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弘
法
大
師
と
灌
頂
布
施
浄
慧
N工工一Electronlc Llbrary Servlce
弘 法大師 と灌頂 (布施 浄慧)
小
序
真 言 宗 の 付 法 の 上 で 、 灌 頂 は 最 も 重 要 な 意 義 を含
ん で い る 。 そ れ は 真 言 密 教 の 深 義 を 誤 た ず、 機 縁 熟 せ る も の に 授 け 、 受 者 ま た よ く 阿 闍梨
付 嘱 の 法 を受
学 若 し く は 伝 持 相 承 す る 根 本 的 な法
会 儀 式 で あ る か ら で あ る 。 イ ン ド 古 代 の 王 位 継 承 の 儀 典 よ り 影 響 を 受 け た灌
頂 儀 式 の 成 立 と 整備
は 、 密 教 発 達 史 上 に お い て 普 く 密 教 徒 に 知 ら れ る と こ ろ で あ り 、 上 に は 八祖
を 基 本 と し 、 下 に は 日 本 の 真 言 宗 各 派 に お け る灌
頂 に 至 る ま で 、 嫡 々 相 承 し 来 っ た も の で あ る 。 本 小 論 は 、 弘 法 大 師 ご 誕 生 千 二 百年
の機
に 当 り 、 宗 祖 大 師 が 授 法 入 壇 と 開 壇 さ れ た灌
頂 に つ い て 、 今 日 残 さ れ た 諸 資 料 の 示 す と こ ろ に よ り、 編 年 体 に よ っ て 記述
を 試 み ん と す る も の で あ る 。 も と よ り 、 こ の論
題 に つ い て の 研 究 は 、 既 に 先 学 諸 徳 に よ っ て 試 み ら れ た も の で あ り 、 今 更 論 述 す る こ と を 大 い に 憚 る も の で あ る 。 し か し、 幸 い 『 弘 法 大 師 伝 記 集 覧 』 に準
拠 し 、 各 年 代 に 行 わ れ た 灌頂
の 意 義 と 価 値 を 再 検 討 し 、 大 師 御 一 代 に お け る 思 想 の 拡充
と 展 開 を、灌
頂 事 相 の 面 か ら 窺 い 知 ら ん と す る 論 を 試 み よ う と す る に 過 ぎ な い 。 資 料 の 見 落 し や 、 扱 い方
の 誤 り に つ い て は、 大 い に ご 指 摘 を 乞 い た い 。 今 日 、 事 相 一 般 に つ い て関
連 も す る こ と で あ る が 、 や や も す れ ば 形 式 的 に流
れ る 形 勢 に あ る 。 灌 頂 に お い て も 然 り で あ る 。 灌 頂 の真
生 命 に触
れ る こ と は 、 即 密 教 が 息 付 く こ と で あ る 。 宗 祖 が実
際 一219
一智 山学 報第二十二 輯 に 行 わ れ た 灌
頂
の 諸 形 態 を見
、 行 で も あ ろ う か と 思 う 。 そ こ か ら 宗 祖 大 師 の 真 剣 な 求 法 と 弘 法 の 精神
を 見 出 し て い く こ と も、 報 恩 謝 徳 の 一第
一節
大
師
の 入壇
大 師 以 前 に 灌 頂 法 が 行 わ れ て い た こ と は 、 日 本 後 記 巻 十 二 、 延 暦 二 十 四 年 三 月 丙 申 条 に 、 伯 春 国 よ り 玄 賓 を 請 召 し て 「 於 殿 上 行 灌 頂 法 」 と い う 記 事 が あ り 、 或 は 「 類 聚 国 史 」 に は 延 暦 十 六 年 五 月 に 「 於 二 禁 中 一 行 灌 頂 経 法 」 と あ る こ と よ り し て 、 既 に 奈 良 時 代 に お い て 、記
録 的 に は 少 な い が 事 実 行 わ れ て い た こ と は 信 用 し て よ い よ う で あ る 。 宗 祖 大 師 は 延 暦 二 十 三 年 七 月 六 日 、 藤 原葛
野 麿 を 正 使 と す る 遺 唐 使 と 共 に 入 唐 し、 長 安 に 到着
し た の は其
の 年 の 十 二 月 廿 五 日 で あ る 。 以 後 五 ケ 月 の 問 、 ど の よ う な 研 究 生 活 を 過 さ れ た か に つ い て 、 様 々 な 推 測 が な さ れ て い る が 、 大 師 の 依 止 師 と な る 恵 果 和 尚 に 会 っ た の は 五 月 末 の こ と で あ ろ う と さ れ る 。 翌 六 月 十 三 日 に青
竜 寺 恵 果 阿闍
梨 は、 密 教 付 法 の 資 は こ の 入 唐 沙 門 空 海 な り と し て、 自 坊 で あ る 東 塔 院 に て 開 壇 し ま ず 学 法 灌 頂 を 、続
い て 胎 蔵 ・ 金 剛 の 次 第 に て 伝 法 灌 頂 を 行 い 、 職 位 を 紹 が し め た 。 か の 『 御 請 来 目 録 』 に は そ れ ら の模
様 を 次 の 如 く 記 し て い る Q ヨ そ の 大 徳 ( 恵 果 和 尚 ) は す な わ ち 大 興 善 寺 の 大 広 智 三 蔵 の 付 法 の 弟 子 な り 。 徳 は こ れ 時 の 尊 、 道 は す な わ ち 帝 の 師 な り 。 三 朝 こ れ を尊
ん で 灌 頂 を 受 け、 四衆
こ れ を 仰 い で 密 蔵 を 学 す 、 空 海 西 明寺
の 志 明 ・談
勝 法 師 等 五 六 人 と 同 じ く往
い て 和 尚 に 見 ゆ 。和
尚 た ち ま ち に 見 て笑
を 含 み 、 喜 歓 し て 告 げ て い わ く 「我
れ 先 よ り 汝 が 来 る こ と を 知 り て 相 待 つ こ と 久 し 。今
日 相 見 る こ と 大 に好
し、 大 い に 好 し 。 報 命 竭 き な ん と 欲 れ ど も 、 付法
に 人 な し 。 必 ず 須 ら く 速 か に 香 花 を 弁 じ て 灌 頂 壇 に 入 る べ し 」 と 。 す な わ ち 本 院 に 帰 り、 供 具 を 営 弁 し て 、 六 月 上旬
に 学 法 灌 頂 壇 に 入 る 。 こ の 日 大 悲 胎 蔵 大 曼 荼 羅 に 臨 ん で 、 法 に よ っ て 花 を 抛 う つ に、 偶 然 に し て 中 台 眦 盧 遮 那 如 来 の 身 上 に 着 一 220 一NII-Electronic Library Service 弘 法 大 師 と灌 頂 (布施浄慧) く 。 阿 闍
梨
讃 し て い わ く 、 不 可 思 議 不 可 思 議 な り と 。 再 三 讃 歎 し た も う 。 す な わ ち 五 部 灌 頂 に 沐 し 、 三密
加 持 を 受 く 。 こ れ よ り 以後
、 胎 蔵 の 梵 字 ・ 儀 軌 を 受 け 、 諸尊
の瑜
伽 観 智 を 学 す 。 七 月 上旬
に 更 に 金 剛 界 の 大 曼 荼 羅 に 臨 ん で 重 ね て 五 部 の 灌 頂 を受
く 。 ま た 抛 う つ に 眦 盧 遮 那 を 得 た り 。 和 尚 驚 歎 し た も う こ と 前 の ご と し 。 八 月 上旬
に ま た伝
法 阿 闍 梨 位 の 灌 頂 を 受 く 。 こ の 日 五 百 の 僧 斉 を 設 け て 普 ね く 四 衆 を 供 す 。 青 竜 大 興善
寺
等 の 供奉
大 徳 等 な ら び に斉
筵 に 臨 み、 こ と ご と く み な 随喜
す 。 金 剛 頂瑜
伽 ・ 五 部 真 言密
契 相 続 い で 受 け、梵
字 ・ 梵 讃 間 も っ て こ れ を 学 す 。 る 恵 果 和 尚 が 大 師 の 器 を 讃 め 、 一 気 に 密 教 を 授 け た 様 子 が こ れ に よ り て 窺 え る 。更
に 灌 頂 道 場 の 荘 厳 に つ い て 『 付 法 伝 』 の 示 す と こ ろ に 随 え ば 、 仏 塔 の 下 、 内外
の 壁 に は 全 面 に わ た っ て 金 剛 界 ・ 胎 蔵 両 部 の 大曼
荼 羅 と 一 一 の尊
曼 荼 羅 を 図 絵 し て あ り 、 そ の 曼 荼羅
の 衆 聖 は 儼 然 と し て 在 し 、 あ た か も華
蔵 が 新 た に 開 い た よ う で あ り、 万 徳 の光
明 が 輝 い て さ な が ら 仏 の 世 界 が 出現
し た よ う で 、 こ の 様 を 一 た び 覩 、 一 た び 礼拝
す る も の は 忽 に 罪 を 消 し 、 福 を積
む が 如 く 、 ま こ と に 荘 厳 妙 に し て 、 心 を 打 つ も の で あ っ た よ う で あ る 。 同 じ 『 御 請 来 目 録 』 の 上 表文
中
に、 「 わ れ に 授 く る に発
菩
提 心 戒 を も っ て し 、 わ れ に 許 す に 灌 頂 道 場 に 入 る こ と を も っ て す 。 受 明 灌 頂 に 沐 す る こ と 再 三 な り 。 阿 閣 梨 位 を 受 く る こ と 一 度 な り 」 と い う 記 述 が あ り、 大 師 が彼
の 地 に て 入壇
し た こ と を 総 括 的 に述
べ た も の で あ る が 、 こ の 記 述 よ り し て 、 先 ず菩
提 心 戒 ( 三 昧 耶 戒 ) を 授 か り 、 一 尊 の印
明 を 授 か ら ん が た め の受
明 灌 頂 ( 学 法 灌 頂 、 許 可 灌 頂 ) を 再 三 度 に わ た り 、 そ れ に 金 胎 両 部 の 秘 法 を 授 か る た の伝
法灌
頂 ( 阿 闍 梨灌
頂 、受
職
灌
頂 ) を 一度
受 け て い る と解
せ ら れ る 。 こ の 三 昧 耶 戒 を は じ め と す る 受 明 ・ 伝 法 二 種 の 灌 頂 を、 大 師 は 恵 果 に 遇 う て よ り僅
か の 期 間 ( 五 月 末 よ り 十 二 月 十 五 日 恵 果 入 寂 ) に 受 け た こ と に な る が 、 先 に 引 用 し た御
請 来 録 の 月 を 追 っ て 記 述 し た 灌 頂 受 法 の 文 に 示 す も の に 一221
一 N工工一Electronlc Llbrary智山 学 報 第二 十二 輯 ど う 配 す る の か 、 そ の 解 釈 に つ い て 野 沢 に お い て 相 違 す る 。 今 そ の 大 凡 に つ い て 記 せ ば 、 ま ず 小 野 方 で は 、 六 月 の 胎 蔵 、 七 月 の 金
界
の 学 法 灌 頂 を 弟 子 位 の 受 明 灌 頂 に 摂 し 、 八 月 の 伝 法 灌 頂 を 正 し く 伝 法 阿 闍梨
位 の 灌 頂 な り と 説 く 。 こ れ に 対 し 沢方
で は 、 灌 頂 を 大 別 に す る に 伝 法 と 結 縁 の ア ニ 種 に す る 立 前 か ら、 受 明 灌 頂 も 伝 法 灌 頂 に 摂 す る 。 『 喧 ζ 要 秘 鈔 』 に 依 れ ば 、 や や 小 野 の 配当
と 同 じ き よ う に 見 え る が 、 畢竟
受 明 伝 法 不 分 の 域 で あ る 。 『 西 院 流 能禅
方 伝 授 録 』第
十 三 所 説 に よ れ ぽ、 「 六 七 両 月 の 灌 頂 は 、受
明 即 伝 法 に し て 、 作 法 儀 式 の 灌 頂 な り 。 八 月 阿 闍 梨 位 の 灌 頂 は 瑜 祗 の 大 事 御 相 伝 に し て 無 作 法 灌 頂 と 意 得 べ し 」 と 明 記 し て い る 。 こ の 『 御 請 来 目 録 』 の 灌 頂 受 学 の 文 が か く 二 流 に お い て 異觧
を 示 す こ と は 、 言 葉 簡 略 に 記 録 し た た め 、 大 日 経 所 説 の 事 業 ・ 印 法 ・ 以 心 の 三 種 の 灌 頂 、 あ る い は 五 種 の 三 昧 耶 ・ 或 は 小 野 で 用 い る 許 可 ・ 伝 法 ・ 秘 密 の 三 種 の 灌 頂 の 中、 許 可 な る も の を 沢 方 で 認 め な い こ と な ど が 複 雑 に 入 り 組 み 、 自 派 の 立 場 を 擁 護 し 、 そ の 特 色 を 発 揮 せ ん と し た 結 果 で あ る 。 い ず れ に し て も、 こ の 大 師 の 裏 け ら れ た 灌 頂 の 詮 義 は、 か な り 研 究 さ れ て い る わ け であ
る が 、 小 野 所 伝 の 『 穴 忍 疋 鈔 』 或 は 沢 方 の 前 出 『 瞭 く 要 秘 鈔 』 、 『 西 院 流 能禅
方摶
授 録 』等
の 記 述 を も う 一 度 検 討 し 、更
に 、 大 師 御 在 世 中 の 灌 頂 の 様 子 や 、 或 は 附 法 の 弟 子 た る 実 慧 の 行 っ た 灌 頂等
と そ の 周 遍 を 注 意 す る こ と に よ り 、 聊 か な り と も そ の 実 態 が 見 出 さ れ る の で は な か ろ う か 。 今後
の 研 究 に 俟 つ も の で あ る 。 さ て、 大 師 に 真 言 密 教 を 写 叛 し た恵
果 和 尚 は 、 両 部曼
荼羅
を は じ め と す る 種 々 の 法 文 道 具 を 付 嘱 し た 後 、 十 二 月 十 五 日 東 塔 院 に 示 寂 さ れ た 。 翌 年 大 師 は 帰 朝 し、 い よ い よ 日 本 に お け る 真 言 密 教 が 建 立 さ れ る こ と と な る 。 1 日 本 に お け る 灌 頂 法 の 行 わ れ し こ と 、 櫛 田 良 洪 著 「 真 言 密 教 成 立 過 程 の 研 究 」 第 一 篇 上 古 真 言 密 教 の 形 式、 三 一 頁 参 照 。 2 五 ヶ 年 間 の 弘 法 大 師 の 行 動 に つ い て、 推 測 の 論 文 は、 守 山 聖 真 「 文 化 史 上 よ り 見 た る 弘 法 大 師 伝 」 宮 崎 忍 勝 「 新 ・ 弘 法 大 師NII-Electronic Library Service 伝 L 中 野 義 照 「 印 仏 研 」 三 十 号 に あ る 。
3
弘 大 全 一 ・ 九 十 八4
弘 大 全 一 ・ 四 十 四5
弘 大 全 一 ・ 六 十 九 6 「 穴 η { 鈔 巻 二 」 栄 海 撰 に 「 大 師 御 灌 頂 次 第 」 の 項 に 詳 し い ( 大 日 本 仏 教 全 書 二 一 〇 以 下 ) 7 弘 融 「 敏 { 要 秘 鈔 」 第 一 、 大 日 本 仏 教 全 書 ( 一 七 頁 以 下 ) 8 西 院 流 に お け る 灌 頂 に つ い て の 記 述 は 「 西 院 流 能 禅 方 伝 授 録 」 第 十 三 「 灌 頂 種 類 之 事 」 ( 真 言 宗 全 書 一 六 、 り 知 る こ と が 出 来 る 。 今 の 文 は 同 書 四 〇 九 頁 ) 四 〇 〇 頁 以 下 に よN工工一Electronlc Llbrary Servlce
弘法大 師 と灌 頂 (布施浄慧)
第
二節
大
師
の開
壇
弘
仁
元
年
の灌
頂
帰朝
後
、 大 師 が 最 初 に 開壇
し た の は 帰 国後
四年
目 の 弘 仁 元 年 ( 八 一 〇 ) の こ と で あ る 。 こ の 歳 あ た り か ら、 大 師 の活
動
も 活 撥 化 す る の で あ る が 、 終 生 の 公 家 の 修 法 五 十 一 度 の 最 初 も こ の 年 十 一 月 一 口 か ら で あ る 。 ま た 、 御 自 身 ヨ 東大
寺
別 当 に 補 さ れ、 西 室 に 住 し た が、 同 寺 域 内 に 檜皮
葺 三 問 四 面 の 堂 宇 を中
心 と す る 南 院 を 建 立 し 、 両 部 の 教 を恢
弘
し た 。 こ の南
院 は 真 言 院 と も 号 し 、 ま た曼
荼 羅 院 と も 名 づ け ら れ 、 或 は灌
頂 院 と も 呼 ば れ て い た 。 こ の 名 称 を 用 い た こ と に よ っ て 暗 示 さ れ る が 如 く 、 真 言 密 教 に お け る 灌 頂 或 は曼
荼 羅 の 重 要 性 は 、 大 師 の 心 中 益 々 熟 し 来 た っ た も の で あ ろ う 。 こ の 日 本最
初 の 大 師 に よ る伝
法 灌 頂 は 、 何 月 に 行 わ れ た か 明 ら か に し な い の で あ る が、 『 両 部 血 脈 私 鈔 』 上 の 実 恵 少 僧 都 の条
に 、 元 瑜 記 と称
さ れ る 『 練細
秘 伝 鈔 』 の 説 と し て 、 次 の よ う に 記 さ れ て い る 。 4 ( 実 慧 )御
年 廿 五 、 高 祖 に 随 っ て職
位
を 受 け 給 う 。 貞 記 に 曰 わ く、 大 師 い わ く 、 我 帰 朝 の 後 、資
の 為 に 坦 を 立 て 、 五 瓶 を 一223
一智 山学 報第二十二輯 灑 く 云 云、 則 ち 御 帰 朝 の 最 初 に 檜 尾 の 御
灌
頂 、 弘 仁 元 年 也 と あ り、 ま た 『 東 寺 長 者 次 第 』 上 第 二 少僧
都 実 恵 の 条 に も、後
に 弘 法 大 師 に 随 っ て 真 言 の 教 を伝
う 。 最 初 入 坦 の 弟 子、 日 本 第 二 の 阿 闍 梨 な り な る 文 に よ っ て も 、 実 慧 大 徳 に 対 し て の 伝 法 灌 頂 が 行 わ れ た こ と 、 そ れ は 大 師 が 以 前 か ら の 住 房 で あ る 高 雄 山 寺 に お い て で あ ろ う こ と が わ か る 。 尤 も 会 場 の 選 定 に つ い て は 、 こ の 記 事 に て は 不 明 の よ う で あ る が 、 『 野 沢 血 脈 集 』 巻 第 一 、 大 師 十 弟 子 の 中 、実
慧 少 僧 都 の 記 述 中 に 、 次 の如
き 細 註 が あ る 。 ら 此 の 説 正 師 に 尋 ぬ べ き な り 。 本 朝 灌 頂 の 初 め は 、 弘 亭 三 年 高 尾 に お い て こ れ を 行 ぜ ら る か 。 檜 尾 灌 頂 は 諸 伝 に は 見 え ざ る な り 。 且 つ 観 心 寺 は 、 天 長 四 年 の 建 立 な り 。 若 く は 高 を 誤 っ て 檜 と作
し た る か 。 こ の 細 註 を 信ず
る 限 り 高 尾 ( 雄 ) に 行 わ れ た こ と と し て よ い 。 そ れ に し て も、 特 筆 さ る べ き 本 朝 最 初 の 伝 法 灌頂
に つ い て 、前
掲
の 如 き 後 世 の 資 料 の 記 述 に よ り 知 る こ と が 出 来 る 不 可 觧 さ は 、 何 か 物 足 ら ぬ 感 で あ る 。 灌 頂 の 規 模、 日 時、 あ る い は 場 所 さ え も あ る 意 味 で は 不 明 の ま ま で あ る 。後
述 の 弘 仁 三 年 伝 教 大 師 等 が 入 坦 し た 記 録 に 比 し 、 は る か に 影 が薄
い 。 1 こ の 年 薬 子 の 乱 平 定 し、 大 師 は 密 教 に よ り 鎮 護 国 家 を 祈 ら ん と す る 上 表 文 を 奉 っ た 。 「 奉 為 国 家 請 修 法 表 一 首 」 ( 性 霊 集 弘 大 全 ) が そ れ で あ る が 、 こ れ に よ る に 高 雄 山 等 に お い て 仁 王 経 及 び 守 護 国 界 主 経 第 の 秘 密 儀 軌 に よ り 修 法 せ ん と 願 っ た も の で あ る 。 2 東 大 寺 別 当 次 第 大 法 師 空 海 瓢 怯 獻 緬 測 韻 嬬 ノ ル ニ ヲ ム 讃 岐 国 多 度 人 、 佐 伯 氏 、 元 大 安 寺 僧 、 有 レ 勅移
一 東 大 寺 一 弘 仁 元 年 任 ( 中 略 ) 寺 務 四 年 ( 中 略 ) 東 大 寺 真 言 院 始 ( 略 ) ( 伝 記 集 覧 二 五 〇 所 掲 )3
南 院 の 規 模 に つ い て は 「 東 南 院 文 書 」 第 二 櫃 修 造 文 書 上 に 南 院 檜 皮 葺 三 間 四 面 堂 一 宇 同 三 問 四 面 僧 房 一 宇 一224
一NII-Electronic Library Service 同 五 間 四 面 僧 房 一 宇 同 西 六 間 一 宇 同 東 門 一 宇 ク 件 院 皆 悉 無 実 右 依 二 宣 旨 検 録 一 如 レ 件 長 久 八 年 十 一 月 二 日 都 維 那 伝 燈 法 師 位 定 秀 の 示 す こ と に よ り 知 れ る 。 4 「 両 部 血 脈 私 鈔 」 「 東 寺 長 者 次 第 」 い ず れ も 「 伝 集 」 二 六 四 所 掲 に よ る 。 5 野 沢 血 脈 集 ( 真 言 宗 全 書 九 、 三 二 六 )
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弘法 大師 と灌頂 (布施浄慧) 弘 仁 三 年 の 灌 頂 ユ 我 が 国 最
初
の 結 縁灌
頂 と し て 、 各 資 料 共 に 一 致 し て 記 述 し て い る の が、 こ れ で あ る 。 神 護 寺 所 蔵 の 『 高 雄 山 灌 頂 歴 名 』 に よ れ ば 、 弘 仁 三 年十
一 月 十 五 日 、 於 高 雄 山 寺 受 金 剛 界灌
頂 人 々 歴 名 釈 飯 澄 因、 幡 磨 大 椽 和 気 真盤
大 学 大 允 和 気 仲 世吾
養
種 人 宝 と あ っ て 、伝
教 大 師 最 澄 を 含 む 四 名 の 受 者 と 、 そ の 得 仏 を 知 る こ と が 出 来 る 。 特 に こ の 灌 頂 に お い て 台 密 の 棟 梁 た る 寂 澄 の 入 坦 と い う こ と が、 後 世 東 密 側 の 重 要 視 す る 歴 史 的 事件
と し て、 弘 仁 三 年 の 灌 頂 は 一 き わ取
沙 汰 さ れ て い る よ う で あ る 。 竅 澄 と 弘 法 大 師 の 関 係 に つ い て は 、 多 々 問 題 点 も 論 ぜ ら れ る と こ ろ で あ る が 、 密 教 求 法 の 寂 澄 の志
を 顕彰
せ ね ば な ら ぬ 。 入 唐 中 不 空 の 弟 子 順 暁 よ り 密 法 を 学 ん で は い る が 、 充 ( 経 イ ) 全 で は な か っ た 。 こ の た め 大 師 帰 朝後
三 年 目 の 大 同 四 年 に は 、 弟 子 治 珍 を 大 師 の 許 に つ か わ し て 、 請 来 の 新 経 籍 を借
覧 し た き 旨 の 記 録 を は じ め と し て 、密
教 受 学 の 気 運 は 年 を追
っ て熟
し た も の で、 入 坦 を 遂 げ ん と す る 気 持 は 年 を追
っ て 強 固 な も の と な っ た と 思 わ れ る 。 一 225 一智山学 報第二 十二 輯 さ て 、 飯 澄 が 灌 頂 受 法 に 至 る 経
緯
に つ い て 述 べ れ ば 、 最 澄 稽 首 和 南 す 。 最 澄 今 月 十 四 日 を も っ て 都 下 に 参向
す 。 卑僧
の 心 の裏
、常
に 阿 闍 梨 の 加 被 を蒙
っ て 、 秘密
宗 を 習 学 せ ん こ と を 思 う 。 但 し穏
便
得
難 く し て 、 久 し く歳
月 を 過 せ り 。 此 の た び 彼 の 御 院 に参
向 し 、 遍 照 一 尊 の灌
頂 を 受 け、 七 箇 日 許 り 仏 子 等 の後
に 侍 し て 法 門 を 習 学 せ ん 。 和 尚 若 し 無 限 の 恩 を 垂 れ ぽ 、 明 日 必 ず 参奉
せ ん 。伏
し て 乞 う 。 指 南 を 垂 れ 進 止 せ よ 。 日 晩 く 惚 々 具状
せ ず 。 弟 子 最 澄 稽 首 和 南 す 。 弘 仁 二 年 二 月 十 四 日 下 資 飯 澄 状 上 広 雄 大 阿 闍 梨 座 下 と い う 消息
が あ る 。 こ れ は 明 ら か に 最 澄 が 自 ら 弟 子 の 礼 を と っ て 、 灌 頂 を 受 け ん と し て 弘 法 大 師 に 対 し て の 請 願 の 状 で あ る 。 し か し こ れ に 対 す る 弘 法 大 師 の 返 書 は 伝 わ ら な い た め 解 ら な い が 、 次 の 弘 仁 三 年 八 月 十 九 日 の 寂 澄 の 消 息 を 見 れ ぽ 、 入 坦 の 許 可 を 与 え た こ と が わ か る 。 即 ち 、 3 〔 金 イ ) 辱 く 、今
札 を 枉 ら れ、 伝 法 の 旨 を告
ぐ 。 歓 い哉
先 期 を 忘 れ ず 今 膠
漆
を存
す、 両 家 の伝
方 、 朝 夕慮
を な す 、 今高
( 許 イ ) ( 難 イ ) 計 を 承 り 、御
憑 極 り 無 し 、 然 れ ど も 今 人 人 の 心 、 教 導 甚 だ 難 く 、 亦 官 の 試 る と こ ろ 相 応甚
だ 艱 し 、 但 遮 那 宗 と 天 台 と 融 通 疏宗
亦 同 じ、 誠 に 須 ら く 彼 此 志 を 同 じ く し 、 倶 に 彼 の 人 を 覓 む べ し 。 豈 已 法 に愛
憎 あ ら ん や 、 法 華 金 光 明 は 先 帝 の御
願 、 亦 一 乗 の 旨 、 真 言 と 異 る こ と無
し 。 伏 し て 乞 う 、 遮 那 の機
を 覓 め て 年 々 に 相 計 り 、 伝 通 せ し め ん 。 委 曲 の 状 十 一 の 二 具 に 陳 上 せ ん 。 惟 た 意 を 留 め て 侍 っ て 、弟
子 老 僧 飯 澄 和 南 す 。 ( 九 イ ) 弘 仁 三 年 八 月 十 九 日 東 山資
飯 澄 状 を 上 る 西 山 遍 照闍
梨 侍 者 謹 空NII-Electronic Library Service 弘法大 師 と 灌頂 (布施浄慧 ) と も か く こ の
書
に よ り 、 年 来 の 竅 澄 の 請 を 容 れ て 、 大 師 は 受 法 せ し め る こ と を 決 意 し た 。 こ の た め 最 澄 は 十 月 二 十 七 日、 大 師 を 住 房 で あ っ た 乙 訓 寺 に 尋 ね 諸 事 に つ き 打 合 せ を し た よ う で 、 こ れ は 、 当 時 師 の 許 を辞
し た 弟 子 泰 範 に 当 て た 書 状 に よ っ て 知 る こ と が 出 来 る 。 そ の 状 と は 、 る 厳 澄 去 月 廿 七 日 頭 陀 の 次 を も っ て、 乙 訓 寺 に宿
し 、 空海
阿 闍 梨 に 頂 謁 す 。 教 誨 慇 懃 、 具 に 其 の 二部
を 尊 像 を 示 さ れ 、 ま た 曼 茶羅
を 見 せ し む 。 倶 に 高 雄 に 期 す 。 飯 澄 先 に 高 雄 山 寺 に 向 う 。 同 月 廿 九 日 を 以 っ て 阿 闍梨
乙 訓 寺 を 辞 し 、 永 く 高 雄 山 寺 に 住 す 。 即 ち 告 げ て い わ く 、 空 海 生 年 四 十 期 命 尽 く べ し 。 是 を も っ て 仏 を 念 ぜ ん が 為 の 故 に 此 の 山 寺 に 住 す 。 東 西 欲 せず
。 す べ か ら く 所 持 の 真 言 の 法 、 最 澄 闍 梨 に 付属
す べ く、 惟 た 早 速 に 今 年 の 内 に 付 法 を 受 取 せ よ と 。 云 々 。 其 の 許 す と こ ろ を 計 る に 、 諸 仏 の 加 す る と こ ろ な り 。 来 る 十 二 月 十 日 を も っ て 受 法 の 日 と 定 め 己 ん ぬ 。 伏 し て 乞 う 、 大 同 法 。求
法 の 故 に 早 く 叡 山 に赴
き 、 同 じ く 其 の 調 度 を 備 え 、 今 月 廿 七 日 を も っ て高
雄 山 寺 に 向 え 。 努 力努
力 、 我 が 大 同 法 、 思 留 す る こ と な か れ 、 委 曲 の 状 、 光 仁 仏 子 に 知 ら し む 、謹
し ん で 状 す 。 弘 仁 三 年 十 一 月 五 日 小 同 法 最 澄 状 上 高 嶋 旅 同 法 範 闍梨
若 し有
縁
の 同 法 当 来 の 因 を 結 ぶ と な ら ば 、 各 々 粮 を 持 し て 上 り 来 れ 、 灌 頂 の 料物
は 各 々 力 に は 随 わ ん の み 謹 空 と い う も の で あ る 。 大 師 は 遇 す る に 手 厚 く こ れ に 当 た ら れ た様
子 も う か が え る が 、 寂 澄 に 付 法 す る こ と を 告 げ 、 来 る 十 二 月 十 日 に 灌 頂 を 行 う こ と に 取 り 決 め た 。 ま た こ の 文 で知
れ る こ と は 、 大 師 が じ っ く り 腰 を 据 え て 密 教 修 法 に 没 念 し ょ う と 決 意 し 、 弘 仁 二 年 十 月 廿 七 日 入 住 の 乙 訓 寺 よ り高
雄 山 で の 永 住 の 決意
を 話 さ れ た こ と 、 ま た灌
頂 も そ の 高 雄 で 行 う こ と を 明 ら か に し た こ と が 知 れ る の で あ る 。 一 227 一 N工工一Electronlc Llbrary智山 学報第二十二 輯 こ の 最 澄 の 勧 透 の 消 息 に も 弟 子 泰 範 は 応 じ な か っ た 模 様 で 、 最 澄 は 更 に 折 り 返
す
よ う に 共 に 入 坦 の こ と を 勧 め る 状 を 送 っ て い る 。 ら む 屡 々 好物
を 垂 れ 深 く欝
情 を 慰 む 。 風 寒 し 。伏
し て 惟 れ ば 闍梨
道 体安
和 な り や 。最
澄 捧 免 耳 、 但 だ 灌 頂 の事
、 近 く 今 月 十 三 日 許 を も っ て 高 尾 山 寺 に 参 向 し 、 且 つ 其 の 儀 式 を受
学 せ ん 。 伏 し て 乞 う 。 我 が 大 同 法 早 く 来 し て 、 倶 に 与 に受
法 の 庭 に進
ま ん こ と を 。 努 力 努 力 、 邪縁
す る こ と な か れ、 幸 甚 幸甚
、 謹 し ん で 道 継近
事 の 還 る に つ き 状 を 奉 る 。 不 宜 謹 し ん で 状 す 。 十 一 月 七 日下 同 法 最 澄 高
嶋
範 闍 梨鸚
こ の 手紙
に よ る と 灌 頂 の 日 取 り が早
や ま っ た よ う に 受 け 取 れ る 。 そ の た め 急 ぎ 使 を泰
範
の 許 に 遺 り 、 重 ね て 勧 透 し て い る の で あ る 。 時 機 も い よ い よ 追 り、 最 澄 は 受 法 の 準 備 着 々 と 進 め て い く の で あ る が、 十 一 月 十 三 日 に は 、 智 泉 に 寄 せ て 、灌
頂 の 調 度 の物
を贈
進 し て い る が、 そ れ に 添 え た 書 が あ る 。 進 め 上 る 署 預 一 籠 ( 三 宝 に 供 ず る 料 ) 署 預 子 二籠
( 一 籠 は 三 宝 に 供 す る 料 、 一 籠 は 阿 闍 梨 に 供 ず る 料 ) 海 藻 = 袰 ( 阿 闍 梨 に 供ず
る 料 ) 糖 二 小 盆 ( 一 瓮 三 宝 に 供 ず る 料 、 一 盆 は 阿 闍梨
に 供 ず る料
)右
物 且 奉 上 す 。 最 澄 今 追 っ て 種 々 の 物 等 取 り 集 め て 参 向 し 、 来 月 十 日 を も っ て 阿 闍梨
の 大 慈 悲 を蒙
り 、 大 悲 胎 蔵 井 に 金 剛 界 坦 場 に 入 っ て 、 員 外 御弟
子 の 列 と な ら ん と 欲 す 。 伏 し て 乞 う 。 法 兄 好 く 大阿
闍
梨 に 聞 え せ し め よ 。 仏NII-Electronic Library Service 弘 法大 師と灌頂 (布施浄慧) 法 を 住 持 せ ん と 欲 す 。
頂
謁 遠 か ら ざ れ ば、 修 状 多 せ ず 。 不 具 謹 ん で 状 す 。 十 一 月 十 三 日竅 澄 状 を 上 る 智 泉 法 兄 座 下 こ の 状 は 、 灌 頂 の 日 を 十 二 月 十 日 と し て い る 点 、 注 目 さ れ る 。 先 に 泰
範
に 送 っ た 書 状 で は 、 十 一 月 十 三 日 高 雄 へ参
向 の 旨 見 え る の で あ る が 、 如 何 な る 理 由 か 知 ら ぬ が 相 違 が あ る 。 恐 ら く は 撰 日 の た め な ら ん か 。検
討
の 必 要 が あ ら う 。 結 果 的 に は こ の 月 の 十 五 日 金 剛界
入 坦 と な っ て お り、 胎 蔵 の 灌 頂 は 翌 月 に 行 わ れ た 。 こ の よ う に 灌 頂 の 調 度 を 送 り 、 最 澄 は 十 四 日 高 雄 山 に 登 嶺 し た よ う で あ る 。 ま た 、 こ の 期 間 高 雄 在 山 中 の食
料 に つ い て 各 所 に 乞 う て い る が、 そ れ を 示 す 消 息 を 上 げ れ ば、 フ 一 、弟
子 泰 範 に 宛 て た も の謹
啓 消 息 之 状 一 、 飯 澄 今 月 十 四 日 を 以 っ て 、高
雄 山 寺 に 参 向 し ぬ 。 一 、高
雄 山 寺 食 料 都 て 無 し 。 同法
禅
師 に 米 を乞
う 。 持 た し め て 早 く 来 り 上 れ 。 更 に 余 物 は 覓 め 無 し 、尤
も 要 切 な り 。若
し く 他 米 を 借 り て 五 斛 を 付 上 せ よ 。 至 要 に 任 え ず 。 化 檢 近 事 に 附 し て 以 っ て 啓 す 弘 仁 三 年 十 一 月 十 五 日 下 僧 飯 澄 状 上 泰 範 闍梨
座 下 二 、 勝 仁
行
者 に 宛 て た も の 強 い て食
を 勝 仁 行 者 に 乞 う 。厳
澄 受 法 の時
糧
乏 し G 伏 し て 恩 幸 を 垂 れ よ 。 謹 空 三 、 左 衛 士 府 藤 原 朝 臣督
に 宛 て た も の 一 229 一 N工工一Electronlc Llbrary智山学報第二十二 輯 興 味 深 い あ る が 、 れ て い る 。 あ る 。 こ こ で 一 ま ず 最 澄 に 関 す る こ と は 差 し お き 、 こ の 胎 蔵 灌 頂 に つ い て 触 れ る こ と と す る 。 『 高 雄 山 灌 頂 歴 名 』 に よ れ ば 、 入 坦 の 歴 名 を 一 四 五 人 と し、 そ の
内
訳 は 太 僧 衆 二 十 二 人、 沙 弥 衆 三 十 八 人 、 衆 四 十 一 人、 童 子 四 十 七 人 で あ る 。 こ の受
者 数 に つ き 、 光 定 は 三 百 人 と 注 記 が あ り 不 同 を 示 す が 、 今 『 歴 名 』 す 名 を 掲 げ れ ぽ 、 次 の よ う に な る c 太 僧 衆数
廿 二 人甑
澄飜
寺鐘
栄藤
鍵
般 若 舮 栄 不 空 成 就 葬 範黷
寺 掛 栄韈
最 澄 言 す 。 身 を 外 に し て 法 を 求 め 、命
を 忘 れ て 師 を 尋 ぬ 。 笈 を 負 て 津 を 問 い 、 杖 を 策 て 遠 行 す 。 こ れ す な わ ち 道 を 重 ん じ て 労 を致
し 、 未 を 習 い 闕 を 補 わ ん と な り 。 最 澄海
外 に 進 む と 雖 も 、 然 れ ど も 真 言 道 を 闕 く な り 。留
学 生 海 阿闍
梨、 幸 に 長 安 に 達 し て 具 に 此 の 道 を 得 た り 。 今 無 常 を 告 げ て 高 雄 に 隠 居 す 。 最 澄 等 此 の 道 の た め に彼
の 室 に 向 い 、 来 月 十 三 日 を も っ て 灌 頂 を 受 く べ し 。 貧 道 其 の 具 備 え が た し 。 謹 し ん で 受 法 の 状 を 録 し 、 伏 し て 聞 す 、 恩 助 せ よ 。 不 宜 謹 で 状 す 。 弘 仁 三 年 十 一 月 十 九 日 受 法 僧 厳 澄状 上 左 衛 士 府 藤 朝 臣 督 閤 下 以 上 三 通 の 状 は 、
最
澄 有 縁 の 者 に 対 し、高
雄 山 中 に お け る 最 澄 自 身 の食
物 に 関 し、 そ の援
助 を 求 め た も の で あ り 。 三 番 目 に あ げ た 藤 原 朝 臣 に 宛 て た 消 息 は 金 剛 界 灌 頂 が 終 っ て か ら 、 更 に 滞 在 の た め に食
を 求 め た も の で 10 こ れ は 第 → 回 の 灌 頂 に て 資 具 の 不 足 を感
じ た の で 、 第 二 回 の 灌 頂 に 備 え て特
に 援 助 を求
め た も の と 想像
さ し か し て 、 翌 月 十 四 日 に は 胎 蔵 界 の 結 縁 灌 頂 が 行 わ れ た 。 こ れ に 最 澄 は 入 坦 し 、 両部
の 法 水 を 得 た の で に 近 不 士 一 230一NII-Electronic Library Service
紺
顴
寺藤
攀
寺靨
鰍鷺
罫
鞍
塒藩
蟄
寺都
杣雛
肆
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齢 心轟
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酣 徳 無 量 寿財
覊
寺誉
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N工工一Electronlc Llbrary Servlce
弘 法大師と灌頂 (布施浄慧)
沙
弥 衆 数 卅 八 人善
轟
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數
生安
円 齢 三 世薬
珎 文 殊 宝 生、 叡 院 楽 見 已 上 十 七 人 教 報 空 蔵 円 成 観 音 明 仁・ 摩 尼 仏 頂 高 勝 無 量 忠 円 大 田 好 堅 観 音 智 照鈑
輙 尚 院鏨
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千 光 無 量 寿 戒 仁 如 意 輪 仁 哲 釘 羅 近 士 衆 数 卅天
広 忍 無 垢 逝 勝 忍 降 三 安 豊 金 剛 峯 三 哲 六 足 尊 謝 教 隆 ] 不 動 尊 士 岳 妙 宝 生真
忠 生 念 処 泰 忠 六 足 尊 勝 行 大 日 { 取 延 六 足 尊 法 信 文 殊 円 信 大 日真
哲 文 殊 慧 命 普 賢義 仲 観 音
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剛 峯 智 福 文 殊 徳 善 降 三 世 民部
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輔 高 階 真 人 空 蔵 福満
大 日 如 来 安 法 迦 羅 金 剛 般 若 円 通 不 空 紀 哲 六 足 新 学 降 三 世 成 三 無 量 寿 士 口貞
降 三 世 智 鏡 般 若 喜 満 寂 流 覚 琳 空 蔵 顕 孝 文 殊 永智
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真 永 般 若 栄 春 不 空 成 法貴
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貞 空 蔵 大 成 般 若貞
孝 空 蔵 円 継 → 髻 尊 浄 人 空 蔵 真 成 忍 辱 波 羅寿 妙 褝 波 羅 蜜
加 是 丸 戒 波 羅 蜜 一 231 一
智山学報第二十二 輯 広 吉 戒 波 羅 蜜
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金 剛 蔵 王 菩 薩 弟 満 金 剛 拳 兄 人浄 丸 寂 留 安 丸 馬 頭 長 子 陀 羅 菩 薩 継 成 降 三 世 千
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降 三 世 国 継 観 音 綱 手 丸 戒 波 羅 蜜 継 長 降 三 世 ( マ ・ ) 安 丸 無 量 寿 口 丸 戒 波 羅 蜜 越 継 威 徳秋 継 丸 馬 頭 吉 人 阿 弥 陀
厳 弟 丸 降 三 世 聞 覚 戒 波 羅 蜜 戒 足 大 日 如 来 士 口 濫一 降 三 世 貞 主 観 音 黒 丸 無 量 寿 十 師 丸 寂 留 安 良 文 殊 サ 丸 貞 道 陀 羅 尊 稲 倉 空 蔵 津 倉 丸 六 足 尊 墨 丸 金 剛 拳 善 種 無 量 寿 高 安 内 守 耶 輸 陀 羅 大 戸 浄 勝 般 若 秦 方 継 般 若 澄 心 虚 空 蔵 河 内 水 丸 不 空 成 就 仏 阿 刀 安 道 大 日 如 来 河 内 望 人 文 殊
五 百 木 部 竹
林
白 手 観 音 祝 部 全 魚 同 俊 阿 丸 般 若 核 継 伽 羅 貞 主 無 量 寿 真 墨 般 若 觸 丸 除 蓋 障 佐 明 忍 波 羅 蜜 一 一NII-Electronic Library Service 弘法大 師と灌頂 (布施浄慧) 12 右 の 歴 名
数
を 合 計 一 九 〇 人 と 記 し て あ る が 実 際 に は 一 九 四 名 で あ る 。 ま た こ の 時 入 坦 し た 光 定 の 記 に よ る と 三 百 13 人 許 と あ る そ う で あ り 、 同 じ 受 者 で あ っ た 円 澄 の 記 録 に よ れ ぽ 、 「 百 余 の弟
子 と 持 明灌
頂 の誓
水 に 沐 し 」 と あ る を 見 れ ば、光
定
の 数 は 誤 り な ら ん か 。 正 確 な と こ ろ は 不 明 と せ ざ る を 得 な い 。 受 者 の 中 に は 、 最 澄 を は じ め 、 泰 範 、 円 澄 等 の名
が 見 え 、 南 都 の 大 僧 が 多 く 見 ら れ る 。 歴名
中、 僧 名 の 右 に 付 し た 数 字 は 、 入 坦 の 順 を 示 し た 会 数 と 見 ら れ る 。 最 澄 は 正受
者
と し て 初 会 に 入 坦 し 、 以 下 賢 栄 、 泰 範 の 会 割 り と な っ て い る 。 こ の 両 度 の 灌 頂 を 行 っ た こ と に よ っ て 、 大 師 は 、 帰 朝 以 来 懐 い て い た密
教 弘 法 の 夢 は 実 現 さ れ た わ け で 、 先 年 の実
慧
に 対 す る 伝 法 灌 頂 の事
実 は あ る に せ よ 、 本 格 的 な 授 法 の 最 初 の 頁 を 拓 い た 。 そ こ で 、 こ の 灌 頂 は 、 円 澄 の 記 録 14 に も 示 す が 如 く 、 持 明 灌 頂 で あ り 、 そ れ は 結 縁 灌 頂 で も あ っ た わ け で 、 『 大 日 経 』 所 説 の 五 種 三 昧 で い え ば 第 二 、第
三 の 三 昧 の 分 際 と 見 ら れ る 。 持 明 若 し く は 学 法 と称
さ れ る 灌頂
は 、 投華
得
仏 の 一尊
の 印 明 を 伝 授 さ れ る を 本 意 と う ユ ユ し て い る が、 今 大 師 が最
澄 に 授 け た も の は 十 八 道真
言 で あ っ た よ う で、 こ の こ と は 、 最 澄 が 未 だ 密 教 の 秘 法 儀 軌 を 悉 く 学 ん で い な か っ た か ら で は な い か と 想 像 さ れ て い る 。 こ の よ う に、 こ の 弘仁
三 年 の 灌 頂 は 、 最 澄 の 求 法 の 懇 請 に よ り 開 坦 さ れ た も の で、 最 澄 が 密 教 未 学 の 闕 を 補 な わ ん が た め 、著
し い 弟 子 の 礼 を も っ て 付 法 を 受 け 、更
に、 両 者 の友
好 を 深 め 、 か つ 東 台 密 教 の 交 渉 の 端著
を 開 ら き密
教 灌 頂 の 重 要 性 を 日 本 に 土 着 せ し め た 意 義 は 甚 だ 大 き い も の と 評 さ ね ぽ な ら ぬ 。654321
弘 法 大 師 伝 記 集 覧 二 八 一 所 掲 の も の に 依 る 。 蘭 契 遺 音 集 ( 弘 大 全 十 五 、 〃 ( 弘 大 全 十 五 、 〃 ( 弘 大 全 十 五 、 〃 ( 弘 大 全 十 五、 〃 ( 弘 大 全 十 五、 一 二 六 二 ) 一 二 六一 二 ) 三 六 四 ) 三 六 五 ) 一 二 六 六 ) 一233
一 N工工一Electronlc Llbrary智山学報第二 十二輯 最 澄 は 十 二 月 四 日 に 、 智 泉 に 対 し て も 法 弟 の 礼 を 取 り 贈 物 を し て い る 。 ( 弘 伝 集 二 九 二 参 照 )
7
藺 剛 契 題 退 立 日 集 ( 弘 大 全 十 五 、 一 二 六 六 )8
〃 ( 弘 大 全 十 五、 三 六 七 )9
〃 ( 弘 大 全 十 五、 三 六 七 )10
勝 久 俊 教 「 密 教 の 日 本 的 展 開 」 二 四 一 参 照11
弘 伝 集 二 八 六12
「 高 野 大 師 御 広 伝 」 上 十 二 月 十 四 口 於 同 寺 、 行 胎 蔵 灌 頂、 大 僧 、 沙 弥、 近 事 、 童 子 、 若 干 数 人、 就 醍 畑 紜 為 受 者 と あ る に 依 る 。 /3
蘭 契 遺 音 集 ( 弘 大 全 一 五、 三 八 三 )14
大 日 経 第 五 秘 密 曼 茶 羅 品 ( 正 蔵 十 八 、 三 三 a )15
前 出 注13
の 記 述 の 後 「 学 十 八 道 真 言 」 の 文 に よ る 。 「 真 言 付 法 纂 要 抄 」 ( 成 尊 ) も こ の 条 を 引 き 、 記 し て い る 。 ( 正 蔵 七 七 、 四 )16
勝 又 説 「 前 掲 論 文 」 二 四 二 参 照17
こ の 両 者 の 友 好 を 示 す 消 息 は 弘 伝 集 二 九 三 以 下 に 記 載 さ れ て い る の で 参 照 さ れ た い 。 弘 仁 四 年 の灌
頂 弘 仁 四 年 三 月 六 日 に 再 び 大 師 は 高 雄 山 上 に 金 剛 界 の 灌 頂 を 行 っ て い る 。 こ れ も 成 尊 が 大 師 の 自 筆 の 記 録 に ょ っ て 受 者 名 を 明 し て お り 、 ま た 『 高 雄 山 灌 頂 歴 名 』 に も 同 人 名 が 記 載 さ れ て い る こ と に よ り 誤 り は な い 。 今 歴 名 に ょ っ て 見 れ ば 、 ユ 灌 頂 衆金 剛 界
三 月 六 日 高 雄 山
寺
合 僧 五 泰 範 師 護円 澄 師 愛
長 栄 師 牙 光 定 師 宝 波
康
教 師 サ 唾 一234
一NII-Electronic Library Service 弘法大 師 と灌頂 (布施浄慧) 沙 弥 + 二 真
叡
師 サ 唾 真 者 師 サ 唾 天 海 師 金 剛 波 羅栄
春
師 音 幢 教 行 師 除 蓋平 仁 虚
願 福 師 旡 真 元 師 王 聴 宗 師
聴 教 師 拳
信 福 師 蔵
戒
善 師 鎖安 撼 師 成 就
泰 福 阿 闕 こ の 受 者 数 よ り し て も 、 前 者 の 灌 頂 と は ぐ っ と 小 規 模 に な っ て い る 。 ま た 前 年 胎 蔵 灌 頂 の 入 坦 者 名 と 台 わ せ 見 る に 、 泰 範 、 円 澄 、 長 栄、 光 定 の 四 名 は 胎
蔵
受 法 で あ り 、 他 は 今 回 新 入 坦 で あ る 。 こ の こ と は 、 次 に掲
げ る 円 澄 が 後 年 同衆
と 共 に 真 言受
学 を 求 め た 大 師 宛 の 消 息 の 文 か ら 見 て も 首 肯 出 来 よ う り 即 ち、 即 ち 和 上 に 問 う て い わ く 、 大 法 儀 軌 を 受 け ん こ と 幾 月 に か得
し め ん と 。 答 え て 曰 く 、 三 年 に し て功
を 畢 え ん と 。歎
じ て い わ く、 本 と 一 夏 を 期 せ り 。 若 し 数 年 を 経 べ く ぽ 、若
し暫
く 本 居 に 帰 り、 且 つ 本 宗 の 事 を 逐 げ て 後 日 来 り 学 ば ん に は と 。 即 ち 四 年 正 月 を も っ て真
言 を受
学 せ し め ん が た め に 、 円 澄、 泰 範、 賢 栄 等 を 以 っ て 大 阿 闍 梨 に 属 し 奉 り 畢 ん ぬ 。 こ の 消 息 又 は 、 か つ て 弘 仁 三 年 に 円 澄 の 師 で あ る 伝 教 大 師 最 澄 が、 金 胎 両 部 の 学 法灌
頂 に 沐 し、 十 八 道 真 言 を 授 っ た こ と を 記 し て あ る も の と 同 一 で あ る 。 そ の時
に 、 最 澄 は 弘 法 大 師 に 、金
胎 の 大 法 を 受 掌 出 来 る の は ど れ 位 日 時 が か か る か と 問 う た 時 に 、 大 師 は 三 年 あ れ ば 成 就 す る で あ ろ う と 答 え た 。 そ こ で 最 澄 は 、 天 台 教 学 を 叡 山 に て 専 ら に し 、 真 言密
教 の 受 法 は 後 日 と す る け れ ど も、 と り あ え ず 弟 子 の 円 澄 、 泰範
、 賢 栄 等 は 高 雄 に 預 け る 故 、 真 言 密 教 を 学 ぽ せ て く れ と い う 経緯
を 述 べ た も の で あ る 。 こ の よ う な事
情
の 下 に 、 円 澄 等 に今
度 は 金 剛 界 の 坦 を 開 ら か れ た わ け で 、 天 台 の 後 継 者 と 見 な さ れ る 人 に 真 言 の付
法 を 行 っ た こ と で あ る 。 こ れ が や が て 円密
一 致 か ら 円 劣 密 勝 へ と 展 開 さ れ る 天 台 教 学 展 開 の 引 金 と な る 契 機 で あ り 、 ま た 具 体 的 に は 、 泰範
の如
き 、 最 澄 を 去 っ て 大 師 に 傾 斜 し た 問 題 も こ こ に 端 を 発 し た 時 点 と さ れ よ う 。 一 235 −L N工工一Electronlc Llbrary智 山学報 第二 十二 輯
1
弘 伝 集 三 一 二 こ の 高 雄 山 灌 頂 歴 名 は 、 同 寺 に 蔵 さ れ る も の で 、 大 師 自 筆 の 灌 頂 記 録 と し て 徳 治 三 年 ( 一 三 〇 八 ) 鳥 羽 勝 光 明 院 よ り 後 宇 多 天 皇 が 神 護 に 施 入 し た も の 、 国 宝 に 指 定 さ れ て い る 。2
蘭 契 遺 音 集 ( 弘 大 全 一 五、 三 八 三 ) こ の 消 息 は 天 長 八 年 ( 八 三 一 ) 九 月 廿 五 日 に、 円 澄 以 下 延 暦 寺 の 諸 僧 が 真 言 を 受 法 せ ん と 懇 請 し た 書 で あ る 。 そ の 中 で 、 「 毘 盧 遮 那 の 宗 に 至 っ て は 、 い ま だ 良 匠 を 得 ず 。 文 美 の 味 開 示 す る に 人 無 し. 、 曼 荼 の 行 誰 れ か あ え て 修 行 せ ん 。 今 望 む ら く は 先 師 ( 伝 教 大 師 ) の 本 願 を 遂 げ ん が た め に 、 胎 蔵 の 大 法 を 受 学 し て 東 山 に 流 伝 し て 国 家 を 擁 護 せ ん 。 伏 し て 乞 う 大 阿 闍 梨 ( 弘 法 大 師 ) 慈 悲 の 故 に 印 可 を 垂 れ よ 。 ( 略 ) と 真 情 を 吐 露 し て い る 。 弘 仁 七 年 の灌
頂 こ の 歳 の 七 月 、 大 師 は 師 勤 操 に 灌 頂 を 行 っ て い る 。 こ れ は 『 性 霊 集 』 巻 十 の 「 故 贈 僧 正 勤 操 大 徳 影 の 讃 」 に お い て 記 述 さ れ て い る も の で あ る 。 即 ち 勤 操 大 徳 は 天 長 四年
( 八 二 七 ) 五 月 七 日 、 西 寺 の 北 院 に て 七 十 歳 の 生 涯 を 寂 し た 。 そ の 一 周 忌 法 会 の た め に 、 大 師 は 梵 網 経 を 講 讃 し 、 井 せ て 大 徳 の 影 像 に 讃 文 を 撰 し た 。 そ の 文 中 次 の 記 述 が あ る 。 ヨ貧
道 公 と 蘭 膠 な る こ と 春秋
已 に 久 し 。 弘 仁 七 年 孟 秋 、 諸 名 僧 を 率 い て 高 雄 の 金 剛 道 場 に お い て 、 三 摩 耶 戒 を 授 け て 、 両 部 の 灌 頂 に 沐 す 。 況 や復
祖 宗 は 一 に し て 法 派 は 昆 季 せ り る 勤 操 と 大 師 の 出 会 い は 、 伝 記 の 示 す と こ ろ に よ れ ぽ 、 延 暦 十 七年
( 七 九 八 ) に 和 泉 槇 尾 山 に お い て 沙 弥 十 戒 七 十 ら 二威
儀 を 受 け た と い う こ と に な っ て い る 。 こ の 出 家 の 年 代 の 設 定 に つ い て も 、十
九 歳、 二 十 歳、 二 十 二 歳 、 二 十 五 歳 等諸
説 あ る が 、近
年 の 定 説 と し て は 三 十 一 歳 の と き と さ れ て い る 。 い ず れ に し て も、青
年 期 の 空 海 の 出 家 生 活 に お い て は 、 勤 操 の存
在 は 忘 れ る こ と は 出 来 な い 。 そ の 師 に 三 摩 耶 戒 及 び 灌 頂 を 授 け た の で あ る か ら 、 師資
の 謙 虚 な 態 度 を 想 起 す る こ と が 出 来 る 。 時 に 勤 操 六 十 歳 、 大 師 四 十 三 歳 の こ と で あ る 。 こ の 時 の 灌 頂 に つ い て は 、 他 に 物 語 一 236 一NII-Electronic Library Service 弘法大 師と灌頂 (布施浄慧 ) る 史 料 な く 、 こ れ 以 上 明 ら か に 出 来 な い 。 1 弘 大 全 三 、 五 三 九 2 性 霊 集 巻 八 ( 弘 大 全 三、 五 〇 八 ) 為 先 師 講 釈 梵 網 経 表 白
3
弘 大 全 三 、 五 四 二 4 こ れ は 弘 法 大 師 伝 記 集 覧 七 三 所 説 5 出 家 受 戒 異 説 十 九 歳 説 「 大 師 御 行 状 集 記 」 所 説 二 十 歳 説 「 御 遺 告 」 所 説 二 十 二 歳 説 「 弘 法 大 師 御 誕 生 記 」 所 説 二 十 五 歳 説 「 贈 大 僧 正 空 海 和 尚 伝 記 」 「 朝 野 群 載 」 「 続 日 本 後 記 」 所 説 三 十 一 歳 説 渡 辺 照 宏 ・ 宮 坂 宥 勝 共 著 「 沙 門 空 海 」 四 八 所 説 こ れ に 随 え ば、 延 暦 二 十 二 年 ( 八 〇 三 ) 四 月、 前 年 に 当 る 。 弘 仁 十 三 年 の 灌 頂 こ の 年 の 灌 頂 は 、 平城
天 皇 に 対 し授
け ら れ た 灌 頂 と し て 有 名 で あ る 。 こ の 灌 頂 を 所述
す る も の は 「 大 和 尚奉
為 平 城 太 上 天 皇 灌 頂 文 」 であ
る 。 そ の 文 中 に 次 の 如 き 記 述 が あ る 。 某 て 、幸
に 昌 泰 に逢
う て 求 法 を 叨 濫 す 、 厚 く 聖 朝 霧 霈 の 沢 に 沐 し 、 大 師 の 慈 悲 の 力 に 頼 っ て 、 去 し 大 唐貞
元 二 十 二 年 、 日 本 の 延 暦 二 十 四 年 六 月 十 三 日 を も っ て 、 長 安 城 青 竜寺
東 塔 院 の灌
頂 道 場 に お い て 、 諸 仏 の 三 昧 耶戒
を 受 持 し、 五 部 の 灌 頂 を 授 か り 、 五 部 の曼
荼 羅 を荷
い 、 一 百 余 部 の 金 剛 一 乗 教 を 負 う 。 蜉 命 を 長 途 に 忌 れ、泡
身 を驚
波 に 捐 て 、 国 恩 に 酬 い 奉 ら ん が た め に 、 本 朝 に 還 帰 す 。 幸 に 諸 仏 の 応 化 、 金 輪 運啓
の 朝 に 遇 う て 、 大 同 元 年 を も っ て曼
荼 羅 な ら び に 経 等 を 奉 献 す 。 爾 し よ り 己 還 、 愚 忠 感 な く 、 た ち ま ち 一 十 七年
を 経 た り 。 天、 人 の 欲 に 従 い 、 聖 、 人 の 心 に 鑒 み た も う 。 因 縁感
応 の 故 に 、今
日 竜 顔 に 対 し 奉 っ て 、 愚 誠 を 遂 ぐ る を 得 た り 。 一 た び 喜 び 一 た び 一 237 一 N工工一Electronlc Llbrary智山学報第二 十二輯 懼 れ て 、 心 神 暦 な し 。 伏 し て 惟 れ ば 、 太 上 金
輪
皇
帝 陛 下 、 因、 昔 劫 に 円 か ん じ 、 果 、 前 生 に 満 ち た も う 。 し か れ ど も な お慈
悲
未
だ 極 らず
、衆
生 未 だ 尽 き ず し て 、 現 に こ の 土 に 化 し て 、 広 く 群 品 を済
い た も う 。履
を 姑 射 に 脱 ぎ 、 心 を 無為
に 遊 ば し め 、 法 城 を 護 ら ん が た め に、権
り 受 法 の 相 を 現 じ 、衆
生 を 益 せ ん が た め に 、 い さ さ か 野 干 の 説 法 を 聴き
た も う 。喜
ば し い か な 今 日 の 四 衆、 幸 い な る か な こ の 夕 の 大 小 聖 父 聖 子 に 値 い 奉 っ て仏
戒
を 受 持 し て 、 頓 に 仏 位 に 入 る 。 仰ぎ
願
く は、 尽 虚 空 遍 法 界 同 一 体 性 の 金 剛海
会 の 大 日尊
、 四 方 四 智 十 六 の 諸尊
、 塵 数 の 諸尊
云 云 ( 略 ) こ の 灌頂
文 は 長 部 の も の で 、今
そ の 一 部 を略
出 し た が 、制
作 の 年 月 日 を 欠 い て い る も の の 、 右 の 文 中 、 大 同 元年
( 八 〇 六 ) 請 来 経 論 等 を 奉 献 し て 以 来 十 七年
と あ る か ら 、 弘 仁 十 三 年 ( 八 二 二 ) に 相 当 す る 。 大 師 四 十 九歳
の 歳 に ヨ 当 る 。 こ の 灌 頂 文 に は 、 大 師 の戒
律 観 や 、 十住
心 思 想 が 展 開 さ れ、 大 師 の 教 理 発 展 の 過 程 を 知 る 上 で 、 一 つ の 手 が か り と し て 重 要 な も の で あ る 。 こ の 灌 頂 の 道 場 は 何 処 で 開 か れ た も の か 、諸
記
説 く と こ ろ を 異 に し て い る 。 灌 頂文
に は そ の 場 所 を 明 示 し て い な い 。 こ れ を 『 東 宝 記 』 に は 、 『 寛 平 法務
記 』 の 所 説 を 引 い て 、 東 寺 を 灌 頂 道 場 に 擬 し て い る 。 し か し 、 そ の著
者
の 呆 宝 は 、 こ れ を 批 判 し て 、 る 私 に い わ く 、 平 城 の 御 灌 頂 は 、 弘 仁 十 三年
、 こ れ 東 寺 勅給
以 前 な り 。 し か る に、 寛 平 法 務 記 に勅
給 の後
こ れ を 載 せ ら る 。 こ れ を 尋 ぬ 決 す ぺ し 。 と し て 、 東寺
道 場 説 を 疑 問 と し て い る 。 東 寺 を 大 師 に 給 預 さ れ た の は 弘 仁 十 四 年 正 月 十 九 日 と 記 録 の 示 す と こ ろ で あ る か ら 、 杲 宝 の 疑 問 も 当 然 生 じ て も よ い 。 そ こ で 杲 宝 は、 「 或 る 記 」 に い わ く と し て 次 の よ う に 述 べ て 、 こ の道
場 は 高 雄 な る べ し と し て い る 。 ら或
る 記 に い わ く 、 弘 仁 十 三 年 、 大 師 高 雄 に 居 住 し 、 灌 頂 を 行 わ る 。 平 城 天 皇 坦 場 に 臨幸
し 、 同 十 四年
弘 仁 之 聖 主NII-Electronic Library Service 弘 法 大 師 と灌頂 (布施 浄 慧) ( 嵯 峨 天 皇 ) 御 灌 頂 を 遂 げ ら る 云 々 、 此 の 記 に 依 ら ば、 平 城 、 嵯 峨 両 上 皇 、 同 じ く 高 雄 に お い て 御 灌 頂 。 こ れ を 決 す べ し 。 「 方 『
東
大 寺 具 書 』 に よ れ ぽ、 こ の 年 の 道 場 は 東 大 寺灌
頂 院 で あ る こ と を 示 し て い る 。 即 ち 、 灌 頂院
は 、 已 に 上 皇 の御
願 と し て 、 こ れ を 建 立 し 、 弘 仁 十 三 年、太
上天
皇、 三 摩 耶 禁 を 受 け 、井
に 入 坦 し 灌 頂 を 受 け た も う 云 々 。 支証
分
明 な り と 記 し て 、 東 大 寺 を 明 言 し て い る 。 こ の灌
頂 院 は 、 同 年 二 月 十 一 日 、 東 大 寺 南 院 に建
立 さ れ た も の で 、 そ れ に 関 す ア る 承 和 三 年 の 太 政 官 符 や 僧 綱 の 牒 が あ る の で 、 間 違 い は な い と 思 わ れ る 。 こ の 灌 頂 院建
立 の 趣 旨 は 、 天 災 に よ り 不 安 の 国情
を 、 大 師 を し て 鎮 護 国 家 の た め息
災
増
益 の 法 を修
せ し め ん が た め の も の と さ れ て い る 。 こ の 灌 頂 院 を 道 場 と し た と い う こ と で 、 現 今 で は こ の 説 を 取 る 。 平 城 天 皇 は、 大 師 に と っ て は 大 い な る外
護 者 と し て そ の 存 在 は 大き
い が、 天 皇 の 信 望 も ま た 厚 か っ た と 見 な け れ 8 ( 八 〇 八 ) ぽ な ら な い 。 大 同 三年
六 月 十 八 日 に 太 政 官 符 を 下 し て 、 大 師 の 課 役 を免
じ た こ と も そ の 一 例 で あ る 。 こ の 受 法 の 時 は、 天 皇 の 位 を 嵯峨
天 皇 に 譲 ら れ て 上 皇 と な ら れ て お る が 、 願 文 に も そ の 旨 の 記述
が あ る 。 尚 『 東 宝 記 』 の 記 す と こ ろ に よ れ ば、 大 師 と こ の 平 城 上 皇 は 共 に 四 十 九 歳 の 同 年 で あ る こ と が わ か る 。 受 者 の 歴 名 は 不 明 で あ る が、灌
頂 文 の 中 に も 「 四衆
」 と あ る 故 に 、 若 干 の 入 壇 者 は あ っ た も の と 思 わ れ る 。 と 同 時 に、 こ の 灌 頂 は 結 縁 灌 頂 で あ る こ と は 疑 問 を 挾 む 余 地 も な か ら う と 思 わ れ る 。1
「 大 和 尚 奉 為 平 安 城 太 上 天 皇 灌 頂 文 」 を 具 名 と す る が、 安 の 字 は 衍 な ら ん と さ れ て い る ( 弘 法 大 師 著 作 全 集 第 二 巻 解 説 六 八 〇 参 照 ) 弘 大 全 第 二 輯 一 五 四 頁 以 下 に 収 む 。2
弘 大 全 二 、 一 五 七3
勝 又 俊 教 「 密 教 の 日 本 的 展 開 」 、 第 二 章 空 海 の 戒 律 観 ( 同 書 八 八 頁 ) 第 六 章 十 住 心 思 想 の 成 立 過 程 と し て の 背 景 思 想 ( 一 入 八 頁 ) 参 照 一239
一 N工工一Electronlc Llbrary智山 学報第二十二 輯 4 弘 伝 集 所 掲 に よ る 。 同 書 四 七 九 5 同 四 八 〇 6 同 四 七 九 ギ ニ ア ハ セ 7 応 下 東 大 寺 真 言 院 置 二 十 一 僧 一 令 中 修 行 上 事 、 ス ゆロ リ ヲ ル ノ ニ ヲ タ ス ヲ ノ ァ リ ク ハ ラ ソ ク ノ ン ノ ニ 右 検 二 案 内 一 太 政 官 去 弘 仁 十 三 年 三 月 十 一 日 下 二 治 部 省 符一 僞 右 大 臣 宣 。 奉 ド 勅 去 年 冬 雷 恐 有 二 疫 水 一 宜 F 令 下 空 海 法 師 噌 於 二 東 大 寺 一 ニ ノ シ ヲ ン ヲ テ セ ヲ ヘ リ ん ニ ヲ 為 二 国 家 一 建 コ 立 灌 頂 道 場 一 夏 . 中 及 三 長 斎 日 。 修 二 息 災 増 益 之 法[ 以 鎮 中 国 家 上 者、 今 被 二 従 二 位 行 大 納 言 兼 皇 太 子 伝 藤 原 朝 臣 三 守