21-1
古代ローマ、オスティアにおける「鱗」パターンモザイクの制作過程に関する考察
中道 大樹 1. 序 1.1 研究の背景と目的 オスティアではハドリアヌス帝政期に洪水災害対策 や人口増加のため都市の大改造を行い、その際新しく 建設されたインスラ(注1などに多くの白黒テッセラの モザイクが敷設された。その多くは幾何学パターンで 床全面を装飾するモザイクであり、部屋の内部(主室 など)のみならず、中庭を囲む回廊や部屋と部屋を結ぶ 敷居部分など,建物内に床モザイク ( 以下「モザイク」) が広く普及した ( 図1)。 モザイクは床構造の表面部に敷かれ、施行する前に デザインやその部屋でのレイアウトが詳細に決定され る。モザイクのレイアウトを決定する際に床下地層に 基準線を引くが、幾何学パターンのモザイクはそのレ イアウトの基準線を基調にした直行グリッドや変形グ リッド、また円弧に従ってテッセラが割り付けられて いるものが多い。 イタリア本土で独自に発達した床舗装技術(opus signinum)という陶器やタイルの破片を床に敷き詰め る工法はシンプルな幾何学模様で装飾され、床全面を 覆うように敷かれていたため、後の床全面を覆う幾何 学パターンモザイクの普及に影響を与えたと考えられ ている。紀元後1世紀頃、白黒のテッセラの大量生産 が可能になるとともに大量のモザイクが生産され、当 初は古代ギリシャで発展した多彩色のモザイクや opus sectile などの模倣や幾何学模様が採用され、より安価 でできるものとして広く普及した。徐々に一室の床全 面を幾何学パターンのモザイクで埋め尽くす手法が流 行し、ポンペイで見られる絵画のように精巧なモザイ クは贅沢な芸術品として床に敷かず、幾何学パターン のモザイクが敷かれるようになった。 一般的な幾何学パターンのひとつに「鱗」(注2パター ンがあり、4つの円弧の組み合わせによって形作られ る幾何学図形である。このパターンはテッセラが模様 の外形に沿って割り付けられることが多く、直線に テッセラが割り付けられていないので一見で基準線を 見ることは難しい(図 2)。 オスティアでは「鱗」パターンのモザイクは細長い 空間(廊下部等)に配され、テッセラが模様の外形に 沿って割り付けられることが多く、他の幾何学パター ンのモザイクと比べてその製法は明らかではない。本 研究では、オスティアで確認できる「鱗」パターンモ ザイクの個々の模様の配置やテッセラの割付から基準 線の有無を検証し、その制作過程について考察するこ とを目的とする。 1.2 研究の方法 モザイクは写真資料や発掘時に取られたスケッチな どで記録されることが一般的である。寸法やテッセラ の並びについて正確な情報を得るため,現地において 取得した3D 点群データからテッセラの 1 ピースが確 認できる高解像度の正投影画像を生成した(図 3)。 2. 古代ローマ時代の床モザイクの制作方法 ウィトルウィウスはモザイクそのものの制作過程に ついては記していないが,K. Danbabin はウィトルウィ ウスの床構造の記述を参考にモザイクの敷設(制作方 法)について 3 段階を想定している。 第一段階:ウィトルウィウスの砕石床の施行手順(注3 を参考にモザイクの土台である床を建設する。 第二段階:モザイクのレイアウトを決定する。レイ アウトを決定する段階で、モザイク職人はモザイクの 配置の基準となる線を引いていた(図 4)。基準線は nucleus 層(注3が乾いていない状態で削り込む方法と 乾いた後に赤や黒の塗料で塗る方法のいずれかで引か れ、モザイクを配置するための単純なグリッドパター 図 3:モザイクの 3D 点群データ 図 4:基準線の例 図 1:反復模様のモザイク 図 2:「鱗」模様の床モザイク21-2 ンや実際のテッセラの割付線などの役割を担う。 最終段階:基準線が整った後に実際にテッセラやタ イルを配置していく。テッセラを nucleus 層に付着さ せるため、新たに数 mm の厚さのモルタルや漆喰が塗 られる。モルタルが乾く前にテッセラを埋め込む必要 があるので、モザイク職人が一度にテッセラを置ける 範囲 ( 約 1 ㎡以内 ) に塗り、徐々に埋めていく。それ により nucleus 層に描いた基準線等が隠れてしまうの で、後は職人の記憶と技術を頼りにテッセラは並べら れる。テッセラはモルタルに埋め込まれたあと、その 凹凸を整えるために木板などで押し固められ、平坦な 面に整えられる。 次章では、オスティアの「鱗」パターンが配されて いる建物を通じて、「鱗」パターンの制作過程につい て分析・考察を行う。 3. オスティアの「鱗」パターンモザイク 3.1 「鱗」パターンについての先行研究 Asher Ovadiah は「鱗」模様が鎧などの金属加工品 をモチーフとして古代ミケーネ(注4の陶器やエジプト の壁画に頻繁に登場し,やがてモザイクの模様に用 いられるようになったと記している。また,前述し た Richard Prudhomme は 1600 種類の模様の内、線 状に配される「鱗」模様とその派生形を計39例紹介 している。他にも「鱗」パターンは円形に配され、放 射状にパターンが広がるものもいくつか掲載されてお り、パターンの様々な応用が見られる(図 5)。 3.2 研究対象 Becatti(注5によれば、オスティアには 10 カ所の「鱗」 模様のモザイクが存在するが,現地でのフィールド ワークを通じて、その 6 カ所の「鱗」模様のモザイク を確認することができた。また、Becatti には掲載され ていないものを1カ所確認した(表1、図6)。建物 の廊下に配されているものが 5 例と多く、それ以外に も他のモザイクの外周を囲む模様として使われている 例や敷居に用いられている例もある。また、テッセラ の大きさやデザインは様々であり、白黒のものがほと んどだが、Domus del Protiro(以下「Protiro」)の廊 下の「鱗」模様モザイクは多彩色のテッセラで作られ ている。このうち,3 例を実測することができた。 次に,オスティアで実測できた「鱗」パターンのモ ザイクの実例について、Danbabin の示すモザイクの 制作過程の第二段階で用いられる「基準線の有無」に ついて,テッセラの割付から判別し,その制作過程の 分析、考察を行う。 3.3 分析方法 本研究では、模様の「変曲点」 を使って二つの分析を行った。 一つは、単一の「鱗」パターン の4つの変曲点(図7)をプロッ トし、それぞれの変曲点を結び、 その仮想線がモザイクを敷設する際に用いられた下地 基準線に成り得るか否かを検証した。二つは、モザイ ク中の単一の「鱗」模様を変曲点の位置と曲線の形状 から比較し、その規則性について分析を行った。 3.4 オスティアにある実例の分析
3.4.1 Caseggiato di Bacco e Arianna
Caseggiato di Bacco e Arianna( 以 下「Bacco」) は 120 〜 130 年頃のハドリアヌス帝政期に一体的に建 設され、複数のモザイクも同時期に敷設されている。 テッセラの並びを観察すると,白黒共に「鱗」パター ンの外形に沿って一列のみ割り付けられており,その 内側は長手方向に直線的にテッセラを並べてパターン を埋めている。そこで基準線の可能性としてテッセラ が直線上に並ぶ白黒境界線に注目した。長辺方向を貫 くこの 15 本の境界線は実測の結果,ほぼ完全に平行 に走り,互いに等間隔 (10mm 以内の誤差 ) で配置さ れており,単にテッセラを割り付けるだけではなく, 下層に基準線が存在した可能性が高い ( 図 10-b)。 変曲点の 2 と 3 を結ぶと長辺方向の基準線にほぼ直 行し、等間隔に配されている ( 図 10-c)。また、1 と 2、 1 と 3 を結ぶと、斜め方向にもほぼ平行且つ等間隔な 直線となる ( 図 10-d) ことが判明した。 また、各模様の形状を比較すると、ほぼ完全に一致 した。これはテッセラを割り付ける際に雲型定規のよ うに一定の曲線を描ける道具や模様の型枠などを使 い、それに沿ってテッセラを割り付けたか型枠内に嵌 めてから落とし込んだ可能性が指摘できる(図 8)。 CB@A><? = -+*880 !*7-..0*84,0 *++4-60*33* ; ; ; "4297,-1)-2504(4843,4 ; ; ; "4297,-1'648064 ; ; ; $3791*,-11-'*6-80#0*11- ; ; "4297,-11-#46.430 ; ; !*7-..0*84,-1)/-624541092 ; ; !*9543*,-1'*:43- ; "4297,0&*68- ; "4297,-0"047+960 ; ; !*7-..0*84,-0%488*8460 ; ; 表 1:オスティアの「鱗」模様モザイク 図 6:オスティアの他の「鱗」模様の床モザイク
1
2
3
4
図 7:「鱗」模様の変曲点 図 5:「鱗」模様のパターン21-3
Bacco の 「鱗」模様のモザイクでは、長辺方向の 15 本の基準線に沿ってテッセラが配されたが、各パ ターンを均等に割り付けるために、雲型定規のような 道具やパターンの型枠等を使っていたと思われる。 3.4.2 Domus del Tempio Rotondo
このモザイクは Tempio Rotondo(注6の東隣に位置す る個人住宅の中庭を囲む廊下に配され,廊下の西部分 と南部分に配されていた。廊下の南西部の角では、「鱗」 模様が 90°回転し、南から東へと図9の白線の位置 でその向きを変えている(図 9,11)。 Bacco と同様に,テッセラは「鱗」模様の外形に 沿って割り付けられているが ( 図 12 中央 ),パターン の輪郭内部の割付には共通性がなく,バラバラの方向 にテッセラが埋め込まれている。したがって、モザイ ク全体を規定するような基準線はテッセラの割付から は見ることができない。また,「鱗」模様の変曲点を 結んでできる線についても考察を行った。変曲点の 1 と 4 を結んだ南北の線は直線ではないが、ほぼ外枠線 に平行であり、等間隔に配置されている ( 図 11-b)。2 と 3 を結んだ線は全てが南北に走る線には直行してい ない ( 図 11-b)。また、1 と 2、1 と 3 を結んだ斜め線 は廊下西部では等間隔で平行であるが、南西部の角で 屈折している ( 図 11-c)。結果として厳密なテッセラ の割付を可能にする基準線は確認できなかった。 そこで,図 9 の白で記された斜線の位置で模様の 向きが 90°回転していることに注目した。角での変 曲点1,4を結んでできる線は西部の1と4を結ぶ線、 また南部の 1 と 4 を結ぶと一致する。これは西部と南 部で割付の異なるパターンを隅部でつなぎ合わせたた めに生じた変形と考えられる。しかし、模様が回転し ている部分のテッセラの割付と見ると、模様が回転し ても模様の外形に沿って連続している。 西部のパターンの形状はほぼ一致する(図 14-a) が、 角部の模様は変曲点が広範囲にばらついている(図 14-b)。特に 90°回転し、東向きの模様のばらつき は大きい(図 14-c)。西部の長辺の模様に関してはそ れぞれ変曲点同士の距離が大方等しいことから、パン タグラフ(注7のような器具を使って変曲点の位置だけ 1 2 3 4 図 12:廊下のテッセラの割付 図 10:Bacco の「鱗」模様の基準線や変曲点 図 11:Rotondo の「鱗」模様の基準線や変曲点 図 13:Protiro の「鱗」模様の基準線や変曲点 1 2 3 4 図 9:角での長辺方向の基準線 図 8:模様の重ね合わせ 0 5cm 20cm 30cm 50mN 0 1 2 5m N a. mosaic outline 0 1 2 5m N e. inflection point 0 1 2 5m N d. diagonal axis 0 1 2 5m N c. cross axis 0 1 2 5m N b. longitudinal axis 0 1 2 5m N N N N a. mosaic outline 0 1 2 5m b. orthogonal axis 0 1 2 5m c. diagonal axis 0 1 2 5m d. inflection point 0 1 2 5m N N a. mosaic outline 0 1 2 5m b. longitudinal axis N 0 1 2 5m c. diagonal axis N 0 1 2 5m d. inflection point 1 2 3 4 a.corridor(east) b.corridor(west)
21-4 ていた可能性が指摘できる。 4. まとめ 「鱗」パターンの床モザイクが配された建物3つで 基準線の有無を分析した結果、Bacco ではテッセラの 割付から容易に基準線が確認できたが、他 2 例でテッ セラの割付からは基準線の存在を示す特徴は発見でき なかった。Danbabin が示していたモザイクの制作手 順とは異なる方法がある可能性が指摘できる。 また、3 例でそれぞれの「鱗」模様を重ね合わせて 比較分析した結果、Bacco では模様はほぼ完全に一致 し、雲型定規あるいは型枠などを使って制作していた と考えることができる。他の2例では、模様の変曲点 に多少のばらつきが見られる。しかし、Rotondo では 変曲点の位置のみを刻印するパンタグラフのような道 具、Protiro ではコンパスのような道具を利用して模 様の配置を決定していった可能性が考えられる。 5. 終わりに 3 例に共通して、長手方向の仮想線が短手方向より も平行、等間隔など規則的に配されていて、制作時に 長手方向の軸を意識的に揃えていたと予見している。 今後は「鱗」パターンモザイクの事例を増やし、個別 にその制作過程を分析考察し、この予見をより深く検 証する必要がある。 マーキングしていた可能性がある。 テッセラの割付からモザイク全体を貫く基準線は見 られなかった。しかし、「鱗」模様の変曲点から何か しらのマーキングが施された可能性は指摘できる。た だし、南西の角の模様は直角でない不整形であること から,長辺部分と短辺部分は個別にモザイク職人が担 当し敷設され隅部でつなぎ合わされたと考えてよい。 3.4.3. Domus del Protiro
このモザイクは Protiro のエントランス部分の廊下 に 4 世紀頃配され , 赤、緑、黄色などのテッセラを用 いて作られた多彩色モザイクである。テッセラの大き さもオスティアの一般的(注8なものより数 cm 大きい。 テッセラが直線上に配される割付は確認できなかっ た。Rotondo のモザイクと同じく最初に「鱗」模様の 外形に沿うようにテッセラが割り付けられている。た だし,輪郭の内部は規則的に埋められている ( 図 12 下 )。1 と 4 の変曲点を結ぶ直線を分析すると,廊下 の長辺方向に何らかのマーキングがあった可能性が高 い。2 と 3 を結んだ線には規則性は見られず、端部か ら離れると、徐々にその線は傾き始める。1 と 2、1 と 3 を結んだ線についても模様の配列が途中で変化す ることから屈折している(図 13-a,b,c,d)。 また、模様の形状は上記2例に比べてばらつきが大 きく、規則的に計画されたとは考えにくい(図 14-d)。 しかし、テッセラの割り付けから模様の上部の曲線を 比較すると、大きさにばらつきはあるが、ほぼ半円に 近い形となっていて、模様の配置にはコンパスを用い ていた可能性がある(図 14-e)。 モザイクが配された廊下の中間に排水溝があり、そ の排水溝を境界に東西で模様の配列が異なっており, 両端から個別に施工された可能性がある。モザイクの 長辺方向を基準にマーキングを施してテッセラを並べ たと思われる。ただし、最も南の1と4を結ぶ直線以 外は排水溝を境に東西でズレが生じていることから、 最も南の下書き線を引いたあと、2 人の職人が東西に 分かれてモザイクを制作していったと考えられる。ま た、模様を配置する際にコンパスのような道具を用い 1/20 1/20 west corridor a. a. b. c. b. c. d. d. e.
southwest corner southwest corner
121 649 528 337 389 51 360 278 82 346 615 269
Domus del Tempio Rotondo a. 西部分のパターン b. 角部のパターンⅠ c. 角部のパターンⅡ Domus del Protiro d. パターン形状の比較 e. パターン上部の比較
【 注 釈 】
注 1 ) イ ン ス ラ と はオスティアに多く見られる一体的に建設された高層集合住宅の事を指す。 注 2) 英語では、'scaling' もしくは 'imbrication'、イタリア語では 'squame' もしくは 'embricazione' と 称されている。 注 3) ウィトルウィウスは「建築十書」で砕石床の施行手順について記している。彼によると、砕石床 は 5 層構成となっといて、下からコンクリート、拳大の石の層 (statumen)、石灰と砕石を混ぜた層 (rudus), 石灰と砕いたレンガや瓦を混ぜた層 (nucleus), 一番上部にテッセラや大理石タイル等が敷かれる。 注 4) 古代ミケーネとは、ペロポネソス半島のミケーネで発達した青銅器文明を起源とし、簡素な幾何 学模様の装飾などを特徴とする芸術が多い。。 注 5) 参考文献 (3
注 6) Tempio Rotondo は円形の平面をした Foro の近くにある神殿である。 この住宅はその神殿の横 に位置することから、'Domus del Tempio Rotondo' と名付けられた。
注 7) パンタグラフは菱形の収縮する機構のことを指し、元の図をなぞって図を縮小、拡大する製図道 具などに利用されている。 注 8) オスティアでは、1 世紀頃テッセラの大量生産が可能になったことから、大量のモザイクが建設 される。大量生産されたテッセラの大きさは、0.8cm 〜 1.0mm 角である。 【図版出展】 図 1. 筆者撮影 図 2. 筆者撮影 図 3. 筆者作成 図 4. 参考文献 (1) 図 5. 参考文献 (4) 図 6. 筆者撮影 図 7. ~ 図 14. 筆者作成 【参考文献】
1) Katherine M.D. Danbabin, 'Mosaics of Greek and Roman World', 1999 2) Carlo Pavolini, 'Ostia', 2006
3) Giovanni Becatti, 'Scavi di Ostia Volume Quarto, Mosaici e Pavimenti Marmorei', 1954 4) Richard Prudhomme, 'Le Decor Geometrique de la Mosaique Romaine', 1985 5) Asher Ovadiah, 'Geometric and Floral Patterns in Ancient Mosaics', 1980 6) Sonia Galleco, 'Guide to the excavations of Ostia Antica', 2000 7) Susan Tebby, 'Geometric Mosaics od Roman Britain', 8) Guido Calza, 'Et Al, Scavi di Ostia, Topografia Generale', 1953 9) Russell Meiggs, 'Roman Ostia', 1973
10) Johannes S. Boersma, 'Amoenissima Civitas', 1985 11) Roger Ling, 'Roman Paintings', 1991