var
ṇ
a
は「音素」なのか?
―言語認識における音の役割をめぐって―
川 尻 道 哉
1.問題提起
他言語で書かれたテキストを扱う際には,そこで用いられているタームをどの ように解釈するかという問題が多くの場合発生する.非ネイティブの研究者であ れば,そのテキストが書かれた文化的パラダイムを完全に前提とすることは困難 であり,自らの第一言語やそれに類する言語を用いた解釈の上で(多くは「翻訳」 という形を取って)理解に努めることが多いであろう.インド学においても,サン スクリットのテキストを扱いつつ,その成果を公表するにあたっては,サンスク リット以外の言語,それも殆どの場合近代語というフィルタを経由せざるをえな い. 筆者はこれまで,言語における音的側面を表す語としてのvarṇaを「音素」と して理解し,訳語として用いてきた.また同様の理解に基づく研究も多い.しか しながら,上述のような問題意識を前提とすると,自分自身も含めて,varṇaを 音素(phoneme)とする根拠が明確ではないのではないかという疑念がある.同様 の関心は,例えばEliSa FreSchiが示している1).本稿は,varṇaという概念と音 素という概念を結びつけることの妥当性を検討しようと試みるものである. 2.「音素」の定義
「音素」はphonemeの直接的な訳語であり,言うまでもなく言語学,就中構造 主義的言語学において多く用いられる用語である(ここでは音素とphonemeは同じ概 念として扱う).その起源はおそらくカザン学派のボードゥアン・ド・クルトネに 遡ることができる.クルトネによれば,音素とは「一つの同じ音の発音から生じ る印象の心理的融合によって心の中に存在する,音声学の領域に属する単位概念 であり,発話される音の心理的同質物」である2).つまり,物理現象としてはバ リエーションがあっても,話者や聞き手の心理では同じ音とみなされる(これはソシュールのいうimage acoustiqueにも相当する)一つの音の単位である. このクルトネによる音素という概念がブルームフィールドやサピアなどのアメ リカ言語学を経由してプラハ学派によって改めて大きく取り上げられ,ローマ ン・ヤコブソンはクルトネ以降の音素に関する議論を整理した上で,物理的実質 を排した言語音の領域における音素の弁別的性質に特に着目し,意味もまた音素 によって弁別されるとしている3).いずれにせよ,20世紀中盤までの言語学にお いては音素という概念は言語の心理的弁別を理解する上で中心的な役割を果た し,音及び意味を弁別する最小単位として広く理解されたと言えよう.日本にお ける音素という訳語及び概念の普及に関しては,1960–1970年代の服部四郎によ るトワデルやヤコブソンの紹介が大きな役割を果たした.なお,その後の言語学 における音素をめぐる議論の展開については,Dresher(2011)などが詳しい. 3.
インド学における「音素」
インド学の領域において,varṇaに「音素(phoneme)」という訳語をあてるよう になったのがいつからかは判然としないが,Allen(1953)では既に,パーニニが 前提とする「音」のリスト分析(varṇa-samāmnāya)が,現代の音素論者(phonemist)の到達している地点に近い,という評価をしている4).また,ハレ/ヤコブソン が「言語における究極の個別的・示差的要素」としてスポータに言及しているこ とから5),言語学における音素論がインドの言語理論に一定の理解を示している こともわかる.そもそも近代言語学の成立がサンスクリットの「発見」を大きな 契機としていることから,言語学におけるサンスクリットへの関心はもともと深 いものがある.
60年代に入ると,Iyer(1965)に「varṇaをphonemeという単語で指すこともで きる」とあり,この時点で音素という概念がインド学において認知されているこ とがわかる.それ以前には,たとえばGanganath Jhaはletterと訳している6).こ のような用法は他にも多く見られ,Jhaはdhvani/nādaをsoundと訳して区別して いる.同様の問題意識の表れとしてsyllableという訳語を用いている場合もあ る.つまり,インドの言語論では物理音と言語音(に相当する音の捉え方)が早い 時期から区別されており,しかし近代語でその区別を明瞭に表現する語彙が存在 しなかったために,このような訳語が選択され,そのような条件を満たすものと してphonemeという術語が広く使われるようになったと考えてよいだろう. 同様の問題はvarṇaの日本語の訳語についても見られる.日本語では多くの場
合「字音」と訳されてきており7),より近年でもこの訳語が選択されているケー スもある8).「字音」は元来漢字の読み方を意味する語だが,一般的に「文字の 発音」の意味で使われるので,「音」であるdhvani/nādaとの区別が意図され, letterと同様に用いられていると考えられる.「字音(letter)」という訳語は文字表 記を連想させるが,サンスクリットの文字化は様々なśikṣāでルール化されてお り9),さらにサンスクリットの表記に用いられる文字はブラーフミー文字やデー ヴァナーガリーをはじめ音素文字であるから,「音素(phoneme)」とそれほど異な らない意味を持つ訳語として理解することができる. 一方,日本語の「音素」というタームの使用は,おそらく上村(1974)を嚆矢 とする.上村氏はこの論文において,当時の言語学の成果を参照した上で,バル トリハリの提唱する概念であるところのprākṛta-dhvaniをvarṇaに相当する概念 であるとして,その文脈で「音素」という訳語を用いている.その後,例えば湯 田(1978)では「音声・音素」という表現をするなどやや揺れが見られるが,70 年代には「音素」という訳語がある程度定着したことを示すといえるだろう. このように,varṇaに対して音素(phoneme)という訳語をあてることは,1960 年代から70年代にかけてある程度の一般性を獲得したといえ,その後現在に至 るまでにある程度定着したとみていいだろう. 4.
varṇa はいかに定義できるか
インドの古典的な言語に関する文献においてvarṇaという語が明確に術語とし て扱われる用例はTaittirīya-prātiśākhyaに遡ることができるが,特にPāṇinīya-śikṣā ではŚivasūtraをvarṇasamāmnāyaと定義しており10),母音/子音をはじめとする 詳細なvarṇaの分類が行われている11).このように音の発話を厳密にルール化す ることは,音の物理的ヴァリアントを排した普遍(sāmānya)としての音が意図さ れているといえるが,ここにおいてはvarṇaの相互の弁別性は明確であるもの の,あくまで音的(phonetic)な側面に限定されている. 一方,V. ルイセンコが既に指摘しているように12),PatañjaliはŚivasūtraに対す る註釈において,varṇaをシニフィエにおける弁別性を持つものとして扱ってい る.たとえばkūpa, yūpa, sūpaという三つの単語を考えると,最初のvarṇaの違い がそれぞれの意味の違いをもたらしている13).この三つの単語の差異について 述べている箇所の主題は,文法的操作(upadeśa)におけるマーカーの消去(lopa)ちらにせよvarṇaはシニフィエに影響を与えるシニフィアンの単位として理解さ れている.その際に意識されているvarṇaはk, y, sであって「音節(syllable)」を なしていない点で,akṣaraと区別されている.ここではvarṇaは,発話される単 位としてのakṣaraを構成する要素なのである. さらに,このような文脈におけるvarṇaは「スポータ(sphoṭa)」でもありうる. 話者によって異なる音の差異を排した普遍的な大きさを持つ音のパターンを Patañjaliはスポータと定義している14). 一方,Bhartṛhariは語の本体としてのスポータを論じるにあたって,スポータ がなんらかの「音」によって開顕されるという立場を取るが,Vyādiを引きなが ら二種類の音,つまり一次音(prākṛta-dhvani)と二次音(vaikṛta-dhvani)という概念 を提示し15),varṇaについては大きな役割を与えていない.あくまで聴覚の対象 となる物理現象としての音が,常住なる言語の本体としてのスポータを開顕する という立場を取る. しかし,このようなスポータ説を強く批判したMīmāṃsā学派では,言語の本 質は常住のvarṇaであるとして,逆に物理音(dhvani/nāda)への言及は少ない.む しろKumārilaがŚlokavārttikaにおいて「相互に依存しない複数のvarṇaこそが, 聴覚によって本性上認識されるのであって,〔varṇaが把握される〕前の事物
(=音)や後の事物(=varṇaの集合,あるいはスポータ)ではない16)」と述べるよう に,物理音は言語認識において除外される,もしくは「varṇaにせよ音にせよ17)」 というように物理音とvarṇaを同列に扱ってさほど厳密に区別していない用例も 見られる.さらにMaṇḍaṇamiśraがSphoṭaśiddhiでKumārilaに対する再批判を展 開する中でMīmāṃsā学派の言説として挙げているスポータ論批判でも,「音 (dhvaṇi)ないしvarṇa」というように,両者の区別自体があまり重要ではない18). 議論の中心はあくまでvarṇaとスポータである.varṇaは物理音によって知覚に 上るものではあるがメンタルな構築物ではなくあくまで知覚の対象なのである (更に後代のスポータ説では,たとえばNāgeśaはスポータを八種類に分類し,その中に varṇa-sphoṭaという概念が提示されるが19),その考察は別の機会に譲ることとする).以上 のことから,varṇaがいかに理解され定義されてきたかという点については,以 下のように整理することができるだろう. 1. 物理音と言語音が明確に区別されるが,意味の弁別性への言及はない (prātiśākhyaもしくはśikṣā) 2. 物理音と言語音を区別した上で,意味およびakṣaraの弁別をなす単位として
定義される(Patañjali) 3. 聴覚の対象であると定義され,物理音との区別はあまり明確ではない (Kumārila, Maṇḍaṇaなど) 5.
結論
上 述 の 分 類 か ら 見 る と,varṇaを 近 現 代 の 言 語 学 的 概 念 と し て の「音 素 (phoneme)」とほぼイコールで理解できるのは2)のPatañjaliの定義のみであると いえる.スポータとの関連で言うなら,そもそも意味の理解に寄与するのはス ポータのみであって,varṇaはフィクショナルなものだから,シニフィエを弁別 するものとしての音素とは異なったものである. とはいえ,上記の分類のいずれにしても,varṇaが物理音によって把握される, 話者及び聞き手の心理に共有されるルールとしての「音」的側面を指すものであ り,音を弁別する単位であることに変わりはなく,便宜的な訳語として「音素 (phoneme)」を用いることは大きな誤解につながるものではないとも考えられる. このように基礎的なタームは多義的かつ多面的であり,時代によってもその定義 や理解が変化・推移することもまた確かであって,単純に一対一対応で置き換え られるものではないという前提が明確である限りにおいては,訳語としての一定 の妥当性は担保されるのではないだろうか. 1)http://elisafreschi.blogspot.jp/2013/04/varna-letter-or-phoneme-or-how-to.html(最終閲覧日: 2017/10/29). 2)Stankiewicz (1972, 152).3)Jakobson and Halle (1956, 5).
4)Allen (1953, 8).
5)Jakobson and Halle (1956, 7).
6)Jha (1933, 19). 7)伊原(1966),中村(1979)など. 8)大前(1998),和田(2013)など. 9)Joshi (2005). 10)Ghosh (1938, 1). 11)Joshi (2005). 12)ЛЫСЕНКО (2015). 13)Abhyankar (1962, 30).
varṇavyatyaye ca arthāntaragamanāt manyāmahe arthavantaḥ varṇāḥ iti/ kūpaḥ sūpaḥ yūpaḥ iti/ kūpaḥ iti sakakāreṇa kaścit arthaḥ gamyate/ sūpaḥ iti kakārāpāye sakāropajane ca arthāntaram gamyate/ yūpaḥ iti kakārasakārāpāye yakāropajane ca arthāntatam gamyate/
ると我々は考える.kūpa, yūpa, sūpaといった語の場合に,まずkūpaという語では,何ら かの意味が理解されるのはk音によってである.sūpaの場合にはkの代わりにs音を加 えたときに異なった意味が理解され,yūpaの場合にはkとsの代わりにy音を加えたと きにまた異なった意味が理解される. 14)Matilal (1990, 79). 15)Subramania Iyer (1966, 142).
iha dvividho dhvaniḥ prākṛto vaikṛtaś ca/ tatra prākṛto nāma yena vinā sphoṭarūpam anabhivyaktam.
ṇa paricchidyate/ vaikṛtas tu yenābhivyaktaṃ sphoṭarūpaṃ punaḥ punar avicchedena pracitataraṃ kālam upalabhyate/
ここで,一次音と二次音という二種類の音がある.まず一次音とは,それなくしては開 顕されないスポータの本質が把握されない音である.一方二次音とは,開顕されたス ポータの本質が,それによって繰り返し分断されずにより長い時間知覚されるものであ る.
16)Ślokavārttika, sphoṭavāda, v. 9. Sastri (1978, 362): parasparānapekṣāś ca śrotrabuddhyā svarūpataḥ/ varṇā evāvagamyante na pūrvāparavastunī//
17)Ślokavārttika, sphoṭavāda, v. 131. Sastri (1978, 383): varṇā vā dhvanayo vāpi sphoṭaṃ na padavākyayoḥ/ vyañjanti vyañjakatvena yathā dīpaprabhādayaḥ//
(1)単語や文章のvarṇaにせよ音にせよ〔(2)varṇaにせよ音にせよ,語や文章の〕,ス ポータを表すものではない.それらは意味を表すもの(vyañjaka)であるから.行灯の 灯など〔が仲介するものを映さない〕ように.
18)Sastri (1931, 91–93).
yasyāpy anavayavaḥ śabdātmārthapratītinimittaṃ dhvanito varṇato vā pratilabdhābhivyakty-anugrahaḥ prakāśate, tasyāpi nānapekṣitetaretarā varṇā dhvanayo vā tam avadyotayanti; tasyārthasyevāprakāśanāt; avayavaśas tv avadyotanam anāśaṅkanīyam eva, tadabhāvād apratyayāc ca; nāpi saṃhatāḥ, niyatakramavṛttitvād dṛṣṭaprakāraviparyaye ceti tulyaḥ paryanuyogaḥ/
すなわち,部分がなく(anavayava),語意認識の原因である語(śabda)という本体が, 音(dhvani)ないしvarṇaによって開顕すると考えるものにとっても,もろもろのvarṇa, ないしもろもろの音が相互に依存することなく語という本体を開顕するというわけには いかない.それ(語という本体)は,意味と同じように〔個々の音ないしvarṇaから〕 現れることがないからである.
19)Matilal (1990, 104). 〈参考文献〉
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