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中央学術研究所紀要 第12号 155深田伊佐夫「開発途上国開発援助と宗教-開発途上国開発援助をめぐる諸環境」

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近年、開発途上国開発援助に対する関心と問題意識 は、急速に高まりつつある。そして、経済・政治等の各 分野からの実際のとりくみも活発に行われている。 その中で、一九七八年’一九七九年にかけてのインド シナ半島の共産化にともなう難民流出問題の発生を機会 研究ノト

開発途上国開発援助と宗教

桑の一開発途上国開発援助を鋤ぐる諸環境

|はじめに はじめに 開発途上国開発援助をめぐる諸環境 開発途上国開発援助への新しい価値観 に、宗教・宗教者の開発援助活動への関心が拡大した。 具体的には、難民救済活動を主軸に、各種の教育援助、 農村開発事業等の実施という型での活動が展開され、成 果をあげている。 このことは、宗教・宗教者の使命と役割である。人間 個々の魂の救済と開発・社会全体の救済と浄化すな わち、人間社会において﹁無知﹂﹁争い﹂﹁貧困﹂﹁侮辱﹂

深田伊佐夫

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合口つぎの両 考えられる。 課題であると考えられる。 一差踊﹂の解放をしてゆく上で、さらに拡大されるヘーき しかし、宗教・宗教者が、この種の問題にとりくむ場 合、つぎの四点について明確にしておく必要性があると ①宗教以外の各分野からの同種の活動と宗教・宗教 者によるものの位置づけはいかなるものであるか。 ②﹁開発﹂というものの定義と、その対象について。 ③社会の発展・近代化への阻止・阻害要因としてはた らく一面をもつ宗教の体質改善への可能性について。 ④現在、宗教・宗教者によってとりくまれている開発 援助活動の把握と方向性について。 ⑤こうした一連の問題をとおして、宗教・宗教者に課 せられた課題へ諸宗教はいかに接近してゆけばよい か。 の点についてである。そこで、本研究は、これらの点の 解明をとおして、この問題への接近を試みようとするも のである。 本研究の考察のすすめかたは、はじめに、開発途上国 開発援助をとりまく諸問題について触れ、そして、その 中で一開発﹂というものの定義を明らかにし、︵一ぎに、 宗教・宗教者としての関わりあいについてを考察すると いう順序ですすめてゆくことにしたい。 ㈲開発途上国開発援助を考える 現在、開発途上国と呼ばれる諸国は、アジア・アフリ カ。ラテンアメリカ等に存在している。それらの諸国の 大半は、国内の経済・社会の低開発性と、そこから発生す る貧困状態、さらには先進諸国との国力・経済力の格差 の拡大化等、開発途上国の内部と、それをとりまく環境 は厳しい状態となっている。換言すれば、こうした状態 は、開発途上国の内外における不均衡状態を示すことに もなるといえよう。こうした状態が、不安定な国内・国 際関係をつくりだす原因であるともいえよう。したがっ て、この不均衡の是正による、真に安定した国内・国際 関係の創出を目指すのが、いわゆる開発途上国開発援助 の意義であると考えられる。同時に、ここに、先進諸国に よる開発途上国開発援助活動の意義があるといえよう。 しかし、これまでの開発途上国開発援助は、供与国の 二開発途上国開発援助をめぐる諸環境

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努力にも関わらず国際間における不均衡の是正やそ れをもっての安定化に対して、必ずしも満足すべき効果 をあけているとはいえない面も存在する。一面において は、より以上の国際間の格差の拡大を招く結果をみる例 もあり、本質的な意味での開発援助が求められる時期に 達していると考えられる。 ここで、そうした開発途上国開発援助をめぐる諸問題 を考えるために、一九六八年に発表された﹁開発と援助 ︵1︶ の構想ピァソン委員会報告書﹂の報告をもとに、考察 をすすめてゆくことにしたい。 同報告書は、一九六七年に、ジョジ・ウッズ世界銀 行総裁︵当時︶が﹁過去二十年間の開発援助の成果を研 究評価し、その誤りを明らかにし、また、将来において よりよく作用する政策を示す﹂提案をした。その具体的 識な形として一九六八年にL・B・ピァソン︵元・カナダ 恥首相︶が委員会・報告会を主催した、その総括が同報告 密書である。 醜報告のなされた時点から現在までの間、若干の時間的 錘経過はあるが、ここで提示された問題点・課題について 職は、現在直面するこの種の問題意識と共通するものがあ る薯一まだ見方によっては永年来の開発途上国開発援 助をめぐる諸問題の解決が、いかに難しいものであるか ということを示しているともいえよう。 以下、同報告書に基づいて考察する。 先ず、開発援助へ向けての意志の問題である。意志の 基本は、先進国と開発途上国との間の国力・経済力等の 格差の問題である。この部分での問題点についてみれ ︵2︶ ば、つぎのような点があげられている。 ①先進諸国と開発途上国間にあるさまざまの格差の存 在は必ずしも途上国に開発と成長の能力が欠如してい るとは限らないことの認識。 ②これを実際問題の上で検討すれば、先進国側の途上 国援助の体質に、自己利益の追求、政治的恩恵の供与 等の戦略的目的に重点をおく政策の一環として位置づ けていたことに関連する。 ③したがって開発・援助の対象も、工業思想の普及を 中心としたGNP成長策が優先︵産業主導型の開発︶ され、基幹産業となるべき農業開発が重視されなかっ た。 ④開発・援助の際の主体者が特定の集団・個人にのみ 157

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傾斜し、開発への民衆の参加が欠如していた﹂ これらのことから考えれば、開発・援助に対する基本 的な意志の中に、誰のために、﹁誰が主体となって、ど のような開発援助をしてゆくか﹂の自覚のあるところ に、真に格差是正と、開発援助の真価が得られるという ことが考えられる。 さらに、これらの点をふまえての開発援助のあり方が 報告されている。その前提条件は、開発の段階と、富へ ︵3︶ の執着の問題への着目である。開発が、必ずしも平和的 かつ責任のある国際行動の保証があるか否かの問題であ る。例えば、一国における自己の開発と成長が達成さ れ、ある程度の国力・経済力が蓄積されたとする。そし て、他国間との安定関係も保たれたとする。しかし、場 合によっては、その中で、高度開発のなされた国が、他 国に対して、対立要因となる行動に出るという指摘もあ る。それに対してのとりくみとして、開発途上国の真の 発展を目指すことを目標に、先進国と開発途上国の両者 の格差を縮少︵同報告書では、﹁是正﹂することは不可 能であるとの立場をとっている︶することを開発援助の 基調とすることを強調している。 また、先進国による開発途上国開発援助の態度・姿勢 は﹁富める者が持たざる者に対して分つという道徳的し ︵4︶ ベル﹂を中心に、本質的に両者の利益と人間の心の改造 につなげることの重要さを説いている。同時に、世界資 源の最大限の利用を国際協力によって開発することも条 件の中に含まれている。 これらのことが、﹁ピァソン報告書﹂に報告されてい ることの骨子であるが、それらを具体的に政策化してゆ くための要点として、つぎの十項目があげられている。 ⑳自由で平等な国際貿易の枠鎚み蓮つくる。 これは、国際貿易の持続的かつ旺盛な拡大を目指す ことが国際的開発の条件であることを示している。そ のシステムは、先進国側の輸入関税と内国消費を、一 次産品に限って廃止する等の、税制上の改革をすすめ ること、開発途上国側にとっての有利な交易条件を創 出することの必要性を説いている。 趣相互に有利な海外氏間投資鋤流れの促進. 交易条件の改革とともに、開発途上国側の国内企業 活動が旺盛になるような援助︵総合産業開発︶と国内 の人間の人間開発︵能力開発等︶。さらには、税制上

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開発途上国開発援助と宗教 にみられる過大免税・過大保護等の改革化を促進す プハ︾○ ③開発援助の促進化. 開発途上国自身の自国内努力が開発援助と並んで要 求される条件となる。また、開発援助は、資源の利用 可能性の合理的利用・途上国の開発目的の達成のため の外部からの援助の裏付け・途上国による供与国のコ ミットメントとその実行の内容についての検討等が重 要となる。 ④援助量の拡大化. 国際共同体の基盤確立のために、供与国側の途上国 に対する食料援助等の要求への対応を検討実施してゆ ,〆、O ⑤累積債務への対処. 開発途上国の不良債務の増大︵債務返済の困難性︶ への対処として、債務協定の確立と援助条件の寛大化 をはかる。 ⑤震動行政の効率化. 供与国と受取国の両者間の援助手続の複雑な面が、 援助の効率化をさまたげていることがあげられる。こ のことから援助の効率化を目指すべく供受関係の確 立︵国際通貨基金の特別引出創設︶と、食料援助の計 画化が必要となる。 ⑦技術援助の方針の再検討. 技術援助と資金援助の充分な統合をもって両者の促 進をしてゆく。 ③人u増加率を低め扇こと. 人口現象の本質と、開発計画への影響についての解 析をおこなう。同時に、ファミリプランを社会政策 の上で連動化させてゆく。 ⑨教育・研究活動の活発化. 開発途上国の教育・研究に関する援助をおこなうに あたり、先進国においては、熱帯農業・農業普及技術 ・教育等に関する各分野の研究開発のための機関設立 等への援助の必要性。 ⑳多国間援助組織の強化. 国際機関は、開発援助の先導力を拡大するために、 地域開発銀行による資金面の裏づけと、供受関係の二 国間・多国間の努力と関係各機関の話し合いの場を設 ける。さらに①l⑨にて提示されたことをふまえて新 159

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たな相互依存関係をもつ世界共同体を建設してゆくこ とが必要である。そのために、正しい先進国と開発途 上国の関係が永続的・建設的なものとなってゆくこと が求められる。 以上が、﹁ピアソン報告書﹂に提示された開発途上国 への開発援助についての具体的な理念と、その政策化の 上での要点である。ここに提示されたものは、現代の開 発途上国開発援助上の問題意識と共通するものであると も考えられる。 つぎに、ここに提示されている問題点について若干の 考察をし、合わせて開発途上国開発援助に対する今後の 方向性について論及したい。 まず、さきに提示された各項目から読みとれることの 前提条件は、供与国である先進国が、自国の利益中心の 開発援助を推進することなく、真に相手国の発展に貢献 する姿勢をもち続けることである。これは、開発援助に とっての必須条件である。 現在、開発途上国において発生している、先進国によ る過度の企業進出による社会秩序・経済体制上の歪み、 また、過去における西欧諸先進国や日本の手による植民 地支配政策によるつますきも、全てこの姿勢の欠如か原 因となっていると考えられる。現実問題として、この種 の原因から発生する開発途上国の新たな苦悩は拡大する 傾向にある。その苦悩は、開発援助を求め、自国の近代 化と発展を目指したくとも結果としては、供与国側の利 益が先行する。しかし、自国が自力更正・自力発展して ゆくだけの国力と経済力を持つに至っていないというの である。開発途上国の人間の端的な感情は、︽︽ダ芯葛陣昌 目○○冨胃瀞言の葛四日旨、胃の︾︾﹁我々を海外援助のゴ ︵5︶ ミ捨て場にしてほしくない﹂というところにまでエスカ レトしている。こうした問題は、供与国側の一方的な 利益追求の姿勢を改革してゆくところに解決への道がみ いだせると考えられる。簡略化して考えれば、相手に食 物を提供しようとする時に、﹁やるから食え″﹂的な態 度に陥ることなく、﹁いっしょに食べましょう﹂という 姿勢が要求されるわけである。同じ食物を提供するに も、満腹の者に食物を提供しても、そこには価値や効果 はもたらされない。逆に空腹の者に食物を提供すれば、 そこにはそれなりの価値と効果がもたらされる。この時 の価値が何であるか、その効用は何であるかという自覚

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開発途上国開発援助と宗教 が供与国に求められているのである。開発途上国開発援 助に不可欠の条件であると同時に新たなる問題でもあ プ︵︾O つぎに、開発の主体者は誰であり、主体者と援助協力 者は何をなすべきかを考えなければならない。この問題 は、先進国および開発途上国の両者が果たすべき使命と 役割に関する課題である。つまり、先進国側が開発途上 国側に対していかなる動機づけをし、それによって途上 国が自己に内存する潜在的可能性を国際社会の中で発揮 してゆけるかというところに視点がおかれるものであ る。換言すれば、両者に課せられた使命と役割とは、国 際社会における国際分業と経済秩序の合理化と安定化へ の取り組みであとる考えられる。 これらへの具体的な施策の方向性は、産業・経済的部 分︵交易・投資・援助︶と社会・教育的部分︵人口政策・ 衛生管理・福祉・教育・研究︶の二面の有機的な取り組 みによって求められる。さらに、これらと同時に、広義 の人間開発人材開発がすすめられねばならない。こうし た施策への動機づけとなってゆくことが先進国の使命で あり、そのことによって自国の近代化と国際社会での位 これまで開発途上国開発援助についての若干の考察 をおこなってきた。その中で、現在おこなわれている開 発援助政策のあり方を見直す意味で、過去の植民地政策 についても触れておく必要があると考えられる。現代で は、植民地政策についての反省がなされ、それなりの評 価がされている。しかし、植民地政策が旺盛におこなわ 置づけをしてゆくのが途上国の使命であるといえる。 以上が、ピァソン報告書に提示された開発援助への基 本理念と構想から読みとることができた課題点について の考察である。新しい開発援助理念は、供与国.受取国 の両者の国際社会における使命と役割が完全に達成でき るような協力と努力が必須条件である。 さらに、ここで強調されなければならないことは、開 発援助の正しいあり方に対する認識を、供与国側の人間 がしてゆくこと、一方、受取国側の人間も、真の自助・ 自立の可能となるような努力をしてゆくことが望まれ ラ︵や○ (三) 開発途上国開発援助の歴史的推移 糖民地政策について ハリ ﹁上

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れていた当時では、それが正当化さ札現在の開発途上 国開発援助と同様に考えられていた。 ここでは、開発援助の歴史的推移の考察を行うため に、かつての日本によるアジア諸地域への植民地政策 ︵大東亜共栄圏︶のあらましを例にとって考察をすすめ たい。 明治維新をむかえた日本は、それまでの徳川幕府三百 年にわたる鎖国政策から解放され、急速に西欧化・近代 化を目指した。その過程で、当時の先覚者を中心とし ︵6︶ て、海外・外交への開眼がされはじめた。 日本が鎖国政策によって閉鎖されていた間に、自国の 封建制度の保守はなされたが、西欧先進諸国は、植民地 ︵6︶ 政策を主軸とした海外活動を展開していた。このことに 着目し、日本も、同様の政策をすすめ、自国の近代化を してゆく方向を求めはじめた。これが日本の植民地政策 を支える基本理念である。 その後、日本は、日清戦争の勝利による台湾割譲を達 成、アジアで唯一の植民地保有国となり、それを契機 に、一連の大陸・南洋進出をしてきた。具体的には日韓 併合・日露戦争を機とした満州国の設立と中国大陸への 実質的進攻という形で、その勢力を拡大した。とくに 満州植民地化に際しては、﹁満蒙政策﹂として重点を置 いてとりくまれた。 しかし、その後、日本の植民地政策が発端となり、第 一次・第二次世界大戦の開戦を招く結果となり、その結 果、日本はもとより、国際的規模での地政学的構図のぬ りかえがおこなわれた。 日本が急速な植民地政策を展開した根底には、短期間 に自国の近代化を推進することへの願望が強くもたれて いたことがあげられる。日本が海外進出をしはじめた初 ︵7︶ 期では﹁アジアはひとつである﹂︵岡倉天心のことば︶ のように、アジアの中の日本という立場から自国と他の アジア諸国の発展と近代化を指向していた。しかし、そ れが大東亜共栄圏思想にまで拡大し、日本によるアジア の支配化・統合化へと変化していった。結果的には、ア ジアの﹁共栄﹂を阻止する主要因となった。その表面上 の理念は﹁大東亜共栄圏達成のために、アジアにおける ︵8︶ 弱小国家の保護育成﹂を掲げて、植民地政策が推進され たのである。 しかし、植民地政策の本質的な目的は、自国の近代化

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開発途上国開発援助と宗教 こうした植民地政策によって雪日本国自体の国力・経 済力が向上し、同時に、被植民地国においても、部分的 な近代化や、種々の基盤整備もなされた。しかし、裏返 せば、全ての要素が日本にとって有利な条件となって還 元されており、植民地にもたらされる利益と権利はわず かなものであった。そして、究極的に日本にもたらされ たものは、大いなる国際的孤立化と敗戦であり、植民地 等の講座が積極的に開講され、植民地政策に有用な人材 ば日本国内の学校教育の場でも、植民学・拓植︵殖︶学 あった。さらには、植民地政策自体も正当化され、例え のための他国の従属化であり、自己の利益追求が中心で ︵9︶ 育成がおこなわれた。そして、当時、植民地政策をおこ なっていた西欧諸国と同等か、あるいはそれ以上の国力 と植民地勢力をもつようになった。その結果、アジア諸 国に対しての従属化と、西欧諸国との対立等の不条理な ︵、︶ 国際関係を形成していった。 以上が、日本における植民地政策のあらましである。 他の西欧諸国による植民地政策の性格も、大差はないも のと思われる。 にもたらされたものは貧困と不平等であった。 一般論の中に、植民地支配の結果、被植民地の旧態的 ・因習的な伝統的価値観が除去され、そのことが第二次 世界大戦後の独立と近代化につながったとみるものもあ る・一応否定でき得ぬ面をもっているが、これは結果論 であり、植民地政策自体の正当化にはつながらない。要 諦は、誰のための近代化であり、利益と主催がどこに置 かれるかである。 現在、開発途上国開発援助が展開される中で、再度、 かつての植民地政策から得た教訓を認識する必要があ う︿︸O ﹁剣をもって得たる土地は、剣をもって奪わる。鋤を もって得たる土地は永遠なり﹂ということわざの意味を 認識したいものである。 また植民地政策の裏付けとなる理念は、自国の国力・ 経済力の増大化である。その深属部分をみてゆくとき、 そこには、人間の﹁生﹂への欲求と﹁繁殖﹂への願望と いう。人間そのものに関わる問題も存在する。 人間一人もしくは、一国のいずれにおいても、自己の 生活︵﹁生﹂と﹁繁殖﹂︶の安定化を追求するものである。 163

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しかし、その限界は無限大の拡大をみるものである。つ まり、限りない自己の豊かさ︵とくに物質的部分︶の追 求と富への執着の欲求を自国外へ向けたものが植民地政 策の型となってあらわれた。 反面、こうした欲求が存在しなければ、文明・社会・ 経済の発展も不可能である。それのみが先行しても、不 条理な社会環境と発展への阻止・阻害要因をつくりだす 結果となる。植民地の問題を考察する上では、こうした 人間の根本にまで求めなければ理解できない部分をもっ ている。 この問題は、過去の植民地政策の論議に限らず、現代 の開発援助の上に発生している諸問題を検討してゆく上 でも有用性をもつと思われる。過去の植民地政策の反省 点を現在・将来における国際関係・国際協力の問題の上 で生かしてゆくと仮定すれば、そこには、人間本来のも ち合わせる﹁生﹂と﹁繁殖﹂に関する欲求を正しく方向 づけする課題が生まれよう。 目新しい開発援助の理念 過去の植民地政策の上に発生した歪みは、自国の利益 追求と発展のために他国を統治・支配してきたところに ある。極端な例では、被植民地人には母国語を使用させ ない場合まで存在した。一方、現代においては、植民地 政策・植民地支配の枠組みは清算され、かつての被植民 地諸国は独立し、各国ごとの主導権をもつようになっ た。 しかし、開発援助活動に対しての新たな批判が開発途 上国から上がるようになってきたのである。先にも述べ た、食ヨ行言四目目Oo冨昌瀞づげ弓閏︺ご易胃①葛に代表 されるような、先進国の援助に対する反発の声である。 このさけびの内面には﹁援助してもらわなければ自分た ちは自立できないが、援助はしてもらいたくない﹂とい う複雑な心境がうかがえる。これは、途上国開発援助の 性格の上で、産業主導型の行政レベル中心の部分が存在 していることを証明するものと思われる。実際問題とし て、途上国開発援助の形態が、企業プラント輸出と物質 三開発途上国開発援助への新しい価値観

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開発途上国開発援助と宗教 的援助に傾き、不均衡な発展状態を招いている面もあ る。重要部分を占める途上国の人間の真の自助自立を目 指す開発が、おくれていることも事実である。そして、 開発援助が先進諸国の企業利益の追求に変化しつつある 面もある。﹁新植民地主義﹂ということばも聞かれる。 その現状を、一九七一年の﹁リマ宣言﹂にて提示された ︵⑫︶ 項目でみれば、つぎのようになる。 ①非合理的国際分業体制の下での国際経済関係の構造 に、固有の矛盾、即ち一次産品輸出への特化がある。 ②先進国への対外依存︵援助義務︶と、これら諸国が 発展途上国の発展の必要と利益に充分に対応する貿易 ・通貨政策をとらないこと。 ③その形態はいずれであれ、社会的・経済的未開発の 悪化をもたらす従属的形態が維持されている。 ①、②に示された問題点は、経済的要因に基づくもの であり、経済政策により解決できると考えられる。しか し③については、体質的構造的な要因を含むものであ ︵過︶ り、場合によっては﹁支配被支配的﹂な、不条理な国 際関係を形成することが予想される。その意味から、今 後の開発援助の推進に際して重要なことは、垂直統合的 な援助になることなく、開発の主体者援助受取国の 国民レベルの主検の明確化と、水平統合的な開発援助の 姿務が望まれよう。 口近代化I西欧化の限界 つぎに、近代化と西欧化の問題について触れることに する。一般的に、近代化とは西欧化をはかることとの認 識がもたれており、事実、これまでになされてきた近代 化は、全て西欧的価値観に基づくものであった。 西欧的価値観に基づく近代化は、一国の発展を達成し てゆく上で有力な手段として有用性をもつ。しかし、そ の反面、開発途上国開発援助の枠組みの中でこのことを 考えると、つぎのような弊害も考えられる。 ひとつは、供与国の価値観の直接的な〃輸出″による 受取国の統合化の傾向、もうひとつは、﹁西欧化のコピ 現象﹂による。表面的発展の問題である。 開発援助、もしくは一国の近代化への段階として、西 欧化ないしは西欧的テクノクラト化による近代化も必 要であるが、これを固定的な価値観として位置づけるこ となく、常に開発と近代化の段階の上で変化してゆくも のであることを認識しなければならない。同時に、現代 16塁

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における南北間格差の主要因の一つに、西欧的価値観に 基づくテクノロジ優先の経済体制が関連していること も考えられる。 近代化Ⅱ西欧化という図式自体の限界ともいうべき状 態である。今、ここで開発途上国開発援助へ向けて、再 度、主権と利益配分の明確化、近代化に対する価値観の ︵M︶ 位置づけを見直す時期に達していると考えられる。 これまでに、開発途上国開発援助をとりまく諸環境 と、問題点を、現実的課題と歴史的推移の二面からとら えてきた。つぎに考えられることは、これらのことをふ まえての新しい開発援助への基本理念の提示である。 再び、ピアソン報告書に提示された開発援助の理念を 中心に論及することにしよう。 まず、前項までの考察によって明らかになった途上国 援助の上で基本となるものは、それに関わる人間の意識 と態度の問題である。とくに、供与国側の人間に関わる 問題であるといえよう。本稿の中で何度か触れてきたも のであり、受取国に対して強者が弱者に対して.方的 に何かしてやる﹂的な態度に陥ることなく、共感と共 ︵面︶ 労を目指す形になってゆくことが重要である。つまり、 共感と共労を目指すための精神的基盤づくりが孝一の中 心となるわけである。 例えば、われわれが途上国への供与を﹁援助﹂と表現 していたとしても、自己の本質的な援助への意識が存在 しているか否かを問われるわけである。しばしば、供与 国の開発援助政策が、﹁新植民地主義﹂と表現される事 由もここに存在すると考えられる。 ふたたび、ピアソン報告書の提示する今後の開発援助 の方向性についてみてゆくことにしよう。まず、前提条 件として﹁援助政策の基本は、長期の自立的開発をなし

とげることにおかれなければならない中略開発

援助は、供与国と受取国の双方にとって利益となりうる 一定の事業において結びつくという点である。この目的 は、国によって地域によって当然大きな差があり得る。 また、それが広く機能するためには個々の国の、必要条 件に適合した具体的な目標におきかえられなければなら ︵Ⅳ︶ ない﹂ことを提示している。 ここでの要点は、単に援助を推進する段階にとどまら ず、受取国の本質的な自立の可能となるような働きかけ をしてゆくことである。供与と受取の段階にとどまった

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開発途上国開発援助と宗教 り↑あるい峰物質的援助のみが先行してしまった場 合、受取国の自立をさまたげるのみか、供与国による受 取国の統合化、従属化の不条理な国際関係の発生する結 果をも招く。 しかし、受取国の国情が、絶対的低開発・絶対的貧困 の状態下におかれていた時、それらの状態の緩和のため には物質的開発援助も必要である。つぎにその段階があ る程度達成されたならば、つぎの段階としての相手の真 の自立が可能となるような働きかけとしての精神的な部 分への援助が必要となろう。このように状態と段階をふ まえた長期的なプログラムをもつことへの認識が必要と なる。こうした認識の欠如が、先に述べた負ヨ赤葛四目 旨○・冨昌瀞勇汀言四目旨昌。①塁.の発言や、途上国の人 間の心境である﹁援助してもらわなければ自分たちは自 立できないが、援助はしてもらいたくない﹂という結果 となるのである。 そして、長期プログラムをもつにあたっての根底には ﹁富める者が持たざる者に対して分つ﹂ことを中心とし た働きかけが重要である。 また、開発援助の種類と性格について考えることも必 要である。開発援助には、政府間企業間でとりかわされ るものから、民間ボランティア等のものまで、各様な規 模と種類のものが存在している。これらは、いずれも重 要なはたらきをもっていると考えられる。各々の分野 が、その役割を最大限に達成されるべく、相互間の連携 をもっての取り組みが望まれる。 そして、その裏づけとして、供与国の当事者は、貧困 と社会不安に悩む受取国の地域住民大衆への共感をもつ ことが必要である。この共感は、さらに拡大して、相手 が真の自力更生・自主独立へ向かえるような精神的基盤 ︵肥︶ をつくる課題になる。これが上述の精神的部分の援助に 相当するのである。その方法論的な面について考えれ ば、貧困と社会不安に悩む受取国の地域住民への共感を くり返す中から求められるものである。そうしたくり返 しの中から、供与国の人間と受取国の人間との間に本質 的な交流が展開され、共感・共働の場が確立されるので ある。 これは、供与国の者が受取国の者へ与えるという性 格のものではなく、供与国の者が受取国の者から、受取 国の者は供与国の者から相互に、相手の姿.生きる姿か 167

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ら学び合うことであるともいえよう。この姿勢淀本項 の中で、くり返し述べてきた、一方的な則発援助・不条 理な従属関係を除去・防止してゆく唯一の道であると考 ︵的︶ えられる。 日開発援助への宗教の接近 前項では、開発援助の新しい理念について触れてき た。そして、そこでは、受取国の状態と段階に合わせた 物質的援助と精神的援助の実践化の重要さをみることが できた。 つぎに、本研究の課題である、開発援助と宗教との関 わり合いについて、若干、触れることにしたい、宗教 が、開発援助に関わる場合、その性格からみて、主に精 神的部分の開発援助に関わってゆくことが、本来である ︵別︶ と考えられる。そして、その段階に達する以前つま り、まったくの貧困が苦悩から解放するための物質的開 ︵創︶ 発援助にも同時に関わることが必要である。 これまでの宗教ないしは宗教者による開発援助への関 わり合いをみた時、その殆んどが、両者への関わり合い をもっているといえよう、具体的に、日本国内における 例をみてみれば、一九七八年頃からのインドシナ半島三 国の共産化にともなう難民救済活動・ァ寸菖ノ諸国におぽ る農村開発計画へのアプロチ等が中心課題となってい る。また、新興の仏教系教団では、ここ数年来、青年活 動の一環として、ユニセフ募金活動に参加し多大の成果 ︵蛇︶ をおさめている。こうした諸活動は、日本国内における 伝統仏教教団・キリスト教教団・新興宗教教団、あるい はその連合組織体と、多様な方面よりとりくまれている。 また、その性格についてみてみれば、純粋な宗教的価 値観にのみ基づいて行なわれるもの、前提条件として自 己の教団の教勢拡大のための布教の一環として働きかけ をするものに大別できよう、両者とも、究極的には、宗 教の目的である人間個々の魂の救済と開発社会の救済と 浄化に帰結するものであり、それぞれの価値をもつもの と考えられる。 このようにして、宗教ならびに宗教者が、開発途上国 開発援助の課題に取り組みつつあるが、その基本理念は どのようなところにおかれているかを考えてみなければ ならない。 宗教・宗教者による、この課題への本格的な取り組み は、一九七○年、京都で開催された、第一回世界宗教者

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附発途上国開発援助と宗教 平和会議の決議にみることができる¥同会議では宗教 ・宗教者は、﹁人類の幸福に平和に奉仕し貢献すべき宗 教の原点に立ち戻り、今後世界の宗教者が手を携えてゆ

︵恥︶︵型︶

く﹂意志のもとに、﹁非武装﹂﹁人権﹂﹁開発﹂の三つの 分科会を行い、討議がなされた。その中の開発の分科会 では﹁富とその逆用に対して、全く無関心であったこと ︵器︶ を悔いる﹂ことからはじめ、宗教自体のもつ因習性や、 社会の発展への阻止・阻害要因となる面の改革をはかる ことが提示された。 具体的な取り組みとしては、開発のための教育を主軸 に、各種の物心両面にわたる開発援助を行なう方向性が 打ち出された。現在、日本国内の各宗教によって取り組 まれているこの種の問題意識は、ここにあげた三つの方 向性と同様もしくは、類似した理念のもとになされてい う︿︾O 以上のように、開発途上国開発援助への宗教・宗教者 の意識は、徐々に高まりつつある。ここにみられる意識 は、宗教の本来、果たすべき役割の達成へのあらわれで もある。 つぎに、宗教・宗教者による開発援助の取り組みは、 どのような位置づけがなされるものかについて述べた い。 開発援助活動は、宗教のみならず、政府間・企業間・ 民間・個人というように、多種多様のレベルで実践され ている。政府間・企業間等の大規模な経済政策の上に行 われるものを除いては、大体ボランティア的性格をもつ 傾向にあり、現地における直接奉仕、物質・援助資金の 献金活動等の働きかけを、比較的一般大衆レベルが中心 となって行なっている。 しかし、ここで考えなければならないことは、さきに も述べたような、宗教・宗教者として、その果たすべき 使命と役割・その独自性をどのように展開してゆくかと いう点である。形の上でみる限り、宗教・宗教者の取り 組むそれと、非宗教的分野の取り組むものもほぼ同様の 傾向下にある。 開発援助は、それぞれのレベルにより種々の役割と独 自性がもたれるべきであり、一律に﹁このレベルでの開 発援助のみが唯こということはありえない。全てのレ ベル・立場の開発援助の供与者が、それぞれの立場でで きうる取り組みをしてゆくところに意義がある。同時 169

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にそれぞれの立場の者が︽開発援助という大きな枠組 みの中のどの部分を自己の領域としてとりくむかという ︵鍋︶ 課題もここにみいだされる。 今、ここで、その結論を得ることは不可能である。そ こで、つぎの段階として、開発とは何か開発の本質 的意義についての考察を行ない、さらに接近したいと考 一える。 注 ︵1︶殆さ昌昌ミ吻尋園口、鳥苛もご鳶ミ。①。℃Yoo誉ミ諒亀S函 ○菖冒詩、苫員ご苫具bg亀§ミ、晶大来佐武郎監訳︵一 九六九︶﹁開発と援助の構想﹄日本経済新聞社V1Ⅷ。 ︵2︶同℃屋lら. ︵3︶同pml。 ︵4︶同pgl弓 ︵5︶一九八一年十一月に、日本クリスチャンアカデミ ︵関西セミナハウス︶の主催で行なわれた﹁アジア青 年奉仕セミナ﹂の席上、インド・タミルナド州のヘ ルスワカpH国四国︺︵︶冒氏の基調講演の中での発 言である。筆者は、同セミナに参加し、直接これを聞 いた、現在の開発途上国民の心境の一端を示していると 考えられる。とくに、この発言は、日本をはじめとする 渚先進国による企業進出に対する批判である︺同時に: 物質的援助に傾向していることへの批判も含まれてい る。 ︵6︶後藤連一﹃海外拓植論﹄・日本フロンティアセンタ 協力会︵一九七六︶、で西1回℃&1局 ︵7︶同や﹄負19口 ︵8︶﹁拓植学科如年のあゆみ﹄日本大学農獣医学部拓植学 科︵一九七八︶、己恥l吟 ︵9︶開国以来、日本では学校教育の場でも、植民地教育の 誰座が積極的に開講された。農学系、経済系の大学・専 門学校が、その教育の場であり、当時の満州・南洋方面 への植民地指導者・移住者を多数送出した。 ︵叩︶植民地政策の究極的目的は、自国の利益拡大による国 力・経済力の増加である。表面的には、植民地政箪自体 を正当化するために、植民地保有国および被植民地国の 両者の利益と発展への方法とされていた。 ︵皿︶注︵5︶のセミナ内のグルプ討議の中で話し合われ た内容である。解決法としては、両者の相互理解と、利 益と主権の明確化があげられる。 ︵⑫︶浦野起央﹃第三世界の政治学﹄有信堂︵一九七六︶、 ℃、心1,口 ︵昭︶﹁支配被支配﹂の関係は、換言すれば、国際秩序に おける従属関係を示す。これらの状態把握と、その理論

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開発途上国開発援助と宗教 一国・国際間の近代化のために、一地域の開発の必要 性があり、一地域の開発と近代化が、一国・国際間の近 代化への基盤となる。 ︵過︶後藤連一﹁拓植教育論﹄・日本フロンティアセンタ 協力会︵一九八○︶、ロ駅を参照した。同書によれば ﹁これからの拓植︵開発︶は、戦前のような本国主義的 な考え方はいけない中略.そのためには先ず、人 間関係において、シンパシィとデリカシィの心を培うこ とである。﹂と提言している。 なお︵︶内の﹁開発﹂は、筆者補。ここでいう拓植 は、広義の意味での開発のことを示す。 とが有用性をもつと考えられる。 的裏付けは、一中心・周辺理論﹂によって位置づけるこ ここで示された﹁中心﹂と﹁周辺﹂は、国際社会にお ける秩序上の中心国と周辺国、一国内における中心部分 ︵政府・行政レベル︶と周辺部分︵民間・市民レベル︶ を意味する。これらの相互の関連性が国際社会・国際秩 序を形成する重要な要素となる。 ︵魁︶開発援助の基本姿勢は、本論文中に示したことが中心 となろう。また、近代化に対する価値観の認識は、対象 地域の居住民の求める近代化への欲求と、一国ないしは 国際間の開発と近代化の課題を結びつけるところにあ ブハ︾。 ︵皿︶一“援助︵巴e﹂と一協力︵8号の周胃さ旨︶﹂は、貧困の事 由である、資源・経済・社会の低開発性の現状把握と解 決へ向けての一手法でもある。 ︵面︶大来佐武郎監訳前掲書亨麗ISP ︵喝︶.︵四︶開発援助には、物質的なものと精神的なものの 二種類がある。この両者による﹁物・心両面﹂の開発援 助が必要である。 ︵卯︶新しい開発援助の価値観を求める上で、精神的部分へ の開発援助が必要となる。その一環として、宗教が、こ の部分に関わり合いをもつことが、条件となり得る。 ︵瓢︶真の自力更生と自主独立を達成することが可能となる ような働きかけが、開発援助の究極的な目的である.そ のためには総合的な人間開発︵目前唱呉函ロ日四国ロのぐの ]8日の貝︶への取り組みが重要である。その主要媒体と して宗教が位置づけられると考える。 ︵型︶日本の有力な仏教教団である、創価学会・立正佼成会 の二教団を指す。両教団では、毎年青年部活動の一環と して、ユニセフ募金を実施し、成果をあげている。 ︵認︶世界宗教者平和会議︵言○両詞︶・第一回の京都会議 は、一九七○年十月、内外の宗教者代表三百名が結集 し、世界平和に向けての宗教・宗教者の使命と役割に関 する決議の場がもたれた。 その後、これがさらに発展し、三回にわたる世界会議 画一 ワー 1▲

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︵妬︶大来佐武郎監訳前掲害やらl陰 ︵恥︶開発援助活動は、大規模な課題であり、その課題達成 のためには、さまざまのレベルでの供与者の連携と協力 が要求される。その取り組み方は、それぞれの供与の立 場にある者が、自己に課せられている課題を充分に認識 し、その課題に取り組まなければならない。 ︵型︶日本宗教連盟国際問題委員会︵一九七○︶世界宗教者 平和会議・決定事項。 た。 ﹁非武装﹂﹁人権﹂﹁開発﹂への具体的成果をみるに至っ 和会議︵シ○両詞︶が三川行われた。主要課題としての とアジア地域における分科会としてのアジア宗教者平

参照

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