (moral reformer)であったのである.つまり, Dickensは, underdogの味方として,圧
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市j者や,社会施設を攻撃したけれども,その考え方は,中産階級的自由主義に終始 していた.彼は,マノレグシストが考えたがるような, プロレタリア作家ではない.
そして ,A Tale of Two Citiesによって, Dickensが反革命的であったことを立 証しているのである. (Charles Dickens ,"1940,現在,Critical Essaysに収録〉
Orwellのこの論文は,その中で明示されているように,マノレクシストの T.A. Jack‑ sonの CharlesDic加1S:The 1そrogressof a Radical (1938)に対する反論でもあ
つ7こ
Jacksonや Orwellのように, Dickensの小説作品に頼るだけではなくヲ彼の講 演や,新見雑誌への寄稿,更には3同時代の他の作家についての調査や, Victoria 朝の社会,政治の全般にわたる広汎な知識を土台にして, Dick巴nsと社会との関係 を論じたのがう HumphryHouseで3 彼の TheDickens World (1946)は,こうい
ヮた意味でラ Dickensの社会的研究として最高の価値をもつものである.
House は, Dickensの小説に書かわしであることと3 社会的,歴史的現象とを混同 視する傾向をいましめ,科学的な実証によって, Dickensと社会との関係を追求し ている Dickensがフ 革命主義者ではなかったという見方においては Houseも Orwellと同じであるが, 金銭のもつ悪徳、の問題;こだんだんとりつかれるようにな
ったことや,後期になるにつれて,社会的な拘束力がより容赦のないものとして意 識されるようになったことに注目している点では,彼は Wilsonに近い Dickens 観を示している.
Dickensの想像力や,シンボ Hズムが批評の中心問題となるにつれて Dickens の研究は,俄然活気〆を呈するようになった.Wilsonの後をついで, 1950年代に出 版された批評書としては, ]. Hillis Miller, Charles Dic灼1S:The World of His Novel (1958)とョ MonroeEngelの TheJV!aturity of Dickens (1959)などがあ るが, 60年代になると,圧倒されるほどの数の書物が続出している.いま,わたく しの傍に,昨年 (1965)に出版された Dickensの研究書が四種もある.1961年に9
A. O. J. Cockshutの
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日 Imaginationof Charles Dickensが出てから,現在ま でのものを数えるとラ十種をこす. これだけの書物の内容を逐一紹介することは,いさぎよく諦めるが,その中で, Steven Marcusの Dic是ens:jj"om Pickwick to
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Dombey (Chatto & Windus, 1965)と, Rob巴rtGarisの TheDickens Theatre: A Reassessment of the Novels (Oxford, 1965)の二つを, Dickens評価の上で対 照的な傾向をもつものとしてあげておく必要を感じる.fIIJ者が E. Wilson 1:)、来の 研究の動向を更に深めたものであるならばp 後者は,その傾向:こ対する一つの挑戦 であると考えられる.
Marcusは, その序文から判断すれば,やがて DavidCopρerfieldから Edwin Droolに至る後期の作品についての研究を発表するようになるであろう.授が霊く 見たいのは,後期の作品でめる. しかし,そのためには,先ず前期の作品について の評価を確立しておかなければならない,というのが,彼の意図の中iこ 感 じ ら れ る.Henry Jamesのいわゆる fre巴aestheticlife" (c
f .
The Life of George Eliot,"Partial Portrait (London, 1888), p. 51) tこ富んだ Dickensの初期の作品に関し て, unity を求めようとするのは,本来無理なことのように思わ~l,てきた.しかし
この両者は,互いに相容れないものではなく,例えば,初期の作品の中でも評判の 悪い BarnabyRudgeに関してさえ, それが,個人と社会との関係にもとづいた unityをもっていることが主張さオ守している.
作品と人生との関係においては, Marcusもやはり, 精神分析 的,心理的方法論
;こ拠って, 作者の個人的体験を重んじている. 彼が, なかんずく強調するのは,
Dickensの幼i王寺における父親との関係の obsessionの問題である. これは興味深い ことではあるが,些か形式化されているような惑がある.
Rob巴rtGarisは, Dickens批評における neworthodoxy"とは, 会く違った 方法論を主張している. 彼は,先ず Dickensのstyleから論じ始めて, Dickens
の描写法が theatricalであることを指摘し,その点で,他の伝統的な作家との詞に 区別があるのだという.theatrical'というのは, naturalと対応する用語であって,
元来 pejorativeな意味に思いられるものであった.Garisは,この場合,そうでは ないのだといって, Dick巴nsは,比類のないperformerであり,その芸術がtheat‑ ricalであるということは,決して non‑realisticであることを意味しないといっ ているが Dickensの作品にはう integrated continuityがなく, 拾えず, verbal contriver 或はartificer)の存在が感じられるということが前提になっている. 従
って, Dickensが, リアリズムにおいて他の作家と異なり,また, symbolism にお
いて,例えば, Kafkaの場合とは違った意味の作家であるという説には,単なる相 違の事実だけではなし明らかに評価の意味がふくまれていると考えられるのであ る Garisが, theatricalという用語によって, Dickensの芸術性を劣等視してい ることは, Dickensの作品をJaneAustenの作品,特に Emmaと対照させている ところに自らうかがわれる.
いかなる作家の場合でも,研究の新しい方向は,常に見出される可経性があるも のである.Dickensの場合,作品のほかに ,The Speeches of Charles DickeJ1s(Ox. ford, 1960)がすでに出版され,そして,新しい書事会集 (TheLetters of Charles Dickens)一一これは実にぼう大なもので, 約12,000通の書翰からなる全12きのう ち,その第一巻 (1820‑1839の書翰, 1059通を収める〉が既刊(Oxfordラ1965) が出され始めて,これから,更に研究が更新され,かつ深められることが予想され る.また, A. J. Hoppるによる John Forsterの TheLife of Charles Dickens (Everyman's Lib. 2 vols.)の改訂版 (1966)が出されたことや, textsの済活な照 合にもとづいた ClarendonEdition of Dickens's Novelsの中の OliverT.ωist (K. Tillotson ed. 1966)が出版されていることも, 最近における Dickens再評価のた まものといえよう.
次に, Dickensの新しい研究がよく問題にするところの, Dickensと現代作家と の関係について概略をのべておきたいと思う.
余り大きく問題にはされないが,先ず, G. B. Shawとの関係がある.Shaw,主
H σ
rd Times (Waverly Edition, 1911)と GreatExpectations (Novel Library, 1947)の序文を書いたが,それによっても理解できるように,主として Dickens の後期の作品を重んじた. そして, 彼は, 1bs巴nや Ni巴tzscheの影響よりも3Little Dorritの作家から大きな影響を受けたことを言明している. もし,彼自身の 著作のconcordanceをこしらえたならば,他のいかなる作家よりも, Dickensへの 言及が多いであろうと語ったといわれる (G.H. Ford, op. cit,・ p. 233) Joseph Conradも,想像力の働きにおいてフ Dickensに通ずる特徴をもっていることがフ F. R. Leavis によって論じられている • (c
f .
Joseph Conrad", GJ喝eatTr山iitions.)従来, Dickensの後輩作家として, Wells, Bennett, Galsworthy,それに, J. B. Priestley及び, William De Morganを加えるのが常であった.しかし, 'Dickens
10 最近におけるディケンズ研究の方向
の作品構成の技巧や,想像力やシンボリズ、九悪の問題などが新しく明らかにされ るようになると, Conradや, Henry James, D. H. Lawrence, James Joyceなど とより近い関係をもつことが論議されるようになった.Ada NisbetはV.S. Prit‑ chettが Kippsや,Tono Bungayにおいてよりも Joyceの 臼yssesに多くの Dickens的なことを認めると論評したことを伝えている (LionelStevenson ed.
VictoriaπFiction, p. 114)
先にふれたように, Henry Jamesは,若い時代に, Dickensに不利な評論を書い た.1865年の OurMμtual Friend論において,彼は, Dickensは, human char‑ acterの理解に欠けており,物ごとの奥を透察し得ない作家であるがゆえに, the greatest of super五cialnovelists"であると書いた.しかし,これによってヲ もし,
Dickensが彼によって全面的に否定された小説家であると思われるようなことがあ るならば,それはまちがL、である .A Small Boy aπd Othersは, Henry Jamesの 子供時代と Dickensの作品が如何に親密な関係にあったかをよくものがたるし,
また,Notes
0 1
a Son and Brotherでも,彼が Dickensの創造した人物に,敬意 と親近感をもっていたことを明らかにする.小説の技巧に関する革命的な理論家と しての HenryJamesから,作家としての HenryJamesに注意が移行するにつれ て、彼は,決して, Dickensの小説と断絶した小説家ではないということが論じられ ている.例えば,彼の ThePrincess Casamassimaについて次のような見方がある.Lionel Trillingは, この作品を, E. M. Forsterの Howard's Endとともに,
。
ur JIJutual Frie配fと向系列におき Jamesの描いた病身の RosyMuniment が,多くの面で,Our 1¥ふれlal Friendの JennieWrenに似通っていることを指 摘している .(cf E. 1¥1. Forster; The Hogarth Press, p. 19,及び,The Liberal 1mα:gination, Mercury町 p.88.)この JennieWrenについて, Jamesは, sh巴is a little monster ... sh巴belongsto the troop of hunchbacks, imbeciles, and pre‑ cocious children who have carri巴d on the sentImental business in all Mr.Dickens's novels . ..." (Our Mutual Friend
ぺ
SelectedLiterary 0ιiticism, Heine‑mann, p. 7)と酷評をくだしているだけに, Rosy Munimentが Jamesにおける Dickensの影響であるとは,にわかにきめたくない.しかし, Jamesが,小説の理 論上の反援とは別に, Dickensisms "から免れることのできなかった証拠にはな
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る (cf.G. H. Ford, op. cit., pp. 203‑212)と同時に, E. M. Forsterの characters "とLい、う用語も3 ひとり Dickensだけにあてはまるものではなしまた,
偉大な小説には; 自atcharacters "がないものだと思うのもまちがいである.E. ~ν1.
Forsterの小説にも 丑atch且racters"はある .(lbid., p. 211)
Henry James, E. M. Forsterいずれの評も,要するに finalなものではなかっ た.彼等と Dickensとの間に, 小説観の相違があったことは事実である. しかし その栢違と,芸術の優劣の問題とを混j司すべきではない.そういう意味で Dickens のartistryや craftsmanshipを唱えているのが Earl巴Davisである.彼は ,The Flint and the Flame, The Artistry of Charles Dickens (Columbia, 1963)こお いて, Henry Jamesの技巧と全く対局的な Dickensの手法一一副次的なプ戸ツ トや人物を中心テーマの周辺に積重ねていく complexityの中Jこ9 彼の意識的な芸 術性を認めている.そして,後期の作品を重んじ,シンボリズムを中心にしてDic四 k巴nsの芸術を論じている点で, これも neworthodoxy"と異ならないが Dic‑ kensに対する他の作家の影響の研究という点で Dickens研究の一つの方向を指 示している.
後期の作品の中でも ,Little Doげがはラ特に最近における Dickens再評価のた まものとして, Lionel Trillingによって真価を認められた .Theλ忌w Oxford Illustrated Dickensの Little Dorritにつけた Introduction (1952)によって,
Trillingは文字通りこの作品の新評価を公にしたのである.彼は,社会と個人との 関係においてこの作品の現代性を見出し,その関係において prisonの象徴性を体 系づけている.彼はこの作品を oneof the most signi五cantworks of the nine崎 teenth century"とよんだ.これと共l乙 前 期 の 作 品 OliverT¥ωistの悪の世界及 び¥その貧しく虐げられた人々の世界を論じた二つの論文,すなわちGrahamGreene の YoungDickens" (The Lost Childhood, 1951),と Arnold Kettleの Oliver Twist" (An Introduction to English ¥Tovel, 1951)は, Dickensの再評価iこ大き
く貢献しているものとして特記すべきものであるといえよう.
そして最近に見出された Dickensのこれらの現代性はラ Dosto巴vskyや Kafka 等の外国の作家との比較研究の方向へも関心を向けさせている. Mark Spilkaの
Dickens and Kafi加 (1963)は,やはり, Dickensの象徴!生に基づ、いて進められた
最近におけるディケンズ研究の方向 比較文学的研究である.
しかし, Dickensの作品の中に,いかに現代的な意味での興味深い問題があると しても,それは,あくまでも作品そのものを正確に読んで理解することから把握さ れるので、なければならない.芸術性を強調するところには,往々にして,行きすぎ の危険性があるものだ.言うまでもないことだが3 われわれは,先ず Dickensの 言葉の着実な理解から彼の芸術の神髄に近づいて行かなければならない.山本忠雄 氏のGrowthandあlstemof the Language of Dickens (1952)は, こういった意 味での Dickensの文学の理解において, 不可欠の参考書である. 早合点や,新奇 な説に舷惑されて,作品そのもののコンテクストから遊離してしまうような危険性 を厳重に警戒しなければならない.シンボリズムや, イメージャリなどの新しい研 究方法の中にあって, K.}. FieldingのCharlesDickens: A Critical Introduction (1958,再販1965)におけるような常識的判断が大いに重要な意義をもっ所以である.
そして, Dickensの象徴性や, 詩人的資質, あるいは myth‑makerであること をあげつらうことだけが, 必ずしも Dickensの批評界を独占しているのではない ということも知る必要があろう. 例えば }ohnKillhamが JをckwickPapersを 論じた中で, こういう面からの Dickensへのアプローチのし方を非難して, plot や charactersを中心とした研究の方向へ復帰すべきことを主張している(ぷ
Pickwick, Dickens and the Art of Fiction" Dickens and the Twentieth Cen‑ tury, Routledge & Kegan Paul, 1962.)のには, Chesterton流の批評のリパイバ ノレを感じさせるものがあるc
なお,本稿をなすに際して,文中にあげた参考書自のほかに,宮崎孝一著『ディ ケンズ、小説諭j(日召, 34,研究社)の中の「ディケンズ論百年」及び「ディケンズー をめぐる人々」から得るところが多かったことを附記しておく.(1966.10)