隆寛律師の教義と三心思想の一展開
石
橋
誠
道
序
言 安海の停を播くに曾て源信借都が二十七疑を作って之を宋の知嘩に尋ねたととが記されてある。その時安海は その問目を見て日く、是れらの膚義は遠く海外に問ふ必要はない。誠に余は上中下の三位口を作って置かう、恐く は宋圏の答躍は、我が三種を出でないだらうと。安海の死後知曜の答躍が到着したが、果して安海の中下の義で あつもんと述べられである。との簡単な話の中に自ら官時の日本の天台畢は、遺かに宋朝のそれを凌ぎつ L あった ととを暗示するものがある。 我園大化の革新以来、一時唐朝の文化を輪入し、悌教も亦もん轍入悌教にすぎなかっちんが、子安朝にたってから は、異言天台の雨宗が盛んに研究せられた結果、頗る日本的となり、支那に於ては未だ全く知られなかった種々 の新義が創唱さる L に至つもん。持に念悌の教義にあっては、停教大師に源を穫し、園仁、良源、源信、畳運等み I ・た念悌に関係ある著述もあり、叉自ら淫・土往生を願はれたととも明らかである。されば天台の門流から念悌に関 係ある種々の思想が現はれ来るととも嘗然であり、従って叉宗祖大師の門下の諸師にも自らそれが影響して、諸 隆 寛 律 師 の 教 義 主 一 一 一 心 思 想 の 展 開 一 九 三日 本 偽 教 挙 協 曾 年 報 ︵ 第 十 三 年 ︶ 一 九 四 2 波を生ずるに至つもんととも決して不自然ではない謹である。特に鎌倉の初期に於ける思想文化の激饗は、 一 一 唐 之 に拍車をかけたと考へねばたらぬ。
鎌
倉
初
期
何事によらやすべてのものが、進化護展ずる形式は、必やその土地の風土人情並に時代の費遁等に伴ふもので あるととは今夏開示る必要もたいが、特に宗教の如き精神生活の圏内にあっては、時 k 刻 k に思想の費題するに 従うて、それに順躍すべき必要が生じ来るとともまた営然である。特に久しく打ち緩いた平安王朝の境運期、鎌 倉時代の初期にあっては、思想の費化も甚しく、人心の動指も著しかったととは言ふまでもたいから、之に臆や る宗教を要求したととも明らかである。法然上人の開宗が全く時機に相躍し売ととは言ふまでも友いが、宗祖開 宗の後と睡も、時々刻 k に移り行く思想の費還は自ら宗祖門下の分波を促したととを肯定したければたらない。 法然上人の晩年に上入門下に分裂を生じ、多くの宗祇を生じたのも、蓋し止を得たいととであらう。 宗祖の晩年は多事であった。住蓮安柴の問題から、宗聞は御老躍にも閥らや、土佐配流の事件と怒った。目見よ り先き宗祖門下に一念の新義を唱ふる者が出で来り、特に膝下の京格に於てもとの義が盛んに流行して、放遁無 備の行をたし、敢て崎山ぢざる者さえあって、大に宗祖を悩ましたが、それらの事から甫都北嶺の非難があって、 宗祖は頗る憂慮し給ふた。依て宗祖はその門弟を誠むる震に、七箇僚の起請文を護表された。此は即ち元久元年 宗祖七十二歳の時であっ売。印ちその絡の文に記して云く、 予が年来修する所の念悌は、塾教に随順して私心を用ひや、敢て人の心に逆はや、又世の聴を驚かす事たし。悲に因て今に至るまで三十箇年未だ嘗て患難に遇はや安静にして日月を渉る。然るに比来十箇年の問、無智不 善の輩時 k 紛然として起り来る。菅叫ん繭陀の博業を妨擬するのみにあらや、又復党韓迦の遣法を汗積す、何ん ぞ柄誠を加へざらんや。との七箇僚の外不法の開ありと睡も、その事繁多にして具さに記述し難し。絶て此の 如き等の不法の事、敬慎んで敢て犯すととたかれ。若し此の制に背く者は、予が門人に非や乃ち魔の替鹿た り。営に門下を境斥して復党劃面せざる可し云云 と一一吉田はれである。査し宗祖の開宗以来凡そ三十年聞は、宗門は無事平静であったが、時代は漸く費還し、思想も ,次第に推移して、自ら門弟の中に於ても、新義を唱ふる者が出で来り、幾多の分涯を生じ売のである。その中最 も初めのものは、即ち長業寺の隆寛律師であらうと思う。依て其等の思想や教義の同異費逼進展等を詳述したい と思うのであるが、何分紙数も限られであるから、今唯だ三心思想に就て、その展開を述べたいと思う。而して 先づ此の下に於て、特に至誠心のみに就て、︷一部組門下の異設を比較したいと思う。
宗祖門下仁於りる至誠心の異説
宗阻門下の各棋の教義は、頗る複雑であるから暫くたを、今唯だ至誠心のみに就て二躍諸師の具設を遮れば、 宗祖大師の御設は、至誠心とは内外不調の心を排斥するのである。郎ち内心と外相とが調和し・なくては怒ら友い のであると云ふ御設であった。故に選揮集の第八章には、 3 不 v得 下 外 現 エ 賢 善 精 進 之 相 ﹁ 内 懐 中 虚 僚 よ と 一 式 ふ 文 を 解 阻 押 し て 、 内 心 と 外 相 と 調 は ざ る の 意 ・ 怒 り と 四 持 さ れ て あ る 。 即 ち 内 外 相 醸 の 心 が 、 至 誠 心 で あ る と 韓 隆寛律師の教義主三心思想の展開 一 九 五日 本 偽 教 挙 協 曾 年 報 ︵ 第 十 三 年 ︶ 一 九 六 4 されもん。従って叉我が宗の二組鎮西上人は、念悌名義集の中倉に、下の如くに説明された。 第一に至誠心とは、文字を訓に謹むには誠の心を至すと読むたり。偏る心は賓の心に非示。巌る心は是れ叉誠 の心に非や。誠の心と申すは憎か友る心を申すたり。誠の心と申すは空しからざる心を申す怒りと。 叉 西 宗 要 二 巻 に は 、 至誠心の法門は、是れ虚慢の煩悩が能障とたる怒り。至誠心の念伸者は、雑毒虚慢の心を止む可きたり。 と一言はれてある。然るにとの至誠心に就ては宗祖門下で非常に問題とたり、盛んに議論されたゃうであったから、 諸流の祇組は言ふまでもたく、その他の人も各の意見を異にし売ゃうである。依て今夏宗要に依てそれらの読在、 一 臆 列 拳 し た い と 思 う 。 ︵一︶高野の明遁借都は、至誠心とは強盛の心である。一念員賓の心を穫さたければ、何れの行も順次の往生は 不 可 能 で あ る 。 も ん と ひ 順 次 に 非 司 ? と も 、 多 生 の 往 生 も 亦 た 困 難 で あ る と 考 へ ら れ も ん 。 つ一︶九品寺の畳明は、至誠心とは勇猛の心である。国ち章提希夫人の真心徹到の心と同じであると解樺した。 どれだけの差があるかは問顕であるが、兎も角寒冷に汗を流すとか、或は一生懸命とか、決 今 強 盛 と 勇 猛 と は 、 して怒まぬるき心では怒くて、全力を奉げて至誠真賓の心を護さんと努力する相を指すのであらう。故にまた弐 の如く勇猛と強盛とを一にした設が現はる L に至ったであらう。而して勇猛といふ一言は、蓋し上品上生の勇猛精 進の文に起因するであらう o 三一︶修阿は至誠心とは勇猛強盛の心であると主張した。 ︵ 四 ︶ 竹 谷 一 衆 願 房 は 、 至 誠 心 に は 浅 深 友 し 、 唯 だ 内 外 相 障 の 心 で あ る と 考 へ も ん 。 との設は一見宗祖の義と、同一
であるやうに思はる L が、決して宗祖と同じではない。宗祖は往生大要紗に、三心には浅深強弱がある、故に九 品の差別があると論じられた。との黙の大に異るととに深を注意を梯はねばたらぬ。 ︵ 五 ︶ 隆 寛 は 至 誠 心 と は 如 来 の 翼 賓 の 願 に 蹄 す る の 心 で あ る と 一 言 ひ 。 ︵六︶東山流観境房は、至誠心とは自力他力を分別して、自力の心では柱生は出来たいと思ふがとの心の剛胆であ る と 主 張 し た 。 ︵七︶西山は、観境房の設を否定して、自力そ斥ふのみを以て至誠心の轄とするのは誤りである。自力は出離せ ゃ、他力に依て往生すると知るのが至誠心の韓であると論明し売。 此の如く至誠心の解躍が種 k 様 k であるととは、営時如何にとの問題が喧しく、討議せられたかと去ふととを、 容易に察するととが出来ると思う。勿論至誠心だけでは友く、三心共に討議に討議を重ねられたに相違たいが、 今唯だ至誠心のみに就て、諸説を一躍陳述した。以下は諸流の三心に就て、同異を少しく排じたいと思う。
四隆寛律師の三心説
別表に示すが如く宗祖門下の諸流の中、隆寛律師は最も年長者で親蓄も深かつ売人であるが、律師の三心の解 韓は、全く従来の型を破り、滞土教義に一大轄換を輿へたと考へたければ汝らたい。即ち西山田県宗は勿論、彼の 一念義の幸西の如きもみたとの隆寛の三心設を糟承したものと考へねば怒らぬ。現今幸西の著述として倖存され てある中には、三心の委しい設明がたいから、詳細を知るととは困難であるが、静土源流章等を遇して、幸西の 三心設左案、守るに隆寛の教義と殆んど一致するものがある。恐くは隆寛の影響を受けて、 一 念 義 を ム 主 唱 し た も の 5 隆寛律師の教義と三心思想の展開 一 九 七日 本 偽 教 革 協 曾 年 報 ︵ 第 十 三 年 ︶ 一 九 八 6 であらう。兎もあれ今との下に於て、隆寛の三心義を論やるであらう。 ︵ 一 ︶ 至 誠 心 の 解 韓 洋影、天台、元照、善導、宗祖、鎮西等の諸師は、何れも至誠心は吾入行者が、護ずべき至誠異賓の心である と解躍されたととは、今喋 k する必要もたいが、隆寛はとの設とは全く異って、至誠真賓心たるものは、国より 吾人凡夫にある可き韓がたい。吾人は元来虚懐雑毒の心の持主である。然れば吾人に強ぴて至誠心を護せと云ふ は、それは全く無理である。故に論註の上容の異賓功徳相を明す下に、﹃凡夫の有漏心は異賓ではない、菩薩の無 漏心のみが員置である﹄左記されてある。然れば今との至誠異賓とは、調陀の本願を指すのである。市して吾人 が繭陀悌の員賓の願に蹄ずる心を、之左至誠心と云ふのである。即ち所蹄の願に約して、能輔の心を異賓心と名 けたのである。例へば天台山に住するが故に、之を天台大師と名け、南獄山に住するが故に、甫議大師と言った ゃ う 喝 な も の で あ る と 主 張 し た 。 との設に就て東宗要三省三心轄の下に、少し︿論明されてあるが、然し近来兵三心義や、散善義問答が護見さ れ て 、 一 一 唐 そ の 義 が 明 白 と た ヲ 売 。 部 ち 具 三 心 義 上 容 に 一 式 く 。 問、凡夫の心念を尋るに、心二願倒怒らざるはたし、虚椴怒らざるは怒し。曇鷺の注に一宮︿、人天の諸警は、 若は因若は果、皆な是れ顛倒たり、皆友是れ虚偶・なり、道縛の集に云く、凡夫は現に信相軽毛と名く、亦売椴 名と日ふ巳上。此の心念の中に真置を得んと欲せば、警へば水底に火を求るが如く、叉火中に水を求るが如し、 難が中の難たり、誰れか之れを得べけんや。 答、凡夫の心を以て員賓と矯すにはあらや、繭陀の願を以て異賓と矯ず。異質の願に蹄ずるの心たるが故に、
蹄ずる所の願に約して員賓心と名く。例へば天台山に住するが故に、天台大師と名け、南獄山に位するが故に、 南岳大師と名︿るが如し。 問、調陀本願の異質怒る義は、何を以て定むるととを得るか。 答、曇驚法師、往生論偶の民賓功徳相の文を解して一宮く、菩躍の智撃情滞の業より起れる控巌働事は、法性に 依て清浄の相に入る。是の法は顛倒たらや虚慌たらざれば、名けて員賓功徳とたすと。又一式く、法蔵菩薩、世 自在王悌の所に於て無生法忍を悟る。爾の時の位を塾種性と名く、目見の性の中に於て、四十八の大願を穫して、 此土を修起し給へり巳上。虚偽の無明を断じて、本有の理を悟てより以来、有らゆる思想は悉く法性に順して 員賞怒らやと云ふとと放し。然るに得忍の位に於て、穫す所の弘願たんぞ異置にあらざらんや。本願の異賓友 る と と 其 義 斯 の 如 し と 。 以上所引の文に依て、員賓は悌の本願であるととは明らかであるが、散華口義問答第三には夏らに浄影、天台、 元照等の疏を引て、古来の設を論破して自義が成立されてある。従うて叉善導の至誠心の韓文に就ても、その訓 賠の施し方が異ってゐる。部ち鎮西流では、 不 v得 下 一 外 現 コ 賢 善 精 進 之 相 一 内 懐 中 山 田 椴 L の文に封して、内懐虚般から不得に還る可く附せられてあるのに、隆寛は即ち精進の相から一現に還るべく教へら れてある。即ちその讃み方は、外に賢善精進の相を現やるととを得ざれ、内に虚慨を慢けば怒りと讃むのである。 故に散善義問答三各には、﹃此等の轄の始終は、三業相障の解行を以て、外現精進と篤し、宇める所の煩悩悪性を 以て、内懐虚僚と詩すと見へたり、然らざれば内外の義成じ難し﹄と言はれてある。真宗も亦事んとの義に従って 7 臨陣寛律師の教義と三心思想の展開 一 九 九
日 本 偽 数 血 中 協 合 百 年 報 ︵ 第 十 三 年 ︶
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00 8 なるやうであるが、査し隆寛の新案である。故に東宗要四巻にはとの設を破して云く。 或入一式く、九夫は貧慣具足の故に至誠心を起さや、故に他カに蹄するを翼賓心と名るたり夕刊今一式く然らや。 上には虚椴の障を回押して不得乃至虚椴と一式ふ。虚償より還って之友誼むは即ち此の意たり、若し凡夫の煩悩を 事 ぐ れ ば 、 貧 隈 痴 慢 悪 見 等 と 一 式 ふ べ し 。 冒 と 。 とれは即ち隆寛が散善義問答三巻に﹃虚慣とは貧眠等の煩悩の名たり﹄と言った義を破したものであらう。従っ て叉其弐の貧眠邪備等の文の解轄を異にし、鎮西は之を虚般の由来と解し、隆寛は凡夫の煩悩の有様を示し売も のと解するのである。然し隆寛の解韓は、宗祖の御思召とは全く異ってゐるととは明らかである。 曾て竹谷の乗願房がとの義に就て隆寛、と議論したととが、東宗要に記されてある。即ち乗願房が隆寛に封し て、員賓と一式ふは悌の本願を指すのであると云ふ義は、法然上人の義であるかと尋ねた時、隆寛答へて日く、と れは上人の義ではたくて私の一言である。恐くは蓮樺集の意に違ふであらうと、その時乗願房は、墜者の意紫を以 て異議を存するは常の事であるが、彼の齢流が法然上人相停の義であると云ふは存外であると言はれたと云ふと とである o 恐くはそれが真相であらう。故に散華同義問答第三には、内外不調を斥ふのを至誠心とする設が破せら れてある。査し隆寛は繭陀の本願を深く信じ、他力を踊よ強調した結果、自然に斯様に考へ売であらうが、叉そ の首時の世相並に自己罪悪の反省観が自ら斯様に考へる可く誘導し事んものでもあらう。 ︵ 二 ︶ 深 心 の 解 樺 ・択に深心広就ては隆寛は具三心義下巻に二義を以て韓されてある。 第一義は﹃探心とは即ち是れ深く信ゃるの心怒りと言はれであるが、心本願に蹄して疑ひたく慮放きは信心の深きに由るたり、信心の深きととは願の異賓たるに由る﹄と記されてある。 第二義は﹃又摘陀の願海深くして底放し、との願を信やるが故に信やる所の願に約して名けて深心と露ナ。ま さに知るべし、誠心と深心とは唯だ一醐聞に於てこの名を椴立す﹄と韓されてある。 とのこ義は一躍異るゃうではあるが、結局同一物を雨方面から説明したに過ぎたい。即ち第一義は衆生の深心 を伸の本願に蹄し、第二義は悌の本願から衆生の深心の護り来った理由を述べたものである。さればとれらの義 は彼の至誠心を説明して、捕陀の異賓の本願に鴎ナるを至誠心と云ふと言はれたのと金く同一論法である。即ち 兵三心義の下巻には、踊陀の願海は異賓であり深無底であるから、誠心と深心は唯だ一轄に於てこの名を俄立す と言はれてあるが、斯る結論の出で来るのは営然である。兵三心義下巻に一式く、 深心と言ふは即ち是れ深く信ゃるの心たり云云、知る可し。心本願に蹄して疑友く慮泣きは信心の深きに由る。 信心の深きととは願の虞賓たるに由る。叉蹴陀の願海深くして底友し。此の願を信やるが故に信やる所の願に 約して名けて深心とたす。嘗に知るべし誠心と深心は唯だ一瞳に於てこの名左椴立する・怒りと。 此は後に親驚が信各に雨呑の問答を設けて三心を説明し、前番は能踊の信心に約し、後呑は所障の願心に約した 筆法と相類してゐる。 会 一 ︶ 廻 肉 強 願 心 隆寛は善導の廻向心の糧文を解轄するに、三義を以て説明され売。第一義は韓文の﹃廻向護願心と畳一口ふは、過 去及び今生﹄以下の文である。此は舎で念悌以外の自力の善根を修行しつ L あ っ 、 死 者 が 、 他 力 本 願 の 謂 れ を 聞 て 、 念悌門に轄入し、曾て作った善根左悉く他力の願海に廻入して、柱生を願求ずるのである。故に文に同県賓深心の 9 隆寛律師の教義と三心思想の展開
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O日 本 悌 敬 拳 協 舎 年 報 ︵ 第 十 一 一 一 年 ︶ 二 O ニ 10 中に廻向して、彼の圏に生ぜんと願ふと言はれてあると解韓された。故に散善義問答第五に一式く、 問、廻向護願心に就て三種の義あり、其中第一の相如何。 答、疏に一式︿廻向護願心と一言ふは、過去及び今生の身口意に修する所の世出世の善根、及び他の一切の凡墓の 身口意業に修する所の世出世の善根に随喜せる左以て、悉く皆友田県賓深信の中に廻向して、伎の閣に生ぜんと 願 や 、 故 に 廻 向 護 願 心 と 名 く 云 云 。 目 見 れ 其 の 第 一 廻 向 稜 願 心 の 臨 時 放 り 。 難して一式く、此韓に付て多疑あり、一に今論やる所は本願の三心の其一たり、然るに本願の中には稽名の外に 飴善を奉るととたし、何が故ぞ今世出世及び自他等の一切の善根を奉るや。こには自他各別たり、他の所修の 善を以て廻向するの義如何。三には員賓深信の心の中に廻向すと云ふ、三心根凱の失を招くに似たり如何。 舎 し て 一 式 く 、 今 経 の 心 、 上 品 上 生 の 中 に 於 て 三 心 を 説 く と と は 二 二 一 一 の 人 を し て 本 願 に 舎 入 せ し め ん が 矯 − 怒 り 。 是の故に克も諸善を拳ぐ可し、次に他の修ずる所の善に随喜す、其の随喜の功徳は己れの業たり。との功徳を 以て廻入するなり。弐に自他の諸善を以て他力の願海に廻入ナ、之を指して異賓心中と云ふ怒り。との廻入の 思の深︿信じて疑心なきを、之を指して深信の心の中と云ふたり。若し爾らば種 K の難悉く泊さる。抑もとの 廻向は此経の本意たるが故に第一にとの義を事る怒りと。 斯様に隆寛は、第一義は自力の善根を以て他力の願海に廻入する相であると解躍し売。 隆寛は叉 ζ の第一義は三心の正意であるか否かを説明し売。即ち具三心義に一宮く、 若し飴行を廻して念悌に向ふ人に約すれば、郎ち正意たり、若し但念備の行人に約すれば、叉た正意にあらや と
是に依て但念悌の行人の正意は自ら第二義にあるととが明かである。故に散善義問答には、 第二廻向とは即ち是れ本願の三心の中の廻向たるが故に、ムんも本とたすべし正とたすべきたりと 然したがら観経の本意は国より自力の人が其善根を以て廻向して、他力の願海に轄入ずるのが本意であるから、 善導が第一にとの義を謹べられ売のであると解躍した。故に散春義問答には、 との粧の本意怒るが故に、第一にとの義を畢る捻り。 抑 も と の 廻 向 は 、 と 言 は れ で あ る 。 第二義は樺文の﹃叉廻向護願生者﹄以下の文で、隆寛は兵三心義に於て、との文に三義あるととを説明し売。 には正しく員賓の本願に蹄する心の中に、決定して生やるととを得べき想をか仏すととを明し、二には正しくとの 得生の想、深信堅固にして他人の震に破られざるとと恰かも金剛に異るととなきととを明かし。三には正しく決 定員賓の深信の中の願生の心たるが故に、永く往生の大益左失はざるととを明し売ものであると。但し隆寛は斯 様に三義を以て酒向心を説明したが、或は異賓心に約し、或は深信に約して明しもルから三心混鼠の失に堕るとと たきゃと言ふ心配から、兵三心義には左の問答が設けられである。 問、とれ第三心を揮するの文段怒り、同県賓心に約し、深心に約して廻向護願の義を判やるととは、量に三心混 胤 の 失 た き か 。 答、名は三にして韓は一怒り、とれ其の三心の密意汝り、所以はいかん、真賓の願に闘して疑なく慮友きを、 之を指して深心と名く、深信の中に於て決定して生するととを得る想を起すを、之を指して廻向護願心と日ふ たり、臆に知るべしと。 11 隆 寛 律 師 の 教 義 と 一 一 一 心 思 想 の 展 開
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日 本 係 数 拳 協 曾 年 報 ︵ 第 十 一 一 一 年 ︶
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O 四 lZ 第三義は樺文の﹃叉廻向と言ふは﹄以下の文であって、此は還相廻向である。即ち浮土に往生して後、還って大 悲を起して生死に廻入し衆生を教化するを廻向護願と一式ふのであるが是は従来と異りはない。 以上は隆寛の三心躍の大要であるが、との義の中に後に大に展開すべき種 K の若芽を含有するととは明かであ る。されば隆寛の教義とそ、浄土教理史を研討する上に於て、最も興味ある教義である。邸ち従来の一般の教義 特に鎮西義等にあっては、安心も起行も行者の裂すべきが営然であり、彼の善導の営時の議論、別時意趣の問題 から考へても、願孤行孤は別時意でありと排斥せられたのであるが、隆寛はそれを一元的に、すべてを願の異賓 に蹄納して設明ぜんとした所に、著しを費化があると言はねば・ならぬ。後に親驚の結封他力の要素はと L に 充 分 にあるととは明かである。五成費房幸西の三心詑
浄土源流章を始め其他の多くの書籍の中何れも幸西は隆寛の前に配列されてあるが、年齢の上から考へでも又 その教義から推察しても、隆寛よりも後に私自く可き人であらうと思はる与ので、飴は特に隆寛の弐に記述せんと したのである。幸西の著書は玄養分抄を除いては現存やるものが殆んど友いので、教義の内容を充分に知るとと は出来たいが、玄義分抄並に源流章の設から考へて、コ一心思想は隆寛の設から一一再したものであらうと思う。即 ち隆寛が三心の起源を主として悌願に蹄納した上に、更らに三心一関たりと考へ党思想は、謂ゆる幸西の一念義 と殆んど傍悌たるものがある。 幸西の設に従へば、吾人の信心が悌智の一念に冥合し、能所無二、信智唯一とたった扶態が念 K 相捜して往生を得るのである。即ち行者の信念と悌心とか興に相躍し、悌智願力の一念に契った相が即ち往生である。故にと の一念は即ち翼賛心であり、即ち深心であり、即ち願心である。故に三心は謹くとの一念の中にあると主張した。 而して悌智の一念とは印ち悌心であり、摘陀の本顕である。何とたれば調陀の願行に報ゆるが故に、と L に悌智 を得たからである。智は即ち果韓であり、願は印ち因心である。願と行とに報ゆるが故に、と L に果韓を得たの である。然れば果智の営韓に皆な悉く願心があり、智韓は願力の所成である。故に今悌智と一式ふは呆腫の方面か ら謂ふのである。願力と一宮ふは郎ち因心から謂ふのである。是を以て智願は全く是れ一である。故に大経に云 く、如来の智慧海は深贋にして涯底友しと。善導之を騨して云く、繭陀智願の海は深買にして涯底なしと。而し て幸西の一諦記に云く、如来能く度するは是れ心たり、心とは智たり、能く物を度す、異賢は唯だ一念の心ゑり、 心とは智たり、、智以て度ずる所の正門は外注し、是れ印ち心一一来たり、他 たらや是れ即ち心怒り、邪を捨るも心友り、正に蹄ずるも心怒り、小佐捨るも心・なり、大を採るも心なり、漸を 捨るも心たり頓を採るも心怒り、聖を捨るも心たり、凡を採るも心なり、一一河も亦もん心友り、白道も亦た心友り、 是れ亦た唯だ一念の心怒り、是を員賢心と名け、是れを深心左名け、是れを願心と名く、故に云く、此の三心を 具すれば必や往生するととを得と巴上。源流章にとの文を阻伸して、義に約すれば三心あり、韓に魁すれば唯だ一 念たり、願を信じ、願に託し、智に契ふの心と、悌智と冥して腫無二の故にと言はれてある。 衆生の度せらる L も 是 れ 亦 も ん 心 な り 、 との幸西の三心設を、彼の隆寛ム﹂封比するに、至誠心とは鵡陀の本願を指す怒り、深心とは繭陀の本願を信十 るが故に、信やる所の願に約して深心と云ふ。廻向心とはとの深心の中に決定して、往生を得ると思ふ相が、そ れが即ち廻向心であると考へ売思想と殆んど一致するではたいか。蓋し幸西は隆寛の思想を櫨承し、更らに天台 13 隆寛律師の教義主三心思想の展開
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O 五日 本 偽 教 事 協 合 百 年 報 ︵ 第 十 三 年 ︶ 二 O 六 14 の開示悟入等の思想をも取り入れて、己れの教義を成立したのではあるまいか。即ち天台には開舎を談示、開は 方便であり舎は異賓である。今方便を捨て t A 真賓に舎入ずるのが開舎である。唯識には又契合中道を説く、部ち 中道賓相の理に舎合するのである。叉彼の天台に停ふる所の三大章七面相承口決の中阿禰陀の三字を轄する下に 一式く、止観の十章の建立は皆た是れ繭陀併の名競・なり、亦諸法所兵の心識は、踊陀に非ざる事友し、心とは智慧 怒り、繭陀は是れ妙観察智にして、断迷開悟の本性たり、摩詞止観に三諦三千の不同を明して教観を立るの心地 は、皆た是れ繭陀内心の三摩地たり。口に文乞請して心に妙義を案守、皆た是れ念悌三味の形友り。故に止観簡単 行の輩、若は修行純熟の者は、今生に摘陀の内詮を契信すペし、若し曲学行不熟の者は、必や西方浮土に生じて彼 に 於 て 繭 陀 の 内 詮 に 進 至 ナ ペ し 、 繭 陀 の 願 文 に 一 式 く 、 至 心 に 一 λ念ずれば必や往生するととを得んと謂はれである。 市して三心開一の義は、隆寛曾て之を唱へ、幸西、西山皆たその設に従ってゐる。即ち隆寛は兵三心義の下巷
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、﹃まさに知るべし誠心深心唯だ一障に於てこの名を立るたり﹄と云ひ。又その下に﹃一二心名はコ一にして躍は一 たり﹄と言ってゐる。幸西は即ち源流章に於て﹃義に約すれば三心あり、四胞に駐すれば唯だ一念たり、願を信じ、 願に託し、智に契ふの心と、悌智と冥して瞳無二の故に﹄と一アー。玄義分抄に一式く、﹃まさに知るべし南無阿繭陀 悌と念やる外に、蹄命も入るべからや、強願も入るべからや、廻向も入るべからや、唯だ悌智を了する一心に皆 友具足するたり﹄と。西山は叉観門義紗に﹃三心は韓一にして開舎の異に過ぎや、卸ち三心は一の異賓心を以て とれらの思想は最も類似してゐるでは汝いか。 韓となす﹄と記されてある。 . 』.. 4,
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西山上人の三心設
西山上人の設に従へば、至誠心とは謂ゆる本願の至心である。異賓は謹一人の悟りから出づペきもので、凡夫は その韓を知るととが困難である。即ち吾人が観経に依て騨隼の本意を知り、大経に鴎して摘陀の別願を尋ねて、 凡夫の出離 L ι 悌の利生とはこたく別なしと明らめて迷はない意である。との意は凡夫の心と悌の心と相臆する初 後不二の心怒り、我依ニ菩薩誠、頓敬一一飛海﹁詑 v偶蹄二三費﹁興ニ悌心−相躍と調ふはとの意である。尋ぬる所は 同県賓心の三字共に凡夫に麗し、尋ねらる L 所は三字共に悌に属すと言はれてある。との中経に蹄して繭陀の別願 を草ねて、凡夫の出離と悌の利生とはごたく別たしと明らめて迷はない意であると一 E ふは、隆寛の兵三心義に謂 ゆる、異賓心とは本願に蹄ずる心たりと一宮ふ意味と最も類似するでは・ないか、故に西山の法語集には、他力本願 の異賓放るに依りて、その後悌に助けまゐらせんと思ふ心によりて、今の異賓の心の起るとは申ず怒りと一言はれ てある。叉との意は凡夫の心と備の心と相躍する初後不二の心たりとあるのは、伎のま十西が刀打者の信念と悌心 とが輿に相躍し、伸智願力の一念に契った相が即ち往生である、故にとの一念は邸ち員賞心である﹄と説いた設 と最も共通してゐるではたいか。査し西山上人の至誠心設は、隆寛幸西等の設を櫨承したものであらう。依て散 華 口 観 門 義 の 設 を 畢 れ ば 、 一には至誠心、至とは異なり誠、とは賓なり、桝目県は僚に空 9 るの名、賢は虚に封ずるの稽たり。然、れば本願の 至心是れ怒り。至れる賓とは此の義たり。虚椴は生死凡夫の執情より起る、委しく論やれば其瞳あるとと怒 し。魔饗を守れば散失するが如し。同県賓は謹撰墓人の莞悟より生や深く尋ねて其樫額はる。真金を磨けば繭よ 明かなるが如し。締じて謂へば真賓に二あり、一には嬰道の異賓、こには静土の異質たり。墓道の異置は断惑 の分買に任かせ信設の浅探に限りて額はる可し。故に凡夫は其韓を知るとと難く、浅位は其相を得難し。維摩 15 隆 寛 律 師 の 教 義 と 一 一 一 心 思 想 の 展 開
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O 七日 本 悌 致 事 協 舎 年 報 ︵ 第 十 三 年 ︶ 一 一 O 八 16 経の虞心等是れ怒り。一切衆生容易く三業の解行を矯すべからや。末法の下根分絶えたるものなり。静土の翼 賓は観経に依りて韓隼の本意を知り、大経に闘して捕陀の別願を尋ねて、凡夫の出離と悌の利生とこたしと明 らめて迷はざる意怒り。此の意凡夫の心と備の心と相躍する初後不二の心たり。我依ニ菩薩摘、頓敬一乗海﹁説 v 偶蹄=三賓﹁輿コ悌心−相臆と謂ふは此の意怒り。尋ねる所は異賓の三字共に凡夫に属す。尋ねらる L 所は三字 共に備に輔す。故にとの教に逢ふてとの意を知る者は悉く具すべし。更に浅深ある可らや全く高下たし。此の 故に欲 v 明二切衆生、三業所 v 修 解 行 、 異 賓 心 中 作 − と 言 ふ 。 ・択に深心に就て排やれば、西山上人は散著観門義に深心を解躍して、二者深心、乃至深︿信やるの心たりとは、 との中初の四字は経文の如く第二の心の名を奉る怒り。共の十一字は正しく轄す。経には直ちに深心と一式ふを、 今深く信ゃるの心を稗するととは深は浅に封ずるの詞たり、異賓心の外に深心と一試ふも別の四四段し、二教の安心 を分別して、観門の道理に依って異賓の心立しぬれば弘願に鵠ナ。弘願に臨する意をとりて深心と云ふ。とれ郎 ち異賓の名を轄ぜ守して、蹄する所に深の名を立れば、障は即ち信怒るが故に、探く信やるの心ーと轄するたり。 是れ要門を本とたして名を轄するたり、故に深く信やるの心怒りと謂ふ。叉先の員賓心既に究まりて悌意を知り ぬれば悌心と相臆ナ。との心の闘する所悌の別願にあり、別願を尋ね知らば更に疑はぎるべし、とれ則ち﹄県賓心 の韓友り。障に魁するが故に異賓心の名を改めやして直ちに深心と云ふたり。目疋は弘願を本と放して名を韓する 友り。故に深く信やるの心友りと轄するたりと回押せられてある。との思想は叉伎の隆寛の﹃信心の探きととは願 の虞賓怠るに由る﹄或は叉﹃誠心、深心唯だ一轄に於て二の名を椴立す﹄と一式ふ説、叉彼の幸西の﹃悌智悌願を探 ︿信やる所に一念相臆の心あり、との相躍の心即ち深心たり﹄と一宮ふ設と最も類似するでは泣いか。
共に廻向鷺願心に就ては観門義に、悉く皆校異賓深心の中に廻向すとは、三心は悉く異賓心乞以て韓とたず。 故に深心を轄する時は異賓深心と云ひ、今廻向を躍する時は、叉同県賓在韓とする深心を兼ねて、員賓深心の中に 廻向すと一試ふ。詮は一心を聞きて三心と・なして、之を躍し額すが故怒り。三心に聞きて設かざれば一心の韓を成 ぜや。一心と結して成ぜざれば、三心を聞きし本意ある可らや、三心一心能成所成の義を分別して知る可しと謂 はれてある。との義叉隆寛が廻向護願心を轄する下に於て、﹃三心は固より一心である。名はコ正して韓は一であ る﹄と言った説、又幸西の﹃一念は即ち員賓心であり、即ち深心であり、即ち願心である﹄と唱へもん設と何ぞ相類 す る や 。
七親鷲聖人の=一心設
親鷺墓人は信の容に善導大師の御躍を引て云く、 経 云 一 考 至 誠 心 王 者 同 県 誠者賓 欲 v明下一切衆生身口意業所 v修解行 必 須 乞 呉 市 貰 心 中 作 心 不 v得 三 外 現 コ 賢 善 精 進 之 相 日 六要紗に此文を躍して一再く、欲明等とは勤門の韓友り、須の字の訓は用の訓を用ゆべし、心中作とは行者の作 にあらや、作の所作に約す、是れ即ち凡心は異置に非ぎるが故に、備心異賓の徳に蹄するに依って、其の伸徳と 矯て往生の盆を得る。其の所障に就て真賓心と一冨ふ、依主韓怒り。不得等とは誠門の四押なり。との勾の文賠は現 より得に還る。嘗流の皐者定て存知せるか。今との穫の意は雑行を誠むるたり。然る所以は凡夫の心更に賢善精 進の義なし。只是愚悪幌怠の機怒り。而るに人自心の愚悪を顧みやノして随縁起行ナ若し賢善精進の諸行を修する 内 懐 エ 虚 僚 時 一 耳 云 17 隆寛律師の教義と三心思想の展開 ニ O 九日 本 偽 教 準 協 曾 年 報 ︵ 第 十 三 年 ︶
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O 18 ととを求めんと欲せば、悪性の心たるが故に煩悩賊害す。必 4 y 是れ虚椴雑毒を高見れや。内懐虚般とは是れその義 たり。然れば賢善等の相を現ぜ示、自心三毒の悪性を識知して、自力の行を捨てもお他力の行に揮すれば、田県賓清 浮の業を得べき・なり。との心を勤むるを以て今の躍の要となすたり巴上。との中﹃凡心は員賓に非ざるが故に、 悌心真賓の徳に鵠するに依ってその伸徳、と矯て往生の益を得る﹄と一式ひ。叉不得外現の訓黙を現より得に遺らし め、自力の諸行を捨て L 他力の行に蹄せしむる意味に解されたのは全く隆寛に類似してゐる。但し親鷺は更に一 柑押して、との異賓心は吾等が障して得たるに非守、願力廻向の賜・なりと深く如来の本願の思恵に蹄納せられ売鮪 は 、 ま も ん 濁 特 の 見 解 で あ っ た 。 故 に 信 の 巻 に 轄 し て 一 式 く 、 問ふ字訓の如き論主の意三を以て一と怒ずの義其の理然る可しと睡も、愚悪の衆生の震に阿繭陀如来日に三心 の 願 を 護 し 給 へ り 、 一 試 何 ん が 思 念 せ ん か 。 答ふ伸意測り難し。然りと雄も羅かに斯の心乞推すに一一切群生海、無始より巳来乃至今時に至るまで、積悪汚 染にして清再開の心たし、是を以て如来は一切苦悩の衆生海を悲潤して、不可思議兆載永却に於て菩薩の行を行じ 給ひし時、三業所修の一念一利那も清浮−ならざるとと友L
、異賓たらぎるととなし。如来は清津の真心を以て固 融無礎、不可思議、不可稿、不可設の至徳を成就し給へり。如来の至心を以て諸有の一切煩憎悪業邪智の群生海 に廻施し給へり、則ち是れ利他の真心を彰す、故に疑査雑るととなし。斯の至心は則ち是れ至徳の隼拐を其の瞳 とたすと言はれてある。 然し訟がら親驚は叉信翁に於て雨者の問答を出し、本願の三心と論註の一心とを合舎されもん。その中前者は三 を合して一とたすの立場から、三心は迭に翼賓信心に蹄ナる趣を述べ、能師信心に約して説明された。而して後者は三心を無擬の願心として、之を至徳の隼現に蹄し、所蹄の願心に約して説明された。然ればとのごは能所不 二、機法一瞳である。故に高僧和讃には、﹃安端末園に至るには、無上賓珠の名親 1 ζ 、異置信心一つにて、無別道故 と読き給ふ﹄と詠はれである。加之信倉には、﹃若は行若は信、一事として阿繭陀如来の清博願心の廻向成就し給 ふ所に非ざるととあるととたし﹄とて、すべて如来の賜なるととを強調されもん。査し他力の至極である。 共に深心と廻向心に就ては、本願の信柴欲生の二心を以て之に配し、至誠心を同様に如来から廻向し給ふたか らであると解せられた。故に信巻に﹃信柴と一宮ふは即ち是れ如来の大悲園融無碍の信心海たり。是の故に疑葦問 雑あるととなし故に信楽と名く、則ち利他廻向の至心を以て信柴の障とする友り、然るに無始より以来、 一 切 群 生海、無明海に流轄し、諸有輪に沈迷し、衆苦輪に繋縛せられて、清浮の信業友し、法爾として異賓の信業たし ︿中略︶、如来苦悩の群生海を悲憐して、無畷贋大の浮信を以て、諸有海に廻施し給へり、是れを利他真賓の信心 と名く﹄と謂はれである。 共に廻向心に就ては信巻に、﹃共に欲生と一式ふは則ち是れ如来諸有の群生を招喚し給ふ意たり。即ち異賓の信 柴を以て欲生の韓とするなり。誠にとれ大小の凡墓定散自力の廻向に非示、故に不廻向と名くるたり。然るに徴 塵界の有情、煩憎海に流轄し生死に漂捜して、同県賓の廻向心たし清揮の廻向心たし、是の故に如来一切の苦情の 群生海を幹哀して菩薩の行を行じ給ひし時、三業の所修乃至一念一利那も、廻向心を首として大悲心を成就する ととを得給へるが故に、利他異賓の欲生心を以て、諸有海に姐施し給へり。歓生則ちとれ廻向心たり﹄と謂はれ で あ る 。 19 斯の如く親鷺は三心共に如来が我等を憐惑し給ふ、大悲廻向の賜たりと考へられ、無限の慈悲を讃へられた結 隆 寛 律 師 の 教 義 主 一 一 一 心 思 想 の 展 開
日 本 働 致 事 協 曾 年 報 ︵ 第 十 三 年 ︶
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20 果として感思報謝の和か友思想が湧然として涌き出るは寒に嘗然の事である。市して三心一韓たる鮪に於ては、 隆寛等と異り友きも、彼等は何れも至誠心を本瞳とするに謝して、親饗は至誠心は至徳の隼鵠を韓とたし、深心 は至誠心を簡と怒し、廻向心は深心を韓とたすと説いて、序での如く下より上に蹄納して、還に至徳の隼韓に蹄 結したのは、また特別の見方である。但し名樟不離・なれば、名競は即如来であり、如来は即ち員賞であり至誠心 であるから、唯だその説明を異にするのみである。 之を要するに日本に於ける崎市土の教義は、隆寛に至って著しく費化し、其設を糧承ずるものは、漸く蹄納的に 一元に進み、迭に親鷺の絶封の他力、摘陀の弘願に陣結するに至つ売のである。然したがら今時に於て、沈思す るにとの中に於て、幾多の問題の伏在するととは勿論であるが、今はそれらを省略して、唯もん三心の考へが、如 何に開展しもんかん﹂云ふととに就て、明か愚見を陳述した。希くは後賢に依て更に検討を加へられよ。静
土
各
波
祖
師
年
齢
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石 橋誠遭 承 長 寛 臆 久 長 安 保 安 承 三 元 二 四 二 年 年 年 年 年 四 h一一・ ー一一 一一』ー−−
宗/J、 一 一O
六 組 歳 生 六 二 六一 五一 寛隆 生 一 一 一 鎮西 生 一 一 幸西 生 親 書 生量文 弘 賓 治 暦 安 建 承 元 正 建 暦 元 承治 承 永 長 仁 貞 暦 元 久 治 久 安 三 二 元 元 元 二 元 元 元 九 年 元 元 五 年 年 年 年 年 年 年 年 年 年 年 年 同 問 同 間 後 宗 八 七 七 六 六 五 四 四 五 五 三 二 一 組